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光明掲示板・伝統・第二

 

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「幸せは今ここに」〜北尾巳代次先生 (6)
日時:2016年04月04日 (月) 18時59分
名前:伝統

(この掲示板の”管理人 さま”へ、

この掲示板は、開設されてから、今まで1年以上も
活用されていませんでした。

折角ですので、是非、活用させて頂きたいと思い、
少しずつ投稿させていただきたいと思います。

もし、差支えがあれば、その旨、ご指導いただければ、
投稿記事を削除させていたきます。

できれば、お許しをいただけばと感じております

平成28年4月4日  伝統 拝 )

・・・

はしがき

今年はいよいよ私も還暦を祝う歳になりました。
長い人生を顧みて、最も素晴らしい感動は、尊師谷口雅春先生と同じ世代に生れ、
不滅の真理「生命の実相」の真理に触れさせていただいたことであります。

もしこの尊いみ教えなかりせば私は既にこの地上に存在しない──と憶えば、
ただ合掌、感涙にむせぶのみであります。

この書は、昭和26年、生長の家奈良県青年会長として県の機関紙「ニューライフ」を発刊して以来、
今日まで、多くの求道者と共に生長の家の真理を追究して、悩み、考え、そして法悦にひたらせて
頂いた魂の記録であります。

うち20編は『生長の家』『光の泉』『白鳩』『精神科学』の各誌に
発表させて頂いたものであります。

今回、谷口雅春先生のお許しを得て、1冊にまとめさせて頂きました。
心から御礼を申上げます。

なお、日付不明のものもありますが、内容は全て当時の記録のままに収録させて頂きました。
本書が、全国の皆様のご参考になれば幸甚に存じます。

   昭和48年正月
                          著 者

                ・・・


第1章  よろこび合う生活のために

第1編  深切と感謝

《恩に着せる心》

先年和歌山に講演に寄せていただいた時、或る薬局に個人指導を兼ねて泊めて頂きました。
御主人の御病気について指導した後で奥様が、

「実は私達は不幸にしてまだ子供に恵まれていないのです。
そこで昨年主人といろいろ相談を致しまして、身内よりもかえって気心のよく知った
他人の方が良かろうと存じまして、私の宅に2年余り女中として使っていた女の子を
自分の子に入籍をして現在女学校に通わせているのでございます。

初めは大変良かったのですが、時日が経つにつれまして、それがどうもしっくりと参りません。

今年のお正月に美しい晴着に着飾って映画を観に参ります子供に、お隣りの奥さんが、

『正ちゃん、あなたぐらい幸福な娘はありませんね、幾ら喜んでも喜び切れないよ』

とおっしゃったところ、案外にも子供が、

『おばちゃん、うち、やっぱり元の女中になりたいわ』

と言ったというんです。

私はこれを聞いた途端、一遍に悲しくなってしまいました。
今頃こんな水臭い心でいるとしたら、この先養子でも迎えるとしたら、どんなだろうと思うて、
このまま捨ておけない気がするのでございますよ」

とおっしゃったのです。

奥様は大変解せない表情でお尋ねになっていらっしゃいますが、
人間の感情というものは時としてこうしたこともあって、
当然喜ぶべきことが喜びとして受け取り兼ねることが間々あるものです。

女中さんから一躍良家のお嬢さんになった正ちゃんが何故、
隣家の奥さんに意外な悲しみをもたらせたかを考えて見ると、
娘さんにとって少なくとも現在の境遇が幸福に感じられていないからなのです。

女中のお前を娘にしてやった、してやったと一日中寝ても覚めても恩に着せられたのでは
綺麗な衣装も脱ぎたくなります。

                ・・・

《手垢のついたヨウカン》

『静思集』の中に書かれていることですが、谷口先生が或る処に御講演においでになった。
まだ戦争の苛烈な時で甘いものと言えば大変少ない時代だったそうですが、
そこの御主人がまことに珍しいヨウカンを3切れ皿に盛ってお出しになったそうです。

先生は喜んでそのヨウカンを頂こうとして唇の所に持っておいでになると、
そのヨウカンにベッタリと指の型が付いていたというのです。
きっと皿に盛る時に指でつまんで、いれられたのでうね。

手垢の付いたヨウカン、いくら珍しくとも有難く受け入れられないものだと教えて頂いたものです。

「私がこうしてあげたのに、さあお礼をおっしゃい」と一つ一つ恩に着せられたんでは、
「もう結構です」と言わざるを得ないのです。

愚痴を並べて仕事をなさる奥さん方、何から何まで恩を着せてお世話をなさる姑、
どう考えても余り喜ばれる姿じゃないですね。愛は無条件です。

深切は与え切りでないと本当の深切にならないのです。

こうしてやったからこうして返すのが当り前だ、などと考えているとつい腹が立ってまいります。
初めから報酬を求めているのですから、それはもう深切の部には入らないのです。

私がこうしているのに、とじき言葉の尻に「ノニ」を付けて腹を立てますね。
この「ノニ」は荷物を乗せる、つまり荷物をセタラオワス(背負わせる)のですから
、相手が怒るのは当たり前なんです。

何時でもこの荷物をせたらおわせば、「馬鹿なことを言うな」となります。

特にこの傾向は女の人に多いようです。
他人さまに対する世話でも初めはちょっと深切な積りが、いつの間にか恩に着せている。
私が、私がと絶え間なくやるから当初は当初は恩に着ている人でも
途中から逃げ出したくなって来るのです。

恩を仇で返すという言葉も皆これに関連しているのです。
些細な行為を何時までも鼻に掛ける心が類を以て集まる心の法則によって
彼の背徳の行為となって現われるということです。

それは何処までも自分の責任であります。
何故なら彼と吾はと本来一つだからです。
彼と観(み)ゆる姿は、そのまま自己の姿だと観ずることです。

いいや、そんな馬鹿なことがあるものかと中には詰問せられる方もあるでしょう。
しかし真理は一つです。背徳の心は彼に非ず、吾れ自らであると悟ることです。

                ・・・

《お尻から大便が出る有難さ》

何時でしたか、平野先生から聞いたお話に、奈良のあるお方が盲腸から腹膜炎をお患いになった。
病院で手術を受けられたが経過が思わしくなく、お腹の傷が塞がらないでゴム管を
腸に差し込んだままお寝みになっていらっしゃる。

大便が肛門から出ないで切り口からゴム管を通して出て来る。
オムツを以て包んであるのですが、何しろ溜るとグツグツと音がして出て来る、
するとプンプンと室内に漂うのです。本人も辛いが端の者も辛い。
1ヶ月経過したが一向に治癒の見込みがないのです。

 その時このご主人が『生命の實相』にお触れになった。
教えられることはヒシヒシと胸を打つ事ばかりですね。
有難いことを有難いと感ずることなく妻子を、兄弟を苦しめていた、
私が悪かったと、深い深い反省を持ったんです。

 すると2、3日すると病人のお尻がムズムズするというのです。
何となく大便がしたくなったと言います。

奥さんをお呼びになって便器を差し込んでもらって暫くキバッていらっしゃると、
鹿の糞のような真黒な固まりが、ポロポロと出て来て、その後から真黄色な出来たてのホヤホヤの、
まだ湯気の立った本物が一切れ、ポツンと便器の中に落ちたといいます。

「ああ!お父様、出ましたよ」と奥さん、
その黄色な固まりをまるで仏さんのように拝んでいらっしゃる。

「ドレ、どこに」と主人もそれを見せて貰った時には、
金の固まりよりも、もっともっと有難かったといいます。

5つになる坊やまでが、よほど嬉しかったのか、表に走って出ると、近所のお友達をつかまえて、
「オイ、僕のお父ちゃんのお尻からウンコが出たんだぞ」
とふれ歩いたといいます。笑えないナンセンスの一つですね。

お尻から大便が出るという、まことに当り前の何の雑作もない一事が
ここまで一家の人々を喜ばしめた原因は何処にあったのでしょう。
それはちょっと当り前でない姿になったというに過ぎないのです。

皆さんはお尻から大便が出るでしょう。
おしっこも当り前に出るでしょう。
有難いと思いませんか。

目が見える、耳が聴こえる、ものが言える、歩ける、走れる、笑うことが出来る。
嬉しいと思いませんか。
この一つ一つを素晴らしいと讃嘆する心が悟りです。

釈尊はこれを山川草木国土悉皆成仏と申しました。
生長の家はこれを人間神の子と教えました。
私達はすべて神の子ですよ。

素晴しいですね。
今眼を開けば天地間悉く神の愛、仏の慈悲の権化ならざるはないのです。
この大恩に感涙せずして何ぞ背徳の心無しというや、ですね。

空気さん、有難うございます。食物さん、有難うございます。水さん、有難うございます。
──神様の世界は、ただ与え切りですよ。

これを想う時、私達は小さな自己の善行を鼻に掛けて人間お互いが相争うの愚を
速やかに止めようではありませんか。

私達はもっと、より大いなる愛に生きなければなりません。
深切に生きなければなりません。 (30.3.1)

・・・・・・

第2編  おのれに背くこころ

《精神分析の話》

『週刊現代』に九州大学の池見酉次郎博士が
精神身体医学の立場から面白い実例を2、3挙げられていたことがあります。

病気は心の影だと教えている生長の家の真理を現代医学の立場から証明されたものとして、
大変意義のあることだと思われます。

その1、2をここに紹介すると、左の方に首が曲がってしまった女性があって、
無理に右の方へ曲げようとすると、著しい疼痛を覚えるそうです。
病院には色々とその原因を探求されましたが、はっきりしないままに神経科に送られて来ました。

首の硬直の工合から精神的なコンプレックスに原因があるとして、色々と家庭事情を調べられた。
その結果、次のようなことが判明したのです。

この女性は以前から自分の勤めているある会社の課長さんとねんごろな仲にあるのです。
ところが最近その課長さんの態度がにわかに冷淡になって来たので悩み出したのです。

面白いのは、その課長さんの席が彼女の丁度左後方にあるというのです。
仕事の間中同僚に気兼ねしつつ、いつも左後方を意識しすぎる結果、
彼女の心のとおり首が左の方に曲ってしまった、というわけですね。


もう一例は逆に右の方に痙攣を起している女性があって、
これも原因が掴めなくて、池見博士も元に送られてきたそうですが、
その精神内容を調べて見ると、彼女は、同室の男性と熱烈な恋愛関係にあるのです。

ところが彼女の右斜後方にいる男性がそれを嫉妬して、
2人の仲について、悉く意地悪をするのだそうです。

彼女は自分の一挙一動に絶えず右後方を意識過ぎる結果、
右頸部痙攣となって現われていることを指摘されています。

肉体は心の姿というが、まことにその通りですね。


これとは別な話ですが、かつて谷口先生の講話の中に、
たしか「中外日報」に報道された記事だそうですが、
ある娘さんが名古屋の病院で盲腸の手術を受けたそうです。
経過は順調に進みまして、まもなく全快、退院する運びとなりました。

ところが、自宅に帰って来ると、下腹部に著しい疼痛を感じるのですね。
あわてて病院で再診を受けましたが、手術はどこにも手落ちがない。

不思議なことに病院に入る間は、ちょっとも痛みを訴えないのですが、
自宅に引取ると、激しい疼痛を感じるそうです。

不思議だ、不思議だというので、いろいろとその原因を探求している間に、
次のような事情が判明したのです。

その娘さんは手術を担当している一人のハンサムな若い医師に熱烈な恋愛を感じているのですね。
それで退院すると、もうその医師の顔を見、肌に触ってもらうことが出来ない。
それでその医師にお腹を触ってほしいという想いが、
彼女の激しい腹痛となって現われているのだということなのです。

これは名古屋で本当にあった話だそうですが、まあこんな例は珍しいとしても、
皆様の日常生活には、これに似た体験の一つや二つは見聞していらっしゃると思うのです。

たとえば両親の愛を独占したいために病気をしている子供とか、
仕事や勉強から解放されたいために、絶えず苦痛を訴える青年、
或いは過度の里心から嫁入り先に落着かぬ病身の妻等……中には夫に反抗せんがために、
女性の最も大切な○器を婦人科の医師に診せて歩く極端な女性もある。

    *:性
                ・・・

《潜在意識を浄化しましょう》

考えて見ると人間が病気になるというのは、どこかに当り前でない心が働いているものです。
日常の生活の中には、誰でも嬉しいこともあれば、悲しいこともある。

しかし嬉しい印象は間もなく薄れてしまうものですが、
辛いとか、苦しいとか、悲しいとか、そういった不幸な印象は
格別に強く深く感じられるものです。

これがみな潜在意識に入って、病気の有力な原因を形づくっている。
従ってこういった潜在意識を浄化して、自分を傷つけるような不幸な感情を残さない
という努力をしなければならないのです。

 
カール・メニンジャーという精神医学の大家があって、
これらの想念感情を「おのれに背くもの」と呼んでいます。

人間の潜在意識には、自分を不幸におとしいれるいろいろな善からぬ感情があるものなのです。

ちょうど、池の水を表面から見ていると、美しい紺碧の水をたたえて、
飲んでみたいような印象を受けますが、これをコップに取って仔細に観察してみると、
いろいろな浮遊物や微生物が一ぱい泳いでるのです。

それと同じように人間の潜在意識も、
なんにも不幸になるような想念を残していないように見えるのですが、
怠けたい念や、病気になりたい意志、憎しみの想い等沢山温存されているのであります。

この潜在意識を浄化して、
神の子の透明な意識に戻してしまうことが信仰の生活であるといえるのです。

 
先日も奈良で庭師が植木の剪定をやっているのを暫く見ていたのですが、
随分思い切って枝を切ってしまうんですね。
木というものは、ずんずんと枝を伸ばしていくものなのです。
その伸びて行く枝を伸ばしてやったら、木自身発育が止り、値打がなくなってしまうのです。

それを庭師が適当に剪定して、良い枝を残し、悪い枝を切り捨ててしまう。
こうして立派な庭木に育てて行くわけですが、

人間は庭木よりも、もっともっと値打のある存在なのですから、
それこそ毎日毎日剪定をやって、自分に背く不幸な想念、感情をいささかも残さない
という精進が最も大切なことではないでしょうか。

この自己反省が正確に行じられていますならば、
皆様は決して病気になったり、不幸になるはずは絶対にあり得ないと信ずるものであります。

・・・・・・

第3編  おばあさまは観音さま

《言いわけしないこと》

大変よく流行る魚屋さんがある。
一人の奥さんが、値が高いと言い始めた。

「いや、すみません、うっかりしていました。
時々教えていただかんと解かりませんので、へえ、毎度すみません。
かわりに今日は特別に値を負けときます」

見ていると実にうまい。
腹からの商人だと思う。
客を怒らせないコツは絶対言いわけをせんことである。

高いのには高いわけがあり、安いのは安いわけがある。
しかしそれを言って解からせようとするから物事に角が立つ。
相手を怒らせることになるのだ。

ただ“御無理ごもっともです”と素直に頭を下げていると向うで勝手に悟ってくれる。
憎いから文句を言うのではない。やはり贔屓があるから、深切があるから叱って頂けると思えば、
どんな小言も有難く聞かせて頂けるのである。


家庭の争いも不調和も皆同じこと、
小言を言う姑、無理を言う夫、見た目には辛い姿も、
元をただせば皆吾が心の影と悟らせて頂くのである。

一つ一つに理を立てれば吾が子でもつい憎しみを覚える。
まして嫁となり姑と呼ばれる仲であれば、
いついかなる場合にも素直に謝罪(あやま)り切ることである。

裁く者は裁かれる。

理で勝って愛を失うが如き愚かさを棄てることである。

                ・・・

《三界唯心》

ある日一人の父親が相談に見える。
母と娘の醜い争いのことである。

どちらか一方折れてくれれば良いと思うが、どちらも負けていない。
母は娘を擲(う)ち、娘は母に背く。
明けても暮れても口角泡を飛ばす。

小心な父はただハラハラとして治める手段を知らない。
見るからに善良そうな父である。
気性の勝った母と温和な父──世間にはよくある型である。

私はこの父親が可哀想だと思う。
しかしここにも三界唯心の真理は厳然としてあるのである。
母娘(おやこ)の争いは、そのまま父である彼の責任であることには変わりはない。

結局彼が悪いのであり、彼の想いが間違っているものである。
ここの所を悟り得れば一切の苦悩や不幸は無いのである。

「あなたが奥さんを憎んでいるんですよ。
あなたが奥さんに言いたい文句を娘さんが代りに言ってくれているのですね」

私の言葉は鋭く父の胸を打ちます。

みるみると父の眼は涙で一杯になりました。
 
「そうなんです。先生、娘は私の心を一番よく知ってくれています。
娘の言葉は皆私の胸の中で私の言いたい事ばかりなんです」

「解かるでしょう。あなたの胸の中は奥さんに対する不平不満で一杯なんです。
ただあなたが言えばうるさいから黙っているだけなんです。
あなたが怺(こら)えている代りにあなたの娘さんが代弁してくれているのです。

奥さんを許してあげなさい。
奥さんは孤独なんです。
感謝してあげなさい。

そんなに欠点ばかり見ないで観世音菩薩として拝んであげなさい」

まもなくこの善良な父は一切の家庭苦から解放せられました。

                ・・・

《責任は自分に》

私の近所に念仏講のお世話をしているFさんという人があります。
ある日突然私の方の誌友会に出席して来ました。

心配そうな表情を見て、「どうしたんですか、言ってごらんなさい」と催促すると、
オズオズと語り出しました。

 「実は家中が仲が悪いので弱っているんです」

 「仲が悪いなら仲良くすればようでしょう」

 「それが実は複雑な家庭ですから……」

 「複雑って?どんなように」

 「ご存知かと思いますが、家内は後妻なんです。
  先妻は二人目の子供を産んで産後が悪くて死んだんです。
  それで今の家内を貰ってそれに子供が一人出来ているんです。

  私は外商(そとあきない)で、店は家内がやって、母が炊事をしてくれていますが、
  それが揉める原因なんです」

 「どうしておばあちゃんが炊事をしたら揉めるんです?」

 「それがね、二番目の子供はお婆ちゃんが育てたんです。
  それでおばあちゃんはその子供が可愛くて可愛くてたまらないんです。
  それで、仮にお肉と菜っ葉を炊くとするでしょう。

  すると、おばあちゃんはそのお肉を細かく刻みましてね、
  その二番目の子供に特別にお肉を多くするのです。

  外から見ると同じように盛ってあるのですが、
  皆そのことを知っていますから姉妹で奪い合いをするんです。
  リンゴなんかでも内証で隠しておいてその子に食わせようとするんです。

  ところが子供というものはいくらおばあちゃんが隠してやっても、
  他の者へ見せびらかして食べたいんですね。
  それがいつも姉妹喧嘩の発端となります。

  私はいつも、おばあちゃんに言うんです。
  肉でも魚でも沢山買って、平等に食べさせてやってくれたら喧嘩せんようになる、とね。

  先生、そうでしょう。
  私は一所懸命調和することばかり願っているんです。

  しかし、母は私の言うことなんか一寸も聞いてくれないで
  “ああ私が悪いんですよ、私さえ居なくなればそれでいいんでしょう”とごてるんです。

  私は70を過ぎた母に、あなたも信心したら良いと言って随分勧めるんですが、
  母は昔から信心の心なんか爪の垢ほどもないんです」

  Fさんは誠に残念そうな表情で掌中の数珠をくられる。

 「ああ、そうですか、良く解かりました。
  それではその問題を解決する方法をお互いに良く考えてみましょう。
  まずあなた方のお家で、その争いの元となる一番悪い人は一体誰なんですか。
  その一番悪い人さえ変われば、他は皆変りますからね」

  私がこう申上げると、Fさんは顔をしかめて、

 「もちろん母が一番いけないんです。母さえ依怙贔屓(えこひいき)をやらなければ
  万事円満に行くのです。でも母は駄目です。根っから解かろうとしないのです」

 「それでは母は特別にして、2番目に悪いのは誰ですか、2番目に」

 「それはやはり私の家内です。これが母と絶えず角突き合すのがいけないんです。
  だから私は家内にもちょっと信仰しろ、と言うんですが、
  これがまた信心の心がまるっきり無いんです」

 「ああそうですか、それは困りましたね。
  それでは2番目も置いておいて次に3番目に悪い人は誰なんですか」

 「それは2番目の子供なんです。
  これが蔭に廻っておばあちゃんに上手をするために家の中がもめるのです。
  しかしこれもまだ、子供ですから、私がいくら言って聞かせても駄目なんです」

 「そりゃそうですね。それでは3番目も棚に上げて、4番目は誰ですか」

 「いや、もう誰もないんです。長女は今の母に甘くやっていますし、
  一番下は小さいですから問題じゃないんです。まあその3人だけですね」

 「そんなことないでしょう。まだ悪い人がいるでしょう」

 「いいえ、それが私の家の全家族なんです」

 「だって私の見たところ、一番悪いのが一人まだ抜けていると思うんですがね」

  私がこう申上げるとFさんは初めて気が付いたように、

 「先生、私のことを言ってるんですか」と聞く。

 「そうですよ、あなたのことですよ」

 「先生に言葉を返すようですが、私はこの点随分気を遣っているんです。
  従って私が原因で罪を起すことは絶対にありません」

 「ずいぶん自信があるですね。でもねFさん、私はあなたが一番悪いと思うんですよ。
  何故ならお母様はあなたの実の母親でしょう。
  老人は歳をとるに従って何かと気兼ねする者なのです。

  幸いあなたのお母様は70幾歳になってなお健康でいらっしゃる。
  そのお母様に生き甲斐を感じさせてあげるのが、
  あなた達の態度であり言葉では無いでしょうか。

  歳を取りながらもなお一家の炊事を預かって下さっている。
  お母さんは実は周囲から認められたいんです。
  殊に実の子であるあなたから喜んで貰いたいんですよ。

  お婆ちゃんが居てくれるので助かるよ、お婆ちゃん出来るだけ長生きしてよ、
  こう言って欲しいんですね。

  ところがあなたは喜んでやる代わりに不足ばかりおっしゃる。
  閻魔(えんま)さんのように、お婆ちゃんのやることを何時も監視していらっしゃる。

  これではお婆ちゃんの生き甲斐が無いんですね。
  それで自分が手塩に掛けたて育てて来た孫に少しばかりの肉や魚を特別に食べさせて、
  お婆ちゃん、お婆ちゃんと言わせて、その中に僅かに生き甲斐を見出しているのですよ。

  お婆ちゃんが本当に喜んで貰いたいのは、そんな小さな孫ではなく、
  現在目の前にいる息子のあなたではないでしょうか。

  あなたがもし、お婆ちゃんの健康を喜び、その仕事に感謝し、
  お婆ちゃんの居て下さるお蔭だと、言葉に出して喜んであげることが出来たら、
  もうお婆ちゃんの小さな依怙贔屓は一切なくなってしまうでしょう。

  信仰というものは理屈じゃない。

  ただ愛することなんです。
  感謝することなんです。

  その感謝の中にあなたの信仰していらっしゃる如来の姿を拝ませて貰うことが出来ますよ」

  いつの間にかFさんの目に涙が一杯溢れていました。
  Fさんの家庭が救われる日も近いでしょう。(40.10)

・・・・・

十分にご利用ください (7)
日時:2016年04月05日 (火) 11時43分
名前:管理人

伝統様

この掲示板を利用していただいて、もちろん構いません。

ただ、この掲示板は無料板なのでアッというまに上限の千件になってしまうかもしれません。

その点だけお含みおいて十分にご利用ください。


管理人 拝




「幸せは今ここに」〜その2 (9)
日時:2016年04月05日 (火) 20時08分
名前:伝統

”管理人 さま” ご好意、まことに有難く、心より御礼申し上げます。

上限の千件については、了解いたしました。
できるだけ、投稿件数を抑える形で、活用させていただきます。

・・・

第4編  夫婦の愛情

《夫の不行跡は》

妻は夫の不行跡を責める前に、
どうして夫が自分以外の女性に愛情を移して行ったのかを反省してみることです。
必ず何か思い当たるものがあるはずです。

夫婦の愛情が本当に強く結び付いている間は決して、そうした間違いは起り得ないのであって、
悲劇が起るのはお互いがその生活に欣(よろこ)びを感じなくなっているからです。

いつでしたか竹田先生から伺った話の中に、余りに世帯じみた奥さんが、
お白粉気(おしろいけ)一つなしに一日中真黒になって内職に追われ通している間に、
夫の放蕩が激しくなって、ついに悲しい破局をみられた実例がありましたが、
夫を理解しようとする妻の愛情が足りないと言わなければなりません。

家庭の妻は常に夫の仕事の内容や趣味に正しい理解をもって、
夫と歩調を合わせて行かなければなりません。

                ・・・

《夫の競輪に応ずる道》

先日もある奥さんが偶然に私の講演をお聞きになって大変感激せられたんだそうですが、
この奥さんは夫の競輪癖に悩んでいらっしゃったのです。

「妻は夫の趣味に正しい理解を持たなければならない」
この言葉を奥さんは素直に実行しようとせられた。

2、3日して秋篠の競輪が始りました。
夫はもう仕事が手に着かない始末です。

「お父さん、今日から競輪ですね。あなたがいらっしゃるのだったら、私も一遍連れて行って下さい」

そうして2人は競輪に行ったのです。大勢の人にもまれながら、
彼女も夫と共に2、3枚の券を買いました。
そして夫はすっかりすってしまいましたが、奥さんは数千円儲けたんだそうです。

その時奥さんは夫が競輪に凝(こ)る真理が、やっと理解できたのですね。

「お父さん、競輪て案外面白いですね。これなら私でも毎日来たいわ」
と彼女は晴れ晴れとおっしゃったのです。すると夫は

「誰でも勝った時にはそう思うんだが、負ける方が多いからね。
まあ、あんまり近付かん方が良いんだよ」

とおっしゃって、それ以来余り行きたがらなくなったと言います。

一にも二にも競輪は悪いと、競輪を目の敵にして夫を縛ろうとする心が、
反対に夫をして悪の道に追いやることになるのですね。


これは親が子に対する場合も同じです。

 夫は又仕事や社交のことについて妻子に大風呂敷を広げたがるものです。
「どうだい、俺はこんなににも偉いだろう」
 得々と夕餉の酒の肴にせられることがあると、善良な奥さんは嬉しそうな表情で
夫のメートルを聞いてやらねばなりません。これは男性共通の心理なのです。

どんな夫でも自分を大きく見せたい、偉く見せたい。
ことに最愛の妻に対しては、この傾向が強いわけです。

「本当にあなたって素晴らしい方ですね。私は幸せだわ」
と素直に威張らせてやるだけで愛情があれば、
夫はどうして奥さんの愛情を裏切ることがあるでしょう。

しかし、多くの女性は夫を威張らせないのです。

「なんだつまらない。あんたなんか、いくらごうたくを並べたって、
私はあなたの甲斐性の無いことを骨の髄まで知っているんですよ」

と、ツンと澄ましていられたんでは、夫の心は悲しくなって参ります。

少しでも自分を喜んでくれる女性に魅力を感ずることは、けだし不思議ではないでしょう。

 
夫婦調和の根本は、妻がまず自分の夫に惚れることです。
惚れるという言葉は大変 下衆(げす)い言葉の様ですが、なかなか好い言葉ですね。

自分が惚れないから他の女性が来て自分の夫に惚れるだけです。

他の女性が惚れたからといって、何も立腹することはないでしょう。
それが嫌なら、自分がもっと他の女性よりも強く惚れればいいのである。
それは自然の法則であって当り前のことなのであります。(26.4.26)

・・・・・

第5編  家庭を明るくする運動

《家庭の幸福は女性から》

「家庭を明るくする運動」というのが、今年の婦人会のテーマに採り上げられています。

家庭の光明化はまず婦人からという考え方は嬉しいですね。

これは、私達が何時も申していることでありまして、男性の自覚も勿論大切なことなのですが、
何と言っても、家庭の光明化は、女性の認識を高めるという線にあると思うのです。

新しい憲法が制定せられまして、女性の地位が著しく向上してきたことは事実なのですが、
まだまだ女性自ら女性を、蔑視する思想が強いのじゃないかと思われるのです。

「あなたは女性として産れて来たことを悦んでいますか」
 私は時々個人指導の時に伺うのです。

「勿論女なんてつまらんですわ。今度生まれる時は断然男に生れます」
 こうおっしゃる方が案外の多いのです。

そしてそうおっしゃる方は皆不幸なんです。

不幸だから、そういう考え方にもなるのだとおっしゃるけれども、そうじゃないんですね。

元々女性としての祝福が日常の生活に欠けているのですよ。

「女性は太陽の如くなれ」と、いつかの講習会で谷口先生がお話し下さったですが、
女性の明るい微笑が、家庭を太陽の如く輝かせることは事実ですね。

明るい表情、柔和な言葉、親切な態度、こうした女性を皆様の家庭に想像する時、
一家の幸福が眼に見えるようですね。たとえ如何ような経済的な逆境にあっても、
失意の心を慰めるのは女性の信頼と明るい言葉です。

「わたしはあなたを信じています。あなたは必ず成功します。わたしはあなたによって幸福なのです」

こうした良き言葉は男性を素晴らしく勇気づけるものなのです。

妻が私を信頼していると知るだけで、多くの男性は限りなく幸福であり、
母が私を愛していると知る子供は、人生に絶対に失望をしないでしょう。

夫の極道も、子供の不良化も結局は家庭に於ける女性の愛情に欠けるところがあるということです。

                ・・・

《食事の度に小言を言う親》
 
食事の度に小言や愚痴を並べる父母のあるということは、家庭を暗黒にする第一の原因です。

日本の家庭に於いてはまだまだこの習慣が多いようです。
こうした小言は言う方も聞く方も数倍腹が立つものです。

食事は出来る限り談笑しつつ、楽しい雰囲気の中で過すべきですね。
私の家内は時々、子供に夕飯の御馳走の希望を投票させて決めることがあります。
子供にとって最も楽しいひと時です。

こういう時には出来る限り子供に良く話させることですね。
この話の中から子供の生活、交友関係、思想等を知ることになり、
子供から背かれるという如き不幸は未然に防止せられるのです。

とにかく食事は接待する女性の雰囲気によってその味が左右せられます。

ことに限られた材料によって毎日調理せられるのですから、
食事を如何に楽しく食べさせるかは、主婦の分別によるものです。

家庭を明るくするという秘訣は案外こうしたところにあると
私は常に考え、申上げているのであります。

                ・・・

《「ハイ、ニコ、ポン」》 

先日彦根に参りましたら、一人の若い学校の先生が御挨拶にいらっしゃって、
大変素晴らしい大変を伺ったのです。

その先生は宗田先生といってまだ就職して一年位にしかならないのだそうですが、
児童教育ということに非常な熱意を持っていらっしゃる。
従って児童心理学なんか先輩の本を読んで色々と勉強をしていらっしゃるのです。
この勉強をするということが素晴らしいんです。

女の方なんか、例えばお料理ですが、これなんか毎日のことですからつい平凡になりがちですが、
私はよく申上げるんですが、器なんかも少々は贅沢でよい、形の変った良いものを使うことですね。

料理屋なんていうのは、何より器で美味しく食べさせるんですよ。
洗うのが面倒とか、割れたらつまらないとか、そんなことを惜しんで、
大切な旦那さまに浮気されちゃ、引き合わないでしょう。

食事を楽しく食べさせるということが、良妻の第一条件なんです。
それにはやはり勉強することですね。少しの閑をみてはご本を通し、お話を通して、
味や器について研究を重ねて行くということが、最も大切なことですね。

宗田先生は自分の教育に対して経験が無いでしょう。
経験がないからそれだけ勉強されるのです。
そして素直に先輩の書を読んで教育のあり方について真面目に考えられるのですね。

この真面目に考えることがまた素晴らしいことなのです。
そこから必ず良い智慧が出て導いてくれるのです。

 
初めのうち生徒は事ごとにお友達の悪口を言うのですね。
「先生、○○さんがこういう事をします。こういう悪いことをします。叱って下さい」
という具合に良いことを一つも持って来ないのです。

君達はどうして良いことを言わないのだと聞いたら、
良いことなんて一つもない、悪いことばっかりだと言うんです。

そこで先生は一晩かかって考えましテネ、
「ハイニコポン帳」というものを45冊程造ったと言います.

