セミの鳴き声が響く郊外の街、その街の中心部にある鉄筋校舎の小学校に一人の転入生が入ってきた。 「漣渚(さざなみ なぎさ)です、よろしくお願いします」 「今日からこの六年三組に転入した漣渚君です。みんな仲良くしてね」 担任に紹介された少年・渚は軽くお辞儀したあと席に着いた。 「はい、それじゃあ今日は登校日と言うことで、改めて夏休み中の注意の補足と宿題に関しての相談を受け付けます」 担任がそう言うと軽くざわついていた教室も静まり返った。その教室は三十数人の生徒がいたが夏休みである為か三割ほどが空席になっており、冷房の音がかすかに響いていた。
一時間程して担任が授業を終わらせると、数人の同級生が渚の周りに寄ってきた。しかし、同級生の様子は普通とは少し違っていた。 「ねえ、漣って名字はまさか……一組の」 「潮(うしお)の事?」 「やっぱり、潮の兄弟なんだ」 渚がそういうと周りの児童達は一斉に予想通りだったと言う反応を見せた。 「じゃあ、お前も潮と同じ……?」 「いや、僕はあこまで開放的にはなれないな」 「ふ〜ん、そうなんだ。 それじゃあ潮とはずっと離れてたのか?」 「そうだよ、ワケあって離れて暮らしてたけど事情でこの街に戻ってきたんだ」 渚がそういうと同級生達の様子は徐々に通常の状態に戻っていた。すると、 「お〜い、渚〜」 「ん? 何やってんだ潮」 「本当だ、潮君だ!」 渚が振り向くと窓の外に噂の主がいた。 「もう終わったんだろ、ついでだから来た」 「ついでってまたお前朝っぱらから遊んでたのか」 「いいじゃねえか、俺のクラスは登校日じゃないんだから」 「まあいいか、それじゃあ僕は帰るね」 そう言うと渚はカバンを持って教室を後にした。 「あ、またね」 同級生達は廊下を駆ける渚の後姿を見ていた。 「やっぱり遊んでるって、ゲーセンとかじゃなさそうだね」 「そうだよな、何せ潮は彼女が何人もいるって言われてるからな」 「前には先生とも付き合ってたとか聞いたよ、明らかに年上の人と歩いてたのも見られたって」 「でも、潮はいいヤツだし面白いから嫌いじゃないけどな」
渚と潮は話をしながら通学路を歩いていた。 「今日は学校裏の山元さん家に遊びに行ってさ〜」 「いいよその話は、それだからマセたガキとか言われるんだよ」 「それは違うよな、俺はスカートめくりとかはやってないぞ。俺の場合はそれよりも……」 「要するにマセてるってレベルじゃないんだよね。その辺の高校生より上かもしれない」 「そうなんだよ、ん?」 二人が喋ってると突然、潮の胸ポケットから振動音が鳴った、潮はケータイを取り出し通話を始めた。 「もしもし、おうタカシかどうした? ……うん、わかった」 潮は軽く返事をしただけでケータイを切った。 「どしたの?」 「ああ、ダチから相談があるから家で待ってるって」 「それじゃあ、さっさと帰ろうか」 二人は小走りで家路に向かった。
二人の自宅は住宅街の中に建てられた二階建ての一軒家である。 「告白?」 二人が帰ると家には先ほどのタカシと名乗る少年が家の前で待っていた。二人はタカシと共に居間に入っていた。 「うん、迷ってるんだけど……」 「要するに、恋愛相談ってわけか」 「なかなか踏ん切りがつかなくて……」 タカシは詳細を話し始めた。 「つまり、同じクラスの女子に告白したいけどどうすればいいかわからない、と言うわけだね」 「うん……、カナちゃんとは幼稚園の頃から遊んでたけど、最近は女子と遊ばなくなったし」 「まあそういう年頃だからな」 「潮、同い年に言っても違和感があるよ」 「うるせえな、とにかくそのカナって子に告白できればいいんだろ」 渚の冷静な指摘に潮は声を少し大きくして言った。 「どうすればいいかな?」 「そうだな〜、普通に呼び出して告白しても意味がないしな。何か確実性をつけるためのインパクトが……」 「つまり惹かれる要素が必要って事だね」 「何かあったかな〜」 三人が悩んでいると、 「ところで、もう十二時だけど大丈夫なの?」 「え? あ、本当だ」 渚の発言にタカシは時計を見て軽く驚いた。 「ごめん、母さんが怒る前に帰るね」 「気にするなよ、また案が出たら連絡するからその時にな」 「うん、それじゃお邪魔しました〜」 タカシは二人の家を後にした。
