| [86] パイゲーム |
- 日時:2016年12月22日 (木) 21時16分
名前:aq
「冷てぇ!」 水道で顔を洗うと、当たり前だが、12月の水は冷たかった。ブツブツ言いながら頭を振り、適当に髪を後ろに流す。前髪も乱れてしまった。 なんだってんだ、そう思いながら踵を返すと、そこにスコールがいて、ぎょっとする。こいつは、おれの背後に無言でいつからいたのだろう。 掛けるべき言葉もないから、ちらりと視線を合わせただけで、そのまま立ち去ろうとする。が、スコールが口を開いた。 「なにしてたんだ?」 「顔洗ってたんだよ、見りゃわかるだろ」 スコールには関係ないが、それなりに不機嫌になっていたおれはむっとしながら答えた。立ち去ろうとすると、またしてもスコールが口を開く。 「クリームか?」 「知ってんのか?!」 おれはくるりとスコールに向き合う。今朝からの、よくわからないあの喧騒を、スコールは知っているらしい。 スコールは曖昧に頷くと、わけのわからないことを言った。 「パイかキスか、だ」 「は?!」 「セルフィが、テレビでやってたとかで、企画したんだ。パイを投げつけるか、キスをするか、どっちか選んで、実行するらしい」 「なんでだよ!」 まったく意味がわからないが、あのバカ女のせいで、おれは朝からパイを持ったあいつらに追いかけられていたわけだ。 「誕生日」 「ああ?!」 「あんたの。誕生日だろ」 おれは片眉をあげて聞き返す。まったく意味がわからない。 「だから、あんたの誕生日に何かしようってなって。で、パイかキスで祝うことになった」 「それで、おれはクリーム塗れにされたのか?!」 「もう始まってたんだな……誰に?」 「あ?! あのトラビア女だよ、角曲がったら投げつけてきやがった。チキン野郎も今頃、クリーム塗れになってるぜ」 「……なんで、ゼルが?」 「チキンとヘタレのパイを奪って、チキンに投げつけてやったんだよーそーいや、ハッピーバスデーとか言ってたな……」 人の顔にパイを投げつけるのが、何故誕生日祝いになるのか、わからない。が、こいつらの考えそうなことだとは思った。 「ん? もしかして、風神と雷神も知ってるのか?」 「ああ。声は掛けたはずだ」 合点がいった。二人は朝から物陰にこそこそと隠れていて、いやに深刻な顔をしていたのだ。と、同時に、思い出す。 「風神は皿を持ってたけど、雷神は何も持ってなかったぞ?」 「だから、キスでもいいんだって」 「なんでだ!」 風神はともかく、雷神からは今日は何が何でも逃げなくてもならない。と言うか、何故、キスを選択するんだ、あいつは。 おれは溜息を吐いた。祝いたいのは、わかった。が、他の方法はなかったのだろうか。そもそも、 「別に、祝ってくれなんて言ってねぇだろ」 スコールに言っても仕方ないのかもしれないが、おれは思わず口に出た。 「……祝われるのは嫌か?」 「ー祝われたいとは思わねぇよ」 視線を逸らせたのは、スコールに心の中を覗かれるのが嫌だったからだ。勝者であるこいつに、自分の誕生を祝いたくない気持ちなんて、見られたくない。 「ーま、教えてくれてありがとよ。今日は皿持ってる奴に注意するぜ」 それと雷神に注意しなくては。おれはスコールを見ないまま、片手をあげ、今度こそ立ち去ろうとした。 「待てよ、サイファー」 その行く手をスコールが身体をいれて塞ぐ。眼の前で、妙に表情のかたいスコールがおれを見上げている。おれは眉を顰めた。 「んだよ、どけ」 「ー誕生日、おめでとう」 言われた瞬間、しまった、と思った。反射的にスコールの手元を確認したが、しかし、そこには皿はない。 疑問に思って、スコールの顔に視線を戻すと、スコールの真面目くさった顔が近くまで迫っていた。 「……っ、おい」 退こうとしたが、肩を掴まれる。