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[111] 題名:後期第14回ゼミ報告〜スピーチ大会中止で、急遽3つの講義が開講〜 名前:坂倉 尚道(22期生) 投稿日:2010年02月15日 (月) 07時56分
本日はスピーチ大会「この人を語る」を行う予定でしたが、
出席人数が少なかったため追い出し合宿へと延期になりました。
延期になったのは残念ですが、準備に時間をかけられる分、
追い出し合宿で良いスピーチができるようにしたいですね。
[目次]
T.基本情報
U.勉強〜「公と私」「ウチとソト」〜
W.先生のお話
Y.感想
T.基本情報
【日時】平成21年1月29日
【場所】経営学部B棟334号室
【出席状況】(括弧内は欠席者)
院生:渡辺さん
タケダプロダクション:竹田(近藤、山崎、片岡、安齋、高松)
さわやか興業:勝又、今村、坂倉(原、小泉、石井)
濱屋:大平、清野(長濱、渡辺、守内、井上)
毅無双:大野、中村(宮原、門脇、岩城、小林)
出席率:33%(8/24)
U.勉強〜「公と私」「ウチとソト」〜
スピーチ大会を延期することが決まった後、渡辺さんから、「掲示板上で行われている
「ウチとソト」「公と私」の議論をみんなで共有したらどうだ」というご提案を頂き、
それをやることになりました。
「ウチとソト」「公と私」の議論とは、今村さんとOBの松永さんの間で行われている板ゼミのことです。
まずは、今村さんが詳細な説明と問題提起を行いました。様々な概念についての解釈の言葉や図が
黒板に埋め尽くされました。黒板の前に立っても堂々と自分の考えを二、三十分も話す今村さんの姿は圧巻でした。
今村さんの講義が行われた後は、「二年生がもっとおもしろいと感じるように」という先生の助言のもと、
渡辺さんの「公と私」の講義が行われました。渡辺さんが黒板の前に立ち、何度もゼミ生に質問を
振りながら講義が行われました。このような形で渡辺さんの講義を受けるのは自分としては初めての経験で、
いつもと少し違った空気がゼミ室にながれていたように感じました。実際に渡辺さんの講義を聞いて、
二年生の自分も「おもしろいなぁ」と感じました。そして、最後は先生の「公と私」「ウチとソト」や
それらに関わる概念、その背景などについての講義が行われました。先生の講義を聞いて、
ますます「こういった抽象的な議論はおもしろい」「自分もできるようになりたい」と思いました。
ここでは、それぞれどんな講義が行われたか、
今村さんの講義→渡辺さんの講義→先生の講義という形で
まとめていきたいと思います。
板ゼミリンクです。ご確認ください。
第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
≪1≫今村さんの講義
まずは今村さんから「公と私」「ウチとソト」を中心に以下の言葉が今村さんの講義で説明されました。
特に説明のなされた6つの概念を下に列挙しました。
@ウチ・ソト(内・外)
A・表B建前・本音
B公・私Dpublic-privateE国家・個人
*関連性が高いと考えられるもので、「@」「AとB」、「CとDとE」という分け方がされています
○問題提起
以上に列挙された6つの概念に関連して、以下のような問題提起がなされました。
(1)「ウチ・ソト」「裏・表」「建前・本音」などは普遍的な概念であるのに対し、
「公と私」は限定的・日本的概念ではないか。そこに「public-private」がどのように関わってくるのか。
(一般的には「公」は「public」、「私」は「private」と訳されるが同じものか。)
(2)「建前・本音」は「一人の人間を主体として置いたときの二面性」だと考えることができる。
そして、その「二面性」は「オモテの顔」「ウラの顔」と考えられる。
このような形で「建前・本音」「裏・表」に関連性があるのではないか。
(3)「公と私」という観念が現代の日本からなくなったのではないか。
(4)「公と私」は「公」に重点があり、「ウチとソト」は「ウチ」に重点があるのではないか。
(5)「国家・個人」「公・私」を考えた時、「公」=「国家」「個人」=「私」と考えるのではないか。
以上のような問題提起が今村さんからなされました。
≪2≫渡辺さんの講義
今村さんの問題提起が行われた後、渡辺さんの講義が行われました。
渡辺さんの講義では「実際にどのようにして概念についての考えを深め、広げていくのか」といった
方法論を示して頂きました。主に渡辺さんの方法論は2つに分けることができるように思います。
1つ目が、「日本語の概念を英語に訳す」
2つ目が、「抽象的な概念を具象、現実、実体に結びつけて考える」
というものでした。
(1)「公・私」を英語に置き換える
一般的に「公と私」を英語に置きかえるとしたら「public-private」となる。
果たしてこの二つが全く同じものを表しているのだろうか。
