――日本、芹沢ビル6Fオフィス、8/7、現地時間8:00――
「おはよーございまーす」 オフィスへの扉をくぐり、我ながら気の抜けた声で朝の挨拶をこなす。 だが、お世辞にも部署内で人気のある方ではない……いや、正直に言おう。 大多数に好かれていない私だ。 ほとんどの同僚は、手持ちの資料やパソコンの画面に目を向けたままで、返事をする者はほとんどおらず、返ってくる挨拶も義務的なものだけだった。 「あ、先輩。おはようございます」 「おはよー、みーちゃん」 そんな中、しっかりと私の方を向き、笑顔で出迎えてくれるのは、やっぱり聖と絢音の二人だけだ。 ……しかしその二人も、今朝は少し様子がおかしい。 まだ就業時間には幾分余裕のある今の時間、いつもなら自分の机の前で、両者揃って気だるそうに背もたれに身を預けているか、もしくはパソコンをインターネットに繋いでカタカタやっているのが常。 だが、今朝は二人して机の前にはおらず、椅子だけを動かしてお互いに向き合う形になっていた。 そんな両者の手には、何やら小型のゲーム機らしき物が握られており、視線は既に私から逸れ、そちらへと向けられている。 「あーっ! ちょっと、今の何ですか!? 寝てる相手に攻撃しつつ自分は回復とか、卑怯ですよ!」 「ふはははは! 勝てば良い! どんな手を使おうとな!」 「……あんたら、何やってんの?」 聖の側に歩み寄り、横からその手元を覗き込む。 光の反射のせいで、ここからでは良く見えないが、ウルトラマンのカラータイマー点滅を連想させる、テコンテコンという断続的な電子音が、何かの危険を知らせている。 ちなみに、その音源は聖のゲーム機の方だ。 「ポケ○ンの通信対戦ですよ」 私の問いに答えながらも、依然として画面から目を逸らさない聖。 「あぁっ! もう何ターン寝続けるつもりだよ、この役立たずは!」 「クックック……眠ってる間にやりたい放題やられちゃって、ねぇどんな気持ち? どんな気持ち?」 「ぐぬぬぬ……」 ……楽しそうね、あんたら……って、そうじゃなくて、 「……あんたら、朝っぱらから、しかも職場で何やってんのよ」 「さっきさっちゃんが言ってたっしょ? ポケ○ンの通信対戦……」 「いや、そういうことじゃなくて」 さも当然のように答える絢音の言葉を、全部言い切るのを待たずにピシャリと切り捨てる。 私が聞いてる何は、そういう意味じゃないから。 朝も早くから、このバカときたらまた絶好調ね。 「まだ仕事の開始時間前ですし、問題ないと思いますけど?」 あぁ、こっちのバカにはちゃんと伝わってたみたいね。 とはいえ、回答はバカ丸出しなんだけど。 「あのねぇ……そういう問題じゃないでしょうが。大体、就業開始時間ってのは、その時間から仕事を始められるようにって意味で定められてるのよ。5分前には、事前準備を終えてもうスタンバってるのが、社会人のあるべき姿ってもんよ」 「おー、まさかそれをみーちゃんが言うとはねー」 「先輩、その理論でいくと、月の半分くらいは、社会人としてあるまじき姿を晒してることになっちゃいますけど」 「う゛っ……」 こ、こいつら……揃いも揃って、ここぞと反撃してきおってからに……。 「だ、だとしても! 就業開始時間ギリギリまで遊んでるだなんて、褒められた行いじゃないわよ!」 「でも、先輩の言ってることに従うなら、事前の準備さえしっかりしてれば、5分前までは遊んでても問題ないってことでしょう?」 「そ、それは……」 「私たちのことをとやかく言うより、みーちゃんこそ早く準備した方が良いんじゃない? 着替えとかもまだなんだし」 「着替えなんて、そんなのコートを脱げば……」
――ババッ。
