日の暮れかけた夕方の閑静な住宅街、空には暗雲が立ち込め窓を叩くほどの強風が吹き荒れていた。 『クックックック……』 その住宅街の真上、全身に黒いローブを身にまとった男が宙に浮いた状態で低い声で笑っていた。 『久々に独り占めが出来そうだな、退屈しのぎにはうってつけだ』 男は笑いながら住宅街のある一軒を見つめていた。
男の視線の先にあった白い外観の家、周りの家は夕食時でにぎやかだったのに対しこの家だけは一室を除いて照明が点いておらず静まり返っていた。中では唯一明かりのついていた八畳ほどの和室に少女の遺影を乗せた台と木製の棺桶が置かれ、傍には黒いシャツとズボンを着た黒髪で七三分けの少年が座っていた。 「…………真由」 少年は棺桶の中に納められた妹の名前をつぶやいた。少年の名前は志村智樹(しむら ともき)、棺桶の中にいる少女・真由(まゆ)の双子の兄で小学六年生である。 「誰かいますか?」 「ん? 誰?」 「……鱈野だよ、入っていい?」 廊下からふすまを叩く音と共に少年らしき人物の声が聞こえた。 「どうぞ」 智樹が声をかけるとゆっくりとふすまが開いて、同じく黒い服装をして通学カバンを持った少年が入ってきた。 「……なんだ、鱈野しか来なかったんだ」 「なんだ、はないだろ。プリント届けに着たんだ」 彼の名は鱈野蓮(たらの れん)、智樹と同じ六年二組の同級生である。蓮は畳の上に腰掛けながらカバンを開いて数枚のプリント用紙を取り出した。 「来月の行事予定と献立表、後は地域の行事報告とかつまらんヤツだ」 「あっそう、わかった……」 智樹はプリント用紙を受け取ると再び視線の先を目の前の棺桶に向けた。この日、この家では親族や近所の人間で真由の葬式が執り行われ、翌日の火葬の為に両親は親族の家で打ち合わせに行って留守だった。 「それで、久々に会った担任は何か言ってたのか?」 「特に何も、形式通りの挨拶ぐらいで……校長ウチの担任も焼香だけで帰ったから」 「そうか、いくらあんまり来てなかったからって不人情だな」 蓮はため息をつきながら、カバンから新聞を取り出した。 「それは?」 「お前、テレビもろくに見てないんだろ? 夕刊に続報出てたぞ、さすがに直後と違って三面だったけど」 智樹は新聞を受け取ると、蓮の言う新聞の三面を開いた。 「……『学校側がいじめを否定』?」 そこには真由と智樹が通っていた小学校が記者会見を開いたと言う記事が掲載されていた。 『【小六女児自殺、学校側が会見】今月二十日、○県北砺市立小学校に通う志村真由ちゃん(十二歳)が自宅で首を吊り自殺した件で、二十一日、学校長と担任教師が記者会見を開いた。発表によると真由ちゃんは昨年から学校にあまり通っておらず、運動会や文化祭などの行事も欠席していたが、校長は「校内でイジメがあったという話は聞いていない」と学校内部の問題を否定、真由ちゃんの近況や家族宛に書かれた遺書について記者が質問すると現在調査中などとして具体的な回答を避けた。警察は今後も自殺の原因を中心に捜査を続けるとしている。』 「まあ、遺書の内容はマスコミにも流れてるから、完全否定は出来ないだろうけどな。ここ数日は、抗議の電話やらメールやらで対応に追われてるらしいぞ」 「…………こんな扱いって」 蓮の発言も耳に入れず、智樹は震えながら記事を読んでいた。 「……鱈野も知ってるよね?」 「ん?」 「真由がどんな仕打ちを受けていたかだよ」 智樹はそう言いながら新聞を置き、蓮の方を向いた。 「……大体知ってたよ、クラスが違うとは言え立場は似たような状況だったんだからさ」 「そうだよね……、お互いろくに通ってなかったから」 蓮は軽く目を通すと智樹に紙を返した。真由と智樹は校内ではいじめとも言える行為にあっていて、最近は殆ど学校には通っていなかった。蓮も智樹ほどではないが同様の理由で一時的に学校には通っていなかった時期があった。 