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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6372] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第203回
信徒連合 - 2017年01月04日 (水) 09時20分




大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(44)





若しかかる悪感情起らば
速かに「神の子・人間」に本来かかる悪感情無しと観じて、
かかる悪感情を断ち切るべし。

悪感情ありと思うが故に
悪感情は捨て難きなり。
生命の実相(ほんとのすがた)に於いては
本来悪感情無きが故に悪感情は捨て得るなり。

この問題について、『生活の智慧365章』*の264頁には「心の馬を支配せよ」という題で次のように説いているのであります。

肉体の症状に心を引っかからせてはなりません。症状を心に描いて、それに恐怖を集中していますと、心が描く通りに象(かたち)が現れると云う原則にしたがって病気が一層増悪するものです。心が「馬」であり、「病気」と云う厄介な荷物を搬(はこ)んで来るのも、この「馬」ですから、「馬」さえあなたが支配したならば、「病気」と云う荷物を搬(はこ)び去らせる事ができるのです。だから「心」に注意しなさい。このように書かれているのであります。

 肉体の状態はみな心によって支配されている。物質というものは勝手に動くもんじゃないんです。例えばここにマイクロフォンがありますけれども、マイクロフォンは勝手に此の机の上を動いて行ったりしないのであります。マイクロフォンに電波の振動が起っても、それはマイクロフォンが自発的に振動しているのではなく、私が声を出して空気を響かせるからであります。その空気という物質も勝手に動くんじゃなくて、生きている私の生命の力が空気を振動さしているわけです。で心の振動が言葉になって現われ、それが影響してマイクロフォンを振動さし、そしてそれが吹き込まれたテープ……それから皆さんのラジオにそれが聴えてくると、いうようになっているのであってですねえ、みんな本(もと)は心なんです。源(もと)は。途中から考えるから、それは心じゃない……物質が振動しているようにおもうんですけれども、一番はじめはみな心であります。

 で心がですねえ、変れば、肉体にどんな不完全が現われておっても、消えるということになるんです。赤ん坊のときに大火傷をしてですねえ、そしてケロイドというか、禿のクチャクチャな傷痕(しょうこん)が一パイできておったのが、その人が大人になって、40歳を越えてから精神が変ると、その婦人の肉体が、その赤ん坊の時の火傷をしたその大火傷の傷痕が消えてしまったというような素晴らしい事実もある。斯(こ)んなのは癌が癒(なお)ったよりももっと素晴らしいかもしれないのであります。

 それは、昭和39年6月13日、香川県の坂出市の記念館で生長の家の講習会がありました時に、そのときに、新居浜市の西之土居町の秋山サヨ子さんという当時47歳の奥さんがお話になったのであります。その体験談(はなし)の録音を次に再生して皆さんに御紹介いたしましょう。


有難うございます。私、“生長の家”誌によって、新居浜で、谷口雅春先生の坂出に御講習のあることを知りまして、“どうしても寄せて頂こう、先生の御講習をゆっくり聴かせて頂き度い”と存じましたが、都合で行けんことになっておりましたが、今村さんという電気業者の方が「連れて行ってあげる」と言うので寄せて頂くことになりました。そして昨夜10時ごろ、来さして頂くことが決まりました。本当に神様にそのままに仕えさして頂いておりますと、思う通りが実現するのでございます。本当に有難うございました。

私はお誕生の頃、下半身に大火傷をしました。その関係か、母に大変反抗的でございまして、私は母に反抗するために生れて来たように、40歳まで反抗していたんでございます。だから、結婚生活の少しの間の幸福で、後は病気ばかり何十年もしておりました。そして、上から下まで、病気でございました……。 こう言っておられるのです。 親に40年間も反抗しておられたのです。“幼い時に親が不注意だからこんなに火傷させやがって……というわけです。そして親に反抗していると、その反抗の心の波は不調和の心の波であるから、それが象(かたち)にあらわれて、「もう上から下まで体は病気で一杯であった」と自分の体験を話しておられるんです。秋山サヨさんは続いてこう言われるのです。

