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タイトル:「戦後教育の忘れ物」 投稿者:冬将軍
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野田佳彦議員ブログ(瓦版)のバックナンバー(平成18年 6月25日)より引用;


還暦を少しばかり過ぎたある方が、京都大学在学中に「アーロン収容所」等の著書でも有名な会田雄次先生からお聞きした話が、今頃になってしみじみと思い出されると述懐されました。

会田先生は「君たちが社会に出て、いずれ各界のリーダーになった頃の日本が心配だ。なぜならば、君たちが受けた戦後教育では三つのことが全く教えられていない。

第一に歴史、第二に信仰、第三に人の道(倫理)だ。」と語られたそうです。

小泉総理と同世代のその方は、約40年前に会田先生が心配していた通りになってしまったという思いがあるのでしょう。』




[57]2011年08月29日 (月) 15時40分
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タイトル:投稿欄に同好の士あり 投稿者:朝
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8月11日朝日新聞朝刊の投稿欄に、茨城県主婦富永啓子さん「メール件名五七調いかが」と題する文を寄せらる。

さる会の運営に関はるメールの件名を五七五でお書きの由。書きて楽しく、受けて喜ぶ人ありとも。

例として「この議案 ご検討あれ 夏深し」。

これ実に「文語で携帯メール」が趣旨と合致するもなり。五七調は必然的に文語文の体裁を帯ぶ。

仲間見出したる心地して愉快に候。
[56]2011年08月15日 (月) 16時18分
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タイトル:紅萌ゆる 旧制三高寮歌 投稿者:冬将軍
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紅萌ゆる岡の花   三高逍遙の歌



澤村胡夷 作詞   k.y. 作曲





紅萌ゆる岡の花
早緑匂ふ岸の色
都の花に嘯けば
月こそかゝれ吉田山 


緑の夏の芝露に
殘れる星を仰ぐ時
希望は高く溢れつゝ
我等が胸に湧返る


千載秋の水清く
銀漢空にさゆる時
通へる夢は昆崙の
高嶺の此方ゴビの原


ラインの城やアルペンの
谷間の氷雨なだれ雪
夕は辿る北溟の
日の影暗き冬の波


嗚呼故里よ野よ花よ
ここにももゆる六百の
光も胸も春の戸に
嘯き見ずや古都の月


それ京洛の岸に散る
三年の秋の初紅葉
それ京洛の山に咲く
三年の春の花嵐


左手の文にうなづきつ
夕の風に吟ずれば
砕けて飛べる白雲の
空には高し如意ケ嶽


神楽ケ岡の初時雨
老樹の梢傳ふ時
檠燈かゝげ口誦む
先哲至理の教にも


嗚呼又遠き二千年
血潮の史や西の子の
榮枯の跡を思ふにも
胸こそ躍れ若き身に



希望は照れり東海の
み富士の裾の山櫻
歴史を誇る二千載
神武の兒らが立てる今


見よ洛陽の花霞
櫻の下の男の子等が
今逍遙に月白く
静かに照れり吉田山
[55]2011年08月08日 (月) 13時22分
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タイトル:新渡戸稲造の座右の銘 投稿者:冬将軍
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Eile nicht,weile nicht.(ドイツ語)

「急ぐなかれ、とどまるなかれ。」

ゲーテの言葉というが、出典は定かならず候。

十和田市立新渡戸記念館には新渡戸直筆ドイツ語の額がある由に御座候。

額の写真;
下記ホームページの下方。
力強き筆致にて候。
http://www.towada.or.jp/nitobe/exhibit/index.html
[54]2011年08月01日 (月) 16時32分
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タイトル:夏の歌 投稿者:常陸山
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長塚節(1879−1915)の詠める歌;

垂乳根の母が釣りたる青蚊帳を すがしといねつたるみたれども
[53]2011年07月27日 (水) 16時40分
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タイトル:滝野瓢水 投稿者:冬将軍
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「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」の作者滝野瓢水(1684−1762)について;

