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イスラームの本 ダウワ掲示板

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No.28 意識するダウワの重要性 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月18日 (火) 21時46分 [返信]

人びとをアッラーの許に呼び、善行をなし、「本当にわたしは、ムスリムです。」と言う者程美しい言葉を語る者があろうか。

[41.フッスィラ章33]



モスクがたくさん建っても、外国人ムスリムが日本に増えても、ダウワを意識的に続ける必要があると私は思います。

アラビア語の学習者が増えていても、イスラーム金融の勉強をする人が増えても、イスラームを知ろうとする人はその中でも少数です。

アラビア語の勉強をしながら、アッラーの悪口を言うのを表現の自由だと言う(私よりも年上の)人たちを見たことがあるし、天国も神様もないという話に花を咲かせているのを見たこともあります。



イスラームについて聞かれるのをただ待っているだけでは不十分に思います。

スペイン、かつてムスリムが800年統治していたのに、アルハンブラ宮殿にその栄華が残っているだけ。
多くは礼拝、断食、巡礼、喜捨をしてよいムスリムだったかもしれませんが、ダウワはなおざりにされていたようです。

インドも同様に、ムスリムが千年統治していたのに、現在ではムスリムの割合は一割強。


ムスリムが統治者となっても、ムスリム人口が増えたとしても、
人々にイスラームのことを伝えて、アッラーの許に呼びかける意識をいつも持っていなければいけないと思います。

No.29  投稿者:MI   投稿日:2008年11月19日 (水) 20時41分

そうですね、モスクがたくさん建っても、ダウワを続けた方がいいですよね。

仏教、神道、キリスト教などは、建物はたくさんありますけど、親から子へ、というのが当たり前になっているのか(?)、あまり布教されたことはないですね(冊子を配りにくるエホバの証人の方達くらいでしょうか)。

No.31  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月19日 (水) 23時08分

私はプロテスタントの教会に通っていたとき、定期的にグループ毎に近所を訪問するというのがありました。

MIさんのところにエホバの証人の方来ますか? エホバの証人の話を聞いたことはありますか? 
私のところにも来て欲しいです。話を聞いて、私もイスラームの話をしたいです。

エホバの証人はほかのキリスト教徒に比べて、個人的には話易いと感じます(イスラームを簡単に受け入れないところはみな大差ないかもしれませんが)。

正統派だと強調している人たちが 「イエスは神の子」 と主張して多神教になっているのにも気付かない一方で、

エホバの証人は 「イエスは神ではない、神は唯一である」 と信じているだけ、こちらも落ち着きます。


ところで、ムスリムになることを視野に入れながらイスラームを学んでいる方のブログを見たのですが、「イスラームは仏教と同じで勧誘しない宗教だと知った」 と挙げていました。

ムスリムでもそう思っている方が多そうだし、どこからかそう聞いたのですよね。

アッラーが「宗教には強制があってはならない」 と仰せられたことを誤解しているのかな。 


仏教でも最近布教の動きがあるという記事を、何ヶ月か前に新聞で読みました。お布施が減っている(檀家の減少)ことから、経営上の理由で布教に取り組むというのが大きいようです。

No.34  投稿者:MI   投稿日:2008年11月20日 (木) 02時12分

エホバの証人の方は大体いつも二人組みで来てましたが、「私にはイスラームがあるので…」と言って冊子を断った以来、最近は多分見てないです。
私はいつも人が来ると困る状態でいるので(格好とか)、彼女たちが来たらダウワしないと…と思って、いつ来るだろう、とちょっとドキドキしています。

いままで、冊子を配って帰るくらいでほとんど話をされたことはないですが、一度ムスリムになる少し前だったと思いますが、聖書を買おうと思っていたときに来られて、少しだけ話をしたことはありますね。
(エホバの証人の信者になるつもりはないし、冊子もすぐに資源回収のとこに置くし、信者の寄付かなんかで作られているんだろうしもったいないよ)、と思って冊子は断りました(知り合いの会社にも来るようですがその人は快く受け取ってすぐに捨てています)。
聖書を買おうと思っていることを話したところ、そこの聖書をすすめられましたが、(学者も正しいと言っている、とか。うろ覚えですが)貰うのはあちらに悪いし、寄付は喜んで受け付けますと言われましたが、ネットで「英語に訳したものを更に日本語に訳したもの」というのを見ていたので、買うなら違うのにする、と思って話は終わりました。


仏教は寺院の数が多すぎですね。
台風で被害を受けたときとかの費用も、収入に関係なく世帯で割られますし、その金額も高いです。
お布施って言っても貧しい人に、っていうより建物やお坊さんに行っているのでは…と思ってしまいます。
で、その布教の話は、そもそもお金目当てなんですね…。

No.48 エホバの証人 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月20日 (土) 02時30分

