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[386] 題名:タイムマシンにお願い 5 名前:コレクター 投稿日:2014年03月03日 (月) 04時56分

「おじちゃんだれ」
返事なきままに立ち去れば、自分の沈着さを時間が保証してくれるに違いない。
そして動揺した気分を覚ましてから明日にでも再び尋ねればすむことだ。あるいは日付がわかっているから、少年の行動範囲はおおかた把握できるし、そっと様子うかがいに終始すれば本来の目的にもかなう。
ところが、後ろ髪を引かれる心持ちは絶大な威力であまりになじみ深いこの位置に磁場を生み出してしまっている。金縛り状態を振りほどくのはもはや不可能と思われた。その瞬間、あきらめともなげやりともつかない感情が突風になって心身を吹き抜けてゆき、目頭が熱くなった。
「おばあちゃんの親戚だった」
抱えた鞄の大きさとNさんからの計画、そして綿密な支度が急に疎ましくなり、現実を押しのけ激情に溺れかけそうになっていた。見え見えの嘘になにもかも放りこんでしまっているではないか。
「おばあちゃんなら今いるよ」
祖母は20年まえに亡くなっている。親戚と名のったうえは磁場に協調したも同じことだけれど、少年に過去形は通じない。意思の疎通があるとすれば、自分の理性を保ち決して情動的な素振りを見せないことが前提であり、言葉ならぬ言葉で包みこむしかすべはないであろう。
記憶の交差、それが目的だったはずである。この三日間に少年を見失う確立は極めて低いと思われたので、自愛に支えられた感傷を払うのに難儀はしない。ただ、降りかかるかも知れないアクシデントを想像したとき、痛切な哀しみが押し寄せてきそうで、もう二度とないであろう旅情を大きくふくらませてしまうのだった。
自分が奇跡と立ち会っている驚異を差し引いても、また記憶の残滓がこうした幻影を装っているとしても、今置かれた境遇がめぐってくることは永久にあり得ないのだ。そして決意とも呼べる言葉を選んだ。
「また来るよ、古い親戚だからおばあちゃんは覚えてないだろうね、きっと」
「そうなの」
「ああ、きみは毎日元気かな」
「えっ」
「なんでもない、さよなら」
自分は何を言っているのだ。鏡に対しひとりごとを喋っているわけであるまい。金縛りは呪縛までに至らず、却って少年時代に適応の証明を授けられたとほくそ笑んだ。
北風が思い出したように帽子のふちをわずかに煽ると、引き裂かれた心中に不敵な親しみが忍びこんでくる。
港の宿に向う足どりは重くもなく、軽くもなかった。見知った景色、それらが相当異なっているのは当然であり、道路の幅にしろ、車両のまばらさにせよ、民家の連なりにしても、そしてすれ違う人々のすがたも、かつて目の当たりにした揺るぎない空間に占領されている。
自分のこころは躍ったのだろうか、いや残念なことに、まるで古い映画を観ているような情調と、遅れてやってきた幾ばくかの知覚が、錯綜としたまま放りだされており、とてもいにしえの明媚にひたることはできなかった。
自問するまでもない、旅のとば口で早々に過去そのものに出くわしたのだから、世紀のトリップに酔いしれ、おののくより、得体の知れない思念にとらわれてしまっていた。これまで過ごしてした時間が、生きてきた道のりが、一枚鏡の中に凝縮されている。
別に時代にならっているわけでなく、身動きさえ難しい重荷は、ひかりと影を数えきれないくらい重ね合わせており、郷愁をも剥奪して過剰な映像と化しているのだ。自分自身という存在を認めさせるために。
もちろん心底願ったのは、未分化な心模様であり、郷愁に彩られた淡くせつない、鏡面のかがやきに違いなかった。それなのに、この有り様はあまりに強烈すぎてとてもじゃないが平静でいられはしない。
身から出た錆とはいえ、弱さが前面に露呈し、むしろ急な訃報を耳にした際や、狂恋にもがく動悸に苛まれていた。
宿に難なく落ち着いた現実からすれば、意識の流れは時間軸に忠実でも、また支配下におかれている状態でもなくて、まさに混沌としたひとつの見苦しさに過ぎなかったのだ。
醜悪の理由はそれだけではない、ちょうど囚われの身が知らず知らずにうちに敵方を過大評価してしまうように、堕ちた人間の臭気はとことんおのれを峻別し、最期までなんらかの芳香を望んでしまうのだろう。
冷気がいかにも脱臭を担ってくれ、転じては不遜なぬくもりを夢みる。
自分はまさしく刻印を欲していた。少年という無垢なまぼろしに美しい輪郭をあたえるために。
見覚えのある写真のほうが実際に情景を目の当たりにしたときよりも、こころときめくことがある。たとえうら覚えにせよ、記憶の浸透は空間的な実質を求めていないのかも知れない。今の心境がまさにそれであった。
宿の部屋は薄暗く、また二階の窓から眺めた夜景も時代に同調しているのか、盛り場の灯りにまとわりつく漆黒に被われている。
闇は地を這い、枯葉の想いを糧に街路樹は夜気に溶けこむ。冒険心に満ちていたはずのつい数時間まえがすでに眠りを誘っているわけでもあるまい。自分は時間に信頼を寄せ過ぎてしまったのだ。色あせた写真を持ち歩きながら、歴史探訪する行為となんら異なるものはない。浮ついた葉が微風に吹き流されるように、そこに新鮮な発見を得ることが出来なかった。
夕食と酒の味さえ味気なく感じてしまう。夜の町並みを見物する意気もあがってこない。理由はわかりかけていた。いや、すでに記憶の底から飛び出したくてうずうずしていたのだ。
自分は一刻も早く少年時代そのものに出会いたく、それは最初から瞭然としていたからで、ようはNさん宅と生家は歩いて数分の距離であり、三日間という旅程はとってつけた言い草でしかなかった。
確かに当時の風景に接する期待も抱いていたけれど、逢い引きにとって物見遊山が徒爾であるごとく、また詰めれば欲情に婉曲なもの言いが邪魔であるように、自分は時間に裁断されていた。
そう、意識の扉は重い封印をこじ開け、遡行とともに一気になだれ込んで、この実験自体を根底から揺るがし始めたのだった。
肉欲が衝動的であり、果てたあとに一抹の虚しさを残す様相と似て、あたかも三日三晩の情交に意義をすりつけたのは粉飾以外のなにものでもあろうはずがない。
Nさんより電話があった時点で自分のなかに眠っていた火種と小競り合いを開始し、周到な計画を練ったつもりでいたのだが、そうした細々しさの奥にこれまで流れてきた人生のひとこまひとこまが無造作に、あるいは序列に従って、きらめきを解き放ち出していたのである。
楽しかった想い出も辛かった時期も、意味を忘れかけた時代も、みんな自分のすべてなのだ。
虚偽、そう呼んでさしつかえないだろう、素晴らしい映画がたかだか二時間程度で終決してしまうように、焦慮に追われた素振りにまかせた準備は、ちょうど物語制作の現場であり、最終的には虚構をもって実を成すなどと、大義名分を胸に言い聞かせ、ある決断を余儀なくされている自身を𠮟咤し、それでも拉致があきそうもないので、畳に大の字で仰向けになった。


[385] 題名:タイムマシンにお願い 4 名前:コレクター 投稿日:2014年02月24日 (月) 06時40分

さて深い山中でもあるまいし、いくら竹やぶに差す明かりが40年前の光線だとしても山林へと連なる方向と反対に抜ければ、そこはすぐ湾岸を臨める狭い町並みだった。
迷い犬を見届けるようにタイムマシンの隠し場所を振り返っている間にも小高い土地は、見事なまでの眺めをあたえてくれた。
なだらかに続く下方の畑に緑は濃密でなかったが、うねが線状に居並ぶ光景は足もとまで匂ってきそうな土の香りを含んで、北風に運ばれてくる町全体の息づかいを背景に過ぎ去った時間がめぐって来た。
見るからに走行車がまばらな国道を境に畑はいったん途切れながら、点在する民家を取り巻くよう再び土の領分は広がっており、瓦屋根の平べったくも夜空を吸い込んでしまったふうな燻った色合いの均一なこと、曇天の本意を汲んでいるのか、陽光と風雨の日々を寡黙に見守っている青銅の屋敷神を彷彿させれば、道行く人のすがたも生き生きとした歩行に見え始め、顔かたちがまだ明瞭ではない距離を計るまでもなく、自分の両足は軽やかな風に吹かれた調子でこの界隈の大きな交差点まで進んでしまっていた。
現在では削りとられ面影を残しているとは言い難い中央公園の小山もほぼ原型をとどめているのが分かる。信号機が青に変わる合間さえ慈しむよう視界の映りこむ光景に陶然としていれば、休む暇もあたえまいと、建設予定地になっていたグランドに行く手をはばまれ、以前写真に収まっていた雰囲気とはまったくの開きがあるのを知る。
さほど遊んだ思い出もないけど、生家がこの道筋沿いであるから遠目にしろ、日常のうちに連なっていた場面は記憶の欠落も手伝って、どこか見知らぬ空間に赴いたときみたいな疎外感を招いてしまった。
だが、野球場としても利用されていた名残りが一部の金網からうかがえるし、何より小道をまたぐのを諌めているとも言える銀杏の黄色が道のすがたを塗り替えている。
落ち葉はまるで絨毯を敷き詰めるために空を舞ってきたのだと聞かされても違和を唱えられない。
やや深みががった、けれども鮮やかな黄が放つ色調に枯れ葉の名はそぐわない、幾重にも積もった銀杏の木の下こそ町のなかの森ではなかったか。
屋根のうえまで枝が垂れていても営業していた食堂も目に飛び込んで来た。
どぶを挟み暖簾をくぐるような店だったから一度も入ったことがない、小学生の低学年の時分だ。この店に限らず子供同士の小遣いには幾らか足りなかった。記憶のなかではこの数年先に閉店し取り壊されてしまう。食事はなるだけ鞄につめこんだものを食べるよう努めるつもりだったが、一面銀杏に支配されているなか、黒ニスもはげかかった店構えには相当惹かれるものがあった。
夕飯には早いに決まっているけど、おやつがわりにうどんっていうのはどうだろう。
ほら品書きが戸の隙間からちらりと見えている。いきなりの外食もどうしたものか思案してみた。鞄の中身は下着と乾パンみたいな軽い持ち物で、重量がかかっているのは桃の缶詰二個だけだった。記念すべし40年前の食事じゃないか、何を躊躇しているのだ。
身なりだってこの時代にありふれたねずみ色の上下スーツに白シャツ、おまけにコートはたいぶ前に古着屋で買った同じく灰色に少々だけ暖色で織られた年代ものを着用している。頭には地味な鳥打ち帽で出立ちに落ち度はないはずだった。
普段あまり頻繁にしない仕草、腕時計を目もとまで持ってくるせわしなくも気取った素振り。
予行演習ではなかったけど、そんな自分の心中とはうらはらにじっとしていられない子供の感覚が、すっかり目覚めてしまった。「3時20分」まだ時間はたっぷりある。
そう思案していたところ、下校時の学生らがいっせいに銀杏の木を通り過ぎ出した。高校生にしては随分しっかりした顔つきをしているじゃないか。男子より女子のほうが更に大人びているようだった。
当時の学生に紛れあれこれ思いをめぐらしているうちに生家が迫ってきた。竹やぶからたいした距離でないことを努めて忘れていたかのようである。
これも不安からくる一抹の防衛本能なのか。だとしたら随分おそまつな意識の戯れでしかない。だめだ、内省に耽っている場合じゃないだろう、しかし両親健在の家屋はすぐ間近で、家並みこそ経年の移ろいはあるけど、極めて密度の高い感情に支配されてしまっている。足付きを遅らせるぎこちなさにあらためて時間旅行の現実と真正面に向き合った。
怖れと期待があたかも猛烈な速度でぶつかり合っては砕け散り、その実とめどもない陶酔の渦に巻き込まれ、あたかも惑星が生成されるがごとき沸点のまっただ中に立ちすくんでいる。そう、まさに立ち止まってしまったのだった。
いくらなんでも性急過ぎはしないか、自分が考えあぐねた三日間という期日に即す実態からあまりに隔たっている。猶予は名残りの面貌で現れるのではなく、恐懼の仕草を要請される一場面に集約しており、時間の停滞を徹底して賛美する破顔のみが陽射しを浴びているのだ。
自分の影に笑いかける余裕は表情がつくられる以前に消滅し、薄ら寒い風に運ばれてしまっているのだろう。
ああ、いいともこっちにおいで、、、
声には出していなくとも誘いに技巧はいらない、少なくともこの光景においては。
もの珍しいのはお互いさまだった。自分は一人っ子だからよく玄関先から道ゆくひとをあてどもなく眺めては、いざ視線が交わされたりすればすぐ羞恥に身をこわばらせていたものだ。その癖、見知らぬ大人から菓子を与えられても拒んだりすることなく、悦にいっていた。
「それ以上近づいたらいけないよ」
聞き取れるかどうかの頼りないかすれ声が十歳の自分に届けられる。お菓子やおもちゃじゃない、空疎な意味を背負った意地が喜悦に導かれ、それがぬか喜びであることを承知しながら、眼前の少年に語りかけた。
「何もみやげはないんだ」
案の定、少年は訝しさの裏に恥じらいを忍ばせ、自分との距離をはかろうとしているが、好奇心は温存している。
「みやげってなに」
遠い響きをもった声だ。ちょうど小さな落石の自在であるごとく、その場から崩れ落ちてしまうくらいに。
「あっ、ごめん、ごめん、ひと違いしたみたい」
少年の目にもどことなく哀しみが宿っているようで増々、胸が苦しくなってきた。どうすればよいのだろう。このまま予定通り港まで歩を進めるか、ゆとりを忘れた実況にすべてを託すべきか。


[384] 題名:タイムマシンにお願い 3 名前:コレクター 投稿日:2014年02月17日 (月) 01時21分

操作は始まったのだろうか、腰掛けた身体には吸盤の圧力が稼動しているような感覚が生じている。
すぐに全身が硬直しだし、強烈な暴風にさらされているときの身動きに近い心細さをともなった威圧が胸中に広がった。
身体の痛覚よりも遥かに神経が波打っているのが実感できる。ピリピリと小刻みに震えるのではなく、妙な表現だがもっと大らかにそよいでいるような、あたかもススキの穂に光芒が発し、見極めつかないはずの外敵にとめどもない信頼を寄せるという転倒した物怖じが、それはこの世のものとは俄に認められないにもかかわらず放心を肯定しており、むしろ虚脱に思えてしまう感覚だった。
自分の心身が離脱していく瞬間をとらえるなら、まさに今がそのさなかではないか。
Nさんも認可した意味をかみしめる為に目は閉じず、四肢を貫いてゆく圧力も見定める気概でひかりの渦が発生するのを心待ちにしていた。
脱却するに当たって時間軸はどう抵抗するのだろう、神経の所在はまだ失せていない。いや反対に非常に澄みきった意識が幾重にも折り重なっているみたいで、俯瞰図を眺めている猶予がさずけられているではないか。
親和と疑心、跳躍と停滞、好奇と恐怖、曖昧な夢と偉大な不安、これらに相反することや時には歩み寄ったりする心象が、畳まれた襞を這ってゆくよう深く浅く、気圧に左右される自然現象と化して脳内に反射している。
そうだ、これがひかりなのか、、、泥酔者がその意識内でもまずまずの機知を働かしていると感じてしまうのと等しく、自分の思考は平行線に定規を当てているのかも知れない。
定規が時間、それなら平行線は何なんだろう、、、待てよ、渦が巻くのだ、定規みたいに時間は短くない、巻き尺が入り用だな、とすれば思考が怪しくなるまえに世界はねじで操られ途方もない円環に収斂してゆく。
その先を計れるなんて考えるほど傲慢ではない、もっともだ、時間を歪めるどころか逆行しているのだから、、、意識の俯瞰は案の定、こじんまりとしたあばら屋の見取り図でしかなかった。
 
気がつけば葉ずれの音が身近にあった。
歓迎のしるしにも聴こえる。特別に耳をそばだてることもあるまい。竹やぶには冬空がよく似合う。
空気はありていに冷たいだけでなく、また緑に囲まれているだけでなく、経年に耐えてきた飾り棚にしまわれた置物たちから見届けられているような、塵埃さえも静まり返って朽ちるすべを忘れた奇妙な冷ややかさを持っている。
町並みが覗けるところは目と鼻の先なのに、さっきまでの混濁した意識にもう少しだけ浸っていたい気がした。
同時に開き直りにもとれる馬力がみなぎってきて、ここが本当に40年前なら三日などとは言わずに心行くまで留まってみたい、野宿や金銭にとらわれたにせずに、、、そんな思いが波打ち際へ立ったときのごとくにゆっくり去来はじめ、瞬きにしみる時代の空気は郷愁を呼び寄せながら、早くも自分を透明にしていた。