(今村さんの「問題提起」(1)に大きく関係しています)
「public」をさらに英語で分解すると「open and common」という意味になる。
欧米のpubは開かれた酒場であり(日本では「パブ」はいかがわしい店のイメージがあるが)、
広々とした公園なども「public」である。「private」はその逆であり、
飲食店で見かける「private only」は従業員専用であり、日本人の持つ「プライベート」のイメージとは少し異なる。
このように見ると、日本に本場の意味での「public-private」は存在しないというような印象を受ける。
次に「公と私」を英語で考える時、「formal」というものがでてくるが、これは「公式」と訳すことが
出来るのではないだろうか。「公式組織」は「formal organization」と訳される。
次に、ボクシングのタイトルマッチなどで使われる「公認」は英語で「official」と訳すことができ、
「制式」は「formula」になるのではないか。
今村さんの問題提起(1)で「公・私」と「public-private」の違いについての問題が出ているが、それについて考えると
「公・私」「public-private」の違いは「権威の有無」である
⇒詳しく言うと、
「公と私」を考えると「公」は「権威」を持っているが、
「public-private」を考えた時の「public」には「権威」が関係しない。
「権威」があるのは「formal」、「official」の方である
*講義の概要を文章でまとめました。
(2)現実・実体と結びつける〜女子マラソン〜
次に、「公と私」の概念を使って女子マラソンの話を頂きました。
日本の大きな3つの女子マラソンの大会が挙げられました。
@東京国際女子マラソン
A東京マラソン
B横浜国際女子マラソン
@の東京国際女子マラソンは日本で初めて開催された女子マラソンであり、約100人のエリートが選出される大会である。
いってみれば「公」の大会である。Aの東京マラソンは一般の「市民」が誰でも参加できる都市マラソンである。
この大会は欧米的な「public」(=open and common)の大会であると言える。
日本では、マラソンで使われるコースは「公道」と呼ばれる。そして、その公道を監督しているのは、
「公権力」の持った警視庁である。
*講義の概要を文章でまとめました。
自分の理解が足りなかったためインターネットなどで調べたところ、Aの横浜国際女子マラソンができたのは、
東京マラソンが新しくでき、警視庁が東京で年に二回も公道を監督できないという理由から@の大会が廃止になり、
Aの大会に統合されそうになったのだが、伝統的なエリートのための大会も残したいということで、
新たに横浜で行われるようになったのだということです。
このように、女子マラソンに「公と私」「public-private」の概念を結びつけた勉強をおこないました。
≪3≫先生の講義
最後に、先生に講義をして頂きました。渡辺さんとのやりとりの中でどんどんと話が膨らんでいき、
内容も多岐に渡りました。大きく二つに分けて説明したいと思います。
(1)「公」の中身の変化(「官」「家」⇒「開」「共」)
まずは、「公」という概念の変化についての講義をしていただきました。
この講義は、今村さんが最初に出した問いの
「公と私」という観念が現代の日本からなくなったのではないか。
に大きく関わっているように思います。
・かつて、日本における「公」とは、「官」「家」であった。
「官」について、「姓」「氏」「名」で考える。「姓」は「天皇」。「氏」は「血統」。
「名」は「名前」「名字」。「姓」「氏」→「名」への変化がおこった。
「家」について、家制度は天皇を一番上においた、統治制度をなりたたせるため、
いわば「権威」「独占」のためにあったのだという解釈ができる。近年では、「家」の「長」として、
その「権威」をもっていた「家長」はただの「戸主」に変わった。
⇒現代では「公」は「開」「共」−「互」に変わったのではないか。(「互」とは交換するものが同じということ)
裁判員制度などができたのも、「開」「共」が求められているからということで説明できる。
「共生」という言葉がとてもはやっており、「共」という概念が現代ではとても重要視されていることが分かる。
*講義の概要を文章でまとめました
(2)概念同士の関係性
今村さんの最初に出した問いに対しての考え方のヒントを与えるような形で先生から様々なお話がありました。
@「公と私」「ウチとソト」の関係
「公」という概念の中には「ウチ」「ソト」両方存在する。
「公」=「おおやけ」=「大家」だが、「家」は「うち」と読める。
「権力」という視点から分けると、権力が及ぶのは「公」「私」「ウチ」であり、「ソト」には権力が及ばない。
A「表」の対は何か。
「表」の対を考えると「裏」が真っ先にでるが、「奥」というのも存在する。「奥」とは何か?
