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最近注目されている中島岳志の著作を4,5冊読みました。『「リベラル保守」宣言』(2013年6月新潮社刊,2016年1月新潮文庫刊)が,読まれているようです。 彼は一貫して,人間の理性による合理主義や設計主義を懐疑し,人間の限界や悪を直視し,人間の能力に対する過信を諌めるべきだと主張しています。日本の多くの政治家,学識者に共通するのは彼・彼女らが革新系,保守系にかかわらず,この一点が共通する迷妄であると指弾しています。更に,よりよき社会の形成のために,国家と人間の間に存する中間団体,ポトスの重要性を繰り返し強調しています。 人々は身近な社会とかかわることによって他者への想像力を持ち,複数存在する価値の裂け目を対話によって乗り超えていく。その合意形成のプロセスこそがよき社会を形成するのだと述べています。 世の中には様々な中間組織,例えば職場,学校,町内会,サークル,NPO,教団等々の場があり,人はそれらに所属し,縁しながら,他者と交流することによって,人生を織り成しているといえます。
数百万人も会員がいるという創価学会が,未だに一人の師匠や一握りのトップ層によって意思が決せられ,しかもその決定のプロセス,論議が公にされずに,数百人いるという副会長以下,中堅幹部も一般会員も皆,その決定に従順であるべきだとの価値観を未だに通そうということ自体がいかがなものであろうか?誰しも疑問に思うのではないでしょうか。それは教団の勝手じゃないかとの反論もあるかもしれない。しかし,これは会内に留まる課題ではない。公明党を擁して日本社会そのものに影響を与えている。どのような視点から見ても,おかしいことはおかしいのだ。個々の人間形成にとっても,日本社会の豊かさにとっても,さらには人類の方向性としても,全く真逆のベクトルであることは明白ではないかと考えます。その程度の知性と歴史観は一流大学卒の執行部の面々もわかっているはずだと想像しますが,いったいどのような論理と倫理でやっているんのでしょうか?皆さんのご見解はいかがでしょうか。
2016年03月22日 (火) 00時55分
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