【広告】Amazonからファッション秋のお出かけタイムセールまつり24日まで開催

COLLECTOR BBS

ホームページへ戻る

名前
Eメール
題名
内容
URL
削除キー 項目の保存

[422] 題名:Metal On Metal 名前:コレクター 投稿日:2015年06月01日 (月) 05時52分

熱帯夜、そうつぶやくといいなんて前にあなたから言われたことあったわ。
すると、魔法の呪文みたいに異国情緒を携えた時間が一瞬だけ訪れる、、、なるほど一瞬だけね、総天然色映画のワンシーン、南国の海と人気のない森林、暑気は払われているのかしら、たとえ一コマだとしても魔法には違いないようね。
長く夢想してはいけない、遠く望んではだめだ、すでに知り得ていることをあなたは、懇願でもするみたいに声で諭していたから、ついわたしの方が聞き入れた面持ちで冷ややかに微笑み返してあげたのよ。
あなたにとっては従順で素直な態度として感受されたのかしら。
なにものにも勝る、気持ちのつながりは引き延ばされようが、見失いかけようが、おかまいなくで、肉体の距離さえ忘れてしまいそうになった。
ふと我に気づくあたり、憐れみが粉のスパイスみたいにまぶされているふうで、ふたたび、大事なことを甦らせた目つきでわたしのからだを抱きしめたわ。忘れ物の場所はまえもって決められているんじゃないかって邪推が働くのも無理はないでしょう。

なにものにも勝る、、、このわたしの肉体は。
だとしたら偉大な陥穽なんだから、少しは大事にしなさいよ。ことが果てるのを快楽が通り過ぎるしきたりみたいに、とらえるのはどうしたものなの。
わたしの快感とあなたのそれが比較できようもないと互いが気遣うの悪くないわよ、でも合わせたからだの言い分は数値的な意味をもたないし、疲労と一緒に余韻が流れゆく、気怠い失意を見逃し続けてしまうのは繊細さに欠ける。
情欲が沸点を迎えた限り、ええ何度も何度も絶頂へとたどり着いた挙げ句は、虚無なのよ。
時間がはじめて冷徹さを放棄してしまったかけがえのない深い空洞、わたしもあなたも果てた先は神秘の沈黙にゆだねるのが美しいと感じるべきだった。
気怠い失意を養っているものは、互いの顔色にあるのじゃなく、ましてや日々の怖れに裏打ちされているのでもない、たとえそんな思惑がもたげようとも、肉体が交じり合った際に立ち上った熱気はそのままにしておくのが懸命だわ。
どうして昔話しなんかで火照りを冷まそうと躍起になるの、ええ、一見そうでもなかった、あなたは腕枕に沈んだわたしの横顔から得体の知れないものを感じとってしまったみたい、それとも新たな雰囲気にくるまれたかったの、腕枕に提供される意想は割と単純だと決めつけているのね、たぶん。
わたしは無言のまま更に抱いてとは示していない。あなたはあなたで子供がおねだりするときの甘えた目もとをしっかり意識したうえでまた迫って来る。嫌とか不愉快ではではないの、色情のはけ口にされているなんてぞんざいな仕打ちなんて微塵たりとも感じたりしない。むしろいたわり過ぎるくらいだったわ。
一夜の交わりが翌日も行われても、常に新鮮な空気を送りこもうと努めていたように思う。
わたしはあなたを愛してなんかいない、あなたもおそらく同じ、けど肉体の結びつきは決して見苦しさばかりに堕したりしなかった。
奇麗な色をしたリボンは空箱を丁寧に結んでくれていたわ。それを振りほどく手つきは荒々しくもなく、かといって控えめでもない、律儀で慎重で、ところどころ頼りげなく、その分性急だったこともある。つまり様々な触れ合いが試され、繰り返され、忘我だけが理想と邁進したことになるわね。
なら、それでよかったじゃない。わたしはそれ以上でもそれ以下でもなかった。
あらゆる感情なんて不必要で叶うことならたったひとつの想いに支配されて居続けたかったのよ。わたしから空洞を提示し、見届けるまなざしを要求した覚えはないはず。借りにそう顧みるなら、あなたの方がすすんで空洞に灯りを持ちこんだ。せっかく冷徹な響きが途絶えてくれたというのに、なにをとち狂ったのか、大らかで包みこむ優雅と隣合わせの世界に探りを入れてしまった。
それほど光源が厳粛だと信じているの、わたしは求めたりしなかった、そんな光源なんか、きらめく肉体のつながりはそれ自体で他を願うことなんかないというのに。
厳粛さはわたしに入り用でなかったわ。あなたはわたしの奥に入りこむたび、そう、ことが済むと激烈な興奮を沈めるかのごとく、肉欲とはまったく無関係の話しをはじめたわね。
解け合いつながり合った裸体の延長にあるべきだと、奇怪な神経を研ぎすませ、そうするのがまるで色香が淫らに放たれた寝床を清める儀式であるかのように、無駄なおしゃべりをした。
分かっているでしょうけど、出来たら聞きたくもないし、それこそすべてを台無しにしてしまうほどくだらない愚痴だったのよ。
そんなに欲情がうしろめたいの、どうして黙って抱きしめ愛撫だけに専念してくれなかったの。とってつけた理屈と勝手な事情に残念だけれど関心は即さなかったわ。
母性がくすぐられる、、、一度だけそう口にした記憶がある。まさかあのひとことにしがみついて来たわけでもないでしょう。だとしたら、あまりに悲惨だわ、くすぐりは一度で上等だったから。あなたからすれば、恥の上塗りは避けたく、しかしあまりに甘く切ない誘惑を持て余していたのか、どっちにしたってわたしは女神さまでも天女さまでもないわ。ただの女よ。
あなたに別の女性が居るのも承知していた。かといってわたしは情況を縛りつけようなんて考えもしなければ、特別な紋様によって飾りつけられて欲しいとも、そうありたいとも願わなかった。何回も言ってたわね、わたしのあそこをゆっくり、じっくり、もっともっと眺めさせてくれって。
いいわよ、花びらなんて乙女な意識は奇麗さっぱり排除してたから、多少は恥じらい口ごもりつつ、存分にあなたの視線を受け止めてあげたのよ。
ほんとう言えば、可笑しかったの。そんなに穴があくほど見つめてみたところで、あそこはあそこよ、わたしのあそこ。
それとも夜ごと、唐草模様やら市松模様やら、花柄や幾何学に構築されていたのかしら。海綿体みたいな場所よ。まさかシンメトリーの妙に関心していたとは思えない。
一方的な視覚でいったい何をつかみ取りたかったわけ。局所からこころの奥底の図案まで覗き見しようとしていたの。
可哀想ね、さぞかし午後の空は蒸し蒸しするだけでなく、息をつまらせそうな後悔にあふれてるだろうし、夕暮れの悲哀は太陽がこれぽっちも考えていないにもかかわらず、とてつもなく重くのしかかっているのでしょう。
そして沈黙はもっとも堪え難い試練となりあなたを空洞の底に張りつけてしまうのだわ。
束の間の歓びから目をそむけたはずではなかったのにね。


[420] 題名:按摩 名前:コレクター 投稿日:2015年04月28日 (火) 17時40分

夢の窓をあけようとする手もとにまとわりついたのは、見知らぬ家を訪ねていると云う鼻白む遠慮にあらがう想いだった。
読めない音符に見果てぬ旋律が運ばれ、虹彩には澄みきった情景が待ち受けていたから。
遠い青空を卑近なまでにたぐり寄せるまなざしが、私を按摩に変容させた。

いつか見た古い映画に登場した若尾文子によく似た、奥さんに案内されると案の定、不釣り合いな主人がいかにも横柄な態度であいさつとも了解ともつかない声を野太くあげた。
むろん私は盲目じゃないので、面持ちと語気だけでも十分なのに、奥の間のさきが開け放たれた背景に過分な念いをぬりこめると、かわら屋根による映発だろうか、蒼穹の翳りが胸の底まで侵蝕したけれど、ひとときを曇らせたのち、晴れやかな気分に包まれてしまい、さながら映像の早送りの要領でここの主人が見かけより以外に温和な人柄であることを知り、一層安堵を感じながら二階の欄干に面した書架に並んだ、うさぎの置き物や犬の写真、郷愁をまとってはいるけれど思い出せない人形、壊れてしまったしかし秒針の動きに幻惑される予感をはらんだ錆びた時計とともに、シェイクスピアやポオの書籍を眺めていたら、按摩さん、また来てくれるね、それともうすこしばかり力強くもんでもらえないかなどと、親しげな声音で話しかけてくるので、私は窓のそとに視線を落としていかにも恥じらいだ表情をしめし頷きつつ、奥さんの気配もうしろに覚えて、何気に欄干に片手を添えたところ、ゆっくり稲穂が風に傾ぐように揺らいだのであわてしまい、真下ののぞき穴みたいな意匠の看板はなんでしょうか、そう訊ねれば夫婦そろって、あれは地下鉄の入り口だと諭されたのだが、いくらなんでもあんな小さな場所からひとの出入りがかなうはずはない冗談だろう、それにしてもかわら屋根なんかどこにも見当たらず、ただ狭くひなびた路地が横たわるだけで、しかし異様なほど安寧を約束しているふうな景観にこころがそよぎだしたのはどうしたせいなのか、やはり私は光彩に惑わされているかも知れない、そんな意識が指のさきに軽いしびれをもたらすのだった。


[419] 題名:夜と霧 名前:コレクター 投稿日:2015年01月27日 (火) 05時14分

まだ日曜と平日の境界はなく、夜のしじまがゆっくりとまるで羽毛のように寝室へ舞い降りたころ、野山の獣は牙を隠してしまい、そして小鳥たちの羽ばたきが微かなものへ変わる外の気配に耳を傾けながら、さきほどまでのテレビの光景によって焼きつけられた念いが何かしら切ないまま、母におぶられたわたしは、ほおずりしたくなるウサギとリスの絵柄の掛け布団にゆっくり滑りこむと、枕もとの絵本を手にしたのも束の間、まばたきが物憂いことを覚えた。


犬のシシリーは今は亡き城主の娘コリアーヌの言いつけをよく守り、勢いよく草むらに飛びこんで、ちいさな野ウサギをくわえて戻ってきた。
コリアーヌは冷ややかな目つきで見据えると、すばやく獲物をかすめとり、木陰から木陰へ渡り歩くようにしてその華奢な背中を遠のかせた。
茫然とした面持ちのシシリーは取り残された侘びしさより、陰惨な手によって弄ばれる野ウサギの運命を憐れみ、そしてご褒美のつもりか、鼻先にばらまかれているラムネ菓子の匂いが放つ甘酸っぱい香りに胸を痛めた。

「ちがうわ、ウサギとリスは仲よく丸太に座っているのよ」
わたしは絵本の内容と夢のまじりあっている不思議な浮遊感のなかで、愛しさがひたすら焦燥をともなった愁いに包まれてゆくのを知り、寝言をほの暗い室内へもらした。とまどいがわずかな衣ずれを引き起こすように。
陽光に舞い上がった綿ぼこりを見つめる目には、いつか見た震える雛と同じような肌寒さが取りこまれ、暖かな日射しはどこかよそよそしかったけれど、まどろみのさなかの膜で被われたような安堵から、夢の筋書きをカーテンの隙間に託してみた。
反対に絵本は天鵞絨の床から地下室へと続く暗闇のなかで頁がめくられ、ふたたびコリアーヌの横顔が燭台にゆらめく焔とともに浮かびでた。

「ほら、これをお食べ」
かたわらにうずくまるシシリーのおびえた顔つきなど眼中にない素振りでコリアーヌは朽ちた鶏舎のなかをのぞきこみ、そうささやいた。
「いけない、それは画びょうだ」
無邪気にはいまわる野ウサギにシシリーの声は届かない。
しかし激しい怒りは遠い祖先から受け継いだ信仰によってなだめられ、悲痛な叫びを夜空に溶けこませるしかなかった。有意義な感情は自由を忘れることで、胸のなかに歪んだ思慕を住まわせたのだ。
悲恋を模した大仰な落差に怖れを知ってはならず、そして主従の間にまたがる甘美な屈辱から逃れることはできない。

わたしは布団の絵柄とラムネ菓子の袋が同じものだと信じていた。
おさない日の記憶はあいまいな情景に守られて、ひかりはどこまでも透明でゆきつく果てはなく、闇はひかりのなかでまばゆい羽衣をまとい続けていた。
「だいじょうぶよ、それは画びょうなんかじゃない、ラムネ、くちのなかで雪のように溶けてしまうの」
シシリーが不思議そうな表情でうしろを振り向いている。
おしまいはそんな場面だったと思う。


