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O.L.作品置き場

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タイトル:決着〜Love Destination〜 アクション

――誰かに必要とされたかった。誰かの愛が欲しかった。そんな思いだけを胸に立ちはだかる、失敗作の烙印を押された異型異形の生命。自身の誇りと己の限界への探究心、そしてそれよりも遥かに強い、愛する人を守りたいという気持ちを糧に戦いに挑まんとする、人の形をした生物兵器。そんな彼女らを屠らんと歩みを進めるのは、未だ愛を知らぬ青き死神。在る者は、求める愛を得るために。在る者は、求める愛を守るために。また在る者は、求める愛が何かも分からぬまま、戦いへと身を投じていく。願うものは、三者三様にして且つ同一。戦いの果てに、彼女たちは何を得、いかなる結末を見るのか……。長らく続いたO.L.も遂に最終章! ここまできたら、もう言うことはありません! 見て、読んで、そして感じて下さい! こんなにも長く続いた作品を読んでくださった方々には、感謝してもし足りません。長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました!


……でも、もうちょっとだけ続くんじゃよ(´・ω・)b

月夜 2010年07月10日 (土) 00時23分(179)
 
題名:決着〜Love Destination〜(第一章)

――英国、SIS本部、生物兵器施設連絡通路、7/29、現地時間01:30――


――コッコッコッ……。

薄暗い廊下に、乾いた靴音が響く。
それ以外に一切の音がないここは、静謐と表現するより、不気味と言った方が適切だろう。
心なしか、この場を満たす空気さえも肌寒く感じる。
体感だけでなく、実際にここだけ、他より幾分か気温が低いのではないか。
もしくは、何か人知の枠を外れた、不可思議な物が存在しているのではないだろうか。
そんな気味の悪い想像を掻き立てる……そんな場所。
しかし、そのような薄気味悪い廊下にも、水亜は平然と足音を鳴らす。
一定間隔置きに、定まったリズムを刻み続けるその音から、怯えや動揺の類いはまるで見られない。
当然だ。
彼女は怯える側ではなく、怯えられる側なのだから。
彼女の真の顔を知る者ばかり100人集めて、この世で最も恐ろしい物は何かと問えば、間違いなく100人全員が口を揃えて答えるだろう。
この世で死神以上に恐ろしい物はない、と。
そう。
そんな彼女にとって、恐れるものなどないのだ。
現に今、グロックを片手に歩みを進める水亜が考えていることは、ただ一点。
この施設をいかに破壊し、首謀者を捕らえるかということ、それだけだ。
「ん?」
曲がり角を折れた所で、不意に水亜の口から声が漏れる。
その視線の先には、長く続いたこの廊下の終着点と思しき扉があった。

――ようやく着いたみたいね。ったく……施設同士の移動に、こんな長い廊下作るんじゃないわよ。

溜め息と共に内心密かに愚痴を溢しながら、水亜はその扉の前に立つ。
もし、またパスワード等の入室制限があったなら、今度こそ爆破してやろう。
そんな物騒なことを考えていた彼女だが、そのような思考とは裏腹に、扉はまるで彼女を迎え入れるように左右へ開いた。

――これだけ長い廊下作っておきながら、扉には何の仕掛けもなし? 用心深いんだかズボラなんだか、良くわからない場所ね。

軽く首を傾げながらも、微塵の隙も見せることなく、静かに開け放たれた扉をくぐる。
左右へと分かれる通路。
首と瞳だけを動かし、辺りの様子を確認する。
真っ白な壁に囲まれたここは、両端にある扉以外見当たるものは何もない。
問題はどちら側に進むか。
「……こっちから行こうかしら?」
しばらく悩む素振りを見せた後、水亜はそう言って右手側の扉へと歩みを進めた。
こちらを選んだことに、特に理由はなかった。
強いて言うなら、今まで進んできたSIS本部の構造から察するに、こちら側の方が未踏部分が多かったからだ。
扉の手前まで来たところで、歩みを止める。
「……あれ?」
しかし、何故か反応しない。
取っ手はなく、備え付けのカードリーダーもない。
どこからどう見ても自動扉にしか見えないのだが……。
「……ふ〜ん」
しばらく扉を調べた後、水亜は踵を返して反対側の扉へと向かった。

――もしこっちも開かなかったら、その時は強行策ね。

だが結果は、そんな水亜の予想とはまたしても真逆。
ガシュッという機械音を上げて、その扉はゆっくりと左右に開いた。
「……」
一瞬、怪訝そうに眉間にシワを浮かべた水亜だったが、直ぐに表情を平静に戻すと、扉をくぐり奥へと進んだ。
その先に広がっていたのは、少し開けた空間だった。
横長のテーブルが数台並んでおり、各々の周囲を取り囲むようにしていくつかの椅子が置かれている。
壁面四隅には一台ずつ自動販売機が設置されていた。
どうやらここは、従業員用の休憩室のようだ。
ついさっきまで何人か居たのか、空の缶ジュースや飲みかけの紙コップ、食べ残されたままのお菓子などが放置されていた。
水亜の侵入に合わせて、全員逃げ去ったのだろう。
よほど慌てていたのか、そこかしこでジュースの缶が中身をぶちまけており、その痕跡から直前までの慌ただしさが見て取れる。
扉は、今水亜が入ってきた物を合わせて4つ。
左右に一つずつと、前方に一つだ。

――さて、どこから行こうかしらね。

横目でチラッと見比べた後、水亜は左側の扉へと歩み寄った。
「……ん?」
扉の直前に立っても、まるで反応はなし。
先ほどの扉同様、取っ手も何も付いてない以上、これも自動式としか考えられないが……。

――もしかして……。

その場を離れ、正面に位置していた扉へと足を向ける。

――ガシュッ。

何の問題もなく開いた。
だが、水亜はその扉を一旦放置し、敢えて最後に残した扉の方へと向かった。
直前に立つ……が、反応はなし。
どうやら、自動的に開いてくれる扉は、あれだけらしい。
この事実が意味することは一つ。
「やれやれ、面倒なことするのね……」
その意向を理解して、水亜はうっすらと目を閉じ、頭を振りながらダルそうに額に手を添えた。
そう。
もはや疑いの余地なく、これは相手側の誘導だ。
その先に待ち構えているのは、間違いなく罠。
となれば、みすみす相手の策略にハマるような愚を冒す必要はない。
他のどの扉も、無理矢理開けようと思えば開けられるのだから、別のどれかを進めばいい。
普通はそう考える。
「そんじゃま、せっかく道案内してもらってるんだし、素直に従おうかしら」
にもかかわらず、彼女はその選択肢を捨て、導かれるまま開く扉を進むという決断を下した。
その理由は主に二つ。
一つ目は、今現在どこに向かえばいいのか、明確な目的地がないということ。
国家レベルの研究施設ということなら、その広さも相当なものと予想される。
そんな施設を、宛もなくいくらさ迷い歩いたところでキリがない。
それなら、敵の誘導に乗って進んだ方が、手がかりに困らない確率が高いということだ。
二つ目に、これが最も大きいのだが、彼女の自分自身に対する自信だ。
この先にどんな罠が仕掛けられていようと、そのことごとくを突破できるという自信。
普通の人間がこんなことを言えば、自惚れや自己の過大評価と冷笑を浴びること請け合いだが、こと彼女に限りそんなことはあり得ない。
いつ何時でも冷静な判断力を失うことなく、自分を含め全ての物事を客観的に見つめることのできる彼女が下した結論に、誤りはまず起こらない。
命を賭した場面でも……いや、命を危険に晒せば晒すほど、その感覚はより鋭敏さを増す。
本能的な危機察知能力と、理性及び経験測に基づく素早い状況判断力。
双方共を極めて高い水準で所持している彼女だからこそ、この一見無謀にさえ見える行動が、戦術として成立するのだ。
そんな彼女が、もし唐突に歩みを止めたとすれば、それは……。
「……」
前方に伸びる通路。
それは、数歩先から左に折れ曲がっている。
その曲がり角の部分から先は、水亜の居る場所からは死角。
当然、彼女にも見えてはいない。
だが、何かがいる。
そのことは、先ほどまで軽口を叩いていたとは思えない程、一瞬にして張り詰めた彼女の周囲の空気が、何より雄弁に物語っている。
黙したまま、グロックを握る右手はだらりと力を抜き、左手で後ろ腰の短刀を取る。
「……」
ジリジリと歩み寄り、曲がり角の直前で一旦壁に背を張り付け、相手の出方と気配を伺う。
……特に動きはない。
こちらが動くまで、自ら動く気はないということだろう。
焦れて相手が飛び出すまで待つという持久戦が、こういう場合は最も効果的ではあるが、生憎今はそう悠長に構えてはいられない以上、こちらから仕掛ける他ない。
そう思考しながら、同時に水亜は奇妙な違和感を覚えていた。
互いに姿こそ見えてはいないものの、両者の距離はせいぜい数メートル。
どちらか片方が静から動に転じれば、秒の間に肉薄できる程度の距離だ。
だというのに、相手の気配はあくまで一定。
殺意が増すこともなければ、漂う緊迫感にも変化は見られない。
と、ここで、水亜はある可能性に気付く。
今、身近に感じている気配。
これは、果たして“人間”のものなのかということだ。
ここは、生物兵器の研究施設。
なら、敵が人間だけとは限らない。
「……」

――ダッ!

そのことを理解した上で、水亜は一気に飛び出した。
構えたグロックの照準を、そこにいるであろう敵へと合わせる。
「っ!?」
それと同時に、大きく見開かれる瞳。
そこに映し出されるのは、彼女の予想にある意味では当てはまりながらも、その斜め上をいくものだった。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時24分(180)
題名:決着〜Love Destination〜(第二章)

鈍色の冷たい鉄の塊が、両腕部に装着されている機銃をこちらに向け、無機的な暗く赤い瞳であらぬ方角を見つめている。
水亜がその正体を悟るとほぼ同時に、その瞳に光が宿った。
「くっ……!」
足を踏ん張り、飛び出してきた方へと再度跳躍。

――ガガガガガガガガッ!

それから遅れること数瞬、直前まで水亜の体があった場所を、無数の銃弾が通過する。
握っていたグロックと短刀をその場に放り捨て、水亜は懐から巨大なリボルバーを取り出した。
右手の人差し指を引き金に、そして撃鉄を起こした後、左手をその補助に添えて構える。
重々しい駆動音と共に、姿を現すそいつの頭部目掛けて、水亜は引き金を引いた。

――ガアァンッ!

並の拳銃の放つ銃声とは桁違いの轟音が、吸音率の低い壁にぶつかって跳ね回り、十重二十重と重なり合って反響する。
それが消え入る頃、彼女の眼前には、頭部を砕かれたセキュリティマシンの残骸が転がっていた。
飛び散った鉄片は、あるものは砕け、またあるものは派手に折れ曲がり、もはや原型を留めていない。
「ふ〜、びっくりした。いくら生物兵器の研究施設とは言え、すごいセキュリティを敷いてるのね、ここ」
感嘆を露わにそう呟きながら、リボルバーを懐に仕舞うと、放り捨てたグロックと短刀の元へと歩み寄り、それらを拾い上げた。
彼女が先ほど用いた銃は、オーストラリア、フェイファーアームズ社が開発したもので、名をZeliska(ツェリスカ)と言う。
全長550ミリ、重量は6キロという、もはや拳銃と呼んでいいのかどうかさえ定かではない、超巨大なリボルバーである。
リボルバーと先述はしたが、それはあくまで形状。
使用する弾薬がライフル弾であることを加味すると、携帯できる小型のライフル銃と取れなくもない。
しかも、先ほど放った銃弾は貫通力の高い徹甲弾。
破壊力という一点のみで見たなら、対戦車ライフルのそれに匹敵する。
だが、そんな拳銃離れした特質上、色々とデメリットも存在する。
まず第一に、ライフル弾の発射を可能とするための銃身、銃口や弾倉など、細かい部位まで全てハンドメイドなので、価格が数百万円とあり得ないほど高額であること。
また、先に対戦車ライフルに匹敵する破壊力を誇ると述べたが、それはあくまでも近距離においてはという限定条件が付く。
いくら全長が550ミリと、普通の拳銃に比べて長いとは言え、銃身の長さはせいぜい350ミリ前後。
ライフルと比較すれば半分くらいのものだ。
それでは当然射出に十分の長さとは言えず、必然的に標的が遠ければ遠い程、威力は著しく低下してしまう。
だが、やはり一番の問題点は、そのサイズと重量だろう。
携帯できるサイズとしては限界ギリギリに近い上、6キロという重さのせいで小回りは利かず、射撃の反動こそ小さいものの、対人戦闘の撃ち合いにおいてはまるっきり役に立たない。
とはいえ、特殊な状況下では極めて有用でもあり、いかなる時と場合にも対応できなくてはならない水亜にとって、この銃はなくてはならない武装の一つである。

――それにしても参ったわね。こんなのがそこら中を歩き回ってるとしたら、時と場合によっちゃグロックとか短刀じゃ太刀打ちできないわ。

内心密かにぼやきながら、破壊したセキュリティマシンの傍にしゃがみ込む。
武装はどうやら両腕の機銃のみのようだ。
巨大なドラムマガジンから、直接垂れるような形でベルト状に弾倉が連なっているこの形式は、回転式機銃、つまりはガトリングガン独特のものだ。
大量の弾丸を絶え間なく撃ち続けることができ、制圧力に長けた銃だが、弾倉が回転を始めてから実際に射撃が開始されるまでに若干のタイムラグがあるのが難点。
さっきもこのラグのおかげで何とかかわすことができたが、もしこれが普通のマシンガンだったら危なかったかもしれない。

――念のため、ここからはこいつとグロックの二丁拳銃で行こうかな。

右手にツェリスカを、左手にグロックを持つ。
「……」
と、ここで何を思ったか、水亜は左手のグロックを無造作に構えると、あらぬ方向へと引き金を引いた。

――ガンッ!

短い銃声。
「痛っ……」
射撃の瞬間、一瞬表情をしかめた水亜だったが、それは直ぐに普段の落ち着きを取り戻した。

――さすがに痛みはあるけど、これくらいなら大したことないわね。

負傷した方の手でも、グロックの引き金を引けるかどうかを試したかったらしい。
どうやら、問題はなさそうだ。
「さて、それじゃガンガン行きましょうか」
一本道の廊下を進む水亜。
より尖鋭さを増したその両の瞳には、油断や隙などは一分たりとて見つからなかった。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時25分(181)
題名:決着〜Love Destination〜(第三章)

――英国、生物兵器施設内、実験動物保管室、7/29、現地時間01:30――


耳障りな悲鳴が、怨鎖となってこだます空間。
この世のものとは思えない、異常異形な生命のるつぼ。
檻の中で暴れ、叫び続ける彼らの力の根源は、果たして苦痛伴う生への渇望か、それとも安息たる死への願望か。
どちらに転ぼうと、ここは紛うことなき地獄絵図そのものだった。
「……酷いな」
ぼそり、嘉治が呟く。
それ以外に言葉が見当たらないほど、ここには凄惨な光景が広がっていた。
床の至るところに血や体液が飛び散っており、生臭い腐敗臭と混じって、鼻をつく異臭がする。
絶え間なく鼓膜を刺激する数多の叫び声も、聞いているだけで心が病みそうな悲痛さに満ちている。
こんなところに一日中居たら、それだけで精神がどうにかなってしまいそうだ。
前後左右どこへ目を向けても、視界に入るのは大小様々な檻と、その中に閉じ込められている哀れな動物たちばかり。
全身に無数の足が生えた、百足のような胴のチョウ、頭が割れ、脳が露出したウサギ、身体中に穿口の空いたラット、血を吐きながら狂ったように鳴き続けるカナリア……何があったのか、頭部をざくろの如く破裂させて息絶えている猿の姿も見えた。
部屋の隅には動物用の飼料が、エレクターに乗せられて高々と積み上げられている。
その隣にある棚には、ガラス戸越しに色々な薬品が並んでいるのが見えた。
素人目には理解不能なものがほとんどだったが、トリカブトや青酸カリに代表される毒物も見られる。
それらの用途に関しては、言うまでもないだろう。
周囲を檻に囲まれた通路を歩いている内に、一つの扉を見つけ、嘉治は迷うことなくそれをくぐった。
「……ふぅ」
実験動物室を後にし、その扉が閉まったことを確認してから、嘉治は深く息を吐いた。
彼にとって、先ほどのような景観は初めて見るものではなかったが、やはり慣れないのだろう。
その表情には陰りが差しており、眉間に寄ったシワがその不快感の程を表している。
しばらくの間瞳を閉じ、こめかみを指で押さえつけて気分を落ち着かせる。
「……」
そしてゆっくりと瞼を開き、辺りに目を配った。
大きな書棚が列を作って立ち並んでおり、各々に隙間なく大量の本が収められている。
そこから少し離れた所には、数台のデスクとパソコンが置かれ、手前の小型の棚に、三桁は下らないであろう量のフロッピーが、区分けされて並べられていた。
見たところ、ここは研究成果の保存、及び研究用の資料室のようだ。
ここでなら、研究内容について詳しく知ることが出来るだろう……が、しかし、今真に優先すべきは、この研究施設の制圧と破壊。
調べたい気持ちは山々だが、それは全てを解決した後だ。
そう考え、足を別の部屋へと向けようとした、ちょうどその時だった。
「……ん?」
何を見つけたのか、嘉治がフロッピーの棚へと歩み寄り、区分けされた中の一角から数枚のフロッピーを手に取った。
それらの帯には“G.M.とは?”“G.M.の成功例と失敗例”といった、“G.M.”というジャンルに関連したタイトルが記されていた。

――G.M.と言うと、さっき通った滅菌室で、ここを訪れる人間は防護服着用の上、入退室時に必ず滅菌消毒を行うことが義務付けられていた場所だったはず……。

つい先ほど、SIS本部とこの施設の連絡路を抜ける前に、くぐった扉のことを思い出す。

――つまり、G.M.の研究は、入退室時共に滅菌消毒を行わなければならないほど、重要且つ危険なものだということだろう。万が一、それと戦うことになった場合、その性質をまるで把握できていないとなると、不覚を取る可能性は大いにある……。

顎に手を添え、少しの間考え込んだ後、嘉治はフロッピーを手にパソコンへと向かった。
電源を入れ、椅子に腰を下ろし起動を待つ。

――研究者カードを差し込んで下さい。

ブルースクリーン上に、そんな文が示された。
どうやら、研究者カードというものがないと、使えないよう設定されているようだ。
嘉治は再度、マンチェスターで拝借したカードを使ってみた。

――ようこそ、トラン・ウェイド博士。

アクセス許可の文章が消え、トップ画面が表示される。
白衣を看に纏った男性と、その腕で眠る、青く長い髪をもったあどけない寝顔の幼い少女。
「……」
その映像を見つめ、無言のまま彼は何を思っているのか。
彼以外の何者にも知る由はない。
知る由はないが……言葉で言い表しようのないその表情から、種々の感情入り雑じった複雑な心境であろうことは予想できる。
意図的に画面から目を逸らすようにして、嘉治は“G.M.とは?”というタイトルの記されたフロッピーを、ハードの読み込み口に差し込んだ。
その中には、いくつかのテキストファイルと画像が保存されている。
その内、一番左上に位置するテキストファイルを開いた。
新しく開いたウィンドウに、夥しい量の文字が表記される。

――G.M.とは、“Genetic Mutant”の略称である。文字通り、遺伝子を人為的に変異させた、特異な性質を持った生命体のこと。しかし、遺伝子変異体と銘打ってはいるものの、実際には異なる遺伝子を組み合わせているものが多く、生物学的見地に立てば、“Genetic Composition Creature”と表すのが正確だろう。生物兵器としての将来性は非常に高く、組み合わせる遺伝子によってその可能性は無限に広がる。但し、異種間の遺伝子を一つの生命体の中に内包させるという、生命の原理に反する行為を行うため、多くの場合拒絶反応を起こし、生まれて間もなく死に至ることがほとんどだ。その問題を解消すべく、体外受精させた受精卵に、多異種間の遺伝子を混在させたips細胞を用いるという手法を用いた。その詳細な手順等に関しては、別記“多異種間遺伝子混在生命体”の方で述べているので、そちらを参照すること。

まだ文章は長々と下に続いていたが、そこから先は専門用語の羅列で、生物学者でもない限り理解することは不可能だ。
嘉治はフォルダを閉じてフロッピーを抜き取り、次に“G.M.の成功例と失敗例”と書かれたフロッピーを差し込んだ。
こちらも、テキストファイルと画像データばかりだったが、先ほどと比べて幾分画像の量が多くの割合を占めているようだった。
こちらも、一番左上のテキストファイルを開く。

――まず始めに断っておくこととして、ここで述べるG.M.として成功した例とは、我々の望んだ通りの特性を持ち得た上で、生まれてから一定の期間生命を維持した物のみである。それ以外は全て失敗例と判断する。成功例として最も代表的なものは“Amoeba Fracture”だろう。癌化したリスの細胞にアメーバの遺伝子を組み合わせたもので、軽い衝撃で微塵に炸裂し、それぞれの肉片が触れるものを侵食、体内に取り込んで再び同じ形状を形作る。付着した先が生物だった場合、癌細胞がその生物の体内に入り込み、一日以内に全身を侵食して死に至らしめる。放っておくと無限に増殖していくように思うかもしれないが、このG.M.は酸に極めて弱く、一般的に降る雨の酸性だけで跡形もなく消えてなくなる。取り扱いにはこの上ない慎重さが求められるが、兵器としての有用性は高いと評価できるだろう。