「ハイニコポン」というのは、生長の家の神童会でよく言うことですが、
「○○君」と名前を呼ばれたら「ハイ」と返事して、ニコッと笑って、ポンと立つことなんです。
これは大切なことなんですよ。皆様はどうです。

ご主人やお姑さんから呼ばれたら「ハイ」と返事してニコッと笑って、ポンと立ちますか。
これが出来る人ですと家庭にあってきっと皆さまから好かれますよ。
器量の問題じゃないですね。

私はよくお嫁さんの苦情を伺うのですが、うちの嫁は仕事しないとか、
顔が不味いとかは滅多におっしゃいませんね。
皆この「ハイ、ニコ、ポン」の不足ばかりです。

返事が悪い、ふくれる、お尻が重い、大抵はこの3つに含まれています。
日本の主婦は皆コノ「ハイ、ニコ、ポン」を素直に実行したら、
日本中の家庭は一遍に明るくなるでしょうね。

 
さて話は余談になりましたが、宗田先生は、
この「ハイ、ニコ、ポン帳」を生徒の一人一人にお渡しになって、

「あんた方はお父様お母様の御用事をするでしょう。
その時に『次郎君』と呼ばれたら『ハイ』と返事してニコッと笑ってポンと立って頂戴。
そうすると御父様もお母様も大変の悦びになるのですよ。
そしたらこの帳面にそれを書いていらっしゃい。
毎朝先生はそれを見て実行する人にご褒美をあげましょう」とおっしゃったのです。

すると翌日から皆書いて来るのです。手紙を入れに行ったとか、お掃除をしたとか、子守をしたとか。
子供は皆素直ですからね。毎日読んでいると、こんなことが書いてあると言います。

「私は今日お母様からお掃除を頼まれました。
私はさっそく『ハイ』と言ってニコッと笑ってポンと立ちました。
そしたら後でお母様が大変褒めて下さいました。
そしてなおその上、10円お小遣いを下さいました」

誰でも用事をしたらお金を頂くのが当り前だと思うでしょう。
ところがこの女の子は「お母様からほめてもらってなおその上お金まで頂いた」と悦んでいるのです。
ここが素晴らしいんですよ。

私達は何でも当り前になっちゃうんです。
働いたら月給を貰うが当り前。夫が妻を養うのが当り前。
子供が親に孝行するのが当り前。嫁が姑に従うのが当り前。
何でも当り前にして仕舞うのです。

だから何でも感謝がなくなって不足ができるのです。
この子供のように、褒めて頂いてなおその上に10円頂いたという考え方、
これが生長の家の光明思想ですよ。

用事したら10円貰うのが当り前だ、と思っていると、
5円だったらもう今度から用事をしてやらん、となるでしょう。

 
皆様でも健康だから働かせて頂くのは有難い。
その上まだこれだけ儲けさせて頂いたと思えば不足なんて少しもないでしょう。

みな受け取り方です。
この思想が生活を明るくする最善の道だと思うのです。

・・・・・・

第6編  幸福の条件

《善人は、実は小心者》

誰がみても善良で好意の持てそうな人が、案外恵まれぬ人生を歩いているのをみると、
何かしら矛盾を感ずるものです。正しいことが必ずしも幸福の条件に当てはまらないとすれば、
私達は道徳的にどのような生き方をすべきでしょうか。

生涯を真面目一筋に通して来た人とか、しゃにむに子供のために働き通した未亡人が
晩年不幸な境遇に陥るのには、何かその原因というものがなければならない。

表面に現われない心の姿というものを、今日は皆様と共に良く考えてみたいと思うのです。
時々“正直者が馬鹿をみる”といった言葉を耳にすることもあるのですが、
本当はそんな馬鹿なことがあるのでしょうか。

彼等の恵まれぬ人生に幸福への緒(糸口)を見出してあげるためにも、
正しい信仰への導きをゆるがせにすることは出来ません。

 
さて問題を頭書の質問に戻すことに致しましょう。
善良で好意を持てそうな人が不幸な人生を歩むということは宗教の立場から見れば、
決して正しいことではないのです。

けれども現実は得てしてこうなり易いとすれば、その原因は何でしょう。
それは、その人の小心の結果じゃないかと思うのです。

 
一般に善良の人は殆どが気が小さいんです。
少しのことにも気を使いましてね、常人には何でもないことにまで心を労するんです。
その人がどんなに道徳的に善であろうと、恐れるものは皆来るという法則によって
成り立っている世界ですから、恐怖心を持つ人には不幸が絶えないのです。

 
また善良な人は概して勇気が足りないのです。
とかく引っ込み思案になり易いという欠点があって、大きな事業を大成することが出来ないのです。
また善人は自分が正しいと信ずるが故に、他人を裁き過ぎるのです。人の悪が許せないのですね。
従って絶えず心の中に、不平や不満の感情が満たしているために、病気になる機会も多いのであります。

正直者と言っても、本当の正直な人なんてほとんどいないのですよ。
大抵の人は自分が悪をする勇気がなくて、他人がそれを平気でやると腹が立って、
「正直者が馬鹿を見た」とこういうのです。言ってみれば嫉妬心みたいなものです。

 
本当に心が清ければ、他人の悪なんて見えやしない。
本当に清貧に甘んじられる心境にある人なら、他人が闇をして儲けようが、
脱税をしようが、何とも感じないのが当然でしょう。

それを、あんな不正なことが釈(ゆる)せるものかと心から非難したくなるということは、
自分の中にそれと同じ汚い波長があるということではないでしょうか。

キリストは“他人の喜びを悦びとせよ”と教えましたが、
人間の心に同悲同喜の心を起さない限り、永遠に幸福の境遇に入ることは出来ないですね。

                ・・・

《境遇のせいにしてはならない》
  
或る大変正直そうな奥様がありまして、「先生、私の娘がもう26歳にもなるのですが、
良縁に恵まれないんです。どうしたらいいんでしょう」とお尋ねになりました。

「どうして26まで縁が遅れたんですか」

「それがね、私は疎開の身でしょう。6畳と3畳の二間の家では良い縁も頂けないんです。
少しでもましな家に入りたいと、そればっかり思っているのですが、思うようにならないのです。
娘が可哀想です」と、ホロリとせられるから、私は思わず大きな声で、

「奧さん、あなたが幸福になれないのは、あなたの考えの中に一つの大きな思い違いがあるのですよ。
いったいあなたはの家の小さいということと、お嬢ちゃんの結婚と何の関係がありますかね。
あなたが勝手にこの2つを結びつけて、私の家は小さいから、娘は良縁に恵まれることが出来ない
と結論付けているのですよ。この世の中は信ずる通りに現われるのですから、
あなたがそう信じている限り、あなたの娘さんは幸福になれないでしょう」と申上げたんです。

 
多くの人にはこういった謝った人生観に取り付かれているのです。
資本がないから事業が発展しないとか、未亡人だから世間からバカにされるとか、
姑がきついから娘が幸福になれないとか、何でもかでも不幸な物に結びつける考え方
というものが一番いけないんです。

家が小さくとも、娘さんを幸福にしようとすれば、何よりも娘さんを祝福してあげることですね。
自分の今立っている境遇や環境に感謝をして、「きっと良くなるわね」と
明るい人生観を確立することです。


結婚というものは家がするものでも、財産がするものでも、地位がするものでもないのです。
どんな深山幽谷の谷間の百合(ゆり)でも、馥郁(ふくいく)と咲く花には蝶々が訪れます。
みる影もない茅家(あばら家)に育つとも、清楚な明るい人格の香りは、
彼女の将来に大きな幸福を築かずにはおかないでしょう。

 
先日も吹田で、未亡人の児だから就職が出来難いと訴えられた方がありましたが、
こうした僻(ひが)みが、愛児の気持ちを暗くして、就職試験にしくじらせているのですね。

この方は次の試験に無事パスせられて悦んでいらっしゃいますが、
殆どの人が陥る陥穽(かんせい)と言いましょうか、この不幸なものへの結びつけが、
善良と好意に満たされた人をも、恵まれぬ境遇へ突き落してしまうのであると思うのです。
(33.6)

・・・・・・・

「幸せは今ここに」〜その3 (11)
日時:2016年04月06日 (水) 21時15分
名前:伝統

第7編  幸福への道

《真理の処方》

私の職業は薬剤師でありまして、自宅で日の丸薬局という薬局を開設致しております。
薬剤師という職務は、皆様が御病気になって、医師の診断を受けられると、
先生はその病気の原因を究め、最も有効なる薬を処方されられるのであります。

その処方に基づいて、これを少しも間違えることなく調剤を致しまして、
皆様にお渡しするのが、私の仕事なのであります。

 
考えてみますと、谷口雅春先生という偉大なる聖者が出現されまして、
人類の苦悩を消滅せんがために、人間神の子、三界唯一心という一大真理を
『生命の實相』全40巻に処方下さったのでありまして、

私は只今よりこの処方に基づいて、これを出来るかぎり正確に調製、投薬を致したい
と思いますから、これをしっかりとお持ち帰り頂きたいのであります。

昔から“良薬は口に苦し”の譬にもあります通り、この真理の処方はあるいは皆様にとって、
大変に呑みづらい点があるかも知れませんが、またとない高貴なお薬なのですから、
毎日欠かさず実行に移して頂きたいと思うのであります。

                ・・・

《宗教の根本は本当の自分を知ること》
  
さて『生命の實相』第1巻に、“本当の自分を知れ”とあります。

本当の自分、何か妙な言葉ですね。
本当の自分も嘘の自分もあるものか。
現にこれ1つしかないじゃないか──と唯物論の人は考えるのです。

この肉体ですね、これが自分である、と思っているものですから、
肉体の言うことは何でも聞かんならんと思う。

飯を食いたい、というとハイハイ、お上がり下さいと、ご馳走を食べさせる。
酒を飲みたい、と言うと、ハイハイと言って酒も飲ませます。
性欲が起れば性欲を満足せしめたいと努力します。

ところがこうして肉体の要求に次々と応じていると、その時は快い感じを味わうのですが、
回が重なるに従って心が苦しみはじめるのです。

肉体の欲求といういものは、理性がこれを抑制してゆかない限り、際限もなく広がって行って、
結局肉体そのものを滅ぼしてしまうことになりかねない。

つまり食欲、色欲を適度に統制して、常に肉体を快適な状態に維持するために、
人格というものが働いているわけですね。

この人格をいうものが、肉体の上に完全に君臨していると、肉体は人格の命令に基づいて
行動することになりますから、過ちを起すことはないわけです。


皆様はもし人から罵倒されたら腹が立つでしょう。
これは自分の人格の尊厳を侵されると信じるからなのです。

肉体が自分なら、肉体になんら痛痒も与えない言葉に対して、何故立腹する必要があるのでしょう。
更に皆様の人格が、犬や猫のごとく低卑なものでありますなら、どんな罵倒に対しても、
なんら反応も示さないでしょう。

皆様の人格は皆様自身が一番良く知っていらっしゃるのです。
ただそれがどの程度に尊いものであるか、ということについて、
まだはっきりとした認識が欠けているに過ぎないのです。

 
昨秋尾道の耕三寺で伺ったのですが、或る人が耕三和上師に、
「人間を一人前に育てるには300万円の金が要るそうですね」と言ったのに対して、
和上師は「あなたの生命はそんなに安っぽいのですか。人の値打ちは無限です。
決意一つで何十億でも生みだすことが出来るのですよ」とお答えになったといいます。

 
人格の尊厳は何物をもってしてもあがなうことの出来ない尊い存在であると思いませんか。
近頃青少年の自殺が毎日のように新聞に報ぜられていますが、
唯物教育に基いた、痛ましい犠牲者であると思うのです。

男と女が単に皮膚の粘膜の快い接触によって、偶然に、人間が生み出されてきた、
と教えられる限り、どこに人格の尊厳があるのでしょう。

犬や猫が生殖によって、コロリコロリと子供を生み出して行くのと、
人間の出生とは根本においてその意義を異にしているのです。

現象の過程においては殆ど変る所は見出されないでしょうけれども、
その懐妊は悉く神聖受胎に外ならないのです。

神なる人格が、その人格を完成するために、父母を縁として現象界に下生してきたのです。

子供が生まれるということは父母の責任でもあるが、むしろ子供の責任でもあるわけです。

             ・・・

《醜く生れ来た女性の悩み》

いつでしたが、顔面に赤痣(あざ)のある女性が、
神経痛を苦しみに耐えかねて訪ねて来られたことがあります。

痛ましいその顔を見ていると、私はその女性の心が
どんなに深い苦悩にさいなまれつつあるかが解かるのです。

「あなたは父母を恨み、夫を恨み、世の全ての人々に憎しみを感じていらっしゃるでしょう。
その心の痛みが肉体に映って、坐骨神経痛になって現われているのですよ。
肉体に炎症があるわけではない。心の苦しみです。夫を許し、父母に感謝しなさいね」

と申上げたら、その女性は、さめざめと泣きながら、

「先生のおっしゃる意味はよく解かるのです。
でも私のこの悲しみは私の他には誰にも理解して頂けないでしょう」とおっしゃったですね。

これが偽らない本当の心ですね。
女性として最も醜く生れて来た出生への憎しみといいますか、
何か正視に堪えないような痛みを感ずるのです。

でも私はこの女性を救わなければならないのです。
私は声を励ましていったのです。

「あなたはその傷を一体誰の罪だと思いますか。親でしょうか、ご先祖でしょうか。
或いはあなた自身の罪でしょうか。

天理教ではよく因縁といいますね。
前世の因縁だとはよく聞かされる言葉ですが、あなたの場合、
この前世の因業の報いという例に当てはまるでしょうか。

私はケイシ―の宿命通(谷口雅春先生著『真理』第5巻参照)の話からも、
人間は過去世の宿業を背負うて生れて来るものだと思うのです。

幸福な家庭に生れる人、貧窮な家庭に生まれる、複雑な家庭に生れる人、考えてみると、
その出生において千差万別、いろいろな種類がございますが、
これは皆過去の因果応報じゃないでしょうか。

その意味からあなたの傷は、あなたの過去世における色情の因縁を果すために生れて来たのですよ。
御両親はむしろあなたの贖罪(しょくざい)に御協力して下さっている
尊い菩薩でいらっしゃるのですよ。

誰を恨むこともいらない。
あなた自身の心の影なのです。
どれほど辛くとも、それによってあなた自身潔められつつあるのです。

いつでしたか、聖書を読ませて頂いたら、キリストが生まれながらの盲を見て、
親の罪非ず、本人の罪に非ず、ただ神の栄光を現われんが為なり、と説かれていますが、
あなたの場合もあなたの心の中に神の栄光を現わさんがためなのです。

人間は健康で生活に恵まれ過ぎると神の方へ振り向くことがないのです。
病気になって初めて神への信仰が芽生えて来るのです。
あなたも今こそ孤独な生活の中にあって、真剣に神への信仰を求めてごらんなさい。

 
キリストは、十字架を背負うて我に従え、と申しました。
十字架を背負うとは全ての罪はないということです。
病気はないということです。

一切の悪の否定ですね。
夫を恨んでいるあなたも、両親を恨んでいるあなたも、不幸なあなたも、もうないのですよ。

あなたが今まで恵まれなかったのは、私は不幸だ、という殻の中に閉じこもっておって、
他人を愛しようとしなかったからなのです。あなたが女性としての愛の本質を生き切るなら、
全ての人はあなたを愛さずにはいられないでしょう」と。

 
肉体を本当の自分だと思えば、誰でもこの女性のように
苦しみ、悩み、不幸にならざるを得ないのです。
けれども私達は肉体ではないのです。

生命なのです。
愛なのです。
人格なのです。

教育も宗教も、全てこの人格の涵養にあるわけです。
人格の完成こそ、人生の目的ではないでしょうか。

              ・・・

《幸福とは自分以外の環境の中に求めるものではない》

飯島貫実師の『百万人の仏教』という御本に、

「人間が皆幸福になりたいのに幸福になれないのは、その考えに2つの大きな誤算がある。
その一つは、幸福とは自分以外の環境の中にあると信じていること、
もう一つは、人間に罪や死や病気の如き悪が実在すると信じていることだ。
この二つの誤解を解くことが、幸福になる唯一の道である」と説かれています。

 
幸福は自分以外の環境にあるとは誰でもが一度は信じ、かつ求めて行く道なのです。
「百万の富を持てば」とか「良い職業にありつけば」とか、「住宅が与えられたら」とか、
まあいろいろな違いがあるでしょうが、そうした願いが叶えられなければ私は幸福になれない
と思って暮していたのでは、一体いつになったら幸福になれるでしょう。

 
いや、例えそれが得られたとしても、そんな物質に対する幸福感なんて、ほんの一時的なものです。
その時は有難いと思っても、また直に不足になりがちなものです。

病人は健康にさえなれば何にも不要と思いますが、
さて健康になってみると、まだあれも足らん、これも欲しいと不満が出てまいります。

人間の要望なんて底のないバケツみたいなもので、これでもか、これでもか、
いくら注ぎ込んでもまだ足らん、まだ足らんと、満足するものではないのです。

まずバケツに底をつけることですね。
仏教ではこれを堪能といいます。
ああ、結構なことだ、と現在に感謝する心です。

 
釈尊の言葉に「この世界には求めるものが得られない不幸と、求めるが得られる不幸と二つある」
とあります。

求めるものが得られないという不幸というものは解かるが、求めるものが得られる不幸とは何か。
私も最初は解からなかったのですが、考えてみると、求めるものが次々と得られれば
お互いに感謝を忘れてしまいますよね。これも当り前、これも当り前だと、人に事に物に
感謝する心を失ったら、人間は不幸になるより外はないのです。

 
昔、私の知っているある人が競輪に行って大穴を当てたのです。
2千円が20万位になって、それ以来競輪が忘れられない。
5、6年の間に、この人はとうとう120円の現金と家屋敷を売払ってしまいましたね。
求めるものが得られた最大の悲劇でしょう。

 
大体幸福というのは心が喜ぶことなのです。
心が満足することなのです。
どんな立派な家屋敷に住んでいても、その人の心が喜ばなければ不幸でしょう。

では心の喜びはどうしたら得られるか、というと、感謝したらいいのですよ。
そうでしょう。

              ・・・

《“当り前”に感謝する心が信仰である》

でもね、皆様は心の中で考えるかも知れないですね。
「有難いことがないのに感謝なんて出来ないじゃないか」と。
誰でも初めは皆そう思うのです。

ところがそうじゃないのですよ。
何にも変ったことがないのが有難いのですよ。

昔、腸が悪くなって、手術をして長い間人工肛門で排便していた人が、
病気が癒って、本当の肛門から大便をした時に、
世の中にこんなに有難いことはない、と話していましたよ。


一人の中風のお婆さんが教化部にやって来て、個人指導を受けたのです。

「先生、私の左の足が動かんのです。治して下さい」

「お婆さん、足が治りたかったら感謝したら治りますよ。毎日有難うございますとお礼を言いなさい」

「先生、お礼を言えといっても、私は足が動かんのですよ。足が治ったら何でも感謝しますよ」

「そうじゃないのですよ。あんたの足はあんたの不足の心が現れているのや。
あんたが礼を言う心になったら治るんだよ」

「先生、そりゃ無理だよ。治らんのに、有難うないのに、どうして礼がいえますか。
治して貰ったら、なんぼでも礼をいいますがな」

「お婆さん、本当に治ったあ礼を言いますか。
それじゃあんたの右の足を治してやったから,早礼を云いなさい」

「右は患うてやせん。これは初めから動いてるのや」

「初めから動いていたら、もっと有難いじゃないか。考えてごらん。
両方動かんかったら教化部にも来られへんのや。右が動いているお蔭でこうして歩くことができる。
有難いなあ、と思わしてもらいなさい。その有難いと思う心が、あなたの心を喜ばせて
生命(いのち)を奮い立たせるから病気は治るのですよ」

といわれたのですが、この“当り前”に感謝する心が信心、まことの心ですね。

 
もう一つは病気がある、罪がある、不幸がある、とみんな悪を心で把んでいるということです。
この潜在意識の罪の意識が人間を不幸にしているのです。

大体キリストが十字架に掛ったということは、もう人間の罪はないということの象徴なのです。
つまり無罪宣告ですね。ですからもう人類には罪はないのです。

私達は既に神の子であるということです。
既に救われていらっしゃるのですよ。

              ・・・

《盗みをする子供を良くするには》

昨年の今頃、一人の男の方が、子供さんの盗癖について相談に来られたことがあるのです。
その方の家は中流階級の別に生活の困る家庭ではないようです。
それなのに小学校4年生の坊ちゃんが、学校の中でお友達のお金を盗むんですね。

お父様は大変悩んだ末に私の宅に相談に見えられたのです。

「先生、どうして人のものを欲しがるようなさもしい心になったのでしょう。
私はこの子にだけは充分小遣いを持たせてあるんです」

「人のものを盗む悪い子はないのです」

私は例の通り実相を直視して申上げたのですが、
盗みをする子供があるという現象に引っ掛っているこのお父様には
私の言葉が解からんのですね。

「先生、本当にカバンの中にから出て来たのです。
今までも度々現場を見ている人があるのです。盗癖があるのですよ」

「いいや、そうじゃない。盗癖のある子供が実在するのではない。
それは愛情の欠乏なのだ。お父様やお母様の愛が行き届いていないのだ。
あなたの子供さんは御両親の愛に見放されていらっしゃるのだ」

「先生、それは確かにそうなのです。子供には実母がいないのです。
昨年病気で亡くなりまして、今継母に掛っているのです。この継母の愛情が少ないのです。
私はそれをやかましく言うのですが、家内は私の言うことを少しも実行してくれないのです」

「ちょっと待ちなさい、奥様が悪いのじゃないのですよ。あなたの責任ですよ。
あなた自身の心の影ですよ。あなた自身愛情が薄いのですよ。
継母なんてありゃしない。本当の親子ですよ。

谷口先生は渋柿と甘柿の例えでよく説いて下さるのですよ。
挿し木をすれば渋柿がそのまま甘柿になるように、
亡くなった実母がそのまま今の母として現われているのです。

あなたが第一奥様に感謝が足りないのです。
継母だから継子いじめするに違いない、とあなたが観ているのですよ。
この世界は観る人の心通り現れる世界ですから、あなたの案ずるように、みんな出て来るのです。

まずあなたの観方を変えることですよ。
家内よ、すまなかった、私の愛情が足らなかった、と思い切って奥様に謝ってごらんなさい。
そしてあなたの力であなたの家庭に温かい天国浄土を建設するのですよ」

と申上げたのです。


生長の家は、目前に現われて来るものは一切自分の責任であると悟る教えなのです。
誰が悪い、何が悪いと、あげつらう心がいけないのです。これでは救われない。
一切を自分の責任として反省する時、本来完全な実相が出て来るのです。

この男の方もここを悟られたのですね。
ハラハラと泣かれたのですが、それで全てが解決したのです。

悪い子供は本来なかったのです。
根性悪い継母も本来なかったのです。

今では大変幸福に過していらっしゃいます。


・・・・・

第8編  私の信仰と体験

《入信まで》

私は2歳の時に激しい夏むし(子供の頭部に出来るおでき)を患ったらしい。
昼も夜も泣き続ける私を見かねて、父は母の反対を振り切って外科の手術を受けさせたそうである。

そのために私は頭部に二ヶ所大きな創痕(きずあと)を残して、
少年時代を激しい劣等感にさいなまれた。
小学生時代、友達にいじめられて帰ってくると、母はよく私を抱きしめて、
「かわいそうに、お父さんさえ手術させなかったら、こんなに恥ずかしい思いをしなくて済んだのに」
といって私を慰めてくれました。

そうした母の言葉が、知らず知らずのうちに、
私を父のコンプレックスに追い込んでしまったようである。
 
私が青年時代に、生長の家の真理に真直ぐ共鳴し得たのは、
この苦しい劣等意識から解放せられたかったからである。

「人間神の子」の宣言は慈雨のように私の魂に降りそそいで、
人生に対する大きな自信と、父に対する素直な愛情を取り戻す事が出来たのである。


私は昭和15年に入信した。学校を出てからひどく胃腸を害して、慢性下痢と
裏急後重(りきゅうこうじゅう)(お腹がじぶって痛むこと)が約3年続いていた。

しかし、私は自分の病気より、末の妹の十徳の結核に悩んでいた。
妹は医学的に既に絶望状態にあって、母は毎日目を泣きはらしていた。
伝染の危険から入院させるようすすめられても、母は頑強に反対して譲らない。
二人の幼児を抱えた家内は、子供のためにも隔離して欲しいと迫る。

            ・・・

《恐怖なければ病気なし》

伝染に対する恐怖と、嫁姑の軋轢(あきれつ)の中で、私は窒息しそうな日々を送っていた。
そんなある日、たまたま私の店に買い物に来れてた長井運男という医師から、
『いのちのゆには』『吾が心の王国』という2冊のパンフレットを頂いたのである。

この2冊のパンフレットは、私の心に希望と悦びを与えてくれた。
引続いて私は『生命の實相』を拝読した。
読むに連れて私の感動は高まり、私の歪んだ人生観が革命されました。


「病気は無い。黴菌は無い。結核は無い」 

何と言う大胆な宣言であろうか。
「恐怖なき者には不幸は決して近付かず」──私は次第に楽天的になり、
不安恐怖の念は次第に薄れて行った。

 
当時出版せられて板『生命の實相』全15巻を私は妹の枕元で昼も夜も熟読し続けた。
こうして数ヶ月経過する間に奇跡を現し始めたのである。

妹の心の中に何か大きな感激の渦が巻き起っているということに気付いてはいたが、
やがて肉体的にもその激しい苦痛が次第に緩和し始めて、あれほどひどかった咳や痰も
次第に回数を減じ、食欲は日に日に増加し、体力の充実が目に見えて感じられるようになった。

「治癒するかもしれない、否、治癒するに決まっている。
今、神の癒やしが厳粛に行われつつあるのではないか」

『生命の實相』第4巻)(頭注版・携帯版の第8巻)に示された方法で
私達は神想観を繰返し、繰返し実行させて頂いた。

目を閉じれば輝く太陽の如きものが、妹の全身を包むような法悦を感ずる。
長い間否定し続けてきた神の実在が理屈なしで頷(うなず)ける。

嬉しい、有難い、なんとも形容の出来なぬ悦びの感情が、
暗かった家庭の表情を僅かの期間に変えてしまったのである。

そんなある日、私は伏見の稲荷神社に参拝した。
そして山の中腹にある伏見神社の社前で跪(ひざまず)いていた時だった。
一羽の白鳩が、祭壇の上にこぼれていた豌豆(えんどう)を食べるのを見た。
鳩は5粒も食べた。私はその時ふと感じた。

「この鳩は、この固い生の豆を丸のみしても胃病を起さないではないか。
それなのに、私は御飯をわざわざ柔かく炊いて、その上ドロドロになるまで噛んで食っている。
それなのに消化不良で痛みや下痢が起るのは、何故だろう。

鳩の胃も、私の胃も、どこに変りがあろう。
──恐怖心だ。私が食事をする時に恐怖し過ぎるからである。恐怖がなければ病気は無いのである」

私はその時、僅かながら悟った。
小さな悟りであったが、一つのいわゆる良識を超えたのである。
何か胸の中につかえていたものがスカーッと降りたような感じだった。

私は帰宅して早速その晩、スキヤキで夕飯を腹一杯食べた。
そして、不思議にも私の慢性下痢と腹痛はそれきり消滅してしまったのである。

この体験は私に大きな自信を与えてくれた。
私はもう、妹の病気を怖れなくなった。
それは昭和15年の終りであったと思う。入信6ヶ月目のことである。

ある日私は妹にこう言った。

「人間は神の子だね。神の子には病気は無いのだね」

「ハイ、それでは今日限り病人を廃業します」

妹は実に素直に私の忠告に従った。

考えてみると随分乱暴な話であり、また行為でもあった。
これが実相直視である。と後になって気が付いたが、その時には言っている私にも解からない。

ただその強い言葉が自然に出て来たと言っても良い。
この言葉は病人を指導する際にしばしば発することがあるが、素直に実行する人は極めて少ない。

大抵の人は恐いのである。
何かに縋りついていないと生きていけないように怖れているのである。

聖経の中に“恐怖なき者には不幸は決して近づかず”とはっきり示させているが、
まことに無恐怖こそ人生の勝利の源である。

私の妹はこの時、「ハイ」によって肉体人間の意識から神の子人間の意識に飛躍したのである。
まもなく健康を回復して、本人の希望により大和郡山の市役所に奉職し、溌剌とした生活の中に
娘らしい幸福を満喫して一日も休むことなく勤めた。

それは約2年続いた。私は妹の体験を通して、生長の家の真理の偉大さに仰天した。

当時私は結核療養所の松籟(しょうらい)荘に薬品を納入していた。
私はその病室を回って妹の体験を話し、「人間神の子、病気なし」の真理の宣布に夢中になった。
そして沢山の患者がこのみ教えに触れ、社会に復帰してくれたのである。

               ・・・

《妹の昇天》

しかし定められた寿命であったのだろう、この元気な妹もやがて神に召される日が来た。
妹は再び病床に倒れたのである。最初は風邪だと思っていたのが、次第に重くなっていった。

「富美ちゃん、神の子が病気をするのはおかしいな。病気なんて無いいんだよ」

私が冗談のように言うと、

「今度は駄目なの。私には判っているんです。
前の時ね、私、友達と2人で標本を担いで歩いていたんです。
向こうに綺麗なお寺があって、美しい砂利が一面に敷き詰められていました。

途中に黒い法衣のお坊さんが一人、箒を持って掃いていました。
私達を見るとそのお坊さん近づいて来て、
『あなたはまだ3年早い。3年したら入れて上げる』と言って、
友達の手を取ってスッーと行ってしまったのです。

『私も一緒に連れて行って下さい』と叫んだのですが、自分の声で気が付いて目覚めたのです。
それから私の病気はずんずん良くなったのです。

考えてみると、私が神様の愛によって3年間生かして頂いたのです。
私は自分の体験から、病気は無いことが判ります。
でも今度は駄目なんです。ちょうど3年目です。今度は助からないでしょう」

こう言って妹は、はじめて3年前の夢の話を打ち明けてくれた。
そしてその予告通り、ついに安らかに昇天した。
昭和18年12月20日の朝であった。

こうして愛する妹は亡くなったが、私の心には信仰に対する感動がいよいよ深く高まって行った。
この妹の体験が、どれほど私の信仰に役立ち、人類光明化に貢献しているか、
はかり知ることが出来ない。

           ・・・

《「ハイ」は天国をつくる》

ところで私には入信以来もう一つの大きな悩みがあった。
それは妹の入院問題から俄かにこじれて来た母と家内の大きな感情的な溝であった。
それは妹の死と共に一時消滅したかのように見えていたが、日が経つにつれて精神的葛藤が再発し、
不愉快な日が続く。

ある時私は平野先生に相談した。

「私は極力二人を調和させようと思っているんですが、
二人とも強情で私の言うことを聞かんのですよ」

「聞かせるんじゃない。あなたは聞かせて頂いたらよい」
 
こう言って平野先生はお笑いになった。

私にはわかっているようなのだが、もう一つ納得できない。

ある時、谷口雅春先生の御講演会場に家内と二人で行った。
そして“嫁・姑”の話を聞くと家内は早速、「今日の話、お姑(かあ)さんに聞いて貰ったらなぁ」
と言って溜息を吐く……こうした不愉快な日常生活の中で、私の信仰は遅々として進まなかった。

そんな時、名古屋から本部講師の村瀬広一郎先生が奈良に見えられて、
魚倉という魚屋さんの座敷で誌友会が開かれたことがあった。

夜も丁度10時少し前位になって先生は、

「もう10時ですから、私の話はこれで終えますが、折角名古屋から来たのですから、
皆様に是非幸福になってもらわなければなりません。それで私の言う通りに実行してみて下さい。

谷口先生はね、とっても素敵な方ですから、食事の時にも、女中さんが
『先生、お食事の支度が出来ました』とおっしゃると、
その言葉の終るか終らぬ内に『ハイ』と言ってお立ちになるそうですよ。

打てば響くような『ハイ』、それが生長の家です。
皆様は今日から難しい真理はともかくとして、先生のように、
夫の言うこと、両親の言うこと、子供の言うことを素直に『ハイ』と聞かせていただいきましょうね」
 
と諭された。私は村瀬先生の話にいたく感動した。

〈そうか、私は家内の言うことも、両親の言うことも、何一つ素直に「ハイ」を行じていなかった。
よし、一番、明日からこの素直の「ハイ」を行じてみよう〉

家に帰って私は、忘れぬように黒板に「ハイと素直に第一日」と書いて寝(やす)んだ。

翌日は丁度日曜日だった。
私は店に出て、〈もし誰かが声を掛けたら、素直に「ハイ」だぞ〉と思って待っていた。

すると家内が、
「おとうさま、御飯ですよ」と声を掛けた。早速

「ハイ」と大きな返事をしてお膳の前に坐ると、まだ何も出ていない。
よほど空腹だったのかと間違われて大笑い──。
まあ、こうして10日ばかり続けた時、私は驚くべき事実を発見した。

それは、家内が何時の間にか母親の言うことを「ハイ」と言って素直に聞いているのである。
私はその時初めて、一切万事は皆吾より出て吾に還るという真理を体得したのであった。

こうして私の家庭は和やかな天国となり、それ以来子供も孫も誰一人病気をする者なく、
数限りない無限供給を頂くようになったのである。

              ・・・

《深心これ菩薩の浄土》

妹の死の翌年、私の父は中風で半年ほど床に就いてしまった。
中風というのは手足が痺れるばかりではなく、内臓各器官も痺れることがあるらしい。

そのため大便が秘結して一週間も10日も排便しないのである。
するとお腹が張って苦しいので、下剤を請求する。
そして、普通の量では効果がないので、極量の2倍も3倍も飲む。

そのため今度は何日も下痢が続いて、蒲団も毛布も大便まみれに汚してしまう。
それで下剤を取り上げると、ひどく腹を立てて無理ばかりを言うのである。

母は出征している弟の留守宅に行きっぱなしで、手不足の上、こちらは商売が忙しいので、
私も家内も父の看護に十分手が届かない。

それである時、父は不自由な身体で日本刀を掴んで、
「巳代次、お前は薄情な奴やな」と泣いたのである。

その一言は私の胸にきつくこたえた。
私はその時、自分は親不孝をしているな、と気が付いた。
忘れていた生長の家のみ教えが強く私の心の中に甦って来た。

「ああ、私は谷口先生の御教えに救われ、少しは人間らしい心を取り戻したと
思いあがっていたが、何と言う親不孝者であったのか。赦して下さい。
私はどんなことがあろうと、今こそ父を救わなければならない」

私はその時、本当にそう思った。
私の心に愛が目覚めたのだ。
そのことがあって以来、父はすっかり和やかになり、立腹することが皆無になった。
下剤の服用もきっぱりと止めてしまった。

「お父様、下剤は?」と言うと、
「もう薬はいらん」と言って笑っている。

不思議にそれ以来、父の便通は良くなり、間もなく麻痺した手足に血が通い始め、
発病以来7ヶ月目に歩行できるまでに回復してくれた。

まことに「維摩経」にある通り、「深心(しんじん)はこれ菩薩の浄土なり」であった。

(ここまで、第1章「よろこび合う生活のために」)

「幸せは今ここに」〜その4 (12)
日時:2016年04月07日 (木) 20時34分
名前:伝統

第2章  祈り合う生活のために

第1編  あなたはこうして繁栄できる

《その店はなぜ流行ったか》

ある時、本部講師の岩崎時久先生が、奈良県の教化部で、次のようなお話をせられました。

「出雲に大変良く流行る呉服屋さんがあるんですよ。
いつでもお客さんがワンサと押しかけていらっしゃる。
あまり素晴らしいので一度お茶を頂きながらその理由を御夫妻にお聞かせ頂いたんです。

『どうしてあなたのお店では、こんなに流行るんでしょうね。
私はいつも不思議に思っているのですが、何かコツがあるんでしょう? 
私は生長の家の講師として方々に参りますが、参考にしてまた教えてあげたいと思うんですよ……』

すると御夫婦はお笑いになって、

『実は家内がちょっとまじないをやっているんですよ』 と、こうおっしゃるんです。

『まじないって、どんなことです。教えてください』

『それはですね、もうかれこれ10年にもなりますかね……。
家内が毎朝4時頃、お便所に行きましてね。

そのついでに、ちょっと表の戸を開けまして、

“まあ七福神様、お早うございます。大変、お待たせ致しました。どうぞお家にお入り下さい”と、

福の神様が七人も家の前に立っている姿を心に描きましてね。
挨拶をすませてから、もう一度寝みよるんですよ』

と、おっしゃったんです。私は、なるほどと感心したことでした……」

            ・・・

《よいことはすぐ実行しよう》

生長の家では心に夢を描けと、いつも伺っていますが、
この御夫婦のやっていらっしゃることが、繁栄の道にかなっている
と思って面白く伺わせて頂いたのです。

それから私は家に帰りまして、早速家内にその話を致しました。
すると家内はさすがに生長の家の白鳩会員ですから、

「お父さん、それは良いですね。そんな簡単なことで商売が良くなってゆくのなら、
私も明日から4時に起きて、戸をそっと開けて、七福神さまを御招待致しますわ」
 
と申しまして、大変に共鳴してくれたんです。


私の近所に私の家内の弟と妹が住んでいます。
私の家内は9人兄弟の一番長女ですが、これが又人の世話をすることが大好きなんです。
大体同じ姉妹でも姉娘というものは総体に世話好きに出来ています。
これは小さい時から弟や妹の世話をすることに慣れていますから、自然にそうなっちゃうんです。

ところが姉妹でも末の方になると、そうはゆかない。
小さい時から世話をしてもらうことばっかりで大きくなっているのですから、
そんなことは気が付かんことが多いのです。

               ・・・

《素直な心の人は得をする》

さて話は少し外(そ)れましたが、とにかく、私の家内は世話好きですから、
生長の家の話でも一人で仕舞っておく気になれない。
それで早速電気屋をしている弟の店に参りまして、岩崎先生から聞いたあのお話をしてやったんです。

この義弟は、戦後私の家内を頼って市内に開業致しましたが、
この嫁がまた非常に社交家で人をそらさないのですね。
それで家内の話を聞くと、すかさず、
「姉さん、それ、良いですね。私も早速明日からそれを実行させてもらいますわ」 と言ったそうです。

こういう素直さというのは、なかなか素晴らしいですね。

兎に角やってもやらなくても、他人に好意を素直に受けて、
打てば響くように共鳴せられる態度はやはり繁栄に繋がっていると思うのです。

                ・・・

《ここが運命の分かれ道》

他に、もう一軒家内の妹がおります。この主人は官吏をやっているんです。
町の賑やかな通りに面しているものですから、何年か前に子供が生まれましてから、
子供の小遣いにでもなったら、と考えまして、小さな文房具屋をやり始めたのです。

大体商売するのに、子供の小遣いにでもなったら、という考えがありますために、
商売もつい消極的になって弟の店と殆ど同じ条件にありながら、
あまり発展して行かないのであります。


私達は何をするにもまず目的を明確にしなければなりませんね。
世の中には随分、この《でも》の商売をしていらっしゃる人があります。
家賃の足しに《でも》なったら、とか、せめて教育費の一部に《でも》なったら、とか。

こんな根性をまず止めることですね。たとえ街頭の屋台店にしても、
吾これによって生くるなりという気魄があれば、
そこから運命というものは必ず開けてまいります。

さて、この家内の妹夫婦は私達夫婦が仲人を致しまして、つい目と鼻の先に店を開いています。
従って弟の家と同様に深い交際をしていますので、早速この方へも
岩崎先生のお話を伝えさせて頂いたんです。ところが妹の方は、皆まで聞かずに

「姉さん、それはその人に運があるんですよ。
私達のような者は、いくら“七福神さま”とやったって、商売がしれているから駄目ですよ」と、
言ったそうです。

                   ・・・

《ものは取りよう考えよう》

同じ話を聞いていても色々の聞き方があるものです。
これは運ということを口実にしていますが本当は素直じゃないんです。

人間はよく運と言うことを口にします。
うまく行かないと皆運のせいにしてしまいます。

勿論世の中には何でも都合良くゆくひととそうでない人がいらっしゃいます。
しかしその原因を仔細に調べてみれば、成功する人にはそれだけの信念もあれば努力も
していらっしゃいます。

 
あの日本一の松下幸之助翁ですが、あの人の『みんなで考えよう』という本の中に、
あの方が、まだ17歳で工夫をやって築港から舟で向島に通勤していらっしゃった
時のことが書いてあります。

その時この松下さんは船員の落度からある日海の中に放り出された。
その時は松下さん一人海に落ちたんですが、幸い直ぐ助け上げられたんだそうです。

普通なら「馬鹿にしやがって……俺一人が海に落ちるなんて」と腹を立てるんですが、
松下さんは反対に、俺は運の良い男だなあ、水泳を知らぬ俺が、良くも死ななかった。
俺には何か素晴らしいものがついとるぞ、と思ったと書いてあります。

どんな悪い運命と見える中でも自己を祝福する松下さんの心境が、
今日の成功に繋がっていると思うのです。

                  ・・・

《ものごとはよい方に考えよう》

いつでしたか、岸和田の横谷徳春講師から伺ったことですが、
この方は奈良県吉野郡川上村の出身で、叔父さんか誰かが、
その川上村に今いらっしゃるそうです。

ところがこの叔父さんが数年前に株か何かで大失敗してしまった。
そのため先祖代々の山も家も屋敷も悉く人手に渡さなければならない運命に逢着したといいます。

その時にまた因果なことに、その叔父さんの宅に初孫が誕生したそうです。
オギァオギァと泣くその顔を見ながら、叔父さんはため息をついて、何と因果な奴だどう。

世が世であればどんなに立派にして貰えるものを、あれも売らんならん、これも売らんならん、
という最悪の時に生れて来るとは、ああこの生れて来る子供には罪は無いのじゃが、
何とかこの子にも人並みな祝福をしてやれないものかと、つくづくその顔を眺めていらっしゃったのです。

しかしその時に叔父さんが考えたんです。

「……どうせ俺の家は何もかも無くなるのだから、今誕生したこの子にだけは祖父として、
例え粗末なものであっても産着の一つも買ってやろう。乳母車でも買うてやろう。
おもちゃの一つも買うてやろう。ついでに名前も幸太郎(買うたろう)だ」

と決めちゃったんです。

ところが幸太郎君の誕生とともに、横谷さんの叔父さんの運命は次々に良くなっていって、
今は立派にやっていらっしゃるそうであります。
幸太郎(買うたろう)の効果は誠に素晴らしいものであった。

                  ・・・

《運とは何でしょう》

まず汝自身自信を祝福せよ、と『生命の實相』の中に書かれています。
最悪の事態に遭遇すればするほど祝福を忘れてはならないのです。

世の中には最近の物価の上昇を見て、あれも上がった、これも高くなった、
とこぼしてばかりいらっしゃる人があります。
物価が上るというのはそれだけの購買力があるという証拠なのです。

町を歩いていても、品物の価格を見て、
びっくりして腰を抜かすような尻の穴の小さな考え方は止めましょう。


横谷さんの叔父さんじゃないが、胸を張って、よし、あれも来年買うたろう。
これも明後年買うたろう、と思えませんか。思うだけだったら誰だってできるでしょう。
この思いがあなた達の明日の運命をつくり、明後日の運命をつくるのであります。

