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タイトル:始動〜First Contact〜 アクション

――ついに水亜との接触を果たした謎の美女、ドミニィ。だが、彼女の標的となったのは、水亜ではなく紗弥だった。幼き少女の心を蝕む負の魅惑に、彼女は耐えることができるのか!? シリーズ第三作目は、苦手と知りつつも悩ましげなシーンに走った、最初で最後のR―指定作品!?

月夜 2010年07月09日 (金) 23時19分(112)
 
題名:始動〜First Contact〜(第一章)

――日本、防衛省内部、7/26、現地時間7:30――

「あぁ……そうか。分かった」
電話主の荘厳な声が、密閉された空間にて幾重にも反響し合い低くこだます。
それは、彼の声質によるものというより、室内環境に起因するところが多くを占めていた。
隙間なく綺麗に敷き詰められたフローリングの床は、手入れが行き届いており、塵や埃の類いは一切見受けられない。
また、本来壁や天井には施工しないはずのこのフローリングだが、この室内に限ってはその常識の範疇を逸脱していた。
壁から天井に至るまで、細い木材が定間隔置きに美しく組み合わさっている。
そんな辺り一面を埋め尽くす木材の影響で、ここが木の持つ色を基調とした自然色の強い色彩の部屋であることは、訪れた人々の誰しもにとって一目瞭然であろう。
だが、そんな単一的な色の中でも、壁の所々に掛けられた絵画や、各所に置かれた調度品と思しき骨董品たちのおかげで、飽きのこない程よい色調のバランスが取れていた。
そんな中においても一際目立つ、光を反射し光沢を放つ漆塗りの長机。
机上は様々な資料でごった返しており、これではどこになにが埋もれているか、部屋主ですら把握しきれていないことだろう。
申し訳程度に置かれたブックスタンドが、重量に耐えられなかったのか横倒しに倒れており、元来中に収まっていたはずの資料の束が、だらしなく垂れ流されている。
この机の持ち主が、整理整頓を苦手としていることは明白だ。
「……いや、それで十分だ。後はワシがやろう。お前さんは引いてくれ」
そんな机のすぐ手前、見るからに高級そうな革張りの黒い椅子に深々と腰掛け、受話器を耳にあてがっている一人の老人の姿。
鼻下と顎の部位に髭を生やし、髪はその大半が白髪と化している。
同年代の一般的な老人と比較すると、体格的には多少痩せ細っているように見えたが、恐らくは彼の高い身長がそう見せるのであって、平均体重は優にあるのだと思われる。
しかし、彼はどこにでもいるような老人とは、決定的に違った。
そのことは、彼の力強さに満ちた瞳の輝きと、眼前に立つだけで思わず気圧されてしまいそうになる、彼という存在そのものが放つ荘厳な気配にありありと示されていた。
だが、何よりそれを物理的に証明しているのは、眉間から頭部にかけて斜めに走る、痛々しい傷痕だ。
この傷について話をする時、彼は“昔、前線で活躍していた時に負った名誉の負傷”としか語らず、その真実について深く知る者は本人しかいない。
「あぁ……あぁ、それでいい。ご苦労だった」
最後に、そんな簡素な労いの言葉を電話越しの相手に手向け、彼は受話器を置いた。

――カチャッ。

子機の置かれる乾いた音が、無音の空気中に深く染み入る。
「さて……面倒なことになってきたわい」
背もたれに身を預けながらそう呟き、彼は懐から煙草を取り出した。
以前はニコチンが多量に含まれたキツい煙草を吸っていたのだが、家内や孫娘に加えて秘書にまで健康に気を使うよう説教され、最近ではニコチン量の少ないメンソール系の煙草へと銘柄を変えていた。
「ふぅ……」
深く煙を吸い込み、肺一杯に満たしたそれを惜しむように吐き出す……が、やはり既に体が以前の銘柄に慣れてしまっているのだろう。
あまり、煙草を吸っているという感覚がしなかった。
これでは、あってもなくても大して変わりない。
……等ということをこの前口にしたら、遊びにきていた孫娘に

――じゃあタバコ止めちゃえばいいのに。大体、おじいちゃんがそんなんじゃ、誰がにほんのへいわを守るの?

何てことを言われてしまい、返す言葉に詰まって苦笑いを浮かべてしまったことが、まるで昨日のように思い返された。
「……参ったのう」
後頭部に手をやりながら、自然と口元に浮かぶのは、やはり自嘲気味な苦笑。
細々と白煙を立ち上らせる煙草を、しばしの間逡巡するように凝視した後、
「……ふぅ」
溜め息と共に、手に持っていた煙草を、まだ半分と吸わない内に灰皿へと押し付けた。
「禁煙でもしてみるか」
「またまた、心にも無いことを」
突如として部屋に響いた、彼以外の何者かの声。
其方へと向けた視界に映るのは、扉を開け、室内へと足を踏み入れる一人の女性の姿だった。
身長、体つき共に、世間一般的な女性と評して何ら問題ない体格で、見る者の気持ちを穏やかにしてくれそうな、おっとりとした柔和な顔つきが特徴的だ。
そんな身体的特徴柄、着込んでいるスーツとは奇妙な不協和音を奏でており、お世辞にも似合っているとは言い難かった。
「禁煙だなんて、一体どの口がそんなお戯れをおっしゃるのやら」
開けた時と同じように静かに扉を閉め、彼女は半ば呆れたような口調で言葉を繋げた。
艶やかな短めの黒髪を、後頭部で結わえたポニーテールが、彼女の動きに合わせて小さく揺れる。
「おぉ、さっちゃんか。今日も早いのう」
「今日は些か遅いくらいです。後、そのさっちゃんという呼び方、いい加減なんとかならないんですか? 私には、ちゃんと佐奈っていう名前があるんです」
そう言って、その女性―西谷佐奈(さいたにさな)―は呆れ顔の上から不機嫌さを露わにした。
彼女は、長きに渡り彼の秘書を務めており、公私に及んで仲の深い、彼にとってみれば最も信頼の置ける片腕のような存在だった。
というのも、相手の気持ちを読むことに長け、細かな気配りのできる優れた人間性もさることながら、何よりそのおっとりとした雰囲気からは想像もつかないくらい、秘書として業務の面でも極めて優秀な能力を持っているからだ。
「良いじゃないか。西谷にしろ佐奈にしろ、さっちゃん一つで姓名両方の呼び方ができるんじゃぞ?」
「ちっとも良くありません。長官がそんな呼び方をするせいで、周りの皆さんもさっちゃんさっちゃんって呼ぶものですから、誰も私の本名知らないんですよ?」
「そうふてくされるな。この省内で、さっちゃん程皆から親しまれている呼び名はないぞ」
がっはっはと豪快に笑い散らしながら、その長官と呼ばれた男性はゆったりとした動作で立ち上がった。
そう、何を隠そう彼こそが、日本の防衛における要、防衛省長官こと季慈克時(きじかつとき)その人である。
この職に就いて、もう早十数年にはなろうかという、国防の熟達たる人物だ。
それ以前は、海外の紛争地帯を転々とし、その惨状を記事や写真として伝える、戦場記者兼カメラマンという異色の経歴を持ち合わせていたりもする。
それ故、平和ボケも甚だしいと言われる日本人には珍しく、戦争の凄惨さと残忍さを誰より理解しており、国を守るという姿勢には余念がない。
現実主義を理念とし、常に事態を悲観的に想定してその対応策を練るというスタイルで、今までに幾度となく日本をテロの脅威から救ってきており、国内外から日本の防衛省史上最高の逸材とその評価は高い。
だが、普段の彼、つまりはその本質的なものなのだが、良く言えば豪快、悪く言えば非常にずぼらな性格で、周囲の人物、主に佐奈に多大な迷惑をかけていたりする。
その代表例が、散らかり放題資料の散乱した彼の机だ。
一日にして荒れ果てた机上を、佐奈が朝早くに出勤して綺麗に整理整頓し、それをまた季慈が散らかしてというイタチごっこを繰り返すのが、二人にとっての日常、日課だったりする。
つまり、このことが示す事実は、今日が何の変哲もない日常ではないということに他ならなかった。
「お出掛けですか?」
立ち上がり、出掛け支度を整え始める季慈に向かって、佐奈が問いかける。
「あぁ。少し出てくる」
「いつ頃お戻りになられますか?」
「それほど時間は掛からんよ。夕刻までには戻る」
「かしこまりました。では、いってらっしゃいませ」
出掛けてくると言う季慈に対し、佐奈は特に問いただすようなことはせず、恭しく頭を下げた。
秘書として最も重要なことは、付き添う上司を信頼することであるという彼女の信念が、さりげないこの動作に良く示されている。
むやみやたらと首を突っ込まず、必要とあらば自ら一歩身を引く彼女のそんな慎ましやかな態度を、口にすることはなかったが、季慈は心底気に入っていた。
「あぁ、そうだ」
扉の前に立ち、ドアノブを捻ったところで、季慈は何かを思い出したように佐奈の方を振り返った。
「もしかしたら、誰かお偉いさんが急に訪ねてくるかもしれんが、その時は頭を下げるなり居留守を使うなり、さっちゃん流の接待をするなりして、丁重に断っておいてくれ」
「了解しました。留守の間のことは、どうぞお任せください」
「うむ。それじゃ、行ってくるぞ」
「行ってらっしゃいませ」
もう一度、深々と頭を垂れる佐奈に背を向けて、季慈は口元に笑みを浮かべながら自室を後にした。
扉の閉まるバタンという音が、佐奈一人となってしまった空間に響き渡る。
「さて……と」
軽く伸びをしながら、先ほどまで季慈が腰かけていた長机の方へと目を向ける。
そこに見える、乱雑に折り重なった資料の数々。
「来客の方がお見えになる前に、ここの片付けを済ませておきますか」
誰に言うともなくそう呟くと、彼女は小さく微笑みながら、己の日課に手を付けるのだった。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時20分(113)
題名:始動〜First Contact〜(第二章)

――英国、ロンドン、7/26、現地時間8:30――

人混み溢れる昼下がりのロンドン。
ここ、ピカデリーサーカスと呼ばれる広場は、小売店や劇場などがそこかしこに隣立していて、買い物客や観光客の絶えない、ロンドンでも随一を誇る有名な観光名所だ。
故に、常日頃から賑やかな喧騒で辺り一面が満たされており、海外から訪れた観光目的と思しき人々の姿があちらこちらに見受けられた。
赤い服に身を包んだツアーガイドと、彼女が掲げる短めの旗の下に集団を形成する観光客。
2、3人の友人知人で連れ立って、鞄片手に地図を開きながら楽しそうに談笑している観光客。
もちろん、紙袋をぶら下げて買い物を楽しんでいる、地元の人の姿も多く目につく。
そんな数多の人々でごった返す通りを、男は一人、いかにも不機嫌そうな表情で歩いていた。
楽しそうな周囲の空気に一切溶け込むことのないそのしかめっ面は、一見しただけで誰もが浮いていると感じることだろう。
その足取りも、確かな目的地を見出だしている者の取る足運びとは程遠く、宛もなく徘徊しているのが見て取れる。
「ちっ……クソが……」
誰にも聞こえないような声で、男は悪態をついた。
いや、誰の耳にも届かないのは、この時この場所にいるからであって、もしここが静かな場所だったなら、数メートル離れた所にいても、はっきりと聞き取れていただろう。
「……ちっ」
再度舌打ち。
このような態度を見れば一目瞭然であろうが、彼は今、とても機嫌が悪かった。
男の名は、ガルティエ=ド=フェデラル。
仲間内では、頭の文字を取ってガルと呼ばれている。
細身ではあるが長身で、髪は毒々しい紫に染められており、耳に穿たれた幾つもの小さい孔には、大量のピアスが着けられ、ジャラジャラと耳障りな金属音を上げていた。
それに加え、今日がたまたまそうなだけなのか、それとも日々こうなのかは定かでないが、つり上がった目尻に不愉快そうに歪んだ口元という人相の悪さが、余計に彼という人物の第一印象を恐ろしく仕立てあげている。
何か気に食わないことがあると、彼はいつもこうしてうるさく混雑する人波の中に身を置く。
そして、誰かとぶつかるのを待って、ストレスを発散するという訳だ。
だが、先にも記したこの容姿だ。
一般人の大半が、なるべく関わり合いになりたくないと思うであろう彼の周辺に、わざわざ好き好んで寄り付く物好きなどいるはずもなく、必然的に彼の周りにだけ奇妙な空間が生まれていた。
買い物袋や鞄が彼に当たらぬよう、人は皆必要以上に所持品を体に密着させており、そのような態度がより一層彼を苛立たせる。

――ちっ……いっそ、こっちからぶつかりに行ってやろうか……。

そんなことを考え始めた、ちょうどその時だった。

――ドン!