そこは見渡すまでもなく奥深き懐かしさで囲繞されていた。
透明人間の心境を引き寄せたのも時間の為せるわざなのだ。そう考えても罰は当たるまい。
郷愁とは聞こえこそ角を立たせないが多分に泣き言を孕んでいる。これもあながち的から逸れてはないと思う。
懸念した動揺を緩和すべく、気抜けした一こまに乗じたわけだが、残念ながら本来の時間とはかけ離れたところで懸命に演じてみても、自画自賛の寸劇の域から脱することは無理だった。
しかし磁力の治まった椅子から立ち上がり竹やぶの先にあつらえ向きな灌木の茂みを見つけると、あらかじめ内蔵された機械の働きのごとく素早く椅子を折って隠し、にじみ出るはずもない汗を想像したりして我ながら先行きの好調に胸をふくらませた。
もちろんよくまわりを観察し人気のないのを知ったうえでの小さな満悦だったが。
世紀の大実験に携わっているんだ、これくらいの自負は大目にみて欲しい。
とはいえ実際のところ、開発者のNさんから念押しされた通り、竹やぶの場所は間違いないとしてこの椅子をなくしてしまった暁には取り返しのつかない結末へと転じてしまうから、傍らに抱えて行くのが最善だろうけど、もう片方では割と大きな鞄を手にしているわけで、道中の不便というよりも変に目立ってしまうのでないか、そう危ぶむのも無理はないであろう。
今の時代だって40年前だって、事務椅子を脇にして町中を歩いている人間をそうそう見かけはしない。
風呂敷包みでもすればよかったかも知れないが、今度は紛失なり万が一の盗難などという危惧が念頭から放れず、転送直後に見いだした隠れ蓑がやはり最適だと判断した。多少汚しても機能に弊害は及ぼさないだろう、そう勝手に解釈して地面の土をまぶし、枯れ葉を乗せ、小枝を如何にもありふれたふうに被せておいた。
その間も人目を気にしていたけど、この竹やぶの向こうに民家はまだなく足を踏み入れる人影も探すほうが大変だ。
過去の情景は記憶からずれていなかった。これでかなり安心したわけだけれども、野ざらし状態には違いないので、もし雨に降られたらとか、この地域は滅多にあり得ないが雪でも積もろうものならとか、結果タイムマシンに不具合が出て来るのでは、そうした不安の種のつきないまま、これより他に妙案は浮かぶこともなく、精々どこかでビニール袋など調達しようと考えみたが、不自然さを増すだけかもと、隠し場所と転送位置の目印も計りやすかったから、帰還の利便を優先すればおのずと最前の処置に落ち着くのだった。
懐古趣味の予測に付随しているようなこんな注意深さも旅の道具仕立てと思われた。


[383] 題名:タイムマシンにお願い 2 名前:コレクター 投稿日:2014年02月10日 (月) 05時21分

仔細はまず相当なとまどいを隠しきれないという心理面からの推察、次に宿泊飲食に要する貨幣の問題、現行の通貨は過去では使用できないだろう。
残念ながら聖徳太子のお札は手もとになく、これから調達する間もない。急いで思いつき引き出しの奥から五百円紙幣を十枚を数え、その他にはまったく所有してないことを認める。
40年程前に遡るわけだから、百円硬貨も昭和の刻印はなかなか見当たらなく、あっても昭和40年後半とか50年でほとんど平成の代物だった。それでも数枚かき集めてみた結果、これだけの金銭では当時の物価を考慮しても三日だって怪しくなってくる。実は買いものに対する執着も念頭から切り離せなかった。
Nさんはそんな苦渋の色を見抜いていた。
「私も旧札を工面しましたよ、使いきれなかった紙幣があります。その時代でも通用します」
と言って聖徳太子の大の方を数枚差し出してくれた。
「ではお借りしておきます。ええこれだけあれば上等です。あまり欲を出すのはいけませんから」
確かにこの時間旅行の最大のテーマから外れることは意味がない。答えは簡単、何をしに行くかということに尽きる。
空間移動が無理な以上この町をうろつくしかないし、狭い町だから一日もあれば十分なはずで堪能するまで当時の景色を眼に焼きつけてくればいい、カメラは無用だ。記録を収めにゆくのではなくあくまで記憶を交差させに向かうのだから、写真は断念しよう。
あの時代は港付近に宿屋がまだ沢山あったはずだから、まず一泊して費用を算段すれば何とかなる。飲食物は古びた鞄につめて持って行こう。しかし昭和の匂いが漂う大衆食堂とか、中華そばの汁が香る店先を素通りするのはしのびない。
Nさんによればタイマー設定は転送された時点で修整不能になるそうで、正確に回収時間を告げておかなければならなかった。あれこれ迷ったあげく予定に即し三日間と決断した。さあ十歳の自分に会いに行こう。待っていろよ、きっと記憶は目覚めるはずだ、もう気分は郷愁を先取りしてしまっていた。
「さあでは椅子に掛けてください」
「目は閉じてたほうがいいんでしょうか」
いよいよ時間の旅が待ち受けているかと思えば心音が激しくなるのは自然だろう。死刑囚の心境を察してみるのは難しいけど、直ちに開始されるのか、それとも儀式めいた猶予があるのか、いやいや、遡行に対するNさんから何らかの注意事項があってもいいはずなのに、、、そんな狼狽を胸に往生際の悪い自分が情けなくもあり、また曇り空を見上げるとき上澄みみたいにかすってゆく憤懣のあり様のごとく、落ち着きのなさは保全を願ってやまなく、尋ねる言葉はやはりか細かった。
「開けていてもかまいませんよ。飛行機から下界を眺める要領です」
Nさんの表情を形成しているものを額面通りに信じるなら安心を得るところだったが、患者が医師に対しより確かな処方を求めてしまうのと同じで、もっと明白な助言を優しく受け取りたい。
例えば、過去に生きる人々への接触はどこまで許されるものやらとか、野草の一本まで慎重な態度を保つのは鉄則であるとか、時代の眼は案外厳しく不審者として詰問された場合いったいどう対処すればよいのだろうとか、短い間とはいえそれなりに思慮した事柄が出発まえからこうも噴き出してしまうのは潔くなく、見苦しいのかも知れないが、開眼されるべきものはそうあるほうが正しい、自分の質問は時間の移動に向かう態度である、だからNさんはもう少し丁寧な表情をつくる義務があるはずだ。
唐突な誘いに乗ったのは自己責任に違いないけど、こんな世紀の発明を自分に試させる意義を問うてみたくなるのは当然だろう。
が、憤怒が急速になだめられるよう、喜悦が一気に醒めてしまうように、Nさんに向けられた情意はまるで夢のなかで霧散する光景となって鎮まり、ただ一縷の思いだけが魔法の呼び子となって残され、
「下界だけでなく、天界も同時に目の当たりにするわけでしょう」そうもらしたのだった。
そのときようやくNさんは口角を上げた。
実験に魂を捧げてきた学者が見せる至情の笑みだった。決して人懐かしい笑顔ではなく、どちらかと言えば月影に照らされた能面の放つ、妙えなるひかりに似て光線を追いかける勢いで訪れた一陣の風に乗り、幽かな笛の音が耳の奥に聞こえてきそうな表情。
憂慮しているすべてを柔らかに包みこんで、夢とうつつの境目にたゆたっているときの充足感は精緻な言葉を退けようと努めているのか。自分は芝居の決め科白みたいにひとことだけ吐いた。
「Nさんはどれくらい遡ったのですか」
それはある意識の方角から落とされた小石だった。能の面貌にわずかな、もちろん肉眼では窺えないほどの亀裂が現われ、そこから隠された素顔に水がしたたるよう情感がこぼれ、こう呟いた。
「いわば個人史です。秘密にしておきたい。でも安心なさい、その紙幣が使えたのですからあなたが望んでいる時代とそう大差はありません」
Nさんは微笑を保持したまま腕時計を差し出した。そして穏やかな顔つきは日輪を霞める雲影を映しとりながら、冷徹な発明家の矜持に返り咲き説明してくれた。さながら花陰を指し示す按配で。
「シチズンのアラーム・4ハンズです」
くすんだ金色の縁取りは秒針を巡らす為にこんなに丸みを強調しているのだろうか。
見るからに昭和三十年代が懐古される古びたねじ巻き式腕時計、竜頭がふたつ付いているのがアラーム仕様なのだと認める。
「いかにも表面は当時のモデルですが、これもタイムマシンの付属になっています。時刻設定は為されています。ええ、ですから竜頭は絶対に動かさないでください。これより72時間先、午後3時にプログラム済みですので」
「なるほど分かりました。それではこの時計は預かっておいてください」
これまで着けていたものを外しNさんから受け取った時計をはめ椅子に座った。もうため息さえ空気と不分に交わっている。
「おっと、いけない。言い忘れるとこでした。空間移動が不可能なのは先ほど言った通りで、つまりあなたは三日後この場所に帰ってこなければなりません。40年前この辺り一帯は竹やぶでしたが」
「だいじょうぶです。学校の裏手に広がったところですから、覚えはあります」
「必ず午後3時までに戻っていてください」
「それでこんな折りたたみが出来る事務椅子が選ばれたんですね」
「まあ、そういったところです。それから操作などはいりませんよ。ただその時刻に椅子に座ればよいのです」
「分かりました。ではお願いします」
あれこれ危惧したことなど最早すっかりかき消されてしまっていた。


[382] 題名:タイムマシンにお願い 1 名前:コレクター 投稿日:2014年02月03日 (月) 04時51分

真夜中お好み焼きを作ろうとして冷蔵庫を開けたら卵がなくて悲嘆にくれていたのだが、無性に腹が減ったので焼き飯にしようと考え直してみてもやはり卵がなくてはしょうがない。
そこでキャベツと紅ショウガだけのお好みに戻って、せめてソースだけはと、ウスターとトンカツとケチャップをこの世で最高の香りまで高めることに専念した。
たかが三種とはいえ絶妙の配分が世界を変えてしまうのだから、それはもう命がけだった。
焼き上がりはキャベツを控えめにした結果、水分が出ず表面はカリっと中身はふんわりだったけど、他に具材がなかった腹いせに紅ショウガを入れ過ぎたら、えびせんべいみたいな色合いになってしまい、味もピリピリして沈痛な面持ちで食したのであった。
黄金比率のソースも成功からはほど遠く、これまた全部ぬりたくったあげく、手やら腕やら顔面にいたるまでベチャベチャになったので、ウエットテッシューを取り出したところ、ただの乾燥紙と化してした。
そういえばしばらく使ったなかったことにうなだれ、渋々洗面所へ行ったら額に蜘蛛の巣がまとわりつき、絶望の渕に追いやられながらも一応手洗いと洗顔をすまし床についた。
夢にオバQとモジャ公が出て来てなごんだけど、出来れば交替で登場してもらいたかった、なんて能天気な思いに耽っていたら、もう翌朝でNさんから電話がありタイムマシンを製作したのだが、どうかと言われた。
どうかって、それは実験に立ち会わないかという意味だと解釈し高揚しつつも、至極冷静な口調でこう応えた。
「試運転はもう済んだのでしょうか」
Nさんは軽く咳払いをしながら、それが威厳であるかのごとくゆったりとした声で説明を加える。
「もちろんです。私自身もう体験しました。これはいわば誘いなのです。時間への挑戦でもあります。ただし私の技量は高々しれているのでそんなに遠い年数は無理なのです」
何を謙遜しているのだろう。タイムマシンだなんて世紀の大発明、Nさんの言葉に反撥してしている間にほとんど乗り気になっている自分を確認できない。すでに具体的な返事は用意されているし、Nさんもその辺りは心得ているのか、
「まず50年といったところです。過去も未来も、それから空間移動はほぼ制御不可能なのでマシンのあるこの場所が到達点になります」
と、いうわけで言い分が大方のみ込め、あとは体験あるのみ躍るこころは世界ーと自負した。
Nさんの自宅兼研究所に赴くと、さっそくタイムマシンを安置してある部屋に通された。眼を疑った。どこにも機械めいた装置なく、机とソファが片隅に押しやられた真ん中に何の変哲もない事務用の椅子がひとつ置かれているだけだ。嫌な予感が適中するのは慣れているのだったが、、、
「これが私の開発した丸出号です。一見普通の椅子に見えるでしょうが、そもそも時間軸を越えるのに仰々しい仕掛けなど必要ありません。こうしたシンプルな形状こそ最適と言えます。疑ってますね、心配入りませんよ、ここに腰掛けて催眠術なんてまやかしなどでは決してありませんから」
疑心を先んじて述べられると、残されるのは異形の抜け殻、つまりは帰依みたいな心性に落ち着くことが往々にしてある。
「わかりました。信じましょう、ところでNさんは過去と未来どちらに行かれました。それとも両方ですか」
「過去に決まっているでしょう、未来なぞ見てしまったら生きる張り合いが失せてしまいます。先が読めそうで読めないからこの世は輝いているのであり、知ってしまったら人間は確実に堕落します」
「それはごもっとも、でも少しくらいならどうでしょう、ほんの覗き見る程度に」
「あなたはスカートの下の覗くとき、ほんの少しで止めときますか」
「いえ、段々とエスカレートして犯罪に至るやら知れませんから、あの、その、、、スカートめくりは小学校以来、いえ中学校かな、したことないです」
「理解してもらえて感謝します」
「愚問でした」
突拍子もないたとえ話しでお茶をにごされ遡行が決定された。数年前の記憶はまだまだへばりついているから、一番記憶のあやふやな、しかし一部分は鮮明な時期を選択すると、やはり小学校の低学年十歳くらいに絞られてくる。
それ以前だと記憶と記憶が交わらない、こういうことだ。
幼児期に遡るとすればそこはもはや見知らぬ空間でしかなく、例え現存する建築物や山河を見まわしても一風景であることのしがらみを確認するだけで、肝心のこころの芽生えと出会えない、やはりある程度の認識力が備わった頃の自分を見つめてみたい。
時間旅行のパラドックスも承知しているつもりだから陰でそっと様子見に終始するのだろうが。
いよいよ過去への旅に向かう準備は整った。ここでNさんから重要な問いかけを受ける。
「どのくらい滞在しますか」
これは道々思案してきたのが、ごく割り切ってみても旅であることに相違ないから、寝泊まりの確保がそのまま過去への滞在日数に繋がる。
数回に分けて遡行すればと思われるだろうけど、それには判然とした理由があって、この事務椅子を一度作動させる為にはある科学物質が大量に消費されるので、経済面というよりもその物質を作り出す時間が問題とのこと、なんだかんだで時間には時間が必要なんだと神妙な気持ちを抱いたのだった。
さて旅程だが、まさか生家に未来からやってきました、なんて言っても絶対に受け入れてもらえないだろう、下手すれば不審者として身柄を拘束されることだってあり得る。
かと言って野宿もこの季節は大変だろう、いやいや春夏秋冬に関係なく生まれてこのかた野宿なんかした試しはないし、テント張りはおろか飯盒だって覚束ない。登山経験者とか同行してもらえば助かるのだろうけど、タイムマシンはひとりしか転送できない仕組み。かなり真剣に悩んだ、今日は断念してサバイバルの訓練を施してから挑むべきとも考えてみた。
ところがNさんいわく、
「燃料は保存不可能な性質でして、あと一回分を今日明日に使いきってしまわないといけません」
そうすると、当初の企て通り三日あたりが適切だと思えてくるのだった。


[381] 題名:つくもがみ 名前:コレクター 投稿日:2014年01月28日 (火) 03時04分

一席おつきあいのほどを。
こう寒くなりますってぇと、ついつい出不精になりがちになりまして、まっ、外出をためらうのは仕方ありませんが、からだの動きも鈍ってくる、日曜なんざ寝たきりを決め込んでもかまいませんがね、休みの日に限って普段から放りっぱなしにしたあれこれが気になってまいります。
やれ分別ゴミだの、整理整頓に風呂掃除、今時はかかあにすべて押しつけようもんなら、えらい剣幕でどやされますな。男女平等、夫婦円満、明るい家庭には笑顔が絶えないときたもんだ。さて世間では断捨離とかいう殊勝なこころがけがありますそうで。