ここで小さく区切られ、小さな画像が一つ貼られていた。
そこに写されているのは、一見可愛らしいリスの姿だった。

――これは……確か、マンチェスターの……。

そう。
嘉治がマンチェスターの施設に潜入した際、元動物園の敷地内で見かけたあのリスだ。
あれは、取り扱いを誤っての不慮な事故による惨劇だったのか、それとも何者かの悪意ある策略によるものだったのか。
今となっては知る由もない。
嘉治は再び下に続く文章へと視線を戻した。

――反面、失敗例は数え切れないほどある。遺伝子が拒絶反応を示して、生まれて直ぐ息絶えた物。遺伝子は拒絶反応を起こさなかったものの、自らの毒性に耐えられず死に至った物。生き長らえることはできたが、我々の期待する特性を得られなかった物。それら例の多い物は、画像付きで別のファイルにて解説しているので、そこを参照すること。ここでは、他に例のない特殊なイレギュラーについてのみ述べることにする。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時25分(182)
題名:決着〜Love Destination〜(第四章)

【G.M.“Fascinate - Lilith”】

最強の生物兵器という漠然とした目標に対し、我々が至った結論。それは、人を支配する力だった。人を動かし、国を動かし、世界を動かしているものは、つまるところ人間だ。ならば、そのような人間を支配し、意のままに操ることができたなら、それこそ世界最強の存在と言えるのではないか。だが、それは簡単なことではない。何かを支配するべく、それを力で押さえ付けることは不可能。更なる力で滅ぼされるのは明らかだからだ。かといって、知略謀略の類いでは、真に聡明な者を騙し続けられはしない。ならどうするか? 人間は、他の本能的、肉体的生物と異なり、理性的、精神的生き物である。その理性と精神を支配することができれば、それはもはやその人間を支配したことと同義。そう、魅了してしまえばいいのだ。人間というのは誰しも、好きな人の願いを叶えたくなるもの。時にその思いは、己の損得や大義さえも上回る。これこそ、最強の生物兵器にふさわしい。その最終形として我々が選んだ形態は、人間の女性だった。人間を心から魅了することは、人間にしかできない。そして、高い地位にある者は総じて男性が多いことを考えると、この結論は至極自然と言える。ここからは、いかにして人間を心から魅了することのできる人間を生み出すか、試行錯誤の連続だった。その過程は別記“遺伝子工学、G.M.Fascinate”のファイルに記すこととし、ここでは省略させてもらう。結果、この研究は成果を上げ、一人の女性を生み出すことに成功した。彼女の力の秘密は、その瞳にある。網膜裏にある反射板に、蛍の遺伝子を組み込むことで光を放つ。その光は相手の目の視神経を通し、人間の好き嫌いを司る脳の部位、扁桃体を狂わせる。彼女の瞳に魅了された者は、彼女を好くあまり、その言いなりになる操り人形と化すのだ。しかし、このような能力を持つ兵器を野放しにしていては、万が一彼女が我々の制御下を離れ、我らに牙を剥いてきた場合、この上ない脅威になり得る。そのような事態を避けるため、彼女にはその力をむやみに使えないよう、我々に対して用いた場合、命を落とすと暗示をかけ解決策とした。アダムと共に土より生み出された最初の女性から名を取り、彼女をリリスと呼ぶことにする。遺伝子の拒絶反応を起こすこともなく、順調に育っていた彼女だったが、ある日、この施設から行方をくらませる。以後、現在に至るまでその消息は不明。彼女の教育係だったトラン・ウェイド博士に、脱走手引きの疑惑が掛かるが、本人の否定と証拠不十分により処置はなし。また、魅了の力については、覚醒は疎か未だその訓練にさえ至っていなかった為、問題視しないこととする。今後このようなことが起こらぬよう、厳戒な警備体制を敷き……。

更に下へ画面をスライドさせていくと、一人の少女の写真が現れた。
光の宿らぬ無機的な瞳で、カメラを見つめる青い髪の少女。
病人が着せられるような、薄い青色の服の胸元には、番号の書かれた札がピンで刺されている。
容姿から察するに、このパソコンを起動した時、トップ画面に表示されていた少女にまず間違いない。
しかし、とてもじゃないが、本当に同一人物とは到底思えなかった。
あの安らかな寝顔と、この無感情な冷たい瞳が、どうしても繋がらない。
表情一つで、人の印象とはこうも変わるものか。
「……」
ここまで見てから、嘉治はファイルを閉じ、フロッピーを抜き取った。
他にも、G.M.に関する情報源は大量にあったが、とてもじゃないがもう見る気にはなれなかった。
今現在、時間を削ってまで知るべき情報は無いだろう。
そう考え、電源を落とそうと画面に視線を戻した、その時だった。
「……ん?」
開いた覚えのないファイルが、最小化されて表示されているのに気が付いた。

――何だ?

不思議に思いながらクリックしてみる。
最大化されたウィンドウには、PDFで取り込まれたと思われる、ノートの数ページが貼られていた。
所々黒く滲んだそれには、つらつらと文章が綴られている。

――本当に、これで良かったのか。私は、これを書いている今も、その答えを見つけられずにいる。お前にとって、こんな所で実験動物のように扱われる生活が、幸福であるはずがない。だから、私はお前をここから逃がした。無論、私だって一緒についていってやりたかった。まだまだ教えてやりたいことが、山のようにあった。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと……何もかも忘れて、暖かな太陽の下、お前と心行くまで遊び倒すのが、私のささやかな夢だった。だけど、私は一緒には行けない。私が傍に居たのでは、直ぐに奴等に見つかり、私は殺され、お前はまたこの地獄に連れ戻されるだろう。……もう少し待つべきだったか? もう少し、お前が成長するのを待ってからでも、逃がすのは遅くなかったんじゃないのか? そんなことを考える。だけどダメだ! あれ以上、待つことなんでできない! 日に日に心を殺し、昔の無邪気な笑顔を失っていくお前を、もう見てはいられない! すまない……私は、情けない男だ。自分の愛する者一人、満足に守ってやることさえできない……。許してくれ、リリス……いや、もうお前は、リリスなんかじゃない。お前はお前として……一人の人間として、これからは生きてくれ。それだけが、力なき父親からの最後の望みだ。……神よ。もしいるのなら、どうかお願いだ。我が愛娘に、人並みの幸せを与えてやってくれ……。

「……」
嘉治は無言でその文章を読み終え、静かにそのファイルを閉じた。
後悔、自責、懺悔……それら負の感情により記された文面は、他者への深く大きな愛情をその根源としていた。
恐らく、彼はずっと苦悩してきたのだろう。
少女を逃がす前は、逃がすべきかどうかを、そして少女を逃がした後は、本当にこれで良かったのかと。
答えのない自問自答を、彼は一体何度繰り返し、そして最終的にどのような結論を導き出したのか。
もはや知る術はない。
もしかしたら、未だに彼自身も答えを見つけられていなかったのかもしれない。
だが、一つだけはっきりしていることがある。
それは、この少女が、決して望まれない命などではなかったということ。
例え世界中から忌み嫌われようと、それでも尚味方でいてくれる家族。
少女には、それがあった。
電源を切り、静かに立ち上がる。
踵を返し、その場を去り行くその後ろ姿は、漂う悲壮感でいつもより大きく見えた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時26分(183)
題名:決着〜Love Destination〜(第五章)

――英国、スラッグ邸、7/29、現地時間02:00――


散乱した屋内。
窓ガラスは砕け散り、穴だらけの壁はその一部を盛大に倒壊させ、粉々の木材が辺り一面に散らばっている。
横倒しになった本棚からは、その衝撃で何冊もの本が飛び出し、クローゼットは扉が取れて中身が剥き出しになってしまっていた。
人の住む家とは思えないここが、つい数時間前までは何の変哲もない……玄関先を除いて、極々一般的に見かける普通の家屋だったなど、当事者以外の一体誰が信じることだろう。
「……」
そんな廃屋同然のスラッグ邸居間にて、銃痕から白い綿のはみ出すソファーに腰掛け、紗弥は不安げに瞳を揺らしながら、うつ向きがちに視線を床へと落としていた。
「はい、紗弥ちゃん。お茶だよ」
そんな彼女の元へ歩み寄り、スラッグはそっと手に持ったティーカップを差し出した。
「……」
しかし、紗弥は無反応。
目を伏せたまま、微動だにすらしない。
「……紗弥ちゃん?」
「えっ……あっ、ご、ごめんなさい……」
改めて声を掛けられ、彼女はそこで初めて、自分が呆けていたことに気付いた。
「謝らなくてもいいよ。ほら、お茶」
「ありがとう、ボブ」
差し出されたカップを受け取り、静かにそれを口元に運んで、すするようにして口内に茶を含む。
「……」
「……心配かい?」
依然として無口なままの紗弥に、スラッグが優しく語りかける。
「……うん」
小さく頷く。
その面に浮かぶ不安の色は濃く、見てるこちらが心配になってくるくらいだ。
「大丈夫。あいつなら平気さ。あんな連中に殺られるほど、ヤワな奴じゃないよ」
「分かってる……分かってるけど……」
紗弥とて理解はしているのだろう。
明神水亜……裏の世界で知らぬ者はいないほどの実力者である彼女が、そう易々と倒れたりするものか。
頭ではそう分かっていても、想いが強ければ強いだけ、その人の身を案じる気持ちも比例して強くなるものだ。
況してや紗弥は、今の今まで裏の世界になど触れることなく育ってきた、まだまだ幼さの残るほんの少女。
彼女の真の力を知らないのだから、心配するなという方が無理だろう。
「紗弥ちゃんは心配性だなぁ……それじゃ、俺があいつと初めて会った時の話でもしてあげようか?」
「あ、そういえばまだ聞いてなかったっけ。ボブって、いつ姉さんに会ったの?」
「あいつと最初に会ったのは、5年前、夏のアフリカだった」
「えっ? イギリスじゃないの?」
「あぁ、とある仕事でね。それで、とりあえず現地に慣れようと街を歩いてた時さ。夏場のアフリカなんて30℃を下回る日はないし、日中なら30後半、下手すれば40℃に達することだってないとは言えない地域だ。にもかかわらず、コートなんか着てる奴がいてな。どんなバカかと思って見てみたら……」
「あははっ、それが姉さんだったってワケね」
「そうそう。まぁ、当時の俺はあいつのこと何にも知らなかったんだけどね。正直、頭おかしいんじゃないかと思ったよ。それからしばらくして、今度は仕事中に出くわしたんだよ」
「二人とも目的が同じだったってこと?」
「偶然にもね。そこで互いに協力し合って以来の仲かな、あいつとは」
「やっぱり、その時から姉さんって凄かったの?」
「あぁ。そりゃもう、凄いなんてもんじゃなかったさ。なんてったって、一夜の内に周辺のゲリラを全部片付けちまったんだからな。あれにゃ流石の俺もビビったよ」
「へぇ〜……ねぇ、もしボブが本気の姉さんと戦ったら、勝てると思う?」
「ん〜……勝てると言いたいところだが、やり合ったことがない以上何とも言えないな。出来ることなら、戦いたくないってところかな」
「ふ〜ん……」
改めて周囲を見渡す紗弥。
この荒れようを見る限り、よほど激しい戦闘が行われたことは想像に難くない。
そんな戦闘を傷一つなく乗り越えたボブにさえ、戦いたくないと言わせしめるのだから、彼女の強さが相当なものだということは容易に連想できる。
「……あれ?」
と、何を見つけたのか、紗弥は小さく声を上げると、ソファーから腰を上げた。
「紗弥ちゃん?」
怪訝そうな眼差しを向けるスラッグをよそに、紗弥は扉の取れ掛かった背の低い棚へと歩み寄り、その隙間からこぼれ落ちそうになっている写真立てを手に取った。
そこには、笑顔のスラッグと、その腕にしがみつき、満面の笑顔を振りまく一人の少女の姿が写っていた。
「ボブ、この写真何?」
何気なく、それこそ何の悪気もなく、純粋な好奇心から紗弥は問いかけた。
「……」
刹那、スラッグの表情に微かな陰りが差す。
しかし、それはほんの一瞬。
紗弥に、その僅かな陰鬱を見抜くことは出来なかったが、彼女とて鈍感な娘ではない。
スラッグの漂わせる雰囲気の小さな違和感を、敏感に感じ取っていた。
「……ボブ?」
「ん、あぁ、何でもないよ。懐かしい写真だったから、ちょっと、ね……」
そう呟くスラッグの表情は、明らかにいつもの彼のものではなかった。

――聞いちゃいけないこと……聞いちゃったかな……。

そう思い、紗弥は棚の中にその写真立てを戻そうとした。
「……紗弥ちゃん」
「な、何?」
「それ、こっちに持ってきてくれないかな」
「う、うん……わかった」
棚へと伸ばしていた手を戻し、両手で大切にその写真立てを抱え、紗弥はスラッグの元へと戻った。
「……はい、これ」
「ありがとう」
差し出された写真立てを、スラッグが受け取る。
そこに写されている過去のワンシーンをじっと見つめる彼の瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「……」
「……」
掛ける言葉が見当たらず、黙したままスラッグを見つめることしかできない紗弥と、同じく黙り込んだまま、哀しみに耽るように写真に目線を落としているスラッグ。
そんな重苦しい沈黙を先に破ったのは、スラッグだった。
「……この娘は、俺の娘だったんだ」
「えっ!?」
「あぁ、娘とは言っても、血の繋がった娘じゃない。養子ってやつさ」
「孤児院の子を引き取ったとか?」
「いや、孤児院にすらいなかった孤児だよ。親に捨てられたのか、それとも死んでしまったのかは分からないけどね」
「……」
「で、まぁ俺が親代わりになって世話をしてた訳なんだが、俺はこんな職柄だからな。長期の海外滞在もざらにある上、危険と隣り合わせだ。とてもじゃないが、年端もいかない少女を連れていけやしない。だからそういう時は、仕方なく孤児院に預けていたんだ」
「……」
「ある日、仕事を終えて国に戻り、孤児院に彼女を引き取りに行ったら、どうやら職員の目を盗んで脱走してしまったらしくてね。俺は思い付く限り至るところを探した。孤児院の周りから、良く遊んだ公園、良くご飯を食べたレストラン、良く買い物をしたスーパー……でもどこにも彼女はいなかった。疲れ果てて家に帰ると、ソファーに横たわる彼女の姿があったんだ。慌てて駆け寄ったが、彼女は目を閉じたまま動かなかった。体を揺さぶって声を掛けると、彼女はうっすらと目を開けて、こう言ったんだ。“お父さん、お帰りなさい”ってね。……それが、彼女の最期の言葉だった……」
「っ!?」
「……そんな彼女との唯一の思い出が、この写真さ。こんなことになるんだったら、もっと沢山彼女との思い出を、フィルムに残しておけば良かったって、今も思うよ。……それ以来かな。似通った年頃の少女を見ると、何故だか無性に写真を撮りたくなるようになってね」
「……そう」
紗弥は小さく呟いた。
まさか彼に、そんな悲惨な過去があったとは、夢にも思っていなかったのだろう。
スラッグを見つめる彼女の目は涙ぐみ、同情や憐れみといった他人事の情けではなく、まるで我が事の如く悲しんでいるように見えた。

今まで、私は彼を、ただの変態みたいな目でしか見ていなかった。
でも、実際はそうじゃない。
彼は、誰より優しく、大きく、暖かい人。
そんな彼に、私はあろうことか侮蔑の眼差しを向けてしまった。
償いがしたい。
何か……何か、私にできることはないだろうか。

そんなことを考える紗弥の脳裏に、ある一つのアイデアが浮かんだ。
「……ボブ」
「何だい、紗弥ちゃん」
「あの……わ、私で良ければ……その……し、写真、撮っても……」
「……良いのかい?」
「……」

――コクッ。

恥じらいながら、紗弥は小さく頷いた。
「……ありがとう、紗弥ちゃん」
「ありがとうだなんて……べ、別にそんな……」
スラッグの感謝の言葉に、紗弥は照れ隠しをしようとお茶を一気に喉に流し込んだ。
「っ!? ゴホッ、ゴホッ!」
「さ、紗弥ちゃん、大丈夫かい!」
「ゴホッ、ケホッ! だ、大丈夫……」
……ちょっと落ち着いた気がした。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時27分(184)
題名:決着〜Love Destination〜(第六章)

――英国、生物兵器施設内部通路、7/29、現地時間02:00――


――ガアァン!

何度目かのツェリスカの銃声。
バラバラに砕け散った鉄のパーツが、床や壁面とぶつかり、甲高い音を巻き起こす。
「ふぅ……一体何台いるのよ。やってらんないわね」
弾倉から空の薬莢を取り出し、新しいライフル弾を詰め込んだ。
結構進んだけど……まだ着かないのかしら。
いい加減弾も残り少ないし、そろそろ計算しながらいかないと。
そんなことを考えながら、私は扉の前に立った。
……反応なしってことは、あっち側の扉が正解なのね。
んもう……これで二択、三択の勝率2割切っちゃったじゃない。
こういうの、つくづく運がないんだなぁ、私。
指先で頬を軽く掻きながら、反対側の扉へと向かった。
案の定、こちらが正解だったらしい。
今まで通り、扉の前に立つだけであっさりと開いた。
しかし、その先に広がる光景は、今まで通ってきた通路のどことも異なっていた。
狭い小部屋の中には、数台のモニターが設置され、左右に三台ずつ、計6台のパソコンが備え付けられている。
だが、それらのどれもが、液晶に何も映し出してはいなかった。
その更に奥には、見るからに厳重そうな扉が。
「……いよいよってことかしら?」
自然、口元に不敵な笑みが浮かぶ。
この先に何がいるのか、もちろん私は知らない。
だが、こんなにも分厚い扉の向こうに、何もないなんてことはまずあり得ないだろう。
さて、今度は何が出てくるのかしらね。
「……ま、さっきみたいのは勘弁して欲しいんだけど」
ズキズキと痛む肩口に軽く視線を流してから、私はその扉の前に立った。
今までより一段と重々しい駆動音を立てながら、鈍重な動きで扉が開く。
「……」
その向こうの景観に、私は思わず言葉を失った。
円形の広大な空間。
前後左右どこを見つめても、生い茂る草木の緑が目に止まる。
そこかしこに感じる小さな気配は、ここに生きる数多の虫のそれだろう。
天井の眩い光源は、さながら太陽。
ただの電気的な明かりとは思えないくらい、その光は強く、暖かみを感じるものだった。
私が今いるこの場所は、本当に地下施設なのかだろうか。
そんな疑問が浮かび上がってくるくらい、ここはまさに自然そのものだった。
……ただ一点、私が入ってきた扉とちょうど対極の位置にある、周囲の緑に比べてあまりに侵略的な、ドス黒い巨大な物体を除いて。
正体不明な存在には、可能な限り近づきたくはないけれど……今入ってきた扉以外に、他のルートは見当たらない。
多分、あの物体の背後にあるのだろう。
どう考えても、何らかの罠であることは、火を見るより明らかだ。
かといって、アレを避けて通ることはできそうにない。
……仕方ないか。
周囲への警戒を怠ることなく、ゆっくりとその物体へと歩み寄る。
近づくにつれて、その姿形が次第に明らかになっていく。
さっきはドス黒い物体と言ったが、実際は赤黒いと言った方が正確だろう。
いや、先に訂正すべきは、物体という表現の方だろう。
遠目には巨大な物体にしか見えなかったが、どうやらこれは生物らしい。
至るところから生えているのは、大小様々な形をした無数の足だった。
その体躯に相応しい大きさを備えたものから、中には使い道のないような矮小なものまでバラバラだ。
長く伸びる尾は、体に合わせて巨大化させた蠍のそれに似ている。
背中の翼は、降りたたまれているせいで良く分からないが、広げた時の大きさは、恐らく私が今思い描いている想像を、遥かに凌駕するだろう。
今は閉じられているが、顔と思しき場所には数え切れないほどの目があり、何だか良く分からない縦の裂け目が見える。
それも、中央に一つと、その両脇に比較的小さなものが二つと、合計三つもだ。
こんな生物は、未だかつてお目にかかったことがない。
もはや、基盤となった生物が何なのかさえ、さっぱり見当がつかなかった。

――……カッ!

「っ!?」
唐突に開いた目に、私は反射的に後ろへと飛び退いていた。
奴が全ての目を開いた時、どのようになるかは前もって予想できていたにもかかわらず、その迫力に気圧されてしまった。
私をビビらせるだなんて、少しは楽しめそうじゃない。
そんなことを考えながら、臨戦体勢を取ろうとした、ちょうどその時だった。
「……貴女が、死神ですか?」
「えっ……?」
思わず、そんな間の抜けた声が出てしまった。
ついさっきまで、何のためにあるのか分からなかった縦の裂け目だが、そこから覗ける歯や下らしきものから、それが口の役割をしていることが分かった。
「……へぇ。あんた、喋れるんだ?」
「私の質問に答えて下さい。貴女が……死神なんですか?」
無駄な会話をするつもりは一切ないらしい。
なんともつれない奴だ。
「えぇ。私のことをそう呼ぶ連中もいるわね」
「そうですか……」
そこで一旦言葉を区切った奴の背の翼が、一気に開かれる。
常人ならば、その迫力に圧倒され、それだけで気絶してもおかしくはない。
肌をピリピリと刺す強い殺気。
……やるつもりだ。
「……なら、死んでいただきます!」
「っ!」
振り回される巨大な足の一撃を、身を屈めてかわす。
次いで見えたのは、こちら目掛けて放たれる尾による薙ぎ払い。
軽く跳躍し、それを避けながらグロックの引き金を引いた。

――ガガガンッ!