「確か、去年の球技大会で失敗したのがきっかけだったっけ? オレはその試合は見てないけど」 「……うん、あの時の失敗以来、部内で孤立して……それが噂で広まって」 智樹は思い出すように説明した。智樹によると真由はクラス対抗の球技大会でフットサルの試合中に相手のシュートを止めるつもりが防ぎきれずオウンゴールになってしまい、それ以来、同級生達から笑いのネタにされるようになったと言う。 「部活に入ってるわけでもないのに防げるわけないよ。たまたま体に当たって跳ね返ったボールがゴールに入っちゃっただけだろ……」 「そうだよな……部活の大会じゃあるまいし、そこまで後引くほど本気にする事じゃないしな」 智樹の独り言に蓮は何気なく返した。すると、智樹がゆっくりと蓮の顔を見た。 「でも、お前はいいよな。いじめてた連中が数人で、しかもそいつらが問題起こして大人しくなったんだから。ボクなんてトロいってだけで未だにクラス中に厄介者扱いだぞ!」 智樹は急に立ち上がって声を荒げた。 「ま、まあ落ち着け。……気持ちはわかるけど、オレだってまだ解決したわけじゃないからさ」 蓮はあわてて両手で智樹の肩を軽く押さえた。 「…………はぁ、何でこうなっちゃったんだろう」 智樹はゆっくりとしゃがむと、両目を手で覆いながらつぶやいた。覆っていた手の隙間からは、かすかに涙がこぼれていた。 「……智樹…………」 蓮はかける言葉も思いつかずただ智樹の姿を見ていることしか出来なかった。すると、 「そろそろ帰るわ、もう遅いし」 蓮は腕時計を見ながら立ち上がった。時計はすでに六時を指していた。 「あ……わかった」 「それじゃあ、またな」 そう言って蓮は廊下に出て帰っていった。 「…………ボクはどうすればいいんだよ……真由」 智樹は涙を腕で拭いながら言った。その時、 『……教えてやろうか?』 どこからともかく低く重い声が聞こえた。 「……え? 誰?」 智樹は慌てて辺りを見渡した、しかし部屋中見渡しても自分以外の人間の姿は見られなかった。 『……ククク、ここだよ』 声の主は真上から音も立てずに天井をすり抜けて降りてきた。智樹は目の前に現れた黒いローブの男を見て一瞬、目を丸くした。 「……だ、誰だお前?!」 智樹は数秒ほどして両手を床について声を上げた。 『……俺か? 俺はお前に良い契約を持ち掛けに来たんだよ』 「……け、契約?」 『そうさ……、お前にとって悪い話じゃないぜ』 男は驚く智樹を尻目に冷静な口調で話し出した。 「……な、何かよくわからないけど、とりあえず人間じゃないよね?」 智樹はゆっくりと立ち上がりながら恐る恐る聞いた。男は顔も手足もローブに包まれて見えなかったが、頭を覆っているフードの中からかすかに二つの黄色い光が見えた。 『そうとも、何たって俺は……悪魔だからな…………クククク』 悪魔と名乗る男は両目を黄色く光らせながら笑い声を上げた。
翌日、 「はあ……、本当にこの学校はお構いなしって感じだよな」 「お構いなし? 急にどうしたの、アニキ」 午前中の休み時間、蓮は妹の尋美と廊下を歩いていた。お互いに理科室や音楽室などの専門教室での授業の後で、周囲は学年の教室前とは打って変わって静かだった。 「だって自殺者が出たってのに、ちょっと集会やっただけだぞ。担任や校長も焼香だけあげて帰ったらしいし冷たすぎだろ」 「……バタバタしてそこまで考えられないんじゃない? あちこちと話したり抗議に対応したりで」 「いやぁ、イジメ自殺なんてオレ達が生まれる前からあったんだろ。何で起きてからもわざわざ批判されるような事してるんだよ」 「それはそうだけど……」 蓮の発言に尋美はため息をつきながら返した。蓮の言う通り真由が死亡した後は十分ほどの全校集会と、カウンセリングや公共の相談ダイヤルなどを記した簡単なプリントを配ったぐらいで、一部の授業を延期したりアンケートを行なうなどの対策は今の所やっていなかった。 