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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6384] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第204回
信徒連合 - 2017年01月05日 (木) 09時11分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(45)





  汝の心に常に「実相」の愛と平和と知恵と調和のみを満たせば、
生命の円満なる実相は形の上にも露呈せん。

 わたしは昨年(昭和46年)3月24日から4月2日までハワイに滞在して、その間、各所で数回の講演のほかに、4日間にわたる連続詳密講習会を開いたのでありますが、それらの会場で受講参加者の信仰体験発表がありましたが、この聖経の一節にあるように心に「実相」の愛と平和と知恵と調和を満たせば、その「実相」の円満さが家庭に形をあらわして円満な家庭を実現し得るという体験が数多くありましたので、それを次に紹介しようと思います。すべてこれらの体験談は英語で話されたものですが、その録音の印刷されたものが最近(昭和47年)ハワイから到着しましたので、本部の渉外局(現在は国際部)の翻訳部で和訳したのであります。


先ず最初の柏木ミドリさんの体験は、3人の10代の子供をもつ母親でありますが、子供がみな反抗期に入ってどうにも母親の手にあまるものですから家庭相談所や社会学者や心理学者の助言を受けたり、反抗期の子供についての書籍や雑誌記事を読みあさったが、それらは大して役に立たず、家庭の状態が、どうにもならないギリギリのところまで来たとき柏木ミドリさんは、私の原稿をホルムス博士が英訳して共著の形で出された“The Science of Faith”(和訳『信仰の科学』)の本を読み、それに書かれている真理を、実験室で実験するように生活に実験してみられたのでした。

柏木ミドリは科学者で生物学の実験を毎日実験室でするのが職業だったのですが、今度は実験室でなく「生活」という生きた場で実験することにせられたのでした。その成果を次のように語られたのでありました。




“真理”を生活の“場”に実験して  

   柏木ミドリ〈ハワイ州ホノルル・ラウカヒ町1207〉


谷口先生、有難うございます。皆様、有難うございます。私のお話しさせて頂きます題は「真我の追求とその自覚」というのでありますけれど、まず私の背景から述べさせて頂きます。私は柏木ミドリと申しまして49歳の主婦で、3人の子供がおります。3人とも大学に通っております。私の受けた正式の教育は、大学の教養課程で化学と一般科学を履修し、専門課程で生化学的栄養学を専攻しました。現在の職業はハワイ大学医学部研究員です。わたしは目下、癌の化学療法の研究に携わっています。主人の職業は技師でして、ホノルル地区のため働いております。

生長の家に入る前には、私はこのように皆様の前に私的生活を打ち明けることを戸惑ったものです。しかし入信しましてからは、数多くの体験談をお聴きして大変ためになりましたので、もう今では自分の生活のことを皆様にお話することに少しも戸惑いを感じません。と申しますのは、ここにおられる皆様の誰かは、また、私の話を聞かれて得るところがあるかも知れませんので。

1ヶ月ほど前でしたか、私の娘が「お母さん、お母さんは今まで半世紀生きて来て、一番わくわくして感動した体験は何だった」とたずねました。私は即座に答えました。「真我の自覚──本当の自分──を体得できたことね」「それがどうしてそんなにわくわくするほどの事なの?」と娘はたずねました。「わたしは神の子で無限の知恵、無限の生命、無限の愛、無限の豊かさ、無限の調和と喜びが与えられているという事を、ついに自覚できたことが本当にわくわくするほど嬉しいことなのよ」と申したのでした。この体験に勝るものがほかにあり得るかしら、私のような懐疑論者だった者がどうして、自分の実相を信ずるようになったのかしら、と思うのです。

