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生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)

このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」について、自由に議論をするため に作成したスレッドです。 生長の家に関連する話題なら、上記に話題に限定しないで、広く受け付けます。 またどの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え を支持、共鳴する人のためにサイトです。 生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など 明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。 ご理解下さい。

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生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

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自然との調和の出発点なのか? (2791)
日時:2021年03月24日 (水) 22時33分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

 わたしは自民党政府の成田空港建設に対して賛成していない。寧ろ反対である。わたしは農民の味方であり、自民党の味方ではない。

わたしは美しい田園都市や海岸都市を、工業都市化したり臨海工業地帯化したりして、神がせっかく美しい景観と清浄な空気と、そこから人間が生まれた「生きている大地」を何の生気もない灰色のコンクリートで塗りかえて、そこを文化都市の建設と称し、清浄明媚の天然自然の環境をこわして、工場化と、鉄路化とコンクリート化してしまうことに反対するのである。

今からでも政府は、成田空港建設を断念するように、わたしは自民党政府に要請したいのである。  

46.3.8 谷口雅春

転載 (2792)
日時:2021年03月24日 (水) 22時35分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月14日 (金) 20時05分
名前:時空ファン

このご見解は何に載っていたっスか?
水道の民営化やリニアや賭場についてのご意見も聞いてみたかった。

 (2793)
日時:2021年03月24日 (水) 22時39分
名前:長崎の晩霞(風鈴)



<このご見解は何に載っていたっスか?
水道の民営化やリニアや賭場についてのご意見も聞いてみたかった。>

何処に載っていたは後ほどにして、読んでの感想は如何ですか。時空ファンさん




転載 (2794)
日時:2021年03月24日 (水) 22時40分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月15日 (土) 01時25分
名前:時空ファン

昭和46年といえば村上正邦さんが教団推薦で55年に初当選する9年前であり、玉置さんが二期目の当選をした年ですね。
この時代をリアルタイムで知っていたわけでは無いので、その当時のイメージ的に意外なお言葉だと思ったね、ほんとかなってまず感じた。

そして次に安心したっス。

時空ファン さんへ (2795)
日時:2021年03月24日 (水) 22時44分
名前:長崎の晩霞(風鈴)


昭和46年といえば村上正邦さんが教団推薦で55年に初当選する9年前であり、玉置さんが二期目の当選をした年ですね。
この時代をリアルタイムで知っていたわけでは無いので、その当時のイメージ的に意外なお言葉だと思ったね、ほんとかなってまず感じた。

そして次に安心したっス。<<


「意外なお言葉だと思ったね」「次に安心したっス」

 の具体的な思いはどんなものですか?

 ちなみに出典は「わが憂国の戦い」昭和47年2月初版の19「農民の愛郷心を利用する革命戦略」の一節です。

転載 (2796)
日時:2021年03月24日 (水) 22時46分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月15日 (土) 08時25分
名前:時空ファン

ちなみに出典は「わが憂国の戦い」昭和47年2月初版の19「農民の愛郷心を利用する革命戦略」の一節です。

「農民の愛郷心を利用する革命戦略」かぁ、、凄いタイトル本だ。
時空ファンが何故宗教組織に入ったかというと、どうやら『真理』なるナニカが在るらしいということで、それを知りたい!というこが動機だったっスよ。交流も楽しかったし、生命や生の謎が融けていく感覚にも内心興奮したしね。
左だとか、右だとかそんなものに縛られる思考っていうのには違和感をもっている。一方の極に立つ極端な思考は人間的だと思う。
「甘露の法雨」を顕わした方は、人間社会でもバランスが取れてるハズだ、そうであって欲しいという願望があったからね。
だからホッとしたんス。

転載 (2797)
日時:2021年03月24日 (水) 22時48分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

観る題材について🉂 (14131)
日時:2019年06月15日 (土) 18時01分
名前:転載ちゃん

雅春先生が長年、非常な危機感を抱いていたという公明党が、
今では政権と連立を組み、同じ船で日本の舵取りをしているという客観的状況も府徹対象のひとつです。

転載 (2798)
日時:2021年03月24日 (水) 22時49分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

無党派の客観 (14295)
日時:2019年06月22日 (土) 03時32分
名前:転載ちゃん

立憲主義の政党を応援すること乃ち反日だという端的思考が理解でき辛いという当方の客観的見方に基づいている。
あるワードを入れたツイートをすれば何処からか入金があるというネト●ヨならこそ、極端な嫌韓、激しい嫌共による罵りに等しい雑言には辟易することが多々ある。
中国共産党と日本共産党とは根幹で違うのにも関わらずだ。
生長の家とはそういう教えだったのだろうか
という疑問が沸々と湧いてくる。

三番めの理由はこれです。

転載 (2799)
日時:2021年03月24日 (水) 22時50分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月22日 (土) 07時15分
名前:転載ちゃん

全人類は吾が親戚であり
吾は全人類の友であるという教えであったはず。

無限の智慧、愛、生命を汲みだす源泉の教えであるはず。

谷口雅春先生の言葉 (2800)
日時:2021年03月24日 (水) 22時52分
名前:長崎の晩霞(風鈴)



生長の家が、万教帰一を呼号するのは世界平和の円環をつくるために、世界の宗教は人類、国籍、宗派を超えて、一切の人類は「一つ」の神より発しているのであるから、「一つ」の真理に帰一して救われるから互いに手をつなごうではないかと云うことを説いているからである。

多くの平和運動家が戦争廃止のために奔走しているのは甚だ有り難いのであるけれども、軍備縮小を如何にすべきか、原水爆禁止協定を如何にすべきかという風に、多くはその抹消を如何にすべきというようなことに力をそそいでいるのであって、人類が何故、戦争の惨禍を厭いながら、その厭うところの惨禍に近づいて行かずにおれないのか、何故、又原水爆を恐怖しながら原水爆に近づいて行かずにおれないのかの、その根本問題に触れ、その根本問題を解決しようとしないことは遺憾である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生長の家が万教帰一を説く由縁と、平和運動家の戦争廃止に向けた運動への一定の感謝の表明がされている。
人類が戦争を厭いながら戦争に備えると言い、軍拡に走るのか、その答えは?