 日文研(国際日本文化研究センター)のデータベースの「近世畸人伝(正・続)」から引用します。



播磨加古郡別府村の人、滝野新之丞、剃髪して自得といふ。富春斎瓢水は俳諧に称ふる所なり。千石船七艘もてるほどの豪富なれども、遊蕩のために費しけらし。後は貧窶になりぬ。生得無我にして酒落なれば笑話多し。酒井侯初メて姫路へ封を移したまへる比、瓢水が風流を聞し召て、領地を巡覧のついで其宅に駕をとゞめ給ふに、夜に及びて瓢水が行方ヘしられず。不興にて帰城したまふ後、二三日を経てかへりしかば、いかにととふに、其夜、月ことに明らかなりし故、須磨の眺めゆかしくて、何心もなく至りしといへり。又近村の小川の橋を渡るとて踏はづし落たるを、其あたりの農父、もとより見知リたれば、おどろきて立より引あげんとせしに、川の中に居ながら懐の餅を喰ひて有しとなん。京に在し日、其貧を憐みて、如流といへる画匠初、橘や源介といふ。 数十張の画をあたへて、是に発句を題して人に配り給はゞ、許多の利を得給んと教しかば、大によろこび懐にして去りしが、他日あひて先の画はいかゞし給ひしととふに、されば持かへりし道いづこにか落せしといひて、如流がために面なしと思へる気色もなし。所行、大むね此類なり。はいかいは上手なりけらし。おのれが聞ところ風韻あるもの少し挙。
(以下略)

http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/kijinden/kijinden_118.html
[52]2011年07月21日 (木) 13時27分
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タイトル:新渡戸先生の祝辞 投稿者:冬将軍
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国際連盟事務次長となりたる新渡戸稲造、1922年東京女子大学の第一回卒業式に際してジュネーヴより寄せたる祝辞より;

『此の学校はご承知の通り我邦に於ける一つの新しい試みであります。従来我邦の教育は兎角形式に流れ易く、知識の詰込に力を注ぎ、人間とし、又一個の女性としての教育を軽んじ、個性の発達を重んぜず、婦人を社会而も狭苦しき社会の一小機関と見做す傾向があるのに対して、本校に於いては基督教の精神に基づいて個性を重んじ、世の所謂最小者(いとちいさきもの)をも神の子と見做して、知識より見識、学問よりも人格を尊び、人材よりは人物の養成を主としたのであります。』

出所
「逆境を越えてゆく者へ」(実業の日本社、2011年7月6日刊、1500円+税)
[51]2011年07月08日 (金) 16時08分
Pass
タイトル:「稲むらの火」 投稿者:冬将軍
返信する

 「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。
「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。
このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。
「よし」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。
「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。
こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。

 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。
「うっちゃっておけ。ーー大変だ。村中の人に来てもらうんだ」

 村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
「見ろ。やってきたぞ」
たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。

はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。』

出所
尋常小学校の国語教科書 昭和12-22年

[47]2011年04月22日 (金) 14時14分
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  投稿者:常陸山
『 平成十一年には、皇后陛下が御誕生日の記者会見で「子供のころ教科書に、確か『稲むらの火』と題し津波の際の避難の様子を描いた物語があり、その後長く記憶に残ったことでしたが、津波であれ、洪水であれ、平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや、対処の可能性が、学校教育の中で、具体的に教えられた一つの例として思い出されます」と御回答をされてゐたこともある。』

以上、下記のブログより引用させていただきました。

http://www.jinja.co.jp/news/news_005119.html
[48]2011年04月25日 (月) 16時54分
Pass
  投稿者:冬将軍
旧仮名遣いバージョンにて候;


