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O.L.作品置き場

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タイトル:曇天のち快晴、瞳より雨 恋愛

――実験動物として生まれ、失敗作の烙印を押され、化け物のまま死を迎えるはずだった、人ならざる名もなき少女。人として生きることになった彼女に待っている日々は、満ち足りたバラ色に彩られている……のか? ラブコメ風味な中にちょこっとシリアスな展開も混ぜ込んでいった、O.L.番外編的なほのぼの短編作品!

月夜 2010年09月17日 (金) 01時00分(212)
 
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第一章)


「……」
呆然と立ち尽くす私。
目の前に広がる光景のあまりの惨状に、言葉も出ない。
「……」
チラッと、瞳だけを動かして視線を横にやる。
「……」
そこには、同じく唖然といった表情のガルさんが。
あんぐりと開いた口が多少間抜けだけど、それも仕方がないと言うものだろう。
何故なら、目の前にこんなものがあるのだから。
再度、意識と視点を前方に戻す。
そこには、一件の建築物が。
木造の壁は、ただ古びているだけでなく、所々が砕けて穴が空いている。
窓はガラスが汚れているとか、割れているとかいう以前に、もう窓枠そのものがない。
玄関と思しき場所にも、当然のように既に扉はない。
そんな玄関から、不意に飛び出してきた小さな影。
何かと思って見てみれば、それは野生のリスだった。

――……。

「……」
一瞬、互いに見つめ合った後、逃げるようにしてリスが走り去る。
「……ガルさん」
ここに来てから初めて、私はガルさんに声をかけた。
「……何だ?」
私の声を受けて、ガルさんが答える。
その声音の端々から感じられる失意は、私の気のせいじゃないだろう。
そしてそれは、これから私が聞こうとしていることで、更に加速度を増すだろう。
だけど、さすがに終始聞かないわけにもいかない。
躊躇いながら、私は静かに口を開いた。
「……ここ、何なんですか?」
「……さっきも言ったろ?」
「……さっき、何て言いましたっけ?」
「……」
口ごもるガルさん。
少しの間、次に続ける言葉を言い淀んだ後、渋々といった様子で口を開いた。
「……ここが、これから俺たちが住む家だ……」
そう呟く彼の目は、生気も光も失い、まるで死んだ魚のようだ。
「……ガルさん、この家の資料、もう一回見せてもらっても良いですか?」
「あぁ……」
半ば投げ捨てるようにして、ホッチキスで止められた資料の束をこちらへと手渡す。
「ありがとうございます」
受け取ったそれへと目を向ける。

――駅から徒歩十数分の立地で、雄大な自然味溢れる暮らしが味わえます。

……確かに、駅から歩いて来れる距離ではあったけど……途中、赤錆びた柵をくぐったり、廃棄された自転車やら家具の散らばったゴミ溜めを跨いだり、果てには木に囲まれた道なき道を通ったりと、自然味溢れると言うより、これは野性味溢れると表現した方が、言葉として正しいんじゃないだろうか。

――古き良き時代の名残を感じさせる木造建築が、住まいに自然の香りを与えてくれます。

これだけ派手に穴ボコだらけじゃ、自然の香りも何もあったもんじゃない。
名残を感じさせるとあるが、せいぜい元の形がどんなものであったか、かろうじて想像出来るという点以外に、名残を見るところは全くない。

――都市部には無い栄養価の高い土壌は、作物を育てるのに最適です。

周囲に立つ大量の木のせいで、太陽の光がほとんど届きそうにないんだけど。
これじゃ、いくら養分豊富な土でも、意味ないんじゃないかしら?
そんなことより、ここまで雑草が乱れ育った土壌、作物を育てられるように整備するだけで、軽く見積もっても一日仕事なのは間違いない。

――数多くの緑によって生み出される新鮮な空気は、都心部の汚れたそれとは、比ぶるべくもないでしょう。

空気は綺麗かもしれないけど、人気の無さが災いして、結構ゴミが落ちてそうなんだけど。
どこかの工場の産業廃棄物とかが捨てられてても、何らおかしくない。
ここまでだけでも相当問題尽くしな物件だが、それら全てを差し置いても、極めつけなのがこれ……“※住むにあたっての注意”と記された部分だ。

注1)裏手の墓地は戦時中の外人墓地なので、管理地ではあるが、荒らしたり、遺族のお骨を納めたりしないで下さい。

注2)その墓地での怪奇現象に関しては、一切口外しないようにして下さい。どうしても怖い時は、盛り塩をして祈りを捧げて下さい。もし除霊を引き受けてくれる専門家がいるようならば、依頼して下さっても構いません。

注3)もし近場で自殺未遂者を発見した場合、即座に警察に連絡した後、何とか自殺を食い止めて下さい。

注4)万が一、自殺者を発見してしまった場合は、迅速に警察と救急車を要請して下さい。

資料最後のページ隅に、意図的に目立たないようにしたとしか思えない項目たちだ。
って言うか、ここって自殺の名所か何かなの?
そんなところに立つ家を売り付けるだなんて、正気の沙汰とは思えない。
……まぁ、それを言ったら、買う方も買う方なんだけど。
ふと、つい先日、時間にして十数時間前のことを思い出す。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時00分(213)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第二章)


「家……ですか?」
やたらと味の濃いインスタントヌードルを啜りながら、私は首を傾げた。
「あぁ。今日、勤め先のバイトに紹介されてな。何でもそいつの父親が不動産関係の仕事をやってて、空き家を格安で提供出来るけどどうだって言ってきたんだよ」
私と同じように、ヌードルを口に頬張りながら、相変わらずのしかめっ面でガルさんが答える。
空き家かぁ……。
空き家って言うと、やっぱりアパートとかマンションじゃなく、一軒家のことを言ってるんだろうな。
でも、そうなると今みたいな月々いくらの家賃で〜とかじゃなく、購入っていう形になるんじゃないだろうか?
だとしたら、いくら格安と言ったって、そんなお金があるとは思えないんだけど……。
「……それって、ここみたいなアパートじゃなくて、一軒家ってことですよね?」
「あぁ、そうだ」
「ってことは、月々いくらかの家賃で借りるんじゃなく、購入って形になるんじゃないですか?」
「そうなるな」
私の疑問に、さも当然といった様子で、平然と頷くガルさん。
しかし、どうしてそうも簡単に首を縦に振れるのかが、私にはてんでわからなかった。
何の自慢にもならないが、私たちは貧乏だ。
それも、並大抵の貧乏じゃない。
極貧の一歩手前だ。
なんといったって、油断したら電気、ガス、水道の全てが、いつストップしてもおかしくない……いや、それよりここを追い出されるのが先か。
今の私たちの収入源は、ガルさんのバイト程度の月収しかない。
ちなみにあの施設を出て以来、ガルさんは動物園の飼育員として働いている。
彼曰く、“性に合っている”だそうだ。
その理由を、ガルさんは誰に気を遣う必要もなく、気楽だからと言っていたが、私はそうは思わない。
本人は自覚していないが、彼はとても思いやりのある人だ。
だけど、そんな自分を見せることに躊躇いがあるからなのか、人に対しては口が悪い。
勤め先での人付き合いも、その口の悪ささえなければ、きっと円滑にいくんだろうけどなぁ。
それに引き換え私ときたら、未だに無職無給のまま……。
もちろん、私だって何も策を講じずに、のうのうと過ごしてきた訳じゃない。
パート先を探して、色んな所へと面接にも行った。
だけど、そのどこもかしこもで言われる言葉は、ほとんど同じだった。

――ん〜……流石にお嬢ちゃんじゃあ、ちょっと雇えないなぁ……。

――ごめんなさいね。10年後、また来てちょうだい。

初めて鏡を見たあの日以来、私は自分自身の容姿がどのようなものか、理解している。
だから、こうなるであろうことは、事前にある程度覚悟していた。
自分の年齢を保証できる物が何も無い以上、私が何を言ったところで、何の説得力もない。
……だが、さっきの二つはまだ良い方。
最悪だったのは、あのナントカって百貨店だ。

――あのね。ここは力仕事ができるバイトが欲しいの。それに、応募事項に書いてあるでしょ? 力に自信のある、18歳以上の、出来れば男性って。君は、そのどれにも該当してないの。分かる? ガキはお呼びじゃないんだ。さ、私は忙しいから、さっさと帰って宿題でもやってなさい。

この発言には、さすがの私も怒りを抑えることができなかった。
だから、当然言ってやった。

――こう見えても私、力には自信があるんですよ。

そして、やってやった。

――バキィッ!

