ほどなくして、壁に張り付けられていた四角い箱状の物体の中に、落とされたブレーカーを見つけた。
――ガチャン。
それを引き上げると同時に、闇に閉ざされていた空間に眩いばかりの光が満ちた。 瞼の上に手をかざし、目を細めながら辺りを見回す。 先ほどまで機能を停止していたほとんどの機器が、その活動を再開していた。 こういう場所だと、普通ブレーカーが落ちても非常電源が働くはずなんだが……恐らくは、先ほどの彼が生前にそれさえも落としたのだろう。
――そういえば……
と、何を思い出したのか、嘉治は再度遺体の傍まで戻ると、そこで膝を折った。 「……失礼」 軽く頭を垂れ、手を彼の着ている衣類のポケットへとしのばせる。 感触だけを頼りに手探り探していくと、数度目に固い何かが手に触れた。 指先でつまみ、そのままそっと引き出す。 カードキーだ。 ズボンの後ろポケットに入っていたため、血に汚れてはいない。 これなら、問題なく使えるだろう。 「……ん?」 それを懐にしまおうとした時、床に落ちている一枚の写真が目に止まった。 先ほどは暗かったから見落としたのだろうか。 拾い上げ、そこに映るものへと目を向ける。 それは、最期同様の白衣を身に纏った彼と、その腕に抱かれて眠る幼い少女の姿だった。 色褪せた写真に映り込む彼の容姿は、今より大分若いように見える。 日付の部分は掠れて読み取れなかったが、かなり古いものであることは間違いなさそうだ。 写真越しにも分かる澄みきった美しい青髪を、いとおしむように撫でる彼の口元は緩く綻び、彼女を見つめるその暖かい眼差しは、紛れもなく父親が愛し子に向けるそれだった。 何気なく裏返してみると、一つの文章が目に止まった。
《Please, rest to my dear daughter…….》
「……」 その一文を見つめる嘉治の表情は、いつしか真剣な面持ちにより一層の険しさが宿っていた。 しばらくの間、鋭い目付きで写真を凝視した後、嘉治は――
「……」
――それをスーツの内ポケットへと滑り込ませた。 胸中にて渦巻く、言い表すことのできない複雑な感情。 ……それが、嘉治の判断を刹那的に鈍らせた。
――ピン。
「っ!」 電気機械の生み出す駆動音に紛れて耳に届く、聞き慣れた甲高い音。 それが何であるか、理解するのに時間は要さなかった……が、実際に行動を起こすまでに、僅かなタイムラグが生じる。 今になって確かに感じる、出入口付近の何者かの気配。 ホルスターからベレッタを引き抜きつつ、横飛びに物陰へと身を隠す。 それと同時に、けたたましい音を伴い、辺りに激しい閃光が迸った。 やはり、予想に違わず閃光手榴弾。 それが炸裂するその瞬間だけ目を閉じ、すぐに開く。 ここまでは、嘉治の予想通りだった。 だが、次の瞬間、その予測に反する事象が起きる。 「……!?」 突如として、すぐ隣に現れた何者かの気配。 反射的に背後へと飛び退き、距離を開けようとする。 しかし、相手は出入口付近から嘉治の隠れていた部屋の奥まで、一瞬の内に移動できるほどの脚力を持つ人間。 しからば、それは間違いなく誤った判断。
――ドスッ!
重く鈍い殴打の音が、体を通して痛みと共に響く。 「ぐっ……!」 口から漏れるのは、苦痛に歪んだ呻き声。 こうなってしまうと、手に持ったベレッタは邪魔でしかなかった。 このような互いに肉薄した戦闘において、銃など何の役にも立たない。 むしろ、片手を自ら封じているも同然ということを、嘉治は長年の経験から熟知していた。 しかし、だからといってこれを手放しているほどの猶予もない。 ならば、取るべき手段は一つ! 腹部の痛みを押し殺し、空いている左手を硬く握りしめ、目の前の人物めがけて正拳を放った。 バシッという乾いた音を立てて、手のひらで容易く受け止められる。 しかし、これでいい。 次いで右手を降り下ろし、ベレッタの銃底でその手首の部分を叩きつけた。 「うっ……」 小さな苦悶の声。 同時に、苦痛からかその姿勢が僅かに前へと傾く。 自然、うつ向き加減になる頭部めがけて、嘉治は再度銃底による殴打を放った。 それを、そいつが腕を立てて防ぐ……その瞬間だった。
――っ!?
全身を襲う違和感。 体が動かないというわけじゃない。 全身の自由はあるというのに、何故だか嘉治の意思とは裏腹に、戦意そのものが喪失されてゆく。 こちらを真っ直ぐに見据える両の瞳に、今だかつて味わったことのない、薄ら寒い不気味な感覚を覚える。 「……ふふっ」 そいつの口から溢れる、愉悦混じりの笑み。 「……」 気が付いた時、嘉治は自ら銃を下ろしていた。
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