 
運命とは「命を運ぶ」と書きます。
命とは命令のことです。

お前は幸福なり、健康なり、完全なり、こうした命令を
自分に絶え間なく発する人は幸福を必ず会得せられる人になるのです。

                   ・・・

《これは危ない》

私は先年岐阜県教化部に寄せて頂きました。
その時Uさんという奈良県の方が私を招待して下さったのであります。

この方は何年か前に人生に希望を失い、自殺の寸前にまで追い込まれたのでしたが、
幸いに『生命の實相』の取次をさせて頂いたのが御縁となって、
その時には岐阜で相当な生活をしていらっしゃったのであります。

私は御夫婦に「熱心に生長の家の信仰を続けていらっしゃいますか」と伺うと、

「いや、最近はちょっと教えから離れています。どうも商売をやっていると、
教えだけではいけない点が沢山ございまして、悪いことですが勝手なことをやっています」
 
とおっしゃるのです。

「どうして教えだけではいけないのでしょうか」

「それが私達の仕事は預かった材料で製品を調整して納品するのですが、
僅かな加工費ではとても儲からないのです。それで優秀な裁断師を置いて、
2着分でも3着分でもその材料を残しましてそれで収入を上げるんです。
こんなことは生長の家の真理から言って、いけない事なんですが、
これをやらないと私達の経営は成り立たないのです」

                   ・・・

《わずか一本のサービスが》

私はこれを伺って、これはいけないなあと感じたのです。
教えが生活に完全にマッチしていないと、
どんなに繁栄していましてもいつかは亡びると思うのです。

私はその時、阿倍野道場の元本部講師をしていらっしゃった
吉田長祥先生のことを思い出したのです。

この先生は終戦前本職の硫黄の外に福井で人絹織物の工場を経営していられたそうです。
先生は若い時からクリスチャンであって、しかも生長の家の信仰を持っていらっしゃいますから、
工場を始められた時にもその信仰を実際の生活の上に生かしたいと考えられたのです。

だいたい織物というものは縦糸と横糸をもって織ってゆくのですが、製品には規格があって、
縦糸何本、横糸何本、出来あがった製品の目方が幾ら、という風に決っているそうです。
ところが業者の中にはその糸の数を何本か減らしまして、それで製品を造っちゃうんです。

規格に合格すれば、まあそれだけ糸が儲かるわけです。しかし人間はすぐ欲が出まして、やっている間に、段々抜く糸の数を増やしていくから終いには規格に合格しなくなる。すると煙草なんか持って行って役員さんを買収して規格の判を押しちゃうんだそうですけれども、無理に規格を通した製品では、市場が価値を認めなくなるのです。

ところが吉田先生は、自分は宗教家だから、何か一つ客にサービスしなければならないと考えられた。
もちろん、企業ですから過剰なサービスによって経営が成り立たなくすることはいけないでしょう。

そこで先生は一本の経糸を織物の上に奉仕しようと決心されました。
ところがこの僅か一本プラスせられた製品と規格すれすれの製品では、
市場に出てくると全く違うのですね。

吉田の製品に間違いはない、という信用が、いつの間にか業者の間に確立せられまして、
他社の製品よりも常に高く評価せられ、終戦まで随分儲けられたんだそうです。

リコーの市村さんは「儲ける経営より儲かる経営」ということを書いていらっしゃいますが、
吉田先生は正にその好敵例だと思うのです。

                       ・・・

《拝む心が栄える心》

儲けるという字は「信者と」書くとは荒井先生のお言葉ですが、
本当に何するにも信用が第一です。

私はUさんが世間の良識に便乗して、折角の真理を知りながら、
それを生活に生きていらっしゃらないことを残念に思ったのです。

ところが本年の正月突然Uさんの倒産を聞かされまして
私はどんな時にも真理から離れてはいけないとしみじみ感じました。

事業をやるにも製品を造るにも、百姓をするにも菩薩としての道を忘れてはならない。

私の方のアヤメ池に中山皓男さんという誌友がいらっしゃいます。
岐阜の後藤先生の処で生長の家の真理を養鶏の技術を体得せられて、
今独立していらっしゃいますが、毎晩鶏舎を廻って鶏一羽ずつにお休みの挨拶をしていらっしゃる。

これはたいしたことですね。 

鶏の生命を拝んでいらっしゃるのです。

餌箱何かも綺麗に毎日掃除しまして、本当に気持ちの良い環境を造ることに励んでいらっしゃる。

 
今はどうしていらっしゃるか知りませんが山城の堀芳次郎さんの茄子やキュウリに肥をやるのに、
一本一本に、「まあ一杯おあがり、まあ一杯お上がり」と話しかけていらっしゃるのを聞いて、
信仰もここまで徹底すれば、増産間違いなしと感じたですね。

 
作物も動物も心眼を開いてみれば悉く仏であり兄弟であるわけです。
狗子(くし)に仏性ありや、と『無門関』にありますが、茄子に仏性ありや否や、です。

あらゆる森羅万象悉く仏なる生命を礼拝すれば富自ずから集まるのであります。

・・・

第2編  繁栄の道

《感謝の心を持てばここ浄土に》

五条市須江町にお住まいの中篤子さんは、ある朝重大なショックを受けました。
大阪の高校に通っているお嬢さんですが、列車の中で大変な中傷を聞いてしまったのです。

その朝は非常に混雑しておったそうですが、一人の見知らぬ娘さんが友達5、6人に向って、

「あの駅前の松屋という洋服店は、もう行くものではないわ、仕立は下手だし、
値段は高いし、愛想は悪いし、私はあそこで服を作ってもらって、えらい目に遭ったわ、
皆も決して松屋で品物を買っては駄目よ」
 
と大きな声でしゃべっているのでした。

車中の人がみんな一度に自分を注目しているように思えて、
篤子さんは恥ずかしさと、悔しさで、お腹が張り裂けるような気持で一杯になりました。

篤子さんは次の駅から急いで引き返して来て、お母様にその様子を話されたのです。

「お前、その子の顔を覚えてないの」

「全然知らぬ人やわ」

「きっと誰かに言わされて中傷しているんやわ、
どんな事をしても探し出して、吊るし上げにしてやらなければ気がすまない」
 
中さんは悔しくて悔しくて、その時にもう生長の家の真理の話なんかすっかり忘れてしまいました。

「それで近頃店が閑になった原因が判ったわ。
同業者が私の店を潰そうと思って中傷してるに決まっている。負けるものか。
どんな娘さんか、必ず見つけ出して、もう二度とそんなことを口に出来んようにしてやるわ」
 
中さんは本気でそう思ったんです。

なにしろスーパーや大型店の進出で神経質になっていた矢先ですから、
中さんの理性が働かなくなっていたのは当然のことなのです。

こうして不愉快な数日が過ぎまして、中さんの心に多少の余裕が出て来た時に、
生長の家の教義が甦ってまいりました。

「待て待て、私はとんでもない思い違いをしていたようだ。
“眼の前に現われて来る現象は全て吾が心の影”と教えられているが、
何故その娘さんがわざわざ私の子供の前で悪口を聞かせたのでしょう。
これは単なる偶然ではないはずだ。

観世音菩薩は三十三身に身を変じて衆生を済度し給うと聞かせてもらっているが、
その娘さんはあるいは観世音菩薩の示現であるかも知れない。
いやきっとそうに違いない。

近頃私達が売上の減少したのに逆上して、価格を釣り上げ、
出来るだけ自分が儲かるような方針で、客の立場で本当に考えていたであろうか。
開店当初のサービス第一のモットーが何時の間にかに儲け第一の我利我利主義に陥っている。

その心を改めさせるために、わざわざ根性悪の娘さんの姿になって現われて下さったのに違いない。
誰が好んで他人の悪口なんか言ってくれるものか。反省、反省、反省しなきゃ……」


ここに魂の転換があるのです。
仏教ではこれを廻向(えこう)と言います。
夜叉の心から、仏の心にクルリと振向いたのです。

親鸞聖人が“誠に恨みの心を以てしては恨みを解くことは出来ない。恨み無き心をもってせよ”
と教えていますが、感謝の心に変れば既にそこが浄土であり極楽であり、繁栄の道なのです。


中さんは早速店の方針を客第一主義に切り換えました。
価格も他のどの店にも負けないように思い切って値引きしました。

こうして気長に努力を重ねている間に、顔を見せなかった客や新規の人が
次々と御注文せられるようになり、1年後には6割から7割の増収をして、
店の面目も一新、順調に繁栄への道を歩んでおられるのであります。

その感謝の意を込めて匿名で教化部に立派なピアノを御寄附下さいましたのですが、
心中厚く御礼申し上げたいと存じます。

                  ・・・

《繁栄と成功の原則6ヶ条》

ところで最近アメリカのD・カーネギー夫人の著書を読みましたら
繁栄と成功の原則を6カ条取り上げ書いていました。
なかなか素晴らしい真理の言葉ですから、ちょっと御紹介させて頂きましょう。

(1)第1に、自分の事業や仕事がどういう意義を持っているかについて、
   出来るだけ多くのことを勉強しなさい。

   単に惰性で働いているというのでは、仕事に喜びが感じられないでしょう。
   従ってそこには進歩も向上もなく、遂には社会の落伍者となるのが落ちです。

   成功する人はそれ相応の研鑽と努力の賜として今日の繁栄を獲得しているのであります。

(2)第2は、仕事には必ず目標を定めて、不断にそれを追求してゆかなければなりません。

   何を目標にして働いているか、その目標のはっきりしている人は、
   途中で挫折したり、失望したりすることに遭いません。

   少し位失敗が重なっても、未来の希望が大きければ大きいほど、
   その希望に向って前進していく悦びもまた大きいのです。

(3)第3に必要なことは、毎日必ず自己を激励し祝福する言葉をかけることです。

   世界一の大奇術家ハワード・サーストンは「私は見物衆が好きだ、私は見物衆が好きだ」と
   大声で叫びながら自分の部屋の中を何十回も歩き廻り、
   身体中の血が熱くなるまで繰返したそうです。

   私達はただ何となく目を覚まし、何となく飯を食い、何となく仕事にかかる、という
   うたたねの状態ではならないのです。

   それを打ち破るためには毎朝仕事にかかる前に大声で、

   「私は仕事を愛します。私は常に神様の祝福を受け、生かされていることに感謝し、
   世のため人のために元気で働かせて頂きます」と唱えることです。

   もしもこのことを1年間休みなく続けられるなら、
   あなたは素晴しく健康で幸福に恵まれるでしょう。

    フランスの薬剤師クーエは、毎朝夕、20回ずつ、まだ意識のはっきりしない時に、
   “良いことが来る、良いことが来る”と唱える習慣をつけるなら、必ず幸福になる、
   と発表して、これが“クーエの暗示法”として世界的に有名になりました。
   こんな簡単なことでも、実行すれば、必ず良い結果を生み出すものです。

(4)第4は、他人の世話を喜んでする習慣をつけることです。

   自分本位の考えから、自分の生活だけを護る利己主義的な生き方は、
   一時的には成功しても、長い将来には失敗することになります。

   社会奉仕や生長の家の教化活動に奉仕することによって、
   自分の事業が飛躍的に発展している例は数限りなくあります。

   私達を躓かせるために足を突出している人々を周囲に持つよりも、
   私達に援助の手を差し伸べている人々を周囲に持つことは、
   どれほど幸福なことかわかりません。

   それには、あなたが好んで人の世話を出来る人間になることです。

(5)第5は、仕事に熱心な人々と交際し、不熱心な怠け者と交際をしてはいけません。

   人間は環境を支配しますが、また環境に支配されることも事実です。
   競輪やマージャンなどに凝る人と交際をしていると、
   自分もまたそんなものに興味を抱くようになりがちです。

   兎に角仕事に熱心に打ちこんでいる人と常に接していると、
   自分もまた仕事に熱意が生まれることは実行すればすぐわかります。

(6)最後に、初めは仕事に熱意が感じられなくとも、
   熱意あるように振舞っていれば、次第に熱意が出てまいります。

   このことをウィリアム・ジェイムズ教授は「あなたが或る感情を持ちたいと思う時には、
   あなたが既にその感情を持っているように振舞いなさい。振舞うことによって、
   その感情を引き起こすことになる。

   例えば、幸福になりたいと思う人は、幸福そうに振る舞えば幸福になるし、
   健康になりたい人は、既に健康であるかの如く振る舞えば健康になる」と教えています。

   このことは生長の家の真理を通して、皆様は先刻御承知のことだと思います。

この6つの原則は、繁栄と幸福に通ずる近道でありまして、
どの一ヶ条もゆるがせに出来ない重要な事だと思います。

                  ・・・

《運命を開いた奥田順子さん》

ところでこの6ヶ条を正確に実行し成功した人に、
奈良県吉野郡下市町の奥田順子さんがいらっしゃいます。

奥田さんは少女の頃から13年の長い歳月を、
脊椎カリエスという重篤な十字架を背負って病床にあった人なのです。
たしか32、3年頃だったと思います。

谷迫義雄さんのお家の誌友会でお母さんとお目に掛り、
順子さんが13年の長い闘病生活をなさっていることを知らされました。

私は今大阪にいらっしゃる竹田好子先生と共に何回もお宅へ伺って、
人間は神の子であり、病気は無いという真理を繰返し伝えさせて頂いたのです。

そうして順子さんは脊椎カリエスの7ヶ所の瘻孔から膿汁を流しながら、
激しい疼痛に歯を食いしばって堪え、神想観と聖経の読誦と感謝の愛行を
真剣に行じて頂いたのであります。

長い間眠っていた順子さんの生命力はそのひたぶるな信仰の力によって、
大自然の癒能力と一つになり、頑固な瘻孔は一個ずつ活動を休止し、
2年後には完全に全快せられることになりました。

 
その頃から順子さんは働きたいという激しい内部の衝動を抑えることが出来なかったのです。
自分の力で人生の道を切り開いて行きたい、それにはまず技術を習得することだ、と感じて、
ご両親にその希望を打ち明けられました。

こうして御両親の温かい御理解を受けて、順子さんは大阪の編物学校に入学せられたのです。

下市から学校まで2時間半以上電車に揺られる遠い遠い距離ですが、
どんなに寒くとも暑くとも順子さんは決して一日も休まなかったのです。
恐らく常人の何十倍かの努力を重ねられたのでしょうが、
遂に3年後立派に教師の資格を収得されました。

そうして御両親の御愛念から卒業の翌年吉野技芸学校を創立、
新しい子弟の教育に携わられることになりました。
順子さんは一方において生長の家の伝道の道場として学校を開放、積極的に奉仕され、
平素は百数十名の生徒を抱えて、教壇に立って教育に専念していらっしゃるのであります。

この女性がかって13年間病床にあって、不治を宣告せられて
暗黒の人生に沈んでいた女性であったとは誰も信じられない姿でしょう。
私は順子さんを見るたびに、青年の方々に申上げるのです。


「人間はやろうとすれば何でも出来るのだ。奥田順子さんのような十字架を背負った女性でも、
立派に運命を切り開いて成功していらっしゃるのですよ。

あなたも人間神の子の真理を身につけ、6つの繁栄の法則を正確に実行に移されるなら、
運命の女神は必ずあなたの上に微笑まれるでしょう」 (44・2)

・・・

第3編  “ダイマル”主義

《「七つなれよ」》

姫路に田中久子さんという大変素晴らしい地方講師がいらっしゃいます。
私は先年その道場に寄せて頂いたら、先生は一本の鉢の柘榴(ざくろ)の植木をお持ちになって、

「先生、これ7つ結実(みの)っているでしょう。
私は毎日水をやる毎に、生長の家は7つが完成の数ですから、
7つ慣れよ、7つなれよ、と言って世話をさせて頂いていると、
沢山な花を付けた柘榴が、やがて私の憶(おも)い通り7つ結実(みの)ったんです。

人間って本当に素晴らしいですね。こんな植木でも毎日言葉に出して祈っていると、
その通りになるんですよ。でも今年一年では偶然ということも考えられますから、
来年もまた7つ結実させて先生にお目にかけましょうね」と言ってお笑いになりました。

 
そうして昨年再び姫路道場に寄せて頂いたんです。
すると田中さんは早速例の柘榴の植木鉢をお持ちになって

「先生、これ覚えていらっしゃいますか」

と聞かれるのです。私はもう一年にもなることですから、すっかり忘れていて、

「ハテ、何でしょうね」と聞き返すと、

「先生、私昨年お約束をしたでしょう。ごらんの通り立派に今年も7つ結実したでしょう。
私道場で毎朝水をやる度に、7つ結実(なれ)よ、7つなれよ、と言ってやるんです。

すると夫や他の誌友さんが皆お笑いになるんです。
“久子、去年はそりゃお前の言った通り7つ結実(みの)ったかも知れん、でも今年はね──”
とおっしゃって、本気になさらないのですよ。

勿論夫は、私がそんな大それたことを言って、もし万一言葉通りにならなかったら
私が恥をかくと心配して下さるのですが、私はそれよりも人間は何故最初から物を疑って掛るのか、
その点が不満なんです。

私達は神の子なんでしょう。
キリストは聖書の中で、もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあらば、
この山に彼処(かしこ)に行きて海に入れと言えば入らん、
とさえおっしゃっているではありませんか。

柘榴を7つ結実させることは実際にはつまらないことかも知れません。
でもこんなことにでも私という女子(おなご)は生命をかけているのです。
この実証を通して神の実在し給うということを全ての人に知ってもらいたいんです。

神の子がどんなに偉大で素晴らしいものであるかを私は具体的に見せてあげたいと思うのです。
愛と信念と善き言葉さえあれば、人間にとって不可能なことは無いという事実をですね」

私は田中さんの言葉にひどく感動させられました。
結実した7つの柘榴は、今後も何年か田中さんの手もとで
信仰の実証として実り続けることでしょう。

                ・・・

《“コマル”はない》   

もう何年か前に田中さんの部屋に大きなマルの画が墨か何かで書いてあった事があります。
私はこの大きなマルに戸惑って、

「田中さん、これ一体何の呪(まじない)ですか」

と伺うと、田中さんは笑いながら、

「世の中の人を見ていると、何でもかでもコマル、コマル、と言って
毎日小さなマルの中で生活していらっしゃる。
これは世間が狭くなって幸福なんかあるはずがない。

それで私を訪れて来る人は、コマルは無い、皆大マルや、デパートだって大丸は
繁昌しているじゃないか、と言って、この大きなマルを見せて得心させてあげるんですよ」

とおっしゃったのですが、なかなか面白い説法を聞かせて頂きました。

たしかに何が来ても困ることのない自由無碍の生命を自覚するところに
必勝の人生が開けて来るのではないでしょうか。

                 ・・・

《最終バス》

これもかれこれ10年余り昔のことになるでしょうか。
田中さんはある時誌友4、5人と姫路から北に50kmばかり離れた
農村の婦人会に出席されたことがありました。

会が果ててからしばらく個人指導に追われている間に、

「先生、終バスの時間に遅れますよ」

とせきたれられて慌てて会場を飛び出して、バスの停留所に来てみましたが、
一足違いで姫路行きの終バスは砂塵の中に消えて行ってしまいました。

当時は今と違いまして、交通は極めて不便で、
都市をはるかに離れたこの農村でハイヤーを求めることは到底不可能な時だったののです。

伴をしていらっしゃった誌友の奥様達は今にも泣き出しそうな顔で、暮れゆく夜空を見上げながら、
どうしようかとウロウロしていらっしゃる。恐らくお家で待っていらっしゃる
御主人やお子様のことを考えて、居ても立ってもいられない気持なんでしょうね。

 
気が付くと田中さんは一人で皆様から少し離れた道路の上にしゃがみこんで
熱心に何かを書いていらっしゃる。誌友の一人が傍に寄って行って、

「先生、一体そこで何を書いていらっしゃるのですの」

「読めば解かりますよ」

「バスは必ず来る、神さま有難うございます──先生こうなんですか」

「そうだよ、そう言って祈っているんですよ」

田中さんが大きくうなずくと、その奥さんは笑い出しました。

「先生、そりゃ駄目ですわよ」

「どうして」

「だって、先生がいくら神の子無限力でも、今行ったバスは最終なんでしょう。
だったらまさかもう一度戻って来てくれるわけでもないじゃありませんか」

こうおっしゃったんです。これが人間の良識というものなんです。

「創世記」で言えば、さかしい蛇の知恵に当るものです。
この知恵を握っている限り、私達はエデンの楽園に入ることは許されないのですね。
田中さんはその時こう答えられました。

「あなた達は、平素いろいろと生長の家の深い真理を聞かせて頂いておっても、
いざといえばやはり未だ現象の不完全な状態に心が引掛っちゃって、
自由自在の境遇に入ることが出来ないのですね。

実相の世界から観れば最終も最後もないじゃ無いじゃありませんか。
私達は姫路に帰ることが神の御心に適うならば、神さまはどんなことをしても
私達を姫路に帰して下さるでしょう。

私達はただ神の国の完全円満な状態を心に描いて、感謝して待てば良いのです。
最終バスだからもう来ないのである、と自分で勝手に決めてしまえば、
その決めた通りバスはもうやって来ないでしょう。

汝の信ずる如く汝にまで成れ、とキリストは教えています。
私にとって今最終も最後も脳裡にありません。
『バスは必ず来る。神さま、有難うございます』ただそれだけなんです。

神の国の理想が既に実現せる状態を心に描いて、
感謝して待てば後は神さまが必ず良いようにして下さる。
『法華経』の中に『衆生刧尽きて大火に焼くると観る時も吾が此土は安穏なり』と説かれています。

 
どんな困難とみえる現象でも神様の計り知れぬ愛念が働いていてくれるのです。

私は先程からあなた達がそこでいろいろ躁(さわ)いでいらっしゃる間に
100回も200回も既に祈らせて頂きました。私は信じています。バスは必ず来ます。
もう直ぐ迎えのバスがあの街道の向こうから砂煙をあげてやって来ますよ」

田中さんはそうおっしゃると立ち上がって右手を挙げ、山の端の街道のはずれを指差されました。
すると突然、その言葉の力に惹き付けられるように、神姫(しんき)バスの車体が、
山合いの街道から姿を現して走って来ました。


「いやもう、誌友の皆様が飛び上がって一斉に歓声を挙げましてね。
びっくりするやら喜ぶやらで一時はもう本当に大変なことだったんですよ。
偶然にしては余りに出来過ぎておりますものね。

しかし実を言えばこれは奇跡でも何でもなくて、後で車掌さんに伺ってみると、
その日の午後上の方に昇っていたバスが田圃の中に車輪をにえこませて、
それを引き上げに行ったバスが最終バスの後にたまたま戻って来たのに過ぎなかったのです。

でも考えてみると神様の御業というものは実に行届いていて素晴らしいものだと思いましてた。
あのことがあってから私達はお互いに“蛇の知恵”と言って戒め合うことにしているんです」

さすがに姫路道場を建立された方々の心境の高さに頭が下がります。

 
私達は谷口先生から常に実相を観よ、と教えられていながら、
何か事にぶつかればすぐ現象の不完全な状態に心が引っ掛かって行詰まってしまます。

そんな時田中さんじゃないが“吾れ神と偕にある”信念を常に心の底深く想い浮べて
事に処さなければなりません。

ついこの間のことですが、私もうっかりして、
御所(ごぜ)の山中で終電に乗り遅れてしまいました。
最初はちょっと困ったなあと思いましたが、田中さんのことを思い出して、

「そうだ困ることはないのだ、神さまが必ず良いようにして下さる」
 
と思い直して街道の出て祈らせて頂いたら、不思議にハイヤーにめぐり合って
無事帰宅させて頂いたことがありました。

小さな体験の集積ではありますが、教えを真剣に生きていらっしゃる神の子の一端を
御披露させて頂いて、私達の信仰を高めたいと存じます。   (40・12)

「幸せは今ここに」〜その5 (13)
日時:2016年04月08日 (金) 22時07分
名前:伝統

第4編  祈りが聞かれるためには

《神は法則である》

祈りが聞かれるためには、まず祈りの対象である神に対し、正しい理解がなければなりません。

何でもかでも神に泣きついてみて神の救い給うと考えるのは実に愚かなことですね。
神は個人の懇請に動かされて一時的にその法則を歪め給うはずはないのであります。


               ・・・

《成績の悪い子を入学させるには》

いつでしたか、或る人が自分の成績の悪い子供を上級学校に入学せしめるために
私に祈ってほしいと頼まれたことがあります。

成績不良の子供が万一私の祈りによってその落第を免れ、
反対に成績優良な子供が転落するというが如きことがあれば、
私はそんな神を信ずることは出来ない。恐らく皆様も同感でしょう。


祈りはその秩序を破壊することでなく、秩序に従うことです。
劣等性が劣等生であるままに入学することではなく、劣等性がまず優等生になることです。

そしてそれは劣等生本来なしという生長の家の自覚を持たしむることによって
可能となるのであります。

私達がぜひ皆様に知って頂きたいことは、神は劣等生を造らないということであります。
神は全能であり完全であるが故に、その造り給いたる全てのものも完全であるということです。

神は、未だかって一人の病人も、一人の不具合者も、一人の悪人も
造ってはいらっしゃらないのであります。

 
谷口先生は、濁り水も本来濁り水ではないとおっしゃっていらっしゃいます。

濁り水と見えるものも本当は美しい清水と土との因縁仮和合(いんねんけわごう)です。

水は水であり土は土であって、もともと濁り水という一つの物ではないのです。
それがたまたま一つであるかの如く見えている。

人間もまた本来の生命は仏性そのもの、神性そのものであります。
それは決して病むことなく、罪を犯すことなく、失敗するということもないのであります。
それは実に人間自らの迷いの仮の所産に過ぎないのですね。

 
昔から天に水なしという諺があります。
雨は天から降っているように見えても、天に一滴の水があるはずはないのであります。

あの水は地自らが水蒸気として立昇ったものが落ちてくるに過ぎないように、
罪ありとする人間自らの自己処罰が、あるいは病気となり不幸となりして、
輪廻転生しているに過ぎないのです。

この想念をどこかで断ち切らない限り、
人間の不幸はいつまでも続いて行くことになるのであります。


                 ・・・

《人間は罪悪深重の凡夫ではない》

人間を罪悪深重の凡夫だと見るのはその本質を知らぬ皮相な観察に過ぎないのです。
外から見れば一種の皮袋に過ぎない人間も、その内なるものを見れば、
素晴らしい神の叡智に生かされているのです。

仏教的に言えば仏心一如ということですね。そのまま一つだということです。

凡夫が悟って仏にしてもらうということではないのですよ。
悟っても悟らないでも始めっから仏なのです。菩薩なのです。
ただそれを本人が自覚していないだけなんです。ようするに知らんのですね。

 
キリストはその最後に、「神よ、彼等の罪を釈し給え、彼等は為すべき術を知らざるなり」と
お祈りになったですね。彼等は自分が菩薩であることを知らざるためにキリストを
殺(あや)めたのです。もし自分が菩薩だと知れば、たちどころに慈悲の権化となったでしょう。

 
もし皆様の持っている石がダイヤモンドだと知ったら、皆様が神の子と知ったら、
皆様はもう決して罪を犯すようなことをなさらないのです。

そこで私達は自分が肉身の菩薩であることを自覚し、その聖なる導きを忘れないために、
絶え間なく祈らなければならないのです。

それは“吾を憐れみ、吾を助け給い、吾を忘れ給うな”と祈ることでなく、
“吾にその善き叡智をそそぎ給い、吾れをして全力を尽くさしめ給え”と祈ることですね。


                   ・・・

《吉田先生は如何にして災害から立上ったか》

かって私は吉田長祥先生の体験を伺ったことがあります。
先生は昔大阪で相当な硫黄商をしていらっしゃったそうです。
たしか風水害の時だったそうです。

築港の先生の倉庫は一杯の硫黄を詰めたまま水浸しになってしまった。
一方港にいた先生の船は三艘とも激浪に流されてしまったというのです。
一朝にして先生の全財産は水中に没し去ってしまったのですね。

さすがに先生も、どうする手段もなく頭も胸も今にも潰れるほど痛んだそうです。

「ああ、長い間続いた吉田の家もこれで潰れるのか」
 
それはかって経験したことのない悲しみでした。
先生はひとり二階に上ってひたすら神に祈られたのです。
どうやって祈られたのかというと、

「神よ、私は今如何に処すべきかを知らないのです。しかし全能であり全てを知り給い、
吾等を限りなく愛し給う神よ、あなたは今私が何を為すべきか知り給うているのです。
私を試みに逢わすことなくその善き叡智によりて導き与え給え」

と合掌したのですね。すると突然どこからともなく、

「汝の失えるものを数えるな、今あるものに感謝せよ」

と聞えたというのです。素晴しい言葉ですね。

 
私達はとかく失ったものを勘定し過ぎるのです。
失われたものを勘定してみても、それは戻るものではないのです。
それは自分の悲しみを大きくするばかりですからね。

吉田先生はこの神示に触れた時に、そうだ自分にはなお愛する妻があり子供があるじゃないか、
住む家があるじゃないか、着る着物も、食べる米も、働く店員もあるじゃないか、と思ったのです。

すると心が冷静の落着いて来たといいます。
先生は階下に降りて来て皆さまにおっしゃったのです。

「心配するな、神さまがいらっしゃる。きっと良いことが来るよ」と。
 
そして懸命に働かれたのです。

やがて風が止んで水が引きました。
すると思いがけなく3杯の船が無事帰って来たというのです。
こうして吉田先生の破産は免れたと言います。

私達は常にかくの如く祈らなければなりません。   (27・11・1)



・・・


第5編  信念と努力

《たくましい気迫と生活力》

先日、頭部に禿があるために就職を悲観して自殺した青年があった。
世にも愚かな男性の悲劇である。

近頃は人間の意志が薄弱になって、命をかけてもやりとおそうとする気魄が薄くなった。

“成功は信念と努力の賜である”とはよく聞かれる言葉であるが、
環境に甘やかされているだけで人間完成は不可能である。

踏まれても、叩かれても伸びて行く雑草のように逞しい生活力を
現代の青年達はしっかり身につけてほしい。

 
先日、私は安藤守氏の『若き日の社長』という著書を読ませて頂いた。
現代日本経済のバックボーンを形成するこれら大実業家達の若き日の生活を理解することが、
輝かしき未来を担う青年達の良き参考となることを信じ、その一、二を簡単に紹介しよう。
機会があれば全文を是非熟読して頂きたい。


                  ・・・

《“逆境は発明の母”》

“世界のソニー”とまでいわれるソニーの創立者井深大(まさる)は、
三つの時に父に死別し母に連れ子されて再婚した不幸な人であった。

少年時代の彼は常に孤独で、母の婚家先で愛されずに、祖母のもとに逃げ帰ることが度々あって、
婚家先と実家とを行ったり来たりして、5度も小学校をかえている。

「僕の家はどこにもないの? 」

 大(まさる)はよくおばあちゃんに言ったものである。

婚家先に嫌われて、家を飛び出して、汽車の窓から走り行く風景を見やりながら、
目に一杯の涙を浮かべて、

「自分だけが頼りなんだ。母でさえも気兼ねしているんだもの」

とつぶやいた。

だが、この孤独は天才発明少年の大を今日に育て上げたのである。
彼は孤独の中で、独り考え、工夫し、夜遅くまで部屋に閉じこもり外部と遮断して、
ひたすら勉強に励んだのである。

彼は早大電機科に在学中にトーキーの録音方法を発明して、
発明学生として新聞に初めて騒がれたことがある。だがこれは一文にもならなかった。
しかしそのことが機縁で、PCLの映画会社に就職、月に100円のサラリーマンになった。

「発明って霊感なの? 」と友人から聞かれると、

「霊感じゃないよ、孤独のなせる業さ」

「孤独──? 」

「そうさ、寂しさや抵抗があって、本当のものが造れるんだよ。
発明だって、あるテーマーを考えるだろう。
いろいろいじったりしている内に、次第に本物に近づいて行く。

いわば論理の果てに真理があるのと同じだ。
インスピレーションというよりは、ものには順序があるからね。
発明だって、一つ一つ順序を追って本物に近づく研究だろうね」

「へえ、まるで哲学だね。論理を積み重ねて真理をね」

「そうさ、人生だって一つ一つ順を追って自分の夢を咲かせるだろう。
一攫千金は元も子も失ってしまうからね」

大は決して人生を急がない。
一歩一歩自分の夢に近づこうとしている。

28歳の時、彼はネオンサインを発明したが、戦争のために企業化するに至らなかった。
彼は日本光音から日本測定器と職場を変えて、終戦の時、会社の解散でクビになった。

「これは有難い、会社が解散だ」
 
大は混乱に陥っている世相を眺めながら、どこ吹く風かと妻に話した。

「どうしてですの、会社が潰れたというのに」

「まさに天の啓示さ、独り立ちしなさいという運命を、終戦という現実がもたらしてくれたからさ。
前から会社を創りたかったのだよ。今がそのチャンスなんだ」

こうして彼はドン底に喘ぎながら、
昭和25年テープレコーダーで今のソニーの基礎を造ったのである。

彼の部屋には、

“THINK”

という金属板が掛っている。

「考えよう」まことにソニーらしい言葉であり、
それが発明、成功につながる最大の道でもあるのである。

最も困難な時、彼は常に月を仰ぎながらつぶやく

「陽(ひ)が落ちれば月が登る、陽も月もない日がいつまでも続いてたまるか」と。


                 ・・・

《夢を描け》

石橋正二郎は有名なブリジストンタイヤの社長であり、日本ゴム業界の第一人者である。
彼は福岡県久留米の出で、18歳で父親の仕立屋を継いだ。
若い彼は何か物足りぬものがあったのであろう。

「単なる仕立屋では終りたくない。何とかして社会の進歩に役立つ事業をしたい」と
彼は腕組みをしながら考えてみる。もちろん、おいそれと名案は浮んで来ない。
とすると父親の仕立屋の経営の転換を計るより他にない。

「仕立屋の将来と足袋(たび)の将来と、どちらが世の役に立つだろうか」と考えあぐねた。
普通の人なら繁昌している父業を多角的に考えずに、黙って継いで、若旦那として
すましているだろうに、何かをひねり出そうとして、積極的になるほかには無いのだ。

若い魂がじっとしていられないのだ。

「仕立屋を止めて足袋専業に転換しよう」
 
これなら将来性があり、単なる仕立屋より、世のためになるに違いないと考えた。
だが果たせるかな足袋専業を宣言すると、番頭達は目を白黒させて、

「正二郎さん、足袋専業なんて、もっての外です。若い人の無謀は続きません。
足袋には久留目で飛ぶ鳥落とす勢いの『つちや足袋』や大阪の『福助足袋』東京の『鬼足袋』が
大資本と大販売網をもって、お互いにシノギを削っているのです。
とってもそんなものに、吾々のような小資本のものが太刀打ちできません」

皆がこぞって反対する中に、父だけが良いとも悪いとも言わない。
正二郎の気質を知っているだけに深い信頼を寄せていられたのだ。

こうして「しまや足袋」と命名して売り出した。
勿論たかの知れた小資本、売れるはずもないが、彼は自らその苦難の道を選んだのである。

その頃、足袋は9文から12文ぐらいあって、その文数によって全部値段が違っていた。
その上、紺足袋、白足袋、カナキン足袋、繻子(しゅす)足袋、木綿裏、ウル裏等があって、
更に1等品、2等品となると、百種以上の値段が付けられ、目録一枚書くのに、
1時間以上暇がかかる煩わしさであった。

彼は仕入れから製造販売に脇目も振らず飛び歩いた。
小僧と一緒に重い荷車を曳き、田舎道を足袋販売のために運んでいると、

「しまや足袋? 聞いたこともないね」
 
と小売屋の親父さんに、底意地の悪い目で、ジロリと見られる。

「はい、手前の足袋はまだ小資本で余り知られてはいませんが、製品だけは立派です。
どうぞ使ってみて下さい」とひるまず努力を重ねていったのである。

26歳の春、商用で上京した。
そして市電に乗った。とたんに彼は「ウーン」と唸った。

「そうか、市電は5銭均一、均一、均一、これだ。足袋の値段もこれでなければいかん」

彼は東京から帰ると、極秘裡に改訂の準備をはじめた。
各種各文、同一単価の均一値段にしようというのである。
千足でも一万足でもソロバン無しで、数秒にしてたちまち計算が出来ると思うと、

「ウフ……」と一人で口元に微笑が浮んで来る。
だが、やっぱり周囲の人々の大反対にあった。

「何十年来のしきたりを崩すとは、大それた考えですよ」

「そんなことをしたら、みんな大きな足袋ばかり買って、小文は買わんから、たちまち破産ですよ」

だが、正二郎はお客様に便利であれば良いからやるのだと、一歩も引かない。
かくしてそれから発売までの半年間、新製品をストックし、準備した。

遂に大正3年9月、石橋さんの「しまや足袋」本舗は、「アサヒ足袋」と銘打って
20銭均一の画期的販売を実施、一躍して一流の足袋業者にのしあがった。

足袋の均一制に成功した正二郎氏は更に一歩を進めて、
当時のワラジに着眼、ゴム底の足袋の研究に着手、昭和3年、地下足袋を完成、
月産40万足、海外にまで工場を造って発展を続けられたのである。

ワラジと地下足袋──結果からすれば、ごく何でもない着想だが、
この何でもないことを独創的に工夫するのが、真の実業家の目である。

ごくありふれた物が我々の目の前に何時もあるのだ。
しかも見えないのである。
偉大なる者は、それを見つけ出し、自分のものに消化してしまう。

 
氏は常に、

「人は考える、話す、行う動物である。一旦決心すれば直ちに不言実行に移す。
ハイスピードだ。時は金、時の短縮」

まことに生長の家の精神そのままに勇往邁進する氏の信念は素晴しい。

「若さと老いとを問わず、兄弟よ夢を描け」
 
と言われる谷口先生のお言葉を青年達はよくよう噛みしめてほしい。 (37・3)



