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忘れ得ぬ風景掲示板

皆さま個々の忘れ得ぬ風景に感謝します

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滝の詩






[396] 題名:忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ! 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月03日 (木) 07時40分

栄光の5・3「創価学会の日」に師は詠まれた。

冴えわたる 五月三日の 師弟かな
  世界に轟く 勝鬨 嬉しや

「わが友が、家庭でも、職場でも、地域でも、
 汝自身の堂々たる勝利の城を創り上げていかれることを、
 私も妻も祈る日々である。」(2012/5/3聖教新聞より)

本日より愚壮さまの『忘れ得ぬ風景』が新たな展開を始めます。

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』
Once again I taike my life into account for moving forward

[397] 題名: 名前:菜月 投稿日:2012年05月03日 (木) 08時11分

厚田の海、拝見しました。
開いたとたん、息を飲むほど美しい風景に
癒されました。
ありがとうございます。

[399] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月03日 (木) 17時37分

菜月さま ご無沙汰しています。ようこそ^^

『厚田の海』愚壮さまの原風景なのです。
それが何故か・・・
是非とも風景を読み解いて下さいませ。 ありがとぅ♪

[407] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月04日 (金) 10時17分

『厚田の海』が『忘れ得ぬ風景』の原風景である。

私(愚壮)にとって、誠に不可思議極まりない、この時の事を、チクと再現すると。
昭和38年2月4日 熱に悶える末期症状の瘧(おこり)の如く、私は自衛隊に入隊した。(於・信太山)
その1年7ヶ月後の1964年9月。 『厚田の岸壁』に私は在った。(この時 19歳)

渡○小隊長(当時・V尉)が「厚田村役場」(現今の石狩市役所分所とは位置が違う)に所用で訪問し、
用件を終えて「ジープ」に戻ってくる迄の短時間、「ここで待て」との渡○小隊長の指示に随った。

それだけである…。唯それだけの… 単なる「通過点」の『厚田の海』のはずである。 
ましてや44年前 1920年初春の20歳の戸田青年が『父母への永別』に、厚田を訪れている事など、解る由なし。
その「知る由もなき」人間が、この5年後の昭和44年12月17日に「創価学会」の信心に入会し、
その後、ワシを捨てた両親を、捜し出して折伏し、 尚。愚壮本人が「還暦」を5年も越えた時に、
『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』との言葉を遺して失踪するのであるから
…何と粋ではないか。

オリジナルでは、第一幕の後半に『池田先生・御勇退』にと、ハショッタが、
実際は「15年間」の歳月を数えたのである。

これからの『再風景』は、終盤へ向かう道程の中での『藁の中の針』との遭遇だ。
『宗門&学会』という範疇を越え越えて『風景を紡ぐ』時も、ワシの余命の上では有る事も有る。

「やれ裏切った。の 言葉が足らん」だの言わずに、読んでくれ。と、言う事も…ま、たまには、あろう。

が、しかし。 『『新編・御書全集』に於ける『第59世:堀日亨上人猊下』の御著文 
『序』を何百回・幾千遍と拝読した『新生・愚壮』である事も、付け加えたい。

あ。 それと、もうひとつ。『御書』は、編年体御書を認めていない事を明記する。

[408] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月04日 (金) 20時11分

私と妻女と長女が、約三十八年過ごした街を去ったのは、2009年の桜の頃である。
この三十八年間の、あらゆる出来事は…『忘れ得ぬ風景』に全部書いた。

扨(さて)。 
この間に築いた、殆んど総てを失った私への「同志」の姿勢は…というと。
大勢の殆んどの人達は「これには何か、深い意味がある」と激励してくださったが。   
「それ見た事か」と公言愧(は)ばかり無き人も、正直 居た訳である。

昭和54年7月26日 『K圏』は誕生した。  
これは『池田大作創価学会第三代会長御勇退』の僅か95日後であった。

初代圏長は「T氏」(あの『2008年10月27日の風景』で「愚壮宅」を訪ねた人である) 
初代圏婦人部長は「M女史⇒現・常勝O総県婦人部総主事」であった。
爾来30幾星霜…   
毎年巡り来る『3・9』を、「K圏」の壮婦男女(四者)同志は、老若男女総出で祝い、役職など無関係に全員で歓呼した。

個々それぞれ、諸々の苦難も、又悩みも…この『3・9』を目指して乗り越え打ち破り、
「変毒為薬」の実証の事実を目指し、示し来た。
正に、毎年巡り来る『3・9』こそが「K圏」の同志にとっての『登竜門』であったといってよい。

愚壮の生き様も、この『3・9』の歴史の渦の中に在った。    
自身の幾度かの苦闘にも、全て「同志」の同苦と激励で乗り越え得た。
が。そんな…平成21年3月26日…。        
愚壮自身の文字通りの『忘れ得ぬ風景』が展開される。   

…武運も拙ないのか、奮闘も空しいのか、それとも『願兼於業』の故か…
私と妻と長女が「栄光のK市」を去る日が来た。

愚壮(支部長)にとっての、この最後の「支部幹部会」は、
昭和59年1月19日の落慶以来の35年間の御提供たる「T宅」であった。


会場は立錐の余地なく揺れていたが、   
それより増して、参加者の「支部員さん」全員の真心が溢れていたのであった。

未来部の健気なコーラスに泣き濡れ…   真心の御婦人の言葉に泣き濡れたが…  
真意は…N支部婦人部長を投げ捨てた「私自身」にのみ、大恨誡の懺悔の涙を流したのであった。
 
誠心誠意の真心の発露で参加頂いた「壮年幹部」の御実名を記したい。 否。記するべきである。
それが 「Y圏長」 「N副圏長」 「H本部長」 であった。 (筆者 備忘録には実名で記述)

「H本部長」が立った。
「H本部長」の手には、B4の原稿5枚が握られていた。
「本部長」はいう。 (以下概意) 
【 此の原稿こそ、今から29年前。 
あの昭和55年3月9日の前夜 学会本部を訪れた私に、
先生から戴いた「恩師への報恩」の直筆原稿だ。 


 私(H本部長自身)の家宝であるので、(この原稿の)本物は差し上げられないが…  】
と、筆者に下さったのが 『恩師と桜』(複写)である。       
つまり…此の『恩師と桜』こそ、紛れも無く 我が「家宝」たる所以なのだ。

誠に不思議な事であるが、「H本部長」は、私の『K圏最後の日』の餞(はなむけ)に 
上記の『恩師と桜』の原稿を選ばれたのだ。


『恩師と桜』の原稿とは、言い換えれば
『池田先生』と『K圏』の「師弟不二の絆」の奥底の淵源(真の出発点)ではないか。
つまり「H本部長」は…。
『 愚壮よ! いずこの地に変わっても お前の「原点」はKなんだ!』と言いたかった。


只。最後に「H本部長」は妙な事を言った…『 但し、俺は読む事が出来ないでいるが…』 
(これは原稿を一目見れば納得がいく…読めないのである)

これが 平成21年3月26日の夜の事である。           
遂に…私達は38年間住み慣れし『門真』を去ったのだ。        

振り返れば…      
昭和47年8月21日(『K圏』が誕生する7年前)。 私達家族は「K市石原町」に辿り着いた。
私が27歳。妻が26歳。長男2歳。長女0歳であった。   

私の入信は昭和44年12月17日であるので、当時の信心歴は3年であった。
次女の誕生(昭和51年)頃から「信心」に目覚めだしていた私は、
『3・22』(長居)に向かって昇華しゆく。

『教学歴』は、昭和45年6月24日の「任用」から、
平成12年11月18日の「教授」までに「30年」を要した。


『役職歴』(役職なんぞは己の歴史に無関係だが…)は、
昭和61年2月19日の「壮年部B長」に始まり、平成17年12月10日の「副本部長」までを拝命している。

その他、『圏・副地域部長』『儀典長』『教学部研究会第10期生』
『関西人材育成研修終了』『公明党副支部長』『地区新聞長』を歴任。

又。昭和54年より、平成21年までの30年間。自宅を個人拠点として提供し、
その間の「個人折伏」は両親を筆頭に40人程度である。
 
又。地元地域では、
『子ども会会長』『自治会防犯部長』『会計監査』『自治会副会長』等を歴任した。

是といった「取り柄」の無い臭い人間が「創価学会」の薫陶で今まで来た事に感謝こそすれ、
「一点の疑念」も無かったのは当然であったのである。

[412] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月05日 (土) 07時09分

【 平成21年3月26日の夜の事である。 】という記述に続いて 【 遂に…私達は38年間住み慣れし『門真』を去ったのだ。 】と結んだ実景…。        
『学会員・愚壮』ではない人物。つまり(人間・愚壮)は、単に唯々諾々・「無血開城」に臨んだのか どうか…。である。
彼が『K市』を(心身ともに)去らなければ(棄てなければ)ならない。と、「腹を括る」までには、実は多くの難関があった。
その「難関」の一つ一つをここで書くと、多くの「欠陥のシステム」の解説になるので『弊害』が大きすぎる。

ここでいう『弊害』とは、
『創価学会』という巨大組織は「信者」の苦悩の解決の為に「頓服薬」としての機能をも持って存在する。…ゆえに…。
「創価学会員」は、仮に人生に頓挫しても、多くの同志が決して苦悩の人を見捨てないで、救援の手を差し伸べて呉れる。
上記の如き『思い込み・誤謬』が、一部の学会員さんが、現実に持っていた。…とすれば、『弊害』なのである。

『日蓮仏法』の根幹は、ありとあらゆる「生命体に逆行」する苦難・障害の元凶を、『前世』にまで遡(さかのぼ)って根絶する事だ。
つまり。 『個人』に対する「あらゆるマイナス現象」は、全部その個人への「試金石的受難」で、解決するのも『その人』なのである。
もっと解り易くいえば、苦楽併せて『全部・自分持ち』なのである。 簡素といえば簡素。  薄情といえば、 これは薄情である。 
そんな『簡素で薄情』にみえる原点にも、絶対不滅の論理がある。 それが【 他人の不幸の上に、自分の幸せを築いてはいけない事 】である。

とまれ… 「K市」を去る『愚壮一家』の後姿は、「敗北者」の悲哀に満ちたものであったろう。
( 『愚壮』はよい。「自業自得」であるから…  しかし。女房や子供は違うだろう。  まったく、イイ迷惑だよ。と村雀が騒ぐ。)
「本当は どうなんだ?愚壮よ。」と聞いて呉れる人とて居ない…と、蹲(うずくま)った『愚壮』ほど、似合わない役ドコロはない。

そんな『愚壮』でも、懐深く仕舞い込んでいた物があった。
それが 『若き指導者は勝った』の冊子であった。 
( 若き指導者は勝った⇒「聖教新聞連載」 実配日 2008年12月30日〜2009年2月4日 )
上記の冊子は、昭和24年1月3日から昭和31年7月9日までの 2743日間(7年と187日間)の実録である。(『序』〜『第18回』)

…もうひとつある。    
この頃(2009年の4月〜2010年の4月)の『愚壮』が、目の色を変えて肉薄していった「もの」とは…『御書』である。
それも「全編読了」を旨とするが如きの 薄っぺらい『御書』への対峙ではなかった。  「ひとつの御文字」への肉薄であったのである。
この「ただ拝読するだけではない」という『実風景』の事を、後日の妻はこう言った『鬼気迫るものであった』と…。

その最も最初に、愚壮が繙いた『御書』とは… 『御義口伝上 731P』(第三 捨是身已の事)と『四条金吾殿御返事 1164P 1〜2行目』だ。
つまり… この時の『愚壮』には既に、『死魔』が纏わりついていたのであった。

[414] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月05日 (土) 16時51分

【 設(たと)ひ所領をめ(召)され追い出し給うとも 十羅刹女の御計(はから)いにてぞ・あるらむと・ふか(深)く恃(たの)ませ給うべし 】
上記は『四条金吾殿御返事  1164P』 冒頭の御聖訓である。

第三 捨是身已の事 【 御義口伝に云く 此(こ)の文段より捨不捨の起りなり 
転捨にして永捨に非ず 転捨は本門なり 永捨は迹門なり  
此(こ)の身を捨るは 煩悩即菩提 生死即涅槃の旨に背くなり 云云 】 『 御義口伝上 731P 』
自死・自殺は、『末法流布の日蓮仏法』に逆行の行為であるとの御聖訓なのである。           つまり…
「余経・迹門・爾前」の類での『煩悩即菩提⇒(生死に伴う苦悩を離れる事)』や『生死即涅槃』はあり得ないとの御断言である。

逆に「余経・迹門・爾前」の類を『師門』と成すは、臨終は『自害』あるのみ。 ⇒『念仏無間地獄抄  100P 3〜4行目』と辛辣である。

( 『K市』在住間に築いた、殆んど総てを失った私である… )その姿は、痛々しいを通り越して、予想だにせぬ「皆無の設定」である。
そんな私の行き先は…隣接の地「N市」であった。      はたして「N市」の「組織・同志」に、私達はどう応えたのか。

この地での約375日間とは、「愚壮家族」にとっての『巨大なる風景』として、いついつまでも 奥底に残っていくのである。
たとえば…こうである。
私達が引っ越して来て、片付けもヤヤ完了した頃に。 先ず「S地区部長」と「O圏長」が訪問なさってくださった。
そして「県長」と「本部長」   「総県長」と「支部長」と…  総ての壮年幹部が、日を置かずに「愚壮」を訪ねてくだされた。

その姿たるや…決めて「上から目線」でなく、遜(へりくだ)るでなく、慇懃でなく、放埓でない。
私は思った…『嗚呼… 麗しい哉…』    そこには、全くの「原点」の同志の姿が有ったのである。

正直。私は…。その『鬼気迫る』表情での、御聖訓への挑戦を続ける中で、一抹の安堵感を久しぶりに感じていた。

[415] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月06日 (日) 01時14分


『2012年5月3日 忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ!』

ページ作成致しました。 いやいやビルダーの進化に私の頭脳が付いて行かない(汗
ページは作れても、サイトにアップが出来なくて悪戦苦闘いたしました。

>正直。私は…。その『鬼気迫る』表情での、御聖訓への挑戦を続ける中で、一抹の安堵感を久しぶりに感じていた。
私は記憶を辿りつつ、『鬼気迫る』表情での、HP作成への挑戦・・・えらい違いや!

鬼様が どこぞで笑ろていはるんちゃうやろか・・・・(-ω-) ボソッ

[416] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月06日 (日) 06時08分

『おにゆり様』
誠に御苦労を掛けております。 ありがとう。
愚筆の『風景』は、かくの如く「護られ切って」の存在です。
重ねて御礼を申します。 ありがとうございます。


扨(さて)『風景』のその後です。
「N市」に辿り着いた私達3人(妻と娘と拙)を、
当地の『同志』は、どう御迎えくだすったのか。


この、僅か「一年間」という短期の『風景』を 今思う時。
その『風景の背景』には、いつも燦然たる陽光が降り注ぐのです。

雨の日も、風の日も  厳然と在った筈なのに…。

「N市」…。 私はここで、再びの『忘れ得ぬ風景』に出会うのです。   

[417] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月06日 (日) 08時32分

>その『風景の背景』には、いつも燦然たる陽光が降り注ぐ。
『忘れ得ぬ風景』を繙こうとする時、真っ先に迫ってくるのが『奥入瀬の滝』。

燦々たる光彩に彩られた『瀧』は、如何なる「非難や中傷や罵詈雑言」にも、
微動だにせず「涛々」と往くのです。



『瀧の詩』の淵源   
1994年(平成6年)6月・英グラスゴー大学に於いて『名誉博士号』授与式が行われた。
同大学の J・F・マンロー博士はその時『池田名誉会長』の『瀧の詩』を引用し英文で朗読した。

その日から13年後の2007年(平成19年)5月19・20日 青森文化会館での聖教文化講演会に於いて、
英グラスゴー大学 J・F・マンロー博士は、池田名誉会長と再会し、『瀧の詩』引用の感動を語った。

原 詩  と  その正規英訳   

瀧の如く    激しく      Like the waterfall fierce  
瀧の如く  撓(たゆ)まず    Like the waterfall unflagging  
瀧の如く   恐れず       Like the waterfall unfearing  
瀧の如く   朗らかに      Like the waterfall merrily  
瀧の如く   堂々と       Like the waterfall proudly  
男は 王者の風格を持て   A man should have the bearing of a king  

【 man should(男は〜の方が良い)   bearing of a king(王者らしい)】

この時から『瀧の詩』は 「英グラスゴー大学」と「創価大学」を繋ぐシンボルになっている。
※『瀧の詩』は 昭和46年6月に「奥入瀬」で詠まれ、
 マンロー博士の英訳は『原詩』創作の23年後にG大学で紹介された。

[420] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月07日 (月) 08時24分

出勤前のティタイム『瀧の詩』を聞いて居ます。
東北健児に想いを馳せつつ・・・
愚壮さまの帰還を誰よりも喜び『俺も頑張る!』と
瀧が如く撓まず 前進している姿が目に浮かびます♪
仕事に行ってきます♪

[421] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月07日 (月) 16時48分

糸を文(あや)なす故『紋』という。  私にとって、忘れ難き文字が『紋』だ。

『紋』…。 一体どのような意味が有るのか…。
『織る』事から、その文意が起き上がったとして、概ね間違いないのだろうか。

「糸」扁の文字にある、『紡ぐ』『繙く』等は、そういう意味でも深いものを感じる。

例えば『絆』という字を何と読む…といえば   正解は(きずな)である。 
しかし、もう一つ有る、それが…(ほだし)である。 
『紲』とも書く(ほだし)の意味は「自由を束縛する」である。
『絆』を分解すると「糸」扁に「心」である。 

「心」とは「りっしん⇒ 立っ心⇒ 立つ心」であり。
その「立つ心」に「横向きの楔」を二本打ち込んで「半」となる。
ここにいう「横向きの楔」とは「寄り添う事」であり。「同苦」の事なのか。      「糸」扁の糸とは『紡ぎ出す』である。  

つまり『絆』とは『同苦・寄り添う心』を『紡ぎ出す』事であり『創価学会』の原点である…と、愚壮は思うのです。

[422] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月08日 (火) 05時28分

「N市」の生活が始まった。 
この街の東側は、山が真近に迫っており 当然の如く「坂」が多く。最高点は海抜も百米を越えておる。 
それに反して「N市」の西側は古来からの低湿地で、人口密度も集中して高い。
この、歴史深き「街」に紛れ込んだ「愚壮家族」を、『創価学会』の庶民は決して放置しなかった。

早速の濃密なる連繋で、『創価学会組織』に直結して下さった人が居る。
それが『N地区婦人部長(現在・支部婦人部長)』であった。
少し間合いを置かれる姿が特徴の彼女は、実に細かく『家内と長女』に接してくださった。
結局は、全て この「N地区婦人部長」の振舞で、「愚壮家族」が息を吹き返したといえる。

一切の「思い込み」や「先入観」や「レッテル」や「役職視線」  
つまり…全ての『烙印』を廃した組織がここにある。

…とはいえ、「愚壮家族」。 就中…。「家内」や「長女」が『烙印押印』の対象者ではない。
無理やり『烙印』を押すとすれば…『愚壮』自身であったであろう。
(…と、ワシがこう言うのも、亡霊に対する有りもせぬ「ヤッカミ」 つまり「被害妄想」の一種である…)

が…。 ともあれ、 「N市」での新生活・総てをやり直すべきの新生活がはじまったのである。
ただ、 一人『愚壮』は、  『俺がこうなるのは、何か深い意味がある筈だ』と思っていた。

その顕著な変化が、『御書』に対する「肉薄」であった。

[423] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月08日 (火) 05時52分

何故。  ≫ただ一人『愚壮』は、『俺がこうなるのは、何か深い意味がある筈だ』と思っていたのか。
それは『K市』での末期(2008年最終日から2009年2月の初旬) 『愚壮』が手にした『実録』に依る。
その実録が 『若き指導者は勝った』であったのだ。

つまり…。 「N市」の愚壮は… 「K市」の愚壮ではなかったのである。

[424] 題名: 名前:mei 投稿日:2012年05月08日 (火) 14時16分

おにゆり様&愚壮様

お久しぶりです!!!

遂に再開ですか?!待ってました!!!
ときどき、再開を期待しながらのぞいておりました。。。
愚壮さま、どうかお忙しいのだろうとは思いますが、
ずーーーーっと、待ってました。続きをお願いいたします。
とてもとてもとても・・・楽しみです☆

私は現在、大都市の広州から片田舎に引越し、
まさに、この市で一粒種のSGIメンバーになりました。
旦那の故郷(ギャンブルで有名なマカオの近くです)に住んでおります。

バスで国境へ出て、月に二度ほどマカオSGIに参加しております。
とても小さなマカオSGIですが、手作りなかんじというか、
巨大組織で、めまぐるしく華やかな香港SGIとは叉違う味わいが、
のんびりな自分には合うなと嬉しいです。

あれから、旦那が信心に猛反対になってしまって、仏壇を破壊されたりで、、、
ご本尊様をお巻きして、逃げたこともありました。。。
旦那が、原因不明の頭痛と耳鳴りに悩みはじめてから、
私が変な宗教をしているからでは?と、思い込んでしまったのです。

最初はキリスト教を熱心にやって治す!といっていましたが、、、
今では、まったく教会にも行かなくなり、聖書にホコリが積もってます。

今年の4月には、家族も交えて離婚の話し合いまでになったのですが、
突然にいろんな変化があり、、、
なんとか今は旦那も落ち着いています。

先日「あなたのほうが、精神的に強いことを認める」と、
突如、ぽつりと申しておりました。。。

自分の人生も信心も、いよいよこれからだと思ってます。
ここで、「忘れえぬ風景」が再開・・・追い風というか、、、
本当に励みになりますので、
楽しみに拝見させていただきます。

[425] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月08日 (火) 19時00分

meiさま お久しぶりです。
ず〜と待っていて下さったのですね 嬉しいことです感謝致します<(_ _)>

そうなんだ御主人さまが・・・大変でしたね。
逆境にめげずにmeiさまは頑張りぬかれたのですね。

遠い広州の地で どんなに心細かったことでしょう
大都市からの転居。そして『妙法のひとつぶ種』
meiさまの使命は益々に輝きを発していくのですね。

全てが意味のあることだと思います。
『意味がある』と、自覚する時に人間革命できるのだと思います。

私もmeiさまと共に成長してまいります。
愚壮さまも 健気なマカオSGI婦人部の愛読者がいることに歓喜し
きっと ペンが進むことでせぅ♪

『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』
Once again I taike my life into account for moving forward

meiさまの『風景』が、青葉薫る幸の風吹く章となりますように(^Λ^)
おにゆり拝

[427] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月09日 (水) 05時30分

『御書だ。 御書しか今の私の、自身への疑問に答えられるものはない』…こう腹が決まるまでに、時間は掛からない。
「N市」の生活が始まって、直ちに私は、私の持つ総ての余暇を『御書を繙く』事のみに没頭していった。
具体的には、早朝2時半には「机」に座し、『御書』への挑戦に向かった。(これは、粗(ほぼ)現在も続いている)

先ず。規範・法理を御明示された『御聖訓』の抜書きから始めた私は、冒頭から「底なし沼」に身を晒した。
『行けども行けども、輪郭さえ掴めない…』と、没頭していった。
五十音に整理しつつの「骨子・項目」は、それでも「千項目・二千項目」と数を増していく。(現在・5004項目)

参考資料・参考文献を求める時は、『御聖訓』及び『日興上人・御記述』以外には、
主に『第26世:日寛上人』『第59世:堀日亨上人猊下』の御記述・論文に限定した。
(この、『第26世:日寛上人』『第59世:堀日亨上人猊下』の御記述・論文に限定)とは、今も「正解である」と確信する。

特に、多大な助力と為ったのが『富士宗学要集・堀日亨上人猊下御著作』であった。
『日蓮大聖人』の仏法の根幹が、第二祖(開祖・日蓮大聖人でも、日興上人(開山上人)でもない)あたりから、
揺らぎだす始末を見るのである。 (これは、各位に申すが…富士宗学要集の精読・熟読を期すものである)

「N市」に来て三ヶ月、『御書・御聖訓』の研鑚に没頭する頃。 2009年の7月の末頃、とんでもない事に出くわすのである。
この(とんでもない事)とは、 総てへの始まりである。  しかし、この公開は『愚壮』の死活にも関わってくるのである。
(私個人への 死活問題等ここに来て、 はなから眼中にはないので 「屁」とも悩んでいないのを 付け加える)

[429] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月09日 (水) 06時03分

参考資料・参考文献に位置付けた『書簡』を言っておくと。
『第26世:日寛上人・著』⇒「六巻抄」 
『第59世:堀日亨上人猊下・著』⇒「身延離山史(上下)」「富士日興上人伝(上下)」「富士宗学要集・全巻」 (聖教文庫)
である。

何故か。  真正の『師弟不二』を語るに、上記以外の『論文』に『正鵠』を見た験しがないから。
つまり…上記の精読のみ。 全くの『正史』に行き当たるからである。
現在の「宗門」如きの垂れる「ヨタ」が、いかに底悪・底浅(ママゴト)であるかが、容易に解明するのである。

[430] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月09日 (水) 09時42分

愚壮が何故、『第59世:堀日亨上人猊下』の御著作・論文に着目し、依処を『第59世:堀日亨上人猊下』に置いたのか。
答えは簡単・簡素。 非の打ち所がない「人選」だからである。
つまり…「宗・創」共々に『ヨタ』を挟み込む余地が見出せないのである。

もっと突っ込んで言えば『第59世:堀日亨上人猊下』を否定する蛮行は、己の「血脈」を否定する事なのである。
昨今。あらゆる場面で『日蓮大聖人』の教相が「我田引水」の自己解釈が成されてきた。
特段。『宗門』の言うそれは、噴飯の最右翼で、目を覆う代物である。

昔からの諺に「燈台下(もと) 暗し」というのがあるが、『日蓮仏法』の根幹も、足下にある。
…そこで登場するのが、『新編・御書全集』の『序』である。

すこし本文を記述するが…
【 爾来五百年 ※斯業(しぎょう)に精進するの名師出(い)でず 
漸(ようや)く近古になって細草談林の化主で 又 大石本山の学頭であった   
『久遠院 日騰上人』が始めて新定祖書の目録だけを作り
※祖書 ※拾遺(しゅうい)の編輯(へんしゅう)もあったが 全編ではない、 】 とあられる。

下記は、ごく簡単な通解。
※斯業(しぎょう)⇒御書の編纂作業
※祖書⇒『日蓮大聖人』の全ての御記述文献
※拾遺(しゅうい)⇒漏れや欠落を拾い集める事

この中で、着目すべき事項は 【 爾来五百年 ※斯業(しぎょう)に精進するの名師出(い)でず…】だ。
つまり『日興上人(開山上人)滅後の500年。 御書編纂に没頭する「名師」が存在しない』との 御嘆きである。

まったくもって… 言語道断。 僧侶としての「素質」から疑うものであるのだ。 …冗談ではないわい。

[431] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月09日 (水) 09時53分

≫「N市」に来て三ヶ月。 2009年の7月の末頃、とんでもない事に出くわす。
この事が、総てへの始まりである。  

覚悟を決めて読む可(べ)し。 愚壮記。

[432] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月10日 (木) 04時13分

≫ とんでもない事に出くわす。⇒(§1とする)
この詳細の記述は(もう一度、記述内容を重複すれば⇒§1とする) 時期尚早と、不記。
何故に不記か…。 それは本日・今朝が、『初代 K市 I 圏長』の「一周忌」であるからだ。
『初代 K市 I 圏長』といえば…
あの「忘れ得ぬ風景」の最後の投稿の(2008年10月27日(月) 11:03分 記述日)人である。
今日。2012年5月10日が、上記「T氏」のその日(御逝去の日)である事を、非常に重く感じている。
…故に、上記(§1の記述)は、今回は書かない。

それは云わば…今は亡き「T氏」が『愚壮よ、今は書くな』と聞こえるからである。

平成23年(2012年)5月10日  『初代 K市 I 圏長』遂に隠れる。 享年80であった。
この人の『訃報』に接した時。 私(愚壮)は率直に「一つの時代の終焉」を見た。
これに纏わる実話は(§1とは全く別の話)、この『風景』にも必然と登場するが、今ではないのである。

※ 今後の『風景』に、(§⇔セクション分別)が多く登場するが…それらは全て実話である。

[433] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月10日 (木) 04時37分

「N市」に流れ着いたその年(2009年)の夏。
『創価学会』にとって、最も苦渋の時を迎えた。

当地「N市」にあっても…『負けたらあかん』と闘った。
K市からも「N市」に多くの「総県長匹敵の幹部」が入った。

『愚壮』はどうしたのか。
『あの地域は、ワシでないと聞いてくれない人も多い』…と、
行きたくもない・見たくもない「K市T町」へ走ったのだ。

これを見た『T氏(三十数年超の刎頚の同志・支部長)』は言ったと聞く。
「あいつ(愚壮)が「K市」から消えた翌年の法戦に、
もしも、あいつの姿が「K市」の中で見る事がなかったら…」
「俺(T氏)は愚壮を見限った」と言ったとか言わなかったとか…

ワシにとって…(この年以外もそうだったが)『F候補』とは、
一切を乗り越えた『存在』であった故。刎頚の「T氏」の危惧は徒労じゃ。

この『未曾有の敗北』に纏わる実話も、今は『時期尚早』と言わざるを得まい。
(この手の話題は、どうも 気が腐るが… ここは辛抱して頂きたい。)

[434] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月10日 (木) 04時50分

…『闘いは敗れた…』 事実 敗戦したのである。
直後の『同時中継』の事を、よもや「忘れた」と放言する輩は居まい。

あの一瞬の『実話』に、一体誰が「緘口令」を敷いたのか…
是非とも『御伺いしたい』とは、気骨溢れた「勇者」の「炯眼」であろう。

ともあれ。2009年8月の痛恨事を「忘却の彼方」へ押し込めるのは異端児だ。
『何の為』とは、底流に不滅の不文律。決めて「原点」である。

[435] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月10日 (木) 05時03分

『常勝』を死語にし…『負けたら あかん』を踏み潰す。
つまり『歴史』を塗り替えた。… 一体・全体 何が有ったのだ。
そして、何が違ったのだ。

『(負けたのには)意味が有るのか』…と、(個人差は有ろうが)苦しんだ。
『これでは 腑抜けだ』と、落ち込んだ者も居ただろう。
(屁程も悩まなかった、似非者も居たのかね…信じられないが)…と。
『風景』は2009年の後半に入っていく。

[436] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月10日 (木) 05時25分

2009年8月最後の月曜日の早朝。「N市」の愚壮宅の玄関に泣く人あり。
一人は「我が長女」 もう御一人は『N地区婦人部長』であられた。

この御二人の御悲哀に代表する『多くの御悲嘆』を、一体誰が「看過」できるのか。

『実際に、走り回ったのは誰なんだ』と問い質す気概さえも起きない。
命懸けで闘った人・半信半疑で闘った人・闘っている振りのみの人…。
様々の懸念や建て前や確信を連れて、『創価学会』は存在する。

[437] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月11日 (金) 05時18分

ともあれ…   「N市」で迎えた生涯ではじめての「法戦」は惨敗した。
この敗戦は単に…「自候補が他候補に敗れた」という出来事ではなかった。
『愚壮』が『愚壮』に負けたのである…と。徹底的に落ち込んだ。

つまり…。起るべき「敗戦」であったのか。 …つまるところ 『時』は大きく転進しつつあったのか。
彼我の価値観を、もう一度「攪拌」する如き「異変」が起っている…。そも!『転進』とは聞こえが良すぎるのか。
『号令を掛けるだけの幹部は不要だ』とは、『創価学会』の底辺の大原則でなないのか。

『民衆』『庶民』という語彙の本意は、「彼ら民衆に真相を語らない事」ではない。
『負けるが勝ち』とまで『師匠』に語らせて憚らない連中が、一切の責任を回避したのも事実である。
案の定。その後の「N文化会館」でも、「敗戦」への総括は無かった。
『血の汗を流し、必死で駆け巡った』尊い同志の労苦を、なんの事はない…関西の責任者たちは踏みにじった。

[438] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月11日 (金) 05時23分

閑話休題 
『愚壮』の最終章は見えている。と向き合った「死線」を、『愚壮自身』が乗り越えた或る日。それは起る。
「N市」から「K市」への毎朝の通勤は、長男が愚壮に与えた「軽自動車」であった。
この、約三十分の行程を連日に勤(いそ)しむ事に「何か」を求めるが如く… 私は走った。

その朝も又、そうであった。
『時間の余裕は充分ある…』と、通い慣れし道を 私は走っていた。
途中…「N市」「M市」「K市」の境界に、一本の橋が掛っている。
「これを渡って、道を右にとれば 一本道で「K市」だ」…と速度を上げた時であった。

一人の壮年が「リハビリの杖」を片手にして、橋上に在る。
一瞬の交錯に、その「壮年」が『S前総県長』御本人である事に気付いた愚壮は。
瞬間の車中に、叫んでいた。

[439] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月11日 (金) 05時43分

その瞬間を待つように、軽自動車の屋根を「バラバラ!」と大粒の雨が叩いた。
驟雨(俄雨)である。

目前の右側の「コンビニ」の駐車場へ車を突っ込んだ私は、逡巡する事なく走り出た。
『総県長!』と叫んで、後は言葉にならない。
私の両手を、不自由な手で握り締めて『氏』は言った。   「Yちゃん お前 何をしとるんや」

愚壮は今、何処に居て 何をしているのか。 (…そんな時か)と、『氏』は言うのである。
そして、こう言ったのである。
『K市』を見捨てるのか…と。                私は言葉が無かったのである。         
この出来事が、「N市」移住の年の秋であった。

[447] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月12日 (土) 05時21分

『K市を見捨てるのか』は、この短期間に三人の先輩から戴いた。
それぞれの御言葉を、私は「心肝」に染め抜き、前方を凝視した。とは事実である。

その第一回目の『御警鐘』が『S前総県長』の一言であった。
橋の上の『氏』を見た時に、偶然…大粒の降雨に出会ったが。
「この雨では濡れてしまう」と引き返しかけた矢先の邂逅であった。とは…
『前総県長』の「後日談」である。

私はこの時。「素通り」してしまう勇気をば持って居なかった。
『引き返そう』と踵を返した人と「素通り」出来ない人が出遭った『絶妙』である。

ともあれ…この一瞬の出来事が、消えかけていた「私とK市」との関係を再燃させた。

[448] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月12日 (土) 05時48分

『一年間やそこいらで、K市に再び還るのなら…』
お前は何故。三十八年以上も住み慣れた「K市」を棄てた。

「K市」を捨てるに至った「折り重なるが如き事態」は、当事者でなければわからぬが。
それでも予想される「他人の口には蓋はできない事象」…と『烙印』の重ね押しを耐えれるか。  
要は…『闘志を燃やし続けられるのか』の一点である。

よく俗にいう「人間。死ぬ気になれば 何でも出来る」との難事が、大きく立ちはだかる。

そんな「自己との闘いの渦中」の愚壮に、新天地「N市」の壮年同志は暖たかかった。
『S地区部長様』『S支部長様』『O圏長』それに『副役職』の諸先輩方々である。
就中。『A本部長』の御激励には、言辞に尽せぬ御報恩を感じたのだ。

[449] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月12日 (土) 06時09分

『「N市」の『A本部長』の御恩に報じたい』この篤き思いは、どう御返しするのか。

私は『A本部長』にお願いして、「本部壮年部」の皆様に『歴史』を熱弁した事がある。
それが『若き指導者は勝った』であった。


( 『O圏長』も居られたが 若干の「場違い的雰囲気」を忘れる事が出来ない )
…つまりは、こうだ。
『正史』を語るには、ある種の「緊迫感」の闘いの中でしか語れない。
「ぬるま湯」の日常に、敢えて選んで臨戦の中へ我が身を置く等、意味無き事なのか。

私は『此処こそが、絶対に違う』と、思っている。
『常勝』とは『常なる闘い』の中からしか、生れない…とは、言い過ぎか。

空回りの過過重は、やがて「化けの皮」の露呈に繋がる…と、愚壮悶絶する。

[450] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月12日 (土) 07時51分

そんな2009年初秋目前の候。僅かではあるが、一つの誤謬が露呈した。
【首の座二十三人で、女人が一人云々】と、ある『出版物』が書いたのである。

問題の出版物の誌名は書かぬが、 2009年8月号(第715号)26P
【婦人部に与(あた)う特集連載】であった。

これは、所謂「宗門(日尊派)」が垂れ流した『濁史料』である。
   

先ず。日教(日尊派)は「穆作(むかさ)抄」で『熱原の法難で殉教した中に、
女が一人いた』と虚構を撒く。
これは、『熱原法難』の斬首三人の史実(聖人等御返事 1455p )を捻じ曲げて
【首の座二十三人で、女人が一人云々】としたのである。

つまりは『熱原の法難で殉教した中に、女人の存在があった』との大ヨタである。

※『女人』の「不惜身命」という語彙・信念(法の為には男女共等しい旨の主題)では「美談」である。 

が、女人斬首は誤謬である。『仏法』の偉大さを、殊更に語りたいが為に「勇み足の美談」に陶酔する…

つまり『熱原の法難』即『女人斬首』は史実に完璧に反するのである。

ここでもう一度『富士日興上人詳伝(上)聖教文庫 140P』に於ける破折の文を再掲して、
『熱原法難』に対する誤謬を完全に破折しておこう。

【 (是くの如く…)六百七十余年の往昔にさかのぼりて、
直接関係の方々の直筆正文書が現存することは珍しきことであり、
大々不可思議である。

仏法の正邪、信仰の真偽によって、賞罰の厳正なることも、鑑むべきである。
しかるに、正史料を顧みずに、みだりに臆説を加えて為にする筆を弄するもの、
いまに絶えぬは、憂うべきことである。

(中略)筆者の怠慢無精のために、探求に手足を労せずして、
いたずらに既刊の書籍を気の向く辺(あたり)の孫引をして
得々たるもの多きは、残念至極のことである。
遺憾千万(程度の謝罪)では読者を誤らせた罪悪の償いようはあるまい。 

以上『第59世:堀日亨上人猊下・御著文』 】

孫引とは、検証皆無の丸写しであって。
『創価学会教学部』が書くべきではない。

つまり、非常に紛然とではあるが『正規機関紙』に齟齬を見たのである。

[451] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月12日 (土) 08時09分

是(ここ)で、具体的に【富士日興上人詳伝(上)】に於ける類似文章。更に
『第59世:堀日亨上人猊下』の「誤謬への破折文」の御記述を一部列記しておく。


168p 【 左京阿(阿闍梨)日教が、何かで聞きかじりたる誤伝を(中略)…累(わずら)いをなして…
   特殊の美談として贔屓(ひいき)の引き倒しで…(後略) 】

170p【 後の研史より支離滅裂の ありさまに見ゆるを いかにせん… 】

293p【 他教団への伝播はともかくにも、吾が門の僧俗に
※慢爾に稗史小説的に宣伝せられおるかと思えば肌に粟を生ずるの恐れがある 】 

※⇒【慢爾に稗史小説的の宣伝】とは 
『漫然と、大衆受けする事柄を、背景の精査も検証も無く、能天気に喧伝する事』
つまり『迎合』である。

[453] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月13日 (日) 05時49分


拙文『忘れ得ぬ風景』に『第59世:堀日亨上人猊下』がヤヤ茂く登場されたので…
ここで『第59世:堀日亨上人猊下』の持たれる「御存在・御立場」にふれる。
(触れると言っても大仰ではなく、付け焼き刃の部類で恐れ入るが…)

…そこで 『第59世:堀日亨上人猊下』を語ろうとするには、
私達の『師匠』の謂われている【対:堀日亨上人観】を述べるのが「最も強力」である。
そこで『富士日興上人詳伝』発刊にあたっての「池田先生」の序文を抜粋しておく。


【  ここにおいて日亨上人は、六十有余年にわたり、
あらゆる文献、すべての史料を、あますところなく踏査され、
先師の史伝を整備し、芳躅(ほうたく)の高顕につとめられた。 

その最も御研究に心血をそそがれしが、
この 『(富士)日興上人詳伝』であらせられるのである。(中略)

この正確無比の詳伝を手にする時は、仏法の精髄、宗祖日蓮大聖人の御精神が、
赫々と輝いていることに気がつくであろう。 (後略) 】

上記は、繰り返すようであるが『富士日興上人詳伝(上下巻)聖教文庫発刊  序・序文』だ。
大凡(おおよそ)『序・序文』とは、文章の格式から見ても、最も重要文である。
『大辞林』の類でも、『序』の意味が深く述べられておる故、読者は是非 御一見されたい。

[454] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月13日 (日) 06時08分

更に謹んで上記【富士日興上人詳伝】の巻頭(一部前掲)の序文を複書する。

尚 もう一度言うが、此の『序』の執筆者は『創価学会第三代会長 池田先生』であり。その意義たるや
もっと「ひつこく」言うと…『この序文は 執筆時には見ての通りに書きましたが…、
今は、決してそうは思っていません』等という軽い文章ではなく、永劫の性格を持つ『重書』である。

【  『序』  堀日亨上人猊下御逝去あそばされてより、はやくも、本年は七回忌法要を迎えるにいたった。
この時にあたり、総本山日達上人の格別の御允可(ごいんか)と御監修をいただき、
かって日亨上人が五年半にわたり、大白蓮華に連載された原稿を再編して、
ここに『富士日興上人詳伝』を発刊するはこびとなったことは
宗門のひとりとして、まことに感激に耐えないところである。

日亨上人は、総本山大石寺第59世嗣法であらせられたが、
すでに上人の仏教上における該博なる御研究の成果は、
宗門内外の等しく渇仰するところであって、
全仏教界の至宝として、崇仰の的であらせられたのである。

そもそも末法の慧日、宗祖日蓮大聖人の付法の嫡弟は日興上人であらせられ、
五老僧のごときは、宗祖の御滅後、師敵対謗法の徒となったことは、歴史の示す事実である。(中略)
 
日亨上人が御逝去の直前に編纂なされた、【富士宗学要集第九巻法難編】の創価学会の項において、
(第59世:堀日亨)上人は「学会の復興も忽(たちまち)に成り、意気中天に達し(略)
法滅の末法忽ちに変じて正法流布の浄界と成り、広宣流布の大願成就近きに在り、悦ぶべし、喜ぶべし」 
とおおせられている。(後略)

昭和三十八年十月二十四日      
七回忌法要の日に      創価学会会長 池田大作  】

[455] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月13日 (日) 06時54分

宗祖大聖人 諸法実相抄 (1361P) にのたまわく 
【 行学の二道を はげみ候べし、行学たへなば仏法は あるべからず、
我もいたし人をも教化候へ、行学は信心より をこ(起)るべく候、 
力あらば 一文一句なりとも かた(語)らせ給うべし 】

上記は『戸田城聖第二代創価学会会長』の『新編・御書全集』の「発刊」冒頭の辞である。

本抄の重厚は一度たりとも色褪せる事なく、以下と続いている。
【 創価学会は 初代牧口常三郎先生 之を創設して以来、 
此の金言を遵奉(じゅんぽう)して純真強盛な信心に基き、
行学の二道を励むと共に 如説の折伏行に邁進して来たが… 】
と、言われ。弥(いよいよ)文章は白熱の「名文」に入っていく。

【 剣豪の修行を思わせるが如き その厳格なる鍛錬は、
学会の伝統・名誉ある特徴となっている。 】

尚。文中の遵奉(じゅんぽう)とは⇒対象に対し、遵守し奉る事であり
⇒ 御聖訓の御教示を全てその儘(まま)実践する事。である。

以下本文
【 従って 大聖人の『御書』を敬い 之に親しむこと 天日を拝するが如く、
又 学会一同 上下新旧の差別なく 之が研究に多大の時間を当てているのである。】
現今の『創価学会の師弟』の根本理念が上記である。

巷間流布の偽書氾濫を深く嘆かれた『戸田城聖第二代創価学会会長』の御煩悶は、
当該『発刊の辞』に余す所無くの御記述で、弟子の弟子たる我々の深読こそ課題だ。

更に本文は続く
【 然るに 宗祖日蓮大聖人、建長五年四月二十八日、 
三大秘法の南無妙法蓮華経を御唱え始められてから七百年を迎えるに当り、
信憑(しんぴょう)すべき『御書』の発刊を要望する声が学会内に起り、
余(戸田先生御自身の事)も亦 正確なる『御書全集』の出現は御奉公の一分なりと信じ、
是非功罪 及び世人の批判等に逡巡(しゅんじゅん)することなく 
只 仏意を頼り大御本尊に祈り奉り、
遂に 慶祝祈念事業として 之(御書全集)を発刊せんと発願したのである。 】

近代の『創価学会教学部』は、ここまでを何度も繰り返して言い伝えて来たが…。
重要な部分は、実は【ここから始まる】という事なのである。
わざと欠落させ、割愛しては『師匠の師匠』の顔に泥を塗るのだ。

以下本文
【 これに応えられて 永年 古文書研究に没頭せられて ※斯学(しがく)に造詣深き 
(四文字削除)第五十九世の法主たりし堀日亨上人猊下が、六十有余年の※薀蓄(うんちく)を傾けて
之(『新編・御書全集』)が編纂の大事業に立たれたのは、大聖人門下にとって此の上なき幸せな事である。
※斯学(しがく)⇒仏法・仏門・法理に関する総ての学問    ※薀蓄⇒蓄積され尽くした透徹した学蹟

堀日亨上人猊下は 八十六歳の御高齢にて日夜不断にも拘らず、身心共に何等の障魔無く
数十年の亘る御研究を結集せられて ここに本書の完成を見たのである。
其の内容たるや 古今を通じて最も誇り得べきものであると共に、
初信の者も仏意を会得するに 容易ならしむるよう 
字句の上にも細心の注意が払われている。 】

更に本文は、最もの「急所」に差し掛かる。
【 …然るに 余の不敏(※不敏⇒鋭敏ならざる事)は幾多の過誤を おか(犯)して     
堀日亨上人猊下が生涯を通じての大研究に 疵つくることなきやと ひたすら之を虞(おそ)れ、 
今後の補正に最善の努力を尽さんことを誓う者である 

と共に、   
この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事を ひたすら祈念して止まぬものである。
願わくは 世の識者諸兄・余の微意を諒とせられて 御批正あられん事を。

昭和二十七年四月二十八日               
創価学会  会長  戸田城聖  】

上記の中に『第59世:堀日亨上人猊下』御自身の御存在の不思議が、
余す所無く顕されている。   深く拝読せよ。

[456] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月13日 (日) 07時30分

扨(さて)も・扨も、静かな朝である。
「この日曜日を、どう過ごすか」という思考も出ぬ程 弛緩した朝である。

妻女の御就寝は、今暫く続行しそうな時間帯じゃが…思い出した事がある。
ワシの昨夜の『晩メシ』は、主体が「お湯割」であった。
「老妻」はといえば、向かいの席で「喰いつつ」「見つつ」であった。

そんな時、長女から「画像メール」が届いたらしい。
黙って晩酌の眼前に細君の携帯が覆って視界を奪った。

『いと、賑々しい絵じゃ』と上目で観た画像は…『華燭の宴』であった。
そういえば、今日は『H本部長』御子息の佳日である。

『若い時の出来事は 全部が良い事である』と思う。

[461] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月14日 (月) 04時56分

≫そういえば、今日は『H本部長』御子息の佳日である。
ここに在る【 今日― 】とは、挙式の日(2012年5月12日)である。為念

扨(さて)。昨日の続きじゃ。
正確な時間は忘れたが…長女夫妻が可憐な生け花を持って、我が『細君』を訪ねた。
その又。暫くの後…今度は「名古屋」の次女からの「宅急便」で、瑞々しい華が来た。

この両方に、老妻がメールを返しておったのは、いかにも平和で、誰が見ても麗しい風景だ。
そんな直後に『老妻自身』が、「私、三人子供を産んだのにね」と言いおった。
これは、もうひとりの子供である「長男夫妻」からの『母の日』の祝いが無い事への揶揄である。