立て続けに三発。
狙う箇所はもちろん、あの大量の目だ。
寸分の狂いなく、三発の銃弾が、三つの眼球を貫く……かに思えた。
「なっ……!?」
しかし、そんな予測とは全く異なる結果に、私は目を見開いた。
弾は、確かに奴の目に当たった。
しかし命中の瞬間、奴の目が大きく凹み、その反動で弾を弾き出したのだ。
常識では考えられないほどの弾力性。
グロックの貫通力では、奴の弾力を貫くことは出来ない。

――それなら……っ!

グロックを懐にしまい、ツェリスカを取り出す。
だが、射撃の暇を与えてはくれないようだ。
振り上げられた足が、私を踏み潰さんと叩き下ろされる。
大きく後方に跳び、銃を構える。
引き金にかけた指に力を込めようとしたその時、急速にこちらへと接近する何か黒い物が、視界の両隅に見えた。
それも、一つではない。
10、20……いや、もっとあるかもしれない。
あれは……羽根か!
結構速いが、動きは直線的。
避けれないことはない。
避けれないことはないが、今ここで問題なのは、これが避けなければならない攻撃なのか否か。
この量を全て回避しようと思ったら、さすがに反撃にまで手は回らない。
それを考慮に入れるなら、この内いくつかには当たる覚悟がいる。
だがもし、この羽に猛毒が仕込まれていたらそれまで。
擦過傷が致命的になる毒なんていうものは、それこそいくらでもあるだろう。
甘い考えはしない。
回避に全神経を集中する。
全てを避け終える頃には、もう次の攻撃が私目掛けて飛んできていた。
蠍の尾による刺突。
よし、これならいける。
横っ飛びに避けつつ、引き金を引いた。

――ガアァン!

一際大きい銃声と共に、唸りを上げてライフル弾が奴の眼球を抉りにかかる。
さすがに、高速回転しながら放たれる徹甲弾を弾くことはできず、穿たれた部分から夥しい量の血液が溢れだす。

――ガアアアァッ!!

人間の言葉とはかけ離れたその絶叫は、怒り狂う猛獣の咆哮そのもの。
その怒号だけで、肌がビリビリと総毛立つ。
臨戦体勢を取り、気を強く保っていなければ、私でも怖じ気づいてしまいそうだ。
片手から両手に構え直し、弾倉に残っている銃弾を全て撃ち尽くす。
眼球を更に4つ貫くが、まだ残りは数が知れない。
弾倉をスライドさせ、空の薬莢を捨てる。
新しく弾を装填しようと試みたところで、奴が再び攻撃体勢に入った。
その巨体を最大限に利用した突進。
だが、範囲が広いだけで、その動きはやはり鈍重。
真に気をつけるべきは、むしろ大小無数の足と巨大な尾による殴打及び刺突だ。
縦横無尽に襲い来る足は、その大きさも勢いも軌道も全てがバラバラで、せいぜい数手先までしか読めない。
傷付いていない方の半身でなら、矮小な物くらいはなんとか受け止められなくもないが、肩を撃ち抜かれている左腕では、さすがに防ぎきれないだろう。
だが、その境を見誤れば、骨の一本や二本は軽く……それどころか、下手をすると即死しかねない。
その上、不定期に突き刺しにくる尾にも気を裂かねばならず、接近した状態では防御など考えず、回避のみに専念した方が良さそうだ。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時27分(185)
題名:決着〜Love Destination〜(第七章)

何とかして一旦距離を取らないことには、弾薬の補充さえままならない。
どこかで、期を伺って一気に……

――グアアァッ!!

唸りを上げて、大きく振り上げられる足。
今だ!
足腰に神経を集中し、思い切り上方へと跳躍する。
奴の体を足場に再び前方へと跳び、背後に下り立つことでその間合いから距離を取った。
横薙ぎに襲い来る尾は屈んで避け、その隙にツェリスカのリロードを済ませる。
さて、リロードできたのは良いんだけど……今持ってる弾数じゃあ、奴の目を全部潰すのは無理ね。
第一、この先にまだ何があるとも知れないのに、ここだけで全弾撃ちきる訳にもいかない。
「……」
そこまで考えてから、チラッと背後に視線を送る。
そこには、ついさっきまで奴の体に隠れて見えなかった扉が。
……三十六計逃げるに如かずとは、良く言ったもんだし、ここは無理して戦う必要ないわね。
奴に背を向けることなく後退し、横目で扉の構造を盗み見る。
ここへ入ってきた時の扉同様、分厚く頑丈そうな扉で、こちらから開けるための取っ手やカードリーダーはついていない。
無理矢理開けようと思ったら、破壊するしか手はなさそうだ。
多分、SIS内部に侵入する際に使ったC4の残りを使えば、爆破は可能だろう。
「尻尾巻いて逃げるんですか、死神さん」
「分かる? できることならぶち殺してあげたかったんだけど、あんたみたいな化け物、まともにやり合ってたら弾がいくらあっても足りないのよ」
「化け物……ですか。貴女には言われたくありませんね」
「あら、私が化け物にでも見えるのかしら? あんた、そんだけある目は全部飾りなの?」
「……無知というのは哀れなものですね。貴女も、一皮剥けば私と同じ、醜い化け物ですよ」
……同じ?
私が、こいつと?
「……何を言ってるの?」
「いずれ分かることです。それより、私がこのまま黙って貴女を逃がすとお思いですか?」
そう言って、そいつが翼を大きく開く。
逃がしてくれる気はなさそうだ。
まぁいいわ。
なんかちょっとイラッときたし、そんなに死にたいなら、お望み通りにしてあげる。
「まったく……私が自分から退いてあげるって言ってるのに、貴女もつくづく命知らずなのね」
さっきも言ったように、こんな化け物相手にツェリスカのみで対応していては、最終的に弾切れに陥るのは明らか。
ちょっと危険だけど……やるしかないか。
ツェリスカを懐にしまい、拳を軽く開いてファイティングポーズを取る。
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ!」
その言葉を境に、束の間の会話は終わりを告げる。
広げられた翼から、突き刺すように飛来する幾多の羽。
初見の時より、その数は多い。
この量では、さすがにこの場で全て避けるのは難しい。
そう判断し、高々と跳び上がってその軌道上から脱出する。
そんな私の動きを見越していたかのように、巨大な尾が壁ごと貫かんせんばかりの勢いで私を捉える。
しかし、こちらとてその程度は予想の範囲内。
壁を足場代わりに蹴り、奴との距離を詰めつつ素早く地面に下り立つ。
そんな私を迎え打つ、無数の足による四方八方からの蹴撃。
さっきは退いたが、今回は攻めなければならない。
巨大な足の一撃は、下手に当たれば致命傷だが、密接できればその威力は激減する。
他も同様、少なからず威力は減る。
なら、ここで立ち止まって安全を求めてしまうより、一時の危険を承知で懐に潜り込むが理だ。
踏み止まってしまいそうになる足を叱咤し、渾身の力を込めて地を蹴った。
だから、左右から同時に襲いかかる攻撃を避ける手段はない。
せいぜい腕に意識を集中し、威力を多少軽減するくらいのものだ。

――ドスッ!

「ぐっ……!」
思わず漏れる呻き声。
痛みに神経が掻き乱される。
だが、前もって身構えていたおかげで、激痛という程のものではなかった。
直ぐ眼前にまで迫った奴の体躯。
機は、正に今この時だ。
懐から手榴弾を取り出し、ピンを抜いて大きく腕を引く。
腰だめに構えた腕を、正拳突きの要領で……
「はっ!」
烈迫の気合いと共に前方へと突き出した。
狙う先は、ツェリスカの銃撃で穿たれた、奴の目の穿口部。
グチャッという生々しく不気味な濁音を伴い、弾力性の高い眼球奥へと私の腕が吸い込まれる。
可能な限り奥まで抉り込み、そこで手を離す。
「――っ!?」
息を呑む、声なき声が直ぐ近くから聞こえた。
己の身に何が起きたのか、体内に残る違和感から感じ取ったのだろうが……。
「残念。もう遅いわ」
腕を引き抜き、巻き込まれないよう大きく後ろへと跳び退く。

――ドオオオォォン!!

同時に巻き起こる爆音。
内側から吹き飛ばされた肉片が、辺りに飛び散り耳障りな水音を上げる。

――グアアアアアァァァッ!!

身悶えながら絶叫する奴の顔は、その三分の一ほどが飛散し、足の数本が根本から千切れ飛び、人の顔程度はあろうかという眼球が、そこら辺にいくつも転がっていた。

――グオオオオオァォォッ! グアアアアアァァァッ!!

「あらあら、そんな獣の慟哭みたいな悲鳴ばっかり上げちゃって。痛みのあまり、人間の言葉忘れちゃったのかしら?」
懐をまさぐり、また一つ手榴弾を手に取る。
「さて、あんたがもうこれでおしまいにするって言うんなら、私もトドメは差さないであげる。だけど、もしまだやるって言うんなら、今度はその顔面丸ごと吹っ飛ばすわよ」
「……」
……正直言うと、ここで休戦といきたいところね。
今私の手の中にあるのも含めて、後炸裂型の手榴弾は残り二つ。
こいつに引導を渡そうと思ったら、二つ共使うことになってしまうだろう。
できることなら、戦略の幅を狭めないためにも、少しは温存しておきたいんだけど……。
「……お断りします」
「……やっぱりね。まぁ、そうだとは思ったわ」
溜め息が溢れる。
「私は……貴女を倒さねばならないんです! 絶対に!」
「……」
強い意志に満ちた声。
それは、本能に生きる獣の類いには決して見られない、揺るがない信念に支えられた人としての言葉。
彼女には彼女なりに、何か退くことのできない理由があるのだろう。
……その代償が、己の命となっても構わないほどの何かが。
だが、私とて負けられない理由がある。
この双肩に負った使命の為にも、ここで力尽きる訳にはいかない。
「……そう。だけど、あんたじゃ私は倒せない。それくらい、分かっているでしょう?」
「……まだ、私は死んではいません。やってみなければ……結果は分かりません!」
「……」
声を荒げ、無理矢理己を鼓舞激励する。
不屈の闘志と言えば聞こえはいいが、実際は負けを認めたくないが故の現実逃避だ。
どうあっても折れる気はないらしい。
……殺るしかない、か。
「……分かった。しっかり殺してあげるから、覚悟しなさい」
手榴弾を手に、軽く膝を曲げて駆け出す体勢を整える。
翼を広げ、迎え打たんとする意を見せてはいるものの、先ほどより圧倒的に受け手の減った状態で、私をいなせないであろうことは、彼女とて理解しているに違いない。
それでも尚、頑なに戦闘を続行しようとする彼女に対して、私がしてやれることはただ一つ。
一刻も早く、楽にしてやることだけだ。
「それじゃ……行くわよ」
そう呟き、トドメを差しにかかるべく駆け出す……そのすんでのところだった。
「やめろぉっ!!」
直ぐ背後から聞こえてきた誰かの声に、私は足を止めた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時28分(186)
題名:決着〜Love Destination〜(第八章)

――英国、生物兵器施設内部、モニター室、現地時間02:10――


「う……?」
暗転していた世界に、光が射す。
俺は……何をしてたんだ?
うっすらと靄のかかる目の前の景色同様、頭の中もぼんやりとしていて記憶が定かじゃない。
確か……そうだ、いつも通り、あいつに飯を運んで、下らない話に付き合ってやってたら、見たこともない誰か……多分ここのお偉いさんだろうな。
まぁ、そいつに話があるとか言われて連れていかれて、それで……あれ?
それからどうしたんだっけか?
……ダメだ、思い出せねぇ。
とりあえず、ここは一体どこなん……。

――ガシャッ。

立ち上がろうと力を入れたところで、違和感を感じた。
両手首と両足首に感じる、冷たい感触と拘束感。
何だ?
不思議に思い、視線を下に向ける。
「なっ……!?」
驚きのあまり、そんな声が漏れた。
ぼやけていた視界が、明確な輪郭を取り戻した時、そこには、俺の両足を拘束する鉄の足枷があった。
後ろに回されて窮屈な両手には、同じく鉄製の手錠が掛けられている。
「何だこりゃ!?」
暴れてみるが、当然外れるはずがなく、ガシャガシャという鈍い金属音がするのみ。
と、そこで、不意に視界が傾いた。
少し暴れ過ぎたのか、椅子がぐらついたのだ。
「あっ、ちょっ……」
慌てて重心を戻そうとするが、時既に遅し。
抵抗虚しく、俺は縛られた椅子ごと横に転倒した。

――ガタン!

「痛っ!」
側頭部を床に強打し、一瞬またしても視界が歪んだ。
「ってぇな〜、くそっ……」
「暴れたら危ないよ?」
「えっ?」
横転したまま悪態をつく俺に、上から声が掛けられる。
首だけを捻りそちらへと目を向ければ、俺を覗き見る一人の女の姿があった。
豊満な体型とスラッと伸びた長身に、長く緩やかな赤髪。
「お前は……」
見覚えがあった。
確かあの時、お偉いさんの隣に侍ってた奴じゃなかったか、こいつ。
「私はドミニィよ。よろしく」
そう言って、ドミニィと名乗った女はその場に屈むと、横倒しになっていた俺の体を、軽々と椅子ごと元に戻した。
「うぉっ!? ……お前、見かけによらず、結構力あるんだな」
「まぁね。こう見えても、そんじょそこらの男には負けないよ」
そう言って、ドミニィがふんぞり返る。
さっきのを見る限り、まんざら嘘でもなさそうだ。
「それにしても、一体ここはどこなんだ?」
白い壁に白い床、そして白い天井と、辺り一面彩る色彩は全て画一的で味気ない白色のみ。
見える範囲だと、空の薬品棚以外、特に家具の類いも見えない。
雰囲気的に考えても、施設の中には違いなさそうだが……。
「目は覚めたかな、フェデラル君」
背後から聞こえてきた声に、少し無理に首を捻って後ろを振り返る。
こちらへと歩み寄る白衣姿の男。
「……これは、一体どういうことですか?」
形式は問い掛け、だが語気は強く怒りを込めて、眼差し鋭く睨み付ける。
状況的に考えて、今俺がこんなことになっているのは、間違いなくこいつの仕業だ。
「窮屈な思いをさせて済まないな。だが安心してくれたまえ。君に危害を加えるつもりはない」
「謝るくらいなら、これを外してもらえませんか? 第一、どんな意図があってこのようなこと……」
「あぁ、まだ君には話していなかったな。これが理由だ」
そう言って、男は壁面上部のスクリーンを指差した。
「……っ!?」
そこに映し出されている光景に、俺は言葉を失った。
見覚えのある、黒く巨大な体躯。
そこから生える、大小様々な足。
大きく広げられた、漆黒の翼。
ほぼ毎日のように見ていたんだ、今更見間違うはずはない。
そんなあいつと対峙するのは、青く長い髪をなびかせ、巨大な銃を持つ一人の女。
「な、なんで、あいつ……あんなことを……」
「分からないの? 貴方、意外と鈍感なのね」
「……どういうことだよ」
侮蔑するかのような呆れ混じりの女の言葉に、俺は苛立ちを露わにした。
「戦ってるのよ。貴方の為にね」
「俺の……?」
「今の自分の状態を考慮に入れれば、むしろ分からない方がおかしいんじゃないかしら?」
今の俺の状態?
自分の体に視線を落とす。
両手両足を拘束され、椅子に縛り付けられている。
そんな俺の為に、あいつが戦っている……。
「……まさか、あいつ」
人質に取られている俺を、助ける為に……?
「ようやく分かったみたいね」
「っ……!」
瞬間、俺の中で弾けた怒り。
未だかつて味わったことのないほどの激怒。
それはもはや、言葉で言い表せるような範囲を遥かに越えていた。
じっとなんてしていられるか!
俺を縛る手錠と足枷を、引き千切るつもりで力を込める。

――ガタン! ガタガタン!

だが、締め付けられている部位の痛みが増すだけで、まるでビクともしない。
「くそっ……!」
「そんなに暴れたら、またこけるわよ?」
「うるせぇっ! てめぇら、汚ぇぞ! こいつを外せ!!」
怒り任せに怒声をぶつける。
「あれが終われば、その結果如何にかかわらず、君は解放する。だからじっとしていたまえ」
「やかましいっ! 俺のことなんてどうでもいいんだよ! とにかくこいつを外しやがれっ!!」

――ガタン! ガチャン! ガタガタガチャン!!

更に暴れる。
だが、椅子の揺れる音と、枷の打ち鳴らす金属音とが虚しく響くのみ。
「どうでもいいのなら、何故それほどまでに外せと暴れるのだ? 外されたとして、それから君はどうする?」
「決まってんだろ! あのバカの所に行って、止めるんだよ!」
「あの二人の戦いをか?」
「当たり前だろうが! だから外せよ!」
「無謀だな。あの場に君が行った所で、死ぬだけだぞ」
「んなこと知るか! あいつは、あんな奴じゃねぇんだよ!」

――ドオオオォォン!

「っ!?」
突如として上がった爆音に、俺は視線をスクリーンへと戻した。
顔の三分の一近くを、内側から爆破され、肉片を撒き散らしながら悲鳴を上げるそいつの姿が、そこにあった。
ノイズ混じりに聞こえてくる微かな会話。
そのほとんどは聞こえなかったが、何故かただ一文、あいつの放ったある言葉だけは、はっきりと聞こえてきた。
『私は……貴女を倒さねばならないんです……絶対に!』

――っ!?

頭に昇った血が、更に沸騰するのを感じた。
「ちっ……きしょう!! 外せ! 外せよっ! この野郎!」
「外した所で何も変わらん。無駄な足掻きだ」
「ふざけんな! んなこと勝手に決め付けてんじゃねぇよ! 俺が行くっつってんだ! てめぇにとやかく言われる筋合いはねぇ!」
「……死ぬぞ?」
「俺のことはどうでもいいんだよ! だから外せって言ってんだろうがぁっ!!」
「……」
もう、自分でも何を言っているのか、よく分からなかった。
ただ、このままじゃいられない。
あいつの……あんな言葉を聞いて、それでも尚動かずにいられるような奴、男じゃねぇ!
ここでじっとしているくらいなら、それこそ死んだ方がマシだ!
その気持ちが、何という感情によるものかさえ定かでないまま、周りも見えなくなってただ暴れ回っていた。

――カチャッ。

「えっ……」
だから、両手が突然解放された時、俺はその違和感に気付きながらも、直ぐにはその動きを止められなかった。
「そうまで言うなら行けばいい。この扉を抜けて真っ直ぐ進め。突き当たりにある扉の先が、あそこに繋がっている」

――カチャッ。

そう説明しながら、男は手錠に続いて俺の足枷を外した。
「……さっさと行け」
一方的にそう告げ、もう興味はないかのように背を向ける。
さっきまで、俺にとってこいつは、抑えがたい憤りをぶつける対象でしかなかった。
だが、今は何故か、不思議と怒りを感じない。
それどころか、何か言葉にし難い共感と言うか……腹を割って話し合った昔からの親友のような、奇妙な感覚すら覚えた。
「……何をしている? 間に合わなくなるぞ」
「……礼は言わねぇよ。じゃあな」
そう言い残し、俺は勢い良く駆け出した。
自動で開く扉を、急く気持ちそのままにこじ開けるようにして開き、突き当たりに見える扉までの道を、力の限り全力で駆け抜ける。
分厚く頑丈そうな扉だが、取っ手が付いているところを見ると、非力な学者連中でも手動で開けられるようになっているのだろう。
取っ手を叩きつけるようにして回し、体ごとぶつかりながら押し開く。
「止めろぉっ!!」
その先に広がる光景を確認するよりも早く、俺は声を荒げていた。
「……あら、貴方は……」
首を傾げる青髪の女の向こう側に、見るも無惨なあいつの姿があった。
「えっ、ガ、ガルさん!?」
俺を視認するなり、驚きの声を上げる。
そんなあいつの元へと走り寄り、俺は――

「このバカヤロウ!!」

――大声で怒鳴った。
「っ!?」
俺の激しい怒声に、その巨体がビクッと大きく震える。
「お前、一体何やってんだ!? あぁ!?」
「……そ、それは……」
「何でこんなことやってんだって聞いてんだよ!!」
「それは……ガルさんを守るため……」
「ふざけんな!!」
「……っ!!」
全てを言い切るのを待たず、俺は大声でその言葉を遮った。
「お前が俺を守るだ!? ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ! 誰が助けてくれなんて言った!?」
「……」
「俺はな、お前なんかに助けていらねぇんだよ! お前みたいな甘ちゃんの助けなんて、最初っから求めてねぇんだよ!!」
「……」
俺から目を逸らし、バツが悪そうに黙りこくる。
そんなこいつの姿を見ていると、何だかこう……イライラとは違う、やるせない思いが込み上げてくる。
「……だから、自分の命を粗末にするんじゃねぇよ」
「えっ……」
その返事には、微かな驚きの色が含まれていた。
「お前、日頃から良く言ってたよな。私は何で生まれたんだろう……私の生きている意味はなんなんだろう……って。んなもん何だっていいじゃねぇか。生きることに、大層な理由付けなんかいらねぇ。自分の生きたいように、好きなように生きれば良い。生きる目的なんてのは、その過程でいつしか自然と見付かる。生きるってなそういうもんだ」
「……ガルさん」
「だから、自ら死にに行くようなマネはするな。例えそれが、誰かを守るためだとしてもだ」
「……っく……うぅ……」
「……分かったか?」
「ひっく……いっく……は、はい……」
嗚咽を漏らし、ぼろぼろと涙を溢れさせながらも、しっかりと返事をする。
その姿は、巨大であるにもかかわらず、どこか泣きじゃくる幼い子どものようにも見えた。
「……あ、そういえば」
と、そこで俺は、この部屋にもう一人、こいつと戦っていた奴がいたことを思い出し、背後を振り返った。
だが、そこにそいつの姿はなく、既にこちらに背を向け、俺が先ほど来た開けっ放しの扉をくぐった後だった。
「……」
徐々に小さくなってゆくその後ろ姿を、俺は無言のままただ見送ることしかできなかった。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時29分(187)
題名:決着〜Love Destination〜(第九章)

――英国、生物兵器施設内部通路、7/29、現地時間02:10――


「……」
曲がり角直前の壁に背を張り付け、顔半分だけを覗かせて、先の様子を伺う。
両腕に機銃を装備したセキュリティが、無機的な赤い目で周囲を見回していた。
ちっ……目的地への最短距離を行くなら向こうなんだが……。

――ウィーン。

……仕方ない、破壊するか。
ベレッタを引き抜き、照準をセキュリティマシーンに合わせ、引き金を引く。

――ガァン!