その時、昭和32年、生長の家の御教えにを戴きました。母は命懸(いのちがけ)で信仰しておりますが、私の生命(いのち)を救けようと祈って下さいましたんでございます。私のような強情な者には生長の家の御教えが一番わかり易かったのか、生長の家の御教えを戴きましたが、それまでは、私がこの世に生命を得させて頂いただけでもどれほど有難いか分らないのに、私の体、顔……鏡を見るのも恐ろしい位のデコチンの、鼻ひっこみの、口尖がりの顔も体も不平不満ばかりでした。生長の家の御教えを戴きましてから、“人間は神の子で病気はない”両親は13,4人も子供が生まれて、私のような強情な子供まで育てて頂いた。本当にどんなにご苦労であったことか、私は母に対して“親なればこそ、こんなに強情な私でも赦して下さったんだ、本当に済みません”とお詫びをしたんでございます。……

 生長の家の教えは、聖経『甘露の法雨』の始めにある「七つの燈台の点燈者の神示」が中心になっているのであります。既に御存知でありましょうが、その一部を次に再録することに致します。

「七つの燈台の点燈者」の神示
汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷けられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよ教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝の父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解が成立する。神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。(和解とは仲直りのことです)天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ。皇恩に感謝せよ。(皇恩とは天皇の御恩……)汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。われは此処(ここ)に見よ、彼処(かしこ)に見よと云うが如くにはいないのである。(下略)

 このように神示に書かれているのでありまして、“父母に感謝する”ことを中心にして天地一切のものに感謝する心になれという教えなのであります。ですから、秋山サヨ子さんは、生長の家の教えに触れられた結果、40年間も親を憎んで親に楯突いておった。“幼い時に火傷を全身させやがって、体中ケロイドの禿のクシャクシャの体にしやがって“と思って、腹を立て親を恨んでおられたんですけれども心が一転して親に感謝できるように変って来たのであります。そして“こんな強情な私でも、こうして育
てて下さったんだ。有難うございます。今まで済んませんでした”と、お詫びができるようになられたのです。それからその次が皆さんには参考になる家庭の問題の解決であります。


良人を千遍拝みなさい

或る時、秋月輝子先生(教務・愛媛県新居浜市東町)のお家にお伺いいたしましたところ、二号さんのある奥さんが、「あなた、御主人さんを千遍拝みなさい」と言われているのでございます。私はそれを聴いて、そうすると家の主人は日に三千遍拝まなければいけませんと思いまして、……。

 皆さん、秋山サヨ子さんは、二号さん拵えている夫でさえも「千遍拝め」と言っておられるんだから、二号さんを拵えていない夫なら三千遍拝まなければいけませんと思ったと言うのです。それで、「あなた、今日から三千遍拝まして頂きますから」というと、「気色わるいこと言うてくれるな」と、夫は言われるんでございますが、私は主人に、もう一所懸命「有難うございます。私は日本一の倖せでございます」と拝まして頂きました。主人も悦びの世界に入って下さいました。夫はもともと本当に優しい立派な主人でございましたんですが、私にはそれが見えなかったんでございます。それで、母も今では私たち夫婦を“生長の家の大神さん”と私のことを“大神さん”と言って喜んで下さるんです。

限りなく母に感謝しておりましたところ、下半身の大火傷のお腹のケロイド、絞ったようなケロイド、広島の原子爆弾に遭った方でも消えたという体験談を御本で読まして頂きまして、私の母に感謝し、懺悔致しまところが、お腹のことですから2、3ヶ月気の附かん間に、ちゃんとキレイにそれが消えておりまして、今は綺麗になっております。主人も私も、家族悉(ことごと)く一所懸命でございます。

このように言っておられるのであります。親に対する怨(うら)みの心を解き、感謝できるようになると、母親は秋山サヨ子さんを「生長の家の大神さん」と尊んで下さるほどになり家族の心が揃って、妻は夫を三千遍も一日に「有難うございます」と拝めるような心になった時に、その家庭全体が調和しちゃったのです。そして幼い時に大火傷をしたケロイドが、40歳になってから消えてしまったという──こんなことは普通の生理学では考えられないことだと思うのですが、その常識では考えられない事が起って、全く“肉体は心の影である”ということが、この体験によって実証された訳であります。癌が消えるというのも不思議な生命のはたらきでありますけれども、このように赤ん坊の時の火傷の痕が40年経ってから消えるというのは肉体は単なる物質ではないという証明なる素晴しい体験だと思います。


