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- 日時:2021年03月24日 (水) 17時09分
名前:長崎の晩霞(諍いの外)
榎本一子さんの実話、本当に素晴らしいですね。 (34673) 日時:2020年10月11日 (日) 09時43分 名前:志恩
榎本一子さんは、 亡き藤原敏之本部講師のご長女で、 亡き榎本恵吾本部講師の奥様でいらっしゃいますが、
現在は、 一子さんは 宇治の練成部の本部講師補として、 オンライン講話もされておられます。 お話も とても上手でいらっしゃいます。
83歳だそうですが、若々しくて、可愛い雰囲気の先生で 私は、前から、榎本一子さんのフアンの一人ですので、 オンラインで自宅にいながらご講話が拝聴できて、幸せに 思っています。
皆様も宇治別格本山の練成部で、検索されますと ダイジェスト版でしたら
どなたでも無料で視聴できますから、 是非一度、視聴されますことを お勧めします。
一子さんは、教団とか学ぶ会とかの組織を超越された ホンモノの生長の家の お話をされていらっしゃると思います。
「彼らの負っている重い荷物を分けてもらうんですよ」。「朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松@修(まさなお)物語」 (34682) 日時:2020年10月11日 (日) 14時11分 名前:諍いの外
重松は日本の朝鮮統治35年のうち、31年を当地で暮らしている。おまけに、有名な3・1独立運動で暴徒に拳銃で右足を撃たれて死にかけ、一生を不具の身となった体験を持っている。つまり朝鮮人の憎悪のこもった銃弾を受け止めた身で、貧しく報われない朝鮮農民の中に入っていき、その暮らしを豊かにし、感謝されて頌徳碑を建てられたのである。
いわば彼は朝鮮人の憎悪を大いなる愛へと昇華させた奇跡の人物なのである。朝鮮統治も昭和の時代になると「内鮮融和」から「内鮮一体」というスローガンが謳われるが、ある意味で、重松という人物はその象徴的存在だったのだろう。
彼は貧しい小作農民を医師にもしている。彼の持つ潜在力を引き出したのである。そういったことから彼は朝鮮中で名を知られていく。遂には戦時中には朝鮮人の戦争への協力を促すために朝鮮聯盟の実践部長になる。その経歴が戦後は問題とされて牢獄に入れられてしまう。しかし彼を逃がそうとする検事がいた。重松のおかげで早稲田大学に進めた人物である。彼は重松をひそかに日本に逃がすのである。」
http://www.yamamotomasaki.com/archives/1369より ________________________________________________________
「彼らの負っている重い荷物を分けてもらうんですよ」
この心で居れば諍いの外に居られる 信仰する故に諍うなどとはお笑いにもならない
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