この『母の日』の由来など。ワシにはまったく興味も何も湧く事ではないが…。
『今日のうちに…』と、母に電話をいれた愚壮である。

『母の日です。いつもありがとう』と普通に言うと、
受話器の向こうの「八十三歳の母」は、こう言った。
「私はあなたを捨てたので、母と呼ばれる事そのものが、勿体無い」

『私が今、こうして居るのは親である あなたの存在に全てが起因しており…
感謝は 計り知れなく重く深い』旨を、押し付けるふうでなく言った。

『母』は非常に恐縮していたが…「親を恐縮させるようでは、孝養の子ではない」
少々の思い出話は、今は亡き「祖母」への事に尽きる。

…が 然し。 『母』の『母』は、大阪西区新町の「芸妓」である。
つまり…。私の実母は、自分の実母さえ知らぬのである。
これは、『我が母』が持つ、拭えぬ因果である。

『唱題に唱題を重ねる事が大事です故。御題目だけは続けてね』という私に、
母は、受話器の向こうで『ハイ』と言った。   

[462] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月14日 (月) 05時25分

つまり…。素性も家風も格式も無き『愚壮』
「食い扶持を稼ぐが為に産まれ落ちた少年」とは『マグマグ殿』の「愚壮評」で、
ズバリ 言い当てておるが…。別の話に脱線しそうなので止めておく。           

そんな(素性も家風も格式も無き)『愚壮』が出会ったのが『創価学会』であった。
『創価の有り様』を悪く言う人も多いが… (確かに、間違っている部分もあるが)
「是正・軌道修正」する機能・及び「浄化力」を持つ組織と思っておる。

この、ワシ如きの言う『是正・軌道修正する機能・及び 浄化力』云云は、
『宗門』の側から見た『宗門自体の持つ、杜撰さ』を、強く嘆くからである。

『戸田城聖第二代創価学会会長』が、御自身の『師匠・牧口先生』に学んだのは、
実は「その一点」であった。と、信ずる者でもある。

『創価学会は発迹顕本せねばならぬ』とは、元々から在る「自浄能力」の事を指す。

「宗門」に狂いを見るのは、草創の頃である。
これは、一に「出家せる者」の怠慢で、大いなる「反省」が望まれる。
…といっても。それは無理であろうよ。通津浦浦に点在する各寺院を観れば…。
  
(通津浦浦に点在する各寺院)に、いとも他愛なく迎合したのが、
晩年の『創価学会』である。 てな事を言うから、『愚壮』は皆から嫌われるのだ。

[463] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月14日 (月) 05時33分

≫「宗門」に狂いを見るのは、草創の頃である。
これは、一に「出家せる者」の怠慢で、大いなる「反省」が望まれる。
…といっても。それは無理であろうよ。通津浦浦に点在する各寺院を観れば…。

上記は『折伏精神』の牙を抜かれた『宗門』を指摘した文言である。
しかし。敢えて…曰うと。
その『熾烈なる折伏』を実践し、所払い・拷問・死刑に処せられた『法華講』の
実在をも、又。知らねばならない。 以下(時間が無いので)次稿

[464] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月14日 (月) 23時57分

富士宮ボーイにてマグマグ様からの戴きもの。
風景の末尾に置かせて戴きました。マグマグ様に感謝致します<(_ _)>

【雑感再掲】無題、改。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-04 08:07:24

死への恐怖と禁忌――生者の妄念は尽きない。
目に見えないものを祀り、死者なら、霊をなぐさめ、
生者なら、魂をしずめる。人は鎮魂にいそしむ。

愛別離苦――は、わけてもしずめにくい。
怖ろしく人の想念を支配し、
無常の闇にいざない、奈落へ突き落とす。

生死一如――遠い故郷の人々は、今の私の想いの産物。
生きているか、死んでいるか、本当のところは分からない。

死者と生者のどちらにも、
恋しさだけが想念でない。憎しみから想うこともある。
が、私には死者に会いに行く力がない。どこにいるかも分からない。

見えないものがあり、言葉に困り、それを「魂」と名づけ、
ここに「いる」と心をしずる。灯りをともし、香をたき、こうべを垂れる。
――声にすれば、それが鎮魂歌。

鎮魂は、生者のためだけのもの、かもしれない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


愚壮の生死は、現実の私に何の影響も与えない。

例えば、一昨年の10月27日、私にその日の記憶はない。
何をしていたか思い返しても、まったく思い出せない。

しかし、彼が綴った文章の数々は、
私に強烈な印象を与え、多くの難問を突きつけて来る。

現世での生死と無関係に、それらは、
惰弱な精神を責めたてて、生きる難しさを思い知らせる。

行間に、人々の日常の声の響き、
鋭く輝くまなざしが描き出され、次への欲望をかきたてる。

――魂の錬金術士。

愚壮の文章は、現実を如実に映し出し、
描かれた瞬間のことが、いつまでも過去のものとならない。

時を文字の羅列に封じ込め、
ページを開いた途端、眼前に蘇らせる。

魔術を、愚壮は使っている。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


教主大覚世尊・巧智無辺の番匠として
四味八教の材木を取り集め・
正直捨権とけづりなして邪正一如ときり合せ・
醍醐一実のくぎ(釘)を丁(ちょう)と・うつて
生死の大海へ・をしうかべ・中道一実のほばしら(帆柱)に
界如三千の帆をあげて・諸法実相のおひて(追風)をえて・
以信得入の一切衆生を取りのせて・
釈迦如来はかぢ(楫)を取り・
多宝如来はつなで(綱手)を取り給へば・
上行等の四菩薩は函蓋相応して・
きりきりとこ(漕)ぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、
是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり、能く能く信じさせ給へ
            (椎地四郎殿御書、御書全集1448〜1449頁)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


蓮祖大聖は、大海のほとりに生まれた。
長じて、人足(にんそく)の大番匠。大船を建造し、
自ら船上の人、水手(かこ)の大棟梁として船出する。

帆柱に旗や帆をなびかせ、錨をあげて、綱手をとって返す。
見はるかす生死の大海へ向け、航路がとられた。
水手の力の見せどころ。沖に出るまで誰もが気を抜けない。

風にのり、潮にのり、航海はひたすら遠洋に続く。
嵐のときも、日照のときも、
交替で休みながら、水手たちは、いつも漕ぎつづける。

愚壮は、もとは道普請、下働きの小僧。
はるか海の向こうの世界にひかれ、大棟梁の一声で馳せ参じた。
その日から、絶海の炎天に塩をなめる、水手のひとり。

天空が未来なら、板一枚下の海は過去。
そして、彼には、この船上が現在。
今生人界は、仲間と苦楽を分かつ、この船の上だけ。

今、海の果てに、むなしい思いやあこがれはない。
もともと天涯孤独。実の親と仰ぐ大棟梁からさずかったお役目、
それを果たすのが、漕ぎ手の名手、彼の自信、満足なのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり
               (総勘文抄、全集563頁)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ここに愚壮の、むねのうちが記されている。
想念の結集、平がなで綴った彼自身の八万四千。
肉体は朽ちても、なお霧消しない魂の歌が綴られている。

装丁済みの、店頭販売でない。
ゆえに、私はこれを「愚壮文選」と呼ぶ。完結にもまだ早い。

綴ったものは、擦りきれたドンゴロス(麻袋)にしのばせ、
私には、選りすぐったものしか、読ませない。
――意地の悪い、ふところのちょっと狭い爺さんだ。

が、若い衆や孫の話しでは、たちまち、こわれた鬼瓦。
嵐をのり切った自慢話しを、百面相で語ってくれる。
彼を、水手たちがいつまでも慕いつづけるのも、人情だ。

今日もまた店開き。が、講釈師、見て来たような、ではない。
見て来たものを、彼は、そのままに語る。
愚壮の話しには、人の「真実の力」が光っている。

(2010年11月11日題。2012年5月3日改。マグマグ)

[465] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月15日 (火) 05時35分

昭和期に入って『創価学会』という(正確には「創価教育学会」)「日蓮仏法」の信徒団体が弾圧された。
国家を挙げて『神道絶対』を突き進む世相を構築する為に設けた『不敬罪』の根幹に抵触したのだ。

又。昭和期以前の「法華講」に対する厳しい『法難』に(これは昨日に)触れたのは、信徒には『法難』が実在した事実だ。
『日興上人』滅後、急速に落ちぶれていく「宗門」の重大なる過失・またはその要素に、『俗の王』に庇護を求めた事実がある。
この時代(群雄割拠)の『賢王』の栄枯盛衰は儚く、極端にいえば…「昨日の覇」王は今日の絶滅を呈している。
「宗門」のこの時代も、幸か不幸か(一例をあげれば)「北山・西山」くんだりで、『我田引水』にうつつを垂れている。

『宗祖・日蓮大聖人』の「国家観」を透徹された、『末法・御本仏』を知ろうともしない「宗門の実像」がここにある。
ゆえに『第59世:堀日亨上人猊下』がその『序』で 【 爾来五百年、斯業に精進するの名師出(い)でず…】と嘆いておる。

『日蓮大聖人』の仏法の根幹は「法華折伏・破権門理」である。
これは、世の中がどう変わろうとも『不変』の大原則でなければならない。但し『正史』を脚色してはならない。
(この部分に直結する議論⇒『謗法厳戒』実在の揺らぎは、別項〔§2〕に語るとして)

例えば…『熱原法難』と後世に意義付けた「大法難」が、実際には狭隘なる『一農村』で起ったが。
この事件が、『日蓮大聖人』をして『一閻浮堤総与の大御本尊・御図顕』の「出世本懐」とされた。
この根幹には、一般の農夫が「不惜身命・死身弘法」のため『贖命』した事実を愛でられた伏線があるのだ。

ところで…『熱原の三烈士・神四郎・弥五郎・弥六郎』が斬首されたのは一体 何月何日だろうか。  これは『御書』の中でも確定は無い。
然し、処刑執行日・あるいは判決を予想されるべき『御書』は現存するのである。それが⇒『聖人等御返事 1455p 』である。

★【 今月十五日(夕刻に投函した)御文 同じき(同月)十七日(夕刻に)到来す、
彼等(神四郎・弥五郎・弥六郎)御勘気を蒙る(斬首か?又は判決の瞬間か)の時・
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると云云、 偏(ひとえ)に只事に非(あら)ず…】  十月十七日 戌時

本文から、当時の事件の推移(文意が明瞭であるので通解は不要)を見てみると…
※ 鎌倉の平左衛門尉頼綱邸で熱原の農民三人に斬首(あるいは斬首の判決)が決定された旨の報告が、
(熱原地区の)日興に届いた。これが十五日の昼前後であろう。

◎即刻斬首されたとすれば、その時刻は何時か
(遅くても十五日の早朝…早くても十四日の夕刻であるが。処刑の執行に早朝は馴染まない)

斬首の日付に関して『日興上人・身延離山史(日亨上人著)』では、全く違う時期を顕されている。
従って、上記◎は確定ではない。 為念。
(この『斬首の日』については富士日興上人詳伝(上)聖教文庫版 140P〜144Pを熟読されたく熱望する)

※以下は富士日興上人詳伝(上)聖教文庫版144Pの証文を抜粋して記述しておく。

下記の(一族誅殺)とは、『平左衛門尉頼綱一族の絶滅を言う』
本文 【 …(一族誅殺の時が)「十四年を経て」といわれしを、年歴をたどれば(逆算する事を指す)弘安三年に当り、
これが祈念曼荼羅書写の日は、かならず当時の命日とみるべきであれば、二十人の御勘気すなわち処分(裁判)の年月日は、
弘安2年10月15日が一同 ひとまず禁獄すなわち入牢で、神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、
弘安3年4月8日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する。 】 『富士日興上人詳伝(下)聖教文庫 抜粋』

(この記述の本意は、『熱原の法難で殉教した中に、女人の存在があった』という虚偽を破す為にある事を了解されたい)
※『祈念曼荼羅』⇒ 徳治三戊申(つちのえ・さる)年(1308年)卯(四)月八日 日興上人御書写の御本尊の事(同 140P 8〜12行目参照) 

『祈念曼荼羅』の脇書 ↓  
【 駿河の国 富士下方熱原郷の住人 神四郎 法華衆と号し 平の左衛門尉の為に頸を切らるる三人の内なり 云云】

(前日の誤字への訂正 ⇒ 津々浦々が正解)

[466] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月15日 (火) 09時26分

※(一例をあげれば)「北山・西山」くんだりで…      参考の為に「宗門」の憐れむべき実態を書く。

江戸時代(1600年〜1867年・267年間)といえば、『徳川家康』(1542〜1616)
彼(家康)の『日蓮仏法』に対する姿勢は、どうであったか。興味深い事であるので記述しておく。 (1585年頃の古文)
宗派の存続を賭して※「重須(北山本門寺(身延派))」と「西山(西山本門寺・昭和32年日蓮正宗に帰一)」が「法論」をした。
その座に居たのが『邪教(念仏者)の高僧』2名を従えた『徳川家康』であった。

核論に欠き、「我田引水」に終始する法論に対して、業を煮やした『徳川家康』の言葉は辛辣である。【 】内は本文。
【…家康の云はく 御僧達は如何様(いかよう)義有って踞(うずくま)れ候やと御尋(おたずね)成(な)され候へども、
両住持(りょうじゅうじ・二人の僧侶)共に相互に辞退有って 兎角(兎の角の有無を追求する等、採るに足らぬ事柄ばかりで静聴価値)之無し、
又 家康の云はく 『世間と仏法とは 同か異か』と云へり (この質問は「日蓮仏法」の根幹中の根幹で『諸法実相』そのものである)
御傍に他宗の長老二人有って云はく『同(同じである)』と云云 】 (根幹を邪教の僧侶に先んじられる処が漫然・惰性の所以で、情けない)

そのような為体(ていたらく)の「日蓮宗の僧侶達」に、家康は釘を刺す。(後年 江戸幕府による過酷な迫害(折伏の牙を抜く事)の原点となろう)
【 (武田勝頼(1546〜1582)滅亡以来、煮え切らない「宗門」の姿勢を見て)さては(既に)二十年過ぎ候、
公時(政権に伴う総ての行事)は入るべからず候 】

何の事は無い、宗門はここで次期の為政者(江戸時代 初代将軍徳川家康・在位1603〜1605)に見限られたのである。
そこで、機先を制せられた『西山・日春』は、更なる「ヨタ」を垂れて『師匠・日蓮大聖人』に泥を塗る(情け無くて書くのも躊躇(ためら)う)

【 其時「西山日春」の云はく 釈迦の説教は二千五百余年に 罷(まか・終る事)り成り候 (諸法実相を釈迦仏法の説法と言い及んでいる) 
夫々(それぞれ)沙汰(さた・事情が有る事)至つて以(もっ)て 仏法と云ふ時は『異』なり(諸法は必ずしも実相では無い⇔とんでもない大ヨタ) 】


※此の「西山日春」の言う『世間と仏法とは異』という僻見には、驚きを通り越して「噴飯」である。
【 仏法は体のごとし 世間はかげのごとし 体曲がれば影なな(斜)めなり 】 『諸経と法華経と難易の事 992P』を拝読していないのだ。

これを聞いた『徳川家康』は、すかさず言い放つ。(以下 概意)
「聞くところに拠り日蓮仏法は一切衆生に功徳を与える為に立宗したと(私は)思っているが、
今。貴殿が言うところの「へこ難かしい宗教」であるとは、何と珍しい法門だ。 話は終わりとしよう。
それは、私(家康)は至つて無智で戒律など守らないので、貴殿の言う「釈迦仏法の事情(沙汰)」など、
まったく興味が無い。 その上「日蓮宗」は「今川義元」の庇護が多大であったと聞き及んでいる。
そんな過去の栄光を『徳川家康』に押し付ける事は、
私(家康)の確信で三百年間護持してきた当家伝来の家宝を否定する事で聞きたくない。」

以上が『関が原』の15年程以前の実話である。  この会話の中に『法華折伏・破権門理』の果敢な誓願など、一片も見えない。
【 富士宗学要集 第九巻 史料類聚〔2〕 24P    第二十二 久遠寺の古状の項 抜粋 】

[467] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月15日 (火) 20時00分

『第59世:堀日亨上人猊下』を中心に『風景』を書き進んできたが、ここで『第26世:日寛上人』の言及したい。
「寛師」をして一般に、皆。『中興の祖』と言う。

ここで「借問」を読者諸兄にするが…『中興の祖』の意味を端的に答えてほしい。
そう。 その通りである。   深く言えば 『中興』とは、それ以前が「正規ではなかった」事である。
何度も何度も言うが…。  『日蓮仏法』は『日興上人(開山上人)』で一旦 終ったのである。 (過言ではなかろう)

こう言うと、待て待て!『日目上人』はどうなるんだ。と「メクジラ」をたてると思う。
では聞く。  何故『日目上人』御遷化の元号が「宗門」と「学会」で異なるのかね? (年代は、1333年で 当然同じだが)
(この問題は、別の時点で語るとして… 話題を前に進める。)

ある人は『日寛上人』を、すこぶる悪く言い。ある人は『日寛上人』を持ち上げる。
このような事を平気でやるから…『宗門』全体が低く見られておる。  まったく話にならない。

ま。閑話休題(ソレハサテオキ)。 本題に入りたい。

第26世:日寛上人(1665-1726 61歳入寂):『日蓮大聖人』御入滅383年後に御出現され444年後に寂となる。
享年は61歳で『蓮祖大聖人』と全く同じである。
上記383年間に不相伝家の学匠(大石寺貫主:法主)が13名出現し、本尊雑乱と邪義を構えた。
第26世:日寛上人は前記の邪義が出尽くした後に出現された。
その後直ちに、それまでの『邪義』を全てに亘って破折された尽したので『第26世:日寛上人』のことを『中興の祖』というのである。
学ぶべき著書『六巻抄』とは
@三重秘伝抄 A文底秘沈抄 B依義判文抄 C末法相応抄 D当流行事抄 E当家三衣抄である。

この「六巻抄」では、完璧に正邪を捉えられておる。 圧巻は以下である。
「三重秘伝抄」から「末法相応抄」までの咀嚼は日蓮仏法教学の根幹である。 
その中で『創価学会版・依義判文抄講義』に対する池田先生の『序』と、同じく『創価学会版・六巻抄講義』の解説文を抜粋する。

ここで『池田先生』が御記述された 『日寛上人』著である『六巻抄』の序を拝する。(下記二段は再掲)
『序文』の持つ意義を学ぶと…  『序文』ほど、重要且つ、格調高い品格を持つ『文言』は無い。
『序・序文』⇒書物・詩文などの成立の事情や意図を述べる巻頭の文  (三省堂大辞林1162p)

『創価学会版・依義判文抄講義書   序文 』   著・池田大作創価学会第三代会長
【 日寛上人の六巻抄は、日蓮大聖人の正法正義を、化儀の広宣流布の未来に流れ通わしめんがため
全魂をこめて著された破邪顕正の書である。   彼の天台、伝教が釈尊の正統を顕揚したのに幾千倍勝る大偉業であると共に、
未来永劫にわたる源遠長流の教学の大基盤であると信ずる。(中略)戸田前会長も、常々『教学は日寛上人の時代に帰れ』と申されていた。

事実、学会教学の不滅の伝統は、日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない。(中略)
六巻抄は いわば仏法哲学の精髄である。これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、責任であることを訴えたい。
(中略)   もはや、一宗門の六巻抄にあらずして、万人の六巻抄となりつつあることを銘記されたい。  (後略) 】
                                      昭和四十四年三月十六日   創価学会会長    池田大作
※ 実は、上記の年代(昭和四十四年)に御注目願いたい。 この年代は生きているのだ。(参考:2012年5月15日 聖教新聞・沖縄の項)

『創価学会版・六巻抄講義』の解説文(全文)    著・創価学会教学部
この六巻抄の全文 および三重秘伝抄の註解は、「日蓮正宗第五十九世法主堀日亨上人猊下」が訳解され、
また註解を付されたものを、ここに再版させていただいたものである。     創価学会教学部
上記の解説文は『創価学会教学部』が、『第59世:堀日亨上人猊下』の御註解に対して、全面的に依処している証左である。

付録⇒『日蓮大聖人』と『日寛上人』の「符合点」  (これは、教学全般のどの分野にも入らないが… まあ。付録である)
中興の祖『第26世:日寛上人』の御生誕は1665年で、その御遷化は1726年  享年61歳である。
江戸時代(1600〜1867)の中間点は享保18年(1733年)で、「日寛上人」は、まさに江戸時代中期の法嗣であられた。
『享保(きょうほう)時代』とは、1716年6月22日から1736年4月28日までの20年間を指し、将軍は『第八代:徳川吉宗』であった。
常々「戸田先生」が叫ばれた事は『教学は日寛上人の時代に帰れ!』であった。これは「宗門」に於ける『本物の法嗣』が出現されたからである。
原点である「鎌倉時代」は130年間(1203〜1333)続いたが、その中間点は弘長5年(1268年)であり、最初の蒙古牒状が届いた時であった。
弘長5年(1268年)といえば、この3年後に『竜の口法難』が起る(出世本懐)時期であり、この時の鎌倉幕府の執権も亦『第八代:北条時宗』であった。

※ 気が付かれたかな? 『日蓮大聖人』と『日寛上人』の御在世時代の『王』は、ともに「第八代」という事を…。
以下 次稿。

[468] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月16日 (水) 00時07分

>本日は『5・3』  昭和26年の『5・3』から『61年目』じゃ。

>「61」といえば…『第59世:堀日亨上人猊下』が御生誕されて『61年後』に
>『池田先生』が出現された。
>『61』には その他にも深い意義があるようじゃが。

『61』愚壮さまが帰還の日を選ばれた意味が 
やっと判りかけて来たような・・・気が致します(遅)

[469] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月16日 (水) 04時58分

『日蓮仏法』の持つ意義(正統中の正統という事実)を、こうも(継ぐべき人間が)長年 放置していたか…気が腐る。
又。読まれる人も、長文の連続で、嫌になろう。   そこで、ここで…『新編・御書全集』に於ける『序』の現代語訳を記述する。
「長文」の連続で煩わせたが、一旦 打ち切って。2009年限定の「N市」初冬の『風景』をつづけていく。

『第59世:堀日亨上人猊下』 御書『序文』(現代語訳)  訳者・愚壮文責

日蓮大聖人の立宗宣言から、七百年を記念する報恩事業として 昨年(昭和26年)の6月に創価学会で御書全集刊行の壮挙が決定され、
其の編纂を 私に是非とも引き受けてくれとの事であった。

其れは当時の私が、日興上人門下の長老でもあり、宗史を学び尽した研究者であるからであると思うが、兎も角、年齢は86歳で、
出家して66年であり、仏道に入って以来、仏法の法理と正邪、及び古文の解読を学び続けている事を見て、
私を学者の様に思っているのであろう。

本当は素質が暗く愚かで、どうにもならない。やっと他人の真似事ぐらいでは、とても御書編纂のような難解な事が出来る才能など無い。と、
そのような理由を付けて丁寧にお断りし他の学僧に委ねるのが最良策であるのに無謀にも歓喜・快諾したのは、※吾ながら不覚であったが、
実は、この事(快諾した理由)には、御書編纂の事業を受けるべきの事情があった。                  
(その快諾した理由・事情を述べると…以下である)
御開山日興上人が、御書の五大部と十大部の御決定をされ、(興尊が決定されたのが75歳前後の最熟達期であろうならば1320年頃)
@本尊問答抄 A唱法華題目抄 B立正安国論 C開目抄 D観心本尊抄 
E法華取要抄 F撰時抄 G報恩抄 H四信五品抄 I下山御消息

又、その他の長編の御聖訓が家宝として厳伝されているが、それぞれの門下の縁故関係に限定された家伝や写本されて伝えられたもので、
必ずしも日蓮大聖人の全編の御正筆では無い。

日興上人が、御書の散逸や遺棄・漉返し(すきかえし)を強く御警告されてから、※約500年。  (概略 1333年〜1833年の500年間の事) 
御正筆の編纂に没頭する学僧が宗門の中で出現しなかったが、(筆者所感・500年間「御書」補完の正師が出現しなかった事に驚愕する) 

ようやく江戸時代後期(1840年前後)になって、千葉の細草談(檀)林(ほそくさ だんりん・日蓮派の学僧養成塾)の塾長で  
又 日蓮正宗総本山:富士大石寺(宗門)の学頭でもあった   
『久遠院 日騰上人』という学僧が始めて、改めて新しく収集すべき御正筆の目録だけを作り、
散逸された御正筆・御書の編纂を試みたが、御書全編には至つていない。

その後、日蓮大聖人御書集・66巻を作製し、学僧学徒に督励して校正原稿の完成直近にまで漕ぎつけたが、
不孝にして印刷出版が出来なかったのみならず、
引き続いて継承して、校正や出版に臨む者さえも見つからず、この重要な原版が転々として、
関東大震災(1923年9月1日)で被災し、横浜で一切が灰燼に帰したのは、
護持すべき責任者の、日蓮大聖人の御聖訓に対する杜撰さや重要性の不認識さを、今更糾弾し、
強く咎めても追付かない、慙愧の事件(富士日興上人詳伝では『宗門の瑕瑾』とさえ断定されている)である。
(筆者所感⇒後年「日顕」如きの輩が跳梁する「宗門」自体の杜撰・漫然・惰性体質が見える)

妙道院『日霑上人』(第52世法主・細草談(檀)林 第89代塾長)は私の師匠である。 
その日霑上人が、先輩の「日騰」の御書目録に強度の修復・補完をして、
日蓮大聖人御正筆集44巻 同じく続編12巻を集成した。 

その後 この御書集は、久留米の霑妙寺(日亨上人得度の寺院 1887年7月 21歳)に蔵(おさ)めてあったが 
いつしか再び散逸し落丁しつつあったのを 復元と修補と充実を(師:日霑に)命ぜられ、
完成の御書として、今は私の雪山文庫(伊豆畑毛・雪山荘)に在るのである。

私は元来、諸事に暗く性格も愚昧なので、とても現代の寺院に篭(こも)った生活では満足できないので、
大正4年から 性に合わない僧侶の生活を願い下げして、
総本山大石寺の隅(現在の雪山坊)を拠点として、学究生活(東大史料編纂所・全国寺院踏査・古文書研究)に入っていた。   

そのような大正8年か9年の頃に、東京の法華講の『妙道居士:田井惣太郎氏』が発願し、  
時の学頭『慈鑑院:日柱上人(第58世法主)』を通して 再び御書編纂の企画があったのである。
日柱上人(後の第58世法主)は、其の御書編纂作業の責任者に、私を指名されたが、御書編纂という難事には肌が合わず固辞した。

この同じ頃に、東京の法華講『素啓居士:三谷六郎氏』が、大石寺塔中に住まいする『慈豊房:日明』と二人で来訪されて、
御書編纂作業の責任者を(再再度)丁寧に要請されたが、
情に絆(ほだ)されて、此(こ)の事を安易に承諾するという 向こう見ずの考え(蛮勇)は、起らなかった。

が、然し。自身が今まで研究して蒐集した全資料は、御書編纂の為に提供する事を「吝かでない」と承知したから、 
『慈豊房:日明』は夜の目も寝ずに研鑚に励まれた。         私も最大に持てる資料を提出していたが、  
法華講の『三谷六郎氏』は思いあきらめず(慈豊房の御書編纂作業とは別に)何度も丁寧な要請を私に続けられた。

『慈豊房:日明』がその後、赴任先の新潟県より東京に転勤し、昭和4年に『御書新集』発行の事を聞いて 私は当初、
大いに驚き 大いに喜んだ。 その訳は(昭和4年までの)数年の間、御書編纂の重要事の顛末・経緯を耳にしなかったのとあわせて、
(慈豊房:日明が)此の困難な事を成し遂げた事への歓喜であった。            早速取り寄せて見ると 
其の編纂され完成された御書の内容が、私が予め期待した事と、大いに隔っている事に驚き、愕然としたのである。


思えば、 私がいかに非力であったとしても、要請の当初から参画して居たら、こんな事にはならなかったと、
今更※悔やんでも悔やみ切れない思いで、後悔の何年かを忸怩(じくじ)と思い続けていたところに、
考えもしていなかった 創価学会会長『戸田城聖氏』の御書編纂への篤い信心の要請に遭遇するとは… 
※上記の御文章が、『御書』の編纂事業そのものが、如何に難事であるかを物語るのである。 

戸田城聖氏からの御書編纂の偉業を冒頭述べたように歓喜・快諾したのは
(このように、何度もの御書編纂の挫折を目撃した)遠因があったからであり…更に言い重ねれば、
日頃常々思っていたが、私が老体でこの偉業を開始すれば、必ずその補佐を買って出る義侠の学僧が存在する筈と思ったからである。

そんな時、幸便に上京し、ある会合の折に参加を懇請してみたが 
(掛け合ったどの僧も)何れも多忙の自寺院生活を言いながら、
暗に…この『創価学会版:新編 御書全集』の編纂事業に拘束されるのを厭い、
不孝にして一人の学僧僧侶も編纂助力の手を挙げず、(のみならず)
難事中の難事である編纂事業そのものが、若しも途中で憂慮すべき事態の発生の時、
それを支える宗門内の人材すら突嗟(とっさ)に見当たらず、
しかも、この時点で残された時間(昭和26年末まで)は、微かに6ヶ月で全国の学者に助力要請の日も無く、
御書編纂の望みは絶たれてしまった。

事ここに至つては只々、御本仏と諸天善神の冥益と助力を仰ぎ 極、少数の学僧所化に 御聖訓の転写を助けさせて、
その年の歳末に総てが完稿した事実には、全くの御本仏・御本尊の大功徳に依るものと、感極まって涙が止まらない。

殊に特筆は、創価学会の教学部の爽々たる青年達が、大挙して校正の任に就き、
世間日常の勤務を割愛して、幾日間も伊豆や静岡と東京を往復せられた事。
亦。御書付録に、略伝年表まで作成された事は、 望みもしない思いがけない素晴らしい事で、未来の教学の為にも幸運であった。

私の本音・本意は、
今回の御書編纂の内容に、漏れや粗いところがないか、御本仏の御意志や御理念に合うか否か、
恐れ多く懼(かしこ)まる心境であるが。             それでも敢て私は強く断言をする。 
それは(この御書全集の内容に万が一瑕瑾が有っても)老身の混乱を、その間違いの理由にして、
責任全体から逃げたりする事はない。 【日亨上人の究極の確信部分である】
昭和27年(1952年)4月の初め 伊豆畑毛の雪山荘にて 『日亨老僧』が書き残す

[470] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月16日 (水) 06時07分

「K市」から「N市」への変遷は、尋常な設定ではない。とは、ワシの周りがワシに向かって言う科白であった。
その「尋常の無さ」は、「屋移り」の際に持参できた「書籍」の数の激減が、よく物語っておる。
殆んど一切を、止む無く処分したが。 肌身を離さず連れて行った書物も、又。あった。

そんな中。本冊子の存在は、実に不思議である。  先ず、入手の経緯に行き当たらない。つまり、記憶が無い。
覚えておる部分も、勿論ある。 それが下記である。
『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』は、青娥書房の刊行で 著者は『戸田先生』の実の甥「中村薫氏」と記憶する。

この「冊子」の『序』(巻頭)は、『池田大作創価学会第三代会長』とある。 …とする事は、かなり意義深いのか。と思った。
圧巻は、『戸田先生』御自身の七度の「改名」等であろう…。
決して、興味本位で拝読してはいけないのだ。と、直感しておるのだ。

[471] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月16日 (水) 11時03分

この『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』。 これは。非常に重厚な書籍である。
先ず。弟子『池田先生』の巻頭を紹介するが、その前に。 本書は『創価学会の出版物』ではない事を言っておく。
近しい親戚とは⇒『戸田城聖第二代創価学会会長』の実甥「中村薫氏」である。 又。総発行部数は非常に小数である。

☆  『戸田城聖先生のこと』 恩師 戸田城聖先生の十三回忌にあたり、御自宅に秘蔵されていた手記・書簡等を、近しい親戚の方々が、
記念出版しようとの企画から、この度、『若き日の日記・獄中記』として、刊行される運びになったことは、誠に喜びに堪えない。
戸田先生に、初めてお会いしたのは、昭和二十二年八月であり、先生が47,8歳、私が十九歳の時であった。

それは私の生涯における決定的な瞬間であった。
(中略)不肖の弟子である私が、今日まで辿りえたのも、常に恩師が見守って下さっていたからであると信じている。
いかなる逆境にも、毅然として揺るがぬ姿勢、天衣無縫ともいうべき豪放磊落さ、
それでいて、鋭い英知の輝きと、細やかな心づかいを忘れぬ美しい情け深さ、
その人柄を語るには、言葉が尽きず、ただ感慨が胸にこみあげてくるばかりである。(後略)    

ここに、実物の書籍の中の『日記部分』がある。 それが1919年3月18日 (戸田先生 19歳)の記述である。 下記↓
☆ 地の利にある。(中略) よろしく座を『阪神』とすべし。阪神の地これ商工の中心…
上記1919年とは、大正7年である。  この頃に、若き戸田先生は『関西・阪神』の重要性に言及されていたのである。
☆ 中央、中央、我が事業を起こす前に見るべきの地は『大阪』か『神戸』ではあるまいか。これが同年の4月。

上記二本の「日記」は、92年という期間を置いて、非常に重たい意味の記述となる。 鋭い御人は既に正解を見つけておろう。

その他にも、肉迫すべき御記述に 何度も突き当る故。抜粋してみる事に吝かではない。

例えば、1920年(大正9年)4月24日の記述には、こうある。
☆ 戸田は万事を捨てた 東京で祈る。(夕張・真谷地を去り、帝都へ赴く日・戸田『生涯の師』邂逅の時 目前)
『戸田城聖』が生涯の師匠『『牧口常三郎創価学会初代会長』に邂逅する直前の記述が、上記である。…というよりも。
『厚田村』の両親に永訣の心情を吐露された。あの有名な『抒情の風景』の時期である。

いわば『在在諸仏土常与師倶生』を、目の当りにされる『戸田城聖の発迹顕本』の時である。
扨(さて)。 『日蓮大聖人』が一閻浮堤総与の大御本尊を顕されたのが聖寿五十八才であった。(弘安二年十月十二日 1279年)
第二代創価学会会長『戸田城聖』の生誕は明治三十三年。 その逝去は昭和三十三年である。 五十八才の人生であった。
上記☆印、戸田の『在在諸仏土常与師倶生』の発端の日付は1920年4月24日である。この日から五十八年後の1978年4月24日。
第三代『池田大作創価学会会長』が御勇退となる。  しこうして…『五十八年』の妙用符合を漫然偶然と看過されるや 之如何。

まだまだ、『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』には、御紹介すべき部分があるぞ。

[473] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月17日 (木) 04時47分

『忘れ得ぬ風景』の原風景とは『厚田』である。

『戸田少年』が父の仕事の関係で『厚田』へ移ったのは、2歳頃か…
ともあれ、産まれたのが『大聖寺』という北陸であるのも、事実である。  

それよりも…『愚壮』が迫りたいのは、1919年当時の『厚田村』での実風景だ。

後世…弟子の魂が師匠に迫る『厚田村』の不滅の讃嘆詩がある。
『厚田村』とは…池田先生が『師匠:戸田城聖』を偲んで詠んだ珠玉の「名曲」であるが、
その第三節に以下の銘文がある。

【 少年動かず月明り  伝記と歴史の書をよみて  
紅顔可憐に涙あり  正義の心の鼓動樂 】  

この一節に、歴史と伝統と継承の根幹が息づいているのである。 
戸田少年の鼓動熱請の描写の中に『弟子:池田大作』の『心』があるのだ。

『歴史』とは『正史』でなくてはならない。      

[474] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月17日 (木) 05時01分

『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』の中で下記の記述があるので抜粋する。
(愚壮如きの、いい加減な記憶での概略は、この際。よくない。…と、原本を引っ張り出す)


※ 戸田城聖は、明治33年2月11日に生まれ、戸籍名は戸田甚一(じんいち)である。
三歳のとき、一家は石川県江沼郡大聖寺町(現在加賀市)から、北海道厚田郡厚田村に移り住んだ。
父は漁業を持つかたわら、回漕業もやっていた。厚田村は戸田が少年時代を過ごした故郷である。

…とある。(本文のママ)

[475] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月17日 (木) 05時22分

『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』は、ごく一般的に出版された書籍である。
当然、そこには (今で言う)『創価学会&宗門』との対立・抗争云云には無関係である。
そんな中での、記述を抜粋する。

(記述内容の所感は、愚壮自身の読後感である。)
…創価学会総会に毎回出席されていた『第65世法主 堀米日淳猊下』と
『戸田第二代会長』との関りは以外に深い。

例えば…時代をさかのぼる昭和十九年九月。
『戸田城聖』の獄中からの書簡には、以下の記述(若き日の手記・獄中記・146P)が残っている。  

【 (本文はカタカナ表記) 去年、堀米先生を謗(そし)った罰をつくづく懺悔しておると話して下さい。
「法の師を謗りし罪を懺悔しつつ、永劫の過去を現身に見る」と(戸田自身が獄中で)言っておりますと。】

上記は、『宗門のトップ』と『在家信徒のトップ』との間にも『厳格な法理』を超える人間性が見えて、
妙に安心するのは筆者ばかりではなかろう。

扨(さて)。この文証の中で、非常に重大なる部分がある。
それが⇒戸田先生の文言の【法の師を謗りし罪】である。

池田先生の師匠『戸田城聖第二代創価学会会長』が、「
第65世法主 堀米日淳猊下」を『法の師』と断言されているのである。


『法の師』とは、最大限の尊崇・仰敬の詞(ことば)だ。
かって「戸田先生」は、寸鉄に於て「御僧侶と坊主」に言及された事があった。
「剃髪」し「法衣」さえ着ていれば、全部『僧侶』ではない。

而(しこう)して『戸田城聖第二代創価学会会長』は、
決して『味噌糞・十羽一絡げの暴論』等、されていないのだ。

又。『宗門』といえどもその組織構造は『十界互具』の範疇である。 
厳然と「善悪」が存在するのである。
これは「創価学会」の組織とて例外ではない。


その証左が「矢島・竜・竹下・原島・山友・福島・矢野・大橋・藤原・信平 等々」の存在である。   
皆、厳然たる学会員(鬼籍の人も現存する)だ。


『宗門⇔総て悪』という論法は、
「堀米日淳猊下」を指して『法の師』と言われた『戸田先生』を否定する事なのだ。

更に、『戸田先生の否定』は、その弟子である『池田名誉会長』の否定に直結する。  仏法の裾野の広大無辺を舐めてはいかん。

最も、忌み恐れる事は『御書』そのものをも、否定する事の直結する。
何故かならば…。『御書』とは 『第59世:堀日亨上人猊下』の御存在あっての『御書』であるからだ。


因みに余談だが…
『日蓮正宗(にちれんせいしゅう)』を、日蓮正宗⇔(にちれんしょうしゅう)と呼称するのは『堀米日淳猊下』の時代からである。

[476] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月18日 (金) 05時01分

@  土を破って地上に出でんとする種子の如し。 1917年(大正6年)8月17日 戸田先生・17歳
A  われ 地より湧き出でんとするか  1947年(昭和22年)8月14日 池田先生・19歳
上記 @は、『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』からの抜粋である。
下記 Aは、『池田青年』が初めて参加した座談会で詠じた「即興詩歌」の締め括りである。

この『地より出る』 乃至は『涌き出でる』とは『日蓮仏法』の根幹中の根幹である。
これを、まったく『日蓮仏法』に縁していない当時の二人が言うのである。ここを『仏勅』だ。と愚壮はいうのだ。

【 其の上に 地涌千界の大菩薩・大地より出来せり 釈尊に第一の御弟子と をぼしき普賢文殊等にも・にるべくもなし、(中略)
十六の大菩薩なんども 此(こ)の菩薩[地涌の菩薩の事]に対当すれば[猿の群れの中に帝釈天が居たり (中略)
高貴な人の中に 庶民が群れているようなもので、『地湧(涌)の菩薩』そのものの気位が違う ] 】 と、
(いささか愚壮のいう通解の品位が低いが…地湧(涌)の菩薩が如何(いかに)凄いか、を御記述だ。)ここまで『開目抄下 211P』

【 此(こ)の釈に 闘諍の時 と云云、 今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、
此(こ)の時 地涌千界出現して 本門の釈尊を脇士と為す一閻浮堤第一の本尊 此(こ)の国に立つ可(べ)し
月支震旦に未だ此(こ)の本尊 有(ましま)さず、(中略)

此(こ)の菩薩(地涌の菩薩)仏勅を蒙りて近く 大地の下(もと)に在り 
正像に未だ出現せず 末法にも又 出(い)で来り給わずば 代妄語の大士なり、(中略)

正像に無き 大地震・大彗星等出来(しゅったい)す、 (中略)
此等は 金翅鳥(こんじちょう)・修羅・竜神等の動変に非(あら)ず
偏(ひとえ)に四大菩薩を出現せしも可(べ)き先兆なるか、

天台云く  「雨の猛(たけ)きを見て竜の大なるを知り 
花の盛(さかん)なるを見て池の深きことを知る」等云云、
妙楽云く  「智人は起を知り 蛇は自ら蛇を識(し)る」等云云、
天晴れぬれば 地 明らかなり 法華を識(し)る者は 世法を得可(べ)きか。 】
以上の十二行は 『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』 254P の最も有名な御聖訓である。

その他 下記等の『御書』にも、詳しい意義・解説等が御記述されておるので、武装の一端とされたい。
『御義口伝上 751P』 『法華行者(値)逢難事 965P』 『右衛門太夫殿御返事 1102P』 『諸法実相抄 1360P』

尚。 己の生命に脈々たる『地湧(涌)の菩薩』の使命が存在する事を、キッパリと覚悟する振舞の御示唆がある。
それが⇒【 各各我が弟子たらん者は 深く此(こ)の由(よし)を存ぜよ…
設(たと・万が一にも)い 身命に及ぶとも 退転すること莫(なか)れ。 】  『法華行者(値)逢難事  965P』

[477] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月18日 (金) 05時11分

つまり『地湧(涌)の眷属』とは、命懸けの(御本仏との)契約なのだ。


では聞く。 何の為の契約か。

『法華経の敵人』を呵責する事である。
原点を思い起せば、『謗法を責める為の日蓮仏法』である。

決めて、それ以外の何者でもないのである。

[478] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月18日 (金) 09時16分

『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』からの抜粋は まだある。
が、しかし… 「N市」の事もそのままの放置となっておるので、
『若き日の戸田先生』の七度の御改名の事実で『手記・獄中記(仮称)』を閉める。

『若き日の戸田先生』の改名とは、
桜心、桜桃、晴通、雅晧(がこう)、博方、城外、城聖である。
御存知の通り 『城聖』が最後となった。

[481] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月18日 (金) 18時54分

この『忘れ得ぬ風景』の事であるが…
チクと言っておかねばいかんと、言わせて頂けば。
(読者諸兄の皆様は、すでにトックの昔に御存知であるが)この『風景』の総監督は『おにゆり殿』である。
そんな『風景』が、ノッピキナラヌ理由で中断した事実がある。
この時、訳の解らぬ「ボケ」共が、 あれ(『風景』中断)の理由が『料金不払い』とかどうとかと、言った。

こんな輩を、「ボケ」とは言わずに、「ホゲ」と称するのが本筋だそうなが、誠。「ホゲ」が多い事よ。
もう一度、「ホゲ(ボケ)共」に言っておく。 『風景』の中断は、それこそ深〜い意味があるのじゃ。

も少しすれば、本意が解る。 黙って観ておけ。…とは、これも「チク」と言い様が悪いのかね。

[482] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月18日 (金) 21時51分

『料金不払い』と言ったのは お一人様だけでした クスクス
周囲の方々は「謝った方が良いですよ」と諭されていたようです。
数行の訂正文を掲載されたようですが・・・
謝ってすむもんかい『ボケ!』と、私は今も思っております。

なぜなら数名の友人たちが「あのような記事を書かれて悔しいと」
私に、わざわざ書簡を送ってきて教えて下さったのですから・・・
大切な友人たちに無用の心配を、おかけしたことが申し訳なかった。
一度発信された情報は、訂正したから消えるってもんじゃないですしね^^

FBでチョイと吠えたら、友人たちがスッキリした〜〜と
喜んでましたがね。
どちらのブログ・掲示板にもHNを置かない創価家族の方々ですが
見るべきところは見て居ます。(厳しい人たちです)
「人気があるから良いサイトとは限らない」と、正眼の人々も居るのです。

たかがネット、されどネットでございます。
ちなみに私は現在、風景とFBしか開いておりません
それだけで ほぼネット界隈事情は、お腹一杯故に^^

まぁ『風景』は、どちらさんも黙って見ていてもらいませぅ♪
わずらわしいのは、御遠慮申し上げたい。

[483] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月19日 (土) 05時53分

「N市」での生活の実際の『約375日間』は何であったのか…。先ずこれを言おう。  

以前の町の在住期間や、ありとあらゆる「諸事情」がどのようなものであれ、受け入れ組織に温度差はない。 
『創価学会』の組織は津々浦々、いずこに在っても 変わる事などない。いや。『変わってはいけない』
特段。「受け入れ側」が、最も重点的に見ていたのが【新しく来た人が、最も馴染める組織の構築】であった。

事実。過去何人もの「同志」を、そのような【痒い所に、手が届く】配慮の下(もと)で、愚壮自身も行ってきた。
          ここに、一枚の『付箋』がある。  この『付箋』が『創価学会』の最大の武器であった。
「個人情報満載」の一枚の『付箋』を手に、新しく越されてきた「同志」宅に急行し、暖かく「激励」する。
『困っている事はないか』『要る物はないか』『最初に言っておく事はないか』と、実際上「身内」である。
当初に書いた。(その姿たるや…決めて「上から目線」でなく、遜(へりくだ)るでなく、慇懃でなく、放埓でない。)
とは、そのまま、そのとおりなのである。      これが私達の誇る 『創価家族』なのである。

古傷の痛みは完治したかのように疼かない。 新しい病巣も、薄幕を貼った如く、日々回復する。
やがて…閉ざされた「食欲」も徐々にではあるが戻ろうとしている。  

しかし… 積み重ねた『実績に対する自負心』や、『実績を認める周囲の作り笑い』に馴らされて来た自分は誤魔化せない。
『やあ!愚壮さん』とか『おう!愚壮さん』とかが消えてしまった中での『屹立・一人立ち』には、余分な労力が倍も要る。
それが、知らず知らずに「力み」となり 「余分な披瀝」に直結していくのである。

本来の『組織内の安堵感』が、『組織内での緊迫』に変わった。 つまり、逃げ場が無くなったのだ。
これが、目に見えずに、しかも確実に『愚壮』を包囲する時、『死魔』さえも顔を出す。  
『四面楚歌』とは実に巧みにその人を追い込んでくる。と思いだした時には 『御書』のゴの字も無い。  

いやはや… 体調も悪い。酒も不味い。  と、寒さがやけに堪える候となる。

[485] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月19日 (土) 09時59分

これは、本日の事となるが。
長女の『夫君』が御形木様を御受けする。(13:00 於・K会館)
これで文字通り、三人の子供達が事実上の『学会員』として独立する。

親としては、『御本尊』を持するの深理・真意を末永く探求して、正しい『日蓮門下』と成ってほしい。

[486] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月20日 (日) 07時35分

私が「N市」に逃避するとき、捨てずに(捨てられずに、が正しいか…)持っていったものがある。
先ず。 『師匠』のみを想う心である。     「のみ」に語弊が在る。とは『全くの遺憾である』
それは…『師匠を想う心』があってはじめて。本物の「同志」を恋焦がれ、思い詰め、同苦し、共に舞うのである。

