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[322] 題名:妖婆伝〜その四十二 名前:コレクター 投稿日:2012年12月03日 (月) 04時47分

ごん随の思惑は卑劣でも悪徳でもなかった。これくらい明快な託言もあるまい、あわよく死んでくれるのは小夢でも古次でもかまわなかった、生き残った方を速やかに断罪する口実は用意されていたのだから。ごん随の諭しに逆らう気概などあるはずもないと高をくくられており、阿可女のもとに馳せ参じる手立てが認められているのだ。しかし話頭に上った婿殿の覚束なさを鵜呑みにするほど蒙昧ではない、また自分と同じく正気を逸しているとすれば、あえて金目に赴かせる必要はいらないにもかかわらず、ごん随が危惧しているのは小夢の母として立場であり、我が子息が本然と目覚めた場合に集約されよう。
なんとでも言い含める自信があってのことか、たとえば母君はひとを殺めてしまったのでお隠れいただいたのですやら、家元の安泰を願えばこそ、身を引かれたなど、それこそ大義をかさにするまでもなく、すんなり訳合いはまかりとおる。だが、小夢はそんな痛恨を言葉にしようとは思わなかった。それどこか、お払い箱にされる仕打ちをものともせず、心持ちは案外すっきりして、つまらぬ騒動に関わらずに済むと内心ほっとしていたのだった。が、無論これよりさきは暗中であり、煩悶を混ぜ込んだぬるま湯にはもう浸っていれない。
「では阿可女さんを連れ戻せばよろしいのでございますね」
「そうです、しかし、あれもおいそれと舞い戻るわけにもいかないでしょう、家元として確固とした情況になった暁にと、これがわたしなりの誠意と汲んでください」
「よく分かりました、けれど、わたしは名残り惜しいのです。ここで人生をまっとうしようと考えていたのですから」
歯が浮いたようで、浮かない、小夢にしてみてもこの言い分がまんざら詭弁とは思いきれずにいたのは事実であった。が、天下泰平の世が永続されないよう、安易な余生を保証してもらうほうが不遜であろう。思えば屋敷を飛び出したのも、はっきりいえば嫌気がさしたからであって、もっと遡ればうなぎから転生した曖昧な記憶とて逃げ口上に相違ない、気狂いであったという事実は遠景に等しく、それほどしっくりこないのだから、わずらい考えあぐねるまでに至っておらず、口上を純正なものへと研磨しているのはつまるところ黙念先生に対する畏敬に他ならかった。かといって不可思議きわまる正体の解明を取り急ごうとも案じておらず、ある意味なおざりにしておくのが賢明だと判じているのは小夢の揺るぎない打算であった。
そもそも古次に襲われたとき、死を受け入れず反撃に転じた事実が歴然とそれを裏付けているし、死の見苦しさを忌み嫌うという弁明を冷笑しながらも熟知していたからである。牛太郎やもろ助が幻影であろうがなかろうが、さして究極の難題ではなかったように、ごん随の申し渡しを聞き入れたこと、これは即ちよく現実を把握した証し、そうとらえてみてもあながち間違ってはいない、寧ろそう念じた意想にこそ生が息づいているのだ。小夢の口は軽やかに傾くのを抑え気味にした慎重さで、更にこう開かれた。
「もとより尋常でない身、ずっと家元のそばに仕えとうございました、けれどこれも運命なのでしょう。ごん随さま、ところでわたしはどうした態度で金目流に臨めばよろしいのですか、いいえ、もう、きっぱりと運命に従うつもりでございます。ただ、、、こう申しますのは若輩の分際と大変恐縮ですが、ここを離れるには覚悟だけではままならなりません、ごん随さまの誠意は重々ありがたく頂戴しましたけれど、いったいどの様に、、、」
さすがに痛いところをつかれた顔色を示した女史は、消え入るふうな小夢の声を奮い立たせる意気を見せ、