「はい、完了っと」 コートの下には、予め制服を着込んでおく。 こんなの常識よね。 「……冬場に体育がある日の小学生とかじゃないんですから……」 そんな私のことを見つめる、呆れ混じりの聖の眼差し。 「……あれ?」 それが、不意に訝しげに細められた。 「ん? どうかした?」 「いや、えっと、その……」 と思ったら、途端に口ごもり、様子を伺うように、こちらをちらちらと盗み見始める。 おかしな奴ね。 「……みーちゃん、もしかして今朝、いつも以上に慌ただしく家を出たんじゃない?」 「え? なんで?」 「いや、ただそう思っただけなんだけど……」 「……」 実のことを言うと、今日はちょっと二度寝をしてしまい、普段より急ぎ気味に家を出ている。 しかし、別にいつもの電車に間に合わなかったという訳でもないし、駅に着いてから後はいつも通りだ。 息も上がってないし、汗もかいてないし、衣服が乱れているということもない。 なら、どうして気付かれたんだろう? 「あれ? 違った?」 「いや、そうだけど……何で、あんたがそんなこと知ってんのよ」 「あ〜、やっぱりぃ? そんな気はしたんだけど、やっぱりそうだったんだ〜?」 憎たらしい笑みを浮かべながら、横目でこちらを見つめる絢音。 朝っぱらから、何とも良い笑顔だ。 例えるなら、問答無用で鼻の頭にグーパンを叩き込みたい顔ね。 「……何よ、ニヤニヤして、気持ち悪いわね」 「そりゃだって……ねぇ〜?」 「あ、えっと、その……」 絢音の言葉に、否定するとも相槌を打つともせず、ただあたふたと戸惑うだけの聖。 本当に、一体何だと言うんだ。 「それじゃ、もう一つ当ててあげるー。みーちゃん、昨日のパジャマ、鳥さんの絵柄でしょ?」 「!? な、何であんたがそんなこと……っ!?」 ま、まさか!? 慌てて上体を前のめりに倒し、足の部分に目線を落とす。 そこには、制服のロングスカートの裾からはみ出して見える、愛用のパジャマの端の部分が。 ……なるほど。 つまり、私は今朝、慌て過ぎていた為に、パジャマの上からスカートをはいてしまったと。 とはいえ、外ではコートを羽織っていたから、その間は特に誰の目にも触れなかった訳で。 ただ、出社してコートを脱いだ今、そのだらしない姿が露わになった訳で。 で、その様を、目の前にいるバカ二人が、黙って見つめている訳で。 「……」 「あ……えっと……」 沈黙する私と、未だに動揺しっ放しの聖との目が合う。 しかし、それは一瞬。 直ぐに、気恥ずかしさからか何なのかは定かでないが、私の顔から目を逸らす聖。 そして、その視線が向けられた先は――。
「――っ!? どこ見てんのよっ!!」 気付いた時、私は反射的に振り上げた足を、思い切り振るっていた。
――ドゴッ!
肉を叩く不気味な濁音。 「へぶぁっ!?」 それに続き、悲痛な呻き声を上げる聖が、椅子ごと後方に吹き飛んだ。
――ドガシャアン!
「うわぁっ!?」 「きゃあぁっ!?」 そして、激突したデスクに加え数人の同僚を巻き込み、派手な破壊音と共に轟沈する。 「はぁっ……はぁっ……」 高鳴る動悸の息苦しさに、私は大きく肩で息をした。 あ、あのバカは……デリカシーってもんが、まるでないんだから! 「おー、こりゃまた豪快だねー。さすがみーちゃん、朝から絶好調だね」 ……まぁ、それ以上にデリカシーに欠如し、かつふてぶてしい輩が、今私の直ぐ傍らにいるわけなんだけど。 「えぇ、すこぶる絶好調だわ。今なら、ものの数秒で、あんたも同じ目に合わせてやれそうな気分よ」 「きゃー♪ みーちゃんこわーい♪」 「……割と本気でぶっ飛ばすわよ?」 「またまた〜。私とみーちゃんの仲でしょ? 今更パジャマの一つや二つ、何の暴露にもならないって」 「ほう? それなら、また今度あんたにもパジャマで出社してもらおうかしら?」 「あー、私、そういう露出狂っぽい趣味はないんだ」 「誰が露出狂よ! どこも露出なんかしてないでしょ!」 「むしろ、多少の露出なら、そっちの方がまだ正常だよね」 「……そんな減らず口を叩く生意気な口は、この口かしら?」 頬をつまみ、好き放題左右に引っ張る。
――ぐに〜。
……相変わらず、つまみ心地の良いほっぺたしてるわね。 何だか、楽しくなってくるじゃない。 肌もすべすべで柔らかいし、キメも細やかで、触ってて気持ち良いし、おまけに胸もでかいし……何かまたムカついてきたわね。
――グニグニグニー。
「いひゃいー。ひーひゃん、いひゃいよー」 「黙らっしゃい。あんたは、素直に私の玩具になってたらいいのよ」
――ガチャッ。
背後から、唐突に聞こえてきたドアの開く音。
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