中学生の頃、友だちから ものみの塔の本をたくさんもらって全部読みました。内容はもう忘れてしまいましたが。

MIさんの話を聞いてから、数年前に別のエホバの証人からもらった本が読んでいないままあるのを思い出し、読み始めました。
この本を読む時間があるならクルアーンを読んだほうがいいと思いましたが、エホバの証人へダウワする機会があったときに役立つかもしれませんね。

No.52  投稿者:MI   投稿日:2008年12月24日 (水) 10時24分

もらった本をとっておかれてたんですね。
私も本の内容は絵がいっぱいあったことくらいしか
覚えてないです。

ところで、先日、ある宗教を信仰している人にイスラームの話をしたのですが
預言者ムハンマド(SAW)が遣わされた話をしたところで即、興味が無い、聞きたくないと言われてしまいました。
それでもイスラームを伝えないといけないと思い、その宗教での教えについて質問しながらイスラームのことを話し続けたのですが、とうとう、もう切るよ!と言われて電話を切られてしまいました。

それで、よく分からないのでお聞きしたいのですが、聞きたくない人に対してイスラームの話をしたり、
話をし続けたりするのは良くない事なのでしょうか?
それと、(それならイスラームについての話はせずに、相手の宗教についてだけ質問して、矛盾するところとか、おかしな点について気づいて貰えるようにするのはどうなんだろう)
と思ったのですが、気になるのは、↓のページにある「四五
夢について偽ること。」のハディースなんです。http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/buhari_yume_02.html

(このハディースも日訳サヒーフムスリムではどこにあるのかわかりませんでした。)
このハディースの、耳に溶けた鉛を注がれる者の行いを、私はしようとしているのかな、と気になっています(それならやめなければ…)。
ハディースの解釈であるとか、「自分を嫌い避けている人々の話を聞こうとする」というのは具体的にはどんなことなのかとか、ご存知ないでしょうか?



No.46 仏教 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月20日 (土) 02時07分 [返信]

最近、色々な話題から入って、イスラームへ持っていくというのにだんだん慣れてきました。イスラームは生活、人生、全てに及ぶだけあって、話すにも対応できない事柄はないといえるのかもしれません。

例えば、誰かが裁判員制度の話をしたら、イスラームではこうなのですよ、とアピールすることもできると思うのです。


そして、仏教のことを勉強するようになって、ダウワの幅がもっと広がりました。

機会のある時に仏教の話をして、「仏教って何なのだろう」 という疑問提起をするだけでも意味があると思います。

「仏教徒の方へ」 に書いてあることや、仏壇にもみんなが知らないことがたくさんあったのですが、そういう話をすると、「知らなかった」 と言って興味をもって話に乗ってくる人もいます。

それでも考えようとしない人がほとんどのようですが・・
怠け者ですよね。考えるのを面倒がって。無宗教といいながら、天国に行けると思っている、という人が大半なのだと思います。

No.47  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月20日 (土) 02時10分

No.44 MIさんへの返信です。

No.51  投稿者:MI   投稿日:2008年12月24日 (水) 09時44分

私の場合、知らないことが多いので説明できないことも多いと思います…。

裁判員制度、候補通知が来たらどうしようかと思っていました。
裁判員制度はイスラームだとどうなのですか?



No.12 キリスト教に学ぶ 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月03日 (月) 03時22分 [返信]

これはまだアイデアで、調べていないのですが、キリスト教が日本での布教に成功していない理由を考慮してみるのも役に立つかもしれないと思います。

キリスト教は布教に力を入れてきたようだし、クリスマスは日本全国で騒がれている行事、日本人は西洋に憧れる傾向もある。

それなのに、16世紀に日本に伝わった時以来、人口の1%を越えたことがないのはなぜか。

No.30  投稿者:MI   投稿日:2008年11月19日 (水) 21時27分

入信者も多数いるけど同じだけやめる人もいるので増えない、というのをネットで見て、勝手に納得してしまいましたが…どうなんでしょう。

キリスト教が布教に力を入れていたとは知りませんでしたが、意識してみると、教会はたくさんあるし、キリスト教系の幼稚園や大学、赤ちゃんポストで話題になった病院とか、病院もあったんですね。

No.32  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月19日 (水) 23時19分

そうですね。私も読んだことがあります。洗礼を受けたらもう教会へ行かなくなる人も多いということも。

それはムスリムも似たようなものかもしれないですね。日本にいる(ボーン)ムスリムもお酒、豚肉を食していたり、礼拝を行っていなかったりする人がたくさんいるようだし、また、ムスリムになったと言っても信仰告白だけのような人もいるし。