スコールが背伸びしておれに顔を近づける。と、唇に柔らかい何かがぶつかった。 青い眼がおれを見つめている。真剣な眼差しだ。まるで、バトルしていた時のように。おれは瞬きもせず、その眼を見つめた。この眼と見つめ合いながら、ガンブレードを打ち合わせたことが、遠い昔のお伽話のように思えた。 キスされていたのは数秒だったろう。その間、おれは想定外の出来事に、無様に固まっていただけだった。 スコールは唇を離すと、少しの間、至近距離でおれを見つめていた。が、ふと我に返ったように、その顔が真っ赤になる。 「た、誕生日だから! 祝いたいと思って! でも、パイじゃ、いくらあんたが相手だとしてもあんまりだろ? だから……」 「キスしたのか?」 首を傾げて問うと、スコールは今度こそ顔から火を吹くのではないかと言うくらいに赤くさせた。 「じゃあ、あんたは、パイぶつけられる方が良かったのか!」 「いや、それも嫌だけどよ……」 顎を撫で、唇に指先で触れた。ここに、スコールのあの唇が触れたのかと思った時、ガラにもなく胸に痛みが走るような気がした。 (……なんだよ、それ) そう言えば、呆然としながらも、キスされた時にも胸が疼いた気がする。胸の痛み? 何故、そんなものを感じる? おれは不快になる。その不快感ごと消し去りたくて、眼の前で一人赤くなっているスコールににやりと笑ってみせた。 「それにしても、キスするならちゃんとしろよ。なんだよ、今のは? あれがお前のキスなのか?」 「な……っ! うるさい! 大体、なんであんたとキ……しなきゃいけないんだ!」 「いや、お前がキスしてきたんだろーま、確かにあんなのキスとは言えねぇかあ?」 自分の唇に触れていた指で、スコールの唇を指差す。そのまま、鼻先をちょいと突いてやった。 「サイファー!」 「うるせぇなあ、なら、ちゃんとしてみろよ、おら」 腰を屈め、唇を突き出してやる。スコールが顔を赤くしているのは、恥ずかしさに怒りが加わっているからだ。 おれは笑い、身を引こうとした。が、その前にスコールの腕がおれの首の後ろに回される。 鼻先を突いた手を掴まれた。スコールが顔を再び近づける。 「……バーカ」 おれは小さく囁き、眼を閉じてスコールの二度目のキスを受けた。 顔を傾け、唇を重ねる。ためらいながら、スコールの舌が潜り込んでくる。やっぱ女とは違うんだな、と舌が舌に触れた時、思った。 スコールの舌が絡みついてくる。おれは思わず、空いている方の手をスコールの腰に回した。引き寄せ、身体を密着させたまま、キスを続ける。おれの首に回されたスコールの腕に力が入る。 スコールの舌が、おれの口蓋を舐め、歯列をなぞり、舌に絡む。丁寧な、確かめるようなキスを、おれはされるがままにさせておいたが、その舌が離れそうになると、強く吸った。 腕の中でスコールの身体がびくりと震える。おれは構わず、舌を絡め取り、もつれ合わせながらスコールの口内へと押し入る。唇をもう少し開き、さらに深く唇を重ねる。 胸に痛みが走る。おれはキスへ意識を向けるべく、スコールのキスを貪った。 どちらからともなく、唇が離れる。が、おれは物足りなさを覚え、鼻先が触れるほど近くに顔を寄せたままだ。 うっすらとスコールが眼を開ける。頬に指している赤みは、恥ずかしさや怒りではない。 「……そんな顔、するなよ」 スコールが掠れた声で言う。どんな顔だろう。スコールと似たような顔だろうか。腰の辺りに気怠さを感じる。早く消え去ればいい。 「ーまた、したくなる」 「……何度でもしてやるよ」 答えるおれの声も掠れている。スコールの唇が紅く濡れ、その奥に舌が覗く。もう一度、キスしたら、でも、その時、おれは、スコールは、どうなるんだろう。 腰を抱く手をゆっくりと這わせ、抱き寄せる。