人間は神を感覚できないの??? 「人間そのものが神である」っていうのが、本来の生長の家の教えですよね? (2766) |
- 日時:2021年03月24日 (水) 20時00分
名前:長崎の晩霞(本来の生長の家の教え)
108: a hope :2016/06/16(木) 09:10:18 ID:vdNCBnG6
「神がいるなら見せてくれ」という人がいる。が、人の目には小さいものしか見えない。 人の頭で考えられることは有限であり、相対的である。無限絶対の神は、だから感覚できないのである。」
雅宣先生のFBより
109: a hope :2016/06/16(木) 09:12:28 ID:xVBwxesw (>>108 a hope所感)
え〜っ(@_@;) 人間は神を感覚できないの??? 「人間そのものが神である」っていうのが、本来の生長の家の教えですよね?
雅宣先生は、いつも神を人間から遠く離れた、手の届かないもののように表現されます。
だったら、わたしたちはなんのために「実相礼拝」や「神想観」をするのでしょう・・・ 他の人や自分の中の神を感ずる(観ずる)ためにするんじゃないのですか?
それだけじゃない、小さな花の中にも、小さな虫の中にも、枯葉の落ちるのを見たって、神を感ずることはできると思います。
雅宣先生、これは絶対おかしいですよ!!!
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目そのものが目の存在を感じられますか?
耳そのものが耳の存在を感じられますか?
鼻そのものが鼻の存在を感じられますか?
舌そのものが舌の存在を感じられますか?
皮膚そのものが皮膚の存在を感じられますか?
意識そのものが意識の存在を感じられますか?
六感に映ずるものはすべて、外境(対境)を縁として、六根に働いている物上(敢えて言えば自分)に起こったものです。 ものを食べて舌が味を感ずる、ものをいくら眺めても味はわかりません。舌そのものは美味い不味いとは言いません。一瞬後に自分の思考により美味い不味いの感情が出てきます。
自他一体といいますが、本当に自他一体になっている時は、自他の区別はありません。 「あの人が」と言っている時は自他分離です。
「神と一体になった」時に「感ぜられる神」と「感ずる自分」との分離はありません。
『だったら、わたしたちはなんのために「実相礼拝」や「神想観」をするのでしょう・・・ 他の人や自分の中の神を感ずる(観ずる)ためにするんじゃないのですか?』
よってこれは間違いです。
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