くま八とおすみと聞けば、市井でも評判のおしどり夫婦。所帯をもってはや三歳、子が授からないのがちょいとばかし残念なぞとの陰口もたちまち消えてなくなる睦まじさ、おまけに夫婦そろって器量よしのうえ人当たりも申し分ないとくれば、まるで絵に描いたような理想像でございます。
「おっ、くま八さん、今日も顔つやがいいね。あんなべっぴんさんを持つてぇと違うもんだね。まったく色男冥利だ」
「からかわないで下さいよ、そんなんじゃありませんや」
「謙遜しなさんな、ひともうらやむなんとやら。まさか浮気の虫なんざは」
「勘弁でさあ、冗談きついんですから」
「すまなかった、へへ、ところでその荷物はどうしたんで」
「はあ、おすみに急かされましてね、年も改まったことだし、いらぬものは捨ててしまおうと」
「こりゃ、まいったね、物持ちの言うことは違うね」
「なにをおっしゃりますやら、朽ちた草履に欠けた茶碗、折れたつい立ての類いですよ」
すると相手は腕組みをしまして、神妙な面になり、「あっ、そうかい」とだけ言い残し、くま八から離れていきました。
「おかえなさい、部屋がさっぱりしましたよ」
澄みきった瞳で亭主に話す声もまたさわやか。
「そうさな、昔から古い道具は化けるとかいうからね」
「いやですよ、そんな気味の悪い、いくらお前さんとこの家訓といっても後生大事に仕舞いこむのは限度があります。お化けなんか出やしません」
「そりゃそうだ、九十九神や付喪神になるほど古かあないし、でもあの茶碗は夫婦になったときに買ったものだ、捨てるにしのびなかったなあ」
「すいません、わたしが粗相したばかりに」
「いいんだよ、かたちあるもは何れっていうじゃないか」
ご両人のやりとりまことに優しさがこもっております。が、くま八にしてみますと、やはり先祖代々の倹約のいましめが肌にしみ着いているのですな、百年もまえの代物ではなきにせよ、使用できずとも、ものは大事にしなければ罰があたる、そう信じているわけでございました。
夜四ツにもなりますと夫婦はすでに夢のなか、往来を吹き抜けてゆく北風のみが侘しげな音色を奏でております。
闇にまぎれた怪しげな物音もあやかりでしょうか。おすみがそれを察しまして、恐る恐る首をもたげますと、カタリコトリと小石を打つような響きが耳へ入って来ます。
かまどのほうだと気づいたときには、眠気も払われ、隣のくま八の胸元を布団越しにゆすって、
「ちょいとお前さんたら、、、」
消え入るような小声で目覚めをうながしますと、
「どうしたんだい」
ひやりとした空気が寝ぼけまなこにしみ入り、さも大義そうな面持ちに無理はありません。
「妙な音がほら、かまどの隅から」
「うぬっ」
くま八にも不審は募ったようで、「どうせ、ねずみの仕業だろう」と口にしたものの、からだはこわばっております。
「見てきてくださいな」
「わかったよ」
そっと行灯を抱えるようにして立ち上がり目を凝らしてみれば、
「なんでえ、茶碗がぶつかり合ってるぜ、これは一体」
「あれま、ほんとに、ねずみなんかいませんわね」
同じ驚きでもおすみのほうがどことなくあっけらかんとした口ぶりで。
「お前さんの執念かしら、なら捨ててこなかったと話してくれればいいのに」
「馬鹿いうなよ、おらあ、ちゃんとまとめて、、、」
「じゃあ、どうしてそこにあるんです」
「こっちが聞きたいよ」
「聞くもなにもああしてうれしそうにひっつき合って、気持ちよく鳴ってるじゃないの」
「なんだい、さっきは気味が悪いなんて言ってたくせによ」
「あんなにひびが入っているのに大丈夫かしら、割れてしまわないかしらね」
「まったく変だぜ。茶碗もおまえも」
「あら、そうですか。あたしはなんかうれしくなってしまいました」
「お化けのまやかしに喜んでいる場合じゃないだろうが」
そう吐き捨てるように叱りますと、あら不思議、茶碗の動きがピタリと止んでしまったではありませんか。
「お化けなんていませんよ」
「そうかな、今までいたんじゃないか」
「もういませんたら」
「随分とすましてるなあ、でもどうやらそうらしいな」
「想い出の品ですもの」
その夜更けのふたりの抱擁にあてられた茶碗が朱をさしたように、ほんのり色づいたのを仏さまもご存知なかったとやら。
お後がよろしいようで。


[380] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 19(完結) 名前:コレクター 投稿日:2014年01月21日 (火) 03時31分

あきらめがってつぶやいてみても、登校2日目でこれじゃ、かなり意気消沈ですね。帰りの足取りの重かったこと。その重さに様々な思惑がかぶさってくる。あまりに分厚くそして煙り状にたなびいているので、あたまも痛くなってきました。
そんなさなか小さなトンネルみたいなひかりがぼおっと遠くのほうに見えたりする。ええ、死者の門出、よく生命の危機にひんした際によく体験するってやつです。とうにわたしは死んでいるのにね。
あのひかりってもしかして10年学級の入り口、だとすると、、、お迎えでしょうか、早くお家に帰ろう。
イモリさんはいないだろうな、きっと。あのひとだって沼高校の雇われなんだから、こんな出来そこないのわたしの面倒なんかもういいって言われてるんでしょうね。あっ、言いもしないか、ただ職務を命じられないだけね。
食欲なんて全然なかったけど、冷蔵庫や戸棚の中身がふんわりよそ事みたいにかすめて行った。生存本能、、、だったらたいしたものだわ。
なんてこと考えているうちにかなり早足だったので、お家に無事到着しました。実をいうとこっそり抹殺されるなんて怖じ気もあって、そうでしょう、学校側からしてみればわたしは不穏分子じゃないですか。誇大妄想と思われてもかまいません、不安は不安です。幽霊は死なないかも知れないが、意識は確実に消え去りますから。
こんな意識にでもしがみつきたいのだろうか。違う、むこうがわたしを放してくれないのよ、そうだわ、これって今日の意見そのものだと思う。ちょうどこの世界から出して欲しいって願った気持ちと寸分狂いはない。狂いは狂いなりに正確な道しるべを指し示している。
これは謀反なのでしょう、たぶん。沼の支配人の逆鱗に触れる想いなんだわ、だからといってわたしは観念するべきなのかしら。飼い犬のように従順に、奴隷にように寡黙に、あやつり人形みたいにせわしなく呼吸しているだけでいいの、あの誓いはどうなった、そうわたしを殺した憎い犯人に仕返ししてやるって念い、幽霊としての立場をもってすれば可能だったかも知れない。
でもわからないわ、犯人にどう報いるかなんてさっぱりわからないから。憎しみだけではどうすることも出来ないのよ。忘れていたわけじゃないけど、喜びも悲しみも含め、感情にふたをしてしまったような気がする。
ふと我に帰ると家に灯りが、、、えっ、イモリさん。
そのときだった。あの校舎の目立たないとこにいた犬の石像がノシノシって歩いて来た。ちょっとどうしたの、あんた、目立ち過ぎよ〜、それに怖いわ〜。
挨拶したお礼なら十分だから学校に戻りなさいね。言葉に出してはいなかった、なのに犬は答えたの、ちゃんと喋ったのです。
「ぼくは番犬さ、でも仕事をあたえられたんだ。きみの案内役を努めさせてもらう」
「案内って、まさか、、、」
「当然だろう、戻るのはきみの方さ」
「やっぱり10年学級」
「すべてが不幸に結びついているとは限らない、ものは考えようだよ」
「わたしはものじゃありません。あんたオス犬だったのね、確かめる手間がはぶけたわ」
なにを言っているのだろう、無期懲役の判決を下されたに等しい状況にもかかわらず、、、手間と悠長は相容れない、、、随分とあたまが混乱してるみたいです、これは逃避的思考に違いありません。
「オスだよ、わんわん」
「分かったわよ、犬らしく鳴いたりして、もう」
「だって犬だから仕方ないよ」
そう言うと、どうしたことでしょう、それまでの石像の表面がまるでかぶりものだったように、一気にひび割れ、純白の毛並みをもった愛くるしいすがたに変身してしまったのです。
驚きより胸の奥底から生暖かいものがこみあげてきた。
「可愛くないなんて、ごめんね」
「ぼくのことを忘れたの」
「えっ、もしかして、、、」
記憶の欠片がより小さくなったり、かと思えば途方もない方角から大きな霧状の束が押し寄せてくる。ぼんやりしているようだけど、あたま全体が器具で固定されたような不快さと、また反対につかの間だけの安心を得た感触に縛られ、そしてひも解かれては薄もやの向こうにひかりを見いだす。
さっきの失意のどん底とは別の淡く柔らかなかがやきに、わたしは吸い込まれていった。
「ペロね、わたし生き返ったの」
「ユリお嬢さん、思い出してくれましたね。でも生き返ってはいません」
「そうね、ペロのこと、幼い頃だったから忘れてた。わたしは生きているよ。ほら意識あるじゃない、どんな意識だろうが、わたしは受信機なんかじゃない、ちゃんと返事も出来るし、記憶だって取り戻せる、ユリ、それが本当の名前なの」
「質問は禁物です」
「厳しいのね」
「あちらのふたりも一緒にお嬢さんを迎えてくれます」
ひかりがあふれたと感じたのは家のドアが大きく開いたからだった。
一瞬退いたけど、ふたりの穏やかな笑みにほだせれ、何より自分自身の境遇をこれほどしっかりつかみ取った場面がなかったから、わたしも笑顔で応えました。
「お嬢さん、こちらがなまずおじさん、そしてこちらがカエルおばさん」
「わたしら、そう呼ばれていますのよ」
本当にカエルの顔している。でも声はとても優しかった。
「どうもはじめまして、10年学級までよろしくお願いします」
「まかしときないさい。うんと勉強できるよう扉を磨いておいたよ」
「扉をですか」
なまずおじさんの話してる意味は理解できなかったが、いずれ身にしみて分かるのだろう。
「イモリさんが料理を作ってくれてるよ。お別れが寂しいからって帰ってしまったがな」
「そうなんですか」
哀しみにひたる暇はなかった。だってとてもにぎやかですもの、この雰囲気。
「さあ、お家へ入りましょうね」


終わり


[379] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 18 名前:コレクター 投稿日:2014年01月14日 (火) 02時25分

校舎に近づいたから多少は緊張するかと案じたけど、なんか日々の流れに乗っかっているようでした。
早くも習慣に毒されたのでしょうか。まあ、わたしの場合は10年学級とやらにも在籍していたみたいだし、通学は日常のひとこまなんだろう。
それにしても森閑とした空気はいただけませんね。大勢の生徒がおしゃべりしながら校門をくぐる光景とはまったく無縁なんだから。
気がかりといえばこの人気のなさは不穏な秘密がありそうで、捨てておけなかったけど、考えこんでも仕方ないからそのまま直進です。
「やあ、おはよう」
昨日は見落としていた犬の石像に挨拶した。変哲もないたぶん等身大の置物、犬種はわからないけどいかにも犬らしい風貌だ。片隅というほどじゃない場所だが、特に目立つ位置でもない。それよりおかしいわ、あまり可愛くないもの。
けど他におはよう言えるひとが見当たらない以上、たとえ可愛くなくとも、ありふれていようがつい近寄ってしまう。好奇心かしら、、、そうね、そういうことにしときましょう。犬くんまたね、あっ、メスかも知れない。今度たしかめてみよう。
廊下を歩く途中もまったく人影に出会わず、安静患者が息をしているみたいな教室にまえに立った。
はあ〜、ほんと深呼吸がよく似合います。おもむろにドアを開けるれば、ちらりと視線が、、、みんなもう着席している。
「おはよう」
「おはよう、、、」
相変わらず3人とも気迫ないけど、幽霊仲間の朝の挨拶としては上等でしょう。けど、この席どうも落ち着きが悪い。幽霊が幽霊を背負っているみたいな不気味さとでもいうのかな、いやさほど気味悪くないですが、洞穴を背にして立ちすくんでいる冷ややかな圧迫感があって、ようはみんなの目線がわたしの背後に集まっている、これって居心地ってよくはないでしょう。
さて先生のお出ましだ。
今日も思い浮かべられないよく似た女優の名前をモヤモヤさせているうちに、清潔な笑みが教室全体に投げかけられ、絶対に刺のある一瞥をもらうとハラハラしてたんだけど、考え過ぎでしたね。
先生は借りに腹にいちもつあっても表面上は毅然としてるから、わたしは自分の小心に増々縮こまってしまった。
別に不要だと思う点呼を行っていよいよ授業開始、黙って拝聴しますか。わたしの仮装の件は遅かれ早かれだから、どんなお勉強か興味がそそられる。教科書だって配られてないくらいだからね。
「みなさん、今日も昨日の続きです。予行演習ならびに心構えの問題です。あっ、シンダイさんは早退したから人一倍精進しなくてはいけませんよ」
精進ですって、大層な言い方ですね。それに文化祭ときた。最初はとにかくわたしでしょうが。早く質問しなさいよ、こっちはしたくても出来ないんだから。
「ではシンダイさん、仮装の企画はまとまりましたか」
憤慨する必要ありませんでした。はなから直撃です。待ってましたと言うのはどちらでしょう、なんて下らない念をよぎらせ、わたしは立ち上がりました。
「はい、よく考えてみました。睡眠学習もやりました」
すると先生は目を大きく見開き、
「えっ、睡眠学習ですって」と言ったまま、じっとわたしの顔を見つめてる。
一瞥どころじゃない、それは後ろの席にも伝播したのか、声にならないざわめきが両耳を囲い、更に冷ややかな沈黙へと落ちていった。
威厳でしょうかね、矜持かな、それともとまどい、先生はわたしの話しをさえぎったのでなく、とても関心を寄せている感じがして、いかにも詳しく知りたそうな様子だった。
しかしですね、わたしはだんまりを決めこみましたよ。質問が御法度なら相手に喋ってもらうしか手はないわ。
ごほんと咳払いしたのは愛嬌でしょうか、先生はこう尋ねてきた。
「高度な学習法ですが、それでなにを学びました」
真正面からの問いかけだ。それだけ注意をひく言葉だったんだろうか、なんか主導権がこっちにまわってきたような気分になり、瞳にひかりが灯るのを覚えた。といっても後ろの3人のほの暗い気配が束になってどんより足許まで垂れこめているから、差し引きゼロってことになる。
「先生から指導された缶詰理論を考察したんです」
「えっ」
「わたしに言ったじゃないですか、冠は冠、そして缶詰は缶詰、そこでかなり反省しまして、行動原理主義にたどり着いたわけなのです」
「それはすごい飛躍ですね。で、企画は」
「はい、地縛霊が当たり前なら、祟りはつきもの、そうはいかぬぞよ、うらみつらみの人情よりか、咲かせてみせましょう、恋の花、散らせるものか、助けておれくなまし、っていう感じなんですが」
いやはや自分でもびっくりするほど、古風な弁舌だったけど、これは死んだおじいさんがよくラジオで聞いて番組だとなぜか記憶しており、不意に躍り出たの。これこそまさに憑き物ですね。
「シンダイさん、それって何のまね、昔の旅回り役者のつもりかしら」
「はあ、おじいちゃんのですね、、、いえ、みなさん幽霊の役割に忠実ってことを悟りまして、わたしも見習おうかと。そこで怖がらせるのが神髄なら、その反対はどうかと思案したんです」
「なるほど、役割が行動原理だと気づいたわけですね。なら反対とはどういう意味なのです」
「恐怖にも段階があると思います。突然の驚きや、じわじわしのび寄る不安感、得体の知れないおぞましさ、、、わたしの恐怖はひとにあたえるのでなく自分の訴えそのものとなるのです」
「どういうことですか」
先生の語勢がかわった。
「わたしは助けて下さい、そうひたすら叫ぼうかと考えました。どうぞここから出してくださいとも。これが真の恐怖じゃないでしょうか」
「まったく、あなたというひとは、、、今日も早退しなさい。今の発言は非常に問題があります。謹慎処分だわ。わかっているの、10年学級に戻ってもらいますよ」
「わたし、そんな悪いこと言いましたか先生」
「とにかく教室から出なさい。追って連絡を待つこと、以上です」
一瞬、目のまえが真っ暗になったけど、何しろ墓穴を掘ったわけですから、あきらめが肝心ですね。


[378] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 17 名前:コレクター 投稿日:2014年01月07日 (火) 15時47分

