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- 日時:2021年03月24日 (水) 16時44分
名前:長崎の晩霞
雑感 (35322) 日時:2020年11月04日 (水) 12時14分 名前:トキ
例えばの話、料理店に入って、うどんを注文したら、蕎麦が出てきた。
「これは私が注文したものと違う」
というのは、全然真理に反するものではありません。
仮に、その人が蕎麦アレルギーだったら、生命にも関わります。
是は是、非は非と指摘するのは、全然、真理に反するものではありません。
該当する神示のご紹介 (35323) 日時:2020年11月04日 (水) 12時22分 名前:「訊」
吾が來れるは古へ誤れる道徳観念を修正し、新しき正しき生き方を人類に示さんがためである。 『治にゐて亂を忘れず』と云ふのが古き人類の道徳であつたが、 『生長の家』の生き方は亂にゐて治を忘れざる生活である。
亂を忘れざる者はつひに亂に逢ふ。 亂を忘れざるが故に常に恐怖し、亂を忘れざるが故に武備をたくはへ、 武備を蓄ふるが故に近隣を威脅し、近隣を威脅するがために、 近隣また恐怖して武備を増す。
かくの如くして近隣兵を増すを見て、また自國は更に兵を加へて互に虎視眈々として 近隣相睥睨す。武備に國費を要し、教育費は削られ、俸給は縮められ、民に正色なく、 國に寧日なきは當然である。
汝ら、若し治にゐて亂を忘れざらばつひに亂に會ひ、 亂にゐて治を忘れざらば平和に逢はん。 亂を忘れざるを教へたる古き教も吾前には愚かなる者なるかな。
治にゐて亂を忘れざる者は健康にゐて病ひを忘れざる者である。 健康にゐて病ひを忘れざる者は、如何なる善行の者も、如何なる積コの者も、 すべては病ひに逢わん。
忘れずと云ふことは、心の力にて呼び寄せることを意味する。
求めよ、與へられん。呼べよ、答へんと吾れ汝に告げたであらう。 呼ぶものは皆來ることを疑ふな。
高コの人が病氣になるのは實に不思議だと思ふ人があるかも知れぬが、 治にゐて亂を忘れざるを高コと稱すべくんば、健康にゐて病ひを忘れざる高コ者が、 病氣になつたとて不思議ではないのである。
吾れは汝に、死を豫想するなと言ひ、遺言状を書くなと教へたることがあらう。 また、不幸に對して用意すな、病氣の起る時の用意をして藥をて携へ歩むなと 教へたことがあらう。
すべて是れ『心の法則』である。 如何なる高コの者も『心の法則』の外に出ることは出來ぬ。
汝ら心して亂を思ふこと勿れ、心して病ひを思ふこと勿れ、 亂の眞つただ中にゐてすらも、實相の世界の常住平和を思へ。 汝ら眞に實相世界の平和を思へば、汝の世界にも平和は來たるのである。
また汝ら病ひの眞つただ中にゐてすらも、本當の汝の常住健康を思へ。 汝ら眞に實在の汝の健康を念へば健康は來たるのである。
されど悲しいかな。いま實在世界の常住平和を知るものは 寥々なる暁天の星であるぞ。 いま皆のものは一刻と雖も亂を思はない時とてない。 逆の精神波動が積り積つて、汝ら世界はもう累卵の危ぶさである。
近いうちに汝らの世界には一大変動が來るであらう。迷ひの自壊作用である。 ○○は○○○と戦はねばならぬ。 神はその時の惨害を出來るだけ少なくするやうに努力してゐるが、 人間の方でもその惨害を出來るだけ少なくするやうに協力するやう頼む。
協力と云ふも何も難しいことではない。 亂の中にゐても心の平和を失はぬ修行をすることである。 そのためには常々神想觀の修行をさしてある。
(昭和六年五月三十日夜神示)
伏字の意味を正しく学びましょう (35328) 日時:2020年11月04日 (水) 13時41分 名前:千葉教区青年会会員
「○○は○○○と戦はねばならぬ。」
これは
「日本は米英支と戦わねばならぬ。」