ここにいう『本物の同志』とは、訳の解らぬ「役職」に拘泥し、自らは胡坐をかくのみで「率先垂範」の欠片(かけら)もなく。
自分より一段階でも上の「役職」には 『金魚の糞』よろしく列を為す。  こんな中に『本物の人』は絶対に居ない。

ましてや…たとえば「某会館」で、地元幹部をゾロゾロ従えて『大広間』に御悠然と御登場の『輩』にも『本物』は居ない。

『本物の人(弟子)』とは、人知れぬ寒風に凍える「同志」を擁き。 間断無き宿命に慄く「同志」と共に泣く事である。
『副導師』の勤行のスピードが遅い。と「文句」をいったり。 巷の「ヤング」の流行の語調を早速取り込んだりする等々。
こんな中に、本物などあるものかい。『…それが、たとえ副会長や、関西トップ幹部であっても』と、見抜いている。

ところで。私が「N市」に逃避するとき『師匠を想う心』以外に、捨てられずに持っていったものとは…。(思いつくママ・順不同)

『御本尊』『新編・御書全集』『編年体御書』『若き指導者は勝った』『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』その他は…。
『パソコン内の資料』位である。
書いても意味はないが 趣味に関する 全ての物は放棄した。  つまり『徒手空拳』 完全にゼロであった。

それでも酔った時など 『こんなはずではない』と愚癡がでる。
「老妻(老妻に追いやったのは、当の俺だが)」が、私の『御書』への執着を⇒【鬼気迫る】と揶揄したのもこの頃だ。

『世界中が学会員になっても、俺はやらない』筈の私が、今こうして入会して四十年の月日が流れ。
少々忙し過ぎる人生の中に「N市」にある。 これは、面白すぎて「話にも、洒落にもならん」と、仕方なく『御書』を繙く。

『稀有の師匠・池田先生』の片言隻句を総て網羅した。「凄い弟子」に遭遇したのも『ネット世界』ではあったが。

『御書』の御記述の総ての『御聖訓』を、『池田先生の全部の振舞に、納得する手法で直結させる』⇒これを実施した。
この『Excel』の一枚のシートは、『御書』を繙く。と題して 2,490KBという膨大な資料になった。
(この 2,490KB の一枚に『御書』5,004箇所(現在進行形)の  「通解」「読解」「意義」等々が、愚壮手法で残されておる)

蛇足ながら…それ以外の「学会関係」の フォルダは、多くの項目別に保管してある。

『鬼気迫る』と称された日々は、『冬枯れの季節』となる。
山が真近の「N市」で、俺は骨を埋めるのか…と。 時は移っていく。

[487] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月20日 (日) 08時16分

≫ この 2,490KB の一枚に『御書』5,004箇所(現在進行形)の  「通解」「読解」「意義」等々が残されておる。 】
上記の『全資料』は、これ又総て。『塩飽の后』に差し上げる。と、勝手に決めている。
閑話休題 。

「N市」での  いうところの『学会活動』は、誠 充実した・楽しくてワクワクする日々であった。
例えば…ちょうどうFMで「トイレの神様」がブレイクのズッと初期の頃であった。
愚壮ごとき「爺々ィ」が、女子部本部長あたりを捕まえて、『「トイレの神様」知ってるか』と聞いたりしたのもこの頃だ。
『学会の女子部が、心に沁みる「歌」は、しらねばならん』と言って、嫌われたのも この頃だ。

『N地区婦人部長』は、お若いのに随分と苦労多き人であった。(今は 支部婦人部長として 寧日なき日々である)
この『N地区婦人部長』には、特段の記憶がある。
(これは 書いてはいけない事かも知れんが、書かなければ真意が伝わらん…故に 書く。)
或る日。この人と私の間で『日顕』に関する話題となる。
この時、私は言う『日顕は、何故「宗門最高の法主」でありながら、「創価学会」を破門したのか、解るか』…

この愚問に彼女は即答した。(それが下記である… 彼女の一切ブレない達観・炯眼に感動したのである)
『私は、日顕そのものに怒りや哀れみを感じていません。一番憎むのは、日顕の心に取付いた【魔性】です』
簡単といえば簡単。当然といえば当然である。
しかし、彼女の言には「味噌糞・十羽一絡げの暴論」の片鱗さえもないのである。
つまり…『宗門と名の付くものは、総て「是れは悪」という※烙印が無い』のである。

このような『正論』の御方が「地区婦人部長」から「支部婦人部長」へとして闘っておられる。
それが「N市」であった。

[488] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月20日 (日) 09時30分

ここに『AM本部長』が居る。
私よりも若干に御若い「氏」の風貌は『丈夫(ますらお)』であられる。

『氏』との短い懇談で、大阪市内の人と解ったのが、「N市」に越してきての直後であった。
『筋金も歴史も御持ちである』とは、私の『AM本部長』観・である。
約一年間の「N市」生活で、誤解を恐れずに言えば…『AM本部長』ほど私の胸中に突き刺さった人は居ない。
『その為に、絶対に御発信せねばならぬ』と、その後、私は『若き指導者は勝った』の全項目の通解文を御送りした。

【 弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事 】『日興遺誡置文  1618P』  
上記「難解なる誤謬」は、当時『そう遠くない時空に、『日蓮仏法』の根幹は崩壊する』と、悲しき的中を恐れての御記述です。
これを今「引用」した真意は、私が『AM本部長』と御逢いした刹那の直感であるゆえの記述です。
上記『日興遺誡置文』の「通解」は、こうです。
【 能書きではなく、実践を最優先にする人に対しては。 仮に「年数」や「役職」が下位であっても「草創の大先輩」と思え。】
※ ここでの「僧」には、多々の判読がある。 愚壮はここでは『和合僧』を用いた。(「出家」「沙門」「僧侶」「入道」「坊主」「聖僧」etc)

『人材の宝庫』の中から『真の人材』を確かに確認する事。これは…いずこの世界でも、どんな時代でも、最も重要な事です。
所以は何(いか)ん… それは「その同時代の民衆の苦楽に直結する」からだ。
この理論は『創価学会』の組織も、全く同じなのです。

僅かなる『誤謬』が、やがて手が付けられなくなるほど「増殖」する。
誰もが「気が付かなくなった」その時。 『王道』は崩壊します…。 それは恰(あたか)も、海に堕ちる瞬間の氷河です。
『忘れ得ぬ風景』は、弥(いよいよ)の本筋へと止む無く入っていく。

[489] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月20日 (日) 10時06分

「N市」の県長が刷新され、前職の『O氏』が退かれた。  
この前職の『O氏』という人は、責任ある世界への御奉職では屈指の「王道」の人である。

御後任の人も、前職に劣らぬ優材である。と、たれもが口を揃えた。
が、皮肉にも、この「後任の県長」の行き届かぬ発言が、『愚壮個人』の「N市」での篤熱を瞬時に欠き消した。

ある夜の「N会館」(新会館落成は後年)での事である。
最後に立たれた「新任・県長」が、居並ぶ壮年の同志の皆様に向かって、下記と叫ばれた。
「さあ!壮年部の皆さん。ここで『婦人部の皆様、有難う』と声を合せて言いましょう」と言ったのである。
私は、一瞬。耳を疑った。 そして「こんな馬鹿な事が、有ってたまるものか」と感じたのである。

当時の大広間で、果たして何人が唱和し、何人が黙したのか…。それは知らない。
何故知らないのか。 バカバカしくて、知りたくも無いからである。
一体全体。この「県長」の提案の、どこに『創価学会』があるというのか。

そこで愚壮は、とんでもない言い掛かりを思うのである。(「N市」のトップ幹部への言い掛かりである。為念)
「味噌糞・十羽一絡げの暴論」とは、『池田先生が言われている事柄は、誰が言っても良い』事では断じてない。

[490] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月20日 (日) 11時08分

一部の軋みはあった。 否。 確かな実感として軋みが有った…という方が当っておる。
最高幹部の一言とは、『なるほど 重いものだ』と、簡単に責任を他人に押し付けている『愚壮』も居る。

永住の地…とまでは決めずとも、「K市」に舞い戻る選択など 既に無い。…と決め込んだ『風景』が崩れてくる。

それは…弥生の候であった。(日付・曜日 共々、はっきりと記憶するが)
『聖教新聞』の体験欄に、予期せぬ人の顔写真と既に知る記事が載っている。
写真の主は、昔日の『忘れ得ぬ風景』で何度も御紹介申し上げた『M本部長(現在・副圏長)』であった。

燦々たる陽光輝くリビングで、私は記事を開げたママ 凍り付いていた。
『八年も以前の体験談が、今再び蘇っている… そも!故は如何!』
時間の経過に…全くの記憶がない…。と、動揺している。

しかし。 この「記事」にだけは 『黙認看過』する道理も勇気も皆無であった。
上昇する「血圧」をば者ともせずに、私は『O崎のM本部長』に電話をいれた。

「兄貴!」と『氏』は呼んで呉れている。 
私は 泣いて泣いて・泣き濡れていた。

『O崎のM本部長』は言う。 「愚壮さん。 あなたは K市を本当に捨てるのか」

返事に窮する私に、追い討ちが掛った。…「じゃあ…支部員さんは、どうなる」
この一言で『俺は卑怯者だ』との実感が皮膚を捲り挙げる様に襲ってきた。
『還る。 俺は絶対にK市に還る』    こう叫んだ時、何かが大音響で崩れていった。

「S地区部長さん」が居る
かれは、何くれと私の一年間を支えてくださった。
その人が言う。
『愚壮さん。 あなたは、この「N市」から、もうどこへも行かないと言ったではないですか』

「N市」で教わった数々の「同志愛」を、私は決して忘れる事はない。
「N市」から「K市」へ…  再び『愚壮』は(残された時間も無いが)王道を求めて歩み往く。

[491] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月20日 (日) 12時14分

職場の「Oさん」に引越しの事を話すと、彼は快く 仕事で使っている「台車」を貸してくだすった。
その日からの「土・日」 私は一人で多くもない家具の運搬を行なった。
行き先は「K市T町」 不思議な事であるが…この地は「昭和47年」に辿り着いた、辻向かいであった。

私が命を削って新築し、今は他人が住む『家』は、僅か三区画の近距離である…と、足も向けない。
「再環」の家は、襖も畳も何もかも…と、汚れが積年であった。
『女房共々の帰還は4月24日』 こう決めたのには、学会員なら誰でも知ってる意義の日の、単なる拝借であった。


『2010年(平成22年)4月24日』は大晴天であった。 あらかじめの「コツコツ運搬」が幸運で 午後の早い時間に作業は完了した。
そんな夕刻。「S地区部長御夫妻」が 作業に叶う服装で来られた。
非常に恐縮して「作業の完了」を申し述べたが、 胸を打つの「御好意」に、再び感涙したのであった。

「再環」は正否を問われる時点には、既にない。とは「捏ね回した」言い方である。
『還ってきたの? 還ってこなくてもイイのに』
『よくも還ってきたものだ』(どうも、これには二意(心)があるようだが…)
ともあれ   こんな中に、再び『愚壮』は身を置いた。とはいえ、 放浪の宿業は終った訳ではない。

[493] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月20日 (日) 12時32分

愚壮さま
長女様の独立。誠におめでとうございます。

今日は愚壮さまと『徒競争』の様ですね。
温かいものが胸を打ちます。感謝致します<(_ _)>

[496] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月21日 (月) 19時58分

≫ 投稿日:2012年05月10日 (木) 『T氏(三十数年超の刎頚の同志・支部長)』

本日の仕事先で、上記記述の『T支部長』と公園内木陰座談会実施。
早速「氏」は言う。 『忘れ得ぬ風景』を読んだ。
続けて「日頃のお前の持論は、未だ全部書いていない」と言った。

『持論』とは大袈裟であるが、ホボその言う理屈は間違いない。
解り易く言えば…。僅かな誤謬への指摘。つまり『瑕瑾』への肉迫である。

然し、この作業は 多きに弊害がある。
例えば 「ミイラ取りがミイラになる」⇒ひどい症状では、「誤伝」を「正史」と思い込む。とか…
「森に入って 木を見ず」⇒物事の主体・構成・大局観を注意深く識別出来ない。とか…。
「重箱の隅を突付く」とか…。なんせ、ろくな事はない。
それでも私は(致命傷になるぞ!との助言を聞きつつ)、この『瑕瑾』に迫って往きたい…と。 思うておる。

この『T氏』  昨日は「交流」で京都に赴いたとか…。
『創価学会』の最前線に、彼は身を置いている事には 間違い無い。

扨(さて)。全く話題は変わるが…。 今日(2012年5月21日)の聖教新聞『新・人間革命』の『牧口先生』の詳細。
これは必ず複写しておくように。              絶対の重文である故に…。

[497] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月22日 (火) 05時45分

とかく、『愚壮』の如く 物事を素直に考えない人間ほど、難儀な者はない。…と、『日蓮大聖人』が顕された御聖訓がある。
それが…弘安元年卯月(四月)二十三日に「四条金吾」に与えられたとされる『御書』である。(御真筆・京都)

【 此(こ)の法門の一行 いかなる本意なき事ありとも・み(見)ず き(聞)かず・い(言)わずして・むつばせ給え、 】 
御聖訓 『陰徳陽報御書 1178p 5〜6行目』に御記述である。
これは『原則』を聊(いささ)かも踏み越してはならんという事だ。 

御指導の大綱は⇒【 行動は常に謹みなさい 】という事であり。
その御本意は⇒【 和合僧の組織の、少々の過誤は、メクジラ立てて責めてはいけない 】という事である。
この『大綱と本意』を踏み外す事なく、『相手の法華経誹謗を徹底的に攻める振舞』を『陰徳』という…とは本筋だ。

【 我が主に 法華経を信じまいらせんと・をぼしめす 御心の ふかき故か 】『 四条金吾殿御返事 1180P 』とは
まさに「正真正銘」の「陰徳陽報」が発動する、その起点は 『深き 信心だ』という事である。

この二つの「一見なる矛盾」を、正確に咀嚼しなければ「イイとこ取り」のみとなる。
『盲信』『確信』という「紛然の隘路」を、どう見極めるのか… これが課題である。
そうでなければ、『誠の使命の立ち枯れ』となってしまうのである。

扨(さて)。又々話題は変わるが…。 今日(2012年5月22日)の聖教新聞『新・人間革命』の『牧口先生』の詳細も。
必ず複写しておくように。              絶対の重文である故に…。

[498] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月22日 (火) 10時15分

『祈祷抄』 約10,750文字に亘る重書  対告衆・最蓮房である。
又。その『御署名』は※本朝沙門日蓮撰とされている。 そこで…『御書』に見られる『蓮祖大聖人御署名』を学ぶ。

下記の『御署名』は、一般に多い 『日蓮花押』以外の御筆体である。  尚。重複に見えるのは「巻頭・文末」の御筆である。
日蓮阿闍梨  『当世念仏者無間地獄事 104』
本朝沙門日蓮撰  『如来滅後五五百歳始観心本尊抄 238』  『顕謗法抄 443』 『祈祷抄 1344』 
釈子日蓮述ぶ 『撰時抄 256』

日蓮之を撰す 『報恩抄 293』 『三世諸仏総勘文教相廃立 558』
扶桑沙門日蓮之を述ぶ 『法華取要抄 331』
日蓮撰 『一代聖教大意 405』 『立正観抄 527』

沙門日蓮撰 『十法界明因果抄 427』
本朝沙門日蓮之を註す 『教機時国抄 438』
沙門日蓮之を勘う 『顕仏未来記 505』

桑門日蓮之を記す 『顕仏未来記 509』
日蓮之を勘う 『当体義抄 510』
日蓮之を記す 『顕立正意抄 538』 『諸法実相抄 1358』 『十八円満抄 1362』

本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹んで之を結要す 『百六箇抄 854』
本因妙の行者日蓮之を記す 『本因妙抄 870』
根本大師門人日蓮撰 『法華経題目抄 940』

沙門観恵上(かんえ たてまつ)る 『法華行者逢難事 967』
日蓮 『曾谷二郎入道殿御返事 1065』
身延山日蓮花押 『中興入道消息 1335』

日蓮記之 『生死一大事血脈抄 1336』
桑門日蓮花押 『生死一大事血脈抄 1338』
法華経の行者日蓮花押 『法華証明抄 1586』

続いて『祈祷抄』を学ぼう。

[499] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月23日 (水) 10時21分

≫ 続いて『祈祷抄』1344P を学ぼう。
何故突然『祈祷抄』か…。これは、近日の聖教新聞の紙面で『座談会御書:祈祷抄』を見たからで他意はない。
只 然し。本抄『祈祷抄』は、深いといえば、之ほど深き『御聖訓』は無く、超々・難解であるという事である。
先ず『対告衆』の最蓮房自体の生き様や、価値観や、求道心の根幹などを、
師匠の『日蓮大聖人』がどう捉えていたかである。
(最蓮房が師匠『日蓮大聖人』をどう捉えていたかではない)

その為にも、以下の暗示的な御記述を先ず注目して頂きたい。
それが『最蓮房御返事 1340P』の冒頭の【 夕ざり(薄暮〜夕闇の迫る時刻)は 相構え相構えて御入り候へ 】
『日蓮大聖人』を慕いに慕って、日夜連日の訪問を繰り返す『最蓮房』に対して、細部への御指導であった。

直弟子の多くが『流罪地・佐渡』への同道を許されなかった中での「僧形・最蓮房」の連日の(弟子への)懇請に、
「貴殿こそ在在諸仏土常与師倶生を身読の如くの人で、(私の弟子となられた事は)素晴らしい事だ」1342P 8〜10行目とされる。

そんな私(日蓮大聖人)の揺るがぬ『師弟不二』の証明として…と。最も重要極まる御聖訓を述べられるのである。↓
【 何となくとも 貴辺に去る二月の比(ころ・頃)より 大事の法門を教え奉(たてまつ)りぬ、
結句は卯月八日・夜半・寅の時(刻)に 妙法の本円戒を以て 受職灌頂(授戒)せしめ奉る者なり
此(こ)の受職を得るの人 争(いかで)か現在なりとも 妙覚の仏を成ぜざるらん 】  1342P  15〜16行目

誠に恐るべき御記述である。
『日蓮大聖人』は「最蓮房」に対して、『日蓮仏法の後継たる契約』の『授戒』⇒『受職灌頂』を実施されたのだ。
※此の「本門授戒」の実際は『日蓮大聖人門下』では「最蓮房」一人のみである。というから『恐るべき』…というのだ。
これは『富士日興上人詳伝(下)聖教文庫 194〜195Pに詳細されておられるので、是非とも拝読されたい。

その上で『祈祷抄』を「繙き」「拝読」していくのなら、概ね『正読』と申すものである。
「薮から棒」と『祈祷抄』の事に触れたのには、このような伏意があるのだ。

扨(さて)。 私が「N市」を去ったのは  2010年4月24日であった。
これを契機に『長女』は一人、離れて住んだ。(偶然 「S前総県長宅」から徒歩五分の近場であった)

『T氏 (三十数年超の刎頚の同志・支部長・前出)』は、そんな私に新品のプリンターを下さった。
この時の「パソコン」と「プリンター」が、再びの『愚壮』を生み出していく。

満を待していたかのように…というか。  「水を得た魚の如く」といおうか。 
この二人の往年の「男子部」は、一人の『壮年幹部』の元へ馳せ参じたのである。
これなん。 『S前総県長』その人であった。


追伸申候・本日(三日目)の『新・人間革命』も保存版であります。

[500] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月23日 (水) 16時52分

『T支部長』と『愚壮』が駆けつけた時。 『S前総県長』は「ウワオ!」と奇声を発した。  
「やっと来たか!」とも申された。
「愚壮ちゃん!な〜んも心配せんでえ〜で〜(通解・何も心配しなくて良いのだよ)」とも申された。
そして「俺は ひとつも 心配しとらんでェ〜」と、結論を言われたのである。

還暦をトックに過ぎた『ジジイ』が、辺り憚らず泣いても『絵』にならん…と、ワシは又。泣いた。

実は言う。この二人の往年の「男子部」は、手ぶらで『S前総県長』を訪問したのではない。
その「手ぶら」でない事の説明は『T支部長』が担当した。
『T支部長』が、案外の無表情(じつは、照れ屋)で『S前総県長』に言った。
『じつはふたりして、お願いに来た』と、これも不器用に切り出した。

『実は…』今回(愚壮の帰還も鑑みて)の事であるが『S前総県長』に是非とも御書講義をお願いしたい。
「H本部長」にその旨を言ったら、「本部単位ではなく支部単位でお願いしろ」との事であるので…。
私の支部の中で『池田先生の勝利の経典・御書を繙く』の講義をお願いしたい。

更に『T支部長』の説明と懇請は続いていく。
「…その支部単位の御書学習会の命名を『T水滸会』とする事に対して、『池田先生』から御押印も頂いた」と。
『S前総県長』の逃げ道を遮断した説明に…。断わる口実を失った、『S前総県長』は閉口した。

「そこで…『T水滸会』は、毎月の第一日曜日の10:30から『T支部長宅』とし、
式次第は @勤行 A合唱『瀧の詩』 B水滸会の意義 C御書講義 です。」とたたみ掛けた。    

これに対する『S前総県長』の御返答は、『了解! 全力で臨むよ』と、スラリと受けられている。

因みに 『水滸会の意義』は下記である。
◎ 『水滸会』の淵源   (2010年11月7日10:30  「T水滸会」開催)
我らに開けぬ道はない。我らに破れぬ壁はない。勝利できぬ戦いはない。
戦おうではないか!

勝って勝って、深く大きい歴史を子孫に残すのだ。 後世に残すのだ。
勇敢なる凡夫という、最高の俳優となって、今世を生き抜いていくのだ。

わが大切な大切な、壮年の同志よ!
偉大なる道を歩みゆく、 わが不二の戦友よ!

私たちを、君たちを、諸天善神は、万歳を叫びながら見守り、
喝采しながら未来永劫に護ることを、忘れてはならない。

上記は 2010年10月17日の聖教紙上に掲載された師匠の叫びである。


この日から遡(さかのぼ)る事 58星霜。   
時、恰(あたか)も昭和27年12月。  『水滸会』は結成された。

構成は精鋭男子部幹部 総勢38名であったと歴史は語っている。
『水滸会』の大綱とは、徹底的なる「実学論」である。
日本民族論・革命思想論・戦争とは…・指導者とは… 等々と多岐に亘(わた)り。
又、その論調は総てが「外」に向って開かれていた。と、伝わっている。
「内」を向いた『観念論』が皆無であった…とは、一体何を示唆しているのか。

敗戦で総ての価値観が喪失され尽くした世相にあって、
民衆・就中「青年」達の挫折観は、筆舌を超越するものであったと推察される。

そんな閉塞観の真っ只中にあって…
創価学会第二代会長・戸田城聖 そのものの存在。
あるいは、結成された『水滸会』の存在が。
行き場を失った青年達の渇仰を満たす「道場」となった事は、想像に難くない。

が、然し。  現実は、そんなに甘くはなかった。
集い来る青年達の胸中に
「俺たちは稀有の師匠・戸田城聖第二代会長の膝下に我々は集っているんだ!」という自負心が、
やがて、増長と慢心を助長させる結果となる。
こうして『水滸会』は、結成僅か半年で解体するのである。

この時に至って、唯々オロオロするばかりの青年部幹部達をまとめきった青年が居た。
その青年こそ、若干25歳の「池田大作」その人であった。

一旦『水滸会』を崩壊させたのは、「師匠」か「弟子」か!
又。『水滸会』を切り崩した深意は 一体何なのか。

「第一次水滸会に巣食う功名心を、必然的に生じさせて一旦切り捨てる…」
この構図の中にこそ、「真の門下生」を見極める意図があったのである。

つまり。『新生:水滸会』は、当時の※末端役職である「池田班長」に依って
その姿を歴史の中に現すのである。
(※ 池田先生の男子部第一部隊長就任は、翌年 昭和28年1月 )

爰(ここ)に、『新生:水滸会』の会則を再掲し 往時の「獅子吼」を確認する。

@ 時間厳守 (一分一秒たりとも遅刻厳禁)
A 今日の仕事を全部やりきって参加
B 仕事も活動も ゆるがせ(緩枷)にしない
C 周到なる準備
D 発言内容に責任を持つ
E 全会合を通じて 絶対にメモは許さない

『新生:水滸会』とは…『人材帝王学』であり、師弟不二以外の何者でもないのである。
(以上 『若き指導者は勝った』より抜粋文)

[501] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月25日 (金) 05時58分

『T水滸会』の『T』とは当然支部名であり「地名」である。
ここへの参加者は、どのように募ったのか…この人選は、総て『T支部長』と『愚壮』が担当した。

この会合に『待っていた』と馳せ参じた奴等とは、どのような男達か…。
先ず。絶対に参加していない『類』の人間が居た。
@ 幹部に必要以上ゴマを擦る奴。
A 自分より役職が下位に人を呼び捨てにする奴。
B 青年部を呼び捨てにする奴。
C 『御書・御聖訓・正史』を根本的に学ぼうとしていない奴。
D 『師弟不二』を根底で否定している奴。

まだまだあるが、概ねこういう連中は「絶対に不参加」であった。
否。たまさか一回は参加しても、次には決めて参加していない。
『不思議なもんだ…』とは、後年の『T支部長』の述懐であった。

では…。参加の男はどうか。

例えば… とある日の夜の事である。
それは『K文化会館』では有名な、「降格人事」の事である。
この日。ある男子部員が「降格」の対象となった。
普通、「降格」される側の人間は会合には参加せず、
又。その「降格の発表」も隠密で公開しない…が。
この時は、まったく情勢が違って「公開の発表」となった。

その「禁断の発表」に、考えられない誤算が連動する。
…それが『当の本人(降格される当人)』の、当日の参加である。
『氏』はその瞬間。「大広間」で発表の「降格人事」に大声で『ハイ!』と叫んだ。
「大広間」が極度の驚きでざわめいた…とは、実話である。 この人(現在・地区部長)⇒水滸会参加。

『京都乃鬼』という人がいる。
この『日本刀』の如き「切れ味」の関連の知人に、『UD支部長』が居る。
彼は「愚壮」地域に近々の人で、『京都乃鬼』氏とも連絡が可能と聞く。
この『UD支部長』。 ⇒水滸会参加。

…こうした颯爽の参加者十七名を揃えて 『T水滸会』は船出した。

[503] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月26日 (土) 06時38分

≫この「水滸会」の参加者の人選は、総て『T支部長』と『愚壮』が担当し。
≫その上で、参加しない連中を、
≫@ 幹部に必要以上ゴマを擦る奴。
≫A 自分より役職が下位に人を呼び捨てにする奴。
≫B 青年部を呼び捨てにする奴。
≫C 『御書・御聖訓・正史』を根本的に学ぼうとしていない奴。
≫D 『師弟不二』を根底で否定している奴。

上記D種類と「大別」しているが、 これらは ⇒   『先ず、君達は不参加』とは断じているのではない。

『参加して学びたい』とした人間は、総て受け入れた事を言っておく。
…実は、此れこそ当然の事で、「アラカジメの 色分け」こそ『創価学会』に最も馴染まない事であるからだ。

それよりも、何よりも…水滸の誓い(その淵源)とは、
青梅・永川の水際(滸)での野外研修で、戸田城聖第二代創価学会会長が「広宣流布」の一切を、
池田大作創価学会第三代会長以下、全ての青年の後継者に託した源流の地。となす意義にある。

その後に出現するの歌詞に『父の滸(もと)集いし』とあるのも、全部一つの規範に添う中での事である。
(『紅の歌』が完成したのは、昭和56年(1981年)11月14日。(於・四国研修道場)

扨(さて)。 それからの『S前総県長』の講義は、全くの自由奔放であった。
ある時は、一度も「教材」を開かずに進行する。
また、ある時は… 『K大学生会発足』の家宝の正影を披露され、決然の『池田先生』の眼光の鋭さに、参加者が膝を正した。


とまれ。『T水滸会』は、その巨大なる使命の全貌を示したのである。
その存在を質すが如く、一層の難問が、彼我の行く末(て)を遮断する。

[504] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月26日 (土) 11時47分

そのような、2011年1月23日(日)『聖教新聞』に【御書の編纂は創価学会…云云】という恐るべき記事が出た。     
これは…。この記述は、『御書』編纂者(第59世:堀日亨上人猊下)への完全な冒涜。つまり確信犯である。
上記では、『日亨上人』を正面から否定せず、やんわりと『無視』している。 
然し『無視』も立派な『師敵対』なのだ。(御書全集の『序』を咀嚼せよと申したい ⇒ 現代語・通解は本欄にて掲載済)

更に引き続き『大白蓮華』2011年3月号44P下段に、『謗法厳誡』を緩(ゆる)めた記事が堂々と表記された。  
この本文は【 法華経以外の諸教をも、謗法と呼ばない】という代物であるから、驚きを通り越してしまう。
そして尚且。この文章が「反論出来得ない」部分に活字となったら。読者諸賢はどうするのか。 
その「反論出来得ない」部分とは。
『池田先生』の口述筆記とされる【勝利の経典『御書』に学ぶ】の中に紛れ込ませたのである。

ここに言う。『第59世:堀日亨上人猊下』への確信的冒涜も、『謗法厳戒』への計画的弛緩も、
『三代の歴代会長』の奔流たるの御講義の中で表記される道理など 皆無であると強く強靭に断言するものだ。

『神本仏迹論』の邪義を正面に掲げた「小笠原慈聞」が、我が ※初代『牧口先生』を獄死に追い込んだ。
その愛弟子である『戸田城聖』。又、その愛弟子である『池田大作』という御二人の巨人が、
仮染め(仮初)にも、『御書』の直接の御編纂者である『第59世:堀日亨上人猊下』の御否定や。
『日蓮仏法』の根幹中の根幹。精髄中の精髄の『謗法厳戒』を、御容認される道理など皆無である。

「聖教新聞」「大白蓮華」といえば…『創価学会』屈指の機関紙そのものである。
この中に、臆面も無く「誤謬・ヨタ」を、あろう事か『池田先生』の御口述に紛れ込ませて垂れ流す。
この『創価学会教学部』の顛倒の御託に、腐りきった『真相』を垣間見たのである。
この時点での『草創の創価の父母』の慟哭を何と聞く…。

…と。 『T水滸会』参加の「武士(もののふ)」達の涙は堰をきったのだ。
(  ※ 『牧口先生』に関する詳細記事が、初めて聖教新聞『新・人間革命』に登場するのは、
誠に不思議な巡り合わせか…2012年5月23日〜26日であった。)

[507] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月26日 (土) 20時02分

【 …漆千杯に蟹の足一つ 『曾谷殿御返事』 1056P 】                                    

【 謗法の供養をば銅焔(溶解した金属を飲む如し)とこそ おほせられたれ  (中略) 
…人の子として 我が親を殺したらんもの(者)の 我に物を得させんに 是を取るべきや、
…いかなる 智者 聖人も 無間地獄を 遁(まぬが)るべからず、 
又 それにも近づくべからず与同罪 恐るべし 恐るべし 】  『新池御書 1441P』

【 謗法を呵責せず遊戲雑談の化義 並に外書歌道を好む可(べ)からざる事 】『日興遺誡置文  1617P』 ←「日顕宗」

【 今 日本国の諸人・悪象・悪馬・悪牛・悪狗・毒蛇・悪刺(あくせき)・懸岸・
険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従 等よりも 此(これ)に超過し 
以(もっ)て恐怖(くふ)すべきこと 百千億倍なれば 持戒・邪見の高僧等なり  富木殿御書 970P 】

【 とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし 謗ぜん者は「毒鼓の縁」となって仏になるべし  】 552p 

【若し 末法に於て 本迹一致と修行し 所化等に教ゆる者あらば 我が身も五逆罪を造らずして
無間に堕ち 其れに随従せん ともがら(輩)も 阿鼻に沈まん事 疑無き者なり、】 『本因妙抄』 876p     

【 又 立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け 勝劣を弁ず可(べ)きなり 】 『百六箇抄』 869p

【 仏法の正邪、信仰の真偽によって、賞罰の厳正なることも、鑑むべきである。しかるに、正史料を顧みずに、
みだりに臆説を加えて為にする筆を弄するもの、いまに絶えぬは、憂うべきことである。
(中略)筆者の怠慢無精のために、探求に手足を労せずして、
いたずらに既刊の書籍を気の向く辺(あたり)の孫引(検証なき記述)をして得々たるもの多きは、
残念至極のことである。遺憾千万(程度の謝罪)では読者を誤らせた罪悪の償いようはあるまい。        
以上『第59世:堀日亨上人猊下・御著文』 】(徒(いたずら)に謗法を攻めない風潮に対して…)

上記は極く一部の『謗法厳戒』への御聖訓である。
『謗法厳戒』を、蔑(ないがし)ろにして『日蓮仏法』の片鱗すらをも語れない。
これは、代々の大先輩の人々が御教えくださった「大教訓・大基本」
『創価学会』のイロハの「イ」。一丁目一番地である。

2011年1月23日(日)『聖教新聞』の【御書の編纂は創価学会…云云】は、     
どこから見ても「デッチアゲ」  幼稚園の子供さんでさえ知る『大ヨタ』である。

然し。 「何故、そのようなデマが書けるのか」という根幹は、今は不問とする。

[508] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月27日 (日) 07時00分

『T水滸会』の昇華が、曲折の世相を糺すのだ。
そのような気概で、来る月も変わる日も…と、優駿は集い来たった。

『S前総県長』は、在る時は思沈し、又。在る時は「割れ鐘」の如く叫んでいる。
『師匠』の説かれる「御講義」から、何を掴むのか…と、形相が噛み付いている。
正味・二時間に迫る「毎回」の『T水滸会』に、全身全霊で打ち込んでいたのである。

そんな中での『誤謬』の噴出にも、『S前総県長』は言う。
『そんなもん ほっとけ(放っておけ) 相手にするな(言わしておけ)』と一蹴するのである。
『配慮が足りない』とは、決して言わないところが。 明らかに皆と違っている。

そんな「春・三月」 未曾有の大惨事が『東日本』を襲った。
『嗚呼!』と悶絶する恐怖に、一歩も進めない。

愕然たる大惨状は、如何なる表現も『不謹慎』の極みへと押しやった。

『復興こそ総力有る可(べ)き』とは、決然の決意であった。



この大事件の数日前。関西の小さな街で、一つの会合があった。
「昭和55年」の第一回を記念した「当該会合」は。今回『M平和講堂』での挙行である。

当日の「愚壮夫妻」も、大盛況の会合の端に居た。
「名物部長御夫妻」も又。満席の『広間』には入れない…と、私達の近くであられた。

「式次第」は進んでゆく…。
やがて、「S男子部圏長」が、メーン体験に登壇した。
『一家和楽』の晴れ姿に、場内の拍手は 留まる事なく響いている。

私は爾の時。席を立った。 『講堂』を出て、正門へ向かう私に、声が掛った。
「愚壮さん。愚壮さんではないのか」 見れば、『県・教宣部長 Y副圏長』であられた。

誰にも言わずに「N市」へ去って。再び「舞い戻ってきた」愚壮を、氏は知らずに呼び止めた。

この人『県・教宣部長 Y副圏長』との再邂逅は、2012年の4月までが必要であった。
ともあれ・この人『県・教宣部長 Y副圏長』との邂逅に、真実の総てが説き明かされるのである。

[509] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月27日 (日) 07時07分

正 ⇒ 「S圏男子部長」
誤 ⇒ 「S男子部圏長」

[510] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月27日 (日) 07時55分

2011年8月12日(金)の聖教新聞方面版の左上の『8.14』
云く…『広宣流布の大拠点は大阪・関西だと「戸田先生」に教えたのは「池田先生」である』
この上記の記述は「Y関西婦人部長」の御高説である。   全くの出鱈目である。噴飯だ。
ここに、実物の戸田先生の『日記部分』がある。 それが1919年3月18日 (戸田先生 19歳)の記述である。 下記↓
☆ 地の利にある。(中略) よろしく座を『阪神』とすべし。阪神の地これ商工の中心…
上記1919年とは、大正7年である。  この頃に、若き戸田先生は『関西・阪神』の重要性に言及されていたのである。
☆ 中央、中央、我が事業を起こす前に見るべきの地は『大阪』か『神戸』ではあるまいか。これが同年の4月。
(上記二編は  青娥書房発行・『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』より抜粋)

2011年9月号の大白蓮華『勝利の経典』の四恩抄講義の際の「僧の恩」の部分で突然講義の論点をすり替えた。熟読すれば直ぐに分かる。

最もひどいのが、2011年10月12日(水) 第17441号の『聖教新聞』の社説だ。 ↓
以下抜粋 【  (中略)そして、日興上人の精神を継承したはずの日興門流も 今では完全に「葬式仏教」と化している。(後略)】

平成23年12月9日掲載  ∴M氏口演(聖教新聞談話記事抜粋・大綱⇒三ヵ条分割)
【 学会には、日蓮大聖人直結たる本物の三代(牧口先生・戸田先生・池田先生)の師弟があります。これが決定的な違いです 】
上記二編は『日蓮大聖人』から『日興上人』への師弟の相承を真っ向から否定する、師敵対である。
(筆者・愚壮は、現宗門を擁護しているのではない)

尚。(下段 ∴印)M氏の談話の趣旨では『御書』の否定に直結する。
@ 『本因妙抄』 877p     【 又 此(こ)の血脈 並に本尊の大事は日蓮嫡嫡 座主伝法の書・塔中相承の…
禀承唯授一人(日蓮大聖人⇒日興上人)の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し、法華本門血脈相承 畢んぬ 】    

A 『百六箇抄』 869p 【 白蓮阿闍梨日興を以(もっ)て 惣(そう)貫首と為して 日蓮が正(しょう)義 
悉(ことごと)く以(もっ)て  毛頭程も之れを残さず 悉く 付属せしめ畢(おわ)んぬ】
(M氏が、日蓮大聖人の『悉(ことごと)く付属せしめ畢んぬ』を否定している事だ)

【そもそも、創価学会と宗門で何が決定的に違うのか(中略)まさに見た目は本物そっくりの偽者。(後略)】と述べている部分である。
つまり「日顕宗」を表面に攻めながら、本論(奥底)として『宗門総体』を「偽者」と言及しておる。
「馬鹿も休み休み言え」と云いたい。 一体全体 『創価学会』はどこから発生(派生)したのか。
「M氏」の論法では、【母体が偽者で、派生の一団体が本物】となり、それこそ『普遍性』を否定する覆相教である。
「母体」が偽者なら、派生の一団体も又、偽者なのである。(「味噌糞・十羽一絡げの暴論」を、いつまで続けるのか)

日顕、及び「日顕宗」が『創価学会』に対して行ったのは、
『日蓮大聖人』『日興上人』『三代の歴代会長』と続く本物の師弟を分断したのである。

平成24年4月8日 聖教新聞「新入会者への項」に『御書』を説明する欄が別掲されている。
ここでも、「編集子」は「誤謬」を垂れておる。
『御書編纂の偉人・第59世:堀日亨上人猊下』の御存在を抜いておる。 これは『確信犯の師敵対』で、最も性質(タチ)が悪い。
このような『ヨタ』を、あろう事か「新入会」に人々に対して放言する愚行。呆れるばかりである。

『三代の歴代会長』を「捨・閉・閣・抛」しつつある真犯人は、一体誰か。 実在するのか否か。
『風景』は完結するのか。 それとも「筆者・愚壮」が消えるのか。 佳境である。

[511] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月27日 (日) 08時56分

再確認の意味を込めて、ここに記述しておく。
先ず断言しておく。  『御書全集』の御編纂は『第59世:堀日亨上人猊下』である。 
又。御書全集発行願主は『戸田城聖第二代創価学会会長』即『創価学会』である。

『編年体御書』に於いても『底本(基盤)』即『御書全集』であるので編者はあくまでも『日亨上人』だ。
(『編年体御書』に対して創価学会が施した事は『御聖訓』の並べ替えと『原殿御返事』『美作房御返事』の追加)

『原殿御返事』『美作房御返事』は日興上人の御述作で後世の弟子必読の重書。(編纂は創価学会ではない)
それを簡単に『御書全集』の編纂が創価学会であると言う…
こうも『正史』『正義』を捻じ曲げ『辯駁』してもよいのかと危惧する。 
重複するが。 【 …漆千杯に蟹の足一つ 『曾谷殿御返事』 1056P 】 は御聖訓ではないのか。                                   

ここで『もう一つの伏意』を追記したい。 
@『編年体御書』の発行日は昭和48年(1973年)10月12日。 当時の創価学会会長は『池田先生』である。
A池田先生が『創価学会第三代会長』を勇退された(させられた)のが、昭和54年(1979年)4月24日。
B『日蓮正宗総本山:大石寺(宗門)』が「破和合僧」(創価学会破門)に及んだのが、平成2年(1990年)12月27日。
※『破門通告書』平成3年(1991年)11月28日

問う。
何故『編年体御書』の初版発行者の名前が『故:北条 浩氏』なのか。   
『池田先生』でなければならないのではないのか。

重書『編年体御書』に於いて 
由緒正しき書籍には絶対有るべき『序』及び『発刊の辞』が省略されおるのは何故か。

上記 @昭和48年(1973年) から A昭和54年(1979年) の間の ※6年間に一体何が起っていたのか。
(参考資料⇒『北条 浩 1923-1981』後の創価学会第四代会長・昭和56年(1981年)7月18日逝去 享年58歳)

『池田先生』を会長職から追い落とす画策の糸口が『編年体御書』の発行日あたりから見え隠れするのは、
まんざら筆者(愚壮)の僻目でもあるまい。

「創価学会内の似非弟子達」と「嫉妬の宗門」の利害が、
この時期(※六年間)に「一致の輪郭」を一層ハッキリとさせたのではないのか。

又。『池田会長勇退』当時の「創価の似非弟子」の残党が
今も『創価学会の組織』の中に息をひそめて、密かに棲息して居るのではないか。
それとも、『剣豪の修行』の如き峻厳なる『師弟不二』が、もはや忘れ去られ、
「会合屋」「数字のみの成果屋」の『創価学会』になってしまったのか。

更にはそれとも『日蓮大聖人』が、御書に御指摘の幾多の御聖訓の儘(まま)に、 
※三類の強敵は、『万年尽未来際』まで永遠に健在なのか。
三類の強敵⇒(俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢)

何かが 僅かに違っている… それは何か。

[513] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月28日 (月) 05時07分

それは…一気呵成と、ここまで書いた時であった。
(たれも信じまいが…)愚壮が夢枕に佇む翳がある。

『吉夢』か『凶夢』か…。
そは、我に被さり、我を凝視するなり。

『人間』の本質を突き破り…
且又『人間』の相克を恐ろしく見極め。
その『人間』の持つ、瞬間の心痛までも「得手勝手」と翫(もてあそ)ぶ。

汝。そも『魔』なりや。
「魔」ならば…「敵わぬまでも 受けて立つなり」

最早。『人の仏種までも凌駕したか』と、私は叫ぶ。
『人』の性善をも、汝は「食い物」にするのか。

『愚壮』は狂っていない。 闘っているのだ。
その「巨大」なる化け物は、もう既に、万人の襞に巣食っている。
『何かが 僅かに違いだし、狂いだしている』…「何かが…」

[514] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月28日 (月) 05時20分

それは、直後の『勇魂』であった。
「疲れすぎた」愚壮を、『M氏』は強く背後を支えている。

唯々。有り難く…万感の謝意を表す。  愚壮拝

[516] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月29日 (火) 05時11分

平成24年5月26日の午後。 隣接の『N支部長』が来宅になる。
用件は、明日(平成24年5月27日)の「壮年塾」での『御書講義』に、急遽『N支部長』が携わる事になった故だ。

前回までの長期間に亘って、「愚壮」の講義は止む事はなかった。
これには、周囲の雑音を振り切って、その当の「愚壮」に『御書講義』を頑なに依頼して来た
『N支部長』にこそ、根本の責務が、在ったと言えば…そうである。   ともあれの土曜日。
今回の講義冊子は既に仕上がっている…と、『N支部長』と「愚壮」での勉学となった。
教材は『種種御振舞御書(佐渡抄)』の池田先生の御講義である。少々の長編であるが
謹んで記述したものである (尚。冊子は前編・中編・後編とわかれておる)


池田名誉会長 御講義 勝利の経典『御書』に学ぶ                       コピー 絶対厳禁
大白蓮華718号 2012年4月号
『種種御振舞御書 』(佐渡抄)・前編 御書全集 909P〜925P (約12,780文字)
本抄の最重要主題⇒日本への難は『総罰』
御記述年月日⇒建治2年(1276年)      聖寿55歳    於・身延  
対告衆⇒光日房     御書巻頭に「与・光日房」と御明記       

先ず。本抄『種種御振舞御書』を学ぶ前に…。
大白蓮華  34P  (上段〜下段)      御述作年月日・対告衆の事  (この項・講義時の※音読禁止)
※@…門下・光日尼に与えられたともされましたが、正確にはわかっていません。(※@こういう事は書くべきでは無い)
『光日房御書』の931Pの11行目に【 けさん(見参・対面)に入りて くわしく申し候はばや 】との御記述がある。そこで
『光日房御書』(建治2年3月)の御述作の文面から―。『光日尼』は3月の時点で『大聖人に御逢いしていない』と断じ…
同じ建治2年の『種種御振舞御書』の925P 9行目の【 殊に今年は雪深く… 】の季節に大聖人を訪ねたのは「別人」とした。

つまり「教学部」が『種種御振舞御書の対告衆は光日尼』に疑いを持った事を、そのまま大白蓮華に書いたのである。
御託を垂れるなら「光日房と光日尼は別人か」という方が整合性がある。 然し、言っておく…両人は同一人物である。
兎も角――。『御書』御記述に対する「難くせ」は『第59世:堀日亨上人猊下』(御書の編纂者)への大侮辱である。
『新編・御書全集』の冒頭。戸田城聖第二代創価学会会長の「発刊の辞」・及び「序」を熟読せよ。
※@⇒『池田先生』の口述講義部分に紛れ込んで記述した「創価学会教学部」の誤謬記事に対する批判である。

大白蓮華  32P        『青年』
『青年』という文言を筆頭に『池田先生』の講義は始まっている。(全8箇所)
『青年』への訓育とは、「上から目線の命令調」で言い包(くる)める事ではない。
【 下劣の者為(な)りと雖(いえど)も 我より智 勝れたる者をば 仰いで『師匠』と す可(べ)き事。 】『日興遺誡置文 1618P』
『我より智 勝れたる者』とは、洋々たる「前途」を指す。 『青年』のもつ可能性・純粋性は、誰にも迫れない。という事である。

大白蓮華  33P            『戸田先生のもとでの人生』
「よし、戸田先生の※もと(滸)での人生であるならば、何でこの身を惜しもうか。(中略)凡愚の身であるが、尽させていただこう」
上記は、大いに割愛された文言である。
この当時(昭和22年〜昭和31年)の『師匠・戸田先生』に対する強烈な確信は、この程度の軽いものではない。
実際の『師弟不二』とはどのようなものか…  実録『若き指導者は勝った』の熱読を期すものだ。
※もと(滸)⇒後年の「水滸会」にも…又、更なる積年の『紅の歌』の第二節にも…『滸』たる文字が存する。 意義を学べ!