空腹、違うわ、それほど食欲はなかった。ならどうしてなんだろう、食べもので釣られてはなんかいない絶対に。
イモリさんの顔つきは朗らかさを取り戻していたし、わたし自身の気持ちがあやふやな限り、冷徹なまなざしは引き下げたほうが懸命だ。
学校だけでなく何もかも懐疑だらけなのはやはり負担がありすぎ疲れてしまう。とうに開き直ったつもりでいたにもかかわらず、そして野となれ山となれなんて古くさい言葉をかつぎだしてみても、所詮は悪あがきしてたのね。
とらわれの身だとしたところで、また恐ろしい策謀のさなかに息をしていたとして、帰りを待ってくれている人物がいてくれるのは間違いなく救われる。たとえ飼い殺しにされる運命であったとしても。
なんか牛や鶏の気持ちが乗り移った気がするわ、あくまで一瞥をくれたあとの残像にまとわりつく、あの不確かで逃げ切りやすい、すでに過去形を抱え込んでいるような感じだったけど。
焼きそば美味しかったです。紅ショウガの赤みはただ単に彩りだけじゃないのね、口のなかで少しピリッとしたとき、わたし泣きそうになってしまった。それに豆腐と油揚げのお味噌汁を味わったら、おにぎりが思い浮かんできて、お腹もういっぱいなのに食いしん坊らしく自分を微笑ましく思ったりしたの。
で、あとはすでに日常の仮面に覆われ時間は淡々と過ぎていった。
お風呂も沸いてますからって柔らかな布でくるまれた声を聞きながら、どうしたわけか、イモリさんの顔から目をそらし、意地けた子供みたいな表情をつくり、寂しさを意識してはどうか独りにしないでって淡く願っていたわ。
でも職務をまっとうしたあとの踵の返し方って、嫌になるくらい理解していたつもりだったので、さほど悲しくなかったし、明日のことを考えると些細な感傷に溺れている余裕がないのがはっきりして、そう、この先々の気がかりを留め置きたい心細さに他ならないって思えたから、歯をかみしめる調子で黙ってイモリさんのあいさつにうなずき、遠ざかる足音を耳にした。
ドアが静かに閉まる音はもう切り替えの合図だった。さあ、宿題しないと、、、けど授業内容なにも知らないまま早退してしまったんだ。う〜ん、仮装は次回までって先生は言ってたけど明日だったらどうしよう。何事が起こるやら分かりませんからね、しっかり案は練っておかなければいけません。
などと念じながらお風呂に入りました。長々とからだを沈められるかなり優雅なバスタブ、これはお気に入りですね。うっすら額に汗がにじみだした頃にはまだ形をなしてないけど、どうやら投げやりな気分とリラックスが相まって、微かな色彩を帯びだし、まあ楽観的に落ち着き始めたってことでしょうが、とにかく仮装の面貌が稚拙な手つきで描かれそうになってきた。クレヨン画でなぞる他愛もない落書き。
地縛霊がそんなに生々しいのだったら、もう少しくだけた感じがいいわね、オバQとか口裂け女っていうのはどうかしら、でも既成のキャラを使うとまた文句言われそうだし、ここはひとつシンプルにシーツでもすっぽり被って、うらめしや〜ってことでお茶をにごしておきましょうか。
待てよ、たしか他の生徒ってあの男子以外は特に変装なんか口にしてなかった。佇むだの、脱ぐだの、抱きつくだのってけっこう行動的じゃない。やはりそこに意義があるのかも。男子は怪しい雰囲気づくりをって話してたもんね、わたしみたいにただ漠然と地縛霊じゃ、ひねりがないと叱られて当然かもしれないわ。
そうか、そこに先生は目くじらをたてたわけなんだ。だとすればですよ、シーツ被りでは能なしってことになりますね。
よく考えてみるとみんなふざけた趣向を物怖じせず発表してたけど、案外それなりに気合いが入っているように思えてきた。
つまるところ幽霊としての存在感をアッピールしよう、そう努めていたのだから、わたしの言動には投げやりでいい加減な気持ちしか含まれてないってことになりますね。これは根底から意識をあらためなくてはなりません。
文化祭です、たぶん多くの見物客が訪れるに違いない、えっ、早とちりではないです、生徒4人だけの学級祭りなんて想像できないし、先生の意気込みだってあきらかに来賓とかを念頭に入れてのことでしょう。
まっ、明日学校でそれとなく探りをいれたら、おっといけなかった、探りは質問と同様でした、ここは隠密に悟られないように窺うしかなさそうね。
で、あれこれ思惑をめぐらせていたらお湯にのぼせてしまったのか、少しめまいがしたので早々にベッドに横たわり、行動的粉飾の詰めをしながら眠り落ちたのでした。
はい、企画倒れをまぬがれそうな考えが一応まとまり、スヤスヤと深い闇にのまれて行ったのです。
ひょっとしたら夢が窮地を救ってくれたのかも知れない。うとうとし始めるまえにひらめいたのか、その後なのか、実際よく覚えていなかった。まあでも案が出来上がったからよしとしておきましょう。
翌朝の目覚めは爽快でも不快でもなく、生きていた頃の朝とかわりない日差しばかりが朗らか過ぎて、どこかよそよそしい空気をまとっているあの感覚を想い出しました。
そして、イモリさんが来ていないことも気がかりになって、昨日あんなふうな物言いをしてしまったからだと、悲しくなり、野菜スープならぬ、お味噌汁の残り香が一層静まりかえったこの部屋にこもっているようで、朝の光景は決して元気をさずけてくれはしなかった。
でも仕方ないわね、自業自得ですから。帰ってきてイモリさんの顔が見えたら、ちゃんと謝ろう、うん、それで決まりだ。
さあ、支度して学校に行って来ましょう。もう早退はないと思うけどね。


[376] 題名:どうしてわたしは自縛霊になったのか 16 名前:コレクター 投稿日:2013年12月02日 (月) 01時39分

「地縛霊ってそれは、、、」
わたしは挑むような目つきで先生の顔をうかがった。
「シンダイさん、あのね、さっきもお話した通り、あなたはすでに霊なんだから、その言い方は少し変だと思います」
「じゃあ、人間を人間って呼ぶのもおかしいのでしょうか」
「人間は生きてます。あなたたちとは事情が異なってるの分かりません。先生はふざけたことは嫌いなの」
「そんなつもりで言ったんじゃないです。霊にだって色んな種類があると思うので、あえて地縛霊を選んだに過ぎません」
「でもねえ、わざわざ、冠を被りなおさなくてもいいのでは。文化祭のテーマは変容ってくらい分かっているでしょう」
「わかりません」
自分でも語気が荒くなるにつれ、高ぶる感情が反抗的な方向になびいてゆくのを感じる。
「困りましたね、扉学級で体得したものは意識の表層に上ってはいませんが、しっかり根づいているはずなのに」
「そんな自覚なんか、わたしにはないです。10年間の結晶があるのなら、しっかりこの目でひかりを浴びてみたい、それとも光源がない代物なんですか」
先生の面にやや焦りの色が出てきた。悟られまい素振りしてるけど、眼球がキョロキョロしはじめた。それを懸命にこらえ返す言葉を探し求めている。大丈夫、巻き返しを受けるまえに今度はわたしが攻める番よ。
「第一、他のひとたちの意見だってふざけていると思います。抱きつくだの、裸になるだの、女装するだの、仮装のおちゃらけが常識なら、わたしの言い分はかなりまっとうじゃないですか。どうして霊らしく神妙に振る舞ったらダメなんでしょう。当たり前すぎて面白みに欠けるから、それとも何か不都合でもあるからでしょうか、先生」
ひと息止める。なだめすかすふうな声色ならすぐに言葉をつなぐ用意はあった。でも何を喋りだすか具体的に考えてはなかった。それでいい、衝動はわたしを奮い立たせ、底力を出すに違いないわ。これこそ修養の結果よ。
「面白みの問題ではないのです」予想した声遣いだ。
「なら何の問題、問題には答えがあるのでは。わたしが地縛霊だといけない根拠を教えてください」
また先生は間合いをとった。内心怒りに震えてると思う。ただ我慢強いのか、プライドが邪魔してるだけなのか、そんな意想に凱歌の訪れを先取りしてしまったのが失敗だった。
無鉄砲な態度は所詮、不安要素のかたまりに点火した冷たい炎、熱くなっているのは空回り寸前の胸のうちだけ、言いがかりには限界がある。
わたしの微妙なこころの動きはまるで障子に透ける影絵みたいに、明快な駄々っ子の落ち着きのなさを現していたのだろう。自分でも気がつくのだから先生からしてみれば、さぞかし勝機を得たと息をのんだはずだわ。
そして抵抗を演じなければならなかった心細さが露呈するに及んで、まるで形式でもあるかのごとく敗色に青ざめるより仕方がなかった。
叱責の文句は教科書を読み上げるよりたやすくあたまの中でなぞれた。
「あれこれ質問しない」
いえ、決して忘れたんじゃない、逆にありありと念頭に居座っていたからこそ、摩擦熱を欲するに似た投げやりでありながら甘えを含んだ気構えになってしまった。やはり幽霊って冷たい感じがするもの。
急に目線を下げたわたしに対する処罰は極めて美しい様式に則っていた。
他の生徒たちの呼吸が微かに背中に届いている錯覚さえ生まれ、教室内にはもとの厳粛な空気が流れこんでいる。先生に最初に出会った場面に立ち戻された。
「シンダイさん、違う仮装を考えなさい。悪いとか悪くないの問題ではないの、さっき言ったように冠は冠、缶詰は缶詰よ、わかりますね」
ひどい例えですね。はい、わかりましたよ。すっかりしょげきった振りをしたのが精一杯の反撥、
「すいませんでした。でも今すぐには思いつきません」
「次回まででよろしいわ。今日はこれで帰りなさい。気にしなくていいのよ。今日は始業式みたいなものですから」
みたいなものってどういう意味、邪魔者は敵対者はよからぬ影響をまわりに与えるってこと、ええ、そうしますとも。ただしあくまでわたしは地縛霊でいるつもりですからね。
「みなさんに挨拶を忘れないで」
「はい、それではさようなら」
「さようなら」
なんなの、どうしょうもない気抜けした調子、ああ、でもよかった、あれからの時間は針のむしろだったかも知れないわ。そんな思惑と一緒になりたちの良くない悪戯をしてしまったあとの後悔が、じんわり押し寄せてきた。すると疑心が待ってましという調子で登場して、あの10年学級はやはりお仕置きだったのではとか、問題児専門の収容所に間違いなかろうなんて暗雲を呼び込んでは、明日からの登校が早くも気怠くなってくるのでした。
こんな日って過去に経験したみたいな悔しさで後押しされ、無性に寄り道したくなる思いが立ち上がったけど、どこへ行くわけにもならず、なすがまま夕暮れには早すぎる足どりへと憂心をまぎれこませながら、まっすぐお家に戻ったの。
はい、心痛は心痛に違いありません。が、行きも帰りも決してさかさまではない無機質なこの風景に背にしては、痛みのありかさえ芒洋となり、善くも悪くも曇天の鈍さにのみ込まれていった。
玄関先にわたしの影が及ぶと、家の中にひとの気配が、、、
「おかえりなさい」
えっ、イモリさんだわ。確か初日だけって話していたはずなのに、どうしてかしら。
疑問符が飛び出すと同時にあの野菜スープの匂いが鼻をくすぐった。で、家に入りその鼻をこすりながら訊ねましたよ。学校での件も手伝ってか自分でも感心するほど冷淡な口調で、
「おかしいですね。帰りを待っていてくれるなんて。どういう風の吹きまわしなんでしょう」
言葉がついて出た途端、イモリさんのひかえめな顔色に暗い影がさすのが見てとれた。演技ともつかない哀しみを帯びた表情が床に映りこんでいる。後悔なんか、、、意思を強く抱いたけど、おそらく騙されてもなお異性に委ねる心情みたいなものが妙にまとわりついてくる。随分と大人びた言い様ですけど、そうなんだから仕方ありません。
「今日は早退されたと聞きましたもので」
イモリさんは消え入りそうな声で返事した。
「はあ、それにしても」
わたしの受け答えもトーンが下がる。
結局信頼にまで至らないのは、彼女もまた沼の支配人によって派遣されていると考えてしまうからで、かといってまったく疑心暗鬼のまま油断なきよう構えているわけではない、逆に不審を募らせる悪心がうまく緩和されていたと思う。
すでに何年もこの家で暮らし続けているような言い方だけど、日没間際の風景に辺りが包まれだした気分になった。さっきまで荒涼だったのにね。
「今日の夕食は肉と野菜がいっぱいのソース焼きそばです、お味噌汁も」
してやられた。なんなの一体、気分なんてまったく当てにならないわね。すべてがはぐらかされたんだろうけど、不思議とお腹から胸にかけて、じんわりと暖かなものが揺らめいてきたわ。


[375] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 15 名前:コレクター 投稿日:2013年11月24日 (日) 23時47分

みんなが着席するといよいよ授業開始だ。ベルは鳴らない。反対に異様な沈黙が教室全体を取り囲み、わたしはすっかり余裕をなくしてしまった。そんなもの元々あったわけじゃない、なんて自己弁護してみても静けさは時間を見事に止めてしまい、生理的な震えだけを授けていった。
先生も教科書を片手にしたまま、黙読の姿勢に入り込んでいたから、なおさら咳払いのひとつでも誰かって願っていたけど、まわりは当たり前のように静まりかえっている。考えようによったら先生は問題を思案中で、いきなり隙を狙って質問を石つぶてみたいにぶつけてくるとか、まあ、それが妥当なところかもね、というわけで秒読みの加減にあぐらをかいた次第なの。
思った通り、眉根を曇らせることが愁いを際立たせ、尚も自らの美貌を意識しているふうな先生の容色にちいさなな変化がうかがえました。まるで演技しているみたい、女優じゃあるまいし、相当プライドが高いんでしょうね。
「そろそろ文化祭も近づいてきたことですし、みなさんに伝えておきました課題はどうでしょう。あっ、シンダイさんには説明が入り用ですね」
先生の目に一瞬だけ怪しいひかりが灯り、瞬きとともに秘密の合図が送られたような気がした。
「他のみなさんももう一度よく聞いて下さい。それと10年学級での経験を踏まえないといけませんね」
ついに来たわ。わたしの背筋は更に伸び、眼球が何ミリかわからないけど飛び出した感覚を持った。
「シンダイさん以外のひとは初めてですね。10年学級、選ばれしものだけが進める特別教室」
生唾を飲む。まるで急展開のアクション映画を観ているような、そして目を凝らすほどに物語の展開を遅らせたい願いがもたげてくる。あの物悲しさを含んだまなざしと微かな音調に支えられて。
「この制度が実施されたのはもうかなり昔のことです。どれくらい昔かといいますと、わたしも生まれていない、ええ、こう言いますと解説になっておりませんけど、神話的要素に包まれていますので、具体的に述べることが出来ません。別名では扉学級と呼ばれています。シンダイさんはよく分かっているはずですね」
冗談じゃない、魔のトンネルみたいな地下道、ひたすら暗く、、、いや、よく思い出せない、ただ、ひたすら怨念めいた気持ちを長引かせていただけなような、もしくはひょっとしたら自分自身について誰にも邪魔されず徹底的に考えこんでいたのかも。
とにかく先生に指摘されて明解な返事を言えるはずがない。わたしは困惑した顔色をおおげさにつくって嫌みたらしくうなだれていました。すると先生は、
「いいんですよ、辛い修養でしたでしょうから」
なんて言い出すものだから、こころの内を読まれている感じがして鳥肌が立ち、同時にヘナヘナとからだの力が抜けてしまったの。
「は、はい、長すぎて、どうにもあやふやなんです」
ええ、正直だったと思いますよ。反応も返答も。わずかな波紋みたいなものが粒子状になってまぶたの裏にきらめいていたけど、それすら遥か彼方の星明かりのようで仕方なく、想いは儚く散ってゆきました。
「それでいいのです。忘却の道として歩んできたわけですから。と言ってもよくのみ込めないでしょう、当然です。大事なことは結果であるより残骸のほうに価値を置くべきで、それは幽霊の基本姿勢でもあるのですね。シンダイさんはとても貴重な体験を積みました。さあ、ここで基本に戻るべく意識を純化させなくてはなりません。分かりますか、記憶の解体と構築です。あなたたちは生前の想い出をいくらか保ち続けています。なぜなら会話を理解するにも、食事をするにも、掃除をするにも、つまり日々の暮らしを失ってしまっては困りものだから。
記憶喪失者が最低限の行動を保持している情況を思い浮かべてみてください。いわば基本の記憶はきちんと残存しており、それはあたかも骨格に似て土台となって肉付けはこれから行われる為にとも言えるのです。よろしいですか、みなさんは人間であって人間ではない、しかし新たな生命が付与されている人造人間だと思ってください。本来は無なのでした、宙を舞うこほりにさえ満たない浮遊する霊だったのです。それが今この教室においてはどうしでょう。胸を張るまでもなく生きていると断言できるではないですか」
先生のもの言いには震撼とさせられる箇所もあったけど、意気の高揚も付録みたいなかたちで後追いしてきた。
いえ、むしろ詭弁と感じられたにせよ、進んで騙されたいような内部侵略を認めたい気持ちが優先していたと思う。わたしは口答えする意義をすでに放擲している。もうどうでもいいとかじゃなく、自分の居場所がようやく感取できそうになってきたし、命を吹き込んでもらった事実はそれこそ夢見であったとしても、ここに新たな生命の息吹を見いださないで、どこを見るのって強い念が生じていた。
聞く耳はきっちりしてましたね。さて先生の話しは続く。
「文化際の件なんですが、みなさんにはそれぞれ自分で似合うと思える姿を演じてもらうわけですけど、考えてきてくれたかな。4年に一回の催しですから、ぜひとも奮起して欲しいのです。シンダイさんは記憶こそ薄れていますが、ある意味において修養を積んだことになりますので、割とすんなり聞き入れられると先生は信じてますよ」
ふたたび緊張に襲われた、でも軽い、すでに浮ついているから。
「シンダイさんは初耳かも知れないけど、実はそうではないのです。文化祭には参加したことがなくてもその意義は理解していると思います。なのでもし疑問があれば詳しいお話しはあとからにしましょう。
ではアマジルさんからどう工夫したのか聞かせてください」
思わず振り向いた目線に連なるよう先生の意識が背後から被さってくる。どうみてもあまり年齢差のない後輩の顔かたちにふと感心しつつ、凝視を強制されているような気分にとらわれてしまう。
「はい、わたしはひたすら薄笑いを浮かべながら佇んでいようと、それで」
「それで」
「向こうが逃げださなかったら、抱きついてみようと思うのです」
「まあ、いい発想ですねえ。前向きでよろしい、衣装はこちらで用意しときます」
目尻がやや垂れているけど、端正に切りそろえた前髪とよく調和した涼しげな瞳は清純な感じを訴えるに十分だ。呆気にとられている間もなく、
「次はトダネさん」と、まるで掃除当番の割り当てとかされてるふうに応答される。
わたしは椅子を斜めにずらし後ろに並んだ生徒たちの言動に魅入っていた。
「なんでもよかったんですね、先生」
「その通りです、自由な思いつきが大事ですからね」
「上半身を露出してもいいですか」
刹那、先生のとまどいを背中に感じたけど案の定、沈着な口調で、
「よろしいですとも、潔くて感心しました」
と切り返えた。このトダネという銀縁めがねをかけた典型的な勉強に真面目な姿勢の少女、えらいこと言い出す、それに先生も先生だよ。しかしまだ唖然とする猶予はあたえられてないみたい。
「ではハスカくん」
ただひとりの男子だ、わたしの記憶にある限りみどろ沼で最初の男子、あまり目をあわせなかったのは結構格好よかったからなのです。彼はさも面倒くさそうにちょっとあごをなでたりしてからこう答えました。
「女装して、怪しの雰囲気を醸し出すつもりです」
なんと、、、わたしはずっこけそうになったけど、不思議なことに声が野太いにもかかわらず、その意見をすんなり認めている。これはひいきめでしょうね、きっと。頬に暖かいものを感じましたから。
「大変おもしろい企画ですね。先生がお化粧してあげましょう」
もう勝手にしてよ。お化けの仮装大会なわけ、文化祭って。あっ、いけない今度はわたしの番だった。
「シンダイさん、おおむね理解されましたか。先輩として一言どうぞ。企画は次回までに考えてもらえればいいのよ」
理解なんかしてません。なによ、ひとを小馬鹿にして。と口にしたかったけど、どうした作用が働いたのやら、
「変装してなにかを行うと推測しました。わたしは地縛霊になろうと思うのですが」
ええ、そのときは真正面に向き直ってました。そして先生の表情に陰りが射したのを見逃しはしなかったのです。


