やっと答えが見つかりました。 もしかしたら皆の大切な家族もこんな経験をしたのかもしれない。皆に存在自体を否定されるような気持ちになったりしたのかも。誰にもうちあけられなくて1人ぼっちで孤独に震えていたのかもしれない。
ただ私が生きてこられたのは、そんな皆の大切な家族に悪い人は絶対にいないことを信じていた。家族になりふり構わず、私生きていていいの?と繰り返し聞きまくって、全てを告白したこと。 そして私とはかなり正反対の鈍感中の鈍感な家族たちは、意味のわからない私の話を意味がわからないなりに精一杯理解しようとしてくれたこと。そして生きて欲しい。と口をそろえて言ってくれたこと。そのおかげで命を繋いでこられたこと。 そして、一生懸命わたしの伝えたいけとを伝えようと努力してくださった人がいること。
そして私はあの時何よりも、皆の大切な家族に今尚苦しんでほしくない。その気持ちが先走ってしまっていたんだと思います。
皆の大切な家族や、私の亡くなった家族が、苦しまないかは、 遺された私たちの気持ち一つで簡単に変わってしまうこと。
何より大切なのは、前向きに生きるとかの話ではなく、人道的に許されない行為をした後
人道的に許される許されないっていうのは、自分の犯した罪に気づくか気づかない。これの違い。 気づいた人は新しい価値観を持てるし、新しい道を開拓したようなそんな気持ちになれるんだと思う。はじまり。
そして、私の罪ももちろんある。私がもっと冷静に対処していたら、こんなことにはならなかった。そしてやはり沢山の人を傷つけた罪は変わらない。 私のやるべきことは、理性を失わない努力をすること。そして年末みたいに寝る前1錠の睡眠薬を3錠も飲まないこと。記憶が無い。ありえない失態。 私は怒ると、呼び寄せる。だから怒るのではなく、自分の気持ちを冷静に伝えることをいま努力しています。
そして何よりも、皆の大切な家族に恥ずべき姿を見せないように、これからの人生も努力を続けていきたいです。 そして皆の大切な遺された家族の幸せを祈り続けていきます。この広い世界でもお互いが、がんばって生きてるんだな、そう思うだけで強くたくましく、いられるような気がします。だってやっぱり私は救われたんだから。
そしてお父さん、お母さんねやっと許したみたいよ。前は海に散骨しろ!!散骨しろ!!って騒いでいたけど、仕方ないから、一緒のお墓に入ってあげてもいいよだって。良かったね。
でも、お母さんがいつか天に召されたときは、一発ぶん殴られる覚悟はしておいたほうがいいよ。
私は相変わらず愛犬さんと恋人かってくらいイチャイチャしてるよ。 朝の散歩にも行くから、お爺さん並に早起きだよ。 これからも、小さな幸せのボールをこれでもかってくらいかき集めていくよ。そしてたまにはやさぐれたりするけど、それは人間だから仕方ないよね。
やっとこれで本当に皆さんと明るくお別れが出来そうです。
もしかして過ちに気づくことが出来ない人もいるかもしれないけど、それはもうその人の責任であるということ。 ただ大切な家族の気持ちを思うと無念。
気をとりなおして。
本当にありがとうございました。これで本当に卒業です。
[35] 2017年01月14日 (土) 15時55分
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