新年早々心痛むコトバ (2491) |
- 日時:2018年01月02日 (火) 13時32分
名前:トンチンカン
<山ちゃん1952> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 新年早々心痛むコトバ
私は下記の標題で「学ぶ会」の幹部である破邪顕正さんがコメントしたのは大変驚愕している。その驚愕しているのは「谷口清超先生、雅宣氏、貴康氏」の三方ではない。破邪顕正さん本人である。
これほどのコメントを標題で書くことは私のような身分のものならいざ知らず、「学ぶ会」を背負っている責任者が書くようなことではない。
人は例えどんな事になろうとも「事情通」というコメントのみを信用して「公」というインタ−ネットで喧嘩を売るような「コトバ」はなんとも言えない程虚しい。
仮に「生長の家」として考えて頂きたい、私のような「生長の家」の真理を摘み食いのような人間でもここまで書くのは「谷口家」に喧嘩を売っているようにしか思えない。
私も「学ぶ会」の代表の事で書きましたが、私が書いた内容は全て当時の理事が発言した内容です。三人の先生です。破邪顕正さんは凄く怒りましたが、そこでわかったのは「図星」だったんだな。内容はここでは既に書いているので書きません。
しかし、当人の私も大変不快な思いしか残らなかったのも事実です。そういう体験からですが、破邪顕正さん、そんなこと云って本当に「生長の家」を大きくみて解決するのであろうかであります。私はそんな事をしては「学ぶ会」も大きく発展しようと考えるなら、自重すべきであろう。喧嘩をしても何にもならないことです。自分の体験でもそうですが、虚無に等しい。
私は人道という言葉がありますが、昨年末のブログでも書きましたが、「村八分」という言葉です。「生長の家」本部がそれを実行出来ていない。勿論、「村八分」という言葉は現在では差別用語ですが、それでも喧嘩相手を「100%」懲らしめるのではなく、少しでも良き点を見つけることも必要であります。例え20%でも相手の良き所を考えることです。
人間には「つい勢いで云うこともあります」それでも立ち止まって「私は何をしているのであるか」と立ち止まって考えることです。
私は大阪で開催した「生長の家教義研修会」で破邪顕正さんに質問した内容を憶えていますか。教義終了間際のことです。質疑応答で私の意見が破邪顕正さんに止められてしまったが、安東先生が大変、褒めて頂いた内容でした。講師派遣の件です。沢山の質問や主張のなかで何故、安東先生が褒めたのかわかりますか?
しかも、昨年末の森田先生の通夜の席で「その件で実行していこう考えている」と発言されたのであります。「阪田先生と協力して実行していこう」という事です。
少しこの件で多分失礼ながら破邪顕正さんにはわからないと思いますので、回答させていただきます。
講師になる人ということで沢山の手が挙がりましたが、それを補えるような講師派遣をしていないということです。講師といえば同じようなメンバ−です。やはり育成機関や勉強なども必要なのは当たり前です。併し、手を挙げた人に仮に生長の家の教義について質問したら多分狼狽えるでしょう。つまり答えられない。
現在、私のブログで「紋理」ということで自分ながら悪戦苦闘しながら問答しています。これは「生長の家」の立教当初から出てくるコトバですが、それなら現在の講師の人は答えられるかであります。
また、古事記解釈で色々な質問をしますが、果たして答えられるのでしょうか?
また、歴代天皇の事で答えられるのでしょうか?
それこそ、専門外だとか想定外とかで言われてしまうだろう。
私も生長の家の歴史を勉強する爲にあらゆる分野において自分で調査し、探究しました。そして恥ずかしながら「出版」もしました。
そこでですが「教義研修会」を実行するためにまずはあらかじめやらねばならないことがあります。
@ 講師勉強会
A 歴史についての考え方の育成
B 日常生活の生き方
C 後輩を育成するには
私はどうしてBを加えたかわかりますでしょうか?その人を見る場合、講師でいくらいい事を発言しても日常はどうなんだということです。生長の家の生き方もそうですが、周囲に褒められるような生き方が出来ているかどうかではないでしょうか?挨拶は当たり前です。奉仕もそうです。周囲が見てもその人柄がわかるような生き方が出来るかどうかです。
昔、私の近くで有名な白鳩支部長の先生がいました。しかし隣地区の白鳩支部長と仲が悪く、困っていました。だから、その白鳩支部の先生は近隣では決して講話などしないのです。私も青年会でその白鳩支部の日常生活を垣間見る時がありましたが、「がっかり」したことがあります。生長の家では日常も大切な養成機関です。どのように生きるかはその人にかかっています。
いろいろ書きたいこともありますが、社会人として考えると「嫌な事」でも我慢しなければならないことも多々あります。ただ、長として考える場合は「言っていけないこと」というワキマエも必要だと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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