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「言葉の対局室・別館」リレー将棋対局室

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[1200] 将棋語録 ――名言・迷言・珍言―― A ※ログ終了※
まるしお (/) - 2013年12月12日 (木) 18時29分

――――――――――――――――――――
 将棋界のいろいろな言葉を集めましょう。
 胸に沁みる名言
 「なんだこれは」の迷言
 「え、そんな!」という珍言
 発言者・出典・背景説明・感想なども
――――――――――――――――――――

Pass

[1201] 貰い泣き(3)
まるしお (/) - 2013年12月12日 (木) 18時30分

「そっかぁ……、そっかぁ……」

―――伊藤裕紀(小学校6年生)

小学生名人戦準決勝終了後のポイント解説にて(2013.4.21)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 今年四月二十一日に行われた小学生名人戦決勝大会でのこと。
 準決勝で敗れた伊藤裕紀君(三重・四日市市立三重西小学校6年)は、対局後、森内俊之名人のポイント解説をむしろサバサバした感じで聞いていた。

 森内「伊藤君、ここどうだった?」
 伊藤「ここの局面は、何かがあってもおかしくないと思ってたんですけど…」
 森内「そうだよね、何かありそうだよね。岡本君(対戦相手)、何かここ、怖いこと無かったかな?」
 岡本「指してから気づいたんですけど、(自分の金を)取られて(自分の王様が)詰んでた」
 森内「あ、そうだね」

 この瞬間、平静だった伊藤君が「あっ、あぁぁぁ…」と声を上げ、頭を両手で抱えて身をくねらせた。
 森内が少年に気を遣いつつ、「いつもだったらね、すぐ分かったと思うんだけど…」と慰めるが、少年の目からは次から次から涙がこぼれて落ちてきてもう収拾がつかない状態。

 「そっかぁ……、そっかぁ……」

 アシスタントの鈴木環那女流も思わず目頭を熱くし、少年の背中を優しく撫でる。

 このときの森内名人のひどく神妙な様子が印象に残った。
 おそらく、この神聖な空間で、名人も貰い泣きしそうになっていたのではないか。

Pass

[1212] 大言壮語の裏には
まるしお (/) - 2013年12月13日 (金) 19時18分

名人の上

―――升田幸三

升田が色紙などに好んで書いた言葉
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「名人に香車を引いて勝つ」
 この升田の言葉を、大の升田ファンである大崎善生は、肯定的ニュアンスで、升田の「ホラの原点」と語る。

 升田が放つ数々の大言壮語は一種の自己演出でもあるが、ファンはそこにちょっとしたペーソスを嗅ぎ取り、人間升田を肯定するのである。

 「名人の上」「超名人」――これらの言葉には、呵々大笑した後のしんみりとした哀しみも感じられるのではないだろうか。

 升田ファンはそこにまたしびれる。

Pass

[1226] 芹沢の反撃
まるしお (/) - 2013年12月14日 (土) 17時05分

「先生は名人の上、大山の下です」

―――芹沢博文

山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』(2011年、新人物往来社)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 升田幸三の大言壮語も、ときには調子に乗り過ぎることもあるようだ。

 あるとき芹沢博文九段を前にしてこう言い放った。

 「わしは名人の上、お前ごときは六段か七段がせいぜいだ」

 ところが芹沢はこの大豪に対し咄嗟に言い返したというのである。

 「はいはい、そうでしょうとも。先生は名人の上、大山の下です」

 山田史生が永井英明(「近代将棋」創刊者)から聞いた話で、これにはさすがの升田もギャフンとなったというのだが…。

 「おぬし、決して言ってはならぬことをよくぞ言いおったのう。良い度胸じゃ」といったところだろうか。
 どなたか、過去に遡って、このときの両者の様子を YouTube にアップして下さい。

Pass

[1229]
世渡り下手爺 (/) - 2013年12月14日 (土) 17時31分

>「名人の上」「超名人」――これらの言葉には、呵々大笑した後のしんみりとした哀しみも感じられるのではないだろうか。

そうなんですよね、これらは升田以外には発する事の出来ない名言であり、将棋界を思う升田の絶妙手ですね。

Pass

[1250] 無頼の二人
まるしお (/) - 2013年12月15日 (日) 20時36分

「シュウコウ三年、オレ五年」

―――芹沢博文

藤沢秀行「野垂れ死に未遂の男」より(2005年)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 芹沢博文は無頼派の囲碁棋士・藤沢秀行とウマが合ったようで、秀行の方が十ほど年上だが、一緒に「悪さ」をしては酔い潰れ、二人でよく街を彷徨したらしい。

 「おい、俺たちはいずれ泥酔で野垂れ死にするんだ。俺とお前と、どっちが先にお陀仏になるかねえ」

 そんな会話があったようだ。
 芹沢はこう答えた。

 「シュウコウ三年、オレ五年」

 こう言った芹沢は当時五十歳だったが…。

 「二人の余命をそう予言した芹沢君は、その翌年の一九八七年に五十一歳で逝ってしまったが、私がなかなか後に続かないので、さぞかし待ちくたびれていることだろう」(秀行、八十歳のときの文)

 このように書いた藤沢秀行はその四年後の2009年にこの世を去っている。

 「おい、芹沢、驚いたか! 俺がこんなジジイになっちまって」
 「秀行さんも人が悪いや。二十年も待たせちゃいけません」

  あの世でのそんな会話が聞こえてきそうである。

Pass

[1259] 愛された男
まるしお (/) - 2013年12月16日 (月) 19時24分

弔辞は私が読んだ。涙声で。

―――米長邦雄

『将棋の天才たち』(講談社、2013年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 芹沢博文が世を去ったのは昭和六十二年(1987年)十二月九日で、享年五十一歳。
 谷川浩司は現在五十一歳、島朗は五十歳。それと比較すると、「夭折」とまでは言えないが、いかにも早すぎる死であったことが分かる。

 内蔵が駄目になるまで呑み、何度も血を吐いたが、それでも酒をやめなかったという。

 しかし「札付きの無頼漢」と言っても、藤沢秀行のような輝かしい棋歴もなく、破天荒さも秀行には及ばない。その哀しさがまた酒を招んだのだろうか。

 歯に衣着せぬ言動は爽快でもあったが、それによるトラブルもまた多かったようだ。
 しかし人は人間・芹沢を愛した。

 「飲む、打つ、買うと三拍子揃って好きという人生で、私が最も影響を受けた人である」

 こう書いたのは芹沢より七つ年下の米長邦雄。
 「週刊現代」のこのコラムの末尾を米長は次のように結んでいる。

 「弔辞は私が読んだ。涙声で。」

Pass

[1269] 存在の哀しみ
まるしお (/) - 2013年12月17日 (火) 17時31分

私が感じたのは「哀しみ」というものだった。存在の哀しみである。そんな棋士に会ったのは初めてだった。

―――中平邦彦(観戦記者)

「存在の哀しみ、芹沢博文」(「週刊将棋」1999年9月22日号掲載)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 タイトル戦の打ち上げで関係者と共に外に繰り出しては盛大に呑む。
 皆に囲まれにこやかに笑っている芹沢博文。
 しかし中平邦彦は、初めて会って共に呑んだときに、酔った頭でではあったが、芹沢に「存在の哀しみ」を感じたという。

 躁と鬱が極端で、「今から手首を切って死ぬ」などという電話がかかってきてギョッとしたこともあった。

 「でも私が思い出す芹沢さんの顔は、いつも楽しげに笑っている顔である。目尻が下がり、本当にうれしそうな顔だ。きっと、私たちには深刻な顔をみせなかったのだろうが、救われる思いがする」

 将棋は苦し
 酒は楽し
 人生は哀し


 芹沢が好んで書いた言葉だそうだが、最晩年になるとこう変わっていった。

 歌は楽し
 人生は面白し


 「将棋を消し、人生を面白しとしたところに、より深い哀しみを感じる」と中平は書いている。

Pass

[1277]
JC IMPACTU (/) - 2013年12月17日 (火) 23時44分

すみません、芹澤博文九段の話題ということで、お邪魔させていただきました。

芹澤博文九段 -内心の憧景-というものを以前「web駒音」にご紹介したことがありました。本館を開設してしばらくの後に再録したものです。

芹澤博文九段の命日は「1987年12月9日」でした。半世紀以上の時間が経過したことになります。

それでも氏は、私にとってはたまらなく眩しい棋士です。中原誠十六世名人とは違った意味で。

氏と巡り合わなければ、私は「将棋は永遠の友」には、おそらくならなかったでしょうから。

Pass

[1278] 別館御礼
まるしお (/) - 2013年12月18日 (水) 06時19分

 おはようこぐざいます。JCさん、お世話になっております。
 当地は朝から雨ですが、本日の寒さはそれほどではありません。

 本館で芹沢九段や中原名人のことがアーカイブでいつでも読めるというのは嬉しいことです。

 JCさんにはもう一つ、「山口瞳と将棋」みたいなテーマでまとまったものを書いていただけたら嬉しいんですけれど……。(まあ、お忙しいんでしょうが)

Pass

[1287] 父と子
まるしお (/) - 2013年12月18日 (水) 20時11分

「プロだから、まあ上手かな」

―――渡辺 柊(渡辺明の息子)

NHK-BS1「将棋竜王戦2010〜死闘再び 渡辺明対羽生善治」(2011.1.22)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 竜王・渡辺明が一人息子柊君と自宅で盤を挟んでいる。
 当時六歳の柊君、お父さんとの駒落戦を制したようで、父が「負けました」と宣言。
 すかさず、小さな声ではあったが、「ありがとうございました」と返す息子。

 いやあ、なかなかいい場面を撮影してくれたものだ。

 その後、NHKの人が柊君に、
 「お父さんは将棋上手ですか?」と訊くと、柊君答えて曰く、

 「プロだから、まあ上手かな」

 このときからもう三年が経つ。
 柊君は今やサッカーの方に興味が移ったらしく、あまり将棋は指していない様子。
 逆に父親の方が、息子のサッカー試合の審判に駆り出されているようである。

Pass

[1289] うちの子もあきらめた
さっちん (/) - 2013年12月18日 (水) 21時02分

>柊君は今やサッカーの方に興味が移ったらしく、あまり将棋は指していない様子。

親子二代の竜王は だめだったか

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[1301]
棒銀王子 (/) - 2013年12月19日 (木) 16時09分

「仮に私が最後まで勝ち進んで女王になっても、来期の防衛線は行えないのです」

石橋幸緒 LPSA代表理事

無論、嘘である。

Pass

[1307] 「尊敬」とは
まるしお (/) - 2013年12月19日 (木) 19時50分

「尊敬という言葉は、その人のために死ねるという意味ですよ」

―――浦野真彦

福崎文吾との対談より(「将棋世界」2013年12月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 羽生善治や大山康晴を尊敬している人は多いだろう。しかし羽生のために死ねるか、大山のために死ねるかと問われれば、それはちょっと話が違うと感じるに違いない。

 浦野は「死ねる」と言うのである。
 対談相手の福崎文吾を目の前にして、「僕が将棋界で一瞬でも尊敬したのは福崎さんだけ」と告白し、続けて、

 「尊敬という言葉は、その人のために死ねるという意味ですよ」

 いやはや凄いことをさらりと言ってのけるものだ。

 浦野が「いちばん影響を受けた」福崎文吾。
 「僕にとってのカリスマ」である福崎文吾。

 しかしこの対談自体は福崎のジョーク連発で、読んでいて思わず顔がほころんでしまうといったもの。
 浦野からまともな直球を投げられ、さすがの福崎もちょっと面映ゆかったのかもしれない。

Pass

[1314]
世渡り下手爺 (/) - 2013年12月20日 (金) 15時22分

「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虚待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」

GHQで「われわれのたしなむチェスト違って、日本の将棋は、取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虚待であり、人道に反するものではないか」と言われた時の升田幸三の弁

