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作品名:マトリョシカ(ホラー度0) 自由(小説)

ボカロの有名曲『マトリョシカ』のノベライズです。

浅井健一 2011年09月29日 (木) 21時35分(34)
 
作品名:マトリョシカ

           カウントダウン
 が
      聞こえたような。


 問題山積な世界、何もない日常、昨日と同じ明日、来年もきっと去年と同じ。
 テレビは深刻なニュースに疑問を呈しながら考えもなく伝えている。街に出ても革命や軍事パレードは見当たらないのに。それよりも目的や手段を失って、ノルマに追われる人たちがいる。目的や手段を選ばずに、美味しいモノを食べている人がいる。目的や手段の意味を問わない乱痴気騒ぎに苦しむ人々がいる。目的と手段が入れ替わって、それが至極当然という顔をしている人がいる。
 私は盲目なのかしら、と思うときがある。考えすぎ、とグミに言われた。ミクはこの大切な友人の言葉に頷いた。考えすぎなのだろうきっと。
 地球温暖化も考えすぎだ。テロとの戦争もカクサシャカイも放射能なんとかも考えすぎ。私たちは韓流に浮かれ騒いでいればいいのだ。空港に集まる百万人のお出迎え。何も難しい話じゃない。自作自演で行けばいい。私は何もかもを解決して、考えない人になりたい。
 そんな記憶が最後にあった。
「あ、あぅう……」
 酷い耳鳴りがして、ミクは目を覚ました。
 大都会の、交差点の真ん中で。アスファルトの上で寝てたら風邪を引く、と思って耳鳴りに苦しみながらも顔を上げると、自分の周りは事故車だらけで煙を噴いていた。止まらないクラクションや、車輪の空回りする音が、耳鳴りの原因なのだろうか。
 ミクは蹌踉めき、なんとか二本の足で立ち上がった。物凄く感動的なカメラワークを無駄にしながら。世の中の、全てのラジオというラジオが大音量で、午後のニュースを喚き散らしているようだ。割れそうな頭を押さえながら、身体が他人と入れ替わったような歪みを感じて膝を折る。
 見ると、歩道にも車道にも人が大勢倒れていた。
 ミクは運が良かった。交差点の真ん中で倒れていたにもかかわらず、自動車に踏み潰されずにすんだのだから。でも、耳鳴りは治まる気配がない。頭が爆発しているのかも。再び起き上がってゆらゆら歩くと、死ななかった人々も立ち上がろうと、歩こうと、ゆらゆらユラユラ揺れていた。
 大通りの奥まで交通事故は続き、歩道はみんな揺れ動き、屋上から振り落とされた人が落ちていく。ここだけでなく、街中がそうなのだとミクは悟った。街中どころか日本中、世界中かもしれないが。
「うぅうぁあああ……」
 車のラジオや、街頭のスピーカーから、大音量の雑音と声が洩れている。耳鳴りの下を潜るように、色々な声で「おはようございます。グッド、モーニング、エブリバディ」と言うのが聞こえた。助けを呼ぼうとしても、耳鳴りと大混乱でまともな言葉が出せない。
 ゆらゆら揺れている人たちも、ミクと同じ声を聞いているようだ。背広の男たちも、着飾った女たちも、買い物帰りの子供たちも。
 私たちは、午後四時にみんな死んだ。
 ミクは自分が何者かを知った。そうか、死んじゃったのか。
 だからみんな、顔色が悪くて瞳孔が開いて、中身を出しちゃってるのか。何とか人形みたいに。
 そして私も。
 マネキンが立つショーウィンドーに、ミクの顔が映った。制服姿の少女の顔は、人形を飛び越えて白粉を塗ったように白い。血が流れていないのかしら、と思った通りの死人顔。
 おはよう、死後の世界はゾンビがたくさんだったとは。
 ゾンビの目には空が黄色く映っていた。黄色い空に、ヒトが建てたビルや線路が歪に伸びている。ゾンビの瞳には昔は普通だった街並みが、障害物だらけの岩山に見えた。ドロドロに歪んだ視界にミクは気持ちが悪くなった。
 嘔吐する。死体なのに。
「うぅうぅぅぅうぅううう……」
 心の軽やかな気持ちに比べて、心臓は重りが乗っているように鈍かった。病院に行ったほうがいいかもしれない。死んでいるから応急手当もしてくれないだろうけれど。
ミクは口を拭いた。私の全部を受け止めてくれる仲間がほしい。
 空を見上げると飛行機が落下した。遠くで爆発する音がして手を合わせる。南無阿弥陀仏、と死んでいるのに拝んでいると、通りを埋めるゾンビの群れが理性も魂もなく彷徨っていることに気付いた。
 ゾンビはどこから来て、どこに向かうのだろう。
 彷徨う、ヒトを襲う、仲間を増やすの三つしかないゾンビは我ながら可哀想な存在だ、と思った。でも、目的意識がないまま歩いているように見えて、ゾンビたちは皆、西の方向を向いていた。
 なんでだろう?