転載 (2801)
日時:2021年03月24日 (水) 22時53分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月22日 (土) 10時32分
名前:転載ちゃん

『一切の人類は「一つ」の神より発しているのであるから、「一つ」の真理に帰一して救われるから互いに手をつなごうではないかと云うことを説いている』


この『一なる真理』は遍く普遍のものであり
国や人種や時代により変化するものは「一なる真理』では無いということが、朧気でも霊的把握されていれば、深く迷うことは無いのではないでしょうか。
有り体に言うと、長年の憎悪や反発や蔑視や権力欲は、その理解により雲散霧消まで行かなくとも、度々に折々に「一なる真理」に
立ち還り、相対するものを理解できないでいた自身を赦すことができる様に成熟してゆくように思います。
答え? は、貴方の内にあります。
わからないので、ごまかしておきます(笑)

雅春先生の言葉(ご自分の言葉での意見、聖典からのものは歓迎、ネットからの貼り付けはご容赦を) (2802)
日時:2021年03月24日 (水) 22時59分
名前:長崎の晩霞(風鈴)


>人類が戦争を厭いながら戦争に備えると言い、軍拡に走るのか、その答えは?
>答え? は、貴方の内にあります。わからないので、ごまかしておきます(笑)

転載ちゃんの答え、おもろいです。関心示して貰えたので続きを

「戦争の根本原因」
それはその根本問題が、人間の「罪の意識」による自己処罰であることに気がつかないからである。人類は、「自己が罪の子なるがゆえに、何らかの方法で自己処罰しなければ心が落ち着かない」というので潜在意識が駆り立てて、人類を残酷に取り扱う処刑武器を作りつつあるのである。まことにも戦争の惨禍は人類の潜在意識が計画したところの自己処罰の処刑方法であるから、この戦争の根本原因を取り除くためには、「人間本来神の子にして本来罪なし」という『生命の実相』の真理を徹底的に人類に宣布し、人類全体の潜在意識を、「人類無罪宣言」に集注し、それによって、人類の自己処罰法方たる戦争を無用に帰せしめなければならないのであって、これをよく為し得る合理的論理形態を備えている宗教は生長の家のみであるから、私達は、人類全体をその死滅より救うために是非生長の家を人類に宣布せよとどれほど強調しても足りないのである。

今まで私たちはこの偉大なる使命感を信徒に喚起することを怠ってきて、ただ「病気治し」のような個人の救済の教えに偏らせ過ぎたきらいがあったのである。ここに顧みるところあって信徒諸賢はこの偉大なる使命感に燃え、全人類を戦争の惨禍から救う大菩薩行を行うのが私たちの使命だと自覚して、この人類光明化運動を徹底的に推進しなければならないのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍備拡張路線は祖国防衛と武器製造そのものが自己処罰というジレンマを内包しているかに見える。
とすれば祖国防衛という恐怖からの観念の拠って来るところを考えなくてはいけないのかもしれない。

雅春先生の言葉  (2803)
日時:2021年03月24日 (水) 23時05分
名前:長崎の晩霞(風鈴)


生長の家は、人間を解放する宗教だから決して神罰観念で縛ることがない。病気も神罰だといわないで、自己処罰だから真理を知って自己解放すれば治ると説く。だから治された利己主義の人は治ると殆んど皆去って行く。私たちはモットモ正直に何らのオドシもなく恐怖心を与えず、万人が解放される真理を説いているのだから、その誠実さを信じて、この宗教に属していることを名誉としていつまでもこの運動に協力してほしいと思うのですが、折角生長の家にお入りになっても、治ると出て行くから年間の統計によりますと、百人のうち三十二人しか翌年まで続いておらんという。

百人の内に六十八人は利己主義者で、自分さえ救われたらそれでよいという人になっている。これでは生長の家は短期大学みたいなものです。(風鈴註 これは昭和三十三年ごろの話しである。他の所に「生長の家は今までの二十八年間、静かな光明思想普及という静的なすがたをとってきましたが、今はこの信仰を行動化し、自分が未だ渡らざる先に、他を救済する運動にしなければなりません」とある)もっと真理の大学院に入って、更に更に深い真理を悟る。そしてこれを国家人類に及ぼして行くというような愛他的な熱意が燃える人がすくないのが私は非常に残念であると思うんです。それには指導者側にも、その指導の仕方が、個人利益を得るように教えていて、愛他的な魂を植え付けるように指導しないところに欠点があると思います。

指導の目標が、病気治しとか個人の魂が永遠に生き通しであるということだけに止まらないようにしたいものと思うのです。魂の永遠の生き通しは素晴らしい真理なんですけれども「ああ私の生命は永遠に生き通しだ。歓喜無限だ」と喜んでいるだけでは、それでおしまいになって、さらに他に及ばすことができない。人類光明化運動はもっと国家的運動に発展しなければならない。日本の国家の再建の哲学を持っている宗教は生長の家と法華経を説く日蓮上人の宗教だけである。私たちはもっと、生長の家を国家再建の運動として、推し進めなければならないと思います。

それを推し進める上において、私はマルキシズムをどう考えるか申しておきたいと思います。
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昭和三十年代の本部、生長の家は素晴らしかったという人がいますが、その時すでに利己主義的生長の家が蔓延っていたことが説かれています。であればこそこのような先生の意向を酌み、「菩薩は何を為すべきか」が編集され、お花畑ごっこばかりではいけないとされ、生政連が組織され、理誌百万運動も提起された。しかし笛吹けど踊らずで、「かくなる上は龍宮より住吉の大神の出座を願うしか道は無し」として「龍宮住吉本宮」建立に至ったものです。

今の衰退は今に始まったものではない。ここに集う方々は当時のお花畑に集い、好いな〜と浮かれた人と同じことをしたいと念願しているように見えます。

転載 (2804)
日時:2021年03月24日 (水) 23時08分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月23日 (日) 01時42分
名前:転載ちゃん

世界の見え方は自身が映っているとも言え、観るものが顕れるという法則は生長の家で最初に教わりました。
何にでもハイという心をもち、ハイ!ニコ!ポン!
口角を上げた表情、親切な心持ち、身口意を整えるが肝心。
美しいもの、明るい事に心を振り向け日時計主義に徹し、他も自分をも褒めて認める。笑いの練習もしてみよう、まずはカタチから入ってもいい。いのちが喜ぶことを引きだそう。自分が変われば全てが変わる。と実践していればお花畑に見えるかも知れませんね。
どこかいけないことがありますか?
私には、此処に集う人達はお花畑には見えません。

並み外れて表現力に優れている方も散見します。
が、文字列には書ききれない「空白」の部分というのは、こちらが読み取ることによってしか判らないわけで、それは自分の色々な想念でフィルターがかかった想像でしかない場合が多いわけです。
そういう意味では、画面の向こうの人は自分自身かも知れないなどと思うこともあります。そしてお花畑の中でいるよりもよりよく学んでいます(笑)
私は、こちらを覗かせてもらっている事は日常に彩りを与えてもらっています。風鈴さんにも感謝します。