でも、キリスト教徒はムスリムに比べてずっと布教に熱心に見えます。
MIさんの言うように、キリスト教の施設たくさんありますね。

ミクシィでは、「ムスリムにキリスト教を伝えよう」 というキリスト教徒の動きも出てきたのを知りました。

No.33  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月20日 (木) 00時11分

MIさんに言われてみると、キリスト教もそんなに布教していないのかな、、と思えてきました。笑

No.35  投稿者:MI   投稿日:2008年11月20日 (木) 03時05分

>ミクシィでは、「ムスリムにキリスト教を伝えよう」 というキリスト教徒の動きも出てきた

えええええ
ミクシィやってないのですが、そんなのがあるんですか。びっくりしました。
礼拝や食べ物の禁忌ことが気に入らないんでしょうか。

使徒行伝か何々の手紙っていうので読みましたが、キリスト教でも死肉や血、偶像に捧げられたものは食べたらいけないって書いてありましたけど(豚はありませんでしたが)。
岩波の福音書を読んでいたときは、イエスは全ての食物を清められた、って書いてあったので食べ物に禁忌は無いんだと思っていましたが。

(ところで、岩波の福音書には大型活字と小型活字が使ってあって、小型活字は「訳者の敷衍や意味の補充であって、本文と一しょに読んでもよろしい」となっていたので一緒に読んでいましたが、一緒に読むのと抜いて読むのでは意味が変わってくるので、それに気づいてからこれは酷いなぁと思いましたが)

キリスト教って、福音書を読むと実践するには厳しい教えだと感じられましたが、キリスト教徒はあまり従っている様に感じませんでした。
師と呼ばれてはいけない、なのに牧師って何?とか、誓ってはいけないって読んだのに、結婚式なんかで誓っている、とか。
あと、旧約に「いかなる像も造ってはならない」とあるのにマリア像とキリスト像とかあるのは何故?とか。


キリスト教が日本での布教に成功していない理由を考えてみましたが、
・何をする宗教なのかわかりづらい
(日曜に教会に行くだけ?)
・偶像がある
(仏教にもある)

死んだ後によいところに行けること、現世では施しをすること、など仏教と似ているところもあるので、改宗する必要を感じないのではないかと。

あと、お坊さんの袈裟の豪華なやつと、テレビでカトリックの葬儀か何かを見たときの聖職者の豪華な衣装に似ているものを感じました。

No.36  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月20日 (木) 22時43分

そのキリスト教徒のグループは、イスラームのことを知ろうともせず、誤ったことを吹聴しようとしています。ムスリムにキリスト教へ改宗させようとする意図があります。

ミクシィに興味があれば、招待状を送ります。前は必要なかったのですが、登録の際に携帯電話のメールアドレスが必須です。


聖書中で、豚肉が禁止されていることは、レビ記11:7-8 、申命記14:8、イザヤ書65:2-4、66:17 にあります。

新約で、「イエスは全ての食物を清められた」 と書いてあるのは、それ自体に矛盾があるのです。
キリスト教徒は旧約を軽視する傾向があり、次のイエスの言葉を無視しているように見えます。

---------------------------------------------------------------------------------
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

[マタイによる福音書 / 5章 17-18節]
---------------------------------------------------------------------------------

この食べ物の禁忌については説明したいので、別に書きたいと思います。http://blog.goo.ne.jp/islaam/e/bba1fe497f0f73418422347b219cf21c


岩波の福音書を見たことがありませんが、そうなっているのですか。

三位一体や贖罪を信じないというキリスト教徒の方と話しているのですが、その方はそこまで分かっているのに、
私が 「聖クルアーンは一つしかない」 と言っても、翻訳したからと言って神の言葉が変わるわけではない、優れた訳もある、と言って、聖書のそういう人為的なことについてはおかしいと思っていないようです。
私たちから見たら明らかにおかしいのに、キリスト教徒の方々は、神の言葉の多くのバージョンが存在することのおかしさに気付かないのですね。スブハーナッラー!


ほんと、聖書に従おうとしていないのですよね。私はキリスト教徒と話すときに、「聖書にこう書いてある」 と、聖書に書かれていることで立証しようと試みてきましたが、彼らからは、「でも教会の教えはこうだ」 という返事が返ってきます。
私が 「イエスがこう言っている」 と言っても、「でもパウロはこう言っている」 と返事がきます。
聖書よりも教会、イエスよりもパウロ に従っているようです。


MIさんのいうように、マリア像とキリスト像。
像を避けてそれを置かないプロテスタントの教会でも、十字架があって、祈るときは十字架に向かって祈っているみたい。

「像」 で思い出しましたが、預言者ダーウードの、ダビデ像もそうですよね。預言者の裸の像が多く作られて高い評価を受けているというのはどういう神経なのかと思います。


MIさんの、「キリスト教が日本での布教に成功していない理由」 について、イスラームも、「何をする宗教なのかわかりづらい」 と思われているかもしれませんね。

偶像に関しては、日本では受け入れられ易そうにも思いますが、どうでしょうか?
日本は世界でも傑出した「仏像大国」 と書いてあります http://junshinji.jp/mt/archives/2007/04/nhk.html

「死んだ後によいところに行けること、現世では施しをすること、など仏教と似ているところもあるので、改宗する必要を感じない」 
ありえそうですね。

(でも、元来の仏教は神を信じず、来世も審判の日、天国・地獄もない無神論の思想だそうです。 )