これ以上、キスはしない方がいい。そう思うのだが、スコールとのキスに頭がぼうっとなっている。スコールも、多分、そうだ。スコールの指先がおれの襟首を何度もなぞっている。 互いに、互いの唇の感触しか考えられない。それがいけなかった。 「いた!」 咄嗟に反応することができない。おれは、思いっきり、横顔にパイの直撃を喰らう。 「おめでとうサイファー!」 「……てめぇ、チキンゼル……!」 紙皿を摘み落とし、声の方へ顔を向ける。ゼルがガッツポーズをしている。 「アホ! なにしてんねん! 今、せっかくええとこやったのに!」 反対側から諸悪の根源の声が聞こえた。ゼルが、へ? と疑問符を顔に浮かべる。 「計画が台無しや!」 「……計画? って、なに、企んでやがる……?」 セルフィが、しまった、と手で口を塞ぐ。間抜けた声がまた聞こえた。 「ん? スコールがサイファーにキスするんだろ? なら、今してたぜ? 計画成功だろ?」 「あー! もう! 違わないけど、違うやろ! じゃなくて、わわ、はんちょ、怒ってる?」 「……いーや、怒ってねぇよ、朝からお前にクリーム塗れにされて水で顔洗ったことも、今、横っ面にゼルにぶつけられたことも、ちーっとも、怒ってねぇよ? だから、選ばせてやるーセルフィ、おれにパイ投げられるのと、キスされて舌入れられるの、どっちがいい?」 「ゼル! 今や!」 咄嗟に身体を捻る。間一髪で、ゼルからの二発目をかわすことができた。 その隙にセルフィは脱兎の如く逃げ出した。ゼルも投げた瞬間、逃げてゆく。 「あいつら……! 絶対許さねぇ……!」 おれは手の甲でぐいとクリームを拭う。どうやら、長い一日になりそうだ。 と、おれは振り向き、そして、爆笑した。スコールは、おれの誕生日祝いのおこぼれに預かっていたのだ。 「だせぇ! なんだよ、その、マヌケ面!」 「……あんたの巻き添えをくらったんだ。くそ、なんでおれまで……!」 スコールの顰めっ面がクリームに彩られている。唇や頬の辺りにクリームがべったりとついていた。 「元をただせば、お前らのせいだからな。おれは悪くねぇよ」 「……だから、おれはパイはやめたんじゃないか……」 スコールがブツブツと文句を言う。おれは笑いながら、言った。 「じゃ、おれが綺麗にしてやるよ」 スコールが視線をあげる。おれは身を屈め、スコールに顔を近づける。 顔についたクリームを舌でゆっくりと舐め取る。クリームなんて好きじゃないが、頬のクリームを舐め、唇の端についているクリームを舐めた。甘くて仕方ない。 ついでに、唇を少しだけ舐めると、すぐ顔を離す。 「うまかったぜ、ごちそーさま」 「ー犬じゃないんだ」 スコールの顔が再び赤くなっている。おれは鼻で笑った。 床に落ちている紙皿を拾う。不発に終わったパイをそこへ載せた。 「まずはゼルだな。そして、セルフィをクリーム塗れにしてやる」 風神は無傷のパイを持っているはずだから、味方につけよう。パイも持たずにおれを襲撃しようとしていた雷神をどやしてから、あいつら二人を引き連れて逆襲してやる。 「サイファー」 スコールに声を掛けられたが、おれは構うことなく足を進めた。 「ーおれはあんたを祝いたかっただけなんだ」 「わかったよ。今度はお前の誕生日をおれが、祝ってやるー八月だったな」 振り返ると、スコールが少し表情を柔らかくさせていた。多分、笑っているのだ。 「そうだ、忘れるなよ」 気をつけてな、と言うスコールを後に、おれはその場を立ち去った。 誕生日を祝う気にはなれない。負けた我が身を祝福する方法が、まだ、おれには見つからない。 でも、今年の誕生日は、良い誕生日だ。
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