追申 (14333)
日時:2019年06月23日 (日) 02時00分
名前:転載ちゃん

風鈴さんは、「伝道」に焦点を合わせてのご意見だと思いましたが、
それについては、またの機会に教えて下さい。
雅春先生の御文章は繰り返し読まさせて頂きました。

あと、見たくないものから目を逸らすことが信仰では無いというご意見の一つだったでしょうか?賛同します。


雅春先生の言葉(本来の教えとは?政治と無関係ではいられない) (2805)
日時:2021年03月24日 (水) 23時12分
名前:長崎の晩霞(風鈴)


 参議院議長をしておられた佐藤尚武さんから新宗教の大きい所の教祖方、PLの教祖、立正佼成会の庭野会長、その他、大教団の教祖級の人達数氏と一緒に招待されまして、宗教と世界平和について懇談をしたことがあるのでありますが、談たまたま「宗教の目的」と云うことに言及されたのでありますが、その時、立正佼成会の庭野日敬会長が「どうしても宗教というものは個人の救いである。一人一人を救って行くのであって、一網打尽的にすべての者を救うっていうようなことは宗教のことではない」と云うことを言われたのであります。しかし、私は宗教がそこに止まっている限りは大きな救いというものは実際にありえないと云うことを感ずるのであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
立正佼成会の庭野日敬会長が「どうしても宗教というものは個人の救いである。一人一人を救って行くのであって、一網打尽的にすべての者を救うっていうようなことは宗教のことではない」と云うことを言われたのであります。>

これは今トキさんがされようとしていることだと思います。

しかし、私は宗教がそこに止まっている限りは大きな救いというものは実際にありえないと云うことを感ずるのであります。>

「大きな救いというものは実際にはありえない」の大きな救いとはどのような事を指しているのでしょうか?これが政治的に一国の舵取りをする宰相が国土安穏、つまり立正安国を目指した政治をすることと先生は云われています。

訊け演説会場で盛り上がっている現宰相が立正安国を目指しているか否か?私も目指してはいない、そして学ぶ会推奨の補佐官が斯くの如き政治をするよう進言しているようには見えません。

転載 (2806)
日時:2021年03月24日 (水) 23時14分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

私見、失礼します。 (14356)
日時:2019年06月23日 (日) 21時20分
名前:転載ちゃん

≻立正佼成会の庭野日敬会長が「どうしても宗教というものは個人の救いである。一人一人を救って行くのであって、一網打尽的にすべての者を救うっていうようなことは宗教のことではない」と云うことを言われたのであります。>

これは今トキさんがされようとしていることだと思います。≻≻

私の見方は少し異なります。
現在の教団があまりに現象へのアプローチに重きを置き、
本来の 神性、霊性、生命の実相への問いかけがぼやけてきてしまっている状態に対しての一つの懸案であると感じていて、、救われた個人がまた次の方に伝え、、、そのような連鎖で会員が増えていった歴史も忘れてはいけないことのように思ってます。
現世利益を求めて入られた方が神想観を続ける内に意識の飛躍を経験する事もあるでしょうし、講師をめざす方が輩出される可能性も大であり、今の講習会に魅力が無ければ、個人による文書伝道は更に大事ではないでしょうか。

≻「大きな救いというものは実際にはありえない」の大きな救いとはどのような事を指しているのでしょうか?これが政治的に一国の舵取りをする宰相が国土安穏、つまり立正安国を目指した政治をすることと先生は云われています。≻

人間としての幸せには、国土安穏は大なることですよね。
仰る通りだと強く思います。国土が戦時下にでもなれば、忽ち自由が失われます。大いなるものから、下界するときに与えられた「自由」です。(自由を失うのもまた自由ではありましょうが)
また、他国が独裁により苦しんでいれば胸が苦しくなります。
「大きな救い」とは、それはイコール人間としての幸せとは限らないと思っています。
甘露の法雨であり、真理の吟唱です。そしていのち柱の詩です。

最後の二行.....同じく、私の目にもそうみえます。

 (2807)
日時:2021年03月24日 (水) 23時17分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

聖書も「解釈」の違いにより多くの組織に分かれていった。ことを踏まえて洞察する為の転載。
これがこのスレッドのタイトルですね。

本来の生長の家の教えに変えれ、の掛け声が聞こえる中、転載ちゃんと私の解釈というか捉え方にそれなりの違いがあります。
生命の実相を読めば簡単に悟れるのでありますと雅春先生は云われています。
しかし現実には生長の家に触れた人がみな同じ悟りという状態にはなりません。
大雑把に生長の家本来の教えに帰れと言いましても、「本来の教え」そのものが何なのか、が判らない状態でいるのではないですか。

雅春先生を学ぶ会と云いましても、訊け氏の捉え方と破邪氏の捉え方ではかなりの違いがあります。
解釈に違いが生じてしまうのでは、究極の真理を説いていると言えるのでしょうか?
手っ取り早く言えば、「実相」の把握と云いますか、実相への超入と云うことにおいて、違いがあるということになってしまいます。

私が此処に雅春先生の言葉を投稿する目的は、「生長の家本来の教え」が判り切ったものと受け取られながら、その実はっきりしていないのではというテーゼの提出なのです。

「救われた個人がまた次の方に伝え、、、そのような連鎖で会員が増えていった歴史も忘れてはいけないことのように思ってます。」
とあなたは云われていますが、今迄の転載の中で雅春先生は、六割の人は利己主義者であると云われ、それでは大きな救いを実現することはできないと云われているのです。

私の同級生で、隣隣保の人間が壊疽で足を切り取らなければいけないという状態から、教化部幹事長をされた戦前からの信徒の方の指導で、切らずに治ったものがいます。しかし結婚し子供ができた後で嫁さんが自殺したものがいます。父親は有難さから相愛会長を長くし誌友会もされていました。その関係で私の母親も生長の家に触れたのです。よろず屋的な商店を父親は営んでいましたが、近くにヤオハンが出来たのが響いたと思いますが、店はたたみ、余生は新聞配達をしていました。それでも亡くなるまで生長の家から離れはしませんでした。

このような実例を見るにつけ生長の家の救いとはどのようなものか、考えざるを得ません。

転載 (2808)
日時:2021年03月24日 (水) 23時19分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月24日 (月) 00時02分
名前:転載ちゃん

提示下さった御文章は、昭和58年に宗教法人「生長の家」の名において教団主導の政治活動を止める以前の御文章ではないでしょうか?

風鈴さんは、
何故雅春先生が政治活動停止に印を押されたと思いますか?