 と、思ったミクは頭に手を当ててみた。
 感度は良好ではないけれど、何か声のようなものが聞こえる。
「524……524……」
 これは西に行けというゾンビ的な符号だ。西に行くとゾンビ的に良いことがあるのか、東からゾンビ的に悪いことが迫るので逃げなければいけないのか、良く分からないけれども行かなくちゃという気になった。
 あ……でも、行かなくてもいいか。
 ゾンビ的には最優先事項のようなことでも、ゾンビだから気ままに行動できる余地はあるとミクは思い直した。どうせ生きていたときも目的意識を持っていたわけではないし、ゾンビになったからといってゾンビ道に邁進するのは性に合わなかった。よし、ゾンビ的な自由を満喫しよう。
 でも、ゾンビ的自由とは何だろう?
 ミクはグミのことを思った。
「あが……ああ……」
 ミクが死ぬ直前に思い浮かべていたのがグミだったからだ。グミはゾンビになったのだろうか。グミは何も考えてない娘だったから、ゾンビになったら私以上にゾンビライフをエンジョイしそうだ。そして、ゾンビになっていなかったら、ゾンビほどグミに適した生き方はないと教え諭してやろう。
 でも、グミはどこにいるのだろう。街の中で女の子一人探すのは、ゾンビ初心者のミクにとって骨が折れるというか肉が腐ることのように思われた。これが良く訓練されたゾンビだったら、この上ないタイミングで出会えることができるのだろうけれど。子供ゾンビはドラマチックな場面で母親を噛み殺し、ヒーローはゾンビヒロインの理性を信じてキスをしたら、やっぱり噛み殺されてしまうというような。
 アポイントを取って商談するわけでもないから、歩いていればいつか合流すると思う、たぶん。街の大通りはオフィスビルから溢れ出るゾンビによって密集しつつあった。何かのイベント会場みたいだ。人類最後のイベントだから当たり前か。時々、理性を保っている人が叫び声を上げながら群れに飲み込まれているので、生きている人もいるみたいだ。
 映画からの知識でゾンビになると生肉が欲しくなるとばかり思っていたから、人間が逃げ惑うのを眺めても食欲がわかないことにミクは驚いていた。むしろ食欲よりも生きていることに執着している人間に、ゾンビの素晴らしさを教えて上げたくなるような、そういう死的な価値観による善意があった。
 マジョリティがマイノリティに「こっち来いよ!」と言う感じ、あれだ。
 ミクはグミがいそうな場所に向かった。たぶん学校かショッピングモールのどちらかだ。ゾンビになったミクにとって「学校」も「ショッピングモール」も怪しい魅力を感じさせる。どちらも靖国神社に匹敵する聞き応えの良さ、とミクは思った。ゾンビになったからには一度は行ってみたい人気スポットだ。
 暑さも寒さもない黄色い空の下で、燃えるガソリンスタンドからケロイド状のゾンビが這い出ている。ジューシーな焼けた肉の色がマリンカ花の色みたいだ。彼らの喉から漏れる、苦痛とも快感とも受け取れる空気の音が、ソ連邦の民謡っぽいリズムになっていた。ひどい世の中になったものだ、とミクはどうでもいいことのように呟いた。
 ゾンビ的に意味ある言葉を喋ると、嘔吐感が込み上げるみたいだ。
「うう……うぅ……」
 こんな調子だとグミと会えても会話ができないかもしれない。晴れてゾンビになったのだから、韓流スターの生肉のこととか身体のかゆみのこととか、彷徨うのに適した並木道のこととかお喋りしたいのに。スタバで。フラペチーノをストローでかき混ぜながら。
 でも、スタバも衛生面で無期限閉鎖しているだろうな。だからゾンビの誰かがゾンービックスを開業すればいいのに。グミなら防腐剤とシナモンのキャラメルマキアートをトールで注文するだろう。洒落てるから。そういえばショッピングモールにスタバがあったはずだ。グミがそこにいるなら一石二鳥だよね。
 ミクはショッピングモールに足を進める。
 ゾンビで大賑わいの街で人間が生きるのは難しい、と子供を連れた母親が何人ものゾンビに襲われているのを観て、ミクは可哀想な気持ちになった。泣きながら子供に逃げるよう叫んでいるけれど、奥さん、それ、もうゾンビになってますから、と教えてあげたい。一方、視線を動かすとランクルが乱暴な運転でゾンビを踏み潰していて、強い人間はゾンビの天敵だからなるべく歩道を歩くことにしようと思った。