が、本来の神示です。
今、米英は日本の同盟国ですが、バイデンになるとわかりません。
支那は相変わらずの敵国。
戦わねばならぬのです。
(35339) 日時:2020年11月04日 (水) 16時13分 名前:生長の火をかざして
《昭和十六年に入ると、国際社会は緊迫の度を増し、ついに十二月八日、日本は米、英との戦争状態に入り大東亜戦争に突入した。…
日時:2019年09月22日 (日) 05時25分 名前:Yasuhiro Okudaira
…更に講演活動にも種々の制約が課せられた。講習会の際にも絶えず警官が傍聴し、先生は「思想警察から揚げ足をとられないように注意を払いながら」講演されたのである。…『生長の火をかざして 永遠の谷口雅春先生』(財団法人世界聖典普及協会 昭和六十年十一月二十二日 発行) 48頁》
千葉教区青年会会員さん (35343) 日時:2020年11月04日 (水) 18時52分 名前:長崎の晩霞
(35339) 日時:2020年11月04日 (水) 16時13分 名前:生長の火をかざして
で言われていることを承知で
「なんと!日本学術会議を支援することにより、教団は公安警察の監視対象になるかもしれないそうです!それでも皆さんは教団に残り続けるのですか?公案に監視されるような人生で良いのですか? 」スレに
35243 まっぴらとして投稿しています。たいして
35244 千葉教区青年会会員さんが頓珍漢返答
35245 日野くんにされた長崎の晩霞として「谷口雅春先生でした」と投稿
35246 !!!さんに物笑いされる
千葉青年会会員さんこの件にはスルー逃亡して、別の話に乗り換え
「一寸先はスガ」 -- 菅総理ご自身が「違法です」と認めました、これに伴い・スレの
名前:千葉教区青年会会員
最近も日野のなりすましが出没して「特高が雅春先生を監視していた!」「菜食は雅春先生の教えだ!」と言うデマを流していますが、中核派青年会さんはスルーしていますね。
この様な投稿は、青年会員を自称するのですから35歳未満の方なんで知らないのも無理はないのかなと同情はしますが、責任ある投稿内容でありたいものです。学ぶ会会員の品位に関しますので。
また60歳以上の方であるなら、多くの聖典をお読みでしょうから、聖典からの引用まで否定しますと、学ぶ会会員は聖典さえ読んでないのかと、これまた学ぶ会の品位を下げることになりますので、すべて日野君の投稿なんて思い込みからの投稿は控えるがよろしいと思います。
"心の法則"と"平和への道"の神示について (35369) 日時:2020年11月05日 (木) 20時00分 名前:tapir
長崎の晩霞さま
良いテーマをとりあげていただき、ありがとうございます。
私はこの神示の要点は、最後の3行に凝縮されていると考えます。
>協力と云ふも何も難しいことではない。 亂の中にゐても心の平和を失はぬ修行をすることである。 そのためには常々神想觀の修行をさしてある。<
項目に分けて書きます。
@(迷いの自壊作用である、世界の一大変動、惨害をできるだけ少なくするように)協力するのは難しいことではない A(協力は)乱の中にいても、心の平和を失わない修行をすること。 Bそのために常々(日常生活の中で毎日)神想観の修行をさせてある。
AとBを怠りなく、常に修行することが第一と考えます。
それにより、現象に対処する仕方を決めます。
>しかしこの神示の示すところに、
軍備拡張路線、9条改正により軍隊を持つべしの論、また現今の教団は怪しからんの論は、真っ向から反するものと思えます。<
ご質問は、以下の3点ですね。
@軍備拡張路線 A9条改正により軍隊を持つべしの論 B現今の教団は怪しからんの論
私は次のように対処するつもりです。
@軍備拡張路線 日本国に本当に必要な軍拡でない、アメリカにおもねるための軍拡には反対です。