ただ然し。 一点だけ 当時を彷彿とさせる記述がある。それが下記である。
大白蓮華  34P            『上段』
彷彿の記述とは⇒   「私は、戸田先生と心を一つに、※A最前線に立って戦いました」である。
『※A最前線に立って』とは、一体何処であったのか。順は不同であるが記述しておく。

天王寺・東住吉・道頓堀・日本橋・上本町・天神橋・中崎町・阿倍野・なんば・堺・舞鶴・大淀区・築港・大東市・東大阪市(現在)
鴻池新田・花園・河内・西成区・北攝・北河内・中河内・和泉・豊中市・布施(現 東大阪)・庄内・伊丹・枚方市・京阪沿線・京都
高石市・梅田 etc…   これは枚挙に暇がない。 2008年12月30日〜2009年2月4日『実録・若き指導者は勝った』抜粋

大白蓮華  35P  (上段)          『賢王と愚王』
『立正安国論』での予言の的中は、「賢王」の時代であれば、最も権威ある場での詮議もあったであろうが…と。
当時の「鎌倉幕府」の「愚王」ぶりを嘆かれている。 『立正安国論』を請けての「為政者」の狼狽。これが骨子だ。

3行目⇒『政治を司る者たちは(諌言を)用いるどころか、かえって蔑(さげす)んだ』
【 或は使(使者)を悪口し 或はあざむ(欺)き 或はとりも入れず(検討し採用しない事) 或は返事もなし
或は返事をなせども上(上司)へも申さず これ ひとえに ただ事には あらず 】 909P 7〜8行目

4行目⇒『ますます日蓮を憎んで、処刑せよ、追放せよ、日蓮の門下も、さまざまに懲らしめよ』と謀議するありさまであった。
上記にあたる「本文」は 大白蓮華34〜35Pの欄外 〈注・3〉を参照されたし。
「釈尊」の予言通りの『愚王』の狂気の沙汰(実態)をみて、『日蓮大聖人』が叫ばれた言葉が
大白蓮華  34P (上段)太字 【 日蓮 悦こんで云く 本(もと)より存知の旨なり 】である 910P 3行目
…と。 その「為政者達」の有り様は「哀れ」でさえある。

大白蓮華  35P  (上段) 11〜19行目          『それはなぜか―― 〜 どれほど心強く拝したことでしょう』
『御書』の御聖訓では、この段で『日蓮仏法』の根幹が御記述されている。 910P 3〜12行目
それが『死身弘法』『適時而已』であり 『法華経の行者』出現の予言・『法華経の行者』に対する迫害。
そして理不尽の迫害『正法誹謗』に依る競い起る『七難』の一部である。
『七難』⇒人衆疾疫の難 他国侵逼の難 自界叛逆の難 星宿変怪の難 日月薄蝕の難 非時風雨の難 過時不雨の難

大白蓮華  35P  (下段)        『本 文』
【 各各我弟子となのらん(名乗る)人人は 〜※B仏の御使と・なのりながら・をく(臆)せんは※C無下の人人なりと申しふくめぬ 】

大白蓮華  35P  (上段)           『仏の御使と・なのりながら・をく(臆)せんは』 911P 2行目
この解説には、こうある。    ( 「一人も」との仰せから、日蓮大聖人の深き慈悲が伝わる…。)
※B  然し。自身を『仏の御使』と名乗る人が「臆病」であってはいけない。
何故か―。それが⇒※C【無下の(話にならない)人人なり】という事ではないのか。 
つまり 【各各 我 弟子と なのらん(名乗る)人人は一人も をく(臆)し をも(思)はる べからず】 
↑910P 12行目が主題である。

大白蓮華  37P  (上段)           『転捨にして 永捨に非(あら)ず』  731P
「不惜身命」とは「法華経弘通」の為に競(きそ)い起る「諸難」に対して寸毫(すんごう)も命を惜しまない事である。
そんな最も究極の状態であっても、「不惜」の深義を説かれます。 それが「転捨」と「永捨」だ。
ここでいう【転捨にして 永捨に非(あら)ず】『御義口伝上 731P』の御聖訓の真意は…。
「転捨」とは本門であり『転』とは「転重軽受」の「転」である。   「永捨」とは迹門 という意味である。

大白蓮華  37P  (下段)         『わずかの小島のぬしら(主等)』 911P 1行目
ここでいう「主」とは『為政者・権力者』の事である。 
『大聖人』を、虚構を構築した上で毀辱(きにく)した「輩(やから)」である。
この構図は、現代も全く同じである。(これは、「烙印」や「決め付け」に連動するもので、『同志間』では絶対悪である)

では「何者(輩)」が虚構を作り上げるのか―。  「総」は『天子魔』であり、「別」は『一人の人間』である。
『大聖人』御在世当時の個々にいえば【念仏者・持斎・真言師(良観房)等】 911P 4行目 とある。

又。彼等は【 訴状も叶わざれば※C上郎(臈)・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかま(構)へ申す 】と、手段を選ばない。
「※C上郎(臈)・尼ごぜんたち」とは「為政者・権力者」の女房の事である。
【 又 頸を切り 或は遠国につかはし 或は籠(ろう)に入れよと 尼ごぜんたち・いからせ給いしかば・そのまま行われけり 】
上記は『報恩抄 322P』 15〜16行目 である。

大白蓮華  37P  (下段)        『本 文』
【 詮ずるところ、上件(かみ くだん)の事どもは― 〜 ※D太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう 】
【上件(かみ くだん)の事】とは、『虚構と真実』の開陳(披瀝)である。 もっといえば「真実」が勝つとは言えないという事。
この事は、現代社会でも生きている。 つまり『正義』が勝つとは断言できなく、『真実』が最善とは限らないのだ。

大白蓮華  39P  (下段)15〜16行目         『(良観らの画策・陰謀は)遂に最後まで表に出る事はなかった』 
まったく忸怩(じくじ・やりきれない)たる思いである。 何故『正義』が埋没し、虚構がバレずにまかり通るのか…。    

実は、この事こそ『仏法の深義』であり、『日蓮仏法』の白眉である。 (『池田先生』の御講義に先走るが)下記を拝する。↓
【 法華経の行者を怨む者は頭破作七分と とかれて候に・日蓮房を謗れども頭もわれぬは
 日蓮房は法華経の行者にあらざるか 】 (この御文証・御書多見の此(こ)の種(趣)の御記述こそ重要だ)
上記は『本抄』 924P 10〜18行目の『御金言』である。深く 尚々深く 真意を拝読すべきである。

【 ※D太政(だじょう)入道の くる(狂)ひし 】 911P 13行目 とは『平清盛』の故事である。
【 平氏の大将(中略)清盛と申せし人(中略)七寺の内の 東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいて ありしかば・
其の大重罪・入道(平清盛)の身にかかりて・かへるとし(年)養和元年潤二月四日 
身はすみ(炭)のごとく  面(かお)は火のごとく すみ(炭)がおこれるやうにて 
結句は 炎 身より出(い)でて あつじに(熱死・焼死)に死ににき 】
上記は『盂蘭盆御書 1429P』の御聖訓である。 恐るべしとは…正に『還着於本人』ではなかろうか。

大白蓮華  40P  (上段)1行目         『平左衛門尉は、異常なまでに逆上した』 
これが。【 太政入道のくるひしやうに 】の【やうに】である。

つまり『賢王』を旨とするべき『平左衛門尉頼綱』自身に取付いた『魔性』そのものの狂乱の様である。
国自体の安穏を図るべき立場の人間(賢王)が、自ら「破国」の暴挙に至る…。
これは「平左衛門尉頼綱」自身が、日本の背骨(柱橦(はしら))を踏み折る事をいう。
                            ↑(柱橦⇒『撰時抄 287P 12行目』)
それ(その事自体の構図)が『竜の口の法難』である。 ⇒  ※文永8年(1271年)9月12日

∴ 編者注記⇒鎌倉時代の中間点(1260年)は、奇しくも『日蓮大聖人・立正安国論上梓』の年である。
この中間点の9年後(1271年)。鎌倉幕府が『日蓮大聖人』を「頸の座(竜の口)」に据えた。
この瞬間に「鎌倉幕府」そのものの命運は尽き果てたといっても過言ではあるまい。

一人(平左衛門尉)の人間の「異常なまでの狂乱」が、日本を「総罰」に導くのである。
つまりは、この年から※674年後に起った『正史』にも関わってくるのである。(歴史を繙く可し)
※674年後↓
『撰時抄 265P 16〜17行目』『清澄寺大衆中 895P 9〜10行目』『富木尼御前御返事 975P 10行目〜976P 5行目』
『諸人御返事 1284P 2行目 【 仏記 宛(あたかも・恰も)符契の如し 】』

大白蓮華  40P  (上段)        『本 文』
【 去(いぬる)文永八年(太歳辛未 たいさい かのとひつじ )九月十二日 〜 石に珠を あきなえる(貿・商)がごとし 】
『鎌倉幕府』が自ら墓穴を掘っていった最右翼の不祥事が、実は「竜の口」への構図であった。
それが…『貞永式目』を「鎌倉幕府」自ら違反・破壊した事件が、件(くだん)の『竜の口の法難』であるからだ。
その事を⇒大白蓮華 40P (下段) 3行目で 「法(貞永式目)を超えた異常さ」というのだ。

現に、「松葉ヶ谷」の草庵で起った実態は、(委細は敢えて書かぬが)おおよそ「人間業」ではない程の蹂躙が行われている。
『日蓮大聖人』の御頭(こうべ)を、「法華経第五巻」で打擲する史実があるが、実際はそれだけではない。
(ここでは書かぬ(書けぬ)が、実史は『その人の 人間性への冒涜』である つまり『その尊厳の拒否』である)
正に…『日本国家』として「国」をあげての『末法御本仏・日蓮大聖人』と「弟子檀那」への迫害であったのである。

この「異常なまでの執拗さ」「うむを言わさぬ弾圧」「過酷な迫害」は、その後の『熱原法難』へと直結しゆく。
『日蓮仏法』への「為政者」の圧迫はその後。千葉・金沢・尾張と続き、『牧口先生・戸田先生・池田先生』へと到達する。

『正史』を学ぶ。とは「事実(史実)」を埋没させ割愛し、隠蔽する事では断じて無い。
これを「己心の善質」に対して真摯に自問自答せずに、何が「研鑚」か。と問いたい。

事実。『戸田城聖第二代創価学会会長』を過酷に取り調べた「検察官」が、実名で「懺悔の手記」を顕している。(富士宗学要集)
『正法』に対する「弾圧・迫害」は、絶対不可避(避けられない)の「大骨子・大原則」である時に…。
自身の「安寧」のみを頑(かたく)なに言い張っては、誉れ尊き『創価の師弟』ではあるまい。

それが ⇒ 大白蓮華  41P (下段)    『同苦』
『友のため、同志のため、民衆のために、『生涯・骨身(生命そのもの)』を惜しまず尽し抜く――
ここに『創価の師弟』の「不二の道」があることを、忘れないでいただきたい』である。
これは― まごう事なき『師匠・池田先生』の言葉(御指導・獅子吼・同苦の心)なのだ。

大白蓮華  41〜42P  太字        『本 文(大高声・だいこうじょう)』
【 日蓮・大高声を放ちて申す 〜 只今 日本国の柱を たを(倒)す 〜 兵者(つわもの)どものいろこそ・へんじて見えしか 】
【 あらおもしろや 平左衛門尉が・もの(事象)にくるう(狂態)を見よ 】 これが誠の『大高声・獅子吼』である。
この段で「戸田先生」は、『声の響き』と言及されている。 この『声の響き(大高声)』とは何か―。という事である。

【 『大高声・だいこうじょう』 我等衆生の朝夕吐く所の言語なり、(中略)廿八品とは小高声・題目は大高声なり 】
↑『御義口伝上 740P』
【 …音声(おんじょう)かへって形を あらはして文字と成って衆生を利益するなり、  】『木絵二像開眼之事 469P』

大白蓮華  42〜43P 引用の『報恩抄』          『平左衛門尉 日本国の柱を倒す』 
ここに引用された『柱』とは、『末法万年尽未来際に亘る・末法の御本仏・日蓮大聖人』の御事である。
『日本国の柱』は『日蓮大聖人』以外に求めては論外である…と拝する事を『御書の身読』というのである。

大白蓮華  43P (上段)          『日本・世界の広宣流布に立ち上がったのは創価学会だけ』 
これは…誠に残念ながら『真実』である。
何故「残念」か。  その解答が、『第59世:堀日亨上人猊下』の御記述に歴然と明示されている。
それが『新編・御書全集』の『序』の全文である。 
これこそ総ての「学会員」が咀嚼し身読せねばならない「重大文献」である。

大白蓮華  43P  太字        『本 文』
【 一丈の堀 〜 つま(絶句)り ふし(伏)し事どもは しげければ かかず 】
【 つま(絶句)り ふし(伏)し事 】とある事で『日蓮大聖人』の御振舞・御相貌に圧倒されている実景が見えるのだ。
『御書』に…  『日蓮大聖人』が流浪される先々で、
武士や民衆が「数珠」を切って「法華経」に帰依する場面が、多々御記述されている。
筆者はここでも…「なるほど… むべなるかな(当然の事で無理はない)」と痛感するものである。

大白蓮華  44P (上段)          『良観は人々から「生仏」と崇められていた(中略)実は…』 
「極楽寺良観は生仏」とは『妙法比丘尼御返事 1416P』の引用であるが、これで「良観」の実態の総てではいない。
実は『極楽寺良観』の正体とは 放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱(婬乱)なのである。これは近代「宗門」にそっくりだ。
上記『放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱(婬乱)』の事は 『下山御消息 350P』に詳しい。 
又。「宗門」とは「日顕」である事に、誰も異論はあるまい。   (尚。極楽寺良観の実態は 多くの御書で御記述されている)

大白蓮華  45P (下段)         「いよいよ人間革命の真髄を!」
今回(勝利の経典『御書』に学ぶ)の締め括りは『真の人間革命』である。
『真の人間革命』を端的に言い顕せば…『正史の伝承』である。
そして、その『正史』の舞台は…。『池田青年室長』そのものの振舞である。

極言すれば…これ(『池田青年室長』の闘い・振舞)を知らずに『正史』などは語れない。
なぜかならば…そこにのみ真正の『師弟不二』が脈打っているからである。
怖れずに言えば『種種御振舞御書』を学ぶ根幹とは、
近代の師弟の『種種の御振舞』を伝承するが為の『御書』なのだ。

『種種御振舞御書 』(佐渡抄)・前編 完
2012-03-25 編
※『本抄・種種御振舞御書(佐渡抄)』の講義文については、
内容が一部過激である為「コピー絶対厳禁」とする。  編者為念  (文責・愚壮)

[518] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月29日 (火) 10時05分

愚壮さま
ページ仕様も『右クリック禁止』に致しました。
とりあえずアップ完了(帰宅したら学ばせて戴きます)では・・

[519] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月29日 (火) 10時45分

池田名誉会長 御講義 勝利の経典『御書』に学ぶ                       コピー 絶対厳禁
大白蓮華749号  2012年5月号  50P〜63P
『種種御振舞御書 』(佐渡抄)・中編 本抄の最重要主題⇒日本への難は『総罰』
御記述年月日⇒建治2年(1276年)      聖寿55歳    於・身延  
対告衆⇒光日房     御書巻頭に「与・光日房」と御明記       

先ず。「前編」で締め括った、『種種御振舞御書』を学ぶ意義を記述しておく。
☆『種種御振舞御書』を学ぶ根幹とは、創価三代の歴代会長の師弟の『種種の御振舞』を伝承する為。
今回の『種種御振舞御書』の講義は、前編・中編・後編に分割してあり、本編は「中編」である。

『種種御振舞御書(佐渡抄)』とは、一体『何の為』の御書か。その全貌を再度確認する。
文永5年の「蒙古の牒状到来」から建治2年(『報恩抄』御述作の年)までの9年間の『日蓮大聖人』の御振舞。
此(こ)の『日蓮大聖人』47歳〜55歳までの9年間の背景の確認は、『創価学会』に連なる我等の必須である。

大白蓮華 50P 冒頭           それは『創価学会の発迹顕本』から始まった。
昭和26年(1951年)5月3日 『戸田城聖第二代創価学会会長』が誕生した。
この日(木曜日)は「大快晴」であった。
実録『若き指導者は勝った』に、この『戸田城聖第二代創価学会会長誕生』の意義があるので転記する。
【 大将軍(戸田城聖)を先頭に進撃が始まったものの、兵站(学会の運営)を考える者は誰もいない。
その(実質的な運営の実務の)ため、(池田青年は)最末端の役職(男子部班長)にとどまる。
苦境の戸田城聖を支え、復活への血路を開き、矢島周平の野望を砕き、
(矢島周平:創価学会理事長職を戸田先生から盗んだ男)
(戸田城聖を)第二代会長に就かせたのは、池田青年に ほかならない。 】

大白蓮華(50P)には『創価学会の発迹顕本』とだけの記述であるが、もう一つの、重大な事実が抜けている。
それが⇒『創価学会⇔宗教法人の認可』…つまり、『創価学会』は「宗門」から分離したスタンスを実行したのである。

この『創価学会独自の宗教法人認可』が「宗門側」をして疑心暗鬼を生んだのか。『学会独自』の※B法理の確立のためか。
はたまた『既にその頃、堕落し尽していた宗門』との決別の伏線となったのか…は、ここでは書かない。  
が、しかし。 大白蓮華 51P 5行目 『牧口先生の御期待に応える事…』とある深意は、読者に伝えねばなるまい。

それが…完全に逸脱した法理(神本仏迹論)でさえも、平然と学会員に押し付ける「宗門・出家」の体質からの防御であった。
『牧口先生の御期待』とは、「宗門」から『学会員』を護る事(深意)であったのである。
※『創価学会⇔宗教法人の認可』 ⇒ 昭和27年8月27日     ※B法理の確立(非常に深いので辯駁無用)

偽文書を駆使した『竜の口の法難』と八幡への叱責
【 さては十二日の夜・※武蔵守殿の預かりにて夜半に及び 頸を切らんがために鎌倉を いでし 】 912P 16〜17行目
※武蔵守殿(北条宣時・八代連署)の預かり とは「身柄拘束許可状の事だが、後続の御記述から∴「偽文書」である事が明白だ。 

大白蓮華 53P (上段)  【 八幡大菩薩に最後に申すべき事あり(中略)いかに八幡大菩薩は まこと(真実)の神か(中略)
日本国の一切衆生の法華経を謗じて 無間大城におつべきを・たすけんがために申す法門なり、
又大蒙古国よりこの国をせむるならば天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか 】 912P〜913P 4行目
大白蓮華 53P (下段)14〜16行目 又。この時の叱責は、【全宇宙に向かっての大叱責であった】とは戸田先生の講義である。
ともかく、この大叱責の獅子吼に『八幡大菩薩』が縮みあがった。否。『八幡が八幡自身の誓願』に覚醒したのだ。


【 八幡大菩薩をば世間の智者・愚者・大体は阿弥陀仏の化身(中略)其れ実には釈迦仏にて おはしまし候ぞ 】 1195P 6〜9行目
【 八幡大菩薩の御誓いは(中略)日本国にしては 正直の頂に・やどらん(常住)と誓い給ふ 】 1196P 14〜15行目
【 法華経の行者を見ては(中略)八幡大菩薩は 此(ここ)にわたらせ給うなり 】 1197P 15〜16行目
上記の3編の御聖訓は『四条金吾許御文』からの、それぞれの抜粋である。

『日蓮大聖人』が「八幡大菩薩」を叱責したのは、仏前(二仏並座)での「八幡自身」の誓状を忘れ果てた事への「叱責」であった。
上記もまた、本抄『種種御振舞御書』の913P 1〜10行目に詳しく御記述である故、深く咀嚼せよ。

【 ゆい(由比)のはま(浜)に・うちいでて 御りやう(御霊)のまへ(前)に・いた(至)りて 又(再度⇒先刻は、対「八幡」)云く
しばし・とのばら・(警護の武士達に『しばし(少しの間、待ちなさい)』と言った事)これに つ(告)ぐべく人 あり…
…とて(伝持の人⇒法華経の命を継ぐ人) 】…と童子(熊王丸)を走らせた。913P 11〜12行目
この『告ぐべき人⇒伝持の人⇒法華経の命を継ぐ人 1169P 』というのが『中務三郎左衛門尉頼基(四条金吾)』である。

『馬の轡(くつわ)にとりすがり…』
ここで『日蓮大聖人』は「中務三郎左衛門尉頼基(四条金吾)」に対して、凄絶・究極の一言を述べられる。大白蓮華 52P 本文
それが 【 この数年が間・願いつる事 これ(斬首)なり 】である。   913P 13行目 更に究極は続いていく。
【 今度 頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん 其のあまり(余・残余という意ではない・本意は『広大無辺』)は
弟子檀那等に はぶく(配り当てる事)べしと申せしは これなり 】 913P 15〜16行目 である。

大白蓮華 54P (上段)本文 
しかし、周囲の雰囲気は【…さわがしかば…】913P 18行目  いよいよ「斬首」の瞬間が迫っている事を告げる。
その事を察知した『中務三郎左衛門尉頼基(四条金吾)』が、【 只今なり!(嗚呼!斬首は今である!)】と絶叫す。

それに対して、『日蓮大聖人』は下記の如く「四条金吾」を諭すのである。(『発迹顕本』の凄さがここに在る)
【 不覚の四条金吾である! 今『日蓮』が斬首される此の大歓喜を、貴殿も笑って歓喜せよ。(そうなければいけないのに)
何故、貴方は私(日蓮大聖人)との約束を違えて、そう泣き悲しむのか。 (通解) 】 913〜4P 18〜1行目

☆ これ以降の御記述(914P 1〜7行目)は『竜の口』の実景である。個々の読者が拝読して深く感ずべき「史実」である。
『不惜身命』や『贖命』という言葉の重さを、この御記述の行間から拝読するべきではないだろうか。

『竜の口』は仏勅
『竜の口』の頸の座(※文永8年(1271年)9月12日)が無かったら…。
『竜の口』の頸の座が無かったら『日蓮大聖人の宗史』は後世で、どうなったか…。
この仮定には「誤解・反論・叱責」等々・非難轟々であろう。(そういう意味では記述を憚(はばか)るが)

それでも書く…。ここに聖教新聞の連載で『若き指導者は勝った』と題された「正史書」がある。 
この第三回「日本正学館」に括目すべき記事がある。    
その日は「竜の口」から678年後の昭和24年10月25日である…。
【 もし日本正学館の経営が順調で、師弟(戸田先生と池田先生)が幸福な編集者生活を送ったとしたら――。
結果論であるが、今日の創価学会の発展があったかどうか疑問である。 】 2009年1月7日(水)版

筆者が「誤解」を恐れず『竜の口』が無かったら…と記述した真意は…『仏意・仏勅』という事を書きたかったのだ。


想定外の『依智』      (現在の神奈川県厚木市)  
「竜の口」の刑場で『日蓮大聖人』の斬首を果たせなかった「幕府」は、直後、依智に『大聖人』の身柄を護送する。
【 此(こ)れは道知る者なし・さきうち(先打・先遣)すべしと申せども 
うつ人(先行して諸事の用意・段取りをする役目の人)もなかりし(中略)その道にて候へと…】914P 8〜9行目
上記は「依智(本間六郎左衛門領地)」に向う事が、全くの「想定外」の事で、警護の武士達が経路すら知らなかった事を示す。

つまり、この『日蓮大聖人』に対する『竜の口斬首』自体が「平左衛門尉頼綱」の個人的指示であった事の証拠である。
『竜の口』で『日蓮大聖人』を完全に抹殺してしまう事(事態の完結)。これが「平左衛門尉頼綱」の元々の狙いであった。

その、「想定外の依智」で、一体。何が起ったのか…。  (少々の予想外の展開にも、オタオタするなという事だ)
『末法御本仏』たる御相貌    大白蓮華 56P (上段)『念仏を捨てる兵士たち』(太字)
『日蓮大聖人』が到着した「依智」では、驚くべき事が起っている。 

…それが「警護の武士達」「依智地元の武士達」の変貌である。
【 かうべ(頭)を うなたれ 手を あさ(叉)えて申すやう(やう⇒には) 
このほどは・いかなる人にてや・をはすらん 】 (この『日蓮』という御僧は、 どのような高貴な御僧侶であられるのか!)
【(中略)  にく(憎)みまいらせて候いつるに 】(世相の中の噂話を鵜呑みにして憎んできたが ) 
【まのあたり (御相貌を)をが(拝)みまいらせ候いつる事どもを見て候へば   たうとさに 】
(直接こうして、その御姿・御振舞・御声等を拝するに、その尊い御姿に…)と絶句しているのだ。
【 ・としごろ申しつる念仏は すて候いぬとて・ひうちぶくろ(火打袋)より すず(珠数)とりいだして・すつる者あり、
今は念仏申さじと・せいじゃう(誓状)をたつる者もあり、 】 914P 11〜15行目

上記・この御記述に、何の説明も不要であろう。

『鎌倉幕府』の二心
『種種御振舞御書』のこの段(依智での逗留期間)では、再度、驚くべき事実が述べられている。 
 『竜の口』での斬首計画が、「鎌倉幕府」あげての「弾圧」ではなく あくまでも平左衛門尉頼綱の私怨であった事である。

この「平左衛門尉頼綱」が偽書を捏造してまで『大聖人』を殺そうとした背景には、「極楽寺良観」や「念仏者」の、
莫大な「賄賂」と強力なる「讒言」があった証拠とも言えよう。 (この構図に関しては、既に冒頭で述べている)

ともあれ事態は「斬首の日」当日のうちに、大きく動いていた。  …それが、下記の御記述である。
∴⇒【 此(こ)の人(日蓮大聖人を示す)は とが(失・落度)なき人なり(中略)あやまちしては後悔あるべし 】 915P 3行目
※驚くべき事実とは、上記の「鎌倉幕府第八代執権・北条時宗」の正規書簡である。

『讒言(ざんげん)・マッチポンプ』   大白蓮華  56P (下段) ※御書本文
本来ならば、時の執権のこの書簡で事態は一気に解決するのが常識といえば、そのとおりである。
…が、実際はそうではない。

『日蓮大聖人』が「依智」に逗留されている間(約一ヶ月)に、
鎌倉では「讒言者・聖職者」等による悪意極まりない事件が多発する。
※【 依智にして二十余日・其の間 鎌倉に或は火をつくる事・
  …七八度・或は人をころ(殺)す事ひまなし 】 915〜916P 18〜1行目

大白蓮華  57P (上段)太字⇒  『悪僧たちの謀略(讒言)で、流罪が決定』
(上記から6行目の本文) 実はその間、大聖人を無罪放免にさせまいとする悪僧たちの謀略の嵐が、
鎌倉の門下を巻き込んで吹き荒れていたのです。(抜粋)

実際に行われた暴挙とは⇒「讒言者」が放火・殺人を犯して、『日蓮大聖人』の弟子等の仕業にデッチ上げる事である。
司法の最高司令官「平左衛門尉頼綱」にとって、この讒言者による蛮行こそ『日蓮門下弾圧続行』の最高の口実であった。
【 火をつく(点け)る等は 持斎念仏者が計事(はかりごと)なり ※余はしげければ かかず 】 916P 3行目
【 ※余はしげければ かかず 】とは、類似の「デッチ上げ(マッチポンプ)」事件が他にも多く起った事への示唆であろう。


『流罪地・佐渡』
【 同(文永8年・1271年)十月十日に依智を立って 同十月二十八日に佐渡の国へ著(つき)ぬ 】 916P 4行目
『佐渡流罪』は防げなかったのか。   
逆に又。 『佐渡流罪』は「釈尊」の全予言の正しさを証明する為の『必然』であったのか。

【 仏滅後二千二百余年が間・恐らくは天台智者大師も「一切世間多怨難信」の経文をば行じ給はず 
数数見擯出の明文(の身読は)但 日蓮一人なり  】 916P 10〜11行目
『日蓮大聖人』の真意は『末法御本仏』としての「誓願」の成就以外に無い。(この頃『開目抄』の起草)

「助命」への懇願等は芥子粒も無いのである。  
強いて在るとすれば『一切衆生』の根源の無明を除く事のみである。
その所以(意義)は…流罪・死罪の類は あくまでも「国法」の範疇であり、透徹された『仏法』の敵ではない。

【 行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競(きそ)い起る 】 916P 14行目 とは、その集約の御文証である。
究極の法理である「法華経」に対して、諸宗(爾前を含む)の高僧(聖職者)が結託する構図。これが『魔』の実態である。

【 善根を修すれども念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば
魔王 親のおもひをなして その人間(邪僧)につきて 其の人をもてなし供養す
(その訳は)世間の人に (爾前の高僧等を)実(まこと)の僧と思はせんが為なり 】 917P 2〜4行目

上記にいう『魔王』とは「第六天の魔王」の事である。 ⇒ 本抄 916P 16行目


『塚原三昧堂』
酷寒・熾烈の頂点にあった『塚原三昧堂』を、徹底的に描写し、その深々(じんじん)の意義を解剖する事…
そこで闘い切った『日蓮大聖人』を語り尽くす事で…今回の『種種御振舞御書(佐渡抄)』中編の講義は終っている。       

   大白蓮華 58P(上段)7行目「依智を出発された…」 〜  大白蓮華 62P(下段)12行目迄。

又。その主旨に呼応して、依処とすべき『御書・本文』も、「二編」に亘って講義されている。
@  法華経に説かれている『法華経の行者』への肝心の大原則である「諸法実相乃至本末究竟等」
   大白蓮華  58P (下段)御書本文  
〈日蓮大聖人の確信の骨子〉 : 妙法の五字を弘通する故の諸難(責め)は、
恐らく「聖賢」とされた偉人・先達でさえ「経文通り」に実践していないから、
『難』そのもの…例えば『数数見擯出⇒数(しばし)ば処を追われる』等をも、体験していないであろう。
つまり「釈尊が予言して顕した経文」を一文一句違わず、
経文通り行じたのは、私(日蓮大聖人)一人なのである。
ゆえに『阿耨多羅三藐三菩提』の境地(絶対に成仏する境涯)は疑いない。
そういう意味では、現在の私の周りの『強敵・敵人』達は、
実は『釈尊の経文の正しさを如実に証明する為の』最も重要な「味方」なのである。
「経文の正しさ」とは、端的に言えば『諸法実相乃至本末究竟等』の事であり、それ以外の何者でもない。

A  誠の『発迹顕本』には、徹底的に敵対した『強敵』の存在こそ、第一である事の喝破。  
   大白蓮華  61P ((上段))御書本文  
〈日蓮大聖人の確信の骨子〉 : 濁悪の世にあって、最も中心的に闘う立場の『人』に、
最強の『第六天の魔王』が挑んでくる。例えば『釈尊に対する、堤婆達多のように…』である。
世が「濁悪」であればあるほど、『真の法華経の行者』に対する敵対は強烈であるが…
『敵対』が強いほど、(実は)正しい「史観」では『仏記を強く証明するもの』である。     
例えば…。
今の『鎌倉(源氏・北条)幕府』の存在は
『和田義盛一族』との闘いや『承久の乱」の闘いを勝ち越えての事(現在の繁栄)だ。
そう見るならば…
※@『和田義盛一族』や※A『隠岐の法皇』の存在こそ「鎌倉幕府」にとっての「大味方」である。
※@ 1213年『北条氏』との闘いで滅亡した『和田義盛一族』 
※A1221年『鎌倉幕府』との闘い(承久の乱・朝廷政治の敗北)

私(日蓮大聖人)が誠の『法華経の行者』として振舞えるか否かのポイントは、ただ一つ…。
「東条景信」や「良観房・道隆」「平左衛門尉頼綱」や「北条時宗」等の存在が不可欠である。
※@A参照御書  『兄弟抄 1084P』『高橋入道殿御返事 1461P〜1462P』

『三障四魔(煩悩障・業障・報障  煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔)』   〈注15〉 60P
と  『三類の強敵(俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢)』  〈注16〉 61P

大白蓮華  60P (下段) 5行目〜19行目まで。
『三障四魔』のうち、最も熾烈な「天子魔」〜創価の三代の師弟です。

この御記述の中で最も重要な『三類の強敵』に関する「戸田先生」の発言が以下である。   
∴ 三類の強敵は必ず現れて来るが、…と言われた後 こう続けられた。〈大白蓮華 60P (下段) 13〜16行目〉
「私は喜んでおっても、あなた方が腰を抜かして、退転したのではだめなのです」と語られた。


『発迹顕本』
『発迹顕本』とは、漆黒の混沌(カオス)から『黎明』への脱皮の瞬間である。
大白蓮華  62P (下段) 後から5行目   
『生き詰まりを感じた時にこそ、それら(難・行き詰まり)を悠々と乗り越えよ!』 それが私達の『発迹顕本』である。
その数え切れない実証(一人一人の『発迹顕本』)の上に、  はじめて『創価学会の発迹顕本』が成り立つ。

大白蓮華  63P (上段) 12行目〜最後まで。 
※この部分は、講義参加者全員が、大白蓮華を拝読をして研鑚される事を強く言いたい。

是(ここ)で、数多の御聖訓から『何の為』の真髄たる御記述を拝する。
【 日蓮は法華経のゆへに 度度 所を おは(追)れ 
戦(いくさ)をし 身に手(手傷・深手の事)を お(負)ひ 弟子達を殺され
両度まで遠流(伊豆と佐渡) 既に頸(竜の口)に及べリ。是れ偏(ひとえ)に法華経の御為なり 】 
…とされた後、以下の御金言を顕されている。  以下は通解で顕らわす。

【 通解⇒私(釈尊)の説いた法華経(経典)の中に、 
私(釈尊自身)の滅後の二千二百余年頃に出生・出現し、 
この経典(法華経・南無妙法蓮華経)を閻浮堤(全世界)に流布しようと試み実践する者に対して、
周囲の者の人の身に「天魔」が乗り移って、『この経』の弘通を妨害・阻止するであろう。その「阻止」の手段は、
「悪言・讒言し、罵詈(めり)・毀辱(きにく)し、何度も所を追い、殺戮する」事を行なうだろう。  】
『 妙法比丘尼御返事 1415P 8〜11行目 』

漆黒の闇の中に『暁』を見出す時…『発迹顕本』は既に始まっている。
その「闇・混沌(カオス)」を突き抜ける瞬間とは、正に『太陽が地平線を割って出る瞬間・黎明』である。
『三代の歴代会長』の獄中の闘争こそ、『発迹顕本』から『黎明』への瞬間である。

グングンと中天を指して上昇を続ける「太陽」の存在とは、
『赫々たる青年(弟子)』を指し、『黙然たる王者(師匠)』を言う。
恩師『池田先生』が、かって言われた『午前八時の青年の太陽(かれ)は…』とは、この事(個々の発迹顕本)である。
『個々の発迹顕本』とは、弟子一人一人の勝利を言う。(ここでいう「勝利」とは『蔵の財』ではない)
『種種御振舞御書』が『師弟不二』の重書と結論される所以は、実にここにあるのだ。

『種種御振舞御書 』(佐渡抄)・中編 完    (文責・愚壮)
2012-04-28 再編

[524] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月29日 (火) 21時13分

池田名誉会長 御講義 勝利の経典『御書』に学ぶ                       コピー 絶対厳禁
大白蓮華 2012年6月号 (本項に関しては、大白蓮華との照合実行せず・筆者)
『種種御振舞御書 』(佐渡抄)・後編 御書全集 909P〜925P (約12,780文字)
本抄の最重要主題⇒日本への難は『総罰』
御記述年月日⇒建治2年(1276年)      聖寿55歳    於・身延  
対告衆⇒光日房     御書巻頭に「与・光日房」と御明記       

『塚原三昧堂』
【 かくて・すごす程に 庭には雪つもりて・人も かよ(通)はず 】 917P 10行目
「塚原三昧堂」に『日蓮』は 【 只 一人 】917P 15行目 と。『大聖人暗殺』の企てが「念仏者」の間で表面化する。

その計画を未然に察知し、『日蓮大聖人』を影で護ったのが「本間六郎左衛門尉」であった。
※「影で護った」というより、『日蓮大聖人・流罪』に際しての「添状(副状)」を、忠実に遵守したとの表現が正しい。
【 上(かみ・幕府)より 殺しまう(申)すまじき副状下りて あな(蔑)ずるべき 流人にはあらず 】 917P 18行目
上記の発言は「本間六郎左衛門尉」である… 彼(六郎左衛門尉)は続けて、こう言った。
【 只 法門(法論)にて 攻めよかし(論争すべきだ) 】 918P 1行目

これに呼応した人々の数は【 数百人 】918P 4行目 と御記述である。
上記から、本抄は「塚原問答」(文永9年(1272年)1月16日)の実景に移っていく。

※一般には「塚原問答」の日は1月16日とされておるが、実際は2日間に亘って行われている。
【 今年正月(むつき)一月十六日十七日に佐渡の国の念仏者等 数百人… 】 『佐渡御書 959P 11行目』
1月17日の「公場法論対決」の要旨(内容と趣旨)を詳しく述べられたのが 『法華浄土問答抄 117〜120P』

『塚原問答』
「本間六郎左衛門尉」や家臣たちが見守るなか、続々と「僧侶」や「地元の百姓達」が庭や山野に参集した。
【 佐渡の国のみならず 越後・出羽・奥州・信濃等の国国より集れる法師等 】 918P 3行目   とある。

「塚原三昧堂」に集った多くの僧侶たちに混じって、聴衆の中に「阿仏房」の姿もあったであろう。
そのような中で迎えた定刻…『日蓮大聖人』は「法論」の座の臨まれた。その瞬間の御記述が以下である。
【 念仏者は口口に悪口をなし 真言師は面面に色を失ひ 天台宗ぞ勝つべきよしを・ののしる、
在家の者どもは 聞ふる阿弥陀仏のかたきよと・ののしり・さわぎ・ひびく事・震動雷電の如し、】 918P 5〜7行目

『獅子吼』
聴衆を騒ぐだけ騒がせた後、『日蓮大聖人』は「獅子吼」される。
【 各各 しずまらせ給え・法門の御為にこそ 御渡りあるらめ 悪口等 よしなし 】 918P 6〜7行目
【 御渡りあるらめ 】とは⇒「この場に来た意図の事」を指し   
【 よしなし 】とは⇒「埒が開かない・良い訳が無い事」である。

それを合図に「本間六郎左衛門尉」が
「日蓮御房の言うとおり皆 静かにせよ」と叫びつつ扇動の法師を名指しで叱責した。
※騒ぐ聴衆も 扇動の法師も『正義の獅子吼・言動』の前では、只の「烏合の衆」なのである。

観点を替えれば、『獅子吼(勇気の正論)』があって始めて「諸天善神(ここでは六郎左衛門尉の発言)」が動くのだ。
更に言えば「諸天善神」は『難を打ち破る真の勇気(獅子吼)』を確認してからでないと、決して動かない。
『難』自体に怯むな、という本意は是(ここ)に在るのである。 正に「竹膜を隔つ」のである。『観心本尊抄  249P』

※『御本尊』を日夜朝暮に信受する私達は、如何なる事にも「泰然自若」と甘受せよ。とはこの事である。
※ついでに言っておくが… 『難』が起らないように日々祈念する者が「信者」で、『難』を呼び起こすのが「行者」だ。

扨(さて)。『塚原三昧堂』での「法論」である。
【 利剣をもて(以って)・うり(瓜)を き(切)り 大風の草を なびかすが如し 】 918P 10行目
北国の法師達の爾前の法門など、まったく歯が立たないのは当然といえば当然であった。
ここでも、あの「依智」の時とおなじように、多くの僧・俗が『日蓮仏法』の前に数珠を切るのであった。
やがてスゴスゴと帰る「念仏者」達。 勝負は正に「鎧袖一触」もなく「爾前の完敗」であった。
諸経の王者『法華経』と「爾前経」との「法論」など、交わす前から勝劣は決まりきっている。

『本間六郎左衛門』への諌暁
「死身弘法」の実践を旨とする『日蓮大聖人』には、流罪地での「法論」の勝敗など、毛ほども眼中に無い。 
あるとすれば唯一点。佐渡国の最高権力者「本間六郎左衛門尉」への諌暁である。それが以下である。

『正鵠を射る』
『日蓮大聖人』は「本間六郎左衛門尉」に対して、「武将たる者」の真の振舞を御指導になっている。
『大聖人』の首都鎌倉での卓見と展望。又、「経文の予言」を規範とした御金言が、死地「佐渡」での炯眼だ。

『日蓮大聖人』が「本間六郎左衛門尉」に対して強烈に指摘された事とは、以下である。
【 只今 いくさのあらんずるに 急ぎうちのぼり 高名して 所知を給らぬか…(中略)
田舎にて 田つく(作)り・いくさ(軍備)に・はず(外)れたらんは 恥なるべし… 】 918P 16〜18行目
(通解) 今、鎌倉では軍の配備を展開している時であるので急遽出兵して(俗言⇒「いざ・鎌倉」の語源)
佐渡国に「本間六郎左衛門尉」あり。と名を挙げて、幕府中央からの認知・評価を得べきではないのか。(中略)
(そのような火急の時期に、平穏の生活に拘泥して)安閑と平常の農作業などに没頭して、
※国家(鎌倉幕府)の存亡に関わる防衛軍備に参画・参戦できない事などは、武家として最大の恥辱ではないのか。

※国家(鎌倉幕府)の存亡 ⇒ 【 ををやけ(公務・国家)の御大事 】 918P 16行目 という事である。 
※『日蓮大聖人』の「大炯眼」に接した「六郎左衛門」も、
この時点では 未だ『日蓮仏法』に疑いを持っていたのである。 919P 9行目

厳密にいえば、この時「六郎左衛門」が『日蓮仏法』に瞑目したかどうかは、
『大聖人』の眼中にはない、 あるのは唯ひとつ。 一切衆生への済度(救済)のみである。

『開目抄』
【 此(こ)の文(開目抄)の心は 日蓮に よ(依)りて 日本国の有無は あるべし 】 919P 3行目
『日蓮大聖人』の御存在そのものは『開目抄』の御執筆の為にあった。 これこそ「絶対の根幹」「絶対の至言」である。

【 頸切(きら)るるならば 日蓮が不思議 とど(留)めんと思いて 勘(かんが)えたり 】 919P 2〜3行目 
(通解)若しも私が、このまま斬首されたなら、私自身が身読した「法華経」の真意が後世に正伝されない。
(斬首を怖れてはいないが)その、私自身が身読した「法華経」の真意を、後世に勧進させる為に述作したのだ。

しかし今。我が身の立場は『流罪』である。 つまり「流罪」とは『死罪』である。
【 此の国へ流されたる人の始終 いけ(活)らるる事なし(中略)又 打ちころしたりとも 御とがめなし】 917P 13〜15行目
『開目抄』は「佐渡流罪」が決定した時点の起草で、既に『大聖人』は「流罪即死罪」を読み切られていたのだ。

この『開目抄』御記述の由来の中で『大聖人』が再三に亘って『国家諌暁』をされている。
【 日蓮は日本の人の魂(たましい)なり 平左衛門尉(頼綱) 既に日本の柱をたを(倒)しぬ 】 919P 3行目 とされた後…
日本国を襲うであろう「他国侵逼の難・自界叛逆の難」の二難を『開目抄』の中でも「予言」されているのである。  919P 4行目

『日蓮大聖人』の真骨頂たる国家諌暁は、誠に熾烈であった…とは、『本抄・種種御振舞御書』の御記述である。
【 つきたる弟子等も あらぎ(強義・国家諌暁の内容が強烈の意)かなと思へども 力及ばざりげにて… 】 919P 6〜7行目

※ つきたる弟子等 と。御記述である。  
(筆者の浅識では「佐渡時代の常随給仕」の弟子は「日興上人」のみと理解している。)
つまり…つきたる弟子等の『等』という複数形が、難読である。…が…この御表現は他の御書に※散見される故、ここで止める。
※散見⇒読者の誤読を恐れるゆえ…参考の為に御題号のみ記述しておく。  『富木殿御書』 『妙法比丘尼御返事』

中務三郎左衛門尉頼基(四条金吾)の使者
【 …中務三郎左衛門尉が使(使者)にとらせぬ 】 919P 6行目 (これが文永9年(1272年)の2月中旬頃である)
ここで、世紀の巨編『開目抄』は、偉大な仏法史の中に燦然たる『正史』としての存在と 昇華するのである。
『仏法』には「符合」という重大な意義・法理がある。
重書『開目抄』が『日蓮大聖人の所在地・(御本仏の在る所⇔霊鷲山)』を離れて「謗法の首都・鎌倉」へ討ち入る日…
時を同じくして…。「首都」に惹起した大異変を告ぐ早舟が「佐渡」に到着するのだ。 (これが時の『符合』である)

地頭・本間六郎左衛門尉の帰依
【 二月の十八日に 島に船つく、鎌倉に軍(いくさ)あり京にもあり・そのやう申す計りなし、(本間)六郎左衛門尉・
其の夜に はやふね(早舟)をもって 一門 相具(あいぐ)してわた(渡)る  】 919P 7〜8行目
(通解) 2月18日、鎌倉の異変を告げる船が来て「首都・鎌倉や京都で紛争が起っているが委細は判らない」という。
その報に接した「本間六郎左衛門尉」は、その夜に『緊急出動』し、一族の武士達全員が武装を調えて出陣船出した。

その「出陣の船出」の直前、本間六郎左衛門尉が『日蓮大聖人』に向って合掌しつつ、以下の発言をしている。
【 たすけさせ給え、去(いぬ)る正月十六日(塚原問答の日)の御言 いかにやと此程 疑い申しつるに・  
いくほどなく三十日が内に あひ候いぬ、又 蒙古国も一定 渡り候いなん、念仏無間地獄も一定にて候はんずらん 】
(通解) 私を助けて下さい。思えば…先月の16日の塚原での御言葉を「まさか鎌倉で内乱が起るなんて」と、
疑っていました。  しかし、一ヶ月の間に『予言』は的中しました。この事から鑑みても「蒙古軍の襲来」も
「念仏を信じる者は無間地獄に堕ちる」も、決まりきった事(一定)と思います。     919P 8〜10行目 
※「塚原問答」から33日目… ここで「本間六郎左衛門尉」は正式に『日蓮大聖人門下』として傘下に連なるのである。

『追撃の手を緩めるな』
「本抄・種種御振舞御書」の根幹は全編之『国家諌暁』『謗法厳戒』である。
就中。「佐渡流罪中」は、究極の御聖訓を複数に亘って拝する事が出来る。
その理由は何処に在るのか。又 何故なのか。

繰り返す事に気が滅入るが、言っておかねば『種種御振舞御書講義』にならないので記述しておく。
それが『法華経の行者』の存在自体の量れない「厳格さ・重さ」である。(厳格⇒法理の為には一歩も譲らぬ事)

その「厳格」を知る為に、ここで再び「本間六郎左衛門」への厳しき御記述を確認する。
【 いかに云うとも 相模守殿(北条時宗)等の 用ひ給はざらんには日本国の人 用うまじ 
用ゐずば 国必ず亡ぶべし、
日蓮は幼若(ようにゃく・御謙遜語)の者なれども法華経を弘むれば 釈迦仏の御使ぞかし、
わづかの天照太神・正八幡なんどと申すは 此(こ)の国には重けれども 
梵釈・日月・四天に対すれば小神ぞかし、(中略)   教主釈尊の御使なれば 
天照太神・正八幡宮も頭(こうべ)をかたぶ(傾)け手を合せて地に伏し給うべき事なり 】919P 10〜15行目
(通解) 貴方(本間六郎左衛門尉)が法華経に帰依しても、
日本国の執権(国主)が帰依しなければ日本国の民衆は帰依しない。
又更に、日本国全体が「正法・法華経」に帰依しなければ この国は必ず滅亡する。
私の知識は非常に浅く経験も積んでいないが、
『法華経』を経文の如く弘通しているので「釈尊の使者」なのである。
それに比べて日本国の神である「天照太神」や「八幡大菩薩」などは、日本国にとっては最上の神であるが、
「釈尊」の弟子である「梵天」や「帝釈天」。
或は「大日天・大月天」。四大天王の持国・増長・広目・毘沙門に比べれば、
位の低い、又 力の弱い神である(中略) …私(日蓮)が「釈尊の使者」という事は、
「天照太神」や「八幡大菩薩」も 私(日蓮)の前に来れば頭を下げて礼拝し、
合掌し「五体投地」しなければいけないほどなのである。 (以上ここまで 通解)

上記の長文を引用したのは「流罪地」にあっても悠然と『破権門理・破折』を実践される『大聖人』の御振舞を知る為だ。
『法華経の敵(謗法)』に対する「厳格」さとは、三代の歴代会長の御振舞を彷彿するものである。