 ミクは一歩ごとにゾンビとしての処世術を学んでいた。ゾンビの中にはゾンビ道を邁進して、人を観ては人を噛み、仏を観ては仏を噛むという狂犬派と、ゾンビという無力な存在に世を儚み、そこに行けば幸福になれるかもしれない西方浄土を目指すお遍路派の二つに大別できるようだ。では、ミクはどうかというと「ゾンビ思うが故にゾンビあり」とでも言うような哲学的ゾンビだった。
 もしかしたら、ゾンビの真似をしているだけかもしれない。ミクにとっては、自分が生きているか死んでいるかは大した問題ではなく、ゾンビはゾンビとしてどうあるべきかが一番の重要ごとだった。まあ、生きているわけがないか、とミクは思った。ちゃんと脈が止まっているし。
 目の前に巨大なショッピングモールが見えてきた。
 と、同時に、ミクはマントを羽織った不思議な人物と出会った。真っ白の顔に両目の周りが黒く、角付きヘルメットに金属バットの少年だ。遠目に観ても目立つ少年は、どうやらゾンビに敵意を持っているらしく、乱暴にバットを振るって無双っぷりをアピールしていた。うわぁ、乱暴者だ……と、ミクは木陰に隠れて様子を伺った。リーマンゾンビや後期高齢者ゾンビをバットで殴るのは許せるとしても、学校のブレザー姿の少女まで殴り倒しているみたいだ。
 と、ミクは義憤に駆られつつも乱暴者を遠巻きに睨んでいたけれども、その足元に倒れている少女こそグミだと気付いた。
「あぅ……」
 この自己満ヒーローが私のグミになに晒しとんじゃい!
 ミクはいても立ってもいられなくて、木陰から出て乱暴者に向かっていった。華奢な歌姫ゾンビが金属バット片手の乱暴者を追い払えるのか、無謀ではないか、金属バットで頭頂部を凹ませてグミの横に転がるのではないか、もうちょっとゾンビ的に待ちの姿勢を保ったほうがよかったのでは。一歩一歩足を進めるごとに緊張が高まったが、乱暴者が被るヘルメットの角が何かの信号を受信したのか、
「やべえ、時間を潰しちまった」
 と、呟いて乱暴者はマントを翻して飛び去った。
 熊殺しとも謳われた私の拳を振るう機会は持ち越しか、とミクは豆粒のように遠ざかる乱暴者を眺めて溜息を吐いた。よかった〜、っとそんなことよりグミを介抱してあげないと。
 グミのそばに駆け寄った。ミクの大親友は金属バットで頭を殴られて、ゾンビでありながら気絶しているようだった。致命傷だけれどゾンビだから致命傷ではない。ゾンビに致命傷はないのだ、ゾンビに感謝。ミクは横たわるグミを見下ろすと、この女の子をどうしようかと考えた。
 おお! グミが息をしていない。これは人工呼吸をしろと言う合図ではあるまいか。
 でも、ミクは胃液が込み上げてくるものを感じた。吐きそう。でも、ミクは歯を見せて微笑んだ。私の全部を受け止めてくれそうな仲間がいるからだ。
「ちょっと待てェ!」
 と、グミが飛び上がった。
 どういうつもりだどういうつもりだどういうつもりだ、とグミはミクに詰め寄った。あの金属バットの乱暴者から助けてあげたからイイじゃん、と言葉を返すと、グミは頭を抱えてうずくまった。
「あああ、頭が割れそう……」
 いや、割れとりますがな。
「あ、本当だ。いつの間に」
 どうやらグミは乱暴者に殴られたショックで記憶の全部が抜け落ちているようだ。生前の記憶も残っていないようで、グミはミクを不思議そうに見つめている。これは天佑というものではないか、とミクは思った。ゾンビの一生の間に一度か二度あればいいような幸運。グミ、忘れたの? あなたと私が愛し合っていたことを。
「マジっすか?!」
 マジっすよ。
「うぁ……、あたしがあなたと二人でゆりゆりしていたなんて……でも、言われてみるとそんな気もする……」
 そうでしょうとも。ミクはグミの記憶がないのをいいことに、千年前からの恋人のように振舞った。
 グミは自分の驚きの過去に戸惑っていたけれども、どうせ二人ともゾンビになってしまったのだから好き勝手にやればいいよ、というミクの言葉に納得した。ちょろい女だ、とミクはグミが思がままになったことを喜んだ。とりあえず、二人でなにをしようか。ランデブー? ランデブーですか?