「なにも案ずることはいりませぬ、そうですね、使命ではありませんけど、家元の乱心を表沙汰にならないよう気配りしてもらいたいのです。阿可女自身、古次を跡継ぎにと野心を抱いた引け目があるでしょうし、おいそれ身内の醜態を口にするとは思えません。それどころかあなたが保身、、、これは言わずとよいですね、、、古次の死を半ば予測していた節は疑いないでしょうから、きっと消沈していると思われます。小夢さん、いいですね、あなたがいたわってあげればそれでいいのではないですか」
もとよりわけを質そうとして尋ねたもの言いでなかったが、小夢はたやすく確約を得た気がし、増々浮き浮きしてきた。女史の盗人猛々しさに呆れるより、虚言を貫き通した姿勢に感服していたのだ。これで念押しが穏当になる。
「では、わたしの随意でよろしいと申されるのでございますね」
浮いた心持ちとはうらはらに口調は床に沈みこめるごとく低く、的確だった。
「はい」
返事に覇気を持たそうと構えてみたけれど胸中のくもりが露呈している。もはや小夢に未練はなかった。
「なるだけ早いほうがいいでしょう、支度は整えますし、伴もつけますから安心を」
「たいそうな心づくし、感謝いたします」
こうしてごん随は流派の安泰を得ることが出来た。事後の懸念は一切ぬぐわれ、白痴の婿取りは支障を来すことなく成就、ひとりの若者の死を代償にしたのみで、自らの手を血に染めた覚えもない、実に十全な手まわしであった。
出立の朝、見送りより早く、の毛子が思いつめたような、しかし、口もとにほのかな笑みをたたえながら小夢のまえに現われた。
「戻って来るのでしょう」些細な隠しごとを滑らした言い様に胸が熱くなり「ええ、いつか必ず」そう答えながら、目頭を押さえた。
「わたしも色々聞いてもらいたいことがあったのですよ」
の毛子の睫毛はまるで朝露が垂れたような潤いがあった。
「込み入った話しは出来ませんでしたからね」
「あら、そうかしら、古次や阿可女さんとは身の上を語りあったのでは」
「ええ、それは、、、」
「いいのよ、今更どうしょうもないし、ちょっと言ってみたかっただけですの」
「の毛子さん、いつかあなたに頬を打たれ、かっとなり手荒くしてしまったことありましたね。ごめんなさい」
「なにをいうのですか、もう忘れました。あれはわたしが悪かったの、新参者なのにわたしより奇麗だったから、、、」
「の毛子さん」
小夢は思いもよらぬ言葉に身がこわばってしまい、小柄なつくりの娘のまえで棒立ちになって、その瞳から目をそむけられずにいた。例の香りを覚えるよりも、自分の両目がかすみだし、涙が頬をつたうのを知り、視界がにじみ始めたとき、咄嗟にの毛子のからだを抱き寄せてしまった。そして乾いた土塀に果実味が塗りこめられたふうな髪油の匂いをためらい勝ちに嗅ぎ、頬を寄せ合いって互いの温もりを確かめ合う。
不意にの毛子の唇が重なった。朝露に濡れた睫毛は伏せられ、眉間には悩ましい筋が走って、呼吸は止まり、柔らかな弾力と湿った感触に溺れてしまい、抱擁と接吻の魅惑が束の間であることを忘れてしまった。どちらともなく唇が離れたとき、狐につままれた顔をしていた小夢とは反対に、の毛子の表情はとても晴れやかで憂いの片鱗もなく、「その気があるって本当だったですね」と、無邪気な笑みを浮かべる始末。
「まあ、の気子さんったら、、、」小夢も微笑で返す。
「わたしはここへ厄介になるまえ、ある商家の若夫婦の手慰みものだったです。だから女人の色香は分かってしまうの。生娘だったわたしにとってあの頃は苦痛でしかなかったけど、今となっては懐かしい思い出、あら、ごめんなさい、変なこと話してしまって」
「いいんです、わたしになぞ話してくれてうれしい」
すると、再度の毛子の顔つきは険しさを増し、
「きっとですよ、きっと帰って来てくださいましよ」
小夢の手を握りしめ、哀願の声を発した。
「ありがとう、それまでお元気でね、あなたのことは忘れません、可愛いの気子さん」
感極まった双方の目には大粒の涙があふれだし、うなだれ嗚咽を上げたの気子のすがたに妙の面影が一瞬よぎると、後悔の念も加わって増々悲しく、いよいよ門口にて皆に暇を乞うたとき、泣き腫らした顔が居並んだ心持ちがした。
普段は見せたことのない白糸の寂し気な面は冷ややかでなく穏健であり、ごん随女史の目もとには勝ち誇ったひかりはない、の気子は変わらぬ愁いを保ち続けている。随門師匠とは部屋でむせる挨拶を済ませていた。