No.37  投稿者:MI   投稿日:2008年11月21日 (金) 22時09分

そのキリスト教徒はグループなんですか。

ミクシィの招待状いただけると嬉しいです。携帯ありますが、無い人は登録できないんですか。


旧約に、豚肉禁止の節があるのは知っていましたが、イザヤ書にもあったんですね。

私が持っている岩波の福音書は、新しい本がネットの本屋さんで売っていなかったので古本で買ったところ、
昭和39年に発刊された図書館のお下がりらしき本が届いたんですが、古い本のせいか、
問題の小型活字の部分と、大型活字のひらがなの部分とが同じくらいの大きさなので区別しづらく、更にややこしいです。
ちなみに、私の持っている(昭和三九年六月一〇日 第三刷発行)の岩波文庫 新約聖書 福音書によると


心に入らず、腹に入って、便所に出てゆくからだ。」――イエスは(これによって、人は何を食べてもけがれないことを教えて、)
すべての食物を清められたのである。
[マルコ福音書7章19節]


とあります。――イエスは、のあとの括弧をつけたところが小型活字の部分です。一緒に読んでいたら何を食べてもいいと思ってしまいますが…。
手を洗わずに食べることについて話しているのであって、神が禁じられたものまで食べていいとは言っていないのに、ずいぶん拡大解釈されていますよね…。
イスラームの本さんが引用なさった[マタイによる福音書 / 5章 17-18節]の部分を読んでも、そういう解釈だと矛盾しますし。


翻訳は、新共同訳と口語訳では言葉もだいぶ違いますし、言葉が違えば意味も違ってきますよね…。
イスラームの本さんがメモのページでも指摘されていましたが、新共同訳はおかしなところが多いですね。


偶像のことは、「偶像がキリスト教にもあるし、仏教にもあるので、仏教とべつに変わらないんじゃないか」と思うのでは、ということで、「改宗する必要を感じないのでは」に挙げる方の理由でした…。

たしかに仏教では、唯一の神や審判の日についてのブッダの言葉を見たことは無いですし、一般的にも聞かないですね。
でも、善いところとか、地獄や悪いところのことは法句経にも書いてありましたよ。
後世に作られたお経によって現在信じられているようなものとは違うでしょうけど。
神については、法句経で、何々の神とかいう言葉がよく出てきます。
改ざんされたのかとも思えますが、かなり多いし、本当に言ったなら多神教のようで、イスラームとは関係なさそうですね…。

No.38  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月01日 (月) 13時54分

心に入らず、腹に入って、便所に出てゆくからだ。」――イエスは(これによって、人は何を食べてもけがれないことを教えて、)
すべての食物を清められたのである。

[マルコ福音書7章19節 岩波文庫 新約聖書 福音書]



この、MI さんが挙げられた マルコ福音書7章19節 について、私も自分の手元にある聖書を開いてみました。

すると、( ) がありませんでした。

岩波版の「便所に出てゆく」 というのは、イエスのこの発言が食べ物に関するものであるという意味を付けるために意訳されていることもうかがえます。

それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」

[新共同訳]


-----------------------------------------------------

それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた。

[口語訳]



そこで、英語の版を見てみると、( )のついていないものもあれば、次のように付いているものもありました。

For it doesn't go into his heart but into his stomach, and then out of his body." (In saying this, Jesus declared all foods "clean.")

[Mark 7:19 (New International Version)]


-----------------------------------------------------


since it enters, not his heart but his stomach, and so passes on?" (Thus he declared all foods clean.)

[Mark 7:19 (Revised Standard Version)]


岩波版では、「すべての食物を清められたのである。」は( )に入っていませんが、この英語版では、その文まで( ) に入っていますね。


さらに、イエスがこの話をしているのは、MIさんのおっしゃるように、7章2節の手を洗わない事が発端となっているようですが、

19節については、続く20-23節を読むと、食べ物のことを言っているのではなく、悪い思い、行いのことを言うたとえのように見えるのですが、どう思いますか?

さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、 淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。

[マルコによる福音書 / 7章 20-23節 口語訳]



( )が付いているということは、元々はなかったということでしょうね。それが口語訳や新共同訳では( ) が完全に消えて一体化してしまっています。

こうして聖書をちょっと見比べるだけでもすぐにおかしい所が見つかりますね。
( ) の挿入、削除については前に気付いた箇所がありましたが、MI さんのお陰で新たに見つけられました。

No.39  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月02日 (火) 17時08分

MIさんは仏教にもよく通じていらっしゃいますね。

私は週末に、高校時代の同級生で毎日お経をあげる熱心な仏教徒と一日中、そして夜を徹して話したのですが、その人は神も天国地獄も審判も信じていました(例によって多神を信じているのですが)。

その人自身、仏教の経典は改竄されている可能性があることを認めているので、「それでは何を根拠に信じるのか」 と聞くと、「根拠はない、感じることを信じる。はっきりと分からない、それが仏教だ」 と言っていました。

