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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6407] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第260回
信徒連合 - 2017年01月07日 (土) 09時22分




<再掲示> 


インターネット道場―― 


「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)


 第260回




マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************



聖霊の干渉による治癒と見られる事実

(『神癒への道』P.43−49)



ウォルセスター博士は「此の例は自分の観察の下に起こったところの事件であって、単なる心理的聾(つんぼ)ではなく真正の聾症(ろうしょう)からの実例であると証言することができる」と言っています。

 患者は高きインテリジェントな、同時に深く宗教心ある約四十五歳位の社会婦人である。仮にX婦人と名付けられる。X婦人はその著しい難聴状態に恢復の見込みがあるかどうかを相談するためにボストンに来てウォルセスター博士を訪れたので博士は最高の耳科専門医のところにX夫人を紹介して医学上から観て、症状改善の見込みがあるかどうか意見を求めたのである。

医師の診断によれば、それは中耳のカタルによる聾症(ろうしょう)で、一方の耳は全然機能が停止しており、他方は僅かに低いパーセンテージの聴力が残存しているのみであるが、回復の見込みは全然ない、長途の旅行をして耳科専門医をあちこち訪問するなどは愚の骨頂であるというのであった。

X婦人は礼拝の儀式や説教に列しても一語も聴くことが出来ないのであるが、教会の集まりがあると好んで出席したのである。ある日曜日のことであった。X婦人は午後の礼拝に、ウォルセスター博士の助手のK博士の説教する筈の教壇の正面近くに座っていた。博士が入って来た時にその頭上の空間に輝く蒸気の球のような物が静止しているのが見えた。

大いに驚いたX婦人は他の礼拝者たちにもあの輝きのある霊球が見えているかどうか知ろうとして周囲の人達の表情を見廻したが、誰にもそんな霊球が浮んでいるようには見えなかった。K博士は説教が段々と進行して、(「此の時の状態を自分はよく覚えている」と、ウォルセスター博士はかいている。)厳かな口調で、「而して、余がキリストの許に引き上げられるならば、余はすべての人類を余のところに引き上げる--------」と言いながら、出来るだけ丈(たけ)高く自分自身の身体を伸びあがらせて天を指したのでした。

 その瞬間、X婦人に依然として見えていた空中の霊球は急に跳ね上がって輝く白い人物の形に変貌した。ウォルセスター博士は「一種の妄覚、一種の主観的幻覚なのは勿論」と書いているが、これは殊更に科学的批判をする人に迷信だと思わせたくないために、わざと読者に先んじて「妄覚」だとか幻覚だとかいう名称を与えて、科学的批判の予備防御をしたのであるが、これは決して主観的幻覚でも妄覚でもない。

生長の家の宗教講演会では度々此のような現象があり時には数人同時に同一の霊象を見てその客観的存在が証明された事があります。

霊的物象に対しては普通の人は色盲であるが霊能ひらけたる人には普通に視えるのです。色盲が九百九十九人いる世界で唯一人の正常視力者が「紅が見える、緑が見える」と言ったならば見えない人々からすれば一種の幻覚盲覚として葬り去られてしまうであろうが、然し此の場合にも、唯一人の紅緑色を見た人の方が実は健全なる視力をもっているのである。

百万人の人間が見えない霊姿を唯一人の霊覚者が見てもその方が真実なこともある。聖書にキリストがヨハネの洗礼を受けたときに「霊(みたま)鳩の如く降りてイエスの身体に入った」とあるのは単なる形容ではなく、霊姿の視える人からは真実の記録である。X婦人の視たる霊姿はK博士の<複体>又は守護霊の姿であったであろうと思われるのであります

それは兎に角、その空中に浮ぶ霊球が変貌した瞬間、X婦人にはK博士の説教の語が「余はすべての人類を余のところに引き上げる」と聞こえた気がした。「実際私には聞こえていたのだ」とX婦人は気がついたのである。そして説教の残余の部分は彼女にはハッキリと聴きとれた。

 数日後、X婦人は耳科専門医の診察を受けた。と、完全に機能を失っていた方の耳は五十パーセントの聴力を回復しており、かすかに聴力を残存していた側の耳は、殆んど完全に正常の聴力を回復していたのであった。これこそ全く神癒であり、メタフィジカル・ヒーリングであり、所謂る心理学的治療法、又は心理療法とは異なるものであるがこのような超物質的治癒を理解するには、先ず、階梯として幾分科学者にも理解しやすい心理療法や、精神分析治療によって肉体が癒される実例を知って置くことが必要なのであります。