面接の場にあった木製の机を、あの憎たらしい店長の目の前で思い切り叩き割り、そのまま扉を蹴り開けて室外へ。
……その後、ちょっとスッキリした気持ちだったのは秘密だ。
そんなこんなで断られ続けてきた私だが、全部の店から門前払いを受けた訳じゃない。
一つだけ、とある店が、私のことを雇ってもいいと言ってくれたのだ。
ただ、その店とその業務内容をガルさんに話したところ、“それだけは絶対にダメだ!”と頑なに言って聞いてくれなかったので、残念ながらその話はお流れになってしまっている。
何でも、女性が男性を色々な方法で接待するお店ということだったが……一体どういう意味だったんだろう?
……なんていう話は、この際横に置いといて、話題を元に戻さないと。
「いや……そんなお金、一体どこにあるって言うんですか?」
「それなら心配いらねぇよ。特別に、ほとんど投げ売りに近い価格で譲ってくれるんだそうだ」
「えっ、そうなんですか?」
思いがけない言葉に、ヌードルへと伸ばしていた手が止まる。
「あぁ。だから、もう買ってきた」
「ぶっ!?」
そして、それを更に上回る思いがけない言葉に、私は思わず噴き出した。
何も口に含んでなくて良かった……って、今はそれどころじゃない!
「か、買ったって、現場も見ずに家を買っちゃったんですか!?」
「そうだが?」
慌てふためく私とは対照的に、落ち着き払った態度のガルさん。
「で、でも、いくら投げ売り価格とはいえ、家ですよ!? 安い買い物ではなかったでしょう!?」
「20年ローンの分割払いにしたから、大したことねぇよ」
まるで、スーパーで卵が安売りだったから買ってきた、と言わんばかりの軽いノリだ。
その余裕は、一体どこから来るんだろう。
「やっぱり、20年のローン組まなきゃ買えないような値段なんじゃないですか! そんな高い買い物を、見もせずに買っちゃうだなんて、いくらなんでも軽率過ぎますよ!」
「お前、何寝ぼけたこと言ってんだよ。あんなお買い得物件、放っておいたら誰かにかっさらわれるに決まってんだろ」
「そうは言いましても……」
「どう考えたって、こんなボロアパートの狭い一室に家賃を払うより、そっちの方が断然良いだろうが」
「う〜ん……」
確かに、今私たちが住んでいるこのアパートは、どう贔屓目に見ても狭い。
一人ならまだしも、二人となると、寝るだけでも一苦労だ。
実際、別の部屋のほとんどは、一人暮らしの学生が下宿先として使っているみたいだし。
「……でも、だからといって、どんな家かも見に行かずにっていうのは……」

――カタン!

言い淀む私の言葉を遮るように、ガルさんが空になったヌードルの容器を卓上に叩き付けた。
「ったく、お前はどうしてそう消極的なんだ! 見ててイライラするぜ!」
「そ、そんな……私はただ、そういう高い買い物をする時は、もっと慎重になった方が良いと……」
「呑気に検討なんかしてる間に、他の誰かに掠め取られたらどうすんだよ。どう転んだってお買い得な値段だったんだ。迷う要素なんかないだろ?」
「で、ですが……」
「あぁっ! この話は終わりだ! 明日にはこんなオンボロアパート、とっとと出て新しい家に移るからな!」
「ちょ、あ、明日って……そんな急な話……」
「もう決まったことだ! 俺は疲れたからもう寝る!」
そう吐き捨て、ガルさんは毛布も敷かずに、その場に横になってしまった。
「……はぁ」
無意識の内に漏れる溜め息。
こうなったガルさんは梃子でも動かないことを、私は良く知ってる。
こうなったらもう、この話に裏がないことを信じて、明日現地に赴くしかない。

――大丈夫かなぁ……。

そんな不安の声は心に留め、私は残りのヌードルを一気に啜り上げた。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時01分(214)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第三章)


……そして今に至る、と。
予想通りと言えば予想通りの展開に、呆れ返る私の隣では……、
「……」
今なお、放心状態のガルさんが、輝きを失った瞳で、目の前の廃屋同然の家を見つめていた。
「……で、どうするんですか?」
「……どういう意味だ?」
「言葉のまんまですよ。これから、どうするつもりなんですか?」
「……」
私の言葉に、返事もなく黙り込むガルさん。
口には出さないものの、多分心の中では、自分自身の計画性のなさに、頭を抱えているのだろう。
「まだ、今なら取り返しがつくと思いますよ? 多少お金は取られるかもしれませんが、この件は白紙に戻して、また今まで通りあのアパートに……」
「ダメだ!」
「え?」
予期していなかったガルさんの強い否定の言葉に、私は反射的にそちらへと視線を向けた。
そこには、眉間にシワを寄せ、眦を吊り上げるガルさんの険しい表情が。
普段から、何をするにもめんどくさそうな態度を取るガルさんだが、こんなにも露骨に嫌悪感を示すのは珍しい。
何で、そんなに嫌がるんだろう?
「今更戻れるわけないだろ!」
「何でです?」
「お前、やっとあの嫌味ったらしいクソ大家から離れられたってのに、またあんな奴の下に戻る気か!?」
「……あぁ」
そういえばガルさん、大家さんと相当仲悪かったっけ。
アパートを借りた当初、朝のゴミ捨てはガルさんに任せていたんだけど、その際、大家さんと顔を合わしては口汚い口論を繰り返すもんだから、朝からうるさいって苦情が来て、それ以来ゴミ捨ては私の仕事になった……なんてこともあったし。
「お前だって、あのクソ野郎と同じアパートに暮らすなんてゴメンだろ?」
「う〜ん……」
実際のところ、大家さんの私に対する態度は普通だし、他の住人からの評判も、それほど悪くはない。
だから、ガルさんと大家さんが互いに激しく毛嫌いしているだけで、彼に性格的な問題があるわけじゃないと思う。
……まぁ、私の目の前で、私を哀れむようにガルさんの悪口を言うところは、どうしても好きになれないんだけど。
「……でも、そんなこと言ったって、これじゃどうしようもないじゃないですか。いくら一度は引き払ったとはいえ、昨日の今日ですから、事情さえ話せばわかってもらえると思いますけど……」
「お前なぁ……俺があの大家を嫌ってることは知ってるだろ? 引き払うったって、何もせず大人しく退散する訳ねぇだろうが」
「何かしたんですか?」
「賃貸契約書を、奴の顔面に叩き付けて出てきた」
「……」
ガルさんってば、私の見てない所でそんなことを……。
「だってのに、またどの面下げて戻れって言うんだよ」
「……確かに、それじゃもう戻れませんね」
正確には、戻れないと言うより戻りたくないと言った方が正しいだろうか。
ただでさえ険悪な仲だったのに、更に溝が深くなったとなれば、過ごしにくいことこの上ない。
「つまり、今の私たちに残された手段は、この家を何とかするしかないってことですね」
「……まぁ、そういうことだな」
改めて、ボロボロの家屋、及び周囲に視線を向ける。
現状のままでは、お世辞にも人の暮らせる環境ではない。
大掛かりな修繕作業が必要不可欠だが、当然、業者に頼むような資金はない。
となれば、私たち自身の手で何とかするしかないのだけれど……果たして、素人二人でどうにかなるものか……。
……いや、泣き言を言っていても始まらない。
やるしかないんだから、やるべきことから目を背けず、やれることからやっていこう!
「ガルさん」
「ん?」
「とりあえず、作業に必要な道具を揃えに行きましょう。鋸とか釘とか金槌とか」
「えっ……」
私のやる気に満ちた声に、何故かガルさんは戸惑いを溢した。
「どうしたんです? そんな鳩が豆鉄砲くらったような顔をして」
「……お前、手伝ってくれるのか?」
「当然じゃないですか。むしろ、何で手伝わないんです?」
「いや、だってよ……この家、確認もせずに買っちまったのも、前のアパートに戻れなくしたのも、俺が勝手にしたことだから……」
いつも物事をはっきりと言うガルさんにしては珍しく、語尾が曖昧で弱々しい。
やっぱり、さすがに今回ばかりは、自分の愚行に責任を感じているのだろうか。
「何言ってるんです。そんなの、もう済んだことじゃないですか。それに、格安で一軒家が手に入ったのは事実です。このくらい、しっかりと補修すれば大丈夫ですって」
うつ向き加減に目を伏せるガルさんの前に回り込み、下から顔を覗き込む。
「だけどよぉ……」
「らしくないですよ、ガルさん。いつもの傲慢なくらいの強気はどうしたんですか? 二人ならきっと何とかなりますって。だからほら、元気出して下さい」
「お前……」
私を見つめる、申し訳なさと後悔の同居した瞳から、その揺らめきが薄れ出す。
入れ代わりに宿るのは、普段の彼が持つ強気さと気丈さだ。
「……お前の言う通り、済んだことはもう仕方がないよな。よっしゃ! オンボロ新居の改築工事、やってみるか!」
伏せていた目線を持ち上げ、廃屋を見据えながら、ガルさんが握り拳を作る。
やっぱり、ガルさんはこうじゃないと。
落ち込んでしんみりするのは、むしろ私の役目だもの。
「それじゃ、ちょっくら近場のホームセンターにでも足を運んでみるか。行くぞ」
「はい!」
すっかり元気を取り戻し、駅の方角へと歩みを進めるガルさんを追って、私は小走りでその傍へと走り寄った。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時02分(215)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第四章)