話をした後、私はまた自分で色々調べてみたのですが、仏教の神はやはりほかの宗教から取り込まれたようです。ウィキペディアにも次のように書いてありました。

「一般に、仏教では解脱には無用なので神の存在を扱わない。」

また、死後のことは死んだ人でないと分からないということも複数のサイトで目にしました。

でも、それなのになぜ MIさんのおっしゃるように法句経に、地獄や悪いところのことが書いてあるのでしょうね。

実際のところ、私たちムスリムから見れば仏教もキリスト教と同じく根拠のないことですから、矛盾があって当然。「なぜだろう」 と考えても仕方のない問題なのですが、仏教徒の方々と話ができる程度の知識を持っておきたいです。
ですから色々教えてください。

No.43  投稿者:MI   投稿日:2008年12月16日 (火) 03時07分

岩波版は実際は↓のような感じになっています。HTMLでこのように表示できるのを知らなかったので( )で表現しましたが、分かりにくかったですね…。


心に入らず、腹に入って、便所に出てゆくからだ。」――イエスはこれによって、人は何を食べてもけがれないことを教えて、
すべての食物を清められたのである。
[マルコ福音書7章19節 岩波文庫 新約聖書 福音書]



イスラームの本さんがお持ちの聖書に( )がない、というのは、( )内の文章はある、ということでしょうか。もちろん、訳が違うでしょうから同じ文だとは思っていませんが…。
新共同訳では、すべての食べ物は清められるっていうのが発言の中に入っちゃってますね…。

イスラームの本さんに言われるまで特に気がつきませんでしたが、19節はおっしゃるように、たとえみたいですね。15節を読むと特に。


すべて外から人の中にはいって、人をけがしうるものはない。かえって、人の中から出てくるものが、人をけがすのである。
[マルコによる福音書 / 7章 15節 口語訳]


あと、↓こちらもですが。

25:偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。
26:盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。
[マタイによる福音書 / 23章 25-26節 口語訳]




No.44  投稿者:MI   投稿日:2008年12月16日 (火) 03時48分

「仏教徒の方へ」のページを読みましたが、
私の知らないことが沢山載っていましたよ…。なので全然通じてないです。
仏教はほんとうに派や人によって信じていることが様々なようなのでよくわかりませんが、お役に立てることがもしあれば幸いです(無いような気がしますが…)。

それにしても、同級生の方とそんなに長くお話されたとは…。
私も昔の友人(末日聖徒もいます)にイスラームを伝えられるようにならねば。。

No.45 すべての食べ物は清められる 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月20日 (土) 01時34分

ほんと、新共同訳では、「すべての食べ物は清められる」が発言の中に入っちゃってますよね!

岩波版は説明の部分が小さいフォントになっているのですね。意識しないで読んだら説明ごと聖書の言葉のように頭にインプットされそう。

私が( )がないと言ったのは、岩波版で説明として書かれている部分が、口語訳および新共同訳では( )もなく、小さいフォントにもなっていなくて、区切りなく書かれて説明も本文に溶け込んでいるということです。

前後を読むと食べ物のことを言っているのでないことが分かるのに、世界中のキリスト教徒は読んで辻褄が合わないことに首をかしげることはないのかしらね。

No.50  投稿者:MI   投稿日:2008年12月24日 (水) 06時00分

そうなんですよ〜、私も説明ごと覚えてしまっている箇所があります。

ところで、これは質問掲示板にした方がいいのかもしれないのですが、
( )といえば、聖クルアーンの日本語の意味の解釈にもよく使われていますよね。
それで、( )を抜いても読める文と抜くと意味不明になる文があるのがずっと気になっていました。
( )を抜いても読める文というのは、例えば、かれら(多神教徒)、とかの文のことで、これは説明なのかな?とわかりますが
抜くと文章として分からなくなる文もあり、それらが区別されているわけではないので、この( )の中は説明なのか、説明でなければ何なのだろう、と気になっているのですが。


No.40 自害覚悟の厳しい修行‏ 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月02日 (火) 17時32分 [返信]

次の文を見つけました。浄土真宗のページです。-----------


修行は峻烈を極め、完遂せねば自害する、と短刀を懐にしての行者もあります。 中国の僧侶・達磨は、面壁九年といわれ、壁に向かって座禅を続けること9年、ために、手足が腐ったと伝えられています。それほど厳しい修行に生涯励んでも、仏覚までは、なおほど遠い。


http://www.nagoya-hoyu.net/budd/guide02.html -------------

仏教では自殺は問題なし? または体を大切にしないことも問題なし?