でも長い道のりでした。真我の自覚にやっと到達するまでには長期間かかりました。若い頃、私は生物学、物理学に深い関心を抱きました。当時私は、生命について私が知りたいことはこれ等の学科がすべて解答を与えてくれると考えたのです。それから次第にわかって参りましたことなのですが、生物学や物理学は五官による感覚とその外延だけに信頼を置くものであり生命というものに部分的な解答しか与え得ず、われわれの生命の肉体的、物質的方面だけを扱うものであるということでした。私は何か欠けているように思いました。私たちは単なる物質的肉体以上のものであり、五官で感ずるもの以外に何かあるに違いないと私の内に感じたのです。人々はその何かを、心とか魂とか霊とか様々に呼んでいます。物理的、生物学的、解剖学的、病理学的、生化学的方面から今のところまだ、愛情、希望、意志、信仰というような生命力に富んだ要素を充分解明することができないのです。

これらの要素は極めて重要なものであり、心と関係しているものです。それでわたしは心理学を学び、哲学やいろいろの宗教を研究しました。しかしいくら追及しても“本当の自分”が掴めないのでした。大抵の宗教は、わたし達は“神の子”であると申します。でもそこに提示されている“神の子”なるものの全相的捉え方が、わたしには不満足でした。谷口先生が仰っているように。私も、大抵の宗教が説くようには、私自身が罪人であると信ずることができませんでした。“本当の自分”というものについて聖書のあちこに出てくる解釈に、私は混乱し、わからなくなってしまいました。私はこれまでの大半を“生命”の追求に費し、信ずるでも無く信じないでもなく不可知論者として生きてきました。

私がどうして本当の自覚に到達したかと申しますと、数年後私と同様に真我を追求していた両親が生長の家に触れたのでした。生長の家を深く学ぶに従って、両親は性格的にも、生き方も根本的に変わってしまったのです。あらゆる意味で栄えてきたのです。それからしばらくして、私の2人の兄弟とその家族も両親の変わり方をみて、谷口先生の御教えを学び始めました。そして兄弟たちの家庭生活も最高に好転したのです。私は兄弟たちの家庭の仕合わせと幸運とが羨ましくなりました。

その頃、私自身の家庭が危機に直面しはじめていました。3人の子供がみな10代になっていたのです。──一般にこの年代は反抗期として子供にとっても両親にとっても難しい時期であると言われる年頃です。主人も私も子供たちをうまく導いてやれそうになく、家中のものが何年間もつらい思いをしていました。で、私は家庭相談所や社会学者や心理学者の助けを必死になって求めました。またこのような反抗期の子についての書物や雑誌を能(あた)う限り読みましたが、大した役に立ちませんでした。私の心の奥底では、これ等の問題の大半は、私が“本当の自分”を知らず、従って私自身のこの地上での存在目的を知らずにいることから出て来ているものであると気付いていました。

とにかく私は真の自分を体得しなければならないと思いまして、それで道を求め続けました。 家庭の状態がどうしようもないほどに見えたとき、兄弟の一人が谷口先生の御教えの英訳本と他の本と一緒にくれました。それは『信仰の科学』という題名でした。わたしはその題名に引き付けられたのです。「信仰と神学とを科学的に説き明かそうなどという気狂いじみた人は誰かしら」と思ったのです。まあ多分、好奇心が私を捉えたのでしょう。で、私はその本を読みました。笑われるべきは私だったのです。わたしは感動でびっくり仰天してしまいました。このとき、私は初めて真の神学、統合的哲学、心理学、科学なるものに廻り合逢わせて頂いたのです。そこには一体、生命とは如何なるものか、ということを明解に論理的に、論駁の隙も与えない筆致で諄々と説かれていました。谷口先生の御教えは普遍的な生命の真理が集大成されたものです。この教えは誰でも──どの宗派の人々でも受け入れることができるものです。

私はこの教えが正しいものだ、と、ほとんど確信できたのでしたが、疑い深いものですから、親戚やら生長の家の講師の方々から説得と御援助を頂いて、やっと生長の家の御教えを実行してみようと決心したのでした。兄弟の一人から「生長の家を実行してみるという大きな実験をしてみなさい。結局のところあなたは毎日、研究室で実験してきたのだし、他の事なら何でも実験しているんじゃないか」と言われて踏切ったのです。