・・・


第6編  祈りが実現する要件について

《(第1話)家が与えられた話》

学生時代、私は神の存在を信じなかった。
それでも大学進学に際にはひそかに合掌して、
“なにとぞ入学せしめ給え”と祈らざるを得なかった。

もちろん祈りは聞かれるはずもなく、私は1年浪人させられた。

今思えばまことに当然のことで、進学に対する努力が十分尽くされていなかったのである。
祈りは神に対する懇請や哀願ではないと知ってからの私は、
もう当時のような悲愴な祈りをやらない。

なぜなら正しい祈りは常に成就することを知らされたからである。

私は余り自分のために祈った経験は少ない。
いつも他の人にために祈らせて頂いているが、
ただ1度だけ自分の住宅のために祈ったことがある。

もう数十年も前であるが、誌友会会場や講師の宿泊などを一手に引き受けてくれていた
北中清吉氏が県外に転出され、後を引受けてくれる人がなかったので、
やむを得ず自宅を使って頂いた。

しかし店舗のこととて不便なので、家内と二人で“家が欲しい”と真剣に考えたものである。

そして毎夜神想観中、宿舎と講演会場を兼ねた住宅が与えられるよう祈った。

まず無限の智慧と愛と生命と供給に満ち満ちている状態を心に描き、
既にわが願いが神によって聞き届けられたことを信じ、感謝の祈りを捧げていたのである。

すると数ヵ月後に、妙なことが起って来た。
私の近所の人が土地の話を持ちこんできた。

話を伺うと、彼の仲介して売買の話がほとんど九分九厘進んでいたのが、
理由もなく流れてしまって、その夜彼の夢に私が交渉に行ったというのである。

まことに奇妙な話だが、場所も同じ町内であるし、閑静で
しかも値段がベラボウに廉(やす)いというので即座に購入した。

彼は今でも時々、

「先生は不思議な人だ。私の夢の中で交渉に来た」
 
と冗談を言うが、これは私の祈りが成就した典型的一例である。

この家は後に谷口雅春先生に泊って頂くという光栄な家となった。


                 ・・・

《(第2話)日展入選がきまっていた話》

つい先日、早朝神想観の後で郡山中学の先生をしていらっしゃる
小林末蔵氏がこんな体験を話された。

この方は画家で、毎年日展に入選され、すでに個展も数回開催したことがある
素晴らしい方なのであるが、5、6年前はなかなか入選出来なかったそうである。

その頃『白鳩』誌か何かで、ある画家が
“すでに入選させて下さいまして有難うございます”と書いて祈ったところ実現した
という文章を読み、早速実行して見事栄冠を獲得された体験をもっておられるのである。

 
これは重要なことで、“実現するかどうかはわからぬが、入選せしめ給え”と
哀願するのでは祈りの力が出て来ないのである。

キリストが“汝等神に祈る時既にそれを受けたりと信ぜよ”と教えているように、
我が願いは既に聞き届けられている、既に実現せるなりと信じ、念ずることが大切なのである。

小林氏はその教えられた通りを素直に実行し、その栄冠を納められた。
しかも毎年欠かさず実行し、今日の栄冠を築かれたのである。

祈りというものは宇宙に遍満している神の祝福に波長を合わせる大切な行事であって、
1回や2回の失敗にめげず、最後まで続けることが大切なのである。

 
さて小林氏は、春日奥山に昔からある石窟の彩色仏(大日如来)を筆写されることになり、
昨40年7月初旬より早朝神想観に一日も欠かさず出席され、清浄な心で製作に全力を
傾けられたのであるが、ちょうど8月のある日、神想観中に、ふとこの彩色仏の絵が
どの辺に展示されるであろうかと、想像したというのである。

深く深く祈念を集中されると、突然、氏の眼前に東京都美術館の部屋が映し出され、
その2階中央に自分の彩色仏の絵が展示せられているのを観たのである。

「妙なことがあるものだ」

と小林氏は思った。なぜなら今までの経験から、氏の作品はいつも3階に展示されていて、
2階に飾られたことは1度もなかったからである。

やがて作品はついに完成し、日展に見事入選され、都美術館に飾られた。
休暇を利用して、11月21日上京された氏は、作品は2階15号室だと友人から聞かされ、
もしやと期待しつつ行ってみると、何と氏がかって神想観中に観られたそのままの位置に
飾られてある。

それをみて、唖然としたと氏は語られたのである。

これは多くの示唆を私達に与える。

第1に神想観の絶えざる実修は如何に偉大な効果を与えるか教えるものであり、
第2に現象界に現われることは数カ月以前に心の世界に於いて実現したという事実である。

小林氏はまだ入選することすら未定の時に、既にその位置まで観じているのであった。
しかし入選間違いなしと自負して、その努力を惜しまれたならば、
その運命は修正せられていたに違いない。

この意味から私は、信仰とは絶えざる努力であると考えるのである。


                ・・・

《(第3話)潜在意識が結婚を拒んだ話》

おかげが無いという人があるが、本当に実行してお蔭の無いはずはない。
病気にもならず、不幸にも遇わずそのまま健康で幸せである
という体験があるのを知らない人が多い。

昔、高野山の講習会で、四国から来たお婆さんが、
“自動車に跳ねられたが怪我しなかった、ありがたい”と涙を流して
谷口先生にお礼を述べられたが、その後で谷口先生は、

“このお婆さんは車に跳ねられてケガをしなかったと感謝されましたが、
皆様はもっと有難いのですよ。なぜなら車にも跳ねられず、ここにいらっしゃったのですからね”

と諭された。ここが一番難しい処である。

先年私は、教化部の早朝神想観で、ある女性の結婚の祈願を依頼されたことがあった。
われわれはこの女性のために、約3ヶ月間集団的に祈らせて頂いたが、
いっこうに祈りは実現せずに終わった。

われわれがこの女性のために祈らせて頂いたのは3回目でである。
何故この祈りがきかれないのか、深く考えざるを得なかった。
ところがついにその原因が解明される時が来た。


彼女は自分の母を深く愛していた。
その母が嫂(あによめ)に虐げられるのがたまらなかったのである。
彼女は母を庇うことに懸命になる余り、自分の幸福を犠牲にしていたのであった。

彼女の現在意識がどれほど結婚を願い、祈り続けても、
潜在意識はこれを拒み続けていたのであった。

 
カール・メニンジャーはこの複雑な人間の心理を、“おのれに背くもの”と名付けているが、
表面の心だけを見ていても解決出来ない問題がある。

私達の周りには、しばしばこの異常心理に振りまわされて、
歪められた人生を歩んでいる人が案内多いのである。


                 ・・・

《(第4話)奈良の人との結婚が定まっていた話》

さて祈りは時にはその人の魂の進捗のために実現を延ばされることもあるのである。
従って一応失敗したかに見えることであっても、
決して悲観したり、腹を立てたりしてはならないのである。

神の眼から見て、最も適当な時期まで待たされることがあるから
根気よく祈り続けるべきである。

 
奈良県の光明実践委員をしている今橋雅文氏夫妻の結婚についてもその感が深い。
氏の奥さんの美智代さんは長崎県出身で、もと大和郡山の日紡に就職していた人である。
在職中から非常に熱心な生長の家の信徒で、社内で誌友会を開いてくれたこともあった。

私達家族とは親兄弟のような親しさで付き合っていた。
だが数年前に紡績界の不況から日紡郡山工場が閉鎖され、美智代さんは結婚のため退職、
長崎県へ帰郷されることとなり、ここの誌友会を大変懐かしまれた。

「私の郷里は奈良県という気持です。奈良県で生活したい」
 
と私達のもとにお別れに来られた折、答えられたが、偽らざる本当の願いだったのだろう。

ところが帰郷されて暫く婚前の交際をしている間に信仰のことから意志の齟齬(そご)を来し、
両親の切なる願いであったけれども、破談ということになった。

当時、美智代さんの幼い妹さんが夢を見た。
はるばる奈良県から3人連れで人が来て、
姉様をお嫁さんに頂きたいと交渉に来たというのである。

この娘には時々こんなことがあり、明日伯母が訪ねて来ると言うと
本当に的中することがしばしばあるので、そんなバカなと思いつつも否定できず、
両親もこの縁談を諦めてくれたそうである。

それ以来3年間、美智代さんは、働きつつ生長の家の青年運動に積極的に活躍、
谷口清超先生がその活動のありさまを『理想世界』誌に紹介されたこともあるのであった。

こうして昭和36年5月の青年会全国大会に長崎県代表の一人として上京。
たまたま奈良県の五十嵐講師に逢い、今橋氏を紹介され、氏と文通が始まった。

そしてその8月、仲人の五十嵐氏の母親とその友人の女性と今橋氏の3人が連れだって
美智代さんのご家庭を訪問、正式な結婚の申込みをされた。
ここに美智代さんの妹さんの夢は正確に実現することになったのである。

 
私は単なる偶然だとは決して考えない。
これはみな美智代さんの切実な祈りが成就したものにほかならない。
それはすでに奈良県を去る時、強く深く念じられた夢であった。

その夢が現実化したのは、彼女の絶えることのない信仰の歩みであったと考えざるを得ない。

もし彼女が生長の家から離れていたら、長崎県の代表として上京することもなかったであろうし、
その結果今橋氏と結ばれることもなかったであろう。

人間の運命はまず心に描かれ、それがたゆまない精進によって、
神の祝福を享け、実現するようになるのだということを、私は深く考えさせられるのである。

   (41・4)

「幸せは今ここに」〜その6 (14)
日時:2016年04月12日 (火) 00時12分
名前:伝統

第7編  5つの心かまえ

《生きている”と“生かされている”》

先日、見真会で奈良の平野初造先生が次のようなお話をせられました。

「人間は“生きている”のではない。“生かされている”のです。
“生きている“という思いは恩に着せる心であり、
“生かされている”という憶(おも)いは恩に着る心です。

私達は常に人間の立場からものを考えますが、
それを神さまの立場からものを考える習慣をつけることです。

こういう話があります。或る寺で、たいへん有難いお説教があったのです。
集まった人が皆感激して、今日は本当に如来さまをよく解からせてもらった。
如来さまを把(つか)んだ、把んだ、と言ってゾロゾロ帰って行ったのです。

ところが、中の一人が、その説教坊さんの所にやって来て、

『今日お詣りした人はみんな、“如来さんを把んだ”と言って喜んで帰って行ったが、
私はさっぱり把めんのです。どうか私のためにもう一度説法をして、
その如来さんとやらを把ませて下さい』

と申しました。

『そうか、皆如来さんを把んだか。妙な話だのう。
肝心の、説教している私もまだ如来さんを把んだことがないのに。
把んだことのない同士がお互いに今日からは如来さんに把まれて生きて行こう』

と言ったそうであります。」


とにかく如来さまに生かされていると識(し)ることが信心です。
だいたい私達の息をしているこの呼吸の数は1分間に16回だそうですね。
この16回というのは、あの海の波が岸に打ち寄せる数だそうです。

あの波も地球が呼吸している姿なんです。
従って人間は地球と一緒に呼吸していると言えますね。

皆様もご存じと思いますが、
人間が生まれるのは差し潮の時であり、死ぬ時は引き潮の時だそうですね。

ところで月が地球の周囲を1回転するのが、28日間だそうです。
この月が女性の身体にも28日毎に廻ってきて、それを月経というでしょう。

子供を妊娠すると28日毎に1月、2月と重なって10ヶ月になると出産ということになっています。
こうして考えてみると、なぜ人間の身体がこの月や地球と同じ周期で動いているのでしょうね。

本来生きているのではない。“生かされている“のである、ということが、
こういう譬(たと)え得心して頂けるのではないでしょうか。
平野先生のお話は優しい言葉の中になかなか深いものをさしていますね。


                 ・・・

《信ずること》

ところで、人間が幸福になるための正しい心構えが5つあります。
仏教では仮にこれを五力(りき)と名付けています。
勿論この他にも重要なことが沢山ございますが、この5つに付いてちょっと説明しておきましょう。

それは、

(1)信ずること
(2)努力すること
(3)念を清めること

(4)念を統一すること
(5)仏の智慧を授かること

以上の5つだそうです。

 
この第1の「信ずる」ということは信仰の基本であります。
皆様でも『生命の實相』をお読みになってこれを信ずるか否かは自由であります。
しかし、もし素直にその真理を受け入れたなら、皆様は即刻幸福になれるのです。

 
先日も或る男の方が痔の薬を買いに来られました。私はお薬を売りながら、

「痔というのは、ご先祖を大切になさらなければなりません。
痔という字はやまいだれ(疒)に寺という字を書きますが、
お寺さんが病気に罹っているという姿なんです。
御先祖供養をしっかりしてごらんなさい。簡単に治りますよ」

と申上げたんです。

するとその男の方は、

「薬屋さん、あんたは10年位以前にも確かそんなことをおっしゃったですね。
何でしたか、『生長の家』でしたね。よう飽きもせんと同じことをやっておられますね」
 
と感心したようにおっしゃったのです。

それで思わず私は、

「あなたこそ、よう飽きもせず10年間も痔を持ち歩いていますね」
 
と答えてしまいました。
 
どんな結構な真理でも、素直に信じて、行じさせて頂けなければ、
この方のように、病気が治りきるということはないのであります。


               ・・・


《信仰にも努力が必要》

次に「努力する」という言葉は何か抵抗を感ずる言葉ですが、
信仰にもやはり努力が伴うものです。

もちろん生長の家ではお滝にうたれたり、断食をするという行はありませんが、
そのまま救われているといえば、このまま救われているのかと、
聖経も誦げず、神想観も実修しないというのでは現実の功徳は受けられません。

 
郡山中学の小林末蔵先生は昔、6年続けて日展を落選せられたのです。
最期の良い選にまで残るのですがやはりもう一つ足りないところがあるというので
入選しないのですね。

そんな時奥様のところに贈られてきた『白鳩』誌を御覧になった。
それから閑ある毎に聖経を御先祖に誦げられたのです。

1ヶ月ばかりして、先生が画室に入られると、どこからともなく『甘露の法雨』が聞えて来て

「何とも言えぬ有難い雰囲気の中で描き上げた絵が、はじめて日展に入選させて頂いて、
以来数年にわたって入選を続けさせて頂いています」

と話していらっしゃいました。

おそらくこの聖経は、小林家の守護霊が先生の誠心に感応して、
霊界から読誦せられたものでしょうが、
信仰もこうした努力を積み重ねて行かねばなりません。

 
先日も大阪の繁栄大講習会で、大阪の豊国工業の西森利明社長さんが、
谷口先生の前で体験談をなさったのでありますが、西森さんはなんでも十数年前に
事業に失敗して倒産をせられたことがあるのだそうです。

そうして自分は一サラリーマンになって
わずか1万円余りの給料で細々と生活していらっしゃったそうです。

その暗い苦しみの中で偶然『光の泉』を手にして、谷口先生の言葉として、

「借金は払ったら払えるのである。払えないのは払う気がないからである」と

書かれてあるのをお読みになって、横っ面を力一杯ひっぱたかれた感じがしたそうです。

これは谷口先生の真理の言葉と、西森さんの仏性とが感応道交したものと思われます。

今までは「四百数十万円の借金ではどうなるものでもない」と棄てばちになっていた心を、
たとえ僅かでも払わして頂きましょう、という仏の心に振向けたのです。
これが“廻向(えこう)”ということです。

こうして3年間、血のにじむような返済の生活が債権者に感動を生み、新しい出資を得て、
数年後には250名の工員を使用する大企業にまで発展せられたのであります。

ここにも信と行の中に神の祝福があることを深く感ずるのであります。


                 ・・・


《念を清めること》

さて第3は、「念を清めること」であります。

人間の心というものは本来清浄なものなのです。
清浄なものであるだけ、手入れが行き届かなければなりません。

美しい鏡のように、常に磨をかけ、如来の慈悲の光を映し出すように
精進することが肝要なのであります。


                 ・・・

《念を統一すること》

第4は、「念を統一すること」です。

心は絶えず移り変わるものでありまして、今これを思っても
次の瞬間にはもう他のことを考えているという具合に、常にとどまるということがないのです。

勿論このことによって人間は悲しみも苦しみも皆忘れ去ることが出来るのでありまして、
ある意味から言えば至極結構なことでもあるのであります。

しかし現象界は私達の念が映し出す世界なのですから、
これを想い、あれを想うというように、心が絶えず動揺していたのでは、
宇宙の創化力と直接結び付くことは出来ないのであります。

皆様が何かを実現させたいと希望せられるなら、
この「念を集中する」という訓練をなさらなければなりません。

『生命の實相』の中では、よく“

家が欲しい人はまず家の設計をして、それを壁に掛けて既にそれが与えられていると念じなさい”

と教えられています。
まず自分の心を支配するということが、人生の勝利者となる道なのであります。


                   ・・・

《吾れ一人にては何事をもなし得ず》

最後に一番大切な事は、「仏の智慧を授かる」ということです。
 
人間は自分の知恵や才覚に頼って事を処理しようとするから失敗するのであります。

「吾れ一人にては何事をもなし得ず、天の父吾れに於いて為さしめ給う」
とパウロは書いています。

大慈大悲の仏の誓願はすでに成就しているのでありまして、
人間が自分の力で力む必要はないのであります。

「一切善悪の凡夫人、如来の弘き誓願を聞信(もんしん)すれば、
仏は広大勝解(しょうげ)の者と言い給えり」とあります通り、

どんな凡夫でも如来の本願に溶け込んで、その弘き智慧を授かるようにすれば、
誰でも広大無辺の勝れた智慧を現すことが出来るのであります。

『無門関』の第34則に、南泉和尚の“智不是道”との公案がありますが、
これが一番正しい、と思っても、人間が考え出したことはどこか道には外れているものです。

やはり神想観をたえず実修して、正しい神仏の導きを受けるようにすべきであります。(44・3)



・・・


第8編  合掌ということ

《信仰の極致としての合掌》

合掌はかたちの上に示された最も美しい愛の表現であり、信仰の極致である。
合掌なくして生活の悦びなく、合掌なくして供給無限の生活もあり得ない。
或る人は合掌により不治の病より甦り、また或る人は暗澹たる絶望の思想から解放せられる。

 
しかし合掌は絶対に何ものをも求めず、ひたすら行ぜられる素直なものでなければならない。
為にする合掌はいたずらに相手の顰蹙を買って反抗をつのらせるばかりである。

ただ礼拝する、ただ合掌するのである。
俗に言う拝み倒しでなく、どこまでも相手を神とし、仏として拝ませて頂くのである。


真剣な合掌は必ず魂の限りなき喜びを伴い、自ずから眼底の熱くなるのを覚えるであろう。


                 ・・・


《ある合掌》

終戦後間もなく私は私用で大阪の上六(うえろく)に行ったことがある。

当時の車両は今と異なり、爆撃の後も生々しく、一枚のガラスも残さず破壊し尽くされ、
箱の中に、私達はただ荷物のように無茶苦茶に積み込まれて汗臭い体臭を嗅ぎながら、
息詰まりそうにゆられて行ったものである。

電車が上六に着くと、甦ったように先を争って、その狭い乗降口から飛び出そうとする乗客の中に、
見るからに危なそうな一人の盲人が、よろよろと私の腕の上に倒れかかって来たのだった。

「危ない!」
 
私は両手で抱き上げるようにして、その盲人を車輛の外に連れ出した。

「有難うございます」
 
嬉しそうな表情をたたえながら彼は軽く私に会釈すると、
持っていた杖を小脇に抱え直して、今乗って来た電車の方に、クルリと向き直ると、
多数の人の雑踏の中にも拘らず、実に敬虔な合掌をせられたのである。

私はその姿を見た瞬間、なんとも言えぬ深い感動に心の痺れるのを感じたものである。
 
ああ、何という美しい感謝の祈りであろう。
恐らく彼は盲人なるが故に、日常歩行に対する不自由な体験から迸り出た
崇高な愛の所作であるとしか考えられない。


                 ・・・


《まず感謝する》

今静かに自己の日常を振り返り見るに、幸い完全なる五体に恵まれ、
日々の生活またまことに恵み豊かなるに拘らず、

多くはその幸福に酔い痴れ、感激を忘れ、感謝の心を喪(うしな)い、
合掌を結ぶ手にいつしか人の欠点を指摘し、歓喜を讃える口先に皮肉を含み、
唇をつく言葉が人の肺腑(はいふ)をえぐるに至る時には、
如何なる幸福も泡沫のように儚く消え去るであろう。


いかに財宝に恵まれようとも、真実心に喜びを体得しなければ、永遠に倖せはあり得ない。
如何なる健康に恵まれようとも、その健康を神の恵みとする感謝がなければ、
やがてその健康はあえなく崩れ去ってしまう。

肉体も環境も吾が心の影と教えられている。
外界、外界にあらずして、内界の投影としての外界があるのであり、
全ては自心の展開でしかない。


たとえば、三角関係に苦しむ人は、自己の醜い嫉妬心を清算すべきである。
何が故にかくの如き不幸を招来せるかを深く反省することである。

夫が悪い、悪いと考えている妻は夫にとって決して幸福な妻ではない。
姑が悪い、悪いと考えている嫁は、その家庭にとって決して幸福な嫁ではない。

人はまず相手の需(もと)むる善き夫となり、妻となり、
嫁となる心掛けを真剣に行ずることである。


                ・・・


《走っているうちに……》

話は古いが、合掌によってよく重篤な病気から解放せられたばかりではなく、
その複雑な三角関係をも見事に解消した素晴らしい女性をここに紹介させて頂き、
同じ境遇に悩む女性達の指針とさせて頂こうと思う。

その人は現在奈良県の地方講師として光明化に挺身していられる
京都府相楽郡加茂町大畑の杉田萩野さんである。

当時腹膜の卵巣炎を患い、3ヵ年に亘る療養生活を送っていられた萩野さんは、
単に病気の苦しみだけでなく目の前で夫と女中が襖一つ隔てた隣室で公然と同衾する様を
悲しい諦めと怒りの表情で眺めつつ暮していられたのである。

彼女の病状は彼女の心の通りいっこうにはかばかしくゆかなかった。

そんな或る時、彼女が姉から突然『生命の實相』と聖経『甘露の法雨』が
彼女の病床に送られてきたのである。

「荻野さん、あなたは神さまを信じられますか」

「いいえ、信じることは出来ません」

「私も初めはそうだったのです。しかしやがて神さまの愛を信ずることが出来るようになりました。
あなただってきっと解かりますよ。

読んでごらん、この御本の中にあなたが神様の子であることも、
病気は本来存在しないことも、夫も女中も本当は神の子で決して悪い人でないことも、
そのあなたの心の眼を開く程度に理解されて来るでしょう」

1週間、彼女は一心に『生命の實相』の御本を読みふけった。
少しずつ頑(かたく)なな彼女の心は解きほぐれていって、
小用も自分で済ませることが出来るようになり、
夫や女中に以前ほどの激しい憎悪を感じなくなった。

 
まもなく彼女は姉に手をひかれて、初めて奈良の平野先生の誌友会に寄せて頂いた。
幸福そのものの誌友の表情と雰囲気、ただ夫を釈(ゆる)せ、女中を釈せ、拝むもののみ拝まれるという、
諸々の体験を通しての講師の言葉、萩野さんは初めて聞く真理に全身がふるえるような反省に打たれて
顔を挙げることも出来なかった。

「あなた、私が悪うございました。私の愛情が足りなかったのです」

かくて正しい信仰に目覚めた萩野さんの人生観は明るい光明に転じ、生命は喜びにたぎり立ち、
帰途、国鉄奈良駅までの六町余りを夢中で走り続けている間に、
萩野さんの病気は忽燃(こつねん)と消滅してしまったのである。

萩野さんの病気はまことに萩野さんの心の中に描かれた妄想の所産に過ぎなかったのである。


                  ・・・


《二人の後姿》

かくて萩野さんの新しい勤労の生活が始まった。
文字通り朝に夕に星を仰ぎ繊細な萩野さんの肉体は
ただ不可思議な聖霊に満たされつつ働き続けるのである。

もうどんなに働いても疲れない。
勤労の喜びを胸に、夫とともに働く萩野さんの心は感激で一杯であった。

 
そうした反面、夫と女中の関係は相変わらず続けられていたのである。
どんなに実相の完全なることを信じ念ずる萩野さんも、夕方になればいつのまにか
女中の部屋に立って行く夫の姿を見ると新たな悲しみが湧きあがってくる。

<これは私がまだ拝み方が足りないのである。夫も女中もすべて観世音菩薩である。
常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)が一切衆生を拝ませて頂いたように、
私も真剣に拝ませて頂きましょう>

「夫よ、釈しておくれ、ねいやよ釈しておくれ、
あなたこそ私を済度して下さる観世音菩薩さまなんです」

萩野さんはただ一心にそう信じ、実行に励みきった。
そうした或る秋の夕べ、夫と車を押しての野辺の帰り、突然、

「萩野、車に乗れ」

いつにない夫の優しい言葉に、「ハイ」と素直に乗せてもらって、刈り取った稲束の上に坐らせて頂く。
黙々として車を曳いて行く夫、その逞しい後姿を見つめている間に萩野さんの目から、
ポロポロと大粒の涙が零れ落ちて来たのである。

「ああ、私はまだこの優しい夫を恨んでいたのである。この優しい夫を」

思わず両手を胸の上に合わせて心から懺悔の誠心(まごころ)を込めて夫を拝んだのである。

その時夫は車を止め、静かに振り返って、合掌しながらむせぶ泣く妻の姿を暫く見つめていたが
一言も発せず、また黙々と車を曳いて行ったのである。
しかしその瞼の中にはやはり温かく濡れているものが感じられたのである。

かくして彼女の三角関係は夫の手によって終末を告げることになった。

「奥さん、永らくお世話になりました。私の罪を赦して下さい。
どうぞいつまでもお幸福(しあわせ)に」

「ねえや、有難う。お前が悪いんじゃない。みんな私が悪かったのです。
私のためにあなたにも大変な迷惑を掛けたことを赦しておくれ。
どうぞお前もきっと幸福になっておくれね。これからも私を姉さんだと思って時々訪ねておくれね」

夫と萩野さんに見送られて女中さんは、
大きなトランクと風呂敷包みを振り分けて峠の山道を重い足を曳きずりつつ
次第に遠ざかって行った。

その姿が完全に見えなくなるまで、萩野さんは泣きながら合掌の手を解こうとしなかったのである。

かくして萩野さんの三角関係は萩野さん自身の合掌の中に消えていったのである。

合掌こそ一切の苦悩を解消する最も偉大な道である。 (43・2)



・・・


第9編  信仰の三相

《慙愧の心》

「慙愧(ざんき)」という言葉があります。
「慙」とは人のまえに恥を知る心であり、「愧」とは神仏の前に恥を知る心です。
慙愧の心があるのが人間であり、その心が失われたのが畜生だと言われます。

昔は宗教や道徳教育によって、幼い頃から、この心を大切に養い育てられましたが、
近頃は、学校は勿論、家庭においてすら、この一番大切な心を養うことが忘れられてしまいました。

このことは単に個人の幸福を失わせるばかりでなく、国家の運命まで狂わせてしまいます。
終戦後いろいろな宗教が出来ていますが、本当に慙愧の心を培い人類を罪の繋縛(けばく)から
開放して、地上に浄土を建立したいという菩薩の誓願は、極めて少ないようです。


いつでしたか、淡路のある誌友会場に参りまして「大調和の神示」を誦(あ)げさせて頂いたら、
一人のお婆さんが涙を流して、

「ああ、こんな結構な阿弥陀さまの教えがあるのに、
うちの息子も嫁もつまらぬ邪教に凝って、私は毎日泣き暮らしです」

とおっしゃった。

よく伺ってみると、息子さん夫婦は事業に失敗して、それ以来御先祖の宗教を放ってしまって
○○○会に入信、毎日2時間くらい夫婦で題目を誦げられるそうです。

ところが、このお母さんには食べる物もろくに食べさせてくれないのです。
あまりすることがひどいので、○会の一番偉い先生に意見をしてもらおうと、
洲本の何かという先生のお宅に伺いましたら、その先生が、

「おばあさん、私は教えの上のことなら、どんな時間を割いてでも出かけますがね、
あなたの家庭のいざこざはあなた方当事者同士で話し合ったら良い」

と突き放してしまわれたんです。

「親にすることもしないで、いくらお題目を唱えても何が幸福が来るものですか。
教えも教えない先生も先生です」と悔しがっていました。

まあこんなのは特殊の例でしょうが、とにかく題目さえ唱えれば、
親不孝していても、夫婦仲違いしていても、現象の御利益は受けられる、
というは信仰の本質から外れていると思うのです。


               ・・・


《先ず六方を護ること》

釈尊は『六方礼経(らいきょう)』というお経の中で、
“先ず六方を護るに非ざれば仏の功徳を受けることは出来ぬ”と教えています。

六方とは東西南北上下の六方であって、

東は親子の道、
西は夫婦の道、
南は師弟主従の道、
北は兄弟朋友の道、

上は敬神崇祖の道、
下は信徒の誠の道

とせられています。

宗教は人間をして苟(いやし)くもこの六方を違(たが)えないように、
その道を説き示すものでなければならないはずです。

私達が折角神の子としてこの地上に誕生しながら、諸々の不幸を体験するのは、
全てこの六方を過(あやま)るための自己処罰であるとも言えます。

道を求める人にも、求めない人にも、進んで、その道を知らしめ、
自ずから慙愧の心を起さしめなければ、それは既に宗教とは言い得ないのであります。

先日もある女性が一人息子のことで御相談にお見えになりました。

伺ってみると、そのお母様は、子供さえ大学を卒業させればと、
それのみを頼りにして4年間夢中で過していらっしゃったのです。

御先祖のものは殆んど売り尽くして、ようやく卒業せられ、有名会社に就職せられたのですが、
それがどうしたのか、就職して既に3年になるのに、未だに10円玉一枚生活費に入れてくれない
と言います。

そうして朝夕のお惣菜の小言だけはおっしゃる。
これでは家庭の経済が成り立たないのです。

この老婦人は、今に子供の根性が改まるかと、
『甘露の法雨』を誦げたり、神想観の真似事をして過していらっしゃったのですが
一向に功徳が現れないので、個人指導を受けに来られたのであります。

私は婦人の話を伺っていて、この息子さんの原因は全て老夫人の心にある、と憶ったのです。
なぜならこの老婦人が仕えるべき対象を過っているからです。

 
私はこの老婦人にこう言ったのです。

「あなたは夫に素直に仕(つか)えていないでしょう。
御主人と結婚したことに喜びを感ぜず、不足不満で、子供ができると、
今度は子供さえ一人前になったら自分を幸福にしてくれるものと一人決めして、
夫に食べさせない物でもその子供さんには惜しみなく与えるというふうにして
育ててこられてたのと違いますか。

だいたいあなたが子供さんに過剰期待をお持ちになることが良くないのです。
それがためにかえってあなたの期待が裏切られて、子供から疎外される結果になったのですよ。

子供さんは母親であるあなたも愛しているが、父親も愛しているのですよ。
その父親が母親から大切に扱われていないということは、子供にとって決して幸福なことではないのです。
息子さんはあなたを軽蔑していますよ。

“観世音菩薩はバラモンの信者に対してはバラモン身を現わし、
酔客に対しては遊女の姿になって衆生を済度し給う”と説かれていますが、
あなたの息子さんは、自ら親不幸者の姿になって母親を済度しようとなさっていらっしゃるのですよ。

そこのところをよくよく反省して、生長に家の真髄を把んで頂きたいと思います。
あなたの今の信仰が本物か本物でないかは、次の三つの相に照らしてみれば解ります」


                    ・・・


《信仰の三相》

「それは懺悔と、随喜と、勧請ということであって、仏教ではこれを信仰の三相と名付けています。

懺悔とは悔い改めです。
心の姿勢を正して、妻として、母としてあるべき相(すがた)に戻らせて頂くことです。

もしあなたが夫に対して仕え方が足りないなら、その供養を怠りなくさせて頂くことです。
正しい信仰はまずあなた自身の人間革命をやり遂げなければなりません。

 
次に随喜とは歓喜です。感激です。
人の喜びを吾が喜びとして、同悲同喜の心を起し、
また自らも嬉しさが迸(ほとば)しり出なければなりません。

だいたいあなたの顔が暗いのは信仰が未だ身に付いていない証拠です。
暗い心を持てば世間が暗くなります。
明るい心を持つ人は、常に天の岩戸を開くことが出来ます。

 
最後に勧請とは神との一体感です。
常に神仏に生かされている自覚です。

昔、野口英世という学者がありましたね。
この方のお母さんは産婆さんをしていて、一生に二百数十人の赤ちゃんを取り上げましたが、
かって一度の難産も失敗もなく、お産の名人とまで言われていました。

或る時、一人の人がお母さんに、その理由を尋ねたことがありました。
その時、そのお母さんはこう答えておられます。

『私は常に観音さまと2人連れでお産をさせるから、失敗することがないのです。
私にはできないことでも、お観音さまに出来ないということはありません』
 
と。これが信仰というものです。

 
あの四国八十八か所巡りのお遍路さんが、菅笠(すげかさ)の上に、
“同行(どうぎょう)二人”と書きますが、同行とは“お大師さんと二人連れ”ということです。
どんな山の中を歩んでも、お大師さんと二人連れと憶えば、恐怖心も無くなろうというものです。

野口英世のお母さんじゃないが、常住坐臥、神様と二人連れと信じさせて頂ければ、
道おのずから開けるというものです。


『新天新地の神示』の中にも、

“なんじ一人なれば吾を念じて吾とともに二人なりと思え、
なんじら二人ならばわれを念じて吾と倶に三人なりと思え”

と御教示せられていますが、この言葉が“勧請”ということです。

あなたの信仰が正しければ、必ずこの3つの相が、
あなたの生活に滲(にじ)み出ていなければなりません」
 
と申上げたのです。

老婦人も神の子ですから、必ず私の言葉を理解して頂けれものと思います。


                ・・・


《平山雅俊さんの体験》

私は最近、田原本の平山雅俊さんが新しいお家に転宅せられたので、
その新宅での初誌友会に寄せて頂きました。
前の家も素晴らしかったが、今度のお家もこじんまりとしたなかなか立派なお家です。

「おめでとう、なかなかよいお家ですね」
 
と申上げたら、

「本当に神さまから素晴らしいお家を頂きました。前の家を明け渡すように言われた時に、
本当のことちょっと弱りました。なにしろ幾ら小さな家でも商売の関係上、街の中央に店を開きたいし、
と言って沢山な権利金や家賃を払ってまで探す自信がなかったのです。
でも私は神さまは何もかもお見通しで、私にふさわしい家を必ずお与え下さるものと信じていました。

そこで何より、長い間お世話になった先の住宅を、
平山さんに貸してやって良かったと喜んでもらえるように、
朝から晩までお掃除をさせてもらいました。
廊下なんか糠で磨いて、破れているところは全部修理させて頂いたのです。

そうして“長い間お世話になりまして有難うございます”と一生懸命感謝させてもらっていると、
偶然家内が八百屋に買い物に行った時に、この家をお世話して頂いたのです。

初めは権利金十万円家賃一万円というお約束をしたのですが、いよいよ入れて頂くようになると
“あなたの人柄にほれた”とおっしゃって、は半額の五千円で貸して頂くことになりました」
 
と体験を話されました。

中庭、離れと裏に倉庫まである家が僅かの金で借りられるというのは、
全く平山さんの勧請の賜物だと思うのです。
 
念仏や題目を唱える前に、まず自らの心を深く反省したいものです。 (43・11)

「幸せは今ここに」〜その7 (15)
日時:2016年04月12日 (火) 21時08分
名前:伝統

第10編  信仰と生活

《本当の信仰とは》

「彼(か)の無碍光如来の名号能(よ)く衆生一切の無明を破(は)し、能く衆生一切の志願を満てたまふ。
しかるに称名(しょうみょう)憶念あることあれども、無明尚(なお)存(そん)して所願を満てざるは
如何とならば、実の如く修行せざること、名義と相応せざるによるが故なり云々」とあります。

これは親鸞聖人のお書きになった『教行信証』の中の一節でありまして、無碍光如来である
阿弥陀仏の名号を誦げることがどんなに有難いかは、一切の無明を破砕し、一切の志願を
ことごとく成就せしめ給うと示されてある通りであります。

私達は既に弥陀の本願に摂取せられているのでありまして、
その感激を南無阿弥陀仏の名号を托して生活すれば良いのであります。

真宗の教えは悪人正機(しょうき)でありまして、
如何なる罪深い人もこのお慈悲の掌(て)を洩れることはないはずであります。

しかし、ここに例外があるぞ、と親鸞聖人はおっしゃっていられます。

それは、いかほど称名憶念、南無阿弥陀仏三昧の生活をしていらっしゃるようでも、
実の如く生活せざること、即ち実相さながらの生活をしていないことで、
日常に吾れ神の子仏の子の自覚を持たず、念仏さえ誦げていれば凡夫往生でいずれ肉体の消滅の際は極楽に、
救いとってもらえるであろうという安易な考えを持った人のことでありまして、

せっかく口にせられる念仏も「名義と相応せず」即ちその真実の意義を弁(わきあ)えず、
死後の安心のための方便ぐらいに解釈していたのでは本当の功徳を受けることは出来ない
のであると説かれています。

ほとけの本願とは、ほとけの生命が一人一人の人間に宿っているのであるから、
本来仏になるより仕方がないという根本自覚であります。ただ名号を称えるだけで
この自覚が伴わなければ、本願成就はおぼつかないのです。

世間では念仏とか題目とかを、数多く唱えることによって救われると誤解している人もありますが、
あの『大無量寿経』の成願文には、

 “諸有(しょう)の衆生、此の名号を聞きて、信心歓喜乃至一念、至心廻向、彼国(かのくに)に
  生ぜんと欲せば即得往生(そくとくおうじょう)、不退転に住す”

とあります通り、無量寿如来の大悲の本願に溶け込んで、そこから自然に歓喜となり、廻向となり、
名号となって讃嘆報恩の意識が呼び起されるのでなければ本当の信仰とは言い切れないでしょう。