A9条改正により軍隊を持つべしの論
日本は、すでに自衛隊という名の軍隊を持っています。
したがって、9条を改正しなければ安心という単純な護憲では、自民党による無制限の解釈拡大を、抑止することができません。(2014年の武力の行使の新三要件は、現憲法の拡大解釈で成立しました。)
時の政権による無制限の拡大解釈を抑止するために、「自衛権の統制」を本質とする憲法改正が必要と考えます。(一つの案として、武力の行使の「旧三要件」の範囲内での「自衛権の統制」を憲法に明記するという、改正案を支持しています)
B現今の教団は怪しからんの論
「怪しからん」を論ずる人の目的によります。本流派(和解否定派)とトキさんの目的は正反対です。
本流派(和解否定派)の目的 「怪しからん」うわさを立てて、信徒に教団を退会させて、自分たちの団体に取り込みたい。手段を選ばず、教団に出来るだけダメージを与えたい。
トキさん(私を含むトキさん支持者)の目的 新旧すべての信徒が喜んで、快適に伝道できる教団になってほしいから、改善のための提案をしている。教団の新方策を「怪しからん」と言い立てるのは、それが教団自身にダメージを与える方策であると懸念するためである。教団のダメージを減らしたい。
最初に帰りますと、本流派、トキさん支持派、教団派、どの団体に属していても、共通するのは、
乱の中にいても、心の平和を失はない修行をすること。 そのために日常生活の中で毎日神想観の修行をすること。
で、私もその目標に向かって、日々努力したいと思います。
(35372) 日時:2020年11月05日 (木) 20時37分 名前:そうだったらいいのにと願う一人
>現在の本部の方針は、谷口雅春先生の教えとは全く関係のない内容になっており、それを役員に強要する姿勢が目立ちます。ところ「怪しからん」を論ずる人の目的によります。本流派とトキさんの目的は正反対です。
本流派の目的 「怪しからん」うわさを立てて、信徒に教団を退会させて、自分たちの団体に取り込みたい。手段を選ばず、教団に出来るだけダメージを与えたい。
トキさん(私を含むトキさん支持者)の目的 新旧すべての信徒が喜んで、快適に伝道できる教団になってほしいから、改善のための提案をしている。教団の新方策を「怪しからん」と言い立てるのは、それが教団自身にダメージを与える方策であると懸念するためである。教団のダメージを減らしたい。<
そうでしょうか
>もちろん、役員や講師の中にも、現在の方針が正しいと思い込んでいる人もいます。毎日、「新経本」を読んでいる人も実際にいます。ところが、これは私の周囲だけの話かもしれませんが、こういう人に不幸な出来事が起きるケースが散見されます。他人の不幸を喜ぶ趣味はないので、皆様、口には出されませんが、偶然というにはあまりにも頻度が高いので、内心では恐怖を覚えています。<
こう言うトキさんが?
トキさんの見聞は私と一致しています (35382) 日時:2020年11月06日 (金) 09時40分 名前:tapir
そうだったらいいのにと願う一人 さま
>役員や講師の中にも、現在の方針が正しいと思い込んでいる人もいます。毎日、「新経本」を読んでいる人も実際にいます。ところが、これは私の周囲だけの話かもしれませんが、こういう人に不幸な出来事が起きるケースが散見されます。<
このコメントを見たとき、私も知人を指折り数えました。過去15年ほどで、大病に罹った人、亡くなった人、すぐに十数人になりました。谷口清超先生の時代も、そういう人が皆無だったわけではないが、これほど多数ではなかった。現在の方針と教えに人一倍、熱心な人が急に倒れる例も目立ちます。トキさんの見聞は私と一致しています。
そうだったらいいのにと願う一人さんの、見聞はどうですか?
