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- 日時:2021年03月24日 (水) 17時52分
名前:長崎の晩霞(信念の違い)
冗談はやめてください。 (34289) 日時:2020年09月30日 (水) 22時54分 名前:トキ
生長の家では、他の宗教への批判は禁止されているので、個人的な感想として述べます。おそらく、創価学会の関係者と思いますから、そのつもりで書きます。
私の友人に創価学会の元の大幹部がいます。この人から聞いた創価学会の内幕は悲惨なもので、創価学会の信徒さんの間では不幸になる人が続出していると言います。創価学会に喧嘩を売るつもりはないのでこれ以上は言及しませんが、手元にある創価学会関係の書籍を少し読んだだけでも、問題点が多数列挙されており、創価学会が他人にいうほと完全無欠なわけではないと感じております。
ちなみに、友人は仲間を募って「創価学会の会員を脱会させる運動」を展開しており、毎月、大量の退会者をだす成果をあげているといいます。
池田大作氏の入信については、当時の事情を知る人の回顧録もありますが、ここでは触れません。が、池田氏が33歳で創価学会の会長になったことは、創価学会内部の話で、生長の家のスレッドで書くことの意味はありません。
それはともかく、過去、池田大作氏の女性スキャンダルや月刊ペン事件などが次々と報道されましたが、それに乗じて創価学会批判を展開した宗教団体は私は知らないです。それはそうで、本当の宗教家は、そのような火事場泥棒のような真似をするべきではないと知っているからです。私個人も、近所の人から「創価学会ではノルマがあり、会員は目標を決められて聖教新聞の購読者を作らないといけないのです。新聞代は私が払うから、頼むから名前を貸してくれ」と泣きつかれ、気の毒なので名前だけ貸してあげて聖教新聞を読んでいた時期もありました。残念ですが、私はその内容に感心しませんでした。私はやはり生長の家で良かったと改めて感じたこともあります。
創価学会は大石寺と絶縁し、独自の路線を取っています。それ自体については、部外者がとやかくいうべきことではありません。が、最近は他の宗教団体に対して、融和的になってきたと聞いていたので、今回の投稿は残念に思っています。
私は、創価学会の教義について、とやかくいうつもりはありません。他人様の信仰について敬意を払うべきだと思っているので、批判がましい言動は、創価学会の人の前ではしません。ただ、生長の家のスレッドにまできて、低級な自慢を羅列するのは許すつもりはないので、今後はこのような真似はしないように。
適時、スレッドは削除します。
雑感 (34294) 日時:2020年10月01日 (木) 09時34分 名前:トキ
創価学会婦人部という本を読みました。
この本には、創価学会婦人部の活動の様子が描かれています。驚いたのは、その活動に要求される時間や労力が異常なほど多いことです。個人の全てを学会に捧げることが要求されています。経済的にもその負担は半端なものではないみたいです。このような異常な活動を展開していたら、確かに一時的には組織は拡大するでしょう。
しかし、長年、活動に従事した人たちに感想を尋ねると、少なくない人が後悔しているみたいです。もっと家族のために時間を作ってあげれば良かったともいいます。「信念の違い」様が自慢している「折伏大行進」は、少なくない人を不幸にしているみたいです。
今回は創価学会を例にあげましたが、ここまで極端なことは言いませんが、組織を絶対視し、指導者への絶対服従を要求する教学は極めて危険です。残念ながら、この数年の生長の家もそうなっていますが、そのような指導に盲従しても、幸福にならないみたいです。
断っておきますが、私は創価学会の存在そのものを否定するつもりはありません。本来なら批判も控えるべきだと思っています。しかし、他の宗教のスレッドに入ってきて、訳のわからない自慢を羅列するのも失礼だと思っています。
生長の家の我々も、このような組織を絶対視したり、指導者の間違った言動に盲従する姿勢は改めるべきで、その意味で、上の投稿は他山の石と捉えるべきだと思っています。
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