その上で、次下の御聖訓を身読して、『日蓮仏法』の深義を学びたいのである。
【 かかる日蓮を用いぬるとも あ(悪)しく うや(敬)まえば 国亡ぶべし 】 919P 16行目 が、それである。

つまり…今まで私(日蓮大聖人)に、多くの「迫害」を成して来た日本国が、此の度は「斬首」にまで及んだのだ。
それでも私は、この国の恩に報じる為「護国の祈念」をしてきた。極言すれば…私が居るから「日本国」は安穏であったのだ。
しかし…これ以上『仏法・正法』を疎んじる蛮行を(幕府と謗法の高僧達が)続けるとすれば「厳罰」は止められない。

もとより『大聖人』御自身の安泰を願う選択など毛頭ない。とする事が『末法御本仏』としての究極の御振舞である。
『断じて此(こ)の国を亡ぼしてはならない』という熱請(御誓願)が、「病根部分」への直言となるのである。

『精髄』
【 此(こ)の度も用ひずば 大蒙古国より打手(うちて・うって)を向けて日本国 ほろ(滅・亡)ぼさるべし 】 919P 最終行
こう断言された『日蓮大聖人』は、返す刀で「平左衛門尉頼綱」を強烈に「破折」されている。
【 ただ(この事⇒自界叛逆の難・他国侵逼の難の惹起は)平左衛門尉が好む わざわ(禍)ひなり 】 920P 1行目

『平穏の中で蠢く讒言』
文永9年(1272年)2月に「首都鎌倉」と「京都」で起った内紛(二月騒動)を契機に
「佐渡」の世論は一応沈静した。又、民衆の中には『日蓮仏法』に共感を示した者も居た。
更に、念仏からの離脱などが見られる様相となる。  920P 1〜4行目

一旦「なりを潜めた」かに見えた「※念仏僧」は、
この後「二年間」に亘って『日蓮大聖人』への「迫害」を続けたのである。
※「念仏僧」とは、
「鎌倉在住」の宗教家(良観)や「鎌倉幕府の重鎮(武蔵前司・第三代執権 北条義時)」と
常に緊密に連繋をとり、『日蓮大聖人』の抹殺を最後まで企んだ連中の事である。
『日蓮大聖人』を何が何でも抹殺する。  この為には思いつく事を何でもした。  920P 5〜12行目


「大聖人御自身への虚言」「偽の御教書での脅迫」「権力者の女房(上掾jへの吹聴」「日蓮門下の身柄拘束」
鎌倉近郊の大聖人の弟子檀那達が「讒言」で入牢した第一期の多くは「竜の口」から「佐渡流罪」の時期である。
注:入牢多発の第二期は鎌倉幕府からの「寺房寄進」「法華経允許」を『日蓮大聖人』が拒否して「身延入山」された後である。

『佐渡流罪の赦免』
【 文永十一年(1275年)二月十四日の御赦免の状・同三月八日に島につきぬ 】920P 12〜13行目
これを知った佐渡の念仏者は、
「※善導和尚や法然上人を公然と罵(のの)しった者が赦免とは何事か」と悔しがった。
※善導和尚⇒中国浄土宗の開祖    ※法然上人⇒日本浄土宗の開祖

『日蓮大聖人』を生きて海を越えさせない為の、あらゆる画策も「思わぬ順風」で頓挫している。
【 思わざるに順風吹き来たりて島をば(中略)須臾(短時間の事)の間に渡りぬ 】 920P 15〜16行目

これを知って「佐渡の法師は何をモタモタしているのか」と憤慨したのが「越後・信濃」方面の「念仏者」である。
【 我等は いかにも生身の阿弥陀仏の御前をば・とを(通)すまじ 】 920P 17〜18行目 と意気込んでいた。

そのような、極めて厳しい状況が重なるの中で、非常に興味深い御記述がある。 それが下記である。
【 越後の こう(国府)より兵者(つわもの・警護の武士達)ども・あまた(数多)日蓮に そ(添)ひて 】 920P 最終行
『日蓮大聖人』に対して、鎌倉幕府は厳重な警護隊で護衛した。 これは鎌倉幕府自体が決定した事であった。
これ(護衛)は、『大聖人』の鎌倉帰還後に「北条時宗」の法華経帰依・寺院寄贈・法門允許など懐柔策の一環である。

法華経帰依・寺院寄贈・法門允許など懐柔策の中で、非常に興味深い『ヨタ』を紹介しよう。
【 富士日興上人詳伝(上)聖教文庫抜粋 60〜61P 】
御赦免により帰鎌後に、平の左衛門尉頼綱を通して、時の執権時宗(法光寺殿)の内意は
大聖人を優待して法的外護に当らしめんの意が動いたのであるけれども(中略)思い切ったは(出来なかった)
(中略) その優待法(方法)が区々(まちまち)に伝説せられてある。
なかにも百六箇御相伝の付記(富士宗学要集 第一巻 相伝信条部〔22P〕)に…
「然るに鎌倉殿より十万貫の御寄進有りしを縁と為して諸所を去り(云云)」とある。(中略)
わが宗門の多くの弁舌家が このことを「高閣に束ねて」むしろ十万貫のヨタを飛ばすであろうことを寒心する。
(これが、「宗門」の実態である)

『鎌倉帰還』とは、あくまでも「闘争(戦い)」だ。
文永十一年(1275年)3月26日。遂に『日蓮大聖人』は「鎌倉帰還」を果たす。実に『竜の口』から925日目の事であった。
【 三月十三日に島をた立ちて 同三月二十六日に 鎌倉に打ち入りぬ。 】 921P 1行目(打ち入るとは⇒闘争)
※ 上記の詳細は『光日房御書 928P 2〜5行目』の御記述を参考にされたい。

『三度目の高名』
「鎌倉帰還」を果たされた『日蓮大聖人』は、文永十一年(1275年)4月8日 「平左衛門尉頼綱」に御対面される。
この事を『三度目の高名(国家諌暁)』という。⇒ 『 撰時抄 287P 8〜18行目(14〜15行目) 』
『日蓮大聖人』の御命を狙った「平左衛門尉頼綱」の、この時の豹変ぶりは凄まじいものであった。
【に(似)るべくもなく威儀を和(やわ)らげて】921P 2行目 …と、日蓮大聖人に擦り寄ってくる。


『平左衛門尉頼綱』の本音
【 平の左衛門尉は上(かみ⇒執権)の御使の様(てい⇒装い⇒仮体)にて 】 921P 4行目
当日の会見には「平左衛門尉」の他にも何人かの幕府高官が居た事が本抄でも覗える。
会見の主旨は「蒙古軍は本当に日本に攻めて来るのか」であり、それ以外はない。
【 大蒙古国は いつか(何頃) 渡り(日本へ攻め来る)候べき 】  『本抄 921P 3行目』 
【 頼綱 問うて云く いつごろ(何頃) よせ(寄せ・攻め寄せ)候べき 】 『撰時抄 287P 18行目』
『日蓮大聖人』の御記述を検証する時⇒「この質問こそ、鎌倉幕府の重大関心事である事」が判るのだ.。

『一定』とは、決まりきった事。という意味である。
「平左衛門尉頼綱」の問いに対する『日蓮大聖人』の御金言は。『一定なり!』である。
『蒙古軍は、絶対に日本国に攻め上る』  この『日蓮大聖人』の大獅子吼に「鎌倉幕府中枢」は縮み上がった。

縮み上がったのには訳が有る…「鎌倉幕府設立時」に「否定できない、過去の規範破り」があったのだ。
その法則違反の歴史を断じて認めたくなかった。      が「史実」は認めざるを得なかったのである。
それが『@廃仏派の惨敗  A承久の乱に於いての下克上  B弘法の祈祷による朝廷の敗北』
等々という大原則である。

※『廃仏派(平清盛)の惨死・惨敗 1429P』とは「鎌倉幕府自身」が勝者となった直近・現実の歴史であった。
つまり…「飛ぶ鳥をも落とす」と言われ。「栄華の限り」を尽した「平家」の滅亡の因が「廃仏主義」であったのだ。

「鎌倉幕府中枢」が縮み上がり怖れたのは「平家」の国王(平清盛・太政大臣)が「廃仏主義(下克上)」で亡びた事だ。
※「下克上」とは一般に「武家如きの「下輩」が朝廷に敵対した事」をいう。
しかし『正法毀謗・正法誹謗』以上の「下克上」は無い。
実は『一定』とは、「廃仏主義」就中。根幹の『正法』を毀謗する罪科への「還着於本人」を謳ったものなのだ。

『祈雨』
例えば…「祈雨」である。 これは、「祈った時点」から即。結果として、すぐに顕れなければ祈雨ではない。
「祈雨」と称して、拙(つたな)い「邪祈(通力)」を駆使して「遅まきの雨を降らす」等は、猿芝居の類である。
それも…「二週間」も過ぎてから降った風雨を「祈雨の霊験」と、弘法などは強弁するのである。
こんなものは、「祈雨」とは言わない。とは『日蓮大聖人』の痛烈な御記述である。 922P 11行目
いずれにしても…『正法誹謗・正法毀謗』の延長線上の祈りは「祈雨の祈り」を含めて「呪詛の類」である。

そして…『身延入山』
【 本より ご(期)せし事なれば  三度・国を いさ(諌)めんに・もち(用)ゐずば国をさるべし 】 923P 1行目
『本より ご(期)せし事』とは⇒内奥で『未萌』を知り尽くしている事なのであるが。
公説(公の説明・表向き)理由は⇒古(いにしえ)の賢聖に倣(なら)って…と、『日蓮大聖人』は鎌倉を去る。

身延に至たる道程。又、その時の御心情の詳細・意義等は、下記『御書』を深く深く拝読せよ。
『下山御消息 357〜8P』   『百六箇抄(細字) 869P』   『富木殿御書 964P』
『妙法比丘尼御返事 1413〜4P』  『高橋入道殿御返事 1460〜1P』  『三沢抄 1489P』
上記にて「平左衛門尉頼綱」が諌暁を聞き入れ無かったので『身延入山』したという軽いものでは無い事がわかる。
【 夫(そ)れ 宝山には曲林をき(伐)る 大海には死骸をとどめず 】 923P 10行目
上記御金言の次下に『日蓮大聖人』の御筆で通解が御記述されている…よくよく咀嚼すべきである。


(その通解文)⇒【 仏法の大海・一乗の宝山には五逆の瓦礫・※四重の濁水をば入るれども
誹謗の死骸と一闡堤の曲林をば・をさ(収)めざるなり 】 923P 10〜11行目
※四重⇒比丘(僧侶)の戒(四重禁)⇒殺生・倫盗・邪淫・妄語

したがって『身延入山』は、逃避でも厭世でも遁世でもない。唯々深山に在って『国の安泰を祈念する為』であった。
『安国の祈念』の奥底・根源は『一切衆生の元品の無明を断切る事』(如我昔所願(にょがしゃく・しょがん))という。
※ 如我昔所願(にょがしゃく・しょがん)⇒ 『御義口伝上 720P』

『喝破』
国王・世間含めて「真言」や「念仏」を尊崇している。
その「尊崇の的」である「弘法・慈覚」等を、呵責なく攻める『日蓮大聖人』。

恐らくは…当時の世論に完全に逆行しているのが『日蓮仏法』の精髄であろう。
…では、何故鋭く「破折」されたのか。
【 弘法・慈覚等は あさましき(仏語に違反している)事どもは あれども 
弟子ども隠せしかば公家にもしらせ給はず、末の代は・いよいよ・あを(仰)ぐなり、
あらは(顕わ)す人なくば 未来永劫までも・さであるべし 】 924P 1〜2行目

『間違っている事は毅然とその旨を、その場で指摘する』
…その「法理」の正邪を「命」に及んでも、叫んでいく。
「烙印」を押されても、「遠流」されても、「頸の座」に臨んでも 
…『敢然と、正義を叫びつづける』。

※『そこが違う!』と具申しても、聴く耳も持たずに無視し、
逆に「反逆者」のレッテルを貼る事こそ、自滅の道だ。
つまり。圧倒的に多くの「人」が支持する事象が「捏造・誤謬」で、
必ずしも「正論」ではない。という危惧である。

『味方は少なし 敵多し』というのが証左であり、
圧倒的多数の「世論」が「邪論」というのが『御書』の御指摘・根幹である。
結論は、あくまでも謙虚に、あくまでも冷静に、
あくまでも正確に、『正史』を学べ。という事である。
それこそ 正しい『日蓮仏法』ではないのか。    
これこそ正真正銘の『創価仏法』ではないのか。

『結論』
【 法華経の行者を  あだ(怨)む者は 頭破作七分と と(説)かれて候に  
…日蓮房をそし(謗)れども  頭(こうべ)も わ(割)れぬは
日蓮房は法華経の行者には あらざるか 】   924P 10〜11行目
…と。 最も皆が思っている事 (誠に恐ろしい事だが、弟子も含んでいる事)の御記述である。

『法華経の行者』
【 日蓮は 南無妙法蓮華経と唱うる故に 二十余年 所を追はれ 
…二度まで御勘気を蒙(こうむ)り 】 925P 6行目
…とは、『法華経の行者』の『法華経の行者』たる重大なる結論である。

※もう一度言っておくが… 
『難』が起らないように日々祈念する者が「信者」で、『難』を呼び起こすのが「行者」だ。

最後に、雪の深い中を訪れた『光日尼』に対して、最大の御讃嘆の御言葉で結ばれている。 925P 9〜11行目
終に書いておく…  『種種御振舞御書』とは、近世に於ける『若き指導者は勝った』である。

『種種御振舞御書 』(佐渡抄)・後編(総体の記述) 完  (文責・愚壮)
2012-04-28  編

[525] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月30日 (水) 04時17分

『種種御振舞御書(佐渡抄)』を「大白蓮華」に添って三分割し、
あろう事か『池田先生』の高度の御講義に紛れて、「前・中・後編」と、一応の終了をした。

元より「愚壮」は、毛虫・百足(ムカデ)・海月(クラゲ)の類以下で、大凡(おおよそ)の取り柄すらもない。               
…とは、かかる「毛虫・百足(ムカデ)・海月(クラゲ)」の諸君にも申し訳ない位の下劣漢でもある。

「愚壮」の実像は、むしろ…(棘や毒針を抜いてしまった 毛虫・百足(ムカデ)・海月(クラゲ))である。
ましてや、同じく刺さっても…。 ヤマアラシ・針鼠達が持つ程の「風格」も無い。

而して…。   『謗法厳戒』とは『日蓮仏法』に於ける根幹・精髄である。
この「根幹」に翳りが見えたのが…「重須(おもす)時代」の頃。…とすれば、
その「病根」の深さは深層である。 

例えば…  例えばであるが。
もしやその時代に、かの『百六箇抄(血脈抄)』等は無く、
ずっと後期に、 (『百六箇抄』さえもが) 創り添えられたのではないのか…と、疑う程の「乱脈」である。
『なにが迹門で、何が本門なのか…』とは、2012年6月号の36Pを拝読するまでもないとする。

『松柏風波・万声一如』須(すべから)く此れ『諸法実相』とは、『百六箇抄』の曰う「本門」である。
『諸法実相乃至本末究竟等』と指し示された「根底」とは、是である。

といいつつ…2012年5月23日23:00頃、私は「救急搬送」されていた。
その深夜。付き添いの「長男」が…「これは無理だ」と『T支部長』に勤務欠勤の連絡を急遽した。
( 急遽御連絡の理由は ⇒ 「愚壮」の職場が『T支部長』と同じである故 )

昭和60年か、その付近の年頭初出勤の朝。私は強烈なる「大転倒」をして死線を彷徨ったが…。
それに匹敵するほどの「大怪我」に、   この直近の5月23日に「愚壮」は再び遭遇した。

「裂傷の鼻下」は八針の縫合で…「長男」が『これでは(明日の仕事は無理だ)』と判断した。
それでも、一日も欠勤しない私は、結局皆に御心配と「無謀への顰蹙」を頂いた。

然しても…『愚壮』は思う。 
『懸案の種種御振舞御書(佐渡抄)』であるので、及ばず乍らも 「書けてよかった」と…。

ところで… 抜糸は 6月1日の予定じゃ…(アイタタタ)

[526] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月30日 (水) 17時31分

『中興入道御消息』1331〜1335p 勝利の経典『御書』に学ぶ…本抄の白眉は 1332p-7行目 〜 1333p-7行目 である。
時代背景⇒弘安2年(1279年)己卯11月30日  身延発  対告衆⇒身延を訪れていた『中興入道の妻女』
対告衆の夫⇒『中興入道』  『中興入道』の父親が『中興次郎入道』である。     

 以下は対告衆への称賛部分 1334p
【 御前は又(中興入道の)嫁なり・(中略)・故入道殿のあとを継ぎ
 国主(北条時宗)も御用いなき法華経を(信じている・のみならず)
・法華経の行者を養わせ給いて・(毎年、身延までの遠路に「夫」を送り出している、
又幼くして逝去した娘の供養も続けている 】

日蓮大聖人を見て【ゆえある人にや  1333p 】と直感した中興次郎入道の炯眼   
(日蓮大聖人の存在の真意を見抜いた人⇒北条時頼〔915p〕 一谷入道〔1315p 1329p〕)

佐渡で『日蓮大聖人』を守り抜いた帰依者⇒阿仏房夫妻と子息・国府入道夫妻・中興入道夫妻と父・是日尼 1335p
帰依はしていないが『日蓮大聖人』を守り抜いた人々⇒松野六郎左衛門と一族郎党 ・一谷入道夫妻
 
『大白蓮華』本文の抜粋      池田名誉会長は叫ぶ!『究極は宿命転換である』そして『いよいよ、これからだ』である!
『広宣流布』とは何か。『善性の触発』とは何か。        『広宣流布』とは人と人との友情と信頼と尊敬の広がりである。
『同苦』とは何か。『激励』とは何か。人間はどこまで『同苦』できるのか。          『同苦』とは『願兼於業』である。

2011年○月度の『T水滸会』の教材は『中興入道消息』である。と、上記の如くの編集は「愚壮」の任務であった。
『S前総県長』との呼吸も宜しく、万端の準備も『少し時期が早すぎるか…』と、全く問題の無い ○月の10日すぎである。
『初代K市のT圏長 昨夜御逝去・今夕 通夜式』という驚愕の訃報が かすかに聞こえた。

『かすかに聞こえた』とは、正式の訃報が『愚壮』には届かなかったという事実であった。
(悲報第一報を「愚壮」に もたらした『T支部長』にも、直接の報は無かったとか)
『初代 T 圏長』といえば、あの昭和54年4月に御勇退になられた『生涯の恩師』を…
翌55年3月9日。六百余名の同志を引き連れて『東京の学会本部』に求めた「関西屈指」の直弟子であられる。

亦。「愚壮」こそ、その『初代 T 圏長』鎮座地域の『支部長』を任じた人間である。
『その「愚壮」に「訃報」どころか、通夜式・告別式の時間帯を知らせないとは何事か』…と、逆上した。

「中○副圏長」と言う人が居る。
入会以来。私が何かと御世話をかけている人である。
怒りに震える私は、この「中○副圏長」のところへ飛んで行く。

「中○副圏長」は、シラッとこう言った。「俺のところへも、知らせは無いよ」
「…しかしなあ。 俺は、直接の知らせは無くても 知った時点で「通夜」に参列したよ…」
「…それが、『同志』というもんだ」

私は、この「中○副圏長」の一言に、忘れていたものを『思い出した』
「被害者根性」丸出しの私自身に、ホトホト嫌気が差した瞬間であった。

ともあれ。『初代 T 圏長』の御逝去は、一つの時代の「句読点」を打ったのである。
平成23年○月10日 享年80歳であられた。

[528] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月31日 (木) 09時30分

下記は「聖教新聞 2012年1月24日付の(2月度御書講義)」の講義文抜粋である。
その記事の最右辺 最下段の文章に 「賢王ですから、その(折伏の事)担い手は在家です。」とある。
【 以下 】
在家の人々が愚王すなわち仏法を理解しない勢力と戦いながら妙法を弘めていくことが化儀の折伏なのです。
それでは、末法において現実の社会に妙法を弘通してきた在家とは何かといえば
事実に照らして、それは創価学会以外にありません(中略)この御文は、創価学会の仏法上の意義云云(後略)」

抜粋部の要約とは⇒『賢王』⇔『在家』⇔『創価学会』となる。
概論として⇒『観心本尊抄』そのものが創価学会の存在意義の御聖訓としている。

   ここで『開目抄』を拝読する。
【 日本の諸人(一闡堤の一切衆生)は爪上の土か 日蓮は十方の土か よくよく思惟あるべし 
賢王の世には道理かつべし 愚主(愚王)の世に 非道・先 を(押)すべし 】『開目抄上 195P』
通解・「日本の総ての人々が爪上の土(悪世に於ける稀少の正法弘持(ぐじ)の者)なのか、
経典を身読して数々の大難を起している『日蓮大聖人』が十方の土(掃いて棄てるほど、どこにでも存在する愚者)なのか、
私の門下を名乗る者は、深く思索しなさい。
   このような対比(一切衆生が「爪上の土」⇔『日蓮大聖人』が十方の土)の解答は、考えなくても理解できるであろう。

世が「善(よ)き為政者・賢王」の時代には、釈尊の仏記の通り「仏法の道理・教範」は通用するが、
反対に「為政者」が諸悪の根源を知ろうとしない『末法』の世では、
   「非道・邪(よこしま)な思想」が真っ先に押し出て来るのである。

【 大集経二十八に云く「若し国王(賢王・為政者)有って 我が法の滅せんことを見て捨てて擁護(おうご)せずんば
無量世に於て 施戒慧(正法を供養し持戒し一切の法に達観する事)を修すとも
悉(ことごと)く皆 滅失し 其の国に三種の不祥の事を出(いだ)さん 】『守護国家論 59P』
通解・大集経にはこう説いている「もしも国王・為政者が「仏法」の衰退・「思想」の混乱を見捨てて擁護しなければ
(仮に、その賢王が反省して)未来永劫の生死の間、その正法を供養し持戒し一切の法に達観する事を続けても、
賢王の国土に所有する全ての人材・資産は瓦壊し、国家には三災が惹起して、不幸の事態に陥るであろう」

『日蓮大聖人』の御聖訓の、どこをどう解釈したら『賢王即在家』となるのか、バカバカしくて涙が止まらん。 (以下。破折する)
『日蓮大聖人』の御記述にある「賢王」とは、最善・最悪(正法への認識の正誤)に達観した為政者を示唆するものである。
つまり、「為政者」の善悪(正法の認識度)が庶民の幸不幸を左右するのである。
「賢王」即「在家の門下」を示すものではない。

聖教新聞 2012年1月24日の2月度御書講義で言う⇒「賢王即在家」は僻見である。
不変の原点の「長(庶民のリーダー)の一念」を、ある意味 遠回しで否定する事で「自語相違」である。

「長(庶民のリーダー)の一念」の『長』とは「庶民(普遍的視野層)から派生した長」であり「賢王⇔為政者⇔上層階級」ではない。

【 …一句をも 人にかた(語)らん人は 如来の使と見えたり、貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし 】『椎地四郎殿御書 1448P 9行目』
上記の「御聖訓」【貴辺 ※すでに俗なり(王ではない) 善男子の人なるべし】を、一体全体 何と拝読しているのか伺いたいものである。
※すでにとは⇒元々という意味である。
強く言えば⇒『日蓮大聖人』は四郎に『あなたは元々、出家して法理を学んでいないのに奥義に迫っている』との讃嘆だ。

∴強調の為の記述        是(ここ)で再度強く確認をしておくのは『賢王・愚王』の御記述の深義であろう。

先ず。『一文一句でも(正法・正義を)語る人』とは即「如来の使い」つまり『仏』の派遣した使者なのである。(戸田先生の御指導)
それに対し、『賢王・愚王(為政者)』の如きは所詮いつの世も「二乗(声聞・縁覚)の人」でしかなく、『法華経の行者』ではない。
真の『法華経の行者』とは庶民の範疇で、遠くは神四郎・弥五郎・弥六郎。近くは「三代の歴代会長」である。

「賢王即在家」という僻見・曲解(拡がり過ぎた論旨)が「一見正論・正体は愚論」と、筆者が破折するのは是(ここ)に有るのである。 
『御書』に在る『王者』(鷲と鯱で譬喩されている門下の振舞の事)とは、
『忍難弘通』の名声なき庶民を指すのであって「為政者」の類ではない。

本抄(観心本尊抄の講義範囲の御聖訓)の「賢王・愚王」の真意は
その為政者が『正法』を見る目(炯眼か否か)の尺度の分類だ。
つまり、『正法』を『正法』として認める「為政者」を賢王と顕わし、
『法』の善悪を見抜けぬ「為政者」を愚王と御記述されているのである。

要は、そのような「ヨタ」を『550万部発行』の聖教新聞に掲載して、無数の同志を狂わすのが黙認出来ないのである。
「賢王即在家」…。   どこにそのような『日蓮仏法』を捻じ曲げる如き記述があるのか、御指摘願いたいものである。

『御書 上野殿御返事 1560P』には、武家の棟梁である「源氏と平家」でさえ『番犬』と言い放たれているではないか。
【 日本国の武士の中に 「源平二家」と申して 『王(朝廷・帝)』の門守(もんまもり)の犬 二疋(二匹)候 】

緩枷にしてはいけない原点(源流)故に、『数数見擯出』等の御身読の事実は、隠蔽するべきではないのである。

[532] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年05月31日 (木) 19時41分

平成24年2月11日 この日の聖教新聞第二面に『正史』の記述があった。
『創価班・大学校入卒式』での「渡辺委員長」の発言が『正史中の正史』であるので抜粋して賞嘆する。

(以下 抜粋文) 【 本年、1月6日が「創価班、師弟誓願の日」に決定しました(中略)
この「1・6」は、51年(昭和26年)に、23歳の池田先生が
恩師・戸田先生から公私にわたる一切の後事を託された日でありました。 】(以上 聖教新聞抜粋)

『師弟不二』の誠を再確認する「熱文」を目の当たりにした「愚壮」は、
上記の文章が『正史』の極みである事に感涙した。

『愚壮』が甚(いた)く感嘆した「渡辺委員長」の『正視眼』である。    
この淵源となった、昭和26年1月6日の実際の出来事を記述する。

以下抜粋(ママ)・『若き指導者は勝った 第6回 第二代会長 3    2009年1月13日(実配)』
【 1月6日の土曜日、師(戸田城聖)の自宅に呼ばれた。
大蔵省に提出する書類を整理するためだったが、戸田と妻のほかは、だれもいない。
(中略)心労から戸田の頬はこけていた。
(戸田は)万一の場合、学会のことも、事業のことも、家族のことも引き受けてくれないか、と頭を下げた。
弟子は、すでに一生を師匠の捧げる覚悟ができていることを述べ、
大楠公の楠木正成、正行親子に、二人を重ね合せた。(中略)

しばらくあとの日記に、(池田先生は)こう記した。「師弟ノ道ヲ、学会永遠ニ、留メオクコト」  】以上抜粋
この記述に続く文面にも、思わず身を引き締める箇所があるが、
『池田先生の格調高き誓願』を、「愚壮」如きが所感を述べて汚すべきではない。

[533] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年05月31日 (木) 20時03分

愚壮さま

2012年5月30日〜忘れ得ぬ風景

背景は、東北健児より画像が届き次第差し替えます。
暫くは借りものです。お許し下さいませ<(_ _)>

[535] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月01日 (金) 04時46分

平成11年の今朝。『ケンちゃん』は憤死した。 訃報は、現在は宮崎県に在住である『Y支部長(当時)』から聞く。
昭和47年秋。当地に流れ着いた「愚壮」を、度々のその御訪問で私を組織の中に誘い…
今の「愚壮」の礎を造って下さった人であった。

この「49歳」での早逝は、当時の諸事の中でも特筆の衝撃であった。
その頃、東京から還られていた「名物部長」と「愚壮」とが、余人を入れずに「枕経」を奉行した事さえ…
今。微かなる『色褪せ』もなく、万事鮮明に蘇っている。

「早梅雨」の蒸し暑き早朝…。と   悲劇はよみがえる。
『嗚呼… あれから既に、13年の時が流れたのか…』と、 私は今も「同志」を念(おも)うのである。

合掌   南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経   南無妙法蓮華経

追伸候  『背景』の事。
誠に行き届いた御配慮です。衷心より御礼申すのみです。
ありがとうございます。

[536] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月01日 (金) 09時56分

※愚壮の思い・『御書』について。   
以下を、このように何度も書く意味は、強く確認しておきたい事がある為である。 

先ず御述作されたのは『日蓮大聖人』である。      御記述内容の分類では(但し、便宜上の連番で、順不同)
@『論文(法理の根幹書)』 A『日蓮大聖人即末法御本仏の告知状』 B『法嗣の相承書』 
C『国家への質問状』 D『弟子への訓戒書』E『日蓮大聖人御自身の振舞状』 F『御指導の書(指南書)』
G『供養への礼状』 H『門下の質問への返書』 I『門下への近況報告書』等々である。

この内、後世に残さなければいけない『重抄』とされるものは、(保管者の意思で)書写をした。
つまり…「これは遺す可(べ)き」という「書簡」のみ書写(今でいうコピー)をして、
その最も誤りの無い・誤字皆無の正本を、家宝として厳重に保管をした(時代写しという)。

特に、『血脈抄(百六箇抄)』・『本因妙抄』等、宗門・門外不出の『御書』は厳格に護持されてきた。
(…と断言出来ない悲しさは余談として…)

しかるに…『十大部』を含む殆んどの『御書』は、主に「門下(対告衆)」宛に送付されたのが実際であった。
(つまり…殆んどの『御書』は、書写・時代写しが不可能という厳しい現実に思い当たれ)
「散逸」という、最も忌むべき事態が多発したのは、「保管者」の杜撰さにもよるが…
重要性を具(つぶさ)に伝え得なかった※『直弟子(僧分)』の怠慢の方が、厳しく指弾・指摘されよう。

この事(※『直弟子(僧分)』の怠慢)を、『第59世:堀日亨上人猊下』がその「序」で訴えられているのである。
『御書』の「散逸」に関して、あまりクドクドと書きたくないのでこのくらいにする。 このくらいにするが…
最も重要な事を書いて、確かめておく。

『御書』とは、『対告衆』に対して与えられたもの⇒その性格上『全国各地に散らばっている文献』なのである。
故に『編纂・編集』が大難事なのだ。
であれば、尚の事。この『新編・御書全集』編纂・編集という重大事に、
御生涯の薀蓄の全てを傾けられた『第59世:堀日亨上人猊下』への報恩を忘れてはならぬのだ。

私達が今。常にいつでも『御書』を繙けるのは、
これ総て。『第59世:堀日亨上人猊下』の全国御踏破・御走破の御成果・御研鑚の賜物である。
その上で、絶対に言える事は『第59世:堀日亨上人猊下』の御生涯の薀蓄・御研究に対する『巨大なる熱請』だ。

この人こそ、この『巨大なる熱請』の『仏勅の巨人』こそ、『戸田城聖第二代創価学会会長』である。
「戸田先生」は、その編纂事業の全ての「財務」にあたられた。  …それは、「巨費」でもっても表現できぬ。
更に『膨大な校正作業』への没頭であった。  それが「学会の全英知」の集約である。
温暖の「伊豆・新田」での『第59世:堀日亨上人猊下・戸田城聖第二代創価学会会長』の談笑の奥には…
余人の絶対迫れぬ『大偉業達成』の歓喜であろう…と思う。

『御書』とは、何者にも量り得ない「重厚」と・誰にも迫れない「迷路の如き」達観が実在するのだ。
この『一事』を。 いかなる時、いかなる設定。 否。 総ての活動の根底にも、
厳然と中央に据えて欲しいのである。
考えられる全ての『多様の現実』にも…である。  決めて、「現実(リアルの現象)」に流されてはいけない。

この最後の一瞬の「勝利」の為に『唱題・南無妙法蓮華経』の力用を、繰り返し言われているのだ。

ところで…話は全く変わるが。 最近に本格的に立ち上がった(…と言えば、失礼かもしれぬが)青年が居る。
『氏』・昭和46年6月1日に御誕生といえば、満41歳を迎えられた人である。
青年は、そう遠くなき日に『母』を失われた。            不治の病であられた。と聞いている。
この「故・御母堂」の膨大なる手記が、今「愚壮」の手元に在る。  いつか近日。御遺族の御了解を得て記述する。

それは何故か。 遠き日・早逝の『ケンちゃん』が、土壇場で叫んだ「声無き声」と…
その『御母堂』の声が、見事に重なるからである。   …それだけである。

[537] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月01日 (金) 20時02分

『忘れ得ぬ風景』は「戯作」である… という割には、その内容に真実味がある…のか、無いのか。
『種種御振舞御書(佐渡抄)』の長文といい、『御書』誕生の秘話といい、「色を脚した」ものではなかろう。

ま。「他人様」がどのように申されても、そのような事は、どうでもよい。

どうでもよい…といえば、 誠に「どうでもよい」事であるが、 今夕。「抜糸」をした。
担当の医師が、「これほど深い傷も 又、珍しい」といいつつ「糸」を抜く。
そういえば、縫合の時  傍に居た長男と長女が『お母さん、見たらあかんよ』と言うとった。

特に長女は、深く反省して沈むワシを捉まえて…『お父さん。鼻が捲れ上がって 歯茎が外から見えていた』と言う。
慰めの言葉も無く、恐ろしい形状を得々と説明する長女には、既に「女らしさ」というものがない。…と落ち込んだが。
やっと「抜糸」に漕ぎつけた。 

酒は飲めん・タバコも吸う気にならん。 それよりも「風呂」に入れんから臭くて仕方がない。
こころなし、近くに寄らない「老妻」にさえ、むやみに腹が立つ。  

「抜糸」直前のワシの顔は、どこから見ても「ネズミオヤジ」だ。との説明に、『身も世も無く、笑い転げる』人が居る。
『踏んだり・蹴ったり』とは、今の愚壮である。と思えば宜しい。

ところで…嬉しい話がある。 それは、来週の日曜日の『座談会』に御招聘いただいた事である。
『B長さん』が、『御書もやれ』と仰る。  これは倍増に嬉しいのです。

[539] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月03日 (日) 07時28分

『酒も旨くないので寝る!』と強く心に決めているところに、『Hさん』が来られた。
結論をいうと、 都合二時間程、話が弾んでしまった。
彼は、私の一番最初の御推薦の「地区部長」さんである。

若干、健康の面で問題を抱えて居られたが、持ち前の強き御意志で難関をも突破された。
が、しかし。 そんな「最高学府出」の優駿も、愛妻の重い御病苦には「音(ね)」を挙げかけた。

同志の中でも、彼は「人一倍」の御努力家であり、「生真面目」である。とは、皆が知る。
( 因みに…氏は『T水滸会』のメンバーでもあられるが、これはこの際 余談である )

「地区部長・最初の推薦」といっても、その推薦者なんぞは 「K市」を捨てた「ネズミオトコ」である。
『何故、私に…』という卑屈な問いに、氏は言った。   
「愚壮」でなければいけないので…と続けられた 「目前の 我がブロック座談会に参加せよ」。

私は歓喜して御招聘を受ける。  御自宅に帰られる「後姿」が街路の角を曲がるまで見送った時。
既に「眠気」は去っている…と。 重複する事を厭わずに『御書』を繙いていた。

『祈祷抄』講義   大白蓮華2012年6月度座談会教材 『新編・御書全集』1344P 
1272年(文永9年) 最蓮房の質問への返書  (在・佐渡)
特徴 『御署名』 ⇒ 本朝沙門 日  蓮 撰

今回の講義部分 ⇒ 『法華経の行者(私達・総ての者)』の祈りは必ず叶う。
【 大地は ささば はづるるとも 虚空(おおぞら)を つなぐ者は ありとも・
潮の みちひ(満干)ぬ事は ありとも 日は西より出づるとも・
法華経の行者の 祈りの かな(叶)はぬ事は あるべからず 】 1352P

☆【 大地は指(ささ)ば・はづるとも  春は・花は・さかずとも 】『開目抄下 225P』

☆【 大地は ささば・はづ(外)るとも・日月は地に堕ち給うとも・
しを(潮)は みちひ(満干)ぬ世はありとも・花はなつ(夏)にならずとも・
南無妙法蓮華経と申す女人の・をも(思)う子に・あわずという事は なし 】『上野殿尼御前御返事 1576P』

『祈祷経送状』 1357Pには こう顕されています。
【 其れに付いても 法華経の行者は信心に退転なく 身に詐親なく・一切「法華経」に
其の身を任せて 金言(仏語)の如く修行せば、慥(たしか)に 後生は申すに及ばず
今生も 息災延命にして 勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可(べ)きなり 】

つまり。一切の例外なく、「広宣流布」を根本にする祈りは「叶う」という事である。
○ 然し「叶う」為には条件がある。 ⇒ 自身を『法華経の行者』としての「分類」の中に置く事だ。
こうある ⇒ 【 但 法華経をもつて いの(祈)らむ祈は 必ず祈となるべし 】 本抄 1344-2行目

( 自身の事を祈るのは「信者」 広宣流布の事を祈るのは「行者」 という牧口先生の箴言・指導を踏まえつつ。)
『法華経(御本尊)に対して祈る人⇒(法華経の行者)』を、舎利弗や迦葉等の「一切の二乗界の仏」は護る。
どころか…その『法華経の行者』の一切の「苦」をも、千二百・万二千の二乗界の仏達が総じて受け持つ。
1344-45〜行目

とどめを指すように 『日蓮大聖人』は、こう述べられている。↓
【 一切二乗界 『法華経の行者』を まほ(護)り給はん事は 疑あるべからず、
あやし(下劣・下衆(げす))の畜生なんども 恩をば報ずる事に候ぞかし、 】 1345-1〜2行目
とした後。仏達(一切二乗界)の成仏を、実現させたのは 他ならぬ『法華経の行者』であったのだ。
だから…『法華経の行者』の祈りが、全部叶うように 今度は二乗界の仏達が動くのだ。 
『諸天善神が動く』とは、この事をいうのである。 1345-12行目

【 法華経の行者をば 諸天・善神・守護すべきよし 属累品にして誓状をたて給い 】
とは この事である。  『四条金吾殿御返事 1192-3〜4行目』

簡単明瞭といえば、これほど解り易い『御聖訓』はない。

然し。本抄『祈祷抄』の深さは底が無い。     超々・難解であるという事である。
先ず『対告衆』の最蓮房自体の生き様や、価値観や、求道心の根幹などを、
師匠の『日蓮大聖人』がどう捉えていたかである。
(最蓮房が師匠『日蓮大聖人』をどう捉えていたかではない)

その為にも、以下の暗示的な御記述を先ず注目して頂きたい。
それが『最蓮房御返事 1340P』の冒頭の【 夕ざり(薄暮〜夕闇の迫る時刻)は 相構え相構えて御入り候へ 】
『日蓮大聖人』を慕いに慕って、日夜連日の訪問を繰り返す『最蓮房』に対して、細部への御指導であった。

直弟子の多くが『流罪地・佐渡』への同道を許されなかった中での「僧形・最蓮房」の連日の(弟子への)懇請に、
「貴殿こそ在在諸仏土常与師倶生を身読の如くの人で、(私の弟子となられた事は)素晴らしい事だ」1342P 8〜10行目とされる。

そんな私(日蓮大聖人)の揺るがぬ『師弟不二』の証明として…と。最も重要極まる御聖訓を述べられるのである。↓
【 何となくとも 貴辺に去る二月の比(ころ・頃)より 大事の法門を教え奉(たてまつ)りぬ、
結句は卯月八日・夜半・寅の時(刻)に 妙法の本円戒を以て 受職灌頂(授戒)せしめ奉る者なり
此(こ)の受職を得るの人 争(いかで)か現在なりとも 妙覚の仏を成ぜざるらん 】  1342P  15〜16行目

誠に恐るべき御記述である。
『日蓮大聖人』は「最蓮房」に対して、『日蓮仏法の後継たる契約』の『授戒』⇒『受職灌頂』を実施されたのだ。
※此の「本門授戒」の実際は『日蓮大聖人門下』では「最蓮房」一人のみである。というから『恐るべき』…というのだ。
↑これは『富士日興上人詳伝(下)聖教文庫 194〜195Pに詳細されておられるので、是非とも拝読されたい。

その上で『祈祷抄』を「繙き」「拝読」していくのなら、概ね『正読』と申すものである。

その『正しい読み方』を左右する急所とは ⇒ 私こそ『法華経の行者』なり!という「確信」だ。

[540] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月03日 (日) 07時54分

ところで…嬉しい話がある。 それは、来週の日曜日の『座談会』に御招聘いただいた事である。
『B長さん』が、『御書もやれ』と仰る。  これは倍増に嬉しいのです。

「愚壮」でなければいけないので…と続けられた 「目前の 我がブロック座談会に参加せよ」。
私は歓喜して御招聘を受ける。  御自宅に帰られる「後姿」が街路の角を曲がるまで見送った時。
既に「眠気」は去っている…と。 重複する事を厭わずに『御書』を繙いていた。

上の二段の記述は10日(日)の座談会。 下の三段は9日(土)の座談会。
この二箇所からの御招聘に、私の歓喜は『坩堝』なのです。  為念愚壮

[541] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月04日 (月) 05時37分

『T水滸会』  その後の経過が霞んで見える…と。記述を続ける。

御紹介の如く、『S前総県長』を中心にした『T水滸会』は、2010年11月7日に第一回を開催している。
式次第の片鱗も、既に御紹介申したが… 『式次第』等は、二・三の次と、参加者は『S前総県長』の講義を求めた。

続行中の「リハビリ」の関係で、『S前総県長』は経机の左側、最前列の「安楽椅子」に在る。
『T支部長』導師の朝の勤行は、研ぎ澄まされた日本刀の如くの「一閃」であった。

しわぶきのない会場に「司会者」が屹立し、『瀧の詩』が厳かである。

やがて…『S前総県長』の講義となる。
『氏』には、大きな癖があった。 それが「自分自身」での「大納得・大確信」の『御自身への叫び』であった。
参加の人に混じって、「ソッ」とした風情で、 ごく少数の御婦人部の姿が覗える頃、講義は佳境となる。

下記は、そのような『T水滸会』の、最後(突然中断された)の「講義骨子」である。
勝利の経典 『御書』に学ぶ       池田名誉会長講義 大白蓮華 12月号            コピー : 注意
『日女御前御返事(御本尊相貌抄) 1243P〜1245P』 約2,000文字    御述作地⇒身延    御述作年月日⇒建治3年(1277年)8月23日
 対告衆⇒『日女御前』の事 ⇒ 池上宗仲の妻女・松野後家尼御前の娘(二説あり)⇒身分・財力の豊かな婦人・信心強盛の人 
本抄の次年・弘安元年(1278年)6月25日に顕された『日女御前御返事 1245P〜1250P』では甚深・難解の御書を賜る。
その中で『日蓮大聖人』は「日女御前」の事を【法華経の命を継ぐ人(趣意) 1250P】と称えられている。約4,500文字
 
【 抑(そもそも) 此(こ)の御本尊は  〜〜  諸仏 すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり  】
上記の御書本文冒頭 (1243P 1〜9行目迄) の重要部を学ぶ。云云。

上記を最後に、『T水滸会』は急遽の中断となった。

では、その『S前総県長』は、如何されておるのか…
又。次の『T水滸会』を待ち焦がれている『十七人の猛者達』はどうしているのか。

いや。それよりも… 本『T水滸会』を企画した二人は、果たして悩んでいるのか。
『T水滸会』を企画・実行に漕ぎつけた二人(『T支部長・愚壮』)は、苦しんでいるのか…
そこが、最も大事な一点である。     ここに、急所たる事象がある。

[542] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月05日 (火) 05時02分

『T水滸会』 U
上記・『日女御前御返事(御本尊相貌抄) 1243P〜1245P』が2011年12月4日である。
これが、第9回である、という事は…「母体」の日程の大綱に合せて、連続の開催ではない。
第一回の、2010年11月7日で、上記が第9回とは、途中の開催が順月(毎月の実施)ではなかったという事である。

そんな(連続開催でない)会合が、急遽の中断とは、全く「納得」なんぞ出来る訳がない。…
という程、十七名の猛者達が皆 待ちに待った『T水滸会』ではあった。
そのような2011年12月5日。 一人の『訃報』が世間に聞こえた。
勢い、この人の生前の振舞にも『悲喜賛否』交々(こもごも)の話題が持ち上がった。
が…既に「鬼籍の人」である。

ただ一点いえば…
「絶対負けない」とされた闘いが負けた時、この(鬼籍の)人はマスコミのマイクにこう言ってのけた。
『敗軍の将 兵を語らず…』と。

これは「将」が優秀であったが   「兵」の未熟・誤算ゆえに、戦いの負けたのである。
しかし『優秀な将』たる私は、「兵」のせいで敗れた戦いの総括をして、「兵」を攻めない。
つまり。『闘いの敗因は、兵にある』

この際言うが…。   「兵」とは。    交流に・F活動にと、必死で戦った「健気の人の群」の事だ。
こんな根底で、無垢の庶民を「内心」で見下げていた。   そういう事なんだ。と、猛者は言う。

[543] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月06日 (水) 04時37分

『おにゆり様』へ  
2012年6月5日 05:02分 投稿の訂正を申し上げます。 
後から5行目  ≫戦いの。←は×であります。   正解は⇒ 『戦いに』です。
更に     ≫攻めない。←は×であります。   正解は⇒ 『責めない』です。

平成23年12月11日15:10頃、 私は『S前総県長』宅へ赴いた。
用件は、最も重要と思われる記述文を御届けする事であった。  

『最も重要と思われる記述文』 それが…。
『日亨上人著作:御書&序』の「本文とその現代語訳の全文」
及び  『戸田城聖先生・発刊の辞』(原文)である。
(『日亨上人:御書の序』の現代語訳全文と、 『戸田城聖先生・発刊の辞』(原文)の一部は『風景』に記述済)
『S前総県長』はあいにく不在であった。  私は、その分厚い原稿を奥様に御預けし、帰路についた。

そして、3日を経た平成23年12月13日。『S前総県長』から、上記の三通の文章に対する返礼メール届いた。

云く 【 あなたは 凄い人だったのですね。 今まで解らなくて 許して下さい 】であった。
その時の率直なる「愚壮」の心境は…『S前総県長』には悪いが、真逆である。

『S前総県長』!愚壮は貴方との出会いの日から、『愚壮』となったのです。
それ以外。私が「愚壮」に成る設定は皆無でありました。    私はこう叫んだのである。

どうも私は、物事を解りにくく言う癖がある。 そこで、もっと簡単に言うならば…
『S前総県長』に初めてお会いして、「人が変った」ように『第59世:堀日亨上人猊下』の序文の拝読に向かう。
『S前総県長』と『第59世:堀日亨上人猊下の御書・序文』との接点は、説明に何百年もかかるが…
『S前総県長』 貴方はそういう暗示を備えた人であったのである。

但。暗示を暗示と気付く人は、先ず殆んど居ないと断言できた。
とにかく。『S前総県長』とは、そういう変な(言い方が見つからない)人であった。

『S前総県長』との出会いの日とは、昭和56年の「名物部長」率いる男子部『折伏方面制覇』だ。
あの時の『鬼の方面青年部書記長』の「S氏」が、今の『S前総県長』であり…。  
又 当時。『熊本県学生部』出身の「S氏」が、現今の『S前総県長』である。  

この時、『T支部長(当時・男子部大B長⇒32歳)』 『愚壮(当時・男子部副大B長⇒36歳)』

かくして…『T水滸会』の突然急遽の中断を、最も苦しみ悩んだのが、この二人であった。
(これは、内緒話であるが… 急遽の中断は今も続いている。    が… 
遮二無二の持続も叶わぬ 諸般の事情も、是は無くはない)