[374] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 14 名前:コレクター 投稿日:2013年11月05日 (火) 04時11分

学校の廊下ってこんなに静かだったかしら、わたしと先生だけだからそうなんだろうけど、人数の問題ではなくて、これは変かも知れないけど、何者かがこの廊下を、いえ、おそらく教室を学校全体を威圧しているんじゃないの。
管理者、、、沼の支配人、わたしをじっと観察している。わたしだけではないと思うけど、そう感じてしまうのだから仕方ない。でも今は平社員の分際で社長と会談するなんて恐れ多いなどという考えに導かれまして、ええ、学生ですので就職は念頭にあるわけですから、そんな類推で自分をなだめてみたのでした。
外から見た校舎の大きさに比べるとこの廊下いやに長い、まるで時間が床を這ってそうな実感さえ覚えてしまう。けど、無限ではありませんよね。
先生けっこう早足なんですけど、ただわたしのこころが塞がっているようでどうにも足取りがもたついてしまいます。右手にはガラス窓が間隔を置いて並んでいて、見慣れたのやら珍しいのやらよく分からない風景が収められてる。教室らしき扉に行き着いたのは、ぼんやりしたあたまがからだをふわりと浮かべてくれたからであって、わたしの意思は所詮遠のいていました。
しかし11年ぶりです。記憶がない分、まっさらの新入生としての意気込みは必要です。空元気でもいい、たくましく挨拶しよう、鞄を握った手は汗ばんで、顔がこわばっているのが不自然な感じがし、軽く深呼吸してみました。
「はい、みなさん今日から転入することになりました、シンダイユレコさんです」
もう教壇の脇に先生と並んでいます。
それまでの場面はカットされたみたいで、ええ、肉眼を通して映りはしたんでしょうけど、脳内が編集してしまったようですね。まあ、この場合それでよかったんですけど。
そこで教室のみなさんです。これは編集しなくてもよさそうでした。生徒は3人だけ、男子1名、女子2名。
よくある顔つきね、興味あるくせに表情には別の、普段着に袖を通しているみたいな、冷蔵庫のドアを開くふうな、ようはありきたりなことだと見下している面を張りつけているのよ。面倒くさいんです、そういうの。
あなたたちがそうであるのと同じく、わたしの面持ちだって歪んでいる。気取りと小胆が表裏一体であるように、はじめての場にはなじみという枠組みが解体されたふうに散らばって、気取られないふりで人手を待ち構えている。
「みなさん、転入生のシンダイです。よろしくお願いします」
わたしはいかにも明るい素振りでペコリとあたまを下げました。すると思ってもみない反応が、、、笑顔こそ生まれてはいないけど、ポテトチップスをかじったくらい軽めの音の拍手で迎えられたのでした。こうなると、少しは元気がわくもの、本来20人くらい生徒がいそうな教室の閑散とした空気はなくなり、小走りしたい自由な雰囲気がひろがったのね。
実際にわたしは3人に近寄ってもう一度、ちょっと真面目くさった顔つきで挨拶した。で、反応を得るより早く先生のもとに引き返し、まるで軍隊式の直立不動で指示を仰いだわけ。まあ精一杯の印象づけってとこかしら、ニコニコしてるだけじゃいけないって感じに支配されていたのね、きっと。
三人は机をひとつづつ空けて並列に座っていた。わたしは左右のどちらかね、そう案じてたら、
「シンダイさんは一番まえのそこへ」
って言われ、それまでの華やぎなのか投げやりなのか、わからない気分が吹っ飛んでしまった。結局、ありがたみのなくなった謎めきに舞い戻ったってことね。学生なんです、規律は守ります、勉強だってしっかりやるわ、なのにどうして差別されるわけ、先生も他の生徒も幽霊なんでしょう、、、よっぽど11年生は不始末を犯したということなの、だったら今すぐここで説明してほしい、洗いざらいすべてを。
わたしの憤懣を見て取ったのか先生はより温和な目色で、しかも眠たげな瞬きまで用いて、じっと見つめながらこう話しかけてきた。
「あなたは先輩だけど、お勉強に集中してもらわければいけないの、ブランクを取り戻すのは簡単じゃないわ。よそ見やか私語はもちろんないと思うけど、念には念をいれて」
ブランクって言葉が波紋のようにひろがった。そして底しれない空洞を作り出し生理的な悪寒が走った。
もう反抗する意思は失せていたわ。悪意に満ちた沼底では怒りの感情が、炎と熱風のような関係におさまり、鎮静を望むより早く無感心に導かれてしまう。
あれこれ質問してはいけない、、、わたしはあのとき強制労働者の心境を裏ごしして卑屈な気分にはまってみたけど、現実に降り掛かってくる火の粉は、恐ろしい勢いをふるい賺した思いなんかあっと言う間に焼き払われてしまう。
渋々じゃない、自動装置で運ばれるようわたしは指定された机に着いた。さて授業が開始される。出席簿なんてとらないわよね。えっ、規律、礼、こんな数少ない生徒なのに、まさか、、、
「アマジルミコさん」
「はい」
「トダネリヨさん」
「はい」
「ハスカデメオくん」
「はい」
「シンダイユレコさん」
「は、はい」
やや脇が汗ばんだけど、これで3人の名前を知ったの、つまり先生は最低限の自己紹介をわたしに示してくれたんだ。なんて勝手に考えているうちが救いだったと思います。
奇想天外な授業内容を聞かされるまでは、、、


[373] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 13 名前:コレクター 投稿日:2013年10月22日 (火) 11時40分

燦々と降り注ぐ太陽、まぶしそうに目を細めたりしてみる。朝食を済ませ身支度を整えたわたしは、まるでいつもの朝のように玄関をあとにした。
見送りのイモリさんだって口ぶりのわりには淡々とした態度で、もっともこのひとはそういう気質なのか、いえ、職業がらなんていうと生意気だけれど、多分そんな感じがしたのね、本来なら物足りなさで胸が波打ったりするんでしょうが、なぜか落ち着きを保っていた。このひとは家政婦さん、見つめ直すまでもなく、几帳面なアイロン掛けみたいにわたしの意識に折り目がついた。
あらためて眺めて見ても外はアメリカ映画に出てくる荒涼とした景色がひろがっている。学校までの道のりは分かりやすいといえばそうなんだろうけど、どうもわたし方向音痴だった気がして何度も地図を見返したの。ついでにうしろを振り返ったりしたのは、やっぱり心細かったのかな。イモリさんのすがたはもう消えていた。
道らしい道はきちんとあるからそれをたどればいいだけ、赤ペンに沿って行けばいいんだ。広大な大地なんて思いこみかも知れない。ここは閉じているはずよ、うん、この直感には信頼が寄せられる、自画自賛ですね。
ところどころに緑はあるし、ひょろ長い木だって、ちゃんと目印になっている。それほど殺伐とした風景ではない、だって当初は牧歌的なんて気分がよぎったくらいで、結局わたしのこころが渇ききっているからでしょう。まわりに親しみが湧かないのは仕方ないとして、とにかく遅刻しないで行けるかってことに専念せねば、、、
で、沼が沼でなくなった時から、絵の具を溶かしたような、着色料たっぷりの飴玉を無数に敷き詰めたふうな青空がわたしを軽薄な方向へなびかせてくれたのでしょうか、さっと吹きゆく心地よい風も手伝って、胸騒ぎは静まり、まさに行軍の勢い、ひたすら早足にて通学路を急いだのでした。
ええ、見えて来ましたよ、見たくないなんて言いません、これが宿命ですから。幽霊の、、、はあ、どうも歯切れがあまりよくないですね。
それはさておき、校舎もわたしの家と同じでこじんまりしている。即座に生徒数が読みとれそうな建物。昭和モダンじゃないけど、けっこう古びていて、なにより陰気くさい雰囲気が全体に漂っている。
ああ、これが10年学級と思わず口をついて出そうになったくらいで、でもよく考えてみれば、それは過去形であり、わたしはいわゆる復学になるわけですから、あんまりビクビクばかりしてられない。
背筋をのばし、くちもとを引き締め、まなじりはちょっと自信ないけど、とにかく勇み足で校門をくぐったのです。
しかし緊迫の糸にまだ絡まっていたみたい、だって他の通学生徒の影をお日さまは照らしてくれてませんでしたから。そう気づいたときにはせっかく正した背筋に怖気が走りました。
ひょっとしてわたし独りだけしか通わない学校かも知れない、なんて腹を据えてつもりが一気に萎えてしまったのです。
凝視する気概さえなくしてしまい、うつろな目が辺りにさまよいだし、でも両足は呪縛を知らないようで勝手に校内へ進んでいったわ。さながら悪霊らに不敵な態度をしめすごとく。
さてさて、げた箱に複数の上履きを見いだしたときの安堵といったら、はい、これは想像してみて下さい。その方が如実に得るものがあるでしょう。といっても誰もそんなことしてくれません。
ではどうなのか、それがですよ、案外すんなりと了解したのであって、いら立ちと悲嘆がないまぜになった気分が当たり前のことみたいに氷解してゆくのでした。いわゆる独り相撲って奴だったのですね。
ここに至ってわたしは悟ったの、なんだかんだで怖くて仕方ない、救いの手を差しのべてもらいたい、登校拒否したい、お家に帰って布団にもぐりこみたい、そうした弱腰を思い知った。
と同時にただ端然と立ち尽くているのも、こころの片隅で否定していたのでしょう、わたしはガランとした空間に向かって大声で張り上げこう言ったの。
「おはようございます。シンダイユレコです。11年生なんですが、これからどうすればいいのですか」
反響音、こだまですか、はい、耳鳴りもしたし、すぐさまのどが痛くなった。こんなに大声を出したことなんて滅多にないから。
校内で騒いではいけない、、、規則だ。ところがお祈りでもないでしょうけど、ご利益はてきめんだった。
「目のまえの上履きが見えないですか、シンダイさん」
この口調、振り向くより早く、わたしはあの電話の先生だとすぐにわかった。しかし世のなかには、ええ実際には大してよく見知ったわけではないですけど、これだけ予想を裏切る場面が現れるものなんですね。
あのいけずで高圧的な声色とはうってかわり、まあなんと優しげな微笑を満面にたたえ、しかも清楚ながらも凛とした空気をなびかせているじゃない。それだけじゃない、女優の誰かさんによく似ているわ、名前は思い出せないけど、あのひとよ、あのひと、、、
「自分の名前が書いてあるでしょ、さあ履き替えて教室にいきましょう」
声は昨日と同じだ。響きも決してやわらかではない、しかし本人をまえにするとあの声の持ち主とは到底およびつかない。
「はい」
わたしの返事もなんだか自分のものでない、うわついている。半信半疑な心持ちがしないでもなく、適当な受け止め方でしかなかった。
「遅刻ではないけれど、もうみんな教室にいるわ、あとはあなただけ」
あくまで表情に険しさを刻まず、まなざしは淡く、事務的な声色だけがそつなく緊張を強いる。親しみやすいのか、取っつきにくいのか、どちらちも言えない。
「すいません、時計が壊れているので」
この期に及んでまだわたしは運命の時刻を凍結させた腕時計を外していない。先生は一瞥をくれることもせず、
「一緒に行きましょう」
とだけ言って背を向けて廊下へ促したの。うしろ姿まで優美で気品があって、しかも教師らしい知性が薫ってくる。
参りましたね、内心そんな印象を抱かざる得なかったのだから、つまりです、まんざらでもないということでしょう。ハラハラドキドキ、もじもじ、どうしてわたしは幽霊になってまで小心翼々としているのか。
先生のあとを追いながら考えこんでしまいました。で、めげたと言いたいところですけど、なかなかどうして素晴らしい矛盾を感じたのですね。
実に女子高生らしい、人間くさい、わたしは生きているんだと。


[372] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 12 名前:コレクター 投稿日:2013年10月15日 (火) 12時05分

今日一日はもう語らなくていい。あっ、違うんです。取り澄ました口調ですけど、そんなに覚めた感情ではないの。
始まりの一日だからとても大切なのは承知しているし、気構えだってそこそこありますからね。それと家のなかを隅々まで探ってみたあげくの果て、、、う〜ん失意でもないんだなあ。
割り切りなんです。この家はわたしのもの、明日から登校し帰るべきところ。そしておそらく単調な日々が続いてゆく。誕生日にいつまでもしがみついているのと同じで、記念日はさっとお祝いして翌日からは平均値を保っていくべきなんです。毎日が祝祭ならきっとあたまが爆発してしまう。
ようは納得したのでしょうね。どうやら家政婦さんつきの優雅な待遇だし、もっとも高級収容所なんて呼べそうだけど、それはやめておいてですね、とにかく家なき子の境遇とかに比べたらありがたき人生、幽霊だろうが生きている、餓死はしません、日々の糧にあくせくすることなく、やり過ごすまで。
と、一丁前な口をたたいておりますが、実のところ思考をストップさせたかったのです。ちょうど分厚い小説を読み続けるのをやめてしまうように。
あれ、この意思さっきも言いましたっけ。やれやれ、自覚している以上に困惑は隠せませんね。
ともあれ、お昼ごはんも夕ご飯はそれなりに、お風呂も着替えも、それに物思いすら日常生活の流れとしてやり過ごしました。
問題は厳めしい先生から促されたたユメだった。
考え尽くしたのは謎めいているってことだけで、いざベッドに入ると眠気を駆逐する勢いでユメのあれこれが浮遊してくる。あれこれって変な言い方だけど、とりとめのない映像や画像が飛びまわってみたり、かと思えばじっと一点にとどまったり、もじもじしたりして、それらは不思議な技で重なり合い、乱れ散り、暴れながらも妙な静けさに包まれ、どこか遠い場所へと運ばれてゆく。
まぶたの裏に映しだされている。今度は天井がはっきり見えた。首を少し傾げると壁紙やカーテンの色彩が鮮やかに、けれど、どこか物寂しげにささやいている。
えっ、ささやく、、、耳鳴り、透明なガラスに水滴がしたたり、やがて視界をはばむよう記憶の粒子はゆくえをくらまし、薄靄にわたしは取り囲まれた。
意識の底辺が心地よく揺れ、次第に夜の吐息を感じていたわ。絶え間ない連鎖、しかし網膜はやわらげに役割を成し終え、鼓動のみがベッドのうえを軽く、薄く、羽蟻みたいに這っていく。浅い呼吸は決して鼓膜を刺激しない。
霧の形状はわたしのマント、覚束ないまま見通しのよくない光景を知る。夜気にとらえられている。はじめてのようで、よく慣れ親しんだ暗さ。死んだ自分で言うのもおかしいけど、生まれてくる以前から常に抱きしめられていて、それは寒気でもぬくもりでもなく、風でもない、当たり前に土や草なんかじゃない、もっと違う、でも間違いない何か、、、暗黒の夜空を突き抜け、たどりついた願い、、、あれ、生まれてないのにお願いなんてありっこないよね。
文章ならこんな常套句が使われる「そのときだった」でも、そんな感覚とも別な不意打ちに襲われたの。
時間がかかりそうね、なんてつぶやきが絹糸でもよじったふうに消されてしまうと、一気に夜のしじまが全身を緊縛し、そのまま宙に舞い上がった。
抜け出たのね、沼底から、、、やっと水面に浮上した。夢にまで見た異界からの脱出、はい、矛盾してます。願望と夢幻がよくかみ合っていないのに、いびつな歓びに溺れようとしている。
それでもいいわ、これこそ高見の見物よ、そんな横柄な態度に踊らされるよう、まわりを眺めてみれば、やはり暗いです。外も夜なんですね。視界がさえぎられているというより、ひたすらまぶたが閉ざれている感じがして、しめつけられるような苦しさばかりに気をとられていました。
そんなものでしょう、いくら悪びれてみたところで唐突な情況をさめた目で見まわすなんて無理、なすがまま、夜の深い世界にぽつりとたたずむだけ、、、
えっ、わたしの足もとはどこに立脚してるの、、、そうなんです、外界をつかみとろうと躍起になり、肝心な事態をよくのみ込めてなかった。浮いてるんですね、水面に、裸足でした。
パジャマみたいなそれなりの格好、そう寝たときのままです。浮標みたいな責務を担っていそうで波間と戯れているような心持ち、必要とされる最低限の意思表示、ああ、なるほど、これが幽霊の身体感覚なんだって思った。
すると蒙昧な目にわずかだけどひかりが灯ったの。闇夜の海原を航海するひとたちに届けられるかも知れない少しの明かりが。
きっと誰かがわたしを見ている、いえ、見つけてくれる、声をかけてもらえるだろうか、手は振ってもらえないだろうな、だって気色悪い、怖いもんね。お努めですね、幽霊の、、、
あっ、分かった、お化け屋敷と同じなんだ、わたしはみんなから好かれ慕われる存在じゃなく、怖がられる使命を背負ってるんだわ。
急流を勢いよく下るボートみたいに意想が駆け降りてゆく反面、なんだかとても悲しい気持ちが後追いしてきた。顔さえ覚束ないわたしの家族にもし出会ったら、それにとても仲良しだった友達、いたかも知れない彼氏、なんて望郷の念が波打っている。
またもや引き裂かれるんですか、わたしは自問自答しましたよ。ということはこの意識はユメでありながら、覚醒していますね。なんか変だなって思ったけど、それほど不思議ではないわ。ユメはめちゃくちゃだけど、会話も成立しますし、なにより現実がモデルになっていることが多い。そんな考えがよぎるとこをみると過去の記憶はやはり全部ぬぐわれたわけでなさそうね。どうしてもそこに立ち戻ってしまう。
里心はさておき、頼りない風車のようにまわりだした意識はとびきりとまではいかないけど、新鮮な感情をはらますことが出来た。
よく目を凝らす、しっかり耳をそばだてる、口を閉ざす、無心になる。
からだが微かにゆれている。冷えきっていた頬に朱が返ってきたのか、冷気が気持ちいい。髪がそよいでる。そんな、、、、、、