≻このような実例を見るにつけ生長の家の救いとはどのようなものか、考えざるを得ません。

救いは、諸行無常の風景そのものでは無く、その景色の中でどう在るかに、あると思います。
死ぬまで離れなかったその方は信仰者だと思います。


≻私が此処に雅春先生の言葉を投稿する目的は、「生長の家本来の教え」が判り切ったものと受け取られながら、その実はっきりしていないのではというテーゼの提出なのです。≻

ありがとうございます。
私見をいれず、読ませて頂くことにします。


雅春先生の言葉(生長の家の和解と政治に向かった理由は) (2809)
日時:2021年03月24日 (水) 23時21分
名前:長崎の晩霞(風鈴)



<何故雅春先生が政治活動停止に印を押されたと思いますか?> の答えのヒントになりますかと。

国家の政治を扱う中心人物が宗教心を持ち「天地一切のものと和する心」を持つことが必要なのである。たとえば生長の家の信者鳩山一郎氏が総理大臣として一国の政治の家長の如き地位にあった時には、二年間の豊作のうえに、輸出は増えるし、経済界は挙げて「神武景気」を鼓腹撃壌して喜んだものであった。略

私は鳩山内閣が総辞職し、石橋内閣に変わった時、石橋さんも「生命の実相」を読んでいるという噂を聞いたから大丈夫だろうと思ったが、石橋さんはやっぱり「病気無し」の生長の家的心境になりきれず、肺炎だと云われると大事を取って引退してしまうし、岸内閣になってからは、どうしたことか、貿易の帳尻が逆転して輸入超過となり、ドル不足を緩和するために金融引き締めが行われ、国内に未曽有の不景気を来し、株式は暴落し、中商工業者の倒産が続出したのである。

【一国の家長にたる総理大臣が変わると、一国の雰囲気が変わる。経済界が変わる。こういう意味において、私は今後とも、生長の家の信徒の中から総理大臣や数多の閣僚及び代議士を出したいと思わずにはいられないのである。】略

(【  】は風鈴による、この希望の実現の遠きに絶望した結果が龍宮住吉本宮の建立になり、生政連の解散ったものと思います。)

鳩山一郎さんは、総理大臣をしておられた時には友愛精神という名前を以って「天地一切のものと和解せよ」という生長の家の教えを、それを素直に公に、少しも飾るところなしに発表されました。この人は正直で公明で開けっ放しであります。 略

生長の家の「天地一切のものと和解する」という行き方を政治に行うというので、ソ連とも手をつなぐことを考えられ、その為に少し右翼から睨まれましたけれども、そのために日本が国連に加盟することができ、日本が世界に向かって顔が広くなったのです。もしソ連と仲よくできず、ソ連が、日本が国連に加盟することを拒否権を以って今もって拒否しておったら、今頃まだ日本の國は国連に加盟することができていなかったに違いないのであります。略

實は鳩山一郎さんがまだ総理大臣になられない先に、生長の家に触れられまして、松葉杖をついておられた自分でありますが、三島市に私の講習会がありましたが、そのちょっと前の事であります。三島の生長の家の幹部に高橋という人がありますが、その高橋さんと鳩山さんがお会いになりました。

その時に鳩山一郎さんは、生長の家は共産党に対してどういう態度をとるのであるか、というようなことを質問されました。その時、鳩山さんは「共産党というものは日本の國を覆そうとしているのだから、ああいうものと"天地一切のものと和解せよ"という生長の家の教えとの調和は、それをいかにして行くのであるか」というような質問があったというのです。

その時に高橋さんが答えて言うのには、生長の家は天地一切のものと和解するのであって、共産党と雖も敵とするのではない。共産党員の中にも神の子が宿ってゐるである。神の子が宿っているのであるから表面の顕われはどういう風になっておろうとも、現象は無いのである。実相は神の子であるから、その実相を拝んで行けば、その完全な実相が顕れる。結局その実相さえ現れたならば彼らも人類を救おうというのが目的であるから、結局一致して世界中が本当に和解して、好い世界ができるのである。という意味のことを解答なさったのであります。そしたら「それで判った」と鳩山さんがいわれたということを高橋さんから聞いたことがあり、今ここでちょっとそれを思い出したのであります。


転載 (2810)
日時:2021年03月24日 (水) 23時22分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

名前:時空ファン

風鈴さんにお願いですが
谷口雅春先生の文章を持ち来す場合は
出典と初版の年を明記してもらえませんか
時系列は大事だと思います。

 (2811)
日時:2021年03月24日 (水) 23時24分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

>谷口雅春先生の文章を持ち来す場合は出典と初版の年を明記してもらえませんか
>時系列は大事だと思います。

時空ファンさんが最初に関心持たれたもの以外は『我ら日本人として』昭和41年初版より引用です。

本当は誰の言葉かは伏せての引用にしたいぐらいなんです。そのわけは「誰それが言った言葉であるからこんな意味だろう」という読み方が多いと思っていますので。書かれている言葉そのものを、どの様に受け取られたかを書かれてのやり取りでこそ、誌友会のようなものになると思うのです。私がHNネームを書かずに「神の子」で投稿すると管理人さんは即座にHNネームを書いて下さいという注文がよく来ました。

原典にあたって内容をより理解しようということで出典を知りたいということであればよいのですが、「時系列は大事だと思います」と書かれているのは何故なのでしょうか。

「真理は変わらないけれど時代相応の表現を取る」と雅宣総裁が言えば変節だとばかりの意見が多い。時代相応の表現(これは現象を見つめた表現になる)にならざるを得ない。その代表が先に紹介しました「わが憂国の戦い」です。生長の家の「認めたものが実現する」の真理どうりに雅春先生の國を憂うる気持ちがそのまま現実に出ているとも言えます。

「真理を生きる」「実相を生きる」というようなことがどの様に生きると云うことなのか、「実相は素晴らしい」と神想観だけしていたのではだめですと雅春先生は言われる。この掲示板でも相手を否定するシュプレヒコール、アピール合戦になっているだけで、会話にはなっていないものが多いです。その人間の発言に異議があるのであれば、内容につき説明をすればいいのですが、馬鹿チョン扱いの発言が目立ちます。

「私は社会党にも自民党にも属しないものでありますし、生長の家そのものも自民党に応援するものではない。略 決して生長の家が自民党ヒイキという訳ではありません 略 生長の家が自民党ではなく、鳩山首相が生長の家党だった訳であります。これを逆に考える人は、宗教が一党に偏するがごとき誤った観念を伝えるのでありまして、それは大変危険な事であります。決して生長の家は自民党に偏向していない。」雅春先生の言葉

安倍自民一辺倒の人達、令和新選組支持は左翼を叫ぶ人たちに呼んでもらいたいです、この言葉。
生長の家は右も左も包み込んだ保守中道が元々の姿でしょう。

転載 (2812)
日時:2021年03月24日 (水) 23時25分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月27日 (木) 19時26分
名前:時空ファン

