| [178] なんでもないはなし |
- 日時:2019年10月06日 (日) 20時35分
名前:在人
夜は深さを失い、石の壁は残った雨を静かに流す。屋根から落ちる雫も音を持たず、薄まった霧みたく淋しい気持ちをつくる。最後は二人と彼女だけだった小さな庭で、忘れられなかった想いが打ち寄せられる。さ迷い、求めあう指先。海と浅い光のかおり、ぶつかって触れたぬくもりを受け止める。遠慮がちに繋がれた手と手。もう恥じらう年頃でもないくせに照れる横顔。頬のやわさもかさついた唇の秘密も、みんなみんな知っているのに。こんなにもじれったく仕方ないから、彼を離してなんかやれなくなる。 「前に」 「ん…?」 「ママ先生から聞いた。お前、家族が決まりかけたことがあるって」 「……そんなことあったか?」 「とぼけるなよ」 お前は全部忘れたワケじゃないんだろ? ここでのことも、そのあとのことも。 彼は切なげに目を伏せ、握る手に力を込めた。そんなに怯えなくてもどこへも行かないというのに。あの日だってそうだった。昔から本質は活発なものだから、危ない場所へも突っ込んでいってしまう。誰よりも優しく強かったから、誰よりも深く傷ついた。それはサイファーの何かをおかしくさせる。今だってそれは変わらない。 「…新しい家族が石の家に来た時」 「メチャクチャ暴れた」 「どうしてそんなこと」 「別にいいじゃねーか……こんなめでたい日だ。もっと」 「ロマンティックな話をしろと?」 「そうそう」 「お前はいつもそれだ」 「変わらないのがいいんだろ?」 「……否定はしない」 瞳の奥に諦めと純粋な心配が見えて、サイファーは彼の手を取り浜辺を歩く。幼い頃、流木で剣技の真似事をするのが好きだった。一人の時もあったが、彼と一緒に打ち合うことも多かった。それは異国から届く手紙のボトルよりも魅力的で、三時のオヤツよりも単純で快いものだ。流れ着くビンの欠片が丸く、ラムネ色するみたく自然で尊い。この絆は誰にも解き明かせない。好き、だの愛してる、だの、チャチな言葉ではかられてたまるか。 「俺のワガママだよ」 「……?」 「暴れた理由」 「話してくれるのか」 「そんなカオされちゃ…な」 すっと離した手で彼のおでこに触れる。軽く力を込めて弾いて、瞳は伏せられた。再び開かれたそれに先程までの暗い色はない。代わりに驚きと隠せていない好奇心が見える。目は口ほどに、そして手は雄弁に、だとサイファーは思っている。戦士のそれは己と同じガンブレードダコの目立つ形でこちらを確かめる。彼から伸ばされた緩やかな熱さがサイファーの傷跡に触れた。 消さなかったんだな。 消えなかったんだよ。 消したかった? 「お前と離れたくなかったから」 「……」 「お前、危なっかしくて見てられなかったんだ。泣き虫なところもあったけど、無謀なくらいに勇敢で、一生懸命で」 「そうか」 「気に入らなかった。ムカつくやつだって思ってた」 黒い海の向こうに白い空が見える。水が青を取り戻すにはまだ少しの時間が必要なのだ。サイファーはもう彼の手を求めないが、今は強烈にその視線が欲しかった。自分だけを射抜く強い目が欲しかった。微かな罪悪感に震えそうになる脆さを許し、彼のためだけの自分で在りたくて。 「けど、傍にいないと俺の調子が出ないんだ」 「サイファー」 「だから、お前は来ないって分かってムカついた。最ッ高にムカついたね。ガキのお前よりもムカついたからメチャクチャにしてやった」 「……最低で、最高な野郎だな」 「それをワガママっていうんだよ」 知ってる。よく知ってるよ。彼は得意になりそうなサイファーに微笑み、本当に綺麗に佇んだ。そういうところがムカつくんだよ。我慢を知らない清緑は迷わず彼を奪う。そっと触れただけの唇は深い海の味がした。背中にまわされた腕が燃えるように熱い。応えるこの指が震え、互いの残り雨を払うよう抱きしめあう。 氷の女神が現れて、一番さいしょに彼が選ばれたあの日から、もうこの腕に何も戻らないと覚悟していた。あの日、不思議の秘密を知った時、仲間を守るために力を受け入れたのは彼だった。怯える仲間を守るように彼は女神の名を呼んだ。凍てつく空気と零れる勇気の中で、サイファーはずっと彼だけを見ていた。 「スコール」 彼はきっと、どの子供よりも深く混ざりあえてしまう。すべてが終わった後でママ先生はそう言った。誰よりも大切なものを奪われてしまって、この先それが戻ることがないことも。奇妙なことにサイファーに不安や焦燥はなかった。むしろ、落ち着いた光に包まれた心地で再び巡りあえる予感がしていた。現に青空の見える大きな庭先で二人、今度は本物の剣技で競いあえた。 「まだ、お前が……なくなっちまった思い出を気にかけてるなら」 ――スコール、俺なら大丈夫だ。覚えててやる。俺だけは全部覚えててやる。(さいごはサイファーだった) 「俺が話してやるよ」 ――もしも、全部忘れちまったなら……その時は、思い出すさ。俺が全部思い出して、最初にお前に教えてやる。(ジャンクションはしないと、そんなものなくとも俺は強いと笑っていたのに) 「お前の知らないお前のことも、俺のことも……全部、俺の言葉でな」 ――俺たちの庭で、また逢えるから。(ほんとうは、ぜんぶわかってた) 「……サイファー」 「そういや…一番大事なこと、まだ伝えてなかったな」 「……?」 「誕生日おめでとう、スコール」 地平線の向こうに新しい一日が広がる。ありがとうを呟いた彼の瞳が海より先に染まっていく。今日は特別な日だから、ちょっと豪華な食卓を囲もう。昨日から仕込んでおいた料理が冷蔵庫に眠っているのだ。若すぎない若者はささやかなロマンティックでいい。おしゃべりもデザートも、真剣勝負にはまだまだ叶わない。メシ、食ったら一戦やるか? に即答イエスの相手だ。やっぱり単純で快いのがいい。 夜は姿を失い、石の壁は残った雨を静かに照らす。屋根から落ちる雫も弾け、染まらぬ太陽が楽しい気持ちをつくる。最後は二人と彼女だけだった小さな庭で、変わらぬ想いが打ち寄せられる。大空を舞う彼らの庭がやさしく見下ろしていた。風が穏やかに通り抜ける。
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