――修繕作業一日目。

「よし、とりあえず、目下必要な物は粗方買い揃ったな」
「そうですね」
ガルさんの言葉に相槌を打ちながら、目線を地に向ける。
そこには、先ほどホームセンターで買ってきた、各種工具類が並べられていた。
鋸、釘、金槌、レンチにドライバーとその他色々。
建築を生業とする業者の装備に比べれば、あまりに貧弱貧相だが、素人の手には十分過ぎるくらいだろう。
大事なのは、これからの修繕プランだ。
「でだ。問題はどこから始めるかだが……」
「そうですねぇ……この家、外観こそ朽ち果てた廃屋ですが、家の心臓とも言うべき数本の支柱は、どれもしっかりと立っていましたから、その柱を主軸に補修していくのが良いですかね」
あれから詳しく調べてみたところ、どの支柱にも激しい腐敗や損傷、妙な傾き等も見られなかった。
まぁ、多少の老朽化こそ見られたものの、柱としての役割は十分に全うできそうだ。
「だな。問題は、その補修に必要な木材だが……」
そこで一旦言葉を区切るガルさん。
補修材料となる木材を、この家の補修に使用する分全てを購入するとなれば、生半可な金額では収まらない。
無論、今の私たちにそんな余裕はあるはずもない。
普通なら、この時点で打つ手なしとなるところだが……。
「……」
「……」
二人して、無言のまま周囲を見渡す。
そう、幸いにして周辺には、群生する大量の木が。
これが、建築材として有用な木材なのかどうかは分からないが、この際選り好みしてはいられない。
それに、周辺の木々をこのまま放置していたのでは、家の日照時間が昼間の極僅かだけになってしまう。
というわけで、先ず最初に、補修用木材を手に入れつつ、家に日光が当たるようにするべく、周囲の木を切り倒す。
その後、手に入れた木材で屋根や壁の補修を行い、掃除をして家具を揃える。
よし、この方法で行こう!
「先ずは、この辺りの木から切り倒しましょうか」
「そうだな。どれくらい必要になるのかは分からねぇが、この辺りの木なら、20本くらいってところか?」
「そんなところでしょうね。それじゃあ、朝の日を浴びれるよう、東側の木から切っていきましょうか」
「おし! 下手な切り方して木の下敷きにならないよう、気を付けろよ」
そう言いながら、ガルさんが小振りの斧を私へと手渡す。
「ガルさんこそ、木と間違って自分の体を切ったりしないよう、気を付けて下さいね」
軽口を叩きながら、私は差し出された斧を受け取った。
「そんなバカな話、聞いたこともねぇよ。そんじゃあな」
口の端に笑みを浮かべ、ガルさんがこちらに背を向けて歩き出す。
それじゃ、私も始めようかな。
東側へと歩みを進め、そこに林立する木々の中から、手頃なものを探す。
……これなんか良さそうかな。
めぼしい木の横に立ち、薙ぐようにして、振り上げた斧を勢い良く幹に叩き付ける。

――ザクッ!

木にめり込む斧が、何とも言えない不気味な音を上げた。
この音、あまり好きじゃないけど……今は我慢するしかない。
木繊維に食い込む刃を力任せに引き抜き、再度、勢いを乗せて斧を振るう。
そんな作業を繰り返すこと数十回。
最初は小さかった切れ目も次第に大きくなり、額にじんわりと汗が滲み出す頃には、危なげに傾き始めていた。
よし、そろそろ切り倒せそうだ。
両手に持った斧にあらん限りの力を注ぎ、渾身の力でもって刃を叩き込んだ。

――グラリ。

その一撃を機に大きく傾いた木は、メキメキという鈍い音を立てて、横倒しに崩れ落ちた。
地響きを伴った重低音が辺りにこだまし、それを境に大勢の鳥たちの一斉に飛び立つ音が、遠くの方から聞こえてくる。
「うぉっ!? お前、もう倒しちまったのか!?」
声の方へと目線を向けてみれば、少し離れた位置で私と同じ作業を行っている、驚愕を露わにこちらを見つめるガルさんの姿が見えた。
その側に立つ木は、まだまだ切り跡も浅く、倒木させるには少々時間が掛かりそうだ。
「以前にも言ったことがあるでしょう? 私、こう見えても力には自信があるんですって」
ガルさんのそんな視線を受けて、私は力こぶを示すように小さくガッツポーズを取った。
「ちっ……負けてらんねぇ……!」
苦虫を噛み潰したような表情を見せた後、直ぐに木へと向き直るガルさん。
斧を振り上げては叩き下ろし、また引いては切りつけることの繰り返し。
だが、焦りからなのか、心なしかピッチが上がっているように見える。
見ていて、何だか無性に危なっかしい感じだ。
「ガルさん、そんなに慌てないで。ゆっくり慎重に、安全第一でいきましょう」
「そうは言ってもなぁ……お前がそんなにあっさりと切り倒してる手前、男の俺がこのザマじゃプライドが……」
「そんなの見た目だけですってば。私がただの人間じゃないことは、ガルさんが一番良くご存知でしょう?」
「……」
ガルさんが、僅かに口ごもる。
「……? どうかしましたか?」
「あ、その……悪ぃ」
「えっ?」
突然の謝罪に、私は首を傾げた。
いきなりどうしたと言うのだろう?
「いや……思い出したくもないこと、思い出させちまったなって」
「あぁ……」
合点がいった。
つまり、私に“ただの人間じゃない”という言葉を言わせてしまったことを、気に病んでの謝罪みたいだ。
そんなに気を遣わなくてもいいのに。
「そんなこと、わざわざ謝る必要なんてありませんよ。第一、私をあそこから救い出してくれたのは、他ならぬ貴方なんですから」
「俺は何もしてねぇよ。今のお前があるのは、お前自身の力だ」
「いいえ。ガルさんのおかげです。貴方がいたからこそ、私はあの狂った世界でも、生きる意思を保ち続けられたんです」
「……」
「それに、私があんな化け物でもなければ、きっとガルさんと出会うこともなかった……今の幸福に繋がるあの過去に、感謝こそすれど否定なんかしませんよ」
「……お前、強ぇな」
「ありがとうございます。でも、この強さはガルさんからいただいたものですよ」
「お前の強さはお前だけのもんだ。俺にゃ関係ねぇよ」
「いいえ。今、私がこうしてここに立っていられるのだって、全部ガルさんのおかげです。本当にありがとうございます」
「なっ……バ、バカなこと言ってんじゃねぇよ! さっさと作業に戻れ!」
狼狽えながら悪態をつき、ガルさんは頭を垂れる私に背を向けた。
照れなくてもいいのに。
自然とにやつく口元を綻ばせたまま、私はクスクスと笑いながら、再び斧を振るうのだった。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時03分(216)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第五章)