要望の、開示感謝!
何故かは、何故同じ釜の飯を食った人達の間で、マ反対の見解が生じ、分裂したのかを疑問に思ってるからです。
誰かが折につけ雅春先生の文章を引用するのを見ます。
掲示板で引用するからには実際にその時にそう思った雅春先生の言葉でしょう。その中には正直なところおっしゃる事が矛盾するものもありますよね、これはどうしたことなんだろうと考え込むこともあったんスよ。だから風鈴さんが見せてくれた文章に安堵した。
思想や捉え方は変わることもあるのは当然で、人は日々新生しているというのも根の教えであるから、あちこちじゃなく時系列に沿って知りたかった、ということです。


>「実相は素晴らしい」と神想観だけしていたのではだめですと雅春先生は言われる。この掲示板でも相手を否定するシュプレヒコール、アピール合戦になっているだけで、会話にはなっていないものが多いです。その人間の発言に異議があるのであれば、内容につき説明をすればいいのですが、馬鹿チョン扱いの発言が目立ちます。


お花畑じゃないようですからね(笑)
時空ファンは好きっス。
憎悪がないし笑いのセンスがある。
読んだ後にイヤ〜なジメット感がない。
真剣なのに軽快っス(笑)
ほら、其々感想って違いますね。
それでいいと思いませんか。


転載 (2813)
日時:2021年03月24日 (水) 23時27分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年06月29日 (土) 18時26分
名前:転載ちゃん

そして洞察の㈣番目

物理的に谷口雅春先生の傍にいなかった私には、
昇天される2年半前の御講話が、全信徒に向けての最終の御言葉となっている。柿の実や新緑に例えられ、生命の循環の御講話を選ばれています。
誰しも地上からの卒業を予感した時、最後に贈る言葉は、
個人であっても、組織の師であっても、その方が最も伝えたい事ではないだろうか。

私はマルキシズムをどう考えるか申しておきたいと思います 谷口雅春  (2814)
日時:2021年03月24日 (水) 23時29分
名前:長崎の晩霞(風鈴)



【私はマルキシズムの全学説を排斥するものではありません。勿論間違っている点もありますが】、【私は諸君に二千六百年かかって吾々の父祖が築いて来た日本の精神的伝承】を軽々しく捨てることなく祖国に属する「日本民族としての具体的人間」を把握して頂きたいのであります。マルキシズムはイズムであります。イズムというものは一つの主義であり一つの信仰であり、一つの学説であり、思想であります。

【生長の家は万教帰一でありますからそのイズムの真髄を持ってくると、矢張りそれは一つの真理に帰一するのであります。ですから、別にそれ(マルキシズム)を排斥しないでも宜しい。】人類救済の熱願の前には自分個人の生命の安全をも顧みない底の不惜身命ぶりや、その運動形態には大いに学ぶべきところがあり、【社会改造の理想などは大いに宜しいのであります。】 

         略  

生長の家で説くところの心の法則によって得られる【現実の利益というものは資本主義組織に於いても、社会主義組織に於いても、どんな組織の中に於いてでも、その人の心の相の反映として現れて来るものでありますから、】 略    谷口雅春

*************************************************************************
【    】は風鈴

訊け講演会場では「サヨク」「アカ」「右翼」などの言葉が飛び交っています。
日本人同族の中でさえ対立観念に縛られて、どうして中共、露西亜と『大和』の実現ができるのでしょうか?「大和」理念継承が「保守」というものでしょうに。

転載 (2815)
日時:2021年03月24日 (水) 23時30分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年07月02日 (火) 22時05分
名前:時空ファン

【現実の利益というものは資本主義組織に於いても、社会主義組織に於いても、どんな組織の中に於いてでも、その人の心の相の反映として現れて来るものでありますから、】 


その利益をどう循環するかに国の在り方、中枢における個人の在り方、意識の質が問われますね。
上が潤い下々が飢える。よくある事っス。
国民がもう嫌だ!と弾けたとき、その集合意識によって酷い政治を転換させる事は可能ですが、独裁政治に陥っている国では、声を挙げる前に潰されますから、法則が現実に適応される道のりは遠いっス。

>訊け講演会場では「サヨク」「アカ」「右翼」などの言葉が飛び交っています。


○○党を支持するのは神への反逆だとかの掲示板あたりの方
でしょうか、笑えないっスw

転載 (2816)
日時:2021年03月24日 (水) 23時31分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年07月02日 (火) 22時38分
名前:時空ファン

しかしああいう受け答えがあるからこそ、自分の内が整理され、解かることも明晰になるという事もあるわけで、全て無駄なものは一つも
ないという清超先生の言葉も浮かぶんっスよねえ。
右にも左にも素晴らしい人がいたと鈴木邦男さんが言ったらしいっスが、どちらがそっちというわけじゃなく、それを越えて「訊け」さんや、アクエリアンさん、トキさん、そして風鈴さん、その他多くの
人達に(名前を揚げるときりがないのでここらで)有難いと。

転載 (2817)
日時:2021年03月24日 (水) 23時34分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

日時:2019年08月18日 (日) 23時59分
名前:転載ちゃん

洞察㈤番目


ガチガチの自称「愛国心」は逆に国難を誘うという現象を見た哉。


自国の歴史を超えて国を愛し国家をうたう人 (16470)
日時:2019年08月19日 (月) 14時13分
名前:転載ちゃん


https://youtu.be/gjN0Zu4aj4Y


(16471)
日時:2019年08月19日 (月) 14時19分
名前:転載ちゃん

https://youtu.be/iBcVrJJR8CI


主観的前期結論 (16496)
日時:2019年08月20日 (火) 20時08分
名前:転載ちゃん

解釈の違いにより分離した細胞群をまたひとつに再生するには、音楽しかもう無いのではないだろうか。
教団ときみつる會学ぶ会合同の聖歌隊を創る。
聖歌に疑義を唱える輩は皆無だと確信する故の結論に達したものです。というか、音楽ならひとつになれる。
具体的に脳内で構想中です(愉しい)


ご参考 (16572)
日時:2019年08月23日 (金) 23時18分
名前:『風』

諸人こぞりて むかえまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

悪魔の獄舎を打ち砕きて
捕虜をはなつと 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

この世の闇路を照らしたもう
たえなる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主とぞ ほめたたえよ
ほめたたえよ ほめ ほめたたえよ



https://www.youtube.com/watch?v=qCsSl8W1JD8


ご参考 (16575)
日時:2019年08月24日 (土) 00時48分
名前:666

https://www.youtube.com/watch?v=fs-xIaIrG_4


世の衣を剥ぎ取られた後はGolgothaの丘を素足で昇らなければならない。


(16578)
日時:2019年08月24日 (土) 05時33分
名前:転載ちゃん



https://youtu.be/ctjG4MjJwEA

転載 (2818)
日時:2021年03月24日 (水) 23時37分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