「おはようございます。シンダイさん」
「あっ、はい」
イモリさんだ。慣れてないにもかかわらず瞬時に目覚めを知ったわ。
「ひさしぶりの登校ですから、見送りに来ました。朝食の準備できてますよ」
「わかりました、どうも」
さてと、では新たな人生の、、、ちょっとオーバーかな、清らかな一日の、うん、これでいい、始まりです。あくびしてる場合じゃないわね。まあいいか。


[371] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 11 名前:コレクター 投稿日:2013年10月01日 (火) 05時57分

封筒をビリビリじゃなく、それはそれはありがたくね、実際は震えつつ開封したの。
読んで話すほどのことではありませんが、、、明日から登校するよう、遅刻厳禁、きちんと制服を着用する、あれこれ質問しない、という事務的かつ高圧的な文面でした。あと、ご丁寧に学校までの道のりが、大雑把な地図ですけど、ちゃんと赤ペンで記してありました。これには少しばかりほっとしましたね。
強制労働者だって瑣細な指示にときにはうれしさ覚えたりすることあるでしょう。
所詮こきつかわれるんだが、自分の身を案じてくれている、なんてね、本当は卑屈な気持ちが過剰に反応しただけに過ぎないだけかも、でも胸のうちがわずかでも温もれば、それはそれでいいのよ。目くじら立てる必要はない。
弱い立場だからこそ、自己欺瞞だって有効に活用しないとね。
電話機のあり方にもある程度了解したわ。ここは自由な世界とは違う。死んで化けて意識が灯っている。わたし死んだら無になるって思ってたから、その無をまた想像したりしてね、たしかこれはまえにも話したわよね。
ところがですよ、ゲゲゲの鬼太郎のうたではこんな調子じゃない。
おばけに学校も試験もない、仕事も会社もない、なんにもない、ただ運動会はあるみたいだけど、、、死なないのはわかる、病気はどうなんだろう、わたし、なんか仕出かして10年学級に転入させられたのかしら、規則を犯したからなのか、落第に次ぐ落第の結果だろうか、それとも病欠で余儀なくなれたとか、もう考えだしたらきりがないからやめておきます。
行きますとも、はい沼高校11年生ですしね。もう行くしかないです。ところで気にかかったのが、厳しそうな先生が問うた言葉。
「昨夜、ユメを見なかった」という叱責だった。どうして初めての夜に、、、あっ、違う、わたしは11年生なんだから当然まえにもどこかで寝起きしていた。こんな野中の一軒家かも知れないし、他の生徒たちと寮に入っていたかも。
ユメ、ゆめ、夢、こころがけがいけない、これはどういう意味合いなんだろう。
洗顔だけじゃなく熱めのシャワーを浴び、さっぱりする身を愛でながら、汚れが流れおちてもそれは肌の表面だけ洗っているだけみたいで、どうもしっくりこなかった。意味じゃない、けど問題には違い、いけずな先生がああいうふうに念を押すところを察すると、けっこう大事な規律かもね。宿題やクラブ活動よりも、、、
冴えないあたまをひねらせていたせいでシャワーから発する湯気がもうもうと立ちこめて、増々見通しが悪くなった。バスタオルで全身から吹き出た汗を拭いながら、小窓を開けたそのとき、さわやかな空気と一緒になってあるイメージが霞のなかから現れたの。
まだ鮮明じゃなかったけど、あと少しで手の届きそうなもどかしさ、使い慣れた単語を忘れてしまったような浅いくやみ、けど深みに沈みこんで容易く引き上げられない、そんな名状しがたいイメージ。
焦るな、そう自分に言い聞かせ、とりあえず新しい下着を身につけ、人影のない外の景色に目を泳がせる。どのみち明日になればおおよその疑念は晴れるでしょうが、これからまる一日時間に苛まれてしまいそうで不快な気分をはらえない。それでも広々とした大地に目配せする。焦りは逃げていかない、代わりに災いを流し終えた湯気が大気に解き放たれてゆく。ゆっくりと、わたしの心持ちなんかとは無関係に、どこまでも。
無関係、、、言葉にしたつもりではなかった、なのに、軽い強迫観念めいた様相で脳裡に刻印されたの。誰かに教わったんだわ。学生だもの、当たり前よね、授業で習った、実習だったかも、とにかく答えは学校に行けば分かる。けど何かが異なっている、遠い記憶よ、しかも数日まえに見た夢の情景に似てあやふやだ。夢のまた夢かあ。そこで教わったのかなあ、そう思うほうがしっくりくる。
自分でも性格がしつこいのやら淡白なのやらつかみきれない。いえ、性格もあるだろうけど問題はかかわり方よ、今こうしてわたしのあたまのなかに居座っているものが問題なの、性格なんて濃度を計る機械の目盛りでしかない、だから杓子定規でしかない。
わたしにも好きなひとっていたんだろうか。毎日毎日思いつめるくらいの相手が、、、よく似てるわ、情景に、きっとこころときめいていたと思う。華やいでもいたし、絶対うかれてた。そんなこと考えてたらなんか切なくなってきたの。もういい、思考停止だ、記憶だって全部とはいかないけれど、細切れでもいい、よみがえってくるよ。「あれこれ質問しない」なんて注意書きしてあったのもそれとなく理解できる。
というわけで、想像してたより煩わしい通達ではなかったので、今日一日どうやって過ごそうなんて急に明るい笑顔に移ろったのでした。
じゃあ、朝ごはんにしよう。定番で決めるのが規律なんでしょうが、ここは口やかましい先生のいる学校でも、あっ、ごめん、きっと優しかった家族もですね、いる家ではありません。だから好きなものを食べるとしましょう。わたし能天気ではありませんよ、ただの食いしん坊なんです。
でも昼ごはんも夕ごはんも待っている、あんまり食べ過ぎるのも善し悪しだわね。モーニング風でいきますか。
どれどれ、わたしは幽霊である身を忘れ、ひたすら食材を物色し、それほど空腹を覚えてないにもかかわらず、素早く献立を組み立て、我ながら呆れるほどの手際でお日さまに感謝しながら食事したのでした。
いいえ、大したものじゃありません。といったらイモリさんに失礼ですね、でおわかりでしょう、野菜スープの残りを温め、あとはハムエッグ、トーストにブルーベリージャムをたっぷり、オレンジジュースに豆乳、ちょっとだけ罰の悪そうな顔つきでバニラアイスクリーム、以上でございます。
あとはソファで優雅に寝そべり、音楽をと望んでみても残念ながらテレビもラジオもステレオも見当たりません。しかたないから下手くそな口笛なんか吹いたりして無聊をなぐさめる、なんてね、世捨て人の境地をさまよいながら、まねごと程度にストレッチし、カッカしてきたところで家中を探険、引き出しのなかは空っぽ、クローゼットもくまなく覗きこんで失望を得てから、思いきって玄関を飛び出してくるりとひとまわり。ああ、ため息ひとつ。
どうせ暇なんだからと洗面所に引き返して、歯ブラシ、歯磨き粉だのタオルにバスマット、新しい下着が置かれていた棚を再確認、黒い制服とは正反対に純白の品々をいくつか手にし、微笑んでから、不意に涙ぐんでしまいました。いいえ、悲しいからじゃないの、なんかうれしくてね。だって明日はおそらく色んなひとと出会える。もちろん、素敵な出会いとは限らないでしょう。恐ろしい罠が待ち構えているのやら、どんな仕掛けにはまってしまうやら、胸が引き裂かれそうでした。


[370] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 10 名前:コレクター 投稿日:2013年09月24日 (火) 04時29分

世界の豹変に目を見張り、感動にひたっているのは素晴らしいことだろうけど、お腹がへっていてはままなりません。うっかり忘れていました。昂った気分にも限界はあるのね。こう言うと身も蓋もないですが、裏返せば限りある感動にふたたび出会うには日常の連鎖を排斥するわけにはいかないってことでしょう。で、食欲、性欲、安眠欲を重視しなくてはいけません。性欲は今のところ**なんで迷妄の域から脱してないと思うのでひとまず脇にずらしてですね、何より食欲を充たしましょうか。はい、これは大仰な思念ではありません、ひたすらわたしに密着した定めなの。
安眠だって空腹だと難しいそうだし、早速冷蔵庫とその周辺を探ってみた。納戸あとクローゼットも気がかりだったけどね、腹ごしらえのあとでもかまわないでしょう。
イモリさんが残していった「今日の分だけは用意させてもらいました」って生唾が出そうな甘い言葉に操られるようコンロのうえのなべに目は釘付け、赤いなべって想像力を育みますね。ええ確かにある種の限定を醸す色合いでもあるんですが、お腹ペコペコのときって希求力もともなって甚大な期待が生まれてしまう。白色、銀色だろうが文句はないんだけど、飼い犬にたとえるなら待てを言い渡されているみたいで、どこかしら歯がゆい。
そこで思いもよらぬ芸当があみ出されたわ。右手で赤いなべのふた、左手は冷蔵庫の中身をという飢餓情況を大胆に演ずるふうな仕草に苦笑しながら、恍惚を覚えると待つことを知らない強欲は全開し、瞬時にしてお腹におさめるべき食事が決定されたの。
なべは野菜スープだった。じゃがいもにブロッコリー、にんじん、トマト、ざっと眺めただけで了解。冷めているようなので温め直す。冷蔵庫の内部はもう言葉で追うことが厄介なくらいでした。ありますとも、詰まってますとも、ひんやりと冷気は冷気らしく頬を優しく差し、反面、調理の手間を厳かに物語り、それは野菜や肉類に限らず、マヨネーズやケチャップにバター、味噌といった脇役にまで及んでいる。
あたかも薫陶を受けた生徒の趣きだったから敬遠に傾いたのは語るべきもないわね、不良学生のままでいいから素早くがっつりしたものをかみしめたい。野菜スープに物足りなさを覚えた腹具合わかってもらえるかなあ。
続けざま戸棚をあさると米に食パン、乾麺らが鎮座しておりました。そしてカップラーメン各種が並んだ壮観に上質なめまいが生じた途端、わたしはやにわに金ちゃんヌードルをつかみとっていたの。UFO焼きそばとかカレーヌードルにも食指が動きかけたけど、欲望の閃きは殺気さえ帯びていたわ。もし野菜スープがなければあとひとつ食していたと確信する。
一般に炊きたてごはんの支度が予想されるはずだったので、わたしの困惑はかなり見苦しかった。食パン焼かずにかじってもよかったんだけど、べつだん喉が渇いていたんじゃなかったけどね、なんか口中の水分が吸い取られそうな怖れに振られて、目ざとく見つけたハムをはさんでサンドイッチをこしらえる意欲は失せていたわ。
むろんカップ麺だってお湯を湧かさないといけない、その時間を埋め合わせるのはすでに用意されていた野菜スープが並行するからであって、苦行を強いられている重荷はなかった。しかし女子高生らしくサンドイッチを頬張っていればいいものをハムに魅入られたのが運の尽き、好物なのね、わたし、、、家のなかの食材の味覚全部は忘れようにも忘れられない。食い物の記憶って凄いわ、なんて称賛している間にハムのパックを荒々しく破り、マヨネーズとカレーパウダーをかけて食べてしいました。がっついているわりには一枚一枚しみじみ味わっていたよ。ちょうど食べ尽くすころ金ちゃんヌードルにありつける心算でね。
この先の無粋な食いっぷりはお話しません。炭水化物より先に野菜をというふうな意見を何となく覚えているんで、気恥ずかしいわね、あとは想像におまかせします。ただ野菜スープが想像してたよりか遥かに豊潤でそれもそのはず、かなり分厚いベーコンのすがたを見知ったとき、感激にむせてしまったとだけ言っておきます。
人心地つきました。しかしながらまだ戸棚の隅っこや食材の点検に意欲を傾けるのはどうしたものでしょう。冷凍庫からいちごミルク味のアイスを引っ張りだしくわえたまま、調味料あれこれとか、インスタント類の確認とか、ああ、これも飛ばしますね。
そこで飛んださきはやっぱり眠気だった。旅人が宿の一夜に日頃からの郷愁をどっさりと持ち込むように、そしてまどろみと安寧がふんわり枕元に被さるように、わたしのまぶたは緩やかな風のはからいでひかりを閉め出そうと求めている。同時にあたまにかかった霞はあべこべに鮮やかな彩りを点在させながら、不思議といけないものを見つめている感じにとらわれ、ふと台所の洗い物をよぎらせたりしつつ、赤いなべが宙に浮いた幻影に乗り込んで、ますます明滅する景象をつかみとれずにいた。
おそらく意識の反面では入浴は省くとしてもシャワーくらい浴びさっぱりして寝床に入ったらどう、なんてささやいているのね。まったく、、、旅の宿にだって温泉はつきものよ、たしかにこれからここはわたしの家なんだから、べつにかまわないんだけど、とにかくはじめての我が家ですしね、けじめというか汚れをきれいにしたいって気持ちは拭いきれないんだろう。でも、眠い、眠い、節度ある意識は日々の結びつきを前もって算段している様相で、間延びした顔を認めようとしているのかしら。
「まっ、とりあえず横になってですね、どうせならソファよりベットで、仮眠よ、仮眠、さっと目覚めてお風呂に入ろう」
なんてね、こんな譲り合いが以外にはっきりしたかたちでかすめていったわ。そうと決まれば睡魔に引き込まれる姿勢はほとんど酔客の足取りね。更に窓のほうを見遣るまでもなく、さっきまでカーテンを染めていた朱は隠れ、どうやら宵闇が外を包囲している。これで大義名分がたちました。おやすみムーミン谷、じゃなかったみどろ沼。
もう沼ではないけど、そうこころのなかでつぶやけたのはこの家のちからでしょうね。わたしは見事どろ沼みたいに寝入っていまいました。ええ、夢なしです。
だからなの、目覚めの悪さがかなりよくなかったのね。激しい自己嫌悪に苛まれ、おまけにからだの節々まで異様にけだるい。頭痛こそなかったけど、鈍い気分に全身呪われている感じがして、思わず納戸に身をひそめようと思った。寝つくまでの茫洋とした幸福感は一転、学校からの通知や監視といったとらわれの意識が毒花のように開花したの。結局は仮眠ではすまず熟睡した様子だったわ。カーテンに裏漉しされた朝陽は鋭く、なにやら急いている。
壁掛け時計だってこんな分かりやすいところで時刻をしめしている。えっ、9時15分、これってもしかして寝坊、学校ってもっと早起きしないといけなかったのでは、、、
そのときだったわ、玄関口でジリジリって音が鳴り響いたもんだから、とっさに電話のベルかなって案じたんだけど、見回しても電話機はなく、音も外から伝わってくる。重たいからだを引きずって外に出れば、郵便受けにそのすがたありだったのね。来ましたよ、早速、学校からの案内書、寝坊したから起こしに来たのならその配達人はどうして声をかけなかったんだろうか。待てよ、通知が届いたからといって今日から登校しなければいけなってわけでもないわね、どうも、わたしはものごとを都合よく考える傾向がある。昨日はあんなに感激した太陽に挨拶するのも忘れ、すぐそばの郵便受けに手をのばす。
ウキウキではない、しかしトボトボでもない、しかるべきことをやり遂げる、実際は渋々なんだろうけど、相変わらず人気のない景色を横目に封筒を取り出した。
新代由礼子様、うん、間違いなくわたし宛てだ。住所は数字が並んでるけど、たぶん登録証のそれと同じだと思う。
またしてもジリジリ、えっ、左右にかぶりを振ってみたが誰の影も通らない。うろたえました。だってその響きは家のなかから聞こえてくるのですよ。もういい加減にして、携帯電話を見落としたってことね。怒り心頭まではいかなかったけど、何故かといえば不安のほうが勝っていたし、探偵ごっこじみた持ってまわったやり口に圧倒されていたからでしょう。
で、重いからだでわざと床を踏みならしながら部屋に入ると、電話のベルらしき物音はなんとクローゼットの内側から鳴っている。そうね、まだ、わたしここを確かめてはいなかった。怖いもの見たさなんかじゃない、こうなったら真犯人をあばく心意気があきあがってきたわ。
さっと扉を開くと変哲もないただの受話器がまるで蝉のものまねをしているふうに鳴り響いている。それと黒い制服に黒いかばん、それらにべつだん驚くことなく声の主に迫った。
「もしもし」
「シンダイさん朝寝坊ですか、もう一回10年学級に戻りますか、すぐに顔を洗って通知をごらんなさい。それとあなた、昨夜、ユメを見なかったでしょう。いけませんね、そういう心がけですと、わかりましたね」
かなり厳めしい女の先生だ。しかし、その容貌は浮かんでこない。
「わかりました。顔洗います。ちゃんとやります」
あわててそれだけ言うと、
「では」
受話器の向こうから気配が消えた。黒づくめの身支度品にやはり見とれていたのでしょう。だってこの電話機はありふれたものなんかじゃない、ボタンもダイヤルもない、同じく真っ黒だから見逃したの、、、そうね、こっちからは連絡できなってシステムなのね、そう思えば合点がいく。
では仰せのとおり顔を洗ってきますか。わたしは封筒を握りしめてはいなかった。むしろ非常に有用な書類を授けられたに等しい丁重さをこめ、手のひらにはさんでいた。


