この話は昭和37年のS紙上に初めて出てくる。その後随筆・人革などに出てくるが人革で話がかなり膨らんでくる。そして、今回の会則付加となる。何とも不自然な話ではないか。文・理・現の三証からいっても、出典はいかに?威音王仏の話だけではいかにも説得力が弱い。法華経の中の大昔のおとぎ話を持ち出しても出典にはなりません。 個人ではない法人格に対して仏法上の記別を与えるというのは初めて聞く。尤も最近は初めてずくしだからそれでもいいかも。 だが理屈がどうも? 善人も悪人もひっくるめて仏というのは乱暴な気がするのだが如何なものか?
返信 2016年12月02日 (金) 00時24分
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