(16611)
日時:2019年08月24日 (土) 17時52分
名前:転載ちゃん



日時:2019年08月24日 (土) 15時03分
名前:宮本武蔵

014年08月20日

御存知の方も多いと思いますが、大変興味深い公案が無門関にあります。無門関第三則「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という公案であります。
倶胝(ぐてい)和尚(おしょう)は禅問答で何か聞かれると、決まって指を一本立ててその答えとしていた。それを見ていた小僧が、形だけ真似て指を一本立てた。それを知った倶胝和尚は小僧の指を切り落とした。
泣きながら走り去ろうとする小僧に対して、倶胝和尚は「小僧、待て!」と呼び止め、指を一本立てて見せた。その瞬間、小僧は悟ったのです。

形の世界を超えた「実相」に根差(ねざ)さない、形だけの真似は必ず崩壊するのです。そして、頼るべき「物質の指」が切り落とされた時、却って目には見えぬ「本物の指」を立て得るのです。此の度の生長の家の崩壊劇は、この「倶胝竪指」の公案にも比すべきものであるとも言えましょう。

「虚説と妄言の鎧をまとった現総裁」「過去の組織運動の象徴、本部会館の消滅」「出版されなくなった無数の聖典」。もはや頼るべき「物質の指」は、倶胝和尚によって一刀両断「スパッ」と切り落とされてしまいました。

泣き叫びながら狼狽(うろた)える21世紀の生長の家の小僧に向かって、倶胝和尚は「小僧、待て!」と呼び止め、指を一本立てているのです。「倶胝竪指」の公案に登場した小僧は、切り落とされてなくなった「物質の指」の奥に立つところの「実相の指」を瞬間悟ったと言います。


「倶胝竪指」、この公案の倶胝和尚はどうも架空の人物であるらしいです。それはともかくとして、倶胝和尚は、本来無いところの「現象」を切る働きをしているのであります。それは、谷口雅春先生が「現象無し」の一喝を、人類に食らわしたのと全く同じ働きなのであります。

それまで人類は、又大半の宗教者、哲学者は、神の存在を認めながらも、「本来無い現象」に引っ掛かって、苦しみ続けていたのでありました。

そこに尊師が現れ、人類に向かって「現象は無い」と一喝したのであります。これによって、人類は真に目覚め始めようとしているのであります。この「現象無し」の一喝こそ、生長の家の真髄とも言えるものです。

「現象否定」を通らねば、「実相」には到達し得ない事を、人類はやっと学び始めようとしているのであります。

しかし、「現象無し」は「肉体無し」「物質無し」でありますから、「現象の物質、財産、地位、名誉、欲、肉体等に囚われていたい人々」にとっては、これは大変な一大事という訳なのです。従いまして、そのような「物質に囚われている人」は、必死になって生長の家を攻撃せねば、自分達の生存が危ぶまれると、考えてしまうのでしょう。

二千年前、「我国はこの世の国に非ず」と言ったイエスが、唯物主義のユダヤ人達によって迫害されたのも同じことであります。当時のユダヤの民衆は、イエスを十字架にかけて殺害したのであります。それほど、物質に囚われている人間にとって、「純粋な真理」は「恐怖」の的となるのであります。


それは何故かと申しますと、「自分は物質(肉体)的存在だ」と信じている人が、「我国はこの世の国に非ず」「物質は無い」「肉体は無い」等と言う「純粋真理」に出会いますと、「物質(肉体)的存在である自身の存在自体が脅(おびや)かされる」と勘違いするからであります。

従って、「唯物論に縛られている人」であればある程、物質(肉体)に対する執着が強いので、その傾向が益々強くなるということになるのであります。

しかし、「現象は元々無い」のですから、いつか「現象有り」という妄想は、自壊せざるを得ないことに定められているのでありまして、何も心配はいらないのです。

事実、時々刻々、現象は消え去り走馬灯の如く移り去っているのであります。東洋思想の仏教等における「色即是空(しきそくぜくう)」「空即是色(くうそくぜしき)」の思想にある通りであります。このことを、人類は直感的に、何となく既に知っているのです。時節が到来すれば、このことは当たり前の概念になることでしょう。

ですから、心配することなく、「無いものは無い」「本当にあるものをある」として、突き進む以外にないのであります。

この現象世界は、一方で観世音菩薩の慈悲の説法でありますから、この観世音菩薩のお働きによって、「一番いい方向に向かっている」ということを、肝に据える必要があるのです。その働きは自由自在の神の叡智と愛なのでありますから、どのようにでも「無限相」の姿で展開しております。その一つの働きが倶胝和尚の「現象を切り捨てる」働きであるのです。

小僧が「現象の指」を「本物の指」だと勘違いして、いい気になっていたのでありますが、これでは小僧の魂の成長に役立たぬと判断されたのでありましょう。倶胝和尚という峻厳なる観世音菩薩の姿をもって、小僧の現象の指を切り落としたのであります。

その時の小僧は偉かった。痛さと恐怖に怯(おび)えながらも、和尚の声をちゃんと聞いたではありませんか。和尚の気迫が勝ったとも解せますが、両者の阿吽(あうん)の呼吸の産物でありましょう。両者ともに偉かったのです。和尚が立てた「指」をじっと見たその瞬間、小僧は実は「現象の斬られてなくなった指」から心を解放させてしまっているのであります。


もし、切られたその痛さと恐怖心に心が囚われているのであれば、小僧の悟りは成就しなかった筈であります。如何なる「痛さ」「恐怖心」が現れましょうとも、その瞬間、如何に自己を「肉体人間」「現象世界」から解放し、「実相世界」「生命の世界」に振り向ける事が出来るのか、それが最も肝心であるということが、この公案を通して学ぶことができるのであります。


この世界の出来事は、一事が万事、この「倶胝竪指」の公案の連続のようなものであると言っても過言ではないのです。「現象有りとして、現象に囚われることによって、現象が瓦解する」そして「現象の空しさを知り、心が現象から解放されて、実相に振り向く」。又「現象有りとして、現象に囚われることによって、現象が瓦解する」そして「現象の空しさを知り、心が現象から解放されて、実相に振り向く」。
この繰返しで、現象世界に地上天国が建設されていくのであります。