肩の辺りに感じた鈍い衝撃。
それは、当初の予想よりもかなり激しいものだった。
「あ、ごめんなさい」
そんな声が横から聞こえてきたが、その程度の謝罪ですれ違うことを許す気は毛頭なかった。
何せ、初めからこれが目的だったのだから。
「……ってぇな! 待てや、コラ!」
しめたと、内心ほくそ笑みながら、ガルは声を荒げて背後を振り返った。
その声に反応し、足を止めてそちらへと向き直る人物。
それは、一人の女性だった。
女にしてはやけに長身で、足下近くまである長いコートが目につく。
恐らく、アジア系の女性なのだろう。
肌は白いが顔の掘りは浅く、端正の整った顔立ちは、こちらでは見かけないタイプの美人だった。
何より目を惹く腰付近まで伸びた長髪は、澄みきった青で美しく彩られていた。
普段、彼は何を目にしても滅多に綺麗とは感じないのだが、そんな彼の目をもってしても、その髪を染める青は、とても美しく、綺麗だった。
「なにかしら?」
その女は、彼を真っ直ぐに見つめたまま、何気ない口調で問いかける。
その声に、一瞬心を奪われかけていた彼の意識が、我を取り戻した。
「何じゃねぇんだよ! 痛ぇだろうが! どこに目ぇつけてんだ! あぁ!?」
溜まっていた鬱憤を一気に晴らそうと、派手に怒声を放つ。
「だから、さっき謝ったでしょう? 何をそんなに怒ってるのかしら?」
「口で謝っただけで何でも済むと思ってんじゃねぇぞ! こっちはな、今気が立ってんだ……ん?」
と、更に怒り任せに怒鳴り散らそうとしたところで、視界の端、下方隅の辺りに何かが見えて、ガルはその方へと視線を下ろした。
そこにあったのは、青髪の女性の腕にしがみつき、恐々とした眼差しでこちらを見上げる、小さな少女の姿だった。

――なっ……ガ、ガキ連れかよ……。

思わず口をつぐむ。
それは、彼が最も苦手とするものだった。
一度こうやって絡んでしまった以上、何もせずにこの場を離れる訳にはいかないが、かといって次に言うべき言葉は何一つと思い浮かばない。
「? どうしたのよ? 何か言いたいことがあるんじゃないの?」
「う……」
青髪の女性に逆に問われ、返す言葉に詰まる。
いつの間にか、立場は完全に逆転していた。
辺りになんとも言えない奇怪な空気が漂い始め、それに伴ってガルの胸中に一種独特の焦りにも似た感情が募り始める。
……ちょうどそんな時に、有事は起こった。
「ナメてんじゃねぇぞ、このアマァ!!」
ガルの放ったものとは比べ物にならないほど巨大な怒りの声が、喧騒の最中にある広場に轟き渡った。
それはただ音として大きなだけでなく、そこに含まれる負の想念も、またドス黒く巨大だった。
ただ事ではない何かが起きたことは、もはや誰の耳にも明らかだった。

――ダッ。

ガルは、先ほどまで青髪の女性に向けていた怒りの矛先を、そちらへと変えるべく走り出した。
思いがけないことにざわつき、立ち止まる人々をかき分けながら、止まることなく駆ける。
そんな彼の背中を、青髪の女性と少女は、首を傾げながら見つめるのだった。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時21分(114)
題名:始動〜First Contact〜(第三章)

「……なんだったんでしょう?」
「さぁ……?」
紗弥の問いかけに、私は首を捻りながら答えた。
その視界に映るのは、徐々に小さくなってゆく、ついさっきまで私に絡んできていたガラの悪そうな男の背中。
あれだけ怒鳴っておきながら、いきなり何のオチもなく踵を返すなんて、本当に何がしたかったのかしら?
「ねぇ、姉さん」
「何?」
こちらを見上げる紗弥の眼差し。
そこに覗ける強い意思が、彼女の言わんとしていることを言外の内に私に伝えていた。
「行きましょう」
「えー……」
……やっぱりか。
紗弥のそんな言葉に、私はダルそうな声で応えた。
正直、こんな下らなさそうな厄介事は、どこへ行っても少なからずあるものだ。
そんなものにいちいち首を突っ込んでいたのでは、時間がいくらあっても足りない。
……のだが、今回はどうやらそうも言ってられないようだ。
私を直視するその瞳には、有無を言わさぬ強制力に近い何かが宿っていた。
私が断るなら、自分一人でも行くと言わんばかりだ。
まぁ、正直言って、その気持ちは分からないでもなかった。

この前……とは言っても、もう結構以前にはなるが、あんな事件が身に降りかかった彼女だ。
あの時の恐怖は、どれだけ明るく振る舞った所で、そう簡単に消えるものではない。
ましてや、彼女は元々正義感の強い娘だ。
目の前で何か良からぬことが起きるのを……他の誰かが、かつての自分のような恐怖を味わうのを、黙って見過ごせないのだろう。
ここは頷く他ないわね。
「……はぁ。まったく、仕方ないわね。わかったわ」
「それでこそ姉さんです。さぁ、急ぎましょう」
私の腕を引き、人の群れを縫うように進む紗弥に連れられるようにして、私は声のした方へ向かうこととなった。
果たしてそこには、大方予想通りの光景が広がっていた。
数人のチンピラ集団と、そいつらの被害に合っていたと思われる女性、それに、連中と対峙している先ほどの柄の悪そうな男性の姿だ。
「あぁ? なんだてめぇ! 何か文句あんのか!?」
「お前みたいな野郎に興味ねぇんだよ! スッ込んでろゴラァ!!」
「……」
口々に罵声を浴びせかけられながらも、微動だにしない男性。
上着のポケットに手を突っ込んだままの体勢で、無言を保ち続けるその後ろ姿は、先ほどまで自分に絡んでいた男性と同一人物とはとても思えなかった。
「姉さん、早く……」
「待った。もう少し様子を見た方がいいわ」
「なんでですか! あんな連中の好きにさせておくつもりですか!?」
「そうじゃないわよ。でも、ここに真っ先にたどり着いたのは彼よ。あの怯えの欠片も見せない堂々たる態度……きっと腕に自信があるんでしょう。ここは、彼に花を持たせてあげるべきじゃない?」
「それは……そうかもしれませんけど……」
今一つ煮え切らない様子で、うつ向き加減に口ごもる紗弥。
まだ些か不満そうではあったが、彼女も一応は納得してくれたようだ。
眉をひそめ、不安げな眼差しで現状を見つめる。
「……」
そんな彼女をよそに、当の本人はというと、未だに口を開くことなく、ただその場に佇むばかりだった。
「おい、コラ! 何とか言ったらどうなんだよ!」
「……? こいつ、何か変じゃねぇか?」
そんな彼の様子に違和感を感じたのか、連中の内一人が、首を傾げながらその方へと詰め寄る。
そして、その身体を手のひらで軽く突き飛ばした。
本当に軽く、どれだけひいき目に見ても、幼い子供でもない限りふらつきすらしないだろう程度の力で。
しかし、彼は直立不動の体勢を保ったまま、ゆっくりと後ろへ傾き、

――ドサッ!

秒を待たずしてバタッと倒れてしまった。
地に背を張り付け、ピクリとも動かない男性。
『…………』
周囲を満たしていた張り詰めた空気が、一瞬の内に一種独特の間の抜けた沈黙へと変化する。
それを破ったのは、倒れた男性の顔を覗き込みに行った、彼を押したチンピラだった。
「……こいつ、気絶してやがる」
『!?』
辺りに衝撃が走った。
「気絶って……ただ向かい合っただけで?」
「なんて肝っ玉の小さいやつなんだ……」
「女の私でも、さすがに気絶はしないわ」
どよめくギャラリー。
「ぷっ、ぎゃっははははは! 何だよ、こいつ! あれだけ俺らにメンチ切ってきやがったくせして、いざとなったらこのザマかよ!」
「マジかよ! きゃはははは! っはははははは! ダ、ダセぇ、ダサすぎるぜ!」
そして、声を上げて爆笑するチンピラ共。
両者の混じり合った不可思議な喧騒の中、私はしばらく呆気に取られたままだった。
「……姉さん」
すぐ隣から聞こえてきた紗弥の声に、私の意識が我に返る。
こちらを見上げる細められた眼差しに、まるで咎められているかのような錯覚を覚える。
いや、実際咎めているのかもしれない。
何で、もっと早く止めなかったのか、と。
でも、あの後ろ姿を見たら、誰だって一旦様子見をするだろう。
あれほど堂々たる立ち方で、まさか気を失っているだなんて、誰も思わないに決まっている。
だから、私はちょっとだけ言い訳をしてしまった。
「いや、だって、ほら……あの状態で気絶してるとは、誰も思わな……」
「ね・え・さ・ん!?」
が、そんな言葉は、紗弥の怒声にも似た大声によって、見るも無惨……もとい、聞くも無残にかき消されてしまった。
「はいはい、分かった。分かりましたよ。すいませんでした、私が悪かったですよーだ」
親に叱られ、拗ねた子供のように言い返しながら、私はゆっくりと前に足を進めた。
見てみれば、気絶し倒れている男性をよそに、例のチンピラ共はまたしても先の女性の周りにたかっていた。
周囲を取り囲むチンピラのせいで、ここからでは女性の容姿をうかがい知ることはできない。
早口且つ幾つもの言葉が重なり合っているせいで、男たちが何を言っているか聞き取れなかったが、その内容は想像に難くなかった。
どうせ、年頃の女性なら耳を塞ぎたくなるような、卑猥な言葉と罵詈雑言だろう。
こういう輩は、見ているだけで腹立たしい。
「あぁ、ちょっとあんたたち」
そんな連中に向かって、私は臆することなく口を開いた。
「あぁ? っんだよ、肝無し男の次は女かよ」
苛立ちを露わに、一人の男がこちらを振り返る。
鋭いその目付きは、喧嘩慣れしていない人なら少なからず怯えを覚えるであろう、きつくつり上がったものだった。
しかし、そんな目だけの脅しに怯えるほど、私は可愛い女じゃない。
それに、本当に恐怖を与える目というのは、ただ鋭く尖らせればいいというものじゃない。
いっちょ、本物の睨みってのを見せてやろうかしら。
「……」
無言のまま、冷たい瞳で相手を見据える。
「なんとか言えや! あぁ!?」
……が、どうやらあちらさんにはまるで伝わらなかったようだ。
私のことを良く知ってる奴なら、この一睨みで血の気が失せるもんなんだけど……やれやれ。
内心密かに溜め息を溢す。
「何余裕こいてやがんだ!? お前もこの女みたくマワしてやろうか!?」
そう言って掴みかかってくる男の手を、私は軽く掴んで素早くその背後へと回り込む。
勢いにまかせて腕を捻りあげ、関節を外すと同時に足を払い飛ばした。
「ぎゃああぁぁぁっ!!?」
ゴキャッという関節のずれる鈍い音と、悲痛な叫び声が辺りにこだます。
突如として上がった悲鳴に、弾けたように背後を振り返るチンピラたち。
その視界に映るのは、外された関節を庇うようにして、地面を惨めに転げ回る仲間と、それを見下ろす一人の女性の姿。
しばし唖然となってはいたものの、まだ闘志が消え失せたという訳ではないようだ。
その証拠に、連中の内数人の手には刃渡り十数センチのバタフライナイフが握られていた。
「何してくれてんだ! あぁ!?」
「ナメたマネしてんじゃねぇぞ! 刺されてえのか!?」
口々に怒鳴り散らす。
まったく、ギャアギャアとうるさい連中ね。
そんな玩具みたいなナイフで、私とやり合おうって言うの?
無謀も程度をわきまえて欲しいもんだわ。
心の中で再度溜め息。
そんな私の態度が、彼らの機嫌を逆撫でたのだろう。
「調子乗ってんじゃねぇぞゴラァ! マジに刺してやんか!? あぁ!?」
「うっさいわね〜。刺す刺す口にする前に、本当に刺してみなさいよ」
「っんだとぉっ!? ナメんなよこのアマァッ!!」
激昂した一人のチンピラが、腰だめにナイフを構え、こちらに向かって突進してくる。
まるで躊躇いのないその走り方からして、本気で殺すつもりなのは明白だった。
だが、それも所詮はただの突進。
そんな直線的な動きで私をどうにかしようだなんて、笑わせてくれる。
ナイフが近付くのを待って、私は軽く横に飛び退いた。
と、同時にその腕を掴み、下方へと回しながら一気に両足を払う。
瞬間、体を支えていた支点は、脚部から私の掴んでいる腕へと移る。
回転する腕の動きを追うように、その体も宙へと投げ出され、次に支点がその身へと戻った時には、既に勢いよく地へと叩きつけられた後だった。
仰向けに倒れたまま、ピクリとも動かない男。
突進してきた時のあの勢いが、そのまま衝撃となって返ってきたのだ。
結構な間、昏倒したままだろう。
「こういうのを、自業自得とか因果応報って言うのよ。覚えときなさい……って、聞こえてないか」
そう言い捨て、私は残りの連中の方へと視線を移した。
「っ!?」
いつの間にか静まり返っていた広場に、男たちの息を飲む声なき声が響く。
目の前にいる人物が、自分たちの手に負える相手かどうか、どれだけバカな奴でもそろそろ気付く頃合いだ。
私としても、時間の浪費はこれくらいにしておきたい。
そう思った私は、言葉で一気に畳み掛けることにした。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時22分(115)
題名:始動〜First Contact〜(第四章)

「これ以上刃向かうようなら、明日の朝刊に顔写真入りで名前が載ることになるかもしれないけど、それでも構わないかしら?」
「っ……!!」
男たちの間に戦慄が走った。
その言葉がただの脅しでないことは、つい先ほど実例をもって見せ付けられている。
逆らえば、自分もああなることは目に見えていた。
さればこそ、連中から次々と戦意が喪失されていくのは、もはや必定とさえ言えた。
「ふざけんなよ。女が調子に乗ってんじゃねぇぞ」
そんな中、未だに戦う意思を失わない者が一人。
見てみれば、おどおどと狼狽えるチンピラ共の中、一際ガタイの良い巨漢が、こちらを凝視していた。
多分、奴らのリーダーだろう。
丸太を思わせるかの如き筋骨隆々たる両の手足には、鍛えられた筋肉の束がその力強さを誇示している。
服の上からでも容易に見透かせる胸板の厚さ、腹筋の割れ目から察するに、かなり鍛えているらしかった。
身長も相当なものだ。
普段、男性相手にも視線を平行に保てる私が、多少見上げなければならないことを考慮に入れると、2メートル近いか、もしくはそれ以上かもしれない。
「よぉ、姉さん。多少腕に自信があるみてぇだが、ここらにしといたらどうだ? どうせ、元々あんたには関係のない話だ。下手に首を突っ込んだせいで、旅行先で無駄な大怪我なんてのはごめんだろ? 今なら、謝罪一つで全部無かったことにしてやるぜ」
私の正面に立ち、見下ろしながら、その男はそう言い放った。
依然として目付きは悪かったが、その口調は思ったより穏やかなものだった。
「へぇー、言ってくれるじゃない。無駄な大怪我? 謝罪一つで無かったことにしてやる? 笑わせてくれるわ。それはあんたの方よ。ここで地に頭を擦り付けながら謝って、そこの女性を解放するんなら、許してやっても構わないわよ」
そんな男に向かって、私は思いっきり侮蔑の念を込めて言い返してやった。
その言葉を聞くなり、男の眉間にシワが寄り、血管が浮き上がる。
「どうやら、一度痛い目に合わないと分からないようだな」
「それはこっちのセリフよ。私はね、あんたみたいに最初っから女如き相手に負けるはずがないと自惚れてるような輩が、一番嫌いなの。この際だから、徹底的に叩きのめしてあげる」
「そうかい。なら、次に目を覚ました時、真っ白な天井を拝むことになっても……恨むんじゃねぇぞ!」
言い終えるなり突き出される正拳を、横跳びに軽く避ける。
「はっ!」
烈迫の気合いと共に放たれる第二撃は、私の腹部を狙った強烈な回し蹴り。
だが、それも所詮はただのケンカレベル。
いくら威力のある一撃でも、予備動作がここまで大きくては、その軌道を見切ることは容易い。
少しだけ前に動き、飛んでくる蹴りを肘で受け止める……と同時に、脛の部分を強く打ち付けてやった。
「ぐっ……!」
男の顔が、痛みのあまり苦悶に歪む。
その間に、更に一歩足を踏み出し、私は男の腹部に正拳を打ち込んだ。
ドスッという鈍い音を伴って、私の拳が僅かにめり込む。
身体中を包み込む筋肉の鎧は、どうやら見かけ倒しではなかったらしい。
タイヤを殴り付けたかのようなこの弾力感は、本格的に鍛えている証拠だ。
この感触から察するに、恐らく大して効いてはいないだろう。
直ぐ様腕を引き、一歩距離を空けるなり、今度は側頭部目掛けて蹴りを放つ。

――バシッ。

足の甲に伝わる固い衝撃と、同時に上がる渇いた音。
見てみれば、そこには腕を立てて私の蹴りを防ぐ、男の不敵な笑みがあった。
再度突き出される拳。
蹴りを受け止められた体勢のまま、体を捻りながら跳躍し、突きを避けつつもう片方の足を男の方へと伸ばした。
受けられていた足を外し、両の足で相手の首を挟み込む。
地に手をつき、相手の勢いに足の力を乗せて、思い切り――

――ゴシャッ!