――修繕作業二日目。

「ふぅ……ざっとこんなものかしら」
一人呟き、数歩後ろへ下がって、眼前の光景を広く捉える。
そこには、土の上に並べられ、積み重なる大量の木材と化した木々が。
その数、ざっと100枚前後。
しかも、ある程度の厚みをもった板状にしながら、ちゃんと組み合わせられるよう計算して、端の部分には出っ張りを作ってある。
まぁ、そんな一手間加えたが為に、やたらと時間がかかってしまったのだけれど。
ちなみに今日、ガルさんはお仕事で例の動物園に行っており、ここには私しかいない。
「よいしょ……っと」
沈み行く西日を背にするように、木材の小山に腰を下ろす。
今日は、さすがにちょっと疲れたかな。
何だか、体の節々が痺れるように痛い……ガルさんが居ない内に、出来る限り作業を進めちゃって、帰ってきた時に驚かせようと、少し張り切りすぎちゃったかも……。
でも、その甲斐あって、木を木材にする一番しんどい過程は、全て終えることが出来た。
これを見たら、ガルさんもきっとびっくりするだろうな。
戻ってきて最初にこの光景を見た時、ガルさんはどんな顔をするんだろう?
褒めてくれるかな?
だとしたら、なんて言って褒めてくれるんだろう?

――おぉ! 凄ぇな、こりゃ!

「いえ、それほどでもありませんよ」

――しんどかったろ? お礼に何かしてやろうか?

「えっ……い、良いんですか?」

――あぁ。俺にできることなら、何でもしてやるぜ?

「あ、あの……だ、だったら……その……」

――どうした? 言ってみろよ。

「つ、強く抱き締めて……もらえます、か……?」

――……。

「あ、え、えと……あ、あはは! ダ、ダメですよね、そんなの! 変なこと言ってごめんなさい! さっきのは忘れて……」

――ギュッ。

「あ……」

――……これでいいか?

「……はい」

――だけど、これだけでいいのか?

「え……そ、それって……」

――こっちも、して欲しいんじゃないのか?

「そ、それは……ガ、ガルさんっ……ダ、ダメ……!」

――ダメ? 違うだろ?

「そ、そんなこと……」

――ほら、素直になれよ。

「あっ……やっ……!」

――ガサッ!

「っ!?」
突然の物音に、いつの間にか閉じていた目をハッと開く。
現を取り戻した視界に映るのは、少し離れた位置で、ジッとこちらを見つめる小リスだった。
「あ、その……あ、あはは……」
何とも言えない、だがこの上ない気恥ずかしさから、思わず愛想笑いを浮かべてしまった。
相手はリスなのに。
ってか、私はなんてこと考えてるのよ!
妄想なんてレベルじゃない。
もう、完全に思考だけが異世界へトリップしていた。
大体、“ダメ? 違うだろ?”とか“ほら、素直になれよ”とか、何なのよ一体!
どう考えたって、ガルさんのキャラじゃないでしょ!?
バカ!
私のバカバカバカ!
変態!
スケベ!
エロガッパ!
自分で自分の頭を叩きながら、心の中で思い付く限りの罵詈雑言を、先ほどまでの自分へと浴びせかける。

――……。

……そんな風に、私が悶えている間もずっとそうしていたのだろうか。
依然として、私から少し距離を保ったままの小リスは、まだこちらをジーッと見つめていた。
「あ……えっと、その……ほ、ほら、こっちおいで?」
黙っているのが気まずくて、何となく手招きしてみる。

――タタッ。

すると、何の躊躇いもなくこちらへと駆け寄り、そのまま私の手のひらの上に跳び乗ってきた。
何だか、随分と人懐っこいリスね。
以前、誰かに飼われてたりしたのかしら?
そんなことを思いながら、そのリスの円らな瞳を見つめ返す。
……ふと、昔、私がまだあの施設にいた頃、失敗作として私と同じ部屋に隔離されていた、リスの姿をした実験動物のことを思い出した。
あの時分、あそこに在った全ての命は、おぞましいものばかりだった。
あるモノは、遺伝子的に。
あるモノは、生物学的に。
またあるモノは、そもそもその外見からして異常だった。
かつて、そんな場所に居た自分が、今はこうして生きていられる。
苦楽を共にし、酸いも甘いも互いに分け会える大切な人と、生を謳歌することが出来ている。
それの何と幸せなことか。
……だけど、やっぱり時々思う。
自分だけ、こんなに幸せで良いのだろうか。
いくら姿形が人になったとは言え、どう偽ろうと、私の本性は所詮醜い化け物なんじゃないだろうか、と。
「……小リスさん。貴方の目に、私はどう映っていますか……?」
……返事はない。
当然だ。
問いの相手は、誰の手にもかかっていない、自然の小リスなのだから。
それを承知の上で、私は更に言葉を紡いだ。
「幼い少女の姿をしていますか? それとも、無数の目が蠢く、化け物の姿をしていますか?」
前者は、私が手にした美しい理想。
後者は、その理想の中でも、今なお息づく醜い現実。
決して、払拭できるものではない。
そう、頭では理解している。
しかし心は、それを消し去れる時を待ち望んでいる。
あぁ、私という生き物は、なんて欲張りなんだろう。
こんなにも幸せで、満ち足りた日々を過ごしながら、更に何かを求めるなんて。
「貴方も、何か欲しい物とか、あるんですか?」
なんとなく、指先をそっと小リスの前に突き出す。
そんな私の指を、小リスはじゃれつくようにその小さな両手で撫で回した。
「ふふっ、楽しそうですね」
小さく笑いながら、私は思う。
この子に、欲しい物なんてないんじゃないかと。
ただただ、毎日を在るがままに生きていく。
それこそが動物の本分であり、生き様なんだ。
あれも欲しい、これも欲しいと、色んな物を欲しがるのなんて、ありとあらゆる生き物の中でも、人間だけじゃないだろうか。
だとしたら、私は……。
「おーい。今帰ったぞー」
不意に聞こえてきた耳慣れた声に、そちらを振り返る。
その視線の先には、上着とカバンをまとめて肩に担ぎ、こちらへと歩み寄るガルさんの姿があった。
「あ、ガルさん。お帰りなさ……」

――タッ。

「あ……」
私が手を振ろうとした矢先、手のひらの上にいた小リスは、そそくさと走り去ってしまった。
素早い動きで、茂みの向こう側へと消え去る後ろ姿を、何とはなしに目で追う。
「? どうかしたのか?」
そんな私を変に思ったのか、ガルさんが訝しげな声と眼差しを私に送る。
「あ、いえ、何でもありませんよ。それより、お帰りなさい、ガルさん。お仕事お疲れ様でした」
それを受けて、私は彼の方へと向きを正し、改めて労いの言葉を掛けた。
「おう。……そういや、昨日切り倒した大量の木は、どこいったんだ?」
「何言ってるんです。ほら、目の前にあるじゃないですか」
座っていた木材の山から腰を上げ、それを指で示してみせる。
「……え、これって……お前、あんだけあった木を、一人で全部木材にしちまったのか?」
「はい」
まさかといった表情で、目を点にするガルさんの問いに、私は大きく首を縦に振った。
「マジかよ! 凄ぇじゃねぇか!」
「い、いえ……それほどでもありませんよ」
嬉しいんだけど……さっきのことがあるせいか、それ以上に、恥ずかしいという気持ちの方が強かった。
「いや、これは凄ぇって! 正直、お前のこと侮ってたぜ」
「そ、そんなこと……」
まともに顔も見れず、うつ向くことしかできない私と、それとは対照的に、歓喜の声を上げるガルさん。
恥ずかしいけど……でも、こんなに喜んでもらえたなら、私としても嬉しい限りだ。


