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[226] 【再録・決定版】林葉直子さん関係
JC IMPACTU (/) - 2011年10月26日 (水) 21時02分

「盤側の談話室」に掲載したものを再録します。「【再録・決定版】林葉直子との真実 」の後にお読みいただれれば、経緯の一端がみえてくるかと思われます。

Pass

[227]
JC IMPACTU (/) - 2011年10月26日 (水) 21時05分

-----------------------------------------
林葉直子さんの「反論」2010/08/30(Mon) 23:53

本日、林葉直子さんの当時の資料を手にすることができた。
「新潮45」に掲載された『「林葉直子」との真実』をご紹介しながら、私の頭にあったの
は、林葉直子さんは、この特別手記に対して、おそらく反論しただろう、ということであ
る。当時、読んだ記憶もあったのだが、今回、改めてその資料にあたってみた。

私が最も注目したのは、中原さんの「手記」に対して、それらを覆すだけの具体的な反論
や新たな事実を示すことができたかどうか、である。しばらくは、その反論記事から、こ
の点を中心に紹介してみたい。

----------------------------------------------------------
今回の彼の手記で、「大山十五世名人のように復活したい」という趣旨のことを書いてい
らっしゃるけれど、大山先生は癌で何度も手術して、最後のA級順位戦で谷川先生に勝た
わけです。でも彼の場合は、大山先生のように、肉体が傷ついて、命さえ危うい状況で指
しているわけではない。それなのに、自分を大山先生に同一視している、というところが
甘えてますよ。
(「週刊宝石」2000年6月29日/7月6日号「猛女・列女の大反論」より引用)
----------------------------------------------------------
中原名人は、特別手記の中で「尊敬する名人に見習って、52歳、中原誠も復活を目指して
精進ていきたいと思っている」と述べているのであって、同一視とは、ニュアンスが違う。
大山名人は「50歳のときにタイトルを失い、新人として出直した」ことと比較してのこと
の話で、この時点で大山十五世名人に「癌の兆候」があったわけではない。
しかし「週刊宝石」しか読んでいない読者は、おそらくそうは考えずに「中原名人は甘い」
と感じるのだろう。
-----------------------------------------------------------
 むしろ私とのことがあって、彼は大人になったんだと思いますよ。一生に一度くらい人
間関係で苦労したほうがいいんですよ。苦労した分、優しくなれるでしょう? 事件後、彼
に冷たくなった人が8割だと思うけど、もともと人間の8割は冷たいもの。だからこそ残
りの2割の人を大事にしよう、ということがわかったはず…..。
 と、思ったんだけど、やっぱりわかってなかったみたい(笑)。彼の手記にしても、発表す
る直前に、マスコミ各社に「林葉直子のウソについて書きました」みたいなFAXを配信し
たりして、見たらホント哀しくなりました。
(「週刊宝石」2000年6月29日/7月6日号「猛女・列女の大反論」より引用)
-----------------------------------------------------------
別に皮肉でも何でもなく、林葉さん、腹がすわっている。これは不倫相手というよりは、
名人の保護者、或いは「姉」という感覚の主張でもある。しかし、林葉さんは、中原名人
に「苦労」を教えるために、人に対する優しさを説くために不倫したわけでもないだろうと私は思うのだが…..。
-----------------------------------------------------------
 最後に、彼にはこれから頑張って復活してくれたらと思います。それでまた中原時代を
作って、可愛い女のコをはべらして、「どうだ!」ってね。タイトル取って、両手に叶姉妹
を連れて歩いてほしいですよ。「林葉直子より全然いいぞ」って言いふらしてね。そうし
たら将棋ファンは拍手喝采、莫大に増えますよ。
(「週刊宝石」2000年6月29日/7月6日号「猛女・列女の大反論」より引用)
------------------------------------------------------------
私は、この一節を読んで、甘いと言われればそれまでだが、胸に迫るものがあった。
「林葉さん、何故、そんなに道化を演じるの?」と感じたのである。悪意でそう述べている
のでは勿論ない。こういうところが、林葉さんの憎めない一面であると感じるからだ。