[369] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 9 名前:コレクター 投稿日:2013年09月16日 (月) 07時23分

コンパスの矢は精確な位置をしめしている。目的地をさとす使命を担ってるわりには、小さな手のひらにおさまってしまう頼り気のない丸みと軽さだった。が、その軽さがわたしの足付きをハラハラさせ、緊張にはばまれながらも優美で不遜な意識へと先走りさせてくれたのでしょう。
未知なる世界への跳躍、振り返るまでもないありありとした現実、しかし現実と呼んでいいものやら戸惑いは隠しきれない。恐る恐るの気持ちは急上昇する気流へと乗りこむしかなかったわ。眼下にひろがる地平に冷ややかなまなざしを投げかけながら。
わたしは水底を歩いている。閑散とした見晴らしです。似たような水草がまばらに目につくだけで、壊れた腕時計が放棄した通りのほの明るさに支配されていた。止まった時刻こそわたしの死、しかしながら幽霊意識の目覚めは夜の漆黒だけに塗りつぶされてはいない。疑ってみたくなるものですね。待望の民家がぼんやりと現れたというのに、焦点を結ばそうと努める意欲自体を。
察してください、喜びは素直さにぎこちなく接してしまうのです。でも瞬く間だった。わたしの家はこじんまりとした方斜面の平坦な屋根をもつ昭和モダン風な造りでした。努めた意欲が空回りした甲斐はあったと思う。被われない意識は瞬時にして我が家を愛でていたのですね。面倒でもこんな摩擦が確固とした目線として成り立っていく。
浮き足だっていたのでしょうか、足取りはいくぶん丁重だったような気がします。期待していたプレゼントをひも解く気分に似てね。だって破顔は絶対しまりのないやに下がりでしかなく思われたし、誰彼にというわけでもなかったけど、愉しみをゴムひもみたいに緩ませている感覚を理解して欲しい。これって屁理屈じゃないわよね。
定まりきらないまま門前まで歩み寄ったとき、はじめて気後れしたの。不快な気後れなんかじゃなかったわ、決意を抱きしめたと同時にこぼれ落ちるためらい。愁いの再確認かしら。
ともあれ、新築の家を訪問する背筋の張り方は間違っていなかったでしょうし、こころのなかよりもからだの汚れを感じとってしまった。
「なかには誰もいないよね」
懸念とも心積もりともはかれない手つきでドアを開いたの、ええ、もちろんゆっくりと、潜水艦のハッチを押し開けられる慎重さを想像しながら。
まったく予想外だったわ、と口にしたならいくらかの欺瞞がまじっていたでしょう。コンパスはわたしの内奥まで探り当てていた。
「どうもおじゃましてます。わたくし家守りのイモリマスミと申します。臨時の家政婦みたいな者です」
どう見たってわたしより年長の、だけどどことなく幼げな笑顔が初々しい女性がドアの向こうでたたずんでいる。一歩退きかけたのは本当よ、それくらいの反応は許されてしかるべきだと役者根性みたいな振る舞いで応じたの。うっすらした打算も兼ねていたわ、その方が質問の煩わしさを回避できる、つまりですね、相手から名乗りをしたのだから、それなりの事情を落ち着き聞きいれたかった。
「部屋の掃除と設備の点検、それに食料も補充しておきました。これからお風呂に入れますし、ベッドにもすぐ横になれます。食事は今日の分だけは用意させてもらいましたので」
直感は的中ね。よしよし調子の良い滑り出しではないですか。すっかり安堵を覚えてしまったわたしはもうイモリマスミさんの容貌をしげしげ眺めることなく、こう言ったわ。
「ありがとうございます。助かりました。では早速部屋を案内して下さい」と。
如才のない返事を受けとめながら、今までの曖昧で不透明で、よりどころのない、しわくちゃなシーツがパリッと張られたような清々しさを感じ、あまつさえ純白の密度が濃さを増して、大方の不安は消し飛んでしまった。とりあえずだけど。
こうなったら本来自らあちこち足を踏み入れるべき問題はゆるやかに据え置き、家守りのひとを土台にして有意義な時間と共存していこう、なんて出世頭か独裁者みたいな勝手な不惑が羽ばたきだした。感謝の念をあたりまえとしてくみ取っている自分にやましさを少し感じていたけど、置かれた情況と行く末を照らし合わせてみれば、囚人のわがままが容認されていると思えていたの。独裁者のそれを横取りしたようにね。
それなりに心地よさそうな居間、なるほどと感心してしまったほどしんみりした寝室、窮屈なのか相応なのかよく分からない勉強部屋、そして機能的で素朴な風呂場とトイレ、まだあった、くらがりを欲してやまない納戸と寂しさを見せつけるにもってこいの小さなベランダ、イモリさんの実直で的確な案内を受けながら、その実わたし、ぼんやりとしていた。
そして気づいたときにはすでに遅く、肝心の事情をあたえてもらっていない不始末にいたったというわけ。家守り人はさっさと所用を片付けた手際よさを誇るでもなし、きわめて良質な事務的態度でわたしのもとから立ち去ろうとしていたわ。嫌みなんか微塵もないだけに問いかけの言葉がつかえて出てこない。
「それではわたくしこれで。学校の方は近いうちに通達がありますから、その旨にしたがって下さい」
くるりと反転する勢いでないにしろ、もう背を向けたに等しかった。その所作にすがる気持ちは部屋中の窓をすべて開けたことも手伝って、さわやかな風に取り巻かれ、尚のこと詰問めいた口ぶりは抑制されたのよ。
「ではお元気で」
「どうも」
腑抜けた声色に我ながら唖然としてしまいました。取り急いだつもりじゃなかったのに、ことはうまく運ばないものね。結局なにも聞き出せず仕舞い。やはりどうこうあれ慢心はいけません。決意の浅さを知らされたというか、べつに必死の形相でもなかったから、まあいいかって開き直ってしまいました。またまたへたり込んだ、いえいえ、居間にあるべくして据え置かれたソファに深々と腰をおろしていたわ。
やっぱりひとりだ。いやいつもひとりだよ。けど何者かの眼はどこかで光っている。この定理がある限り、わたしは奮い立つことが出来そうです。そして驚愕すべき事実を発見しました。錯覚だろうが、まどわしだろうが関係ありません。しっかり感知した現象ですから。
風とともに陽光が窓から射しています。お日様ですね。水底の感覚は霧散し、沼の景観でもありません。ここは地上と寸分も変わらない大地だったのです。奇跡なの、確かに動揺しながら窓辺へ寄り、深呼吸してみると奇跡らしさが実感された。仕掛けも驚きのうちですから。
ただ、わたしは沼底の世界から見渡せば見渡すほどに牧歌的な土地に立つ家に住み着いたという恩恵をさずかった、天地が逆さまになろうがこの歓びは否定できません。ああ、早くも逆さまになってますが。
さてと、次は沼高校とやらからの通知を待つ。これだけ世界が大変貌を遂げたにもかかわらず沼ってところが引っかかるけど。ふと唱歌の一節が呼び起こされ、思わず口ずさんでしまいました。
「手のひらを太陽に透かしてみれば、、、」
更なる冒険を夢みましょう。


[368] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 8 名前:コレクター 投稿日:2013年09月10日 (火) 04時22分

悦ばしき知識ですね。ミミズくん、きみのお陰だよ。
「付随するもの、、、」
そうか、あれはすでに認識されたことだったんだ。ときおりよぎるランダムな語句を見捨ててはいけません。わたし自身見捨てられずにすみましたから。
ともあれ、なかなか立派な革張りの二つ折りの登録証を取り出しつぶさに調べてみますと、色は緑、若々しく生き生きとした苔の色合いでした。沼によく似合います。読み上げるのが面倒なくらいの数字がびっしり記載されているばかり、あっ、これは見開きの方ですね。手帳ふうの裏表には記号すら見当たりません。顔写真とかも張りつけてられてない。名前はと、ありましたよ一番下に、、、えっ、新代由礼子、シンダイユレコ、、、これは源氏名でしょうか。ふざけた姓名じゃないですか、わたしひょっとしてお馬鹿な芸能活動とかしてたのかしら。なんか縁起もよくないですね。そのうち、はっと思いつきました。幽霊にふさわしい新たな名前をつけられたんだって。おそらく生前は異なっていたでしょう。沼の支配人の無粋なはからいを鼻で笑い飛ばすくらいしか能はありませんでした。
それからもう一行、沼校生11年(華札高校2年没)
絶句、、、わたし、永遠の女子高生っていうのは静謐な気品に守護されており、香しい雰囲気を生み出していて、若さゆえの失態は現世に取り残され、ここでは美意識と協調した仕草が瑞々しくよみがえるばかりで、かつて放たれていた青臭いだけの色香と桃色的な態度は昇華されていると夢想していました。見るからに天使と呼ばせるだけの威厳さえ身にまとってね。
それが何よ、沼校生11年、まるでどぶの匂いとまじりあって漂ってきそうなうらぶれた中年女の酒くさい吐息の化身じゃない。醜い妖怪だわ、ひどい、ひどいわ、まったく、、、
あのね、沼も11年という歳月もすでに了解済みだからかまわないの、それより高校を11年っていうのが耐えられない、じゃあ来年は12年生なわけ、永遠ですから卒業できませんよね、わあっ、50年生とか100年生なんて考えただけでめまいがする。絶対に妖怪です。美しい幽霊じゃない。待てよ、容姿は変わらないんでした。わああ、でも嫌よ、中身はおばちゃん、おばあちゃんになってる可能性が高い。
家を見つけるまえにこの騒ぎでしたから気楽なものかも知れません。とりあえず永遠の女子校生の外面だけをよりどころとし、内面の鈍化、神経の図太さ等の荒廃は心がけ次第、精進あるのみと強く言い聞かせることで手打ちといたしました。
登録証が傷んでしまいそうなくらい握りしめていたのは、もう肩書きではなく、来るべきお迎えを心待ちにするじれったさによる力みだったわ。目覚めの意識とともに話し声が聞こえたなんて出来すぎでしょう。わたしは常に見守られている。悪く言えば監視されているって意味だけど、ひとりぼっちに比べれば断然ましに決まっている。どうやら敵意とか殺意はなさそうですし、殺意とか人には通じませんので怖いものは孤独に尽きます。
ところで目覚めに立ち会ってくれたひとがよく思い出せません。とても親切にされたような気はするんだけど、顔かたちが浮かんでこないのです。確か門番だから最初に出会ったというふうな印象はある。それより細やかないきさつは忘れてしまった夢と同じでつかみとれない。しかし門番が存在したのなら、今度はこの登録証を検分にしに誰かがわたしのもとへやってくると思うの。そうあまり焦らずこころして待つべきね。
「お腹へったなあ」
温かいスープの湯気と香ばしい匂いはすぐそこにあるわ。内ポケットから大事なものが出てきたようにと、他のポッケも探ってみたんだけど、胸にボールペンが一本はさまっていただけであとは空っぽでした。ああ、つまらない、アーモンドチョコレート食べたいなあ。体温でかなり溶け出したやつ、えっ、なんでそんなこと、、、が、すぐに途切れた。まるで針先にかかった魚がみぎわで外れてしまうように。
魚も泳いでないよ、ああ、イカの刺身に大葉のせたの食べたい、アジも美味しいよね、味がいいからアジっていうんだよ。ほっけの開きを始めて食べたとき感動した、なんてジューシーなの。
これらの記憶は一体どこから湧いてくるんだろう、海が連想されるから、単にお腹がすいているからなの。それにわたし感じている、ここは沼なんかじゃない、幽霊だから水を感じないのかも知れませんね。だとしてもおかしい、具体的にどこがどうのってほじくってもすぐに行き詰まってしまうから、よく言い表わせなけど、怪訝な雰囲気が立ちこめているわ。
待ち人は待てど暮らせど影すらちらつかせはしなかった。空腹も段々と募りだした不安に圧迫され、ついには大声を張り上げてしまったの。
「誰かいるんでしょう、だったら出て早くきてよ!永遠の女子高生は気が短いの」
水底の静けさをこれほど不気味に思った試しはないわ。ところどころにやる気をなくしたふうな水草がゆらめいている。見ようによっては猫の持つ戯れめいた動きにも映り、ほんのちいさな気泡が見逃してくれって様子で浮上しては消えてしまう。久遠の光景、わたしの何かに同調している。
そのときだったわ。あまりにゆったりした代りばえしないさなかにわたしは見いだした。そう気泡よ、注視してみれば、わたしを取り囲む具合で、もっと正しく言えば、時計まわりの要領で気泡が逃げ去っているようにうかがえる。もとの目線を定置とし、ぐるりと首をまわしながら水草を追いかけたわ。何度か試みて定置に生える水草の位置を秒針の12時にたとえた。ゆっくりかぶりを動かしていくとそのすぐ横から断続的に大きな、といっても豆粒くらいだけど、ぼこぼこって音が微妙に伝わりそうな気泡が発生している。
「11時」
ピンときたの。11年よ、すぐに歩み寄ると、砂底にカレイがまぎれるような煙めいた異変が認められた。何かが動いている。が、動物的な本能を発揮することなく、その場所から遠のこうとはしない。こうなったら手づかみね。驚いたわ、右手できつく握ったときの感触にまず、そしてそれが矢印一方向しか与えられてないコンパスであったことに目を見張った。勘なんて冴えるよりか先んじてあるべきものにたどり着くだけよ、なんて豪語したいくらだった。
コンパスが案内役だったわけ。ほら、スイスイよ、わたしの歩調を読み取るかのごとくに矢印はクルクルと生き物みたいに知恵者を演じてくれるわ。もはやどれだけ歩かされようとも苦にならない、ならないどころか、ウキウキ気分の足取りよ。そうね、お腹がまたグーって鳴りだしたし、一抹の憂慮は拭えきれなかった。随分まわりくどくうえに、とことん無人でアプローチしてくる、っていう不穏な謎めきに。
かなりの時間が過ぎたと思う。ええ腕時計はあの時刻をさしたままだったし、例にによってあれこれ意識のざわめきと感情の色彩が道のりをほどよく狂わせた。それでよかったのよ、確信はあった。無為だとしてもかまわない。そもそも無為と仮定する性根のほうが弱音だわ。門番にコンパス、自分の家、どこから見ても納得のいく冒険よ。とはいえそろそろ到着してもいいんじゃないの、試練ならもう十分、悪ふざけならここらでお開き、道行きでの悶々とした気持ちは端折らせてもらいますね。
ではいよいよ、記念すべき日のことを語るとしましょう。お待ちかねでしたよ、はい、見知らぬ住人がです。


[367] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 7 名前:コレクター 投稿日:2013年09月09日 (月) 23時31分