――ポン。

「……へ?」
唐突に、登頂部に覚えた変な感触。
目線を上げてみれば、こちらを見下ろすガルさんと視線が合った。
その大きな手は、私の頭の上に乗せられている。
「よく頑張ったな。助かったぜ」
そう言ってガルさんは、優しく私の頭を撫でてくれた。
「あ、う、え、えと……」
真っ白になる頭の中。
私を見つめるガルさんの笑顔に、何か言わなきゃと思う気持ちだけが、募っては焦りとなって無為に空回る。
「……そ、そんな、お礼を言われる程のことじゃ……」
そんな中から、しどろもどろになりながらも何とか言葉を返す。
それを言い終わる頃には、私は既に彼から目線を逸らしていた。
理由は気恥ずかしさからだけど、当然さっきのそれとは理由も規模も違う。
脈拍は早鐘を打ち、動悸は今にも破裂するんじゃないかと思うくらい激しく、それに加えて何だか熱っぽささえ感じる。
だけど、決して苦しいものじゃない。
むしろ、心地良いものだった。
「さて、今日はもう日も暮れちまったし、何よりお前も疲れただろ? さ、中に入って休もうぜ」
私の頭に乗せていた手を離し、ガルさんが家の方へと歩いて行く。
「……」
その後ろ姿を見つめながら、私は自分の頭に両手を持っていった。
……何だか、ガルさんに撫でられていた時の暖かみが、まだ仄かに残っているみたいだ。
自然と、笑みが溢れた。
「どうした? ほら、戻るぞ」
「あ、はい! 今行きます!」
立ち止まってこちらを振り返るガルさんの側へと、笑みを浮かべたまま駆け足で走り寄る。
「……何だ、ニヤニヤして」
「そんなことないですよ?」
「……? 気持ち悪い奴だな」
「えへへ……」
ダラリと下げられたガルさんの腕に抱き付きながら、やっぱり私は、そんな気持ち悪い笑みを抑えることができなかった。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時03分(217)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第六章)

――修繕作業三日目。

「さてと。今日から、いよいよ本格的な修理に入る訳だが……」
そこでガルさんは、意図的に一旦言葉を途切れさせると、未だに廃屋然とした佇まいの家へと視線を向けた。
ちなみに、外気に晒され続けていた壁や屋根は、砕けていた木材の断面はもちろんのこと、比較的体裁を整えている部分も少なからず腐っていたので、いっそ全て取り替えてしまおうということになり、既に全てぶち壊してしまっている。
その為、残っているのは床と支柱、及び家の大枠となった骨組みくらいのもので、その廃屋っぷりは凄まじい。
夜、もし何も知らずにここに迷い込んだ人がいれば、悲鳴を上げて逃げ出しかねないくらいだ。
……とまぁ、そういう訳で、修復が必要なのは、主に壁と屋根ということになる。
壁の修理は、これといって特に気を付けるべき箇所はない。
板と板とを組み合わせて固定し、最後にちょっとした隙間を両面からパテで塗り込めば、それで完了。
せいぜい、金槌を使う時に、誤って自分の指を叩かないようにするくらいのものだろう。
それに引き換え、屋根の方は多少危険だ。
足場は少ない上、お世辞にも頑丈とは言えない以上、油断したらいつ地面に落ちてもおかしくない。
そんなに高くはないが、かといって落ちて無傷で済む保証もない。
となれば、小柄で体重も軽い私が、屋根を担当した方が良いのは明らかだ。
「それじゃあ、屋根は私がやりますから、ガルさんは壁をお願いします」
「……」
一瞬、ガルさんが困ったように眉をひそめた。
多分、自ら危険な作業に名乗りを上げた私に対して、そういうのは男の仕事とかなんとか思ってるんだろう。
だけど、こればかりは譲れない。
こんなことで、ガルさんに怪我をさせたくなんてないから。
「私のことなら大丈夫です。バランス感覚には自信ありますし。それに壁の修理は、私じゃ背が低くて、高いところに手が届きませんよ」
「……まぁ、そうだろうな。くれぐれも気ぃ付けろよ?」
「はい。心配してくれて、ありがとうございます」
「ったく……そんなこと一々言わなくていいんだよ! ほら、さっさと始めるぞ!」
無愛想に吐き捨て、作業に取り掛かるべく外へと出ていくガルさん。
彼のことを良く知らない人なら、なんて態度の悪い人なんだろうと、呆れ返っていたかもしれない。
でも、私には分かる。
この程度のことは当然なんだから、毎回毎回礼なんて言わなくてもいいと、彼はそう言いたかったのだ。
「……相変わらず、素直じゃないんだから」
ガルさんに聞こえないよう小さく呟き、クスッと笑いを溢す。
さて、私の方も、怒られない内に作業に取りかからないと。
屋内を後にし、扉の直ぐ近くに立て掛けてある梯子を上る。
そして開けた私の視界に入るのは、骨組みを除いてほとんどの部分が空洞と化した、キレイさっぱりとした屋根。
例外的に木材が打ち付けられているところは、ガルさんの手を借りて、昨日の内に前もって少しだけ修理した箇所だ。
幸いなことにこの家は平屋根だったので、今日の作業効率を良くできるよう、端の部分を少しだけ修理し、そこに木材やら工具の類いを予め置いておいたのだ。
それじゃ、端から順々にやっていこうかしら。
支柱と骨組み部分に木材をあてがい、釘で打ち付けて固定する。

――カンカンカン。

金槌と釘の鳴らす、甲高い金属音が辺りにこだます。

――ガンガンガン!

下から聞こえてくるのは、同じく槌と釘のぶつかる金属音。
だけど、私のそれとは違い、なんだかやけに大きく荒々しい。
……もしかしてガルさん、全力で金槌を振るってるんじゃないだろうか?
そんなこと、もししてたとしたら、万が一自分の指を叩いてしまった時に、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
それに、壁の修理だって、正確には行えないだろう。
「ガルさーん!」
無性に不安になり、私は大きな声で彼の名を呼んだ。
「何だー!?」

「まさかとは思いますけど、思いっきり金槌を振り回したりしてませんよねー!?」
「いや、振り回してるが、それがどうかしたかー!」
「えぇーっ!?」
私は慌てて作業を中断し、屋根から飛び降りて、ガルさんの元へと走った。
「? どうした、そんな血相変えて」
こちらを怪訝な眼差しで見つめるガルさん。
うん、怪我の心配はないみたい。
そのことを確認してから、私は今までガルさんが釘を打ち付けていたと思われる、木材へ目をやる。
強く打ち付けられた釘は、木材を斜めに思い切り貫き、勢いのあまり周囲に小さなひび割れを走らせていた。
「あー、やっぱり……」
予想通りの光景に、私はがっくりと肩を落とした。

――ジロッ。

次いで、その責を問うように、ジト目でガルさんの方を流し見る。
「……な、なんだよ……」
「何だもかんだもありません。どうして、こんなに強く釘を打ち付けてるんですか?」
「そりゃ、頑丈な方が良いからに決まってんだろ? 強く深くまで釘を打ち付ければ、それだけ固く固定できんだからよ」