さて、次の記事「中原誠永世十段の暴露手記に大反撃・林葉直子「それならこれもバラし
ちゃう」」(週刊ポスト2000年5月5日/12日号)から紹介してみたい。
--------------------------------------------------------------
 センセイの手記はマネージャーから渡されたんですけれど、読み終えた後は破って捨て
てしまいました。
 いっていることはどれもこれも本当に身勝手なことばかり。私との一件以来、女性とは
縁がないんだろうし、将棋もB級落ちしちゃって、切羽詰まっているんでしょうね。周り
が見えないのは昔と同じ。何にも変わっていないですね。
(「中原誠永世十段の暴露手記に大反撃・林葉直子「それならこれもバラしちゃう」」(週刊
ポスト2000年5月5日/12日号)より引用)
----------------------------------------------------------------
私は、この一文に「嘘ばかり」ではなく「身勝手なことばかり」とあるのに注目した。た
だ林葉さんは、ここで中原名人が手記に記していないことについて述べてもいる。
----------------------------------------------------------------
 信用できない女と5年間も付き合っていたということなんですかねェ。手紙はまぁ、今
までよくも大事に持ってたなとは思いますけど。
 失踪騒動のときは、93年の暮れにセンセイとの間にできたあかちゃんを中絶していたこ
ともあって、非常に精神的に不安定だったんです。それなのに、よくあんなズルい言い方
をできるなと思います。
 だって、センセイは私が自分の子供を堕ろしたことを知っているのに、その後も変わら
**をつけようともしない。女性の気持ちを踏みにじる行為ですよね。94年5月
に将棋連盟に休養届を出したのは、そういうことが原因だった。
 しかも当時、私は生理不順で、実際、イギリスに向かったときには生理が来ていない状
態だった。もしかしたらまた妊娠してしまったかもしれないという不安でいっぱいだったんです。
(「中原誠永世十段の暴露手記に大反撃・林葉直子「それならこれもバラしちゃう」」(週刊
ポスト2000年5月5日/12日号)より引用)
----------------------------------------------------------------
林葉さんは、一度は「中原名人との子ども」を宿したのだろう。私はそう思っている。

この記事では、林葉さんは具体的にいくつかの反論を行っている。テープの問題、脅迫電
話の問題、300万円の問題、総額1000万円の問題…..。

これらは次回にご紹介しよう。

Pass

[228]
JC IMPACTU (/) - 2011年10月26日 (水) 21時09分

-----------------------------------------
林葉直子さんの「反論」(2) 2010/08/31(Tue) 20:28

--------------------------------------------------------------------------------
 小さなものも含めれば、別れ話はよく出たんです。センセイは「偽装結婚しよう」とか
「寂しいだろうから2番目の子供(中絶した後の子供)産んでもいいんだよ」とか無責任な
ことをいうから、私が不安になることも多かった。別れ話の最中に「最後だから抱かせて
くれ」と懇願されたこともあります。
 でも結局その度に「おまえがいないと勝てない」「おまえは私の生きがいだ」なんてい
ってすがってくるのはセンセイのほうだったんです。
 (引用者註:記録には残っていない罵詈雑言の会話は相当あったと林葉は述べたあとに)
 センセイの奇行は何も、留守番電話だけじやありません。引っ越し先のマンションにや
ってきて、部屋番号がわからないものだから、片っ端からカメラ付きのインターホンを押
して、どすのきいた声で「林葉さんですか?」と尋ねたり、突然A4の紙一杯に「直子のバ
カ 中原誠」と大きく書いたファックスを送りつけてきたり。
(「中原誠永世十段の暴露手記に大反撃・林葉直子「それならこれもバラしちゃう」」(週刊
ポスト2000年5月5日/12日号)より引用)
--------------------------------------------------------------------------------