 ミクはグミを抱きしめた。ゾンビっぽくない雰囲気だったが、どうもグミの頭が凹んでいるのが気になった。ここはショッピングモールだから、フード付きのパーカーみたいなものはあるはずだ。フードを被れば頭の凹みも隠せる。
 略奪ってトレンディだよね。そうかな? という顔のグミの手をミクは引っ張った。ショッピングモールは生き残った人々が籠城しているというようなことはなく、噴水やエスカレーターにどう対応すればいいのか戸惑っているゾンビばかりだ。一般ゾンビは物欲に乏しいからショッピングモールは二人の夢の宝箱だった。ゾンビにオシャレやヘルスケアや無印良品や100円ショップは必要ないけれども、ミクとグミには可愛くてくらっくらするアイテムが必要だった。
 これ欲しい! お代はおいくらですか? え、そんなにお得なんですか〜じゃあ着ていきます。
 と、独り言を口にしながらグミが選んだのは赤色のパーカーだ。フードに目と口の模様があって、女の子が被ると怪物の口の中に可愛い顔面があるような、そういう趣向のものだった。グミってそんな破壊的なセンスの持ち主だっただろうか、とミクはグミの着こなしを観て思ったが、これが最先端のゾンビファッションのようだし、金属バットで殴られた後遺症のようにも思われた。まあ、目から体液が零れているし。
 ミクも堅苦しい制服を着続けるのはウンザリしていたので、ゾンビ目もはばからずにブレザーとシャツを抜いで、ブルース・リーの成分が三割くらいありそうな芝色ジャージに袖を通した。血の気のないゾンビ顔の女の子二人が、そこそこ動きやすい服を着たので、ビジュアル的にどこか気が利いているとミクは思った。ゾンビ的には「ない」ような服装でも、見る人が見れば「逆にありじゃね?」と言うはず。ダリオ・アルジェントとか。
 そういうわけでお色直しをしたミクとグミは、これからどうしようかを話し合った。ランデブーをしているといってもゾンビっぽく放浪するのは嫌だ、とグミは言った。しかし、ゾンビの生き方と言えば、エレベーターに乗った人を扉が開いた途端に襲いかかるとか、窓際に立った人を窓ガラスを手で割って襲いかかるとか、そういうフラグ通りの行動しかない。ゾンビの存在はサバイバルをする生存者にクリエイティブな殺戮アイデアを与えるけれども、ゾンビが創造的なことは……あまりない。
「あまりないなら私たちの出番だろっ!」
「うぅうう……」
「やっぱりミクもそう思うよね」
 グミの被っているフードの怪物がニヤリと笑う。クリエイティブなゾンビとは、どういうものなのだろうか。という疑問に、グミはそれこそ「ゾンビ思が故にゾンビあり」だ、と答えた。言葉の意味は良くわからないけれども、腰に手を当てたドヤ顔のグミに、ミクは感嘆するしかなかった。
 そして具体的な行動を考えてみると、ミクとグミには「西」というゾンビ的に抵抗しがたく魅力的な概念がチラついた。なぜ、西なのか。東ではダメなのか。二位と語感が似ているけれども、二位じゃダメなんですか? う〜ん、それは……ダメっぽい。最低でも西北か西南だ。そして考えのないゾンビたちは、未来がそこしかないように西に向かっているけれども、哲学的なミクはそこが非常に気になっていた。頭に両手をぴょんぴょん当ててみても、頬に両手を当ててみても、なぜか感度が悪くて誰も524しか教えてくれない。
 グミは、あの乱暴者から殴られて感度が壊れていた。殴られる前に何かの受信をしたのでは、という話になりかけたが、考えてみるとグミはミクとゆりゆりだという話すら信じるほどの記憶喪失だから覚えているはずがなかった。かろうじて覚えているのも金属バットの乱暴者が「パンダヒーロー」を名乗っていることくらいだ。なにそれ、とミクは笑ったけれども、グミはなにそれに襲われましたと苦笑した。