Pass

[1315]
世渡り下手爺 (/) - 2013年12月20日 (金) 15時26分

大山康晴

「逃げ道を断て、というのは盤上における戦いの教訓であるが、プロ棋士を志すなら、逆に自分で自分の逃げ道を断ち、この道しかないと覚悟を決めるべきである」


Pass

[1316]
世渡り下手爺 (/) - 2013年12月20日 (金) 15時32分

芹沢博文


「何通りも勝ち方がありそうな時には一番危ないものを選べ」

Pass

[1355] 二部屋だけの明かり
まるしお (/) - 2013年12月22日 (日) 20時44分

窓外に目をやると、中庭を挟んで対面に明かりの消えてない部屋がある。その部屋が中原名人の部屋であった。名人も眠れない夜を過ごしているに違いなかった。

―――大内延介

『将棋の世界』(1993年、角川書店)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 昭和五十年(1975年)六月十八日真夜中(日付はすでに十九日)の情景である。
 場所は東京渋谷の羽沢ガーデン、第三十四期名人戦での一齣だ。

 この年、三連覇中の中原誠名人(二十七歳)へ挑戦してきたのは大内延介八段、当時三十三歳。
 三勝三敗一千日手という激闘で迎えた決着局は一日目に早くも大内挑戦者の大優勢となり、記者の中には「大内新名人誕生」の予定稿を書く者もいたという。

 中原が苦悶の封じ手を記し一日目が終わる。
 大内はもう名人になった気分である。

 「とうとう私は名人位を掌中にした。私は棋界の頂点に立った。この夜の興奮は私を寝かさない。真夜中を過ぎても全身が嬉々として活動している。私は無理に寝ることを止め、中庭側の障子を開けた」

 そのときに見えた名人の部屋の明かり。
 真っ暗闇の中に、自分の部屋と名人の部屋だけに明かりが灯っている。
 明日名人になる男と、明日名人の位から降りる男。
 その二つの部屋の明かり、その対照。

 しかし「明日」という日にはとんでもないドラマが待ち受けていることを、その夜の大内には知る術もなかった。

Pass

[1361] 名人になり損ねた男
まるしお (/) - 2013年12月23日 (月) 21時30分

私は全てを失ったように全身に冷汗が流れ、震えていた。それ以後のことは記憶もない。

―――大内延介

『将棋の世界』(1993年、角川書店)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 昭和五十年(1975年)六月十九日、第三十四期名人戦決着局の二日目。
 図は106手目、中原名人が▽8二同飛と、叩かれた歩を取った局面。大内延介挑戦者の手番。

 「あとはどう勝つかが問題のラクな局面(米長邦雄の言)」で、大内も▽8二同飛以下の変化を全て読み切っており、ここは▲4五歩で勝ちだと確信していた。
 ▲4五歩▽同銀としてから▲7一角で必勝。

 ところが……。

 「私は何故が▲7一角と打ち下ろしていた。(中略)私は何も考えずに駒台の角を持ち、打ち下ろしていたのだ。このときの心境は今もって説明できない」

 あろうことか、三手先に指すはずの手をここで指してしまったのである。

 「▲7一角、この一手で名人戦は終わってしまった」と大内は書いているが、将棋自体はここから九十手指し継がれて持将棋となっている。
 そして二週間後、実質「第九局」が神奈川県湯河原の「石亭」で指されたのだが、もう大内の心の中では「名人戦は終わってしまっ」ていた。「まるで魂のない抜け殻のように指し(嶋崎信房の言)」、「穴熊の姿焼き」にされ、中原の防衛を許している。

 中原誠、名人位四連覇、あと一期で永世名人。
 しかし終局後、記者は勝者中原にではなく、大内にまず感想を求めたという。

 第三十四期名人戦九連戦の主役は、▲7一角のたった一手により名人になり損ねた男・大内延介だったのである。


 第三十四期名人戦「中原誠名人−大内延介八段」第七局棋譜(1975.6.18-19)

Pass

[1366] 名人になり損ねた男(2)
まるしお (/) - 2013年12月24日 (火) 20時13分

「その話は無しにしてください。今思い出すと“カァーッ”としてきてほかの話ができなくなります」

―――高橋道雄

山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』(2011年、新人物往来社)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 大内延介が名人になり損ねたのは1975年、『将棋の世界』(角川書店)に当時の心境を描写したのが1993年。だからもうこの頃には心の整理が付いていたものと考えられる。

 ここにもう一人、名人になり損ねた男がいる。
 高橋道雄だ。

 高橋は1992年(平成四年)の名人戦に挑戦者として登場してきた。
 谷川浩司・南芳一・高橋道雄・大山康晴の四人が同星で並んだこの期のA級順位戦。高橋は下位ながらパラマス方式のプレーオフを三連勝で勝ち抜いて中原誠名人への挑戦権を奪い取る。
 そして始まった第五十期名人戦は、高橋が○○●○(3勝1敗)と断然有利な展開となった。

 しかしそこからまさかの三連敗を喫してしまうのである。
 最終局は一日目で高橋有利の局面になり、二日目で中原が盛り返したものの、高橋には何度もチャンスがあった。それらをことごとく逃しての敗戦。
 「高橋名人」は幻に終わった。

 十数年後、山田史生がキャスターを務める「週刊!将棋ステーション」(囲碁将棋チャンネル)に高橋がゲスト出演したときのこと。
 山田がこのときのことを、「惜しかったですね」と話し始めると、高橋は突然、数秒間無言になってしまったという。
 そして出てきたのが冒頭の言葉。

 結局、収録のこの部分はカットして放送された。
 高橋にとってこの名人戦は、十数年経ってもまだ心の整理が付かず、痛恨の出来事であり続けていたのである。

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[1381] 人の幸せが自分の幸せ
まるしお (/) - 2013年12月25日 (水) 21時50分

周りの人が幸せになるのが自分にとっての幸せだっていう風に考えるのが、良い生き方なんじゃないのかな

―――天野貴元(元奨励会三段)

新・天野ブログ「あまノート」より、「病が教えてくれた事」(2013.11.21)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 2012年三月、奨励会三段リーグを二十六歳の年齢制限で退会した天野貴元。
 現在売り出し中の中村太地も負けそうなイケメンだったが、なんと退会から一年後に舌癌が発見されるという人生の大ピンチに遭遇。手術前後の心境と闘病の記録がブログ(新・天野ブログ「あまノート」)に綴られている。

 「将棋はよく途中で諦めていたけど、今回だけは最後まで諦めず闘病します」

 これは医師から宣告を受けた2013年三月二十八日の記述。
 そして四月十一日に手術、百日間の入院生活を経て七月に退院。
 言語障害を抱えながらも八月に職場復帰、現在は抗癌剤治療を続けながらアマ将棋大会にも出場している。

 「周りの人が幸せになるのが自分にとっての幸せだっていう風に考えるのが、良い生き方なんじゃないのかな」

 十一月二十一日の記録だが、二十八歳にして早くもこのような境地になれるのかと思うと、ずんと胸に沁みる。

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[1392] 悟り 開けず
さっちん (/) - 2013年12月26日 (木) 11時15分

>二十八歳にして早くもこのような境地になれるのかと思うと、ずんと胸に沁みる

全くでごわす。それに引き換え・・

おいら 数年前に 三途の川を渡っただ。途中で追い返されたけど

で、死というものに向き合って 自身の無力さ 人の優しさに気づいただ。

以来、やれ打つな 蝿が手をする 足をする やせ蛙負けるな**是にあり

仏の境地に近づいただ。けど 喉元過ぎれば熱さを忘れる で元の木阿弥。

釈迦にはなれなかっただ。


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[1396]
棒銀王子 (/) - 2013年12月26日 (木) 20時18分

「 新潮に記事が載ってるとの事で早速確認。これは本当に代表が発言されたのでしょうか・・?協会の責任者としての発言だとしたら信じられませんが・・」
「将棋連盟との協議は8月以降休止してたんだ・・」
「現在は役職にありません。1月の記者会見の日の朝に辞任しております」

中井広恵・前LPSA代表のTwitterから

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[1398] 垣根のない人
まるしお (/) - 2013年12月26日 (木) 21時19分

「森さんは垣根のない人や。どんな動物とも話ができる」

―――福崎文吾

浦野真彦との対談より(「将棋世界」2013年12月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 マキさんが「語録@」で取り上げた言葉。

 多くのプロ棋士を生み出し、弟子もたくさん抱えている森信雄。
 その中にはプロを断念して辞めていく者も多いだろう。しかしか森は、辞めていった弟子も弟子に変わりはない、と言う。

 多忙な毎日だが、一人のときはヨウム(大型インコ)の金太郎とお話をし、もう動くのもままならない老犬に暖かい眼差しを送りながら原稿を執筆している。
 全く威張ったところがない庶民派。

 そんな森を福崎文吾は、「森さんは垣根のない人や。どんな動物とも話ができる」と言う。

 福崎流のギャグだが、その笑いの中に「森信雄七段の人徳」が見事に表されていて、思わずポンと膝を叩きたくなる。

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[1414]
棒銀王子 (/) - 2013年12月28日 (土) 00時02分

「あんたはどうぶつしょうぎをライブログに○○円で売り渡したのか!」

石橋幸緒

「ライブログさんが私たちと共同でプロジェクトをやっていくのにふさわしいか、精査させていただきたい」

中井広恵

「私が知らないうちに誰かが契約書に押印してしまった。私は何も知らない」

中井広恵

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[1415]
棒銀王子 (/) - 2013年12月28日 (土) 00時08分

「LPSAと仕事をしてみて強く感じたのは、彼らが「何かを作っていく」という姿勢ではなく、「自分たちは一定のステータスを持っているので、それを利用させてあげる」といった、権威主義的、高圧的、もっとわかりやすく言うなら、上から目線体質だということである。
しかも契約済みの案件について一方的に見直しを要求したり、勝手に契約を無視したり、社会的な常識を全く理解していない人たちだった」

元木一朗 ライブログ代表取締役

Pass

[1426] 迷惑な棋士
まるしお (/) - 2013年12月28日 (土) 21時16分

「ん、ぼくにとっては? ぼくにとっては(羽生さんは)迷惑な棋士なんですけど」

―――山崎隆之

NHK杯「羽生善治−大石直嗣」戦、番組冒頭で(2013.12.22)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 森信雄門下の出世頭・山崎隆之。いつの間にか八段に昇段していた。勝数による昇段だが、師匠としてはA級昇級により昇段して欲しかったのではないか。
 NHK杯と大和杯での優勝経験を持ち、朝日オープンと王座戦では羽生善治との番勝負を戦ってもいる。が、ここらで大爆発し、改めて存在感を見せたいとところだ。

 そんな山崎が本日の解説者。
 放送の冒頭、恒例どおりに矢内理絵子が山崎を紹介し、対局者の印象を問うたのだが、今回の矢内女流の訊き方がちょっとした変化球だった。

 「まず先手となりました羽生三冠、山崎八段にとってはどのような棋士でいらっしゃいますか?」

 「山崎八段にとっては」という一言を加えたのである。これは矢内の無意識の変化球だったのだろう。
 しかし打者山崎はこの球を見事に捉えた。

 「ん、ぼくにとっては? ぼくにとっては(羽生さんは)迷惑な棋士なんですけど」

 ボケが決まった。
 矢内、笑いをこらえてお腹をさする場面も。
 もっとも、山崎がこう返すのも実は無理もない。
 羽生との対戦成績は二勝十六敗、現在八連敗中だからだ。

 従って、矢内はここでもう一つ突っ込むべきだった。
 私は次のようなオチを期待したのだが……。

 矢内「それではここで羽生三冠と山崎八段の対戦成績を御覧いただきましょう」
 山崎「え、そんなこと聞いてませんよ! それだけは勘弁して下さい!」

 しかしこのオチは棋士にとってちょっときついかな。
 矢内さんではなく、関西の怖いオバサンが適役か…。

Pass

[1514] これからの自分
まるしお (/) - 2014年01月01日 (水) 11時44分

「過去は過去なんで……。これから自分はどうなるか、将来の方が大事です」

―――謝 依旻(女性囲碁棋士)