何か私は「八ツ墓村」の冒頭のシーンを思い出してしまった。「逃げる林葉さん、追う中原
永世十段」という感じである。林葉さんは、情に絆されてしまったということか。しかし、
「縒りなんてものは、中原名人が特別手記で記したように」何となく戻るということではな
いのだな、と思う。林葉さんは愛されたのだと思う。
しかし、性的欲望というものだけで、男は女をこれほどに追うものだろうか。

脅迫電話については、林葉さん、こう述べている。

--------------------------------------------------------------------------------
 私の家に友人が訪ねてきたときにちょうどセンセイから電話があって、私が電話にでな
かったら、留守電に「おまえなんか死んでしまえ」などと、あまりにひどい内容が吹きこ
まれたから。
 それでその友人がとても心配してくれて、私も知っているある男性に相談して、センセ
イをたしなめようということになったんです。
 知人のかけた電話の内容は「先生、いいかげんにしてくださいよ」というものだったし、
名前を名乗らなかったのは、その人までが嫌がらせをされたらたまらないから。あえてい
うなら“お願い"だったんです。
 センセイの棋風は「思い込みが激しい」とよく評されますが、私生活もまさに将棋と同
じ。この件は曲解もいいところです。
(「中原誠永世十段の暴露手記に大反撃・林葉直子「それならこれもバラしちゃう」」(週刊
ポスト2000年5月5日/12日号)より引用)
--------------------------------------------------------------------------------

この主張自体は、まさに「同歩」である。ただ中原名人の棋風というものは「思い込みの激
しい」ものであるかは、どうかな、とは思う。自然流ではないという気はするが。

続いて、300万円の問題について。

--------------------------------------------------------------------------------
 お金はもらいましたよ。でも総額で1000万円もかかっていないんじゃないんですか。ニ
ューヨークに行く前に300万円を振り込んでもらったことは事実です。ただ、そのときも私
は、将棋界に戻してくれるのが無理なら、将棋連盟に支払った罰金くらい出して下さい」
といったまでなんです。
 そもそも95年8月に私が将棋連盟を退会したのは、周囲の目を気にしたセンセイが「辞め
てくれたほうが付き合いやすい」といったから。
 失踪騒動の前までは、講演すれば1本50万円、年収は2000万円ほどありました。それを先
生のために捨てたわけです。もちろん、当時は私自身が望んでやったことだったし、それに
ついて、つべこべいうつもりはなかった。
 だから生活費があるうちは、無心したこともなかったし、逆にデートやいろんな騒動の渦
中のときのホテル代なんかは、全部私が払ってました。失踪騒動のときの連盟への罰金やイ
ベントキャンセルの違約金など計500万円も自分で支払っています。失踪騒動のときも、セン
セイが連盟にひと言伝えてくだされれば、罰金や違約金の件なんていくらでも丸く収める力
はあったのに、我が身可愛さから、終始他人のふりだったんです。(中略)
 結婚や子供のことを囁きながら、センセイには私の生活の面倒を見ようという姿勢なんて
ほとんど感じられなかった。(中略)
 誤解を恐れずにいえば、私の5年間の精神的被害を考えれば、1000万円は決して高くない
とも思います。
(「中原誠永世十段の暴露手記に大反撃・林葉直子「それならこれもバラしちゃう」」(週刊
ポスト2000年5月5日/12日号)より引用)
--------------------------------------------------------------------------------

「寝物語」という言葉がある。中原名人だけが「虜」になってしまったということだろうか。

ただ、私は「そもそも95年8月に私が将棋連盟を退会したのは、周囲の目を気にしたセンセイ
が「辞めてくれたほうが付き合いやすい」といったから。」というのは、少し違うと思って
いる。そう口にしたというなら、中原名人も軽率の極みだが、付き合いやすくなったからと
いって、その後には、実際に「どう生活していくか」という問題はある。それは男女間でき
ちんと詰めなければいけない。