[417] 題名:てのひらを太陽に 名前:コレクター 投稿日:2014年10月28日 (火) 05時27分

生い茂った草が束になれば、緑のひかりを生み出し目にうるおいを、耳に風を届けてくれる。
夏が終わり、喧噪がまぼろしであることを誇っていた様相に、どことなく慈しみを覚えてしまうのは、いかなる理由なのかなどと、のどの渇きに禁欲的な方便を見いだしたときのごとく、他愛もない気まぐれで、無造作に筆は白紙のうえを滑っていくだけなのだが、別段とりとめもないまま昨日の昼下がりを思いかえしてみる。
ソファーに寝そべる癖が身にしみついたお陰で、いつも窓の外は斜めに映る。
来訪者はめったにないから視界を横切るのは低空飛行を試みる鳥たちや、運命に忠実な蝶のたぐいだけだ。
その蝶で脳裏をかすめたが、先日数匹の幼虫が裏の石垣から放縦に伸びきった葉のうらにへばりついていた。
珍しいのかと云えばそうかも知れないし、ありふれていると裁断してしまうのもまた手軽で、どちらにせよ興味を引いたのは彼らの存在自体でなく、肌寒さが募ってくる時節に羽化し、宙をひらひらと舞いはじめる姿の浮いた調子に乗ったまでのことである。
とは云うものの、いくらか気にかかって調べてみたところ、越冬蛹と呼ばれる種があるらしく、それはまるで枯葉に見まがう風合をしており、化石の沈黙にならっているのだろうか、深い眠りにいたる息づかいを閉じ込めているようだ。
そして蝶の自在な軽やかさがそこなわれるよう、あれは蛾の蛹だったと理解した。
蛾ならわりと窓ガラスを通し身近に接している、そう、不意の訪れを知らしめる為に使わされた羽ばたき激しく。

台風で飛ばされてしまったのだろうか、あれから葉陰に黒い蠢きを見かけなくなった。
その日は風のないおだやかな陽光が木々の間をすり抜け、レースのカーテン越しにまだ先のぬくもりを授けている静けさに満ちていた。
斜めな視界にあえて目線を送ったわけではないのだが、繁茂する青みに褪色と朱を認めた刹那、そこに疾風が舞い降りたように草叢がかき分けられた。
まばたきが惜しかったのでもあるまい。子供とも大人ともつかない両腕だけが、落としものを探っているふうにあわただしく現れ、消えた。


[416] 題名:砂塵 名前:コレクター 投稿日:2014年10月21日 (火) 06時07分

ゆるやかな傾斜をもつ坂の下に古びた民家を見いだした。
とくに用事があってのことではなく、なにかしら胸騒ぎがするような気がして散策に出かけたまでのこと。
目がかすんで見えるのはうっすらとした砂塵にも似た、とるに足らない、しかし、思いつめれば不穏な陰りに明滅する微生物が空を舞っていたからだろう。
朧げな意想のありかをあざけ笑っているように。
玄関口がすこし覗けているのが、濃い化粧をほどこした老婆の目もとに浮き出た隈を想わせ、微かな嫌悪を覚え、その反面、不快な気分にひそむ磁力のようなものが稼働したのか、投げやりな足取りに加速がかかった。
坂が終わったところで、こちらを見つめているおんなと目が合った。
微笑みはたやすく、しかもかすんだ視界がもとからひらけているかの錯誤のせいで、胸騒ぎはあらぬ方向に導かれ、魅惑の表情が鏡面に映しだされてしまった。
わずかな波紋をつくりながら、さざ波の幻影を宿した仄暗い欲情が風に巻かれてゆく。

昼下がりの陽光は、たおやかな身のこなしを地面に焼きつけたのか、まるで障子の裏に遊ぶ手招きの影みたいにおどりだし、色彩すら忘れた輪郭だけが黄金の指輪のごとく、きらりと反射する。
深い陰影の裡にかくれた動揺が追い風に乗って、ひらひらと散らばれば、それ見たことかと、どうやらおんなの好奇をくすぐったらしく、にっこり笑いながら声を待っているのか、自在にうごめいている影絵とは別物あつかいの様相で、真正面に向き合ってしまった。
そう念じたのは誰なのか、案ずる余地もなく、
「この家のひとでしょうか」
などと、歯の浮いた問いを投げかけてみれば、無言のまま、こっくりうなずいてしまう。
おんなではなく、影と戯れるまなざしがである。
覗ける玄関にどちらともなく手をかけ忍びこんだとき、さながら朽ちた隧道へ足を踏み入れた心持ちがして、急激な興奮と不確かな慚愧にのみこまれた。
おさない頃、押し入れのなかにもぐりこみ、ひっそり息を殺していたあの感覚が膨張する。
せまい部屋のふすまを開けると、リスとウサギの描かれた掛け布団を目の当たりにして、甘く切ない後悔の念が押し寄せてきた。
「もう、おねしょはいけないのよ」
母の叱責に怒気はなく、哀願に近い声色が耳に触れる。
それでも手招きの影絵を踏みしめるようにして、おんなのからだに被さると、はりつめていた肉感は下敷きにされてしまい、なめらかなはずの裸体がいやにざらついた。


[406] 題名:ちび六の夏 名前:コレクター 投稿日:2014年07月08日 (火) 01時38分

ぽかぽか陽気でねむねむめざめ、ハイハイはってカサカサスイスイ、あれっ〜床がいやにしけっていますよ。おてんきゴロゴロザーザーあめあめふりふり、おひるすぎにはたいようギラギラ開いたまどからヒュ〜とさわやかなかぜがまいこみました。
ちび六はうきうきそわそわ、どうしてでしょう、はい、それはですね、おねえさんのともだちがまたこの家にやってくるからでした。おや、あんなにおねえさんのこと好きだったのにめうつりがはやい、なんて思わないでくださいね。ちび六にとっておねえさんはすでにかぞく、恋をポーンととびこえてしまったのです。
それはてんじょうのかたすみまで届けられました。おねえさんが手にしたじゅわきからもれるかすかな声。
「じゃあ、今度の日曜にね」
しんがくしたおとうとはめったに帰らず、おとうさんおかあさんおねえさんの三人くらしのこの家にはほとんどらいきゃくがありません。ともだちをまちのぞむきもちはとても澄みきったおもいだったのです。はれやかなきぶんがとてもしんせんなように。

「やっぱり誰もいないわけね」
「そうなの起きたら温泉いってくるって書き置きが」
「ほぼしきたりね」
「なによ、毎週毎週じゃないわよ。そんなことばっか言ってると特性うどん食べさせてあげないから」
「もう〜そんなに怒らなくてもいいじゃない。で、お取り寄せの稲庭うどんは」
「あんた食い意地はってるわね、まだゆでてもないわ。あっ、そうそう、稲庭もうなくなってしまったの」
「なによ、それ」
「まあまあ落ち着いて、同等ってことないけど、いい讃岐うどんが手にはいったの、見る」
「見る見る」
「はいこれ、どう平打ちだしめんも細いでしょ、稲庭になんとなく似てない」
「わたし知らないわよ、似てるんだったらいいんじゃないの、味もそうなんでしょう」
「まあね、ホームセンターで特売してたの、珍しいからつい買っちゃった」
「はあ〜、お取り寄せと随分へだたりが、、、しかしあんたホームセンター好きね」
「さてそろそろお昼だわ、調理にとりかかろう」
「はなし聞いてるの、まったく」
「聞いてるわよ、だから無駄口きかないで速やかに特性冷やしうどんを召し上がれ」
「わかったわよ」

ちび六のくちがむずむずってなりましたよ。めんは好物ですから楽しみですね。
そのときでした。ともだちが何気に見上げた目線がちび六のすがたをとらえてしまいました。
「ちょっと、あそこにはえとりぐもいるわよ、なんかこっち見てる」
「まえもいたじゃない、あれは去年だったかな一昨年だったかな、とにかくペットみたいなものよ、気にしない」
「へえ〜、そうなんだ」
言葉はわからなくてもさされた指先とふたりの顔つきで事態を察知しました。ちび六だいじょうぶよ、おねえさんたちは優しいから安心してなさい。

三方の礼を済まし、冷蔵庫のとびらに手がかかりました。
「今日は唱えないの呪文」
「またうしろにいる、あっちに行っててよ、あんたが唱えれば、わたしもう飽きたの」
「ばっかじゃない、ふん」
「テレビはつけないで気が散るから、折り込みチラシでも読んでて。今日は手早いわよ、具材はさっき仕込んでおいたの。このめんがゆで上がれば完成ってわけ」
「ほう〜」

ちび六も思わずからだを移動させましたよ。うどんはおねえさんの好物なんだ、もちろんぼくも、だしじるのしみこんだはしきれにおおいかぶさりたいな。でもいつ具をよういしたんだろう、ぼくがねむってるうちかなあ。

おねえさん、ことばに違わず大鍋をわかしているあいだ次々とタッパを冷蔵庫から取り出しました。
「具材、華やかなる眠り」
「それって新しい呪文」
おねえさん返事なし。
大鍋のとなりの小鍋のふたが開かれました。なかには昆布といりこパックが、みずだしですね、すでに樹々のぬくもりが薫るよう色づいています。点火されました。ともだちはのぞき見にやってきません。
「じゃ〜ん、天然だし入り味マルジュウ」
「えっ、つゆ今から作るの、っていうか、それ使うのね」
立ち上がったともだちを諭すように「小鍋が目にはいらないの、しょうゆ代わりよ、それと仕上げの花かつお」
「でも、ゆで上がると出来るんでしょう。あったかめんなの」
「ひやあつと言ってもられるかな」
「あっ、わかった、冷たいめんに熱いつゆ」
「その通り、ではこれをごらんあれ」

ちび六はほとんど真上までつめ寄ってきましたよ。
ずらりと並んだタッパの数々、いつになく豪華じゃありませんか。しかも、肉があります、牛肉です。

「ぶっかけなんだけど、具でめんが見えなくなるわよ。いい、かまぼこ、ありきたりだけど彩りを添えるため、わかめ、これ生わかめなの、食感が断然ちがう。青ネギ白ネギ、牛こま、だいじょうぶ、炒めてなんかない、だし汁とほんの少しだけ甘みつけてある、これがどさっと被さるわけよ、脂肪がかたまらないようにチンして」
「ということは冷やし肉うどん」
「そうとも呼べるわね、はい、これ」
「なに大根じゃない」
「皮はさっき向いておいたわ、あんたおろしてくれる」
「ええっ、わたしが」
「それくらい出来るでしょうが。あっ、お湯が沸騰した、ゆで時間6分、さあ手洗って、もたもたしない」
「ちぇっ、なによ」

めんが大鍋に滑りこんでゆくと、同時に小鍋も沸き立ちかけ、菜箸にて昆布がとりだされる。さっと水洗いし、まるめこまれ千切りにされた、そうこれもまた具材となるのだ。
だしは中火を保ったところ、優雅な手つきで花かつおがふんわり小鍋の表面に浮かび沈む。ここからが時間との勝負である。といいたいのだが、あと大根おろしを待つばかり。
おもむろに食器がふた皿、かなり深みのある平皿、片方のふちだけがやはり深い紺色の紋様を際立たせている。
「はいはい、その調子、あわてないで弧をえがくよう気持ちをこめて」
「なによ、あんたがやるんじゃないの」
「文句いわない、それより天かすどうする」
「どうするって、あるの」
「肉に天かすはしつこいかなって思ったんだけど、ついつい、カイワレものっかるしさ」
「わたし入れてよ、いっぱい」
「あっ、いけない追いがつおが」
口先とはうらはらに落ち着いた動作でだしが濾される。他の具材が放つ香りを席巻するごとくにうまみ成分特有のほんのりした、だが予断を許さない匂いが鼻をつく。
「こんなもんでどう、疲れた。大根おろしなんて何年ぶりかしら」
「ごくろうさん、さあ、めんもそろそろね、氷できゅっと締めちゃおう」
「そこにあつあつのだしね」
「おろし大根はさながら雪見の風情、湯気をいさめる冷ややかさが口中にひろがり、そののどごしたるや美味快楽、ああ、そして交じり合う食材たちよ、栄光あれ」

ちび六は以前べんじょさまから聞かされた自分の名のついたラーメンを想い浮かべてみました。
パパはちびさん、ママはちびに、ぼくはちびいち、、、
あぶないあぶない、天井から落っこちそうになりました。


[404] 題名:ゆうれい座 〜 弐 名前:コレクター 投稿日:2014年06月24日 (火) 02時03分

きっと暗雲を呼び寄せるに違いない、そんな不安気な心持ちをぬぐい取るように、曙光を思わせる明るみが地面まで落ちひろがったとき、初めて私はまちなみの彩りに染め上げられた。
「すぐそこってどのあたりだい」
「すぐはすぐよ。だまってついてらっしゃいな」
うるんだ目をした女の言葉を鵜呑みにするつもりはなかった。
逡巡を見取った相手の面に煤煙みたいな陰りを覚え、いざないが常に蠱惑に支えられてることを知りながら、胸のうちでは歯ぎしりとも、揺らぎともつかぬ、微細な夢想がうごめいている。
どうやら、意思をもってこの情況へ立ち会うのは徒爾に感じられ、小さな女々しい了見の芽生えを認めるしかさなそうにない。
歯ぎしりなんて夢の体操じゃないか、そんな負け惜しみさえよぎったのだから、私は結局、紙芝居を愛でていたのだろう。

「見世物小屋はやっぱりいかがわしいのかい」
自らの憂き目を少しでも軽減させようとしている小賢しさを知りつつ、へつらうふうな確かめの言葉がついてでる。
「そりゃ、あたりまえじゃないの。みてごらんよ、あの連中の顔いろ」
「顔色って、催眠術とかで操られたってことだね」
「どうでもすきに判断すればいいよ。魔術だろうか、死人つかいだろうが、しかし、あんた、うたぐり深いおひとだね。しかしまあ、だから、声かけてみたんだけどさ」
女のもの言いや目つきに小癪な素振りは見いだせなかった。その時点で私はあの連中、見世物小屋を取りかこみ、あるいは行列をなして木戸の奥に吸いこまれてゆく人々と、別の空間へ逃れたありようを噛みしめることができた。
感謝、、、不意に横殴りの突風に見舞われたような気分がせり上がってきた。三途の河を渡ろうとしている襟首をつかまれたのだ。あながち荒唐無稽なたとえではあるまい。
意識を占領されていながら、不毛のまちなみにみなぎる面妖な活気が、なぜかとても懐かしく想われて仕方なかった。夕陽が女の全身にまとわりついているからに違いない。
強引と呼ぶには呵責が勝っているけれど、結局そう言い現すしかすべは見つからなかったし、何より、私のこころが寂寞の風景に彩色を施しているのを反芻すべきであろう。