TBS系列「情熱大陸」(2013.12.8)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 謝依旻(シェイ・イミン)、二十四歳。男性を含めた賞金ランキングでベスト10に入ったこともある。
 「女流の枠を越え、一般棋戦での優勝も期待される唯一の存在」と言われるこの女性囲碁棋士は囲碁界最高の女流棋戦・女流本因坊戦六連覇中。
 この「情熱大陸」は謝の前人未踏記録「七連覇」を想定して制作に入ったものと思われる。

 しかし謝には重圧があった。単身で日本に乗り込んで行く自分を借金までして送り出してくれた家族。その家族の期待、台湾の期待。そして年齢との闘いもあったのだ。

 「もう今年二十四ですけど、正直言うと若くはないです。今までの成績だとたぶん二十一ぐらいのときがいちばん良かったかなと思います。でもどうしたらいいかって言われたら、やっぱり、強くなるために、勉強以外の方法は、努力以外の方法は、あったら教えて欲しいですけど」

 そして十月二日から始まった五番勝負、謝は初戦を落とし、結局十一月二十七日、同年代の向井千瑛(二十五歳)に、●○●○●の二勝三敗で敗れてしまう。

 第五局は必勝の碁だった。それを向井の妙手によりひっくり返されてしまう。
 敗勢になってからの謝は、秒読みの中、首を振り、もがきながら身体をのけぞらせ、「なんでこうなったのか」などと、何度もボヤく。ため息をついて顔を覆う。ついに観念して、頬杖を付きながら力なく碁石を盤に落とす。もう「打つ」といったものではない。ポトンと落とすような打ち方なのだ。

 こうして六年間守り続けた女流棋界最高のタイトルを失う。
 番組は「史上最強の女勝負師が泣いた夜」という題名になった。

 感想戦でも負ければ人目をはばからずに悔し涙に暮れる謝依旻だが、この失冠はしばらくは涙も出ないほどのショックだった。

 二日後、久々に台湾の実家(小さな食堂)に帰り、父のつくる牛肉麺を幼なじみらと食べながら、ひとときを笑い転げる謝依旻。
 「奪われたものはまた奪い返せばいい。くよくよするのはもう止めだ」というナレーションが入り、番組最後のインタビューが流される。

 「まだ弱いっていうことです」
 「強くなれますか?」
 「なれるかどうかは分からないんですけど、強くなりたいです、今の自分よりも。過去は過去なんで……。これから自分はどうなるか、将来の方が大事です」

 そう言って何度も頷く謝依旻であった。

Pass

[1515]
棒銀王子 (/) - 2014年01月04日 (土) 07時59分

・カスかね。本となら張れ、オタンコナス。
・チミの妄想か?
・最近は工作員の数も元気ないが、毎日への謝罪ま〜だ〜?
・アホンダラ
・黄色い救急車知ってる?君専用だから、乗ってどこかへお行き。

鵜川善郷 LPSA相談役(当時)

出典・マグロ名人戦騒動のまとめ
【57歳の2ちゃんねらー役員(実名)】
http://maguromeijin.blog54.fc2.com/?no=8

Pass

[1520] 「まだ弱い」と断言する六冠王
まるしお (/) - 2014年01月05日 (日) 16時14分

「まだまだ弱いなと感じることばかりなので、伸び代はあるんじゃないかと」

―――井山裕太(囲碁棋士)

渡辺明との対談より(「文藝春秋」2013年11月号)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 囲碁の七大タイトルのうちの五冠(対談当時)を保持している人物にしてこの言葉である。(井山はこの対談後「名人位」を奪取して六冠王となっている)

 井山裕太、二十四歳。ちょうど一年ほど前に室田伊緒女流初段と結婚。
 羽生善治が将棋の七大タイトルを全て制覇独占したのは二十五歳のとき。女優・畠田理恵との婚約を発表し結婚したのもちょうどその頃だった。
 羽生と井山、年齢も結婚も、状況がなんだか似ている。
 将棋界で起こったことが囲碁界でも起こるのだろうか。

 そんな井山だが、自分はまだ弱いと断言する。

 「僕は今、幸い国内でタイトルを五つ保持していますが、それでも自分は強いとは思えない。幼少期に味わった中国での経験が大きいんだと思います。だから、これからも世界を意識していたいですね」

 そうなのだ、将棋と違い、囲碁には「世界」があるのだ。
 中国や韓国に圧倒されている現在の日本囲碁界。井山自身、小学生名人二連覇を引っ提げて中国の全児童囲碁大会に参加した経験があるが、六十人中二十九位という平凡な成績だった。自分の優勝が当然だと思っていたのに……。

 「世界は広い」

 幼心に感じたショックと新たな目標。
 そして現在、六冠王・井山裕太の目は世界にも向けられている。
 日本チャンピオンが即世界チャンピオンという将棋の世界から見て、これはある意味うらやましいことなのかもしれない。

Pass

[1522] 麻丘めぐみ
さっちん (/) - 2014年01月05日 (日) 23時29分

言葉の対局室・別館へお越しの皆様 あけましておめでとうございます。

今年もあれやこれや駄文を書き連ねますが 
ご気分を害されることがないようにしてくださいね。

井山裕太が打つ姿を初めて見ました。
サウスポーだったのですね。


Pass

[1537] 自分でやってて自分でやってない
まるしお (/) - 2014年01月06日 (月) 21時02分

「自分でやってて自分でやってないような感覚というのがあった」

―――羽生善治

BSフジ「The GAME〜震えた日〜」より(2014.1.2)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 1996年二月十四日。これは羽生善治が将棋の七大タイトルを全て制覇した日である。
 この棋界の奇跡はどのようにして成されたのか。
 それを谷川浩司との闘いから光を当てたのがこの番組。正月二日に放映された。収録はたぶんこの十二月だろう。

 この中で出演者の大崎善生が上手いことを言っていた。

 ――谷川浩司の圧倒的な終盤力が棋士全体の終盤を確かなものにしていった。羽生世代はその終盤力を手にしつつ中盤や序盤を厳密にしていく。谷川の終盤力を確実に受け継ぎ、革新していく。そういうことが七冠につながったのではないか。谷川もまた前の世代から受け継いでいるものがある。昔からの人の技術の流れや努力の集大成。それにより羽生が七冠を達成した。だから言ってみればこれは皆んなの力とも言えるのではないか。――

 この大崎の感想に頷きつつ、番組の最後に羽生が語ったのが冒頭の言葉。

 「そのときの雰囲気と言いますか、周りの後押しみたいなものは非常に大きかったなあっていうふうに思ってますね。ですから、なんか自分でやってて自分でやってないような感覚というのがあったので、そういうものが無ければ達成することはできなかっただろうなという気持はありますね」

 約十八年後の羽生の気持である。

Pass

[1541] つい最近のような
さっちん (/) - 2014年01月06日 (月) 23時14分

>約十八年後の羽生の気持である。

なんと! ってことは7冠達成からもう18年!

 その間ず〜〜〜とトップの座

いや達成前を含めれば20年以上か!

いやーやはり羽生は凄い 凄い 凄すぎる!!

Pass

[1555] 悪役の務め
まるしお (/) - 2014年01月07日 (火) 19時59分

「報道陣をあちこち引き連れて、悪役を続けたかったなあという気もありました」

―――谷川浩司

BSフジ「The GAME〜震えた日〜」より(2014.1.2)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 羽生が最後の一冠「王将位」の挑戦権を獲得すると世間は七冠フィーバーに湧いた。
 もっとも前年もそうだったのである。
 しかし、王将戦第一局と第二局の間に阪神淡路大地震があり、谷川浩司王将がその被災者になるや、世間は逆に谷川側に声援を送りはじめた。
 結局、この期は世の中の風を自分のものとし、谷川が防衛を果たす。

 しかし一年経って再び羽生が挑戦してくると、再フィーバーの中、谷川はもはやヒールに過ぎなかった。
 開幕から羽生が三連勝するや、七冠を期待する熱狂の中で、谷川ファンの声援などはかき消されてしまったのである。

 七冠が目前となった第四局には五十社から百二十二人の報道陣が詰めかけたという。
 対局場は山口県豊浦町の「マリンピア・くろい」。交通の便があまり良くない土地だが、取材規模は空前のものとなった。みな羽生の七冠を期待して来ているのだ。

 ここに至って谷川は悟る。
 ――自分はヒールである。今や完全に悪役だ。ならば悪役の務めを全うしようではないか。この第四局に勝ち、この膨大な報道陣を、さらに第五局第六局と引き連れて廻り、その度に肩すかしを食わせ、第七局へともつれ込ませる。たとえ七冠を許すことになっても、そこまですれば悪役の本望というものだ……。

 しかし谷川はこの勝負をあっけなく落とす。
 谷川、四連敗。
 羽生、七冠達成。

 この決着局を二人で再現するというのが番組の趣向だったが、谷川は嫌がっているようにも見えた。
 「思い出したくないという気持がずっとあった」
 「だから悪くなってからの指し手は今はよく覚えていない」
 そんな発言も聞かれたほどだ。

 そうしてひとしきり並べ終えた後、冒頭の言葉が語られる。

 「悪役を続けたかったなあ」

 こういう言葉は大きく笑い飛ばすように言い放って場を明るくして欲しいものだが、ヒールの務めを全うできなかったことへの悔いや無念が今でも自身を苛(さいな)むのか、谷川の口から発せられたものは切なさに滲んでいるようにも聞こえた。

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[1576] 女性の心は全く読めない?
まるしお (/) - 2014年01月08日 (水) 18時59分

「将棋の手を読むのは得意なんですけれども、女性の心は全く読めないですね」

―――中村太地

NHK-Eテレ「将棋フォーカス」より(2014.1.5)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「結婚のご予定は?」

 若手のイケメン人気棋士ならばこの種の質問にもすっと答えねばならない。
 番組アシスタントの岩崎ひろみ、「勢いで訊いちゃいましょうか」とゲストの中村太地に直球勝負。
 すると、

 「将棋の手を読むのは得意なんですけれども、女性の心は全く読めないですね」

 これを聞いて、「上手いこと言うなあ」と感心するのはむしろ将棋初心者。
 太地君のこの答えはいわば将棋界の定跡手順なのである。この質問に対する基本手筋とも言える。
 昔から何人の棋士がこの句を頼りに女性をかわしてきたことか。

 むしろ将棋のように言葉の裏側を読むべきだろう。

 「実はすでに決めた人がいるので、他の人とはお付き合いできません」

 これが太地君の真の狙い筋かもしれないということも、女性ファンならば一応は頭に入れておかねばなるまい。

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[1577] 結婚報告の傑作
まるしお (/) - 2014年01月08日 (水) 19時00分

私は四枚穴熊に自陣に馬まで引きつけていたにもかかわらず、彼の原始棒銀に寄せ切られてしまいました。

―――船戸陽子

LPSAサイト「所属女流棋士 入籍のご報告」より(2011.8.18)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 将棋界結婚報告の傑作である。
 
 ユーモラスな言葉の中に女心の微妙な襞(ひだ)も表現されており、美しい。
 船戸陽子、生涯の名言と言っても良かろう。

 船戸を寄せ切ったのは八歳年下の男性。

 ああ、男子たるもの、難攻不落の穴熊堅城を目指し、ただただ純朴に、原始棒銀で進軍するのみだ。

 LPSAサイト「所属女流棋士 入籍のご報告」(2011.8.18)

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[1579] ケチつけてやろう^^
さっちん (/) - 2014年01月08日 (水) 19時21分

えっー 八歳も違うの

 ジェネレーションギャップは大丈夫か?

真相は 穴に引きずり込んだんじゃね?

