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[185] 黄金の3年とは? 一番弟子

「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、
 不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ
 教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、
 穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」
【崇峻天皇御書】建治三年九月聖寿五十六歳御作(1174ページ)

です。

年頭の今回は正木理事長でしたので紹介したい。

御書
「夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」
【撰時抄】建治元年聖寿五十四歳御作(256ページ)

通解
「仏法を修学しようとするなら、必ずまず、時を習わなければならない。」

池田先生の指揮のもと、私たちは「広宣流布大誓堂」落成の喜びのなか、
「世界広布新時代 開幕の年」を迎えました。

 この御文は、仏法を行ずるにあたって、
時にかなった実践こそ大切であることを示しています。
私たちが「今、何をなすべきなのか」を考える時、
「今がいかなる時か」を真摯に問う必要があります。

 昨年夏、先生は“黄金の3年”の開幕にあたり、

「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」

と言われました。万代に続く世界宗教としての基盤を築く“黄金の3年”。
なすべきことは、自身と学会の「発迹顕本」です。

 発迹顕本とは「迹を発いて本を顕す」との意味です。

では、学会の信心の本地とは何か。

それは先生が生涯を賭して、自らの生き方を通して教えられてきた
「師弟の信心」です。
「師弟の信心」とは、広布の大誓願に生きる地涌の菩薩の自覚に基づく信心にほかなりません。
この信心に徹する時、仏法の生命が脈動するのです。

 先の師の呼び掛けを私たちは日々、自身に問いながら、
「目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本」へ、
連続勝利の大闘争を開始しようではありませんか。

理事長 正木正明

返信 2015年10月14日 (水) 00時15分

[184] 外道にも劣る? 背教者ユリアヌス

一番弟子さんへ。宗教改革などの試練を経てきたカトリックと、これから改革されなくてはいけない学会の差ですかね。

返信 2015年10月13日 (火) 18時01分

[182] 太田国交大臣辞任について 一番弟子

鬼怒川決壊の日に太田国交大臣は資金集めパーティを楽しんでいた
殆ど選挙でお金を使わない公明なのに1000万円を超えるお金をなぜ集める?
昔(正義のある公明)だったら即、議員を辞任させただろう、腐敗している
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-07/2015100701_04_1.html

返信 2015年10月13日 (火) 16時11分

[181] 異端審問恐るべし! 背教者ユリアヌス

キリスト教の場合、ローマ教皇の無謬性など、教義上の問題に異議をはさむ、教会幹部などの女性スキャンダルや金銭問題を批判する、などを行った者を片っ端から異端として火あぶりにしてきました。時代は違いますが、トップを批判したり、幹部の不正を告発したりする者を除名・追放してきた学会は、世界宗教の“先輩”であるキリスト教を、よく見習っているようですね。

返信 2015年10月12日 (月) 16時21分

[183] バチカンの官僚主義的で内向きな体質を厳しく批判 一番弟子

最近のキリスト教は大きく変わりました。
学会が一番遅れているかも。
「自らを批判し、改善できない法王庁(バチカン)は病気だ」。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は22日、枢機卿らに向けたあいさつで、バチカンの官僚主義的で内向きな体質を厳しく批判した。

http://www.asahi.com/articles/ASGDR3FC9GDRUHBI00N.html?iref=reca

2015年10月13日 (火) 16時18分

[180] 立正安国論講義より抜粋 一番弟子


「立正安国論講義」
第七段・第七章
有徳王・覚徳比丘の先例

「是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし」

この文は、涅槃経の中の一文であり、有徳王が覚徳比丘を守って、正法を護持した例をあげ終わって、仏は、迦葉菩薩に、かくのごとく告げたのである。すなわち「この故に、正法を護ろうとする在家の男子の信徒等は、有徳王のように、まさに刀杖を手に取って正法を擁護すべきである」というのである。
(中略)