短い銃声を上げて、発射された銃弾がそのボディ部分に当たる。
だが、これは奴を破壊する意図を持った射撃ではない。
こちらの存在に気付かせ、近寄らせるための謂わば撒き餌。
その目論見通り、緩慢な動きで駆動音が近付いてくる。
さぁ、寄ってこい。
もう少し……もう少しだ。
曲がり角から、機銃の先端が見える。
今だ!
地を強く蹴り、高々と跳躍。
その頭上を飛び越え、背後に着地する。
後は、こちらを振り返るのを待って、目の役割をしているレーザーサイトを破壊するだけ。

――ガンガン!

レンズが砕け、輝きが消えると同時に力なく両腕を下げ、動きが停止する。
よし、これでいいな。
肩から下げたホルスターにベレッタをしまい、動かぬハリボテと化したそいつに背を向ける。
奥へと進んだ先に見える自動扉。
その上部には、“G.M.変異体保管室”と書かれており、その上には“関係なき者、立ち入り厳禁!”と、赤字で記されていた。
「……」
しばし立ち止まる。
この扉をくぐるべきか否か。
少し悩んだ後、私は扉の前に立った。
自動扉を抜けた先は、またしても紛い物の命の悲鳴が渦巻く、怨鎖の空間だった。
だが、先ほど通った部屋とここは、明らかに違った。
先に見た改造生物たちは、奇形異形の生命ばかりではあったものの、その原型が何であったのか、連想することはそれほど難くなかった。
そういう意味で、まだ人智の枠内に収まっていたと言えなくもない。
しかし、ここに居るほとんど全てが、その枠の遥か外。
共通項を形容するとしたら……“グロテスク”この一言に尽きるだろう。
ドス黒い血肉に覆われた、大小様々な形状の物体が、檻の中で蠢いていた。
一部はまだ若干原型を留め、本来の外見と体表を部分的に保っているものもいるにはいたが、大半は先述したような黒い肉の塊に近かった。
その上に張り付けただけのような数多の目が、それが自然ならざるものによって生み出された命であることを、より一層強調している。
彼らが何を思い、何を考えているのか、私には分からない。
だが、耐え難い苦痛に身悶えていることだけは、その悲痛な叫び声が理解させてくれた。
こんなに苦しいのなら、辛いのなら、もう生などいらない。
いっそ、今すぐ殺してくれ。
幾重にも反響して響き渡る絶叫が、そう私に懇願しているかのような、そんな錯覚さえ覚える。
できることなら、解き放ってやりたい。
その檻から
その生から。
その苦痛から。
その絶望から。
だが、今の私にそれはできない。
そんな余裕はないんだ。
すまない……救ってやれなくて。
心の中で謝罪しながら、先へと歩みを進めて行く。
曲がりくねった檻の通路の隅に、背の低い鉄製の棚が現れた。
数段の引き出しが備えられたその棚の上面には紙が貼られており、そこには大きな字でこう書かれていた。

“使用の際は、引き出し最上段の説明書きを熟読すること”

そこに示される通り、最上段の引き出しを開く。
すると中から、ホッチキスで止められた数枚の紙の束が出てきた。
よほど使い込まれているのだろう。
紙質はよれて色褪せきっていた。
更に下の段を開く。
そこから姿を現したのは、袋に密閉された注射器たちだった。
その中は、何やら白色の液体で満たされており、それらの外装全てに貼られた紙には“説明書きは熟読したか?”と、再度の注意を促す短文が記されていた。
これは何だ?
密封パックされた注射器自体は普通でも、その中に既に何らかの薬品が注入されているものなど、今まで見たことがない。
それに、この再三に渡る厳重な取り扱い注意。
かなり特殊な薬品であることは、容易に想像が付いた。
注射器から目を逸らし、説明書きの方へと視線を落とす。

――この薬品は、遺伝子暴走覚醒状態に陥ったG.M.に対してのみ、用いることのできる薬品である。尚且つこの室内にいるG.M.に対しては、第一種危険状態になったG.M.に対してのみ、その使用を許可する。例外として、施設総責任者、G.M.研究総責任者、及び遺伝子工学博士号の免許を持つ研究者の命があったときも、使用を認可することとする。その際は、要請のあった日にち、時刻、要請者の氏名を紙に記し、その指紋印を押させること。また……

……どうやら、一枚目はこの注射器の使用を許可する状況等をまとめたもののようだ。
ページをめくり、次の紙へと目を向ける。

――遺伝子暴走覚醒状態になったG.M.は、急激な細胞分裂を起こし、それに必要な熱を体内で生産するため、極度の興奮状態から極めて攻撃的になる。ほとんどの場合、その細胞分裂は一定時間を過ぎると沈静化し、精神も安定する。しかし、度重なる暴走が起きた時等、稀に細胞分裂に歯止めが効かなくなる時がある。この薬品は、その発作を強制的に停止させ、暴走覚醒した遺伝子によって増殖した細胞を、自壊させるためのものである。これは、細胞の自己崩壊を第三者の手によって突発的に起こすという意味で、生物学的に……

……このページは、薬品の効果等を生物学的に解説することが目的らしい。
ここから先は、専門的知識のない私では読んでも理解できなさそうだ。
更にページをめくる。

――使用法は至って単純。内容液を対象に全て流し込むのみで、注入部位には一切の限定なし。但し、暴走状態にあるG.M.の攻撃性は非常に高く危険である為、即効性の催眠ガスを使い、眠らせた後投薬を試みるように。全員の室外退去後、室外側の扉脇にあるボタンを押し、催眠ガスを噴出させる。ガスの噴出終了から5分間状況を観察し、安全を確認後、薬物を注入すること。投与即効果を発揮する薬品であるが、もし投薬後一分以内に反応がない場合、直ぐに責任者に連絡を取ること。万が一、室内に逃げ遅れが発生したとしても、上記した安全が確定するまで、扉の開放は認めない。その行為によって死者が出たとしても、その処遇は不問とする。

……なるほど。
つまり、この薬品はG.M.生物の暴走を止めるためのものというわけか。
「……」
しばらく逡巡した後、数ある注射器の中から幾つかを手に取り、懐にしまった。
周囲を見渡す。
こちらへと集中する数多の視線と、言語にならぬ叫びが訴える救い。
しかし、それら全てに応えてはいられない。
許せ……。
小さく頭を下げ、踵を返し部屋を後にする。
早足でその場から離れる。
先ほどまで聞いていた彼らの悲鳴が、今も耳孔内にて反響しているかのような、そんな錯覚を覚えた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時30分(188)
題名:決着〜Love Destination〜(第十章)

――英国、生物兵器施設内部、モニター室、7/29、現地時間02:20――


「……」
「……良かったんですか?」
彼の走り去って行った方を見つめながら、私は遊樹さんにそう問いかけた。
「あぁ。あいつでは、本気の死神はさすがに荷が重い。もう雌雄は決してるんだ。別に構わんさ」
そう言って、遊樹さんはモニターへと視線を移す。
嘘だ。
そんなこと、遊樹さんは思っていない。
感情の込もっていない冷たい声色は、表面上そう装っているだけ。
本当のところは、あいつの有利不利を見ての決断じゃないことくらい、その悲哀漂う瞳を見れば直ぐに分かる。
もし、逆にあいつが死神を押していたとしても、下す判断は変わらなかっただろう。
まぁ、私としても、この展開は望むところだから、別に構わないんだけど。
脳内で鮮明にフィードバックされる、ホテルの一室で死神と向き合った時の光景。
微塵の隙も見出だせない、力みのない構え。
臨戦体勢にあるにもかかわらず、落ち着き払った冷ややかな眼差し。
そこに映し出される彼女の姿は、私が今までに戦ってきたどの相手よりも、近寄りがたい雰囲気と間合いを持っていた。
あの時は、偶然やってきたボーイさんのノックの音を利用してお茶を濁したけど……今度はそうはいかない。
私が死ぬか、奴が死ぬか、二つに一つ。
第三の選択肢など存在しない。
良く良く思い返してみれば、自身の死を予感させるような戦いなんて、一体いつ以来だろう?
……もしかしたら、今回が初めてかもしれない。
幼少期の頃から、死に物狂いの戦闘訓練はこなしてきたが、それはあくまで訓練。
常に死の危険と隣り合わせではあったが、僅かな油断が即ち死に直結するよう環境ではなかった。
SISに所属するようになってからも、対外任務は潜入捜査程度が関の山。
己の命を危険に晒すような状況に身を置いたことは、ほとんどなかった。
そんな私が、今、殺されるかもしれないという危機感を胸に、未だかつてない強敵との死合を迎えようとしている。
……怖いような、それでいて楽しみでもあるような、不思議な感覚だった。
「……ドミニィ、大丈夫か?」
唐突に、遊樹さんが私にそんな問いを投げかけた。
「え?」
大丈夫かって……何が?
何のことか分からず、反射的に聞き返す。
「体、震えてるぞ」
「えっ、あ……」
言われるまで、自分でも気が付かなかった。
私の全身が、小刻みに震えていることに。
「全然大丈夫ですよ。これ、武者震いってやつですから」
私のこの言葉は、半分事実の半分嘘といったところだろうか。
勝てるかどうか分からない敵と戦うということに、自分の力への探求心や向上心に基づく楽しみがある。
その反面、敗北が死に繋がる臨死感に恐怖がない訳ではない。
どちらの感情がより大きいのか……今の私には、良く分からない。
ただ、早鐘を打つように高鳴る鼓動が、私が今極度の緊張状態にあることを教えてくれた。
大きく、そして深く、肺の中にある空気を全て入れ換えるくらいのつもりで、深々と深呼吸をする。
一回……二回……そして三回。
……よし、心なしか大分落ち着いた気がする。
全身を襲っていた震えも止まったし、これで大丈夫。
「……ドミニィ」
「何ですか?」
「怖いなら、逃げてもいいんだぞ?」
「あ〜、いくら怖くても、それは御免被ります」
深刻な面持ちの遊樹さんに向かって、私は軽い口振りと態度で拒絶の意を示した。
「何故? お前だって、死ぬのは怖いだろう? この施設を守る必要性はないんだ。ここを捨てて逃げた所で、不利益なんてほとんどない」
「そういう問題じゃないんですよ」
そこで自ら言葉を切り、モニター越しに見える死神の姿を見つめた。
「私は、あいつと初めて対峙した時、形はどうあれ逃げました。あの場で戦うという選択肢があったにもかかわらず、尻尾巻いて逃げ出したんです。この屈辱は、あいつをこの手で倒すまで消えはしません」
「……しかし、そんなことで……」
「もちろん、理由はそれだけじゃありません」
モニターから視線を外し、遊樹さんの方へと向きを直す。
「この施設の最高責任者は遊樹さんであり、ここで行われていた研究の責任者も遊樹さんです。ならば、私たちが今ここから逃げたとしても、奴は必ず遊樹さんを狙ってきます。そうなれば、今度は私たちが狩られる側。どこに居ても、安心して寝ることさえできません。しかし今なら、奴を迎え撃つことができます。今現在の安全を買うために、将来を危険に晒すことは得策とは言えません。違いますか?」
「……お前の言うことも一理ある。しかしだな……」
「遊樹さん」
私は彼の言葉を遮り、その目を真っ直ぐに見つめた。
そして、言う。
「貴方は、私が必ず守ります……何があっても」
これは、ただの言葉ではなく、揺るぎなき決意の表明。
口にすると、それはより強固に、より頑強になって胸を満たす。
「……」
「……」
そこから先は、もう言葉など不要。
要るとすれば、ただ一言。
「……分かった」
承諾の意を示すその言葉だけで十分だ。
「でしたら、遊樹さんは後ろの部屋に下がっていて下さい。大丈夫、死神とは言えあんな手負い、軽く捻ってみせますから」
「……気を付けろよ」
「……はい」
私の返事を待って、遊樹さんは静かにその場を後にした。
さて……後は、これが私たちにとって最後の別れの言葉にならないよう、力の限りを尽くすだけね。
ちらと、モニターの方へと視線を移す。
映し出されるのはさっきの彼と例のあいつだけで、死神の姿は既にない。
恐らく、もうこちらに向かっていることだろう。

――ガシャッ。

……と、そんなことを考えている内に、もう辿り着いちゃったみたいね。
聞き慣れた機械音と共に、扉が開く。
だが、その向こうにあるべき姿は認められない。
やれやれ、警戒心バリバリね。
まぁ、敵の本拠地なんだから、それも当然かしら。
「出てきなよ。別に、何の罠もないからさ」
「……」
……ちょっとちょっと。
罠はないって言ってんだから、素直に出てきなさいよね。
別に物陰に隠れながらの銃撃戦やっても構わないけど、残りの弾薬的に考えて、そっちの方が不利でしょうに。

――カッ。

無言の空間に、不意に鳴った靴音。
それと同時に、私の赤髪とは対照的な青く緩やかな長髪を揺らしながら、青き死神こと明神水亜は姿を現した。
「お久し〜♪ ホテルで会って以来だね」
「そうね。まぁ、あんたとはどこかで決着つけなきゃと思ってたけど、やっぱり出てきたわね」
「奇遇だね。私も、あんたはこの手でぶっ飛ばしたいって思ってたから、来てくれて嬉しいよ」
「言ってなさい。紗弥を泣かせた分、あんたにも泣いてもらうから、覚悟することね。さぁ、かかってきなさい」
剥き出しにした敵意を、お互いにぶつけ合う。
これで、互いに退く道はなくなった。
決着は、どちらかの命を以てしかつかない。
だけど、私は負けない。
遊樹さんを守るためにも、絶対に負けられないんだ。
自分自身にそう言い聞かせ、私はスッと身構えた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時31分(189)
題名:決着〜Love Destination〜(第十一章)

――英国、生物兵器施設内部通路、7/29、現地時間02:30――


後ろから微かに聞こえてくる、嗚咽混じりの泣き声。
だけど、それは悲しみによる声じゃない。
聞いていると、それだけでどこか暖かい気持ちになってくる……そんな喜びにも似た響きを湛えていた。
それにしても、意外な幕切れだった。
はっきりとは覚えてないけど、数日前に紗弥と一緒に居た時、ぶつかってきた人よね、あの彼。
まさか、ここの従業員だったとはね。
それに、両手首にあった赤い痣。
多分、ついさっきまで縛られてたんだろう。
理由は、彼女を私と戦わせるための人質と見てまず間違いない。

――私は……貴女を倒さねばならないんです! 絶対に!

ついさっきの彼女の言葉が、脳内で鮮明に再生される。

――……羨ましいな。

……そんなことを思った。
たった一人、大切な人を守るためだけに、全てを忘れて力の限りを尽くすことができる。
本能と理性……使命と願望の天秤をぶち壊し、自分の想いに忠実に力を振るうことができる。
それのなんと自由なことか。
彼女からしてみれば、私なんて使命という名の鎖にがんじ絡めにされて、酷く窮屈に見えるんだろう。
私も彼女みたいに生きることができたなら……。
……なんてこと、いくら考えても仕方がない。
叶うはずのない自分の“If”の姿に想いを馳せることは、誰だってある。
だけど、そんな空想に囚われ過ぎてしまっては、ただの愚かな夢想人、現実逃避でしかない。
私は私で、彼女は彼女。
容姿も立場も考え方も、何もかもが違う別の生き物。
だから、私は私として、為すべきことを為すだけ。
それこそが……私の存在意義なのだから。
……よし、落ち着いた。
これでいい。
己の生き方に迷うなんてこと、日常の最中でいくらでもできる。
今の私に、そんな暇はないんだ。
顔を上げ、真っ直ぐに前を見つめる。
突き当たりにある扉。
彼があの場に来た時、恐らくそこまでの道程を、全力で駆けてきただろう。
それにしては息は上がっていなかったし、汗をかいてもいなかった。
そのことから考えると、彼が拘束されていた場所は、あそこからそう遠くない。
目の前のこの扉の向こうが、件の部屋という可能性だって十分にある。
「……」
少しの間立ち止まって悩んだ後、私は扉が開く位置まで歩み寄ってから、直ぐ側の壁に背を張り付けた。
息を殺し、慎重に中の様子を伺……。
「出てきなよ。別に、何の罠もないからさ」
……おうとした矢先、いつかの楽観的な声が、そんな私の行為を嘲笑うかのように響いてきた。
何の罠もない……か。
多分、その通りなんだろう。
もし罠を仕掛けてあるのなら、何のことはない。
私がその罠にかかるのを、ただ息を潜めて待っていればいいだけのこと。
わざわざ、私に自分の存在を知らせる必要はない。
普段なら、このような提案など一蹴し、持久戦に持ち込んでいるところなんだけど……残りの弾薬を考慮すると、それはあまり得策とは言えない。
かといって、肉弾戦になれば、それはそれでやはり肩の傷が響いてくるのは間違いない。
さて、どうしたものか。
正直なところ、どう転んでも展開はこちらに不利だ。
しかし、そこを敢えて効率的に考えるなら……近接格闘の方が、まだ芽はあるか。
……仕方ない、乗ってやろう。
そこまで考えてから、私はようやく姿を現すことを決めた。
「お久し〜♪ ホテルで会って以来だね」
扉をくぐった私を、いつぞやの絡まれ女こと、ドミニィが笑顔で迎え入れる。
なんの警戒もなく部屋の中央に立つその姿からは、余裕ささえ感じ取れた。
……何か、無性にイラッとするわね。
「そうね。まぁ、あんたとはどこかで決着つけなきゃと思ってたけど、やっぱり出てきたわね」
そんな些細な怒りは押し殺し、適当に返事を返しながら周囲を見渡す。
真っ先に視界に入ったのは、壁の上部にあるモニターだった。
そこに映し出される、さっきまで私が目の当たりにしていた光景。
どうやら、あちらさんはあのモニター越しに、こちらのことを観察していたようだ。
何とも姑息なマネをする。
再び、辺りに視線を配る。
こざっぱりとした空間で、拳を交えるには十分広いと言える上、例のモニターを除けば、両脇に立つ棚以外特には何も見当たらない。
いざとなったら、あの棚を横倒しにして遮蔽物にするくらいしかなさそうだが、そんなものは一時しのぎが関の山。
あいつが手榴弾を携帯してたら、そんな一時さえ凌げない。
先に大きな隙を見せて、相手に銃を抜かせた方が負けることになりそうだ。
「奇遇だね。私も、あんたはこの手でぶっ飛ばしたいって思ってたから、来てくれて嬉しいよ」
「言ってなさい。紗弥を泣かせた分、あんたにも泣いてもらうから、覚悟することね。さぁ、かかってきなさい」
私の挑発的な言葉に、奴が軽く身構えて応える。
それを受けて、私も静かに両腕を胸元まで持ち上げた。
「……」
「……」
無言の時。
辺りに漂う一触即発の空気の中、私も奴も、そう易々と動こうとはしない。
いつぞやのホテルの時もこうだった。
あの時は、たまたま部屋を訪れたボーイのおかげと言うべきかせいと言うべきか、戦闘になる前に丸く収まったが……今回はそうはいかない。
邪魔者は一人といないこの空間、一度動けば、どちらかが動かなくなるまで、止まることはない。
問題は、どちらが先に動くかだが……。
「……いつまでそうやってるつもり? 来ないのかしら?」
「別にどっちでもいいんだけど、こっちから攻めてもいいの? 手負いのあんたに、先手を譲ってあげようかなって思ってたんだけど」
……なんだって?
先手を“譲って”あげる?
この私に対して?
……言ってくれるわね、この女。
私の正体を知っておきながら、そんな戯けた事を言ってきたの、もしかしたらこいつが初めてなんじゃないか?
「……上等じゃない。どうなっても知らないわよっ!」
その言葉を最後に、一転、静から動へと転ずる。
腰だめに構えた右正拳を、体重と加速度を乗せて真っ直ぐに放った。
単純だが重い一撃。
これを前に、奴がどういう対応を取るか。
具体的には、正面から受け止めるのか、それとも受け流すなりなんなりして避けるのか。
「……っと」

――バシィッ!

