池田先生への思いも綴っておきたいと思います。 戸田先生亡き後、学会をまとめあげ、大発展させた「大功労者」だと思います。 しかし、戸田先生の御遺命を実現するために、急ぎ過ぎたのではないかとも思います。
その一つは正本堂の建立で、その時期ではなかったゆえに、破壊されてしましました。
また、会員数を増やすための無謀な折伏が、その後の停滞につながったと思います。
会長就任直後の講演などでは、会長職はご自身を含め青年部から3代、4代、5代と出していくことを声高に「宣言」されましたが、 後継者をつくることなく「会長は3代でいいんです」と、広言されるようになりました。
また、本幹での「壇上幹部」を呼び捨てにする「ふるまい」や、「聖教550万部は自分一人でやった」という発言など、現場の苦労を理解されているのか疑問に思わざるを得ません。 さらに、宗門との対立になぜ第3者を立てたのか、なぜ、ご自身が直接解決の行動をとられなかったのか?
不思議でなりません。
返信 2017年01月22日 (日) 19時59分
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