出店のにぎわいによく目を凝らせば、異様な気配はかたときだけの濁りで、ことさら訝しがるほどではなかった。いや、もう少し丁重に答えよう。
まちかどに灯った裸電球の、遠目にほんのりしたぬくもりが、退紅の着物すがたとなって現れ出たのだ。
夕空はあきらかに宵待ちを見届けている。
抜けるような色白の女の顔があたかも褪色に撫でつけられたふうに映ったのは、他でもない、夢が足もとから這い上ってきたからである。

「なに、ぼんやりしてんの、ほら、おいでったら、とって食おうなんてしやしないよ」
「ああ、わかっている、あんた、夜目にますます、、、」
そう、言いかけた矢先だった。
私の視線は不思議な引力で斜め横の金魚すくいに注がれた。
すでにあらかたの獲物は持ち去られ、数匹が淀んだように、だが遊泳を決して忘れはしないだろう面持ちがひとがたの微笑になって、ふわりと浮上してきた。
赤い金魚たち。
「えっ、なんて言ったの」
女の表情に深いしわが刻まれる幻覚を見た。


[403] 題名:ゆうれい座(再アップ) 名前:コレクター 投稿日:2014年06月24日 (火) 02時02分

不思議な色合いのまちなかにいる。
紙芝居みたいにこじんまりとしていそうで思いのほか、にぎやかさは収まりつかない気配を仰々しく伝えてくれるので、胸の奥に温かいものが湧き出て来て、辺りを一通り見回した頃にはじんわりとした感情に包み込まれてしまった。
立ち止まるのを拒まれているのだろうか、いや、斜め向こうの威勢のいい客引きは流暢な発声でもって巧みに見世物の面白さを語りだし、懸命に、前身全霊で、とても情熱的に、だがどことなくあらかじめ色褪せした絵柄のような物悲しさを底辺に残しつつ、私らの気をひこうとしている。
空は水ようかんであつらえられたふうにひんやり、行き交うひとの目は反対にそわそわ落ち着きがなく、やれ綿菓子売りだの、金魚すくいだの、団子屋だの、狐やひょっとこの面売りだの、香ばしい焼きいかを並べた店だのが居並ぶなか、地べたの感触も空の色が映りこんでいるようで、私はふわりと浮き足だってしまい、客引きの口上に聞き入っていた。

「いよいよ本日開演だよ、見なきゃ損とは言わないけど、無理してまで見物してもらうことねえや、えっ、どっしたわけだって、あたりきよ、あとの祭りだってことさ。そこの旦那も姉さんも学生さんもお嬢さんもお坊ちゃんも、うわさには追いつけやしないよ、天地が逆さになろうがこればかりは現物を目ん玉に刷り込んだもんが勝ちってもんだ。あれは信じられなかったなとか、ううっ、思い出しただけでも鳥肌がとかね、いくら人づてに聞いたところで話す本人だって狐につままれているんだ、根掘り葉掘りと望むところだがそうは問屋が卸さねえ、へへ、あっしの言うことは大げさかい、そんなはずはない、無理しなくてもよござんすって仏の教えみたいに諭してるんだよ、こちとらも商売だい、それがですぜ、皆々さまの冷静な判断を仰いでるって寸法だい、馬鹿丁寧にもほどがありゃしやせんか。そんじょそこらの出し物とは破格の違いがあるって証拠じゃござんせんか。で、その肝心かなめをこれから、つつっとお話いたしますよ、いいですかい、気が向いたなら木戸をくぐっておくなまし。
皆さんは満蔵一座って名くらいは知っておりやしょう、へい、蛇女やらろくろ首にミイラの類いをこれまでお披露目いたしやした、おっ、そこの坊ちゃん、うなずいてるね、影に隠れたお嬢さんも、そうでやす、怪奇一辺倒、おばけの一座でごぜえます。種も仕掛けもありませんとも、かといって妖怪変化とも申しませんよ、そんなほらを吹いてはいけない、正真正銘の奇形異形のね、哀れな宿命を背負ったものらのすがたかたちだ。ところが満蔵座長いわく、もうそうした宿命を売り歩くのは嫌気がさした、ここらでがらっと趣向を変えましょうと、が、これまでの名物はなんといっても異形の数々、憐憫はさておき中々めぼしい工夫が思いつかない。さあ、ここからが正念場だ、そう一気にすっとんだよ、端折りも端折って神髄を開陳する。いやね、あっしも最初は度肝を抜かれたってより、押し黙ってしまってね、いくらなんでもそんな無体な、罰あたりどころか夜と昼を反転さしたようなもんだ、そりゃあり得ん、どうあってもあり得ん、第一うす気味悪くていけねえ、そんな幽霊なんぞ、捕まえようなんざ。
もらしてしまった、そうなんで、あの世から見せ物を引っ張ってこようって魂胆でね、あっしが戸惑うの分かるってもんでしょうが。ところが座長の眼はぎんぎんぎらぎら、すでに幽冥界の主と掛け合って契約を取り交わして来たっていうから驚き桃ノ木山椒の木だい。
さあさあ、お立ち会い、あっしの言い分はもっともと同調してもらえましたかい、隅っこのしたり顔の学生さんよ、あんただって文明社会に幽霊が出るとは、しかも真っ昼間の見せ物小屋にだよ、大人しくどろどろひゅうって具合にお出ましすると考えられようか、そうだろう、どうせ手品かまやかしかってとこが関の山、あったりまえよ、坊ちゃん嬢ちゃんだってそれくらいの道理は心得てらあ、ねえ。と、まあ、たじたじな気分はここまでにしておいて、いよいよ本題だ。
なんだい、旦那、ひとが喋るまえから興奮しちまってよう、だがね、旦那の心中は大体いいとこを突いているんだな。幽霊の正体はいかに、なるほど違いはありやせんよ。見てのお楽しみなんぞ、けち臭いことも言いやせんよ。もったいなんかつけるもんで。ずばり予告しておきますよ、おんなの幽霊でさあ、しかもうら若い美形ときた、ああ、旦那、慌てなさんな、押さないで押さないで、あんたが一番乗りなのは確実でさあ、あっしが太鼓判押すよ。まだ説明すんでないからようく聞いておくんなさい。でね、その幽霊、ただ舞台に居ったってるだけじゃない、脱ぐんですな、そう着物の裾をちらっと、あとは語るに及ばず、あれま、お嬢さん、ずいぶん不服そうな顔色ですな、ああ、そうか、こりゃ、あっしとしたことが舌足らずでやした。大丈夫ですぜ、そんな不謹慎な代物じゃありません、下世話な女色とは次元が異なるってもんです、なんせあの世からの巡業でございやすよ、それはそれは幽玄な美しさにうっとりされること請け合い、お子様とて、魔法の絵本をめくるようなもんで、心配ご無用、世俗を離れた境地に遊ばれなされ。
と、いったところでおしまいじゃあないんだなあ。出し物はまだあるっていう大奮発よ。これは簡単に流しといてと、続きは木戸の奥でもって縷々と語られる案配だからね、隠れ里ってご承知だろう、不意に行方が知れなくなって数年たってから戻って来ればその時分とまったく変わりがない、歳をとってないって摩訶不思議だ。ここで腰を抜かしてはいけないよ、今から二百年まえに忽然とすがたを隠されたと伝わる上臈が、なんと一座と出会ったんだな。その気品ある面影は筆舌に尽くしがたい。座長の意向を酌んで本日限りの特別出演と相成った。これだけでない、更にやんごとなき上臈と幽霊の対面も実現されるというから、なんまいだ、アーメンそうめん冷やそうめんじゃないか。こんなことあっていいもんだろうか。ほんとはあっしだって恐れ多いんだ、それをあえて衆目の認めるところとし、文明の、いや、過ぎ去った幻影をいっときでも感取してもらえればこれに勝る癒しはないだろう、、、」

客引きの言葉が途切れるまえ、物珍しげに寄り集まった人々は、まるで三途の川を渡るような虚脱した面容で熱狂の気色もなく木戸へと吸い込まれていった。私も同様であった。ただ二の足を踏んだつもりはなかったはずなのに、まわりの顔つきに一層足を引きずられそうな心地がしたのが何故かしら幸いしたのであろう。
あと少しで暗闇に紛れるところ、いきなりうしろから肩を叩かれた。手まりが軽く弾むような、しだれ柳の束に触れたような、柔らかな手つきだった。
「ちょいと兄さん、あんなインチキに騙されてはいけないよ」
振り返れば、銀杏返しに色白の、はっと胸に染みる目もとの、退紅の着物すがたの、微笑みと目があった。
「やはりそういうものなのかね」
私の声は少しうわずっている。無理もない、幽冥界とやらに導かれる矢先だったのだ。しかし間を置くことなく面前の女性の思い詰めた一途な、それでいて憂いをまとっているかに見える表情にとらわれているのを知った。
「そうよ、決まっているでしょう。そんなことより、すぐそこなの」
憂いは気まぐれな鳥の鳴き声のようにほんのりしたときめきへと移ろいだ。手鏡をかざしたごとく。
そして突風にあおられる爽快な気持ちがわき起こると、ただちにそのししおき豊かな容姿に惑わされた。
熱い血と冷たい血が交互に私のからだをめぐりだしている。渇きを癒すために生唾をのむ矛盾を忘れた。
手招きより壮絶で饒舌な、うるんだ瞳にぼんやりとした影を見いだしたとき、空は雲がかかって湿気を呼んでいた。


[402] 題名:赤い影 名前:コレクター 投稿日:2014年06月16日 (月) 03時20分

赤い目のうさぎさん、、、ぼくは寝言でそうつぶやいたそうだ。
他の色ではだめだったのだろうか。ささいな事だが、うさぎの世界では重要な意味を持っているのかも知れない。
むろん、きみにそんな質問を投げかけたりしなかった。ひょっとしたら顔を近づけながら軽く息をはいて、真摯に答えてくれたのかも。

そっと目を閉じ、ふたたび夢のなかにゆっくり身を沈めてみる。
耳を澄まさなくても、風の音色は優雅なワルツの幻影をはらんでいたし、位置の定まらない車両が奏でる微かな騒音は、肉眼では見通せない浮遊する塵のように、衝撃とは正反対の静けさを保っていた。
笑い声が月影に導かれるのは薄々感じており、星のまたたきによって思わぬ波動が生じていることも理解できた。
なにより意識の地平を占拠していたのは、そうした外界が引き起こす生成によるべきものではなく、より卑近な影の奥にひそむ小さな水玉模様であった。
微生物たちが織りなす繊毛運動、、、それは至近距離から眺めるほどに限りない実りをあたえてくれる予感を秘めていた。羽ばたきを忘れたにもかかわらず、眠りの国を飛びまわる鳥の想念のように。
列車が遠ざかる兆しは思いもよらず明快だった。それはきみの口からこぼれたから。
口角をきゅっと上げ、慈しみにも似た笑みが届けられたとき、ぼくの目はさぞかし赤くなっていただろう。
そう、うさぎさん、、、これでなんとなく落ち着いた。
車窓は確実に映像の役目を果たしてくれたように思う。

「どこか遠くに行きたい
「そうすれば」
「どこにも行けない」
「そうよね」

裸体は表現を忘れた野生動物の休息に見えた。
情事のあとには微風に揺れるカーテンがよく似合い、沈黙は使命をおびた敬虔な空気のなかに佇む、妖精の吐息なのか。
ぼくが乖離してゆくのでもなく、きみがきびすを返したわけでもない。
ただ、疲れたからだを横たわらせたまま、意識が飛翔してゆく。