↑冗談だよ〜ん

Pass

[1702] やねうらお
まるしお (/) - 2014年01月15日 (水) 21時26分

そのわずかに出来た形勢の針の穴ほどの差を錐揉みで拡大してダムを決壊させてしまうというのがプロの将棋なのである。

―――磯崎元洋(将棋ソフト「やねうら王」開発者)

「やねうらお−俺のやねうら王がこんなに弱いわけがない。(第2期)」より(2014.1.14)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 第三回電王戦出場ソフト「やねうら王」の開発者・磯崎元洋氏。電王戦出場ソフトを決める電王トーナメントで一躍時の人になった感もある。
 とにかくユニーク。物言いや見かけがひょうきんで、最初は吉本の人かと思ったが、なんでも知る人ぞ知る天才的プログラマーであり、開発会社の社長でもあるらしい。

 とにかく独特の存在感。そして一家言を持つ。

 自らのブログに載せていた上記発言も、なるほどと唸らせる。
 喩えが方が実に巧み。
 「プロの将棋」の特徴を言い当てたものとして記憶に焼き付く。

Pass

[1717] げに女こそ偉大なり
まるしお (/) - 2014年01月16日 (木) 20時49分

「女に惚れる奨励会員というのも、女っ気のまったくない若き名人より面白いかも知れんわな」

―――団 鬼六(作家)

嶋崎信房『いまだ投了せず』(朝日ソノラマ、1995年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 この言葉を言い換えれば、名人の人生より奨励会員の人生の方が面白い場合だってあるということだろう。
 いかにも小説家らしい見方だ。

 ここで団が言う奨励会員とは伊藤能三段(現フリークラス六段)のことである。
 二十二歳でようやく三段になった伊藤だったが、以後三十歳になっても昇段することができず、周囲はもちろん、本人でさえもうプロ入りは無理だと考えていた。奨励会に入ってからなんと十七年にもなっていたのだから無理もない。

 この頃は三十一歳の誕生日までという年齢制限である。残りもわずかだった。

 当時伊藤の後見人のような役を買って出ていたのが団鬼六。
 いろいろと面倒を見ていたものの、もうさすがに年貢の納め時、伊藤の師匠・米長邦雄からの依頼もあり、年末に送別会をして第二の人生に向け明るく送り出してやろうじゃないかということになった。会場の手配もしていたらしい。

 ところがなんとこの頃から伊藤が勝ち出した。
 三十二人の三段の中で二十二位。それが最終戦の段階で四位の成績。その最終日に自身が二勝、そしてライバルが敗れたために二位に食い込むという大逆転を演じてしまったのである。
 1992年十月一日、三十歳八ヶ月でのプロ入りだった。

 なぜこんな芸当ができたのか?
 そこに女がいたからだというのである。
 団のところに弟子の女性がいた。これに伊藤は惹かれ、口説いたらしい。
 ところがその女性からこう突き放されてしまった。

 「半人前が何いってんの、一人前になってから来なさい。その時はすきなようにしていいわよ!」

 いわば発破をかけられたのだが、これに伊藤が発奮、ついに「奇跡の人」として将棋界に名を残すことになったのである。

 「女に惚れる奨励会員というのも、女っ気のまったくない若き名人より面白いかも知れんわな」

 いやはや、まったくもって面白い人生があるものだ。

Pass

[1720]
さっちん (/) - 2014年01月16日 (木) 23時17分


おいら好みのエピソードだなあ

 で、その後 どうなったの

好きにしていいわよと発破をかけたオナゴはんとは・・・

しかし まるしおさんは何処からこんな面白い話題を拾ってくるの?


Pass

[1776] 良い物語を想像して下さい。
まるしお (/) - 2014年01月19日 (日) 18時52分

 返事が遅くなりましたが……。

 伊藤能四段とその女性との後日談も『いまだ投了せず』には書かれています。
 しかしここでは「謎」として残しておきましょう。

 想像力で物語を紡ぐ方が現実よりも色っぽい場合もありますのでね。

Pass

[1780] 「哲学」の形成
まるしお (/) - 2014年01月20日 (月) 22時19分

自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な勝負こそ全力を尽くすべきだ。

―――米長邦雄

1970年頃から次第に純化されていった将棋界の掟
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 いわゆる「米長哲学」である。
 文章の表現としてはバリエーションがあるようだが、上記が最もポピュラーか。

 棋士たちはこの言葉に勝負の美学を見出し、今やほとんどが信奉者となっている。
 いわば将棋界における金科玉条。新聞の時事欄に引用される場合さえある。実に有名な言葉になった。

 1970年三月十三日、B級1組順位戦の最終戦、大野源一八段(58歳)と米長七段(26歳)の対戦がこの哲学の原点だという。
 五年ぶりのA級復帰をかけた大野と、すでに昇級とは無縁の米長との一戦。米長が全力で戦い、結果的に大野の昇級を潰す。

 「哲学」発祥の一戦は下記リンクより。

 B級1組順位戦「大野源一 vs 米長邦雄」棋譜(1970.3.13)

Pass

[1781] 美学不要
まるしお (/) - 2014年01月20日 (月) 22時22分

私は以前から、米長哲学には素直にうなずけなかった。なぜなら、あまりにも非論理的な内容だからである。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋 2013年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 米長哲学に異を唱える棋士は珍しい。

 渡辺の論理はこうだ。
 ――自分にとって大事な勝負でも消化試合でもどちらも頑張れというのなら理解できる。しかし消化試合「こそ」頑張れと言われても納得できない。――

 「私自身は、どう考えても、自分にとって大事な対局こそ頑張るべきだとしか思えない」

 このようにきっぱりと言い切る。
 これ、いわば、米長哲学の「美学」や「ロマン」の全否定であろう。
 物事をあくまでも論理的に考える渡辺明の真骨頂とも言える。

 「私はロマンを求めたりはしない」「仮に偉大な先輩の言動や考え方であっても、自分が納得できなければ従う必要はない」というのが渡辺の基本姿勢。

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[1786]
さっちん (/) - 2014年01月21日 (火) 20時07分

>伊藤能四段

そっか 振られちゃったのか。

>渡辺 明

明くんが正論じゃ。

 まあ ええ格好しいと自身を着飾らないものとの違いじゃな。

Pass

[1803] ジュースで乾杯
まるしお (/) - 2014年01月22日 (水) 21時26分

升田が勝てば学校の将棋仲間たちとジュースで乾杯していたっけ。

―――BIRD(Amazon reviewer)

東公平『名人は幻を見た』のカスタマーレビュー「僕のブンガク体験」(2000.11.26)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 市井の人が書くネット上のブックレビューにも心に残る言葉がある。

 まだネットなど無い時代、新聞の観戦記は将棋の情報源として大きなものだった。
 このレビューを書いたBIRDという人は升田幸三ファンのようで、朝日新聞に載る東公平の観戦記に一喜一憂。ついに最終譜で升田の勝ちを知るや、学校の将棋仲間たちとジュースで乾杯をして祝ったというのである。

 ああ、これが本当のファンというものだなあと私は思った。
 「心の健康」とはこういうことではないかとさえ感じた。

 ジュースで乾杯。
 良い光景ではないか。
 なんだか心がポカッと温かくなったのである。

Pass

[1804]
さっちん (/) - 2014年01月22日 (水) 21時48分

将棋ファン度では負けたなあ BIRD殿に

勝って乾杯 負けてヤケ酒 こんなこと無かったなあ

 負けると飯がまずい! これも無かった

ふむ おいらは真の将棋ファンでないかも

でも 応援してる棋士の勝ち負けに一喜一憂するのは楽しいにゃ

Pass

[1848] 恋の履歴書
まるしお (/) - 2014年01月24日 (金) 19時59分

詰将棋は私の恋の履歴書なのである。

―――駒場和男(詰将棋作家)

「近代将棋」1966年11月号(「自画自賛」より)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 駒場和男は現代詰将棋界の鬼才。
 どんな作品を創るかというと、たとえば下図のようなもの。
 左が初形。右が終形。いわゆる煙詰だが、初形の都玉が放浪の果てに最後にまた5五の都へ戻るという壮大な構想を実現している。

 2006年、毎日コミュニケーションズから上梓された『ゆめまぼろし百番』は伊藤看寿の『将棋図巧』や伊藤宗看の『将棋無双』に匹敵する作品集だと言われている。(「越えている」という人もいる)

 それほど凄い作家なのだが、かつてこんなことを書いた。

 「遠い少年の日私は恋をした。恋と詰将棋と詰将棋と恋と、その追憶が、ごっちゃになって時々想いだされる。詰将棋は私の恋の履歴書なのである。ホント」

 「詰将棋は私の恋の履歴書」――近寄りがたい孤高の作家という印象が強い駒場和男がこう言ったのである。
 以来この言葉は詰将棋界の名言として今日に伝えられている。

 (文末に「ホント」と付け加えたのは作家の照れだが、これもまた味わい甲斐がある)


 駒場和男作 都還元玉煙詰「父帰る」103手詰(動く将棋盤)

Pass

[1868] 秀行の伝えたいもの
まるしお (/) - 2014年01月25日 (土) 21時41分

「人まねなんかクソくらえだ」

―――藤沢秀行(囲碁棋士)

NHK-BS「無頼の遺言 棋士・藤沢秀行と妻もと」より(2005年放送)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 2004年(平成十六年)冬の秀行塾。一日の終わりには参加者が自分の打った碁を藤沢秀行に見て貰う。このときの秀行は高段棋士だろうがなんだろうが容赦がない。

 「お前はまた悪い癖が出て…」
 「頭改造しなきゃ駄目だ」
 「誰か向かってこねえのか」
 「もっと修行しなきゃ駄目だよ、碁の。たえず工夫しなきゃ」

 その度にピリピリと緊張が走る。

 定石必ずしも真ならず。もっと冒険しろ、戦闘力を付けろ、噛みついて戦えと八十歳の秀行はけしかけるのである。
 ついには、「人まねなんかクソくらえだ」と吐き捨てた。

 常識ベッタリの打ち方。それで勝ったからといって何なんだ。碁打ちの輝きとは何かを考えろ――藤沢秀行はそう言いたいのだろう。

 ひるがえって将棋の世界はどうか。
 六十手も七十手も前例どおりに進んだりする現代将棋の姿。秀行が将棋指しならいったい何と言うだろうか。

Pass

[1870]
世渡り下手爺(改名)柳雪 (/) - 2014年01月25日 (土) 22時11分

昔、二上先生と飲んでいた時、急に

「私は、大山さんの記録をやっと一つだけ抜いたんですよ」

と笑って言われた。

どうやら会長職の年数のことであるらしい、そして又一言

「将棋の美学と人生の美学と、どっちが美しいんでしょうかね〜」




Pass

[1873]
さっちん (/) - 2014年01月25日 (土) 23時23分

>秀行が将棋指しならいったい何と言うだろうか。

こら!善治、将棋界の顔ともあろう者がなんてぇことをしやがる。

明!おめぇもだ。

ちょっと前にやった永瀬との将棋をまる一日見せられるファンのことをちいたあ考えろ!

もういっぺん 達也んとこで修行して、美学を学んで来い!