生長の家でよく『甘露の法雨』の千回読誦を発願したが、
暫くすると、その誦げにゃならんということに心が引っ掛かって、
かえって苦しんでいる人に逢いますが、これでは本当の信仰とは言い切れません。


               ・・・


《“父を心から尊敬した”手記》

先日宇治の金戸先生から伺った話ですが、何でも高校生練成の手記の一節だそうです。

「僕はある日二階から急いで降りて来ました。障子を開けると、そこに食卓がありました。
食卓の上には茶碗が沢山置いてありました。僕は慌てていたので、思わずその食卓を
足で蹴飛ばしてしまいました。茶碗は大きな音を立てて崩れ落ちて、五つ六つ毀れてしまいました。

食卓の前には父が坐っていました。

父はびっくりして、手にしていた新聞を置いて僕の顔を見上げました。“しまった”──
僕はその時父が大きな声で、“馬鹿野郎、気をつけろ”と怒鳴るだろうと思ったのです。
怒鳴られたら僕はちゃんと答える言葉を用意していました。それは“知らんかったんだ”という言葉です。

ところが意外にも父は怒鳴らずに、腰を延ばして食卓をのけ、僕が毀した茶碗を新聞の上に拾いながら、
誰に謝るでもなく“すまないことをした、すまないことをした”とおっしゃられたのです。

僕は父のその言葉を聞いて、謝るのは僕だ、と気が付いて、父の前に両手をついて、
心から“お父さんすみません”と言いました。僕はその時お父さんを心から尊敬しました」

手記はただこれだけのことです。
でも何という心温まる話でしょうか。

このお父さんが子供の失敗をとがめる代わりに、全て自分の責任として、神に対して、
すまないことをした、すまないことをした、と謝罪していらっしゃる姿、それが如来なんです。

私はこの話を伺いながら、自分ならどうするだろうと、考えてみました。
なんだか怒鳴るような気がして恥かしく思いました。

信仰というものは目で読むのではなく、心と身体で読むのだ、としみじみ感じられます。


                  ・・・


《神さまはどこに……》

もうかなり前のことですが、天理にお住まいの越智千博さんという奥さんが
突然訪ねてこられたことがあります。

「生長の家の先生、御在宅ですか」

「私です、何か御用ですか」

「実は人生の重大事について伺いたいのです。
第一に先生、この世の中に神さまって本当にあるのですか」

まことに突飛な質問を伺って私も驚きました。
質素な服装をしていらっしゃいますが、思慮もあり、教育もありそうな40歳余りの方です。

私はとっさに、

「この世の中に神さまなんてありませんね」

と答えてしまったんです。

するとその奥さんは厳しい眼で咎めるように、

「茶化さずに、真面目に教えて下さい」

「もちろん真面目な話ですよ。嘘ではありません」

「どうしてなんです」

「それはね、あなたの尋ねていらっしゃる質問が間違っているからなんです。
どういう問題か知りませんが、神さまはこの世の中にあるような小さな存在ではありません、
神さまの中にこの世があるのです。

お腹の中の赤ちゃんのように私達はただ神さまに生かされているのです。
胎児が母の顔を見られないように、私達は神を見ることは出来ませんが、
こうして生きていることが既に神が存在する証拠ではありませんか」

「そういう意味でしたか。それなら解ります」

彼女はそう答えて話し始めました。

「先生、実は私の夫は京大電気科を卒業して永らく軍属を務めて来たのです。
終戦後技術を生かして、電気関係の事業をはじめたのですが、性格が非常に温和(おとな)しいというのか、
経営が下手で失敗ばかり繰返して来ているのです。私はなんとか夫に成功してもらいたいと、
やっきになって申上げるのですが少しも旨く行きません。

ところが或る事情から私、○○教という宗教に入れて頂いて、夫の事業を繁栄させたい一心で約2年間、
本当に雨の日も雪の日もそれこそ暮れも正月も休まず毎朝4時に起きて2里の道を歩いて本部に参りまして、
お滝に打たれる荒行をさせて頂いたのです。
私はこうすることによって、必ず神助を受けられると信じて今日まで続けてまいりました。

しかしついに私達は行き着く所まで行き着いてしまいました。
夫は全く自信を失ってしまって、今朝なんか死んでしまいたいと言い出すのです。
私はもう神が信じられなくなりました。2人の子供も今病気で寝込んでいます。
このままでは一家心中です。

私はその時ふと思い出したのです。
私が女学校を卒業した年にある人から『生長の家』誌を一冊頂いたことがあるのです。
生長の家なら本当のことが教えて貰えると思ったのです。

そして毎日毎日生長の家を尋ねて歩いたのです。するとある商店で先生のことを教えて下さいました。
先生、教えて下さい。私の信仰はどこが間違っているのでしょうか?」


「──何もかも……」
 
私は静かに微笑しながら答えました。


                  ・・・

《夫は神の子です》

「第1にあなたは自分の信仰によって夫を成功させてやろうなんて思い上がった考え方を持っていますね。
言葉を変えて申上げたら、夫は一人で成功出来ない甲斐性なしだ、ということです。

“汝の信ずる如く汝になれ”とキリストは申しましたが、
あなたが夫を尊敬しない限り、あなたの夫は成功出来ません。
あなたが今為すべきことは、夫に自信を持たしめることです。
それにはあなたが夫の才能を認めなければ駄目です。

生長の家では『人間は神の子』と言います。
神の子とは神そのものであるということです。

長い間あなたは神を求めてさまよい歩いて来られましたが、
あなたの求めていらっしゃる神さまはあなたの身近に、
夫の中にいらっしゃるのであり、あなたの中にいらっしゃるのです。

『法華経』の方便品には“一切の衆生は如来と等しくして異なることなし”と説かれています。
あなたの夫は現在甲斐性無しかも知れませんが、それはあなたが夫の実相を知らず、
軽蔑というメガネを掛けて見ていたからなのです。

赤いメガネを掛ければ赤く見え、青いメガネを掛ければ青く見えます。
観られる世界は観る人の心の影なのです。

あなたが今すべきことは、夫を神の子と信じ、夫のしたいようにさせてあげることです。
夫のなさることに間違いはない、とその内部の神性を合掌することなのです。

だいたい神はあなたのようにそんな難行苦行をしなければ救って下さらない難しい存在ではありません。
釈尊も『苦行は悟りの因に非ず』と申しましたが、神は愛であり、慈悲であって、
あなたの周囲に常に無限の功徳を与えとって下さるのです。

『無門関』という禅の本に“雲門屎蹶(しけつ)”という公案があります。
──或る僧が“仏とはいずこにありや”と雲門和尚に尋ねると、和尚はそこにあった屎蹶と言って、
支那では便所紙の代りにヘラを使う、糞かきベラを把んで、“これが仏じゃ”と僧の眼前に差し出した──

とあります。

観る人が観れば、糞かきベラでもそのまま仏なんです。
なぜならそのヘラも神が私達人間の幸福のために創り出された愛の賜(たまもの)です。
物質、物質に非ずです。

眼を開けばここがこのまま実相妙有の世界です。太陽は燦々と輝き、鳥は空に囀り、
菊の花は美しく咲き乱れ、爽やかな空気の感触がこんなに麗しく肌に感ずるではありませんか。
ここがあなたの求めていた天国浄土なのです。

浄土にいても浄土を観ないのが今のあなたの心なのです。
負け惜しみを捨てなさい。何も無くとも夫が傍に居て下さるのが有難い、と思いなさい。
子供が居てくれるのが有難い、と思いなさい。住む家があるのが嬉しいと喜ばせてもらいなさい。
まずは鏡を見てうんと幸福な表情をするのです。

今不幸でも、『私は幸福だ、幸福だ』と、幸福のように振舞っていると、
運命の神さまは必ずその機会を与えて下さるのです。
さあ今日から家庭の中を明るくして、たとえ乏しい食事でも楽しく召し上がるように心掛けて下さい。


それから生長の家では“天地一切のものにと和解せよ”の教えですから、みんなと仲良くするのですよ。
一人でも憎んだり恨んだりしている人があってはなりません。
それでは神の救いと波長が合わないですよ。
 
なおもう一つ大事なことは御主人やあなたの御先祖を大切にするのですよ。
あなた方の成功を霊界から守護して頂くためにも御先祖祭りを懸命に励んで下さいね」

 
私の言葉を聞いている間に、彼女の表情は見違えるほど明るくなり、涙が一杯こぼれて落ちて来ました。


                   ・・・

《健康も境遇も心ひとつで……》

それから数日後彼女の夫は、近鉄駅で偶然軍属時代の先輩に逢うことになり、
その人の世話で電源開発の仕事に携わることになりました。
その後、再び尼崎にて事業を興し、順調に発展、今極めて幸福な生活を送っていらっしゃるのであります。

たしか御相談を受けた2、3日後であったかと思います。
御主人と子供さんの指導のために、越智さんの家を訪問させて頂きましたら、奥さんの心が変ったためか、
子供さんが幼かったせいか、このお二人の御病気はその場で治癒してしまったのであります。

これにはこちらが驚かされてしまいました。本当に聖経『甘露の法雨』にあります通り、
“健康と境遇とを変うる事自在なり”とは真理であります。  (44・1)



・・・



第11編  神想観に憶う

《続けることの力》

1月ともなると、神想観に来る人がめっきり少なくなって、留守居の小島さんが不在の時には、
私一人がお祈りして帰って来ることがあります。
そんな時私は、しみじみと自分は幸福であると憶うのです。

なぜなら、人間は得てして安易に妥協し易いもので、もし道場が奈良市にあるとか、
適当に交替してくれる人があれば、自宅で10分か20分の神想観でお茶を濁してしまうかも知れない。

それが10年以上も、こうして休みなく続けさせて頂けるのも、
周囲の事情がそうせざるを得ないのであって、信仰の上から誠に有難いと言わざるを得ないのです。

しかし私の家内から見ると、いささか私が気の毒に見えるらしく、
私の神想観もまだ本物になり切っていないと反省しています。

私は、神想観の後で大抵1、2通手紙を書かせて頂く。
病人に対する見舞いや、全国から送られて来る信徒の方々の返事を認(したた)めます。
道場から帰ると仏壇に聖経を誦げることも、もう長い習慣となってしまいました。

こうして私の心の中は常に仏の無碍光に充たされ、祖霊と愛念が通い合って、
今日もまた生かされているという悦びで一杯になりながら、一日の仕事を始めさせて頂くのであります。

“観自在菩薩行深般若波羅蜜多”と『般若心経』にありますが、
信仰にはやはり行が伴わねば本物とはなりません。
ことに私のような愚鈍の者には、この続けるということが何より大切だと思わせて頂くのです。


                  ・・・


《周利槃特(しゅうりはんとく)が菩薩となるまで》

先日も、仏典の中の周利槃得のお話を読ませて頂きましたが、
槃特はとても頭の悪い愚か者でありまして、釈尊のお弟子になっても、何一つお経が覚えられない。

彼は自分の愚かさに愛想をつかして、ある日師の釈尊に向って、

「私のような愚か者は、とても先生の弟子としての資格がない」

と言って嘆くのです。

しかし釈尊は槃特を励まして、

「いやいや世の中の人は、自分の愚か者であることに気が付かずにうかうかと暮している。
だがお前は、自分の愚か者であることに気が付いているのだから、お前は本当の愚か者ではないのだよ。
悲観せずに次の言葉を終日唱えるがよい」

とおっしゃって

 “三業(ごう)に悪を造らず
  諸々(もろもろ)の有情(うじょう)を傷つけず
  正念(しょうねん)に空(くう)を観ずれば
  無益の苦を免るべし“

と教えたということであります。

槃特は、何年も何年もこの言葉だけを唱えて、ついに菩薩の道を体得した、と書かれています。

三業とは身口意(しんくい)の業です。いわゆる十悪のことですね。
諸々の有情とは、すべての生きとし生けるものです。
正念に空を観ずるとありますのは、ひらすらに現象の悪を否定し、完全円満な実相を観ぜよ、
ということです。

考えてみると、この言葉がそのまま仏教の真髄であり、生命の実相なのです。
槃特ならずとも、この真理の言葉を魂の底に叩き込ませたなら、
無益の苦しみを免れることは当然のことと言わざるを得ません。


                ・・・


《マコトの願いを》

有名な『歎異抄(たんにしょう)』の中に、

「弥陀の本願には、老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要すると知るべし。
その故に罪悪深重煩悩熾盛(しじょう)の衆生をたすけんがための願にてまします」
 
というお言葉があります。

弥陀の本願とは、如来が人を助け救わずにはおかぬマコトの願いであります。
それには老少善悪の人をえらばれずで、善人だから救われるとか、悪人は除外されるとかの問題ではない。

むしろ如来の慈悲は悪人正機(しょうき)で、善を鼻にかける善人より悪を悪として
神仏の前にへりくだる人の方が、仏の慈悲につながる率が多いということであります。
従って、老少善悪には関係なく、ただ、信心が必要であると諭されたのであります。

この信心の「信」という字は「人扁(にんべん)にコトバ」と書きます通り、
人が内なる神のコトバに素直に従うという字なのです。
即ち信心とは神のコトバ、如来のコトバの教えるままに、素直に行じさせて頂く心ということです。

私達が神想観をさせて頂くのは、この神様のコトバを聞かせて頂く行なのです。

人間は誰でも神の子なのですから、神様からお言葉を頂くことが出来るのです。
でも、それに素直に従う人は案外少なくて、大抵は聞いても聞えない振りをしてしまうのですね。
それで次第に神様は何も教えて下さらなくなってしまうのです。


                   ・・・


《まごころはついに人を救う》

この間も、神戸から練成に来られた、武田雅子さんとおっしゃる御婦人がいらっしゃいましたが、
カーシング症候群とかいう大変むずかしい病気で、高血圧と不眠症で4年間も病院通いをして
苦しんでいられたそうです。

それで奈良の妹さんが、姉さんの病気を癒やしてあげたいと思って、
4年間も『白鳩』誌や『生長の家』誌を送り続けてあげたのですが、
何と一回も開封せず、ただ医療だけに専念していらっしゃったといいます。

これなどは、弥陀の誓願が、妹さんを通して4年間も慈悲の言葉を授けかけて下さっていたのですが、
聞く耳を持たぬ人には所詮無駄だったのですね。でも妹さんは最後まで諦めずに、
とうとう奈良の見真会に連れて来て下さったのです。

そして僅か三日間ですが、その間に、この雅子さんの心は大きく神様の方に転心せられたのです。
これが廻向ということですね。この方の消息は、10日後に来た彼女の手紙によって明らかでございます。

「北尾先生、有難うございます。お忙しい中、早速お返事賜わり厚く御礼申し上げます。
おかげ様で、お薬も飲まなくてよいようになりました。夜も睡眠薬なしでよく眠れるようになり、
4年越しの病院通いとも縁が切れまして、全快の内祝も致しました。……(以下略)」

 
また、同じ見真会に、貝塚から来られました田上ハマエ様も、
永い間脱肛で悩んでいらっしゃったようですが、次の通り嬉しいお便りを下さっています。

「合掌、有難うございます。
先日お伺い致しました折は、本当に大変お世話でございました。
お蔭をもちまして、脱肛の方も、とても楽になり、毎日喜んで暮させて頂いています。
本当に有難うございます。

病気が無くなった、ということは、本当に身も心も晴れ晴れ致す心地です。
今の気持ちを忘れずに、自から神様ありがとうございますと合掌して、
今日も見守られている我が身を感謝致しています。……(以下略)」


“弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、
念仏申さんと憶う心のおこるとき、即ち摂取不捨の利益にあずからしめたまうなり”
 
と親鸞聖人のお言葉でございますが、心からみ仏の加護に生かされていると憶えば、
皆摂取不捨(救わずにはおかぬ妙智力)の利益にあずからさせて頂くのでございます。

尊師の教えが、こんなにも身近に即身成仏の真理を体得させて下さるということは、
生長の家はまことに多少善悪を選び給うことなく、相共に、阿耨多羅三貌三菩提
(あのくたらさんみゃくさんぼだい)(無上正等覚)を得させて頂くのでございます。


                 ・・・


《阿弥陀さまは今ここに》

ところで、即身成仏について、昨日、白隠禅師とある老人のまことに面白い対話を読ませて頂きました。
それは、白隠禅師がある所で説教をせられたのですが、その席に一人の念仏爺さんがいらっしゃって、
一言一言に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお唱えになるのですね。

私でも北陸地方に参りますと、よく経験することですが、白隠禅師もひどく気になりまして、
説教のあとでその爺さんを読んで、「念仏は一体何の呪(まじな)いであるか」と聞いたのです。

するとその爺さんは、

「これは凡夫が仏になる呪いです」

「なるほど。ところで阿弥陀さまは一体どこに居なさるのか、今も極楽に居なさるのか」

「禅師さま、阿弥陀さまは只今お留守です」

「お留守? 」

禅師もこれには驚いて、

「それでは一体、何処へ行きなさったのかな」

「禅師さま、阿弥陀さまはただ今ここにおいでですよ」

とその爺さんは自分の胸を叩いたので、さすがの禅師も感心した、と書かれてありました。

まことに立派な即身成仏の真義ですね。

私達が神想観をさせて頂くのも。『生命の實相』を読ませて頂くのも、
結局は、ここのところを悟らせて頂くことであると憶うのです。

“もはや吾れ生きるにあらず、キリスト此処にあって生くるなり”のパウロの言葉の通り、
弥陀の本願を一筋に日常の生活にまことを持って行じさせて頂こうではありませんか。

(47・3)



・・・


第12編  四無量心を生きる

《自由解放のために》

人間は神の子、仏の子であって、神の生命の体現者なのです。
しかし現象的にはなお不自由不完全な生活を営んでいる人が大変多いのであります。

その理由をよくよく考えてみると、せっかく神の子の生命を頂きながら、
うかつにもその導きに気付かず、いたずらに罪悪感や自己劣等感に取り付かれて、
自ら不安と悄愴(しょうそう)の日々を送っていらっしゃると思われるのであります。

 
神の子には神の心が宿り給うのです。仏教でもこれを仏心と申します。
『観無量寿経』を読むと、仏心とは四無量心これなり、と説かれていますが、
人間が一切の苦悩を解脱して、本来の自由無碍自在の生命を体得する最高の道は
この四無量心の正しい理解と実践による他はないのであります。

 
では一体四無量心とは何でしょう。
無量とは量(はか)り識(し)ることの出来ないほど尊いという意味であって、
この無量の心を生きることによって、たとえ今どれ程の悲惨な境遇にあっても
弥陀の本願に救いとられることは間違いないのであります。


               ・・・


《慈悲の心》

さて、四無量心とは慈悲喜捨の心であると説かれています。

神は愛なり、仏は慈悲なり、という言葉はしばしば言われることであって、
その意味の尊さは既にどなたでもお知りなっていらっしゃると思うのです。

でも世の中には、愛とか慈悲とかいうものは、神さまや仏さまが、
吾々人間に与えて下さるものだと誤解して、それを貰うために
ひたすら信心していらっしゃる方が案外多いのじゃないかと思われるのです。

この慈悲とか愛という心は、私達が求めるものでなく、
既に人間の本質として私達の中に初めからある心なのです。

 
慈悲というのは、その文句の解釈から行くと抜苦与楽(ばっくよらく)という事だそうですが、
誰かが悩んでいるとか、苦しんでいるとかすると、ああ、可哀想だな、何とか救ってやりたい、
助けてあげたいな、と感ずる心なんです。

これは人間たる限り、感じない人はないはずなんです。
ところが、それを感じて、それでは早速腰をあげて助けに行ってあげるとかと言うと、
なかなかそうなさらないのです。

何故出来ないかというと、あれはよその人であって私には関係がないとか、
お金や時間が無駄になるから止めときましょう、とこうなってしまうのです。
ですから世の中を見ていると薄情な人ばかり多いように考えられるのです。

 
けれども本当はそうじゃない、皆心では愛を出してあげたいのです。
布施もして上げたいのです。人間は神の子ですからこんなことは当然のことです。
して上げたい、して上げたいと思いつつ、出来ないために随分悩んでいらっしゃると思うのです。

そこでこの物質的な制約をとって、金よりも物よりもこの慈悲の方がもっと大切なんだ、
お前は神の子じゃないか、だから一つ積極的に今日もやらせて頂きましょう、
というのが本当の信仰というものになるのであります。

 
昔、光明皇后さまという大変慈悲深い方がいらっしゃいましたね。
毎日薬湯をたてて、全国の病人さんを入浴させて、その背中を流してあげられる。
痛んでいる処は撫でてさすってあげられる。なかなか尊いことです。

ある時に物凄い癩病(らいびょう)の患者が訪れて来ました。
皇后さまは、可哀想にというので特別によく効く薬湯をたてて入浴させてあげて、
その傷口の一つ一つを丁寧に洗ってあげられるのです。

するとその病者が一番ひどい傷口を示して、“皇后さま、私はここが痛んで仕方がない。
まことにすみませんが、あなたのその尊い唇をもって、この傷口の膿を吸い取って頂けませんか”
と言ったと言います。

すると皇后さまは一つもいやな顔をなさらないで、即座にその膿を吸い取ってあげた、というのです。
これが本当の仏心発露です。

 
いつでしたか尼崎の石原幸子先生が、腸閉塞で、余命いくばくもないという幼児の肛門を
衆人環視の中で唇をもって吸い取って、口から顔から全身大便まみれになって、
その幼児の生命を救うことが出来たという尊い体験を聞かせて頂いたことがありました。


こうした深い愛念を通して、大宇宙に遍満していらっしゃる神との一体感が得られるのであります。
単に自分の子供や兄弟を愛するという程度の慈悲心をもって、無限の功徳を汲み取ろうと思っても、
柄杓(ひしゃく)の底が浅いため渇いた喉を潤すにも足りない功徳しか得られないのは
当然のことであると思います。

“功徳の法界(ほっかい)満ち満ちて”と親鸞の言葉にもありますが、
功徳は常に私達の周囲に遍満していながら、慈悲のパイプを詰まらせぬように精進したいものです。


                 ・・・


《喜の心》

四無量心の第三は喜(き)の心です。
読んで字の如く喜ぶ者のみ喜びを受けられるということです。
特に人の喜びを見て吾が喜びとしなければなりません。

人が折角喜んでいるのに、ケチをつけるなどは、悪魔のすることです。
また、自分自身どんな些細なことにも喜びを表現しなければなりません。
幾ら親切にして頂いてもちっとも喜べない人がたまにはありますが、
こういう人は絶対に救われるはずはありません。

 
先日も少しも嬉しそうな顔をなさらない奥さんがありまして、
神経痛か何かで、神想観に通って来られました。

「あなたもっと笑いなさいよ、嬉しい顔をするのですよ」

と申上げたら、

「私はきついきつい姑にかかりまして、笑えなくなってしまいました」
 
とお答えになりました。

もう10年も15年も過ぎ去った昔の辛さを現在も持ち続けて、
自分の不幸の原因は皆その姑のせいであると言わんばかりの言葉を伺って、
この人の神経痛は癒らんのが当然だ、と思いました。

何年前にあったことか知れませんが、今笑わにゃいかんと思います。

「笑う門に福が来る」とは良く言ったものです。
どんな些細なことでも、出来るだけ大きく表現して悦ぶ人は幸福です。
そんな人は病気になんかならないのです。

子供なんかでも「ちょっとも私の言うことを聞かん」と言って嘆いていらっしゃる母親がありますが、
子供のしてくれることを喜んでやることをしないからなんです。

一家の中なんか、老人のすること、若者のすること、たとえそれが自分の意に反する結果であっても、
して下さったという好意に対して一応は喜んであげることです。

 
私の母は生前猫の額ほどの処で、よく野菜を作って楽しんでいました。
日当たりの悪い街の中ですからキュウリを作っても、エンドウを作っても、
もう八百屋の店前でほかすようにならないと出来ないのです。

それも僅かですから、苗の方がずっと高くつくのです。
家内なんかやはりソロバンをはじきましてね、あまり嬉しそうな言葉を掛けてやらないのですが、
私は生長の家の真理に照らして“良く出来ましたね、

これ、あっさり漬けにするととっても美味しいだろうな”なんて言ってやると、
とっても喜びまして「貞子は黙っているが、兄ちゃんは喜んでくれる」と、
笑顔をほころばせていました。

皆様には夫や両親から何か買ってもらったら喜びますか。
この表現の少ない人は幸福に恵まれないと思います。


                   ・・・


《捨の心》

次に捨得ということです。
これは握っているものを放つということで、
生長の家は「ネバナラヌを解消する教え」だとよく言われます。

人間は何でも掴んだら苦しいですよ。
金でも物でも、人でも、そのことに執着すると自由を失ってしまうのです。

皆様は節分の行事というものをおやりになるでしょう。
あれは追儺(ついな)の行事といって、困難や不幸を追放する呪いなんです。
握っている豆をまいて「鬼は外、福は内」とやるのですが、いったい鬼はどこにいるでしょう。

あの仏教の経文の中に、

 我昔所造諸悪業
 皆由無始貪瞋痴
 従身語意之所生
 一切我今皆懺悔

という言葉がありますね。

この言葉はくだいて解釈すれば、自分達の周囲に現われて来る諸々の苦しみ、
例えば病気とか、苦難とか、貧乏とか、不良少年とか、まあいろいろとありますが、
この諸々の不幸というものを、その原因を尋ねてみると、皆私達の心の中に起こした
貪瞋痴(とんじんち)の心がそこに現われているのです。

ですからその心を一遍サラリと棄て、吐き出してしまったら、
もう不幸なんて、一遍に消えてしまいます。

従って不幸のもとは貪瞋痴にあるということですね。

皆様は鬼の指が何本あるかご存じですか。あれは3本しかないのです。
5本書いてあれば間違いです。余分の2本は頭の上でニューと突き出ているのです。
この3本の指が貪瞋痴を現わしているのです。

世の中にはお不動さんを信仰していらっしゃる方が沢山ありますが、あの不動さんがいかめしい姿で、
右手に剣をかざし、左手に三ぞう半の綱を持って立っていらっしゃいますね。

あのお不動さんが何故自動車なんかの守護神(おまもり)として効能があるかというと、
左手の綱で、私達の貪瞋痴の心をしっかりと縛っちゃって一切出さんようにせよ、
ということを教えて下さっているのです。

人間は貪瞋痴の心さえ出さなければ、車が衝突したり、人を撥ねたりせんのは当然のことなんです。
世間ではお札が効くように思って誤解をしている人がありますが、
あれは私達の心を不動明王の生命に付託するという意味からきていると思うのです。

 
さて貪瞋痴とは何かというと、貪は即ちむさぼりの心ですね。
瞋というのは瞋恚(しんに)すなわち怒りの心、腹立ちの心です。
痴というのは愚痴、泣き言です。

天理教ではこれを八つのホコリとして、
おしい、欲しい、可愛い、憎い、恨み、腹立ち、欲、高慢と分けて
かたく戒めていらっしゃるのであります。

ですから私達がちょっと欲の心を起すでしょう。

ムカムカと腹を立てるでしょう。愚痴や泣き言を並べるでしょう。
それが鬼の姿であって“この世は一念十界”と言って、自分の心によって地獄、餓鬼、畜生から、
天人、仏の浄土まで、十の世界を自由自在に現出することが出来ると説かれていまして、
欲相応、怒り相応の餓鬼やら修羅の地獄絵が、その人の目の前に湧出して来るのであります。

 
ちょうど十階のビルがあって、
スイッチだけて運転される自動式のエレベーターに乗っているようなものです。

ボタンを一つ押すと、地獄でも、畜生道でも、天人界でも幾らでも顕わすことが出来るのです。

私達が“鬼は外”とやるのは豆をまいているようですが、本当は

「今日只今より私は欲を出すことを止めた、腹を立てることを止めた、愚痴や泣き言を言うことを止めた」 

と宣言しているようなものです。

鬼なんか始めっから何処にも居ないのですが、自分がちょっと引っかかっているだけなんです。

昔の道歌に

“首にかけたる人形箱 仏出そうと鬼出そうと”

というのがありますが、全くその通りであります。  (43・3)

「幸せは今ここに」〜その8 (16)
日時:2016年04月13日 (水) 21時50分
名前:伝統

第13編  無財の七施

《六波羅蜜の第一》

『般若心経』の中に、彼岸(極楽浄土)に至る6つの尊い行が説かれております。
この六波羅蜜については、尊師谷口先生が『あなたは自分で治せる』という御著書の中で
詳しく御説明下さっていますから、ぜひ御熟読頂きたいと思いますが、
その六波羅蜜の最初の関門が布施行なのであります。

維摩詰(ゆいまきつ)も“布施はこれ菩薩の浄土なり”と
光巖童子(こうごんどうじ)に向って、その尊さを説いていられます通り、
布施は人間が肉体の繋縛(けいばく)から解き放つ一番大切な愛行なのであります。

皆様が聖使命会費を納めるとか、道場などへの献資、あるいは百部一括の愛行などに
日常御精進下さっている功徳は、最上最尊と『聖使命菩薩讃偈』に讃嘆されているのであります。

だいたい、人間の不幸は肉体本能に付属する欲望の追求から生じるのであります。
この欲望に打ち克つためには、この布施波羅蜜が最も肝要なのであります。


               ・・・

《財はなくとも》

ところで、布施というと私達は物や金のことばかり考えたがるのでありますが、
物施の外に法施という真理を布施する愛行や、無畏施(むいせ)というて、恐怖心を除いてやる愛行もある
のでありまして、法施や無畏施の価値は物施より数段優るものであると、釈尊は教えて下さっているので
あります。

従って、皆様が生長の家の真理を伝える愛行は、最も素晴らしい法施であり、無畏施なのですから、
その功徳もまた一段と素晴らしいのであります。

“自分が悟らんのに、とても他人にお薦めは出来ません”とおっしゃる方が時々ありますが、
こんな人は布施の功徳をみずから拒絶している人でありまして、
まことにお気の毒な人と言わざるを得ません。


「無財の七施」という言葉があります。
これは、法施や無畏施と同じことで、人間無一物であろうと、今すぐに何処でも出来る
七つの尊い愛行なのであります。それは次の七つでありあます。

和顔施
愛語施
慈眼施
身施
心施
房舎施
床座施


                 ・・・

《和顔施》

まず、和顔施とは表情です。
どんな顔を毎日していらっしゃるかということです。

世間には随分むっとした表情の人があります。
そんな人は“俺の顔を俺がどんなにしようと放っとけ”と考えていらっしゃるようですけれども、
はたして自分だけの顔でしょうか。

女の方ですと、起床するとすぐ鏡の前でお化粧をせられる。
随分長い時間を掛けてなさいますね。
あれは皆他人に見てもらうための化粧だと思うのです。

考えてみると、ご主人の顔は奥様や子供さんが見て暮していらっしゃる。
奥様の顔は、やはり御主人や子供さんが見て楽しんでいらっしゃる。
御自分の顔であって、決して御自分の顔ではない。

ちょっと顔を顰(しか)めてごらんなさい。
周囲が随分迷惑をせられるでしょう。
そこで出来るだけニコニコして、御家庭の皆様にも良い印象を与える。

これは素晴しい布施行なのです。
私もこの和顔施を実施することによって、病気が癒やされたのです。

運命の暗い人や病気の人は特に、この和顔施を実行すると良いですね。


                 ・・・


《愛語施》

次に愛語施とは言葉の布施です。

優しい愛の言葉をかけてあげる。
励ましてあげる。
感謝の言葉を出す。

素晴しいですよ。

生長の家では、“言葉は神なり、言葉によって、一切が創造される”と教えて下さるのですが、
教えてもらっても実行しなければ駄目です。
愚痴や小言ばかり言っていると、人間の運命は一度に狂ってしまいます。

 
運命という字は、命を運ぶと書きます。
命は命令の命ですから、あなたが毎日どんな命令をかけているかですね。

嬉しいこと来たる、素晴らしいこと来たる、と自己を祝福する言葉をかけている人には、
必ず素晴らしい運命が運ばれて来るのです。

しかし、小言ばかり言ってごらんなさい。
御主人(または奥様)や子供さんまで敵になってしまいます。


                 ・・・

《慈眼施》

次に慈眼施です。
優しい柔和な眼です。

だいだい、目も言葉を出しているのです。
よく、“私は夫に何にも口答えしませんが、主人は私をひどい目にあわせるのです”
と訴える奥様があります。

たとえ言葉の上では何にもおっしゃらなくとも、目が咎(とが)めているのです。

目は女(め)です。
顔の中で、一番美しい優しい女性的な使命を持っているのが目です。

ですから、眼だけは瞼(まぶた)が上から降りてきて、眼を保護するようになっているでしょう。

たとえば口などは下顎(あご)が上顎に合わせて行きます。
上顎は夫であり、下顎は妻です。
男性が天であり女性は地です。
夫である上顎から妻である下顎には絶対合わせに来ないでしょう。
これが天地自然の法則なのです。

それが目だけは上瞼から降りて来るのです。
不思議ですね。ここに神意があるのです。
あなたが幸福になるためには、常に優しい目をすることです。
それがこの上もない布施行なのです。

 
かつて徳久克己先生から伺った話ですがスター・デーリーが日本に来た時に、

「あなたは、前科十何犯の囚人だった頃に牢獄の中でキリストの幻(まぼろし)を観、
そのキリストの愛の眼差しに触れて転向した、とお書きになっていられますが、
キリストの目はどんな目でしたか」
 
と尋ねると、デーリーは

「それは、何にも咎めない目である」
 
と答えられたと聞かせて頂きました。

私達も常に、キリストの如き愛の眼を周囲に向けようではありませんか。


                 ・・・

《身施》

身施とは深切行です。
天理教でいう「日の寄進』ですね。

天理教の御本部に参拝しますと、玄関に脱ぎ捨てた靴が、
いつの間にか磨かれてあって驚くことがありますが、
とにかく“神様のため、他人(ひと)様のためのこの身を寄進させて頂く”
という信仰には頭が下がります。

皆様も誌友会のポスターを貼ることなどは、最も尊い身施です。
もっと徹底して愛行させて頂きましょう。


                 ・・・

《心施》

心施とは心の布施です。
愛念です・仏教的に言えば、大慈大悲の心です。
不幸な人を見たら、慰め励ましてあげる心です。

教化部に於ける集団祈願などは最も大きな心施であります。

世の中には薄情な人が多いようですが、
本当は皆神の子仏の子なんですから、大悲の心が宿っているのです。
ただ自他一体の自覚に欠けているが為に、つい薄情になってしまうのです。

この大悲の心を汲み出すのが、信仰だと思います。

かなり前に大阪の講師会長をしておられた稲岡福蔵講師から、伺ったのですが、
稲岡講師はきつい継母(おかあ)さんに育てられたそうです。

そして、義理の妹さんが2人いらっしゃって、お母さんがおやつを下さるのですが、
義妹(いもうと)達には甘いお菓子が一杯入っているのに、
稲岡講師には何時も空豆が10粒ほど入っていたそうです。

兎に角一事が万事で、とうとう15歳の時に家を飛び出して鉄工所の徒弟に住み込んで、
苦しい修業をされました。そして20年後に親方から認められて独立させてもらったのです。

さて一人前の工場主になると、忘れられないのがあのきつい継母の姿でした。
今こそ恨みの言葉を返してやらねばならぬと、
当時贅沢であった人力車に乗って、継母の家を訪れたそうです。

行ってみると、継母は病床にあって、昔の恐い俤(おもかげ)はどこにもなく、
福蔵さんの姿を見ると、涙を浮べて謝罪(あやま)られたそうです。

「立派になって下さったな、あんたはわしを恨んどるやろなあ、きつい事ばかりして、堪忍ですえ」

継母に会ったら、ああも言ってやろう、こうも言ってやろう、と思っていた恩讐の憶いが、
その継母の痩せさらぼうた姿を見た瞬間、消えてしもうたそうです。

そして反対に“この継母あればこそ、20年間の辛い徒弟生活を頑張り抜くことが出来たのである”
と思えて、反対に深い感動を覚えた、と話していられます。
稲岡講師は、その場で継母さんを引取って、親孝行をせられたのです。

「70幾歳まで一本の虫歯も無く、自分の歯で食物を食べることが出来るのは、
やはり小さい時に甘い物を食べさせてもらえなかったお蔭です。恨むことなんて勿体無いことです」

とおっしゃいましたが、考えてみると悪いのは一つも無いのですね。
この稲岡講師の心が、大悲の心です。

ちょっと気に入らぬことを言われると、すぐ感謝を忘れるようでは大悲の心とは申しません。


                   ・・・

《房舎施》
   
房舎施とは、家や部屋の布施です。
隣組の常会などがあると、進んで家を開放する。
生長の家の誌友会などは最も大きな房舎施です。

畳がいたむとか、煩わしいとか、兎に角神の子を排斥するようではその家は栄えません。
御自分の土地や家を道場や公園に提供するなどもまた大きな房舎施と言えるでしょう。
一人でも多くの人に、悦んでお家に来て頂くことにしましょうね。


                   ・・・

《床座施》
    
床座施とは、座席の布施です。
列車で老人や病人に席を譲ることです。

昔は進んでこうした愛行を実行したものですが、近頃は学生でも知らん顔をしている。
これではいけません。

この布施は、易しそうに見えて一番難しい愛行なのです。

僅かな距離ならいいが、東京、大阪ともなるといくら
「己れ未だ度(わた)らざるに他人を度さんと発願修行するもの、誠に菩薩の位に進む者」と
『聖使命菩薩讃偈』に教えられていても、

他人未だ坐らざるうちに、まず自己を坐らさんと発願して、
押しのけ、はねのけ、突進するのが人間の煩悩でございます。

この煩悩を滅尽するのが、波羅蜜の尊さです。

また床座施には、施しを受ける人の受け方も大切です。
折角の愛念に礼一つ言わぬ人をみると、青年の善意も失われてゆく結果になります。


以上を七つを「無財の七施」と言います。
一文の財も無くとも、そのまま仏の心を行ずることが出来る愛行なのですから、
喜んで精進させていただきましょう。

                                (46・12)

