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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[7116] “昔は、医学が発達していなかったからね。だから、奇蹟も生まれたのよ”・・?
サーチャー - 2017年06月25日 (日) 18時17分


<トキ掲示板(組織 板)>


4958 :トンチンカン :2017/06/25(日) 18:11:03 ID:IIMV1pVY

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
“昔は、医学が発達していなかったからね。だから、奇蹟も生まれたのよ”・・?

これが・・ 「有名な本部講師」の コトバ だそうです・・・?!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・つまり、この「著名な本部講師」も、<今の教団では奇蹟が生まれない>という
ことは、ご本人も 充分に認識 しているということなのです。



<谷口雅春先生に帰りましょう・第二>
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
“昔は、医学が発達していなかったからね。だから、奇蹟も生まれたのよ”(6771)
日時:2017年06月25日 (日) 09時32分
名前:破邪顕正


表題のこの言葉、いったい、誰の言葉だと思いますか?

その人の名をあげれば、殆どの信徒が知っている、それだけの有名な本部講師であるということだけは申し上げておきましょう。

正直言って、私もその人の名を聞いたとき、思わず「エッ」と言ってしまいました。

それほどの人であります。

そういう人がこんなことを言うようになってしまったのか?

これまでの輝かしい信仰歴は、いったい、何だったのだろう?

総裁に「中心帰一」していくと、かくも信仰が劣化するのか。

結局は、この方も、晩節を汚す一人になるのだなと思ったことでした。

さて、表題のこの言葉の背景を説明させていただきます。

ある方が、今の教団に不信感が沸き、それを、こういう質問で質したのです。

「なぜ、今、生長の家では、奇蹟が生まれないのですか?」

それに対する答えが、表題の言葉だったというわけです。

つまり、この著名な本部講師も、今の教団では奇蹟が生まれない、ということは、ご本人も充分に認識しているということなのです。

で、その質問者は、その回答を聞いて「こりゃダメだ、お話にならない!」、もはや議論する気力すらなくし、そこでスッパリと教団に見切りをつけたということのようです。

私は、この方の質問は、今の教団に対する一番の鋭い、弱点を衝いた指摘だと認識します。

何故と言って、そこにこそ、今の教団がもはや宗教団体の名に値しない、その何よりの証左があると思うからです。

ご存じのように、谷口雅春先生は、当初、宗教を始めようなどは些かも思っておられなかった、ただ一つの精神修養誌として『生長の家』誌を創刊されたのでした。

ところが、それを読んだ人の間から次から次と奇蹟が生まれた…。

そのために、どうしても宗教団体として登録せざるを得なかったという事情があったわけです。

つまり、そこに奇蹟が生まれること、それがある意味で、宗教の宗教たる所以だとも言
えるわけです。

ところが、今の生長の家教団では、その奇蹟が生まれない。

だったら、宗教団体の名前を返上したら如何か、と思ったりもするのですが、ところが、今の教団はスゴイです、その上を行っていました。

こういうのです。

「そんな個人の救済、奇蹟などを求めるのは古い。

そういうことを求めるのは利己主義。

そんなことより、今は、世界の環境問題をどうするか、それこそが喫緊の課題なのです。

そういう世界的な視野に立って問題を解決していかなくてはならない。

そういうことの前には、個人の救済など取るに足らない問題。

そんなことにかまっている時間的余裕はないのです!」

よく言ってくれますよね。

奇蹟が起きないことを、こういう言い回しではね除けて恬として恥じない、その態度には唖然としてしまいます。

開き直りもここまでくれば、たいしたものです。

折角の機会ですから、開き直った教団に対しては、頂門の一針になるような言葉を贈呈することにいたしましょう。

ズバリ、申し上げます。

何故、今の教団では奇蹟が生まれないか?

それは、教団から高級神霊が去ったからです!

『生長の家』誌・昭和32年4月号に、こういうご文章があります。

《わたしは『生命の實相』を読んで、悟りを開いて治ったんだと思っていると、実は豈にはからんや、神界からこの宗教運動をおこしているところの、霊界のグループに属する治癒担任の霊的メムバーが治しているという場合が多いのです。

『生命の實相』を唯一回だけ一寸読んで病気が治った結果、もう私は一遍に悟りが開けたから治ったのだなんて、そんな甘いこと考えるようだったら、これは慢心というものであります。》

病気が癒される、消えるという奇蹟は、“霊界のグループに属する治癒担任の霊的メムバー”のハタラキによるということなのです。

そのような高級神霊が、創始者を否定するような教団には愛想が尽きた!

見限ってしまったが故に、奇蹟が生まれなくなったということなのです。

高級神霊のご守護、お導きのない現教団、それでもそこに留まり続けますか?

それが今、信徒ひとりひとりに問われていることなのだと私は思っています。
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