「それは旅と呼べるわよ」
「なら、そう思うようにする」

うさぎは赤い目をしたまま階段を駆け上がっていった。


[400] 題名:新今昔物語 〜 弐 名前:コレクター 投稿日:2014年06月09日 (月) 00時21分

今は昔の新しいこと、うららかな春の陽気にさそわれ、と言いたいところだけんど、ひがな一日なにをするでもなく家のなかで寝ころんでおった。
じいさん、ばあさんそろってじゃ。あんまり退屈なんでどちらともなく声をかけた。
「きょうは何曜日かい」
「カレンダーみたらええ」
「ところで、けさ郵便受けに新聞がつっこんであったがな」
「配達まちがえたんやろ、カレンダーよりその日付みたらどうや」
「新聞なんか読まんわい」
「勝手にせえ」
べつによどんだ沈黙が息苦しいのでなく、間合いが自然とのびやかになっているだけだった。
で、もそもそとじいさんが新聞を開いてみたのは、手がのびたからじゃ。
ばあさんはなんとなく気になり「なに見とる」
と、いかにも面倒くさそうな声でたずねた。
「今度できたホームセンターちゅうとこのチラシや、えらいぎょうさん品物あるなあ〜」
じいさん語尾あがりでまんざらでもない。つられてばあさん、どれどれ、のぞきこむ。
「ほう扇風機めちゃくちゃ安いがな」
「ちりとりのほうが安いで」
「ほんまや」
そのうち、収納ケースやら冷凍庫にチェンソー、キャットフード、スズメバチジェットなんぞに目移りしはじめ、ほう〜とため息をついた。
「なんか欲しいもんでもあるんかい」
「ないもんばっかで欲しくもないわ」
折り込みチラシ一枚でいがみあっとると思うだろうが、そうじゃない、息がそろったというわけでな、
「ビオレuとクリアクリーンお買い得や、ペンタス苗もええなあ、よしずって風情あるし、んっ、アリエールが目玉商品や、男脂臭までスッキリやと」
「だんししゅうってなんや」
「加齢臭みたいなもんかいな」
「カレーシチューかい」
「あほかいな、食いもんちゃうわ」
とまあ、だんだん話しがはずんできた。
「パワビタaなんてあんた知っとる」
「わしもはじめてみた、タウリン3000mg配合で10本いり税込み430円や、これ飲んで精つけるか」
「ええなあ、これ、あっ、赤いきつねも特売やで、買い占めとかなあかんわ」
「このパンパースはこども用かい、残念や、おっ、ティシュ切れてたな」
なんだかんだで、全商品を名指してはああだこうだ喋くっておった。

ややあってから、玄関にひとの気配が。
「ごめんやす」
よく通る男の声がする。
「じいさん、誰か来たがな、出てみいな」
ここで不意にじいさんのあたまの中をよぎるものがあった。祝福され飼いはじめたペットのような気分と、むしゃくしゃして散財していまいそうなふがいなさをともなって。
が、胸騒ぎにはちがいない。
「わしが出るより、ばあさん、あんたのほうがええ」
「なんでや、ほんま、あかんたれやで。わかったがな、どれ」
と、いうあんばいでばあさん、たいした気にもかけず腰をあげた。
「どちらさんでっか」
見れば背広すがたのいかにも営業的な笑みがのぞいておる。
「はい、わたしら本日オープンしましたホームセンター今昔のもんです」
「あれ、たったいま、あんたとこのチラシ見とったとこや」
「それはまいど、お値打ち商品ばかりそろえております」
「で、なんぞ、景品でもくれはりますの」
じいさん、ここで目がさめた。これはえらいこっちゃ、黙っておれんかった。
「ばあさん、こいつら詐欺師やで。どうせ商品券とかよこしておいて」
「なんや、いきなり、どないしたん」
「最初だけええ目させて、ほんで、、、」
「ほんで」
「え〜と、それはな、たしかこれこれでびっくりこっくりでもってああなってこうなってとにかくわやや」
「そんなあほな、あれはああだっでよかったどっきりそっくりなんもかんもそれしてこうして、わりことあらへん」
背広のひとりが、
「あの〜、これオープン記念の割引券です、ぜひ使ってください」
と、それらしきひらひらの紙切れをさしだした。
「ほな、ごめんください」
玄関のとびらが閉まると同時にばあさん、じろりとにらみながら、
「あの件はもうええわ、夢のまた夢やさかい、それよりこの券でなんか買いに行こか」
目つきはあんまりようないわりにおだやかなくちぶりやった。
なんや、ばあさん、まともやないか、そうこころのうちでつぶやき、
「わし、ちょっと出かけてくる」
と言ってひょこひょこ家をあとにした。
「ふん、どうせ、またパチンコやろ、どれ、たまにはうな重でも食べようかいな」
仲よきことは美しきかな、夢がはぐくむ日々じゃったとさ。


[398] 題名:双眸 名前:コレクター 投稿日:2014年05月21日 (水) 04時02分

一席おつきあいのほどを。
しかしなんでございます、最近の子供は加速する情報化のせいでしょうか、随分とませたものの言い方をしますな。
ある家にお邪魔したとき、見かけない女の子がふたり、大はしゃぎしておりまして、あるじに聞きますと、近所からときたま遊びにやってくる姉妹だそうで。
とうに成人し所帯をもった子息なきあと、こうしたちびっ子は別に迷惑ではありません。広い庭なのでのびのびと楽しんでいる様子は目に優しい、そう申しておりました。
ところが、ささいなことで喧嘩をはじめ、妹が泣きだしてまった。あるじは、
「これこれ、なかよくしなくちゃいけないよ」
そうなだめるよう注意したところ、姉のほうが、
「こどもは泣くのが商売だから」と、真顔で答えたのですな。


太郎と花子は一卵性双生児、しかも健康優良児ですくすく生育しておりました。
界隈で知らぬ者はいません。朗らかな性格であいさつをかかさないので、皆が微笑ましく眺めていたのは言うまでもないでしょう。
ところがこの兄妹、小学3年生には思えない会話をしておりまして、
「ほらパンツ見えてるぞ」
「あんたの非常口だって開いてるよ」
「ば〜か」
「か〜ば」
「ほかの子のパンツのぞきすぎよ」
「だれに聞いたんだ」
花子はにしゃにしゃ笑いながら、
「おおよそ見当がつくじゃない、的確な推測よ。なんの因果か知らないけど、双子で生まれてきた宿命、あんたの心中なんてお見通しってこと」
などと口にします。もちろん太郎だって負けてはいません。
「学校中のイケメンに声をかけてるそうじゃないか、みっともない」そう切り返しました。
ところが、
「あいさつしてるだけよ。おはようとか、さよならって、あんた邪推が激しいわね、それともひがみ。あたしがもてるの知ってるくせに」
これには太郎もたじたじ、そしてむかむか、複雑な感情が入り乱れたのですな。そっぽを向きながら、ひとこと「ひがんでなんかない」と、まあ花子にしてやられた態であります。

その晩、太郎はこんな夢を見ました。
なんと花子と結婚式をあげているのでございます。はい、正真正銘の婚儀ですな。で、当の本人の心境はといいますと、これがまんざらでもない、とってつけたにしては幸せをかみしめている表情で。
はてさて、気でも違ったのでしょうか。いえ、どうも夢のいびつは空間を形成しただけに思えてまいります。
「花子、生まれてくるまえから、僕らは結ばれていたんだね」
「そうよ、運命と神秘が織りなす、至福に包まれているの」
まんざらではなさそうですな。さらには、
「生まれてくる赤ちゃんはきっとわたしたちと同じ双子、そして、、、」
これは濃厚なる血の配合でございます。
太郎のまぶたが赤く染まったのはカーテンの隙間からもれる朝陽だけではなさそうで。

「妙な夢を見たな」
となりで微かな寝息をたてている妹に静かな目線を送れば、ぱっと朱をさしたような頬の色づき。
まだ夢のなかにいるような心持ちがし、
「同じ顔してるもんな。もともとは一緒だったんだろう。とけあっていたんだ」
現実からひょこっと抜け出してしまうと、気分がやわらいだようで。
そのとき花子が寝返りをうちました。まるで太郎の意識に反応した気配さえ感じます。
「あれ、あれ、またパンツが見えてる」
でもばかにした気持ちは付随しておりません。むしろ、いたわりに近い親和の情です。
そっと目を閉じれば、まだ婚礼の華やかさが漂っていそうで、これは未来からの送りものかも知れない、
だから、夢はさかさまなんだ。
と、えらく神妙な想いに駆られたのです。そう、太郎は自分に酔っていたのでしょう。しかし悪戯が芽生えたところで、もとの木阿弥ですな。
「パンツを裏表にはいてやがる」
いえいえ、花子はそんな粗相はしておりません。
お後がよろしいようで。


[397] 題名:たまごぞうすい 名前:コレクター 投稿日:2014年05月13日 (火) 01時49分

ふろばのかたすみに暖かなひざしがふんわりよどんでいます。めざめはのんびりでした。
ちび六のいちにちが始まります。カサカサスコスコハイハイはってピョンとひとっとびトーンとちゃくちでまたまたハイハイ、春はうららかですね。
きょうは何をしようかな、考えごとと行動がさいきんはほとんどくっついているので、とてもみがるです。
そのぶん夜がはやくやってくるので、ちび六はどこかそんをしているような気がしてなりません。
にっちゅうあちこちハラハラするので日がくれると、あまり行き来しなくなってだいどころの天井でしんみりしておりました。いえ、こころのなかではそろそろおねえさんがにかいから降りてくるかもしれない、そうおもっていたのでしょう、そうですとも。
ここの住人のかずよりもっともっとおおぜいのいきものが家のなかでくらしています。それぞれにいきかたがあり、主張というほどでもないけれど決まりはあって、みんなてんでバラバラですが、たがいのこうどうはんいはかぎられているのでした。
ちび六がにかいまでのぼったのは、まだおさないころべんじょさまに連れらてでしたから記憶はおぼろげです。にかいには他のくもやかめむし、しみ、てんとうむし、やもりなどがすんでいます。
それにしてもべんじょさまは偉大だったんだなあ、ちび六はいまはなき老くものおもかげを浮かべあいしゅうにひたっておりました。
ほらほら、ちび六、おねえさんがやってきましたよ。あしおとはすぐそこなのにあいしゅうにふさがれて気がつきません。
 
風邪ひいたのは仕方ないわよ、でもみんなそろって温泉に行くなんてどうなの、そりゃ留守番は必要でしょうし、無理してまで連れていってほしいなんて思わないけど、お母さんったら、おかゆでも煮て食べればって冷たすぎない、なら作っておいてくれればいいのに。
はいはい、子供じゃないんですからね、いたりつくせりはご無用です、微熱だし、いちおう夕飯はちらし寿司ととんかつ買ってくれてたから、夜食くらい自分でやりますとも。
よく考えたら夕飯たらふく食べたしおとなしく寝てればいいのにね、お母さんきっとそのつもりで言ったんだわ。
 
あらあら、おねえさん機嫌がよくないですね。この日は家族旅行だったのです。でもお聞きのように風邪をひいてしまってひとりぼっちなのでした。
ちび六にはよく事情はのみこめませんでしたが、夜食はやはり健在だったので、うれしくなってしまいました。
冷蔵庫、華やかな霊安室、さあ呪文が唱えられましたよ。が、ちょっと様子が変です。
 
なんなのこれ、いくら明日夕方に帰ってくるからって、食材なんにもないじゃない。ひどい、餓死しろとでもいうつもりなの。まあ、朝はパンと牛乳、昼はサッポロ一番みそラーメンとして、、、だとしてももう少し余裕というか、たくわえというのか、そういう配慮があってもいいんじゃないの。
ラーメンもこれひとつだけだもんね。肉も野菜もない!アイスクリームも切らしてる。うちは冷凍食品は買い置きしないからなあ。
おねえさんは真剣なまなざしで冷蔵庫の奥をのぞきこみ、台所のすみずみまで調べています。ちび六のからだにも緊張が走りました。どうなるのか心配だったのですね。
ごはん、たまねぎ、卵、かまぼこ、、、これだけなの。こころなしか、熱が急にあがってきたふうで、おねえさんはヘナヘナとひざを落としてしまいました。
そうだ、わたしは風邪ひきなんだわ、お薬飲んだけど明日には寝たきりになるかも知れない。友達いないしなあ、誰も来てくれない。じゃあ、今のうちに具材全部入れたラーメン食べておこうかな、いや、すると、あとで地獄を見ることになるかも、、、それにほんとおかゆ程度でいいんだ。
 
おやおや、食欲あるのやらないのやら、こうなるとよくわかりませんね。あっ、三方の礼がはじまりました。なにやら決意したもようです。ちび六も手足にちからが入りました。
 
コンソメ顆粒発見、よし肉はないけど卵がある、コンソメ風味のぞうすいにしよう。多めにつくっておけば明日発熱しても難をのりきれる、備えあれば憂いなし、勝てば官軍、不敵な笑みがこぼれだす。
かまぼこはありがたい存在だわ、うどんとかに入れるだけじゃない、細かく切ってご飯と煮れば、その食感は際立ち、また赤い彩りが華をそえるのよ。
この時点でぞうすいとおかゆの中間と定まったのはいうまでもない。大鍋いっぱいつくろう、といってもけっこう水分でふくらむから大した量じゃないわね。
さっそく鍋に水をはりガス台を点火する。その間すばやくごはんをざるに入れさっと水洗いを行なう。このささいなひと工夫がぞうすいの決め手、すなわち、ぬめりを取り去り、よりコンソメの風味を効かせるのだ。
たまねぎはスライスでいい、柔らかくとけこんで甘みを加味する。早くも具材は尽きた。
それならそれで卵に命を吹き込む工程が待ち受けているではないか。すでにあたまのなかは白地に点在する朱が明滅し、来たるべき黄色の散華がたおやかな装いをもたらすであろう境地に遊んでいる。
水切りしたごはんを鍋に投入、コンソメ顆粒投下、沸騰を待ってたまねぎ、かまぼこの両者も従軍する。
しなやかな手つきは溶き卵のために用いられた。糸のごとく細く流しこむ技量を発揮するために。
煮具合と水加減の調整を怠ってはならない、苦渋を申し出るようわずかに浮き上がったあくをおたまですくい取る手間とともに。
この下地さえ遵守しておけば、溶き卵は自在となる。あとは青く燃え上がる炎にあたかも太古の煮炊きを夢想するだけであった。
とき深更に入れば、われ大悟せり。
 