ところが、そういう外傷による傷が、心のはたらきによって跡形もなくキレイに消えた実例はまだ他にもあるのです。それは京都市上京区千本出水東入という処の向井直義さん(当時36歳)と言われる方の体験であります。これは昭和39年6月1日、京都会館で生長の家の講習会がありました。その時にこの体験談を発表なさったのです。36歳の方です。こうおっしゃっております。録音を筆写したのを紹介いたします。


私の体験談は、いま社会でも問題となっております交通事故でございます。私、昨年の12月に、商売が忙しいのでございまして、お金儲けに一所懸命になっておりまして、『甘露の法雨』のお守りを身に附けるのを忘れておりまして、遂に大きな事故に遭遇したのでございます。

 『甘露の法雨』の聖経を身に着けていたために、交通事故に遭いながら……自動車衝突事故を起しながら、少しも怪我しなかったっていうような実例が随分あるので、向井さんは『甘露の法雨』のお守りを身に着けていなかったので斯(こ)んな事故に遭ったんだとおっしゃルのです。

此方(こちら)の頬骨が砕けてしまいまして、そして眉毛の上が破れたんでございます。そして額から耳の後方にかけて亀裂(ひび)割れを致しまして、無論、意識は不明となりまして、顔は内出血が甚だしく、茄子色に腫れ上がったんでございます。口からは1時間余り喀血してまいりまして、1週間後もまだ血痰が出たのでございます。(肺臓の方へ罅(ひび)が入っておったらしいですね)そして呼吸が大変困難となりまして、1週間、酸素吸入を致しました。そして此方の眼は失明致しまして視えなくなったんでございます。私の安否を気遣って──家族やら友人やら近所の人達が病院へ安否気遣って、多勢見舞に来て下さったんですが、私の姿を見まして誰一人いまのこの元気な私を連想される方はなかったんでございます。“気の毒だけれど此の世の人ではないだろう”或いは“元通りには到底ならないだろう”──こういった判断がなされたんでございます。私、苦しい病床にありまして、私の枕頭(まくらもと)で私の母やら家内やら叔母さんが一所懸命に『甘露の法雨』をば誦(あ)げて下さったんでございます。

私、朦朧(もうろう)とした意識の中に素晴しい『甘露の法雨』をば耳に致しまして、──今を去る15,6年前に、谷口先生の素晴らしい講義(おはなし)をばお受け致しまして、『生命の實相』という本等も読まして頂きまして、素晴しい御教えだ!ということをば常々感じながら歳月を過してしまったんでございますが、昨年より私の叔母さんの処で和田英雄先生の素晴らしい御教えの話がございまして、私はお聴きしておったんでございます。

その矢先にこういった大きな事故に遭いまして、……しかし素晴しい御教えが私の脳裡にありまして、私の頭に煌(きら)めいたのでございます。そして“実相を観ずれば、交通事故の悪い状態(すがた)はナイんだ”と観じまして、そして“神の子であって素晴しいんだ、このまま神の国であり、素晴しいんだ”と思いまして、一所懸命「実相」をば観じたんであります。……その、実相を観じたところが、皆さん、不思議にも、2,3日経つにつれまして腫れ上がっておりました私の茄子色の顔はだんだん元通りに収縮してまいりまして、落込んでおりました頬の骨も浮び上がってまいりまして、視えなかった眼が段々と見えるようになって来て、そして今は斯(こ)んな元気な姿で、顔にはどんな傷痕も残っていない斯(こ)んな立派な顔になったんでございます。

 こう言って、向井さんはその顔を皆の前で見せられました。
 聖経には「実相を観じて、悪を見ない」ようにすることを「本来悪感情無きが故に悪感情を捨て得るなり」と教えられているのでありますが、向井さんは「実相」を観じて、「本来、そんな交通事故による傷痕など無いのであって、既に傷つくことなき“神の子”の完全なる姿のみがある」と観じられた結果実相の完全な相(すがた)に現われる、ことになったわけであります。



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