合掌
「本流派の私的解釈」と「長崎の晩霞さまに質問」 (35383) 日時:2020年11月06日 (金) 09時45分 名前:tapir
本流派の中にも、大きく分けて2つの派があると、私的に解釈しています。
和解否定派:(35369で言及したのは、本流派でも「和解否定派」のことです) ・谷口雅春先生に帰りましょう 第二掲示板 ・トキ掲示板をアラス人々。千葉教区青年会会員氏、STEVE氏
和解派 谷口雅春先生の教えを真面目に学び、実行して、教団が雅春先生を尊重する教団になってほしいと願っている人で、やみくもに教団批判する人とは、一線を画しています。 ・則天去私氏他
トキさんと本流派和解派は、理解し合えると思っています。
以上は、私の私的解釈です。そうでないと思う方、共鳴する方も、どうぞご意見を書いてください。
++++++++++++++++++++++++
長崎の挽霞さまに質問 ―「本来の教えに戻れ」と「中間派本流派」の意味
長崎の晩霞さま
>「本来の教えに戻れ」の掛け声、中間派本流派によく聞かれます。
「本来の教えに戻れ」を、長崎の晩霞さまは、どのような意味だと解釈していますか。 ご説明をお願いします。
「中間派本流派」は、初めて見る言葉です。言葉の意味のご説明をお願いします。
議論を深めるために、長崎の晩霞さまの、お考えを聞きたいのです。どうぞ、よろしくお願いします。
合掌
tapirさんの質問に (35391) 日時:2020年11月06日 (金) 12時32分 名前:長崎の挽霞
長崎の挽霞さまに質問 ―「本来の教えに戻れ」と「中間派本流派」の意味/tapirさん ********************************************************************************************** 「本来の教えに戻れ」の掛け声、中間派、本流派によく聞かれます。と書きました通りです。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容の反論はしないで下さい。/トキ掲示板但し書きより
簡単に言えば教団肯定の人以外の何らかの異議のある人、をさします。 あなたの言う和解否定派、和解派いづれにしましても、「本来の教え」の意味のとり方には違いがあります。政治も含め教えを理解する人達「学ぶ会」系、その中にも戦前戦後を通して、現象への対処を説いたものを言葉通りに解釈しようとする所謂「原理主義」の方々と、その現象処理の提言の中に「どんな真理がこもっているか」と真理を求める人と二通りの方が居ると思います。
対してトキさんのいう、「個人の救い」を進めるべきで政治には宗教は関しないほうが良い、という人達。
またトキさん肯定派の中でも、tapirさんや志恩さんのように政治的発言をする人と、トキさんのように殆しない人と別れます。それも志恩さんのように僅か3年前の衆議院議員選挙には闇雲にアベ政治を肯定したものの今になれば否定する人もいます。色々勉強した結果思想の変化を来したと言われます。
これは何故なのかと考えますと、行動の原点が「人間は神の子である」「この世界は神の国」である、ということから出ているのでなく、「自分の考え、思想」から出ている故と考えます。
ですので「個人の救い」とは何をさして言うのかとトキさんには過去色々質問しています。 その一例が「決算報告を見て感じること」スレにあります。 https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=6774 「個人の救い」の意味するものが私とは根本的に違います。
この神示提示の意味は「冬の来る前にその準備をすることは心配することとは違う」という言葉がありますが、これと中国の脅威を恐れそれへの対処として軍備増強をする、ことを同じと解釈する人が居ると私が思えることへの疑問提示でもあります。
ですから「救い、救われた」ということはどのような事か?がハッキリしなくては、「救い」を与えることがハッキリしないのではないか? 過去から色々な宗教が人々への「救い」を与えるために説かれて来、現象的には今の時代から見れば遥かに貧しく、苦界に身を落とす女性が数多居た時代、死後の極楽浄土を求めた人も居ました。しかし妙好人と言われる人たちは、今ここの救いを得たように見えます。