 あれだ、とゾンビの本能が告げる。ゾンビ世に現れしときに、独創的な殺し方を追求するヒーローもまた地上に降り立つという。
「でも、どうでもいいよね」
 うん、ビックリするほどどうでもいい。
 とりあえずお食事でもしましょうか、グミさん。二人は生鮮食品売り場に行ってみた。するとパッケージングされた刺身や、解体ショーでまな板に載せられたマグロ、それになぜか通路に横たわるニメートル級のマンボウが、ピチピチのゾンビ度をアピールするように飛び跳ねていた。
 人間がゾンビになるのだから、タイムセール前の刺身がゾンビになっても不思議じゃない。ましてやマグロやマンボウも。ままマまままマンボウ? わけの分からないショッピングモールだ。刺身の肉片が切り身をくねらせている光景に、さすがにゾンビの二人もおえっときたので、お菓子売り場で蜜かけポップコーンを拾って食べることにした。
 別に死んでいるのだから、選り好みして生肉を食べなくてもイイじゃんという理由で。
「あぐぅ……」
「パサパサしてるね。味覚の変化?」
 でも、ゾンビ的にはやはり生肉がもっともそそられる食材なのは確かなようだ。青じそドレッシングをかけてかぶりつきたい、とグミが言うので、生肉だったらタルタルソースでしょう常識的に考えて、とミクが言い返した。グミのほっぺたにポップコーンの欠片が付いていたので、ミクが恋人にするように口でとってあげた。ゾンビが人間のまねをしてもしょうがねぇじゃん、と路上詩人なら言いそうだけれど。
 ほっぺたから唇へと唇が移ってミクとグミは長いキスをした。ゾンビだから心臓が止まっているので胸がときめかない。でも、それがいい。私の全部を受け止めてくれるから。それがいい。記憶の全部が投げ出されたから。
 唇が離れると、グミはミクの感度について良いアイデアを思いついたようだ。ようするに感度が悪いのだからアンテナを取り付ければいいじゃないか。と、グミの提案にミクも感心したように唸り声を上げた。さすが生前は成績優秀で知られたグミさんだけある。パンダヒーローに頭を殴られなかったら、その……あれだ……軍師? になれたかもしれない。
 とりあえず何万円もするような超高級ヘッドホンを、肉の匂いがしないので誰一人いない家電売り場でかっぱらった。それを耳に当ててみると、おお! とミクは声を上げた。何だか良く分からないけれども、今まで水の中にいたような聴覚が、すっきりと芯の通ったものになった。すると感度良好になった耳からゾンビ的な生存戦略にまつわる情報が流れ込んできた。
「かいぶつが……かいぶつが……」
 という言葉が524、524に聞こえていたのだ。つまり、ゾンビが西を目指すのは地上にゾンビの楽園を建設するためなのだ。東から来た敵と戦うために。敵、というのがパンダヒーローだというのはミクとグミにも察しがついた。空をピンクに染め上げようとするパンダヒーローと、黄色い空を守りたいゾンビの間での、最終決戦がはじまろうとしている。
 丁度、熱海の辺りで。
 熱海じゃ間に合わないよね、とミクは肩を竦めた。人民解放軍的な人海戦術が得意のゾンビだって、敵が目の前にいないと力は発揮できない。それにか弱い女の子に戦争だ〜と言われても、難しいことは良く分からんよとしか思わなかった。無脳ゾンビはそんなアナウンスで西に向かうのだろうけれど、私たちはここでいちゃいちゃしていたい。
 パンダヒーローはどっかに行ったし。
「ねぇ、パンダヒーローってあれ一人だけなのかしら」
「う〜ん、あんなのがたくさんいるとは思えないよ」
「でも、東から奴らが来るって……」
 そう言ったとき、ミクたちのいるショッピングモールが激しく揺れた。どーん、どーんという地響き、地震、いや……これは足音?