「おや、あの子は帰ったのかい」 「あ、お婆ちゃん」 家の奥からふたりの祖母が現れた。 「今日は占い休みなの?」 「今日は星の動きが悪いからね」 二人の祖母はベテランの占い師として活動している。 「これで客来るんだからすごいよな」 「ふ〜む、しかしさっきの子だけどねぇ」 「なあに? お婆ちゃん」 祖母は腕を組みながらつぶやいた。 「吉報が近いんだけど、その前に悪運が見えるんだよね」 「悪運?」 「不吉だな、とりあえず内緒にしておくか」
次の日 「どうしたの? 朝早くから」 渚は潮の呼び出しで図書館に来ていた。 図書館は二人の家の近所にある築数年のきれいな外観であり、建物内は夏休みと言う事もあって多くの学生が来ていた。 「とりあえずあの中を見ろ」 「ほら、あの子だよ」 潮とタカシは図書館内にいた一人の女の子を指差した。そこにはショートヘアーで水色のワンピースを着た少女が入り口の案内板を見ていた。 「あの子が昨日言ってたカナって子?」 「そうだ、タカシはあいつに告白しようとしてるんだ」 「そうなんだ、友達みたいな仲だから返って難しくて」 二人は棚の影から小さな声で話していた、カナはため息をつきながら本を読んでいた。 「でも、何であの子表情暗いんだろうな」 「そう言えばそうだな、タカシ何か知ってるか?」 「いや、最近は会っても軽く挨拶するくらいだから」 三人が話していると、 「あ、こっちに来るよ」 カナは二人のいる棚に向かってきた。 「渚、お前何とか参考になりそうな事聞き出してくれ」 「わかった」 潮とタカシは奥の棚に身を潜めた。 「あら? ひょっとして隣のクラスに転校してきた……」 カナは渚のいる棚に入ると顔を見て気付いたかのように話しかけてきた。 「え? 僕の事知ってるの?」 「だって……、あの女好きで有名な潮君に似てるから」 「……あ、そうなんだ。ところで君はよく来るの?」 渚は呆れながらもそう聞き出した 「ううん、実は調べ物があって……」
「それじゃあ、またね」 「うん、またね渚君」 しばらくして、渚とカナは話を切り上げた。 「どうだった? 何か役に立ちそうな話は聞けたか?」 「とりあえず、潮が何人もの女性と付き合ってることは学年中の噂なんだね」 「それはいいから!」 潮は渚の発言を強く言い返した。 「う〜ん、それが……」 渚が話そうとすると、 「あれ? カナちゃんが……」 カナは一目散に出入り口へ走っていった、 「追いかけてみるね! 話は後でいいから」 タカシはカナの後を追って図書館から出て行った。 「あ、わかった」 「やっぱり、ダメだったかな」 「何だ? ダメって」 「さっき、この本を読んでたんだよ」 渚は潮に一冊の本を手渡した。 「これは……『飼い犬の病気がわかる図鑑』?」
数時間後、 「タカシ、ここにいたのか」 タカシは公園のベンチに佇んでいた。 「あ、潮〜実は困った問題が……」 タカシは二人を見ると覇気のなさそうに返事をした。 「問題ってまさか……」 「カナちゃんの飼い犬が、死んだんだね」 「え? そうだけど、何で?」 渚の発言にタカシは戸惑った。 「さっきの話だと飼っている犬が寝込んでたらしいよ。もう十五歳って言ってたしケータイが鳴った途端に表情が曇ったから」 「そうなのか?」 「……うん、家の前までは行ったけどとても話しかけられなかったよ」 タカシはうつむいてそう言った。 「弱ったな、不幸があったとなると告白できる状況じゃないな」 「どうすればいいんだろ……」 タカシが暗い口調でそう言うと、 「逆に利用すればいいじゃない」 「え? 利用?」 渚の提案にタカシは顔を上げて聞いてきた。 「ちょっと家で話そうか」 「おう、行こうぜタカシ」 三人は潮と渚の家へ向かった。