掌を打つ乾いた音が部屋中にこだます。
なるほど、こうも容易くこれを防いでくるってことは、結構力はあるみたいね。
左手を素早く後ろ腰に回し、愛用している短刀を握り締める。
引き抜く勢いで、そのまま奴の首を刈り取りに行く。
「おぉっと」
軽く上体を後ろに反らし、際どいところで白刃の描く軌跡上を離れる。
だが、そう易々と逃がしはしない。
「はっ!」
返す刃でもう一度斬りかかる。
狙う部位は、先ほど同様首だ。
「よっ」
今度は後ろに跳び退き、少し距離を開けてくる。
直ぐ様、短刀を持つ左手から右足へと意識を移し、奴の側頭部へと回し蹴りを放つ。

――ガッ!

立てた腕でそれが防がれる。
よし、予想通り。
軸足一本で跳躍し、背面方向に体を回しながら左足を奴の上部へと持っていき、踵落としの要領で頭部に蹴撃を放つ。
「甘いよ」
が、奴は襲い来る左足になど目もくれず、最初に受け止めた私の右足を力任せに払い飛ばしてきた。
「ちっ……」
思わず舌打ちが溢れる。
悔しいが、これは最善策だろう。
受け止めるには重く、かといって無理に避ければ、その後に続く連撃に対応できない。
ならば、受け避け云々以前に、攻撃できなくしてしまえば良いという訳だ。
直ぐ眼前にまで攻撃が迫ると、ついついそれに目が行きがちだが……瞬時の判断力も相当なものらしい。

――それなら……っ!

右手を地に付け、腕一本で倒立状態を保ち、再び蹴りつける。
しかし、今度はお世辞にも強いとは言えない軽い蹴り。
軽々と腕で弾かれる。
だが、これでいい。
左手に握っていた短刀を、手首のスナップを効かせて投擲する 。
「遅いね、それじゃ」
しかし、それも簡単に白刃を取られて終わり。
腕に力を込め、一旦距離を取りつつ体勢を立て直した。
「結構やるじゃない。普通の人間なら、軽くニ、三回は死んでたんだけど」
「普通の人間なんかと一緒にしないでもらえる? せっかく一方的に攻めさせてあげたのに、この程度だなんてがっかりだよ」
「安心しなさい、今のは簡単な小手調べよ。次からは本気でやってあげる」
「そりゃ良かった。もしこれが本気だったなんて言ったら、興ざめもいいところだもの」
「……口の減らない女ね。いつまでそんな余裕ぶっこいてられるか見物だわ」
「あんたが死ぬまでじゃない? とりあえず、これは返しとくわね」

――ヒュッ。

「あら、返してくれるんだ?」
手を逆手にして、投げ返された短刀の柄を直接掴む。
「えぇ。私もおんなじの持ってるから」
そう言って、奴が懐から似たような短刀を取り出した。
「へぇ、本当にそっくりね」
「そっくり、ねぇ……クスッ」
不意に、ドミニィが顔を僅かに伏せながら、含み笑いを漏らした。
まるで、私を嘲笑するかのような笑い。
こいつ、さっきから見てるだけで腹立たしいわね。
「……何がおかしいの?」
「そりゃおかしいよ。私はおんなじって言ったのに、その矢先あんたってばそっくりだなんて言うんだもん。見当違いも甚だしいわ」
「……それ、どういう意味?」
「さぁ? 頭付いてるんだから、自分で考えてみたら? もっとも……」
そこで、奴が伏せていた顔を持ち上げる。
口元が形作る不敵な笑みと、鋭い殺意の光を放つ瞳。
「……そんな時間、あげないけどね」
……来る!
口をつぐみ、奴のいかなる攻め手にも反応できるよう、守りの体勢を整える。
と同時に、奴が動いた。
先の私同様、前方へ駆けながら、勢いを乗せて放つ左の正拳。
奴はこれを正面から受け止めたが、私は右手で外側へと逸らし、その流れで左に持った短刀で斬りつける。

――キィン!

刃と刃のぶつかる、甲高い金属音。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時31分(190)
題名:決着〜Love Destination〜(第十二章)

私の斬撃を短刀で受け止めながら、奴は突きを受け流されたにもかかわらず、突進する勢いを弱めようとはしない。
その狙いが何であるかくらい、直ぐに分かった。
鼻先に頭突きか。
単純だが、直撃した時の威力は侮りがたい。
手で防ぐのは間に合わないし、かといって避けるにもいささか無理がある。
私は、ほとんど反射的に頭を下げ、奴の額に自分の額をぶつけた。

――ゴッ!

そんな鈍い音が、鈍器で殴られたような痛みを伴って頭蓋に響く。
「くっ……」
一瞬、視界が揺らぐ。
全ての輪郭がぼやける中、奴が蹴りの体勢に入っているらしきことが、朧気ながらも理解できた。
さっき奴がしたように、腕を立ててその蹴りを防ぐ。
瞬間、未だ歪な視界に、奴が体を捻るのが映った。
先ほど、私がしたことと同じことをしようと言うのか?
バカな奴だ。
その攻めに対する受け手は、ついさっき自分で示して見せたじゃないか。
左腕に力を込め、今止めている足を弾き飛ばす。
「……っ!?」
そこで気付いた事実。
奴の蹴りは、私が放った斜め上部からの踵落としではなく、真横からの薙ぎ払い。
これでは、バランスを崩すことはできない。
狙いは、負傷している私の左肩。
この勢い……防ぎきることはできないだろうし、もし直撃するようなことになれば、最低でも悶絶は必至。
そんなことを考えるより遥かに早く、ほとんど本能的に、私は蹴りと反対方向へ跳んだ。

――ドスッ!

「ぐぁっ……!」
肉を穿たれるかのような激痛が左脇腹を襲う。

――ダァン!

「がはっ!」
その痛みを感じる頃には、壁に激突した右半身が悲鳴を上げていた。
痛みに負け、折れそうになる膝に力を込めて、足が地に付くなり即座に駆け出す。
奴が体勢を立て直すより先に、一気に攻め立ててやる!
「っ!?」
初めて、奴の顔に驚きの色が浮かんだ。
あれほどの一撃を打ち込んだのだから、しばらくは動けないとでも思ったのだろうか。
バカな。
あの程度で、私の動きを止められるはずがない。
慌てて立ち上がる奴目掛けて、思い切り拳を突き出す。
避けられれば蹴りを、受けられれば短刀を。

――息つく間さえ与えずに!

――呼吸さえ忘れる程に!

――僅かな間髪も入れず!

――微塵の絶え間もなく!

体の命じるままに、ひたすら攻撃を続ける。
「くっ……!」
防戦一方な今の状態に危機感を覚えたのか、私の打撃を腕で弾き、奴が無理を押して反撃を試みる。
だが、それはむしろ逆効果。
しっかりとした体勢から放たれた一撃でなければ、威力も速度も不十分。
それではかえって隙を生むだけ。
こと相手が実力者となれば、尚更だ。
少し体を横にずらしてかわし、伸びきった腕を掴んで思い切り引っ張る。
重心がぶれ、バランスが崩れたところを見計らって、足を払い飛ばした。
「あっ!?」
驚きの声が上がるが、もう遅い。
支えを失い、私の方へと倒れ行くだけのその体目掛け、下方からは胸部を狙った膝打ちを。
そして上方からは、逆手に持った短刀を首へと降り下ろす。
避ける手段はない。
殺った。
そう思った次の瞬間、奴は思いがけない行動に出た。
「っ!」

――ガシッ!

目の前まで迫り来る膝を前に、奴は防御を捨てて、私の腰にしがみついてきたのだ。
膝で腹部を強打する……が、奴もその程度で怯みはしない。
そして、私の体に絡めた腕を支点とし、払われた足の内片方で思い切り地面を蹴りつけることで、ただ倒れるのを待つだけの体勢から無理やりタックルを放ってきた。
「くっ……!」
押し倒されながら短刀を降り下ろす。
その柄を通して、肉を突き刺す感触が手に伝わる。
「あぐっ……!」
近くから聞こえてくる、苦悶を押し殺した呻き声。
だが、喉を貫くことはできなかった。
かなり深くまで突き込んだには違いないだろうが、これが致命傷になったかどうかは分からない。
とにかく、このままマウントポジションを取られる訳にはいかない。
腹筋に力を入れ上体を起こし、何より危険である背中、及び後頭部への直接的な衝撃を防ぐ。
背に刺さる短刀など意に介さず、私の腰に回していた腕をほどいて覆い被さってくるドミニィ。
無論、それをみすみす許しはしない。
倒れるより前から掴んでいた左腕をこちらへと引き込みながら、左肘をその上腕部に絡める。
そのまま力任せに外側へと曲げれば、腕の骨をへし折るくらいは簡単だ。
そんな私の狙いに気付いてか、腕を引かれた勢いに、自分から更に体重を乗せ、再び私の体を押し倒しにかかる。
その力が移る瞬間、私は自分から床へと倒れ込み、それと同時に馬乗り状態にあった足を引き抜いた。
その足を相手の腹部にあてがい、後は――

「はっ!」

――強く蹴りあげる!
そして握っていた手を放せば、相手の体は宙に放物線を描いて飛んでゆく……自分で言うのも何だが、お手本のような巴投げだ。

――ダンッ!

そんな落下音を聞きながら、私はその場に立ち上がった。
素早く背後を振り返る。
するとそこには、両の膝と手を床につき、震える足で立ち上がらんとするドミニィの姿が見えた。
「ぐっ……がはっ……」
もはや押し殺しきれない苦痛に、濁った苦悶の声を漏らす。
吐血の量から考えるに、恐らく私が先ほど突き刺した短刀が、何かしらの内臓を貫いたのだろう。
致命傷だ。
「……勝負、あったわね」
「はぁっ……はぁっ……ま、まだよ……まだ、終わっちゃ……いない……」
途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、震える腕で懐から銃を取り出す。
「……」

――ガァンッ!

私は無言でグロックを引き抜き、奴の手から銃を撃ち弾いた。
「悪あがきはそれくらいにしておきなさい。もう終わりよ、あんた」
冷たく言い放つ。
彼女自身、気付いていないはずがない。
自分が負けたことに。
そして、自分がもうじき死ぬことに。
ならば、掛ける言葉に暖かいものなどどこにあろうか。
況してや、当の本人を今まさに殺そうとしているのが私なのだから、それは尚更だ。
「はっ……くっ……終わり……かぁ……まさか……あんた如きに負けるだなんて……ははっ……私もまだまだ、ね……」
「私に勝とうってのが、そもそも間違いなのよ。死んで反省することね」
「はぁっ……はぁっ……ねぇ……一つだけ……私の最期のお願い……聞いて、くれない……?」
「言ってみなさい」
「彼を……遊樹さんを……殺さないで……くれる……?」
「ユキ……?」
聞き覚えのある名だった。
鹿狩遊樹……日本領事館総領事のあの男性と同じ名前。
男性の日本名にしても変わった名たから、多分間違いない。
そして、ここで出てくる名が意味するのは、総領事としての彼ではない。
「それ、誰のことかしら?」
「はぁっ……はぁっ……私の……大切な人よ……」
「それじゃあ分からないわね。この施設の責任者とか?」
「はぁっ……くっ……そうよ……」
……なるほどね。
私に偽の情報を手渡してきた時点で、彼がSISと日本を繋ぐパイプ役をこなしている人物であろうことは、既に確信していた。
しかしそれだけじゃなく、生物兵器の研究にも直接携わっていたって訳か。
そんな両方の顔を持ちながら、私との面会を承諾して、いけしゃあしゃあと嘘偽りの情報手渡してくるとは、ふてぶてしいにも程がある。
「ふ〜ん。それじゃあ、生かしておく訳にはいかないわね」
「はぁっ……はぁっ……」
「貴女だって分かってるでしょう? この事件の根幹に当たる人物を、私が見逃すはずがないことくらい」
そう、見逃せるはずがない。
彼のしたことは、日本国に対するこの上ない反逆。
決して許せることではない。
「はぁっ……はぁっ……」
「諦めなさい。あんたが今更何をどう言おうと、結果は変わらないわ」
「はぁっ……はぁっ……くっ……くくく……」
「……?」
「ふふっ……あっははははは!」
「……何がおかしいの? 頭、おかしくなったかしら?」
っていうか、まだそんな高笑いできるだけの余力が残ってたんだ。
むしろ、そっちの方が驚きだ。
「あははっ……はぁっ……はっ……別に、おかしくなんてなってないよ……あんたが、あんまりにも間抜けだったから……つい……ね」
「今から死ぬだけにしては、随分と大口を叩くのね」
「だって、本当のことだもん……はぁっ……っ……彼のこと……殺さないって誓ってくれたら……このまま、素直に死んであげても良かったんだけどさぁ……はぁ……はぁ……そんなこと言われちゃあ……おちおち死んでもいられないじゃない……?」
「へぇ、その状態から、死ぬ以外にまだ何かできるんだ?」
「そうよ。あんたを……」
「……?」
様子がおかしい。
ついさっきまで、あれほど乱れていた呼吸が、急に静かになった。
立っているのがやっとなはずの足から、小刻みな震えが消える。
休むまもなく滴り落ちていた血の雫も、いつの間にか止まっていた。
……嫌な予感がする。
早く、トドメを差さなければ。
グロックの照準を頭部に合わせる。
そして、引き金を引こうとした……その瞬間。
「……コロス」
「っ!?」

月夜 2010年07月10日 (土) 00時32分(191)
題名:決着〜Love Destination〜(第十三章)

奴の体に、突如として異変が起こった。
いや、それは異変などという生易しい表現ではきかない、おぞましい変化。
至るところの皮膚が裂け、そこから溢れ出した黒い半液状の肉塊のようなものが、奴の全身を包み込んでゆく。
怯えとも恐怖ともつかない、おぞましいまでの戦慄。
それが、何を考えるより先にグロックの引き金を引かせた。

――ガンガンガンッ!

だが、放たれた銃弾は黒い肉壁に遮られ、その奥に届かない。
ダメだ!
グロックの威力じゃ話にならない!
懐にしまう時間さえ、今は惜しい。
グロックから手を放し、ツェリスカを引き抜く。
「ドミニィ! 止めろ!」
その最中、一人の男性が叫びにも近い声を上げて、部屋に入ってきた。
白衣を身に纏った、見覚えのある人物。
鹿狩遊樹、この事件の首謀者だ。
だが、今はそれどころではない。
眼前の化け物を、なんとしても仕止めることこそ、現在の最優先事項。
ツェリスカを構え、引き金に掛けた指に力を込める。

――ガアァン!

頭部を撃ち抜く……が、その変異は止まらない。
くそっ、これでもダメなのか!?
なら、弱点はどこだ?
心臓か?
それとも、手榴弾で頭部を丸ごと吹き飛ばす?

――シャアアアアアアッ!

「っ!?」
気付いた時、奴の体は既に私の目と鼻の先にあった。
速い!
横薙ぎに払われる腕を、身を屈めて避ける。
間隙を与えず、高々と掲げられた腕が降り下ろされる。
両手を額の前でクロスし、受け止めようと試みる。

――ゴキャッ。

そんな鈍い音が聞こえた。
それが何の音であるか……理解したのは、脳が痛みの電気信号を受けた後だった。
「うぁっ……!」
バカなっ……あの程度の一撃、しかも片手で、両手の骨を同時にだなんて……!

――グシャッ!

「がっ!?」
不気味な破砕音と、横脇腹を襲う激痛。
抵抗する間もなく壁に叩き付けられ、意識が飛びそうになる。
だが、ここで倒れる訳にはいかない。
そんなことになれば、追撃で今度こそ即死だ。
本能的に右へ跳ぶ。
折れた手首から先は使わず、肘から肩を伝うようにして前転して受け身を取り、素早く立ち上がる。

――ドォン!

音のした方へ視線を向ければ、ついさっきまで私の体があった場所を、奴の拳が殴打しているのが見えた。
壁が大きく凹み、拳との接点を中心として周囲に亀裂が走っている。
ただ拳で殴りつけただけとは思えない破壊力。
大砲の弾をぶち込んだかのようだ。
ははっ……そりゃあんなの真っ向から受け止めれば、骨の数本イカれて当然ね。
左肩の銃創に加えて、両腕の骨折、アバラも何本か折られてる。
おまけに、相手は得体の知れぬ化け物で、その身体能力は私とは比較にもならない。
おまけに、弱点を含め明確な対応策さえ不明ときた。
……こういうことを言うのかしらね、八方塞がりって。
だからって、易々と殺られてたまるものか。
だが、この手じゃ銃は握れない。
かといって、両手を封じた肉弾戦で敵う相手じゃない。
そんな現状で、考え得る攻撃手段は……一つしかない、か。
懐に手を忍ばせ、手榴弾を手に取る。
問題は、こいつをいかにして直撃させるかだが……

――シャアッ!

……どうやら、悠長に策を練っていられる時間はないらしい。

――シャアアアアアアッ!!

……来る!
そう、脳が理解する頃には、もう奴の間合いの中。
横薙ぎに振るわれる腕を屈んで避け、鎚の如き打撃を横にかわし、身を反らして蹴りをよける。
くそっ……これじゃ、反撃に気を割いてる余裕なんてない……痛っ!?
足に感じた痛みに、慌てて目線を下ろす。
そこには、ドス黒い足に踏みつけにされ、動きを封じられている私の足があった。
しまっ……!?

――ドスッ。

……生暖かい。
一番最初に感じたのは、そんな感覚だった。
そして、体の浮く浮遊感を覚える頃、腹部に未だかつて味わったことのない、激しい痛みが走った。
腹部を手で貫かれ、そのまま片腕で体を持ち上げられている。
全てを支配されているかのような、形容し難い感覚。
こちらを見据える、ドロドロとした黒い血肉の中から覗ける赤い眼は、もはや人のそれとは程遠い。
「ぐっ……がはっ!」
夥しい量の血が、口から吐き出される。
痛みに掻き乱される意識。
少しでも気を緩めれば、即ち死。
だが、まだだ。
まだ、動ける。
まだ、私は死んではいない。
まだ……やれる!
「ぐ……くぅっ……」
手に持った手榴弾を口元へ運び、歯でピンを抜く。

――シャアッ!

「ふふっ……もう……遅いっ……!」
手に持った手榴弾を、奴の左肩目掛けて叩き付けた。
グチャッという耳障りな音と共に、体表の肉塊にめり込む。
乱暴に振り回され、抜けた勢いで、私の体は壁に叩き付けられた。
「がっ……」
絶叫を上げたはずだったが、吐血でかき消され、短い呻き声にしかならなかった。

――ドオオォン!

室内にこだます炸裂音。
掠れる視界に映る奴の姿は、肩口で起きた爆発によって、腕が千切れ飛び、頭の一部が抉れていた。

――キシャアアアアアアッ!!

だが、その雄叫びからは、未だに有り余る力強さを感じる。
どうやら、致命傷には至らなかったらしい。
やはり、手榴弾の一つ程度では仕止めきれなかったか。
でも、さすがにもうダメだ。
肩、両腕、アバラまでならともかく、どてっ腹に風穴まで開けられてしまっては、もう何もできはしない。
ただ、殺されるのを待つだけ。
残念ながら、抗う術はない。
顔を伏せ、目を閉じ、薄れ行く意識の中、直ぐに訪れるであろう死に備える……。

――ドクン!

……はずだった。

――ドクン!

突然私を襲った、体全体を揺るがすかのような動悸。

――ドクン! ドクン!

それは、徐々に加速度を増し、次第に早鐘を撃つ脈拍のようになってゆく。

――ドクン! ドクン!

熱い。
体が、たぎるように熱い。
内側から溶けてしまいそうなくらい、熱い。

――ドクン! ドクン! ドクン!

熱い。
熱い、熱い、熱すぎる!
こんなの、ジッとなんてしてられない!
こんなの、動かないと死んでしまう!

――ドクン! ドクン! ドクン!

あれ?
でも、私はさっきまで、瀕死で動けなかったはずなのに。
今は、痛みもない。
苦しくもない。
ただ、ひたすらに熱い。

――ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!

今、目の前にいる黒いのは、何だっけ?
確か、私はこいつに殺されそうになってたんだ。
でも、私はどうして、こんな化け物と戦ってたんだっけ?

――ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!

あぁ、もう考えるのも面倒だ。
とにかく今は、何とかしてこの熱を発散しなきゃ。
このままじゃ狂っちゃう。
よし、とりあえず、目の前のこいつを――

――ドクン!!