*鉛筆画?上手いにゃ


Pass

[1892] 自分だけの領域
まるしお (/) - 2014年01月26日 (日) 22時17分

「誰も私の将棋を真似しようとしないんですよね」

―――佐藤康光

佐藤がときどき口にする言葉
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 自分の将棋を誰も真似してくれない。そう不満気に言う佐藤だが、言った後で口元にかすかな笑みが浮かぶことがあるそうだ。
 観戦記者の椎名龍一はこの笑みをこう捉えている。

 「玉の堅さという実利を追求して戦うタイプが多い現代将棋において、佐藤将棋は薄い玉型のリスクを背負うことをいとわない。主流とは真逆に流れていて誰も真似できないのだ。他の棋士とは一線を画す佐藤将棋の魅力がそこにある。佐藤がかすかに見せる口元の笑みは、誰も入ってこられずにいる自分だけの領域に対する自信の表れではないかと思う」(2012.2.11 毎日新聞朝刊将棋欄)

 また、渡辺明も佐藤将棋についてこんなことを書いている。

 「佐藤さんの指す手は、説明されても納得できないことが多い」(『勝負心』文藝春秋 2013年)

 納得できない――それは佐藤の手が渡辺の論理の外にあるからだろう。渡辺の論理からいくとそれはあまりにも危険に満ちている。だから真似などできたものではない。

 しかしそういう指し方を貫いて佐藤康光は将棋界の最前線を渡り歩く。
 2012年の王将戦で見せた衝撃の▲5七玉。渡辺の端攻めを玉自らが戦場に赴き受け潰してしまった2013年の王将戦第三局。

 私たちはそこに壮絶なものを見出し、興奮する。

Pass

[1897] 安全を求めず
まるしお (/) - 2014年01月27日 (月) 18時46分

「安全な手っていうのは、ちょっとずつ甘い手というか、最善から少しずつ悪い」

―――井山裕太(囲碁棋士)

NHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」(2014.1.13)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 井山裕太もまた人真似を嫌う碁打ちである。

 「結局、やっぱり人真似ばかりしてちゃ勝てないんですよね。常識的にはこっちなんだろうけど、自分はこっちに打ちたいというのがあったとしたら、自分はもうほぼ迷わず自分の打ちたい方というか、それを選ぶようにはしてますね」

 むろんそこには危険が伴う。しかし安全を第一とせず、常識にとらわれず、大胆に新機軸を打ち出す。
 安全な手は百点ではないのだ。仮に九十点だとすると、安全な手を繰り返していくうちにその十点の差が積み重なり、ついには逆転されることもある。
 だから井山は、リスク承知で、自分の信じる道へ、踏み込む。

 囲碁七大タイトルのうち六冠を保持する二十四歳の棋士の境地である。

Pass

[1905]
さっちん (/) - 2014年01月28日 (火) 00時16分

囲碁界、あまり良く知らない世界ですが

 好青年.井山の全冠制覇を見たいですにゃ

 残りは名人だけか? 

ところで 鉛筆画は画像加工ソフトではないでしょ?

Pass

[1907] 全冠制覇はやはり大変
まるしお (/) - 2014年01月28日 (火) 06時16分

 お早うございます。

 井山さんは現在棋聖位防衛戦の最中。
 残り一冠は十段位。ところが先の挑戦者決定戦で高尾紳路九段に敗れてしまい、本年の全冠制覇はなくなりました。

 添付画像について。

 秀行……これは専門の方が描いたもののようです。迫真の絵で、気に入っています(プロなのかアマなのかは分かりませんが、「ちぇすと123 モリタックスの絵描きブログ」よりお借りしました)
 康光・裕太……私が写真を元に画像処理したもの

Pass

[1909]
さっちん (/) - 2014年01月28日 (火) 08時30分

残りは十段位でしたか。

そうすると全冠制覇には次に挑戦権を掴むまで、持っているタイトルを防衛し続けねばならないのですね。

なんか羽生が7冠達成した時と状況が似てる?

画像処理はそこそこテクニックがいるのかな?
佐藤康光はいい味でてるんじゃないの!

Pass

[1930] 「新手一生」という遺言
まるしお (/) - 2014年01月29日 (水) 17時31分

「後手の石田流は、プロで試みる人は誰もいない。が、どう悪いのか、私には判らなかった。時の第一人者にただすのが最善と考えた」

―――升田幸三

「将棋世界」に載った手記(1971年)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 第三十期名人戦第三局初日(1971.4.30)、五十三歳の挑戦者升田幸三が大山康晴名人に対して放った四手目▽3五歩。
 将棋界に衝撃が走った。

 ▲7六歩▽3四歩▲2六歩の後の▽3五歩。後手番早石田という素人戦法、プロの常識では「子供だまし」。それをこの大舞台に升田はぶつけてきたのである。

 升田式石田流。
 これは升田が標榜する「新手一生」の総仕上げでもあった。

 近年、「新手」という言葉が軽くなったように感じる。
 一昔前なら、棋士も記者も、軽々しく口にできない重みをこの言葉に抱いていたのではないか。
 しかし昨今、スラスラっと検索し、データベースになければ皆「新手」だと言ってはばからない。
 けれども、今日生まれ明日消えていく「新手」とはいったい何なのか。

 「新手一生」――誰もが口ではそう言うものの、この言葉の本当の精神が忘れられてきているような気がしてならない。

 「自分の将棋を指さなきゃいけません。人真似しとる時代もありますよ、ずうっと低いときは。自分で考え出しつくり出さんといかんですね」(NHK「お元気ですか」1987年 より)

 升田幸三、晩年の言葉である。

Pass

[1933]
さっちん (/) - 2014年01月29日 (水) 18時46分

>自分で考え出しつくり出さんといかんですね

これは 藤沢秀行の「人まねなんかクソくらえだ」と同意ですね。

現在の将棋界で「新手一生」に近いポリシーの持ち主は 藤井九段のような気がします。

藤井システムにしても角交換四間飛車も それまでの常識をひっくり返した戦法。その内 また世間をあっといわせる戦法を編み出すのではと密かに期待しております。


Pass

[1949] 革新者
まるしお (/) - 2014年01月30日 (木) 06時08分

 私も藤井猛は「新手一生」の遺伝子を持った棋士だと感じます。

 だから藤井さんはA級にいないといけない人なんですね。
 現状は残念。

Pass

[1963] 背骨の革新
まるしお (/) - 2014年01月30日 (木) 19時58分

升田九段の「新手一生」は、升田先生一人のものではなく、プロ棋士の在り方を端的に語っている教訓ではないだろうか。

―――大内延介

『将棋の世界』(1993年、角川書店)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「新手一生」。これを大内は、「私にとって涙が出るくらい感動的な言葉だった」と書いている。
 そして大内自身も、自分もまた「新手一生」の体現者であるという自負を持っているのだ。

 「穴熊などは素人戦法であり、プロが使うのはみっともない」と軽蔑されながらも、大内は振飛車穴熊を開発していった。

 「穴熊は悪い戦法だと言われた。それならいい戦法にすればよいではないか。私は穴熊を矢倉などのような体系的な戦法と肩を並べる一流の戦法に育てたいという欲求にかられ、死活にかかわる公式戦だからこそ頻繁に多用したのだ」

 そうしてついに、あの三十四期名人戦(1975年、伝説の九番勝負)に穴熊を引っ提げて登場したのである。

 「新手一生」の「新手」とは「背骨の革新」とも言える。大内穴熊もまた背骨の革新だった。
 それに比べ、日常の中で生まれては消えていく新手は「小骨の発見」に過ぎないだろう。これらは一時の栄養剤のように日々ただ消費されていくだけだ。

 しかし新しい背骨は受け継がれ、改良され、伝えられていく。
 それこそが本当の「新手」だと思う。

Pass

[2032] 鶴の翼
まるしお (/) - 2014年02月02日 (日) 20時01分

三浦は鶴のように大きく翼を広げた。

―――烏(中継記者)

第39期棋王戦「渡辺明棋王−三浦弘行九段」第一局の棋譜コメント(2014.2.2)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 四十手目、後手の三浦挑戦者が▽9五歩と突いた局面での棋譜コメント。

 両方の端歩を突き越した後手の陣形を喩えたもの。

 もう一度この局面をよく見る。
 あ、確かにそうだな。
 鶴が翼を開いている。

 見事。

Pass

[2039]
さっちん (/) - 2014年02月02日 (日) 21時52分

おおっ

なんと新鮮な! まだ湯気がたっている

しかし この烏記者 もうすぐ中継記者卒業するんだってね。

Pass

[2055] 根源の問い
まるしお (/) - 2014年02月03日 (月) 19時40分

将棋が自分の一生を打ち込むに値するものだろうか。

―――山田道美

「降級前後」より(『山田道美将棋著作集 第八巻』1981年4月、大修館書店)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 山田道美の婚約者は将棋という職業に懐疑的だった。

 「一つの社会的に意義のあるお仕事をなさるのなら、どんな苦労も厭いません。もし、その仕事が一生報われないものであっても」

 そう言ってはくれるのだが、将棋を指すことが「仕事」になりうるのかという点には疑問を感じており、一度は結婚を決めたものの、この頃にはそれもあやしくなり始めていたのである。

 山田は悩む。
 将棋を指すことが「一つの社会的に意義のある」仕事なのかどうか。
 自分は将棋自体に純粋な情熱を本当に持っているのか。
 将棋は単なる生活の方便に過ぎないのではないか。

 根源的な問題だ。

 こういう難問にぶち当たったとき、スッと迂回してやり過ごすのがひとつの生き方でもある。
 そんな世渡り上手の棋士も多いだろう。
 しかし山田道美はそうではなかった。

 「将棋が自分の一生を打ち込むに値するものだろうか」と、悩みは深まるばかり。
 こんなもやもやした状態では婚約者を説得できようもない。

 山田は破談を決意する。

Pass

[2060]
さっちん (/) - 2014年02月03日 (月) 23時21分

>「将棋が自分の一生を打ち込むに値するものだろうか」と、悩>みは深まるばかり。
 こんなもやもやした状態では婚約者を説得できようもない。

> 山田は破談を決意する。

これ 本当の話なの? なんとも実直だなあ 糞マジメとも言える

このあたりは 升田と違うなあ 升田は将棋なんてあってもなくてもどうでもよいようなことを言ってたと・・

あの時代がそうさせたのか 氏の性格なのか まあ後者だろうけど。たしか 若くして病気で亡くなったのよね

Pass

[2069] 老僧に接して
まるしお (/) - 2014年02月04日 (火) 20時05分

私達棋士は将棋を立派に指すこと以外は、そんなに誇るべきものもないのだから将棋に情熱を失ったら、すでに不幸である。

―――山田道美

「降級前後」より(『山田道美将棋著作集 第八巻』1981年4月、大修館書店)
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「私自身、前々から彼女とは違った形で、棋士という職業に懐疑的であった」と山田道美は書いている。
 こうして婚約を破棄し、一層沈んだ心でいるとき、山田はふと師の金子金五郎を訪ねてみようと思う。

 金子は引退後出家し高崎で寺の住職をしていた。
 その金子に山田は尋ねる。

 「先生は、現役時代に棋士というものが、疑問になったことはありませんか」
 「一体、将棋は苦しむに値するものですか」

 金子の答えは、「どんなことでも、苦しみに値するだろうね」というものだった。
 まるで禅問答のようだが、山田にはこの言葉が重く響いた。
 そして、この老僧と会うことで、山田は少し心が軽くなる。
 それから彼は、もう一度婚約者に会うために東京行きの汽車に乗るのである。

 彼女は彼女なりに、棋士という職業をなんとか理解しようと悩んでいたのだ。それに比べ自分は、彼女に将棋の話はほとんどしていない。むしろ避けていた。だから、自分の抱いていた様々な疑問が彼女を不安にしていたのではないか。

 山田道美がこのとき婚約者にどんな話をしたのか、「降級前後」には何も記されていない。
 だだ短く、こう書いているだけである。

 「秋に、私達は結婚した。」

Pass

[2074] 大人物の言葉
まるしお (/) - 2014年02月05日 (水) 20時31分

私は将来は山田さんが将棋連盟を背負うことになるであろうと予見していた。

―――大山康晴

『昭和将棋史』(1988年、岩波書店)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「山田道美」と聞くと、「打倒大山」という言葉がすぐ思い浮かぶ。
 まさに打倒大山に懸けた生涯だったのではないか。
 タイトル戦でも、大山流番外戦術には一切応じず、加えて、同じ列車に乗って移動することも拒否、宿も別にするという徹底ぶりだったそうだ。

 「大山を倒さねば将棋界は良くならない」とまで公言していたとどこかで読んだ覚えがあるが、こうなると闘志を通り越して敵愾心にまで至っていたような感を受ける。
 当然大山もカチンとくることがあったようで、休憩時間に盤前で考えていた山田を見て、「休憩中は盤に蓋をしてほしい」と係の者に言った――そんな嘘のような話が伝わっているくらいだ。

 その大山が晩年の著作で山田を称えているのである。
 これには驚いた。

 「山田さんは清廉潔白を信条とし、将棋の研究熱心な点では及ぶ者なし、と断言したいほどの人だった。また、後輩の指導にも、はかり知れない情熱を傾けていた。そんなタイプの棋士は過去にもほとんどいなかったから、山田さんが、プロ棋界を変えていくのではないか、と期待する仲間もファンも少なくなかった」