「これならうまくいくんじゃないかな?」 渚は自分の提案を話すとタカシの顔を見て聞いた。 「すごいけど、本当にうまくいくかな」 タカシはしばらく笑顔を見せたが一瞬表情が曇った。 「何言ってんだ、後はお前の頑張り次第だ」 「そうだよ、思い切って告ればいいんだ」 「わかった! 二人ともありがとう、今から誘いに行くよ」 二人の励ましにタカシは立ち上がって宣言した。 「おう、頑張れよ!」 「それじゃあ、うまく行ったら連絡するね」 タカシはそう言うと部屋を出ていった。 「うまく行くといいね」 「ああ、チャンスは今しかないからな」
「それにしても、バアちゃんが言ってた悪運ってこれか?」 「どうだろう……、本人の不幸じゃないからわかんないけど」
「ありがとう、タカシ君……」 「いいよ、気にしなくても」 タカシとカナは近所の遊歩道を歩いていた。そこは車道の横であるが街路樹と柵で仕切られた数百メートルの道である。 「お父さんはペット葬儀の人と打ち合わせしてるし、お母さんも出かけてるから何していいかわからなくて」 「ここ、座ろうか」 タカシは遊歩道内の脇道に設置されたベンチにカナを座らせた、 「うん……」 カナは軽くうなづきながら腰掛けた。 「…………あのね」 「何?」 カナはゆっくりと話し始めた。 「この道……、よくレオと一緒に散歩してたんだ」 「そうなんだ……」 「他の犬も結構いたけど、レオだけはいつも引っ張ったりしないで大人しくついてきてくれて……」 カナは両目に涙を浮かべながら語っていた。 「カナちゃん……」 「ごめんね、つい思い出しちゃって……」 「使いなよ」 タカシはハンカチを取り出した。 「ありがとう……」
一方その頃、 「ああ、いたいた」 タカシの後を追っていた渚と潮は、遊歩道の近くの建物の陰に入った。 「うまく行くといいけど」 「そうだよな、あんなベタなセリフ使いで良かったのか? もっと思い切った言葉でも良かったんじゃ」 「別に奇をてらってもしょうがないじゃん。状況が状況なんだから」 「う〜ん……まあ見守るとするか」
「レオとはいっぱい思い出があったんだね」 「うん……」 タカシとカナはしばらく話し込んでいた。 「だから……前から調子は悪かったけど、急にいなくなるなんて」 カナは手で顔を覆いながらうつむいた、タカシは両腕でカナの肩をそっとつかんだ。 「あのね、カナちゃん……」 「……なあに?」 ゆっくりと顔を上げたカナの目を見つめてタカシは思い切って言い出した、
「……僕が、レオの代わりになるよ」
「……え?」 カナはその発言に涙を止めた。 「僕はレオとは違うけど……カナちゃんにとって大事な存在になりたいんだ」 「タカシ君……」 「その……それは恋人とか、そうじゃなくて……いやいや、あながち違うとも」 「……うん、私は……」 タカシがたどたどしく話していたその時、 「あ、ごめん、ちょっと待って」 カナのポケットから着信音が鳴った。 「もしもし、あ、お父さん……うん、わかった」 カナはケータイを切ると立ち上がった。 「カナちゃん?」 「ごめん、今日レオの葬儀やるらしいから帰るね」 「え?! カ、カナちゃん?」 カナは走ってその場を後にした。
「おい! 走って帰っちゃったぞ、失敗したのか?」 「どうだろう、ケータイ持ってたし」 渚と潮はタカシに聞こえないように小声で話した。 「ケータイって事は、親に呼び出されたのか?」 「そうかもしれない」 「なんだよ、だからさっさと言っちゃえば良かったのに。まだたたずんでやがる」 タカシは状況が受け入れられずまだベンチに座っていた。 「そうだね……ん?」 渚は周りを見回すと少し先の道路が目に入った。 「どうした?」 「いや、あれが……」 渚は道路を走る一台の軽自動車を指差した、その軽自動車は他の車と違い少し左右に傾きながら走っていた。 「何だあの車、危ない走りしてるな」 潮がそう発言した直後、