いやはや、おねえさん、すっかり意識を高めていますね。ではちび六もおどろいた卵の散華をごらんください。
 
さながら爆撃機による投下であった。旋回する要領で上空からおたまに乗った溶き卵が少量ずつ、沸騰地点へと注がれる。冷めては沸き立ち、間髪をいれず線状の降臨が繰り返されるのだ。
それは瞬時にして花びらを、あるいは金魚の尾ひれを想起させ、優雅にたゆたい、ふんわりとした食感をかもし出す。
鍋のうちがわにはワルツの調べが奏でられているのだろうか、踊り子たちの黄色い幻影はまばゆく、こぼれんばかりの笑顔を咲かせている。やがて彼女らは火の鳥となって、その短い生に永遠を付与するのだ。
火力を弱め、味見。水分ならびに米の柔らかさもはや不可分である。コンソメ風味良好、仕上げの儀式、漆黒の液体、すなわち醤油が微量たらされ、兵糧ここに完遂されし。
 
おねえさんがいなくなってしまい寂しかったけど、ちび六はたまごぞうすいとやらを食してみようとおもいました。
カサカサコソコソポーンと流しのうえへとびうつりますと、あった、あった、とろけたごはんつぶが。
もしゃもしゃパクパクちゅうちゅう、まだほんのりとぬくもりがあっておいしい。
せかいがこれでまたひろがりました。


[396] 題名:ちび六と子犬 名前:コレクター 投稿日:2014年05月07日 (水) 04時38分

うとうととろとろとろけるようなねむりのせかいにいたはずなのでした。
どうしてでしょう、ふっと目がさめてしまったのです。ふろばのせんめんだいのすみっこできゅっと足をまるめてねむっていたのです。しんだと思っていましたか。いいえ、ちび六はとうみんしていたのですね。
なかまたちは寒くなるとえさのむしがいなくなり、ひもじく命がたえてしまうのですけれども、、、まえのおはなしで知っていますね、そうなんです、ちび六はらーめんのきれはし食べばかりいましたので、ふつうのはえとりぐもとは違うせいめいりょくをもっていたのでしょう。
それというのもこの家のおねえさんがみっかとあけず夜中に、もそもそとなにかつくって食べているおかげです。ちび六はほかのなかまにもおしえてあげたのですが、やはりいんすたんとしょくひんはむりなのでした。
かっぷぬーどるには肉だってはいっているのに、そうすすめてもみんなそっぽをむいてしまうのです。
ただ、くも男爵だけはしーふーどぬーどるを知っているくらいでしたから、よくいっしょにさんかくあみにへばりついてもぐもぐ食べながら「よかったなあ、おねえさんがこの具がきらいで」なんていいあっては、にんまりしておりました。
それだけではありません。ええ、いんすたんとだけじゃなくちゃんと手づくりのりょうりもこしらえていたのですね。
べんじょさまと呼ばれたけんじゃの老くもはそればかりにねらいをさだめていたそうですが、もうすがたを見かけることがなくなり、しかもだれもがそのゆくえをくちにすることはありませんでした。
ちりちりばらばらあちこちかさかさ、はいはいはってかべをのぼれば見はらしがよくなりますのでちび六はさっそくいつものてんじょうの隅にやってきて、へやのようすをながめましたけど、あいにく夜もふかまっており家のひとたちのけはいはなく、おねえさんもねてしまったようです。
せめてくも男爵はとはんべそをかきながらきょろきょろしてみても、こころもとないみかんいろのでんとうが灯るだけで、冬のまよなかはとてもしずかでした。
はぁっとちび六はためいきをもらし、じぶんのきょうぐうをふりかえろうとしたそのときです。
「おい、げんきそうじゃないか」
そう声をかけてくるものがいます。よく見れば、くも男爵ではありませんか。でもげんきそうというわりに、男爵のほうはえらくよぼよぼしておりかつてのさっそうとしたおもかげがありません。しかし出会えただけでちび六のこころはぱぁっと華やぎました。
「ぼくだけがめざめてしまったんだとさびしく思っていたんです」
もうなみだ声になってます。すると男爵はたいぎそうにまえあしをあげ、ひややかなえがおをうかべながらこういいました。
「さびしいのはおまえだけじゃないさ。ほらあそこを見てごらん」
まえあしはそのため優雅にちゅうへうかせたのでしょうか、さすがはほまれたかきお方などとかんしんしてしまい、こんどは胸がじい〜んとするのがわかります。
「みえたかな、てーぶるのすみっこだよ」ようやく男爵のことばがいきいきとしてきました。
「はい、かごがおいてありますね、あったかそうな毛布も、あれっ、ちょっとちがうかなあ、いきものですか」
「そうさ、おまえがめざめるすうじつまえにこの家にもらわれてきたんだ」
「あっ、うごいた。でも目はつむったままですよ。やはりとうみんでしょうか」
くも男爵のくちがむずむずしています。これはまだしらないひろいひろいせかいを語ってくれるときのまえぶれなのです。
ちび六はうきうきしてきました。で、男爵をまねてきどったかおをつくってみました。せのびかも知れませんが、ええたぶん、そうでしょうね、するとあんのじょうからだがまえのめりになってしまい、うしろからちゅういをうけるしまつですから、あわてんぼうはけんざいです。
「とうみんじゃない、ちかづくとあぶないぞ」
男爵の語るところによれば、なんでもあのしろいかたまりは子犬だそうで、子というのはちび六といっしょだと、やがてはおとなになるのだからね、そんな落ち着いたいいかたにかすかなていこうがあり、それは長いねむりをけいけんした身からしてみれば、ひとかわむけたようなきぶんをかかえていますから、たしかにずうたいはきえいるようにちいさいですけど、子犬とおなじにされてはおもしろくありません、だってまえにもぼうやのとうじょうで散々てこずった思いがありますし、きれいなおねえさんに恋したことだってわすれてはいませんもの。なのでぷいっとむくれたかおつきで耳をかたむけていたのでした。
ちび六のきげんはとりあえず置いときましょうね。
さてこの子犬ひとたびおきあがったらさいご、もうてがつけられません、あちこちどこどこはいはいどころではないのです。くんくんぱかぱかぐるぐるわんわん、それはそれはすごいはしゃぎようでしまいにはだいどころのさんかくあみまでとびあがってきたというからおどろきではありませんか。
男爵はそのとき子犬のつまさきでふしょうしたのでした。どうりできはくがかすんでいたことをちび六はさとりました。
「ぼうやとはうごきがちがったのさ。すばしっこいたらありゃしない、とうぶんはあのちょうしだろうな、だが夜間はだいじょうぶ、ほらあのとおりすやすやおやすみだよ」
はるのとうらいまであとすこし、めざめのふあんをかきわけるようにして淡いきぼうがちび六のこころにいきづいています。そしてべんじょさまやほかのなかまのしょうそくもしんぱいげにかすめてゆきましたが、傷つきおとろえた男爵のすがたをまのあたりにすると、なぜか問いただすことができなかったのです。
「夜はへいわなんですね」
そうきこえるかきこえない声でつぶやいてみました。男爵はじっと子犬をみつめています。
ちび六もおなじようにしせんをならべました。おやどこかでみたことあるぞ、はてどこだったかな、かんがえればかんがえるほど子犬のねがおがふしぎでなりません。ようじんぶかい男爵をめさどくさっちしたとはなんておそろしいやつだろう、でもここちよさそうなひょうじょうから想像することはなかなかむずかしかったのですね。
しばらくしてから「あっ、わかった」そうさけんだとき、男爵のすがたがとなりからきえておりました。
ちび六は悲しくなりましたけど、どうじになぞがとけたよろこびがとっぷうのようになにもかもふき流してしまって、さっそくだいどころのほうへはってゆきました。おなかがへってきたのです。
男爵はきっとひるまやられたんだ。それをおしえてくれたんだ、ぼくはしんちょうにこうどうしますから。
夜のしじまをやぶるおとがつたわってきたのはそのちょくごでした。ええ、ちび六にはききわけられましたよ。あれはおねえさんがかいだんからおりてくるけはいなのです。
「きょうはごちそうだな」
おなかがぐうっとなりました。そしていつかみたテレビのがめんに子犬のすがたをみいだしたのでした。


[394] 題名:新今昔物語 名前:コレクター 投稿日:2014年04月28日 (月) 04時12分

今は昔の新しいこと、こころもとない年金でのパチンコ帰り、とぼとぼとじいさんが歩いておった。
「春やのにまだ寒い、なんか腹へったなあ〜、おっ、ちょうどええところにうどんの屋台あるがな」
風がぴゅ〜っと通り過ぎていった。じいさんは身震いしながら屋台にかけ寄りました。
「あれ、だれもおらへん、小便でもしてるんかいな。どなたか居てはりませんの」
「へい、まいど」
えらくにこやかな態度で、店主らしき男が屋台わきよりあらわれた。
「冷えますと近こうなります」
「やっぱり小便かい」
店主の顔色がにわかにくもり、
「やっぱりとはどういうこっちゃ、初対面でっしゃろ、失礼でんな」
「なんやと、わしゃ客やないか」
じいさん、入れ歯をはぐはぐしながら興奮気味じゃ。
「へい、お待ち、たぬきらーめん一丁」
「えらい早いでんなあ」
「うちは早い少ないが売りですのや」
「わし、注文したかいな」
「なにいうてはります、お顔にたぬきらーめん食べたいって書いてますがな」
「ほんまか、あんた、たいした奴じゃ、うどんは屋台にかぎるわ、れれれ、らーめんやないか」
「おおきに、それ、カップめんですけど」
「ほうかあ、こくがあるのう」
「でっしゃろ」
「ああ、うまかった、なんぼです」
「お代なんかいりません、お待たせしてしもうて」
「そない待ってへんけど、まあ、でもそういうんやったらええんか」
「じつはですね、こんど今昔食品から新発売されるカップめんのキャンペーンやってるんです。それで屋台かまえてまして、抜き打ちで試食してもらってますのや」
「なんですねん、そのキャンなんとかちゅうの」
「ただ食いってことですわ」
「あと味わりがな」
「それからですね、試食してもろた方に抽選でキャッシュが当たりますのや」
「はあ」
「銭がもらえるってことですわ」
「そうでっか、ほな、おおきに」
 
じいさん、らーめんの試食にありつき、からだも暖まったもんだから上機嫌じゃった。
「世知辛いとはいえ、まだまだ捨てたもんやないなあ」
さながらほろ酔い気分でひとごみにまぎれていった。
「ただやったら、ばあさんも連れて来ればよかったな、でも風邪ひいたいうとるし仕方ないか」
そのときじゃった。
誰かがいきなりぶつかってきた。みれば人相のよくない輩で、じいさん、ぎょっとして立ちすくんでしもうた。
「どこへ目ーつけとんじゃ、ボケ、気つけたらんかい」
いかにも強面の吐きそうな文句にかえすことばが見当たらん。
ところが相手はそれだけで過ぎ去ってしもうたんじゃな。じいさん、ほっとしたのはいうまでもない。
「おお、こわあ、ええことのあとはこれかいな」
と同時に上着の胸のあたりに異物を感じた。
「なんや」
一瞬スリかと思ったんじゃが、反対になんか胸元に放りこまれてるもんがある。
おそるおそる取り出してみると、えらいりっぱな祝儀袋やないか。しかも賞金としるしてあった。
「これはもしかして、、、」
こんな感だけは都合よう働きます。さっきの店主がいうたことをあたかも神仏からのお告げやと思うてしもた。人気のないすきまに身をしのばせ、そっと封を開けてみれば、手の切れそうな万札がぎっしり、ずばり百万円だとにらんだ。
こうなると、やましさから逃げきる馬力みたいなものが猛然とわきあがり、あたりをこそこそ見やりながら、えらく遠回りして家に戻ってきたとさ。
さて、出前の肝吸いつきうな重をひとりもしゃもしゃ食べておったばあさん、ただならぬ気配に驚いたのものの、悪びれた顔色をにごす格好でまえのめりになって、
「どうしたんや、じいさん、血相かえてどこそ具合でもようないんか」
くちもとにべっとり付いたうなぎのタレを意識しつつ、目もとを下げにこやかに尋ねんたんじゃな。
「えらいこっちゃ、賞金当たったで」
うな重どころやおまへん。ばあさんの眼光が鋭くひかった。じいさん、しどろもどろに説明しはじめる。
「これこれかくかくしかじかのそれでそうなりこうしてああなってこないしてこないなぐあいや」
「ほうほうそれはなるほどよしでかしためでたしめでたしごはさんでねがいましては、やまわけじゃな」
とまあ、ばあさんは舞いあがってしもた。
さてありがたく中身を抜いたところ、袋のなかから書類が一通はらり、
「なんやろ」
「しらん、開いてみ」
なにやら嫌な予感をおぼえながら、目を通してみれば、
「あれまあ、じいさん、これ借用書やないか、こないな大金つかまされて、わかった、押し貸しや。しかも悪質やで、ふところにねじ込むやなんて」
「賞金とちがうんか」
「ちゃうわ、利子トイチって書いてあるがな、よう見てみい、今昔金融やて、ほんま、ろくなことさらさん」
ばあさん、カンカンに怒ってはいるが、対策を案じている顔つきやった。
「ええか、たぶん家まで押しかけてくるで」
「それやったらだいじょうぶや」
「とうへんぼく、遠回りなんかしてもあきまへん」
「うさぎ小屋のなかも通ってきたんやけどなあ」
「それで目赤いのか、こうしてはおれん、こっちからその屋台に出向いてこの金をたたき返すんや。そのまえに交番に寄っておまわりも連れてこ」
じいさん、まだことのなりゆきがようつかめておりません。それでもばあさんの剣幕に押されしぶしぶ腰をあげようとしたら、
「おじゃまします」
玄関からかんだかい声が聞こえてきた。
「じゃまするんやったら帰ってんかあ」
「ふざけとる場合かい、じいさん、あんたはなんも口ださんでええからな、わてに全部まかしときなはれ」
ばあさん、ねじりはちまきで対応にでました。
「あんさんら、どないなつもりや。えげつないまねしおってから、じきにおまわりさんも来はるころやで、とらえずこれ返しとくさかい」
背広すがたの男ふたり相手に先制攻撃や。すると、
「ちょっと待っておくれやす、わたしら社長の使いで寄らしてもろたんです。まあ落ち着いてください」
えらい下手にでてきました。
「うちの社長、いたずら好きで困ってますんや、証書のうら読みはりましたか」
ばあさんすぐさま目をこらす。
「なんやこれ、ひとをおちょくってますのか。寿命が縮んですんまへんなあって、どないことでんがな」
「はあ、よろこびが倍増するようにと一度おどろかせてから、おわかりでっしゃろ、ブラックジョークです」
「ほんま、あほな社長やな、で、なんです、張本人は来んと平社員のおでましってわけでっか」
「きっついですなあ。申し訳ありません、社長は今日遠くへ出張ですのや、むこうから急に電話ありまして、ちょっと悪ふざけが過ぎるな、借用書は撤回や、いうんですわ。おたくのご主人が最初の当選者でしたんであわてて謝罪にまいりました」
「ほうかあ、そういうわけなんや、では賞金ほんまもんってことやな」
「もちろんです。ラッキーですよ」
「ほら、みてみい、わしは正しいで」
じいさん、思わず口をはさんでしもた。
「あんたは黙っとり、なら、このしょうもない紙切れ持ってとっとと帰んなはれ、賞金はわたさんで」
「それはもちろん、あと失礼ですけど、粗相がありましたさかい、もう一束お受け取りください」
ああ、夢なら覚めんといておくれやす、、、じいさん、あんたは福の神や、、、
 