――地面へと叩きつけた。
コンクリートの砕ける不気味な音が、静まり返った広場に響き渡る。
埃を払いながらゆっくりと立ち上がり、私は地を見下ろした。
そこには、頭から地面に激突し、血を流して倒れる巨漢の姿があった。
少しやり過ぎたかしら?
まぁ、死ぬほどじゃないし、別にいいか。
物言わぬ男から目線を外し、ただその場に立ちすくむチンピラ共へと目をやる。
各々の瞳に宿るのは、当初の憤怒と侮蔑とは対極に位置する、極度の不安と恐怖の色だった。
「まだやる?」
「っ!?」
「それが嫌なら、こいつらを連れて、さっさと帰ることね。じゃないと、このままじゃあんたら全員病院送りか、下手すりゃ棺桶行きよ?」
「……」
動揺を露わに、無言で仲間たちと顔を見合せる。
その数瞬の後、連中は傷付いた仲間を引きずり、その場から一目散に立ち去っていた。
「さて、と……」
先ほどまで、奴らに絡まれていた女性の方へと目をやる。
見てみれば、しゃがみこんだままの彼女の前で膝をついている、紗弥の姿が目に止まった。
あっちはあの子に任せておいていいかな。
そう思い、私は後ろを振り返った。
正確には、背面方向の地面、そこに依然として仰向けに倒れている男性へと視線を下ろす。
仁王立ちの姿勢のまま、まるで張り付けにされているかのように、地に背を付けたまま微動だにしないその状態は、そこはかとなく間抜けだった。
何にしろ、このまま放置しておくわけにもいかない。
「お〜い、起きろ〜」
その場にて腰を折り、頬を軽く叩きながら声をかける。
……が、何ら反応はない。
頬をつねり、掴んで左右へと大きく引っ張る。
しかし、これにも何一つ反応しない。
よほど深く気を失っているようだ。

――仕方ないわね。

懐からミネラルウォーターを取りだし、キャップを開ける。
そして、中に残っている水を、彼の顔に浴びせた。
「のわっ!?」
すっとんきょうな声を上げて、弾けたように起き上がる。
「冷て〜っ!? 何しやが……ん?」
顔面にかけられた水を拭いながら、こちらへと目を向ける。
その声に疑問の色があったのは、自分を取り巻く今の状況を把握できていないからだろう。
「やっとお目覚め?」
「あれ……ここは……?」
「ピカデリーサーカスの真っ只中よ」
「お前……さっきの……」
焦点の合わぬぼやけた眼が、私の顔をぼんやりと見つめる。
「そ。貴方にいきなり絡まれた観光客よ」
「……っかしいな。俺、なんでこんな所に……っ!?」
刹那、夢現だった男の瞳が大きく見開かれた。
弾けたように、その場に立ち上がる。
「その様子だと、どうやら思い出したみたいね」
そんな彼の動作に合わせて、私もゆっくりと腰を上げた。
「う、うるせえ! な、何でてめえがここにいるんだよ!」
「何よ。助けてあげたってのに、随分な言い種ね」
「助けてあげたって……お前が?」
「そうよ」
「あのチンピラ共の集団から?」
「えぇ」
私は何一つ隠すことなく、ただ淡々と頷いた。
「はっ……あっははははははっ!」
と、突然その男は、何を思ったか急にバカ笑いをし出した
「何がおかしいのかしら?」
「あははははっ! だ、だってよぉ……あんな奴らを、女が追っ払えるわけないだろ!?」

――ガッ!

と、ひとしきり笑った後、急に怒りへとその表情を変貌させると、男は乱暴に私の胸ぐらを捻り上げた。
「おい、女。こっちは今最高にムカついてんだ。ふざけんのも大概にしとけよ?」
顔を近付け、睨みをきかせてくる……が、先の情けない一面を間近で見ていたため、哀れかな、それに威嚇的要素はまるで含まれていなかった。
しかし、その行為は、どうやら私を苛立たせるには十分だったらしい。
「……」
私は無言の内に胸ぐらを掴んでいた手を握ると、思いきり捻り上げた。
「うあっ!?」
捻られた手に引っ張られるようにして、男は悲鳴と共に腰を直角に折った。
ゆっくりと足を持ち上げ、それが垂直になったところで、勢いよく降り下ろす。

――ゴッ! ガン!

立て続けに上がった二つの音
片方は、私の踵が男の後頭部を強打した音で、もう片方は、男が顔面から地に激突した音だ。
ついさっきまでのように、地面に転がり気を失う男性の姿。
先と違うところと言えば、仰向けがうつ向けに変わったことと、気絶の要因が精神的なものから物理的なものに変化したことくらいか。
「……気が変わったわ。あんたはもう少し、そこで寝てなさい」
そう言い捨て、私は再度昏倒したその男に背を向けた。
紗弥のいる方へと視線を流す。
すると、先の体勢のまま、依然として絡まれていた女性と向き合っている彼女の姿が、少し遠くに見えた。
「紗弥〜! そろそろ行くわよ〜!」
そんな彼女の方へと歩み寄りながら、私は声をかけた。
こちらを振り返る紗弥と、それに合わせて私へと目線を移すその女性。
ここで、ようやく私は彼女の姿を鮮明に捉えることができた。
外人にしては彫りは浅く、まだ幾分幼さの残る顔付きをしているように見える。
しかし、そんなあどけない顔立ちとは対照的に豊満なその体が、ある種妖艶な雰囲気を醸し出していた。
ふと、自分の胸元へと視線を落として――、

「……」

――何だか無性に腹立たしさを覚えてしまった。
だが、種々ある彼女の身体的特徴の中でも、最も他人の目を惹くであろうものは、やはりその長く赤い髪だろう。
日の光を浴びている訳でもないというのに、その赤髪は艶やかな輝きを放っているように見えた。
いや、艶やかと言うかなんと言うか、こう……上手く言い表せられないが、何だか……そう、不気味だった。
「……」
口元に笑みを浮かべ、朗らかそうな眼差しでこちらの視線を見つめ返す女性。
その瞳の奥に覗ける、得体の知れない何か。
そんな有るはずのないモノが、何故かそこに在ると確かに感じ取れた。
この女とは、あまり関わり合いにならない方が良い。
直感的にそう感じ、紗弥を呼び戻そうとしたのとちょうど同時に、その女性はゆったりと立ち上がった。
座っている時は分からなかったが、なかなかに背も高いようだった。
恐らく、私と同じくらいはあるだろう。
そして、その女性は私には聞こえない程度の声で、紗弥に一言二言声を掛けると、そのまま去ってしまった。
「紗弥。行くわよ」
その後ろ姿を見送りながら、私は紗弥の方へと歩みを進めた。
「……」
だが、そんな私に対して、彼女はまるで反応を示すことなく、その場に屈んだままだった。
「紗弥?」
すぐ近くまで寄り、改めて声を掛ける。
「え……あ、はい」
ぼんやりとした眼差しでこちらを見返し、どこか気だるそうに立ち上がる紗弥。
「どうかした?」
「あ、い、いえ、何でもないですよ」
紗弥が慌てて首を横に振る。
別に体調が芳しくないという訳ではなさそうだけど……。
「しんどかったりしたなら、遠慮なく言いなさいよ?」
「はい。でも大丈夫ですよ。さ、行きましょう」
「え、えぇ……」
どことなく空元気な様子の紗弥に手を引かれ、私はその場を後にした。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時22分(116)
題名:始動〜First Contact〜(第五章)

――英国、高級レストラン“Nest”、7/26、現地時間12:30――

純白のクロスが敷かれた、縦に長いテーブルの上には、芳しい香りを放つ数多の料理たちが並べられていた。
使われている素材はもちろんのこと、緻密な計算の上で繊細に盛り付けられたその見た目や、一点のくすみさえ見当たらない程に磨きあげられたシルバーの食器類が、視覚的にも高級感溢れる店の雰囲気を主張している。
頭上に輝く豪奢なシャンデリアは、聞いたところによると、高名な宝石職人たちによる手作りだそうで、至るところにダイヤの欠片が散りばめられているという代物らしい。
また、室内から伺い知ることは出来なかったが、扉の外には黒服を着こんだ数人のガードマンが立っており、その警戒体勢の厳重さが、この部屋で行われている会合の重要性を言外に示している。
そして、そんな会食の席の一番下座に、鹿狩遊樹は腰を下ろしていた。
「ミスター鹿狩。一つ聞いてもよろしいかな?」
そう、おもむろに口を開いたのは、遊樹から見て対角線上に位置する、つまりは最も上座に座する人物だった。
英国首相、ディレック=ワードナー。
軍備第一主義、富国強兵を地で行く、現代的視点で見ると相当危険な思想の人物だ。
生真面目で融通の利かない頑固な性格をしており、己の案に反対する者は容赦なくねじ伏せる、まさに独裁者の体裁を持っていた。
だが、その反面、効率的な経済政策や外交技術の高さから、国民の支持は厚い。
「はい。なんでしょうか、ミスターディレック」
そんな英国最高権力を前に、遊樹はまるで臆することなく口を開いた。
「何故、未だ死神を消せていないのかね?」
そんな彼に向かって、低い声で問いかける。
口調こそ穏やかであったものの、その鋭い眼差しは刃物の如く。
問いかけと言うより、詰問といった方が雰囲気に合っているかもしれない。
「お言葉ですがミスターディレック。日本という国は治安国家です。よほど綿密な計画を練らない限り、人一人を暗殺するのも容易なことではありません。況してや、相手はあの明神水亜。ありとあらゆる機関から死神と呼ばれ怖れられている彼女を、何の犠牲も払わず水面下で消すなどということは、到底不可能だと申し上げたはずです」
「それは裏を返せば、ある程度の犠牲を払い、且つ事態が表沙汰となる覚悟さえあれば、奴を消すことは出来たとも捉えられるが?」
「そのことに関しましても、日本国内で彼女の暗殺を目論み、その背後に英国が潜んでいることが表面化すれば、明神水亜の生死を問わず、この計画は水の泡になると説明したはずですが」
「ならば、どうして国内に入ってからも、監視の目を付けるだけで何一つ行動を起こさない?」
「奴の居場所が分かっているのなら、消す方法はいくらでもあるはずだ」
そう口々に言い放つのは、遊樹から見て左右に席を取っている二人の男性だ。
言うまでもなく、両名共に名だたる政府の高官であり、またディレックに信頼を寄せられている人物であることは、言うまでもない。
「君の言う幾ばくか程度の犠牲であれば、こちらはいつでも払う覚悟は出来ている」
「ですが、彼女をホテル内で消そうとするなら、無関係の民間人にまで被害が出る可能性があります」
「ならば、事前に勧告して全員を退去させれば良い話だ」
「しかし……」
「もし、それでは奴が不審に思うと言うのなら、その意味での犠牲もいとわん」
遊樹の言わんとしたことを遮り、ディレックが口にした言葉は、あまりにも無慈悲で冷徹なものだった。
両脇に座る高官二人が、思わず彼の方へと戸惑いと驚きの視線を向ける。
「そんなことをしては、マスメディアが黙ってはいませんよ? いくら圧力をかけようと、情報漏洩を完全に防ぐことはできません」
「それは、ホテル内に目撃者の生き残りが生まれた場合のみであろう? ならば、一人残さず消してしまえば問題あるまい」
「万が一、それでも尚捕り逃してしまった場合は、どうなされるおつもりですか?」
「最悪の時は、ホテルごと爆破してしまえばよかろう。テロに見せかけてしまえば裏は残るまい」
そんな中、淡々と言葉を交わすディレックと遊樹の表情には、僅かな動揺すら生まれていなかった。
その冷静さは表面上だけのものなどではなく、根幹に至るまで全てが冷たく凍てついた、まさに氷の心。
慈悲や温情などといった慈愛の感情は、欠片たりとて覗かせていない。
いや、もしかしたら、この二人は元よりそのような感情そのものを持ち合わせていないのかもしれない。
見る者にそんな錯覚さえ覚えさせるほど、二人の会話の中で、人の命というものの存在は軽かった。
「しかし、彼女の泊まっているホテルは、国内外で名高い最高クラスのものです。それを失うことによって被る被害は、黙殺できる程安いとは思えませんが?」
「なに、その程度の代償であの死神を消せると言うなら、むしろ釣りがくるくらいだ。それに、それをテロ行為とし、迅速な対応を下せば、国民から更なる支持を得ることもできる」
口の端を不気味な笑みに歪めながら、ディレックは事も無げにそう口にした。
『……』
思わず口をつぐむ二人の高官。
これが世間一般的な首相の言葉だったなら、質の悪いブラックジョークとして笑い飛ばすこともできたろうが、彼の場合そうはいかない。
「まぁ、それはあくまでも最後の手段ということにしておいた方がいいでしょう。観光名所の有名なホテルを、そう軽々しく爆破するのは、あまり賢明とは言えません」
「無論、払う犠牲は少ないに越したことはない。私は、あくまでも最悪の事態を想定したまでだよ。……まぁいい。この件に関しては、今しばらく君に一任しておくことにしよう」
「ありがとうございます」
恭しく頭を垂れる遊樹。
それを見つめる彼らの視点からでは、きっと見えなかったことだろう。
その口元に、先のディレック同様、薄気味悪い歪な笑みが浮かんでいたことを……。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時23分(117)
題名:始動〜First Contact〜(第六章)

――英国、ロンドン、ヒルトンホテル、7/26、現地時間20:30――

「はぁ……」
弾力性溢れる寝心地の良いベッドに身を横たえ、私はため息を溢した。
別に疲れたからという訳じゃない。
いや、そりゃあ結構歩き回ったし、疲れてないとは言わないけど、このため息の理由はそれとは全くもって関係がなかった。
私の脳裏に色濃く焼き付いている、今日の昼の出来事。
彼女の持っていた赤い長髪と、鮮やかな新緑色の瞳が、今も頭から離れない。
そして、その姿を思い出す度に、この胸を締め付ける切ない苦しさ。
この気持ちが何なのか、自分でもよく分からない。
それもそのはず。
どうして、こんな気持ちになっているのか、その要因さえ定かでないのだから。
しかし、強いて言うなら……そう、あの時の……私が日本にいた頃の、姉さんに対して抱いていた気持ちに似ている気がする。
だけど、同じじゃない。
種類的には同じ類かもしれないが、姉さんに対してのものより、遥かに強かった。
それも、ただ強いだけじゃなく、私の自制心を酷く掻き乱す乱暴さをも兼ね備えていた。
自分でも分かる。
今、こうしている間にも、その気持ちは確実に膨張していることが。
そして、その進行につれて、姉さんへの憧れや尊敬の想いが、相対的に縮小していることが。
私は、自分で自分が分からなくなっていた。
姉さんと初めて会って以来、私はずっと姉さんのことが好きだった。
いや、過去形なんかじゃない。
今だって、好き。
この気持ちは嘘じゃない。
私は、誰より姉さんが大好き。
なのに、その大好きを抑え込めるくらいに、誰かを好きになれるなんてこと、況してや、当日会った人をその日の内に好きになってしまうなんてこと、あるはずがない、いや、あってはならない。
なのに……それなのに、どうして……!?
頭を抱え、乱雑に寝返りを打つ。
視界に映る一枚の扉と、その奥から聞こえてくる水の音。
今、姉さんはシャワーを浴びている。
つい先ほど、「一緒に入ろっか?」と言って私に笑いかけてくれた笑顔を思い出した。
昼のあの事件以来、どことなく元気のなかった私のことを心配して、姉さんは色々と気を遣ってくれていた。
先にも述べた通り、姉さんは私の憧れの人だ。
そんな人に自分のことを気にかけてもらえて、嬉しくない人なんていない……絶対に。
つまり、嬉しくないはずがないのなら、それは裏を返せば、嬉しいに違いない。
……だから……私だって――

――嬉しかった。

――ウレシカッタ?