 盤上で火花を散らし合う敵であっても、大人物は大人物を知るということだろうか。
 1970年六月、大山は、山田が三十六歳で病没したという報を聞き、呆然とする。
 「プロ将棋界の一大損失を感じとりながら、あまりのことに言葉がなかった」と書いている。

 山田道美の急死は病院側にも責任があるのではないかという説もあるが、存命で「将棋連盟を背負う」ことになったとしたら、どんな将棋界になったのだろう。

Pass

[2079] 死を懸けた戦い
まるしお (/) - 2014年02月07日 (金) 19時35分

「負けても死ぬるわけでない」

―――升田幸三

内藤国雄「真剣勝負」(『自在流人生』1980年、筑摩書房)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 棋士は夕陽のガンマンでもないし、対局は巌流島の決闘でもない。
 だから死ねないのである。

 「負けても死ぬるわけでない」と全盛期の升田は良く口にしたそうだが、その真意は、「死ぬることのない棋士の無念」ではなかろうか。

 仮にも勝負師と呼ばれるのならば、本当は死を懸けるような戦いをしたい。それが真剣勝負というものだ。
 しかし棋士は、今日の対局に負けても、また次の対局に赴かねばならない。
 そうして対局が日常の業務に成り下がっていく。
 升田はそこに危機感を抱いていたのではないか。
 「負けても死ぬるわけでない」――これは一種の反語であろう。

 内藤国雄はこの「真剣勝負」という随筆を次のように締め括っている。

 「先の言葉は〈負ければ死ぬんだ〉ということと裏合わせであることに気づかねばならない。負ければ死ぬような厳しい味がなければならない。しかし負けて死ぬようでは困る。プロの将棋は、このふたつの矛盾した命題を背負っている――」

Pass

[2094]
さっちん (/) - 2014年02月09日 (日) 09時57分

ちょっと前の話題になりますが

山田道美
>「秋に、私達は結婚した。」

そうでしょう! それが自然ですにゃ。理屈を捏ね回してはいかん。

そんなんより 次の言葉は将棋会館の対局室に掲げておくべきじゃ。

「私達棋士は将棋を立派に指すこと以外は、そんなに誇るべきものもないのだから将棋に情熱を失ったら、すでに不幸である。」

不幸な棋士が多いような気もするが・・


Pass

[2108] 勝手にやってくれ!
まるしお (/) - 2014年02月10日 (月) 17時07分

「好きな女性のタイプはと(豊島七段に)訊いたときに私の名前を挙げて下さったので、ずいぶん好感度が上がって……」

―――鈴木環那

第21期・銀河戦「郷田真隆−豊島将之」(2013.7.30)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 豊島将之七段は見た目と違い、結構活発にハキハキと大きな声で話すそうだ。
 そんなことを紹介した後で、「ここだけの話」と前置きして鈴木環那女流が口にしたのが冒頭の言葉。

 まったく、何が「ここだけの話」なんだ!

 本人を前にして、「貴女が好きなタイプの女性です」とぬけぬけと言う豊島も豊島だが、それをテレビ視聴者の前で堂々と公表する環那も環那だ。

 豊島、二十三歳。環那、二十五歳。(放送当時)

 ええい、もうどうでもよい、二人で勝手にやってくれ!

Pass

[2115] 瓢箪から駒?
さっちん (/) - 2014年02月10日 (月) 23時23分

ほほう 姉さん女房は金のわらじを履いてでも・・と言うぞ。

視聴者向けのリップサービスじゃなく 事実にするがよいにゃあ。

豊島と環那 似合いじゃないか!

Pass

[2122] 微妙な男心
まるしお (/) - 2014年02月11日 (火) 17時15分

「鈴木さんもそういう年齢になっちゃいましたか」

―――広瀬章人

第21期・銀河戦「郷田真隆−豊島将之」(2013.7.30)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 鈴木環那の豊島礼賛を聞いて、この日の解説者・広瀬章人は、半ばあきれ顔でこう応じた。
 はるか年下の妹分に対する言葉のようだが、実際は鈴木と広瀬は同じ1987年生まれ。
 広瀬とて良いお年頃なのである。

 「豊島さんにこんなこと言われちゃったのよ。広瀬さん、アタックしてくれないんならあっちへ行っちゃうけど、いい?」
 「どうぞ御勝手に、俺のタイプじゃないからね」

 ということなのか?

 しかしあるいは、

 「ぐぐぐぐっ、豊島や稲葉が銀河戦のベスト8で、俺は解説者。そのうえ環那にこんな仕打ちを受けちゃあ、将棋も恋も完敗だ! あーあ、もう立つ瀬がねえよ」

 という嘆きの裏返しとも考えられる。

 はたして広瀬章人の心中や如何に?

Pass

[2127]
さっちん (/) - 2014年02月11日 (火) 20時39分

時々思うのですが

 女流棋士は完璧に売り手市場のはず

 何故に 売れ残る?

売り渋りかにゃあ?

Pass

[2144] 踏ん張って生きる
まるしお (/) - 2014年02月13日 (木) 18時57分

年々歳々自分の何かが崩れ、何かで転び、そして何かが生まれ、何かで踏ん張っていくしかないなあと思う。

―――森 信雄

「森信雄の日々あれこれ日記」(2014.2.10)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 先日森信雄門下の糸谷哲郎六段がB級2組への昇級を決めた。
 「大器」と呼ぶに相応しい糸谷。C級で足踏みしていてはいけない。ようやくの昇級に、師匠も、「これで私の寿命が数年延びたかなあ……ありがとう」と一安心。

 それから十日も経たないうちに、今度は大石直嗣六段と澤田真吾五段がC級1組に昇級。
 これで師匠の寿命がさらに延びたのではなかろうか。

 そんな喜び一杯の森師匠だが、先日、六十二歳の誕生日に冒頭のような言葉を綴っている。

 崩れ、転び、しかしその中から生まれてくる何か。
 師匠も踏ん張って生きているのだ。

Pass

[2145] 明日という日
まるしお (/) - 2014年02月13日 (木) 19時00分

Tomorrow is another day.

―――高橋道雄

「みっち・ザ・わーるど」(2014.2.12)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 言わずと知れた「風と共に去りぬ」のラストシーン、ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ役)の有名なセリフだ。
 打ちひしがれた主人公が、「Tomorrow is another day.」と言ってこの映画は終わる。
 絶望からの再生、それが「Tomorrow is another day.」である。

 字幕では「明日は明日の風が吹く」と訳されたが、これでは軽すぎる。直訳で「明日は別の日」とした方が主人公の感情に近いだろう。
 最近では、「明日という日がある」と改善されているらしい。

 昨年A級から陥落した高橋道雄。
 今期B1でも大苦戦で、現在一勝九敗。二年連続の降級となってしまうのか。残り二つを勝ってもまだ危ない。
 その絶体絶命な状況で、翌日の対局を前に、高橋はブログにこう書いた。

 「この先、どんな未来が待っていようとも、全て受け入れて、前進するつもりです」

 そしてこの日の記事タイトルは「Tomorrow is another day.」であった。
 ヴィヴィアン・リーの、あの、絶対にへこたれないという前進の姿勢。
 壮大な「タラのテーマ」が聞こえてくるようだ。

Pass

[2159] 容赦なき時の流れ
まるしお (/) - 2014年02月14日 (金) 20時08分

「私も絶対にかじり続けます。歯がボロボロになっても、あきらめずに」

―――森下 卓

「将棋世界」1992年3月号
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 森下卓、二十五歳のときの発言。
 石にかじりついても頑張り続けるという宣言だ。

 1991年十二月二十七日、森下は谷川浩司竜王とのタイトル戦に敗れる。「二勝四敗一持将棋」という成績だった。その翌日、彼は大崎善生に次のように心境を吐露したそうだ。

 「将棋の世界は、自分が努力すれば、何年後かには必ず報われます。そう思って石にかじりついても頑張ります。私には米長、中原先生をはじめとする素晴らしいお手本があります。あの年でも決してあきらめずに、最大の努力をしている。私も絶対にかじり続けます。歯がボロボロになっても、あきらめずに」

 これぞまさに青春の輝きである。
 しかし一方、それから二十数年経った現在これを読むと、人生の残酷さを感じざるを得ない。

 森下のタイトル戦登場は全部で六回。この竜王戦は二回目。この後四回タイトルに挑戦するが、全て敗退している。最後は1999年一月から二月の王将戦だった。
 以来十五年、いまだにかじり続けているとすれば、森下の歯はもうボロボロだろう。
 本当に、時の流れというものは容赦がない。

 そんな森下だが、今期王位戦、予選を勝ち抜き、久々にリーグ入りした。
 はたしてどんな戦いを見せるのか。
 森下卓、四十七歳、その心中や如何に。

Pass

[2167] パンツ脱ぎの勧め
まるしお (/) - 2014年02月15日 (土) 17時10分

パンツ脱ぎ戦法の方が彼女らしさが出ていて良かったのではなかろうか。

―――中井広恵

「第十八期女流名人位戦第五局自戦記」(「将棋世界」1992年4月号)より
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 この年の女流名人位戦、林葉直子女流名人に挑戦したのは中井広恵女流王位。その決着局自戦記での言葉。

 当時林葉はライトノベルの執筆で大忙し。将棋界で十指に入る年収を稼いでいたという。少し前には雑誌でセミヌードを披露したりと、将棋以外の仕事が増えていた。

 棋風は自由奔放。
 ところがこの第五局では穴熊に囲ってからのじっくりした展開を選んだものだから、中井は仲良しをちょっとからかうように、「パンツ脱ぎ戦法」の方がセミヌード直子に相応しいと書いたわけだ。
 中井広恵の茶目っ気。

Pass

[2169] 出産祝い
まるしお (/) - 2014年02月15日 (土) 17時12分

「大きな出産祝いをあげてしまったわ」

―――林葉直子

「将棋世界」1992年4月号
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 この戦いは結局中井の勝ち。林葉から女流名人位を奪取した。
 実は中井は妊娠しており、お腹も大きかった。

 そのお腹を前にして、林葉もあまり闘志が湧かなかったのか……。
 それは分からないが、終局後、中井に、

 「大きな出産祝いをあげてしまったわ。これで産後も楽になったでしょ」

 と明るく語ったという。

 林葉、二十四歳。中井、二十三歳。
 遠い昔のお話。

Pass

[2188] 二つのお弁当
まるしお (/) - 2014年02月16日 (日) 16時31分

「将棋をやめちゃおうかと本気で考え、履歴書を出し応募したところもあったぐらいです」

―――豊川孝弘

「私の修行回想録」(「将棋世界」1992年3月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 最初の三段リーグ。十四勝四敗の同星が三人。豊川は順位の差で涙を飲んだ。
 四段昇段者は丸山忠久と郷田真隆。二人の写真撮影場面に出くわし、悔しくて悔しくて、「しばらくは精神状態がおかしかった」という。
 そんなとき、「やめちゃおうか」と本気で考えた。

 結局思い止まった豊川だったが、次期、次々期と振るわない成績に終わる。
 そして1991年四月、四回目の三段リーグに挑む。
 六勝四敗で大阪遠征。連勝するつもりで意気盛んだったが、結果は初戦負け。次は勝ったもののがっくり肩を落とした。

 帰路、名古屋の料理屋に寄った。知り合いの準棋士がいて、その知人が経営している店だ。

 「次の日、帰るときにそのお店の奥さんが、僕がお金を持っていないのを知っているから、お弁当を二つ作って、『頑張りなさい』と渡してくれたんです。将棋以外の人に温かくされて、なんだかジーンとくるものが体中にみなぎった」

 以後、豊川孝弘は三段リーグを全勝で突っ走り、十月一日付けで晴れて四段になる。
 二十四歳のプロ入りだった。

 お弁当を二つ。
 貧乏な奨励会員に、一つではなく二つ。その心遣いが豊川を奮い立たせたのである。

Pass

[2196]
さっちん (/) - 2014年02月17日 (月) 09時06分

>お弁当を二つ。

おいら この手の話に弱いのよ!