・・・

<関連Web:光明掲示板・第一「無財の七施 (356)」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=110 >

「幸せは今ここに」〜その9 (17)
日時:2016年04月15日 (金) 03時02分
名前:伝統

第14編  生長の家の信仰と行

《六波羅蜜を行ずること》

『生命の實相』第3巻に、「生長の家諸説の真理は、神が、至上の愛が、
万物を生かすところの真理を人間に吹き込んで、その人間の筆により仮に書かせたものである。
だから真理のよって生かされないものは何ものも無い」と示されてあります。

至上の愛とは、仏教でいう如来の本願であり、宇宙に偏在し給う大慈悲そのものであります。
この大慈悲そのものであります。

この大悲の願いが尊師谷口雅春先生を通して天降り示されたのが『生命の實相』であります。

『法華経』の自我偈に、“余国に衆生の恭敬(くぎょう)し信楽(しんぎょう)する者あれば、
我れ復(また)彼の中に於て為に無上の法を説く”と書かれています。

従って今この日本に於て釈尊の生命が谷口先生として誕生し給い、最高の真理をお説き下さることは
誠に有難いことと言わざるを得ません。私達はひたすら至心信楽(しんぎょう)の願を通して
人類光明化という聖なる使命を全うすることに邁進しようではありませんか。

 
ところで至心信楽というのは、なかなか容易なことではないのであります。
生長の家ではよく「話を聞いたら幸福になる、御本を読んだら幸福になる」と教えて頂くために、
爾後の行を疎かにして脱落していく人が大変多いのは残念なことでございます。

勿論これは導きをさせて頂くこちらの側にも責任があるのですが、
聴く側にもマコトが足りないのでございます。

『般若心経』というお経がございますが、あの中に、
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」
という言葉がございます。

観自在菩薩とは特別な仏さまではなく皆様一人一人が観自在菩薩なのです。
大抵の人は自分を肉体であると思い、不自由不完全な存在であると想っているでしょう。
そう想っているから、その想念の通り人間は病むべき者、死すべき者、苦しむべき者という
不完全な現象が現れて来るのであります。

この世界は人間の想念が描きだした化城(けじょう)なのですから、自己の観ずる通りに顕われるので、
まず自己を自由無碍自在な神であり、如来であると観ずる、ということが大切です。

そして深般若(じんはんにゃ)とは般若の智慧です。如来の智慧です。
人間の知恵でなく神そのものの心を持て、ということです。

そして波羅蜜、即ち六波羅蜜を徹底的に行じなさい。

さすれば現象界のもろもろの相(すがた)即ち五蘊(うん)は皆空で、在るかの如く現れていても
本来実在でなく、すべては夢幻の如きものであるから、太陽の前の霜の如く消滅して、
一切の苦厄を度し給う、即ち消滅せざることはない、と示されているのであります。

この心経に書かれている通り、神の心、仏の心を持って六波羅蜜を行ぜよ、ということであって、
これが『大無量寿経』の至心信楽の願に通ずるのであります。

ところで皆様は六波羅蜜のことは先刻御承知のことだと思いますが、念のため説明すると、
それは布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅譲、般若の六つであります。


                  ・・・

《布施》

最初の「布施」は施しです。惻隠の心です。

人間の不幸はまず執着というものから生じるのです。

谷口先生の戯曲の中にも、「悪魔サタンは善でも悪でも執着する心から人間の内部に侵入する」と
書かれた所がありますが、金でも人でも物でも、在ると思って執着すると自由自在を失うのです。

釈迦はそのことを知って布施を波羅蜜の第一に掲げられました。
『維摩経』の中にも、布施はこれ菩薩の浄土なりと、布施行を讃えてありますが、
布施はこの人間の執着心を捨てさせる方便でまことに尊いのであります。

近頃神誌百部一括運動が各地で活発に行われていますが、
これは法の布施と物の布施を兼ねた最も尊い愛行ですから、その功徳もまた絶大であります。

先日岐阜の川上先生が話しておられましたが、大津の山中先生が宇治別格本山で千部一括の体験を
伺い、非常な感激を受けて早速帰宅後、自分も35万円出して千部一括を申し込まれたのです。
さて1千部の神誌が届いてみると、その嵩にびっくりしてしまわれたんです。

早速ご近所の友人に配られたのですが、いっこうに減らないのだそうですね。
そこで奥様と相談をして、毎朝店を開ける前に20冊ずつ持って
近くの団地に配本することにせられましたが、それでも毎日通って20日かかったそうです。


私はこのお話を聞いてまことに尊い布施行だと思うのです。
正しい信仰というものはこうした尊い行を伴わなければ嘘ですね。
これは単に1ヶ月だけのことではない。山中さんはそれをずーっと毎月続けていらっしゃる。

ところがそれ以来山中さんの商売は飛躍的に繁昌して、35万円の布施が倍になって帰って来た
とのことでありますが、その功徳は当然こことだといわなければなりません。

 
奈良県でも宇治別格本山の御講習会で体験談をお話になりました高田登起子さんという
素晴らしい菩薩さまがいらっしゃいます。

今から3年ほど前、高田さんは平清水という奈良郊外の山の中のゴルフ場に
兵庫県から引越して来られたのです。高田さんは旧(ふる)い旧い生長の家の誌友さんなのですが、
これまでは単に修養のつもりで愛読していらっしゃったのです。

ところが奈良県で毎月行われている2泊3日の見真会に出席して、
「信仰とは行動を伴わなければならない、愛行こそ我が使命なり」を感得せられたのです。

それまでその山間僻地には一人の誌友も信徒もいらっしゃらなかったのです。
その上他国(よそ)者であるゴルフの場長さんに親しみを示す人もまた
そこにはいらっしゃらなかったのです。

そこでまずこの人達との違和感をとらなければならない、と感じられ、
花の好きな登起子さんは村のバス停やお地蔵さん、役場、交番、集会所等、
いたるところに毎日のように美しい花を活けまして、

村人が茶を摘んでいらっしゃるとその茶摘みを、畑を作っていらっしゃるとその畑の手伝いを、
自ら進んで手伝いながら『白鳩』誌を一冊、二冊と勧め始め、村から村へとその範囲を拡大して
行かれて、3年後の現在、遂に新奈良誌友相愛会を開設し、70名の聖使命と250冊の神誌を
頒布するまでに発展せしめられたのであります。

まことに山中さんといい高田さんといい、観世音菩薩そのものであります。


                   ・・・

《持戒・忍辱・精進》

さて「持戒」というのは戒律を守ることで、神の子として正しい生き方を持続せよ、ということです。
こんなことくらい、とつい生活の姿勢が乱れたのでは菩薩の資格が欠けてしまいます。

 
次に「忍辱」というのは辱しめを忍ぶということであって、
従来の辛抱とは根本的に異なるのであります。

考えてみると人間の不幸は感情に支配せられるところにあります。
些細な激情から人を殺して生涯刑務所で過す人もあります。
何事にも動じない人間に自分を高めなければ決して大悟することは出来ないでしょう。

「精進」というのは勿論人生の秘訣であって、怠けていて幸福や成功があるはずはないですね。
先日も音楽の先生と話したのですが、音楽のように天分が左右すると思われるものでも
95%は努力であると話していらっしゃいました。

まして信仰はこの精進が一番大切なのです。


                ・・・

《あるお母さんの話》

先日も、あるお母さまが娘さんの入学のことで相談にお見えになりましたが、
受持ちの先生が「念のために私立を併願しなさい」とおっしゃるので娘さんに相談すると、
「生長の家では信じたら信じた通りになると教えて頂いているのですから、私は県立一本でゆく」
と言ってお聞きにならない。

「真理はなるほどその通りだけれども、現実はやはり万全の方策をとるのが正しい」と
お母様がおっしゃると、お母様は勝手やと言って聞かないのだそうです。

「考えてみると娘の言う通りなんです。心配せずに神様に任そうと思うのですが、
恥ずかしいことに、やはり心配で心配でたまらなくなるのです。どうかこの心配の心を救って下さい」
とそのお母様はおっしゃるのです。


私はあの慧可禅師が達磨大師に、
「私のこの悩んでいる心をとって下さい」と言った禅の話を想い出しました。

キリストなら恐らく“汝、信仰薄き者よ”とおしかりになるでしょうね。
私はそのお母様に、次のように申上げました。

「二月堂に行くと、あなたのような方が朝早くから沢山お百度を踏んでいらっしゃいますね。
神様は、あの人はあんなに熱心に足を運んでいるのであるから、可哀想だから救ってやろう、
とお考えになるでしょうか、おそらくそんなことはないでしょう。

お百度やお滝が時に功徳が現れるのは一体何によるかと申しますと、
自分はこんなに一所懸命やらせて頂いているのだから神様は必ずお救い下さるに違いない、
と自分の心を自然に落着かせて下さるからです。

私思うのですが、神を信ずるとは自分を信ずることなのです。
自分で自分を信じられないというのは、あなたに行が出来ていないからなのです。
お百度やお滝が必ずしも救いの条件ではないが、救いの方便であるわけです。

生長の家では3行と言って神想観、聖教読誦、愛行の3つを実践していただいていますが、
少なくともこの3つが徹底的に行じられたら、あなたのその不安の心が必ず滅してしまうはずだと
思うのです。

私はこの奈良県教化部を開設して12年になります。

この12年の間一日も欠かさず早朝神想観を実修していますが、地元の誌友の中でも、
この尊い神想観行事にまだ一度もお顔をお見せにならない方が半分位いらっしゃると思うのです。

こんなことで“私は生長の家をやっている”とおっしゃると、怪しいと思うのです。
生長の家は“話を聞いたら幸福になる”とまことに都合の良い方便に満足して、
何時までもその辺をうろうろしていたのでは、何年経っても幼稚園に過ぎないですね。
中学、大学と自ら学び行ずる行というものが案外なおざりになっているのは残念でなりません。

生政連の活動でも私は政治が嫌いだと、勝手なことを言って、尊師の血涙をもってお説き下さる
優生保護法の改正や憲法改正にいっこう協力して下さらない方があるのは、
まだまだ信仰の初歩の段階を経ていらっしゃらないからなのです。

先日も奈良県白鳩会連合会長の諏訪三千代先生と御一緒に宇治に寄せて頂く自動車の中で
伺わせて頂いたのですが、昨年秋の白鳩大会の前々日のことだそうですね。

御主人はいつも会社の車で送り迎えしてもらっていらっしゃるのに、
その日、御自分の車が外出していたのだそうです。それで他の人に頼んで家まで送ってもらったら、
その途中で5歳位の子供を跳ねてしまったのです。

運転手が真青になってその子供を病院に運びまして、警察に連絡するやら、
現場検証で11頃しょんぼりと帰っていらっしゃったそうですね。跳ねたのは運転手だと言っても、
事情が事情だけに俺は責任がないと言っているわけにはいきません。

『三千代、私は覚悟して帰って来た』と御主人はおっしゃったのです。

一瞬三千代さんは身体全体が痺れたように感じたそうです。そうでしょう。
交通事故というものはことによっては相当な財産でもふっ飛んでしまうんですから当然なことなのです。

でもさすがに諏訪さんは立派でしたね。
『生長の家は悪いことは絶対に起りません。お父様、心配しないで一緒に祈りましょう』
とおっしゃったんです。

それから仏壇の前に坐って、それはもう一心に聖経を誦げられたのです。
そして5回目か6回目になると、三千代さんの心はずーっと落ち着きました。

『もうこれだけ誦げさせていただいたのであるから神様にお任せしよう。
神様が悪いようになさるはずはない』と思ったそうです。これが信というものです。

汝の信仰汝を癒やせり、です。
三千代さんの平素の信仰がこの聖経読誦によって信念となって出て来たのでしょう。
夜中の3時頃だったそうです。

それから寝みまして翌朝病院に寄せていただいたら既にその子供さんは退院をしていらっしゃって、
どこにも異常が認められぬということで決着したそうです。

私はこの時の諏訪先生の態度が立派だ、と讃嘆させて頂くのです。
誰でも悪い方へ、悪い方へと解釈します。
しかし實相を観る行が出来ていることはありがいことですね。」

 
私は先程のお母様に申上げるのです。
「あなたは子供のために、せめて一日一時間その実相完全円満を祈ってあげなさいよ。
せめて『聖経甘露の法雨』の写本を10巻位浄写させてもらいなさいよ。
更に神誌の愛行を一心にさせてもらいなさい。
その行の中から、あなたの不安は仮ならす消滅するでしょう」と。


                 ・・・

《禅定・般若》

次に「禅定」というのは心を鎮めることです。
人間は煩悩に支配せられるようでは彼岸に度ることは不可能です。

煩悩はこれを絶ち切ろうとすればなかなか苦しいものですが、
人間は神そのもの、如来そのものの自覚が高まれば、無理に煩悩に打勝とうと努力せずとも
自然に神の生活が出来るものです。

『正信偈』の中で親鸞聖人が、「煩悩を断ぜずして涅槃に入る」と書かれていることがこのことですね。

 
最後に、「般若」とは神の叡智を常に受けて、いささかも人間の智慧才覚を出さないことです。
人間の良識、さらに人類意識といった想念の世界から一歩超越して、実相界に超入する生活を
会得するためにも、改めて行の必要なることを深く反省したいものであります。



・・・

第15編  観音信仰について

《観世音菩薩とは》

生長の家は観音信仰であります。
御本尊は観世音菩薩(神道にては住吉大神)でありまして、大宇宙に遍満したまう至上の愛が、
生長の家を通じて人類救済の悲願を成就するために働き給うのであります。

観世音菩薩とは、世音すなわち諸々の衆生の心の響きに応じて諸々の姿、形を現わし給い、
衆生を済度し給うのであります。従って天理教で言う理であり、心の法則にも当ります。

観世音菩薩は三十三身に身を変じ給うと称されていますが、三十三は無限の表現であり、
如何なる形にも現れ給い、衆生を導き給うのであります。

このことを普門品の中で、辟支仏(びゃくしぶつ・ある程度悟りを開いた者)に対しては辟支仏と現れ、
声聞(しょうもん)の者(ただ話を聞くだけの人)に対しては声聞の身を持って済度し給う
と説かれています。

事実、観世音菩薩は常に大衆の中にあって諸々の姿を現わして、
今も私達を浄土に導くための働きを行じていて下さるのであります。

観世音菩薩を如来さまと言わず、菩薩さまと申上げますのは、
私達衆生を離れて観世音菩薩が存在するのでなく、
常に私達衆生の中にあって大悲を行じて下さっているからなのであります。


                  ・・・

《観音さまと一体の自覚》

私達日本人には昔から観世音菩薩を信仰している人が大変多いのであります。
しかしそれが単なる迷信でなく実際に正しい信仰であり、また現実に素晴らしい功徳を頂こうとすれば、
何より観音さまと一つであるという自覚が大切です。

あの有名な野口英世のお母様は中田観音の熱心な信者だったそうで、
晩年産婆さんをしていて沢山の子供をとりあげましたが、一度も難産をさせなかったと申します。

皆が「あんたはお産の神様だね」と言うと、
「どうして、どうして私の力ではない、観音さまと二人連れじゃ、観音さまが失敗なさるはずはない」
と答えられたそうです。

 
これを仏教では勧請(かんじょう)と言いますが、信仰には常にこの勧請の心が大切なのです。
たとえ病気をなさっていても、観音さまと二人づれだと思えば恐怖心はなくなり、
必ず観音さまの功徳を頂くことは当然のことであります。


『観世音』の中に無尽意菩薩という仏さまがあって、釈尊に向って、
「観音さまはどんな仏さまですか」
と尋ねているところがあります。

「観音さまはあらゆる人間の苦しみを済度するために出現せられた仏さまであって、
七難、三毒、二求等、観音さまを念ずることによってどんな苦しみでも必ず救って下さるのだ」 
と説かれています。

七難とは剣難とか、水難、火難とか諸々の難です。
三毒は人間を不幸に陥れる貪瞋痴(とんじんち)という煩悩です。
二求と申しますのは、仮に男の子が欲しいと思えば男子、女子を願えば女子を授けて下さるという
大悲です。

でも私は観音さまを一所懸命祈ったけれども、ちょっとも利益(りやく)がなかった、と
もし仰る方があるとすれば、それは御自分が観音さまと心の波長をお合わせにならなかったから
なのです。

あの観音さまのお姿でも解かります通り、顔が幾つもあったり(十一面観音)、
手が幾つもあったり(千手観音)しているのは、観音さまは何時も私達の中にあって、
常に私達を見つめ、あらゆる手段を尽して下さることを現わしています。

従って私達があの観音さまの御慈悲にすがろうとすれば、
少なくとも私達と観音さまを隔てている迷妄を自ら棄てなければなりません。

あなたが観音信仰をせられるなら、まずあの沢山な目で、
観音さまが何時も見ていて下さる(千眼観音)と考えて下さい。
あれだけの眼で見ていて下さるのですから、人間の腹の中まですっかり見通しであることは事実です。

観音さまを信仰して、わが身に観音の功徳を頂こうとするなら、
観音さまの前で恥ずかしくない心境になることが先決です(禅定)。

その上で南無観世音菩薩と念ぜられるなら、
観音さまの功徳は忽ちあなたの全身に現われてまいります。


                  ・・・

《どの眼も同じ観世音の眼》

ところで支那の臨済禅師が麻谷(まよく)和尚と、
観音さまについて面白い問答をしていらっしゃいます。

「大悲千手眼、那箇(なこ)か是れ正眼」
 
と麻谷が臨済に詰め寄ったのです。

千手眼とは千手観音さまのことです。
手が千本あり、その手に眼が一個ずつ付いていると謂われます。
本当は40本で、その一本が三界二十五有に働くから、
40本の25倍で、千本の働きをするわけです。

これは要するに私たち一人一人の心の働きを現わしているのであって、
誰でも千本の手があり、眼があるのです。

箸を持つ手、仕事をする手、ペンを持つ手、可愛い可愛いと撫でる手、憎いと殴る手もあります。
その手に皆眼が付いているのです。痒い所に手が届くと申しますから、
確かに眼が付いているのですね。

この千手観音の眼は千も付いているが、どれが本当の眼じゃ、と麻谷は言ったんです。

すると臨済はすかさず、

「大悲千手眼、那箇(なこ)か是れ正眼、速やかに道(い)え、速やかに道(い)え」

と同じ質問で反対に麻谷に迫ったのです。
どの眼が正しいか、お前から先にいえ、答えてみろ、というわけです。

すると麻谷が臨済の袖を引いた。臨済が席を立つと麻谷が臨済の代りにその席にでんと坐りこんだ。
主客交代ですね。どの眼も同じことだ、千の眼は皆同じ観音さまの目だ、ということです。
優しき目も拝める目も結局は共にお観音さまの慈悲の現れだと知ることですね。

ここがわかると信仰は本物です。


                    ・・・

《観音信仰は感恩信仰》

ところで私はいつも思うのですが、観音信仰とは言葉を換えると感恩信仰であるということです。

一杯の水、一膳の食事も自分の力で頂くのではなく、すべて観音さまの慈悲なのです。
これを心から観音さまのお蔭だと感謝出来るなら、誰でも胃腸を患ったり、
糖尿になるはずはないのであります。

観音さまの妙智力(みょうちりき)は広大無辺でありまして、あの『観音経』の中にございます通り、

 種々諸悪趣 地獄鬼畜生
 生老病死苦 以漸悉令滅

地獄、餓鬼、畜生の三悪は勿論、生老病死の四苦といえども、
観音信者には一切消滅してこれを救わずにはおかない、と説かれています。

こうした妙智力は人間である限り誰でも皆持っていらっしゃるのです。
ただ御自分や相手を観音さまだとお気付きになっていらっしゃらないだけなのです。


“あなた観音よ、私も観音よ”と広島の松本先生がかって歌われたことがありますが、
一度お互いに拝み合ってみませんか。

それが念彼(ねんぴ)観音力なんです。

この言葉によって、必ず観音さまの妙智力(救わずにおかぬ力)と
観音力(無畏すなわち無恐怖の心)を御自分のものとして摂取せられるでしょう。


                   ・・・

《彼(か)の観世音を念ずれば……》

この間も五条市の松本清治郎さんから伺ったのですが、
以前この方の隣家の風呂屋さんが全焼したことがありました。
異常に気付いて2階の窓を開けるとお隣がもう燃えていたそうです。
松本さんはバケツに水を汲んで来て、御自分で家の軒に類焼しないように掛けていたのです。

その時隣家の壁の隙間から、焔の固まりが、まるでフイゴで火を吹くように、
シュウーシュウーと3度物凄い勢いで吹き出してきたといいます。

松本さんが思わず残っていたバケツの水をその4度目に吹いて来る焔に向って
“南無観世音菩薩”と叫んで掛けたんです。
すると4度目の焔がバケツの水を受けて、そのままスゥーと引き込んでしまったのです。

その時松本さんは生長の家の神様が守護して下さっていると、はっきり解ったそうです。

それから仏壇の前に坐って家中が『甘露の法雨』を誦げさせていただいたのだそうです。

外の人々は松本さんの家の人がよく寝ているのだと思って戸を叩いて喚(わめ)いてくれたのですが、
結局一品も搬出せずに、類焼を免れたお話を聞かせて頂きました。

 
まことに『観音経』にある通りで、いかなる事態に対しても
観世音の力を念ずれば害を免れることを得るというのは真実のことであります。

それにはやはり平素から観世音菩薩の慈悲を生くる観音信仰を続けることが大切であります。 

  (46・2)



・・・

第16編  病める人への手紙

「合掌 有難うございます。しばらくご無沙汰を致しましたが、御病状いかがですか。
今朝は素晴らしい谷口雅春先生の御放送を聞かせて頂いて、久し振りにあなたに
お見舞の手紙を書きたくなりました。

恐らくあなたも深い真理に接して随分感激をなさっていらっしゃることと信じます。

『今日いかに生きるか』というW・ホルナディ博士の著書をテキストとしての谷口先生の
“今”の御講話は、誰よりもあなたに理解して頂きたい思いで一杯でございます。

今朝、先生は『無門関』の中の第28則の話をして下さいましたね。
これはあなたも先刻御承知のことだとは存じますが、簡単に紹介させて頂きましょう。

昔支那の徳山(とくさん)という大変偉いお坊さんいらっしゃいました。
南方の禅宗の盛んなることを聞いて、これを一つ説得してやろうと、
気負いこんで れい(さんずいに豊)州の路上にさしかかったといいます。

見ると一軒の茶屋があって、老婆が一人、餅を売っていました。徳山は急に空腹を覚えて、

『婆さん、お餅、一杯頂きたいな』と言ったのです。すると婆さんは徳山の気負った姿を見て

『坊さん、あなたは大層な荷物を背負うていなさるが、いったい何がそこに入っているのですか』
と尋ねました。

『これかね、まあなたには説明しても解からんじゃろうが、
“金剛経”という尊いお経の注釈書が一杯入っているのじゃ』

『そうですかい。それじゃその“金剛経”の中に
過去心不可徳、現在心不可得、未来心不可得という言葉がありますが、いったいあなたは
そのどの心で餅を食いなさるのか、もし答えられんならこの餅は売ってやらん』

と言ったというのです。大変な婆さんもあったものですね。

この過去心不可得とか、現在心不可得とかいう言葉は大変難しい意味であって、
ちょっと説明し難いのですが、簡単にいうと昨日の心はもう無いということなんです。
“現在の心”と言うその心もまた次々と過ぎ去って行って無いのです。
勿論未来はまだなんですから、未来心というものも無いのですね。

何時でしたか、奈良の平野初造先生のお宅に寄せていただいたら、床の間の掛図に
“昨日はもう無い、明日は未だ来てない、今が心の置きどころ”とかいう都々逸(どどいつ)の文句
が書いてありましたが、これがほぼその意味に当るのではないでしょうか。


ところで承るところによると、あなたはその後県立病院、天理憩の病院と次々に医師を取替えて
診療を受けていられるそうですね。いずれの病院でもはかばかしい結果が得られないで
悩んでいらっしゃると聞きましたが、その原因が一体那辺にあるかを反省していただきたい
のであります。

あなたは御自分の病気を昨年1年子供の進学のために、精神的にも肉体的にも無理し過ぎたために
発病したものと信じ込んでいらっしゃいますが、その憶いが過去心であり、その過去心を以て、
あちことの病院を訪ね歩いて薬を求めても、茶店の婆さんならぬ如何なる名医もあなたには
現実の功徳を与えることが出来ないのではないでしょうか。

あなたもお読みになったと思いますが、『生命の實相』の中にこんな話があります。

或る人が少年の頃に高い処から墜落して頭を擲(う)って気を失ったそうですね。
そしてそれ以来、その人は常習頭痛に悩みながら何十年か経過してきたのです。

そうして何かの病気になってそれを縁として生長の家の信仰に触れ、その病気は治って終った
のですが、初めの常習頭痛だけはどうしても癒らなかったのであります。

それで彼は本部講師にその理由を尋ねますと、その講師さんは、

『それはね、あなたが幼い時に高い崖から落ちて意識を喪失するほど強く頭を打ったのである、
といつもそう想っているでしょう。その想いがいけないのですよ』

『だって、それはすごく打ったのです』

『そのあなたの記憶が常習頭痛の原因なのです。
本当のことを言うと、あなたは高所から堕ちたと信じていますが、
本当は一度も落ちたことはないんです。
それはなたの記憶心象の中にある妄想に過ぎないのです。

その妄想が現象的に投影しているのが常習頭痛なんです。わかりますか。
あなたは未だかって一度も堕ちたこともなく、頭を傷つけたことも無いのですよ』

とおっしゃったのです。あなたはこれが解かりますか。
これが過去心で現象の功徳を得ようとしているのがあなたであり、この男の方なんです。
幸いこの方は過去心を棄てることによって常習頭痛から解放せられたそうですが、
あなたも過ぎ去った過去のことなんかすっかり忘れてしまいなさい。

 
ところが今朝、35歳になった娘さんが縁談のことで相談に見えておられました。

『私は齢(とし)がゆき過ぎていますから、
この縁を逃がしたらもう機会がないと思うと気が気でないのです。
先生私のためにこの縁が成就するように祈って下さい』

とおっしゃったのです。
私は娘さんの話を聞いていて、これが現在心不可得だな、と思ったのです。

現象の悪を見て心を労しながら、現実の功徳を追い求める愚かさに気付かなければなりません。
現象は無いのです。無い現象を把まえて悩むが無明なのです。

弘法大師の『大日経疏(書)』に

『如上(にょじょう)に説く所の諸々の功徳は一切の衆生に皆ことごとく其の本性の如く等しく
共に之あり、但し無明の障礙(しょうげ)ありて自ら了知せざるを以て未だ是(かく)の
ごときの秘密神通の力を発起すること能わず』

と書かれていますが、病気を癒す力も、縁談を成就する力も、事業を成功させる力も、
人間は既に初めから本性として備わっているのです。

ただその力をあなたが自覚するか否かであります。
現象悪を有りとして、せっかくの自然療能に気付かぬために、
大師と同じような素晴らしい神通の力を発起し得ないのである、と教えて下さっているのです。

 
ところで今朝もう一人、辻田靖子さんが大変よい話を聞かせて下さいました。
この方の息子さんは堺の方に毎日通勤していらっしゃるのですが、数日前突然、

『お母さん、ぼくの会社が今度和泉大津の海岸端で土地を購入して、そこに研究所を
移すらしいのです。ぼくは技術者だから、おそらくそこにかわることになると思うのだが、
そうなると転宅するか、お母さんと別居するかしなければならんね』

とおっしゃったのです。辻田さんはそれを聞くと気持ちが転倒してしまったのです。
今の幸福が崩れて行くような気がして、3日も4日も眠れなかったのです。

ところが昨夜神誌を読ませて頂いていて、ふと、

『何をつまらぬ取越苦労をするのだ、一瞬先のことすらわからぬ身で、
まだいつの日とも決らぬ未来のことに心を労して眠れぬほど心配するとは何という愚かなことよ。
今日一日の幸福を出来る限り大切に護り育てて、ただ感謝と報恩のために勤めさせて頂きましょう』
 
と悟ったそうです。

すると動揺していた思いがピタリと鎮まって、
『昨夜は本当のぐっすりと安眠させていただいて、今朝は実に朗らかでございます』 
とお話になりました。

まことに未来心不可得で、先の先の取越苦労で心配していたのでは救われるはずはないですね。
でも辻田さんはさすがに『未来心不可得』と前後裁断して“今”の喜びに気付かれたのは立派でした。

 
こうしたお話は皆あなた様にも関係のあることだと信じます。
過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得、改めて谷口先生の御法話を伺いながら
あなたに新しい勇気を振り起こして頂きたいと思う憶いで一杯でございます。

あなたにとってもはや病気を引起した如何なる原因も無く、如何なる結果も無く、
ただあるものは今生かされている如来の生命だけであることを深く深く信じて頂きたいと存じます。
あなたの御多幸を心から祈り上げます。再拝」(44・8)

「幸せは今ここに」〜その10 (18)
日時:2016年04月15日 (金) 21時46分
名前:伝統

第3章  子供がよくなる生活のために

第1編  良い子の育て方

《愚かな人間の知恵》

長男がまだ幼い頃でした。
私の家は近鉄の踏切のまん前にあって、その傍らに
一間ほどの小溝が汚い排水をチョロチョロと絶えず流しています。
何時の頃からかゴミの投棄が激しくなって、ガラスや瓶で大変危険なのです。

子供は往来する電車に戯れたり、溝に小石を投げ込むのが面白いのか、
いくら注意しても、その溝の端で遊ぶのです。

「お父さん、何とかして下さいよ」
 
家内がうるさくせがむものですから、つい人間的知識才覚を働かしました。
真赤な天狗の面を作って、これを箒の先に着けて、溝の中に潜んでいて、
子供が近付くと、家内の合図で天狗の面を子供の鼻の先に突き出して、
“そりゃ怖いぞ”と嚇したのです。

子供は突然のお面の出現に恐怖を感じたのか、それ以来あまり溝の端に近付かなくなって、
やれやれと安心したものの、それ以来なにかしら臆病になって、
便所へも一人で行かなくなって困ったことでした。

考えてみると随分愚かなことを考え出したものだと今に後悔しています。

純粋な子供の心に、悪があるという印象を与えることは、
子供の将来に最も不幸なことなのです。

「創世記」によると、神は一切のものを創り給い、その創りたるすべてのものを
見給いけるに、甚だ善しと宣言し給うたのであります。
従って子供の心に初め悪は無かったのであります。
しかし愚かなる大人は自らの無明によって悪を創り出したのです。

子供を育てている一般の家庭を見ていると、皆これに似たことをしていらっしゃいます。
例えば子供がむずかって寝ない時には、親は障子の桟をガタガタいわせて、
そら恐ろしいものが来たと怖がらせている。純粋な子供の心が、単に大人の気まぐれから
ととんでもない恐怖心をつのらせる結果となるものです。


               ・・・

《子供をオモチャにする親》

世間には往々にして子供をオモチャにして楽しんでいる親があります。
大人は面白半分にやっている積りでも、子供が受ける印象は大人が考えるほど
単純なものではありません。

事実、子供の神経質や腺病質は、妊娠中の母の胎教や、
幼児期における環境にあることは否定出来ません。

何時でしたか、新聞の三面記事に報道されていましたが、
母があまり子供可愛さに、ついからかってみたくなって、
「お前はお母ちゃんの本当の子供じゃないんだよ、
赤ちゃんの時に氏神様の境内から拾って来たんだよ」

と冗談を言った一言から、幼い子供の心は失望と悲しみに打ちひしがれて、
突然家庭から姿を消して、30日の余も阪神間を、ありもせぬ瞼の母を求めて
放浪したという、嘘のような本当の話もあります。

子供の受けたショックがどんなに大きかったかを想像する時、
私達は子供の育成にもっと誠実であるべきです。

詐(いつわ)りや、恐怖心をつのらせる言葉は、
子供の前には絶対に慎まなければなりません。


                 ・・・

《盗みをする子供》

ある時10歳余りの子供を連れたお母さんが訪ねていらっしゃいました。
「さあおかけ、そしてしっかりお話を聞かせてもらうんだよ」
とお母さんはきつい顔で叱りつけるのです。

「一体どうしたのですか」

「先生、この子は人の物を盗(と)って困っているんです。
もう何回も何回も注意するのですが、この悪い癖はどうしても止まないのです。
何一つ不自由させたことがないのに、どうしてこんな恥ずかしいことをするのかと
思うと、私は情けなくてならないのです」
 
と仰って、時々子供さんを憎らしそうにご覧になるのです。

「失礼ですが、この子供さんはあなたの本当のお子さんですか」

「そうです」

「それでは何か他に事情があるようですね、お見かけするところ、
あなたは生長の家は初めての様ですね。生長の家では、子供は親の心の影だと申します。
影とは心を映すということです。従って子供さんに説教するんじゃなくて、
お母さん、あなたに私の話を聞いて頂きたいのです。

 
英国に革新的な教育法で素晴らしい成果を上げている人に、
ニイルという大変偉い先生があります。
この方は子供の盗癖はすべて愛の不足であると断定していらっしゃいます。
あなたのお子様の盗癖も、お子様の罪でなく御両親の愛の欠乏であると言えます。

あなたはこの子供さんを本当に愛していらっしゃいませんね。
どうしてですか、可愛くないのですか。
子供に口をきいていらっしゃる時のあなたの表情は、継母の表情ですよ。

あなたはどの子供様にもそんなにきついのですか。この子供さんだけですか。
この子の姿をみてごらんなさい。先程から時々あなたの顔を見て涙ぐんでいます。
深い悲しみの表情です。

この子にとって母が何故自分を愛してくれないのか、疑問なのでしょう。
子供を正しくする前に、あなたが母として正しくあるべきです……」

私の言葉の途中から、お母様は泣き出しました。

「先生、申し訳ありません。私には男の子が上に4人もあります。
5人目に女の子が生まれました。その子は可愛くて可愛くて、二人とも夢中でした。
すると年子にこの子が生まれたのです。私はこの子を他家に預けました。

そんなことから、夫も私も愛情が薄かったのです。
本当はこの子は素直な良い子なんです。
盗癖さえなかったら、とそればかり言って叱ってまいりました。

皆私の罪です。かわいそうに淋しかっただろうね。
お母さんを釈しておくれ。
今日から一所懸命可愛がって育てます」

お母様はそう言うと、その子供を両手にしっかり抱きしめました。

本来悪はありません。悪は有るかの如く見えているだけです。
母の温かい愛情に触れて、子供の心は悦びに顫(ふる)えていたことでしょう。
それ以来、何一つ他人の物に手をかけることが無くなったそうです。

愛は一切のものを癒す働きであります。
谷口先生は常に生命の教育ということを提唱なさいます。
幼児教育はすべてこの生命の教育によらなければ完成しません。

「子供はすべて神の子なり」

この尊い自覚を通して、私達ももっと深い愛を子供達の上に注がなければなりません。
生活に追われ、環境に溺れ、心なくも子供たちにつれない態度を表している人々に
私達はもっと広く呼び掛けて、純粋な幼児の魂を伸ばしたい。

神童会の必要は今日ほど緊要の時はないと切に想う。   (44・6)



・・・

第2編  子供はみんな素晴らしい

《どの子も立派》

『かあちゃんと11人の子供』(吉田とら著)という本を読んだのですが、
子供たちがお互いに依頼心を抱かず、
実に健全で親孝行な物の考え方を持っているのに感心しました。

きっと子供の目から見た両親の真剣な姿が、
子供たちの心を素直に育てて行くのでしょう。──

長女の成子(なるこ)さんをはじめ、10人の兄弟が全部公立大学に入学している事実は、
彼らが口を揃えてこう言っていることで判ります。

『私達は兄弟が多いので私立に進む余裕がありません。受験の機会は1回しか許されません。
なぜなら次がつかえているのです。いきおい真剣にならざるを得ないのです』

確かに境遇や環境に甘える心がないということが子供たちにとって幸いしていると思います。
両親の方も、一々コセコセと干渉しないから、どこまでも自分のことは自分でするという、
独立独歩の精神が養われて行きます。

一人っ子の場合は、どうしても過保護になり易い。
その点を心得て育てている積りでも、やっぱり可愛さから、子供の要求を
次々と充たしてやるということになり、遂に我儘勝手な人間にしてしまいます。

中学2年の子供がオートバイを買って欲しいとねだるので、免許証も無いまま、
その要求を受け入れてやったが、どうも心配で心配で夜も眠れないという
両親の話を聞きましたが、私には訳が判りません。

テレビ等で有名人が、子供は2人が理想的だとか3人が良いだとか言っているのを見ますが、
人数によって良くなったり悪くなったりするのは間違っていると思います。

先に言った吉田とらさんの子供は11人ですが、
どの子も立派になっている事実は何を語っているのでしょうか。


             ・・・

《夫婦合掌》

滋賀県の大津田の山中さんという奥さんは、毎朝目が覚めると、合掌して夫を拝み、

「お父ちゃん、お早うございます。有難うございます。
今日も元気一杯に私達家族のために働いて下さいまして有難うございます」
 
とお礼を言われるそうです。

今度はご主人が奥さんに合掌して、

「お母ちゃんお早うございます。有難うございます。
今日もまた元気一杯、私達のために家庭にあって愛行を下さいまして感謝します」
 
と朝の挨拶をされるそうです。

その光景は想像するだけでも、美しく尊いものです。
このように両親が互いに尊敬と愛情と信頼を尽し合う雰囲気の中で育つ子供に、
どうして親不幸な子や、病人ができるでしょうか。