「まあ、どうせ授業短縮になっても暇だけどな。死んだ子とは面識ないし」 「……そういえば、いつも一緒にいる先輩はどうしたの?」 「アイツは中学受験で今週いないよ。他にも受験やらインフルエンザやらで結構休んでるから学級閉鎖の方がありうるかもな」 蓮は笑いながら皮肉を込めて言った。 「そんな、そこまでは……あれ?」 「ん?」 二人が学年教室の前に来ると、六年一組の教室から通学カバンを二つ抱えた智樹の姿があった。 「どうした、智樹?」 「……あ、鱈野……」 智樹は蓮の声に気付くとゆっくりと振り返って近づいてきた。両手に持ったカバンの一つは智樹自身の物だったが、もう一つにはカバンの横に『六年一組・志村真由』と書かれた名札がぶら下げてあった。 「ああ、学校に残ってた真由ちゃんの荷物か」 「うん、これから火葬だから一緒に入れといてやろうと思ったんだ……」 智樹はうつむきながら寂しそうに言った。智樹は机に残っていた真由の靴や給食袋などを取りに来ていた。 「そうか、じゃあ俺は授業あるからこれで、な」 「うん、また後でね。アニキ」 智樹の雰囲気にいたたまれなくなった尋美はそう言って近くの階段を降りて行った、蓮も隣にある自分の教室である六年二組に入ろうとした。その時、 「おい、ノロマの志村が久しぶりに来てるぜ」 「本当だ、大荷物抱えて夜逃げか? 妹殺しちゃったから」 二組や三組の教室から廊下に出てきた男子数人が智樹を見るなりからかってきた。 「またあの連中か。放って置けよ、あんな奴らに反論なんて……」 蓮は智樹に気を使って落ち着くよう言いかけた。しかし、 「……それじゃ」 智樹は蓮が言い終わる前に、小走りにその場を離れ階段を降りていった。 「え?……お、おう」 蓮は急な行動にあっけをとられた。普段ならバカにされるとキレ気味に智樹が言い返して、それをさらに笑われるのがパターン化していた。 「ん? 逃げるように行っちゃったぞ」 「図星だから逃げたんじゃねえの。あの鱈野の野郎に説得されたんじゃお終いだ」 「それより、さっさと行かないとボールがなくなるぞ。早く行こうぜ」 男子達はそう言いながら体育館に繋がる廊下の奥に向かって走っていった。 「妙だな、いつもなら何か言い返すのに……」 蓮は違和感を覚えながらも自分の教室に入っていった。
智樹は階段を降りて生徒玄関に向かって一階の廊下を歩いていた。学年教室のある階とは異なり、一階には来賓室や保健室など生徒があまり用のない部屋が並んでいる為か、登下校時以外は人気がほとんどなかった。 『……アイツらがお前の言ってた連中だな?』 突然、智樹の背後に黒いローブ姿の悪魔が現れた。悪魔は昨日から他の人間気づかれないように智樹の行動を見ていたらしい。 「うん……、ほんの一部だけどね。ああいう事される時が多いよ」 智樹は小声で悪魔に話した。智樹はドジでのんびりした性格故に周りの同級生より要領が悪いことから、先ほどの男子以外にも学年の大半からからかわれたり腫れ物扱いを受けていた。しかし、自分ではどうすることも出来ず引きこもりがちになっていたのである。 『お前の願いは「コレまで馬鹿にしてきた連中をおとなしくさせる」でいいんだよな。 もう苦しむ心配はなくなるぞ……ちょっと手荒い方法だけどな』 「……どういう事?」 智樹は振り返り心配そうな顔で悪魔に聞いてきた。 「本当におとなしくさせられるの? 大体、何で僕の為に……」 『細かい事は気にするな、それにお前も妹の死を無駄に出来ないだろう?』 「……!」 悪魔は智樹の質問にも動じずゆっくりとした口調で言った。この言葉を聞いた途端、智樹はその場で足を止めた。 『お前とはクラスが違うがその真由とか言う妹を馬鹿にしてた連中にも、その報いを受けさせてやる。