 「これはたヾ事ではない。」とつぶやきながら、五兵衛は家から出て来た。今の地震は、別に烈しいといふ程のものではなかつた。しかし、長いゆつたりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない無気味なものであつた。
 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下した。村では豊年を祝ふよひ祭りの支度に心を取られて、さつきの地震には一向気がつかないもののやうである。
 村から海へ移した五兵衛の目は、忽ちそこに吸附けられてしまつた。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
 「大変だ。津波がやってくるに違ひない。」と、五兵衛は思つた。
このままにしておいたら、四百の命が、村もろ共一のみにやられてしまふ。もう一刻も猶予は出来ない。
 「よし。」と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明を持つて飛び出して来た。そこには取入れるばかりになつてゐるたくさんの稲束が積んである。
 「もったいないが、これで村中の命が救へるのだ。」と、五兵衛は、いきなり其の稲むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱつと上がつた。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走つた。
 かうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまふと、松明を捨てた。まるで失神したやうに、彼はそこに突立つたまま、沖の方を眺めてゐた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなつて来た。稲むらの火は天をこがした。
 山寺では、此の火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。莊屋さんの家だ。」と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追ふやうにかけ出した。
 高台から見下ろしてゐる五兵衛の目には、それが蟻の歩みのやうに、もどかしく思はれた。やつと二十人程の若者が、かけ上つて来た。彼等は、すぐ火を消しにかからうとする。五兵衛は大声に言つた。
 「うつちやつておけ。大変だ。村中の人に来てもらふんだ。」
 村中の人は、追々集つて来た。五兵衛は、後から後から上つて来る老幼男女を一人一人数えた。集まつて来た人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見くらべた。其の時、五兵衛は力一ぱいの声で叫んだ。
 「見ろ。やつて来たぞ。」
 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。其の線は見る見る太くなつた。広くなつた。非常な速さで押寄せて来た。
  「津波だ。」と、誰かが叫んだ。 海水が、絶壁のやうに目の前に迫つたと思うと、山がのしかかって来たやうな重さと、百雷の一時に落ちたやうなとどろきとを以て、陸にぶつかつた。人々は、我を忘れて後へ飛びのいた。 雲のやうに山手へ突進して来た水煙の外は、何物も見えなかつた。人々は、自分等の村の上を荒狂つて通る白い恐しい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。 高台では、しばらく何の話し声もなかつた。 一同は波にゑぐり取られてあとかたもなくなつた村を、たヾあきれて見下していた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上り、夕やみに包まれたあたりを明るくした。
 始めて我にかえつた村人は、此の火によつて救われたのだと気がつくと、無言のまゝ五兵衛の前にひざまづいてしまつた。』
[49]2011年04月26日 (火) 15時37分
Pass
タイトル:与謝野晶子、関東大震災の折に詠める歌 投稿者:冬将軍
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下記ブログより引用仕り候。
http://hpcgi2.nifty.com/yosanoakiko/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=68;id=


 誰みても親はらからのここちすれ地震(なゐ)をさまりて朝に到れば
  (歌集『瑠璃光』収録)


 これは大正12年の関東大震災で被災した晶子が詠んだ歌で、
最近では中国での地震の時や中越地震の時にも人々を励ました歌として
知られています。
 「被災者の誰を見ても親のように兄弟姉妹のように思える」という心情は
被災していない私たちも、時代が異なって変わることの無い同じ想いがいたします。』
[46]2011年04月20日 (水) 13時28分
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  投稿者:冬将軍
某ブログより方丈記引用;



また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震(おほなゐ)ふること侍(り)き。そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地((ろくじ))をひたせり。土裂(さ)けて水涌(わ)き出(い)で、巖(いはほ)割(わ)れて谷にまろび入(い)る。なぎさ漕(こ)ぐ船は波にたゞよひ、道行(ゆ)く馬はあしの立(た)ちどをまどはす。都(みやこ)のほとりには、在々所々((ざいざいしよしよ))、堂舍塔廟((だうしやたふめう))、一(ひと)つとして全(また)からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛(さか)りなる煙の如し。地動(うご)き、家のやぶるゝ音(おと)、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽((たちまち))にひしげなんとす。走(はし)り出(い)づれば、地割(わ)れ裂(さ)く。羽(はね)なければ、空(そら)をも飛(と)ぶべからず。龍ならばや、雲にも乘(の)らむ。
[50]2011年05月17日 (火) 16時43分
Pass
タイトル:高橋是清 「随想録」より 投稿者:冬将軍
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例へば茲に、一年五万円の生活をする余力のある人が、倹約して三万円を以て生活し、あと二万円は之れを貯蓄する事とすれば、其の人の個人経済は、毎年それだけ蓄財が増えて行って誠に結構な事であるが、是れを国の経済の上から見る時は、其の倹約に依て、是迄其の人が消費して居った二万円だけは、どこかに物資の需用が減る訳であって、国家の生産力はそれだけ低下する事となる。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮に或る人が待合へ行って、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を消費したとする。是れは風紀道徳の上から云へば、さうした使方をして貰ひ度くは無いけれども、仮に使ったとして、此の使はれた金はどういふ風に散らばって行くかといふのに、料理代となった部分は料理人等の給料の一部となり、又料理に使はれた魚類、野菜類、調味品等の代価及其等の運搬費並に商人の稼ぎ料として支払はれる。此の分は、即ちそれだけ、農業者、漁業者其の他の生産業者の懐を潤すものである。而して此等の代金を受取たる農業者や、漁業者、商人等は、それを以て各自の衣食住其の他の費用に充てる。それから芸者代として支払はれた金は、其の一部は芸者の手に渡って、食料、納税、衣服、化粧品、其の他の代償として支出せられる。(中略)然るに、此の人が待合で使ったとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなって働く。故に、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、其の人に取って、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなって働くのであるから、寧ろ其の方が望ましい訳である。
[45]2011年04月13日 (水) 11時58分
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