私は林葉さんが退会したのは「自惚れた結果の代償」だったと思っている。「将棋より中原
さんと付き合うことが大事」というのでは、そもそも女神は微笑まない。

「私の5年間の精神的被害を考えれば、1000万円は決して高くない」という林葉さんの主張は
確かにそのとおりだと私も思う。しかし、それで清算したのではなかったのか。返すといった
テープは返さず、それが週刊誌に掲載されたというのはどういうことなのか。その点は、やは
り彼女は卑怯である。それ以上の断罪は正当化できるものではない、私はそう思う。

Pass

[229]
JC IMPACTU (/) - 2011年10月26日 (水) 21時12分

-----------------------------------------
林葉直子さんの「反論」(3) 2010/09/02(Thu) 23:33

実は、林葉さんは「週刊誌に渡したテープの内容」(突撃テープ)が、テレビメディアに
渡るとは全く想定していなかったという。

------------------------------------------------------------------------------
例の“突撃しまーす"のテープ(笑い)、びっくりなさったでしょうが、実は、あの留
守番電話のテープが、テレビ局に渡るなんて、思ってもみなかったんです。某週刊誌が
勝手にしたことでね。留守電にはそれこそ毎晩“お○○コ野郎"とか延々入っているか
ら、ふざけるなって怒りはあったけれど、テレビで肉声を公開するつもりはなかった。
結局、その一件が原因で編集長とは大ゲンカ。ギャラもいただきませんでした。裏切ら
れたという思いは今でもありますね。
(「週刊ポスト」2000年1月4日・21日合併号「林葉直子31歳・「今だから語れる中原先
生との愛欲生活5年間そして涙の中絶」」)より引用
------------------------------------------------------------------------------

私はこの記事を読んで怪訝な印象をまず抱いた。週刊文春の記者たちの何人かを知って
いるが、彼らは「こういう過ち」は冒さないことを知っていたからだ。このあたりは、
「週刊新潮」とは少し体質が違うように、私は思っている。何というか、斎藤十一氏の
ような、よくも悪くも「大編集者」のような方は、週刊文春編集部には、実はいなかっ
たのである。

何故、怪訝な印象を抱いたか。「そのテープを週刊文春編集部以外に聴かせない」とい
うスタイルは、いくらでもとれるからである。実際にテープを聴かせて、その場で編集
の人間にテープ起こしをさせればよい」情報の流出を防ぐための管理は、いくらでもで
きる。編集部が「中原名人」の声紋鑑定までするわけじゃないのだから。

週刊文春が、この件に「正式に反論」したのは2004年1月1日・1月8日合併号誌上であっ
た。(「創刊45周年・今明かす「スクープ」の秘密50)である。

-------------------------------------------------------------------------------
「林葉直子・中原誠永世十段「不倫」の影に「もう一人の男」」

 人気女流棋士だった林葉直子が不倫。しかも相手が中原誠永世十段、というスクープ
(九八年四月三十日・五月七日合併号)は世間を騒然とさせた。(中略)
記事の出るニ週間ほど前、彼女は、中原十段との関係を断ち切りたいので、すべてを
週刊誌で話したいと連絡してきました。
 テープを私たちに託し、他のマスコミから希望があった場合には提供することに同意、
また、「自分が話したことにしないでほしい」とのことで、記事は伝聞の形をとりまし
た。原稿には本人が二度目を通し、「私の気持ちがよく貫かれている」という感想も貰
っていたのです。
 雑誌が発売された頃、私たちはフロリダのディズニーワールドにいました。林葉さん
の気分転換のためです。しかし彼女は、なぜかニューヨークへ戻りたがり、「記者会見
を開いて、中原先生、ゴメンナサイと言う」と言い出した。
 「ここで未練を見せたらまた同じことの繰り返しになる」
と必死に止めたのですが、彼女は聞かず、ワイドショーの取材を次々受け始めたのです。
 実は、ニューヨークには彼女の新しい恋人が住んでいました。ホテルではなく、ずっ
とその日本人男性の家に滞在していたのです。その男性を通じて彼女に、
 「キミは日本で悪者にされている。文春とは手を切って、早く記者会見を開いた方が
いい」
 と吹き込んだ人物がいたのでした。ワイドショーのインタビューで、
 「留守電のテープを週刊文春に預けたが、公表には同意していません」
 とまで言われるに至っては、もはや決裂しかありません。次号で前号の記事が林葉さん
本人の告白であることを明かしたのは、そういう経緯からでした。
 あのあと林葉さんは、豊胸手術をして再度、ヘアヌード写真集を出版。最近では、将来
はAVを撮影したいのだとか。「中原先生は私の憧れの人」と言っていた天才女流棋士の面
影は、まったくなくなってしまいました。
(「創刊45周年・今明かす「スクープ」の秘密50」週刊文春2004年1月1日・1月8日合併号
より引用)
-------------------------------------------------------------------------------

