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| 下記ブログより引用させていただきます。 http://blog.livedoor.jp/k60422/archives/51364496.html 「風と共に去りぬ」は古い言葉遣いだからこそ品があるのであって、「風と共に去ってしまった」ではどこか響きが間抜けである。 「ツァラトゥストラはかく語りき」は「ツァラトゥストラはこう言った」では題なのかどうかすらわからない(もっとも、岩波文庫版は「ツァラトゥストラはこう言った」である)。 文語体は大体語数が短くなることが多い。凝縮して意味を伝えられるからこそ、文語は素晴らしいのである。 |
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| [32]2011年02月25日 (金) 14時36分 | ||
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| 「風と共に去りぬ」の翻訳者 『大久保 康雄(おおくぼ やすお、1905年5月1日 - 1987年1月12日)は、日本の翻訳家。 日本における専門翻訳家の草分けである。 茨城県生まれ。本名・保雄。慶應義塾大学英文科中退。 大宅壮一のジャーナリスト集団に属して翻訳を修業、1937年にはヒトラーの『わが闘争』を訳したが、日本の悪口を書いてある部分は削除している。38年、『風と共に去りぬ』の完訳を、友人・竹内道之助の三笠書房から刊行、また41年頃には、竹内、宮西豊逸、小出節子らと霜月会を結成して同人雑誌に小説を書いていた。』 以上の情報は、下記サイトより貼り付けました。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1332947493 |
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| [34]2011年03月02日 (水) 17時37分 | ||
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| トリノ・オリンピック金メダリスト荒川静香のイナバウアーにて一躍有名になりしプッチーニの歌劇「トゥーランドット」のカラフの詠唱のタイトルは、「誰も寝てはならぬ」。 いと格調高き表現にて御座候。 |
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| [40]2011年03月09日 (水) 11時24分 |
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「明治の外交力 陸奥宗光の蹇々録(けんけんろく)に学ぶ」なる本、書店にて発見したれば購入したり。2011年2月25日、第一刷、海竜社発行。著者は岡崎久彦元駐タイ大使。 陸奥宗光(1844−1897)は、和歌山出身。 農商務大臣(1890−1892)、外務大臣(1892−1896)を歴任。 「才学双全の人」(才能を生まれもっていて、なおかつ勉強を怠らなかった人)との評価あり。 ヨーロッパで陸奥の師事したウィーン大学シュタイン教授は「貴兄からご送付の講義録がかくも完全なのを拝見するにつけ感に堪えません」と陸奥の勉強ぶりに驚嘆の声を発したり。 蹇々(けんけん)は易経に由来する言葉にて、「足萎え」を意味し、足が萎えて前に進めない状況を指す。 日清戦争の陸奥によるメモワール(蹇々録)は、今日に於いても学ぶべき点多々あり。 改めて明治の知的巨人に思いを致す次第なり。 |
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| [31]2011年02月20日 (日) 11時42分 |
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| 拙=「拙」は私の謙遜語で、これ一字でも私の意で使はれます。 その他に接頭語として次のやうな單語があります。 拙者、拙生、拙老、拙下、下拙(げせつ) 拙宅、拙著、拙文、拙作、拙稿、拙歌、拙句、拙吟、拙詠 愚=拙とほとんど同樣。「愚の手柄にしたく」 愚生、愚老、愚身、愚輩、 愚息、愚妻、愚婦、愚夫、愚兄、愚弟、愚姉、愚妹 愚論、愚説、愚案、愚察、愚意、愚計、愚考、愚見、愚作、愚書、愚詠 手前・小生、不肖 |
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| [27]2011年02月13日 (日) 22時01分 | ||
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| 弊社、弊職なども類似の表現かと存じ候。 | ||
| [28]2011年02月14日 (月) 12時29分 | ||
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| 自分のことを「余 予」と言うのはやや尊大の響きありと思います。明治には「余輩」との語も使用されていますが、こちらの方には尊大の感が無いに私には思われますが、如何でしょうか? | ||
| [29]2011年02月15日 (火) 10時10分 | ||
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| ところで、予と余の違いについては、以前から気になっていたところです。 ネットで調べると下記の如き書き込みもありましたが。詳しい方、ご教示いただければ有り難し。 『おそらく、 谷崎潤一郎、芥川龍之介、石川啄木に親しんだ人は「予」、 夏目漱石、森鴎外、坂口安吾であれば「余」、 を使っているのではないでしょうか。』 |