「……あぶない!」 突如、軽自動車は左折し遊歩道に迫ってきた。 「タカシ! 逃げろ!」 「……え? あっ……」 潮の叫び声にタカシが顔を上げると、目の前に軽自動車が突っ込んできた。 「……タカシ!」
周りの柵が壊れる音の後、タカシは真横のアスファルトにたたきつけられた。 「……きゅ、救急車だ!」
「う、う〜ん……」 「気がついたか?」 「……え? ここは?!」 タカシが目を覚ますと白い天井が見えた、隣には潮の姿があった。 「病院だよ、お前は車に轢かれて病院に運ばれたんだ」 「……そうなんだ、急に車が見えたから何事かと思った」 タカシはベッドの上でギブスや包帯を巻かれた状態で横になっていた。 「さっき医者が言ってたけど、足の骨折やら肘の捻挫やらで一週間は安静だってさ」 「……とにかく生きてるんだな」 「まあな……」 「ねえ、ちょっと」 渚が病室のドアから顔を出してきた。 「渚、どうした?」 「お母さんは、あと20分ほどで着くって。お父さんも会社は早退してきたそうだよ」 「まあ、そうだろうな」 「それと、潮……」 渚は潮の腕をつかんで病室の外に引っ張った。 「イテテ、何だよ渚!」 「また明日来るからね!」 「あ、うん……」
渚はタカシの病室の隣の待合室まで潮を引っ張りこんだ。 「何なんだよ、渚」 「あれ、見てよ」 渚は階段の方を指差した。 「ん? ……あ!」 そこには階段を早足で上るカナの姿があった。 「シッ! 邪魔しちゃ悪いから」 カナは待合室を通り過ぎてタカシの病室に駆け込んだ。
「あ、カナちゃん!」 タカシはカナが現れたことに驚いた。 「はぁ……タカシ君……」 「……ごめんね……」 カナは泣きながら頭を下げた。 「え?」 「私がタカシ君も一緒に連れて行けば、こんな事には……」 「謝らないで……カナちゃんのせいじゃないよ」 「……それとね」 カナは頭を上げタカシの顔を見つめた。 「さっきの事なんだけど……」 タカシはその言葉を聞くと表情を曇らせた。 「……僕の方こそごめんね、急にあんなこと言って」 「違うの」 「え?」 カナは一呼吸置いてゆっくりと口を開いた。 「嬉しかったんだ」 「カナちゃん……」 「急に言われて戸惑ったけど、私もタカシ君の事は……」
「もういいよね、帰ろう……」 「そうだな、腹も減ったし」 待合室にいた渚と潮は病院から出た。
「それにしても悪運ってこういうことだったんだな」 「まあ結果的には良かったじゃない」 渚と潮は遊歩道を歩いていた。 「見ろよ、さっきの事故の跡」 そこにはひしゃげた柵とベンチが倒れていた。 「さっき、警察官が『タイヤのパンクで操縦しにくくなって運転手がパニックになった』とか言ってたよね」 「そうらしいな、正面じゃなくて斜めにぶつかったから直撃しないで助かったらしいけど」 「そうだね。怪我したとは言え障害とかはないみたいだし」 二人はそのまま遊歩道を離れて家路に向かった。 「だけど、『死んだ犬との思い出の場所で話す』ってのは本当に良かったのか?」 「悲しい事があったんだからその事を避けるわけにはいかないじゃない。いざと言う時だからこそ心に残りやすいってのもあるし」 「まあ、代わりになるというか一緒にいるというか……俺にはそんな歯の浮くセリフは言えないな」 「そうだろうね、小六にして女好きと言われるんだから」 「もうその話はいいだろ!」 二人は笑いながら家に帰っていった。
翌日、街の中心地にある駅のホームに一人の少年が降り立った。 「ここでいいんだよな……あの家に行くには」 少年はメモを見ながら改札へ向かった 「いったい何がどうなってるんだ、誰も教えてくれないなら自分から調べるまでだ」
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