No.41  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月02日 (火) 17時44分

自殺を否定していないのですね。

http://d.hatena.ne.jp/macha33/20070911

釈迦が自殺を黙認していたという話もあるようです。

No.42  投稿者:MI   投稿日:2008年12月13日 (土) 16時36分

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%81%93より
釈迦は、六年間(一説には七年間)に亙る厳しい苦行の末、いくら厳しい苦行をしても、これでは悟りを得ることができないとして苦行を捨てた。


…という話があるのに、その後の仏教では苦行が良い行いとされているようで(私もそのように思っていたときがありましたが)、
教えが矛盾していますよね。


>釈迦が自殺を黙認していたという話もあるようです。

それは私も以前ネットで読んだことがあります。検索すると出てきますね。
しかし、今回こんな話もあるのを知りました。ちなみに、こちらも浄土真宗のページです。
http://www.shinrankai.or.jp/b/bukkyo/gosyounoitidaiji.htm
読んでいて、生まれ変わりのことかと思ってげんなりしましたが、違うようです。
どの経典に載っているのかが明記されていないのが残念ですが…。


No.49 厳しい修行 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年12月21日 (日) 14時42分

今日、比較宗教研究をされているかたとお話したので伺ってみたら、苦行も輪廻同様、ヒンドゥー教から取り入れられたとのことでした。


No.22 日本の組織 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月16日 (日) 13時48分 [返信]

一昨日の金曜日、あるシスターにクルアーンを贈ろうと、買いに行きました。

まずイスラミックセンターに電話したら休みだと言われたのですが、挨拶もままならず、横柄な対応でした。開いている時間を聞いてもはっきりしない返事。

イスラミックセンターは、10年くらい前に私はよく通っていましたが、その頃はもっと活発でした。



次に別の組織へ。インターホンで「クルアーンを買いたいのですが」 と言うと、その女性がドアを開けて、笑みも浮かべずに私のことを凝視してきました。

「あなたはどういう人ですか?」 と聞かれました。

私はヒジャブをつけています。名前はすでに伝えてありました。
何を聞かれているのか理解しようと私が呆気に取られている間もその人は私を睨むように見ています。

私は本を翻訳するようになった経緯などを話しました。その方は私が持っていた本を取って、『聖書が証す・・』 に私の電話番号を書くようにと言いました。私は「その本は配るものなので別の紙に書いたほうがいいと思う」 と言いましたが、どうしても本に書くようにと言われて、私はすごくいやだったのですが、書きました。

『聖書が証す・・』 を全部手に取られたので、私は 「一部お渡しします」 と言って他のを取ろうとしたのですが、その方はぎゅっとひっぱって絶対に離そうとしませんでした。

(それで、『聖書が証す・・』の最後の5冊全部取られたので、もうなくなりました。ムスリムでない方に聞かれたら渡そうと思って余分に持っていました)


私は穏やかに愛想よく話そうとしたことを後悔しました。相手は最後まで微笑みもしなかったのだから。



両方とも、イスラームのことを知りたいという人が問い合わせをする、東京の代表的な組織です。

ムスリム相手にこんなに不快な応対をして、ノンムスリムには愛想よくするのかしら? 

No.24  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月17日 (月) 01時35分

ムスリムのはずなのですが。

アラブイスラーム学院も、以前、「学生からイスラームの情報を求められたら本を渡していただけませんか」 とお願いしたことがありましたが、「ここは学校で勉強するところなので、ダウワの場所とは違う」 と言われました。

私たちは私たちで、できるダウワを精一杯努力しましょうね!

おかげさまで、クルアーンは買うことが出来ました。アルハムドリッラー

No.25  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月17日 (月) 01時50分

ummsoumiaさんはクルアーンをお持ちですか?

No.26  投稿者:ummsoumia   投稿日:2008年11月17日 (月) 17時48分

はい。日本語のものは日本ムスリム協会のものをもっています。イスラミックセンターで購入しました。

No.27  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月17日 (月) 18時26分

よかったです。持っていなかったらまた買いに行こうと思っていました。

イスラミックセンターは、電話で聞いたら、クルアーンはないと言っていました。
イスラミックセンターにクルアーンがないなんて、開いている時間もはっきりしないし、もう活動していないのかしら・・・・


No.21 アッラー 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月14日 (金) 18時46分 [返信]

ムスリムでない方々に話をするとき、「アッラー」 というべきか 「神」 というべきか、迷った覚えはありませんか?

これについては議論の多いところですが、「アッラー」 というと相手の意識に「よその神」 のような感覚が湧いてしまいがちなので、「神」 と言うほうが話を聞く側に抵抗が少ないと言われています。


No.16 親子の会話 投稿者:ummsoumia   投稿日:2008年11月10日 (月) 07時38分 [返信]