B「表・裏」「本音・建前」「ウチ・ソト」の関係
「本音」とは「利」に関係するもの、「建前」とは「義」に関係するものである。
「本音」が「表」「ソト」に対して何らかの影響を与えているのではないか。
*自分の理解が足らず、うまくまとめることにできませんでした。
これからもっと自分の頭で考え、文章で伝えられるようにしていきたいです。
V.先生のお話
二つのお話と、一つの問題を先生から頂きました。
〜天地人〜
物事を達成するには「天地人」が必要である。
天の時、地の利、人の和である。
「天地人」は特に経営者や政治家に求められるものだ。
貴乃花の理事長就任問題では、まだ貴乃花に「天の時」が来ていないので成功しないのではないか。
「小泉はどうか。安倍はどうか。自分はどうか。」と考える。
昔から「残っている」言葉は本当に真実を言い当てているものが多い。
〜自分に対する「甘え」、相手に対する「甘え」〜
自分に対する「甘え」はいけないが、相手に対する「甘え」は良い。
なぜなら、できないからこそ「習っている」のだからだ。
「習う」とは「助けてもらう」ことである。
できないから放棄するというのは自分に対する「甘え」だ。
相手に対する「甘え」はもっと良くなりたいという気持ちの表れである。
最終的に自分がどうなっていたいのかを考えて行動するとよい。
〜街角からの倫理学〜
先生からこのような問題を出題していただきました。
[問題]
ある日、タクシーを使って移動していると
警察に一時停止をしていなかったと止められました。
タクシーの運転手は「絶対に一時停止していた!」と言い張りました。
そこで、あなたは警察から「本当に一時停止していましたか?」との質問を受けました。
思い返してみても一時停止していたという記憶はない。
そんな時、あなたならどうしますか?
[選択肢]
@運転手の味方(「一時停止していました。」と言う)
C警察の味方(「一時停止していませんでした。」と言う)
B中立(「知りません。」と逃げる)
[答え方]
・自分ならどの行動をとるか。
・なぜその行動をとるのか。
・@ABはそれぞれどんな意識、価値観からくるものか。
W.感想
先生から出題して頂いた問題に対して、「自分ならどうするか」と考えました。
自分は、少しは運転手の味方をするだろうと思います。
「はっきりとは覚えていませんが、止まっていたような気がします。」ぐらいに答えます。
しかし、警察に強く問い詰められたなら「はっきりとは覚えていません。」と答えてしまいます。
少し運転手の味方をするのは、タクシーの中で多少は運転手と会話をしているでしょうから、
その人に対する親近感を多少は感じているだからだと思います。(とても態度の悪い運転手なら
、自分のとる行動も少し変わると思いますが…)後、警察側につくような人間になりたくないというような
気持ちがどこかにあると思います。
また、なぜ警察から強く問い詰められたなら「覚えていません。」になるのかというと、
その運転手との間にある関係が所詮そこまでだからじゃないかと思います。
また、警察側には付きたくないですが、結局は警察権力には逆らえないという気持ちももっているからだと思います。
自分で考えてみてみましたが、
タクシーの運転手の一時停止の問題でも「自分がどうするか」結構悩みました。
また、「なぜその行動をとるのか」自分でもよくわかってません。
少し違った問題も自分で設定しながら、
「自分がどのような考えをしているのか」「その考え方が良いのか悪いのか」をつめていきたいと思います。
以上で後期第14回ゼミ報告を終わります。