「……はぁ」
思わず溜め息が溢れた。
「良いですか、ガルさん。木に限らず何かに釘を打ち込んで物を固定する時は、弱い力で小まめに叩いてやるのが一番なんです。ほら、ここを見て下さい」
そう言って私は、周りにひびを走らせている釘を指差した。
「……何だ、何かあるか?」
だが、その声音に反省の色はなし。
というか、気付いてさえいないのだろう。
なんというか……こんなに鈍い人だったっけ?
「良く見て下さいよ。打ち込んだ釘の周りに、ひびが入ってるでしょう?」
「ひびって……こんなの、本当にちょっとだけじゃねぇか。そんなに気にするほどのもんじゃねぇだろ」
何でもないことのように、軽く流すガルさん。
楽観的を字に書いたような口振りだ。
「何呑気なこと言ってるんですか。こういう小さなひびが、大きな損傷の原因になるんです。これから住む家なんですから、簡単に壊れられちゃ困るでしょう?」
「そりゃそうだが……」
「それに、釘も斜めになっちゃってるじゃないですか。ちゃんと真っ直ぐ打ち込んでもらわないと、しっかり固定できませんよ」
「……ちっ、うるせぇなぁ。良いじゃねぇか、それくらいよぉ」
口うるさく言われてうんざりしてきたのか、ガルさんの言葉に舌打ちが混じり出す。
「いいえ、ダメです。釘は真っ直ぐ、丁寧に、そして優しく打ち込んであげて下さい」
「わぁーったよ……ったく……」
後頭部を掻きむしりながらのその返事は、面倒くささで満ち満ちていた。
どうやら、私が本当に心配していることが何なのか、伝わってはくれていないようだ。
「……ガルさん」
「んだよ。さっきのことならわかったから、お前もさっさと作業に戻れよ」
「本当ですか? 本当に、理解してくれたんですか?」
「わぁーってるって言ってんだろ? がっちり固定できるよう、釘は真っ直ぐ丁寧に叩くって」
「そんなこと、本当は二の次で良いんです」
ガルさんの手を掴み、それを両手で包み込むようにして抱える。
「な、何を……」
「もし……もしも、万が一、あんな勢いで振り回した金槌が手に当たったりしたら、タダじゃ済みません。骨が折れるかもしれないし、指に当たったら、その指が潰れてしまうかもしれない……」
そんな不吉な想像が、私の脳内を駆け巡る。
まるで拷問だ。
間違っても、現実に起きてほしくない。
「そんなの……そんなの、イヤなんです……」
何故だか溢れ出す涙。
頬を伝って落ちる雫の跡に、感じる風がいやに冷たい。
「お前……」
ぼやける視界に映るガルさんは、どんな表情をしているのか、良く分からない。
だけど、その困ったような声から、なんとなく想像はついた。
「……分かった。分かったよ」
「っく……本当、ですか……?」
「あぁ、本当だ。だから、もう泣くんじゃねぇよ」
泣き声を必死に押し殺す、私の涙に濡れた目元を、彼の指先が優しく拭う。
「あ……すいません」
「いや、謝るのは俺の方だ。お前はわざわざ心配してくれたってのに、無下にあしらっちまって悪かったな」
「いえ……分かってもらえたなら、それだけで良いんです」
今度はしっかりとした声で、返事を返しつつ自分の指で涙を拭き取った。
「そんじゃ、先ずはこれを取り外さなきゃなんねぇんだが……」
先ほど、無理やり打ち付けてしまった木の板を手で掴み、引っ張ったり左右に傾けたりと、色々な方向に力をかける。

――ギギギ……。

だが、木の軋む不快音が上がるばかりで、外れる兆候は疎か、ビクともしない。
「ちっ……やっぱ固ぇな。思いっきり打ち付けちまったから、当然っちゃ当然か」
「あ、それは、私に任せて下さい」
ガルさんに代わり、木材に手を伸ばす。
「……っせぇーのっ!」
渾身の力を込め、思い切りこちら側へと引っ張った。

――ベキッ!

鈍い破砕音と共に剥がれる木板。
その裏側には、斜めに打ち付けられた釘の先端が出ている。
「はい、これでもう大丈夫ですよ」
釘の先が裏側になるよう、使い物にならなくなった板を放り投げ、ガルさんの方へと向き直る。
「……」
しかし、そんな私を、ガルさんはぽかんとした顔で、呆然と見ているだけだった。
「? どうしました? 私の顔、何かゴミでも付いてます?」
「あ、いや……な、何でもねぇよ。こっちはちゃんとやっておくから、お前も作業に戻れ」
「はい……わかりました」
そのどこかおたおたとした態度に首を傾げながらも、私はいそいそと屋根に戻るのだった。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時04分(218)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第七章)


――修繕作業四日目。

ようやく外の修繕も終わり、しっかりとした外壁と屋根を手にいれた我が家は、ついに家として正常に機能できる外見を得るに至った。
しかし、それはあくまでも外形のみ。
肝心の内部は、床と壁、そしていくつかの古ぼけた椅子や机がある以外、何もなかった。
一般的な家庭には必ずあるはずのテレビや冷蔵庫といった、電気製品は一切ない。
このままでは、いくら外見ばかり家になったからと言って、文化的にこれを人の住む家とは呼べない。
というわけで、私たちは今、文明の利器を得るべく、街の電気屋へ向かっている……

――ガサガサ。

……と言いたいところではあるが、実際はそうではない。
元より著しく資本金の乏しい私 たちだ。
そのような電化製品に、そこまでお金をかけてはいられない。
況してや一式揃えるとなれば、かなりの額になってしまう。
悲しいことに、今の私たちにそのような余裕はなかった。
なので、そんな私たちが今向かっているのは……。

――ガサッ。

木々の間を縫うように歩くこと数分。
ようやく開けた視界の先には、見るからに廃品ばかりのゴミの山があった。
そう、ここが、私たちの今回の目的地。
かける金が惜しいなら、無償で手に入れる手段を取れば良いじゃないかということだ。
誰かがゴミとして廃棄した物を、こそこそ回収して再利用する。
……何だかとても切ないけれど、背に腹は代えられない。
この際、そんな行為をしている自分自身からは、目を背けてしまおう。
「んじゃ、始めるとするか。俺はこっちを探すから、お前は向こうを見てくれ」
「はい、わかりました」
ガルさんとは反対方向にある、廃品の山へと足を進める。
にしても、色んなものが落ちてるなぁ。
テレビにレコーダーにデッキ、ソファーやらテーブルに加え、更には壊れた信号機まで捨てられてる。
その道のマニアな人なら、こういうの、欲しがるんじゃないかしら。
でも、今私たちが欲しいのは、極々一般的な家電用品。
実際、テレビなんかはそこら辺にゴロゴロ転がってはいるものの、液晶にひび割れを抱えていたり、相当な力を加えられたのか、あり得ない方向にひしゃげていたりと、その大半がテレビとしての機能を全うできないほどに壊れていた。
まぁ、長い間外で雨風にも晒されてるだろうし、どちらにせよ使い物にならないのがほとんどだろうけど。
「なかなか良いのないなぁ……あ!」
キョロキョロと視線を右往左往させる途中、私の目が一台のテレビを捉えた。
他の物にある錆や汚れがないから、多分まだ捨てられて間もないんだろう。
型は少し古いが、目立った傷もないし、電源コードもちゃんとついてる。
これ、普通に使えるんじゃないかしら。
「ガルさーん!」
私はそのテレビを抱き抱え、ガルさんの元へと走り寄った。
「っ!?」

――バタン!

……バタン?
何の音だろう?
私に背を向けていたガルさんが、慌ててこちらを振り返る。
「お、おう! ど、どうかした……おっ! なかなか良いモン見つけてきたじゃねぇか!」
「え、えぇ……」
首を傾げる私をよそに、白々しい態度と浮わついた声で、私の持ってきたテレビに食い付くガルさん。
……怪しい。
立ち方からして、怪し過ぎる。
何か、背後に隠しているような……。
「……」
ひょいっと、首だけで彼の後ろを覗き見る。
「ちょっ……!」
すると、そこにあったのは、横倒しにされた大きな冷蔵庫だった。
「あっ、冷蔵庫じゃないですか!」
思わず大声を上げてしまった。
まさか、冷蔵庫まで不法投棄されているとは思わなかった。
しかも、目立った損傷も錆び付きもないから、多分これもまだ捨てられて間もないんだろう。
思いがけず、大きな収穫だ。
……にしては、何で隠したりする必要があったんだろう?
「……」
どことなくバツの悪そうな表情で、ガルさんがあさっての方角へと視線を逸らす。
「ガルさん、嬉しくないんですか?」
「い、いや、そんなことないぜ!?」
……声が上擦ってる。
そんなことなくないのは明らかだ。
本当に、一体どうしたと言うんだろう。
何気なく、それこそ本当に、目についたからただなんとなくというだけの理由で、私は横倒しになった冷蔵庫の扉に手を伸ばした。

――ガチャッ。

「あっ! ちょっ、何やって……!」
直ぐ隣から聞こえてくる、慌てたガルさんの声。
だが、それが耳に届くより先に、私は行動を終えていた。
「えっ……」
その中に入っていた物を目にした私は、反射的にそんな声を漏らした。
そこに内包されている、これでもかと言わんばかりに詰め込まれた、大量の雑誌や本。
それらの内、上方にある数冊しか表紙は見えなかったが、それらのどれもが……その……何と言ったら良いのか……。
……じ、女性が……えと……自分の肌を……露出させて……あの……せ、扇情的なポーズと表情を……。
「――っ!?」

――バタン!

