――英国、SIS本部前、7/29、現地時間05:00――
――只今、一件の伝言をお預かりしています。新しい伝言一件目、昨日の夜11時の伝言です。
――おじいちゃん? 私、絢音だよ。お仕事頑張ってる?
「……」 耳元から聞こえてくる、いつも通りの……いや、いつも通りを装った絢音の声。 電子音を介してのものだったが、いつも聞き慣れているあいつの声だ。 声色のささやかな違いでも、私が聞き間違いなどするはずはない。
――私もおばあちゃんもいないからって、油っこいものばっかり食べてない? 昔っから元気だけど、おじいちゃんだってもう年なんだから、体は労らなきゃダメだからね? ……。
「……」 しばらく訪れる無言の時。 小さなノイズだけが、絶え間なく鼓膜を刺激する。
――……おじいちゃん……大丈夫、だよね? ちゃんと……帰ってきてくれるよね……?
そんな沈黙を裂いて聞こえてきたのは、今にも泣き出しそうな絢音の声だった。
――……ご、ごめんね、何か変なこと言っちゃってるね、私! そ、それじゃあ、体に気をつけて、お仕事頑張ってね! バイバイ!
――プツッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ……。
「……」 言葉もなかった。 最後、無理をして明るく振る舞ったあいつの声が、全て聞き終えた今も胸に痛々しい。 携帯を閉じ、少し考え込んだ後、私は再びそれを開いた。 着信履歴の中から、一番上のあいつの番号を選び、通話ボタンを押す。
――プルルルルルル、プルルルルルル……
もし出なかったら、何か言伝を残しておくか。 そんなことを考えていた、その矢先だった。
――プルルル、ピッ。
――おじいちゃん!?
コール音が途切れるなり、間髪を置かずに絢音の大声が耳に飛び込んできた。 「うぉっ……あ、絢音……声が大きい……」
――おじいちゃん、大丈夫なの!? 体、壊してない!? 怪我とか、病気とかしてない!?
私の言葉などまるで届いていないかのように、絢音は張り上げる声を弱めることなく、矢継ぎ早に私に問いを投げかける。 「あぁ、大丈夫だ。体も壊してないし、怪我も病気もしてない。だから、とりあえず落ち着け」
――うん……うんっ……!
涙声で頷く絢音。 電話越しにでも、目の端に涙を浮かべたあいつの姿が見えるようだった。 「すまん……心配かけたな」
――本当だよ……どれだけ心配したと思ってるのさ……。
「悪かったよ……許してくれ」
――ダメ……帰ってきてくれるまで……許さないもん……。
「……分かった。ちゃんと帰るから。そしたら許してくれるか?」
――……お土産は忘れないでよ?
「あぁ、ちゃんと買って帰ってやるよ」
――……なら、許したげる〜。
絢音の声に、ようやくいつもの明るい響きが戻った。 やはり、こいつはこうじゃないとな。
――ところでおじいちゃん、いつ頃帰ってくるの? 予定だと、今日明日くらいって話だったけど……。
「……」 返す言葉に詰まる。 確かに、事件は解決した。 しかし、それはあくまで表面上。 まだ、大事な後始末が残っている。
――……おじいちゃん?
「多分、明後日か明明後日くらいだな。ちょっと問題が起きてしまってな」
――そう……なんだ……。
聞いて取れる、絢音の明らかな落胆。 そんな声を聞くと、今すぐにでも帰ってやりたくなるところなのだが……今回ばかりはそうもいかない。 「大丈夫。今度はちゃんと約束は守るから。大人しく待っててくれ」
――……うん、分かった! おばあちゃんにもそう伝えとくね!
「あぁ、頼むよ。それじゃ、お土産楽しみにしてなさい」
――は〜い! じゃあお仕事頑張ってね! バイバイ!
――プツッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ……。
通話が切れたのを確認してから、静かに携帯を閉じ、スーツの胸ポケットにそれをしまう。 最後、別れ際に聞こえてきた絢音の声は、普段から耳に慣れ親しんだ、あいつ本来の元気な声だった。 安堵に胸を撫で下ろす。 肩の荷を一つ、ようやく下ろせた気分だ。 だが、真の意味で肩から力を抜けるのは、全てを片付け終えてから。 ……とは言うものの、事件はひとまず解決の様相を呈するまでにはなった。 ここから先は、そう焦る必要もない。 それに、全身を襲う疲労のせいで、お世辞にも万全のコンディションには程遠い。 絢音の声を直に聞くのは、まだ少し先になりそうだ。 遠く、空の彼方から昇り行く朝日。 長かった夜が明け、また新しい一日が始まる。 「……とりあえず、これ以上あいつの機嫌を損ねない為にも、早めに土産選びをしておくか」 誰に言うともなくそう呟き、私は歩みをロンドン都市部へと向けた。
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