ばあさん、特上うな重を食べたまぼろしのあと、デザート代わりにけったいな夢を見たそうな。


[393] 題名:ライスカレー 名前:コレクター 投稿日:2014年04月21日 (月) 02時04分

うちのおかあさんに聞いたんだけど、小学校のときの給食がね、カレーだったんだって。ごはんじゃなくてコッペパンにつけて食べたそうよ。ええっ、うまそう、あっ、そうか、カレースープなんだ。ちがうってば、とろみのあるふつうの、じゃなかった、ああもう、ちゃんと聞いてよ。ちゃんと話せって、そうね。
とにかく、ごはんはないわけ、お皿にカレーがぺしゃ〜と、でね、いもとたまねぎ、にんじんがころころって、それでお肉の代わりにちくわが入っていたらしいの。
びんぼうくさい、う〜ん、そうかもね。ところがその味が妙によくて、そう、これはわたしの推測なんだけど、つまりおやつ感覚っていうか、お菓子みたいな雰囲気があったんじゃないかなって思うわけ。
だって、おうちではちゃんと牛肉入りなのに、ある日「ちくわを入れて」って駄々をこねたそうよ。
そしたらおとうさんに怒られたんだって。おかあさんは苦笑いで、おばあちゃんは目をしょぼしょぼさせていたらしいわ。
で、とにかく、いつまで給食がちくわ入りカレーだったのか、おかあさんもよく覚えてないらしいんだけど、おうちでカレーが作られると、自分の皿にだけちくわをちぎって食べてたらしいの、執念かしら。
ええっ、ただの物好きだって、でもね、それほどちくわが好きってことないみたい、わたしの知ってる限り、おでんとかうどんにもごく普通って感じで特別いっぱいってことないし、チーズちくわを隠れて食べたりしてないわよ。
いや、そんないつも見張ってるわけじゃないけども、あら、どうしたの目がかゆいの、鼻水もとまらない、花粉症じゃない、それじゃあね、バイバイ。
 
 
その日の夕飯はカレーライスだった。ちゃんとごはんの上にかけるから、ライスカレーでもあり給食ではなかった。従姉妹のたつ子さんの話しがふと念頭をよぎった。
あれからどのくらいカレーを食したのだろう。過ぎ去りし日々、失われた記憶、交差する意識と偏在する欲望、見せかけと充足、意味するものとされるもの、初代ボンカレー復刻版辛口のパッケージをしみじみと眺める。
着物すがたの松山容子さん、有無を言わさぬ表現は素朴すぎて親和をはねつけられない。
日本にカレーを定着させた功績は多大である。元祖海軍食である歴史を脇に置いても、このインパクトは申し分なく人口に膾炙し、老若男女を問わず、あたかもマヨネーズやマーガリンのごとく手軽に購入されてきたのであった。
が、復刻版に寄せる親密な情はここまでであり、追想が現実と触れた瞬間には一気に興ざめを覚えるしかなかった。
他でもない、肝心の味が懐古の領域において伽藍の崩落を余儀なくされたからである。
まるで水で薄められたかような頼りなさから来る、底深い失望、そして郷愁に別れを告げなくてはいけない明白なる実際は、二重の意味において物足りなさという感覚に忠実であり、舌先は決して嘘を述べないのだ。
塩分やアミノ酸、スパイスの多様性、確かに時代は進化したのであろう。なかにはこの淡白さにえも言われぬ味覚を発掘し、驚喜する者もいるかも知れない。
しかし、追憶だけに味わいをゆだねることが出来なかった。そこでひと泣きしてから洟をかみ、おもむろに戸棚からS&Bカレー粉を取り出し、ささっと振りかけるという荒技を駆使するのであった。
てのひらに可愛らしくおさまる深紅の缶よ、わが旧懐の念を羽ばたかせ、過去と現在の宥和に導くのだ。
祝詞のごとくすべりだす情念とはうらはらに、この缶のふたは中々しっかり閉まっており、指先でたやすく開けられないのが難点ではあるが、そこは気合いとばかり力むのだけれども、さながら貞操のかたい小柄な女性の気位に似てままならない。
さて、気骨としつこさは区分されるべきであろう。小用に立つ言いわけをあえて口にだすようにして、スプーンを片手に、そして我意のしおれをまぎらわすかの態で、冷蔵庫よりちくわをつかみとり、細かくちぎってはカレーの上に添えるのであった。
邪心なき幼児の色紙あそびをまねて。花咲く乙女を演じながら。

 
たつ子さん、帰ってきたよ、家で洟をかんでから。でもその場所にあなたは居なかった。知っていたとも、バイバイっていってたじゃないか。
スプーンなら曲げてやる。
散らばったのはカレー粉ではなく、どうやら意識のほうであった。


[392] 題名:よしもと昔ばなし 名前:コレクター 投稿日:2014年04月15日 (火) 03時47分

むかしむかしと言うてもみつきくらいまえだったあ、えっ、そりゃ、むかしじゃねえじゃと、んだな、ふかしふかし、、、なんだべ、じゃまするでねえ〜、とにかく、おじいさんとおばあさんがおったそうな。
ほかには誰もおらん。まんがに出てくるようなのどかな山あいにふたりは住んでおった。しば刈りはときどきじゃ、歳とるとあまり腹もへらんから無駄なうごきはせんようにしとる。
かというて寝たきりでない、ほんとは腹がへってはかなわんから、じっとしとったんじゃな。
そのへんは長年の知恵だとさ。おばあさんは来年で三十路を迎えるそうな、、、なにっ、それはおばあさんじゃないじゃと、おじいさんは二十二歳だから早う老けこむと見こんでおったのだが、ちとおかしかったかや。
あんさんら夢がないのう、二十二歳のおじいさんなんてそうざらにはおらんと思うんだがなあ。

 
「ばあさんや、今日の夕飯はなんだろね」
「じいさんや、おまえさんは食うことしかあたまに浮かばんのか」
「なにをいうとる、いまはじめて聞いてみたんじゃ、いやみなやつだのう」
昼すぎに起きたばかりのじいさまは気分がわるなったといい布団にもぐりなおしました。ふて寝じゃ。
「やれやれ、先がおもいやられるわい」
ばあさまは朝昼けんようの食事をすまし、ああ、じいさまにもすすめたんだが、よっぽど癇にさわったのか「いらん、いらん、ひとりで食え、せつやくじゃ」なんていうもんで、とっておきのブルーベリージャムをこれまた季節限定の食パンにたっぷりぬって、カフェオーレもうまそうに飲みほして「町に買い出しに行ってくる」だけいい残し、さっさと家を出ていきました。
じいさまは布団のなかで目をぱちぱちさせていたそうな。で、夜になってもばあさまは帰ってこん、かつてこんなことはなかったのじゃな、それで心配になってきた。
「ばあさま、くるまにはねられたんじゃないかのう、いや、銀行強盗にまきこまれ人質になっておるのでは、はたまた、ひとりで焼き肉とか食べておるのかも、う〜ん、よもや、わしを置き去りにしてほかのおとこと駈け落ちしたか、などと考えはだんだんわるいほうにひっぱられていった。
そのころ、ばあさまは繁華街のいっかくにあるホストクラブで豪遊しておった。飲めや歌えのどんちゃん騒ぎでな、きれいな若もんにかこまれ、それはまあたいそうな鼻息じゃ。
「シャンパンもう一本、ええい、めんどうじゃ、五六本まとめてもってきてくだされ」
「あれ、お姫さま、どうなされました今宵は」
指名された若もんはさすが店内ナンバーワンだけあって、ばあさまの内情に通じておった。というよりか、知りすぎていた。なにを隠そう、じいさまはこの店の元花形、この若もんは後輩のひとりだったというわけでな、電撃結婚を祝った日からいつかこうなるのでは、そうひやひやしていたんじゃ。
いやいや腹のなかでせせら笑ってなんかおれん、じいさまの身はのちのわが身かも知れんから。もちろん同情なんかじゃない、あくまで社会勉強としてだろうて。
そうこうするうちに夜はあっという間に流れさって、ばあさま呂律はまわらんわ、足はふらふらだわ、かつぎこまれくるまで送られようとされた。そのとき、ナンバーワンはひらめいたんじゃな、素直に送りとどけることなんかないわい、眼光あやしく輝かせてなんと自宅にばあさまを連れこんだ。
おっと、あわててはあきまへん、なにも妙なかんがえがあったわけちゃいます、へえ、下心いうてもこやつは冷静なひとでなしの部類でんなあ、まあ見方をかえはりましたらクールかも知れませんけど。
若もんはひと芝居打とうと思いついたんですわ、一晩たってから家に帰したらどんな反応するか、見物をきめこんだんです。そのさい介抱にかこつけた疑いをもたれるような不手際なんぞ、ちゃっちゃらおかしという顔つきを鏡で練習しておったそうな。さらに、
「にいさん、嫁はん大事にせんとあきませんて、ぼくらはにいさんを目指してきたんです」
と、まあ歯の浮くようなせりふまで用意してあったというから驚きですわ。
そりゃ引退した先輩に恩売ってみたところでなんもならしません、しかしでんな、若もんは社会勉強ちゅう名目だけで一歩まちがったら、修羅場になりかねん道を選んだんですなあ。見上げた畜生いいますか、見下げた根性いいますか。

 で、翌日の正午じゃった。家に着いたのは。
「にいさん、ごぶさたしとります。でんわした方がええのはわかってました。でもごらんのようにまだふらついてます、もし転んだりして打ちどころわるかったら、それにですよ、色々あったんやろし心配してましたねん、なんかおちからになれないかと考えとりましたんですわ」
じいさまは奥の間でテレビを見ながら、振り向きもせんかった。それでも若もんはしぼれるだけの知恵をつくして長々しゃべっておった。そのうちにばあさまの意識も回復してきたんじゃな。
「じいさん、返事くらいしたったらどうや」
二日酔いの勢いはこわいもんです。
「また吉本新喜劇なんぞ見くさっとる、なめたらあかんで」
と、凄んだところ、じいさまは「いまええとこなんや、終わってからにし」
そう気抜けするような声でこたえはりました。
これにはさすがの若もんもがっくり肩をおとし、
「ほな失礼します、ごきげんよう」
あきれ顔で引上げたそうな。
えっ、そのあとでっか、想像におまかせしときます。


[391] 題名:茶碗霊 名前:コレクター 投稿日:2014年04月07日 (月) 05時19分

一席おつきあいのほどを。
こう寒くなりますってぇと、ついつい出不精になりがちになりまして、まっ、外出をためらうのは仕方ありませんが、からだの動きも鈍ってくる、日曜なんざ寝たきりを決め込んでもかまいませんがね、休みの日に限って普段から放りっぱなしにしたあれこれが気になってまいります。
やれ分別ゴミだの、整理整頓に風呂掃除、今時はかかあにすべて押しつけようもんなら、えらい剣幕でどやされますな。男女平等、夫婦円満、明るい家庭には笑顔が絶えないときたもんだ。さて世間では断捨離とかいう殊勝なこころがけがありますそうで。
 