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| [30]2011年02月15日 (火) 11時39分 | ||
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| Wikipediaの「一人称」を眺めていたら、中国語の一人称にも色々あるようです。 「俺」が山東方言というのは新たな発見でした。 "我"(普通話と広東語) "俺"(山東方言) "阿拉"(上海語) "阮"(福建語) "本人"(フォーマル) "吾"(文言) "小生/小女子"(古風) "奴家"(古風女性専用) "在下"(古風) "老子/老娘""本少爺/本小姐"(傲慢) "朕"(皇帝) "寡人"(皇帝) "孤/臣" (君臣関係) "本宮"(女性皇室) "我們/我哋"(普通話/広東語 排他的複数) "咱們"(包括的複数) |
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| [33]2011年02月28日 (月) 14時06分 |
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| 例えば、聖書を読んだことがない人でも知っている次の箇所(マタイ7:7-12) (新共同訳) 求めなさい。そうすれば、与えられる。 探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。 まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。 これこそ律法と預言者である。 (文語訳) 求めよ、さらば與(あた)へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。 すべて求むる者は得、たづぬる者は見いだし、門をたたく者は開かるるなり。 汝等(なんじら)のうち、誰かその子パンを求めんに石を與へ、 魚を求めんに蛇を與へんや。 さらば、汝ら惡しき者ながら、善き賜物をその子らに與ふるを知る。 まして天にいます汝らの父は、求むる者に善き物を賜はざらんや。 さらば凡て人に爲(せ)られんと思ふことは、人にも亦(また)その如くせよ。 これは律法なり、預言者なり。 以上、以下のサイトより引用させていただきました。 http://gonbeetanuki.blog22.fc2.com/blog-entry-328.html |
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| [25]2011年02月10日 (木) 13時04分 | ||
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| 本ホームページの参考図書の箇所に日本聖書協会刊行の文語訳聖書の写真之有り。 なほ、ネットにても文語訳聖書を読むこと可能なり。 下記ページよりアクセスされたし。 http://bible.salterrae.net/ |
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| [26]2011年02月11日 (金) 00時22分 |
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| http://homepage.mac.com/catincat/javascript/kogo.html 「現代文を古文にする」自動翻訳機にて一度お試しあれ。 |
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| [23]2011年02月02日 (水) 15時59分 | ||
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| 「古文翻訳装置」もあります。http://honnyaku.okunohosomichi.net/ 現代語も古文も品詞分解してくれるので重宝です。無料ソフトだから、出来栄えが満点でないのは仕方ない。 自分の発想のきっかけにしてくれる有難いソフトだとご製作者(誰だか知りませんが)に感謝しながら時折使わせてもらってます。 |
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| [24]2011年02月03日 (木) 12時24分 |
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| 本ホームページ「言葉は民族の魂」に小倉百人一首に関する出色なる論考、上梓され居り候。 「選」と「撰」の相違、藤原定家の鑑識眼の確かさ、個人的好みによる三絶、などなど大変興味深く拝読仕り候。 百人一首、奥深しとの感慨、改めて覚えたる次第に御座候。 |
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| [21]2011年01月26日 (水) 17時52分 |