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生さ。だからよくお聞きなさい。もう会うことはないのだから。あんたが家へ向って歩き出し、途中で忘れものをした素振りでここに戻ろうともそれはあり得ないと言えば、どうかな。奇妙に聞こえるだろうか」
なまずおじさんの話し方に刺を感じるのを否定できなかった。奇妙という絡まりとは別に、何かしら不穏な秘密が薄笑いを浮かべているようで、気色が悪いよりか、突き放されている弱みが影法師になってじっと佇んでいる思いがし、こわばってしまったの。当然の成り行きなんだろうけど、覚醒なのか生まれ変わりなのか、うまくいけば結構ありがたい思惑が肩すかしをくったのだから、わたしの怯えが引き起こした、そうつまり期待はずれってことね。この期におよんで何をって非難されても仕方ないわ、目覚めからあるいは誕生からさほど年月は経っていない。むろん扉のなかの時間は差し引いてよ。朦朧とした意識なんてときに即すべきじゃない。いかにも現実主義者の意見で呆れてるかな、でもそうなんだからどうしようもない。で、現実の話しに立ち返った。
「ええ、よく分かりませんが、すべて自意識が織りなしている怖れを感じています。そしてまったく反対とも」
わたしの口調は決然としていない。が、すでに質問に切り込み、指先程度にすぎないけど思いあたる節があった。無駄口はひかえよう。
「多くは語るまい。あんたの聞きたいことはそれほど込み入っておらんしな。わしらふたりはいわば門番なんじゃ。そう沼の門番、あんた専属の、、、だから見送ったらそれで務めはおしまいになる。見聞きした事ごとは記憶されるだろう、しかしわしらの存在は急激に薄れ、やがてあんたのあたまの中から消えてなくなるよ。ちょうど、ひらがなカタカナを習ったときの光景を大半の者が忘れ去ってしまっているようにな。極まれに当時の先生の容姿や教室に差し入る陽光の加減なんぞ覚えていても、写真や映像を持ち込まなくてはかなりあやふやだ。いや、あやふやがいけないんじゃなく、そういう宿命だってことさ。
どうしてわしらを消し去らなければならないかと言えば、ほれ、このなまずとカエルの顔に障りがあるってことだ。なら普通の人間の面差しを装っていれば問題なかったろうと考えるかもな、もっともだよ。とにかくここは沼だ、そしてあんたは誰かに殺され沈んだ、魔界らしさを最優先しない限り覚醒どころか狂乱してしまいそのまま廃人か、眠りかのどちらかしかなかったろうよ。見世物小屋めいた幽霊屋敷にこそ意義がある。そこでは恐怖を買うわけだからな。非常に前向きじゃないか、すすんで負の世界に分け入ろうとする。
さあ、これから先はあんた自身で探りなさい。重み自体にうんざりはしておらんだろ、生きていたときだってそれなりに背負うものはあったはずじゃ。比較なぞしてはいけないよ、大人は大人の子供には子供の領分がある。
分別やら打算やら理想やら、ついてまわる意識とのせめぎ合いはそれぞれの器にあんがい見合っておるもんじゃ。みどろ沼は確かにうかがい知れぬ領域といえよう。門番を配してあるくらいだから。あんたの予期した通りだよ。めぐりあいについては確率もあるだろうが、ようはあんたの奮起しだいだと言っておく。もう理解できているね、どんなに入り組んだ世界でも、見通しの利かない空間でも、所詮はあんたのあたまがキャッチするしかないんだ。意識は現象であり、現象もまた意識じゃ。少なくともあんたひとりだけなんて空想するほうが難しい」
最後の言葉だけ、語気を強めたのは別れの悲しみに執着してしまいそうなわたしを見抜いていたからに違いない。かなり緊張を強いられる場面だったにもかかわらず、素直に首を下げた自分がいて、つまりもうひとりのわたしが沈着なまなざしで見守っているふうな感覚に被われていた。不意にこんな言葉がよぎったわ。
「付随するもの」
今は深く掘り下げようとはしないつもり、だって付いてくるんでしょ、待ってるわよ。急いてはいけません。とはいえ、この現状どこか急いてますね。番人から見送られ、わたしは家へと旅立つ。まさか縮図ではないでしょう、幽霊の世界が見世物小屋だしたら、それはありえそうだけど。まあいいわ、こうしてわたしは二度と見ることのないなまずとカエルの両人の顔をしみじみと見つめ、こらえきれない涙をためきれず、お礼の言葉は鼻水まじりで、それでも深々と垂れたあたまに去来するのは悲哀ばかりで雑念は退けられ、真面目に笑顔なんかつくってみた。
ふたりの表情はまるでよく磨かれた鏡みたいな光沢があったわ。映りこむものはかなり美化されていたでしょうけど。
もう聞きたいことはないと言えば嘘になるけども、消えゆくふたりに対しおんぶに抱っこはあり得ない。あきらめを際立たせるのは新たな目標を打ち立てた瞬間よ。
「バケラッタ、いずれとは思っていたけどわたしを殺した犯人を探し出す。そのためには幽霊だって魔物にだってなりきろう、廃人は遠慮しとく」
胸のなかにそんな誓いを轟かせていた矢先、ごまかしのない瞬間が早くもやってきた。向き合ったふたつの相好が薄れている。なまずおじさんのきつく結んだ厚い口許がかすんでゆく、カエルおばさんの下がりきった目尻からこぼれているしずくが消えてゆく、ああ、声にならない焦りは本物、だが手だてなんかあるわけないし、これが運命と告げられたばかりだ。
「ちょっと待ってお願い、、、」
それが精一杯のどから絞りだした台詞だったわ。遅い、もう遅い、現象をなぞるアナウンサーの気持ちが少しだけ思い描けた。悲痛な叫びなんかじゃない、本当に悲惨で痛ましいときこそ、あきらめが霧雨のように降り注いでくる。はなからそう仕立てられている調子でわたしは次第に声を失い、涙を涸らした。
やがてこんなふうにも解釈された。もし、何の説明もなくふたりに消えられたら、それこそ狂騒を演じ、自堕落な感情に圧しられていたに違いない。ふたりはとても真摯に門番としての役割を果たしてくれたからこそ、自分は流れる感情とともにいることができた。時間という途方もないエネルギーを供給され、まずまずの惜別に向き合えたのよ。
泣いた子供がすぐ笑う、なんてね、まさか、しばらく影すら見いだせないその場にへたり込んでいたわ。こんなときは都合よく流れを意識しなくなる。夕陽なんか照りつけてくれれば雰囲気もいいし、気分も洗われるのにね。残念ながら沼は明るみをわずかだけ保ったままで乳白色によどんでいた。
「さてと、お家に行こうか」
戦慄が走る瞬間って若干の猶予が残されている。なんでこんな細かいこと言い出すのかって、それはね、足なり腕なり骨ばった箇所を硬いところへぶつけるでしょ、わかりますよね、すぐに痛みは直撃しません、一秒くらいかな、そのあとやってくるのです。たまりません。
「誰か助けて」
そう一声あげるくらいの猶予があったてこと。うかつだったわ、現象学の基礎みたいな問いかけなんかより、そんな高邁な抽象論より、どうして自分を家の場所を訊ねなかったのだろうか。手探り足まかせでたどり着けるとでも、、、冗談じゃないわ、わたしが持ち合わせていることなんてミミズの目より小さい、つまりないに等しいってわけです。
あわてふためきましたとも。狂乱の晴れ舞台が眼前にせり上がってきた。意地や体裁の密かな手伝けを借り、かけがえのない現実をあきらめでまるめこんだ自分を直ぐさま攻撃した。ふたりはもういない、めぐりあいは可能なのか。手のひらはじっとりぬめり、額からはとって付けたような冷や汗が吹き出た。
焦燥はキリキリと突き刺す加減から勢い、ハンマーを振りかざされているおののきに移行していったわ。反面、健気にも幽霊としての仮想めいた開き直りがこころの底辺をミミズみたいに這っていたの。
「やあ、ミミズくん、さっきはごめん。皮肉ったりして」
実際胸もとが微かにムズムズしていたのね。閃光が発した。制服の内ポケットに手を差し入れると、わあ、ありました、ありました、ちゃんと携帯していたんですね。目覚め人の登録証、これがある限りわたしは見捨てらたりしない。配給制でしょう、必ず現れるわ、白馬の王子さまが。そしてわたしは無事にお家へとたどれる。
なまずおじさんはこう言っていた。
「風と風車にように」って。とすれば「花に花車のたとえもあるさ、はなやかだけが人生さ」ときたもんだ。


[366] 題名:どうしてわたしは地縛霊になったのか 6 名前:コレクター 投稿日:2013年09月02日 (月) 06時23分

一応は客室になるのかな、物置き部屋って呼んだほうがしっくりくるんだろうけど、気遣いなのかひがみなのか分別つかなさにはさっさと嫌気がさし、しきりに恐縮がっていたカエルおばさんの面持ちをまぶたが裏にしみこんだころには、もう意識は薄らいでいたわ。ベッドのきしみも古めかしいのに何故かしら気分がよかったの。
眠り落ちる寸前の光景は奇特なことにデジタル時計が点滅する様だった。わたしの記憶は残存している、今は散らばり、色あせているけれども、必ず焦点で結ばれるときがやってくると思われる。それは逆効果だって聞かされたけど、だって未練や執着のみなもとですからね、確かに呼び覚ます行為自体に難があるのはうなずけるし、幽霊の本義からはずれてしまうっていう笑うに、いや泣くか、泣くに泣けない定めが立ちふさがっている。ところが、眠りのさなかにかいま見る情景が生前のあり様かも知れないなんて、これまた好奇心どころか本能までくすぐるような言い方は耳にこびりついて仕方ありません。もし本当だとすれば、睡眠中はまさに此岸への架け橋ですね。泣き笑いです、うれし泣きです、ならいっそのこともう一度死んだらよみがえるのでしょうか。いやいや、そうは問屋はおろさないと思う、幽霊は不滅みたいですから。
見世物とか飼いならされている境遇には合点がいかないけど、背後に計り知れない意志がひかえているとしたら、それはそれで見ものにちがいありません。はい、見世物から立場を逆転しましょう、そうしましょう、なんて考えに酔っているうち、睡魔はそつなく役割を果たしてくれたみたい。
はっと目覚めた。瞬時に脳裡をよぎっていったのはデジタルじゃなく、チクタク時計の秒針だった。沼暦10年はもうたくさんですから。あたりをみまわせば、ベッドの脇には花柄のカーテンが閉じていて、しかも花模様を生き生きと浮き立たせるようなぬくもりが目に安らぎをあたえている。これってお日様、、、そのとき、わたし天啓を授かったみたいに全身がびりびりしてしまい、縮んだのか開いたのかよくわからない瞳孔は不可避的にカーテンのとある一点を凝視することで、思考をなめらかにたぐり寄せるすべを得たわけです。ちょうど鍵穴と向き合ったときに感じる絶大なる期待ですね。
こういうふうな意想でした。溶液なんだ、この沼はある溶液で充たされているが、実際には何ら違和感が生じないところから、ほぼ気体に近い、もっと勘ぐれば、あえて水棲生物的な錯覚を引き起こすために、こんな仕掛けが設けられている。どうして早く理解しなかったのだろう、沼なら上方へと泳ぎまわれるはずじゃない。ついつい目先の事象に圧倒されっぱなしで、冷静な判断の鍵を忘れてしまっていた。
台所の火もパイプから煙も出るわけです。第一魚を見かけない。そりゃカエルとなまずの住人とは出会いましたけど、他には誰のすがたもありません。まだまだ日が浅いからと考えるのが無難なのでしょうが、これは由々しき問題です。早速訊ねなければ、と、環境から住民問題まで一気に飛躍したのはよかったのでしたが、今度は天啓とは正反対の感覚がうしろからしがみついてきた。ぞくぞくっとした寒気とともに。
夢を見た。そうなんです、華々しい霊界の一夜にして、夢はわたしを抱擁していたの。で、どんな内容だったかといえば、これがどうにも抽象的でうまく言葉にできない、でもつたなくとも思い返さなくてはいけないわ。
夜よ、ちいさな灯火がいくつか穴を開けたみたいな感じで周囲に馴染もうとしていたから。あんな物悲しさは夜に決まっている。夢中っていうけど案外、平然とした心持ちなの、天空を仰いだりしない、きょろきょろもしない、まさか思索に耽っているとは思えないけど、ぼんやりとした心境は微風に揺れる灯火を意を介さなかった。つまり当然のごとく夜景にとけこんでいたのでしょうね。はい、それだけしか思いだせません。
しかし収穫はありましたよ。なまず家での眠りはおそらく夜でしょう、お昼寝、いくらわたしが疲れているからって、そんな心配りでふたりも寝室に入ったとは、、、いえ思い過ごしではない、実に自然な雰囲気で沼底に夜は訪れていた。それさえ何らかの目論みだしたら、もうお手上げです。この朝日も作り物になります。だから、わたし、ここらで妥協するのが賢明だと思った。懐疑にきりはない、とりあえず自分のまなざしの及ぶ範囲、感ずるべくして得たものを土台にして切りだすしか方法はないもの。それらが臆見によってもたらされているとしても、やはりある程度の質感が重視されるように、肌に触れる感覚に従ってみるしかありませんね。沼と思い込んでいた場所がそうでないという確証を持ち始めたなら、あとは可能な限り予断と相談しつつ、まあ焦るもよし、のんびりもよし、とにかく前に踏み出さないと答えは導かれない。もっとも猶予なんて控えてくれているのか、それこそ冒険じみてますけど。
怖れはありましたとも、ふっと手軽な扉に入りこんでしまったら10年ですからたまったものじゃないわ。いくら不滅とか永遠なんて教えられようが、時間は時間よ。割とまともな思考でしょ。ええ、態度のことよ、投げやりじゃない、それにふて腐れてないし、臆病小心は仕方ないとして身構えは整えているつもり。殺されたって事実に対しては正直なところ段々と悔しさが募ってきたけど、はからずも意識は明滅してますからね、少なくともカーテン越しの明かりと、夜の夢をつかみとっている、恨みはいつかはらせればはらすことにしときましょう。
「おはよう」
「おはようございます」
朝の挨拶は気持ちのいいものですね。朝食もまた野菜ごろごろのスープでした。パイプの煙も健在です。
「夢はみたかね」
まるで朝刊は読み終えたのかって問うているような口調でなまずおじさんが言いました。
「はい、夜の夢でした。ぼんやりしてよく覚えてないんですけど」
「そうかい、最初はそんなもんだ」
「えっ、ということは次第に明確になるって意味なんでしょうか」
「すでにそうなりつつあるじゃないか」
「あのう、どういう、、、」
「眠りつく前に考えごとしなかったかい、それと目覚めを疑ってみようとした」
「よくお分かりで」
わたしは誘導尋問の案配で言葉をそよがせるしかない。
「扉の奥も決して悪い時間ではない。あんたが一番心得ておるはずじゃ。無念が先行しているのはその確たる証し、大丈夫、信じる信じないではく、見つめるか見つめないかなんだ。あんたは沼を見渡した、といってもごく一部分だがね。あとは向こう側からやってくるよ、いや白馬とかに乗って王子様がパカパカ駆けてくるとかじゃなく、来訪とまなざしが結びつくんだよ。風と風車のようにな」
「はあ、そうですか」
「それから生前意識の到来は必ずしも禁物でない、あくまで道のりを悪くするだけということさ。あんたは子供じゃない、ひとりで顔も洗えるし、食事もできる、言葉も喋れる、口答えだってその気になればできる。なるだけ早く自分の家に向かいなさい」
「ええ」
力強い声にはならなかったけど、誰かにすがりつきたい想いは軽減されていた。
「二三のことなら質問に答えよう。あまり教え過ぎるとかえって仇になるんじゃ」
その意味合いはそれとなくかみしめることが可能だった。むしろ、わたしから望むべきだったわ。では絞りこまなくては、、、何せ不思議の世界ですよ、死後なんですからね、初体験のうえ、現実という馬車に引かれるれている確信すらなく、色々聞きたい知りたいのは関の山、が、苦慮するより軽やかとまではいかないけど、口笛みたいに問いかけが流れでたの。
「ではお聞きします。ただの幻覚ではないでしょうね。つまり一切が自意識で構築された世界であり、しかも負の重みを背負っている。ふたつめは重みは仕方ないにしろ、この沼は人工的な仕掛けが施されていませんか。昨日おっしゃってましたあの言葉です。知らぬ存ぜぬが方便ならそれ以上はけっこうです。最後は今後わたし、ここで他のひとたちとめぐりあえるのでしょうか。おじさん、おばさんだけなんて、いくらなんでも寂しい、ごめんなさい、こんなにお世話になっておきながら」
「それだけかい」
「これだけです」
わたし少々意地を張ってましたね。あとで後悔しました。
「夢の件もいいんだね」
緩んだ意思はときに余計な緩みを願ったりします。けれども決して自暴自棄な性根は抱いてない。
「夢こそ自在と希望を見いだしましたので、秘密は自分自身で見届けようかと」
「たいへんよい心がけじゃ。精々気張りなさい」
「ありがとうございます」
「さてと、わしらともこれでおしまいになる。あんたは自分の住む家へ、そしてもう二度と顔を合わせることはない。だからしっかり話しておこう。だが、微に入り細をというふうにはいかない。それは了解してもらえるだろ。永遠と居並ぶはめになりかねん」
「わかりました」
なまずおじさんの表情に永遠なんか似合わない。居並んでいるのは、絹のような感触の厳しさと、歯ぎしりしたい優しさだったわ。
それにひきかえ、、、わたしのこころに広がった波紋は緩やかではあったが、見苦しい線を描いていた。結局は怨念が支えになっているだけで、口先は見苦しさをごまかすためにあえて節度を生み出そうと躍起になっている。とはいえ、これがきっかけでも別にかまわない。念力に善悪があるのかどうやら、試してみるのもいいかも。
バケラッタの本性を見極めるってことですからね。




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