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[3216] 将棋語録(言葉にこもる人生) まるしおさんのサイトから
JC IMPACTU (/) - 2015年07月23日 (木) 00時50分

この掲示板をご覧になっている方々は勿論ご存知のことと思いますが、まるしおさんが「将棋語録(言葉にこもる人生)」というサイトを開設していらっしゃいます。

http://blog.livedoor.jp/marushio_/archives/1034390726.html

まるしおさんは「web駒音」や「対局室(別館)」などで読み手の心に残る、お人柄を感じさせる文体で参加者に楽しみを提供してくださいました。私も楽しませてもらった者のひとりです。

ご自身でサイトを開設されましたことを心よりお慶び申し上げますと共に、益々のご活躍を願っております。

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2015年05月07日07:00

存在の哀しみ、芹沢博文(生きるE)

私が感じたのは「哀しみ」というものだった。存在の哀しみである。そんな棋士に会ったのは初めてだった。

―――中平邦彦(観戦記者)

「存在の哀しみ、芹沢博文」(「週刊将棋」1999年9月22日号)より

タイトル戦の打ち上げで関係者と共に外に繰り出しては盛大に呑む芹沢博文。
 皆に囲まれにこやかに笑っている芹沢博文。
 しかし中平邦彦は、初めて会って共に呑んだときに、酔った頭でではあったが、芹沢に「存在の哀しみ」を感じたという。

 躁と鬱が極端で、「今から手首を切って死ぬ」などという電話がかかってきてギョッとしたこともあった。

 「でも私が思い出す芹沢さんの顔は、いつも楽しげに笑っている顔である。目尻が下がり、本当にうれしそうな顔だ。きっと、私たちには深刻な顔をみせなかったのだろうが、救われる思いがする」

 将棋は苦し
 酒は楽し
 人生は哀し

 芹沢が好んで書いた言葉だそうだが、最晩年になるとこう変わっていった。

 歌は楽し
 人生は面白し

 「将棋を消し、人生を面白しとしたところに、より深い哀しみを感じる」と中平は書いている。

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当時、お目汚しの感は否めなかったが、私は「web駒音」に「芹澤博文九段 -内心の憧景-」というスレッドを立てた。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=jcimpact&mode=res&log=31

その冒頭には「将棋は苦し、酒は楽し、人生は面白し」という色紙をみつけたと記している。そのことを私は改めて懐かしく思い出した。

「天才芹澤」と呼ばれた時代が氏にもあった。その時、芹澤さんにとって「将棋は楽し」だったのだろうか。楽しいと思った瞬間から芹澤さんは将棋の神様に見放されたのだろうか。

ならば将棋は残酷だと私は思う。甘いと言われようが何と言われようが。

この先、芹澤博文九段のような棋士は、もう出現することはないだろう。棋士を本当に愛し、支援を惜しまない文化人も生まれることはないのだろう。「棋界」に広がりというものが、本当に失われてしまった。

芹澤さんが晩年、あれほどに絶賛した棋士はひとりだけである。谷川浩司十七世名人。芹澤九段の享年をふたつほど越えた。

ここでは、そのことだけを記しておこう。

Pass

[3220] 芹澤プロ
歳三 (/) - 2015年07月23日 (木) 17時29分

 小生は、芹澤プロとは、お話した事も、お目にかかった事もないので、思いつくことを書いても、なんとも、「冴えんなぁー」と自認せざるを得ない事になりそうですが。

 それを承知で、ふと、思い出したのは、クイズダービーだったか、キョセンの番組に出演していた時に、TV画面上で見た姿が、酔っ払って、クイズだったかに回答しているものでした。

 既に筋のよい将棋の天才という認識(16世がA級に上がる時でしたが)はあったので、どちらかといえば、この姿に眉をひそめたものでした。

 小生の周りには、酒におぼれるというか、しがみつくというか、必須というか、依存するタイプの頭脳明晰な人がいました。
 普段の態度との落差に、嫌悪感を抱いたものでした。