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| 1.[係結び]といふ強調法のあることが文語文の特徴の一つです。 未然・連用・終止・連体・已然・命令といつた活用形がわかるやうにしておきませう。 「私は行く・犬も笑ふ」のやうに「は・も」といふ助詞は文末が終止形で終りますが、 「夜ぞ更けにける・母なむ宮なりける・人を忘れやはする・世の中は何か常なる」のやうに「ぞ・なむ・や・か」は文末が連體形で終ります。「こそ」は「人こそ知らね」のやうに已然形終りです。 助詞と文末が結ばれるので、文のまとまりがよくなり、統一感が出ます。今の口語文にも少しは殘つてゐますが、文が複雜になつた現代ではほとんど使はれません。 2.主語を表示しないことが多いのも文語の特徴です。口語でも省くことはありますが、文語のほうが顯著です。「(我は)あやしうこそものぐるほしけれ。」 3.主格(が等)や目的格(を、に等)を示すための格助詞を必ずしも必要とはしません。 「昔、男ありけり」「浪あらければ、船いださず。」 4.一つの文の中に、多くの内容が盛込めます。纏まりのある文が、いくつも次々とつづけられるからです。 5.連體形に直接格助詞をつづける用法があります。「鳥の鳴くを聞く」 |
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| [19]2011年01月21日 (金) 18時35分 | ||
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| これは非常にわかり易い説明で助かりました。係り結びについては学校の授業ではもう一つ理解できませんでした。このように簡単な説明を学校でもしてくれれば良いのにと思いました。 | ||
| [20]2011年01月24日 (月) 08時42分 |
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| 1/20朝刊記事のツィッター記事を文語にすれば、 「今日ひま。誰かかまって」⇒「本日、暇に候(そうろう)。どなたかお相手下さらずや」 「渋谷に行くから会う?」⇒「渋谷に参り候間、会ふは如何」 「ほんとー? 会いたい」⇒「まことなるか。会ひたし」 別の文案を歓迎仕る。アップされたし。 |
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| [18]2011年01月20日 (木) 08時11分 |
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| 「世の人あひ逢ふ時、暫くも默止する事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益の談なり。世間の浮説、人の是非、自他のために失多く得少し。これを語る時、互ひの心に無益の事なりといふ事を知らず。」 七百年、千年經つても人間は變らないものです。これは徒然草の一段、「會話」の、「口語」の本質をよく衝いてゐます。無益の談がほとんどであり、その上に「口語は元々流動してやまない」もの、「變化し續ける」ものなのです。「口語文」には、會話をそのまま寫す部分と、口語に近い文章語で書かれた地の文があります。 「文語文」は、「過去の文章に倣つて纏められた文章」と定義されてゐます。この場合、過去とは平安時代のことであり、假名文字で書かれた、つまり女性の文章に倣つた文章で、文體は當時の話し言葉にかなり近いと考へられてゐます。 明治35年7月文部省は言文一致體を採用する方針を決定したため、これに對して、社會一般に通用する共通性のある文語文體を新しく作らうとして成立したのが「普通文」です。平安時代の文法を基本としましたが、千年も經つてゐるため、文法などにゆれが起きてゐたので、「文法許容案」なる十六項目の條件が提示されました。「居リ」「恨ム」「死ヌ」ヲ四段活用ノ動詞トシテ用ヰルモ妨ナシ、と云つた具合です。漢文訓讀を中心にし、擬古文、消息文などの各種文體を混合折衷したこの文語文は、教科書、新聞、雜誌などに採用されて大正時代でも使はれました。 |
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| [16]2011年01月08日 (土) 10時24分 | ||
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| 以下、教えてください。 1 「過去の文章に倣つて纏められた文章」と定義: 誰が定義したのでしょうか? 2 言文一致体は文部省ですか。では普通文は誰が作ったのでしょうか? 或は言文一致体を作ることを決めた文部省が普通文を作ったということですか。 3 |
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| [17]2011年01月10日 (月) 09時18分 |
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| 改りぬる年の始の御寿かど松の色かはらぬためしに申納め候。 御夫婦様御はじめ諸君様にも御揃ひ御のどやかに御年迎へ遊ばされ候御事いといと嬉しく存じ候。 以上、「通俗書簡文」より。 国会図書館 近代デジタルライブラリー 所収 |
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| [15]2011年01月06日 (木) 15時18分 | ||
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| げにも、「近代デジタルライブラリー」、誠に便利・重宝なるものに御座候。 近年そのラインナップも一層充実しつつあり候処、之を活用せぬ手こそ無けれと存じ候。 http://kindai.ndl.go.jp/index.html (ただし、日々節約重ねつつ値の高き古書群を蒐集し来たりたる我れよりして見れば、若干の複雑なる感情持たざるべからず。) |
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| [22]2011年02月02日 (水) 15時11分 |