 肉体は心で操縦せられるものであって、誰でも、心が右手を上へ挙げたいと思ったら、その心の作用で右手が上へ挙がるものだと云うことを知っている。若し挙がらなかったらそれは肉体の機械的装置に故障があるものだと思っている。

しかし、その肉体的故障というのは、外傷の場合を除いては、(外傷さえも、心が外傷を受けるような状態の位置に肉体を運んで行くのであるが、これは又別項に譲ることにする)悉く「心」が故障を起こしているのだと云うことが出来るのです。

人間の心には、潜在意識という広汎な自覚に上らない意識(こころ)の分野がある。それが心臓の鼓動を昂(たか)めたり、弛緩(しかん)したり呼吸を遅くしたり、迅(はや)くしたり、胃袋から消化液の分泌を多くしたり少なくしたりするのである。現在意識と云うのは、今、物を考えたり感じたり、欲したり、排斥したりしているところの自覚域上(おもいうかんでいる)の心であるが、この心(現在意識)の欲するようには必ずしも潜在意識は動いてくれないのである。

現在意識(いまのこころ)が胃腸の蠕動(ぜんどう)をよくし、消化液の分泌をよくならしめようと如何に欲しても、胃腸は弛緩し消化吸収は完全に行なわれ得ない。これが胃腸病患者の常である。この様な場合、物質医学の治療者は胃腸の組織の機械的故障であると思い、胃腸の組織を物理的に興奮せしめる方法を用いたり、化学的に刺戟して蠕動(ぜんどう)と消化液の分泌を促進したりしようとする。

しかし多くの場合の慢性的胃腸病患者はそのような物質的治療法では何らの効果もないのであります。そのような患者に、潜在意識を変化する方法が講じられるならば、忽然として生まれ変ったように胃腸(いぶくろ)が強健になる実例がある。

高岡市の市会議員をしていた苗加(のうか)八郎右衛門夫人の半年以上にわたり下痢と便秘が交代し食後の膨満と苦痛とを伴う胃腸症は、私の家内に真理の話を聞くと、消化剤も健胃剤も捨ててしまい、翌日は硬い赤飯を二杯食べ、翌々日には小豆餡(あずきあん)でくるんだ大きな田舎の牡丹餅(ぼたもち)を四つも平らげて、胸につかえることなく、下痢も便秘も共に治ってしまったのは私が阪神間の住吉にいた頃の事である。

服部仁三郎氏が金地大差の令息が盲腸炎と診断され流動食のみを食って腹部に苦痛を訴えていたのに、病気本来なしと、真理の話をすると、治ってしまい、帰途には丼飯を二杯食っても何の苦痛もなかったと云う実話もある。私が指導して癒された実例はたくさんあるがここには書かないことにする。『生命の實相』を読んで癒された数十万の人達は、すべて私の筆による真理の説教をきいて癒された人なのだから諄々(くどくど)あげる必要はないのである。

日本人はみずから精神の国だと自惚れながら、精神で治ったなどということを侮蔑(ぶべつ)したり、恥辱(ちじょく)に思ったりしている。だから表面は精神主義者のようで実は唯物主義者が多い。中には自分が癒されていながら、表面では「そんなことは迷信だ」と侮辱的口調で言い放つことを以ってインテリゲンチャの権威であるかの如く誤解しているものもあるのです。

 日本人は戦前もそうであったが、敗戦後は殊更(ことさら)外国を崇拝していて外国の著書にあるものなら信用する。そこで吾々は日本人に起こった幾多の実例を有っていながら外国の著書から実例を引用することにせざるを得ない。そうすると、それは迷信だといわなくなるからであります。

 アメリカでは何々博士と博士号のついた人が堂々と、心霊力又は精神力による治病体験をその著書に発表している。ウォルセスター博士の如きは、「物質で精神が動くと考えるのは、馬車の力で馬が動くと考えるのと同じことで、真実は馬が馬車を動かすのであり、精神が肉体に変化をあたえるのである」と巧みな比喩を以って説き、唯物主義者が、「精神が肉体を動かすと説くのは、汽笛が機関車を動かすというような迷信だ」とやり返すと、「汽笛を鳴らす目に見えない蒸気の力こそが機関車を動かすのである」とて、目に見えない潜在意識の力を立証する幾多の実例を挙げているのであります。その実例の一つを次に挙げることに致します。







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