文語で携帯メール
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「世の人あひ逢ふ時、暫くも默止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。これを語る時、互ひの心に無益の事なりといふ事を知らず。」 七百年、千年經つても人間は變らないものです。これは徒然草の一段、「會話」の、「口語」の本質をよく衝いてゐます。無益の談がほとんどであり、その上に「口語は元々流動してやまない」もの、「變化し續ける」ものなのです。「口語文」には、會話をそのまま寫す部分と、口語に近い文章語で書かれた地の文があります。 「文語文」は、「過去の文章に倣つて纏められた文章」と定義されてゐます。この場合、過去とは平安時代のことであり、假名文字で書かれた、つまり女性の文章に倣つた文章で、文體は當時の話し言葉にかなり近いと考へられてゐます。 明治35年7月文部省は言文一致體を採用する方針を決定したため、これに對して、社會一般に通用する共通性のある文語文體を新しく作らうとして成立したのが「普通文」です。平安時代の文法を基本としましたが、千年も經つてゐるため、文法などにゆれが起きてゐたので、「文法許容案」なる十六項目の條件が提示されました。「居リ」「恨ム」「死ヌ」ヲ四段活用ノ動詞トシテ用ヰルモ妨ナシ、と云つた具合です。漢文訓讀を中心にし、擬古文、消息文などの各種文體を混合折衷したこの文語文は、教科書、新聞、雜誌などに採用されて大正時代でも使はれました。 |
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[16]2011年01月08日 (土) 10時24分 | ||
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以下、教えてください。 1 「過去の文章に倣つて纏められた文章」と定義: 誰が定義したのでしょうか? 2 言文一致体は文部省ですか。では普通文は誰が作ったのでしょうか? 或は言文一致体を作ることを決めた文部省が普通文を作ったということですか。 3 |
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[17]2011年01月10日 (月) 09時18分 |