不意に浮かぶ自らへの問いかけ。
それは、先ほど自分自身で確認した気持ちを、嘲笑うかのような圧倒的逆接の問い。
何故、こんな思考が生まれるのか。
何故、私はこんなことを考えてしまっているのか。。
そんなことより何より、その問いを瞬時の内に払拭できなかった自分が嫌だった。
その問いを、問いとして成立させてしまっている自分自身が、恨めしくてたまらなかった。
矛盾する理性と本能のせめぎ合いに、悲鳴を上げる心。
捕らわれる自己嫌悪の濁流の中、私は確固たる私を見つけられない。

怖い。
自分が自分でなくなるようで。

こわい。
姉さんを好きでなくなってしまいそうで。

コワイ。
だってそれは、姉さんのような人になれるよう努力してきた私の今までの、一切を否定することなのだから。

怖い……

こわい……

コワイ……







コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワ






――コンココン。

「っ!?」
唐突に耳に届いたノックの音に、私は我に返った。
胸に手を置かずともわかる、激しい動悸。
額は汗でぐっしょりと濡れており、荒い呼吸に、自然と肩が上下する
「はぁ……はぁ……」
よほど強く手を握りしめていたのだろうか。
手のひらには、くっきりと爪の痕が残っていた。

――コンココン。

再度、扉をノックする乾いた音が上がる。
「あ、は〜い、今出ま〜す」
私はベッドから降り立ち、扉の方へと向かった。
この時間だから、ボーイさんが夕飯のお知らせにでも来てくれたんだろう。
「えっ!?」
……そう思っていたものだから、覗き穴越しに見た扉の向こう側の光景に、私が驚きの声を発したのはむしろ当然と言えた。

――バン!

慌てて扉を開く。
扉と壁のぶつかる鈍い音が響く中、その向こうに佇んでいたのは……、
「ハァイ。元気ぃ?」
昼間出会った、あの女性だった。
「あ、貴女はお昼の……で、でも、どうしてここに……!?」
混乱する思考回路で問う。
「いや〜、実は、私もここに泊まっててね〜。戻ってきた時にたまたま廊下で貴女たちを見かけたんで、ちょっと驚かしてやろうかなと思ったわけよ」
「そ、そうですか……あ、えと……と、とりあえず上がっていって下さい」
「そう? じゃ、お邪魔しま〜す♪」
このまま扉近くに彼女を立たせたままにする訳にもいかないと思い、私は咄嗟に彼女を室内へと招き入れた。
彼女が足を踏み入れるのを待って、先ほど思い切り開いてしまった扉を、今度はゆっくりと静かに閉める。
「へぇ〜。結構良い感じの部屋ね。羨ましいわ」
そう言って、彼女はベッドの上に腰を下ろす。
そんな彼女と向き合うように、私は少し離れた椅子に腰かけようとして、
「あ、ちょっとちょっと」
それを彼女に止められた。
「どうせなんだから、近くで話そうよ。ほら、こっちこっち」
自分のすぐ隣を手のひらでポンポンと叩きながら、私に朗らかな笑顔を向ける。
「えっ、でも……」
「い〜からい〜から♪」
「は、はい……」
結局、気付いた時には、私は彼女のその言葉に従っていた。
隣に座る。
ただそれだけの行為なのに、胸の高鳴りが止まない。
そう、こうなることは分かっていた。
分かっていたからこそ、少し距離を置こうとしたのに……。
いや、それを言うなら、反射的に彼女を迎え入れてしまった時点で、距離云々の問題ではなかったのかもしれない。
同じ部屋に、しかも姉さんがこの場に居ない今、実質二人きり。
この状況は、私が最も怖れていたことであり、同時に……いや、ダメだ!
こんなことを考えちゃダメ!
彼女は得体が知れない。
今日の今日で私の心をこんなにも揺らがすだなんて、普通じゃない。
落ち着け……冷静になれ……油断するな……心を許すな……!
「ねぇ」
「え、あ、はい」
「そういえば貴女、名前は何て言うの?」
「紗弥。咸枷紗弥って言います」

――っ!? わ、私は……今、なんて……!?

言ってから気付く。
名字から名前まで、嘘偽りのない本名を名乗ってしまったことを。
私は何をしているんだ!?
良く知りもしない人に、本名を名乗ってしまうだなんて、我が事ながら正気の沙汰とは思えない。
姉さんに対してさえ、当初は偽名を使っていたというのに、どうして彼女には……!
「紗弥ちゃんか。良い名前ね。私はドミニィよ」
「ドミニィ……さん」
「そ。よろしくね♪」
「は、はい。こちらこそ……」
差し出される手を、おずおずと握り返す。
これは、ただ単に挨拶の握手。
それ以上でもそれ以下でもない。
……だというのに、この感覚は何?
手を握っただけで、私は何を緊張しているの?
緊張することなんて何もない。
誰とだってするようなこと、して当たり前のことに、どうして私はこうも心を乱す!?
食い違う理性と本能に、私の精神はより一層混乱を深める。
「そ、そういえば、ドミニィさんってすごく日本語上手ですよね。日本に住んでたことあるんですか?」
そんな落ち着かない気持ちを少しでも鎮めようと、言葉を口にしてみる。
「えぇ。私、こんなナリしてるけど、こう見えて実は日本育ちでね。英語とおんなじくらい得意なのよ。紗弥ちゃんは英語喋れる?」
「え、え〜っと……ちょっぴり」
「あらあら、そんなこっちゃダメじゃない。英語くらい喋れないと、このグローバルな現代じゃ生きていけないわよ」
「でも、まだ習い始めたばかりなんで……」
「そうなんだ。それじゃ、私が貴女の英語の先生になってあげよっか?」
「あはは、私が困った時は、よろしくお願いします」
……が、それも大して意味は為さなかった。
彼女の言葉を聞き、それに対する応答を模索するだけで精一杯になってしまうくらい、私の思考も精神もギリギリだった。
そのことを、改めて認識する羽目になってしまったことを考えれば、むしろ逆効果だったかもしれない。
「ところで紗弥ちゃん」
「はい、何でしょう?」
無意味な焦燥感を押し殺し、私は可能な限りの平静さを装って横を振り返った。

――……え?

一瞬、何が起きたのか、理解できなかった。
見開いた両目に映るのは、薄く閉じられた彼女の目とキメ細やかな白い肌。
両肩に置かれた手は、私の体を掴むと言うより、そっと重ねただけのように感じられた。
そして、唇に触れるこの柔らかな感触は……。

――っ!?

ハッと我に返り、私は彼女の体を力の限り押し退けた。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時24分(118)
題名:始動〜First Contact〜(第七章)

……否、押し退けようとした。
だが、まるで体に力が入らない。
彼女を押し返すべくその身を突いている腕も、まるで枯れ木の一枝のよう。
触れているだけで限界だった。
少しでも力を抜けば、今にもダラリと垂れ下がりそうだ。
「ん……んぅ……!?」
触れていただけだった唇に、不意に感じた違和感。
何か、生暖かいモノが私の口内へと侵入しようとしている……!
「んっ……んぅっ!」
残された僅かな理性を振り絞り、私は頑なに唇を閉ざした。
無理矢理こじ開けられぬよう真一文字に引き締め、その何かによる私への侵食を許さない。
「……」
と、しばらくの後、私の体は唐突に解放された。
「っはぁ……はぁ……」
長い間息を止めていたせいか、私の呼吸は異常なほど荒かった。
「はぁ、はぁ……い、いきなり何を……」
息も絶え絶えに、掠れた声で問う。
「あら? その歳で知らないことはないでしょう?」
「私が聞きたいのは……そんなことじゃ……っ!!」
私の反論を遮るかのように、再び彼女は私の唇を塞いできた。
その手は、先ほどのように肩に添えられてはおらず、片方を私の背へと回し、もう片方の手は私の体を這う。
最初は服の上から、しかし次第に下方へと伸びたその手は、いつしか私の衣服の下へと潜り込んでいた。
「ん、ぅん……」
思わず漏れそうになる声を必死に抑え込み、私の肌を這い回る手を掴む。
そのまま引き剥がそうとする……が、やはりと言うべきか、全く力が入らない。
肌を撫でてくる彼女の手を、止めることはおろか、その微かな妨害にすらなり得ない。
「ひゃぁっ!?」
自分の意思とは関係なく、急にそんな声が上がる。
「あっ……な、何を……んぁっ……!」
未だかつて出したことも聞いたこともない、この上なく卑猥で艶かしい声。
これが、自分の口から漏れていると思うと、恥ずかしさで死んでしまいそうになる。
しかし、その羞恥心を上回る感情の芽生えを、私は確かに感じていた。
それが何であるか……多分私は分かっている。
でも、認めない。
これを認めてしまったら、ここで流されてしまったら、私は……。
「紗弥ちゃんは、こういうの初めて?」
私の耳元で、彼女が甘い声で囁く。
その声を聞いただけで、頭が真っ白になってしまいそうだった。
「どう? 気持ちいい?」
「そっ、んなこと……あるわけ……っんぁ……」
「ふふっ、ウブな反応ね。可愛いわよ、紗弥ちゃん。でも、素直になったらもっと可愛いと思うんだけどなぁ」
「くっ……う、んぁ……あぁっ……」
漏れる声は、もう抑えようもない。
けど、それでも、言葉にだけはしちゃいけない。
今抱いているこの気持ち。
これが真であれ偽であれ、これを口にすることだけは絶対にダメだ。
そんなことをしたら、私はもう私じゃなくなっちゃう。
耐えろ……耐えるんだ……私っ!
「ほら、気持ちいいでしょ?」
「んっ……そ、そんな、ひぁっ! ……こと……くぅっ……な、ないっ……!」
「なかなか頑張るのね。でも私、そういう子も好きよ。それじゃ、もうそんなこと言えなくしてあげる……」
胸を撫で回していた手が、肌を伝ってゆっくりと下ろされていく。
それは、優しい手つきで私の体を這いながら、下腹部へと向かっていた。
「そ、そこは……」
「そう、ここは、女の子が一番気持ちよくなれる場所よ。貴女だって知ってるでしょ?」
「や、止めて……」
朦朧とする意識の中、ぼやける視界で、私は両の手を彼女の片腕に掛けた。
「うふふ……どうしたの? それで、私の腕を引き剥がそうとしてるのかしら? 可愛らしいわね」
「くっ……うぅっ……」
まるでびくともしなかった。
いくら力を込めても、微動だにすらしない。
正確には、本当に力を込めれているかどうかすら危うい。
自分でも良く分かっている。
この脱力感。
この虚脱感。
この無気力感。
それら全てが途方もない。
この状況で力を込められたら、むしろその方が奇跡だろう。
「ほら、無理しないで……力を抜いて……」
優しい声で語りかけながら、彼女はそっと私に体重をかけてきた。
抵抗することもできず、為されるがままにベッドへと押し倒される。
「さぁ、私に任せて。気持ちよくしてあげる……」
細い指先が、私の下着の中へと滑り込む。
抗う術はあれど、その意思も力もなかった。
今、私の体は、彼女の思うがまま。

――助けて……。

心の中で助けを求める。
しかし、それは果たして本心なのか。
私が本当に求めているのは、助けなのか?

《そうよ》

理性が言う。
私は、こんなこと望んではいないと。

《違う》

本能が言う。
私は、この感覚に酔っていると。

そんな両者の意思と欲求の狭間で、流れに身を任せることしかできない私。
しかし、その情勢は既に決していると言っても過言ではなかった。
理性の囁きを、本能の叫びは遥かに凌駕していた。
本能を縛り付ける理性の鎖は、もうヒビでボロボロだ。

――あぁ……私……私は……。

脳がとろける。
彼女に触れられていると考えるだけで、全身が火照ってゆく。
その指先が触れている部位は、まだ下腹部の肌。
だが、それは徐々に、しかし確実に秘所へと近づいてくる。
あぁ、なんて焦れったい。
そんな遅い動きじゃ、いつまで経ったって来やしない。
もし、私に力が残されていれば、自分からその腕を掴んで導いてあげるのに……。

――早く……。

早く触れて欲しい。
このままじゃ、狂ってしまう。

――早く……!

早く愛して欲しい。
このままじゃ、死んでしまう。

――早く……っ!

早く○○て欲しい
このままじゃ、○○てしまう。

――早く……私を……っ!!

「紗弥〜!」
「っ!!?」
刹那、暴走していた本能が鎮まった。
薄らんでいた視界に輪郭が蘇る。

――ドンッ!