――殺そう。

ついさっきまで、もう動かないと思っていた体が、何の不具合もなく動いた。
そんな私へと一直線に向かい、黒い化け物が腕を振りかぶる。
しかし、その動きのなんとトロいことか。
こんなの、そこらへんの子どもだって避けれる。
だから、私は避けたりせず、ゆっくりと降り下ろされる腕を軽く受け止め、強く引っ張りながらもう片方の手でその肩を掴んだ。

――ブチャッ。

筋繊維の千切れる音と、半液状の肉の濁音が合わさった気味の悪い音が響く中、私は奴の腕を根本から引きちぎっていた。

――ジャアアアアアアッ!!

悲痛な叫び声が私の鼓膜を刺激する。
あらら、簡単にもげちゃった。
これじゃまるで、小学生が夏休みの課題で作った、工作品のロボットじゃない。
まぁ、いいや。
まだ、治まらない。
こんなものじゃ、私のこの熱は全然冷めない。
掴んだ肩はそのままに、もいだ腕を放り捨て、その手で欠けて歪な形の頭部を握る。
両手を左右に引っ張ると、肩と首の境目辺りから、縦にその体が裂けた。
あはっ、なんか楽しい。
同じ要領で、反対側も引き裂く。
何だか、焼いたマツタケを縦に裂いてるみたい。
違うところと言えば、やたら大きくて、食べてもおいしくなさそうなところだろうか。

――ジャアッ! グギャアアアアァァッ!

耳障りな悲鳴だ。
こんなノイズ、聞くに堪えない。
今すぐ黙らせてやる。
化け物の首を鷲掴みにし、力の限り握り締めた。

――ゴキャグシャッ!

骨の砕ける音と、肉の潰れる音が合わさった、今までに聞いたことのない破砕音。
それを境に胴体との接続部を失った頭が、グラリと傾いて床に落下し、腐った果実のようにひしゃげた。
三つに裂けた胴と千切れた両腕も、さすがにもう動く気配はない。
これで、終わり。
……終わり?
いや、終わりじゃない。
まだ、熱い。
全然冷めない。
体の中を流れる血肉が、マグマにでもなってしまったかのようだ。
あぁ、ダメだ。
こんなのじゃ、足りない。
足りない、足りない……全然足りない。
もっと……もっと冷まさないと。
もっと冷まさないと、私が溶けてなくなっちゃう。
早く、早く……そうだ、あの人も殺しちゃおう。
そうしたら、きっとこの熱も、少しは治まってくれるはず……。
本能の赴くまま、一歩足を前に踏み出す。
しかし、私の意識は、そこで急速に薄らんでいった。
グラリと体が傾き、世界が天地を失う。
あれ、急になんだろう……。
何だか、すごく、眠く……なっ……て……。
混濁する意識と暗転する視界。

――後は任せて、お前は休め。

耳元で囁かれる、聞き慣れた声。
それが誰の声か、直ぐに分かった。
あぁ、あの人が来てくれた。
なら、もう大丈夫。
私の心に芽生える安堵感。
いつの間にか、あんなに熱かった体も、もう平静時の落ち着きを取り戻していた。
急激に解離していく肉体と精神。
数瞬の後、私の意識は、深淵の縁に横たわっていた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時33分(192)
題名:決着〜Love Destination〜(第十四章)

――英国、生物兵器施設、モニター室、7/29、現地時間03:00――


――ドサッ。

空になった注射器を放り捨て、力を失い、こちらへと倒れ込む彼女の体を、両手で優しく抱き抱える。
その体を侵食していた変異はなりを潜め、いつもの彼女の姿に戻っていた。
目の前には、いくつかのパーツに分解された、元は人型だったと思しき黒い塊が。
そして、そのすぐ傍には、地に座り込み、唖然とする一人の男性の姿があった。
何があったのかは良く知らない。
だが推測はできた。
私がここに来た時には、既にバラバラに引き裂かれた黒い肉塊と、それを前に異様な雰囲気を放つ、平静時とは似ても似つかぬ彼女の姿があった。
そこから導くことのできる結論は一つ。
……どうやら、事は芳しくない方向へと進んでしまったらしい。
だが、最悪の事態を避けられただけ、まだマシだったと考えるべきだろう。
「……君が、ここの責任者か?」
腕の中で眠る彼女から、地に座り込む男性へと視線を移した。
「……えぇ」
心ここに在らずといった様子で、その男性は力なく頷いた。
「見た所、日本人とお見受けするが?」
「はい。ここの総責任者で、鹿狩遊樹と申します」
鹿狩遊樹……聞いたことのある名だ。
確か……そうだ、英国日本領事館の総領事の名だ。
ということは、この情報を日本に流し、その裏で生物兵器の研究にまで携わっていたのか。
しかし、まさかこんな若者が、名実共にこの件の首謀者だったとは思わなかった。
人間見かけによらないとは、良く言ったものだ。
「そうか。……私が言わんとしていること、理解しているか?」
「……はい」
「ならば話は早い。一緒に来てもらうぞ」
私に寄り掛かる彼女の体を静かに抱き抱え、今来た扉の方へと向きを戻す。
「……」
しかし、生気を失った瞳で、引き裂かれた黒い物体をじっと見つめる彼に、立ち上がる気配は一切なかった。
「……どうした? さっさと立て」
「……お断りします」
「何……?」
眉間にシワが寄るのを感じた。
脳裏を過るのは、道中に見た存在を弄ばれた命と、つい先刻までの彼女の姿。
胸中に渦巻くのは、憤怒とも憎悪ともつかない感情。
こいつが、全ての元凶という訳ではないだろう。
現在のそれはともかくとして、在りし日の凄惨な過去と彼は、年齢的にどう考えても繋がらない。
だからと言って、彼の行った行為は許される所業ではない。
日本に生まれた者でありながら、母国を騙し、そこに住む人々全てを裏切った罪は重い。
だがそれ以上に、ここで行われていたことは、生きとし生ける命に対するこの上ない冒涜。
これだけは、人として、この世に生を授かった命として、越えてはならない一線。
こいつは、それを踏み越えてしまったのだ。
そのような人物に、許しを乞う資格はない。
「君に拒否権はない。どうしても立たぬと言うのなら、しばらく眠ってもらうことになる」
冷たくそう言い放つ。
「貴方がもし強行策に出るというのなら、私はこのボタンを押し、この場で舌を噛み切ります」
そう言って奴が取り出したのは、手のひら大程度の黒く四角い箱状の物体だった。
「それは?」
「ここを破壊するための装置です。私がこれを押せば、10分でこの施設は全て地中に埋没します」
「……それを取引材料に、この場をやり過ごそうというわけか」
ピクリと、右手が僅かに動く。
ベレッタを引き抜き、射撃までにかかる時間は一秒未満。
奴がボタンを押すより早く、アレをその手から撃ち弾き、同時に心臓を撃ち抜く……。
理論的には可能だろうが、彼女を抱いている今の状態では、いかに私とて不可能と言わざるを得ない。
……一旦、彼女を床に横たえるか?
……いや、下手に動けば、その時点でボタンを押されかねない。
だからといって、みすみす逃がす訳にはいかない。
さて、どうするか……。
「一つ、勘違いなさっていることがあるようなので、予め断っておきますが、私は逃げるつもりは一切ありません」
そんな私の考えとは裏腹に、そいつは覚悟を決めた目でこちらを見据えた。
「ほう? それは、どういう意味かな」
「言葉通りです。私は、この場を離れるつもりはありません。無論、あなた方に危害を加えるつもりもありません。どうか、今すぐここから立ち去ってはもらえないでしょうか?」
「そうはいかんな。ここにある情報は全て危険なものばかりだ。そんなものを、みすみす放置して帰れるはずもない」
「その点は問題ありません。あなた方が大人しく立ち去ると約束して下さるなら、この装置をお渡ししましょう。ここから無事脱出した後、ボタンを押して下されば、この施設は土中深くに埋もれ、その痕跡は消えてなくなります」
「君はさっき、ここを離れるつもりはないと言っていたが……それだと、君もこの施設と共に心中することになるぞ?」
「えぇ、一向に構いません」
「……意図するところが見えんな。詰まるところ、君の要求は何だ?」
「私を、ここで死なせて下さい」
微塵の迷いもなく、欠片と同様も見せず、彼はそう言い切ってみせた。
「……とてもじゃないが、君のような若者の頼みとは思えないな。ただの死にたがり……」
「……」
「……という訳ではなさそうだ。とりあえず、理由を聞こうか」
「理由も何もありません。彼女が死んだのだから、私も死ぬ……それだけです」
悲壮の色濃い声音で呟きながら、彼は身近に転がる黒い物体を、慈しむような手つきで優しく持ち上げた。
ここからでは良く見えないが、それは……そう、ちょうど人の頭のような形と大きさだった。
「それは、本当にその彼女が望んでいることなのか?」
「彼女が望んでいる以上に、私の望みです」
「縁ある人の死に際し、その思いを胸に生きることは残された者の務めだ。それを放棄することは死者への冒涜だぞ」
「ごもっともです。しかしこの先、私に生を謳歌する権利はありません。なら、私は今すぐにでも彼女の元へ行きたい」
「……」
これから先、生きたとしても後に待つ未来は絶対的絶望。
そんな暗い日々を過ごすくらいなら、いっそのこと死んだ方がマシだ。
この男が言う死にたいとは、そんな自暴自棄な死への願望ではない。
ただただ純粋に、彼女の側に居たい。
死にたいのは、彼女の居場所がそこだから。
それだけの理由だ。
「貴方の言うことは正しい。一般的な道徳観念に基づいて考えても、法治国家に生きる国民として罪を償わねばならないという点でも、私は本来生きるべきです。しかし、折れるつもりはありません。もし、ここに留まり命を断つという私の言葉が信じられないなら、遠慮はいりません。どうぞ、私の両足を撃ち抜いて下さい。なんなら、今この場で、貴方の手で殺して下さっても構いません」
こちらを真っ直ぐに見つめる真剣な眼差し。
その瞳に宿る強い意思を秘めた光は、揺るがない信念に支えられた決意の輝き。
下手に近寄れば、彼は迷わずこの施設を破壊し、速やかに己の命を断つだろう。
それは、私たちや彼らの双方にとって、決して良い選択肢とはならない。
「……分かった」
「……ありがとうございます」
私の肯定の言葉に、彼は真摯な表情で頭を下げる。
「それでは、これを……」
「いや、いい」
施設を破壊する為の装置を手渡そうとする彼を、私はやんわりと制した。
「えっ……」
「それは君が持っていればいい。押すタイミングは、君に委ねる」
「ですが、それでは……」
「構わんさ」
そう一言だけ告げ、私は呆気に取られる彼に背を向けた。
もう何も言うまい。
残る僅かな時間、心が決まるまで、二人にしてやろう。
未だ腕の中で目覚める気配を見せない彼女の体を抱え直し、扉の方へと足を向ける。
「……あの」
扉の直前まで来たところで、背中に掛けられた呼び止めの声に、私は足を止めた。
「何だ?」
「本当に……ありがとうございます」
「……あぁ」
目線だけで振り返り、口元を微かに綻ばせて見せてから、私はその部屋から静かに立ち去った。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時35分(193)
題名:決着〜Love Destination〜(第十五章)

――英国、生物兵器施設、疑似自然室、7/29、現地時間02:50――


「……」
「……」
会話のないまま、時だけがゆっくりと過ぎてゆく。
気まずい……とは少し違うけど、何となく気恥ずかしい雰囲気。
いつもと変わらないしかめっ面で、在らぬ方へと視線を送っているガルさんの横顔を、バレないようにさりげなく、無数にある目の内一つだけを動かして盗み見る。
こういう時ばかりは、大量に目があるっていうのも案外便利なのかも……なんて、奇妙なありがたみを覚えたりする。
「……なぁ」
「!? ひゃ、ひゃい!?」
そんなことを考えていたからだろう。
唐突に話し掛けられ、私はすっとんきょうな声を上げてしまった。
も、もしかして、私が見てたのバレちゃった!?
ど、どうしよう……いや、どうしようって言ったってどうしようもないし、どうしなきゃならないわけでもないんだけど……。
意味不明の焦燥感のような物が、心中深くから沸き上がってくる。
別に悪いことではないのだから、そんなに焦る必要はないんだけど。
「一つ、聞いていいか?」
「は、はい……な、何でしょう……?」
何だか白々しい返事になってしまったと、自分でも思った。
本当、何でこんなに動揺しているのか、自分で自分が分からない。
と、とにかく、落ち着かなきゃ……。
「お前、どうして俺を助けに来たんだ?」
「えっ……?」
予想だにしなかった問いに、激しかった動悸が落ち着きを取り戻した。
「どうしてって……そんなの当然じゃないですか」
そう、それは当然のこと。
大事な人が危険に晒されているなら、それを助けたいと思う。
至極自然な行為だと、誰もが納得する。
ガルさんは、一体何を不思議がっているんだろう?
「お前からしてみれば、俺は飯を運んでくるだけの運搬野郎だ。代わりなんていくらでもいる。そんな奴の為に、命を張る必要なんてなかったろ?」
「そんなことありません!」
言い終わるや否や、私は大声を張り上げた。
「ガルさんはそんな人じゃありません! 私にとって、かけがえのない大切な人です!」
「……何でだ?」
「何でって……」
そんなの、理由を考えたことさえなかった。
いつからか、私にとって彼は、心の支えになっていた。
実験動物の失敗作なんていう、もはやゴミ同然の烙印を押され、死を待つだけの退廃的な日々を、漫然と繰り返していた頃。
そんなある日、私の前に現れた彼が最初に見せた表情は、今も覚えている。
悲しげな顔をしていた。
他の誰もが、気持ち悪そうな顔をし、嗚咽を漏らす人さえいる中、彼だけは視線を逸らさず、私の事を真っ直ぐに見つめてくれた。
他の皆に対してだってそうだ。
例え檻の中で無惨な最期を迎えていたとしても、彼以外の誰もが見えぬフリをして直ぐに出ていく。
彼だけが、憐憫の情を持って皆に接してくれた。
その苦痛に悶える様から目を背けず、死んでしまった時は追悼の念を心に手を合わせる。
そんな彼の優しさに、私は……。
「……ガルさん、覚えてますか、私と最初に会った時のこと」
「最初に? ……いや、良くは覚えてねぇな。何かあったか?」
「えっと、別に何かあった訳じゃないんですけど……あの時、皆私を見て気持ち悪そうな顔をしてたじゃないですか? 中には、嘔吐しそうになってた人もいましたし」
「あー、そういやそんな奴も居たな。結局そいつ、次の日に逃げ出しちまったけどな」
「えっ、そうだったんですか?」
「あぁ。ご丁寧にも“探さないで下さい”なんて置き手紙を残してな。んなことわざわざ言わなくても、誰も探しゃしねぇっての」
そう言って、ガルさんが呆れ混じりに笑い声を上げた。
二人きりになってから、初めて笑ってくれた。
何だか少し一安心。
「でも、そんな風に皆さん少なからず嫌悪感を抱いてらっしゃったのに、ガルさんだけは私たちを哀れんでいるような、悲しい表情をしていました」
「そう……だったか? そんな顔した覚えはねぇんだけどな」
「そういうことは見ている人が覚えているもので、得てして当の本人は自覚もなく、忘れてしまうものですよ」
「そんなもんか」
「そんなもんです。それに、私のところに食料を運んで来る時も、他の人は無造作にそれを私のところに放り込んで、脇目も振らず一目散に帰ってしまうばかりでした。私の相手をしてくれるなんて人、ガルさんだけです」
「そりゃ、お前が話し掛けてないからなんじゃないか?」
「いえ、最初は話し掛けてましたよ。でも、ずっと無視されている内に、何だかもうどうでも良くなってしまって……」
私の呼び止めの声なんて聞く耳も持たず、小走りで速やかに去っていくその冷たい背中は、今でも忘れられない。
その度毎に、悲鳴を上げる心。
こんなに悲しいなら……こんなに辛いなら、もう誰とも会いたくない。
そう思っていた時期が、私にも長くあった。
……そう、ガルさんに出会うまでは。
ガルさんだけは、私の事を無視しなかった。
私の話を聞いてくれて、私に話を聞かせてくれた。
それが嬉しかった。
私のような存在でも、誰かに認めてもらえたような気がした。
だから……、
「私と話をしてくれて、私の悩みを聞いてくれて、私の相談に乗ってくれた……だから……」

――私は、そんな貴方が……。

……言えない。
やっぱり、ここから先は言えない。
いくら彼が、私と普通の人間のように接してくれているとは言え、私は醜い化け物。
これだけは、覆しようのない事実。
それが、私の言葉を封じていた。
言いたい。
けれど、言えない。
だって、私にはその資格さえないんだから。
「……」
「……」
再三訪れる無言の時。
何と言えばいいか分からず、口を開くことができなかった。
彼も、口を閉ざし、私の次の言葉を待っている。
だから、その静寂を裂いたのは、私たちのどちらでもなかった。

――ガシュッ。

扉の開く音に、私とガルさんは同時にそちらへと目を向けた。
そこに立っていたのは、白衣を身に纏った男性。
昨日、ガルさんを連れ出した人だった。
「……何か用ですか?」
敵対心をむき出しにし、ガルさんがその男性を鋭い眼差しで睨み付ける。
「私も嫌われたものだな」
「当然でしょう。自分が何をしたのか、分かってるんですか?」
ガルさんが刺々しい口調で返す。
こんなにも敵意を露わにしている彼を見るのは、初めてだった。
「まぁ聞け。今から約一時間後、この施設を破壊する」
『なっ……!?』
私とガルさんの声が重なった。
は、破壊するって、この施設を!?
一時間後に!?
いきなりのことに、混乱する思考。
だが、ガルさんは既に落ち着き払った様子で、その場に立ち上がっていた。
「おい、そりゃどういうことだよ」
いや、落ち着いているように見えるのは、あくまで表面上。
その実、内心は怒りで煮えくり返っていることを、その声色に含まれる怒気が雄弁に表していた。
「言葉通りの意味だよ。後一時間後、この施設は土中深くに埋もれている。死にたくなければ、今すぐここを離れることだ」
「俺が聞いてるのはんなことじゃねぇ。こいつはどうなるんだって聞いてるんだよ」
「えっ……」
そんな声が漏れた。
もしかして……ガルさん、私の事を……心配して?
「ここを破壊して、こいつのことはどうするんだ? あぁ? こいつを逃がす為の手段くらい考えてるんだろうな?」
「……」
「……なんとか言えよオラァ!!」
男性の胸ぐらを掴み、ガルさんが声を荒げた。
「ガ、ガルさん! 落ち着いて下さい!」
間違ってもガルさんを傷付けてしまわないよう、翼を使って、今にも殴りかからんとする彼の体をそっと押さえつける。
「離せ! 大体お前は良いのかよ!? このままだと、お前死ぬんだぞ!」
「私は……」
一瞬言葉に詰まる。
でも、直ぐに言うべきそれは見つかった。
「……私は、いいんです」
「なっ……お前、何ふざけた事言ってんだ!」
「私は元々実験動物の失敗作。ここを離れて生きてはいけません。それに、こんな大きな体、この施設から出すなんてことできませんよ」
「そんなことねぇ! 何勝手に諦めてんだ! 俺は認めねぇ! んなこと絶対に認めねぇぞ!」
「……ガルさん。貴方は、早く逃げて下さい」
「バカ言うな! お前を置いて一人で逃げろだ!? そんなマネするくらいなら、ここで死んだ方がマシだ!」
「そんなこと言わないで!」
「っ!?」
反射的に、私は大声を上げていた。
「……ガルさん、さっき言ったじゃないですか。命を粗末にするな……って」
「それは……」
ガルさんが口ごもる。
私から目線を外し、うつ向きがちになる彼に向かって、私は言葉を紡いだ。
「私の事を思って、あんなに怒ってくれて……私、凄く嬉しかったです。死んでも良いって思うくらい、凄く嬉しかった……その思いだけで、私には勿体ないくらい十分です」
「……思いなんてもん、いくら貰ったって一銭にもならねぇだろうが」
「そんなことありません。ガルさんが私を思って言ってくれた言葉の一つ一つが、私にとっては何より大切な宝物です」
「……んなもんでいいなら、これからいくらでもくれてやるさ」
「いいえ、もう十分ですよ。もう、数え切れない程たくさん……本当にたくさんの宝物をもらいました。だから……」
そこで一度、言葉を区切る。
心を落ち着かせ、そして万感の想いを込めて、口を開いた。
「……だから、私の為に生きて……」
「……」
ガルさんは、何も言わなかった。
顔を伏せたまま、震える程拳を固く握り締めるのみ。
ガルさんが何を思っているのか、私にはわからない。
だけど、私のこの想いは伝わった。
不思議と、そう確信ができた。
ガルさんの体を固定していた翼を、そっとその体から放す。
これでいい。
これでいいんだ。
私は化け物で、彼は人。
両者の溝は、決して埋まりはしない。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時36分(194)
題名:決着〜Love Destination〜(第十六章)