自分の環境の変化により、心が変化してしまうのは、畢竟「救われていない」のではないのか、信仰に入り自分は救われたという、そのような心境の変化を否定するものではありませんが、そこにとどまる限り、「現象なし実相のみ実在」の指し示す世界を獲得した救いは得られないのでないか、との疑問の提示でもあります。
(35456) 日時:2020年11月07日 (土) 07時56分 名前:そうだったらいいのにと願う一人
>>もちろん、役員や講師の中にも、現在の方針が正しいと思い込んでいる人もいます。毎日、「新経本」を読んでいる人も実際にいます。ところが、これは私の周囲だけの話かもしれませんが、こういう人に不幸な出来事が起きるケースが散見されます。他人の不幸を喜ぶ趣味はないので、皆様、口には出されませんが、偶然というにはあまりにも頻度が高いので、内心では恐怖を覚えています。<<
>このコメントを見たとき、私も知人を指折り数えました。過去15年ほどで、大病に罹った人、亡くなった人、すぐに十数人になりました。谷口清超先生の時代も、そういう人が皆無だったわけではないが、これほど多数ではなかった。現在の方針と教えに人一倍、熱心な人が急に倒れる例も目立ちます。
年齢を経るとお知り合いも当然歳を重ねる過程で大病を患ったり、 急死されたりする確率は大きくなるでしょう。お知り合いが若い人であっても人生勉強の過程で、そういう生を描いた脚本を携えて下生した人生もあろうかと思います。長い年月此処に留まる魂もいれば、病で長く仰臥することにより何かを学ぶ魂、花火のように短く咲いてアッというまに往く魂。 新聞ニュースに載るような過酷な試練の経験をみせる魂。さてこのような人々は「新経本」とやらを読んでいたのでしょうか。 雅春先生の下された聖経は深い真理を易しくさとされています。 この聖経をお守りとして身体につけ、助かった古の信徒さんもいたと聞きます。災害の只中に読誦を懸命にしたらその方の家のすぐ手前で大水が止まった。それらはその方々の事実ではありましょう。 では、「甘露の法雨」ではなく「新経本」読誦にしたら今まで幸せだった人々に偶然と思えない頻度で不幸が訪れたというこの見解は如何なるものでしょうか。それは経典本/物質信仰であり、「物質に力無し」と教示される聖経の中身を理会しているとは言い難いように思います。ましてや恐怖は伝染しますw
私のこのような主観から、疑問が湧いてきたものです。
>トキさんの見聞は私と一致しています。
ええ、トキさん・tapirさん・志恩さんは非常に良く似ていると 存じます。
「谷口雅春先生の教えに回帰する」とは (35497) 日時:2020年11月07日 (土) 20時36分 名前:tapir
長崎の晩霞さま
前のスレッド「個人の救い」のトキさんとのやりとりを読みました。
「谷口雅春先生の教えに回帰する」ということを、私は以下のことではないかと思いました。
天理教のお手伝いをしておられるとのことで、天理教のホームページを拝見しました。“”内は、ホームページからの引用です。天理市はずっと以前ですが、旅行したことがあります。いいところですね。
“天理教信仰の中心は、親神・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)によって人間創造の地点と教えられる聖地「ぢば」です。奈良県天理市に位置し、天理教教会本部の神殿と礼拝場は「ぢば」を取り囲むように建てられています。” https://www.tenrikyo.or.jp/jpn/about/
親神が大切にされているのを拝見して、天理教はすばらしいと思いました。
・生長の家では、天理教の親神・天理王命にあたる、住吉大神を、信徒に諮ることなく、造化の三神に置き換えて、住吉大神の神札を廃止しました。
天理教では、原典・教義書も整っていて、誰でも入手できるようですね。 https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/
・生長の家の根本聖典『生命の實相』と『四部経』は、いつになったら信徒が自由に入手できるようになるのでしょう。
“神殿の北側にある教祖殿は、存命の教祖(おやさま)のお住まいです。 今も日々の食事など、身の回りのお世話をしてお仕えしています。“ https://www.tenrikyo.or.jp/jpn/oyasato/
・「教祖殿」のように、教祖が今も生きておられると思い起させる場が、本殿と共に大切にされていることはすばらしいです。
生長の家では、教祖が約30年親しく実務を執られ、2代目がその後30年、合わせて60年近く光明化運動の中心だった、美麗な生長の家本部会館を、あっさり取り壊しました。(温故資料館はありますが)