これは、上記に深く関連する事であるが…。
今日。本日(6月5日午後・於 公園)。くだんの『T支部長』に実際に話した。
『T水滸会』…いつまでも「中断」は、チト困るのではないか。…と。
これには『T支部長』も、即答ならず 困っていた。
『どうしたものか…』 二人の悩みは、当分続きそうである。

[544] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月06日 (水) 10時20分

2012年(平成24年)6月6日は『牧口常三郎創価学会初代会長』の生誕の日である。
「聖教新聞」連載の『新・人間革命』に於いて、「牧口先生」に関する御記述が開始されたのが…
本年の5月21日であった。  ワシなんぞが「大事であるから保存しておけ」と言ったものである。

『牧口先生』の御生誕は、明治4年である、という事は「太陽暦」が一般に起用される壱年半前となる。
したがって、この『御生誕の6月6日』を、「旧暦」と但し書きをしておられるのだ。
すこし余計な事かも知れんが…   6月6日が新暦では「7・3」となる。とは、 誠に不思議ではある。

以下。大きく割愛した概略で恐縮するが…、
『新・人間革命』では「虐げられた守子(子守の子供にも容赦なき差別)」を、大きなテーマとし。
その「虐げられた庶民の子供」を最大に守護する事を、生涯の指針とした『巨人・牧口先生』を細描している。

感動のエピソードが、幾重にも綴られる中で、輪郭が見え出す物がある。 それが『正法』である。
『牧口常三郎創価学会初代会長』が着目した『未曾有の方程式』とは、『日蓮仏法』への直射であった。
この、都合五〜六回に分筆された『牧口常三郎論』が、
最近では滅多にない「保存文章」だと決め付けた所以がここに在る。

『牧口先生』は柏崎県刈羽郡荒浜村で御生誕とある。
この地は『日蓮大聖人』が「竜の口法難」直後、「依智」経由で着かれた『寺泊』(寺泊御書 951P)に至近である。 

又。『日蓮大聖人』が、この地(寺泊)に到着されたのが1271年(文永8年)であられ。
『牧口先生』の御生誕が、その「六百年後」の1871年である。
こういう部分を、やれ「偶然」だの・「たまさか」だの…と、言っている様では『森羅万象』をナメきっておる。

『戸田城聖第二代創価学会会長』『池田大作創価学会第三代会長』に比べて(くらべる如きではないが)
若干、情報の少ないきらいの『牧口常三郎創価学会初代会長』が、ここにきて「巨大」なる御姿・御存在となる。

故に「愚壮」は声高に訴えるのである。 
「牧口先生の事は、特段。謹んで勉学・研究・保存せと。」…と。

『牧口常三郎創価学会初代会長』の総ての御足跡を真摯に学ぶ中でのみ、
『師匠』及び『師匠の師匠』が、俄然浮上する。
極言すれば、『牧口常三郎創価学会初代会長』を学ばない「師弟論」は『煙』の如きで、
何の値打ちも、意義も…ましてや説得力も無いのである…と、決めて『学べ!』。
…それが 『創価学会』である。

[545] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月07日 (木) 04時39分

牧口先生の少年期の記述には、【 養父のもとで働く事になった(彼は)成績優秀であった(ので)
周囲から才能を惜しまれ、進学を勧められたは、家庭の事情がそれを許さなかった。】 とある。
牧口少年も又。働く為、食い扶持を得る為に生きていたのである。

その「牧口少年」が、小樽警察署で給仕をしながら。勉学に励めるように状況が好転している。
直後記載の「北海道尋常師範学校」第一種生入学に至っては、卓抜を放置しない『救い・糺眼』を見る。

牧口先生が「北海道尋常師範学校」を卒業されて、教職に就く事自体が『創価学会』の胎動と見てよい。
『牧口常三郎創価学会初代会長』が決められているが如く、牧口先生の人生そのものが「昇華」されていく。

その代表が『人生地理学』の出版である。 この概要に関しては『新・人間革命』を参照されるとして…
筆者には、『人生地理学』とは『地湧(涌)の菩薩の義』に直結してならない。

とまれ。「牧口先生」は自署『『人生地理学』を引っ下げて、上京している。
この頃、福井県の海辺の街『大聖寺』で、戸田先生が御生誕されている。

牧口先生が、東京・本所「三笠尋常小学校」の校長に就任したのは、1920年(大正9年)である。
『新・人間革命』には書かれていないが…この年の4月24日「戸田先生」は夕張から東京に飛んでいる。
つまり『牧口・戸田』という、稀有の師弟がこの地で邂逅していたのである。
『創価学会』の産声は、『東京・本所』であったのだ。

後の『牧口常三郎創価学会初代会長』をして、「価値論」と『日蓮仏法』との融合こそ『彼の全人生』と言える。
それが…今回(2012年5月21日からの五・六回)の『新・人間革命』の記述である。
ゆえに、もう一度言っておく。  保存するように…。


扨(さて)も。人生とは辛く儚く短いものである。
以下の御訃報は、昨日(2012年6月6日)の事であった。
『ヒゲの殿下』と万人に親しまれた『三笠宮寛仁(ともひと)親王』が御薨去となられた。享年66歳という御若さであられる。
この際。誤解を招く「語呂合わせ」は絶対に不適当であるが、『三笠』とは…実に由緒の正しい語句である。

[548] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月08日 (金) 05時56分

秘話『忘れ得ぬ風景』
2008年10月27日付の投稿は、爾後約4年の空白『風景』の締めである。 それが以下だ。

(  2008年10月27日 (月) 11時06分
今年の夏が、特段に「猛暑」等ではない…と。 私は納得していた。
『どうやら ワシの方にガタが来ている』 これなら納得であった。(中略)
そんな「風景」は、面白くもなんでもないじゃろうが…
ワシの生涯では此の「風景」。きっと上位にランクと思うのである。
以上。  長文。且つ駄文であったが、
是非とも、御読み戴きたい。と、書きました。  愚壮遺す  )

最後尾の「愚壮遺す」は… 
『この投稿が最後になるかも知れない』という危機感が、無意識のうちに『遺す…』を使ったのであろう。

これ(上記の投稿)が、2008年10月27日 (月) 11時06分であった…。   

しかし、この投稿文章が発表されたのは2010年11月09日である。
〈 愚壮さま  遅くなりました  2008年10月27日の稿 風景に載せました 
 お約束の「書き続ける」を お待ちしています  2010年11月09日 (火) 23時57分 〉

『風景』全体を、命懸けで護られた『一人の人』は…最後になるかもしれない原稿を「二年間」も保持された。
実際同時に、多くの同志の暖かき御激励に触れているが。 私にとって、この「二年間」の御信頼以上の感謝はない。
これは、只事ではないのである。 
つまり…(もし復帰して、今後も投稿を続けるのであれば)
「絶対に、文章全体の責任性・正確性を死守しなければならない」のだ。
「表現が違うようだが、言っている事は「本筋」で間違っていない」  これは…多様な価値観の中では「大難事」である。

その煩悶を打ち消すが如くの…  「寒風の中の毅然」を、愚壮は見る。
それが、私の逡巡を「蹴散らした」のである (以下)

〈 2009年11月02日 (月) 22時09分
突如としての寒波到来に 桜を仰ぐ
木々の揺れる中で
その桜は紅葉し 強風を受け流す (以下 略)〉

2008年10月27日の投稿は、予めの予測でも、起こり得る事への期待でもない。
『何故、氏(『初代 K市 I 圏長』)は非常時に、私宅に来られたのか』 
この一点が、話の本筋を露呈させたのである。…と。 これは、今も思っている。

極言はこうである。『師弟』とは「順風満帆」の時は、放っておいても生きている。
問題は『瀕死の中の貫徹』である。

[549] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月08日 (金) 19時19分

≫「表現が違うようだが、言っている事は「本筋」で間違っていない」
≫せめて、最低上記の事くらいは、守り貫く可(べ)きである。

もう一度(もう一度だけ)確認しておく。
『初代 K市 I 圏長』は、あの炎暑の中。何故『愚壮宅』に来られたのか。
氏の周辺には当時。多くの『壮年幹部』が実在していた筈である。
が…しかし。『初代 K市 I 圏長』は既に『鬼籍』に入られている。 確かめも侭ならぬ。


当時の愚壮の特筆は『絶対に曲がった事・理屈に反する事』を梃子でも認めない事であった。
梃子(テコ)でも駄目。とは、誰が来ても『駄目なものは駄目』という事だ。
…これが『愚壮』こと私を、コチコチに凝り固めた「オッサン」にした。
「オッサン」の癖は、口を開けば『謗法厳戒』である。
この『謗法厳戒』なんぞは、総本家の宗門でさえ、トックの大昔に忘れ去った『宗門(宗教)の根幹』である。

閑話休題 。
『T支部長』とは、20代の真ん中くらいからのつきあいで…『忘れ得ぬ風景』にも何度も顔を出す。 
「愚壮」にとってこの人は、つまり「刎頚・竹馬」の括りでも通用する『同志』である。

この『T支部長』が、職場の近くの公園で言った。
「4日(月)の「県」の地区部長会に『Y氏 (O長)』が担当幹部で入った」
『Y氏 (O長)』 若き「次代の人材」として確たる幹部である。   ※(O長)の「O」とは地名を言っている。

他の人の 『Y氏 (O長)』の「評価」。    これには、全く興味はない。
但し。私の評価は良好とは言えぬ。
それは…随分以前の※『K長』辺りから、柔らかいのか硬いのかが不明の人である故だ。
※『K長』⇒これも地名。現在のK市
私が地区部長時代の頃。座談会の担当を要請したが、 非常に手続きの煩雑な「幹部」で困った経緯がある。

この『Y氏 (O長)』の不運さは、
「絶対に負けた事のない戦い」を、衝撃の敗戦に追い込んだ時(2009年8月)の「長」であった事である。

「『絶対不敗』を虚言にした責任者が、あの屈辱から三年も経ない時期の会合に、御登場かね?」
とは、その時の『T支部長』の会合の話への、皮肉たっぷりの『愚壮』の言い分であった。

私は続けた。「さしずめ話は、過日(2年9ヶ月前)のあの「法戦・敗戦」の総括に及ばれ、謝罪された事であろう」

『T支部長』は即答された。「そのような愁傷な言葉など、ある訳も無い」…。
つまりは、誰一人として、重い責任など「負おうとしない」どころか…深く反省して噛み締めていない。

…あの時、深く苦しまれていたのは『池田先生』御一人のみであった…とは、
周りの、その類(たぐい)の御偉方の言動で 容易に見当が付くのである。
否。これが『創価学会の大幹部達』の実態・不抜の構図だ。と言い切るから…
皆はワシの事を、やれ『幹部批判』だの 『学会批判』だのと、出来損ないの鸚鵡のように垂れ流す。

しかし。言っておく…。  この事を含めて、「無垢・無辜」の草創の同志の方々は見ておられる。
健気なる『学会員さん』の御諸賢の皆様が、ジッと『師匠の御振舞』と「貴様らの付け焼き刃」を見ているのである。
伊達や酔狂での「草創⇔長期間」ではない。  つまり…インチキ幹部は見透かされているのだ。 

…と書く愚壮は…  「今日は機嫌が悪いから言う」のではなく。
言わなければ、「ノサバル」から言っておるのだ。

[550] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月09日 (土) 06時26分

『跳梁跋扈』という言葉がある。
一体 何者が、我理を申し通して「跳梁」し、黙殺しても「跋扈」するのか。
この輩を指して、「己心の魔」と一括して言い当てている。

「己心の魔」は、ソロリと御出現などせず「跳梁」する。
いわば、所在が定着していない。 まったく「跳梁」であり『蚤』である。
否。『蚤』では、当の「蚤」に申し訳ない。…と、  付けた名前が『魑魅魍魎』である。

結句はこうだ。
『魑も・魅も・魍でも・魎でも』皆是れ、「己心發」の産物であり、性善者の突然変異なのである。

『日蓮大聖人』の抹殺を、本気で画策した人物の類似は、近代には存在しないのか。
答えは『厳然と存在する』である。

では 誰か。                 
それは言えない。 言い当てれば、必ず最悪の展開になるからである。

否。もっと…。  事は深くて複雑である。
例えば…『キング博士』は最悪を言い当てた直後、暗殺された。
『ガンジー』とて同じ枠内である。     

誠に残念であるが… 
「殺戮」による「あらゆる諸活動」への終止符ほど、簡単で効果的で能率的なものはない。
…と。 歴史の暗部は、あの独特の濁声(ダミゴエ)で語り残そうとしているのだ。

『正』と『邪』との闘いである            …所詮。
であるから、『正しい側の内に生息する悪』を指摘・指弾しているのだ。

『理想』は、言い放すのみの「無責任」に安住している。
そのうえで、「正鵠を射る(無責任への指摘)」の論者を     巧みに疎外しゆくのである。
何故か。 そのほうが、断然 居心地が良いからである。

『居心地』の良否を求める組織の末路は、『崩壊』が確実に襲い来る。
『創価学会』とは、正史を紡ぐ通過点にある組織である。  後世(こうせい)を慮(おもんぱか)れ。
「真の伝持の人」たるの「使命」は、 『これでよいのか』と、再度我が身を「糺す」事である。


今日。 その『父君』との永別に、甚深の達観の同志(盟友)の書を拝す。
引用は直近なれども、結論は高潔遠望なり。 これぞ『創価』である。

閑話休題。
昨夜。『H氏(B長さん)』が来宅されて、こう言われた。
「明日(9日)の座談会。宜しくお願い致します」

私は言う。
B長さん。わざわざの御連絡、勿体無い事です。
その用件は、電話で『明日の夜、座談会に来い』で充分です。と申し上げた。

B長さんは言われた。
『それは、愚壮さんはそれで良いけど、こっちが駄目です』

慇懃無礼  そうです。「慇懃」すぎるは 「無礼」なのです。
                    …正論です。

[551] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月09日 (土) 10時45分

『謗法厳戒』は鉄則である。
大白2011年3月号「上野殿御返事」(勝利の経典「御書」に学ぶ、第26回 抜粋)
謗法呵責は、人間の可能性を閉ざす諸宗に向けられているが、
法華経以外のすべてを「直ちに謗法と断ずる」ものでない、とある。
逆に、直ちに謗法とすれば、
僅かながらでも残されている「可能性」をも否定することにつながる。
(※ここで言う「可能性」とは、元々無智・元品の無明から出たもので、性善である事だ。)
(それとも ここに言う「可能性」とは、先祖伝来の宗教を「謗法である」と『嘘』をついてくれた
学会員さんに対して、目出度く入会する「可能性」なのか…。 これは嬉しくない )

法華経以外のすべてを「直ちに謗法」と断じた側も、謗法となり、独善の塊になる。
(※法華経の中に『随方毘尼』という方程式が確在する事を認識し、踏まえた上で言っても。
この隙間を縫って 『師匠が外道をも認めている』 と言うが如きの「ヨタ」が蛆虫よろしく涌くのだ。)


学会の宗教革命の基準は「人間のための宗教」の実現。民衆の幸福を目指す宗教の復権で、
これを基調とし、平和・文化・教育の運動にも高めて実証を示して来た。
(※ 人間の幸福を目指す宗教の復権の為に選んだものが『謗法厳戒』の破棄(弛緩か?)である事か。
「人間のための宗教」と称して、盲説をブチ撒いて来た「似非宗教家」を、私は「謗法」と呼んでいる。 )

主体者は学会で、依拠とするものが法華経、いや、末法では御書にほかならない。
(御書が御書としての体裁を整える為に、いかに膨大な資料として『経典』が繙かれたかは既に御存知)

が、仮に御書、御書と一方的に主張しても、
(この御記述は、一見、事有る毎(ごと)に『御書』に言及する論法を推奨しているようで、
実は、最も激しく『御書』そのものを卑下しているものである)

思想性や哲理性で相互認識、理解を持たない限り、議論は空理空論に陥る。
( 上記は、目晦(くら)ましの論法で、言いたい事は『(三つ目の)一方通行への警鐘』であろう
しかし、併せて言っておきたい。     ネットでの『対話(相互認識)』は「貧困の思想の炙り出し」に落着し
揚げ句の果ては『空理空論』と対手を罵倒するからだ。 )


ゆえに、社会に開かれたコミュニケーションの「基準」が必要となる。
正論の発信とあくなき対話の展開、現実相での実証を目指すのが、
学会の、人間のための理念に基づく行動。その行動基準は、日蓮仏法の大哲理に揺るぎなく根ざしている。
( 上記の為に、『日蓮仏法』の集大成でなければならない『御書』の更なる「超克」を期す。
余計な事だが    誰が、『創価学会』を ここまで潰したのか…と、嘆きながらの記述である。 )

最後に、諸悪の根源たる『念仏・弥陀』の誑惑に関する「断簡」を紹介する。

【 同時に二仏に亘るか 将(は)た又 一方は妄語なるか
近来 念仏者 天下を誑惑するか、早早 御存知有る可きか。 (後略) 】 
『石本日仲聖人御返事  1454P』   (断簡)

[552] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月10日 (日) 07時28分

【 ※経文に我が身・普合せり 御勘気を かほれ(蒙)ば・いよいよ悦びをますべし
例せば小乗の菩薩の未断惑なるが 願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども
父母等の地獄に堕ちて 大苦を・うくるを見て かた(形)のごとく 其の業を造って
願って地獄に堕ちて苦(くるしむ)に 同じ苦(同苦)に代れるを悦びとするがごとし、
此れも又 かく(※印の一連の御記述の事)のごとし
当時の責(せめ・苦の実態)は た(耐)うべくも・なけれども
未来の悪道を 脱すらんと・をもえば 悦びなり。 】『開目抄上 203P』

【 涅槃経に云く「一切衆生 異の苦を受くるは 悉(ことごと)く是 如来一人の苦なり」等云云、
日蓮云く 一切衆生の同一苦(同苦)は 悉(ことごと)く是 日蓮一人の苦と申すべし。 】
『諌暁八幡抄 587P』

【 第十六 我亦為世父(がやくいせぶ)の事
【 涅槃経に云く「一切衆生 異の苦を受くるは 悉(ことごと)く是 如来一人の苦なり」等云云、
日蓮云く 一切衆生の同一苦(同苦)は 悉(ことごと)く是 日蓮一人の苦と申すべし。 】
『 御義口伝下 758P』

【 尼ごぜんの御所労の御事  我身一身の上(正しく同苦)と をもい候へば
昼夜に 天に申し候なり、 】 『富木殿御返事 978P』

【 いかなる事も 出来 候はば 是(これ)へ御わ(亘)たり あるべし 見奉らん・
山中にて 共に(同苦の極限) うえ(餓)死に し(仕)候はん 】『乙御前御消息 1222P』

『法華経本門』の「同苦」に比類する物がないという御聖訓がある。
それが ⇒ 「治部房の祖母」への御書とされる『盂蘭盆御書 1427〜1430P』である。
【 全文の通解 ⇒ 例えば ⇒ 浄名経(維摩経・ゆいまきょう・小乗経を痛烈に破折した大乗仏法)にても
目連は「貧道の母」を済度できなかった事をあげて、
『法華経』以外の「諸経」で祈るところの、一切衆生救済が「不可能」と説く。
かの『平清盛(太政大臣)』さえ、如何ともならなかった「法門」が『法華経以外の仏法』である。
この事を ⇒ 『悪の中の大悪』と断言されている。  以上⇒『盂蘭盆御書』

逆に拝せば ↓ 
『法華経(御本尊)以外の「爾前の諸法」に、寸毫の活路(悪法にも良い部分があると言う事)を…
認めたり、求めたりする者は 最早。『日蓮仏法』の末裔でもなんでもない。
これは。『法華講』『日顕宗』『日蓮正宗総本山:富士大石寺(宗門)』『創価学会』等々という、
一連の『日蓮仏法』の範疇・分類から、自分自身の離脱を確定した重大なる事実である。
勿論。『創価学会員』を名乗る事などは、『自ら否定している、大明白の事である』

ある人々が (これは誰にも平等に…) ある人々の『苦悩』を、自分の「苦」として「悩む」
そして、「苦悩」の中に「打算・計算・演出」がない限り、彼と共に苦悩して往く。(とことん行く)
これが「同苦」である。   しかし、是れでも尚。漠然の域は脱していない。

何故「漠然」か…。   
異議もあろうが言う。  それは、『願兼於業』が抜け落ちておる。
『仏法』・就中『創価学会』とは、 その部分を強調し実践してきたのではなかったか。

今。それさえも、消えつつある…と。申しておるのだ。

[553] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月10日 (日) 16時06分

『同志誹謗』とは、卑近な例だが『飲酒運転』である… そう 『一発アウト』なのじゃ!

【 譬喩品の十四誹謗も不信を以(もっ)て 体と為すせり  今の念仏門は…
不信と云い 誹謗と云い 争(いかで)か 入阿鼻獄の句を遁(のが)れんや 】
『 念仏無間地獄抄 97P 』  引き続きの御記述を書す。
【 其の上 浄土宗には 現在の父たる教主釈尊を捨て 他人たる阿弥陀仏を信ずる故に
五逆罪の咎(とが)に依って 必ず無間地獄に堕つ可(べ)きなり、 】
「同志誹謗・十四誹謗」は「念仏者」が常に行う得意技なんだ。だから『謗法厳戒』なのだ。という事。

【 夫(そ)れ 以(おもんみ)れば 法華経第四の法師品に云く
「若し悪人有って 不善の心を以(もっ)て 一劫の中に於て常に仏を毀罵(きめ)せん
其の罪 尚 軽し
若し人 一つの悪言を以(もっ)て 在家・出家の 法華経を読誦する者を毀呰(きし)せん
其の罪 甚だ重し」 】  『法蓮抄 1040P』

【 末代の法華経の行者を 怨(あだ)める者は 何(いか)なる地獄に堕つるや、
答えて云く 法華経の第二に云く 「経を読誦し書持すること有らん者を見て
軽賤憎嫉(きょうせん・ぞうしつ)して結恨(けっこん・うらみきめる)を懐かん 乃至
其の人 命終して阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫 尽きなば 復(また) 死し
展転して 無数劫に至らん」等云云、  『法蓮抄 1042P』

【 …夜廻りの殿原は・ひとりも・たのもしき事は なけれども・
法華経の故に 屋敷を取られたる人々なり、常にむつ(眤・昵懇)ばせ給うべし、
(中略)吾方(故有りの、あの方たち)の人人をば 少少の事をば・みず きかず あるべし】
上記は「法華経」故 『日蓮大聖人』の門下故に、家・屋敷を没収されてしまった「同志」にも、
一切の差別的な言動(同志誹謗)を強く禁じた御聖訓である。 『四条金吾殿御返事 1169P』

【 …鎌倉の えがら(荏柄)夜廻りの殿原には すぎじ、 いかに 心に あはぬ事ありとも
・かたらひ給え  】 『 崇峻天皇御書 1172P』

【 又 法華経をば 経の如く持つ人人も・法華経の行者を 或は貪瞋癡(どんじんち)により
或は世間の事により 或は・しなじな(品品)の ふるまひ(振舞)によって憎む人あり、
此(これ)は法華経を信ずれども信ずる功徳なし かへりて 罰(ばつ)をかほるなり 】
『 日女御前御返事 1247P 』

【  「若しは在家にてもあれ 出家にてもあれ、 法華経を持ち 説く者を…
一言にても毀る事あらば 其の罪 多き事、釈迦仏を一劫の間…
直ちに毀り奉る罪には勝れたり」 と見えたり、 或は(この事を)
「若実若不実(にゃくじつ・にゃくふじつ⇔本当であれ・嘘であれ)」とも説かれたり、

之れを以(もっ)て 之れを思ふに 
忘れても法華経を持つ者をば 互に毀る べからざるか、
其故(そのゆえ)は 法華経を持つ者は 必ず皆 仏なり
仏を毀(そし)りては 罪を得るなり。 】 『 松野殿御返事 1382P』

『御書』は絶対だ。 これに異論など ある訳がない。
上記抜粋は、そんな『御書』御記述の、ホンの一部である。 

あ。 言っとくが、『同志誹謗』とは、「行住坐臥」に亘っての警鐘。
特別の減免処置・減刑処置なんぞは、悪いが無いよ。

[554] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月11日 (月) 06時04分

『演繹と帰納』
『日蓮大聖人』の仏法は、「帰納法」で拝す…
先輩が御教え下さった、この言葉は。  聞いた瞬間から「心」に刻印された。

生まれつきの粗雑・薄学で、ともかく「学問」に一切、縁の無かった私は、
当然。上記『演繹と帰納』の本意を知らない。

唯。『演繹』は ⇒ 物事・事象の沿革を、始点から順次に説き。
『帰納』は ⇒ 先ず。その提起する事の、結論を言ってしまう。
…と。 甚だ「非弱」な覚え方で、こんにちまで来たが。

しかし。 この潰れかけた「脳味噌」にさえ、ハッキリと残っておるのが『帰納』だ。
これは確か…「戸田先生」が こう言われた中に在った。
『仏法・就中  「日蓮大聖人」の仏法は、 先ず「結論」を言ってしまう事だ』
『これは、「帰納法」と言って、全哲学の二大形態のひとつだ』
概ね、この様であった…。

そこで、恥も外聞もなく、その通りに『御書』を拝した。
これは勿論。「愚壮」だけの秘密で、皆には言わず。内緒で行った。

教材は『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』の巻末である。(いずれも 254〜255P)

【 (ゆえに…)仏・大慈悲を起こし 五字(妙法蓮華経⇔御本尊)の内に此(こ)の珠を裏(つつ)み
末代(五番目の五百年以降時代の一切衆生)幼稚の頸に懸け さしめ給う、
(上行・安立行・浄行・無辺行の)四大菩薩の 此(こ)の人を 守護し給わん 】

↑…という事は、こう言い切っても過言ではない。
【 「智人は起(物事の発端・縁起)を知り 蛇は自ら蛇を 識(し)る」等云云、
天 晴れぬれば 地 明かなり 法華を識(し)る者は 世法を得可(べ)きか。 】

↑…と。 当然の進捗で『帰納』されている。

それでは、何故、必然と。そうなっていくのか。 (『御書』の展開の凄さが、ここにある)

それは。こういう事が、そうさせるのだ。↓
【 此(こ)の時 地涌千界出現して 
本門の釈尊を脇士と為す一閻浮堤第一の本尊 此(こ)の国に立つ可し
月氏(インド) 震旦(しんたん)に未だ此(こ)の本尊 有(ましま)さず 】

上記一連の究極の御記述に、『…だから …何の為』という骨組の論旨がある。
「…なぁるほど…」と、御書を閉じる。

一生涯で、何万キロと遊弋する『鮪』に向かって…
「田植」だけの時期に、溝から溝へ必死に泳ぐ如きの「愚壮鮒」が物を言う。
誠に、御笑いであるが、聞いて頂きたい。      と、記述した。

[555] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月11日 (月) 09時52分

『落とし穴』
これの規模(大きさ)は、戦車をスッポリ落とせる物から、小さなケダモノの罠まで…種種雑多だが。
事。『仏法』に関する「落とし穴」は、これは笑い事ではない。

何故。「笑っている場合ではない」のか、というと。
「仏法の落とし穴」に限って、自身が『既に自分は堕ちている…』という認識がないから困るのだ。

その危険性を顕されているのが『御書』である。
ここに言う「危険性」とは、皆が共通に『堕ちる資格』の所持者である…という、幅の広さだ。
「…皆が堕ちる」 これは、聞き捨てならぬ…と。 『御書を繙く』

【 止観に云く 「若し信無きは  ※高く聖境に推して 己が智分に非ずとす、
若し 智無きは 増上慢を起し 己れ仏に均(ひと)しと謂う」等云云、 】
上記の通解は、要らんじゃろう   『 開目抄下 226P』 
唯 言えば。 (※高く聖境に推して)とは、『ある高説を展開するには、
その(説く人の)境涯からして讃嘆・推挙すべきである…と。謙虚であれ』とする。

今少し難度の高い『落とし穴』を学びたい。
【 (宗派毎の雑多の本尊を示した後の問い)何ぞ天台宗に 独り法華経を本尊とするや、
答う 彼等は仏を本尊とするに 是は 経を本尊とす 其の義あるべし、
問う 其の義 如何  仏と経と いずれか勝れたるや、
答えて云く 本尊とは 勝れたるを用うべし、(中略)仏家にも又 釈迦を以(もっ)て本尊とすべし。
※問うて云く 然らば汝云 何ぞ釈迦を以(もっ)て本尊とせずして 法華経の題目を本尊とするや。
答う 上(かみ・先述)に挙ぐるところの経釈(経典の解釈)を見給え (この釈は)私の義には あらず
釈尊と天台とは 法華経を本尊と定め給へり、 】
だから、私(日蓮大聖人)も本尊を法華経(題目)なのだ。との御金言である。 『 本尊問答抄 366P』


以下は『堂々の切り返しである』(『落とし穴』関連)
【 …疑って云く  法華経の行者を あだ(怨)む者は頭破作七分と とかれて候に・
日蓮房を そし(毀)れども頭も われ(割)ぬは日蓮房は法華経の行者には あらざるか 
…と申すは道理なりと をぼへ(覚える・認識する)候は いかん、
答えて云く 日蓮を法華経の行者にてなし と申さば…】と「邪僧」の名前を実際に挙げて
痛烈に「破折」されている。   『 種種御振舞御書(佐渡抄) 924P』

「邪僧」の名前 ⇒ 法然(念仏) 弘法・善無畏・慈覚(真言)

『落とし穴』の表現は、あまり感心出来ない?  ふん。 何とでも言え。
日がな一日 仏門に居た『宗門』の大半が、この『落とし穴』をも見抜けなかった。
『出家』が上品で『在家』が下輩。 この感覚が拭いきれなかったのは、一体誰じゃ。

『法衣(衣)の権威』に、一瞬でも寄りかかった「創価学会」の反省は否定しないが、
能天気に、別世界の幻を追い求めた『宗門』の百害は一利とて見出せぬ。

少なくとも、『訳の解らぬ御託』を速(すみやか)に廃して、宗教家らしく振舞え。
「時間切れ目前」が、まだ解せぬのか…と。 嘆いている。


話題は変わるが。
最近の私は、ずっと「京都」だ。
「京都」というところは、さすがに「寺社・仏閣の天地」とあって、凄い規模の物量である。
その中で 『西本願寺』の正面を毎日走る。
この『本願寺』の正面には、概意こうある
「あの大震災の総ての被災の皆様の、一日もの復旧・復興を祈ります」

全ての人々と同じく 「愚壮」もまったく同じ苦悩であります。
どうぞ、国を挙げての「復旧・復興」でありますように、  祈ります。

(次回も『落とし穴』である)

[556] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月11日 (月) 16時50分

≫ この『本願寺』の正面には、概意こうある


早速、確かめたら『被災の皆様の苦しみに寄り添って…』とあった。
まったく言われる通りである。
「日本国全体」で寄り添うべきだ。

[557] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月12日 (火) 05時12分

『落とし穴』U
【 (問者⇔客 業を煮やして言う)…問うて云く 汝(日蓮大聖人の事)が義の如きは
我が法華経の行者なるを用いざるが故に天変地夭(てんぺんちよう)等あり  と、
(例えば…経文を引用して)⇒ 法華経の第八に云く「頭破れて七分と作(な)らん」と、
法華経の第五に云く「若し人 悪(にく)み罵(ののし)れば 口則(すなわ)ち閉塞す」等云云、
如何ぞ数年が間・罵(のる)とも 怨(あだむ)とも 其の義なきや、】 ←ここが『落とし穴』の真骨頂 

『日蓮大聖人』の反問・切り替えし(破折)は、 「あくまでも冷静」の中に、有無を言わせぬ冷厳がある。
【 答う 反詰(はんきつ)して云く 不軽菩薩を毀呰(きし)し 罵詈(めり)し 打擲せし人は
口閉頭破(こうへい・ずは)ありけるか 如何、 】

然し問者は…。それでも未だ、たたみ掛ける様に、こう続ける。 
【 問う 然れば 経文に相違する事 如何 】↓通解文
(不軽菩薩を毀呰・罵詈・打擲した人の、口閉頭破なきは 経文に反するのではないか)

そこで再び『日蓮大聖人』は 深き法理を説かれる。
【 答う 法華経を怨(あだむ)人に二人(二種類のパターン)あり、
一人は先生(せんじょう・元々)に善根ありて 今生に縁を求めて菩提心を発(おこ)して
仏になるべき者は 或は口閉ぢ 或は頭破る、

一人は先生(せんじょう・元々)に謗人なり(※ 此(こ)の人を「未生怨」といい「日顕」である)
(未生怨の人は)今生にも謗じ 生生に無間地獄の業を成就せる者あり
是は のれ(罵)ども 口則(すなわ)ち閉塞せず、
(この以下の御聖訓を 正しく咀嚼せよ)⇒ 譬えば 獄に入って死罪に定まる者は
獄の中にて 何(いか)なる僻事あれども 死罪を行うまでにて 別の失(とが)なし、
ゆり(免・免罪)ぬべき者は 獄中にて僻事(悪事)あれば・これをいましむるが如し 】

本抄は、この直後で完了しているが、問者の「発心」の言葉は、いかにも深い。
【 問うて云く 此(こ)の事 第一の大事なり 委細に承るべし… 】『 法蓮抄 1054P』

『落とし穴』は更に続く…。

[558] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月12日 (火) 06時08分

『落とし穴』V
「即身成仏」は唯 法華経に限る」…。  
この根幹中の根幹に 難癖をつけたのが『真言宗(大日経・金剛頂経)』であった。
どこから挑んでも「法華経」には勝てない。と、悟った「問者」は、時空の限定部分を持ち出す。
【 求めて云く 慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり…(伝教:西暦806年比叡山延暦寺建立)
(それにひきかえ) 汝(日蓮大聖人の事)は四百余年の年紀をへだてたり 如何 】

次下・答えて云く 【 師の口より伝うる人】からの六行は(煩雑を厭うて全文不記)非常に重要である。
つまり…
[ 師匠の口伝を誤りなく後世に伝えたのか。
…であれば、何故 伝教の宗風(天台)が、慈覚によって「真言臭」に成り下がったのか ]
これが、本抄のこの部分(6行間)の急所である。
諸兄等は、どう読まれているのか。「愚壮」が聞きたいものである。

本抄結びの、【 遅々せさせ給いて 日蓮をうらみさせ給うなよ 】を、軽く読み流しては いけない。
以上 『 妙一女御返事 1258P』 抜粋

[562] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月12日 (火) 19時35分

『西本願寺』の被災者への想い…。 これは誰もが同じである。
然し。『法理』を云云する時は、 誠に残念であるが、「念仏系・浄土宗系」では根本的に堕獄である。
【 専修念仏の行は 諸宗衰微の基なり 】とは『念仏無間地獄抄 101P』の御記述である。

『日蓮大聖人』は、その『御書』に於いて 「念仏」に対して峻烈に「破折」をされている。
一部を抜粋して、『念仏宗』の害毒を確認してみる。
これは、ひとえに『謗法厳戒』が何故『日蓮仏法』の最右翼かを学ぶ為である。

【 三昧発得(さんまい・ほっとく ⇒ 自身の静観を完成した僧)の行者・
生身の弥陀仏と あが(崇)むる善導和尚・五種の雑行を立てて
法華経をば千中無一とて 千人持(たも)つとも一人も仏に なるべからずと立てたり、
(中略)善導の言と 法華経の文と 実に以(もっ)て 天地雲泥せり 何(いず)れに付くべきや
就中 其の(念仏の)道理を思うに 諸仏衆経の怨敵・聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり、
経文の如くならば争(いかで)か無間(地獄)を免(まぬか)るべきや。 】『聖愚問答抄上 481P』

【 今の世を見るに 正法一純に弘まる国か 邪法の興盛する国か 勘(かんが)ふべし、
然るを 浄土宗の法然は 念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ 善導は法華経を雑行と名(なず)け
剰(あまっさ)え千中無一とて千人信ずとも 一人得道の者 あるべからずと書けり 】
『聖愚問答抄下 495P』

ここで確認すると。
『千中無一』と、最も口汚く『法華経』を誹謗しているのが「専修念仏」である。

【 父母の面(顔)を ふ(踏)み  天子(帝⇔天皇)の頂(御頭)を ふ(踏)むがごとくなる者
・国中に充満して 上下の師と なれり 】 『瑞相御書 1142P』

【 日蓮・涅槃経の三十二と三十六を開き見るに 
(念仏・浄土とは⇒)誹謗正法の一闡堤常没の大魚と名けたり 】『 浄蓮房御書 1433P』

兎に角、言い切れる事は…。  『念仏』と冠する物・語句には、ろくな物が無いのだ。

[564] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月13日 (水) 05時17分

『念仏』の事 (順不同)
【 浄土門は 春 沙(いさご・砂)を田に蒔いて 秋 米を求め
天月(実際の月)を捨てて 水に(写る・虚像の)月を求るに似たり 】
『題目弥陀名号勝劣事 112〜113P』


【 当世に父母を殺す人よりも 謀叛を をこす人よりも (中略)
然公(法然の事)が 念仏を さえず(囀)る人人は・をそろしく候なり。】
『 十章抄 1275P』


【 南無阿弥陀仏を 無間地獄の業なりと申し候ゆへに・食に石を たひ(炊)たる様に・
がんせき(巌石)に馬のはね(跳)たるやうに・渡りに・大風(この場合は逆風)の吹き来たるやうに
じゅらく(聚落・村落)に大火のつきたるやうに・(中略)をどろ(驚)き・そね(嫉)み・ねたみ候 】
『 中興入道消息 1332P』


【 然るに今世にして 法華経は機(衆生の機根)に叶はずと云い
うとめて西方浄土にて 法華経を さとるべし と云はん者は 阿弥陀の浄土にても
法華経を さとるべからず 十方の浄土にも生るべからず、
法華経に背く咎(とが)重きが故に 永く地獄に堕つべしと見えたり、
其人命終入阿鼻獄(ごじんみょうじゅ・にゅうあびごく)と云へるは是なり。】
『 法華初心成仏抄 553P』


上記は『御書』に於ける「念仏破折」の、極々一部である。(多すぎて書けん)
ここに来て、『念仏を冠する諸事』に帰依するが如きは、『獅子身中の虫』であり。
『師敵対』という、永遠の不名誉を被(こうむ)る事であろう。    為念。

[565] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月13日 (水) 05時41分

『贈! ブラジル広布の母へ』
シルビア・E・サイトウ女史  1983年(昭和58年) 4月28日 逝去  享年57歳

【 多くの月日を送り 読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空(大空)にも余りぬべし 】
『 通解:これまでの多くの月日の間、日夜読誦実践している所の 妙法の功徳は
大空にも 余っているであろう 』   【 四条金吾殿御返事 1194P 】

上記は『池田先生』が贈られた『御書』の一節である。 彼女の生き様とは『御聖訓』のままである。
立宗宣言から、七百参拾年目の時の御逝去であった。

[566] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月13日 (水) 09時49分

『ブラジル広布の母』の誉れも高き、シルビア・E・サイトウ女史に触れた。
そこで、『日蓮仏法(法華経)と女性』に(恐る恐る)言及する。
…何故、恐(おそ)るるのか。  それは、言い間違えると トンでもない事になるからである。
然し。 猛然と『恐(おそ)れず』挑戦する。  (但し 抜粋文は全部『御聖訓』引用であるので念の為)

そこで。これこそ『創価の女性なり』と断言の『御書』を拝読して、
出来るだけ叱られぬ様にしよう…と、「愚壮」は、どこまでも姑息である。

【 女人の御身・男にも をくれ(遅れるとは、全福運への遅れ・差別の事:爾前の骨子である)
親類をも・はなれ 一二人ある・娘も はかばかしからず(二人の娘も病弱であったりで、低調である事)
便りなき上(活発な母子の対話も途絶え勝ちで)・
法門の故に 人にもあだまれさせ給ふ女人、(学会婦人部である為だけの理由で疎外されている事実は)
さながら不軽菩薩の如し、(さしずめ、あらゆる人の仏性を尊んだ『不軽菩薩』の生き様を見る思いである)】

もう一度、通解文を連続して記述する…  はたして、『創価の御婦人』としての根幹がはっきりと見えてくる。
『 通解⇒ 貴女は御自身。御主人と死別されました。  更に、法華経ゆえに、親族にも疎まれ、
娘さん(一人は乙御前)も まだ若く孤立した様な立場の上。日蓮の弟子である故に、他人にも罵られている。
これは、全く『不軽菩薩の行体』の実践である。 』  【 妙法比丘尼御前御返事 1419P 】

本抄で見逃せない『御記述』は、【 同抄 1420P 】の…。
【 彼の比丘尼の御名(みな)を 一切衆生喜見仏と申すは(中略)
今の 妙法尼御前の名にて候べし 】である。


又。「貴女は、このような不安定な世相の中で、一人の幼子を健気に御育てになっている、 
その上。頼りとする御主人も、思いの外で、既に離別して久しい時がたっている。
そんな女人が、「鎌倉」から「佐渡」への、私(日蓮大聖人)を訪れる事は『不軽菩薩』の義である。」
この御賞賛の「対告衆」は『日妙聖人御書 1216〜1217P 』である。

前述の『妙法比丘尼御前』といい、この『日妙聖人』といい… 『創価学会婦人部』である。(キッパリ)

では… 『日蓮大聖人』は『御書』に於いて、「女人」をどう捉えられているのか、学びたい。

[567] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月13日 (水) 10時03分

抜粋し、記述した筆者が読み返して『紛れておる』ので再度書きます。
  
『妙法尼御前御返事』も『日妙聖人御書』も、等しく言えるのは。
両編とも『不軽菩薩』を以(もっ)て御賞賛されている事実です。

これが、最も重要な部分と思います。

[568] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月13日 (水) 18時52分

『新編・御書全集』の975〜976Pに、【 富木尼御前御返事 】と言う御書がある。
本抄は建治2年(1276年)3月27日。身延発の御書である。
対告衆は「富木常忍」の妻女・『富木尼御前』だ。

尚。この年の同月16日 『日蓮大聖人』の師匠・道善房が逝去したが。(大石寺 過去帳)
本件には関係ないので、記述のみしておく。

扨(さて)。 本抄 表向きの御聖訓は…
【 をとこ(夫)の しわざは め(婦人・嫁)のちからなり 】である。 975P 1〜2行目
通解は(あまり乗り気になれんが…) 「夫・主人・男の実力は、影の存在である「御夫人」に依る」である。
上記の『御金言』は、あまりにも有名で…皆がしょっちゅう言うておるので『面白くない』

が、然し。 本抄の白眉は実は、違う部分に有ったのである。
それが…【 又又 これより 百千万億倍 たへがたき(耐え難き)事 ども(⇒等) いで来るべし】である。
上記は(976P 4行目)の御文証である。この内容は、非常に重大・且つ 深刻であって、表記も危ぶまれる。

何故『重大・深刻』か。 本当は書きたくないが…恐れずに「記述」する。 それが(同ページの2〜4行目)である。
【 これ・ひとへに 失(とが)もなくて 日本国」の一切衆生の父母となる『法華経の行者・日蓮』を
ゆへ(謂・理由)もなく 或はの(罵)り 或は打ち 或は こうじ(街路)をわたし(公開引き回し等)、
ものに くる(狂)いしか 十羅刹のせめを かほ(被)りて なれ(結果を見)る事なり 】
「日蓮大聖人を国を挙げての「迫害・弾圧」は、好む好まざるに拘わらず、国全体に総罰となるのだ」

私が「白眉」と指摘した一連の御記述 ↓
【 又又 これより 百千万億倍 たへがたき(耐え難き)事 ども(⇒等) いで来るべし】
とは(恐ろしい事であるが…)唯一の『○被○国』への警鐘ではないのか。
又。そのような『破壊的受難』も、敢えてその時「婦人」の潜在的非暴力思考を『主題』とするなら避けられた。
故に『日蓮大聖人』は【 をとこ(夫)の しわざは め(婦人・嫁)のちからなり 】と、言い切られた。

それが…(975P 2〜3行目の)
【 けぶり(煙)をみれば火をみる あめ(雨)をみれば りう(竜)をみる 
をとこ(男・夫)をみれば め(御婦人)をみる 】と言う事なのではないのか。

これは「ワシ」たる者 相当「ヨイショ」しているのか…それとも『御書』をしっかり読んだのか。
総評は任せる。

[569] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月14日 (木) 05時01分

≫ これは「ワシ」たる者 相当「ヨイショ」しているのか…
言うて置くが…性格は、御婦人に対して『ヨイショ』する人間ではない。

然し。現実に  御婦人に「ヨイショ」を しなければいけない時も、まま多い。
そういう「ヨイショの事柄」を、関西弁では『けった くそわるい』という。
詳しく書くと…『けった くそわるい』とは  『蹴った糞 悪い』と書くが、これは非常に下品である。

閑話休題 
私達が過去学んだ中に、御婦人が『日蓮仏法』の流布に対して、まともに阻止してきた『歴史』が現存する。
記憶に鮮明なのが(中には記憶にさえ、跡形なく消え失せた人も居ろうが)…『権力者の女房達』であった。
これらは、絶対に「忘れて・書き落として」はいけない(正史を学ぶ上での)急所中の急所である。
(御書に関する『御婦人』の件は、引き続き細描する)

その『日蓮仏法』を阻止してきた『同類項』が、現在の学会組織に「息を潜めて棲息する」と言うと。
今まで静聴していた連中が「待ってたホイ」と、『やれ 組織批判だ』『それ 幹部批判だ』と騒ぎ立てる。

『獅子身中虫(日蓮時代と同類の魔)』とは、死にかけの「瀕死の手負いの獅子」に存在しない。
『獅子身中虫』は、健全強健に見える「獅子」にこそ「巣食う」のである。
『巨大な創価の組織』の底部に、本来の使命と全く異質の生き物が蠢いている。これが「魔」だ。

この「魔」は、最近になって、時々 その「存在の片鱗」を(皆に気付かれずに)覗かせておる。
…と。「愚壮」はここまで『判じ物』の如く「魔」を言っておるが…やはり、キッチリと書いておく。

彼の「七百年祭」で、『神本仏迹論』という邪義を唱えた「小笠原慈聞」という「正宗僧侶」が居た。
この人間は『日蓮仏法』に正対する「神本仏迹論」をして、宗門内を攪拌した。…のみならず。
『牧口常三郎創価学会初代会長』が獄死を遂げられる「起爆剤」も、慈聞の邪説に依る。
ここで…「小笠原慈聞」は『創価学会』の仇敵である。…は、言い過ぎか。

『仇敵』は過言として百歩も千歩も譲っても、「慈聞」の事を『不許』とする人は多い。
そんな慈聞が言った言葉に…『そんな事…そういう事(神本仏迹の事)も、これは あるんじゃ」である。
冗談ではない。 そのような「言いくるめ」が、通じるとでも思ったのであろうか。

これと同じ構図の「言いくるめ」が起った。 (当然、この事実は既に記述したが。もう一度書いておく)
それが⇒ 2011年8月12日(金)の聖教新聞方面版の左上の『8.14』の意義である。

云く…『広宣流布の大拠点は大阪・関西だと「戸田先生」に教えたのは「池田先生」である』
この上記の記述は「Y関西婦人部長」の御高説である。   全くの出鱈目。 目から火が出る噴飯だ。

ここに、実物の戸田先生の『日記部分』がある。 それが1919年3月18日 (戸田先生 19歳)の記述である。 下記↓
☆ 地の利にある。(中略) よろしく座を『阪神』とすべし。阪神の地これ商工の中心…
上記1919年とは、大正7年である。  この頃に、若き戸田先生は『関西・阪神』の重要性に言及されていたのである。

☆ 中央、中央、我が事業を起こす前に見るべきの地は『大阪』か『神戸』ではあるまいか。これが同年の4月。
(上記二編は  青娥書房発行・『戸田城聖・若き日の手記・獄中記(仮称)』より抜粋)