どれだけ共に時を刻もうと、どれだけ想いを伝え合おうと、決して……。
だから……これで……。
「……フェデラル君」
「……何ですか」
力なくうなだれたまま、ガルさんが首だけでその男性の方を振り向く。
「受け取りたまえ」
男性が手を差し出す。
その中にあったのは、透明な袋に閉じられた、一本の注射器だった。
「これは……?」
「これを、彼女に射ってやりなさい」
おずおずと注射器を受け取るガルさんに、男性はそう言った。
「射てって……中身は何なんですか?」
「中身の成分を話したところで、専門家でない君には理解できんよ。あぁ、針を刺す場所はどこでも構わない。内容液はしっかりと全部注入すること。話は以上だ」
「あ、ち、ちょっと……」
これで話は終わりだと言わんばかりに背を向けると、ガルさんの引き止めの声にも足を止めず、その男性はさっさと部屋から出て行ってしまった。
「……」
「……」
お互いに無言のまま見つめ合う。
その間には、先ほど手渡された注射器が。
「……ガルさん、お願いします」
しばらく黙り込んだ後、私からそう切り出した。
「い、良いのかよ……これ、中身が何だか分からねぇんだぞ?」
「ですが、このまま何もしなければ、私はただ死を待つだけです。それなら、試せることは試した方が良いでしょう?」
「そ、そりゃそうかもしれねぇけどよぉ……」
「大丈夫ですよ。それに、もしそれが原因で死んだとしても、私はガルさんを恨んだりなんてしませんから」
「え、縁起でもない事言うんじゃねぇよ!」
「ふふっ、冗談ですよ、冗談」
実際は、冗談半分本気半分ってところだけど。
そんな本音は、心の中にしまい込んでおく。
「ったく……分かったよ」
後頭部を軽く掻きむしりながら、彼は乱暴に袋を破り捨てた。
「え、えっと……どうすりゃいいんだ、これ……?」
「ガルさん、注射器使ったことないんですか?」
「当たり前だろ。俺は医者じゃねぇんだから」
慣れない注射器を前に、あたふたするガルさん。
見ていて楽しいが、そんなことを口にすると怒り出すのは明らかだし、だんだんと可哀想に思えてきたので、助け船を出して上げることにした。
「先ず最初に、中の液を少しだけ出して下さい」
「ん……こ、こうか?」

――ドピュッ。

針先から、結構な勢いで白色の液が噴き出した。
「あー、ちょっと出し過ぎですよ。ドピュッじゃなくて、ピュッとか、チョロッくらいで良いですから」
「そ、そういう表現は……」
ガルさんがどこか恥ずかしそうに、顔を赤らめる。
「え? どうしました?」
「……いや、何でもない」
「?」
……何でもないなら、まぁいいか。
「え、えっと……こ、これくらいか?」
「あっ、ストップ、ストーップ! 一回出したんですから、もう出さなくていいですよ! 勿体ない……」
「う、うるせぇな! ならもっと早くにそう言えよ!」
「言いましたよ! ガルさんが早いから、間に合わなかったんです!」
「そ、そういう言い方すんじゃねぇ!!」
さっきより一段と顔を赤く染め、ガルさんが大声を上げる。
「はい? どういうことです?」
「どういうことじゃなくて……いや、もういい。次はどうしたら良いか、正確に詳しく教えてくれ……」
「わ、分かりました……」
何を言おうとしてたんだろう?
気にはなるけど、今は聞かない方が良さそうだ。
「注射針を刺して下さい。普通は動脈静脈を見分けて刺さなきゃいけないんですけど、さっきあの人はどこでもいいと言ってたので、多分適当で構わないと思います」
「適当って、この辺りでいいのか?」

――チクッ。

「んっ……」
針で刺した鋭い痛みに、心構えしていたにもかかわらず微かに声が溢れる。
「だ、大丈夫か?」
「はい、平気です。後は、内容液が空になるまで、ゆっくりとピストンを押して下さい」
「分かった」
針を伝って、白色の薬液が私の中へと流れ込んでくる。
「……全部入ったぞ」
空になったのを確認してから、ガルさんは私の体から針を抜いた。
「……みたいですね」
応えながら、私は自分の体に問いかけた。
何か、変わったことはあったかと。
しかし、体は別に何ともなかった。
「……何か変化はあるか?」
「いえ、特に……もしかしたら、効果が出るまでに時間が……っ!?」
かかるのかもしれない。
そう言おうとした矢先、私の体に異変が起きた。
熱い。
全身が、焼けるように熱い。
体の中も外も、焼け爛れそうなくらい熱い。
まるで、いきなり業火の中に放り込まれたみたいだ。
「うっ……あああぁぁ……!」
「お、おい! どうしたんだ!?」
「ガ、ガルさん……私から……離れて……」
「な、何でそんなに苦しそうなんだよ! なぁ、おい……熱っ!?」
ガルさんの手の感触を私が感じるのと、彼が声を上げるのとが同時だった。
「お、お願い……早く……!」
「で、でも……」
「わ、私なら大丈夫……このくらいの熱さ……何ともありませんから……」
「そんなに苦しんでて、何ともないわけねぇだろ!」
「大丈夫……ですよ。ただ、ちょっと暴れてしまうかもしれないので……少し離れてて下さい……」
「だ、だけど……」
「お願い……します……」
最後の理性を振り絞り、熱に耐えながら懇願する。
「……分かった」
「ありがとう……ございます……っ、うあああぁぁっ!!」
ガルさんが十分離れたことをしっかりと確かめてから、私は欲望を解き放った。
熱い!
熱い熱い熱い熱い熱い!!
これだけ暴れてるのに、全然冷めない!
むしろ、どんどん熱くなってるみたいだ!
早く……早く冷めて!
早く治まって!
じゃないと、狂ってしまう!
……でも、負けない!
私は、絶対に負けない!
約束したんだ!
私は大丈夫だって、ガルさんにそう言った!
だから、負けない!
そうとも、負けてなるもんか!
こんな熱なんかに、負けるもんか!
こんな熱さ、ガルさんの来てくれなかった日の、心まで凍てつきそうな寒さに比べたら、何て事ない!
こんな痛み、椅子に縛られ動かないガルさんを見た時の、張り裂けそうな心の痛みに比べたら、痛みの内にも入らない!
消え去れ……私の中から、消えてなくなれぇっ!
「こんなもの……こんなものぉっ……うぁっ……あああああああああああぁぁぁぁっ!!」

――絶叫。

その後、身体が弾け飛んだような、痛みとは違う不思議な……私が私でなくなってしまったような、そんな感覚を覚えた。

――……い……おい……!

何だか遠くから聞こえてくる彼の声が、耳に心地良い。
あれ……私、いつの間に気を失ってたんだろう?
ぼやけた視界のまま、床に足を付いて上体を起こす。
「……だ、大丈夫……か……?」
「う……は、はい……大丈夫です……」
目を擦り、視線を上げる。
その先に映る、ガルさんのこちらを見つめる眼差し。
だけど、何だかいつもと違う。
普段、私を見つめる眼差しとは、あからさまに何かが違った。
どうしたん……ん?
何だろう……何かがおかしい。
いや、何かなんてどころじゃない。
それを言うなら、何もかもがおかしい。
視界が狭い。
身体が軽い。
背中がこそばい。
動かせる足が少ない。
尻尾と翼の感覚がない。
体中の何もかもが変。
改めて、自分の体に目を落としてみる。
「……」
……え?
「……何、これ……」
何を考えるでもなく、そんな声が出た。
今まで、誰か他の人の体の一部としてしか見たことのなかった、白く細い手足と肌。
背中のこそばゆい感覚を手探りで求め、それを目の前に持ってくる。
それは、細く長く柔らかな、金糸を思わせるような何か。
……髪の毛だ。
「嘘……これって……」
答えを求めるように、私は視線をガルさんへと向けた。
「……」
そんな私を見る彼は、まだ信じられないといった様子で、呆然と佇むのみだった。
「私のこの姿って……もしかして……」
「……人間……だな」
私の言葉に、ガルさんはそう繋げてくれた。
その時、初めて確信を抱く。
今の私の姿が、人間のそれに相違ないと。
「……」
「……」
何度目かの無言の刻。
だけど、それはさっきまでの気まずい沈黙なんかとはまるで別物。
感情が麻痺してしまったみたいな、ある種の超然的な感覚。
「あ……あぁ……」
それが解けた時、私は知らず知らずの内に泣いていた。
「お、おい、何で泣いてるんだよ!」
「っく……わ、分からない……ひっく……分からないんです……」
留まることを知らない涙。
でも、悲しくて溢れ出す涙じゃないことだけは分かった。
多分、だからこそ止まらないんだと思う。
「う……な、泣くなって……」
「いっく……は、はい……っく……」
ガルさんを困らせちゃいけない。
早く、泣き止まないと……。
そう思うのに、思えば思う程、より一層流れ落ちる涙は激しさを増していく。
「……あぁ、くそっ!」

――ガバッ!

「ひゃっ!?」
足が地から離れる、生まれてこの方味わったことのない感覚。
泣きじゃくる私を、ガルさんが軽々と抱き上げていた。
「ここに居たら、一時間後にはこの施設と一緒にお陀仏だ! とにかく早く逃げるぞ! 泣きたきゃ俺の腕の中でいくらでも泣いてろ!」
「ひっく……は、はい……!」
私は泣きながら、でもしっかりと頷き、走り出す彼の首筋に強く抱き付いた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時36分(195)
題名:決着〜Love Destination〜(第十七章)

――英国、生物兵器施設、モニター室、7/29、現地時間03:40――


フェデラル君が、人の姿となった彼女を抱き抱え走り去る様子を、私はモニター越しに見つめていた。
いくつか失敗例があって、不安は拭えないところだったが……どうやら上手くいったようだな。
「……これからは幸せに、な」
小声で呟き、モニターから外した視線を床へと向けた。
地に転がる引き裂かれた五体は、もうただの黒ずんだ肉の塊でしかなかった。
その中から、まだ僅かに面影の残る彼女の頭部を手に取る。
「ふぅ……」
一つ、深く溜め息をつく。
「こうしてお前と二人、こんなに落ち着いて一緒に居られるなんて、一体いつ以来だろうな」
……返事はない。
当然だ。
元より期待もしていない。
私は更に言葉を繋げた。
「昔、お前がまだ幼かった頃は、いつも一緒だったよな。あの時は可愛かった……あぁ、こう言うと語弊があるか。あの時も、可愛かったよ。勉強中、俺が真剣に教えてやってる隣で爆睡してたり、訓練が終わる都度、号泣しながら泣きついてきたりと、色々困った子どもだったけどな」
自然と笑みが浮かぶ。
あの時分のお前は、何かある度に泣きながら俺の元へ走ってきたよな。
訓練が終わった後や、注射を刺された後だけじゃなく、ぼんやり歩いてて誰かにぶつかっただとか、こけただとか、ある時は俺を探している内に、見つからなくて泣き出したりもしてたっけ。
いつだったか、確か一週間程この施設を離れなければならない日があって、出張前日に別の研究員に、その期間だけ預かってもらえるよう頼んだ時があった。
そして出発の日、スーツケースを引いて空港に向かい、ドイツのハンブルクに飛んだ俺は、とりあえず宿泊先のホテルにチェックインを済ませてから、部屋でおもむろにスーツケースを開いたんだ。
そしたら中に、小さく丸まったお前が入ってたんだよな。
いやはや……色々とお前には驚かされてきたが、間違いなくあれが一番びっくりした思い出だ。
さすがにあの時ばかりは、こっぴどく叱りつけたよな。

――何してるんだ! 今回はたまたま近場だったから良かったものの、これがもし十時間近く掛かるようなフライトだったら、どうするつもりだったんだ!

……って。
普段、俺に怒られてもせいぜいショボくれる程度だったお前が、あの時ばかりはごめんなさい、ごめんなさいって、泣きながら何度も何度も謝ってた姿は、今でも瞼の裏に焼きついてる。
とは言え、ついて来てしまった以上、一人で帰すわけにもいかず、かといって職務を放棄するわけにもいかず、そのまま一緒に約一週間、二人でドイツに滞在したんだったな。
それで、怒られた翌日には、もうそんな事は忘れたかのような笑顔を振り撒きながら、遊びに行こう遊びに行こうってまとわりついてきたお前の為に、無理やり二日早く仕事を終わらせて、最後の二日間で遊びに行ったんだよな。
あの時は確か……初日は遊園地で遊び回ってから、プラネタリウムに連れて行ってやって、二日目は動物園と水族館をハシゴして、ヘトヘトになりながらイギリスに帰り着いた時には、もう夜中になってたんだっけ。
全く……遊び足らないと言って駄々をこねるお前を説得して連れ帰るのに、どれ程苦労したことか……。

――いつかまた、遊びに来ようねっ!

お前のそんな言葉が、瞳を閉じれば今も鮮明に思い出せる。
結局、その時が最初で最後の、お前と二人での旅行になってしまったが……、
「……楽しかったな、あの時は」
ポツリと呟く。
あれから時が経って、大きくなるにつれて俺に泣きついてくることもなくなり、いつしかSISの諜報員として活躍するようになって……俺からお前が離れていくのが、嬉しいような寂しいような、そんな妙な気分だったよ、当時は。
まぁ、お前はそれからも、余程の用事で手が離せない時以外は、毎週会いにきてくれたし、会えない時は電話をくれていたから、そんなに心細くはなかったが。
危険な任務に就いているであろうお前のことを思う度、心が傷んだ。
お前がSISに入った当初の頃なんて、心配のあまり食事が喉を通らないことも多々あった。
そんな俺の不安をよそにお前は、そんなのただの杞憂だと笑い飛ばさんばかりの、底抜けな明るさでもって接してくれた。
嬉しかったが……やはり、同時に心配な気持ちは拭い去れなかった。
その不安が今日、遂に現実となってしまったといったところか。
だけど、不思議とそこまで深い後悔の念はない。
もちろん、お前ともっと過ごしたかったし、まだまだ教えてやりたいこともあった。
だけどそれ以上に、ようやくお前を、この生き地獄から解き放ってやれたという気持ちの方が強かった。
お前は何ともない風を装っていたが、その実ずっと悩んでいたことを、俺は知っている。
ただの人として生きたいという、普通の人間なら望まずとも最初から叶っている願い。
しかし、生物兵器として生まれたお前にとって、それは決して叶わぬ望み。
その願望と現実の狭間で揺れ動き、苦悩を抱き続けていたお前を見るのは、気が気でなかった。
きっとお前は、心から安心して寝れた日なんて、一日もなかったんだろう。
だから、これからは安らかに休んでくれ。
何も悩まず、何も怖れず、深い眠りに就いてくれ。
……俺も、直ぐにそっちに行くから。
何気なく、手首に巻いた腕時計に視線を落とす。
彼らと最後に言葉を交わした時から見て、長針はぐるりと一回りしていた。
「……そろそろか」
俺は懐から黒い小箱を取りだし、そこに備え付けられているボタンを押した。

――ビーッ! ビーッ!

突如として施設中に響き渡る、けたたましいアラーム音。

――施設の爆破が決議されました。内部に残っている職員各位は、迅速に退去して下さい。爆破まで、後10分。

これでいい。
用無しとなった装置を、後ろ手に放り捨てる。
「残すは……と」
白衣の胸ポケットから、睡眠薬の入った袋を取り出す。
さっきはカッコつけて彼女と死にたいなんて言ったが、やはり死ぬことは怖い。
今はまださほどでもないが、現実に爆破の秒読みが迫り、瓦礫に埋もれて死ぬ自分の様を想像すると、やはり今から体が震える。
最期を迎えるその時になって、彼女への想いより死への恐怖が勝るような無様、間違っても晒したくはない。
開けた袋を逆さにし、数錠の睡眠薬を手のひらに乗せ、勢いをつけてその全てを飲み込んだ。
喉の内側に、錠剤のゴツゴツした感触を覚える。
「……うっ……」
その違和感が消える頃には、もう凄まじい睡魔が襲ってきていた。
即効性の強い薬ということは知っていたが……まさか、これ程とは……。
もう少し……ギリギリまで待ってからでも……良かったかもしれないな……。
曖昧になってゆく肉体と精神の境界線。
いつしか視界は閉ざされ、耳もその機能を失い、体が倒れたことを、最後に残った痛覚だけが教えてくれた。
しかし、それももう感じない。
薄れて消えてゆく意識の中、最後に見たあいつの顔と言葉が、鮮やかに蘇る。

――アリガト……オトウサン……。

……ははっ、それはこっちの台詞だ。
こちらこそ……ありがとうな……。
「……ドミニィ……」
その言葉を最後に、私は意識の瞼を閉じた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時37分(196)
題名:決着〜Love Destination〜(第十八章)

――英国、SIS本部前、7/29、現地時間04:00――


……あれ?
私……何してるんだろ?
目の前は暗く、音はなく、意識は薄ぼんやりとしていた。
ここは……どこだろう?
絶え間なく、私の体を上下に揺らす心地良い揺れ。
ふわふわとした浮遊感は、自分以外の何かに身を委ねている証拠。
本来、それはとても危うく、忌避しなければならない状態。
にもかかわらず、私は何故か安心しきっていた。
頭は危険だと訴え、意識の覚醒を促すのに、体はまだこの安寧に抱かれていたいと、その信号を拒絶する。
こんな感覚、初めてのことだった。
だから、今何がどうなっているのか知りたいという、好奇心が私の内から顔を覗かせ、それが閉じていた目を開かせた。
「……う……んぅ……」
うっすらと開ける視界。
これでは、ぼやけてまだ良く分からない。
目頭を擦り、しっかりと目を開こうとする。
しかし、それより先に、私の直ぐ目の前から声が聞こえてきた。
「気が付いたか?」
「……え?」
反射的に、目を見開く。
その先にあったのは、いつも通りの表情でこちらを見つめる、社長の顔だった。
そこで初めて、私は今の自分の状況を把握した。
「し、社長!? な、何でこんな抱いて私をそんな!!?」
思っていた言葉をそのまま口にしてみた。
我が事ながら意味が分からない。
「落ち着け。何を言ってるかわからん」
仰る通りで。
「と、とりあえず、落ち着く為にも、下ろしてもらえませんか?」
「分かった」
社長の腕から、ゆっくりと地に下り立つ。
途端、急に目の前が真っ白になるような立ち眩みを覚えた。
「……っとと」
膝から崩れ落ちそうになりつつも、ふらつきながら慌てて足に力を込め、何とか倒れてしまうことは堪える。
「おいおい、大丈夫か?」
「は、はい……平気です。ちょっとクラッてしただけですから」
額を押さえ、目眩を紛らそうと左右に頭を振る。
明滅を繰り返していた世界は、直ぐに元あるべきクリアな色彩を取り戻した。
周囲へと目を配る。
左右には、花壇に植えられた数本の木々。
前方には、ビルを始めとして立ち並ぶ様々な建造物。
そして後方には、黒塗りの壁が特徴的な、見覚えのある巨大な建物……SIS本部があった。
どうやら、私が呑気に寝てる間に、こんなところまで社長に運んでもらっていたらしい。
そんなことを考えている内に、徐々に覚醒してゆく思考に伴って蘇る記憶。
「……そうだ! 社長、あの女は……」

――ゴゴゴオオォン!

「っ!?」
突如として上がった、地鳴りを思わせるくぐもった轟音に、私は慌ててその音源を振り返った。
背の高いビルやマンションに遮られて、見通すことはできなかったが、今までの経験から察するに、多分さっきの音は……
「……終わったよ。全て、な」
そんな私の思考に答えるように、社長はそう呟きながら、まだ暗い空を見上げた。
「……」
その視線の先にあるのは、白く輝かしい月なのか、夜空というステージで瞬く星々なのか、黒く染まった雲なのか……それとも、ただ漠然と天を仰いでいるだけなのか。
私には分からない。
分からないけれど……何故だか、そのいずれでもないような気がした。
彼の瞳には、この漆黒の空の向こう側にある何かが映っているような……そんな気が。
「……そう、ですか」
小声で相槌を打ち、後ろ腰で手を組んで、社長と同じように高々と広がる空に顔を向ける。
全て終わった、か……。
何だかんだ色々あったけど、結局最後は、社長に良いとこ全部持っていかれちゃったなぁ。
なんてことを考える。

――……え……?

……と、ここで不意に覚えた違和感。
全て終わった。
その言葉に対して抱く、一種独特の不信感のようなもの。
終わった?
本当に?
まだ……まだ何か、忘れていることがある気がする。
だけど、それは一体何だ?
私は、一体何を忘れている?
思い出せ。
思い出すんだ……。
……そう、SISを制圧した後、私は生物兵器の研究施設に乗り込み、至るところに残されたセキュリティや、目玉だらけの巨大な化け物を退けて、あの女の元へたどり着いた。
そして、戦闘。
最初は私が押していて、短刀を深々と突き刺して勝負あったと思った時、急に奴の体に異変が起きた。
今も瞼の裏に焼き付いて消えない、半液状の肉塊のようなものに包まれた、見る影もない奴の姿。

――そうだ。そんなあいつに、私は両腕を折られて……!?

慌てて両の腕をさする。
何ともない。

――その後、蹴りでアバラを砕かれて……。

脇腹の少し上を撫でる。
何ともない……。

――最後に、腹を腕で貫かれた……。

恐る恐る、腹部に触れる。
何とも……ない……。
「どういう……こと……」
「明神君? どうした?」
「私……何で、生きてるの……?」
ポツリ、呟く。
私は……どうして、まだ生きてる?
何で、死んでいない?
折られた両腕やアバラはまだいい。
それくらいでは死なない。
だけど、腹部を貫かれて、生きてなんかいられない。
死ぬ。
死なざるを得ない。
況してや、その傷が一瞬にして癒えるなんてこと、起こり得ない。
脳裏に浮かび上がる、鮮烈な記憶。

――……無知というのは哀れなものですね。貴女も、一皮剥けば私と同じ、醜い化け物ですよ。

――……何を言ってるの?