この時の担当記者は実は女性である。林葉さんはメディアにもおそらくは「嘘」をついて
しまった。痛烈なしっぺ返しとも言える。こういう「嘘」は、響くということだ。
正直、中原名人にも、林葉さんにも「5年間のやりとり」など、全て記憶しているわけで
はない。故に双方が提示した事実を否定し、相手が語らなかったことや行為を一方がある
意味、暴露するという面がある。それぞれのメディアで。

ただ、その時に自身を取り上げた「メディア」が事実に反する談話や記事を掲載した場合
を除いては、こういう嘘はまずい。確実に信頼を失ってしまう。何故、林葉さんは、こん
なつまらないことに手を染めてしまったのだろう。

Pass

[230]
JC IMPACTU (/) - 2011年10月26日 (水) 21時15分

-----------------------------------------
林葉直子 - いま明かす不倫の真実-(1) 2010/09/30(Thu) 00:52

林葉直子 -いま明かす不倫の真実-
「父の死で過去の自分と決別しました」(1)

----------------------------------------------------------------------
小さい頃は、父から特に褒められたこともなかったので、自分が強いとは
思っていなかったんです。それが、小学校2年生のとき、叔父が連れて行って
くれた「ちびっ子将棋大会」で優勝してしまいまして。「天才少女、現る」み
たいなことを言われて、そのとき初めて、ああ私って結構強いんだなと気がつ
いた。小学校4年のとき、全国のアマチュア女流名人戦で3位に入賞し、12歳で
プロ入りして。そこから3年間は、米長邦雄永世棋聖の門下生として、東京で
住み込み生活を送っていました。
 学校が終わると、そのまま新宿の将棋センターに通う毎日でしたね。おじさ
んとタバコの臭いが制服にしみついていました。何しろ、その頃は、絶対負け
られないと思っていましたから。対局した日は師匠に必ず結果を報告しなけれ
ばいけないので、負けたら「郷里へ帰れ」と言われるんじゃないかと、いつも
ヒヤヒヤしていました。
 中学を卒業していったん福岡に戻り、福岡第一薬科大学に入学しました。将
棋で食べていけるとは思わなかったし、親が何か手に職をつけろと言うので、
以後は、仕事のたびに飛行機で移動していましたけど、将棋も忙しくなってき
たし、講演やイベントの仕事もあって、ほとんど授業に出られなくなって、結
局、大学は途中でやめてしまいました。
(「父の死で過去の自分と決別しました」2006年3月「婦人公論」より引用)
----------------------------------------------------------------------

今から紹介するこの「語り下ろし」が、林葉さんが中原誠十六世名人との関係や
自身の今日までについて、公の場でそれを表明した、おそらくは最後のものであ
る。私は彼女のこの「回想」で、必ずしも納得できない部分は少なからずあるが、
時間が経過したこともあって、彼女自身、淡々と振り返っている面も随所にみら
れる。

それにしても私は思う。

「絶対負けられない」「負けたら「郷里へ帰れ」と言われるんじゃないかと、い
つもヒヤヒヤしていました」そういう緊張の日々で毎日を過ごしていた頃の彼女
の将棋は、間違いなく強かったのだと思う。私は、彼女の高校、大学進学につい
て、やはり「東京で」「彼女の生活管理をきちんと行う保護者の存在」と共に、
「師匠の目も届く状況で」過ごしていたならば、おそらく今とは「違う」状況が
あったという気がするのだ。更に言うならば、米長邦雄永世棋聖が林葉さんを破
門するということもなかったのではないか、そう考えてもいる。