「皆様、本当にお世話になりました。金目へ参りますけれど、こころはこの流派にございます」
暇乞いの言葉にこめられた情は素直なものであったが、各人の壮行の声を小夢はよく耳にすることが出来なかった。別離とはこうもひとを感傷にひたらせるのだろうか。いや、そんな内省も遠雷のようこの身に届いたのはしばらくしてからであった。


[321] 題名:妖婆伝〜その四十一 名前:コレクター 投稿日:2012年12月03日 (月) 01時44分

廊下に人影がないのを感じる。古次の死からさして時間を経ていないにもかかわらず、又、たったいま呆れるほどに鮮やかで、惚れ惚れするくらいの幻滅を味わったことすら、流れの彼方にあるような心持ちがしてならない。冬の青空の冴えきった冷たさに、張りつめた温もりを感じることは不思議ではなかった。ごん随女史の双眸から光輝が放たれたのではなく、例えるなら、寒風によって生み出された湖面の細やかな波は決して凍結を覚えさせることがない、そんな微笑が静かに眠りをさまたげていた。まばたく湖水の反照に寄り添って。
「ここではなんですから」
小夢の面をかすめるように女史の横顔が近づくと、首をまわすことなく家元の按配をやんわり示し、続けて囁く。
「あなたにとってみても大事なことですよ」
転生や気狂いという障壁とは別種のまやかしに操られているのは分かっているけれど、さながら季節の真ん中に立ちすくむ忘我に似て、うつろいゆく道理を覚える間もない。足袋さきにひやりとした感覚が、しかし冷たさだけを伝えているのでなく、浮遊した陽気な気分が少しだけ運ばれる。廊下の鈍い明るみは、これまでたどった試しのない部屋のまえでぼんやり途切れるふうにして、そこが女史の書斎だと教えていた。
「こちらへ」
こうして師匠抜きの密談がおこなわれたわけであるが、小夢は霞んだあたまのなかへ「まさに予感したことが」というふわりとした苦しさをあたえ、ようやく全身に生気がゆきわたりだした。
熱いほうじ茶と草餅を遇されたのが、礼儀を忘れさせるほど、渇きと空腹を知らしめ、勢いよく交互に口にしていまい、このときばかりはごん随女史も軽い驚きを面にした。逆に小夢は胃袋が熱をもった感じで安堵したのか、顔つきは冷静に見えるのだった。口火は真正面から切られた。
「ねえ小夢さん、お師匠さまのご様子いかがと思われますやら、あなたはもう分かっているはずでしょう、そこで相談しておきたいことがあるのです。それと承知しておりましょうけど、さきほどのお師匠さまのお話しは本音ではありません、いえ、瞞着に過ぎるとも言えませぬが、すべては流派の為、多少の歪みは正されましょうぞ。あまり長話も出来ません、というのもやんごとなきお方こそ急がれているのです。家元ご自身の焦燥と見るは過ちで、、、悲しいかな、実際のところ当家への婿入りと申すは名ばかり、この度も正気の沙汰に整えし気狂いの計らい、あら、気にさわったら許して下さい、小夢さんの所以もよく存じておりますよ、けれど内情を申し聞かされし受け入れ、わたしの言わんとしてることは判じてもらえますね。婿殿はまだまだお若い、あなたのお子ですから、それだけではありません、母君とは知らされてないばかりか、おそらく母たる意味合いも通じるやら、、、覚束ないのです」
小夢はさすがに憤然とした面持ちを隠しきる必要もないと思われ、と同時に曇っていたあたまがすっきりし始めたので、女史の言い様を聞き入れる心得を忘れてしまい、
「では、ごん随さまはお覚悟のうえで」と語気をあらため「お師匠さまもでございますか」そう訊ねれば、
「左様です、家元の意志はわたしの意志、、、と、きっぱり申したいのですけど、小夢さん、汲んでいただけますね、あまり猶予はありません」
「やはりお師匠さまの容態が」
「ええ、老衰とは厳しくも儚いものです、家元は乱心したのです。さきの遺言めいた話しの内容は、このわたしが拵えました、気つけの妙薬を少々含ませまして、種本にそって語ってもらったのです。色々と厄介ですからねえ、、、急場しのぎの種本でしたけれど」