 その奥さんすてきやなあ うちの嫁とはえらい違いや

豊川さん これからも頑張りマンモス

 

Pass

[2209] 推薦入学の次男
まるしお (/) - 2014年02月17日 (月) 17時18分

「要するに中年はね、金に追われるとね、将棋指していられないんですよ」

―――山口英夫

炬口勝弘「中年棋士のきのう、きょう、あす」(「将棋世界」1993年2月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 昭和四十五年、第一回新人王戦で山口英夫は優勝する。そのときの賞金は十万円だったそうだ。ちょうどその頃長男が生まれ、なんだかんだで十五万円かかった。
 田舎の母は賞金が十万という低さに驚いてこう告げたという。

 「賞金は百万じゃないの? そんなんだったら、もう将棋指しやめて、帰ってこい、家の仕事やれ」

 山口、二十九歳の頃のこと。

 炬口勝弘のこの記事は山口五十一歳のときのインタビューで構成されている。山口、当時C2所属、降級点2。
 長男は法政大学の法科、次男は日体大でラグビーを。
 その次男が推薦で大学に入ったことが山口の自慢だ。
 入学金ゼロ、特待生なので授業料もゼロ。
 しかし食費などで月十万はかかる。もっと出してやりたいんだが、それができない。

 「中年はある程度、貯えが必要なんですよ、それでないと将棋がね、駄目になりますよ」

 持ったものは全部使ってしまう。そんな自分はバカ者で、女房を泣かして申し訳ない――そう自戒する山口。なんとか子供が大学を卒業するまでは頑張りたいと漏らす。

 行きつけの酒場で、女性支持者から、「先生、頑張ってね」と何度も言われ、指切りをする。「頑張ります、頑張ります」と返す山口。そして付け加える。

 「大学生が二人いるんですよ。下の子はラグビーやってて、推薦で入ってるんです」

 酔いを深めながら、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。

Pass

[2218]
さっちん (/) - 2014年02月17日 (月) 23時30分

>そのときの賞金は十万円だったそうだ

その当時はそんなもんだったんだ〜

 今は三百万円ぐらいだったよね。

やはり 今の棋士達は先人に感謝せねばいかんぞ。

 しかし これからは厳しくなるかもねぇ

Pass

[2236] 生活のかかっていない将棋
まるしお (/) - 2014年02月18日 (火) 18時34分

「そりゃあ、生活がかかっていないからや。その日の暮らしがかかっていたら、攻めたら勝つとわかってても、ぎりぎりまで踏み込まない。負けない手を選ぶ。昔の棋士はそうだった」

―――内藤国雄

中平邦彦「ノーサイドに涙はいらない」(「将棋世界」1993年3月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 谷川浩司竜王(三冠)と羽生善治二冠の第五期竜王戦七番勝負は、1993年一月六日、四勝三敗一千日手で羽生が竜王位を奪取。
 この激突を、「すさまじいなあ、立ったまま殴り合っているボクシングみたいだ」と言った人がいた。

 中平邦彦は、「なんであんなにきつく、ぎりぎりのすごいことができるのか」と内藤国雄九段に尋ねたところ、即座に、「そりゃあ、生活がかかっていないからや」と返ってきたという。

 なんだ、ずいぶんあっけらかんとした答えだなあ。これはいささか拍子抜け。もうちょっと奥が深い言葉を期待したのだが……。

 いやいや、しかしこれ、案外奥深いのかも。

 生活がかかっているから踏み込めない将棋。しかしそこには人生がにじむ。
 生活がかかっていないから踏み込める将棋。喝采は浴びるが、なんとなく人生は希薄。

 内藤の回答は一種の批評なのか?
 いずれにせよ、息子の寮費・食費月十万を捻出するのに四苦八苦する棋士とは全く別の世界がここにある。

Pass

[2258] 頽廃の危険
まるしお (/) - 2014年02月19日 (水) 18時42分

棋士は恥をかかないでお手当を頂く稀にみる結構な職業である。

―――内藤国雄

「棋士という職業」(「将棋世界」1992年4月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 歌手・内藤国雄の視点で将棋界を見た言葉。

 芸能の世界でもスポーツの世界でも、そこには必ず観客がいる。ヘマでもやろうものならもう大変だ。ヤジ・ブーイング・辛辣な批評。

 それに比べ、将棋の対局は非公開の奥座敷で行われる。
 仮に先後を間違えて後手番の棋士が先に指してしまっても、反則負けというだけで、対局料は出る。

 「ああ棋士になっていてよかった」

 内藤はそう書いているが、むろん反語的な表現でもある。
 「恥をかかないでお手当を頂く」ことに無自覚でいるとたちまち頽廃に陥る。その危険を匂わしているのである。

Pass

[2278] 出口だと気付くまで
まるしお (/) - 2014年02月20日 (木) 17時31分

入口が出口と同じであったと気付くのには十数年掛かる。

―――鈴木輝彦

「入口と出口」(「将棋世界」1993年5月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 入口とはC級2組のこと。
 出口とは、これもまたC級2組のことだ。

 希望に燃える新四段にとってはこれから上に上る入口。
 しかし十数年くすぶってしまうと、もはやここはフリークラスへの入口。降級点が重くのしかかる悲哀のクラスに変貌する。

 二十年以上前の記事(順位戦最終局レポート)だが、「C2病」というものがあると鈴木輝彦は書いている。「制度に対する不満で生き方まで消極的になってしまう」病らしい。

 C級2組。実に恐ろしいクラスなのだ。

Pass

[2293] 先輩からの檄
まるしお (/) - 2014年02月21日 (金) 18時23分

先崎、君は情けないヤツだ。明日などない。泣け。くやしかったら来期全勝であがってみろ。

―――神谷広志

C級2組最終局レポート(「将棋世界」1992年5月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 1992年三月に終了した順位戦C級2組。先崎学五段は全五十四人中順位六位の好位置で八勝二敗の成績を上げたものの、九勝一敗が三人いたために次点となり昇級できなかった。
 最終局には勝ったものの、前局の敗戦が痛く、「自力」が消えてしまっていたのだ。

 先崎、当時二十一歳。
 四段昇段が十七歳。デビュー後、いきなり竜王戦六組で優勝、NHK杯でもベスト8となる。
 奨励会時代は羽生善治と共に天才と言われた男だ。「元天才」の猛追が始まったかに見えた。

 それが四年経ってもC2を抜けられない。
 同年齢の羽生はこの期の順位戦でB級1組への昇級を決めているのである。

 神谷広志は先崎より十近く上だが、二月の終わりに一緒に呑み、そこで先崎の愚痴を聞く。
 しかし同席していた囲碁棋士から、「甘えんじゃねえ」と一喝されたという。

 三月、全てが終わり、またしても昇級できなかった先崎学に、「泣くな先崎、明日がある」などという平凡な慰めは何の意味も成さない。
 神谷は激烈な言葉で「将棋世界」誌上から発破をかけたのであった。

Pass

[2309] C2から上がれない先崎
まるしお (/) - 2014年02月22日 (土) 16時50分

勝負の場では、勝負と向き合うことが必須の条件。それがいやなら勝負屋なんかやらなければよい。

―――中野隆義(観戦記者)

「地獄の九回戦」(「将棋世界」1993年4月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 先崎学に向けられた言葉。
 その前年三月、C級2組から上がれず、神谷広志に檄を飛ばされた先崎だったが、結局次の期も駄目だった。この期、羽生善治はついにA級に到達している。

 中野隆義の記事は九回戦終了時のもの。
 九回戦「先崎学−桐谷広人」は、終盤で先崎劣勢になっていたが、先崎が長考の末に指した一手は「じり貧の粘り」でしかなかった。それを中野は咎める。

 「こんな、勢いのない手を指したのでは、勝負に勝てるわけがない」
 「勝負の場では、勝負と向き合うことが必須の条件。それがいやなら勝負屋なんかやらなければよい」
 「50分の時をかけて導き出した結果が、じり貧の粘りというのでは情けない。燃えろ、先崎。怒れ、先崎」

 このように、一年前と全く同じで、先崎は激しく檄を飛ばされてしまったのである。

 むしろ、この「先崎−桐谷」戦は、桐谷広人の方に期するものがあった。
 「先崎だけには負けるわけにいかない」――実はそう心に誓って桐谷はこの対戦に臨んでいたのである。

 それには理由があった。

Pass

[2316]
さっちん (/) - 2014年02月22日 (土) 21時14分

>それには理由があった

はて? なんだろう

 気になるなあ

 う〜む 先崎のやろう株屋のおっさんには負けねーとか何とか言ったとか

先崎のやろう師匠の相手をしないものだから俺が世話係になっちまったとか

先崎のやろう俺の女を寝取りやがってとか ん?これは師匠の方か

 全く見当がつかん


Pass

[2325] なにげない呟きが……
まるしお (/) - 2014年02月23日 (日) 16時37分

「このクラスで俺が指さなきゃいけないなんて、一体、順位戦制度はどうなってんの」

―――先崎 学

嶋崎信房『いまだ投了せず』(朝日ソノラマ、1995年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 なかなC級2組から上がれない先崎学。あるとき、C2のランク表を見ながら呟いた。

 「このクラスで俺が指さなきゃいけないなんて、一体、順位戦制度はどうなってんの」

 軽い冗談だが、自身への戒めであり叱咤でもあったろう。

 もっとも、「順位戦制度はどうなってんの」という気持は分からないでもない。
 「先崎、君は情けないヤツだ」と神谷広志から檄を飛ばされる一年程前、1991年三月に、彼はなんとNHK杯戦で優勝をかっさらっているのである。このときは準決勝で「現天才」羽生善治をも下している。
 さらに翌年度の若獅子戦でも優勝、竜王戦でもランクを上げてきていた。(1993年春時点では4組)

 そんなことだから、いつまでもC2で停滞する自分にいい加減腹が立っていたのかもしれない。

 しかし先崎のこの言葉がC級2組の古参棋士に知れ渡ることになる。
 いや、酒とギャンブルに溺れているという噂の先崎をかばうC2の棋士はほとんどいない。

 「優等生ぶって、何様のつもりだ」
 「C2の棋士にだってプライドはある」
 「ヤツだけには絶対負けるな」

 こうして彼は全員を敵に回してしまう。

 とはいうものの、1993年二月初旬の段階での成績は六勝二敗。先崎は結構勝っていた。
 郷田真隆王位が全勝で突っ走ってはいたが、二番手の一敗は二人。従って前期次点の先崎はまだまだ有力な昇級候補だったのである。まして、残る二戦の相手は桐谷広人と植山悦行。今度こそ昇級だろうと見る向きもあった。

 だが、その予測は粉砕された。
 粉砕したのは、C級2組十六年選手の桐谷広人であった。

Pass

[2333] 「桐谷さん」の「怒りの季節」
まるしお (/) - 2014年02月24日 (月) 17時17分

こんなクラスの男に負けて口惜しかったら、また新宿で安酒飲んで道路に寝るがよかろう。それが似合いだ。

―――桐谷広人

嶋崎信房『いまだ投了せず』(朝日ソノラマ、1995年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 1992年二月十六日、C級2組順位戦九回戦。
 その自戦記末尾に桐谷広人はこう書いた。
 「こんなクラスの男」とは桐谷自身のこと。
 「こんなクラスの男」に負けた対戦相手は先崎学。

 桐谷は先崎に対し、満天下の元、激烈な言葉を吐き捨てたのである。
 それは、「このクラスで俺が指さなきゃいけないなんて」という言葉に対するお返しのカウンターパンチだった。

 桐谷広人、四十三歳。C2順位は五十五人中四十二位で、このときまで三勝五敗。降級点も心配になる星。
 一方、先崎学は二十二歳。順位三位で、六勝二敗。
 周りはとんだ番狂わせと見たが、桐谷の異様な闘志が勝った。先崎の昇級は意外な伏兵に阻まれたのである。