――いずれ分かることです。

……それは、あの黒い化け物と対峙した時の会話。

――えぇ。私もおんなじの持ってるから

――へぇ、本当にそっくりね。

――そっくり、ねぇ……クスッ。

――……何がおかしいの?

――そりゃおかしいよ。私はおんなじって言ったのに、その矢先あんたってばそっくりだなんて言うんだもん。見当違いも甚だしいわ。

――……それ、どういう意味?

――さぁ? 頭付いてるんだから、自分で考えてみたら?

……それは、あの女と交わした会話。
そして、あいつが見せた突然の変異。
まさか……私も……?
「……明神君? どうした、顔色が悪いぞ?」
「っ!? 触らないでっ!」
そっと触れてくる彼の手を、私は反射的に払い飛ばした。
「……」
無言のまま、社長が訝しげな眼差しを私に向ける。
「あ……す、すいません……」
「急にどうしたというんだ。何があった?」
「いえ……何も……」
社長の目を直視できず、逃げるように視線を地に向ける。
「嘘を吐くな。何を隠している? 今更、遠慮をするような間柄じゃないだろう?」

――遠慮をするような間柄じゃない。

それもそうだ。
社長の言う通り、私たちの間で妙な遠慮なんていらない。
でも、それは人としての私との関係だ。
もし、私が人じゃなくなったら?
私が、得体の知れない化け物だったら?
それでも、社長は私を受け入れてくれるのか?
「……社長」
「何だ?」
「……遠慮をするような間柄じゃないって、言ってくれましたよね」
「あぁ」
「……もし……私が化け物だったら……それでも、同じこと……言ってくれますか?」
「何を言ってるんだ……お前が化け物だなんて、そんなことあるわけ……」
「だったら! 何で私はまだ生きてるんですか!」
理性が弾け飛び、私は怒鳴り声を上げていた。
「私は、あいつに手とアバラの骨を折られた挙げ句、腹部を腕で貫かれたんですよ!? そんなの、普通の人間じゃ生きてられるはずありません! なのに、私はまだ生きてる! それどころか、その傷さえ無い!」
「明神君、落ち着くんだ! 君は今、肉体的にも精神的にも疲れてるんだ! だから……」
「錯覚だとでも言うんですか!? じゃあ、これはどう説明するんですか!」
コートを脱ぎ捨て、シャツをずらして左肩を露出させる。
「数時間前、社長に撃たれたはずの銃創が、もう跡形もないんですよ!? こんなことってあり得ますか!? あり得ませんよね! 人間の治癒力じゃ、こんなこと間違っても起こり得ません!」
「落ち着けと言っている! 少し冷静に……」
「私は……私は、人なんかじゃない! 人の皮を被った化け物……あいつと同じ、醜い化け物なん――」
「水亜っ!」

――ガバッ!

「……えっ……」
……何が起きたのか、理解するまでに時間がかかった。
抱き締めている。
社長が。
私の体を。
私が現状を把握したのを見計らったかのように、社長は私の体に回した腕により一層の力を込めながら、耳元で囁いた。
「……お前は、俺の娘だ」
「……」
鼓膜を通してだけじゃなく、全身を透過して私の中に染み入る。
「うっ……ぅぐっ……」
気付いた時、私の両の目は涙を流していた。
返す言葉が見つからない。
そのくせ、涙と嗚咽だけは止まる気配さえ見せない。
心が喜びに打ち震える。
泣き顔なんて見せたくないのに、決壊した涙腺からは次々と涙が溢れ出し、頬を伝って流れ落ちては彼の肩を濡らしていく。
そんな今の私にできることなんて、必死に嗚咽を堪えることくらいのものだった。
「うっ……うぅ……」
「……」
そんな私を抱き締めたまま、社長は何も言わなかった。
大きく、そして暖かく、私のことを抱き締めていてくれた。
そんな折、不意に心の奥底から浮かび上がってきたある言葉。
それは、今まで知識として知っていたが、自分には縁なきものとして、一度も口にしたことのない言葉。
……私みたいな奴には、口にする資格さえないと、ずっと封印してきた言葉。
でも、今なら……言っても良いよね……。
「……っく……えっく……お、お父……さん……」
「……あぁ」
「……っ!!」
もう、堪えられなかった。
「うっ……うわあああああああああぁぁぁぁっ!!」
私は泣いた。
心の行くがまま、大声で泣き叫んだ。
「あっ……あっ……うああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
「……」
そんな子どものように泣きわめく私の頭を……お父さんは、何も言わず優しく撫でてくれた……。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時38分(197)
題名:決着〜Love Destination〜(第十九章)

――英国、生物兵器施設飼育員用休憩室、7/29、現地時間04:00――


「はぁっ……はぁっ……ふぅ……」
私を抱き抱えたまま、ガルさんは肩を上下させながら大きく息を吐いた。
「やれやれ……なんとか戻ってこれたな」
「……そうですね」
彼の首筋に抱きついたまま、私は小声で答えた。
「……」
「……」
またしても沈黙。
「……」

――グイッ。

彼の手が私の腕を引っ張る。
「……」

――ギュッ。

だが、私は離されまいと、腕により一層の力を込める。
「……なぁ」
「……何ですか?」
「……いい加減、放してくれねぇか?」
「……」
やっぱり。
内心密かに呟く。
欲を言えば、離れたくない。
誰かに抱かれる、誰かに抱きつくなんていう体験、当然だけど初めてのことで、できることならもっと味わっていたかった。
だけど、これ以上このままでいるのは、ガルさんにとって迷惑この上ない。
私の個人的なワガママで、彼に嫌われるなんてこと、間違ってもイヤだ。
「……分かりました」
結果、私は渋々彼の首に回していた腕をほどいた。
地に下ろされ、自分の足で立つ。
周囲を見渡してみた。
白一色で染められた味気ない壁に四方を囲まれ、申し訳程度に置かれた椅子と机が散在する小さな部屋。
壁際に置かれている書棚の中は、いくつかのファイルが横倒しに並んでいるだけで、そのほとんどが空白だった。
そして部屋の隅には、先ほど私たちが上がってきた階段があるだけ。
総評するなら、何の為にあるのか定かでなく、どう転んでも重大な役割を担ってはいない、ちっぽけでつまらない小屋。
だけど、ずっと檻の中から見える景色だけが世界の全てだった私にとっては、それらのどれもが新しく新鮮だった。
「ほら」
「えっ?」
急に背後から聞こえてきたガルさんの声に、私は後ろを振り返ろうとした。

――バサッ。

途端、頭に何かが被さる感じと共に、目の前が真っ暗になる。
「ひゃっ!?」
半ばもがくようにして、その何かをひっぺがし、目の前に掲げる。
それは、いつもガルさんが着ているものと同じ、少し灰色がかった色の作業着だった。
「これは……?」
「大分大きいだろうが、とりあえずはそれでも着とけ」
「へっ……?」
そこで、私は初めて気付いた……と言うか、自覚した。
自分が、この姿になってからずっと裸であったことを。
だけど、別に恥ずかしくはない。
今までだって、ずっと裸だったんだから。
「“へっ?”じゃない! いつまでも裸でウロウロされると困るんだよ! さっさと着ろ!」
そう怒鳴って、私から目を逸らすようにそっぽを向くガルさん。
どうやら、恥ずかしいのはむしろ彼のようだ。
「は〜い。んしょ……っと」
袖に腕を通し、ボタンを止める。
……うわ、本当にブカブカだ。
上着なのに、丈は膝下くらいまであるし、袖なんて、腕をダラリと下げたら指先さえも裾に届かない。
……何だか落ち着かないなぁ。
「ガルさん、もう少し小さいのないんですか?」
「ねぇよ。それで我慢してろ」
「……仕方ありません」
ブラブラと長い袖をもて余しながら、ガルさんの隣へと歩み寄った。
「……あれ?」
「んだよ?」
「いや、ガルさんって、こんなに背が高かったかなって……」
首を傾げながら、今まで見たことのない視点から彼を見上げる。
「お前が小せぇだけだよ。その背丈、下手すりゃ小学生クラスなんじゃねぇか?」
「ばっ、バカにしないで下さいよ! 私、こう見えたってガルさんより歳上なんですよ!?」
「……嘘吐いてんじゃねぇよ」
「嘘じゃありません! ガルさんって25歳なんでしょう!? だったら、私の方が全っ然歳上です!」
「じゃあいくつなんだよ」
「えっと……それは……」
つい口ごもる。
自分の正確な年齢なんて、正直なところ覚えてない。
と言うか、自分の生年月日さえ分からないのだから、そんなもの知りようがない。
「……良く、覚えてません……」
「それじゃ、話しにもならねぇな」
「うぅ……で、でも、覚えてるだけでも、多分30年くらいは……」
「はいはい、分かった分かった」
「もーっ! 真剣に聞いて下さいよーっ!」

――ゴゴゴオオォン!

突然、軽い振動を伴って鈍い地鳴りが響いた。
「……」
「……」
会話を止め、二人でその音がした方へと目を向ける。
壁に遮られて何も見えなかったが、何が起きたのかくらい、何も言わずとも分かった。
「……終わったな」
「……はい」
……終わった。
そう、終わったんだ。
実験動物として生まれ、あそこで過ごしてきた地獄のような日々。
それが今、遂に終わりを迎えたんだ。
安息を得られる日なんて、来ないと思っていた。
死を以てしか、終わり得ないと思っていた。
しかし、それは終わりを告げ、私は今なお生きている。
しかも、醜い化け物としてではなく、人としてだ。
今でも信じられない。
もし夢だと言われても……いや、そうだったとしたら、何と都合の良い夢だと、自分で自分を嘲っていたかもしれない。
そんな現実。
幻想でも夢幻でもなく、それが、今の私を取り巻く真実。
でも、嬉しいことばかりじゃない。
もちろん不安はある。
これからのこと……何も考えていない。
生き地獄から解き放たれて……そして、どうするのか。
何も分からない。
考えたこともない。
あの狭い世界で、半永久的に縛られ続けるんだと、ずっと諦めていたから。
そんなことだから、いざ解放されたというのに、こんなザマなんだ。
自分の愚かさ加減に、嫌気が差す。
「さて、と……」
そんなことを考えている内に、何やら簡単に荷物を纏めたらしいガルさんが、肩から鞄を提げて立っていた。
「……行くんですか?」
「当たり前だろ? あそこは潰れちまったんだ。無くなった職場に居座ってたって、意味ねぇよ」
「そう……ですよね……」
小さく呟く。
ガルさんは逞しい。
職を失ったにもかかわらず、そんなことは何とでもないと、しっかり前を見据えている。
それに比べて、私のなんと弱々しく儚いことか。
前も後ろも、右も左も見えぬまま、ただ暗闇に立ち尽くすことしかできない。
せっかく……せっかく、あの日々から抜け出せたというのに、私は……なんて非力なんだろう。
扉へと向かい、動き出す足音。
それは、時を経るに従って、ゆっくりとだが確実に遠退いていく。
何か……何か言わないと……。
そう思うのに、怖くて目線さえ上げられない。
己の無力さと愚かさ加減に、苛立ちを越えて自己嫌悪さえ覚えそうになる。
「……おい」
そんな私に、彼は扉の直前で立ち止まり、声を掛けた。
その先に続くであろう言葉。
聞きたくない。
耳を塞いでしまいたい。
だけど、そんなことできない。
彼の言葉を無視するなんてこと、絶対にしちゃいけないんだ。
「……はい」
意を決して、口を開く。
彼の言葉を受け入れる、覚悟を決める。
「何してんだよ。置いてくぞ?」
「……えっ……?」
弾けたように顔を上げる。
その視線の先には、いつもと変わらない彼の表情があった。
「ついて行って……良いんですか……?」
「んだよ、来たくねぇのか? なら勝手にすればいいさ」
ぶっきらぼうにそう言い捨てると、ガルさんは私に背を向けて歩き出した。
「……」
動けず、その場に立ち尽くしたまま、呆然と遠くなってゆく背を見つめる。
「……ったく、しゃあねぇなぁ……」
すると、彼は途中で足を止め、もう一度私の方を振り返って、こう言った。
「……ついて来い」
やっぱりぶっきらぼうで、愛想なんて欠片とない声音。
だけど、私には確かに感じ取れた。
その声に含まれる、暖かさと優しさが。
何と応えるか、もう迷いは欠片となかった。
「……はい!」
彼の元へと駆け出す。
まだ、外は暗い。
だけど、扉の向こうに広がる彼のいる世界は、光に満ち溢れて見えた。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時39分(198)
題名:決着〜Love Destination〜(第二十章)

――英国、スラッグ邸付近、7/29、現地時間06:00――


「ふぃ〜……やっと着いたわ」
ようやく見えてきたスラッグ邸を前に、水亜は大きく背伸びをした。
東の地平線付近からは太陽が昇り始め、真っ暗な空は徐々に群青色へと変わり出していた。
辺りから聞こえ出す小鳥たちのさえずりや、遠くから聞こえてくる車の往来の音も、夜の終わりと入れ違いに訪れる朝の始まりを告げている。
そんな世界の中、彼女は改めて全てが終わったことを感じていた。
あの後、嘉治と別れた水亜は、スラッグに預けていた紗弥を迎えに、この場所へと戻ってきた訳だが……、
「……わ〜ぉ」
家の前まで戻ってきた彼女は、目の前の有り様にそんな声を漏らした。
吹き飛んだ扉に、所々が崩れた壁、そして玄関前の地面に空いた爆発によるものと思しき穴。
何が起きたのか、水亜も大体の予想はできていたようで、特に驚いている様子ではなかった。

――結構派手にドンパチやったみたいね〜。

そんなことを思いながら、風通しの良くなった玄関をくぐる。
「ただいま〜」

――ドタタタタタッ!!

そう言うなり、物凄い勢いで水亜の元へと走り寄ってくる足音。
それが誰のものであるか、わざわざ目を向けずとも彼女には分かっていた。
「姉さんっ!!」

――ドンッ!

紗弥が、体当たりさながらの勢いで、水亜に飛び付く。
「おっとと」
そうくるであろうことは予想できていたので、足を踏ん張り、彼女は問題なくその体を受け止めてやることができた。
「姉さん……姉さん……良かった……!」
「ただいま、紗弥。あらあら、そんなに泣いちゃって。心配した?」
「当たり前じゃないですか……心配してたに……決まってるじゃないですかぁ……」
水亜の腰回りにしがみついたまま、泣きじゃくる紗弥。
「そ、そう……? あ、ありがと……」
ついさっきまでの自分の姿と重なったのだろうか。
明後日の方角に視線を向け、水亜は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「よう。えらく遅いお帰りだな」
紗弥から遅れることしばらくして、リビングの方からスラッグが姿を現す。
「ちょっと色々あってね」
「……ま、見たところ大した怪我もしてないみてぇだし、お前にしちゃあ上出来だ」
「言ってくれるじゃない……その割に、あんたの方は結構派手にドンパチしてたみたいだけど?」
荒廃とした家の様子を見回しながら、水亜は口の端に皮肉混じりの笑みを浮かべた。
「うるせぇな。手っ取り早く片付けるために仕方なかったんだよ」
「ふ〜ん……ま、いいけどね」
もっと弄ってやろうかとも思ったが、そうなると少々紗弥には聞かせたくない言葉が混じってきそうだったので、仕方なく水亜はこちらから話題を切ってやることにした。
「で、これからどうするんだ? 直ぐに帰るのか?」
「そうねぇ……粗方片付いたし、1日くらいゆっくり観光してもいいんだけど……どうしよっか?」
直ぐ下の紗弥に問いかける。
「……」
……しかし、返事がない。
「……紗弥?」
「すぅ……すぅ……」
一定間隔置きに聞こえてくる、微かな吐息。
水亜の体に抱きついたまま、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ほとんど立ってるのと変わらない、このような状態のまま寝てしまうという事実が、彼女がよほどの無理を通していたことを示していた。
「……寝ちゃってるわ」
「ははっ、まぁずっと不安がってたからな。緊張の糸が切れたんだろ」
「そう……心配かけてごめんね、紗弥……」
いとおしむように、水亜がその頭を優しく撫でる。

――何だか、本当に妹ができたみたいね。

今までにも何度か感じていたことではあったが、こうして無防備な姿を見せられると、心が暖かくなると同時に、母性をくすぐられる思いだった。
「ま、上がっていけや。紅茶の一つくらいなら淹れてやるよ」
「お、あんたが自分から私をもてなしてくれるだなんて、珍しいこともあるもんね」
眠りこけてしまった紗弥を起こさぬよう、その体をそっと抱き上げる。
「たまにはいいさ。二杯目からは金もらうけどな」
「そういうとこは相っ変わらずケチね〜。もうちょっと気前良いところ見せてみなさいよ」
「んなもん、お前に見せたところで何にもならねぇだろうが」
「紅茶一杯につき一枚、あんたの写真の被写体になってあげてもいいわよ?」
「……」
「……」
「……ふっ」
「ちょっと! あんた、今鼻で笑ったでしょ!?」
「お前みたいな奴、撮ったところでどうすんだよ」
「……今の言葉は聞き捨てならないわね。私だってこう見えてねぇ……」
……そんな賑やかな会話が、朝を迎えつつある冷涼で穏やかな空気中に溶け込んでいった。

月夜 2010年07月10日 (土) 00時40分(199)
題名:決着〜Love Destination〜(あとがき)










超☆エキサイティン!(゜∀゜)















皆さん、月夜です。
心情的には、まさに上に示した通りです。
時刻は深夜3:45。
テンションも当然夜のそれ。




今夜はParty Night!(゜∀゜)




明日もParty Night!(゜∀゜)




毎日がEvery Day!(゜∀゜)















あ、勢いに任せて言ってみただけなんで、アホの子とか言わないであげてくだしあ(´・ω・`)




ともあれ、遂にO.L.最初の長編が完結!
いやはや……長かったですね。
最初の作品、発端〜The Biggining〜を書いたのが2008年の4月21日だったので、完成までに二年強かかったという計算ですか。
まぁ、あの頃に比べると、ちょっと文章の表現的に違いとかがあって、繋げて一気に読むと違和感があったりするのかな〜とかも思ったり(・ω・;)

でも、長かったですけど、やっぱり楽しかったですね。

「スランプ? 何それ? 食えんの? 旨いの?」

的な時期があったのは事実ですが、それも含めて楽しかったかな。
自分で作ったキャラでありながら……いや、だからこそなのかもしれませんが、私の頭の中で、皆して結構好き勝手暴れてくれたので、作品の流れ的に筆が止まってまるで動かなくなるようなことは、ほとんどありませんでしたね。

終わり方も、私が当初思い描いていた場所とは、ちょっと違う着地点に着いてはしまいましたが、それでも良い感じに締められたんじゃないかな〜と、個人的には思ってます。

この展開と締め方は、読者の方々にとってはどうだったんでしょう?
意外だった方、想像通りだった方、どちらもおられるとは思いますが、楽しんでいただけたなら何よりです。

この作品、ジャンル分けをするなら、若干ファンタジー風味を孕んだアクションとかになるんでしょうけど、それと同時に私は恋愛モノでもあると思っています。
愛とは言っても、その形式、思いの形は様々です。
親子愛、兄弟愛、恋愛、狂愛、慈愛、溺愛……愛と名の付く単語は沢山あり、その種類も与える愛、求める愛、奪う愛と様々です。
その中でも、今作のテーマは求める愛でしょう。
水亜、ドミニィ、そして、醜い化け物の姿をした少女。
その誰もが、愛に飢えていました。
水亜は、自分を生んでくれたはずの親の愛を。
少女は、自分のことを必要としてくれる誰かの愛を。
唯一、幼き頃から遊樹の愛を受けて育った彼女も、自分には居ない親の姿を遊樹に重ね、その愛を求めていました。

果たして彼女たちは、それらの愛を得ることができたのでしょうか?
答えは、読み手の数だけ存在しています。
この物語が、それぞれの人物にとって、果たして幸せな物語だったのか、それとも悲しい物語だったのか。
その答えも、この物語の後に続く世界も、読み手の数だけ無数に存在し、その世界は無限に広がっていく。
これは、その広がってゆく世界の最初の一部分。
その一部分を、皆さんと共有することができたのなら、私としても喜ばしい限りです。


……さて、長々と続けるのもアレなので、この辺りで一旦締めさせていただくとしましょう。
ただ、最後にアフターストーリー的な短い話を付ける予定ですので、完成後もう少しお付き合いいただけると幸いにございまする(´・ω・`)ノ

とりま、この作品に対する感想等ございましたら、下の「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」からお便りとか、まぁどこからでも言ってやって下さい。
月夜が泣いて喜ぶので(`≧ω≦)b

ではでは、今回はこの辺りで。
最初の作品から付き合って下さった方は、今まで長い間、本当にありがとうございました。
これからも頑張っていく所存ですので、どうぞご声援のほどよろしくお願いしますm(_ _)m


ここまでは、「誰だよ、「さ」行のボタンの上に電源ボタン付けた奴……」でお馴染み、私こと月夜がお送りしました。


















この最終章だけで、二度被害にあいますた……(´;ω;`)

月夜 2010年07月10日 (土) 00時41分(200)


Number
Pass

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