「すると阿可女さん兄妹の謂われも」古次の名を口に上らせず、語調が下がった小夢をなだめるよう、それからひと息に疾駆するもの言いで女史は説明した。
「あれは間違いなく伝えられた経緯です、難問は家元と阿可女のいざこざにあります。よいですか、小夢さん、極めて大切なことがらゆえ、しかと聞いて下さい。阿可女は凶刃など振るっておりません、家元の世迷い言なのです、騒ぎを一番に知ったのがわたしでしたから幸いだったものを、確かにふたりは同じ部屋にいましたよ、しかし刃物なんかどこにも見当たりません。この狼藉もの、といきり立ってあれこれ罵声を浴びせているばかり、しまいには斬られたと叫びだすわ、聞きつけた白糸の足音がもう少し早ければ、とんだ狂言が明るみになってしまったでしょう。わたしは咄嗟に阿可女に向かって金目に身を隠すより仕方あるまいと命じ、直ぐさま伝令を呼びつけました。一方、怪訝な顔で駆けつけた白糸の目に触れないよう家元を隣の部屋に移し、のちには打ち消せない騒ぎを本物に仕立てたのです。ところがふすまを閉めた手もとが力んでしまったのでしょう、隙間が開いており一時は終わりかと思いましたけど、上手い具合に家元は隅の方にうずくまり背を向けていましたので、覗いたにせよ、にわかに判別はつきかねるでしょう、肝を冷やしながらも、白糸に対し厳命を発する声色で、ことの次第をまことらしく言い聞かし、の毛子のもとに走らせたのでした。そのさきはあなたも存じているとおり」
「そうでございましたか、、、」
「不可解でありましょう」
「成りゆきはのみこめました、しかし」
「もっともです、こうしたわけがあります。家元と阿可女は単に師弟の関係ではなかった、と申せば察せらせましょうぞ、ええ、古次が身分の隔てに甘んじていたのは兄妹間の情愛もさることながら、ひとえに家元の執心ゆえの仕打ち、当人は勘づいているどころか、了承することで自らの桎梏としていたのでしょう、哀れといえばそうとも、幸甚といえばあまりに如実、結ばれない有り様こそ古次をこの世に生かせていたのです。阿可女への執着は簡潔に言えませぬけれど、家元が不能であったにもかかわらずとだけ今は耳に入れておきます。いずれ真相を知ることでしょうから。次に認めていただきたいのは、家元のかねてよりの奸計です。この時点ではまだ乱心の気配はありませんでしたし、わたしも身内ながら鳥肌を禁じ得なかったのですから、相当強い念がこめられていたに違いありません。こういう企てだったのです、あなたが阿可女に懸想しているのを察知した家元は、婿取りの見通しがつきかけた頃、大義名分であった小夢さんと、邪魔ではあるけど何ともし難かった古次とをあわよくば亡きものにしたく、何故ならそれまで阿可女のこころを掌握していたのは他でもありません、兄を流派の後継にとの金言にも等しい黙約、ところがやんごとなきお方の意向が明確になるに従い、ご破算を願ったのはいうまでもないでしょう、阿可女との諍いがあったとするなら、ここに端を発するのは間違いありません。今朝あなたと古次が外に出たのを聞いたわたしはすぐに双方の身が案じられました」
「それは方便でしょう」小夢は急に不敵な笑いをつくった。
「なにゆえに」
「ごん随さま、あなたがわたしの枕もとへ置かれたのです、古次さんを殺めた懐剣、そうでございましょう。もうよいのです、お家争いには正直申しまして辟易しているのですから。家元の奸計でもあなたさまの種本でも、ご随意にどうぞ、ここまで興味深くうけたまわってまいりましたが、わたしは古次さんの死で悟りました、金目にも旗本にも大名にも関知したくありません、ましてや婿殿にしても。あちらさまに肉親の情がないのが好都合、わたしとて気狂いのうなぎ男、いまさら親子の再会など願い下げでございます、こんなふうに申せば、叛意を抱いているとお考えなさるでしょうけれど、ご安心ください、わたしは誰に逆らったりもしませんし、ごん随さまの腹づもりを非難する立場にありません、ただ、これ以上こみ入った情況に巻き込まれたくないだけでございます。わたしがここに座らせていただいているのは万が一の比率だったのですから、十分過ぎるほどに心得ております。亡きものにされると聞かされまして怖じ気だし、屈服したとでも、欲を捨て去ったとでも、お受けください。つい先日、随門師より助勢を乞われ快諾した身でございます、過分の扱いは無用です、どうか、そつない善処を賜りたく願います」