----------------------------------------------------------------------
 将棋をやめた一番のきっかけは、やっぱり不倫。私、結構正直なので、仲の
いい友達に嘘をつくのが辛かったんです。中原先生は女性棋士の間でも人気が
あったので、よく「最近、先生に会った?」なんて会話になった。本当は私の
東京で借りていた家にしょっちゅういるのに、「ううん、ゼーンゼン」とかっ
て、隠してるのが苦しくて。それまでは地方の後輩を泊めてあげたりしていた
のに、先生がいつ来るかわからないのでできなくなったし、いつも自分だけ、
後ろ暗いものを抱えてる感じでした。そんな状況に疲れ、日本から、そして先
生とも離れてみたくなった。それが94年のこと。イギリスに2ヶ月行っただけな
のに、失踪とか言われちゃった。
 その騒ぎのとき、周りの棋士の方に、すごく迷惑をかけてしまったんです。対
局前の棋士って神経が立ってるのに、記者さんたちがしつこく電話して私の居場
所を聞くもんだから、みんな困ったらしいの。で、だんだん将棋界に居づらくな
って.....。それに将棋を指していても勝ちたいと思わなくなり、帰国後の倉敷藤
花戦で敗れて、無冠に。本気で勝つ姿勢で臨めないなら、もうやめた方がいいなと
思って、引退を決心しました。
 私が将棋界で活躍している頃は、父も喜んでいたんですけれど、失踪騒動あたり
から険悪になりましたね。家に帰ると、「(失踪の)本当の理由を言え」って迫るん
です。でも、そんなこと言えないし、「別にない」と答えると「この野郎!」とな
って。不倫のことは、実家に取材に押しかけてきた記者から聞いたみたいです。他
人から聞かされたので、余計腹が立ったんでしょうね。九州男で、気性が激しいで
すから、中原先生がうちの留守電に吹き込んだテープがテレビで流れたときも、「み
っともない。二度と俺の前に顔をみせるな!」と怒鳴られました。
(「父の死で過去の自分と決別しました」2006年3月「婦人公論」より引用)
----------------------------------------------------------------------

回想というのは「理屈」ではないから、辻褄云々を述べても仕方のない面がある。
しかし、そもそも不倫である以上「後ろ暗いものを抱えてる」というのは、当然
であって、それに「耐えることをしない」というのであれば、初めから不倫など
はしない方がいい。というか「後ろ暗いもの」を抱えながらも、それでも止めら
れないというのが「不倫」ではないだろうか。

また、地方の友人が出て来るといっても、突然出てきて「泊めてくれ」などとい
うようなことはないだろうし、いくらでも調整は可能なはずである。「友人が泊
まりにくる」と言って、それでも名人が急襲するなどということは考えにくいか
らだ。

「本気で勝つ姿勢で臨めないなら、もうやめた方がいいな」というのは、確かに
そのとおりだと私は思う。その意味でも、今回の「日レスカップ特別招待選手」
としての参加は、私には正直、理解できなかった。個人として将棋を楽しむとい
うことは林葉さんにできても、それ以上のことを望む気には、私には到底なれな
かった。

次回は、林葉さんと父親の「関係」について取り上げてみたい。

林葉さんのお父さんも、実は、不倫をしていたと、彼女は語っているのである。
家族関係の「瓦解」が始まっていったのだ。

Pass

[231]
JC IMPACTU (/) - 2011年10月26日 (水) 21時18分

林葉直子 - いま明かす不倫の真実-(2)

林葉直子 -いま明かす不倫の真実-
「父の死で過去の自分と決別しました」(2)