この山中さんの子供達は、4年生になると皆言い合せた様に新聞配達をして、
それで貰ったお金を両親の手許に持って来るそうです。

「子供達はみな、お金のことで親に苦労をさせたくないと思っているのですね」

と言われる山中さんは、子供の貯金通帳をつくって、持って来るお金を貯金して上げられます。

また別に、《愛の貯金箱》というのを作って、

「あんた達はみんな神の子で、心が優しく愛情が豊かであって、いつも人を喜ばせたい、
人の役に立ちたいと思っているでしょう。
その美しい心を日々の生活に生かすのが人間の使命ですよ。

善いことをすればあなた達も嬉しいし、お父さんお母さんはもっと嬉しい。
それでね、あんた達が一つ善いことをすれば、
そのご褒美に、この貯金箱へ愛の貯金をしてあげるわ」

── そう言って、ずっと“愛の貯金”と続けておられるとのことです。

それ以来、子供達はそれこそ競争で善行にいそしみ、

「もう私が何も言わないのに、誰かが競争で靴を磨く、玄関の掃除はしてくれる、
風呂の水を汲んでくれる、学校では先生からいつも褒められるということばかりです」

と山中さんは顔をほころばせて言われました。
山中さん夫婦にとって子供は他に比類のない「子宝」なのですから。


                 ・・・

《子は親を真似る》

吉田とらさんのその本の中に、「かあちゃん」という詩が載っています。
末の子の都ちゃんが書いたものでそこにこんな一節があります──。

 “おらあ現金は池田大臣さんみたいにゃないけど、いざとなってみい。
  おらあ強いだぞ大臣さんよりも、
  そうさな。

  おらには11人の子供のあとおしがついているだもんな。
  この11人の子供がみんな力を合わせてみい。
  大臣だってなんだって
  へっちゃらなんだい。

  昔の人が「子宝」たあよくも言ったもんだよ。
  ミーコもツー兄もター兄もみんなおいらの宝だ。
  かあちゃんはこの世じゃ一番の幸福者だろうな”

 
多勢の子供を育てるのに苦労したという愚痴をこぼしたことのないとらさんの愛が、
都ちゃんの心を動かし、このような詩となってあらわれ、それが総理大臣賞を得たのです。

この例は明らかに、子供を育てるには
まず親の姿勢を正さなくてはいけないということを物語っています。

山中さんの子供達にしても、この吉田とらさんの11人の子供にしても皆、
親の正しい姿勢を見ていて、その正しさを夫々の個性で真似ているのです。

親孝行な子供は、人数の多少によって出来るのではなく、
両親の行いによって決ることを改めて考えさせられました。
                                 (42・8)



・・・

第3編  親子の愛情

《なぜ少年は金閣寺を焼いたのか》

この究めて自然の愛情が、お互いに表現を誤るととんでもない悲劇を生み出すものです。
世の中には世間体を気にし過ぎる親と、神経質な子供が些細なことから口論しているのを
よく耳にします。

子を思う親の愛にかわりはないが、あまりにしつこく繰り返されることによって
親を厭う感情が極度に強くなります。

あの有名な金閣寺を焼いた少年は、親一人子一人の仲であったが、
母親があまりにも世間体を気にして繰返す言葉に、
いい知れぬ反抗心を培われたといいます。

世間に笑われぬようにしたいと思う母親の祈りは、
少年の行為によって無残にも踏みにじられて、
母こそ世間に顔向けが出来なくなって自殺してしまいましたね。

これが正しい信仰に導かれた言葉であったら、
こうした悲劇は現われなかったことでしょう。


過日、平野先生と和歌山県の野上町に寄せて頂いた時のことです。
一人のお父さんが次のような体験を述べられました。


                 ・・・

《悪いと知っても止められないのが業》

その方の御子息は和歌山のある会社に通っていられるのです。
野上町という所は海南から3里余り山手にありまして、お母様は子供を会社にやるために
朝5時半から起きまして、弁当拵えを致しまして、子供を出勤させるのです。

これが会社から真直ぐ帰れば、夕方6時には必ず帰宅できるのですが、
いつ頃からかマージャンに凝り出して、友達の家で11頃までマージャンをやるのですね。
さあ帰って来ると朝は起きにくがって、文句を言わざるを得ないのです。

叱っても叱っても子供のこの癖は治らないで、ますます酷くなって行くのです。

御両親は子供の将来や健康のことを案じてお叱りになる。
けれども子供の方じゃ叱られるとつい家庭が煩わしくなって、帰る足が重くなるのですね。
これが仏教でいう業なんです。

これは悪いということは知っているのですが、
さてそれを断ち切るということが中々勇気のいることなんです。

これを「お前は馬鹿な奴だ。マージャンなんか止めてしまえ」とこう言われても
「どうせ俺は馬鹿だ、意思薄弱だ。こんな俺をお前が勝手に造ったんじゃないか」
なんて勝手に理屈を言いましてね、転落してゆくのです。

こんな時に下手な叱り方をすると、とんでもない結果を招来するし、
反対に良き言葉を供養すると忽燃大悟するのですよ。
幸いにこのお父様はここで生長の家の話を聞きまして悟ったのです。

その晩お父様は次のような手紙を書いて子供の弁当箱に挟んで置きました。

「私の最も愛しかつ尊敬する○○ちゃんよ。あなたがどんな日にも
元気で毎日通勤してくれるのを見て、お父様やお母様は本当の嬉しい。
 
お母様はあなたに遅れてもらっては気の毒と思うから
毎朝5時に起きてお弁当を炊いて下さってるでしょう。

そして6時にあなたを起しに行くと、あなたが疲れて、とても良く寝ているのを見ると
起すのが可哀想でしょうがないとおっしゃるのだよ。

あなたがもうちょっと早く帰って休んでくれたら、あなたも朝起きるのが楽だし、
お母様も起すのが気にならなくていいのだから、お父様やお母様の心を汲んで、
今日からあまり無理しないようにしようね。お母様もどんなにか悦ぶか分からないよ」


便箋3枚にだいだいこういう要領でしたためたんです。
この日は息子はとても早く帰って来て、何もおっしゃらないのです。

けれども朗らかに笑いながら次の日も、次の日も早くお帰りになって、
今日まで一日も遅れるということが無くなったといいます。

一葉の手紙にこもる愛と善意はこのように読む人の魂に直に触れて、
その神性を開発せずにおかない。

愛というものはやはり言葉や形に表現する方がいいですね。
それが近しければ近しいほど必要なんです。

朝起きて“お早う”という言葉でも、親子の仲だからそんな水臭いことがと
勝手に決めていしまいますが、こうした小さいことからお互いに言葉をかけ合って
愛を結び合うのです。

子供が成長するに従って父と子が語り合うということは恐らく少ないと思うのです。


                ・・・

《親の権威を押しつけるな》

ところで、“不肖の子”を持つ親の立場について考えてみたい。
間違いは、何より旧い道徳を身に付けた大人の立場から
親の権威を押し付けようとすることです。

親子の関係というものは愛情の繋がりですから、
いささかでも恩に着せる心が働くと、よけい反撥します。
純粋の愛情のみがあなたを幸福にするのです。

 
誰でも子供が幼い頃は純粋な愛情で育てています。
けれども生長して次第に上級学校から社会人へと進むに従って、
この純粋さは失われて来るようです。
親は子供からすぐに結果を期待します。そこに強制があるのです。

 
純粋の愛情とは何物をも需(もと)めてはならないのです。
需めなければ与えられないと考えることが既に子供を信じていない証拠です。
需めなくとも子供はみんな知っています。自分に捧げられた両親の愛情が深ければ深いほど、
子供は親の期待に背かなくなるでしょう。

愛情の中にはまた執着というものがあります。
仏教的な言葉で言えば煩悩の心ですね。
煩悩とは心の縛りですから、子供にとっては最も煩わしくかつ不愉快なものとなります。
ひとり子などには、特にこの例が多いようです。

私の知っている青年は15歳も年上のしかも子供の沢山ある未亡人と同棲していましたが、
この青年にとっては家庭は実に煩わしい牢獄のような感じがするのです。
砂糖も余りしつこいと味わいを失います。愛情も執着が絡むと悪い等しい。
未亡人など特に心すべきですね。

 
執愛と対象的に考えられるのが放任ということです。
自由と放任とを混同すると太陽族のような子供ができます。
上流家庭などに得てしてこうした実例が多いようです。

本当の自由というものは何でもしたいことをやらせることではない。
青年には許されていいことと悪いことがあります。その良いことは大いにやらせるけれども、
悪いことはこれを悪として自覚せしめるように導いてやらなければならない。

多くの親は子供が可愛いがために、わがままに育て過ぎるのです。
これが意志薄弱な青年を造る根本原因なのです。
少年時代に自信をつけさせるためには大いに訓練を施すべきです。

少年犯罪の大半は意志薄弱の結果であります。
彼等は自分の欠点を意識して、激しい劣等感を抱き、両親を憎み社会にすね始めるのです。

大抵の場合、自己嫌悪の感情が非常に強いですから、
叱責すればするほど自暴自棄に落ちるでしょう。

彼等を救う道はただ一つしかない。
それは愛を意識せしめることです。
自分をこんなにも深く愛してくれる人がある、と認識せしめることです。


             ・・・

《愛はすべてに勝る》

戦時中の話ですが、ある学生がある事件に連座しました。
それは共産党の弾圧事件でありまして、関係者の殆んどは、
目を覆うような烈しいリンチを受けたのです。
けれども彼等はこの死の苦しみに対して決然として主義を曲げなかったのです。

彼の父は田舎の村長であって、愛国者でした。
自分の子供が売国奴の如き共産党に関係しているということは耐え難き苦しみでした。
転向か然らずんば死あるのみ、と父は直ちに上京して息子に声を涸(か)らして
説き尽しましたが、息子は断じてその信念を崩さないのです。

面会は終りました。母からの差入物が息子の手に渡されました。
独房に帰った彼は独りでその風呂敷包みを開けました。
中には温かい毛糸のスェーターとバッチと母からの手紙が入っていました。

彼はその手紙を読み始めました。そうして声を上げて泣き出しました。その手紙には、

「お前は小さい時から身体が弱かったから、この寒空に監獄の中にただ一人居るかと
思うと私は心配で夜も眠れない。この服は私が一所懸命に編んだのですから温かくして、
どうぞ風邪をひかぬように気を付けておくれ。

お前が悪いようにお父様や世間の人がおっしゃるが、お前は小さい時から至って
優しかったから決して私を悲しませるようなことはしないと固く信じています。」

ただそれだけの言葉なんです。
けれども百万の言葉と尽くすよりも強く青年の魂を揺さぶり、
遂に青年をして転向せしめたといいます。

いかなる不肖の息子といえども親を愛しないものはありません。
彼の行為に如何に行き過ぎがあっても尚且つ自分を愛し、自分を信じてくれる親がある
ということを知ることは、彼に大いなる勇気と発奮を与える動機になります。

 
過日、大学を卒業して都会に就職するとその生活が乱れ始め、いかがわしい女性と
交際しているという子供のことについて、その悩みを訴えて来た女性があります。

母として当然な心労ではありますけれども、
ただその欠点をとがめるだけでは青年の反抗を高めるばかりでしょう。

それはただ、いかに母の愛が深く切なるものかという愛の表現によってのみ、
彼の心を救うことができるのです。
私は母親に毎日一通ずつ葉書を認(したた)めるように忠告しました。

自分がいかに彼を愛しているか、そしてあなたの存在がどんなに
この母の悦びであるかということ繰返し繰返し書かしめたのです。
一ヶ月の後、その青年から次のような手紙がきました。

「お母様、もうあの葉書を出さないで下さい。
あれを見るたびに私は苦しくてならない。
再び私はお母様を苦しめることはないからご安心下さい」 と。

それ以来その青年は実に真面目に働いていらっしゃいます。
純粋な愛はすべてに勝る偉大な教化ですね。

「幸せは今ここに」〜その11 (19)
日時:2016年04月17日 (日) 11時52分
名前:伝統

第4編  転換期の親子

《第二反抗期について》

本来一つの生命である親と子が、互いに信頼と尊敬を失うほど悲しいことはありません。
何が故にそのような不幸が起るか、次にその原因についていろいろ考えてみたいと思います。

さて皆様は、第二反抗期という言葉を耳にしたことがあるでしょう。
これは心理学の専門用語ですが、だいたい中学、1、2年位から大部分の少年少女は
必ずその過程を経て成長してまいります。

従ってそのような時期には両親は子供の扱いに戸惑って、
とんでもないヘマをやってしまうものです。

今まで何でも親の意見に従ってくれた子供が、何に対しても強情になり、
事毎に反抗するような態度を見せ、親達は必ずと言っていいほど
「若い子の心は解らない」と愚痴ります。

でもそのような時に少年たちの考えていることは、
「両親は僕達のことを、ちっとも理解してくれない」という考え方です。
一体この矛盾はどうしたことでしょうかね。

お互いに十分理解し合っているはずの親と子の関係だけに、余計難しい問題であります。

もう10年も前のことですが、あの有名な金閣寺を焼いた少年がありましたね。

あの少年の自供の中に、「私の母は世間を余り気にし過ぎるのです。小さい時から母は、
暇さえあれば、『世間に笑われぬようになれよ。世間に笑われぬ様になれよ』
と言い続けました。母は僕なんかどうなっても良い。世間体さえ整えばよいのです」
と述べています。

親が世間を気にし過ぎると、子供はその様な親を軽蔑して、
世間に反感を抱いて、反社会性を持つようになりがちです。

現在一番問題になっている非行少年の原因は、案外こんなところに有るのではないでしょうか。
子供にとって大切なことは、親が自分をどのように考えていてくれるかということですね。


                 ・・・

《子供の願いは早く大人になりたいことである》

さて、話を戻しまして、なぜ第二反抗期というものが起って来るかということですが、
これは医学的に言って性ホルモンによる第三成長期に当ります。
子供から大人への転換期です。

従って精神が極めて不安定な状態にあります。
今まで全然無関心であった大人の世界に関心を持ち始めます。
異性を意識するのもこの時期です。
服装等も何かと気にかけ始めます。

そのような行為の一つ一つに親が細かく気を付けてやらなければならないのです。
けれどもそんな時に親が大人の感覚で「何だ、色気付きやがって」とか
「妙な行為をしてはいかん」と頭から極め付けてかかると、著しく腹を立ててしまいます。

またこの時期には大人への模倣性が強くなって、善悪にかかわらず実行してみたくなるのです。
これは早く大人になりたい、という願望の現われでありまして、煙草をくすべてみたり
酒を飲んでみたり、禁じられた行為をしばしばやったりします。

そのような時に頭から「煙草を喫(う)うとは、お前は不良少年である」なんて、
強く叱りますと「ああ、俺は不良少年である。俺なんて人間の屑だ」なんて考えましてね、
自暴自棄になり易いのであります。

こういう少年は皆意志が弱いのですから、適当に反省の機会を与えてやると、
すぐに止めてしまうものです。もともとちょっとした興味で最初はやりかけるのですから、
頭から叱らずにたしなめてあげるといいのです。

中には急激に学校の成績が落ちる子もありますが、きっと何か激しい劣等感に
取り付かれているのですから、まずその原因を早急につかむことです。

親があまり成績を気にし過ぎると、ますます勉強に対する興味を失いますから、
「あなたは本当は優秀な頭脳をしているのだから、一度ぐらい成績が落ちたからといって
心配することはないよ。少し頑張れば、また元の通りになるよ」
と力強く激励して上げることです。

そしてこまごまとした親の愛で彼の傷ついた魂を抱きしめ、
円満完全なる実相を、じっと愛の心で眺めやり、これが彼の実相であると、
それを心でいたわり育ててやることですね。

思春期の子を持つ親として、最も考えるべきは、大人は自分の都合で
子供を大人にでも子供にでもしてしまうということですね。

例えば、「あなたはもう何時までも子供じゃないんですよ」と叱っておきながら、
すぐまた「子供のくせになんですか」とやります。
 
親は自分の言葉の矛盾に気が付いていないのですが、
子供はその身勝手な叱責に絶対服従出来ないのです。
こういうことが次第に子供が親を尊敬しなくなる原因ですね。

思春期の子供は早く一人前の人間として扱って欲しいという願いがあるのですから、
親はいつまでも子供扱いせずに、完全な人格者として考えてあげることです。

私は自分の子供の場合には何事も自分でよく判断させる習慣を付けさせていますが、
どんなに良い考えであっても、それが親の強制であると、
子供はそれを素直に受け取ってくれないものです。
まして平素から子供の尊敬を受けていない親であれば、なおさらのことです。

「親のいいつけは、杵(きね)さかさまにしてもつけ」といった道徳は
もう今の時代では通用しません。といって、子供が親にさからってもよい。
というのではありませんが、子供は元々自分の尊敬しない人の言うことなんか
素直に従いはしません。

子供が親にさからう理由をいろいろ考えてみますと、
一番多いのは子供の自由を侵害するということです。

これは戦後の自由教育の影響でもありますが、
私達年配の者も思想的に大いに反省する必要があります。

手紙を開封したり、引出しを探してみたり、子供の行く先を一々詮索するというやり方は、
子供の自尊心を著しく傷つけます。子供のためを思い、良いと信ずることであっても、
疑われたり、強制されたりすることを喜ぶはずがありません。


               ・・・

《北野君は母の無我の愛によって麻雀を止めた》

中にはこれとは反対に、放任し過ぎる親もあります。
子供の生活に余りに無関心であるということは、時にとんでもない犯罪を生み出します。
従って無関心でもいかず、干渉し過ぎてもいかず、
ここは親として正しい知識が必要なのです。

もう2、3年前ですが、北野様という誌友の方が、子供が麻雀に凝り過ぎて、
仕事を転々として困る、いくら意見をしても駄目なので困っている、
と相談に来られたことがあります。

私は、
「3日続けて朝寝坊をすると、4日目は目が覚めないといいますが、
悪い習慣というものは、中々取れ難いものです。
これを外からの意見で止めさせようと思っても、駄目ですね。

でも人間は内部からの囁きに対しては、とっても弱いのです。
ですからこの内部神性に対して直接呼掛けるとよいのですね。

それにはただ捧げ切った、何ものをも求めない母の愛情を示してやることです。
子供か帰って来たら、たとえ何時になっていても嬉しそうな表情をして迎えてあげなさい。
そして温かいウドンか何かを拵えて上げて、食べさせてあげるのですよ。

決して叱言(こごと)を言ったり、嫌な顔をしてはなりません。
ただ菩薩として息子さんに奉仕してごらんなさい」と申上げたのです。

北野さんはこれを真面目に1週間実行されましたら、さすがの息子さんも、
兜を脱がれまして、「おかあさん、もう明日から遅くならないから、早く寝て下さい」
といって、それきり麻雀で夜更かしをする癖がなくなってしまった例があります。

愛はこのように尊く偉大な力を持つものなのです。



・・・

第5編  入学・就職について

《就職や入学について親はどう考えるか》

就職や入学期になると、それについての相談も多くなります。
できるだけ良い学校や会社を選択するということは人情ですが、
やはり子供の成績や希望に応じて考えなければなりません。

良い学校を卒業するということが必ずしも良い会社に就職する条件とは限りません。
ことに近頃は思想的な考慮が強く払われますから、政治運動に熱中するような学校は
なるべく敬遠する方が良いようです。

といって、大学ならどこでもよい式に、子供の安易な考え方をさせてしまうと、
勉強もいい加減になりがちで、卒業後いざ就職となると困ることになります。

努力する時には充分に努力させるのが良いのであって、
一流校への志望だけは失わせないように平素から導いておくべきでしょう。

さて進学の時期がいよいよ接近すると、子供達は大なり小なり不安感の襲われがちです。
寝られぬこともあり、食欲の減退することもあり、中には微熱を訴え、
結核じゃないかと危ぶまれる症状すら伺われます。

これらはすべて劣等意識過剰から来ているのであって、心配するほどことはありません。

この時期には他の受験者が皆偉く見えるものですが、一時的な過程ですから、
強い言葉で勇気づけてやればよいのです。

浪人するということはあながち不幸なことではなく、
人生の尊い経験であることを話して安心させてあげれば、
落ちるということに対する恐怖心が薄れて落着くことになるものです。

事実、浪人というものは、そんなに不幸な現象じゃないのですよ。
長い人生に1年や2年早く卒業したからって、大したことじゃないですからね。
私も1年浪人しましたが、それが30年して、子供の進学に、どれほど大きな理解を
持つことができたかと思うと、実際嬉しかったですね。

また私の卒業は昭和9年ですが、この年は、昭和初期の世界的不況から
漸く曙光を見出した年で、前年に卒業した人は皆不況のために就職も難しく、
開業もおもわしくなかったのですが、1年遅れたために、私達の同級生は
皆相当の地位に就いているようです。

生長の家では悪いものは一つも無い、といいますが、浪人必ずしも悪いのではないのです。
1年遅れたために、かえって善い学校に入学できた人もあり、
内容の立派な会社に就職できる人もあります。


                ・・・

《親が世間を気にし過ぎると子供は不幸になる》

だいたい子供の進学ノイローゼは親に責任がある場合が多いですね。
親が世間を気にし過ぎて、落ちることを絶えず心配していると、
それは、落ちる、落ちると神に祈っていると同じだ、ということです。
相撲なんか見ていましても、勝負を意識し過ぎる方が大抵負けますね。

いつでしたか、先生の御著書の中で、一人の婦人がある有名な米国の光明思想家に
主人の就職についての指導を受け、神に祈ることを教えて頂いたのですが、

その年は非常な不況の年でありまして、ラジオや新聞は会社の倒産が相継ぎ
失業者が続出していることを、絶えず報道していました。

婦人は教えられた通り、一心に神様に祈りました。

けれども、夫の就職は一向に与えられなかったそうであります。
そこでこの婦人は、光明思想家に、神は何故自分の祈りを聴き給わないかを
質(ただ)しました。

先生は暫く考えておって、
「あなたは毎日ラジオや新聞に耳を、目を通されるでしょう。
そうして“不景気だ、不景気だ”と何時もそう思っているでしょう。
あなたは“神の世界には、夫の就職は既に与えられている。有難うございます”
と祈っている時間は、ほんの1時間余りで、

後の23時間は不況だ、不況だと念じているのですから、与えられるはずはない。
あなたはそんな外からの如何なる声にも耳を傾けずに、ひらすら神に波長を合わせ、
“神の世界には既に素晴らしい職業が与えられている”と只それのみを念ずることですよ」
 
と教えられて、この忠告に従ってまもなく素晴らしい所へ就職した、という話があります。


                 ・・・

《心で想うことが実現する世界》

心で想うことが創造されるのです。
入学も就職も既に神の世界において与えられていると、強く念じ続ける時、
必ずそれが現れて来るのです。

入学難、入学難と心に描けば入学難が現れます。
就職難、就職難と心に描けば就職難が現れます。
善い事のみ考えるのが生長の家です。

想像は創造するのです。

中には神に泣きつくことが祈りだと誤解している人があります。

神とは法則なんですから、法則に従うことです。
平常怠けておって、口先だけ神に祈ってもそれは実現しません。
何よりも全力を出し切って自信を掴まねばなりません。

神は成績の良い者を落して、悪い者を入学させられるはずはありません。
といって成績が良いからといって、その力を全部発揮できるとは限っていません。

そこには平素から神に対して波長を合わせる修養をしておけば、
自然と智慧が必要な時に智慧を、力が必要な時は力を汲み出すことが出来るのです。

“そら入学だ、神様頼みます”“そら就職だ、御先祖様頼みます”では、
あまりにも厚かましいですね、平素から常に神と波長を合せ、御先祖に供養をする
ことによって、守護下さる御先祖の霊が導いて下さることになるのであります。

信仰とは要するに平常の心構えなのですから、何に対してもおじずに常に神に全托する
気持ちで、両親が子供の実相を拝んであげれば、子供もまた心落ち着けて勉強に
励んでくれることになるのです。そうなれば、入学も就職も自ずから決定されるでしょう。

親が子供を信じてやれないほど不幸なことはないのです。
「あなたは大丈夫です。必ず善い処が与えられます」
と断固として言い得る両親であってほしいですね。

新教連の雑誌に湯川博士のことが載っていました。
それによると湯川博士がまだ小川秀樹で小学校3年に在籍中、
生徒を代表して、講堂に立ったことがあるそうです。

ところが大勢の友達の顔を見た瞬間、覚えていた文章を忘れてしまって、
どうしても思い出せないのです。その時受け持ちの先生が、実に優しい声で、
「小川、小川、もうよい。降りて来たまえ」
と横からおっしゃって壇から降ろされたのです。

湯川さんは恥ずかしくなって、世界中の人が皆自分を笑っているような
劣等感に襲われたが、後で先生が

「あれで良いんだよ、あんなことは誰だってありがちなことだよ。
あんなことでお前の値打ちが下がりはしない。
お前は出来るのだから、そんなことにこだわらずに一所懸命に勉強するんだなぁ、
一度や二度の失敗でへこたれる奴があるか」

と優しく励まされて、かえってよく勉強が出来るようになった、と書かれています。
この先生の態度、それが子供を持つ親の立場であってほしいですね。



・・・

第6編 親孝行な子供にするには

《親孝行は自然の姿》

近頃は道徳教育が全然行われないので、
青年の中には忠孝の意識を理解している人が少なくなりました。
中には親孝行そのものに疑義があるとして、見真会等で鋭く追及する青年もあります。

それは戦後の教育からいえば当然のことでありまして、人間の性欲の過程だけを見て、
その崇高な夫婦の理念というものを教えられないのですから、
自分等はむしろ犠牲者であるという位の観念から反対に親を憎むことになりがちです。

考えてみると誠に悲しいことですね。
そこには人生の意義も、人間の尊厳もない。

ただ醜い動物的な本能だけを見て、これが恋愛であるなんて
大きな思い違いをしているのですから、現代の青年に親孝行を理解せしめようとすることは、
なかなか至難の業と言わざるを得ません。

でも私は時々そうした青年と次のような問答をやることがあります。

「親孝行なんて、そんなの不自然ですよ。
そういうことを強制しようとするから、若い者は宗教に入ってこないんですよ」


「そうです。親孝行なんて強制すべきものではありません。
でも、君達はどんな理屈を並べてみても、やはり親を悲しませるより、
喜ばせる方が嬉しいでしょう。何故でしょう。

もしそれが不自然なものなら、心で喜べないはずですね。
仮にお前、逆立ちして立っていろ、なんて言われたら、実に苦しいでしょう。
1分間も辛抱出来ないですね。
なぜですか、それは逆立ちというものは不自然な姿だからなのです。

親を喜ばせるということは、ちょっとも不自然な姿ではない。
むしろそれが本当の願いなんです。子供は誰でも自分の親を愛しているのです。

他人がもし自分の親の悪口を言ったら、きっと腹が立ちますよ。
どんなに憎んでいる親でも同じことです。

だいたい憎んでいるということは愛しているからなんです。
よその親なら、どんな不潔な行為を見せつけられても、腹が立たないでしょう。
これは愛していないからなんです。

ところが自分の親は自分が一番愛しているのです。
清く美しくあってほしいのです。
この理想と矛盾が、青年を反抗へと追いやるのです。

だから僕は強制なんかしなくとも、親さえ子供の尊敬に値する人間で有り得たら、
君達は皆親を大切にすると思うんです。だから宗教とは、要するに、
この拘っている感情を棄てさせて、お互いに愛と尊敬の人間関係を確立する道ですよ」

と申上げるのです。

子供が親不幸であると嘆く前に、親自身自分を反省すべきですね。
最近守屋浩の「有難や節」という面白い歌がありますが、その歌詞の中に
「親の意見は尊いものよ、俺もボツボツ見習おか。親はええとこで酒飲んでござる。
勉強ばかりじゃ親不孝」

というのがありますが、子供は絶えず親を見ています。
口先でどんなに甘く言ってみても、純粋な子供の眼はごまかすことは不可能です。

何の労働もなしに親がゴッソリと儲けた金は、子供の性格を歪めてしまいます。

先日もある女の方が「自分の子供は極道で困る。金を欲しがって、いくらやっても、
皆パチンコに使ってしまう。やらなければ、自転車でも何でも皆質屋に入れてしまう。
一体どうしたらいいですか」と問うた人があります。私はその女の人に言ったのです。

「それは、あなたが余りケチケチ言い過ぎるのですよ。
なるべく少なく金を渡して、出来るだけ使わすまい、と思い過すからですよ。

あなたの息子さんは、馬鹿じゃないんでしょう。
馬鹿でなければ、自分の家の田がどれだけあって、収穫がいくらあって、
財産がなんぼある、ということは皆知っているんです。
俺がこんなに働いても、ケチケチしやがって、と息子は腹が立っているんです。

そんな、息子に腹立てさせるようなやり方は止めて、もっと息子に礼を言って、
豊かに与える心になってやりなさい。

『お前の働いてくれたお蔭でこんなに収穫があった。有難う、有難う。
お前もいろいろ入要があるだろう。お前の欲しいだけ米も売ろうね』と言ったら、

自分の労働の価値が解かるから、無茶な浪費はしなくなります。
お米をどっさりと倉庫に積んで、出したら減る、減る、減るなんて
ケチくさい心を棄ててしまいなさい」

と言ったら、眼を丸くしていましたが、本当にここなんです。
息子を信じてやったら何でもない事ですが、信じなければ出来ないことですね。


             ・・・

《子供の小遣は信頼の上で与える》

小遣のことでも、いったい月に幾らあげたらいいんですか、と心配する親もあります。
勿論あげ過ぎてもいけないことですが、
むしろ根本は子供に対する信頼じゃないでしょうか。

私は子供の小遣は一切自由なんです。
お父様、小遣下さいと言えば、金庫から欲しいだけ貰って行きなさい、
記帳しとくんですよ、といって一切子供に任せてある。

千円要る時には千円、二千円要る時には二千円取るんです。
決して無駄使いしないですね。これは父母がこのお金を儲けるために
どれだけ苦労していて下さるか、それが良く解かっているのです。

もし私が株か何かでゴソッと儲けたら、子供はそうはいかんでしょうね。
でも皆さんは子供の自由にという訳にはいかないでしょうから、
なるべく一定の枠を決めるのがよろしい。

大抵の母親を見ていると、あまりしつこく言い過ぎるのです。
「お前、これで今月は幾らになる。使い過ぎじゃないか」とか何とか、
30分位やるのですね。

それでやらんのかというと結局は取られている。
叱言(こごと)をいうなら与えなければよい。
与えるならスカッと与えることです。

「私はあなたを信じているのよ」と強く言って、気持よく与えなさい。

グロンサンの上野市蔵氏は、「人間は本当に騙され切ったら騙されないものだ」
と言ったですが、本当に親が私を善人だと信じてくれると思うと、
良心が本人を反省させてくれるんですよ。


                  ・・・

《交通事故を防止するには》

さて、この頃は青年の交通事故が非常に多いですね。
親として心配が絶えないことでしょう。
こういう交通事故も決して偶然に起るものではないのです。

必ず何か注意が足りないところがあります。
これ位、と思うことがとんでもない事故の原因となります。
従って私達はいつも細心で慎重でなければなりません。

道を歩いていてふと他のことを考える、と単にポカンとやるんです。
平素から心をしっかり統御する習慣をつけておかないと肝心の処で大ポカをやるんです。

それにはやはり神想観ですね。

試験なんかでも、何でもない処を間違えるというのは皆このうかうかの心です。
こういう失策行為には特に家庭の中に原因があるのです。

とにかくこの世界は類をもって集る世界ですから、衝突するのは衝突する心がある。
家の中で衝突ばかりやっていると、外に出て車に衝突する。
家庭や仕事に心配があると、それがとっさの時に注意力を晦ましてしまう。

ですから平素から家庭の内を調和させておかないといけないですね。

親が子を叱る。悪から当然のことであっても、叱られた本人は、面白くない。
何じゃ、叱りやがって、そんなに言わないでもよいのにと思って、
心が引っ掛かっている間に注意力が散漫になってポカンとやっちゃうんです。

ですからあまり子供にガミガミ言わないことです。

交通事故を防止する道は、何といっても家庭の調和と、
御先祖の供養にあることを肝に銘じておいて下さい。


「幸せは今ここに」〜その12 (20)
日時:2016年04月19日 (火) 20時48分
名前:伝統


第7編 教師のストと子供

《子供は先生の行為をまねる》

教育ゼネストが教師の良識によって回避出来ましたことは父兄として、
大変喜ばしいことです。

なにしろ事はあどけない児童をこの闘争の渦中に巻き込むということですから、
単なる労働スト等には比較にならない重大な問題を含んでいるのです。

こんな実例がありますね。

北海道のある小学校で、始業のベルが鳴って担任の先生が教室に入りますと、
生徒が一人も坐っていないのです。先生はびっくりして、生徒ヤーイと学校の内外を
探し回りましたら、裏の河でみんなが魚をすくっていたというのです。

「オーイ、お前達授業のベルが聞えんのか。授業が始まるぞ、早く教室に帰れ」
 
と先生は怒鳴りましたが、誰一人振向く児もありません。

先生は生徒の一人を掴まえて、

「お前達、授業中にこんな勝手な真似は、いかんじゃないか、早う教室へ入らんか」

と叱りますと、その生徒はすました顔をして、

「先生、そらあかん、今日は俺達はストをしているんや。先生の言うことは聞かんのや」

と答えたというます。

先生はもうびっくりしてしまいました。
昨日まではあんなに素直に先生の言うことを聞いてくれた生徒が、
今日は全く先生を無視して魚を採っている。
腹が立つより何とも言えない寂寥の感に打たれたのです。

先生と生徒、それが今の瞬間まで、父子のように密接に結びついていたのが、
急に何千理の遠い彼方に離れてしまったような淋しさですね。

先生は初めは冗談と、とっていたのですが、それが現実であると知ると、
いたたまれなくなって教室に帰って参りました。

生徒のいない教室でただ一人悄然として考え込んでいた時、
先生の眼にふと生徒の作品が映りました。
そこにピンが取られたり、歪んだ図面が並べられてありました。
先生はそれを見ている間に涙が流れて来ました。

「ああ、私は長い間組合活動に熱中し過ぎて、この子供達に対する愛情を忘れていたのだ。
私は子供達を本当に愛していなかったのだ。
私はただ子供を愛し、それにのみ専念すべきであった」

先生は涙をポロポロこぼしながら、その作品を正しい位置に戻し、
箒を持って教室を丁寧に掃除し始めました。

その時一人、二人、三人と生徒達は先生の行動を偵察に来ました。
彼等は窓からのぞいてみて、先生が敬虔な気持ちで掃除している姿を見ると
、お互いに顔を見合わせて、皆部屋の中へ入って来ました。

「先生、すみません。掃除は俺達がやります」

「もう、ストを止めます」
 
こう言って生徒達は先生の周囲を取り巻いて、一所懸命に掃除をし始めたといいます。

 これは北海道のある先生の実際の体験です。

    
                 ・・・

《子供に闘争意識を植えつけてはならない》

聞くところによると最近和歌山辺りでは
子供達の間にスト遊びというのが流行っているそうですね。
中には親が自分の要求を聞いてくれない時には食事もとらないという子供もあるといいます。
皆先生方の闘争の影響です。

学習の学(まなぶ)という字は真似(まね)ぶという意味であり、
習という字は、鳥が雛に飛ぶことを実地に教える場面から出来た字であると言いますが、
どちらも真似ることだそうです。

所詮子供は大人の行為を真似て成長するのです。
ことに青少年は先生の行動を見て、それを模倣しつつ成長するとすれば、
日教組の先生方の闘争を通じて、左翼の革命方式が、如何に憂慮すべきものであるか、
お分かりになるでしょう。

最近の全学連の動きを見ても、
青年達の闘争意識過激の行為がいろいろな不幸を招来しています。

口でどんなに平和を称えましても、このように激しい闘争意識を
子供の頃から実際に植え付けていくということは、
日本の将来に果たしてよい事でしょうか。

子供への真の愛に立脚して、先生の良識を祈らずにいられません。   (33.10)


・・・

 
第8編“断絶”を救うもの

《道徳は教えられないか》

近頃“断絶”という言葉がよく使われます。

“断絶”とは関係が断ち切られるという意味で、
例えば三千年に及ぶ日本の尊い歴史を抹殺して、天皇と国民との一体感を切り離して、
これを断絶せしめるとか、

親と子、先生と生徒、資本家と労働者といった本来一つであるべき関連を断ち切って、
徒に対立抗争の地獄絵図を出現しております。

いったいこの断絶の原因はどこにあるかと申しますと、
もちろんアメリカの占領政策の一環として押しつけた占領憲法によるものであります。

この諸悪の因を歴代の内閣のあまりにも無力で、
革新的な風潮に迎合してその改正を怠ったこと、
そして同時に敗戦呆けした大人の無責任な言語や行動によることは明らかであります。

大学問題等はその被害の最たるもので、
断絶の悲劇は、今や国民のあらゆる分野に亘って繰り広げられていまして、
皆様の中にも、その悲哀を数多く経験せられていると思うのであります。

戦後25年──この25年は若い人達の考え方を根本から変えてしまいました。
私達のような明治あるいは大正生まれの世代の人間は、
一応その人の心の底に「教育勅語」があって、道徳の基礎が確立せられています。

しかし戦後のモラルは根本的に異なってしまいました。
忠孝という一番大切なものが道徳の規範から外されてしまいました。
従って戦後のモラルはもはや道徳と呼ぶ価値はないのであります。

だいたい道徳とは人間として必ず踏み行うべき道です。
日教組の先生は、これは自然に体得すべきもので、教えるべきではないと主張します。

けれども果たしてそうでしょうか。

勿論人間は神の子ですから、内部から神性仏性が開発されて来るのは当然なことですが、
それにはその神の子を育成するにふさわしい良き環境というものがなくてはなりません。
この良き環境、良き肥料に当るものが道徳教育そのものであります。

昔は学校がその徳育の中心的役割を果たしてくれましたから、
成年に達するまでには、特別の例外を除いて道徳的規範を確立していましたが、
しかし近頃は全く正反対です。

学校では知育偏重で、むしろ権力に反抗して自我意識を高めることが
新しいモラルだと教え込まれます。
そのため若い人達は力を持って権力に対抗しようと致します。
断絶の悲哀は、こうしたところから発生して来ました。

ところで私達はこうした青年の思想の原点というものをまず
理解してかからなければなりません。
頭から20年、30年の断絶を無視して、青年に道徳を教えこもうとしても、
彼等には到底理解し得ないことです。

でも人間は神の子なのですから、適当な指導や環境の改善によって、
正しい理解を深めてくれることは確実なのです。


                ・・・

《為すべきことを知らない青年》

いつでしたか、南部銀行の頭取をしていらっしゃった赤坂氏から伺ったことですが、
新しい学校での社員が出社してくると、
先輩に対しては殆ど挨拶をする者がいないそうです。

そうした時、「彼奴(きやつ)、先輩である俺を無視するか」と立腹するようでは
青年を育成する資格はありません。

キリストが祈られたように、「彼等はその為すところを知らざればなり」で、
先輩に挨拶するという簡単な礼儀すら青年に教えられていないのです。

従って青年を非難することは、非難すること自体が間違っているのです。
「そんな時はまず見本を見せるに限ります」と赤坂氏はおっしゃいました。
「お早う」とこちらから挨拶して見せると、
翌日から皆実行してくれるようになるそうです。

また、赤坂さんは入社式の当日に、社員に向って、
「君達は今日から新しい銀行員として仕事をせられるのです。
何をどのよういするかは常に先輩の部長、課長、係長等を身習って仕事をして下さい。
もしそれらの方々が早々に退社されるなら、君達も早々に退社してもよろしい。

もし帰宅の途中で麻雀やパチンコに閑(ひま)をつぶされるなら、
君達も閑をつぶされたらよい。
しかしこれらの方々が真剣に仕事に取り組んでゆかれるなら、
君達も真剣に仕事に取り組んで頂きたい」
 
と挨拶をされるそうです。

この言葉や態度は非常に大切なところであります。

先日も家内が仲人として御世話させて頂いた或る若い夫人と道で顔を合わせたのに、
ろくに挨拶もしないと、ちょっと憤慨していましたが、

「30年の断絶は既に私達のモラルで観察したのでは気の毒だ、
自分達も30年後の今の時点に立って考えてみてあげないと罪を作ることになるよ」
と注意したのであります。


                 ・・・

《親は権威を持たねばならぬ》

ところで皆様は家庭における道徳教育をやっておられますか。
学校や社会にこれを期待できなければ、
自分達の子供は自分達で守らなければなりません。

それには両親がいたずらに時代の風潮に迎合することなく、
正しい人生観、正しい世界観を持たなければなりません。

先日もどなたかおっしゃっていましたが、
近頃は農家でもカラーテレビや、ジグザグミシンがないお家はないそうです。
しかし多くはそれらのミシンが実際使われるのではなく、
花瓶や人形の置台に過ぎないのです。

両親は近隣に負けまいとして家庭を飾り、子供に必要以上の学校教育を付けさせて、
その生意気な子供の理屈にオドオドとしているというケースは
到る所に見られるのであります。

お互いに背伸びしている生活の姿勢を正して、現実を正直に認識させるためには、
両親はもっと子供に対して威厳を持たなければなりません。

とにかく戦後日本の大人は子供に対して何にも言わなくなりました。
政治家も、教育者も、先輩も、両親すらそうすることが青年に対して
理解のある態度のように誤解しているのです。

しかし正直に言ってこれほど卑屈な態度はないのです。
このことが青年達を失望させ、両親や教師、更には政治家をも
軽蔑させる原因となっています。

昨日もある学校の校長と話したのですが、
とにかく今の先生は教育に対して臆病になり過ぎているというのですね。

耐寒訓練一つにしても、やり過ぎて事故の一つも起れば世間の袋叩きに会うというので、
要領よくやっていると言うのですね。まあ全てそうではないでしょうが、
これでは本当の教育は望めないと思います。


                 ・・・

《親を大切に明るい家庭を》

ところで近頃女性優位という言葉がよく言われます。
これも子供の不良化と関連が深いのです。

先日も呉の宮崎先生がおっしゃっていましたが、
“亭主が月給稼ぎで、女房が月給取り”──解かりますか? 