私は、目の前の体を思い切り突き飛ばし、ベッドから跳ね降りた。
そのまま、声のした方へと走る。
「次、シャワー良い……えっ?」
開いた扉から現れる姉さんの姿と、聞こえてくる驚きの声。
だけど、私は止まらない。
うつ向きがちのまま、姉さんの脇をすり抜けて洗面所へ飛び込むと、顔を上げることなく扉を閉めた。
バタンッという乱暴な音が、吸音率の低い洗面所内で幾重にも反響する。
「はぁ……はぁっ……!」
その反響音が消える頃、私の心は決壊していた。
「うっ……うぅっ……!!」
床に膝をつき、歯を食いしばって溢れる涙を必死に堪える。
堪えようとする。
でも、堪えられない。
自分が今、何故泣いているのか。
悔しいから?
悲しいから?
それとも辛いから?
それすらも分からない。
何も……分からない。
何も……もう、何も……。
「っく……う、あぁ……!」
壊れた涙腺はもう治らない。
止めどなく溢れては零れ行く涙に袖を濡らし、私はうずくまったまま、嗚咽だけを必死に堪え続けた。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時25分(119)
題名:始動〜First Contact〜(第八章)

――バタンッ!

荒々しく閉められる扉。
その奥から聞こえてくる、嗚咽を押し殺しすすり泣く声にならない泣き声。
そして、目の前に居る招かれざる来客。
「……」
そんな、常人なら少なからず戸惑いを隠せない状況に置かれながらも、彼女の態度に動揺は無かった。
「貴女、昼間の絡まれ女ね」
鋭い目付きで相手を睨み据えながら、水亜は冷たい声で言い放った。
「絡まれ女とは酷い言い様ね。私には、ちゃんとドミニィっていう名前があるのよ」
そんな水亜に対し、言い返すドミニィは、真剣さなど欠片と漂わない軽い口調。
綻んだ口元には笑みさえ見える。
「貴女、あの子に何をしたの?」
「別にぃ。ただ、ちょいと体に触っただけだけど」
「私が聞いてるのは、今さっきのことじゃない。昼間のことよ」
「……へぇ」
途端、ドミニィの表情から笑みが消えた。
水亜へと向ける眼差しに、微かな驚きと警戒の色が宿る。
「昼間、私が彼女に何かしたという証拠があるの?」
「えぇ。私の勘がそう告げてるわ」
至極当然のことのように言う。
その声色に、迷いや不安は一切ない。
己の勘という、本来不確定であるはずの要素に対し、水亜は微塵の疑念すら持っていなかった。
「そう、大した勘ね。その辺りはさすがってとこかしら」
そう呟きながら、ドミニィは緩慢な動きでその場に立ち上がった。
「……危険ね、あんた」
冷たい目でじっと相手を見つめる水亜。
ただ見ている。
それだけの行為であるはずなのに、その瞳の奥に宿る光からは、眼光だけで相手を視殺せんばかりの殺意さえ感じられた。
並大抵の人間なら、そのただならぬ威圧感に怖じ気づくことは必至だろう。
「おぉ、怖い怖い。やっぱ死神って呼ばれるだけあるわ」
そんな水亜の視線を全身に受けながら、それでも尚ドミニィの様子は変わらなかった。
あっけらかんとした態度で、軽口さえ叩いてみせるその姿からは、明らかな余裕が感じ取れた。
彼女を前にしてこのような体裁を保てる者など、恐怖を知らぬ愚者か、もしくは相当な実力者かの二択だ。
今、目の前に佇む相手は、恐らく後者だろうと予想する。
「その呼び名を知ってるってことは、あんたも今までに私が潰してきた、ろくでもない輩と同類ってことね」
「私も見くびられたもんね。貴女程度に為す術なく潰されるような連中と、私を一緒にしないでもらえるかしら?」
「あんたが何者かなんて、別に興味ないの。私が知りたいのは、あんたがあの子に一体何をしたのかってこと」
「さぁ? ま、どうしても知りたいのなら、力付くで聞き出せばいいんじゃない?」
互いに睨み合う二人の間で視線がぶつかり、目に見えない火花を撒き散らす。
いつの間にか、二人の体は臨戦体勢を整えていた。
双方共が、いつでも飛びかかる準備はできていると言わんばかりに、体を若干前屈みに倒している。
「……」
「……」
だが、両者動かない。
いや、動かないのではなく、動けないと言った方が正確か。
片方が動けば、それと同時にもう片方も動く。
そうなれば、きっとどちらかが動かなくなるまで止まらない。
況してや、水亜からすれば、未だその正体の片鱗すら明かされていない、全く未知の人物。
ドミニィにとって見ても、水亜のことは噂に聞く程度で、その真の実力は未知数。
昼間の事件がありはしたが、その相手はそこらへんをうろつく低レベルなチンピラ風情。
そんな連中との戦闘……いや、戯れをいくら見たところで、彼女の実力を測るものさしになどなるべくもない。
長く続く硬直状態。
それを破ったのは、双方どちらでもなかった。

――コンコン。

張り詰めた空気を揺るがす控えめなノックの音。
次の瞬間、ドミニィが動いた。
今の今まで、完全に静止していたとは思えないほどの機敏さで、静から動へと行動を切り替える。
しかし、その勢いで向かった先は、水亜の方ではなかった。
先の静寂を引き裂いた音源、則ち扉の元へ疾駆するなり、その扉を開け放った。
「何か用〜?」
突然のことに驚くボーイを他所に、ドミニィは能天気な声で問いかけた。
「え、えっと……そ、そろそろ夕飯のお時間ですので、お呼びに上がったのですが……」
「だってさ〜! それじゃ、私は一足先に行ってるわね〜!」
そうとだけ言い残し、ドミニィは部屋を後にした。

――……上手く逃げたな。

内心密かに舌打ちをする。
こんなにも人目の多いホテル内で、大騒ぎを起こすわけにもいかない以上、後を追うことはできない。
「ちっ……」
今度は、自然と舌打ちが口を突いて出た。
不服極まりないが、ここは退くしかないようだ。
「え、え〜と……」
そんな水亜を訝しげに見つめたまま、出入口にて固まるボーイ。
「あぁ、夕飯よね、分かったわ。わざわざありがとう」
「で、では、失礼します……」
終始怪訝そうに顔をしかめたまま、ボーイは小さく頭を垂れて扉を閉めた。
「……」
無言のまま、ただ立ち尽くす水亜。
その背後からは、果たしていつからなのか定かでないが、シャワーの生み出す激しい水音が、くぐもって聞こえてきている。
それに半ばかき消されるようにして耳に届く、咽び泣く嗚咽混じりの泣き声。
「……」
其方をちらと流し見た時、不意にベッドの枕元に置いていた携帯が鳴った。
重い足取りで歩み寄り、腰を下ろしながら携帯を手に取る。
その画面に表示される着信相手の名前に、一瞬逡巡してから、

――ピッ。

水亜は通話ボタンを押し、携帯を耳にあてがった。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時25分(120)
題名:始動〜First Contact〜(第九章)

――日本、芹川ビル6Fオフィス内、7/26、現地時間13:00――

「ふぁ〜……」
背もたれに身を預け、聖は大きくアクビをした。
目尻に浮かんだ涙の粒を拭き取り、両手を組んで後頭部に回す。
ギジギシという椅子の軋む音だけが、昼下がりのオフィス内に虚しく響いていた。
「ダルそうねぇ、サトちゃん」
そんな聖へと歩み寄りながら、絢音がいつも通りの笑顔で語りかける。
その両の手の中では、紙カップ入りのコーヒーが、真っ白な湯気を立ち上らせていた。
「あぁ、高礼さん。お疲れ様です」
「お疲れ〜。はい、これ、さっちゃんの分ね」
「あ、どうもありがとうございます……ん?」
絢音の差し出すコーヒーを受け取りながら、聖は首をひねった。
今、自分の目の前で広げられている彼女の手のひら。
それが示す意図は何か、彼には見当がつかなかった。
「ん」
「いや、んって言われても……何ですか?」
「コーヒー、わざわざ買ってきて上げたでしょ?」

――……なるほど。

その一言で合点がいった。
だが、もちろんのこと、納得はできていない。
なので、とりあえず言い返す。
「頼んでないですよ。高礼さんが勝手に買ってきただけでしょ」
「あははっ、上手〜い。“勝手”と“買って”をかけてダジャレなんて、さっちゃんったらお茶目さん〜♪」
「……それ、褒めてるつもりですか?」
「もちろん。ほら、猿もおだてりゃなんとやらって言うじゃない?」
「自分でおだててるって言っちゃったよ、この人……」
額に手を当て、がっくりと項垂れる聖に対し、何故か満面の笑みの絢音。
「ほら、細かいことは気にしない気にしない。私、今月ピンチなのよ」
「何言ってんですか。給料なら、つい先日出たばっかりでしょ」
「だから、今月もピンチになる予定ってこと。女の子ってのはね、お金がかかる人種なのよ」
「そりゃ、バーゲンに釣られて毎回毎回あれだけ買ってりゃ、ピンチにもなるでしょうよ。少しは節約ってものを覚えたらどうです?」
「金は天下の回り者って良く言うでしょ? お金というのは、一所に留まらせず、世の中を循環させてこそ価値がある。節約倹約なんてする不埒な輩がいるから、今の世の中みたく景気が悪くなるのだよ」
腰に手を当てふんぞり返り、いつの間にやら説教口調の絢音。
節約倹約を不埒と言ってしまう辺り、彼女の将来が今から心配だ。
「こんなコーヒー一杯でも、売り手と買い手の間でお金の行き来がある以上、両者の間には小さいながらも確かな経済体系がある! 則ち、この経済体系に刺激を与え続けることによって、日本の景気に好転の兆しを与えることとなるかもしれないと言うことが分かるかね君にも!? どぅーゆーあんだーすたん!?」
早口でまくし立てながら、一回転してポーズを決め、ビシッと聖の方を指差す。
こうなった彼女に対し、何を言っても無駄だということは、日々の付き合いから分かっていた。
入社当時は多少戸惑いがあったものの、今となっては慣れたものだ。
「はいはい、わかりましたよ」
半ば呆れを露わに、聖はズボンのポケットに手を突っ込むと、100円硬貨を二枚掴んで手渡した。
「ん〜?」
と同時に上がる、どことなく不服そうな声。
見てみれば、どういう訳か、絢音の表情はしかめっ面で、あからさまに不満を表していた。
「どうしたんです? まだ何か不満そうですけど……」
今度こそ、本当に首を傾げる。
彼女の要件はのんだというのに、まだ何があるというのだろう。
「お駄賃は〜?」
「……はい?」
「だから、お駄賃だよ」
そう言って、再度絢音が手のひらを差し出す。
思わず聞き返してしまったが、どうやら聞き間違いなどではなかったようだ。
「子どものお使いじゃないんですから……」
「わ、私……サトちゃんの子どもだったら……いいよ?」
頬は赤らめ瞳は潤ませ、上目遣いに聖を見つめる絢音。
本人は誘惑しているつもりなのだろうが、その言葉の選びに大分問題があることは、誰の耳にも明らかだ。
「あー、もー、わかりましたよ! はい、これでいいんでしょう?」
ポケットから三枚目の100円を取り出し、指で絢音の方へと弾いた。
「さ〜っすがサトちゃん。話が分かるね〜♪」
両手で挟むようにして受け取り、ご機嫌な調子の絢音。
「これがみーちゃんだったら、きっと黙殺されてただろうから、それに比べてサトちゃんの物わかりの良さときたら、ホント段違いだね。うんうん、私ゃ君みたいな素直な子は好きだぞよ」
腕組みをし、どこか偉そうな口振りで二、三度頷く。
「そういえば、先輩、今頃どうしてるんでしょうね」
やけに高くついたコーヒーを口元へと運ぶ途中、聖は何気なくそう呟いた。
「ん〜、こっちがお昼時ってことは、あっちはもう夜だね。何の用事かは知らないけど、今くらいの時間なら、ホテルでのんびりしてんじゃないかしら?」
「そうじゃなくて、急にイギリスだなんて、一体何があったんですかね?」
「さぁ? おじいちゃんもイギリスに居るみたいだけど、私も詳しくは……」
「あれ? 社長もイギリスなんですか?」
「そうだよ。まぁ、みーちゃんとは別の用事らしいけどね」
「へぇ〜……」
視野を天井へと上げながら、聖はコーヒーを一口すすった。
ミルクでまろやかになった口当たりに、コーヒーが本来持つ苦味走った風味が、口内を柔らかく刺激する。
喉を鳴らし、それを飲み下しながら考える。
先輩がイギリスへと向かった理由。
そして、それと同時にイギリスへ赴いたという、社長の意図を。
確かに、先輩の海外への出張は、他の社員に比べて多い。
ああ見えて、実は相当な数の多国語をマスターしていると、以前高礼さんから聞いたことがある。
英語すらままならない社員が大多数を占める社内事情故に、本社を国外に構えている取引先との交渉に対して先輩が出向くのは、ある意味当然とも言えるのかもしれない。
しかし、社長までもが、しかも別の要件でイギリスへ向かったとなると、さすがに違和感を感じざるを得ない。
社内でも重要な位置付けにいる二人の人物が、同時に同じ国へと飛び、しかしその目的は別となれば、何かしらの疑惑を覚えてむしろ当然だろう。
「どったの? 難しそうな顔しちゃって」
絢音の訝しむような声に、聖は思考を止めて彼女の方へと向き直った。
「いや、二人揃ってイギリスへ出張だなんて、なんでだろうな〜って」
「そんなに気になるんなら、直接本人に聞いてみたら? みーちゃんの携帯、国外通話対応だし、今なら仕事中ってこともないだろうし」
「でも、慣れない環境に時差とかもあって、疲れてるんじゃないですか?」
「だいじょ〜ぶだいじょ〜ぶ。あのみーちゃんが、その程度でくたばるほどヤワなわけないじゃない」
そう返しながら、絢音は慣れた手つきで子機のボタンをプッシュし、全て言い終わる頃には、もう受話器を耳にあてがっていた。
しばしの沈黙の中、絢音の鼓膜を震わすのは、単調なコール音のみ。
『もしもし』
その音と入れ替わりに、聞き慣れた声が耳に届いてきた。
「あ、みーちゃん? 元気してる〜?」
『ん〜、いつも通りってとこかしらね。こっちは油っこい食べ物が多くて、油断してるとすぐ太りそうよ』
「そんなスレンダーバディしてて、何言ってんのさ〜。私の脂肪を分けてあげたいくらいなのに」
『お断りよ。あんたはもっと運動しなさい……あ、胸なら貰って上げてもいいわよ』
「あげるあげる〜。必要以上におっきいと、サイズ違いで可愛いブラとか全然ないし、しょっちゅう肩は凝るしで、ホント大変なんだよ〜」
『……相っ変わらず嫌味な女ね』
「いやいや、どこかの誰かが言ってたじゃない。貧乳はステータスだって」
『余計なお世話よ』
お互いに笑い合う。
普段、社内でも日常的に交わしているのと、何ら変わらない会話。
だが、絢音は気付いていた。
受話器越しのくぐもった声から、いつもの彼女らしい覇気が、まるで感じられなかったことを。
あのみーちゃんが元気を無くすだなんて、一体何があったんだろう?
『? どうしたのよ? 急に黙っちゃったりして』
「ん、何でもないよ〜」
不思議そうな水亜の声に、絢音はわざととぼけた声で答えた。
何故元気がないのか、聞いても別に良かったのだけれど、それで彼女が喜ぶとは思えないことを、長い付き合いから絢音は理解していた。
『おかしな娘ね……って、これもまた相変わらずだったわね。で、こんな時間にわざわざ電話してくるだなんて、何の用かしら?』
「あ〜、みーちゃんが居なくて寂しい〜って、サトちゃんがずっと言ってるからさ〜」
「ちょっ、な、何勝手なこと言ってるんですか!? そんなこと、一言も言ってないですよ!」
『へぇ〜、何か嬉しいような気持ち悪いような、変な気分だわ』
「あはは、みーちゃんったらひど〜い。それじゃ、そのサトちゃんに今から代わるね〜」
そう言って、絢音は受話器を耳から離すと、未だ動揺の治まっていない聖へ手渡した。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時26分(121)
題名:始動〜First Contact〜(第十章)