 酒を飲んでも飲まなくても、陽気で周りを楽しませるタイプも、ごく稀には見たことがあります。

 芹澤プロの酒は、後者だったような気が、当時していました。先述した事情(関係)ですので、実際のところは、知りようがない、想像に近い感じではありましたが。

Pass

[3266]
JC IMPACTU (/) - 2015年08月06日 (木) 17時12分

まるしおさんのサイトの続きです。

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2015年05月08日07:00

芹沢博文、鬼気迫る最後の姿(生きるF)


公式戦では全敗を続けていた芹沢が、人を斬るような張り詰めた空気の中で真剣に稽古をつけていた。

―――大崎善生(作家)

「将棋は苦し、酒は楽し」(「週刊現代」2002年12月7日号 )より
―――――――――――――――――――――――――――

 芹沢博文の最晩年二年の成績は惨憺たるものだった。
 一九八六年度が三勝二十五敗(不戦敗三)。
 一九八七年度が一勝二十敗(年末十二月に死去、以後の六戦は不戦敗扱い)。

 そんな芹沢の、死の直前の鬼気迫る様子を大崎善生は目撃した。

 将棋会館の研修室で奨励会員と指導将棋を指していたという。
 部屋は静まり返っていた。
 相手の奨励会員は4級で、とても将来有望とは思えない。
 そんな少年に、「人を斬るような張り詰めた空気の中で真剣に稽古をつけていた」というのである。

 それは、日頃の騒がしい芹沢とはまるで別人。
 大崎は異様な雰囲気に呑まれる。

 「私はいけないものを目撃したような気持ちになって、慌てて部屋を出た。それが、生きている芹沢を見た最後である」


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私もこの年齢になると、プロ棋士に「指導対局」をお願いすることが、怖くはない。

自分の棋力など「たかだかしれたもの」ということがわかっているし、指導対局は、ある意味「アマチュア」がプロに遊んでいただいている、ということも実感できるからだ。プロはアマチュアの「やりたいこと」を瞬時に読み取り、途中まではアマを気持ちよくさせてもくれる。素人さんに「俺の将棋もなかなかのものかも」という「錯覚の媚薬」を与えてくれるからだ。

年期の入った将棋ファンの方はご存知だろう、「将棋大観」という木村義雄十四世名人の著作がある。二枚落でも飛車落でも構わない「これにて下手優勢」というところから教えていただいて、優勢どころか逆転されたことが何度かあった。木村十四世名人の「これにて優勢、勝勢」は、私には当てはまらなかった。

芹澤九段に指導対局をお願いすれば、おそらくは快諾してくださったという時間、タイミングは何度かあった。しかし私は、それをしなかった。

ひとつはプロ棋士が怖かったからである。アマにとっては「趣味」であっても、棋士にとってそれは生業。簡単にお願いしてはいけないと感じていた。

もうひとつは、教えていただく以上は、もう少し自分の棋力を何とかしないと、と考えていた。そこに至らなかったという面もある。

芹澤九段の「全敗宣言」にはある意味、無理があった。

1.その気になれば「全勝とは言わないまでも、勝ち越せる棋士が宣言して全敗する」という状況ではおそらくなかった。

2.芹澤九段は全敗しても、生活に大きな影響はない。術は他にもあったから。

故に棋界も周辺も、そのことを評価しなかったのである。

あえてそれでも、と記してみたい。

私はそのことに意味を求めたかった。そのことを「問題提起として捉えないと」棋界はおかしくもなり、軋むのではないかと、当時ぼんやりと感じたものである。

米長邦雄永世棋聖は、棋界における「影響力」を持てないことを、ある時期自覚されたのだと思っている。少なくとも名人になるまでは。故に彼は「外」に「顔を売る」ことを選んだ。世に出る、すなわち出世ということである。

連盟会長に就任してからは、影響力を行使する道具として、それを活用された。問題は「影響力の行使によって、何を築こうとしたか」である。

芹澤九段は「連盟会長」になりたかったのだろうか。

芹澤さんが求めて止まなかったものは「名人位」だけだったと私は思っている。だから私は時々思う。芹澤九段は「名人位」をいつ、あきらめたのだろうかと。

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