悪魔も意外と暇だから終わるまで付き合ってやるよ』 「…………うん、わかった」 『……契約は成立でいいんだな、ククク……』 「楽しみにしてるよ……その時を」 智樹は小声で返事をすると再び歩き出して生徒玄関に入り、自分の下駄箱があるロッカーの前で止まった。 「……さすがに、今日はないか」 智樹は念の為に、入れてある自分のスニーカーをひっくり返した。 『あ? 何か入れられるのか』 「前に画鋲を入れられた事があるからね」 智樹はそう言いながらスニーカーを履いて玄関を出た。 「それで具体的にどうすれば良いの?」 『簡単な事だ、来週お前がまたアイツらに会う時に近づけば良い。後は俺の自慢の話術と能力に期待しておけ』 「え……近づくの?」 『安心しろ、契約どおりに進めば二度とあの連中から馬鹿にされないからな』 校舎前の駐車場を歩きながら智樹は親戚の迎えの車が着くまで悪魔と話していた。 『俺にとっては良い暇つぶしを見つけたからな……クククク』 悪魔の笑い声にも慣れたのか智樹は迎えの車を探す為に校門前の道路を見つめていた。後に自分がこの悪魔と出会ってしまった事を後悔するとも知らずに…………。
真由の葬儀から一週間後、 「……風邪引いたの?」 「ああ、熱はないんだけど鼻づまりが酷くてさ。念の為、二人で病院に行くよ」 強い風が吹き荒れた寒い朝、久々に登校する準備をしていた智樹は蓮の家に電話をかけた。しかし、蓮は妹の尋美と揃って風邪を引いたらしく、大事をとって診察を受けてから学校に行くか決めると言う。 「悪いな、久しぶりの登校だってのに一緒に行けなくて」 蓮と智樹の家は近い事から当初は一緒に通う予定だった為、蓮は鼻声で申し訳なさそうに言った。 「ううん、それより風邪気味なら始めから休むって連絡したほうが良いんじゃない?」 「いや、俺も去年は結構休んでたからさ。できるだけ授業に出たいから」 「来ないほうがいいよ。特に今日は絶対休んだ方がいい」 「……え? どうした、急に」 智樹は突然強い口調で言った、蓮は聞きなれない言い方に疑問を持った。 「……あ、その、無理して悪化したら大変じゃない。今日は雪も降りそうだからさ……」 智樹は数秒ほど間を置いてからそう言った。智樹の言う通り、すでに朝の八時を回っているにもかかわらず、空は雲に包まれていつ降り出してもおかしくない状態だった。 「ああ、そう言う事か……。あ、そろそろ行かないと病院混むから。それじゃあ」 「……うん、わかった。気をつけてね」 蓮が電話を切ったのを確認してから智樹はゆっくりと受話器を置いた。 「…………なるべく早くやったほうが良いね。とばっちりを受けない為に」 智樹がそうつぶやくと、悪魔が背後から姿を現した。 『ククク…………心配はいらん。五分もあれば大丈夫だ……』 悪魔は喋りながら辺りを見渡した。電話の置いてある部屋は白いカーペットが敷かれ、黒いソファーや薄型テレビなどが置かれたリビングとなっているが、人気はなく智樹しかいなかった。 『それにしても本当に静かな家だな、周りの家はさっきからどこも慌しいのに』 「……いつもこんな感じだよ。父さんはほとんどいないし母さんも昼間しかいないから」 智樹は冷静な口調で回答した。智樹の父親は漁師で週に一日ぐらいしか家に帰らず、母親も市場の食堂に勤めている為、明け方に出かけて下校時間の夕方には眠りについていた。先週の葬儀の時は仕事を休んでいたが、それでも火葬が終わって一段楽したこの日はまた通常の生活に戻っていた。 「……それより、早く契約してすませよう。あんまりダラダラしてると遅くなる」 智樹は通学カバンを背負いながら悪魔に向かって強い口調で言った。 『まあそう焦るな。一応、契約についてもう一度説明するぞ』 そう言いながら悪魔は家を出ようとする智樹の後をつけながら話した。 「なら、学校に行きながら話そう」 『おう、後で色々言われるのは面倒だからしっかり聞けよ』
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