顔が火照るのを感じた。
いや、顔だけじゃない。
全身の体温が、加速度を増して上昇していく。
まるで、体を流れる血液が、湯沸し器にでもかけられたかのよう。
そして胸に芽生えるこの感情。
怒りのようで、恥じらいのようで、結局自分自身にも良く分からない気持ち。
だけど、決して心穏やかなものではなかった。
「っ!」
私の直ぐ横でおろおろしているガルさんを、キッと睨み付ける。
「あぁ……えぇっと……その、何だ……」
冷や汗を垂らしながら、ガルさんがジリジリと後退る。
「ガ、ガガガ、ガルさんの……っ!!」
私はそんな彼に詰め寄りながら、原因不明の猛る感情そのままに、大きく腕を振りかぶった。
「ま、待て! 落ち着け! 話せば分か――」
「ドスケベーッ!!」

――バシイィン!

「ブベファッ!?」

――ドガシャアァン!

「はぁ……はぁ……」
荒々しく乱れる呼吸。
締め付けられるように痛む胸。
白く靄のかかった思考。
それらは時間と共に、次第に正常さを取り戻していく。
息苦しさも消え、胸の痛みも収まり、思考回路が鮮明になる。
……どれだけの時間を要したのだろう。
ようやく落ち着いた時、私の視界に真っ先に映ったのは――、

「……」

――ゴミの山に上半身を突っ込んだまま、微動だにしないガルさんだった。
「……」
その様を、呆けたまま見つめること数秒。
「……あぁっ!?」
私は、ようやく事の次第と現状を把握した。
「ガ、ガルさん!? だ、大丈夫ですか!?」
自分でぶっ飛ばしておきながら、大丈夫ですかも何もないものだ、と己にツッコミを入れつつ、ガルさんの体をそのゴミ山から引っ張り出す。
「……」
「あの……えっと……ガルさ〜ん。聞こえますか〜?」
半ば瞼を閉じ白目を剥くガルさんに、私は声をかけながらその目の前で手を振った。
……反応はない。
思いっきりひっぱたいちゃったもんなぁ……そりゃ、目も覚めないよね……。
「どうしよう……とりあえず、早く手当てしないと……」
そう言いつつも、何故か目線は、自然と先ほどの冷蔵庫へと向いた。
「……」
……今、私がするべきこと。
それは、ガルさんを家まで運んで、手当てをすることだ。
当然だ。
今、ガルさんがこんなことになってるのは、経過はどうあれ私の責任なのだから。
頭では、そう理解している。
理解しているんだけど……、
「……」
改めて、彼の方へ視線を送る。
依然として昏倒したまま、目を覚ます気配なんてまるでない。
「……ち、ちょっとくらいなら……大丈夫だよね……」
誰に言うでもなくそう呟き、私は横たわって伸びるガルさんをよそに、冷蔵庫の方へと向かった。
扉を開けて、中から一冊の本を取り出す。
「……ごくっ……」
恐る恐る、表紙を開く。
「う、うわぁ……」
そこから先は未知の世界だった。
「わ、わわっ……こ、こんな格好で、あんなこと……ひゃっ!? そ、そんなことまで……うわ……うわー」
ページをめくる手を止めず、夢中のまま読みふける。
……そんな私が、目を覚ましたガルさんにこっぴどく怒られたのは、言うまでもない。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時05分(219)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(第八章)

最後に、持ってきた冷蔵庫(もちろん、中身は全部あの場に置いてきた)を台所の隅に置いて……っと。

――ガタン。

「ふぅ。これでよし」
小さく呟き、額に浮かんだ汗を拭う。
「よっしゃ。これで修理完了だな」
そんな私の横で、ガルさんが満足げに言った。
普段無愛想なその表情も、今ばかりは、誰の目にも明らかなくらい、充足感に満ちた笑顔を浮かべている。
「お疲れ。ほら」
ガルさんが、ミネラルウォーターのペットボトルを私の方へと差し出す。
「あ、ありがとうございます」
礼と共に受け取り、一気に喉へ流し込んだ。
ずっと常温に晒されていたせいで、随分と生温かったが、それでも乾いた喉には心地よかった。
「ようやく完成しましたね」
「あぁ、そうだな」
私の呟きに、ガルさんは感慨深い声音で答えた。
改めて室内を見渡す。
当初、穴だらけだった壁や屋根は、隙間なくきれいに修繕されていた。
ちなみに窓の部分は、ガラスを使うのが面倒という理由で、外に雨避けを作る方法で解決している。
荒廃としていた屋内も、今はテーブルに椅子にソファ、タンスにクローゼットにテレビと……まぁ、全部捨てられていた物の中から、使えそうな物を取捨選択した寄せ集めなので、統一性の欠片も見当たらなかったが、それでも粗方の家具は揃った。
電気、ガス、水道の契約も済ませたし、これでここも、もう立派な一軒家だ。
……とは言うものの、裏手の外人墓地やら、自殺スポットな周囲の林と、まだ色々と問題は山積みなんだけど……この際だ、今はそんなこと忘れておこう。
「しかし、まさかここまできれいに直せるとはな。正直言って、ここに初めて来た時は無理だと思ってたぜ」
「本当に、一時はどうなることかと思いましたよ。工具類以外は何も買わなくて良かったから、なんとかなったって感じですね」
「まぁ、それもあるだろうが、大半はお前のおかげだ」
「えっ?」
反射的に、ガルさんの方を振り返る。
「お前が、色々と自分から動いてくれたからな。だから……その……」
そこで一瞬言葉を躊躇ったガルさんは、そっぽを向きながら吐き捨てるように言った。
「……あ、ありがとな」
「ガルさん……」

――ありがとう。

ありふれたお礼の言葉だが、彼の口からそれが出ることは滅多にない。
何をしてあげても、「あぁ」とか「おう」としか言わないガルさん。
そんな、いつもひねくれた態度ばかりのガルさんが、私に向かって、ありがとうと言ってくれた。
たったそれだけのことで、心の底から喜びが込み上げてくるようだ。
「……」
「……」
私は嬉しさから、そしてガルさんは、多分気恥ずかしさから、しばらく続く無言の時。
それを破ったのは、羞恥に耐えきれなくなったガルさんの方だった。
「よ、よし! 今回はお前の世話になったからな! お返しに、お前のして欲しいことをしてやるぜ!」
「えっ?」
「ほら、言ってみろ。何かあるだろ、して欲しいこと」
「そ、そんな……私、して欲しいことなんて……」
「遠慮すんなって。言ってみろよ」
戸惑う私の声の上に、ガルさんの大きな声が重なる。
強情な彼のことだ。
こうなったら、多分私が何かお願いするまで、絶対に退いてはくれないだろう。
して欲しいことかぁ……。