『事程左様』に、組織内での安穏の持続のみを願う「生命」を、私は『魔』と指摘する。
最初に戻って…  「蹴った糞が悪い」なら、『踏んだ糞は 尚 悪い』 と、話は「脱線」しておる。

[572] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月14日 (木) 18時30分

「女性が成仏する?」  「そのような事は、信じられない」…これが『爾前の教え』である。
当然といえば「当然」…。 そんな程度の事が『世の中の常識』で、「女人とは言うが、人ではない」 
という事は、女人が正面に出る等。 「正邪真贋」に亘って あるわけない。と、 これが普通であった。
これは「迹仏たちの言う世相」で、誰の責任でもない。  極、自然の事なのだ。
これは、当の女性にとっては『℃壺』(特許文言借用)であるに違いない


そのような『時代順応正視眼』で歴史を繙けば…「熱原法難」に女人が介在した事なんぞは絶対に無い事で、
解りやすく言えば、とんでもない『ヨタ』…。つまり「御涙頂戴の浪花節的・歪脾談」である。

富士日興上人詳伝では『堀日亨上人』が、以下の如く嘆かれておる。
【 左京阿(阿闍梨)日教が、何かで聞きかじりたる誤伝を(中略)…累(わずら)いをなして…
特殊の美談 (『熱原の法難で殉教した中に、女人の存在があった』 )として贔屓(ひいき)の引き倒しで… 】

まァ。然し      これは、この場面では「余談」となる。
『 鎌倉時代 』とは、そんな生優しい、おセンチな背景の国家ではない。

『こうなると、女人は一切駄目なのかと、正直。落ち込む』のも人情である。 
…ところが、然し。 『日蓮大聖人』は『御書』で、こう御記述になっておられる。
天照太神の事で、こうある。  
【 問う (我が国で)神の次第(順位の事) 如何、 】
【 答う 天照太神を一の座と為し 八幡大菩薩を第二の座と為す 
是より 已下(いか)の神は 三千二百三十二社なり 】 『 真言七重勝劣事 133P 』
これで、どうやら「女人」の復権は、『神⇔帝』の分野では、まんざらでもなさそうだ。
…そういえば「戯歌」に、こうある。
【 日之本は 天(あま)の岩戸の昔より 女(おんな)無しでは 夜も明けぬ国 】(ウロ憶え也)


そこで、真面目に『御書』を繙こうと念(おも)う。
【 …女人は垢穢(くえ・あかでけがれている)にして 是れ法器に非ずと 
小乗権経の意を以て離ぜられ候いしかば… 文殊が竜女成仏の有無の現証は
 今 仏前にして見え候べしと仰せられ候しに、】 『 女人成仏抄 472P 14〜16行目 』
「通解 ⇒ 女性は身心共に穢れておるので、本来『成仏』を望むの器ではない。
これは「小乗経」本筋の理念で、既に良い方向に変革されているにもかかわらず、(殆んどの衆生達は)
文殊師利菩薩が八才の竜女が蛇身のママ 『成仏』した事を指摘するまで、信用をしない。」

【 案に たが(違)はず八歳の竜女蛇身を あらためずして 仏前に参詣し
価(あたい・値打ち)直(ちょく・そく・ただちに)
三千大千世界と説かれて候、如意宝樹を 仏に奉りしに、
仏 悦(よろこ)んで是れを請取り給いしかば
此(こ)の時 智積菩薩(ちしゃくぼさつ)も舎利弗も不審を開き
女人成仏の路を ふみわけ候、 】    『 女人成仏抄 472P 16〜18行目 』
「通解 ⇒ (衆生達は)想像した通り 
「八歳の竜女が蛇身のママで成仏した」を信じる事は無かった。
然し『仏』は「今世の全仏果は、八歳竜女成仏のように、直ちに結果と現出する」と断言し
「『正法』に依る祈りは、一念三千に仏果を影響させる事などは、意の向くままである」
「また。(直ちに叶う事)に対する、私(仏)の保証は絶対に間違いない」と言って憚らなかった。
「それを聞いた「智積菩薩(ちしゃくぼさつ)」や舎利弗も、
仏の大確信に接して、『女人成仏』という未曾有の誓願の実現を確信した。 」

『法華経』(御本尊)への祈りに不可能は無いのだ。 これが数多の「仏弟子」の確信である。
『女人成仏』  この画期的な革命が『法華経』の真骨頂なのである。

[575] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月14日 (木) 20時04分

≫ 『女人成仏』  この画期的な革命が『法華経』の真骨頂なのである。

竜女が蛇身の姿を改めずして、その「法華経」で『即身成仏』した。
これは、考えられない事・想像も出来ない出来事である。  
又それ以上に。数多(あまた)の「女人」にとって…覚醒・驚異の事である。

八歳の「蛇女」が成仏した?
この噂は、即(たちま)ちのうちに『女性』の間に知れ渡り、多くの羨望を生んだ。

「摩詞波闍波堤比丘尼(まかはじゃはだいびくに)」とは、釈尊の姨母(おば)であるが。
この人が先ず。八歳の竜女の即身成仏を見て『発心』した。
即(たちま)ちにして、「法華経」に帰依した彼女は、『勧持品』で成仏を勝ち取る。
後は「将棋(ドミノ)倒し」で、当時の才媛達が 我れ先に、『即身成仏』の大仏果を得るのである。

残念ながら…この『女人即身成仏』には、最もオゾマシイ者までが混じっている。
それが『十羅刹女』である。

『羅刹』とは別称を悪鬼といい、男女の『羅刹』が存在する。 
好物は「人間」の生き血と、「人間」の生肉である。つまり「人肉のユッケ」だ。
この『羅刹』に目を付けられたら、   言うて悪いが「最早最後」である。

絶対に逃げ果(おお)せない…  何故か。
それは『羅刹』は、猛烈なる速さで地を駆ける。
それだけではない… 『羅刹』は、空も飛ぶ事が出来るのだ。
今晩の夢に…仮に『羅刹』は出てくるとしたら。 悪いが「諦めて頂こう」
…と言う位、大変な者までが『成仏』したのである。 困ると言えば、困る。

…以上の記述が『女人成仏抄 473P 4〜7行目』である。
あとは、明日の早朝に続けようと思います。

[576] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月15日 (金) 05時14分

【 口に南無妙法蓮華経と唱え奉る女人は 
在世の竜女・憍曇弥(きょうどんみ)・耶輸陀羅女(やしゅたらにょ)の如くに・
やすやすと仏になるべし という経文なり 】 『 法華初心成仏抄 554P 11〜12行目』
(憍曇弥(きょうどんみ)⇒釈尊の姨母(おば)「摩詞波闍波堤比丘尼の事」)
(耶輸陀羅女(やしゅたらにょ)⇒『出家』前の釈尊の妻女)  いずれも境涯の高い女人。

【 法華経は女人の御ためには 暗きに・ともしび(燈)・海に船・おそろしき所には・
まほ(守)りと・なるべきよし・ちか(誓)はせ給へり 】 『 乙御前御消息 1220P 4〜5行目 』

【 弥陀念仏は女人 たす(助)くるの法にあらず 必ず地獄に堕ち給うべし 】
『千日尼御前御返事 1312P  8〜9行目 』

【 彼(か)の女人仏(女人成仏)に成らせ給わん事 疑いなし 】『松野殿御返事 1390P 1行目』

【 此(こ)の法華経の「薬王品」に 女人の往生(成仏)をゆるされ候ぬる事 又 不思議に候 】
『 薬王品得意抄 1503P 7行目 』


『女性』として生を受けて、究極の『王道・正法』の中に『真の師匠』を求め抜く。
『御書』に示された「先達の女人」を見る通りの、その共通点は『師弟不二』である。

『創価の婦人』たる実像が上記とすれば、
筆者の目には(実名は控えるが)「虚像」も見え隠れしておる。
これは、この。ワシの「眼力」が間違っている事を偏に願い・祈る者である。

「非力」であり、宿命に泣くばかりの『女人』を、心底から勇気付けたのが『日蓮大聖人』と
その直結の『三代の歴代会長』である。 その事を忘れ去ってはいけない。
先月号「巻頭言」にて『池田先生』が…。
何故「五障三従【女人の持つ本源的な失(とが)】」に言及されたのか。賢明に思索するべし。 

[577] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月15日 (金) 10時23分

≫ 五障三従【女人の持つ本源的な失(とが)】
実は…この事(『女人』とは元々こうである)とした事が、重要なのである。  

『爾前』の経典が流布している時代。
つまり『衆生の機根』も『聖者の格式』も低い(言い換えれば累積された罪障が少ない)時代は、
「煩雑」の教範や複雑な規範はかえって紛れるから…。と、簡素であったかもしれない。
いや、「煩雑」かどうかの比較さえも「不必要」ではなかったか。
はるか彼方の時には、訳の解らん「不気味」な存在そのものが無かった。
つまり…存在も無いものへの「対処」など、 考える前に「不必要」なのだ。

それとも、全くの逆であって、圧倒的な数の「戒律」で「衆生」の素行を縛っていたのかもしれない。
それは恰(あたか)も。 現今、膨大に新規に存在する「雑菌・ウイルス」に似ている。

いずれにしても、世相の機根が「シンプル」であればあるほど、目指す「対比範囲」も勢い狭まるだろう。
( 目指す「対比範囲」とは、『女人』から強力な発言権を取り去る事 )
『女人』が、男性に依る浅い検討(突発的本能)で疎外されたのも、そこに理由がある。

『女人』が先天的に備えている「多様性」は、『権謀術数』の男性社会では邪魔である。
女性特有の「深き機微」や「絶対に飽きない持続」は、『子育て』のみに発揮すればよい。
『女人』を彼方へ押しやる、主な訳は、『繊細すぎて埒が開かない』事であった。

…と。 いろいろ記述したが、
とまれ『爾前経』は、あらゆる手段を駆使して『女人』の可能性を閉じ込めた。

一般に、『釈尊』滅後の二千年を「白法」と意義付ける。 『御書』では、釈尊入滅は紀元前951年である。
【 而(しか)るに 仏・御入滅ありては 既に二千二百二十七年なり 】 
上記は、弘安元年の御述作  『 妙法比丘尼御返事 1407P』抜粋
(仏教国:タイでは 釈尊入滅は紀元前544年(2012年現在))

『日蓮大聖人』の御生誕は1222年であるので、釈迦入滅から2173年の月日が流れておる。
これは、『末法』に突入して、173年が経過した事になる。

『日蓮大聖人』の最大の御存在意義は、これは順位に悩むが『立宗宣言』と言っても破門とはならん。
『末法の法華経』とは『南無妙法蓮華経の御本尊』である。 これは「不動」である。
つまり、本来の『女人成仏』は、
『日蓮大聖人 32歳』の折の『立宗宣言』⇒(建長5年4月28日)から、有効になるのだ。

『女性』が、いかに暗闇の生息を強要されていたのか。
本当の『女人成仏』とは、ここからの「歴史」を読まねばならん。

「永い間の偏見を、よく辛抱した」と、御慰めを申したいが…。 それにしても。
とんでもない、勘違いをして「高見(高い視線)」の御婦人が散見するのは何とかならんのか。
中には「男性」を「屁」とも思っとらん『御婦人』も居るのである。
ワシが逃避した「N市」にも、再環した「K市」にも、この手の御婦人が居るが、
困った『勘違い御仁』で…、   見る度に、嘔(反)吐が出る。(吐き気がする事)

本当の『創価の婦人』は、このような低俗なる「御存在」では絶対に有り得ない。
『宿命・宿業にも、健気(けなげ)に闘い続ける人』『徹底的の同苦・激励の人』こそ、
誠の『御婦人部』であり『法華経の行者』である。  これは強く言っておく。

[578] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月15日 (金) 18時46分

『五障三従』とは。( 『法華初心成仏抄 554P』に詳しいので御参照を乞う )
「女性」の持つ五つの障り⇒その主題は『不成仏(成仏できない)』である。
『五障』 @梵天王  A帝釈   B魔王  C転輪聖王  D仏身  (これには、なれない)
『三従』 @父母   A夫   B子                     (これに、従がう) 
【 女人を指して(中略)五障三従と申して
三つ したがふ事有って 五つの障(さわ)りあり 】 『 主師親御書 389P 』

【 女人には五障三従の罪深しと申す、其れは内典には五障を明し 外典には三従を教えたり 】
『 女人成仏抄  472P 』

【 女人をば鬼と よ(読)めるにこそ侍(はべ)れ、
又 女人には五障三従と云う事有るが故に 罪深しと見えたり 】『法華初心成仏抄 554P』

【 …五障の雲 厚うして 三従の・きずな(絆・紲)に・つな(繋)がれ給へる女人なんどの御身として
法華経を御信用候は・ありがたしなんど・とも申すに 限りなく候 】『月水御書 1199〜1200P』

【 其の上 女人は 五障三従と申して 世間出世に嫌われ 一代の聖教に捨てられ畢(おわ)んぬ 】
『 善無畏抄 1235P 』

『女人』というだけで、これだけの障りがある。
という事は、その中で『妙法』を「身・口・意」で貫く事が いかに大難事か。

『ありのままの自分自身が 尊極なる妙法の当体であることに歓喜して…』
大白蓮華5月号の『巻頭言』の御指導は、「ズバリ」この事なのである。

『師と共に人々を救いゆく 地湧(涌)の菩薩』とは「同苦溢れる・単己の菩薩」なのだ。
そう自覚し、そう実践する事が『世界一の創価学会の婦人部』なのである。

[579] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月15日 (金) 19時12分

『単己の菩薩』とは「眷属」を引き連れない『菩薩』の総称である。
呼び名は『単己の菩薩』であるが、歴(れっき)とした『地湧(涌)の菩薩』である。

[580] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月15日 (金) 19時39分

忘れ得ぬ風景が、此処に来て『御書講義』の様相を呈しておる…。
悪い事ではないのだが、読者諸氏には 「…何じゃい。又、御書かよ」とは言わないまでも…
案外、近いのではないか。    そこで、最近の座談会点描を申し上げる。

この九日(土)の午後19:30 『栄光B』の座談会に喜々と参加をした。
例の「愚壮最初推薦の地区部長さん」の座談会であった。
『設営』の「紫陽花」が、見事に咲き誇る会場は、少人数でも賑やかである。
『御書講義』は「祈祷抄」である。  今まで、何度も何度も学んだ御聖訓である…と。
「地区部長さん」の講義は熱気を帯びている。

座談会とは「一家和楽」の展示会だ。  「何が有っても、堂々と朗らかに」
こんな決意が『最高なんだなァー』と、笑顔が弾ける座談会であった。

翌日十日(日)は、13:30分の開場であった。
やはり『設営』は「紫陽花」    談合の疑いがある。と、皆は言う。
この座談会は「立錐の余地なし」と混雑していた。

「N市」からは「副支部長さん」 「H市」からは二人の青年が「交流」での御参加である。
ここの「B長さん」は、『御書も「愚壮」がやるように』との仰せで、私は元気よく「講義」を実施した。

その後の話は、『新・人間革命』から「牧口先生の特集」を、これも強き確信で訴えた。
大成功の二つの座談会。   やはり何と言っても、基本は座談会である。

[581] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月15日 (金) 20時26分

『獅子身中虫』に最も関連しているのが『単己の菩薩』である。
『六万恒河沙』とは、御存知の通り「地湧(涌)の菩薩」の数である。
「無数」といっても良いのが『六万恒河沙』 つまり六万のガンジス河の砂の数である。

この一人一人の地湧(涌)の菩薩にも、個性がある。
勿論、男も居れば女人も存在する。否。「中性」も居るかも知れない。

この『地湧(涌)の菩薩』には、共通点が有る。
それが『屹立』つまり「仁王立ち・一人立ち」である。介助・合力などは不要なのだ。
「敵」は「周りが全部・敵」である。これは『地湧(涌)の菩薩』の宿命だ。
助っ人も無ければ、味方も居ない。

そんな中での奮戦が『地湧(涌)の菩薩』の地湧たる所以である。

『獅子身中虫』   これは強健の獅子に喰らい附く。
間違っても「死にかけ」の獅子には寄生しない。
獣(けだもの)の死体から、「ダニ・蚤」が先を争って退避するのは、その事だ。
「虱(シラミ)」の集(たか)る人間の寿命は、全く心配不要。とは、その事である。

扨(さて)。  『獅子』が『単己の菩薩』の如く闘う時。
敵である『獅子身中虫』は群を成す。
つまり…『魔』・『奪命魔』は、闘う闘士に取りつくのである。
『走るから髪は揺らぐ』とは、この事だ。

『平穏の中に、勝利は無い』とは、この事なんだ。
『絶対に負けない!』とは、この事の裏打ちなのである。

[582] 題名: 名前:おにゆり 投稿日:2012年06月15日 (金) 20時47分

愚壮さま
ありがとうございます。『単己の菩薩』納得です。

おにゆり拝

[583] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月16日 (土) 06時05分

『女人成仏』へ向かって猛然と闘う。
この時「地涌千界に住する菩薩」も闘う…? 「誰の為に?」
そうです。『地湧(涌)の菩薩』は貴女の為に、満身創痍で闘います。
『何(誰)と?』        貴女の敵人・貴女にとっての『魔・獅子身中虫』と闘います。
それが、『単己の地湧(涌)の菩薩』たる実像です。

ここで確認すれば…『獅子身中虫』も、実は「貴女」に内在する者なのです。

【 獅子身中の虫の 自ら師子を食うが如し 】 『 二乗作仏事 594P』です。
すこし穿(うが)って言えば、 『獅子身中虫』とは自分の留まり木の枝を切り落とすのです。
これは、まったく「道理」に悖(もと)らない事。というものです。


下記は、少し長文ですが。是非とも頭に入れて欲しい御金言ですので記述します。
【 …我が未来に於て 与(日蓮大聖人御自身を指す文言)が仏法を破らん為に
一切衆生の 元品の大石(無明)・大六天の魔王・獅子身中の蝗蟲(いなむし)と成って
名を 日蓮に仮りて 本迹一致と云う邪義を申し出して 多(々)の衆生を
当(まさ)に 悪道に引くべし 】 『 本因妙抄 873P 』  これは根幹です。
上記は、聞いた事 あるでしょう? 近くにも棲息していますから…。

【 悪人は如来の正法を破り難し 仏弟子等・必ず仏法を破るべし 
獅子身中の虫の師子を食(はむ) 等云云、
大果報の人(創価の女人)をば 他の敵 やぶりがたし 
親しみより破るべし 】 『 佐渡御書 957P 』 
自分を食い破るのは、他ならぬ「自分」なのです。

【  師子身中の虫・師子をくらう、仏教をば外道は やぶりがたし 
内道の内(仏法の中・範疇)に事いできたりて(教義に対する紛糾が起きて)
仏道を失うべし (これは)仏の遺言なり 】 『 法門申さるべき様の事 1271P 』

【 さど(佐渡)の国にても そらみげうそ(虚御教書)を 三度まで つくりて候しぞ、
(中略)木のしたなる(下⇒内部に巣食う)むし(虫)の木をくら(喰)ひ たお(倒・たう)し 
師子の中のむし(虫)の師子を食らい うしなふやうに… 】『窪尼御前御返事 1478P』

上記数編の『御書』  対告衆を確認するのも、又。別の方面からの「研鑚」となります。

ともあれ・「これは、勝てないかもしれない…」 こう思った時、既に負けている。
『獅子身中虫』と雖も・羅刹と同等…「我が信心を 試す存在だ」と腹を決めて闘え。
「負ける道理は、皆無である」故に。

[584] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月16日 (土) 08時46分

『獅子身中虫』を述べるとき、必ず連動するのが 『獅子奮迅之力』と『獅子吼』である。
『王者』をも抹殺し頓死させる者。とは『獅子身中之虫』である。
『勝負』とは、両者が同時に作用する(立ち上がる)事を指すのだ。
この時。『獅子吼』を忘れ去った『王者』は 勝てない。  とする。
逆に今度は…『獅子身中之虫』とて 『獅子吼』しつつ闘う『王者』には勝てない。

「獅子」が一たび吼えると、余の獣は震え上がり、仮死(死んだ振り)さえ演ずる。
ここで結論。     『日蓮仏法』とは『獅子吼』である。  是れが根幹である。
此(こ)の『獅子吼』の前には、生きる全ての者が沈黙し、逃避し、死んだ振りさえする。

【 眠れる師子に 手をつくれば 大いに吼ゆ 】 『 開目抄下 233P 』とは、それである。

逆説は、こう言っている。   (先ず 通解文 )
「 若しも悪を見聞しても、放置してそれを攻めなければ 当然『獅子吼』でもなんでもない 」
これ(悪の放置)は「懈怠懶惰(けたいらんだ)」以外の何者でもなく、話にならない。と言う。
【 是くの如く 種種に法を説くも 然も故(なお) 師子吼を作(な)すことを能(あた)わず
非法の悪人を降伏することを 能(あた)わず、(中略)当(まさ)に知るべし 是の輩は
懈怠懶惰(けたいらんだ)なり 能(よ)く戒を持(たも)ち 浄行を守護すと雖も
当(まさ)に知るべし 是の人は 能(よ)く為す所 無からん、】 『 開目抄下 235〜236P 』
※⇒つまり「悪の放置」は、実の蓋も無いのだ。

ここで『御義口伝』から、「作 師子吼」を抽出する。
【 第五 作師子吼の事 】 『 御義口伝上 748P 』である。
本文 ⇒ 【 御義口伝に云く 師子吼とは仏の説なり 説法とは法華
別しては 南無妙法蓮華経なり、
[師]とは師匠 授くる所の妙法      [子]とは弟子 受くる所に妙法・
[吼]とは師弟共に唱うる所の音声なり [作]とは おこすと読むなり 】とある。

『師子身中の虫・獅子吼・作師子吼・獅子奮迅之力』は総て『師弟不二』からの派生である。
上記が解決すれば、最早「宿命」に泣く事も霧散する。
『日蓮仏法』『創価仏法』が『師弟』からのみ入れる所以が、実は此処に在る。

【 いよいよ(弥)・をづる(恐れる)心ね(心根・心境)すがた(恐れた振舞)・をはすべからず、
(中略)  がうじゃう(強盛)に はがみ(歯ぎしり・歯を噛み締め)をして たゆむ(弛)心なかれ
(中略)  すこ(少)しも・を(畏)づる心なかれ 】 『 兄弟抄 1084P 』
愈々(いよいよ)・土壇場・背後を絶つ… ここから奇跡と思える逆転劇が幕を上げる。
本抄を拝読する時  「池上兄弟」の大歓喜・巌の如き大決意が窺われるではないか。

【 仏の説法をば 師子吼と申す 乃至(← 中略と同意) 法華経は師子吼の第一歩なり 】
『 四条金吾殿御返事 1122P 』

是の段の結びは『獅子奮迅之力』に付きるであろう。
【 師子王は 前三後一 と申して・
あり(蟻)の子を取(獲)らんとするにも 又 たけ(猛・猛獣)きものを取(獲)らんとする時も・
いきをひ(勢い)を出す事は・ただ をな(同)じき事なり 】 『 経王殿御返事 1124P 』
【 日蓮守護たる処の御本尊を・したた(認)め参らせ候事も 師子王に・をと(劣)るべからず、
経に云く 「獅子奮迅之力」とは 是なり 】 『 経王殿御返事 1124P 』

上記に言う『前三後一』とは「贖命の闘い」の異名であろう。
何としても、何が起っても…生命で拝読すべき御聖訓である。

[585] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月16日 (土) 09時48分

隣接「T・O支部」の『N支部長』からメールがあった。

『種種御振舞御書(別名:佐渡抄)』
この御聖訓は御存知の如く「大白蓮華・『勝利の経典:御書を学ぶ』の4・5・6月号の教材だ。
私の不注意の切創の件もあって、隣接「T・O支部」の『壮年塾(御書勉強会)』の講師が代わっていた。

代役の『N支部長』は、最高学府を卒業された秀才で『三世諸仏総勘文教相廃立』を講義は抜群だ。
その『支部長』からのメールは、「6月度の御書講義は、お前がやれ」
これは…完璧なる約束違反で「往生」しておる。

愚癡ではないが…。
本抄の講義は非常に長編で、『池田先生』の御講義も分割されていた通りである。
私が携わった「本抄の講義原本」も、案に相違せず、長編となった。(5月29日 投稿済)

そこで、「メゲないで、再び勉強するが」 なるほど、非常に重い『御書』である。

ところで…と、考えた。 「何故。今。 種種御振舞御書(佐渡抄)なのだ」…と。
この「時と所」に関知しない『何故』という感覚は、無意味ではない。

『何故』 『何の為』とは、なにも若者の専売ではない。
ワシの如き「老人」も、こうして常に考えを巡らせておる。

『なんでやねん…』

[586] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月16日 (土) 17時03分

『師子吼(獅子吼)』を学んだ。  『師子吼』とは主に『末法御本仏』の御振舞に感じて曰う。
では、『弟子』はどうあるべきか。 手当たり次第に同志と思われる人を糞糟(クソカス)に言う事か。
これは、たぶん違う。     
では、何でもかんでも「功徳だ 功徳だ」と吹聴する戯(たわ)け事か。
…それも違うのか。   

当り前だわな。 全々違うんだよ。         そんな事に『弟子道』はない。
『弟子』は、 『師匠の振舞』から、本来の為す可(べ)き事を的確に伝承する事だ。
実践だけでは『猴猿(こうえん⇒猿)』でも行う…と。 伝承・伝持する者である。

【 日蓮が御免(佐渡流罪の即刻中止)を蒙らんと欲するの事を
色に出す弟子は 不孝の者なり 】 『 真言諸宗違目 139P』
『弟子』を貫く事は、普通の価値観では追従不可能である。

外典賢聖に「顔回(顔淵・がんえん)」という人が居た。この人は、彼の『孔子』の弟子であるが。
これが、『師・孔子』より先に逝く。 この時、師匠の『孔子』はこう言ったと伝わる。
「嗚呼・天、我れを滅ぼせり…」 然し。こう嘆いたのは師匠の『孔子』である。
『師匠と弟子』という観点から、『日蓮大聖人』はこう御記述になっている。
【 而(しか)りりといえども 過去未来を知らざれば父母・主君・師匠の
後世をも たすけず 不知恩の者なり 】 『 開目抄上 186〜187P 』
尚。『「顔回(顔淵・がんえん)」の、又。違う故事は『 日女御前御返事 1243P』にある。

『弟子』と、いままで勘違いしていた人が居るが…その人への御記述は、非常に厳しい。
【 (貴女は) 今まで『唱題』など唱えていないではないか。 と、いう事は 最早。
『日蓮』の弟子でもなんでもない。 (向後、私との対面を望むなら)
よくよく 本心の在り様を申しなさい 】 『 大尼御前御返事 908P 』と、ある。

『弟子』への御記述で最も厳しい『御書』が、本抄である。
この御文面を拝読して、恐ろしいまでの「厳しさ」を感ずるものである。
【 小蒙古の人・大日本の寄せ来るの事、我が門弟(弟子)並びに檀那等の中に
若し 他人に向い 将又(はたまた)自ら言語に及ぶ可からず、
若し此の旨に 違背せば ※門弟を離す(破門)べき等の由・存知せる所なり、
此(こ)の旨を以(もっ)て 人人に示す可(べ)く候なり。 】『 小蒙古御書(全文) 1248P 』

【  …(前部を略す)妙楽・伝教の聖言に随って
善無畏・慈覚の凡言を用ゆること勿(なか)れ、予が門家等 深く此(こ)の由を存ぜよ、
今生に人(他人の言・風聞)を恐れて 後生に悪果を招く事勿(なか)れ 】『 大田殿許御書 1005P 』

本抄の最後の御聖訓を、何と捉えるか。 『日蓮仏法』の門下として、直視できるや否や。
誠に甚深の御金言である。
【 (前部を略す)一見の後・秘して 他見ある可からず 口外(他に話す事)も詮なし 】
『 三大秘法禀承事 1023P 』

非常に興味の涌く御記述が、以下である。 諸賢は何(いか)かに拝するや。
【 我が弟子等の出家は 主上・上皇の師と為らん  
在家は左右の臣下に列(つら)ならん 】 『 諸人御返事  1284P 』

『日蓮仏法』に於ける「弟子」の振舞こそ、最大の命脈である。
『御書』に御記述の「弟子」に関する論文は、無尽蔵である。
この勉学には、生涯の時空を費やしても、埋めきるには至らない。

[587] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月17日 (日) 07時23分

『弟子道』 ⇒ いつから私達は、「弟子」を名乗る事(時)を許されたのでしょうか?
…こうも、その瞬間(弟子になった時)を限定されては…困るのか。困らないのか。
「あなたが、本当に弟子になったと言える瞬間を 説明して下さい」

そう言って迫られた時。 あなたは(自分も納得出来る)明快な答えが出せるか、否か。

そのような時…。  どこが「原点・源流」かを把握したい時。
仏法でいう、『適時而已』⇒「(すべて)時に依る可し」と言う「大原則」が、顕れて来ます。
物事の「原点」を語る時に外せない「骨子」とは…、全部『道理』に添っている事なのです。

【 譬(たと)へば 秋の終りに種子を下し 田畠を かえ(排⇒耕)さんに 
稲米(とうまい)をう(得)ること かた(難)し 】 『 開目抄下 236P 』

【  夫(そ)れ 仏法を学せん法は 先ず 時を ならうべし 】『撰時抄 256P』
「何をか 云わんや…」である。   『先ず、時。』である、という事です。

【  あたか(恰)も これ 大海の しを(潮)の 時を たが(違)へざるがごとし 】 
『 撰時抄 265P 』

【 譬(たと)へば 春の薬は秋の薬とならず 設(たと)い なれども 春夏のごとくならず 】
『 治病大小権実違目 996P 』 物事・処方箋の瞬間から決定しているのです。

【 外典の賢人すら時を待つ 郭公(ほととぎす・かっこう)と申す鳥は卯月五月に限る 】
『 呵責謗法滅罪抄 1128P 』 「郭公(ほととぎす・かっこう)への譬喩は絶妙です」

【 月はいみじ(巧み)けれども秋に あらざれば光を惜む・花は目(芽)出たけれども
春に あらざれば さ(咲)かず、一切 時による事なり 】『妙密上人御消息 1238P』

【 (前部を略す)折伏無きに非ず 各(おのおの)一端(全体の一部)を挙げて
時に適う而已(のみ)】 『 開目抄下 235P 』

【 天台の云く「適時而已」等云云、 仏法は時に よるべし 】『開目抄下 237P』

【 雪山童子は半偈のために身をなげ 常啼(じょうたい)菩薩は身をうり
善財童子は火に入り 楽法梵士(ぎょうぼうぼんじ)は皮をはぐ 薬王菩薩は臂をやく
不軽菩薩は杖木を かうむり 師子尊者は頭をはねられ 堤婆菩薩は外道にころさる、
此等は いかなりける時ぞやと勘(かんが)うれば天台大師は「時に適うのみ」とかかれ
章安大師は「取捨宜きを得て 一向(頑なに一つに拘(こだわ)る事)にすべからず」としるされ、
法華経は一法なれども 機(機根)にしたがひ 時によりて 其の行(行体)万差なるべし 】
『 種種御振舞御書(佐渡抄) 910P 』 

【 (前部を略す)一には時来らず 二には機なし 三には譲(ゆず)られ給はざる故なり、 】
『 治病大小権実違目 996P 』

【 一には自身堪(た)えざるが故に 二には所被の機無きが故に 三には仏より譲り与えざるが故に
四には時来らざるが故なり 】 『 曾谷入道殿許御書 1028P 』

【 是は 時の然らしむる故なり 】 『 四条金吾殿御返事 1194P 』
この御記述は、「何故、私(日蓮大聖人)が 『天台大師や伝教大師』を越えて
「法華経弘通」故の諸難を受けるのか。 この自問自答の直後の文言。
これは全て、「末法本仏たる適時而已」であるとの御金言の事だ。

【 (前部を略す)付属なきが故に・時のいまだ・いたらざる故に・
仏の久遠の弟子にあらざる故に 】 『 諸法実相抄  1358P 』 
上記は、最も私達が学んだ御金言の一節であろう。

『適時而已』…。     語彙が重なるが、甚だ深い。つまり、甚深である。

[588] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月18日 (月) 05時41分

やはり…。 次に書くなら『報恩』だ。  今日(2012年6月17日)の聖教新聞を読んで、そう感じた。

宗教全般が、皆に最も求める事は何か。 又逆に、一体何を皆に教えたいのか。
…それが『恩』。 感謝に報いる思い。 ではないか。 


【 此(こ)の功徳を以(もっ)て 父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候 】
『 本尊問答抄  374P 』  「御本尊への報恩が、すべてを包含する」

【 さど(佐渡)の国と申し これ(身延の事)と申し 下人一人つけられて候は・
いつの世にか わすれ候べき、此(こ)の恩は・かへりて・つか(仕)へたてまつり候べし 】
『 妙一尼御前御消息 1254P 』


次下(つぎしも)の御記述は、『感情なき畜生すら恩を報ずる…』という示唆である。
【 川獺(せんだつ・かわうそ)祭魚のこころざし・林烏(りん・カラス)父祖の食を通ず
鳩鴿(きゅうご・ハト)三枝の礼あり  行雁(こうがん)連(つら)を乱(みだ)らず・
羔羊(こうよう・ヒツジ)蹄(うずくまり・ひずめ)て乳を飲む・
賤しき畜生すら 礼を知ること 是くの如し、何(いかん)ぞ人倫に於て
其の礼 なからんやと あそばされたり 取意、 】『新池御書 1444P』

『報恩』  恩とは報うべき…  報うてこそ「恩」が成り立つ。
若干、時間がないので、 明日に譲る。

[590] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月18日 (月) 09時14分

前回。時間の都合で、「簡素にした部分」の詳細を記述しておく。(御存知の人の多きを承知で記述す)

【 @川獺(せんだつ⇒かわうそ)祭魚のこころざし・A林烏(りんう)父祖(ふそ)の食を通ず
B・鳩鴿(きゅうごう⇒はと)三枝の礼ありC行雁(こうがん) 連(つら)を乱(みだ)らず・
D羔羊(こうよう⇒子羊)踞(うずくま)りて乳を飲む 】   『 新池御書 1444 P 』

@  カワウソさえ、正月(旬)には「魚」の供養をする。
A  カラスは、自分を育ててくれた「親」や、その又「親」のために「エサ」を運ぶ。
B  鳩でさえ、親鳥の3本下の枝(三枝の礼)にとまる。
C  雁は、先頭を飛ぶ「リーダー」を追い越さない。
※戸田先生の『雁(かりがね)行進の否定』は、安易な人材推薦の話で、別次元だ。
D  「子羊」さえ、親から乳を飲む時は踞(うずくま)り「膝」を折る。
上記は全て『報恩』の持つ意義・重要性を御教示されている『御聖訓』である。  


【  夫(そ)れ老狐(ろうこ)は塚をあとにせず    
白亀は毛宝(もうほう⇒古代中国の武将)が 恩を ほう(報)ず  】『報恩抄 293P 』
上記は『報恩』の核心の御記述である。これは…あまりにも有名な 『報恩抄』の冒頭文だ。
『塚をあとにせず』…とは、自分の育った巣穴に対して、
粗末に軽んじない、後足で砂を蹴らない、永劫に疎(うと)んじない事。
又。白亀(はっき⇒年老いた亀)の故事は…
昔「毛宝」に助けてもらった亀が、「毛宝」の最大の危機を救った話である。

この「白亀(はっき⇒年老いた亀)」に関して、『日蓮大聖人』は別の『御書』で
【 亀魚(かめ)すら 恩を報ずる事あり 何(いか)に況(いわん)や人倫をや 】 
と、憤慨の気色で御記述になっておられる。 『 善無畏三蔵抄 888P 』

この 『報恩抄』の冒頭文を「再掲」する。
【 (前部を略す)…畜生すら かくのごとし いわうや人倫をや 】
『日蓮大聖人』の叫びは、 『畜生すら (このように) 恩を知るのではないのか!』である。
『日蓮大聖人』の叫びは、 『人間として、「不知恩」は最悪・最低ではないのか!』である。

五・十大部にも属する『報恩抄』は、(これも御存知の通り)「通・別」の二義を説かれている。
ここで「義」の詳細に触れると「紛れる」ので、大意を申して置くと。
『通』 ⇒ 「四恩を報ず」であり。    『別』 ⇒ 師恩への報謝である。

又。『報恩抄』の主題は…  以下である。
【  日蓮が慈悲曠大ならば 南無妙法蓮華経は 万年の外・ 
未来までも ながる(流布)べし 日本国の一切衆生の盲目を 
ひらける功徳あり、無間地獄の道を ふさ(塞)ぎぬ 】 『 報恩抄 329P 』

決めて『報恩抄』に係わる事が、『恩』への肉迫ではない。
そこで、『御書』に於ける『恩』を探ってみる。

先ず。若干「難解な恩」に迫ってみる。
【 内典(仏説全般)には 恩を棄て 無為(の位・一切万象に影響されない境地)に入るは 
真実の恩を報ずる者なりと 仏 定め給いぬ 】『 下山御消息 364P』
(この【 無為の位 】を、「宗門」では『出家』と定義した。)

『恩義』という言葉の深さを、『御書の御聖訓』で充分に味わって欲しいものである。

【 我等が父母・世尊は主師親の三徳を備えて 一切の仏に擯出せられたる我等を
唯我一人・能為救護と はげませ給ふ、其の『恩』 大海よりも深し
其の『恩』 大地よりも厚し 其の『恩』 虚空よりも広し、(中略)
(其の仏恩に報いる為) (自分の)身の血肉を無量劫・仏前に 山の如く積み
大海の如く 湛(たと)ふとも 此(こ)の仏の一分の『御恩』も報じ尽くしがたし 】
『 善無畏三蔵抄 886P 』

『御書全篇是報恩也』とは「愚壮」の造語であるが、『御書 即 報恩』は正解である。
以下。次回

[591] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月19日 (火) 04時00分

『日蓮大聖人』御自身が「報恩」を決意された時の御心境は、どのようなものか…。
これは「凡夫」には、量り知れない事である。
然し『御書』の御記述には、その事が端的に示されている。(重大な部分は、『』で囲んだ)
【 本より(言わずもがな・当初から…)学問し候し事は、
『仏教を  きは(極)めて 仏になり』 恩ある人をも たすけんと思ふ 】
上は『 佐渡御勘気抄 891P 冒頭文 』  これは説明不要である。


『恩』と ひと口で言うが、その最深部は、一体何処にあるのか。又、何処に向う可(べ)きなのか。
この、ひと口で表現出来る『恩』への解剖は、一筋縄では どうにもならない。
【 父母を知るも 師の恩なり  
黒白(正誤・表裏・正邪・正否・真贋・勝敗・雌雄(しゆう)…etc)を弁(わきも)うも 釈尊の恩なり 】
つまり、得々と・堂々と「誤謬」を垂れる※輩は、『報恩』部分が抜け落ちているのだ。
( ※『輩』 ⇒ 黒・白をも弁(わきまえ)ずに 『ヨタ』を吐く奴は、「不知恩」である。という事 )
又。『ヨタ』とは、過去の発言を「紛れて翻す事」である…   納得されるかな…。

訳の判らん「俗世の常識」を、『鬼の首』の如く吹聴し、一切の「省み」が無い。
吐き並べる「御託」は、一見正論・再検証の暁は…何処から斬っても『世迷い事』である。
…これが上記の「御聖訓」の御指導(通解)である。
それが 『 一谷入道御書 1327P 』である。

更に申せば。 
更に申せば とは、 もっと別の、もっと深い『報恩』に関する御金言を拝読せよという事だ。 

それが。   『上野殿御消息』(四徳四恩抄)の全文である。 1526〜1528P
これの「身・口・意」での咀嚼は、『人間革命』の直道である。
『人間革命の直道』とは。      
『御書』を拝読している時に『感動・感謝・報恩』の『涙』に咽ぶ事である。 

これが…  真実の叫びである。

[592] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月19日 (火) 17時02分

『四大声聞』の領解文では、
世尊の『大恩』それ自体が「稀有」であり、
その巨大なる『恩』に「報ずる事」は、(深すぎて)不可能  (能〔あた〕わじ)としている。
『 開目抄上 204〜205P 』

扨(さて)。  
『恩義』という事を学ぶ上で、絶対に避けては通れぬ『御書』が在る…。

それが『四恩抄』である。

弘長元年(1262年)正月16日  聖寿41歳の御述作であられた。    
対告衆 ⇒ 工藤吉隆(小松原の法難で大聖人を護り討ち死にをした)

御述作地:伊豆(流罪地)        別名『伊豆御勘気抄』  約3,600文字の短簡
※小松原の法難の詳細 
『南条兵衛七郎殿御書 1498P 』  小松原の法難の意義 『上野殿御返事 1555P 』

本抄の大骨格は『報恩』である。            
それは『報恩』こそ人間本来の目指す『本源』であるからだ。

『恩』を知り(知恩) 『恩』に報いる(報恩)            
これこそが、人間が人間らしく生き行く為の「根本」。
☆『人間』が永劫に正しく前進しゆく原動力は『報恩』である。

『四恩抄』 の他に 
『報恩抄  293P』『本尊問答抄  374P』『妙一尼御前御消息  1254P』『新池御書  1444P』
上記は全て『報恩』の持つ意義・重要性を御教示されている『御聖訓』である。(一部・御書名が重複)

【 仏法を習う身には 必ず四恩を報ずるべきに候か、
四恩とは(中略) 一には 一切衆生の恩
一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願い 発(おこ)し難し、 
又 悪人 無くして 菩薩に留難を なさずば 
いかでか 功徳をば増長せしめ候べき 】  『四恩抄 937P』

『 仏法を習う身には 必ず四恩を報ずるべきに候か 』 
 この御文証こそ「本抄」の急所である。

四恩とは  ↓ 以下を指す。
@一切衆生の恩  A父母の恩  B国主(王)の恩  C三宝(仏・法・僧)の恩

@(一切衆生)に報いるとは、
滅後悪世で万人を救済するという崇高な「使命(衆生無辺誓願度)」を果たせる恩だ。

A  母に関する御聖訓は 
 233P 733P 929〜30P 933〜4P 1131P   ☆1398P 1481P 1490P
『開目抄下』  『御義口伝上』  『光日房御書』 『光日上人御返事』 『呵責謗法滅罪抄』 
☆『刑部左衛門尉女房御返事』  『窪尼御前御返事』  『三沢抄』 

A  父に関する御聖訓は ⇒ 858P 1033P 1481P  ☆1532P 1557P
『百六箇抄』 『曾谷入道等許御書』 『窪尼御前御返事』☆『南条殿御返事』 『上野殿御返事』

B国主(王)の恩に関しては⇒大白蓮華 47P (上段)
『国主の迫害によって、仏果(道)を得(極め)る』とする。
『日蓮大聖人』と門下への「迫害」は『御書』により明らかであり、
その『難』ゆえに、『宿命転換』出来得たのも事実だ。

又。国主(王)の恩を、『帝(みかど)』に限定すれば…。
※『紫宸殿御本尊』の意義がある。 しかし… これは、紛れるので割愛する。
紫宸殿御本尊⇒紫宸殿(天皇の居所・帝の内裏)に奉掲すべき御本尊の事。 
 ※ 紫宸殿⇒『本尊問答抄 372P 』
 
『報恩』(恩に報いる行為・恩を刻み込む姿勢)こそ、
自己の狭い料簡を乗り越える『跳躍台』である。
ここで言う『跳躍台』とは正に、『人間革命』そのものと捉えてよい。

逆に「狭い料簡」の人間とは『不知恩』の事なのである。 
『報恩』に相反して、厳しく誡められているのが『不知恩』だ 

つまり『不知恩』とは「利己主義」。これを『自利』と切る。
「自利」とは「不知恩」 「不知恩」とは「利己主義」 
「利己主義」とは「異体同心の否定」 
「異体同心の否定」は『同志誹謗』と『師敵対』に直結している。

これでは『人間革命』など、「夢」の又「夢」である。 
ましてや『折伏弘教』など「何億年」掛っても出来ない。

Cの『三宝(仏・法・僧)』への『恩』
これは。 最も基本であり、中枢であり、難解であるので。
次回とする。

[593] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月19日 (火) 19時34分

『三宝(仏・法・僧)の恩』
『日寛上人』の六巻抄の中の『当流行事抄』にはこうある。
仏宝 ⇒ 久遠元初自受用身報身如来即日蓮大聖人
(例えば『第59世:堀日亨上人猊下』は、「六巻抄・当流行事抄」の御註解に於て、
自受用身に関して「ホシ(自)イママニウケ(受)モチ(用)ユルミ(身)」とされる。
(が、しかし。 これ以上の細部への検証は、煩雑すぎよう。)
法宝 ⇒ 本門の本尊即南無妙法蓮華経
僧宝 ⇒ 日蓮大聖人血脈付法の開山上人『白蓮阿闍梨日興』
としている。

『御書』に於ける『三宝(仏宝・法宝・僧宝)』への「恩」は、もっと凄い。
…というか…『難解』すぎる。  『四恩抄 938P』
【 (前部を略す)…残る所の四十年の寿命を留め置きて… 】
(本来「釈尊」は百二十歳の寿命であったが…一応、八十歳で入滅し、
残りを全ての衆生の為に『恩』として与え置いた。…)

それに続く『御聖訓』には。
世界中の海の水を「硯(スズリ)」の水とし、世界中の植物を焼いて墨汁とする。
…だけではない。 世界中の獣の毛で筆を作って。地球上の全大地に…
『仏(釈尊)』への『報恩の謝辞』を書いても、 未だ足らない。という。

こうなると。  『恩』の深さ等は天文学的で、生きている間には量れない。

更に、この『御聖訓』には、 『この三宝への「報恩」で、一番重要なものが『僧』への恩』という。
【 僧の恩を いはば(言及すれば) 仏宝 法宝は 必ず 僧によりて住す 】938Pとある。

これを拝して、「未だ『僧への恩』を否定する気か!」と、叫ぶものである。
【 然れば 僧の恩を報じ難し 】938P を、一体。どのように拝するのか伺いたい。

但し。声を惜しまず叫んでおく。
ここでいう『僧宝』の御資格を有する『正僧』『聖僧』とは、恐れ多くも。
『御本仏・日蓮大聖人』を除いて 『日興上人』『日目上人』『日有上人』
『日寛上人』『日霑上人』『日亨上人』に代表されるのである。

『三宝への報恩』及び『聖僧』たる意義・等々は次回で記述する。  
特筆『日寛上人』に対する「三代歴代会長」の絶対姿勢等々も、又。次回に譲る。


唯一言える事がある。   「三代歴代会長」は、紛れも無く私達の「師匠」である。
この『三代の歴代会長』は『卓抜で不動」である。と言っても、異議はなかろう…
否。 一切の反論は無い筈である。 
「第26世:日寛上人」を指して、よもや「偽者」とホザク『師敵対』の輩は居るまいと確信する。

[594] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月19日 (火) 20時25分

ところで…『独り言』じゃ。
話は『御書』に関してである。
「句読点」や「中点」等は、名詞が和字(かな)で連続している為の判読を容易にする為、
後世で書き添えられたものである。(第59世:堀日亨上人猊下の御努力)
又。『御書本文』の御記述順序も、きっちりと「分類」されており。
特に、御門下への『消息文』等は、『日蓮大聖人』の御事跡に沿ったものである。
上記の四行に関して、『御書』に詳しいので、御読み頂きたい。

近々。ネット等で(例えば)『満月城 岡山』(だったかな…)等。
『御書』の検索が、非常に便利であって。   大きな助力となっている。

然し この(例えば)『満月城』。語記方法に於いては。 
⇒『・』(中点と呼ぶ)等が省略されている。  (他の同種が、どうかは知らない。)

勢い。そのままの「貼り付け」が、当然 非常に便利である。
が、ともあれ。【 全文の「コピー」「貼り付け」は、どうも有り難くない】とは、ジジィのヒガミか。 

私が『御書御本文』の引用に及ぶ時は、一字一字 キーを打つ。
その為、時間は掛かる (…それでも、誤植が発生するのには閉口する)

