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『批評家の手帖』なる作品に二葉亭四迷の文體を論じたる箇所あり。以下はその引用なり。 [明治の中頃、わが國に言文一致體が生じたとき、文語體を抛棄することによつて、私たちの散文は多くのものを得たが、その代りに大切なものを、あるいは言葉の藝術にとつて最も大切なものを失つたのではないか。言ふまでもなく、私たちが失つたものは詩であり、詩との關聯である。私たちの散文は第一に律を失ひ、語勢や格調を失つた。第二に造型的抽象力を失つた。私たちは、和文脈の、あるいは漢文脈の、さらにまた兩者の融合によつて完成された文體の修辭學とあへて絶縁したのである。] [言文一致とは言ふものの、それはあくまで文語體、文語脈であつて、ただわづかに文尾を所々くづして口語化したものにすぎない。しかもそれすら嫌つて「浮雲」では多くの體言や動詞の連用形でとどめてゐる。のみならず、「浮雲」では七五調の律がしばしば顔をのぞかせる。] [二葉亭は言文一致體を發明する手段として、落語家圓朝の文體を借用した。が、そのために語る文體が生れたのではない。初めから語る文體をさがして圓朝に想ひ到つたのであらう。問題は、彼においては散文といふものが語る文體、聲を伴ふ文體としてしか考へられてゐなかつたといふことにある。] [いはゆる文語の方がいはゆる口語よりも聲を有し、語るに適してゐたといふことにある。文語が日常會話の言葉と異るがゆゑに、肉聲をもたぬと考へるのは俗見にすぎない。が、この俗見が明治以來、私たちの國語を、したがつて文學を墮落させてきた。そして今日、私たちはこの傾向を助長するために、さらに努めてゐるやうに思はれる。] |
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[44]2011年04月05日 (火) 22時22分 |