Assalaam alikum
ちょっと思ったことです。

親子で会話、重要だと思いませんか?相手の興味がわかる鍵かもしれません。私はあまりしてこなかったな、と思いました。

相手の話をきちんと聞く、その相手が自分の子供であっても親であっても。子供の話を聞いてあげると、私の言うこともきちんと聞こうとしてくれます。

家族のことを考えると、急がなきゃと焦ってしまいます。inshaallah Allahが導いてくださいますように。


No.18  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月12日 (水) 06時34分

そうですね! 相手の話を聞くことが大切で、ummsoumiaさんのおっしゃるように、そうすれば相手もこちらの話に耳を傾けてくれそう。

ummsoumiaさんが焦るの分かります。ただでさえダウワは忍耐が必要で、時間もエネルギーも本当に、たいへんなものだと思います。

私は昨日ネット上でキリスト教徒からイスラームやムスリムのことをさんざん言われて、こちらがイスラームのことを一日かけて書いて送信したら、もういませんでした。少しショックですが、アルハムドリッラー

No.20  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月13日 (木) 17時05分

いいえ、どういたしまして。相手の話をきちんと聞くということ、その重要さに気付かなかったので教えてもらってよかったです。子どもの場合もそうですよね。Jazakillah Khairan.
私たちも小さいことに思えても、伝え合いましょう。


No.13 無神論のバス 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月03日 (月) 23時39分 [返信]

最近シカゴでのバスを使ったキャンペーンについてお伝えしましたが、アメリカではキリスト教の広告などもよくあると聞いています。

そして、イギリスでは無神論者のグループもバスに広告を出しているのですね。

http://www.justgiving.com/atheistbus

「おそらく神は存在しない。心配するのはやめて、人生を楽しみなさい。」
と書いてあります。


No.11 興味のあることにする 投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月03日 (月) 02時24分 [返信]

本を配っている世界各国のムスリム兄弟姉妹に、日本でのダウワについてアドバイスを求めました。
でも、日本の状況は特殊なようで、例になりそうな事例は見つかりません。

それでもなんとか返事をしてくれようと、「ホームページにはカウンターをつけたほうがいい」 とアドバイスをくれたり、アラブ・イスラーム学院のサイトを教えてくれたり。笑


●「日本人へのダウワは難しそうだ、まず創造主がいることを信じてもらわなくてはいけないから」 という声がありました。

たしかにその通り、だから私たちは困っているのよ、と思いますよね。

でも、Dr.Zakir Naik は無神論についてプラス志向に言っています(ダウワのページに紹介してある英語のビデオや文章中にあります)。

「神の存在を信じない人はイスラームの信仰告白の半分の段階までできている」 と。

「神はいない。アッラーのほかには。」 の前半分!
だから、残り半分を信じさせればいいというのです。


●「日本人は(私が知る限りでは)読むのがとても好きだから、それはダウワに有利だ」 という声もありました。

これはどうでしょうか? 
私は始め、「そうは言っても、みんな読むのが好きなわけでもないし、好きだとしても関心のないものは読まないでしょう」 と思いました。

・・・そこまで考えて、「なら、関心のあるものにするのはどうか?」 と閃めきました。

今まで私は周りの人へのダウワをこのサイトにある本に頼りすぎていたかもしれないと思いました。
シカゴバスでイスラームへ の方のように、通りでもらった本をよく読んでムスリムになりたいと思う方も中にはいるようですが、私はこれからこういう本は補助的に使うつもりです。

私はイスラームに興味を示さない人にも、「話に乗ってこないなら本」 という感じで片っ端からとりあえず本を渡してきたのですが、そうではなく、一人ひとりの関心や、宗教や哲学、歴史など諸々の知識に合わせて、どこから始めてどのようにつなげるかを自分で考えることにしました。

家族や友人、知人たちに本を渡してダウワをしていたつもりでいましたが、そんな簡単なものではなかったのですね。

みなさんはもう前からそんなことはご存知かもしれないと思います。私ほど浅はかな事をしている方はそういないと思いますし、恥ずかしいですが。


たとえば先日、知人にイスラームを紹介するために手紙を書きました。本を送るのでなく。その人に合わせた内容をじっくり考えながら書いたため、休みの日を丸5日は費やしました。
本を送らないからその分書くのも大変で9枚になりました。(本当はもっと書きたかったのですが、イスラームを紹介する初めての手紙だし、それでも少なくしようと努めたのです。)



●あとは、「日本でのダウワには以前から関心を持って見ているので期待している」 「アッラーが助けてくださるように」 と応援してくれる声がありました。

No.14  投稿者:umsoumia   投稿日:2008年11月05日 (水) 06時55分

私の父もかなりの読書家なので、以前日本語のコーランを送ったことがあります。でも、イスラームの本さんの言われるとうりですね。興味のないことなら読むことはしないでしょうね。Subahanaallah焦りすぎました。
私はあまり文章力がないので、今度は本を参考に私も手紙を書いてみようと思います。inshaallah もちろん興味のあることを話題に・・・
Mashaallah沢山お手紙を書かれたんですね。May Allah reward for you.
多くの知識を得ようといつもいつも努力されているイスラームの本さん。恥ずかしいなんて思わないでください。私もイスラームの本さんを見習わなくてはと思っているのですから。

MIさんとも知り合えてAl-humdulillahです。

No.15  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月05日 (水) 07時48分

umsoumiaさん、優しいお言葉をありがとうございます。
お父様の興味を引きそうな話題は見つかりそうですか? 何かヒントがあれば私も一緒に考えられるかな? できるかどうかわかりませんが、私にも探すのが手伝えそうだったら教えていただけますか。

そういえば、私の父は宇宙に感動することがあるので、以前、「宇宙への興味をもっと引っ張って、そこからイスラームへ話を持っていけないか」 と考えて話しかけてみたことがありました。

No.17  投稿者:MI   投稿日:2008年11月10日 (月) 11時24分

>「神の存在を信じない人はイスラームの信仰告白の半分の段階までできている」

これは面白い意見ですね!
それなら、多くの神がいると信じる人たちも半分の段階までできていると言えるのではないでしょうか?