『あ、も、もしもし、先輩?』
携帯の向こう側から聞こえてくる、聖の少し慌て気味の声。
その原因が何であるかは分かっているので、少しからかってやることにした。
「聖〜? あんた、私がいないからってメソメソしてんじゃないわよ?」
『ち、違いますよ! 言っときますけど、さっき高礼さんが言ってたこと、間違っても真に受けないでくださいよ!?』
「あはは、わかってるって、それくらい」
声を大にして必死に否定する聖に、私は笑って話を打ち切ってやった。
本来なら、もっと楽しませてもらうところなのだけど……さすがに、今この時ばかりはそんな気分にもなれない。
『あれ? 先輩、どうかしたんですか?』
そんな私に違和感を覚えたのか、聖の怪訝そうな声が私にかけられる。
「別に何でもないわよ?」
『何でもないことはないでしょう。いつもなら、もっと弄ってくるのに、今日はやけにあっさり引くじゃないですか。それに、心なしか笑い声も元気なかったですし……』
「……」
聖の言葉を聞きながら、私は返す言葉に詰まった。
こいつ、思ってた以上に鋭いわね。
だてに、入社時からずっと私の側にいたわけじゃないってことか。
ってことは、絢音も何かしら感じるところはあったのかしら?
……ははっ、まだ付き合いの浅い聖ですらおかしく感じたことを、あの子が何も感じないはずないわよね。
思わず嘲笑が溢れる。
無論、その対象は愚鈍な自分自身だ。
『先輩、何があったんですか? 俺で良ければ、相談にのりますよ』
「うん……」
未だシャワーの水音止まない、洗面所の方へと視線を流す。
一体何があったのか、私には何も分からない。
あの時、彼女が流していた涙や嗚咽の意味は疎か、それが何に起因するものなのかさえ、何も。
そんな状態で、何を相談できるというのか。
「……ごめん、やっぱいいわ。大丈夫、大したことじゃないから」
『大したことじゃないなら、尚更そんなことで落ち込んでる場合じゃないでしょう。今更、遠慮なんか要りませんから』
いつもの聖なら、私が軽い拒絶の意を示した時点でおとなしく身を引くというのに、今日この時ばかりは、やけに食い下がってきた。
話してくれるまで、ただ黙って見守っている絢音とは対照的だ。
しかし、これも聖の優しさなのだろう。
普段は手のかかる弟みたいな存在だが、こういった一面に触れると、やはり彼も立派な男性なんだなと思ってしまう。
でも……、
「あんたたち相手に遠慮なんかする気ないわよ……だけど、私自身、何でこんなことになってるか分からないのよ」
『別にいいじゃないですか』
私の言葉に、聖は僅かの迷いを見せることもなくそう応えた。
『分からないなら、あったことをありのまま話してくださいよ。もしかしたら、それで何か分かるかもしれないでしょう?』
「聖……」
強い語気の中にも優しさ漂う、いつもと違った聖の口調に、彼の思いを感じて、素直な嬉しさが込み上げてくる。
しばらくの間考え込んだ後、私は意を決した。
「……分かった。それじゃ話すわ。少し長くなるけど、構わない?」
「はい。どうせ昼休みで人も居ませんし」
「終わったら、ちゃんと仕事に戻りなさいよ?」
「先輩がそれを言いますか〜。いつも休憩時間を自主延長してるのは、どこの誰でしたっけ?」
「あれは、あんたたちに仕事をあげてるのよ。私を呼びにくるっていう重要な仕事をね」
「仕事? ただの手間の間違いじゃないんですか?」
そう言って、電話越しに笑いを溢し合う。
心なしか、さっきより少しだけ、気持ち良く笑えた気がした。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時27分(122)
題名:始動〜First Contact〜(第十一章)

――英国、マンチェスター、7/26、現地時間24:00――

辺りを支配するのは、ただひたすらに闇。
色の判別は疎か、そこに物質があるのかどうかさえ定かでない、漆黒の世界。
夜空に瞬く星々は、ただそこで煌めき、その存在を主張するのみで、地上に光をもたらすことは一切ない。
その暗黒色のステージにて、東から西へと緩やかな軌跡を描いているはずの月も、今宵はその姿を見せず。
しからば、人工的灯りすらないここが、闇に埋もれるのは至極当然のことと言えた。
少し以前であれば、このような月のない深夜においても、闇に閉ざされてしまうことなどなかっただろう。
しかし、閉鎖され人気のなくなった今となっては、もはや人工物に非ず。
自然の下へと回帰したただの廃墟だ。
ここは、つい数日前まで、英国で最も人気のあった動物園だった。
そう、飼育員が猿に食い殺されるという、前代未聞の事件が起きた、まさにその地だ。
とはいえ、その事件は日本に擦り付けられている為、公には明かされていないのだが。
そういう訳で、この動物園の閉鎖の表向きの理由は、営業不振ということで、どのメディアからの放送も統一されている。
実際のところ、その情報に疑惑や不信感を抱いている者も少なくはなかったが、そこは国から圧力がかかっているのだろう。
驚くほどの情報統制のおかげで、事実はその片鱗すら漏洩していないようだった。
民の知らざる真実は、今もまだここと同じく闇の中だ。

――カッカッ……

そんな暗がりの中に響く、乾いた靴音。
一定のリズムを刻々と刻み続けるその音からは、この暗闇に対する恐怖や躊躇いなどといった感情は、微塵も感じ取れなかった。
「……」
無言のまま、迷いなくただ歩みを進めるその人物の名は、高礼嘉治。
普段は、どこにでもあるような中小企業の社長という肩書きを持つ、温厚な初老の男性。
だが、その真の地位は、日本の安全を保つべく極秘裏に組織された集団“O.L.”
その上層部にあたる、特命武装安全理事会の役員なのである。
と、ここまでは、理事会役員やO.L.所属者なら、誰もが当然知っていること。
だが、彼がO.L.の前身とも言うべき存在“特命武装検事”という役職の元、単身その身を呈し、日本の為日々戦っていたことを知るのは、役員の中でも季慈を含め極僅かであり、彼直属の部下の水亜ですら、詳しくは知り得ないことだった。
しかし、それも過去の話。
とうの昔に一線を退き、今は部下である水亜に上層部からの勅命を取り次ぐだけで、前線に出向くことは一切なくなっていた。
そんな彼が、今現在こうして己が身で動いていることは、極めて特例と言えた。

――カッ。

足音が止まる。
顔を上げた彼の視界に収まるのは、行く手を阻む背の高い柵と、その頂上を余すことなく這うように張り巡らされた幾本というコードだ。
すぐ目の前には柵中の扉があったが、見るからに頑丈そうな錠が数種類掛けられ、そう簡単には開きそうになかった。
しかしながら、彼の目がこの暗闇の中でも、そこまで正確に物事を視認できたのは、生来の視力もさることながら、一般人とは比較にならないほど夜目が利いているからに他ならない。
何の訓練も受けていない普通の人間なら、柵上のコードや柵中の扉はもちろんのこと、柵そのものすらもろくに見えなかったことだろう。
首だけを捻り、周囲を見渡す。
両サイドも同様の柵とコードに阻まれ、戻る方向以外に道と呼べる道はなかった。

――あのコード……見るからに高圧電線だな。周囲を一周してはみたものの、出入口と思しき場所はこの扉のみ。そして、錠前は開けるにせよ壊すにせよ、一筋縄ではいきそうもない、と。さて、どうしたものか……。

顎に手を添え、少しだけ考える素振りを見せる。
だが、それはほんの数瞬。
時間にして2、3秒程度のものだった。
「……久々に、老体に鞭を打ってみるとするか」
口の端に不敵な笑みを浮かべ、誰に言うともなく呟く。
数歩後ろへと下がり、柵との距離を開いた。
屈伸をした後、腰を捻りながら上半身の関節をほぐす。
最後に数回、軽くその場で跳躍し、そして……、
「……ッ!」
無言且つ烈迫の気合いと共に、勢い良く駆け出した。
だが、その向きは扉の方に非ず。
その横、扉のない両側の柵へと疾駆する。
高々と跳躍し、その柵に足をかける。

――ガシャッ!

鉄製の柵がしなり、気味の悪い金属音が静寂を引き裂いた。
そして、かけた足に力を込め、そこを主軸として再度跳躍。
その方角は僅かに斜め、扉のある柵の方へと向いていた。
そう。
彼は、越えようと言うのだ。
一般人なら、いや、跳躍を得意とする体操選手ですら、そう易々とは越えられないであろう高さを前に、彼は迷うことなく決断したのだ。
極僅かな方向のズレ、跳躍高度の不足や失速……それらの内、どれか一つでもしくじれば、絶対的死が待っているであろう状況において、だ。
宙を駆ける嘉治の体が、柵の上方目掛けて夜闇に舞う。
柵上を這う高圧電線。
それは、まるで嘉治を己が毒牙にかけるべく、静かに待ち構えている漆黒の蛇の群れのよう。
この決断は、無謀?
いや、違う。
ならば、英断?
それも違う。
何故なら、その時嘉治の体は既に――柵の向こう側!

――ザスッ!

土を踏み締める鈍い音。
その音源にあったのは、着地の衝撃を和らげるべく地に膝を付いている、嘉治の姿だった。
ゆっくりと立ち上がり、顔を上げたその冷ややかな表情に、汗は一滴たりとて存在しなかった。
「まぁ、こんなものか」
腰を折り、膝についた土埃を払いながら、事も無げに呟く。
彼にとってこの程度の事は、実に事と呼ぶにも値しないほど些細なものでしかないのだ。
見たところ、柵の高さは2メートル半そこそこ。
この程度の障壁が、果たして彼の行く手を阻むにおいて十分と言えるのか?
否、なり得ない。
ならば、彼が下した決断は、無謀でも英断でもなく、言うなれば当然の判断だった。
もっとも、問題はここからなのだが。
「……」
黙したまま、周囲一帯へと神経を配る。
……だが、物音一つ、気配一つ感じられなかった。
付近に得体の知れない何者かが潜んでいる可能性は、ゼロではないにしろ限りなく低そうだ。
そのことを確認し、歩みを進める嘉治。
だが、その刃物の如く鋭利な眼光に、油断などは微塵とない。
だらりと下げられた両腕は、まるで無防備のようにも見えたが、その実そうではない。
人間、構えを取ってしまうと、どうしても意識がそちらへと傾いてしまう。
そうすると、その方角からの攻撃にはいち早く対処できるが、どうしてもそれ以外、特に背面からの奇襲に対する応対が遅れがちになってしまうのだ。
単身敵陣に切り込むことが多かった嘉治ならではの、謂わば無形の構えとでも言うべき体勢だった。

――パキッ。

と、不意に響いた、木の枝を踏みつけたような乾いた音に、嘉治は歩みを止めた。
その場に屈み、地面へと手を伸ばす。
手に掴んだそれは、触れるだけで、表面に張り付いたものがパリパリと脆く剥がれていった。
その奥から現れたのは、何らかの湿り気を含む黒ずんだ布。
それが何であるか、嘉治は瞬時の内に把握した。

――血染めの衣類、その切れ端か……。

血液、体液という類のものは、他の液体と比較して粘性が強い。
その理由は、粘性が弱いとサラサラの血液になってしまい、小さな傷でも出血が止まらなくなってしまうからだ。
だが、粘性が強いということは、それだけ血液の構成成分の中に、水分以外の要素が多いということでもある。
そのため、外気に晒され、血液中の水分だけが蒸発してしまうと、残された粘性の高い成分が乾燥の内に凝固し、このようなパリパリの固形物になってしまうのだ。
だが、今真に問題とすべきは、どのようにして血液が固まるかなどではない。
何故、こんなところに血染めの衣類の切れ端などが、回収されることなく転がっているのかということだ。
良く良く見てみれば、血まみれの服の残骸は、この一切れだけではなかった。
大小様々な破片が、至るところに散らばっている。
それらの乱雑で不規則な断面から察するに、刃物で切られたわけではなく、乱暴に引き千切られた、もしくは――

――食い千切られた、か。

手にしていた切れ端を放り捨て、立ち上がる。
そして、再度歩みを進めようとして、
「……」
上げた足を、直ぐに地へ下ろした。
先ほどと同じく、無言のまま周囲を見渡す。
見える景色は、何ら変わりない。
だが、その明らか過ぎる状況の変化を、先の時より一層引き締まった口元と、吊り上がった双弁が物語っていた。
こちらへと向けられている、明確なまでの本能的殺意。
一つや二つなどではない。
無数と表現しても、恐らくそう差し支えはないだろう。

――グルルル……。

周囲から上がる唸り声。
それは次第に大きく、そしてその数も増えていく。
「……手厚い歓迎、痛み入る……といったところか」
小声でそう呟く嘉治の手が、ゆっくりと懐へ差し込まれてゆく。
静かに引き抜かれたその手に握られていたのは、闇の中においても一際映える、漆黒色をした鉄の塊。
「さぁ、かかってこい……相手になってやろう……」
力の象徴を右手に構え、底冷えのする低い声で言い放つ。
その口元は、真一文字に引き締められているというのに、何故だか笑っているように見えた。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時28分(123)
題名:始動〜First Contact〜(第十二章)