 株主優待券生活で有名になり、その穏やかな笑顔が世の人々を和ませている「桐谷さん」。
 その桐谷さんがかつて、

 「こんなクラスの男に負けて口惜しかったら、また新宿で安酒飲んで道路に寝るがよかろう。それが似合いだ」

 ――こんな激烈なことを雑誌に書いたのである。
 桐谷広人にもこういう怒りの季節があったのだ。

 将棋の棋譜でーたべーす「先崎学五段 vs 桐谷広人六段」順位戦C級2組九回戦(1993.2.16)

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[2345] 「天才の蹉跌」その後
まるしお (/) - 2014年02月25日 (火) 17時26分

天才、いまだに健在なりと豪語するためにも、先崎は立ち上がらなければいけない。

―――嶋崎信房(作家)

『いまだ投了せず』(朝日ソノラマ、1995年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 この『いまだ投了せず』は1995年三月三十日の出版。この中の「天才の蹉跌」が先崎学について書かれたもの。C級2組に七年間も停滞している「天才」を追ったルポルタージュだ。

 C2五期目の九回戦で桐谷に負けて昇級の望みを絶たれた先崎は、最終戦も植山悦行に敗れ、結局六勝四敗。順位を大きく落とすことになった。
 次の年は奮起して九勝一敗の好成績をあげたが、前期の最終二連敗が響いた。頭ハネを食ったのである。
 結局このクラスに八年、ようやくC1昇級を決めたのは1996年三月である。本書出版のちょうど一年後だった。

 C1最初の年は八勝二敗。惜しくも連続昇級を逃したが、翌年は九勝一敗でB2へ。翌年はB1、その翌年、2000年三月にはついにA級入りを果たす。

 「君は情けないヤツだ。明日などない。泣け」
 「燃えろ、先崎。怒れ、先崎」
 「立ち上がらなければいけない」

 さんざん発破をかけられた先崎学は正に立ち上がったのである。

 ただし、先崎のA級は二期で終わった。現在のB2はすでに八年目。まさかここが永住地ではないはずだ。そして、今年度は絶好の復活チャンスだったのだが、前回の敗戦が痛かった。
 最終局は三月十三日。「自力」はなくなっているが、ファンは必死で声援を送っているはずだ――「燃えろ、先崎。怒れ、先崎」と。

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[2353] 知らなかった
さっちん (/) - 2014年02月25日 (火) 20時24分

先崎 学といえば 口は達者で筆も立つ

 とんとん拍子に昇級した天才タイプで苦労知らず

と思っていましたが 8年もC2にいたとは・・ 驚いた!

 佐藤九段や郷田九段に水を開けられたのは 

 てっきり酒と女とギャンブルのせいかと

 NHK杯戦で神吉七段との掛け合い漫才風将棋解説は面白かったにゃ

 


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[2364]
棒銀王子 (/) - 2014年02月26日 (水) 01時36分

「これからLPSAに残る女流棋士達は、新体制の元、新たなる道を歩き始めるのでしょうが、それが茨の道になろうとも、現執行部は助ける道はありません」

異常性すら感じる発言内容もさることながら、退会する当日に「文責・代表理事 石橋幸緒」と明記するところがまた凄い。
これはもう、生ける怨霊としかいう他はない。

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[2367] 本館にどうぞ
さっちん (/) - 2014年02月26日 (水) 09時16分

ふ〜む

 五寸釘を藁人形に打ち付けるような怨念じゃな

  これは 正常なのか?

 ここは異常性を感じさせるような発言を取り上げるスレではございませんよ!

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[2373] 美しい光景
まるしお (/) - 2014年02月26日 (水) 19時05分

「夫の好きな将棋を勉強して、老後、主人と一緒に指せたらきっと素晴らしいだろうなぁ」

―――小堀富貴子(最初の女性将棋普及指導員)

寺下紀子「女性普及の現場」(「将棋世界」1993年3月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 小堀富貴子さんは1978年(昭和53年)、将棋会館の女性教室に入会した。当時四十五歳。入会の動機は、

 「夫の好きな将棋を勉強して、老後、主人と一緒に指せたらきっと素晴らしいだろうなぁ」

 というものだった。

 各種のサークルや女性教室に通い、だんだんと上達。講師の手助けをするようになっていく。
 そして1989年(平成元年)、はじめての「女性将棋普及指導員」に選ばれるのである。当時五十六歳。

 そのときからもう二十五年ほど経つ。
 御存命ならもう八十歳を越えている。

 「お爺さん、今日も一局指しましょうかね」と、御主人と盤を挟む安らかで美しい光景を私は想像する。

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[2379] いい話だ!
さっちん (/) - 2014年02月26日 (水) 20時55分

くっそ〜 いい嫁はんやなあ 羨ましいぞ!

家のとは大違いだ

 おいらの嫁は (また将棋やってる いったい何処が面白いの?)
口には出さねど 目がそう言っている

娘を懐柔しようとするも 上の子は失敗

 今 下の子を何とかせんと 一手詰めの特訓

はあ 指せるまでの道のりは遠い

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[2382] 石橋幸緒「自爆テロ文書」から
棒銀王子 (/) - 2014年02月26日 (水) 22時15分

私は昨年から、「中途で投げ出すことは出来ないから、苦しくなろうとも理事は続ける。次期も理事をやる!」と内部で公言しておりました。


へ〜、理事が「続ける」と言って、それを会員が拒めば「クーデター」になるんだ?知らなかったwww
もちろんその団体のルールに拠らない手段でその座を追われたらクーデターですが、そんな事実があったという証拠は、このグダグダ冗長な文書のどこを探しても出てこないのであったw

いやあ「迷言」にツッコミ入れて笑うのはフツーにありでしょ。
そういう意味では石橋幸緒というひとは、笑いの種をたくさん遺していかれたのだな、と思いますわ。

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[2396] 義にもとる
まるしお (/) - 2014年02月27日 (木) 18時26分

「好きな棋士は中原さんと加藤さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね」

―――西部 邁(評論家)

「棋士交遊アルバム」(「将棋世界」1993年3月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 西部邁は保守の論客。対談相手は勝浦修九段。二人は共に北海道の出身。
 勝浦が新宿の酒場で飲んでいたら、隣に偶然西部がいた。勝浦は西部の出演する「朝まで生テレビ」という討論番組をよく見ていたので、サインを所望した。
 すると、

 「何をおっしゃる、私こそ」

 西部はそう言って逆に勝浦のサインをねだったそうだ。
 実は将棋ファンで、テレビ将棋は欠かさず観るという熱心家。勝浦の解説が好きなのだとか。

 「言葉の世界は多少デタラメでもいいんです。あとで言い逃れがきくからね。その点、将棋ははっきりしていていいね」

 おやおや、論客がこんなこと言っちゃっていいのかしら。
 しかしながら、中原誠と加藤一二三に対し、「この人を好きにならないと、義にもとる」と言い放つとは、さすが、本領発揮か。

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[2408] 早逝した母
まるしお (/) - 2014年02月28日 (金) 19時27分

私はいつも母の乳房を触っていた。その柔らかい感触がいまでもてのひらにのこっている。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 二上先生もぎょっとするようなことをお書きになる。

 『棋士』は「日本経済新聞」に連載(2000年)した文章をまとめたもの。執筆時は六十八歳。
 その年になっても母の乳房の感触が手のひらに残っているというのである。

 二上達也は末の息子。上に七人もいて、女女男女女女女と生まれ、最後が達也だった。
 姉たちのままごと遊びに付き合っているうちに、知らず知らず語尾に「わよ」を付けて話すようになっていたとか。

 そんな二上少年だったが、小学校入学の翌年、母と別れることになる。四十八歳で亡くなってしまったのだ。

 二上少年の手のひらに柔らかい乳房の感触を残し、母は旅立っていった。
 そしてその感触は六十年経っても消えない。

 美しいではないか。

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[2420]
棒銀王子 (/) - 2014年03月01日 (土) 21時28分

迷言といえば、やっぱりこれでしょw

http://blog-imgs-60.fc2.com/m/a/g/maguromeijin/20140227052216258.png

原文はこちら
http://maguromeijin.blog54.fc2.com/blog-entry-73.html?sp

しかしこういう狂った考え方が組織に悪影響を及ぼすから代表の座を追われるのに、わざわざ最後の日に「代表として」「当協会の意図」とか発言するという発想は、まさに狂人そのものですなあw

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[2446] 叶わなかった免状
まるしお (/) - 2014年03月04日 (火) 19時16分

「父と義父の二人にね、初段の免状あげたいなと思ってたんですね。名人高橋道雄と書いてですね。一番心配かけたので」

―――高橋道雄

炬口勝弘「地道流・天翔る夢」(「将棋世界」1993年5月号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 1992年の名人戦。三勝一敗と中原誠名人からリードを奪った高橋道雄挑戦者だったが、まさかの三連敗を喫し、夢は潰えた。

 妻の父親はもともと将棋はあまり知らなかった。しかし娘の夫が棋士ということで熱心になり、この頃にはいっぱしの将棋通、棋力もそこそこある。腰痛の高橋を会館まで車で送ったりと、熱心に応援してくれていた。

 高橋が名人挑戦ということで、大盤解説会場にも足を運び、一手一手を熱く見守る。
 もっとも、気になることもあった。
 当時の高橋はヘルニアと診断されるほどで、周囲には隠していたものの、義父にはそれが心配だった。
 しかし、三勝一敗。これはいけるかと大いに期待したものの、逆転で防衛されてしまう。

 「いい夢、見さして貰いました」――これが義父の言葉だった。

 一方挑戦者高橋も、「名人・高橋道雄」と書いた免状を義父にあげたいという夢を描いていたのである。

 挑戦する側の二つの美しい夢が交差し、そして消えていった名人戦であった。

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[2456] 毒薬勝負
まるしお (/) - 2014年03月05日 (水) 21時49分

「盤の下に毒薬を置いて、負けた方が飲むというような勝負をしてみたい」

―――升田幸三

東 公平『升田式石田流の時代』(河出書房新社、2000年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「負けても死ぬるわけでない」と対を成す升田幸三の言葉。

 東公平によると、升田は死を恐れない男だったという。それは六年間の戦地体験による。
 兵隊に取られ、最前線で生死の境をさまよった升田は、帰還後、「将棋は生ぬるい」と感じた。
 死ぬか生きるかの勝負。そのために、盤の下に毒薬を置いてはどうか――そんなことを対局中に何度か言っていたというのである。

 喩え方が具体的で、思わずぎくっとする。

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[2478] 紳士の誇り
まるしお (/) - 2014年03月07日 (金) 17時12分

「大山君を倒すには、ズルサが出てこなければ倒せないということだ。技で倒すんじゃない」

―――升田幸三

東 公平『升田式石田流の時代』(河出書房新社、2000年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 升田幸三が二上達也と対談した際、二上に直接語った言葉。昭和三十五年くらいのことらしい。
 当時二上はA級五年目。升田も二上の技を大いに評価した上で、「技で倒すんじゃない」と告げたわけだ。二上への一種のエールとも釈れる。

 では実際の「二上達也−大山康晴」の対戦成績はどうであったか。

 二上は大山と二十回のタイトル争いをした。
 奪取は王将戦と棋聖戦の二回だけである。

 東公平は二上を「紳士棋士」と表現しているが、結果的に、紳士には大山を倒すだけの「本物のズルサ」が備わらなかったのだろう。
 将棋は透明な技術で勝つものであり、「ズルサ」というようなどろどろした領域に踏み込むことを潔しとしない――これが二上の将棋哲学だったのかもしれない。

 「大山さんの負けじ魂は尋常ではなかった。私は将棋は技術の勝負だととらえていたが、大山さんは人間対人間の勝負にもちこもうとしていたのである。私の指し手よりも私という人間を研究していた」(二上達也『棋士』晶文社、2004年)

 こうして「二上達也−大山康晴」のタイトル戦は二勝十八敗という惨憺たる結果に終わる。
 しかし私は、紳士棋士のこの戦績に、ある種の清潔さと、なぜか残照のような美しさを感じてしまうのである。

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[0] 最大レス件数を超えました
システムメッセージ (/) - 2024年07月01日 (月) 12時41分

最大レス件数「100」を超えましたので、これよりレスは出来ません。

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