ミクとグミはショッピングモールから外に出た。
「何だありゃあああああ!」
 と、グミが声を上げた。
 人間大のウジ虫が湧いた獣が、焦点の合わない視線を漂わせて歩いていた。獣と言えるのだろうか。夕方の買い物帰りのおばさんのように見えるし、黙示録に語られる言葉を尽くした怪物のようにも見えた。膨らんだ気球のような胴体に、感情なく笑っている顔。体長は百メートルくらいで得体の知れない悪臭が漂っていた。
 敵か、味方か、というよりも、相入れるような存在とは断固思えなかった。
 その巨大怪獣も西に向かっているようだ。あれもゾンビで、パンダヒーローをぶっ殺すための最終兵器なのだろうか。それともパンダヒーロー側の大量虐殺兵器か。怪獣の足が地面を踏みしめると、爆発するような振動が周囲何キロにも伝わって、車はひっくり返るしアスファルトは剥がれまくるし、ミクとグミを暴風で後ずさらせた。あの巨大怪獣敵意があろうとなかろうと、二人にとっては身の危険を感じさせるものだった。
「ああああああ! どうしようどうしようどうしよう!」
「逃げるに決まってるでしょ! ほら、逃げるよ!」
 ミクはグミの手を引っ張ってショッピングモールに避難した。
 いきなり世界がおかしくなって、私たちはゾンビになった。でも、事態はそれだけにとどまらず、金属バットのヒーローや巨大怪獣が歩きだした。ゾンビなんて肉が腐ったらスケルトンになるしかないのに、何で大事ばかりが目の前を通り過ぎて行くのだろう。ミクはヘッドホンから漏れ聞こえる声に急き立てられるゾンビの気持ちがわかった。死んでもなお、使命感っぽいものを追求したいのだろう。
 送電線や野球グラウンドを見渡す河川敷で、世界の命運を決める戦いが行われるというのに、君たちはあーうー言いながら彷徨っていていいのか?
 イイに決まってるよ!
 ミクはヘッドホンを投げ捨てた。
「これからどうする?」
「あ……う……」
 それはランデブーより重要なのかな。ミクにはそう思えなかったし、グミも思いは同じのようだ。これからICBMとか、隕石とか、バルスとかがあるかもしれないけれど、結局、ゾンビはゾンビの日常を過ごせばいいじゃないかと思った。ゾンビはゾンビの歌を歌って、ゾンビはゾンビ的に肉の腐り具合を心配し、ゾンビはゾンビ的に不条理な空気を吸ってきゃっきゃうふふと楽しむべきだ。
 べきだよねぇ。
 私たちが目指すべきは、西ではなくて冷蔵庫の中だとミクは言った。生鮮食品売り場のバックヤードには、多分でっかい冷蔵庫があって、そこにいる限りはゾンビ的に安泰だろう。何年でも、何十年でも冷蔵庫に籠城して、別にゾンビだから生肉食べなくても大丈夫だろうし、生肉食べられないとストレスが溜まるけれど、そこはお菓子とかでカバーすればイイから。
「そんなのでいいのかなぁ」
 ミクよりもゾンビ的には真面目だったグミに、ちゅっとキスをした。生前はミクとラブラブだったと凹んだ頭で信じているグミは、それだけで一にも二にもなく納得させられるのだった。

 というわけで、ミクとグミは冷蔵庫に入ることにした。
 そちらのほうが悩みがなくて肩が凝らないし。

 パンダヒーローや巨大怪獣はどうなったのか? それはミクとグミの籠っていた冷蔵庫が壊れ、しぶしぶながら外に出たときの話に譲る。いまはただ、ゾンビものの世界観にありがちな、解決策のない滅びと新しい日常のはじまりが暗示されて、冷蔵庫の分厚い扉は閉じられるのみだった。

浅井健一 2011年09月29日 (木) 21時36分(35)
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