――ほら、素直になれよ。

「――っ!?」
な、何考えてんのよ、私っ!
あ、あれは、あくまでも私の不埒で破廉恥な妄想なのであって、そんなこと現実に言えるわけないじゃない!
消え去れ!
煩悩よ、私の頭の中から霧散しろっ!
「……? どうしたんだ?」
「ふぇっ!?」
急に声を掛けられて、今まで上げたことのない変な声が出てしまった。
「あ、いや……えと……あ、あはは、な、何でもありませんよ?」
「? 変な奴だな」
我が事ながら、その言葉には同感せざるを得ない。
と、とにかく、今のは絶対にダメ!
それ以外で、何かちゃんとしたお願いを考えなさい、私っ!
「そんなに悩まなくてもいいぜ? 少しくらい無茶な頼みでもいいから、素直にお前のして欲しいことを言えよ」
「……」

――お前。

ふと、その言葉が、頭の片隅に引っ掛かった。
ガルさんの言う“お前”とは、私のこと。
ガルさんは、私のことを、ずっと“お前”と呼んでいる。
私は、彼の事を“ガルさん”と呼んでいる。
“ガルさん”と呼べば、例え人混みの中でも彼のことだけを指し示せる。
でも“お前”では、誰のことか分からない。
私自身でも、私のことか分からない。
そうか……私には……名前がないんだ。
そのことに、今まで特に不自由を覚えはしなかった。
だけど……何だろう、この感覚……。
私も……呼ばれたい……。
彼に……大好きなガルさんに、唯一無二の私だけを指し示す“名前”で呼ばれたい……!
「……一つ、お願いして良いですか?」
「おぅ。何でも言ってくれ」
「あの……私に、名前を付けて下さい」
「えっ……」
予想だにしなかった頼みだったのだろう。
ガルさんが、目を丸くしてこちらを見つめる。
「な、名前って……お前の名前を?」
「……」
コクンと、大きく頷いてみせる。
「そ、それは……俺が勝手に付けて良いようなモンじゃ……」
「ガルさんに……他ならぬ貴方に、付けて欲しいんです」
「だ、だけど……」
依然として煮え切らない口調のガルさん。
「……お願いします」
そんな彼に決心してもらえるよう、私は深々と頭を下げた。
「……」
「……」
再び訪れる沈黙の時間。
「……はぁ、わぁったよ」
「本当ですか!?」
「何でもしてやるって言っちまったからな」
後頭部に手をやり、ガルさんが苦笑いを浮かべる。
「ガルさん……ありがとうございます!」
「そ、その代わり、変な名前になっても知らねぇからな!?」
「いいえ。ガルさんが付けてくれる名前です。どんな名前であっても、私にとっては世界でたった一つの、私だけの素敵な名前です」
「なっ……よ、良くそんな歯が浮くような台詞、恥ずかしげもなく堂々と言えるな……」
「あはは、私もそう思います。きっと、ガルさんの前だからですよ」
「や、止めろ! お、俺まで恥ずかしくなるだろうが!」
怒鳴るように声を荒げ、無駄話はこれまでだと言わんばかりに目を閉じて、考え込む素振りを見せ始める。
「……」
かなり真面目に考えてくれているのだろうか。
難しそうな表情と、瞑る目に掛かる力や眉間に寄ったシワが、その真剣さを雄弁に物語っていた。
「……」
そんなガルさんの邪魔にならないよう、私も静かに口をつぐんだ。
そして三度やってくる静謐。
「……よし」
そんな、ガルさんの小さな呟きが、その静けさの終わりを告げた。
「思いつきました?」
嫌が応にも高まる期待。
「あ、あぁ……一応な」
はにかむような表情で、どことなく躊躇いがちに口を開く。
そんなことを聞いてしまっては、もう逸る気持ちを抑えられない。
「聞いても、良いですか?」
「……わ、笑うなよ?」
「はい」
「じゃあ……」
心を落ち着かせるように、大きく一度だけ深呼吸。
その後、彼は長く間を置いて、その名を口にした。
「……セラ」
「……」
「……な、何か言えよ!」
「……もう一度、言って下さい」
「セ、セラ……」
「もう一回」
「何回言わせる気だ!」
「もう一回だけ、はっきりと、私の方を見て言って下さい」
「う……」
「……」
「……セラ」
こちらを真っ直ぐに見据え、彼が口にしたその名前。
それは、世界でただ一人、私だけを指す名前――セラ。
私の……名前……。
「お、おい!? 何で泣いてんだよ!?」
「えっ?」
目元に指を添える。
途端、指先に感じる冷たい液体の感触。
「あ、あれ……?」
私……泣いてる……?
そう自分で認識した途端、涙は更にその勢いを増した。
「お、おかしいな……っく……あはは……へ、変ですよね……ぇっく……う、嬉しいのに、涙が出るなんて……」
止まらない嗚咽。
必に押し殺そうとするが、まるで止む気配はない。
「……」

――ギュッ。

「え……?」
何をされたのか、一瞬分からなかった。
……ガルさんが……抱き締めてくれてる……?
私の体を、優しく、だけど力強く包んでくれる両腕。
それは、私の体を抱き締めながら、頭の上にその手のひらを乗せていた。
「……」
何も言わない。
だけど、言葉なんて必要なかった。
私を抱き締める、彼の腕が。
私の頭を撫でる、彼の手のひらが。
直ぐ側に感じる、彼の息遣いが、温もりが、鼓動が、どんなに暖かい言葉よりも、暖かかったから。
「うっ……えぐっ……ガ、ガルさん……」
「……んだよ」
「ちょっとだけ……泣いても、良いですか……?」
「……好きにしろ」
「はい……っ、うああああああああああああ!!」
彼の逞しい体にしがみつき、私は声の限り泣いた。
涙腺の決壊した目からは、絶え間なく涙が溢れ、頬を伝い落ちては彼の肩を濡らす。
「ああああああああああああああああっ! うわあああああああああああああああああっ!!」
「……」
……一体、どれほどの間こうしていただろう。
散々ガルさんに泣きついていた私は、ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
「……落ち着いたか?」
「……はい」
彼の言葉に、まだ治らない涙声で答えた。
そして、万感の思いを込めて、私は口を開く。
「ガルさん……」
「今度は何だ?」
「……大好きです」
「……バーカ」
ガルさんは、そんな私のことを強く抱き締めたまま、軽く頭を小突いた。

月夜 2010年09月17日 (金) 01時06分(220)
題名:曇天のち快晴、瞳より雨(あとがき)








アトリエのみんな! オラにネタを分けてくれ!
(切実)
















ネタに困っているのなんて、日常茶飯事ですけどね。

放っておいたら勝手にネタが書き込まれていくノートとか、どっかに落ちてないかな。

名付けてNE☆TAノート。

それに誰かの名前を書き込むと、その人物のネタ話がノートに自然と書き綴られていくという神秘のノート。

……あれ、なんか普通に欲しい(´・ω・`)







……などという、どこぞの計画通りの人が持ってる黒いノートのパクりみたいな話はさておき、今作のあとがき始めますか。


今回はO.L.の閑話休題的なほのぼの作品。
最近、あんまりラブコメ的なものを書いていなかったせいか、軽く躓いてしまった感が否めない(・ω・;)
とはいえ、前作から一転したほんわかラブコメとしてはちゃんと成立している(はず)なので、まぁ良かったんじゃないかなと。

というわけで、多分作中で誰より人気のある化け物っ娘こと、セラちゃん主観で書いてみました今作品。
書いている間中

リア充水没しろ

という私自身の怨念との戦いでした。

スランプとは全く違う意味で、ガリガリ削られていくメンタルタフネス。

私の嫉妬心がジェラスィパルスィネタマスィ
(意味不明)

とりあえず、早く二次元の世界に旅立てる装置とか作って下さい、偉い人(´・ω・`)



では、今回はこの辺りで幕引きとしましょうか。

この作品に関する批判、アドバイス、ざけんなゴルァ等々ございましたら、下の「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」までどうぞ。


ここまでは、バイト中に折れたカッターの刃が口の中に入りそうになって、慌てて何故か手に持っていたカッターで直接唇を切ってしまった私が、口内炎と戦いながらお送りしました。













グレープフルーツジュースが激痛です(´;ω;`)

月夜 2010年09月17日 (金) 01時08分(221)


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