夫が汗水たらして、せっせと月給を稼ぐと、
女房がそっくりそれを取り上げて御自分の自由に振る舞う。
そんな家庭に姑が居ようものなら、たちまち嫁姑の冷戦となります。

大抵は子供が不良化して、亭主がノイローゼになるケースです。
夫が働いて下さるからこそ姑と嫁が子供の前でその徳を讃え合う
──こうした環境の中で子供を育てたいものです。

何と言っても老人を大切にしなければなりません。
これが宗教や道徳の根本です。

親という字は立木を見ると書くのですが、木が繁り、美しい花を咲かせ、
豊かなる果実を着けるのは、皆根や幹が大切にされるからなのです。

根を切ってはいけません。
どんな繁茂している植物でも、根を傷つけられたら枯れてしまいます。

若い人が親を大切にすれば、子供はそれを生活の中に自然に身につけます。
これが子供の将来に対する最も大きな遺産なのです。

どれだけ親と子の断絶が教えこまれようと、そこに日本の美しい愛の家庭があり限り、
その子は神の心を見失うはずはないのであります。

いつでしたか、アメリカ人の著書で読ませて頂きましたが、
夫が成功する秘訣の第一は、夫が家庭に帰ることが楽しいという雰囲気を作ること
であると書かれていました。

このことは子供の養育に於いても言えることで、子供を成功させる秘訣もまた、
子供が家庭に帰ることが楽しいという雰囲気を作ってやることであります。

明るく楽しい家庭、尊敬される父と母、そして日本人の心の支えとして
育まれてきた敬神崇祖の美しい習慣、そこには一切の断絶を越えて
大人と子供の楽園が見出されるのです。

親と子は所詮一つであって、別々のものではないのであります。   (46・2)



・・・

第9篇 宗教と政治

《二宮尊徳を知らぬ子供たち》

先日、「読売新聞」に二宮尊徳の銅像に、子
供達が大勢上って悪戯をやっている写真が載っていました。

あの時記者は子供達に、君達はこの像が誰であるか知っているかと聞いたんだそうです。
ところが、その子供達は誰もその名前を知らなかった、と書いてあります。

だいたい二宮尊徳の像ですから恐らく学校か役場かに建てられていると思うのです。
それを学校の先生も誰もどうしてそれを教えないのでしょう。

二宮尊徳を礼拝することは時代の逆行かも知れないが、
少なくとも近代農業の父である尊徳を無視して日本の農業の発展を
子供達に理解させることは不可能でしょう。

いつでしたか、ユネスコの会議でハンガリーの代表が、
「一国が他の国から尊敬と信頼を勝ち取るためには、まず自国の国民が
自分の国の文化や歴史に正しい認識と誇りを持たなければいけない」
という意味のことを話しているのを読みましたが、

今私達にとって最も大切なことは日本人が日本の歴史や文化に対して
何より正しい認識と尊敬を取り戻さなければならないと思うのです。
でなければ今後の日本の再建も興隆も有り得ないのです。


               ・・・

《日本的なものへの誇りを回復しよう》

終戦とともにアメリカの占領政策にのせられて、
日本的なものといえば何もかも壊されてしまいましたね。

そのために国民生活の上だけでなしに精神的な面まで
純日本的な美しさや誇りを喪失しつつあるのが現状であります。

中でも一番心外なことは終戦後二十数年を経過した今日に於いて
なお国辱的な歴史教育を実施しているという事実であります。

先に、教育審議会は子供達に愛国思想と天皇に対する親近感を抱かせるように
教育すべきだという方針を明らかにしました。誠に結構なことですが、
こんな当然なことが今日までなぜ渋られなければいけないのでしょうね。

皆様は子供達の社会科の教科書を御覧になったことがありますか。
その建国の歴史の項には高千穂峰に於ける天孫降臨や神武天皇の橿原における
御即位等は、単なる伝説に過ぎないとして否定されて、

当時に日本は多数の豪族達がお互いに牙を交え覇を争っていたが、
巨大な勢力を誇った一族が、他を平定統一したのが現在の天皇家であって、
それが自らの権威を後世に知らしめるために、

後に『古事記』や『日本書紀』等を作らしめて、
天孫民族という独特の思想を植え付けるようになったのである。

従って史実の上から見て、神武天皇が実在したという証拠もなければ
二月十一日を建国の日と定める理由もない、

日本の建国も神武天皇より、ずーと後であって、
支那の『魏志倭人伝』という書の中には、日本皇室の先祖が支那に貢物を捧げて
自ら天皇の印綬を享けた、ということが書いてある。

その印綬が何々県のどこから出土されているから
日本の『古事記』よりずっと信憑性がある、なんて書いたものがあるんだそうですよ。
従って今の子供達が天皇を尊敬しないのは当然な事なんです。

何時でしたか、共産党の志賀義雄が日教組の大会で、
この民主教育をもう十年続けていたら黙っていても、政府は吾々のものになる、
という意味の挨拶をしていましたが、教育の偏向から見て当然のことですね。

考えてみると今の子供達は藤田東湖や東郷平八郎といったような
日本の偉人については全然教えられていないですね。

万葉を歌った民族の高貴な魂はもはや何一つ理解出来ないでしょう。
奈良を訪れる修学旅行の団体も大仏や法隆寺を素通りして
ドリームランドの観光で閑を潰してしまうと言います。

こうして次第に古い日本の文化から遠ざかってゆくことが
日本の将来に明るい希望を抱かしめるでしょうか。


                 ・・・

《生政連の使命》

オリンピックで日本に訪れた多くの外人達は、
そこに日本でない欧米の模倣の文化をみて著しく失望したと伝えられています。

親子の間でも、師弟の間でも、何でもドライに割り切って考えてゆく、
道徳も宗教も無視して、肉体の本能だけに基ずいて行動することが正しいといった
誤った観念が、どれほど多くの不安を社会に投げ掛けていることでしょう。

皆様にはこういった教育の内容を是正したいと思いませんか。

民族の自覚を持った、素直で優しい勇気と正義感に満ちた青年達を築き上げる
真の教育を今直ぐ行いたいと思いませんか。その至難な教育や政治の姿勢を
正そうというのが私達生長の家政治連合の使命なんです。

皆様の力が3百や5百では不可能なことです。
でもそれが各地で1万にまとまることが出来たら、
生命の実相に徹した選良を自由に選ぶことが出来るのです。

そなれば教育の内容の修正でも、優生保護法の改正でも、
何でもみんなやってのけることが出来るのです。


                ・・・

《親子断絶の現民法》

私は先日ある必要があって民法というものを勉強させて頂いたのであります。
ところが私達の常識と全く違っているのに驚きました。
戸主権のない遺産相続はいろいろな問題をはらんでいますね。

ある両親が一人子に嫁を貰ったのです。
そして孫が一人出来て幸福に暮らしていました。
ところが突然息子が交通事故で他界したのです。

やがて悲しみの遺族に保証金が下りました。
2百万の金は乏しいながらも4人の生活を支えてくれる大切な金でした。
ところが嫁は孫を連れてその金を持って実家に帰ったのです。

老夫婦は途方に暮れて調停に持って行ったのですが、
これは現在の法律では如何ともなし得ないという話でした。

これが社会党のいう民主憲法の内容なんです。
親子でも兄弟でも権利、権利で闘争をやるんです。
あのストなんかでも、どれだけ大衆が迷惑をしようと抑制するということは
現在の憲法に於いては不可能な事なんです。

創価学会は公明党という政党を結成しましたね。
その綱領をみると社会党と全く一つですね。

宗教と名が付くから、もう少し公正な判断を持っているのかと思ったら
結局は宗教の仮面を被った唯物的革新勢力です。
こうした勢力がこぞって憲法改正に反対しようというのですから
私達はよほど褌(ふんどし)を締めてかからなければなりません。

この頽廃した政治の姿に皆様の協力によって1日も早く正したいと切実な願いを込めて
総裁先生は生政連の結成を呼びかけられました。
個人の救済から大きく社会浄化に飛躍した欣求(ごんぐ)浄土の悲願、それが生政連です。
どうか御一考の上活動下さることを願います。

「幸せは今ここに」〜その13 (21)
日時:2016年04月21日 (木) 20時45分
名前:伝統

第10篇 教育の根本を正すために

《民主主義とは利己主義のこと?》

もう随分昔のことですが、大阪に参りましてね、平野町でバスを持っておったんです。
当時はなかなか車が来ませんでね。皆イライラして待っておったんです。
すると満員のバスがやって来たんです。

降りる人はいないけれども皆そのバスに乗ろうと必死になって押すのですが、
狭い入口からなかなか入れないでいると、一人の青年が大声で怒鳴ったんです。

「おおい、ちょっと遠慮して入れてやれや、民主主義じゃないか」
それでその青年も数人の人と一緒にうまく乗り込んじゃったんです。

でも未だ沢山な人が乗れないでぶら下がっているんですが、
その青年は今度は運転手に言ったですね。

「オイ運転手、いつまで待たせるんだい、早く出発させろ、お互いに忙しいんだ、
民主主義じゃないか」

戦後アメリカから与えられた民主主義の思想は憲法第9条、戦争放棄の条項と共に
平和憲法の基礎をなして国民大多数の謳歌するところとなっています。

最近は首相も就任と同時に「憲法は改正の必要ありません」とわざわざ声明するほど
気を使っていますが、ここらで日本の民主主義というものを考え直してみる必要がある
のではないでしょうか。

だいたい民主主義というものは、すべての人間は本来自由であり平等であるべきだ
という原則をさします。
もちろん、このことに関する限りまことに結構なことでありまして、
この二つが完全に守られますならば、こんな素晴らしいことはないのであります。

ところがですね。だいたいこの自由と平等ということは全く相反することなんです。
考えてごらんなさい。


                  ・・・

《自由と平等は両立しない》

人は自由であらんとすれば必ず平等ではない。
平等であらんとすれば、必ず自由が拘束される。

例えば私達の住宅問題一つにしても、家族の多い人も少ない人もあるでしょうが、
平等に同じ家に住まわせたら不自由な家族が沢山出来てまいります。
だからといって家族のことを考えて大小を造れば不平等ということになります。

この様に自由と平等は絶対に一つにならない。
この一つにならない二つのものを同時に約束しようというものですから
日本の民主主義は初めから無理があるのです。

政党でも、自由を主張する自民党と平等を主張する社会党が仲良くゆかないのも
当然な事なんです。ゲーテがこのことを「もし自由と平等の二つを約束する人間が
いたら、それは夢を見ているか、大ほら吹きだ」と言っています。

ですからデモクラシーの先進国では、この自由と平等の他にもう一つの博愛
ということを言っています。つまり宗教的な愛であり慈悲心ですね。
この自由、平等、博愛、この3本の柱によって、
フランスでもアメリカでも旨く行っているんですよ。

日本のは一本大切な柱が抜けているから、あの“サボテン”というテレビの番組の中で
森繁の扮する大学教授をして「民主主義なんて多数の暴力だよ」と
歎ぜしめることになるのです。

先のバスの中の青年にしても、日本の民主主義からいえば、自由と平等を
主張しているのであって、決して矛盾しているのではない。
だが皆さんはこれでいいとは決して思えないでしょう。

何故思えないかというと、愛がないために折角の自由と平等の思想も利己主義、
個人主義と何等差別されなくなっているからです。

しかしこれは単なる笑いごとではない。
私達の周囲にはこれと全く同じことが毎日行われていますね。

先日も原子力潜水艦が入港するというので佐世保では随分派手なデモをやらかしましたね。
まるで幕末の黒船騒動です。

もちろん原爆被害の悲惨な経験からいって、原子力と聞いただけで頭が痛くなるという、
国民感情は解かりますが、政府でもこの点十分研究の上で、同意したことですし、
アメリカに於いても絶対安全を保証しているのですから、
そんなに騒がなくてもよいと思うのです。

それよりも、もっと身近な中国に於いても核実験をやっているんですから、
この方がもっと百倍も二百倍も危険なことです。あの原子灰もビキニの時と違って
黙っとっても風に乗って大陸から日本の空に流れて来るのですよ。

ところがこの方は総評でも社会党でも、全学連でも進歩的学者といわれる
お偉方でも一向にデモも何もやらないで、アメリカというと仕事も学問も
放ったらかして、ワッショイワッショイとやっているんですが、
これが日本の民主主義という奴なんです。

だいたい学生が大切な授業を放棄して
政治運動に熱中するということが正しいことでしょうか。


               ・・・

《学生は税金泥棒》

先日も松下幸之助の『みんなで考えよう』という御本を読んだのですが、
その中に東北大学の予算が書いてありました。
それによると東北大学の予算が1年42億円だそうです。

それで毎年何人卒業するかというと、1500人だそうです。
すると1人に割ると何と300万円ですね。
1人の学生を卒業させるために年間300万円の大金が使われているというのですよ。

これが皆私達の税金で賄われ入るのです。
京大でも阪大でも結局同じだと思うのですが、私達の血の出るような苦しい税金が
学生一人一人に対して300万円ずつ使われている、という事実を学生達は
果たして認識しているのでしょうか。恐らく知らんでしょう。

認識しておったら、学業を放棄して佐世保くんだりまで出かけて行って
ワッショイワッショイはやらんでしょう。そんなことが出来るはずがない。

まして僅か2万3万の安い給料で身命を賭して保安のために働いてくれている
警察官に向って“税金泥棒”なんて言えるものではない。

自分の方が乏しい国家予算の中から与えられた300万円を大いに無駄にして
いるんですから、何百倍もの税金泥棒と言わざるを得ません。

だいたい現在の学生諸君が何かというと革命の予行演習をやっていますが、
もっと真剣にならなければなりませんね。

あの敗戦の真只中に何一つ物資も食料も無い中から、或いはハンマーを握り、
鍬を振って増産増産と真剣に働いて、この今日の日本の繁栄を持ち来たしたのは、
学生諸君ではなくそのお父様、お母様であったということです。

この人々の不屈の精進があったればこそ、
日本は再び世界の指導的な立場に戻ることが出来たのです。

否、それだけではありません。いくら働きたくても、食うものがなければ働けない、
材料がなければ進歩も向上もしないでしょう。

それで戦勝国であるアメリカを初め諸外国が敗戦の日本に温かい愛の手を
差し伸べて資金や技術や材料や食料を提供してくれたればこそ、
今日の繁栄を来たすことが出来たのであります。

時々ソ連や中共を平和勢力のようにかたく信じこんでいる若い人々に逢いますが、
ソ連は必ずしも平和愛好者じゃない。

ソ連は御承知の通り日本の敗戦と共にその強力な軍隊で、
樺太は勿論、歯舞、色丹、国後、択捉まで獲っちゃたですね。

勿論敗戦後の日本のためには、何一つしてくれなかったですよ。
アメリカ一辺倒もいけないが、この点を広い視野に立って
若い人も考えてもらいたいのです。

今皆様は日本の教育が正しく行われていると思いますか。
例えば日本の歴史について考えてみても日本古来の『古事記』や『日本書記』は
単なる伝説として葬られてしまっています。

私達の祖先が如何にしてこの国を興し、この国の文化を築いて来たかということを
知らなければ、真の日本人としての感激も喜びも浮んで来ないでしょう。


・・・


第11篇 素晴らしい日本       
      ─中学・高校生のために─

《軍備は必要か》

「なぜ日本は今さら自衛隊なんか造って、戦争の稽古なんかするんだろう。
日本は平和憲法によって平和が守られているのだから、米国と手を切りさえしたら、
どこからも侵略されるはずがないじゃないか」
 
と真面目に信じているお友達が案外多いのにびっくりしました。
世界はその人達が考えるような甘いものではありません。

戦後20数年、日本が経済的な発展をして平和な生活を送ることが出来たのは、
安保条約によって米国が外国の侵略を許さなかったからなのです。

世界は今、自由諸国と共産諸国の2つに分れて、
互いに鎬(しのぎ)を削って争っています。
その中で最も弱い国が自主独立を維持しようとすれば、容易ならぬ事なのです。

皆様はかってチェコの自由化を阻止するためにソ連が武力介入したことを御存じでしょう。
ソ連を平和勢力だと信じ込んでいた文化人等は二の句がつげなかったそうですが、
チェコの学生の中にはソ連軍に抗議して焼身自殺をした者さえあると新聞が報じていました。

ハンガリーといい、チェコといい、共産主義の政治というものが自由主義の国に比較して
いかに惨めであるかを知って、自由化を目指したために、行われた弾圧なのであります。

中共に至ってはもっと激しく、隣国のチベットを軍事占領して、
その王様のダライ・ラマはインドや日本に亡命して、国連にその非道を訴えています。
ソ連といい中共といい、共産主義の実態は皆そうなんです。


                 ・・・

《民族としての気概を持とう》

この間、剣道8段という茨城県の中村代議士さんが、日本と韓国と中華民国の3国の
剣道の試合をソウルでやった時のことをお話になりましたが、日本の国技であり、
伝統である剣道の試合に、一応団体では優勝したのですが、個人競技で、
一番強いはずの大将も副将も皆韓国の選手に負けてしまったと話していました。

なぜ日本人が勝てなかったかというと、剣道が下手なのではなく、
民族としての気概と言うか、根性というか、それが全然彼等と違っているように
思うとおっしゃっていました。

どうしてかと言うと、皆様も御承知と思いますが、今から20年前に、
もう戦争は済んだのだからお互いに軍隊を引き揚げようと言って、
アメリカの軍隊が韓国から引き揚げたことがあったのです。

ところがそれを待っていたかのように北鮮の共産軍は中共やソ連の力を借りて、
一挙に38度線を突き破って韓国に侵入して、残っていたアメリカ人は勿論、
100万人近い韓国の人々を殺してしまいました。

それでびっくりした米国が韓国に再上陸して、苦労して戦って、
ようやく38度線まで押し返したのです。これが有名な朝鮮事変なのです。 
事変といっても両方で400万の軍隊が闘った戦争なのです。

随分残酷な戦いで、中には共産軍に食ってかかったために、少年の口の中に手を入れて、
「この口が憎たらしい」と引き裂いた鬼のような兵隊もあったそうです。

韓国には共産軍に父や夫を殺された人が一杯いて、
中村代議士が泊ったホテルでも、「君のお父さんは」と聞くと、
「あの朝鮮事変で共産軍に連れていかれて殺されました」と言って泣くそうです。

従って、皆自分の国は自分達の手で護らなければと
、必死になって、一所懸命に頑張っているのです。

日本のようにアメリカにおぶさって、気楽にレジャーを楽しんだり、
音楽にうつつを抜かしている人なんか一人もないそうです。
日本の選手が日本の伝統である剣道や柔道で負けることも
当然のことだと嘆いて居られました。

この朝鮮事変は韓国にとってはこの上もなく不幸な出来事でしたが、
これが為アメリカ人が共産主義の恐ろしさを識(し)りソ連と手を切って
日本と単独講和を締結し、ここに日本が独立国として世界から認められる
緒(いとぐち)となったのです。


               ・・・

《現憲法は日本否定の憲法》

ところで皆様は今の憲法を立派な憲法だと信じているでしょう。
しかし本当は悪い悪い憲法なのです。

これはアメリカが日本を負かして、その報復のために押し付けたもので、
この中には日本がもう再び立ち上がることが出来ないように手も足ももぎ取って
しまって、世界の4等国民以下とし、天皇陛下を尊敬する心を無くさせようと、
教育の姿勢をすっかり歪めてしまいました。

そして主権は国民にあると宣言して、陛下を国民統合の象徴というような、
誠に曖昧な存在にしてしまいました。こうして天皇を中心として一つにまとまって
発展してきた一大家族国家の日本は、もうどこにも存在せず、ただバラバラの
利己主義な人間の集まりのような誠に嘆かわしい国になり下がったのであります。

でも考えてみると、日本は幸福な国です。
過去に於いて何回か外国の侵略を受けそうになりましたが、
その都度神国としての不思議な力を現わしてこの日本の国を護持して来ました。

今度の大東亜戦争でも世界中を相手にして戦って負けたのですから、
もう日本国が地球上から消えてしまうはずであったのですが、ドイツと違って
国が東西に分離せられず、国民経済は戦前の何倍という素晴らしい発展を致しました。

これは天皇陛下が、「自分の身はどうなってもよい。自分はどんなことでもする。
今はこれ以上の惨禍を国民に与えず、忍び難きを忍んで戦争をやめよう」と
言われて戦争を終結させ、「戦争一切の責任は自分にある。
自分は何でもするから飢えと不安におののく日本国民を救ってもらいたい」

とマッカーサー元帥に進言させたために、3千万人は餓死するといわれた
戦後の悲惨な中に、天皇の偉大さに感激した元帥は、アメリカ政府を説得して、
沢山な食料や原料を送ってくれたからなのです。
日本は自由諸国と貿易することによって飛躍的発展を致しました。

しかし戦後の過った教育を受けた大学の兄さん姉さん達、また皆さんは
3千年続いた日本の国の偉大さや、天皇陛下の高徳について
何も教えられていないのです。

日本の国が有色人種の中でただ一つの白色人種に侵略されなかったのは、
常に真の愛国者が天皇陛下のために祖国を護ってくれたからです。

今大学で暴れている全学連のお兄さんやお姉さん達は、
日本の良いことを一つも聞かせてもらえず悪い事ばかり聞かされて、
血が頭に上って気が狂ってしまっているのです。

皆様でも、「お前のおじいさんは泥棒だった。お前の先祖は刑務所に入っていた」
なんて聞かされたらきっと腹が立つでしょう。

しかし安心しなさい。
日本は今まで一度も他国を侵略したことはないのです。
日清戦争でも、日露戦争でも、支那事変でも、大東亜戦争でも、
皆やむにやまれぬ正義の戦いなのです。

このことは、あの終戦後の東京裁判で、インドのパールという判事が、
この戦争はアメリカの挑発によって起った、と述べて、
世界の法律学者の合意を得ているのです。

日本は負けましたけれども、それまで白人に侵略されていた世界の有色民族は、
インドやフィリピンを初め、殆ど独立をすることになったのです。

言ってみれば日本はキリストの如く、自ら敗戦という十字架に架けられましたが、
世界の被圧迫民族を救ったのです。どこに日本民族が卑屈になる必要があるでしょう。

私達はこの過った日本の憲法を速かに廃棄して、
世界で最も立派な明治憲法や、教育勅語を復活して、
祖国を世界の民族から本当に尊敬せられる立派な国にしようではありませんか。

そして日本の国を守って下さる自衛隊や警察官に心から感謝しましょう。 (44・9)


・・・


第12篇 国を愛する少年達

《ドイツの少年》

私は昔『愛国心』という冊子を読んだことがありました。
 
それは第一次大戦の直後で、
ドイツは戦いのために全国土が完全に焦土と化してしまった時です。

日本の陸軍武官の一人がある日ライン河を船に乗って遡って行きました。
船の中には連合軍の軍人やドイツ人が20人余り乗っていました。

その中に、どこかに旅行でもするのか、弁当を抱えたドイツの少年達が4、5人、
みすぼらしい姿で乗っておりました。

河の両岸には戦争の傷跡が、そのままなお生々しく残されていました。
やがて目的地が近くなったのか、その少年達は立ち上がって輪になって
何か話し合っていましたが、突然皆脱帽して低い声で歌を歌い始めたのです。

静かな荘重なリズムでした。すると、船の中のドイツ人達が皆この少年の周囲に
集まって来て偕に合唱し始めたのです。誰の目にも涙がほとばしり流れつつ。

この武官はこの歌が何であるか暫くは知りませんでしたが、
傍らの外人が英語で説明してくれました。
「あれはドイツの国歌です。彼等は今自分達の国歌を歌って泣いているのですよ」

武官はそれを聞いて、ドイツ人の魂は未だ死んでいない。
彼等はきっと近い将来立ち上がるぞ、と思ったと書いてありました。


               ・・・

《中共の少年》

最近、中共が出している宣伝紙の中に、
「中共の少年達」という題で、少年運動の一端を紹介した記事がありました。

街の名は忘れましたが、なんでもある小さな都市で、早朝、街道の中央に
大きな穴が開いておったそうです。

学校に行く子供達がまずこれを見付けて、その穴の周囲に集って来ましたが、
その内の一人が大きな声で命令すると、皆は一斉に散って行ったと思うと、
やがて、手に手に縄や棒片(ぼうきれ)を持って帰って来て、たちまちの内に
その穴の周囲に木柵をしてしまって、彼等少年隊が最も誇りとする赤いネクタイを
その柵の周りに結びつけると、嬉々として登校して行った、というのであります。

事件は誠に些細なことですが、読んでいて大層感動させられる話でした。

最近中共各地を旅行して帰って来られた誌友の大久保恒次さんは、
確かに現在の中共は道徳的に立ち直った、とおっしゃっていられます。

例えば昔は非衛生の見本のようであった蠅なんか滅多に見られないし、
街を歩いていても一人の乞食も浮浪者も観る事がない。

泥棒なんか殆ど皆無であって、旅行中に物を盗られたり、
失うということが一つもなかった。宿舎に時計や万年筆を置き忘れた人もあったが、
次の目的地に着くと正確のそれが戻って来るそうです。

日本人の習慣からボーイにチップを包んで渡そうとすると、
誰一人それを受け取る者がなく「私達は政府から充分な給与を受けているのですから、
余計なものは頂きません」とはっきり断るそうです。

これは私達の生活を通してちょっと想像でき難いことです。

しかし大久保氏の話によると、それでは彼等の生活が、日本人の生活に比して
何倍も豊かな生活をしているのかというと、決してそうではなくて、むしろ、
私達の何分の一も貧しい生活に甘んじているのであります。

例えば彼等の3種の神器と称する物は、トランジスターラジオとか、自転車とか、
およそ私達の文化的な生活から見れば10年以上遅れていることは事実なのです。

しかしそうした貧しい生活の中に彼等は満足し、客が与えようとするチップすら
拒絶するという態度は一体どこにその原因があるのでしょうか。

それは彼等の生活が極く最近まで極端に貧しく不安定であったということも
一つの原因でしょう。しかし本当の原因はもっと他にあるようです。

これに関し、中共の少年達の考え方について、
その記事の中で感心させられる点が紹介せられています。

それは彼等はすべて、毛沢東を絶対者だと教えられていることです。
従って共産党及び中共大衆のために、更に毛沢東のために生命を捧げることが
自分達の使命であると信じ込んでいることです。

私はこの記事を読みながら、
現在の日本の少年達のことを深く考えさせられたのであります。

第一に、日本の少年達は愛国心についてなんらの指導も受けていないということです。
否、むしろ日本を軽蔑し、憎悪する方向に導かれているのではないでしょうか。

日本の中心者であられる天皇は公然と批判せられ、少年達の心に尊敬の念を
抱かしめる教育はどこにも見られないのです。

終戦時に示された天皇の勇気と大御心については谷口先生以外に
これを大衆に知らせようとする指導者が余りにも少なすぎると思います。


                ・・・

《日本の少年》

国旗や国歌を愛するということは、これは民族の本能なのです。
現在の日本の現況は極端な偏向教育によって強いて歪められて来ましたが、
日本の少年達が、ドイツや中共の少年に比較して国を愛するという点において
劣っているとは絶対に考えられないことです。

彼等に理想を喪わしめているのは、
私達大人のエゴイズムにあると反対せざるを得ないのです。

ある有力者から聞かせて頂きましたが、橿原市の全小中学校が、
今年の祝賀式を中止に決めてしまいました。

橿原は建国の聖地として、市長が陣頭に立って紀元節復活を唱え終戦後いち早く
建国の日を祝い、新年の拝賀式を自発的に実施してきたのです。
ところが今年になって校長会がにわかに中止してしまったのです。

その理由は橿原だけが実施するというのはおかしいし、
自由に各家庭に於いて祝えばいいじゃないか、ということなのです。

しかし、本当の理由は、日教組の属する教師の突き上げにあって、
校長がなるべく争いを起したくないというエゴによって決定せられたこと
ではないのでしょうか。

管理職という立場にある校長の意見がこのように事勿れ主義によって、
生徒を教育せられたんでは本当の日本人を造るということは
不可能なことだと思われます。

政治の面を見ても、これと同じことが言えます。
国政をあずかる政治家達がだいたい、国民に媚びる気持ちが多すぎるのです。

主権在民ということは、徒に国民の御機嫌をとることではないでしょう。
上に立つ人は国歌百年の将来を考え、もっと政治に信念を貫いて頂きたいですね。

昔は皆政治に生命をかけましたね。憲法問題にしても谷口先生の趣旨に堂々と
賛同する政治家が殆ど見当たらないとは何と悲しむべきことでしょう。

もちろんこれは政治界だけでなく文壇にしても、宗教界にしても同じことで、
本当に信念を持って憲法改正や愛国心を発表してくれる人が今のところ
余りにも少な過ぎます。

一流の有名人と言ってもやはり国民の人気が落ちる事を恐れて行動しているのです。

こういう大人のエゴに導かれた戦後の少年が理想を失い、
モンキーダンスにうつつを抜かすということは当然のことなのです。 

競輪、競馬、パチンコ等、子供達の眼に映る大人の生活というものは
余りに不真面目過ぎるのです。街ではワッショイワッショイと赤旗を掲げて
政治闘争をやっている。

新聞を見れば、汚職だ、買収だと醜い記事が多過ぎます。
こうした大人の世界の歪みが少年達の心を暗くしてしまっているのです。
現在の日本の少年達に道徳性を期待する前に、大人がまず反省して掛らねばなりません。

昨年の正月、私達生長の家の信徒は団体で宇治別格本山から
八幡の八幡宮に参拝致しました。

その途中で2、3人の人が山の木を平気で手折(たお)って行くのを目撃しました。
私達の一人がちょっと注意すると、彼等は拳を振り上げて殴りかかるような姿勢で、
「貴様のものでもないのに余計な口出しをするな」と大変な剣幕で
食ってかかってきました。

どうも日本人は、こんな時実に勝手な理屈を並べるのです。
何時でしたか英国のことを書いた記事がありましたが、
あのイギリスという国は土地が非常に痩せていて、
個人の家庭では花一本育てることが出来ないのですね。

従って農産物の自給自足が出来ないために積極的の工業を興して工業立国として
発展した歴史の根底をなしているのですが、それが為に政府が国民のために
いたるところに公園を造り、美しい花を咲かせているそうです。

街の人は皆でそれを見て楽しんでいる風景がどこででも見られますが、
それだけに公衆道徳に徹しているそうです。

例えば幼児が過って花の一本でも手折ることがあると
誰でもコッぴどく子供やその親を叱り飛ばすそうです。
そんな時親は自分の不注意を心から謝罪するという習慣がついています。

これが日本の場合では、幼児が花を手折るのは当然のことであり、
それをとやかく咎めだてするこちらの方がはるかに悪いということになって、
注意も何も出来なくなってしまいます。これでは公衆道徳も訓練のしようがないですね。

だいたい日本という国は万事にありがた過ぎるのです。
どんな路地の奥でも一握りの土があれば、花でも野菜でも自由に楽しむことが出来るし、
美しい自然の中に清らかな水が滾滾(こんこん)と到る所に湧き出ています。

こういう恵まれた環境に慣れて、
誰もが皆感謝ということを忘れてしまっているのです。

これも当り前だ、あれも当り前だと、私達の祖先が永い歳月をこの国造りに
奉げてこられた労苦に甘えて、どこのも感謝するという心がないんです。

旅館のボーイにしてももうチップを貰うのが当り前であって、
むしろそれが当然の権利のように思い込んでしまう。

これは何もボーイだけでなしに、日本の勤労者の全てが皆その考えになってしまっている。
もちろん学校の先生も、仁術を施すといわれた医師も、僧侶も例外でない。
ここに日本の不幸があると思います。

私は日本の少年達を世界の何れの民族のそれにも優っていると信じます。
何故なら彼等は大和民族であり、かつ神の祝福を享けた神の子であるからです。
彼等の中には祖国を愛する民族の血が流れ、建国の理想に殉じたい
憂国の熱情がたぎりつつあるのであります。

私はこれが日本の少年達の本当の姿であると思うのです。
 
終戦後の非行少年の激増は占領政策による混乱と頽廃の中に民族の理想を
見失わしめた点にあると共に、日教組の赤い先生達はこの現況に対して、
自分達の責任を全然感じとっていないようです。

愛国心反対、紀元節復興反対、道徳教育反対と政治路線を突っ走っている間に、
可愛い子供達は彼等の手から大量に脱落しつつあるのであります。

真に少年達を愛するなら、教師はもっと子供達の生活の中に溶け込んで、
子供達の真の声を聞かなければなりません。少年達は理解を求めているのです。

日本人としての正しい民族の理想を知りたいのです。
世界で唯一しかない天皇中心の国体と、悠久の歴史の真の意義と誇りを知りたいのです。

「自国が他の国から尊敬と信頼を勝ち得ようと思えば、まず自国の国民が、
その国の歴史や文化や伝統に対して正しい理解を持ち、これに大きな誇りと
喜びと尊敬の念を持たなければならない」とは、

世界ユネスコ会議の席上でハンガリーの代表が言った言葉ですが、
本当に日本の現状を考える時、誠にその感を深くします。

建設記念日の一つとっても素直にお祝いする気分になれないのでしょうか。
考古学から見てどうの、歴史の年代がどうの、敗戦の嫌な思い出がどうのと
勝手に並べていますが、本当は白人崇拝の過った観念から来た自己劣等感に
ほかならないのです。一流の人物だと思われたい人ほどその意識が強いようです。

明治憲法の復元も谷口先生だけが勇敢に提唱していらっしゃいますが、
日本人の中に、もっとこの聖なる運動に積極的に協力してくれる愛国者が
数多く出て来て欲しいと切に思います。

 
日本の少年達も諸外国の少年達に負けずに、道徳的に立派に育つような日が
一日も早く実現することを願ってやみません。 (41・7)

(完)



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