>一人ひとりの関心や、宗教や哲学、歴史など諸々の知識に合わせて、どこから始めてどのようにつなげるか

父の好きなもの(と私が思っているもの)を書き出してみたものの、どうつなげられるかさっぱりでした…。


私もumsoumiaさんと知り合えて嬉しいです!どうぞよろしくお願いします。


No.7 両親への愛情 投稿者:umsoumia   投稿日:2008年10月31日 (金) 07時41分 [返信]

Assalaam alikum

なかなかイスラムについて直接的に話せないのが現実です。でも、両親には常に親切に接するようにすることが、今とりあえずできる事です。そして、Du'aを。
inshaallah
ムスリムではない両親を愛することってどうなんでしょうか?私は愛しているから、inshaallah Allahに導いてもらいたいと思っているのですが。

みなさんはどのようにお考えですか?


No.8 愛すること 投稿者:MI   投稿日:2008年11月02日 (日) 04時06分

ワアライクムッサラーム

私も最近愛することはどうかについて考えていたのですが、(愛している)というのがどういうことをいうのかがよく分からず、悩んでしまいました。

私自身は、現在の彼らの宗教やイスラームと合わない行動は嫌いなので、愛しているかどうかは分からないのですが、親も兄弟も親戚も近所の人も昔の友人も、みんなにムスリムになってもらいたいと思っています。





No.9  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月03日 (月) 00時17分

両親に親切にすることは、たとえ両親がムスリムでなくても義務とされていますね。

(それはムスリムだけでなく、人間の義務である、とアッラーは仰せられています)

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われは人間に,両親に対して親切にするよう命じた。だがもしかれら(両親)が,あなたに対し何だか分らないものをわれに配するように強いるならば,かれらに従ってはならない。

[29. [アル・アンカブート章8]
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われは,両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ,その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。

[46.アル・アハカーフ章15]
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われは,両親への態度を人間に指示した。人間の母親は,苦労に窶れてその(子)を胎内で養い,更に離乳まで2年かかる。「われとあなたの父母に感謝しなさい。われに(最後の)帰り所はあるのである。

[31. ルクマーン14]
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預言者イブラーヒームas の父親は偶像作りの職人でしたので、イブラーヒームas に激しく当たりました。
イブラーヒームas が偶像を破壊したために焼き殺されそうになった時も、父親は先頭に立って動いたそうですが、預言者イブラーヒームas はなお 父に礼儀よく接し、父のために祈ると言いました。

(21.アンビヤーゥ章51-71、19.マルヤム章41-49、37.アッ・サッファート章83-98)


聖クルアーンだけでなく、ハディースにも多数あります。

ヒジュラ歴八年、預言者saw とムスリムたちがマディーナからマッカに無血で入ったとき、預言者saw はお墓に行って泣いたそうです。それはお母様のお墓でした。ご存知のように、お母様は預言者saw がまだ小さかった頃に亡くなりましたが、54年を経たその時も愛していたのですね。

アスマーゥ ビント アブバクルは、お母様がマッカからマディーナにアスマーゥに会いに来た時、預言者saw に「ムスリムでない母親に会ってもよいか」 尋ねました。預言者saw は会うように言いました。

また、ウマルra はムスリムでない兄弟に羽織るものをあげたという話もあります。


知っている話があったらごめんなさい。



ちなみに、これもご存知かもしれませんが、念のため。これを読むかもしれない他の方のためにも・・・・・

ムスリムでない人のために祈ることができるのはその方が生きているうちです。

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多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。

イブラーヒームが自分の父のために,御赦しを求めて祈ったのは,只かれ(父)と約束があったためである。それでかれ(父)がアッラーの敵であることが明白になった時,かれ(父)との関係を断った。本当にイブラーヒームは,柔和で辛抱強い人物であった。

[9.アッ・タウバ章113-114]

No.10  投稿者:イスラームの本   投稿日:2008年11月03日 (月) 01時08分

私も、親を含めて興味を示さない方々にどうすればよいか試行錯誤しているところです。
親にも話の中で時折イスラームに触れてきましたが、関心がなさそうなので話を続けることができません。

umsoumiaさんのように、まずはできる事を。親切に接してドゥアをすることですよね。

MIさんのお気持ち分かります。




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