現在私がこの生長の家の生活法を実践することを決意してからほぼ半年になります。そして実験の結果に全く驚いております。ついに真我を自覚し、更にわたしの存在理由をも認識することができました。新しい世界が私にも家族にも開かれんとしております。それは誠に素晴しい世界です。今家庭のは仕合わせと平和が生まれてきております。一日一日、何等かの喜びが待ち受けていてくれます。 私はまだ生命の実相を学び出して間もないものですが(従って生長の家の御教え全体についてもまだ深くは知りませんが)、私のような初心者にもこれほど豊かな功徳があるとしたら、生長の家の御教えを深く体得している信徒の方々に用意されている神の恵みは、如何ばかり深いものかと思うのでございます。

今晩私は特に、父の江崎武八に感謝致します。父は熱心な生長の家信徒でございます。父はここ数年間の私の暗中模索状態を、ずっと導いてくれました。私も将来少しでも他の人々に真理の自覚と幸福をお伝えすることができるよう願っております。(1972年3月27日)


 これはまことに“本当の自分”の即ち“真我”の円満完全であることを自覚したときに、「実相」の愛と平和と調和とが家庭に実現した実例だということが出来ると思います。真理は生活に実践しなければならないのです。次の村上ビートリスさんは、信仰は日曜日だけの信仰であってはならぬことを次の如く話されました。




毎日を生かす信仰
                             村上ビートリス〈ハワイ州ホノルル市シービュウ・ライズ3006〉


私は19年前、主人と結婚致しましたとき、主人の父である村上佐次郎講師を通じて少しずつ生長の家を知らせて頂きました。それまではこの素晴らしい御教えのことを全然知りませんでした。私たちは人生において、良い事でも知らずにいることがよくございます。私は8人家族の次女でしたし、主人は一人息子でしたから、わたしたちの結婚は初めはしっくりしないものでした。私の両親はわたしを中国人と結婚させたいと思っていましたし、また主人の両親は主人を日本女性と結婚させたいと思っていたのです。でも不思議なことに、愛はすべてを征服すると申しますが、私たちは双方の両親のそのような思惑にも拘らず結婚致したのでございます。

普通、背景の異なるもの同士が結婚しますと、大抵の人たちはそのような結婚がうまくゆくかどうか疑うものです。けれども有難いことに、私の義理の父母は熱心な生長の家の会員でしたので、私たちはそのような疑心を追払うことができました。

谷口雅春先生のお書き下さる神誌を通じて、この生長の家の御教えは生活に実践する宗教であることを学ばせて頂きました。父母に、家族に感謝することも学ばせて頂きました。それから間もなく、私は自分が捜し求めていたものを見出したのでした。それは日曜日だけの信仰ではなくって毎日を生かすことのできる信仰でした。

私は親戚のものたちと一緒に18年間生活して来ました。周囲の人々は、個人的に親しくしているお友達も、私の過して来た18年間を、よくまあと驚いております。現在は4人の子供が私たちと共に一つ屋根の下に生活しております。わたしたち一家は一つの言語では用がたりませんし、それぞれの背景も違い、お米以外は同じものを食べません──けれども私たちはお互いに調和してやってゆくことを学びましたし、私は楽しく学ばせて頂きました。これはすべて生長の家を学ばせて頂いたお蔭であると心から確信致します。何故なら生長の家によって調和した生活をしているのは、私たちの家族だけではありませんから──荒木さんの家庭も、奥原さんの家庭も、金丸さんの家庭もそうですし、数えたら限りがありません。

私は、小さい時には病弱でして、母はいつもわたしが大きくなったら教会に入りなさいと申しておりました。その母の言葉を今も憶えておりますが、「何宗の教会でもいいのよ」言っておりました。誰でも宗教という生命の糧が必要なのだということを母は言わんとしていたのだと思います。