----------------------------------------------------------------------
ショックでしたけれど、まぁ言われても仕方ないかなぁと。でもあのテープ
がテレビで流れてきたときは驚きました。あんな使われ方をするなんて、私自
身も知らされてなくて、あちらにはお子さんもいらしたし、申し訳なかったと
.....。
 先生は、気に入らないことがあると、癇癪を起こして机をけっ飛ばし、帰る
こともありました。彼はそんなときも、まず自分の足を心配する(笑)。父も結
構家で暴力をふるっていましたけど、翌朝はぼそっと謝るような人でした。そ
こが二人の違いでしたね。優しそうにみえて優しくない彼に嫌気がさしてきて。
でも、最後に別れようと思ったのは「つき合いやすくなるから、将棋をやめた
らどうだ」と言われたとき。結局、棋士としては見てくれてなかったんですよ
ね。女は弱いと決め込んでいたのでしょう。(笑)
(「父の死で過去の自分と決別しました」2006年3月「婦人公論」より引用)
----------------------------------------------------------------------

勿論、私は「中原誠十六世名人」の肩をもとうという気は、一連の不倫問題に関
してはないけれど、ここで林葉さんの言うことを「そうでしょう。そうでしょう」
と同意することもできない。

少なくともあの録音テープに関しては、週刊文春の女性担当記者が後日明かしたこ
とに信憑性があると私は思っているし(過去ログ参照)大体、ああいうテープを外部
に渡せば「あんな使われ方」をされるのは当たり前なのである。そのことについて
私は、林葉さんに「言い訳」して欲しくないと思っている。

惠子さんや筒井さんが「中原天然流」という話題をされていたが、上記にある「ま
ず自分の足を心配する」というのは、ある意味、その面目躍如といえるかもしれな
い。その光景を想像すると、私は何とはなく、口元が緩んでしまう。

おそらく中原名人が、寝物語かそうでなかったかは別として、林葉さんに「将棋を
やめたら」と口にしたのは事実なのだろうと私は思っている。しかし、林葉さん自
身が、この回想で語っているとおり、倉敷藤花戦で敗れ、無冠となり、米長さんの
弟子であった時代にあった「何が何でも勝たねばならない」という強い思いを喪失
してしまった以上、結局、彼女はそのことにより、自身が「将棋」と決別したのだ
と思っている。正直言えば、中原名人が、林葉さんを「棋士としてみる」ことなど
ありえなかったのだ。というか、それは土台、無理なのである。棋力差が歴然とし
てもいるし、おそらく、中原名人が「棋士」として認めている男性棋士だって、そ
んなにいるとは考えられない。

これは「いい悪い」ということではない。勝負の世界に生きた強者は、弱者の気持
ちは、本当のところは「わからない」ということなのだ。中原名人にはそういう、
辛酸を味わった経験というものがないのである。米長邦雄永世棋聖から、名人戦で
4タテを食らった時が、おそらく初めてではなかっただろうか。

幸い、添付ファイル機能も使えることだし、中原名人を語るときには、いくつかの
棋譜をご紹介したいと考えているのだが、最後の名人戦第1局、この勝負を中原さん
は落とした。必勝の将棋を落とした。これが陥落の全てだったと、私は今でも確信
している。

----------------------------------------------------------------------
 そのことが原因で、一時、母が家を出て(註:父親の不倫)、父の不倫相手の
女性が、私たちの面倒を見てくれていたこともあるんです。不思議かもしれな
いけど、私たちは「おばちゃん」と呼んでなついていました。でも、父は結局、
子供のために「離婚」はしなかった。だから、私の不倫騒動が起きたとき、父
に言ってやったんです。「あんたなんかに文句を言われる筋合いないわ。お母
さんをさんざん泣かせて」って。
 ずいぶんケンカもしましたが、その父も昨年の2月に亡くなりました。亡くな
る半月前だったかな。たまたま電話したら、酔って機嫌がよかったせいか、普
通に話してくれたんです。やっと気持ちがとけかけていた頃だったので、父の
死はショックでしたね。葬儀には「おばちゃん」も来てて、かわいそうなぐら
い泣き崩れていました。親族の反対をおして、弟がよんだんです。母は冷静に
見てたけれど、ふたりの愛情の深さはわかっていて、心の奥では許していたん
だと思います。
 葬式の席でおばちゃんが私に言うの。
「お父さんが、『直子には将棋なんかさせんかったらよかったかな』言うて、
心配しとったよ』って。私だって普通の人生を送らせてくれたらよかったのに
と何度も思ったけど.....、それを聞いたときは胸が詰まりました。最後に母と
私で、父の棺に手紙を入れたんです。母は、「天国でも浮気していいよ」と書
いたそうです。私は「結構大変だったよ。でも、いろいろありがとう」と。今
でも文句はありますよ。ただ不思議なことに、亡くなってからのほうが、いつ
も一緒にいる感じがする。だから、私が困ったら助けてねって、いつもお願い
しています。
(「父の死で過去の自分と決別しました」2006年3月「婦人公論」より引用)
----------------------------------------------------------------------