「現象有りとして、現象に囚われることによって、現象が瓦解する」これを一般的に「問題、疑問、事件、悩み、苦しみ」等と言います。

そして「現象の空しさを知り、心が現象から解放されて、実相に振り向く」このことを一般的に、「解放、解決、悟り、解脱、自由、喜び、平安、感謝、和解」等と言います。地上天国を構築するためには、その両方の過程を通る必要があるのです。



ただし、ちょっとした気付きで実相に振り向ける人は、それだけ苦しみを味わうことはないのでありまして、「苦しみ」などというものは、絶対的に必要という部類のものではないのです。元来、「実相の神の子」の世界には、「苦しみ」は存在しないのであります。「苦しんでいる」と思っているのは、現象人間の「迷い」が勝手に苦しんでいるだけでありまして、そんなものは本来存在していないのであります。


「迷いの自壊作用」これ自体が「苦しみ、悩み、問題、事件・・・」と感じているに過ぎないのであります。実相は「苦しみ様がない」のであります。


因みに、現象世界、物質世界に対する執着が強い程度に従って、その執着力(牽引力)を脱するパワーが必要となりますので、より大きな「衝撃力」が必然的に発生せざるを得ないことになります。その「衝撃力」が、肉体人間にとっては「苦痛」「悲しみ」「恐怖心」「物質的崩壊」の大きさとなって、感じられるのであります。




 つまり、「苦痛」「悲しみ」「恐怖心」「物質的崩壊」の大きさは、一時的に「肉体人間」にとっては、絶えきれないと感じる程の苦しみを与えるかもしれませんが、それは「肉体人間の迷い」が感じているだけであって、「実相の神の子」にとっては、一度たりとも「苦痛」は感じようがないのであります。



生長の家で今、総裁に頼れない、本部に頼れない、組織に頼れない等々の現象が現れていることは、一見不幸なことのようですが、以上のような考えに立つ時、魂の向上という霊的視野から観察すると、不幸でもなんでもないということが分かるのであります。

「不幸」とは、魂的には逆に祝福されるべきことでもある、と言うことができるのであります。


天地一切の出来事に対して、如何なる状況に自分が置かれましょうとも、「良くなるより仕方が無い」「必ずこれによって良くなる」と断言でき得る「信仰」を獲得することが、本来の生長の家の生き方であり、これが「光明思想」なのであります。


この宇宙の大原則は何かと申しますと、当ブログでも再三申しておりますように、「自分の思った通りになる」ということであります。この大原則は、何人も揺るがすことは出来ないのであります。如何なる「暗黒状態」にありましょうとも、「必ず良くなるしかないのだ」と心の底から信じている人間にとって、「暗黒はすぐさま消える」のであります。その人が信じた通りに、その人の周囲には「良くなる」状況しか反映せざるを得ないのであります。


神の子の為すべきは、例え「暗黒」が現れようとも、その瞬間、現象の「暗黒」から心を転じて、「実相」の完全円満な世界を直視する生き方であります。これが出来得るのは、やはり「唯心実相哲学」の真理を学んだ者でなければ、なかなか難しいと言わざるを得ないのであります。

「現象無し」「物質無し」「実相独在」を会得した者でなければ、現象的困難に立ち向かった時に、現象の悪に囚われずに、一瞬心を転じて、実相の光輝く世界を注視する、などという芸当はなかなか出来にくいのであります。


ここに「生命の実相哲学」を学んだ者の素晴らしさがあるのです。そして尚且つ、人類的、国家的、社会的使命があるのであります。現象の悪や暗黒に対する「現象処理」については、それがお上手な方やお得意とする方にお任せすべきと思います。その方々も、神様からの大事な使命を授かっておられるに違いありません。

餅は餅屋に任せておけばいいのであって、私たちは、現象の奥に実在する「実相」を観て、神様の創造されている姿を拝み出す使命に邁進したいものであります。






非常時であればある程、そういう人が随所におられれば、動揺する周囲の人々の中にあって、極めて大きな「希望の星」となり得るのであります。そういう危急の時であればこそ、右往左往して現象に執着する人々があれば、「小僧、待て!」と一喝し、「進むべき道」を指し示すべきであります。

現象の支えを無くして;、「道」を求める人々の心に対して、「現象無し」「物質無し」の一喝と共に、実在するのは「汝の内にある実相である」と、「観るべき道」「進むべき道」を指し示す絶好のチャンスの到来と言えるのであります。



現在、生長の家組織に於いては、刻々形ある頼るべき存在が崩壊しております。今後どのように展開するのか、小生にも知る術はありません。が、もしかすると、さらに頼るべきもの、信頼していた存在が、崩れ去って行くようなことも十分考えられるのであります。如何なる状況が吾らに訪れましょうとも、吾らは何も恐れる事も、心配も要らないのであります。



如何なる状況が現象に現れましょうとも、全てはなるべくしてなっているのであり、起こるべくして起こっているのでありまして、全ての人々にとって、一番良くなる様にしかなっていない、という「神の御心」を忘れてはならないのであります。全ての現象の出来事は、畢竟、吾々の中に存在する「神の無限力」を引き出さんが為の、愛の働きであるのです。

それ以外の事はこの世の中に存在しようがない、ということなのです。全ては「神」以外の何物でもなかったことを、全ての人々は何時か体感体得するよう定められているのであります。この世界は実に素晴らしい世界なのであります。



生長の家教団の現象の形が、今倶胝和尚の峻厳なる力によって、斬り落とされようとしているのです。この現象の事件をどうみるかということが、一人一人に与えられた「公案」であって、その答えは一つではない筈であります。その人の信ずる信念に基づいて、様々な対応の仕方があって当然であり、様々な考え方と行動があって良いと思うのであります。

攻撃するも良し、反省するも良し、改めて勉強するも良し、戦うもよし、破壊するも良し、感謝するも良し、和解するも良し、逆に賛同するも無限の選択の一つで良いではありませんか。



その人がそう選択するのは、その人自身の選択の自由なのであります。その人の選択の背景には、その人にしか分からない言うに言われぬ理由があるものです。基本とすべきは唯、「自分自身が如何なる道を選択するか」だけの問題であると思うのであります。

この事だけは、神から「選択の自由」が自分自身に与えられているのでありますから、自分自身の責任において決断せねばならないのです。他人の選択については、神から「選択の自由」がその人に与えられていますので、その人の自由選択による決断に任せるしか、方法がないのであります。

個我の浅はかな考えでは、神様の計画、高級霊界の計画など、分かりっこないのでありますから、その神様、高級霊界の指導を仰ぐべく、「無我」に一歩でも近づく以外に方法はありません。その上で、小生自身と致しましては、自分なりの「気付き」を、このような個人ブログを使って提供するということが、現段階での小生の選択なのであります。


