どうして大本教をやめたか ― 聖経 『甘露の法雨』 “實在” の項 (8) |
- 日時:2014年06月03日 (火) 07時41分
名前:kyuusyuu
どうして大本教をやめたか
聖経 『甘露の法雨』 “實在” の項
生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
大本教では“たてかえ”“たて直し”というのがあって、
その“たてかえ”というのは、キリストの再臨があって、
その時にマタイ伝24章にあるように天から火の雨が降って来て、地上に大地震があって、
そして多くの神様の御心に叶わないものが殺される ―― それが大本教の筆先に出ている
“地震、雷、火の雨降らして平げるぞよ” というお筆先があるんですね。
それで私は、蛇が蛙を呑みこんでいるのを見て、こんな悲惨な現象が現われているのに、
大本教の神様は地球の創造主だと言われているのにですね、それなのにその創造主なる神様が、
蛇が蛙を喰わなければ生きられないような殺し合いの世界を拵えたと、その罪が、
神様御自身にあることを反省しないで、
神様の気に入らん人間を皆殺して了うと、そういう残酷な神様なんてあるものか、
というので私は大本教をやめたんだけれども、今から考えて見たら、この大本教のお筆先というのは間違っていなかった。
というのは、
大本教の筆先は皆平がなに数字まじりで書いてあるので、漢字まじりではありません。
「じしんかみなりひのあめふらしてたひらげるぞよ」 と書いてあった。
それを当時の信者は全部
「地震、雷、火の雨降らして平げるぞよ」 と読み間違えた。
これは “自身神なり” と読むべきだったのです。
〈笑声〉
人間自身が神である。
その真理が天降って来る時が来るというのが 「ひのあめふらして」 であって、
「人間・神の子、一切の不幸なし」 の “真理の火の雨降らして” そして一切の迷いから生じた患い
、不幸病気というものを悉く平げて、地獄の火の穴に押し込んで了って封印する、という意味があのお筆先に出ているのだったのです。
それなのにその時代の大本教の幹部は僕をも含めて悉く、このお筆先の意味を誤解して 〈笑声〉
「地震・雷・火の雨降らして」 と読んで、
これを天変地変の預言だと信じたが、その預言は出て来なかったけれども、それは神様が間違ったんじゃないのであって、
それは吾々の解釈が間違っていたから預言はでて来なかったのである。
だいたい神示 ―― 神様のお示し ―― というものは、神さまは “無” にして “無限” であるから、これを握れば一点となり、
これを開けば無限の意味にとれる ―― どうにでも、こちらの心に従って解釈出来るように書かれているのが神示なんですね。
それを自分の我の心で解釈して “こうだ” と思っておったのが間違いであったという話をしたのであります。
昭和48年8月27日
生長の家本部 白鳩の間にて 『實相研鑚會』 御指導より
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