*創価学会と公明党

創価学会と公明党の関係について述べておきたい。すなわち、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である。だが、これをまったく切り離して、別個のものと考えることは大いなる誤りである。ともに日蓮大聖哲の教えを奉じ、王仏冥合達成を目ざす、われら地涌の菩薩の同体異名の団体にほかならない。
これを一人の人間にたとえていうならば、その人は政治の面から見ると公明党員である。信仰の面では創価学会員である。社会的にはサラリーマンである。家庭的には一家の主人である、等というのとまったく同じである。
創価学会員と公明党員とサラリーマンとが別々にあるのではなく、同じ体について、その生活、行動を分析した時に、政治的、文化的、経済的、社会的等のさまざまの角度から異なった名称が出てくる。これを同体異名という。
しかして、政治的行動のみの人間はありえないし、経済的、家庭的、文化的の各一面のみの存在はありえない。これを区別し、切り離すのは人間の観念によるものであって、現実には切り離すことはできないのである。
同じく、創価学会と公明党も、一体不二の関係にある。ただし、われわれは日蓮大聖人の仏法根幹として立った、あくまでも宗教革命の闘士である。この宗教革命によって色心不二の大生命哲学を広宣流布して初めて、政治革命も、経済革命も、教育革命、芸術革命も、一切が生かされてくるのである。したがって、永久に宗教団体である創価学会が本地であり、公明党等は、その垂迹、すなわち、影の関係にあることを知らなければならない。
これを忘れた政治活動は、魂のない有徳王であり、画竜点晴を欠くものであり、ひいては、かの謗法の徒と同じ結果に陥ってしまうであろう。仏法は最高の生命哲学である。自我の確立も、人間完成も、仏法によって生命の奥底から変革し、建設し、完成する以外にない。個人の真の幸福も、この正しい仏法によらなければありえない。これは、世界のあらゆる哲学、宗教を検討した上から、また生命哲学の道理に照らして、さらに学会員の生活の実証からも、明々白々である。
この個人の幸福の確立なくしては、社会の繁栄もありえない。不幸な人が何百万人集まっても、それは不幸な社会に過ぎないではないか。過去において、個人の犠牲のもとに社会の繁栄を築こうとの試みがなされたが、そのようにして築かれた繁栄を、はたして何人の人間が喜んだであろうか。また、その繁栄が、どれほど長続きしたであろうか。
また、その反対に、社会の繁栄なきところに、個人の真の幸福もありえない。利己主義の幸福は、必ず壁に行きあたるであろう。この個人の幸福と社会の繁栄を一致させて、確立していくのが、王仏冥合の理念である。かつ立正安国の精神である。
仏教において、戒を持ち、わが身を修めることによって悟りを得よと教えたのは小乗仏教であった。それにとどまるならばこれは利己主義の哲学である。釈尊は、大乗を説くための方便として、この小乗を説いたが、大乗にはいってからは、徹底的に小乗教を破り、小乗教に執着する人々を責めた。大乗とは、積極的に正法を持ち、正法を護り、かつ正法を世に弘めて大衆を救う教えである。
正法の本体は、すなわち、日蓮大聖人の仏法である。ゆえに、日蓮大聖人の仏法においては、大乗の修行でなくてはならない。社会全体の繁栄、大衆の幸福を願っていくのでなければ、仏の如説修行とはいえないのである。いわゆる自行化他の法門であり、折伏が末法仏道修行の要諦である所以である。
この末法の如説修行を、あくまでも仏法を正面に押し出して実践していくのが、創価学会の折伏活動であり、仏法を根底として、現代社会の最も大きい比重を占める、政治の活動を進めているのが公明党であるといえる。
したがって、公明党は、あくまでも宗教政党である。日蓮大聖人の仏法哲理を忘れたならば、それは骨のない軟体動物と同じである。また大聖人の仏法に対する熱烈なる信心を失ってしまったならば、魂のない人形と化してしまうのであろう。
さらに、創価学会を離れて公明党はない。この本地を忘れたならば、既成政党となんら変わりのない、民衆を忘れた、政治のための政治に堕することも必定である。