くま八とおすみと聞けば、市井でも評判のおしどり夫婦。所帯をもってはや三歳、子が授からないのがちょいとばかし残念なぞとの陰口もたちまち消えてなくなる睦まじさ、おまけに夫婦そろって器量よしのうえ人当たりも申し分ないとくれば、まるで絵に描いたような理想像でございます。
「おっ、くま八さん、今日も顔つやがいいね。あんなべっぴんさんを持つてぇと違うもんだね。まったく色男冥利だ」
「からかわないで下さいよ、そんなんじゃありませんや」
「謙遜しなさんな、ひともうらやむなんとやら。まさか浮気の虫なんざは」
「勘弁でさあ、冗談きついんですから」
「すまなかった、へへ、ところでその荷物はどうしたんで」
「はあ、おすみに急かされましてね、年も改まったことだし、いらぬものは捨ててしまおうと」
「こりゃ、まいったね、物持ちの言うことは違うね」
「なにをおっしゃりますやら、朽ちた草履に欠けた茶碗、折れたつい立ての類いですよ」
すると相手は腕組みをしまして、神妙な面になり、「あっ、そうかい」とだけ言い残し、くま八から離れていきました。
「おかえなさい、部屋がさっぱりしましたよ」
澄みきった瞳で亭主に話す声もまたさわやか。
「そうさな、昔から古い道具は化けるとかいうからね」
「いやですよ、そんな気味の悪い、いくらお前さんとこの家訓といっても後生大事に仕舞いこむのは限度があります。お化けなんか出やしません」
「そりゃそうだ、九十九神や付喪神になるほど古かあないし、でもあの茶碗は夫婦になったときに買ったものだ、捨てるにしのびなかったなあ」
「すいません、わたしが粗相したばかりに」
「いいんだよ、かたちあるもは何れっていうじゃないか」
ご両人のやりとりまことに優しさがこもっております。が、くま八にしてみますと、やはり先祖代々の倹約のいましめが肌にしみ着いているのですな、百年もまえの代物ではなきにせよ、使用できずとも、ものは大事にしなければ罰があたる、そう信じているわけでございました。
夜四ツにもなりますと夫婦はすでに夢のなか、往来を吹き抜けてゆく北風のみが侘しげな音色を奏でております。
闇にまぎれた怪しげな物音もあやかりでしょうか。おすみがそれを察しまして、恐る恐る首をもたげますと、カタリコトリと小石を打つような響きが耳へ入って来ます。
かまどのほうだと気づいたときには、眠気も払われ、隣のくま八の胸元を布団越しにゆすって、
「ちょいとお前さんたら、、、」
消え入るような小声で目覚めをうながしますと、
「どうしたんだい」
ひやりとした空気が寝ぼけまなこにしみ入り、さも大義そうな面持ちに無理はありません。
「妙な音がほら、かまどの隅から」
「うぬっ」
くま八にも不審は募ったようで、「どうせ、ねずみの仕業だろう」と口にしたものの、からだはこわばっております。
「見てきてくださいな」
「わかったよ」
そっと行灯を抱えるようにして立ち上がり目を凝らしてみれば、
「なんでえ、茶碗がぶつかり合ってるぜ、これは一体」
「あれま、ほんとに、ねずみなんかいませんわね」
同じ驚きでもおすみのほうがどことなくあっけらかんとした口ぶりで。
「お前さんの執念かしら、なら捨ててこなかったと話してくれればいいのに」
「馬鹿いうなよ、おらあ、ちゃんとまとめて、、、」
「じゃあ、どうしてそこにあるんです」
「こっちが聞きたいよ」
「聞くもなにもああしてうれしそうにひっつき合って、気持ちよく鳴ってるじゃないの」
「なんだい、さっきは気味が悪いなんて言ってたくせによ」
「あんなにひびが入っているのに大丈夫かしら、割れてしまわないかしらね」
「まったく変だぜ。茶碗もおまえも」
「あら、そうですか。あたしはなんかうれしくなってしまいました」
「お化けのまやかしに喜んでいる場合じゃないだろうが」
そう吐き捨てるように叱りますと、あら不思議、茶碗の動きがピタリと止んでしまったではありませんか。
「お化けなんていませんよ」
「そうかな、今までいたんじゃないか」
「もういませんたら」
「随分とすましてるなあ、でもどうやらそうらしいな」
「想い出の品ですもの」
その夜更けのふたりの抱擁にあてられた茶碗が朱をさしたように、ほんのり色づいたのを仏さまもご存知なかったとやら。
お後がよろしいようで。


[389] 題名:タイムマシンにお願い 8 (完結) 名前:コレクター 投稿日:2014年03月24日 (月) 01時42分

「それならタコ焼き買ってあげるよ」
まるで己の腹具合を心得ている台詞に苦笑をこらえながら、そう答えると少年の顔がうっすら緩んだ。
ひび割れた鏡などではない、曇りさえ覚えぬ澄んだ瞳のために差し出された自画像であった。
「細道を抜けていこう」
ひだまりの奥は家屋が密接した隙間なのだが、少年と一緒に難なくすり抜け路地へ出て、民家と見誤りそうなタコ焼き屋に赴いた。自分の足が軽いのは一心同体である証なのだと、気恥ずかしさにそそのかせつつ晴れやかな顔で店先へ立った。
「へい毎度」
「おじさん、、、」
そうこころの裡で声をだした刹那、自分のほうがすでに年かさであることに言いようない驚きを感じ、あの機敏な仕草がときを経て眼のさきに浮遊している錯誤を得、言葉をつまらせてしまった。
思えばやにわの邂逅に見舞われたのだから、遡行してから見知った顔を探し求める余裕などはなく、決断の意はここに来てようやく過去の情景に見入ったといえる。
こみ上げてくるものは自愛とは別種のさざ波を思わせる静かだが、はかり知れない見晴らしをともなった懐かしさであった。又こじんまりとまるでおもちゃ箱の底に潜んでいたようなうれしさだった。
「元気そうですね」
空言だけれど、そう口さきが勝手に動くのを自分は厭うどころか、とめどもない感謝の念を抱きながら了解した。
「お陰さんでねえ、丈夫だけが取り柄でさあ」
溌剌とした語気に乾いたぬくもりを感じてよろけかけたが、気を取り直し「大をふたつ下さいな」そう言った。
このおじさんはもとの時代では亡くなってから久しい。
「よかったなあ、今日はいっぱい買ってもらえるんだ」
店主のまなじりに呼応するよう少年の表情にも明るみが射し込んで、照れた素振りで自分の脇に身を寄せた。
「はい、どうもありがとう」
「ありがとう」
そして寒風から逃れる勢いをまねて、あるいはタコ焼きが冷めてしまう事態にことさら意味をなすりつけ、家路へ連なる途中にある市役所の芝生をまたぎ、ちいさなベンチに腰をおろし、まだまだ温もりを失っていないタコ焼きの包みを開けた。
「食べながらでいいから聞いてくれるね」
いくら子供とはいえこんな安直な代物で奇跡を押しつけようとしている自分を恥じてみたが、切ないかな、とまどい勝ちに手をつけようとしない少年の意地らしさと、更にタコ焼きの味わいまでが我が身に通り雨のごとく降り注いで、涙を装う。
今なら引き返すことは可能だ。感傷でも理想でも夢でもない、ましてや宿命という名の意志に翻弄されていると言い切ることは出来ない。深読みするまでもなく、自分は正体さえつかみきれない既視感に惑わされているだけだろう。
ひたすら幼少期の夢想を成し遂げたい狂気を賛美してやまなく、自己陶酔の彼岸にたどり着いた以上、記憶の迷路は出口を日常に見いだすのではなくて、歪んだ回路にこそ光輝の道程を探りあてたく悶えているのだ。
欺瞞を駆使したというには抵抗があるけれど、実際問題、帰着すべき箇所は己の意識を解放する悲願に通底している。
少年は自分であって自分ではないのかも知れない、、、肉体、意識、記憶が此岸から眺められる限り、そして意思の疎通がはっきりと打ち出されない以上、人格は厳粛であり、どうあがいても肉体の合一はありえるはずがなかろう。
土壇場で決意を鈍らせたとはいえ、あくまで自分の顔つきは覚めた色調を保っていた。そのときだった。
少年が応えたのは、、、
「はなし聞くけど、ぼくにはわかっているよ」
「何が、、、」
「おじちゃんはぼくだよね。タコ焼き食べないの、大ふたつだよ」
 Nさん、もしあなたがここに居てくれたら、きっとこう尋ねたに違いない。
「わたしは誰なんです」
するとこう返事される。
「それは分かっているはずでしょう。思い通りにしなさい。過去も現在も未来も」


「それであなたは少年を竹薮まで連れていったというわけですね」
薄暗い小さな部屋に煙草のけむりが充満している。自分を詰問している男はまだ青年らしく、油染みた容貌と妙に取り澄ました態度を持たない代わりに、口調は鋭いまま感情をあらわにした目つきでじろりとにらんだ。
「何度も言っているでしょう、竹薮ですよ」
「数人の目撃者がいるけど、Nさんあなたは見るからに陶然としてひとりで歩いていった。酒も飲んでたみたいだしどういうことです。少年と一緒ではなかった」
「誰が見ていたと言うんですか。わたしのことなんか知るひとはいない」
「知るも知らないも全員がNという名前を口にしているんだ。どこに少年を置いてきたんです」
「だから竹薮に隠しておいた椅子に座らせて未来に送り届けたと」
「そんな戯言が通じるでも思っているのか」
男は声を荒立てたことに損をしたとでもいう表情をのぞかせ、今度は薄笑いを浮かべながらこう言った。
「まあ、いいでしょう。で、市役所前までは連れ添っていた。これは何人かの証言から裏づけがとれている。ではもう一度聞きますよ、どうしてあの少年を狙ったのです。確かにあの土地はあなたの生家だったが、随分とまえに売却され家も立て直されてる。その縁故だとしたらお粗末じゃないですかねえ」
「わたしを偏執狂あつかいする気ですか。ひとの家と自分の家の違いぐらい分かってますよ」
「ほう、きちんと認識してるってことですね。なら辻褄が合わんでしょうが」
「どういう辻褄でしょう。わたしは自分の家のまえを通り、そこに住む少年時代の自分を待ち受けていたまでのこと」
すると相手は話しの腰を折る勢いで問いつめてきた。
「だったらあなたはどこから来たっていうの、未来からなんて冗談はいい加減にしてもらいたい」
「よく分かってるじゃないですか、その未来からタイムマシンでこの時代にたどり着いたのです」
「またそこに戻る、あのねえ、もうふざけるのはやめにしてだね、きっちりお粗末な事情を吐きなさい」
「縁故がお粗末なら自己撞着は最悪ってことになります。しかし本当なんだから仕方ありません」
「精神鑑定を受けたいと願っているわけ」
「別に、どうでもいいです」
「誘拐の罪は軽くないんだ。身代金目的だったのか、それとも異常欲求か、意味のない犯罪はそろそろ終わりにしてだね、現実に向き合おうじゃないの」
「まだ終わってませんよ。写真のほうはどうでした。わたしの成長記録として間違いないのでは」
「Nさん、あなたをの知るひとはこの町に沢山いる、なぜ写真なんか証拠にしなくてはいけない」
「ああ、言い忘れましたけど、あの写真をですね、わたしの家の者に見せてもらえませんか」
「どの家にだって」
「わたしの家にです」
「どうしてもしらを切り通すつもりなのか、、、」
問いかけに付随した男のため息は本物だったと思う。声の張りは失っていないけれど、語尾が尻つぼみになった。
記憶は鮮明であった。これから先もずっと絶えることなく、、、
 
自分はNと呼ばれた。見知らぬ顔に出会うように又わたし自身にも出会いは生じている。
「この腕時計をしっかりはめているんだよ。絶対になくさないないように。きみのことはおじちゃんが誰よりも知っているから、、、中華そばもタコ焼きもおいしかったね。それから卵がない時はお好み焼きはつくらないほうがいいよ、紅ショウガも入れ過ぎてはいけない。さあ旅立つんだ、またいつか会えるさ、必ず」
過去にしがみついてばかりはいられない、かといって現在を生きていく意欲が盛んであると断言できず、仕方なく過去に生きるのか、、、この考えは死に限りなく近い薄皮一枚でへだてられているようにも思える。
なにをもってしても破れない被膜、破れないならあきらめよう。
それから未来への展望は決して透かし見るものではない、むしろ閉ざされた暗黒の彼方を夢見る力が望ましく、また美しい。
自分は時間を狂わせたのではない。狂いが時間を修正したのだ。