林葉さんが「将棋の道に進むことについて」別に父親が強制したわけではない
が、これだけ波乱万丈な人生が、当時想像できるはずもなく、ある意味「普通
の人生」を選びとっていたらと、彼女が考えることについて、無理もないとい
う気はしなくもない。しかし、彼女は「棋士」の道を選びとったことによって
「得た」ものもあった。「失った」ものばかりでもなかったのだ。つまりは、
そのことを「持続」できなかったことに、最大の問題があったのかもしれない。

この回想の中で、彼女は「カレー店」を止めたこと。タロット占いを始めたこと。
web上で「相談をうけつけている」こと(ただし、日レス杯のゲストに招かれた際
林葉さんのPCは1年近く壊れたまま、と述べていたから、今ではそれも行われてい
ないのかもしれない)「タロット占いで女流棋士を支援したい」(という意味は私
にはよくわからない)「本当は相撲部屋のおかみさんになるのが理想」といったこ
とを述べている。

ただし、いずれにしても「健康」でなければ、その何ひとつも、おそらく叶いはし
ない。私が考えることは、それだけである。

林葉さんが「仕掛けた不倫という恋愛のかたち」は、ある意味、惨憺たるものに、
その姿を変えた。中原名人からいえば、自分が「仕掛けていない」世界のことでも
あったから、好きなように、都合のいいように、シナリオを描いたという面はおそ
らくあったかもしれない。この点でいえば「世間」というもの「女性」というもの
「不倫」というものが、中原名人にはおそらく何もみえてはいなかった。

将棋の「泥沼」と人間関係の「泥沼」は違う。盤面だけでは終わらない。中原名人
の快勝譜も悪手も、大部分の人々は、やがて忘れてしまうけれど、林葉さんとの不
倫は、中原名人を語る際に、誰もが表沙汰にはしないけれど、おそらくは忘れない
出来事になってしまった。

中原名人は連盟会長に就任されたけれど、その出来事は誰も忘れてはいない。語ら
ないことと、忘れないこととは全く別の次元の話である。河口俊彦氏は「対局日誌」
の中で「そのことが多くの棋士仲間から、中原名人が有していた求心力と信用を失
わせる結果となった」という趣旨のことを述べていたが、そういう面は否定できな
かったと思っている。生涯抜けない1本の棘のように。

米長会長に面と向かって何かを言える人は、おそらく連盟にはいない。いたとしても
それが「力」「数」としてまとまらない。そういう時代が「今」でもある。

谷川十七世名人が「会長」に就任しても、実は、関西の中では、それほど大きな期待
というものがないことを複数の人々から耳にして、私は驚いたことがある。「立派な
人というだけで、何も変わりはしない」これはこれで、困ったものである。

林葉さんもまた、不倫騒動で多くのものを失った。女流棋士の多くからみれば「林葉
さんは(お騒がせ)な人」と捉えている面がある。ある女流棋士は「棋界の太陽と呼ば
れた人を翻弄しただけ」と吐き捨てた。厭な口調だった。

不倫というもの、おそらく誰も得をする人など、いないのかもしれない。

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