返信 2015年10月09日 (金) 23時59分

[179] 逆らう者は斬る! トマス秋ナス

会内異教徒さんへ。詳しい事情は分かりませんが、「逆らう者は斬る!」という強権政治がまかり通っているような気がしますね。何か、キリスト教の異端審問を連想しちゃいますね。

返信 2015年10月09日 (金) 00時05分

[178] 誰か教えて! 会内異教徒

元本部職員3名の解雇に続き、『聖教新聞社』職員・波田地克利氏が理不尽な解雇!というのが、ネットで話題になってますね。学会内部の権力争いの影響だとの解説もあるようですが、誰か事情を教えてくれませんかね。

返信 2015年10月08日 (木) 17時05分

[177] ポイント制止めるべし 相対的関心派

たまたま宿坊の掲示板というサイトをみていたら公明党の管区責任者永年務められてこられた方が今大きな転機が来ているとことわられた上で、日本の創価学会変革のためには、ノルマ的な数字を追求する運動は一旦?止めるべきではないかと思い至っています。と書かれていました。
ご意見そのもの素晴らしさも然ることながら、「一旦?」「思い至る」という含みのある重い表現に打たれました。こういう方がいらっしゃる間は創価学会は健在と思う反面今の学会の力量ではこういう方はたぶん重用されないだろうなぁというのも想像の範囲なのが残念。
新聞の啓蒙にポイント制などというのは思いついた人間は良いことをしたと思ったかもしれないが、これがどれだけ人間を蝕み組織を壊していくか想像できないのが情けない。何度も何度もその過ちを繰り返してきたのが創価学会の歴史ではないか。選挙のfしかり、折伏の世帯ノルマ然りいい加減に目を覚まさないと。
真っ当に、正論でどこまでも押せばいいじゃないですか。

返信 2015年10月06日 (火) 20時25分

[176] 例えば10/3の一面 相対的関心派

幾らなんでも8年前の写真を一面トップの記事に使うなんて。
しかも対談集の発売記事をトップにすえるとは?
名誉会長の本が最近はめっきり売れなくなっているのは周知の事実ではあるが、学者や文化人とのやたら難しい本を読んで勉強してくれと言っても無理。
印税稼ぎとはいえ、何十年も同じスタイルで誰も賛成もせず反対もせずひたすらよいしょしている姿はどうしたものか。
本来なら次期会長と目される谷川総団長と男女部長とで構成される青年訪印団の記事の方が未来性を感じるが如何なものか。
入れ替えが正解だろう。
無理筋のトップ記事とはこういうのをいう。
ところで、機関紙問題の最大の問題は配達員制度にある。でも解決策はごく簡単だ。
毎年聖教新聞社から学会本部に上納されている100億の半分を配達員さんの人件費に回せば良い。生活のため新聞の配達よりパートを選ばざるを得ないご婦人が喜んで配布に従事できる。つまらんことに大事な寄付金を使わず信仰の生命線につかうべき。小学生でも分かる道理が欲に目が眩むと何も見えなくなるらしい。面倒だから結論だけにしておきましょう。

返信 2015年10月05日 (月) 16時14分

[175] 改革その2 相対的関心派

機関紙問題です。はっきり言って毎日見ているのが結構つらい思いがあります。一面のトップに何を持ってくるのか一所懸命バランスを取っているのはよく分かりますが時々なぜか無理筋の記事がトップに来たりしています。
日刊紙を維持するのが如何に大変なことかは想像するだけでもわかることではあるが、やはり経験しないと分からないこともあるのは当然だろう。
何はともあれ池田氏が紙面に登場している間はまだしも、それがかなわなくなったら、一体どうするのか、それだけ考えても執行部は気も狂わんばかりのことと推察します。
つまり、持つんですか?ということ。
瞬間的な減部をどの位覚悟すれば良いのでしょうか。
配達員さんがやめることはないのか。考えれば考えるほど気が遠くなる。起死回生の一打があるのか。まずは今どんな地点に立っているのかを厳しく認識してみょう。今日はそこまで。

返信 2015年10月04日 (日) 21時23分




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