投稿者:坐禅会有志
汝等諸人(なんじらしょにん) 此山中(このさんちゅう)に来(きたっ)て道(どう)の為(ため)に頭(こうべ)を聚(あつむ)む 衣食(えじき)の為(ため)にすること莫(なか)れ 肩(かた)あって着(き)ずということなく 口(くち)あって食(くら)わずということなし 只須(ただすべか)らく十二時中(じゅうにじちゅう) 無理会(むりえ)の処(ところ)に向(むか)って 究来(きわめきた)り究去(きわめさ)るべし 光陰箭(こういんや)の如(ごと)し 謹(つつし)んで雑用心(ぞうようじん)すること莫(なか)れ 看取(かんしゅ)せよ 看取(かんしゅ)せよ
老僧行脚(ろうそうあんぎゃ)の後(のち) 或(あるい)は寺門繁興(じもんはんこう) 仏閣経巻(ぶっかくきょうかん)金銀(きんぎん)を鏤(ちりば)め 多衆閙熱(たしゅにょうねつ)或(あるい)は誦経諷咒(じゅきょうふうじゅ) 長坐不臥(ちょうざふが) 一食卯齊(いちじきぼうさい) 六時行道(ろくじぎょうどう) 直饒(たとい)恁麼(いんも)にし去(さ)ると雖(いえど)も 仏祖不伝(ぶっそふでん)の妙道(みょうどう)を以(もっ)て胸間(きょうかん)に掛在(かざい)せずんば 忽(たちま)ち因果(いんが)を撥無(はつむ)し真風地(しんふうち)に墜(お)つ 併是(みなこれ)邪魔(じゃま)の種族(しゅぞく)なり
老僧(ろうそう)世(よ)を去(さ)ること久(ひさ)しくとも 兒孫(じそん)と称(しょう)することを許(ゆる)さじ 或(あるい)は一人(いちにん)あり野外(やがい)に綿絶(めんぜつ)し 一把茅底(いっぱぼうてい)折脚鐺内(せっきゃくしょうない)に野菜根(やさいこん)を煮(に)て喫(きっ)して日(ひ)を過(すご)すとも 専一(せんいつ)に己自(こじ)を究明(きゅうめい)する底(てい)は 老僧(ろうそう)と日々(にちにち)相見(しょうけん)報恩底(ほうおんてい)の人(ひと)なり 誰(たれ)か敢(あえ)て軽忽(きょうこつ)せんや 勉旋(べんせん) 勉旋(べんせん)
|