その中には間違いも多々あるでしょうが、それはお許し頂きたいのです。様々な方々が、この問題で色々な考えを示され、実際行動を起されています。それが素晴らしいと思うのです。一人一人の考え行動は、一見思想と形体は違っているように見えますが、このような無数の方々の熱心且つ真剣な行動を通し、それらの輪が大きくなれば、必ず偉大な力になるのではないでしょうか。


倶胝和尚の「現象の指を切る」働きは、小僧に対して「実相の指」を悟らせる切っ掛けを与えました。生長の家の今回の問題も、畢竟は「実相顕現」のために有効に働くものと信じています。そして、より多くの「神の子」たちが「実相」を観ることによってのみ、その心の映しである「美しい実相世界」の映像が、「現象世界のスクリーン」に展開されることになるでありましょう。

――――――――――――――

一部割愛しての転載お許し下さい。
ブログ主はどなたかご存知の方、ご一報頂ければ幸甚です。

転載 (2819)
日時:2021年03月24日 (水) 23時38分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

「あまむし庵」からの転載です (16613)
日時:2019年08月24日 (土) 19時22分
名前:アクエリアン

2014年08月20日

18/倶胝竪指(ぐていじゅし)/一切の経験は「実相を顕現する」ためにある
https://56937977.at.webry.info/201408/article_4.html


(16614)
日時:2019年08月24日 (土) 19時39分
名前:転載ちゃん


アクエリアンさん、ご一報有難う御座います!感謝です。
「あまむし庵」さん、実名は公表されてないのですね。

転載 (2820)
日時:2021年03月24日 (水) 23時42分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

(18476)
日時:2019年09月18日 (水) 20時27分
名前:時空ファン

谷口雅春先生は戦時中、「皇軍必勝」という短冊をたくさんお書きになった。それは「真に日本全国民が、神皇と神国との実相を知って戦うとき必ず勝つということを私は信ずるものである」(『生長の家』昭和19年7月号)というお心からであった。

しかし、昭和20年1月、先生は、

 ≪「今日は本当のことを言うが、僕は今の日本の戦は、陛下の御意志でないと思う。(略)一視同仁の神のみ心から御覧になったら、アメリカ兵といえども神の子である。その神の子であるアメリカ兵を出来るだけたくさん殺す方が好(よ)いというような、そういう戦争は神の御心(みこころ)ではない。したがって無論、陛下の大御心ではない。したがってそういう戦争をする日本軍は皇軍ではない。(略)僕は『皇軍必勝』と皇軍の勝つことを祈り書いているが、その皇軍は今の日本の軍隊のほかに別にあるような気がする……」(略)「日本軍、日本軍というもの悉くは皇軍にあらず、ただ天にまします吾が父の御意(みこころ)を行う者のみ、皇軍すなわち神の軍だと思う」≫(『生長の家』昭和21年2月号)


――――

岡先生、万感込めて有難うございます。


(18629)
日時:2019年09月22日 (日) 02時15分
名前:転載ちゃん

編集に携わっていた岡正章先生だからこそ、記憶のページからこの谷口雅春先生の御言葉を後進に再び届けてくれることができたと思う。
戦争前後には本当に思うことを言えない状態だった。
普通にそう思いませんか。


《昭和十六年に入ると、国際社会は緊迫の度を増し、ついに十二月八日、日本は米、英との戦争状態に入り大東亜戦争に突入した。… (18631)
日時:2019年09月22日 (日) 05時25分
名前:Yasuhiro Okudaira

…更に講演活動にも種々の制約が課せられた。講習会の際にも絶えず警官が傍聴し、先生は「思想警察から揚げ足をとられないように注意を払いながら」講演されたのである。…『生長の火をかざして 永遠の谷口雅春先生』(財団法人世界聖典普及協会 昭和六十年十一月二十二日 発行) 48頁》


(22432)
日時:2020年01月18日 (土) 05時08分
名前:時空ファン

良い意味で『生長の家』ってなんだったんすかね。


今日この頃。 (22440)
日時:2020年01月18日 (土) 18時22分
名前:転載ちゃん

風鈴様へ

しばし来訪頂いておりませんがご無事でお暮しでしょうか。
また私共のナニカを引き出して下さる事を願っております。

転載ちゃんさんもお元気に (2821)
日時:2021年03月24日 (水) 23時45分
名前:長崎の晩霞(風鈴)



風鈴様へ

しばし来訪頂いておりませんがご無事でお暮しでしょうか。
また私共のナニカを引き出して下さる事を願っております。

日時:2019年09月22日 (日) 02時15分
名前:転載ちゃん

<戦争前後には本当に思うことを言えない状態だった。
普通にそう思いませんか。>

雅春先生でも「不自由」であったと云うことですか?自由になる教えを説く教え親にして不自由では、シャレにならないのではと思う次第です。

「あまむし庵」さんの投稿に興味を持たれた様でしたので、生長の家風の真理を哲学的に理解する、と云う事であればブログにて研鑽されますよう願います。

「実相現象渾然一体」と唱える神想観の世界は未来での実現への希望なのでしょうか?それとも、今現にそうなっているというものでしょうか?
「不思善悪」の公案と同じに見えますが。

安否お気遣いありがとうございます。普通に元気にしています。
今は盤珪さんの説かれた事の研鑽に邁進中です。
でありますので転載ちゃんさんに物申すなど憚り多いことですので、上にほんの少し書かせてもらいました。

転載 (2822)
日時:2021年03月24日 (水) 23時47分
名前:長崎の晩霞(風鈴)

風鈴様、おたより有難う存知ます❢ (22449)
日時:2020年01月19日 (日) 08時39分
名前:転載ちゃん

>雅春先生でも「不自由」であったと云うことですか?自由になる教えを説く教え親にして不自由では、シャレにならないのではと思う次第です。



シャレにならないのは「治安維持法」だったと思います。
人間としての命を守られたのが、雅春先生のそのトキの『自由』だったのではないでしょうか、御蔭で多くの人がその後の生長の家に出合いました。



>「実相現象渾然一体」と唱える神想観の世界は未来での実現への希望なのでしょうか?それとも、今現にそうなっているというものでしょうか?


今現にそうなっているものだと思います。

あまむし庵様の上記に揚げさせて頂いたご見解は大共感したものです。一方あまむし庵様とは現象の個々の見方はかなり異なります。


>今は盤珪さんの説かれた事の研鑽に邁進中です。


検索して少しみてみました。
一回じっくりみる機会を作ろうと思います転載ちゃんの意思で。

今年は各分野で激動の年になろうかと予測しています。
ではまたです、感謝。






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