――英国、某所、7/26、現地時間未明――

「ほらよ、餌だ。残さず食えよ」
「……」
名も知らぬ用務員は、そうとだけ言うと、白い大きな袋を二つ、私の目の前へ乱雑に放り投げ、そそくさと背を向けた。

―ガシャン、ガチャッ。

鉄製の扉の閉まる金属音に次いで、仰々しい鍵のかけられる施錠音が響く。
そして、その用務員は、周りには一切目もくれず、速足で一目散に部屋から出ていった。
その後に残されるのは、いつもと何ら変わらない空間。
常に奇声と悲鳴が響き渡り、狂気と絶望のみが支配するここは、まさにこの世の地獄そのものだ。
次から次へと死んでは、まるでそれを補充するかのように、失敗作の烙印を押された生物が運ばれてくる。
ただの一体も死ぬことなく一日を終えたことなど、今まで数えるほどしかない。
今日も今日とて例外なく、私の目の前で数個の命が費えた。
一体目は、巨大な蛾に蠍の遺伝子を混ぜた生物。
蛾の持つ鱗粉の毒性を、蠍級にまで増大させた生物兵器で、羽ばたくだけで人を殺せると期待されたらしい。
だが、蛾は元よりそこまで毒性の高い生物ではない。
蠍の遺伝子を組み込まれているとは言え、ベースは所詮ただの蛾。
己の撒き散らす鱗粉の毒に耐えきれず、結果今日息絶えた。
まぁ、説明が必要なのはこれくらいだ。
他は、脳の露出したゴリラや、根元から嘴の折れた鴉、頭部だけが異様に成長し、他の体の部分を呑み込んでしまった幼児といった、その奇形さ故に一見しただけでまともな生物じゃないと、すぐに分かってしまうようなものばかりだった。
……あぁ、それを言ってしまえば、私も例に漏れないんだったっけ。
同類相憐れむってやつね。
そんなことより、今日はどうして彼じゃなかったんだろう。
あの人が来るようになってからは、ここの担当は毎日彼だったのに。
「……はぁ」
思わず、溜め息が溢れた。
だが、そんな溜め息など、この奇声で溢れ返った世界では、己以外の誰にも聞こえはしない。
何か急な用事でもできたのだろうか?
実家のご両親が倒れたとか、友人が亡くなったとか……。
もしそうだったら、今頃、彼悲しんでるだろうな……。
いや、もしかしたら、彼の身に何かあったのかもしれない。
交通事故で命を落とす人なんて、一日に何人もいるんだから、その可能性だって……。
不安な想像は、思考する限り無限大に膨れ上がっていく。
マイナスなイメージから派生されるのは、更に暗さを増した負の想像。
その最たるものが何であるか、私は知っている。
私が今一番恐れているのは、彼の死でもなければ、自分の死でもない。
彼が、自主的に私の前からいなくなってしまうことだ。
もし、そんな時が来てしまえば、私は、私として存在している最後の意味さえ失ってしまう。
私は、化け物なんかじゃない。
私自身がいくら訴えかけたところで、その思いが誰かに届くことなどありはしない。
この地球上のありとあらゆる生命体からかけ離れたこの外形。
それだけで、人々は私を化け物と罵るだろう。
現に、飼育員の人たちも、私のことを呼ぶ時は“あの羽の生えた化け物”だ。
……彼を除いて。
あの人だけは、物事を外見だけで判断しない……私のことを、気味の悪い化け物として見ていない……そんな気がする。
実際、他の人たちは、私を含め他の実験体に対して、極力視線を合わせようとしない。
課せられた仕事を済ませ、一刻も早くこの空間を後にしたいという気持ちが、全身から溢れていた。
だけど、彼は違う。
部屋中にこだます悲鳴にも耳を塞がず、堅牢な檻の中で苦しみもがく実験体からも目を背けず、ありのままを受け入れていた。
私に対して話す時も、彼は私からいたずらに目線を外したりはしない。
その話し方も、他の飼育員の面々とは異なった。
彼以外の人たちは、私に食料を与える時、必ず“餌”と言う。
しかし彼だけは、必ず“飯”と言ってくれるのだ。
……おめでたい思考回路だと笑われるかもしれないが、こんな些細な違いが、私にはとても嬉しかった。
私と話す時、彼の口調はいつもぶっきらぼうだ。
何を言っても素っ気ない態度で、返す言葉も端的なものばかり。
だけど、決して無視はしなかった。
私が何を言っても、必ず何らかの反応を示してくれる。
それが、嬉しかった。
この異形の姿に成り果てた私のことを……。

――……え?

と、ここまで考えてから、何か違和感を覚えた。
地に足が付いていないような、浮遊感にも似た妙な感覚。
それは、全身を襲う仮想の感覚だが、決して錯覚ではなかった。
何だろう、この感じ……。
幾多の眼に映る風景に混じり、己が四肢……多肢の姿が目に止まる。
赤みがかった皮膚から伸びる、大小様々な手足。
焦げた煤のように黒ずんだモノ、皮膚と同じく赤みがかったモノ、筋繊維が剥き出しになったグロテスクなモノ。
中には、足枷から逃れようともがき、その爆発によって中ほどから千切れているモノもあった。
それらは種々様々だったが、どれも奇形奇怪という点では何ら変わりなかった。
それは、普段から見慣れている自分の体であり、特別注視するようなものではない。
しかし、何かが引っ掛かる。
自分でも良く分からないが、何か不自然だ。
私というモノを、一番理解しているのは、やはり私に他ならない。
そんな私が不自然さを覚えるということは、何かがおかしいのだ。
だけど、何が?
分からない……?
いや、違う。
この頭の中に靄がかかったような感じは、体験したことがある。
分からないんじゃない。
思い出せないんだ。
思い出せない……つまりは、忘れている?
私が、何かを忘れている?
一体何を?
目を閉じ、暗転する視界の中、意識を思考へと集中させる。
私が忘れてしまっている、私に関する何か。
それを記憶の中から揺り起こすべく、必死に脳内を漁り回す。
たとえ思い出せなくとも、無理やりに思い出してみせる。
何故だか分からないけど、もし……もしもこれを思い出せたら、私はきっと変われる。
色んな意味で、今の私とは違う私になれる。
そう思ったから。

――バタン!

「っ!?」
折しも、唐突に上がった扉の音に、意識を思考へと集中し過ぎていた私は、身震いしながら反射的に目を見開いた。
色を取り戻した視界に映るのは、作業着姿の数人の男性たち。
その手には、真っ黒な色をした巨大な袋が握られている。
彼らはゆっくりと部屋の中へ歩みを進めると、一つのカゴの前で動きを止めた。
そこにいるのは、一体の猿。
だが、無論それは、どこにでもいるような普通の猿ではない。
外見的には、一見しただけで誰もが猿と言えるくらいなので、特にその姿が異形というわけではなかった。
その異常性は、むしろ精神面。
完全に開ききった瞳孔は血走り、恍惚に歪んだ口元からは血の涎を垂れ流し、その足元には己の血肉や指が転がっていた。
いつからかは分からない。
もしかしたら、最初からこうだったのかもしれない。
しかし、最近になって、更に酷さを増したのは間違いなかった。
作業着姿の男たちの一人が、懐から何かを取り出した。
注射器だ。
中は透明な液体が満たされているようだったが、ここからでははっきりとは分からない。
だが、どのような用途に用いるものかは、この状況から判断するに、もはや明白と言ってもいいだろう。
その傍らに佇んでいたもう一人の男が、何やらスプレー缶のような物を檻へと向けた。
その噴出口から噴き出す白い煙。
白煙に包まれた檻の中では、つい先ほどまで己の血肉を貪ることに夢中だった猿が、まるで死んだように動かなくなっていた。
そのことを確認してから、注射器を手に持った男が、一歩檻へと歩みより、その隙間から静かに手を入れる。
徐々に近付きつつある尖った先端部は、紛れもなく死の象徴。
だが、深く寝入る彼は、その死の気配を悟れずにいた。
針の尖端が皮膚に触れ、突き破る。
為す術なく液体を流し込まれた彼は、ビクンッと一度大きく身震いをした後、二度とは動かなかった。
扉が開かれ、その体が乱雑に黒い袋の中へと放り込まれる。
口を縛られ、作業着姿の男たちに担がれた彼は、そのまま部屋の外へと運び出されていった。
「……」
その終始を見つめる間、私はただただ呆然としていた。
何も考えられなかった。
全身を苛む、著しいほどの絶望感と虚脱感。
ついさっきまで、何を考えていたのか、それさえどうでもよくなってしまうくらいだった。
その代わりに、思考の表層を埋め尽くすのは、この部屋に存在する命全てに捺されたレッテル。
つまりは、失敗作。
その捺印は、もちろん私の背にも負わされている。
そう、私は失敗作なんだ。
今連れていかれた猿のように、私もいつああなってしまうのか分からない。
明日かもしれないし、一週間後かもしれない。
極論、今直ぐであってもおかしくない。
そんな私が、変われる?
ははっ、何をバカな……とんだ世迷い言だ。
今にも消されかねない私のような化け物が、何をどうやったら変われると言うのか。
私なんて、所詮はただ死を待つだけの無意味なガラクタ。
これは、ただの被虐的で退廃的な思考じゃない。
紛れもない純然たる事実。
いくら逃避しようとも、忌避し得ない不変の真理。
そうであるなら、今の私には、夢を見ることも希望を持つことも、許されはしないのだ。
「……」
扉の方を見つめる。
その向こうに広がる世界は、光に満ち溢れていることだろう。
でも、私がその光を浴びることはない。
決して……ない。
厚さ数センチの薄い扉。
私には、それが天高くそびえ立つ巨大な壁のように見えた。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時28分(124)
題名:始動〜First Contact〜(第十三章)

――日本、都内某所、7/26、現地時間16:30――

世界が紅に染まる頃。
日はとうの昔に西へと傾き、今となっては地平線上に微かにその身を覗かせるのみ。
うだるようだった暑さも落ち着き、吹きそよぐ風も、生暖かいものから冷涼さを孕んだ涼しげなものとなっていた。
行き交う人々の数も増え、連れ立って歩く学生や、買い物帰りと思しき子連れの親子、ネクタイを緩めて歩くサラリーマンの姿が、ちらほらと見受けられる。
「……そろそろかの」
そんな窓の外の光景に目をやりながら、運転席の背もたれに身を預け、季慈は小さくそう呟いた。
おもむろに懐から携帯を取り出し、履歴から彼女の名を選んで、通話ボタンを押す。

――プルルル、プルルル……。

しばらくのコール音。
その後、直ぐに聞き慣れた声が、季慈の鼓膜を刺激した。

――もしもし、長官ですか?

「あぁ。で、どうじゃ? いい加減、座り心地の悪い車の中で横になっているのも飽きた頃なんじゃが……」

――あぁ、それは申し訳ございません。お戻りになられる頃には、緑茶とお煎餅くらいは用意しておきますよ。

「できることなら、お茶うけには甘い和菓子が良いんじゃがのう」

――ダメです。どうせ長官のことですから、お昼はどこぞの甘味処で、食後のおしるこでも召し上がっているでしょう? 血糖値には気を付けるよう、奥様からきつ〜く仰せつかっておりますので。

「……ケチじゃのう、さっちゃんは」

――なんとでもどうぞ。それでは、お帰りをお待ちしております。

――プツッ。ツー、ツー……。

「……参ったのぅ」
後頭部をかきむしりながら、季慈は携帯の画面を見つめ、苦笑いを浮かべた。
携帯を折りたたみ、懐にしまう。
次いで、差し込んだままにしてあったキーを捻り、エンジンを噴かした。
軽い振動を身に受けながら、ギアを変え、季慈はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
前面からかかる独特の軽い重力を感じながら、車を発車させる。
移り行く景色たちを脇目に、黙々と帰路を走る季慈。

――……ん?

と、不意にそんな季慈の視界の端に、あるものが映った。
“甘暇亭”と銘打たれた看板が目につく、古びた造形の木造家屋だ。
昔からこの地に店を構える、支店なしの老舗の和菓子屋で、この近辺ではなかなかに有名である。
事実、味の方も申し分なく、最近こそ足が遠退いてはいるものの、昔は季慈も良くここの和菓子を、茶請けとして買って帰っていた。

――……ワシが直々に買って帰れば、さすがのさっちゃんでも文句は言うまい。

そう考え、季慈はブレーキに足をかけ、車を減速させる。
そして、店の前に車を停めようとした……まさにその時だった。

――プルルル、プルルル。

懐から鳴り響くコール音。
訝しみながらも携帯を取り出し、液晶へと目を向ける。
「……」
そこに示される名に感じる、一抹の不安。
だが、つい先ほどこちらからかけておいて、気付かぬフリをする訳にもいかない。
「……もしもし」
結果、季慈は着信ボタンを押すことにした。

――あ、長官。一つ言い忘れてました。

「なんじゃ?」

――“途中、甘暇亭に寄るのは構いませんが、お買い上げになるのはよして下さいね。今月は、もう三度も召し上がっていらっしゃるので”

「……」
無言のまま、周囲を見回す。
まるで、どこかから監視でもしているかのようだ。
正直、佐奈に限ってそんなことはあり得ないのだが、それでも尚疑ってしまう。

――……? 長官、いかがなされましたか?

「あ、いや、何でもない……」

――そうですか。では、私はこれで……

「あぁ、さっちゃんよ」

――何でしょう?

「……き、今日くらい良いじゃないか。ほら、さっちゃんも好きじゃろう、甘暇亭の茶菓子は」

――えぇ、大好きですよ。

「じゃろ? それなら……」

――ですが、ダメなものはダメです。

「……どうしても?」

――ど〜してもです。私のお土産分しか買ってこないと言うのでしたら、別に構いませんけど?

