『ここから、あそこに移れ』と命じても「動く筈も無し!」と云うものでも無い事が解ります。 (98) |
- 日時:2014年06月07日 (土) 10時36分
名前:中仙堂
マタイによる福音書 17章14〜20節− 主イエスが多くの病人を癒しておられると聞いて、てんかんで苦しむ息子を連れた父親がやってきました。しかし、そのとき、ちょうど主イエスは山に行かれて留守で、弟子たちにすがりましたが、弟子たちには癒すことができませんでした。その後、主イエスが帰ってこられると、主イエスはただちにその子を癒されたのです。
弟子たちがひそかに、なぜ自分たちには癒せなかったのですかと尋ねますと、主イエスは、「信仰が薄いからだ。……もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。」と言われました。
からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。」と言われました。
此の言葉について現代人は、ともすると「山が動くか…」と疑問を持つのが当たり前です。でも良く考えますと、現代人は、コンピューターを使い(言葉/データ入力)、コマツの土木作業車を使い、トラックや船、コンベア、鉄道を駆使して、多くの山を崩し、海や湖を埋め立てています。 つまり、『ここから、あそこに移れ』と命じても「動く筈も無し!」と云うものでも無い事が解ります。まして、三代目さんの行った体制位、けっして変わらない筈は無いのであります。 一見不可能の様に見える障害も神の子に不可能は無い。 神意に叶っている事に叶わない事は無いので有ります。 勇気と希望を持って明日の人類光明化の道を共に歩みましょう。
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