かなり面倒な事態には相違なかろうが、家元らの腹はおおかた読めた。叛意も非難もとあらずと口にしておきながら、古次が死んだ限り、増々阿可女の艶やかな姿態が色濃く迫ってくるような気がする。それにしても乱心とは芝居がかった様相、借りに事実であるなら、阿可女は自由の身、金目流にてどう過ごしておるのやら、敗北にうちひしがれているであろうし、古次の死も耳に届いているに違いない、このわたしが刺し殺したことも、、、なにが自害だ、危ういな、非常に危うい、まだ服従の態度を示しきれてはおらん、とにもかくにもここは平身低頭でやり過ごすしかないであろう。様子窺いは決して焦らない、愛しの阿可女よ、待っておれ、もう少しだけ待っておれ、、、、おっと最後の砦があった、黙念先生よ、だが、これは堅く口を閉ざすべきであろうな。
「小夢さん、まえには不思議なひとと感心しましたが、あらためて私利私欲のない無垢なおひとと感銘しましたぞ。けれどもあなたにだって望みがあるでしょう、古次なきあと、家元乱心のちの阿可女、金目流より呼び戻すべき、どうおもわれますか」
「御意」
「これで決まったも同じでしょう、では早速、金目の本山に出向いていただきましょう」


[320] 題名:妖婆伝〜その四十 名前:コレクター 投稿日:2012年11月26日 (月) 06時44分

の毛子と揃って門をくぐると、いつも沈着な白糸の顔色がただならぬ様子で待ち受けているのを認め、小走りのさなかに無心とはいえ胸騒ぎを押し殺せなかった気息が、ここに来てようよう白い吐息となった。
「お師匠さまはどちらに」
「深刻な事態ですが、傷は浅く、毅然としておられます。それにしても阿可女、大それたことを仕出かしおったわ」
怪訝な表情の奥により不穏なひかりが揺らめいている。が、返す踵も鮮やかに、うしろ姿は重圧な気品を放って、声は寒気によく透き通る。
「さあ、まいりましょう」
流派の存亡を一身に背負ったかの気勢でふたりを牽引した。このとき小夢は家元にまつわる厄難がこれから始まるような予感がし、小さく身震いした。
さて床の敷かれた部屋に入ったとたん目に飛び込んできたのは、刃傷沙汰に倒れた随門師の泰然とした様子でなく、かたわらに座したごん随女史の射るような鋭い目つきであった。部屋の空気を凍てつかすそのまなざしは自分に向けられているのではない、かといって白糸でもの毛子にでもない、どうやら特定の人間を見つめていないのが却って不気味に感じられた。
続けて視界に訴えるのはもちろん随門師であったが、小糸の言い方とはうらはらに一気に年衰えてしまって、気迫を失っているとしか映らない、事情に与らない者には老弱の有り様でしかないと思うであろう。
ごん随女史はこほんと軽く咳払いして見せたのち、
「皆こちらへ、もっと近う」
と、内弟子らをあたかも臨終間際の席に誘うがごとく、しめやかな、だがどこか焦燥を抑えきれない、哀感と怒気を含ませた声でそう言った。
するとどうだろう、
「心配いらん、わしは平気じゃ、これ傷もこの通り」
憔悴しきってしまわれたと案じていた矢先なので、皆はいっせいに驚きの表情を面にし、これも家元の演出なのか、大様に半身を起こし、おそるおそる怪我人が差し出す左腕に巻かれたさらしの薄ら血の滲みだすのを凝視する。
「わずかに腕をかすめただけよ、阿可女ごときの凶刃に倒れるわしではあるまいて。よいか、これから話すことをしっかり聞いてもらいたい」
やつれた頬から出る声にしては威勢がいいので、ごん随女史を除き、更に驚きの形相やら、拍子抜けしたふうな何とも締まりのない表情をするもの、だれかれともいわず一様にそんな顔つきをめぐらせ、ちらりと互いを見合ったりした。