「そ、それじゃ本末転倒……」

――でしたら、素直にお帰りになって下さい。失礼します。

――プッ、ツー、ツー……

鼓膜を震わす、無慈悲な電子音。
「……はぁ」
深い溜め息を一つ溢し、結局季慈は、車から降りることなく、再度アクセルを踏み込むのだった。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時29分(125)
題名:始動〜First Contact〜(第十四章)

――日本、防衛省内部、7/26現地時間16:45――


――ピッ。

「まったく、あのお方は……」
携帯を折りたたみながら、私は呆れたように頭を振った。
いくら同年代と比べて健康的とは言え、長官もいい加減結構なお歳。
ご自分の体調管理くらい、ご自身でなさって頂きたいものです。
血糖値も高いのですから、甘いものは控えて下さいと、普段からあれほど口すっぱく申し上げていたのに……お戻りになられたら、少しきつく進言しておきましょうか。
あぁ、欲を言えば、煙草も止めて頂きたいところですが……まぁ、こちらは無理でしょうね。
内心密かにぼやく。
「――!!」
「ん?」
と、不意に聞こえてきた声にならない声に、私は向かいのソファーへと目をやった。
そこに横たわるのは、縄で手足を縛られ、口に猿轡を噛まされた一人の男の惨めな姿だった。
「あら、もうお目覚めですか? 意外と早かったですね」
私はそう吐き捨てながら、足を組み直し、その男を見下ろした。
そんな私の視線に気分を害したのか、鋭い目つきでこちらを睨み返してくる。
だけど悲しきかな、そのような格好じゃ、何の脅しにもならないわ。
「――! ――っ!!」
「あまり暴れると、ガラスのテーブルに頭をぶつけますよ? それとも、何か仰りたいことがあるんですか? でも、今はまだダメです。長官がお戻りになられるまで、もうしばらくそのままお待ち下さいね」
私は笑顔で語りかけた。
そう、この人こそ、長官が出かける前に仰っていた来客だ。
本来なら、居留守を使うなり頭を下げるなりして帰ってもらうところだったんけど、長官から私流のおもてなしをする許可が出たからには、そういう訳にもいかない。
というわけで、昼過ぎ、何の前触れもなく訪れたこの無礼な来客を、問答無用に取り押さえ、今に至るというのが事の過程だ。
予定では、長官が戻ってくるまで眠っていてもらうつもりだったのだけど……まぁ、起きてしまったものは仕方ないわね。
「さて……っと」
膝に手をつき、反動をつけてソファーから立ち上がる。
ちょっとうるさいけど、長官も直にお帰りになるでしょう。
私は、それまでの間にお茶でも用意しておくとしましょうか。
「――っ! ん――!!」
「ン〜♪ フフ〜ン♪」
諦めの悪い人ね。
何か言ってるみたいだけど、猿轡噛まされたままじゃ、何にも分からないっての。
「――! ――、――っ!」
「……フンフフ〜ン♪」
……うるっさいわね〜。
いい加減黙ってくれないかしら?
「ん――っ! ――、――――!!」
「……」
……あぁ、そう。
そんなに私を怒らせたいんだ?
あれほど間接技で泣かせてやったっていうのに、まだ懲りないんだ?
なら、仕方ないわね……。
湯沸し器へと向けていた歩みを急遽反転。
ソファーの方へ戻ると、その男のすぐ目の前で立ち止まった。
「……?」
戸惑いを露わにする男の前で、私はゆっくりと足を持ち上げると、

――ガスッ!

その足を、男の側頭部目掛けて一気に踏み下ろした。
「――っ!?」
「あんたねぇ……そろそろ黙ってくんない? そのままじゃ喋れないのは分かっただろ? それとも、脳味噌に蛆でも涌いてんのか? あぁ?」
「……!?」
「私ゃねぇ……あんたみたいな卑しい雑魚が大っ嫌いなんだよ。これ以上開かない口で喚くようなら、その面ぁ元に戻らないくらい整形すんぞ」
「……」
「……おい、こら、聞いてんのかよてめぇ! ドタマに風穴空けられてぇのか! あぁ!?」
「――!」
男が慌てて首を縦に振る。
その面には、誰の目にも明らかなくらいの明瞭な怯えが見て取れた。
「……よろしい」
そんな恐怖の表情に、私は薄ら笑いを浮かべながら頷くと、踏みつけていた足をどかしてやった。
「……お〜い、さっちゃんや」
そんな折り、突然投げかけられた声に、私は反射的にそちらへと向きを直した。
そこに立っていたのは、苦笑いを浮かべてこちらを見つめる、長官の姿だった。
「あ、長官。お帰りなさいませ」
いつものように、恭しく頭を垂れる。
「あぁ、ただいま。……まぁ、確かにさっちゃん流のおもてなしをしてくれてもいいとは言ったが……にしても、少しやり過ぎなんじゃないか?」
「こういう恥知らずな輩には、これくらいがちょうど良いんですよ。あ、すぐにお茶を用意致しますので、少々お待ちください」
「ん、ありがとう」
私は小走りでポットの元へ向かうと、沸いた湯が適温になるのを待って、急須へと熱湯を注いだ。
用意していた茶請けと急須、それに湯飲み二つを盆に乗せ、長官の元へと運ぶ。
それをテーブルへと置きながら、私はチラリと長官の横顔を盗み見た。
普段より一層鋭く尖った目に、固く閉じられた唇。
その真剣な顔つきが、彼という人物が持つ荘厳な迫力と気配を、一段と助長していた。
「佐奈。彼を縛っている拘束具を外してやれ」
「……かしこまりました」
私は男の元へと歩み寄ると、手足を縛る縄をほどき、猿轡を外した。
次いで、急須の茶を湯飲みに注ぎ分け、盆の上のものをテーブルへと移す。
「それでは、失礼いたします」
私は空になった盆を片手に立ち上がると、深々と頭を下げ、静かに部屋から立ち去った。

――バタン。

「……ふぅ」
閉めた扉を背に、私は安堵の溜め息をついた。
長官が、私のことを“さっちゃん”ではなく“佐奈”と呼ぶ時。
それは、あの方が真に防衛省長官として、その責務を果たさんとする時だ。
「あ〜ぁ、あの人もとんだ不幸に巻き込まれたものね」
私は多少の同情の念を胸に、空になった盆をクルクルと回しながら、そそくさとその場を後にした。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時30分(126)
題名:始動〜First Contact〜(第十五章)

――英国、SIS本部、7/26、現地時間22:00――


――ピッ。

カードキーを通した時に鳴る、聞き慣れた短い電子音。
それを合図に、眼前の仰々しい鉄の扉が、乾いた駆動音と共に左右へと開く。
「毎度毎度、めんどくさいわねぇ……いっそのこと、指紋認証とかにしてくれないかしら」
などとぶつくさと文句を口にしながら、私はその扉をくぐった。
何の自慢にもならないが、私は良く物をなくす。
大切な物は、常日頃から肌身離さないようにしてはいるのだが、それをどこにしまったか、毎回のように忘れてしまう。
財布の中だったか、ズボンのポケットだったか、それとも鞄の中だったか。
今回も、例によって例の如くと言うべきか、またしてもカードキーをどこに入れていたかド忘れしてしまい、扉の前で数分の時間を無駄にしていたりする。
「はぁ……記憶力には自信あるのに、どうしてこういうことは覚えられないかなぁ……」
自然、ため息と共に両の肩が落ちる。
「お、ドミニィじゃん。なぁなぁ、今晩、これから暇だったりする?」
「あ〜、パスパス。帰国したばっかりで、今日はまだ疲れてるの。また今度ね〜」
「あっ、ドミニィさん。え、えっと、今から時間ありますか? よ、よろしければ僕と……」
「ごめんね〜。今日はちょいと疲れてるんだ。また今度誘って」
見慣れた廊下を歩く途中、男性職員連中からかけられる誘いを軽く受け流す。
自分で言うのもなんだが、このルックスのせいか、私は普段から結構色んな男に言い寄られている。
ついさっき、最初に誘ってきた下心見え見えの奴から、その次に言い寄ってきた、おどおどしながらも勇気を振り絞って、真剣なアプローチをしてくる子まで、その種類は様々だ。
まぁ、今日の昼のこともあるし、比率的には質の悪い輩の方が若干多いかしら?
……っにしても、昼間の連中ときたら、本当に腹立つわね〜。
そりゃあ、歩きながらアイス食べてて、溶けて落とした上にズボンの裾汚しちゃったのは、確かに私が悪かったと思うけどさ。
それくらい、洗えば済むことじゃない?
別に、私が食べてたアイス代弁償しろ〜とか言ってないんだしさ。
たかがそれだけのことで、あんなに怒ることないでしょ?
本来なら、あの場で全員血祭りに上げて病院送りの予定だったんだけど……なんか良く分からないチキン野郎が出てきたと思ったら、次の瞬間には、何の前触れもなく例の死神が出てくるもんだから、あれにはさすがの私もびっくりしたわ。
おかげで派手に暴れられなくなった挙げ句、あんな中途半端な痛め付け方するもんだから、私の怒りもまるで収まりやしない。
あ〜、今思い出しても、やり場のない怒りが込み上げてくるわ。
「あの腐れ《ピー》野郎共め……この私に対して、あんなふざけた態度取りやがって……」
「ドミニィ」
「今度会ったら、《ピー》に《ピー》ぶちこんで《ピーピー》てやるわ……!」
「……おい、ドミニィ」
「……ふぇ?」
直ぐ近くから聞こえてきた呼び声に、私はハッと我に返った。
そこに立っていたのは、私の敬愛すべき上司だった。
「あ、レグリス長官。どうもお疲れ様です」
姿勢を直して、軽く頭を下げる。
「あぁ。……さっき、何やらとんでもなく物騒な一人言が聞こえてきた気がしたんだが、あれは私の聞き違いかな?」
「あ、あはは……」
思わず苦笑いが溢れる。
……あちゃ〜、やっぱ聞こえてたか。
考えてる事を、一々口にしてしまうのも私の悪い癖だ。
やれやれといった苦笑を口元に、左右へと首を振りながら額に手のひらを添える。
「はぁ……まぁいい。その件に関しては、後々に置いておくとしよう。そんなことより、例の死神には接触できたのか?」
「はい。それは抜かりなく」
「そうか。状況は?」
そう問いかける眼差しは真剣そのもの。
先ほどまでの呆れたような態度はすっかり影を潜め、その引き締まった表情は、いつの間にかSIS長官のそれへと変貌していた。
「はい。さすがに明神水亜を無力化することはできませんでしたが、彼女と行動を共にしている少女の無力化には成功しました」
「そうか。まさかとは思うが、その少女に物理的危害を加えてはいないだろうな?」
「もちろんです。年端もいかぬ少女に傷を負わせるような愚行を、長官が許さないことは百も承知です」
「そうか、なら結構。……でだ。実際会ってみて、感想はどうだ?」
その問いに主語はなかったが、何に対しての感想を求められているかは明白だった。
「そうですね……東洋の死神という忌み名は、伊達じゃないというところですかね。拳を交えたわけじゃありませんが、やはりただ者じゃないですよ、あの女」
「一目見ただけでそこまで分かる時点で、お前も十分ただ者じゃないな。サシでやり合って勝つ自信は?」
「……」
その問いに対して、私は僅かに言い淀んだ。
今まで、私は心のどこかで侮っていた。
いくら数多の組織団体から畏怖される存在であっても、所詮は普通の人間。
いくら訓練されているとはいえ、私の敵ではない……そう思っていた。
しかしあの時、ホテルで対峙した時に感じた威圧感。
ただ向き合っただけで、あれほどの迫力を感じたのは、生まれてこのかた彼女が初めてだ。
その時、私は真に理解した気がする。
彼女が、何故これほどにまで恐れられているのか、その理由を。
あの女が、どこにでもいるような普通の人間?
冗談じゃない。
あんな化け物じみた人間が、そんじょそこらにゴロゴロ転がっていてたまるものか。
あれは、人間じゃない。
あいつは、人間の枠に収まる程度の存在じゃあ、決してない。
そんな化け物と一対一でやり合って、勝てる自信があるかだって?
……確かになくはない。
いくらあの女が人知を越えた化け物であっても、私だって引けを取るものじゃない。
互いに本気で殺し合えば、状況や装備にもよるが、客観的に見て勝ちの目は多分5割……いや、6割といったところだろう。
だが、それはあくまでも私の中での予想。
私の見地からいくらシミュレーションしたところで、それが現実となる保証はどこにもない。
「……なくはない、と言ったところでしょうか」
しばし返す答えに迷った後、私は重々しく口を開いた。
「なんだ、いつになく弱気な発言だな。それほどの相手ということか」
「はい。あれは化け物です。人と思って向き合えば、即ち瞬殺されること間違いなしです」
そう。
あいつと相対する時、奴を人間と思っちゃいけない。
あれは、人知を凌駕した化け物だ。
それくらいの心構えで臨まないと、こちらが物言わぬ肉塊と成り果てることだろう。
「お前がそれほど相手を評価するとは、未だかつてないことだな。我々も、今以上に油断なく責務を全うする必要がありそうだ」
「彼女がここに乗り込んできた時、殺されないようにしてくださいよ」
「何、心配は要らんさ。それに、そうなる前に未然に防ぐのが、お前の仕事だろう?」
「……そう、ですね」
「頼りにしてるぞ。それじゃあな」
そう言い残して、長官はその場を去った。
「……」
その背を振り返って見つめながら、私は無言のまま拳を握り締めた。

月夜 2010年07月09日 (金) 23時31分(127)
題名:始動〜First Contact〜(あとがき)































びゃああああああああさむひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
(主に懐が)















さて皆さん、とってもお久しぶりです。

月夜です。

多分生きてます








゜。゜(つ∀`)ノ゜。゜









いやはや、今回のスランプは強敵だった……。
まさか、執筆にこれほどまで苦戦するとは……もう少しで

私の作家生命がスランプでマッハ

になるところだった(´・ω・`)


この作品を心待ちにしてくださっていた方々には、誠に申し訳なかったと思っております。

次回以降、このようなことが起きないよう努めていきたいと思いますので、どうぞこの辺でご勘弁を(´・ω・`)



では、話題をこの作品へと戻しましょうぞ。

今回、OL長編作品第三部。
いかがでしたでしょうか?

まだまだ先は長そうですが、だんだんと物語も進展してきて、展開としてはそこそこな感じになっているかと。

ただ、またしてもやってしまったこの超多人数視点形式!

……私ゃアホかと(´・ω・`)

前回、視点多すぎてややこしいという感想があったというのにもかかわらず、何やってんだ私は。

しかも、聖&絢音を出演させた上、季慈長官とさっちゃんなんつー新キャラまで加えて、我ながらなんという命知らずなんだと、呆れを通り越して感嘆さえ覚えそうです。

まぁ、全く同じ時間軸の話を、多重視点で書いてない分まだマシということにして、誤魔化したいと思いまs(ry


そして、今回初めて書いた、ちょっぴり悩ましげなあのシーン!















こ れ は ひ ど い




ちょっとえっちぃシーンも書いて欲しいという、遠い日のリクエストに無駄に応え、慣れないジャンルに挑戦した結果がこれだよ!

消そうかと思ったりもしたけれど、よくよく考えてみれば、私ってば貴重なトップの更新情報スペースを無駄に使って、なんか宣伝しちゃったりしてたことを思い出し踏みとどまりますた。

くそぅ……なんという計画性のなさ……。

あの日の自分に、即死ジェノサイドカッターをぶっぱしてやりたい気分です(´・ω・`)



とまぁ、こんなかたちで今回も(無理矢理)締めといたしましょうか。

この作品に対する感想やらアドバイスやら〆切守れやゴルァ等は、下の「小説感想アンケート板」または「小説感想掲示板」、「月夜に吠えろ」の方まで、自重することなくドシドシどぞ(´・ω・`)

ではでは、また次の作品でお会いしましょうぞ。

ここまでは、最近桃色大戦ぱいろんなるオンゲーに若干ハマりつつある月夜が、廃オタへとまた一歩近づきながらお送りしました。
















べ、別に萌え要素を求めたんじゃなくて、これくらいしか良いオンライン麻雀がなかったからなんだからねっ!

月夜 2010年07月09日 (金) 23時33分(128)


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