私は生長の家の御教えのお蔭で健康になり、いろいろの希望が叶えられ、人生が豊かになりました。皆さんがたもきっとこの御教えで仕合わせを体験なさることと存じます。最後に、「私が完全な神の子である」ことをはじめて自覚せしめて下さった中山ジョージ様に感謝致します。またわたしがより良い私になるよう導いて下さいました義理の父母にも感謝致します。私をここまでお導き下さいましたすべての方々に心から感謝致します。有難うございます。(1972年3月26日)


 次に掲げるのは、同じく詳密講習会場で、少年が聖経読誦と、父母に感謝することによって、生命の完全円満な実相があらわれて、近眼が治った体験であります。




父母に感謝と聖経読誦で近眼を克服
                               中田アラン(13歳)ハワイ州ホノルル市一番街915−A


今日、この素晴らしい生長の家の御教えについて、私の感謝の気持を皆さんにお話しさせて頂けることをとても光栄に思います。

生長の家によって私は優れた役に立つ人間になることができました。私は感謝とは何か、感謝とはどんな力があるかを学びました。私たちが他の人達に何か良い事をしてあげると、とてもよい気持になります。感謝されたときにはもっと有難くおもいます!

人々を助けてあげる一番良い方法は、両親それから天地すべての人々に感謝することにあると思います。素晴しい生長の家の聖経は説いています──「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と。ですから皆さんが、いつも両親の言葉に従い、両親に感謝していれば、問題は出て来ないのです。皆さんは両親がどんなに大切なものか理解されると思います──もちろん天地のすべての人々が大切なのですけれども。

私は両親に本当に感謝しています。なぜなら1968年69年にかけて、わたしは他の人々のことは眼中になかったのです。それどころかテレビを見ることや自分が楽しむことを第一に考えていました。お父さん、お母さん、それに家族の人たちはいろいろ忠告してくれるのでしたが、耳をかそうともしなかったのです。

そのうちに視力の検査をすることになり、私は眼科医に見てもらいに行きました。すると医者は、私の視力を補正するためにメガネを懸けなければならないと言いました。私は医者に言われたことを、帰って両親に話しました。私と同じように両親も驚いてしまいました。その検査を受けてから私はメガネを懸けましたが、本当は私にメガネなど必要ないことがわかっていましたので、一日中かけているような面倒なことはしませんでした。

お父さん、お母さんそれにお姉さんが私のために聖経を読誦して祈りに祈って下さいました。このときは私も気をつけて、眼がただれて赤くなって涙が出るようになるまでテレビを見るようなことはしないようにしました。そして私も祈りました。

1969年から1970年の間、医者はわたしの視力が恢復して来たと言いました。以前より度の弱いメガネを懸けるように言われたのですが、わたしはほとんどメガネを使いませんでした。私は両親の言うことをきき、両親、兄、姉たちが私に気をつかってくれるその愛念に感謝しました。皆、私がメガネをかけなければならないなどということは決してないと理解してくれていたのです。私はテレビの前に坐ってショーを見入る前に宿題、雑用それに家事の手伝等を済ますことにしました。

3回目にその眼科医のところに行ったとき、医者はもう私がメガネを懸けなくてもよいと言いました。家族の皆が喜んでくれましたが、一番嬉しかったのは私しでした。この体験を心から感謝しました。その時以来、私は必ず聖経を読誦することにしました。また「お守り」という生長の家の小さい聖経を、どこへ行くにも身につけて出ます。私はメガネなど懸ける必要がないことを自覚していましたし、正常に見えるんだと決心していました。

私は誰もがもっともっと両親に感謝すべきであると思います。この両親への感謝を、私は生長の家で教えられて救われたのです!
聖経の『七つの燈台の点燈者』の神示の中に次のように説かれています──「汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ」(1972年3月27日)




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