「……」 呆然と立ち尽くす私。 目の前に広がる光景のあまりの惨状に、言葉も出ない。 「……」 チラッと、瞳だけを動かして視線を横にやる。 「……」 そこには、同じく唖然といった表情のガルさんが。 あんぐりと開いた口が多少間抜けだけど、それも仕方がないと言うものだろう。 何故なら、目の前にこんなものがあるのだから。 再度、意識と視点を前方に戻す。 そこには、一件の建築物が。 木造の壁は、ただ古びているだけでなく、所々が砕けて穴が空いている。 窓はガラスが汚れているとか、割れているとかいう以前に、もう窓枠そのものがない。 玄関と思しき場所にも、当然のように既に扉はない。 そんな玄関から、不意に飛び出してきた小さな影。 何かと思って見てみれば、それは野生のリスだった。
――……。
「……」 一瞬、互いに見つめ合った後、逃げるようにしてリスが走り去る。 「……ガルさん」 ここに来てから初めて、私はガルさんに声をかけた。 「……何だ?」 私の声を受けて、ガルさんが答える。 その声音の端々から感じられる失意は、私の気のせいじゃないだろう。 そしてそれは、これから私が聞こうとしていることで、更に加速度を増すだろう。 だけど、さすがに終始聞かないわけにもいかない。 躊躇いながら、私は静かに口を開いた。 「……ここ、何なんですか?」 「……さっきも言ったろ?」 「……さっき、何て言いましたっけ?」 「……」 口ごもるガルさん。 少しの間、次に続ける言葉を言い淀んだ後、渋々といった様子で口を開いた。 「……ここが、これから俺たちが住む家だ……」 そう呟く彼の目は、生気も光も失い、まるで死んだ魚のようだ。 「……ガルさん、この家の資料、もう一回見せてもらっても良いですか?」 「あぁ……」 半ば投げ捨てるようにして、ホッチキスで止められた資料の束をこちらへと手渡す。 「ありがとうございます」 受け取ったそれへと目を向ける。
――駅から徒歩十数分の立地で、雄大な自然味溢れる暮らしが味わえます。
……確かに、駅から歩いて来れる距離ではあったけど……途中、赤錆びた柵をくぐったり、廃棄された自転車やら家具の散らばったゴミ溜めを跨いだり、果てには木に囲まれた道なき道を通ったりと、自然味溢れると言うより、これは野性味溢れると表現した方が、言葉として正しいんじゃないだろうか。
――古き良き時代の名残を感じさせる木造建築が、住まいに自然の香りを与えてくれます。
これだけ派手に穴ボコだらけじゃ、自然の香りも何もあったもんじゃない。 名残を感じさせるとあるが、せいぜい元の形がどんなものであったか、かろうじて想像出来るという点以外に、名残を見るところは全くない。
――都市部には無い栄養価の高い土壌は、作物を育てるのに最適です。
周囲に立つ大量の木のせいで、太陽の光がほとんど届きそうにないんだけど。 これじゃ、いくら養分豊富な土でも、意味ないんじゃないかしら? そんなことより、ここまで雑草が乱れ育った土壌、作物を育てられるように整備するだけで、軽く見積もっても一日仕事なのは間違いない。
――数多くの緑によって生み出される新鮮な空気は、都心部の汚れたそれとは、比ぶるべくもないでしょう。
空気は綺麗かもしれないけど、人気の無さが災いして、結構ゴミが落ちてそうなんだけど。 どこかの工場の産業廃棄物とかが捨てられてても、何らおかしくない。 ここまでだけでも相当問題尽くしな物件だが、それら全てを差し置いても、極めつけなのがこれ……“※住むにあたっての注意”と記された部分だ。
注1)裏手の墓地は戦時中の外人墓地なので、管理地ではあるが、荒らしたり、遺族のお骨を納めたりしないで下さい。
注2)その墓地での怪奇現象に関しては、一切口外しないようにして下さい。どうしても怖い時は、盛り塩をして祈りを捧げて下さい。もし除霊を引き受けてくれる専門家がいるようならば、依頼して下さっても構いません。
注3)もし近場で自殺未遂者を発見した場合、即座に警察に連絡した後、何とか自殺を食い止めて下さい。
注4)万が一、自殺者を発見してしまった場合は、迅速に警察と救急車を要請して下さい。
資料最後のページ隅に、意図的に目立たないようにしたとしか思えない項目たちだ。 って言うか、ここって自殺の名所か何かなの? そんなところに立つ家を売り付けるだなんて、正気の沙汰とは思えない。 ……まぁ、それを言ったら、買う方も買う方なんだけど。 ふと、つい先日、時間にして十数時間前のことを思い出す。
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