天理教は教祖や教えの根本を大切にする「宗教」だと思えますが、生長の家は「谷口雅春先生とその教えを大切にしているのか」と疑問を感じるのは、自然なことだと思います。
私は、生長の家の「今の教え」は、形あるものはもちろん、御祭神という形のないものも、全て打ち壊して、断ち切り、「現象はない」を悟らせようとしていると理解しております。が、私は俗人なので、物を大切にしない、何かとお金を無駄遣いする(宗)「生長の家」を物的に支援する気になれないでいます。
+++++++++++++++++++++++
質問されたので「軍拡」と「憲法改正」の私見を述べましたが、(宗)「生長の家」について、私も「宗教は政治活動をしない」との考えに賛成しています。トキさんと微妙なところは違うかも知れませんが。
私は宗教法人「生長の家」の総意として政治的見解を公表することはかまわないし、時には必要なことだと思います。しかし、その通りに実行するかしないかは各信徒の裁量に任せるべきで、特定政党に投票してはいけないとか、政治活動支援を禁止するのは行き過ぎです。「教団として政治活動はしない」とは、その意味です。
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「救い」とは何かということですが「救い」は「悟り」と置き換えてもよいと思います。「救い(悟り)」は内的な自覚ですから、本人でないと「悟ったか悟らないか」は分からない、第三者が「救われている」とか「いない」とか、決められないと思います。
「大悟十八回、小悟は数知れず」は、白隠禅師の言葉です。再び、病気になったから、自殺したくなったから「救われて(悟って)いなかったじゃないか」とは言えず、小悟があった、そして縁を得て、再び小悟を得たのかも知れません。「学ぶ会」は、玉石混交で、第二掲示板だけ見ていると「救われて(悟って)いない人ばかり」の団体に見えますが、個別には優れた講師もおられると思います。組織と、所属する個人の悟りは別物です。
自分が「救われたい」のではなく、人を「救おうとしない」のは宗教としてどうなのか、というのがトキさんの問題提起かと。困っている人に衣食住を与える物施も、教えを知らせる法施も、「救いたい」という愛念の発露です。運動の上で、それを軽視してよいものかということだと思います。 ++++++++++++++++++++++ >総裁の在り様ではなく、自分の在り様が問われるのが信仰です。<
その通りです。どの組織に所属している人でも、組織に所属していない人でも、自分が真剣に信仰すれば、そこに神が現れると思います。
++++++++++++++++++++ ところで、長崎の晩霞さまは、“「現象なし実相のみ実在」の指し示す世界を獲得した救い”を得たとの体験をお持ちですか?
人生修行は、生死を超越していますね (35498) 日時:2020年11月07日 (土) 20時52分 名前:tapir
そうだったらいいのにと願う一人さま
>年齢を経るとお知り合いも当然歳を重ねる過程で大病を患ったり、 急死されたりする確率は大きくなるでしょう。お知り合いが若い人であっても人生勉強の過程で、そういう生を描いた脚本を携えて下生した人生もあろうかと思います。長い年月此処に留まる魂もいれば、病で長く仰臥することにより何かを学ぶ魂、花火のように短く咲いてアッというまに往く魂。<
魂の修行として見れば、大病も急逝も、各人の魂の進化に役立っていることには、私も同感です。急逝する人は高級霊とも言われていますね。生長の家信徒であればそのように心得ていると推察しますが、お世話をするご家族、残されたご家族が気の毒です。ご本人に因果の種となる「業因」があったとしても「新経本」が「縁」になったと見える例があれば、トキさんがそれを書くのは、良心的な愛念に基づく忠告だと思います。あの道はデコボコだから、転ばないよう足元に気をつけて、というのと同じです。 そんなことあるはずがない、経本は素晴らしいと思う人は、自信を持ってどんどん読んでください。いつも笑っていて朗らかで、明るく堂々とした人は、免疫力が強いので、不幸にならないのでしょう。私は息苦しくなるので「新経本」は読みません。言葉に過敏なのかも知れません。