[388] 題名:タイムマシンにお願い 7 名前:コレクター 投稿日:2014年03月17日 (月) 06時34分

潮風がわずかに入り交じっているのだろうか。浜辺を背に小学校へと向かった身はあたかも波の打ち寄せに、押し流される貝殻を演じているようで、肌寒さを感じることはない。
空洞に吹き込む風がことさら意志を秘めていないように。
逍遥とした風情であるならば、、、世紀の発明に似つかわしい面持ちで闊歩したかもしれないが、今の自分がたどる足つきは半ば狂気を宿したほの暗い夢想に操られている。
ひだまりまでゆき着く時間は呆気ないほど短かったけれど、潮風に対峙した北風のわびしさと愁いは、夢想の奥へ眠る希望を芽生えさせた。あくまで径庭を自覚しての混濁した未来であったが。
すでに校舎からは生徒らがちらほらと勢いよく飛び出している。もう秒読みの心持ちになった。
目が泳ぐ。足が止まる。さながら時限爆弾を小脇し構えている佇まいだ。心音も期待を裏切らず急激に高まり、手のひらには不快間際の汗がにじみ出る。焦点は記憶の彼方からあらかじめ結ばれていた。
はじめて異性に気をとられた折、あえて視線をそらす不本意な羞恥に自らの気持ちを確認せざる得なかった、あの明確な縁取りが施され、40年まえという過去に舞い降りた奇跡がようやく意義を見いだしたのだ。
この瞬間をどれほど恋い慕い、あるいは遺棄すべく封印してきたことだろう。まったく相反するふたつの思念が今まさにひとつに溶け合おうとしている。
ひだまりの許でぬうっと立ちはだかった影を少年は見上げた。
「あっ、きのうのおじちゃん、、、」
「ここが好きなんだね」
「すぐ家にかえってもひとりだから」
「おばあちゃんはどうしてるの」
「しらない、雨ふりの日しかあまりいないよ」
「そうだった」
少年のこころは揺れていた。
来るべき将来を司る影が自分を覆い、なおかつ現在それ自体が宣託に等しいのだと、強引にたぐり寄せた不穏な空気に包まれていたからである。
意識の黎明はもう始まっており、契機を待たずとも自重でぬかるみへ呑まれるように、あるいはとるに足らないと嘲ていた小火があっという間に燃えひろがるように、禁断の花園は悪鬼を誘い、魅惑の憂慮を厳命の名において授けていった。
ちょうど40年まえの今日、自分は見知らぬ男に声をかけられ、生来の好奇心になびくまま竹やぶまで着いていった。
もっとも危惧したのは同じ轍を踏む情けなさより、宿命は時間にどう近づくか、そして為すべきことを回避した場合、この精神は果たして正常なままでいられるのかという、何ともねじれた自己確認であった。
この期に及んで保身もないだろうが、ひとは発狂に至ったとしても防衛本能を根こそぎ失ったりはしない。
いや、むしろ生死の境目に立ちすくむ状況だからこそ、死の重力を明快に感じ取り、反動のエネルギーを発揮する。
厳密には生の衣を貸与される、そう言い直したほうがいい。太古の人々が畏敬の念を捧げていたのは時間の果てではなく、季節の節目などに降り立つ妖気をまとった現実そのもの、時間の粒子を受け取ろうにも指の隙間からこぼれ落ちてしまう無念であった。
たかだか40年とはいえ、歴史は歴史だ。自分に残されていたものは不実な忠誠だけだった。
あの日からの記憶が模糊とした霧のなかに滞っているのは、いや、悪夢を忘れたい一心が貫かれたに違いない現実は、今となってみれば自分の生き方をしっかり腰と据えて回顧する試しがなかったように、日々の連鎖にすべてを託し、見るもの聞くもの、触れるものは恩恵であるなどと不遜な意識を育んできたからであろう。
少年の向後は極めて平凡であり、奇跡が生んだ跳梁でも、異形が編み出す紋様でもなかった。
路上からはうかがい知れぬ土中の水管に流れが絶えないごとく、自分は経年の水道工事を振り返ろうとしない凡庸な半生を過ごしてきた。
疑問であるなら疑問だろうが、脳裏に上らない、上らせない限り奇跡は土中に埋まったまま懐疑は風化される宿命を余儀なくされた。これが時間と歴史が織りなした平穏無事という圧力に思える。
なら繰り返すべきではないか。
Nさんから連絡をもらう以前より自分はタイムマシンの存在を心得ていたのだ。
どこが発露でなにが要因かなんて探る余地はなく、あるのは宇宙開闢の謎に対し想い馳せるようなまなざしだけで、それさえも立脚点の不在を補うために用意された杖でしかない。
杖は悪ふざけよろしく望遠鏡となり、片方の眼に夢見を、もう片方には忘却を覗かせる。まるで遠ざかる星雲からいさめられる様相で。
どうして未来から使者がやってきたのか少年にしてみれば考えることは不可能だった。同時に自分の胸に手を押し当てる不安は謎めきから引き出されはしない。時間に反抗する意思のなさはとうに決定されている。
ただ少しばかり小躍りしてみたかっただで、これは祭りの狂躁に通じるものがあるのでは、そんな負け惜しみを絞り出す。
ひだまりの静寂は祭りが終わったがらんとした空間に影絵を投げかけていた。
ゆっくりと地を這う蟻の群れがふとした加減でひとかたまりの形状をあらわにし、自然に理に抗う気配を見せ始めた矢先、少年の声は悲痛な響きを地面にたたきつけた。
「ぼくがどうかしたの」
上目遣いだが、小動物の危険を察知したような潤みが辛かった。
「いいや、そんなことないよ」返す言葉の語尾が震えている。
「じゃあ、なぜ、ついてまわるんだい」
「そうだね、まったくだ。授業は終わったけど説明を聞いてもらえるかなあ」
これだけ言ってしまうと、あとは動悸も静まり、幼き日の自分にめぐりあえた歓びが、さきほどの中華そばの温もりをともない体内からあふれ出した。
「なんだろう」
「とても不思議な話なんだ。たぶん漫画やドラマよりずっとずっと面白くて、怖くて、驚きでいっぱいだよ」
「ふ〜ん、そうなんだ」
まだ怪訝な顔色を隠しきれない少年の瞳に自分の淀んだ姿が映っている。が、不審な表情のすぐ裏側にはとても鮮やかな花のつぼみが仕舞われており、まだ見ぬ笑顔にうつろうの予感をよぎらせると、ためらいなくこう言った。
「これから探検に行かないかい」
唐突の意見に聞こえたに違いないだろうが、少年の夜へと言葉は伝わったと思う。
そのしるしに肩先が少しだけ前のめりになった。探検、、、この語感は自分らにとっては至上の合い言葉なのだ。
花咲くときを見定めたい気持ちが昂じるにつれ、理性とやらを吹き飛ばして、すぐにでも少年の手を取りそうな焦りを感じた。
「ひるごはん食べないと」
頼りなげな、しかし明快なこのひとことがなければ、きっと誘拐犯の風貌を見事にあらわにしていたであろう。


[387] 題名:タイムマシンにお願い 6 名前:コレクター 投稿日:2014年03月10日 (月) 03時59分

時間は曲げられない、、、想起されるべき出来事はもはや内なる壁を破壊して、脳の天井に風穴を開けさせ、四肢は操り人形よろしく勝手に踊りだし、潔さを通り越して忌まわしい解体に突き進もうとしている。他者に責任なんかない、むろんNさんにもだ。
高ぶり寒気の迫る夜更けのなかで、時間は的確に過ぎ去っていった。
哀しい夢を見た気がするのだったが、内容はよく思い出せない。同じ過去でも今は外界に向っていかなくてはいけないのだ。そして宿の勘定をすませ、いよいよ40年まえの風景を目に焼きつけようと試みた。
これさえ韜晦でしかなく、先の意気込みは濁った沼に沈んだ宝石と讃え、徹底して自らを侮蔑した。が、強迫観念を引き合いに持ってこようとする自愛は、まるで自動装置に等しい稼働力で周囲の退色した情趣を奪い去ってしまう。
気力が失せるというよりも、時間がはらむあまりに強大な圧力に準じるほか手だては見つからない。ちがう、発見できないのではなくて、その反対なのだ。自分は時代に逆らったりしようとも、自虐的な振る舞いを起こそうなどども考えてはいなかった。
痛切な気分だったが、悲鳴をあげるほど衝撃にまで達してはおらず、しかし、焼きごてを素肌に押し付けらている苦痛は走り去ってしまっているのだろう、懐かしの町を散策してみる意欲は微塵もわいてこなかった。
ただ悄然と足の向くままに、港から河口へ、視線は寒気にさらわれ、枯れ木が微かに震える様を眺めていたに過ぎない。
そして小学校の手前付近でふたたび宿の界隈に後戻りしてしまった。ここでも時間はせき止められている。せめて可能なのは父に連れられた思い出のある当時としては新装の食堂をめざし、暖簾をくぐることぐらいだった。
店内は昼まえだったので客もまばらで、香ばしい出汁とカレーの匂いが混ざりあって鼻をつく。こればかりは鮮烈な懐かしさを抱え込んでおり、思わず涙がにじみだし、あわててとりあえず酒を注文した。
 
二本目を開けたあたりで父の幻影が今はなき食堂に立ち現れた。
「中華そばにするよ」
「もっと他のものにしたらどうだ。せっかく来たのに。お子様ランチもあるよ。ミートスパゲッティだってさ、色々あるなあ」
「中華そばでいいよ」
決して意固地な態度ではなかった。ただ、他のものを食べた経験がなかっただけである。お菓子やアイスクリームなどには駄菓子屋でそれなりのこだわりを発揮していたにもかかわらず。
子供の領域、、、どんなに背伸びしてみても大人の世界に手は届かない、だからこそ小さな囲いのなかで空想に耽るしかなかった。
おもちゃに飽きたら、裏庭に羽を休めるスズメや名も知らない鳥たちを見つめ続け、あるいは道ばたで見かけない猫や犬と出会ったなら、追いかけるか逃げるか、どちらにせよ、未知の世界を切り開いている実感は知覚とは別の受け皿に盛られていたように思う。
父のすがたが目のまえからすっと消えた。
更に酒を求め、中華そばを注文した。待つ間、鞄の奥にしまい込んであった数枚の写真を取り出し、テーブルの上に並べてみた。
自分の成長記録といっても過言ではない少年期から成人中年にいたるまでの写真である。記憶との交差もまた詭弁でしかなかった。実際この時代を写すことに意味はない、何故ならこれら証拠物件を切り札にと持込んだ時点で答えははじき出されていたのであり、運命は目前で巨大な太鼓の響きを打ち鳴らしていたからであった。
中華そばが運ばれた。うまそうだ。割り箸をつかんだ手が微かに熱をもった。
石油ストーブの温もりは店内を満たしているものの、足許にだけでなく、首筋まで寒気がしのび寄っている。
すきま風が訪ねてくるのだろうか。
でも、その分だけ湯気のかすみは味覚とは別種の、飢餓感にも似た切なさをうらはらに醸し出し、胸が熱くなった。中華そばをしみじみ食しながらも、意識の大半はもっぱら遠景を描写しているのだ。
ほろ酔い加減も手伝っているに違いない、昔ながらの味わいは舌さきだけにとどまらず、限りなく遠い存在を慕い続けている。
ふと我にかえったときには、悲しくなるほど芝居じみた苦笑を浮かべるしかなかった。
つい今しがた父のまぼろしが目のまえに現れたよう、ことさら意志を持たずとも麺をすする勢いに乗って、想い出は急進的に輪郭を整えはじめ、そう、どうしてここで少年の自分と向き合っていないのかと、歯痒さを通り越し、痛恨ばかりが大きく渦を巻きだしている。
誘拐、、、そんな言葉が脳裏を忌まわしくよぎっていくのを軽くあしらうと、更に笑いはゆがみ、反転した衝動が全身を貫く。
「どうだい、出来たばかりの食堂だからきれいだね。なんでも好きなものを食べなよ。遠慮なんかしなくていい、おじちゃんは親戚なんだから」
もしまわりの誰かが自分を注視していたなら、おそらくろれつのまわってない戯言にしか聞こえなかっただろう。
が、その軽薄な意想は決してかげろうのようにたち消えてしまう憐憫を周囲に投げかけていたわけでなく、むしろ宿命的な濃度で影を形づくり、ある意味邪念は打ち払われていた。
どんぶりの底が見えるのも待ちきれず、ふらふらとよろめく足取りに使命をあたえ、短い旅程であったことにうなずき、時間を超えた一本の赤い糸の連なりだけに夢想をゆだねてみれば、あたかも前世よりの許嫁であるごとく心身は燃え盛り、また反面では稚拙な執着を確信せざるを得ず、再度情念は引き裂かれた。
すでに自分は少年を誘って、食堂の暖簾をくぐり、一緒に中華そばを食べたのだ。
幻影でもかまわない、父の幻像のうしろに隠れていた実体が躍り出たのだ、そう強く言い聞かせ、すでに浸食の深まった意識のなすがまま路上にさまよい出た。
まさに彷徨であった。Nさんの忠告に即しながら、あまりに明確な刻印をもはや手にしてしまっている実情は行く手をさえぎり、甘いロマンに彩られた悲劇の道筋だけが、ミミズ腫れになって血管へ結ばれる。
記憶をめぐる冒険は、現実というありきたりな硬質感を宿した壁によって迷い道をも逼塞され、今まさに明暗を分つ時間のさなかに佇んでいるのだ。
葛藤と云うには辛辣すぎ、躊躇いと呼ぶには驕慢であり、それは一条のひかりがすでに導きを成そうと努めていたからで、あとは寝返りを打つみたいな、無頓着な身体のみがすべてを牛耳るのだった。
自分は知っていた。今日が何曜日で学校は昼過ぎに終わるということを。
裏門の前に建つ文具店の奥まったちいさな庭、ひだまりと言い合ってはしゃがみこんで、地面をほじってみたり、他愛もない仕草を数えきれないくらい繰り返した場所。そこからもっと狭い通路を抜ければ帰路は遊戯に変化した。
今日もきっと少しばかり物憂い表情で少年は寄り道をするだろう。自分はそこに向かってゆっくり歩きだした。
太陽は雲間に隠れ、寒風が薄笑いを作りながら木枯らしを運んでゆくに従って。




Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】Amazonからファッション秋のお出かけタイムセールまつり24日まで開催
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板