[6493] 「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」 (子記事より・・) |
- サーチャー - 2017年01月26日 (木) 00時53分
<谷口雅春先生に帰りましょう・第二> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」 @ (4655) 日時:2017年01月21日 (土) 13時41分 名前:明鏡
生長の家は 二つの真理を説(と)いております。二つの真理と云うのは、その一つは「 縦の真理 」 で、もう一つは 「 横の真理 」 であります。
「 縦の真理 」 と云うのは、織物の経糸(たていと)のように 終始一貫して変らざる真理であります。併(しか)し 経糸(たていと)だけでは織物は 織(お)れないのでありまして、それに緯糸(よこいと)が 交叉(こうさ)して はじめて織物が出来るのであります。
それで 現象界と云う織物が出来上(あが)るには 「 緯(よこ)の真理 」 が「 経(たて)の真理 」 に 縦横(じゅうおう)交叉(こうさ)して色々の織模様(おりもよう)をあらわすのであります。
経(たて)の真理 と云うのは 終始一貫変らないと申しましたが、何が変らないかと云うと、 人間は 大生命から生れた、即ち 「 人間神の子 」 と云う真理であります。これは永遠に かわらない。即ち人間は神の子であり、円満完全であって、 決して病気にもかからなければ、老衰(ろうすい)もしないし、死にもしない。
何処(どこ)にも欠陥のない 万徳(まんとく)円満のすばらしい神の命が人間 ‘ そのもの ’ であります。これが永遠 かわらない 「 縦の真理 」 であります。
経糸(たていと)の喩(たと)えを もって説く場合には 「 経(たて)の真理 」 と書きますが、そう云う喩えを はなれて説く場合には 「 縦の真理 」 と書きます。 どちらでも結構です。
処(ところ)が 「 横の真理 」 と云うのは、終始一貫して変らない経糸(たていと)の表面に横に 色々と糸を 組み合わせて 模様を着けて織(お)ってゆく。それによって終始一貫かわらない縦糸は 其(そ)のままでありながら現象的には 色々の模様が出来てゆくのであります。 夫(それ)を 「 横の真理 」 即ち 「 心の法則 」 と言っているのであります。
私たちは 神の完全な生命を頂いていると云うことには 変りはないのに、心の法則に従って 此の現象界にいろいろの人生の有様(ありさま)を展開してゆくのであります。
尤(もっと)も 「 縦 」 も 「 横 」 も一つの 「 設計者 」 と言おうか「 デザイナー 」 と言おうか、兎(と)も角も 織元(おりもと)の技師が計画をして拵(こしら)えているのでありまして、此の織元の技師は神様で ありますから、 縦の真理 、 横の真理 と二つあるようでも神一元(かみいちげん)で、もとは一つであります。
縦の真理 は、神様がつくりたまうたままに 終始(しゅうし)変らざる処(ところ)の完全な実際の相(すがた)、これを 実相 というのであります。
横の真理 は、実際の相(すがた)でなくて、現れている象(かたち)すなわち 「 現象 」 を 取扱うのでありまして、その現象がどう云うようにして変るかの法則であります。現象と云うものは実在(じつざい)の相(すがた)では ないから色々に変るのです。
新版 『 真理 』 別冊 生死を超える道 ( 89〜91頁 ) 谷 口 雅 春 先 生 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
|
|