「新経本」はただの物質ではありません。コトバの集積です。コトバの力について、谷口純子先生が、講習会で「身口意」の三業で説明されていますね。コトバは運命を作ります。「言葉は神なりき」とも言います。コトバの集積である「新経本」を読んで潜在意識に取り込むことは、運命を形成します。『聖経』も同様です。物質信仰ではありません。
といっても、私は本流派の言うように「新経本」が不幸を招く「惨禍」だとは思いません。真理の片鱗がないわけではない。「うどんだと思って食べたら蕎麦だった」というトキさんの例えがぴったりです。『聖経』でないものを、無理に同等・同格だと思い込もうとして読むことで、潜在意識にストレスが蓄積され、その葛藤の結果、問題が起きる人もあるというのが私の考えです。
+++++++++++++++++++++++
そうだったらいいのにと願う一人さんから、いろいろな意見が聞けるのは、楽しいです。
有難うございます。
合掌
(35517) 日時:2020年11月08日 (日) 15時23分 名前:そうだったらいいのにと願う一人
>魂の修行として見れば、大病も急逝も、各人の魂の進化に役立っていることには、私も同感です。急逝する人は高級霊とも言われていますね。
幼くして還る人は高級霊だと雅春先生は書かれていますね。
>お世話をするご家族、残されたご家族が気の毒です。
慈悲、四無量心のはじめですね。人間に大事な感情です。
其処から真に立ち上がるにこそ教えの神髄があろうかと思います。
>ご本人に因果の種となる「業因」があったとしても「新経本」が「縁」になったと見える例があれば、
因果の種「業因」ですか...。
>良心的な愛念に基づく忠告だと思います。
そうですか。
有難うございます。
合掌。
ご返信ありがとうございました 追伸です (35531) 日時:2020年11月09日 (月) 19時45分 名前:tapir
そうだったらいいのにと願う一人さま
>ええ、トキさん・tapirさん・志恩さんは非常に良く似ていると 存じます。<
志恩さんと私の共通点は、谷口雅春先生の教えを拝聴したことがある、ご生前の谷口雅春先生を知っている点でしょう。
トキさんは、ご自身が谷口雅春先生を直接知っておられるかどうか存じませんが、縁者の方が谷口雅春先生の時代に活躍された白鳩会員さんとのことで、その方の志を継いでおられることと拝察しております。それで志恩さんや私と共通した思いがあるのでしょう。
しかし、考えて見ますと、私には、谷口雅春先生の時代と比べて、手足を縛られた巨人の如く、教えが一部分に限定されて不自由に見えるのに、貴方様が、現在の生長の家の教えに心惹かれて入信され、喜んで活動されているとしたら、それは生長の家のみ教えそのものが、それだけ価値があることの証であり、それはそれで喜ぶべきことなのかも知れないと、気が付きました。核となる谷口雅春先生のみ教え「人間神の子、永遠生きとおしの生命」が、それほど素晴らしいということなのでしょう。
合掌
あとで気が付きましたが、ここがポイントですね (35589) 日時:2020年11月11日 (水) 20時50分 名前:tapir
長崎の晩霞さま
ご紹介いただいた70歳の女性の体験談における“真理国家日本”の話。
>練成の三日目に、今の教団で全く聞かなくなった"真理国家日本"のお話しを聞き、昭和四十五年、飛田給練成道場に勤めていたころの生長の家が自分の中にワーッと蘇り、「"真実の生長の家"がここにあった。死んでいる場合じゃない!」 これからは、元気で明るい神の子として人の役に立つ人生を送ります。そして死ぬまで生きます !!<
>"真理国家日本"のお話しを聞き、昭和四十五年、飛田給練成道場に勤めていたころの生長の家が自分の中にワーッと蘇り、「"真実の生長の家"がここにあった。<
“真理国家日本”のお話は、谷口雅春先生がお説きになられた「天皇陛下を中心と仰ぐ日本の国の実相」のお話のことでしょう。
かつての生長の家が自分の中に蘇り、“真実の生長の家”がここにあったと思い、生きがいを取り戻した……。
ここに見逃せないポイントがあると思いました。
思考のヒントを与えてくださり、有難うございました。
追信有難うございます (35606) 日時:2020年11月12日 (木) 18時49分 名前:そうだったらいいのにと願う一人
私は憲法を真守することが左翼だと決めてかかる社会は閉塞的で息苦しいものと辟易しております。
「人間神の子、永遠生きとおしの生命」
全世界普遍の真理であり全人類共通の救いですね。 有難いです。
再合掌
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