ま  。『御書』の御引用に、便利な「ツール」の御使用も結構じゃが…
散見する『丸写し』は、あまり感心できたものではない。
せめて、「中点」や「句読点」や『特別な御文証』への「通解」位は実施せよ。

ママの丸写し等…「猿でも出来る」
但し… これは『満月城 岡山』様に言ってるのではない。

[595] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月20日 (水) 05時07分

蓮祖大聖人滅後383年目に御出現された「御正師」の存在が在る。  
(日寛上人⇒南条兵衛七郎直系の子孫)
後の『第26世:日寛上人(1665-1726)』である。 
この『寛師』の御出現で、汚れた宗史の軟風・己義・邪義は一挙に打ち払われたのだ。

所以(いわゆる)『中興の祖』の御出現である。 
( 『中興』という文言は、一旦崩れた正法を、正道に戻す事をいう )  

扨(さて)。『六巻抄御講義』の「序文」である。
六巻抄とは、正式には以下の「六巻」の論文を言う。
それが  @三重秘伝抄 A文底秘沈抄 B依義判文抄 
C末法相応抄 D当流行事抄 E当家三衣抄の『全六巻』である。

日寛上人の六巻抄は、日蓮大聖人の正法正義を、
化儀の広宣流布の未来に流れ通わしめんがため
全魂をこめて著された破邪顕正の書である。

即(すなわ)ち、六巻抄全体は、当時の邪義を摧破(砕き破る)した「破邪の書」であり、
正像の仏法と、末法摘時の大仏法を峻別し、日蓮大聖人の御書の真意を知らしむ、
顕正の書である。(中略)

当時の『池田先生』をして ⇒ 『彼の天台、伝教が釈尊の正統を顕揚したのに
幾千倍勝る大偉業であると共に、未来永劫にわたる源遠長流の
教学の大基盤であると信ずる。』とは、 一切の予断を排した『池田先生』自体の心である。

更に「序文」は格調高く続いている。
『戸田前会長も、常々『教学は日寛上人の時代に帰れ』と申されていた。
事実、学会教学の不滅の伝統は、
日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない。(中略)

六巻抄は いわば仏法哲学の精髄である。
これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、責任であることを訴えたい。

(中略)   もはや、一宗門の六巻抄にあらずして、
万人の六巻抄となりつつあることを銘記されたい。  (後略)
昭和四十四年三月十六日   創価学会会長    池田大作

『戸田城聖第二代創価学会会長』
『池田大作創価学会第三代会長』
が、併記された『六巻抄』への「帰依の御心」を、我等は継承せねばならぬ。
それが『創価の弟子道』であるからだ。

巻末に、『戸田城聖第二代創価学会会長』の「宗門観」の参考となる御記述を再掲する。
(これは現今の「顕・如に見る」 ひん曲がった「宗門」を指す物ではない。念の為…)
【 (本文はカタカナ表記) 去年、堀米先生を謗った罰をつくづく懺悔しておると話して下さい。
「法の師を謗りし罪を懺悔しつつ、永劫の過去を現身に見る」と言っておりますと。】
青娥書房「若き日の手記・獄中記」抜粋

[596] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月20日 (水) 09時33分

蓮祖大聖人滅後383年目に御出現された「御正師」の存在が在る。  
(日寛上人⇒南条兵衛七郎直系の子孫)
この人が   『第26世:日寛上人(1665-1726)』である。 
この『寛師』の御出現で、汚れた宗史の軟風・己義・邪義は一挙に打ち払われたのだ。
所以(いわゆる)『中興の祖』の御出現である。   有名な著書は『六巻抄』である。 
( 『中興』という文言は、一旦崩れた正法を、正道に戻す事をいう )  

扨(さて)。『六巻抄御講義』の「序文」である。
六巻抄とは、正式には以下の「六巻」の論文を言う。
それが  @三重秘伝抄 A文底秘沈抄 B依義判文抄 
C末法相応抄 D当流行事抄 E当家三衣抄の『全六巻』である。

『日寛上人の六巻抄は、日蓮大聖人の正法正義を、
化儀の広宣流布の未来に流れ通わしめんがため
全魂をこめて著された破邪顕正の書である』。

『即(すなわ)ち、六巻抄全体は、当時の邪義を摧破(砕き破る)した「破邪の書」であり、
正像の仏法と、末法摘時の大仏法を峻別し、日蓮大聖人の御書の真意を知らしむ、
顕正の書である。(中略)』

当時の『池田先生』をして ⇒ 『彼の天台、伝教が釈尊の正統を顕揚したのに
幾千倍勝る大偉業であると共に、未来永劫にわたる源遠長流の
教学の大基盤であると信ずる。』とは、 
一切の予断を排した『池田先生』自体の誠心である。

更に「序文」は格調高く続いていく…。
『戸田前会長も、常々『教学は日寛上人の時代に帰れ』と申されていた。』
『事実、学会教学の不滅の伝統は、
日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといっても過言ではない。(中略)』

『六巻抄は いわば仏法哲学の精髄である。
これを無量に展開していくことこそ学会教学部の使命であり、責任であることを訴えたい。』

『(中略)   もはや、一宗門の六巻抄にあらずして、
万人の六巻抄となりつつあることを銘記されたい。  (後略)』
昭和四十四年三月十六日   創価学会会長    池田大作

『戸田城聖第二代創価学会会長』
『池田大作創価学会第三代会長』
が、併記された『六巻抄』への「帰依の御心」を、我等は継承せねばならぬ。
それが『創価の弟子道』であるからだ。

巻末に、『戸田城聖第二代創価学会会長』の「宗門観」の参考となる御記述を再掲する。
( これは現今の「顕・如に見る」 ひん曲がった「宗門」を指す物ではない。念の為… )
【 (本文はカタカナ表記) 去年、堀米先生を謗った罰をつくづく懺悔しておると話して下さい。
「法の師を謗りし罪を懺悔しつつ、永劫の過去を現身に見る」と言っておりますと。】
青娥書房「若き日の手記・獄中記」重複抜粋


今・何故『六巻抄』に言及するのか。
それは『第26世:日寛上人』御自身の実像に肉迫するが為である。

六巻抄の中に『依義判文抄』という重書がある。
これへの『第59世:堀日亨上人猊下』の註解文を拝読するに、以下とある。
【 依義判文 】 
或る義を依拠とし標準として 次第に他の文を判断する事である。 という。
つまり『義に依って、文の真理を判ずる事』である。

『大聖滅後』四百年という時空の経過は、正否に亘って『法理』をも巻き込んだ。
これを如実に語るのが、「法主」の出張・交替…つまり「権威」の輪番である。

厳密に考えれば、
この辺りから『一切衆生・衆生無辺誓願度』という「大原則」さえ色褪せた。
『宗祖』が「命懸け」で伝えようとした「基盤」が忘れられかけた宗風である。


まあ、そう硬い事を言わずにいえば…『中興の祖』と言われる『日寛上人』が、
二十六番目の「嗣法」という事実は、厳然であり。
少なくとも「二十人と少々」は脱線した、も「逆算」の真実(史実)である。

弛みきった『箍(たが)』を、『第26世:日寛上人』が締め直したのは間違いない。

『三重秘伝抄』(日寛上人・著)の本文を抜粋する。
【 ※今謂(いわ)く 前来の諸説は 皆是れ 文上なり、
不相伝の輩 焉(いずくん)ぞ 文底を知らんや、
若し文底を知らずんば 何ぞ「蓮祖」の門人と称せんや。】
「我れこそは、真の池田門下生と言う輩こそ、臭い者である」
と指弾されている文言である。      何とか言ってみろ。

『 ※今謂く 』 ⇒ を特別に「日亨上人」が御講義になっている。
( 今謂(いわ)く ⇒ 本師(釈尊)上来(元々)の憶説(処説)を排除して
蓮祖正伝の実義を述べたもう事 )である。
これを「深く通解」すると。
「釈尊」の通説も『日蓮大聖人』の口伝に裏打されて、初めて『実義』となる。

更に、その「深義」(三重秘伝抄)を『日寛上人』が御記述される。
これが、誠の「血脈」である。(とは、言い過ぎか)

次回も『日寛上人』に迫りたい。

[597] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月21日 (木) 05時12分

扨(さて)。 『日寛上人』
『演繹と帰納』の両方で評価しても、
『第26世:日寛上人』は中興の祖であり「稀代」の名僧である。
その上で、私が断言するのは。 
『日寛上人』を卑下する輩は、『日蓮大聖人』の弟子ではないと言う事だ。

『日寛上人』を申す以前に、是非。記述しておきたい事がある。

非常に不孝な事であるが、『日蓮正宗:大石寺』と『創価学会』が袂を別った。
一方は『破門された』と言い。      一方は『己義を立てた』と言う。
この時。最も苦しんだのが『法華講員・学会員』であった。

その後、両者の 恥も外聞も捨てた「詰(なじり)り合い」は『我田引水』の羅列である。
『草創の学会員さん』の、隠れた顰蹙を買ったのも、又 この『我田引水』部分であるのだ。

ここでは、一例のみ『我田引水』の実例を挙げて、
この『創宗戦争』が、全く実益のない歴史上の愚行である事の 指摘だけしておく。

2011年10月12日(水) 第17441号の『聖教新聞』の社説。
以下抜粋 【  (中略)そして、日興上人の精神を継承したはずの日興門流も 
今では完全に「葬式仏教」と化している。(後略)】

『創価学会教学部』が、日興上人を否定する瞬間の記述が上記である。 
まったくもって、冗談ではない…何をほざくのか。
「創価学会教学部」が『日興上人』を否定する。
これは『師敵対』の極致であり、「三代の歴代会長」への冒涜である。

「愚壮自身」の実体験の中に、『総本山・大石寺」での『風景』がある。
これは、確か…「大化城」の近くであったと記憶する。(記憶は確定ではない)

ここに在った「蓮池」の事が、『四信五品抄』の講義レコードに紹介されていた。
この「戸田先生」の御講義が、筆者の印象に深く残った原因は、どこにあったのか。

その後、実際の『池』を訪れた「愚壮」に目に飛び込んできた「歌碑」があった。
それは…      夢か幻か…、こうあった。
『 あな嬉し   とわ(永遠)の故郷  大石寺 』

『池』のほとりに立ち止まり、生涯の安楽を、この「歌碑」に認めた幾多の人々。
この人々の…『深奥からの安逸』を消し去ったのは、 一体誰だ。

もう、二度と帰らぬ『失われた時』を求めて…
今、私は。 『六巻抄』を再び繙いた。

そうした私の目に、一句の語句の解説が飛び込んだ。
その「語句」は…一冊の『六巻抄講義』の最後のページにあった。

【 皎然 】とだけあった。当然あるべき(読み)もない…。
下部の「語句の解説」には、こうある。
『 あきらかの意。 目の前に明らかであること。 』とあった。

私は思った。
この『創宗戦争』は、このままでは、未来永劫に続くであろうが…。
【 皎然 】としている事は、山ほど有る。
いつか何時の日か、「発足の初心」に戻らなければ。
総てが「死ぬ」。

その「死ぬ」中に、『日蓮大聖人』も『日興上人』も『日寛上人』も『日亨上人』も。
厳然。 含まれて居られるのである。

それが謂う処の…多寡の論理では無い事象の根幹である。『聖愚問答抄下 493P』

[598] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月21日 (木) 17時14分

余話
ところで…。 
私は今。『日寛上人』を称えるが為にのみ繙く 一書がある。
一書とは『六巻抄講義』集である。
この『六巻抄講義』集を拝読していて、突然に思い起こした事がある。

それは過日。 この『風景』にて…である。
いつものように、甚だ「舌っ足らず」の御託を並べる「愚壮」に横槍が入った。
「横槍」の内容は的確で、  私はいっぺんに『横槍の人』が嫌いになった。

この際。 「嫌い」が冗談で…      「的確」が急所であった。

私のいう『謗法厳戒』は、これは正論である。
その上で、あるべき流れは…これは、ある。

『氏』が私を諌めた「文言」は、   前出の(あるべき流れ)で、正論である。
正直私は、「氏は、よくここまで読んでいる」と感動をしたのである。
(これは、決めて…ヨイショではない)

然しながら言っておきたい。   氏「引用」の文章に。(…と喧嘩を売るのではない)
非常に類似した記述文がある。  それが、
この『講義の巻』の、 147〜148P。 これは当時の『創価学会教学部』の記述だ。
(違っておったら、言い訳に「汗」をかくので、(セコイが)書名は伏せる。

この文章。当然『池田先生・監修』の範疇ではあるが、 記述は『創価学会教学部』だ。
記述内容の持つ意味は大きい。     つまり、私はここで  『教学部』に言って置く。
意義が深そうであっても、      「誤解」の余地ある構文は控えねばならん。
それは何故か… 全責任が『池田先生』に向うからである。

因みに…この『横槍・正論の人』は、御若いのに(…と、勝手に決めてる)尊敬できる人である。
愚壮・拜

[599] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月21日 (木) 18時18分

若干 横道に外れた…と。 『日寛上人』の話を戻す。
先ず。 『橋を問う』という急所から「講義」は始まる。 本文は
【 (前部を略す)苟(いやし)くも糟糠(そうこう)を執し ※橋を問う 何の益あらん 】

糟糠(そうこう) ⇒ 酒のカス・米のヌカ ⇒ 最も劣ったもの。
※橋を問う ⇒ 文言に拘泥(こだわって)奥底の思想・哲理・本質を読み取ろうとしない事。

須(すべから)く…。     文章を翫(もてあそ)ぶ「輩」の陥りそうな指摘である。
こういう部分から『講義を始める事』に、『日寛上人』御自身の、急所を飲み込まれた凄さがある。
『 一を聞いて 十を悟れ 』 とは、確か。『御書』に存在している。
【 一をもつて万を察せよ 庭戸(ていこ)を出でずして天下をしるとはこれなり 】
『 報恩抄 295P 』

【 一は万が母と いへり 】 『 聖愚問答抄下 498P 』
【 母は唯・一なるべし 】 『 妙密上人御消息 1237P 』

『日寛上人』が、先ず「橋を問う」如きの愚かな進行に終止符を打たれたのである。
その上での「急所」が以下である。
※「橋を問う」如きの愚かな進行…とは  『両者が、相反する事を示すのではなく』
理に走り原典を離れる事・文章の枝葉に拘泥する事の「二極端」の誤謬を排している。

もう既に、この「一点」から、『宗・創』は『日寛教学』身読しておらず、話にならない。
誰かが『教学は日寛上人の時代に帰れ』等と、声高に請売りする値打ちもない。

よくよく 反省して頂きたい。
…と言っても、これは『戸田城聖第二代創価学会会長』を指しているのではない。

何度も繰り返すが。
『牧口先生・戸田先生・池田先生』は私達にとって、「稀有」の『師匠』である。

[600] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月22日 (金) 05時03分

『日寛上人』が、其の『本門戒壇本尊』の元意に、直ちに当てはめられたのが、
※「応受持斯経」の文。就中。『受持』の二字である。
「受持」する事自体が『本門戒壇本尊』で、そこから総てが出発する。

※「応受持斯経」の文。と言われても、何の事やら、さっぱり解らん…と人は言う。

少し挿むが…元々『六巻抄』自体が全て「漢文表記(漢文体)」である。
これを後世の研究家が、
当該研究家の対告衆の素地に合わせて「訓み下した」書物である。

そこで前出の「応受持斯経」を「訓み下した」形態に変換表記する。
『 応(まさ)に斯(こ)の経を受持する事が即本門戒壇の意義 』と読む。
(他にも いろいろの読み方があり、漢文の専門家の訳文に期待するが)
概ね、上記の読み方が「日興上人(開山上人)」の本意である。


何故。この「講義書」の内容を言うのに、ここから入ったのか…。
それは、『日寛上人』が単独で「己義」の「本尊論」を展開などされてなく。
あくまでも、日興上人(開山上人)の所説を御踏襲されているからである。

『日寛上人』書写の御本尊に対する、甚だしい「悩乱」の解釈は論外なれど。
看過しての「其の侭」は。 決めて『宗・創』の「魔への屈服」である。

『事。御本尊』である。    黙殺宜しき筈がない。

[601] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月23日 (土) 06時53分

『六巻抄』とは「六巻」に顕されている『日寛上人』の重書である。
(「中興の祖」と謂われる・エキスが「本編」のどこを摂っても、我が身に附く)

こう簡単に考えたのが『六巻抄』を教材に選んだ理由の一つ。
もうひとつは、『日寛上人』を(諺 ⇒ 盲目・蛇に怖じず)と「こき下ろす」輩への警鐘だ。

『日寛上人の六巻抄』 就中「依義判文抄」を選んだ理由は、上記に依るものである。
然し…。 『講義書』を繙いて、ものの二日とせぬ内に、私は大きく後悔した。
…と。 その「難解」な構図に、悲鳴をあげたのだ。


その「講義」は、冒頭に下記を言って始まっている。↓
【 義に依って文を判ずる 】 この場合の「義」とは、『日蓮大聖人』の三大秘法の仏法である。
「文」とは 釈迦の説いた「法華経二十八品」の文である。

つまり…『依義判文抄』という題号の真意は。
『日蓮大聖人』の仏法に「依って」 法華経の「文を判じる事」ととし、更に。
『三大秘法』が「法華経が(元々・顕わそうとした)法体そのものである」とする。

この辺(あた)りから、「隙間だらけ」の愚壮の脳味噌の限界を露呈してくるが…
引き続いての「講義文」に遭遇して、「恥も外聞もなく・悲鳴するの」である。

それが、以下に続ける「講義文」である。
【 この事 ⇒即(すなわ)ち『依義判文抄』という題号の真意・
ひいては『依義判文抄全体』の持つ「底意」とは  】
『日蓮大聖人』が建立された三大秘法の仏法が、
『日蓮大聖人』御自身をして「勝手」に造ったものではなく、
釈迦も知り、ひいては「一切の仏」も知っていた事を
知らしめる・宣言する・決言する「書」である事。という。

私は、ふかく反省した。
「しまった。これ(『日寛上人』の『六巻抄』)に言及してはいけなかったのだ」


そんな事で悩むな。という声までが私を責めているやうな今朝。
『池田先生』は『 寂日房御書  902〜903P 』を捉えてくださった。

「水を得た 魚」とは、こう云う心境の「言葉」である。と 私は歓喜した。

【 夫(そ)れ人身を うくる事は  まれ(稀)なるなり、
已(すで)に まれなる人身を うけたり
又 あひがたきは仏法・  是も又 あへり、 】と更に御金言は続く。

【 同じ仏法の中にも 「法華経の題目」に あひ たてまつ(奉)る
結句 「題目の行者」となれり、
まことに まことに  過去十万億の諸仏を 供養する者なり  】 

この「通解」は、深く言えば(ママであるが)下記である。
『 人と生れて、御本尊に会う事は 過去世の深い「宿縁」である。
「広布」を怠るな。 「信心」を怠るな。 』 という事である。

…という事は、今 私が繙く『依義判文抄・講義集』に登場する御聖訓も、
当(まさ)に・『寂日房御書』そのものではないのか。

『依義判文抄』の真骨頂は、多編の中の『寂日房御書』であり…
その中でも、特筆の『神力品 第二十一』である。

ここに来て… 殆んど 微(かす)かではあるが、
『依義判文抄』が遠くに見え始めたのである。

それにしても……と。 私は心底にと、 こう想う。
『日寛上人』とは、誠に凄絶の「御示現」であったのだ。

中興の祖『第26世:日寛上人』の御生誕は1665年(日蓮大聖人滅後383年)
その御遷化は1726年(日蓮大聖人滅後444年)享年61歳である。

江戸時代(1600〜1867)の中間点は享保18年(1733年)で、
「日寛上人」は、まさに江戸時代中期の法嗣であられた。

『享保(きょうほう)時代』とは、
(諸説があれども・概ね…)1716年6月22日から1736年4月28日までの20年間を指す。
尚。 その時の江戸幕府の将軍は『第八代:徳川吉宗』であった。

常々「戸田先生」が叫ばれた事実とは。
『教学は日寛上人の時代に帰れ!』であったが。
これは…「宗門」に『本物の法嗣・日寛上人』が出現されたからである。

『日蓮仏法』の、原点である「鎌倉時代」は130年間(1203〜1333)続いた。
又。その中間点は弘長5年(1268年)であり、最初の蒙古牒状が届いた時であった。

弘長5年(1268年)といえば…。
この3年後に『竜の口法難』が起る時期であり、
この時の鎌倉幕府の執権も亦『第八代:北条時宗』であった。

この「二つの第八代」…。 読者諸賢諸氏は、『偶然』と片付けるのか。

[602] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月24日 (日) 07時09分

『我れ真の弟子なり』と言って一歩も退かない人が多く居る。
これと、全く同じ様に、「私こそ釈迦の誠の弟子である」と、常時 明言した人々が居る。

『釈尊』が最も近き世に。「如我等無畏(にょがとうむい)」という決意を抱いて、
今世に、皆の識(し)る出現の体現をされ、「方便としての涅槃」の直前に「二十八品」を説く。
これは、皆が知る「釈尊に依る 近代仏法開闢の風景」である。

『釈尊』は…。  この「法華経」の十六番目に来て『如来寿量品』を説かれる。
ここに初めて、「地湧千界の諸菩薩群」が大地を割って登場する。
その数たるや……。 「無数」である。

これを見た、「迹化の諸菩薩」は…
今までの「長時の空間」(永い時間)に亘って、「釈尊の弟子」を自認してきた自信を押し出した。

然し…『釈尊』は、いとも簡単に、こう言う。
「あなた達(迹化の菩薩達)」は、私の「今世(つい最近)」の弟子にすぎない。
それに引き換え、ここに居る『地湧(涌)の菩薩』達は、気の遠くなる以前から…
「末法広宣流布」を、誓い・願い・自認した『六万恒河沙』に及ぶ「菩薩群」なのだ。

これを聞いた「迹化の菩薩達」は大きに驚く。その有名な言辞を ⇒ 『驚天動地』と言うのだ。

『法華経・如来寿量品』で出現した「地湧(涌)の菩薩」が、
『法華経・神力品』で、具体的な「時期⇒末法」や「行為⇒破折・折伏」を自らに課す。

然し。この「一連」の流れ、   実は…。
『釈尊己心の法華経』や、天台・伝教等の「理の論述」には示されていた…が「輪郭」のみである。
(実際は釈迦が「ケチ」で言わないのではなく、「一切衆生の機根」が「至つていない事」を言う)

ところが…事実は冷酷である。
『釈尊自身』が予言した「白法隠没」が、遂に到来する。
「況滅度後・況滅度後」と、あれほど「鸚鵡」のように恐れた時代が来たのである。

『一切衆生』の機根は最下限の「底辺」まで堕ち。
「第六天魔王」は「此の世の春」と『奪命』の限りを尽くし(血塗られ)ていく。

既に、世界中が…。
『最も信じていた者が、実は、最悪の「奪命魔」であった』…という世相になっている。

『日蓮大聖人』が、最も恐れられ、最も闘われたのが、(上記の…)末法であった。
『最も闘われた』事とは ⇒ 最終の『悟達』の結果に「顕された三大秘法」の『大御本尊』である。
この『三大秘法の御本尊』即『南無妙法蓮華経』即『末法御本仏』が、『未曾有の法理』である。

これを「懇切」に順記され尽くしたのが ⇒ 『六巻抄』である。
つまり…『日寛上人』の御存在が「宗・創の要(かなめ)・扇の芯」なのである。

『御書』・『日寛上人』と出れば…次に控えて居るのは「地湧(涌)の菩薩」と決まっておる。

[603] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月24日 (日) 08時12分

≫ 「第六天魔王」は「此の世の春」と『奪命』の限りを尽くし(血塗られ)ていく。

「念仏無間地獄抄」を繙くまでもなく、「地獄」の様相は『人々の悪業の積み重ね』を自重させた。
「顕謗法抄」を繙くまでもなく、「地獄」の様相は『人々の悪業の積み重ね』を自重させた。
「如何なる妖艶美人」も、その死体を三日も放置すれば「蛆(ウジ)」が沸く。
…上記の警告等、「どこ吹く風」と、聞く耳をも持たない。

どのような「最高に秀でた人間」も、最初と最後の「各五・六年間」位は(個人差は有れ)手間もかかる。
と、諭(さと)しても…上記の「納得出来る仕組み」等、『屁』ほども気に止めない。
『なんせ、やる事がいっぱいあって… アア 忙しい・忙しい…と、「皆」死期に向って街角を走り抜ける』

人々は「己の主義思想」を貫く為に、『人間』を簡単に「謀(たばか)」る。
「謀(たばか)」る事・「謀(たばか)」られる事で…… 何千万の人々が抹殺されてきた。
それが、動かぬ「歴史・正史」である。

何も、今。ここで改めて…『拷問の事実』を語るまでもない。
然し。 現実は、「主義・主張」「人種」「宗教」に依って、人々は殺されて来た。
これは、絶対に動かない「事実」である。

「その場で殺す」「死(公)刑に処す」「無期に拘束する」「毒を盛る」「便槽に落し込める」「割礼を施す」
「拷問にかける」「私刑で殺す」「抹殺する」「陵辱する」…等々、これはオゾマシイ程、一部である。

『日蓮大聖人』が何度も御示唆された…『死は一定』という真意は、
「命」自体が持つ「不思議」なる「貴重」さ・「稀有」さ・である。
又。その「使命」(何に命を贖い 使い終わるのか)という事である。

「死んで三日もすれば、人々の記憶からも消えていく」儚(はかな)き今世であれば…
『愚」にも附かない ・ 『屁』にも劣る類の事はもうやめようよ。
どこかの「宰相」が、こう言った ⇒ 『ノー・サイドにしましょう。もう…』
主義主張に拘泥せず、イイ言葉だとは思わんかね。

優曇華の如き「人界」の現実を、どうか「性善」に全(まっとう)して頂きたい。

こう 念(おも)う   昨今である。

ところで…。 今日。
『O・T支部・壮年塾』である。  教材は『種種御振舞御書(佐渡抄)』後半。
講師は「拙」。   ずっと悩んでおるが…「質問形式」の方が、楽しく学べるのかナ。

[606] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月25日 (月) 05時46分

日曜日の昼前の一時間。恒例の『支部壮年塾』を行っている。
「今日。私は仕事なので『壮年塾』に参加出来ないが…」と、「N支部長」からは何度も確認があった。
定刻の十分前。四階建の「四階・拠点」に向った。

「拠点」の街路を挟んだ北側は「H小学校」
私は、その「グランド」を   立ち止まって、暫く眺めていた。
それは…昔日の、ヤンチャな「愛孫達」の勧声が聞こえたような気がしたからである…。

目指す「拠点(M田宅)」は、閑静な陽光の中にある。
『若干・四階までの階段。これは、少々こたえる…』と思うワシの、身体がなまっておる。

「四者」の「支部唱題会」の締め括りの「幹部」による談話の中。ワシは音も無く「会場」に滑り込んだ。

目聡い「担当の壮年幹部」は、同志の群れの「最後列」に身を潜める私に声を掛けた。
「愚壮さん。この後の『御書勉強会』…」 よろしくたのむと、こう申された。


「本日。N支部長が欠席されております」と、切り出した私は。
「今日の『御書勉強会』は、講義ではなく、「共に切磋琢磨すると言う意義を込めて…」と。
『御書に関するディスカッション』にしたいと、御提案した。

参加者各位の『御了解』を得た私は、御用意いただいた「小机」の前に在る。
『机』の上に…『御書』『大白蓮華』『眼鏡』『腕時計』を並べた私は…
最後に、今日の為に造った『種種御振舞御書(佐渡抄)』の冊子を開き、こう申しあげる。
『いつも、このような「高い場所」を与えて頂き、誠に恐縮です』
『それでは…今回の『勝利の経典』  共々に学んでいきましょう』


「睨み付けるが如き」の各参加者さんの視線の中。
『御書』に対する「畏敬の念」は、いやまし高まってゆく気概あり。
上記は。   一つの、「トアル支部」での『御書学習会』の『風景』である…。

この『御書学習会』で見えるものがある。とすれば… 『真摯に唯ひたすら』の空気である。
私は、思う。  『こうでなければ、御書学習ではない』…と。

[607] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月25日 (月) 19時43分

『日寛上人』に関しての論評は 甚(はなはだ)甚深であり、元より「愚壮」如きの出番ではない。
然し。余りにも『愚弄・恣(ほしいまま)』では、それを垂れた御本人の為にも宜しくない。

そこで、難解な注釈は『博学のM氏』に任せるとして、「これ以上は無い」という『講義』を書き写す。
( 『御講義』といっても、全文ではない  ごく一部である )
但し…言っとくが。  是れは「池田先生」の『御講義』である事を、最初に言っておく。

その前に、 『日蓮仏法』の数多(あまた)の「法理」の中で、主軸となる部分がある。
それが『宗教全般が所持する規範:五綱』である。

何故『宗教全般』か。    その解答は「全ての聖職者」に聴聞すれば「ケリ」がつく。
どういう事かと言えば…「全ての聖職者」は白々と こう言うのである。
「我が宗派にも、当然   教・機・時・国・教法流布の先後という 五綱は存在する」…と。

(上記なんぞは 全くの戯れ事で、眉唾ではあるが    しかし )
是くの如くの『ヨタ』に、目クジラ(?)をたてるようでは 『際限なきヨタ』にも対処は不可能である。
ここで問題にしているのは。 『日蓮仏法の五綱』である。
是れへの『真意』は、『御書』を経なければ絶対に咀嚼出来ない。 是れは「断言」である。

『釈尊』が声高に決意された「一大事」は『如我等無畏(にょがとうむい)』である。(通解:略)
然らば 『日蓮大聖人』が、死殃(しおう・頓死の禍)を御覚悟の上での『御決意』は何か。
それが 『衆生無辺誓願度(しゅじょう・むへん・せいがんど)』である。(通解:略)

『日蓮大聖人』御自ら、その為に 殆んど想像できる あらゆる『難』に向われた。
  ※  言っておく⇒ 「あらゆる『難』に耐えられた」ではなく『向われた』のだ。

説話にあるやうな、「スジャータの差し出した乳粥」を飲んだのではない。

『日蓮大聖人』が言われた「対告衆」とは、『一切衆生』であった。
御自身を『脾民・賎民』と意義された所以が、この『一切衆生の機(機根)』にあったのだ。

『一切衆生の機根』を「我と同等」に引き上げる… これが『日蓮大聖人』の悲願である。
得度直後の清澄寺で「虚空蔵菩薩」に御誓われたのは、実は『衆生無辺誓願度』に他ならない。

誠に遺憾であるが…御存知の如く『日興上人(開山上人)』滅後の直後。「宗門」は一旦死ぬ。
※『御書』を根幹とする『日蓮仏法の門下』は、「日亨上人」御記述の『新編・御書全集:序』を読め。

「全日蓮門下が知る可(べ)き宗旨」とは、「ここを外しては成立しない事実」を肝に命ずる事がある。
「ここを外しては成立しない事実」とは⇒『中興の祖:日寛上人』の御存在である。

『日寛上人』が最も「真ん中」で拜読した「法理」とは何か。
それが『末法広宣流布』に欠くべからざる『五綱』である。

ここで云う「五綱」は、前文の如く…五綱の どれ一つも「皎然たる根幹」である。
就中。二つ目の『機根』は、一切の民衆に対する『日蓮大聖人』の願望であった。
【 仏果に至らしめる機根(機縁) 】とは、『日寛上人』が『御聖訓』のママに達した結論だ。

『日蓮大聖人』が『曾谷入道殿許御書(太田抄)』で括目されたのは ↓
【 仏法では「機を知る」事を重要視した 】という「衆生」に対する大慈悲であった。
『日寛上人』が上記の御金言を…「文に互顕あり」とダイレクトに「機根」を直射された。
これだけを拜しても…凡智には量れぬ「達観・炯眼」である。

これを手始めに、「御講義」は延々と続くが…ワシの如くの浅識では追付かん。
(実は…記述自体が「追付かない」のだが…)


もう一度、強調しておく。 「中興の祖」とは『日寛上人』である。
上記の御講義の総ては、『池田大作創価学会第三代会長(当時)』の御記述である。
※ 抜粋⇒『依義判文抄・講義』

更に重ねて申し上げる。 私は『御聖訓』の記述に及ぶ際は、絶対「コピー」等は無い。
『・』(中点)一つにまで、『新編・御書全集』を繙き、そのママ記述する。(故に疲れる…)

[608] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月26日 (火) 06時17分

『機根』について、若干の確認と「論旨」の補強が疎(おろそ)かなる部分に言えば。
(以下 ⇒ 短文抜粋の通解)
【 機根とは「一切衆生」の生命の奥底に、多様・雑多(雨後の筍の如き)の思想の、
一体・何を求めているのか。 例えば…数多の「仏教」の、どの教えなら受け入れるのか。 
自ら(一切衆生)の求道(講義では「幸福指向」というが)の「傾向性」を、それぞれの「機根」という。
『機根⇔素地』と喝破する具体性の「総論」が ⇒ 『機根(機)を知る』という事の主軸である 】

云う【 仏教は摂受・折伏 時に よ(依)る可し 】『佐渡御書 957P』は…
「一切衆生」が自分の置かれている「厳然たる「時(じ)」を弁えない「無明」を指摘する部分である。
『賢王・愚王』が、それぞれに席捲する「時」に、「摂・折」の二道(時)をも知らない事への警鐘だ。

本抄(佐渡御書)のかかる御聖訓(摂・折は「時」にこそ全て)の主題は、次下への「大綱」である。
「次下の大綱」とは⇒【 明珠と牛驢の二乳を(も)弁えざる 】にある如く、11行の『時(じ)』の事だ。

『佐渡御書』は、諸賢御存知の如く。
『牧口常三郎創価学会初代会長』座右の重書である。
「恩師:池田先生」は、事ある毎(ごと)の機会を捉えて、本抄を御講義くださった。
その珠玉の文中にも、彼(か)の「切り文」は厳しく自他 誡められた。
【 日蓮は(中略)棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり 】『佐渡御書 957P』を、何と拜すのか。

『佐渡御書』は、御自ら『佐渡流罪』の中の「我」をさて置き。 
在鎌の門下の生死安否のみを 強く案じられた『日蓮大聖人・真骨頂』の抄である。
この時期の『大聖人』の、最も代表される御気概は『機根』ではなく『時(じ)』であられた。

それでも尚。強靭の『大慈悲』の発露は、重ね重ねと厳しく側近を戒め、弟子檀那を慰撫された。
【 (前部を略す)蛍火が日月を わら(嗃)ひ 蟻塚が華山(古代中国五名山の一)を下し…
井江(細い澪)が河海を あな(侮)ずり 烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)を わら(嗃)ふ 】
とは、是れである。 『 佐渡御書 961P 』

私達同志は、『同じ師』を仰ぐ者である。
決めて「同志誹謗」を排し、「己義・己理」を排し、「心の財」を積まねばならん。
間違っても、比類の『王道』を毀罵(きめ)し、且・曲解してはならない。
この事は、『死んでも厳守』しなければ弟子ではない。

『御書・御金言』に、「極楽寺良観」への辛辣なる譬喩(この際・譬喩ではなく直言か…)がある。

「極楽寺良観は生仏」とは『妙法比丘尼御返事 1416P』の引用であるが、これで「良観」の実態の総てではいない。
実は『極楽寺良観』の正体とは 放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱(婬乱)なのである。これは近代「宗門」にそっくりだ。
上記『放逸・慳貪・嫉妬・邪見・淫乱(婬乱)』の事は 『下山御消息 350P』に詳しい。 
又。「宗門」とは「日顕」である事に、誰も異論はあるまい。   (尚。極楽寺良観の実態は 多くの御書で御記述されている)

[610] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月26日 (火) 19時35分

本日。私の地域に「大白蓮華 No,751   2012年7月号」が届いた。
早速。「池田先生」の御講義のページを開いた。 (大白蓮華 38P )

『四条金吾殿御返事』(別名・石虎(李広)将軍御書)である。
本抄は(人に依って感想・観想に違いはあるが)、愚壮は「男の中の男」の『御書』と心得る。
…ってな事を平気で口走るから  『御婦人部』から徹底的に敬遠されるのだが…
とまれ。 「確信する・信じきる」事が、如何(いか)に凄いか。という『御書』である。

又。「 必仮心固 神守即強 御書 」という別名もある。
これは「摩詞止観」の抜粋経文であり、読んで字の如くの『御文証』でもある。
【 必ず心の固きに 仮(よ)って 神の守り即(すなわ)ち強し 】1186P 
( 大白蓮華 39P  (上段)の太字 )⇒『絶対の確信に立つ事』である。

これを、もっと突っ込んで言えば、『絶対の確信に立つ事』とは『絶対に勝つ』という事だ。
更に言えば、『絶対に勝つ』とは『地涌の菩薩』そのものの意義でもある。
『地涌の菩薩』の意義とは、『人間革命』をしていく事への異名である。
( 大白蓮華 39P 太字の後の9行 就中・「戸田先生」の御指導 )

それでは、『絶対の確信に立つ事』とは どういう事を指すのか。 それが。↓
『 怯(ひる)まない・焦らない・恐れない・逃げない 』とする。
その為の「智慧の湧現」を、『人間革命』というのだ。( 大白蓮華 40P  (上段) 10〜11行目 )

少々戻るが…冒頭に飛び込んできたのが  『石に立つ(貫通)矢の例(ためし)あり』である。
( 大白蓮華 38P  (上段) 17〜18行目 )  

※『李広(石虎)将軍』の故事をすこし述べておく (皆は、とっくに知っているじゃろうが…)。
( 「岩」を、母を食い殺した「虎」と信じた将軍の射た矢が、羽ブクラまで貫いた事。) 
これは、「岩」を「虎」と信じきった『強固な確信』が、矢の貫通を招いた故事であり…
『虎と信じ切った心の堅固さが、岩を射抜いた』という「一念」の譬喩である。
『石虎(李広)将軍』への言及・御指導は(愚壮の勝手な解釈だが…)
『日蓮大聖人』に対する「四条金吾」の「心の強さ・固さ」を述べられていると思う。

本抄『四条金吾殿御返事』の骨子とは…
「頼基自身」の最大の苦境の中でも、「大聖人所在地」の身延に泊り込んで、
『日蓮大聖人』に迫り来る老病を懸命に治療した頼基の献身。
又。 「登山」の折りに携えた、数多(あまた)の御供養への礼状でもある。

文面から拜するに…『日蓮大聖人』及び弟子僧たちの「日常」の逼迫が、具(つぶさ)に読み取れる。
その程度も、「単なる「逼迫」如きではない」つまり「尋常ではない」と、拜読の度「涙」を流すのである。
正に 『人の人としての振舞』そのものである。 ( 大白蓮華 41P  (上段) 14行目 )

絶対に泣き言を言わない…と言えば 「俗言」で恐縮するが、本文で『御心境』を吐露されている。
【 而(しか)るに 日蓮は 他人に こと(異)なる上 】 1185P 6行目
「他人に こと(異)なる」の「文上」は、極限の不自由な生活を(幕府・権力に)強制されている事だが。
「文底」は『末法・御本仏』としての無量の使命・『一切衆生衆生無辺誓願度』への「願兼於業」である。

更に 【 就中 今年は 疫癘飢渇(えきれい・けかち)に(中略)身に当りて 所労 大事になりて 】
特段、本年になって…「痩せ病・腹の気(下痢)」が急悪し(中略)身心ともに、その疲労は極限なのだ。
上記の(通解を含めた)御記述は、『日蓮大聖人』の御体調が最終局面に至つている事を示している。
↑ 1185P 6〜7行目

そのような中での「真心」からの金吾の訪問であった。
【 命 たす(助)かり候は 】貴殿(頼基)の身体に「釈尊」が入って、私(大聖人)の窮地を救ったのだ。
1185P 10行目        本抄を拜した「四条金吾」の大歓喜は、想像に難くない。

そんな健気の「中務左衛門尉頼基」に対して、『大聖人』の御記述は続いていく。
『師匠・日蓮大聖人』の御配慮・御慈悲には、誠。際限が無い。
【 是より後は… 】と、御自身の激しかろう「飢餓」をも省みない御文証が、それである。
【 是より後は…おぼろげならずば 御渡り あるべからず 】 1185P 14行目
「おぼろげならずば」とは、超火急の用件以外は、身延に来てはいけない。と言う。

『日蓮大聖人』の「中務左衛門尉頼基」への慈悲は、更に続いていく…。
【 返(かえ)す返(がえ)す 今度(このたび)の道(往復の道中)は・
あまりに(心から非常に・本当に)・おぼつかなく候いつるなり(心配した次第です) 】
どこまでも、弟子の安否のみを心に掛けている御記述である。 1185P 最終行
『創価学会の三代の歴代会長』の御心境そのものであるから、愚壮は涙を流すのだ。
『師匠は、常に弟子を念(おも)う』のである。 これは『池田先生』の我々への「心」に通じるのである。

この後 (1185P 最終行から 1186P 冒頭まで )
「決めて 油断を廃して 万全の備えを!」と御指導されている。  
この『油断を廃せ』関連は、 下記御聖訓を参照されたし。
【 主君耳入此法門免与同罪事 1133P 最終付近行 】
【 四条金吾殿御返事 1164P 最終行 】 【 四条金吾殿御書 1175P 11行目以降 】

そして。最後の御金言は『面談・対面の重要性』である。

【 委(くわし)く 紙には尽し がた(難)し 】 ⇒これは、本抄の結びの言辞だ。
例えば…「本来は、もっと詳しく申したいが、紙面(紙は当時の貴重品)にも限りがあり、
伝えたい事も、全部は言い顕せないので、『対話⇔面談』が望ましい」という事であろう。

『日蓮大聖人』の弟子檀那中への慮りが彷彿する。
( 但し・下記記述の中には、対告衆によっては『法論』等への心構えも含まれている )
『建長寺道隆への御状 173P』 『強仁状御返事 185P』 『土木殿御返事 964P』 
『法華行者(値)逢難事 967P』 『道場神守護事 979P』 『太田入道殿御返事 1012P』 

『太田左衛門尉御返事 1017P』 『兵衛志殿御返事 1099P』  『☆四条金吾殿御返事 1186P』
『日妙聖人御書 1217P』  『棧敷女房御返事 1232P』   『御輿振御書 1264P』 

『新池御書 1444P』 『南条兵衛七郎殿御書 1498P』 『上野殿御返事 1551P』  
『九郎太郎殿御返事 1554P』 『上野殿御返事 1559P』 『上野殿御返事 1564P』
『上野殿御返事 1566P』 『上野殿母御前御返事 1573P』 『上野殿御返事 1575P』 『白米一俵御書 1597P』

尚。大白蓮華の御指導は、適宜に拜して頂きたい。  『愚壮敬具』

[611] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月27日 (水) 06時25分

昨夜  『忘れ得ぬ風景』を全篇読み返す。
昔日の『風景』が、「あの時・あの一瞬が」ものの見事に復元され、私に迫り来る。
『嗚呼、よくぞ…遺して下さった』と、深き感慨・感謝の中 夜は更けていく。

然し…と、感じた事がある。
『…歓喜と勢いが、今の愚壮とは隔世だ…』


『これでは、いかん…』 これではいけないという直感は、当っていよう。
「ワシも、老けたか…」と、雀躍の聖教誌面に 珍しく素直な私を見た。

伏線は…これは在る。
昨日の『京都』への走行中、『ジュンちゃん』との電話での会話があった。
彼は言う 「あの…昔の気迫が影を潜めている」…と。

多いに反省し、大いに奮起す。
『父の日』に彼から頂いた「一輪」の造花が「開け放った車窓の風」に揺れている。
私は再び、こう誓った。
『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』…と。

[613] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月27日 (水) 18時53分

『生死一大事血脈抄』
本抄は1272年(文永9年)2月11日に「塚原三昧堂」に於いて顕された。
対告衆は『最蓮房』である。

先ず。 『生死一大事血脈抄』とは何ぞや…。
答えは ⇒ それは『南無妙法蓮華経』の異名であり、
唱題する『師弟』にのみ、『生死一大事』の血脈が受け継がれる。との御指導である。
更に言い加えれば。
その血脈は。『異体同心』で題目を唱える『師弟』の中にのみ伝わっている。
これが『在在諸仏土常与師倶生』なのだ。      『宿縁』なのだ。

【 夫(そ)れ 生死一大事血脈とは 所謂(いわゆる)妙法蓮華経 是(これ)なり 】
上記は本抄冒頭の「御聖訓」である。 典型的な『演繹』(大結論を先に云う事)である。

直後の『御聖訓』で『日蓮大聖人』は、二仏並座の(特筆「虚空会」)の座で、
『末法広宣流布』たるの主体者「上行菩薩」に譲った『血脈』とは
『妙法蓮華経』が即。
「一切衆生・衆生無辺誓願度」の『血脈』だと、結論されている。
『日蓮仏法』の根幹(いかなる人々にも無差別の抜苦与楽)は、これ以外に無い。

更に、「血脈」への深義たる『御金言』は続いている。
【 然れば 「久遠実成」の釈尊と「皆成仏道」の法華経と「我等衆生」の三つ
全く差別無しと解(さと)りて 妙法蓮華経と唱え奉(たてまつ)る処を
生死一大事の血脈とは云うなり 】 1337P 1〜2行目

以下 次稿 (すまん。 急用勃発じゃ…)

[614] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2012年06月27日 (水) 21時05分

『生死一大事血脈抄』は、御存知の如く「短編」です。
これが途中で「急遽中断する。すまん」とは何事か!…との御叱りが聞こえます。
誠に申し訳なく思います。 

本抄 1337P 4行目に、「血脈」についての究極の「御金言」があります。
それが ⇒ ※@【 法華経を持(たも)つとは 是なり 】 です。
結論は ⇒ 「生死一大事」の「血脈」の第一歩は『受持』から始まるのだ。という事です。

『日蓮大聖人』は、本抄『生死一大事血脈抄』の根幹の根幹を『受持』だと言われるのです。
その結論が ⇒ ※@の直前に、実は述べられているのです。
【 此(こ)の事 但 日蓮が弟子檀那等の肝要なり 】 1337P 3〜4行目なのです。
↑「日蓮が弟子檀那等」とは何か!…これが本抄の大結論『受持』なのです。
『受持』 ⇒ 過日の拙著。『日寛上人』の「機根」を思い起こして頂ければ光栄です。

少し横道に逸(そ)れました。          本題に戻ります。
「日蓮が弟子檀那等」とは『師弟共戦・師弟不二』という事に他ならない。という事です。
その御文証が下記であると思います。 ↓
【 総じて 「日蓮が弟子檀那等」 ・自他彼此の心なく 水魚の思(おもい)を成して 
異体同心にして 南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり 】
1337P 12〜13行目

この御聖訓のママに、私達『創価学会員』は『在在諸仏土常与師倶生』を実践しているのです。

「創価三代の歴代会長」自体の御存在が何故「稀有」であり、何故「凄い」のか…とは。
『難即悟達』を、『末法・御本仏』の御意のママに生き抜いたからなのです。
【 貴辺・日蓮に随順し 又 「難」に値い給う事 】 同P 16行目 とは、その御文証なのです。

ともあれ…「異体同心」以外は「広宣流布」の大願は果たせない。 これが結論です。
『日蓮大聖人』は 【異体同心事】 1463P 7行目に御記述です。
【 此(こ)の一門も 又 かくの如し 】 ⇒ この一門とは、私達『日蓮門下』の事です。

最後に『生死一大事血脈抄』の結文を記述致します。
【 信心の血脈なくん(無けれ)ば 法華経(御本尊)を持(たも)つとも無益なり 】

この『御書』を拜した私達は、もう一度「原点・初心」に帰ってゆきたく思います。

※『付録』
本抄の直後の『御書』 【草木成仏口決 133