そんな模様に得心がいったのか、自らの気丈振りに叱咤する按配で随門師はこう続けた。
「あの双子が謀反を起こしたのは厳然たる事実である。いや以前より阿可女ははっきり口にせなんだが、わしはちゃんと見抜いておった。近々わしは隠居し、ごん随には婿殿を迎えることと相成った、この小夢に縁のあるお方よ。これはごん随にさえ伏せてあり、つい最近知らせた機密ゆえに漏洩はなかろう、だが、阿可女は外部よりそれを得たのじゃ。断定は出来んがおそらく間違いあるまい、山脈向こうの金目流の仕業よ、逃げ失せたさきもな、、、そのまえに阿可女と古次だが、おっと古次は」
ここで小夢と目線を結び、なめくじが動くよう口もとを不浄に歪ませ、反応を待つより早いか、さっとの毛子の顔にいくぶん穏やかな目を送った。師匠の思惑が焼けつくのか、の毛子は空き地での光景をありありと目のまえにあぶり出し、直ぐさま言葉に置きかえた。小夢のほうを見遣る猶予などないまま。
「お師匠さまの言いつけに従って尾行しました、はい、事前におっしゃられていたとおり、古次は自害しておりました」
動悸は激しくなっていたけれど、まさかこんな耳慣れない響きを口にするとは考えてもいなかった小夢は、思わず「えっ」と、むせこむよう声を出してしまった。が、その声は一同の驚嘆によってかき消されてしまい、ときを経ず観客が舞台の役者の一挙一同を見つめる要領で随門師に耳目が集まった。再び威厳を整えた顔つきで問いかけるに、
「ほう、いさぎよいな、そうか。いやな、古次には認可をあたえておいたのよ、阿可女とは一蓮托生の運命、つい先日のことでな、今まで身分の隔てで引き離してあったが、阿可女によからぬ動静が見えた以上、一度は自由にしてやり、今生の別れの機会を授けてやったのじゃ、古次はたとえ妹の意見であろうが謀反に加担するやつではない、いや、そうと知ってしまった限り、おのれは謀反人だと思いこむ質、本来ならば武家の出として妹をたしなめ、刺し違えるところ、しかしそれとて出来んわな、可哀想な男であった。で、小夢も見届けたのじゃな」
あえて小夢の顔から目をそむけ、ぴしゃりと扇子を打つ調子での毛子に同意を求めた。まったく変わらぬ姿勢で「はい、小夢さんはそばにいました」と、応えた。
衰弱していたはずの随門に生気がよみがえる。瞳の奥にはまだまだ漲るものを秘めているといわんばかりの素早い目配りで、
「小夢や、なんぞ遺言めいたことは言っておらんだか、よい構わん、せめてものはなむけよ、憚りもなかろうて」
畳にしみ入るような低い声でうなる。うなると同時に小夢のあたまのなかには無数の蝿が飛びまわり、不快を越え出て振動に身をまかせている放心に堕ちていった。意識が遠のきかけたともいえるし、古次の死に際までの情景を透けた紙が幾重にも被さっているふうでもあり、また不意にの毛子に鬢つけ油が香ったりもした。闇夜を歩く心許なさ、、、ほとんどうつつの声色がこだました。
「特にございません、阿可女さんのことも触れませんでした。ただ、からす天狗さまと申しておりましたが、わたしにはなにを言っているのか一向に」
「なに、からす天狗だと、蛇と言ってはいなかったか」
「いえ、そのようなことは」
随門師は大きく頷き、ごん随を横目で見た。部屋の入った際の射るような鋭さは和らげられるまでもなく、凍てついたものは霧散していた。
「阿可女はまぎれもない下手人だが、兄の古次はおのれを葬ることで罪をあがなった、遺体は丁重に埋葬してやろう。で、あの兄妹よ、委細は語らんがさる旗本屋敷より引き取った、いわくがあってな。しかし彼奴らにでない、次に生まれた子に問題があったのじゃ、実子ではない、これまた因縁がある、次子は御三家に連なる大名が側室に生ませたのだが、世継ぎ争いであろうな、深い事情は聞いておらんし、探りを入れてもいかん、その赤子が旗本屋敷に下ったときから色々と騒動が起こったという、旗本同士の小競り合いとも、正室の策謀が尾を引いたともな。そこで暗躍したのが金目流の後ろだて、側室を擁護しておった要職の御仁じゃ、密偵を屋敷に放って情勢をうかがっていたのよ。そこに惨憺たる事件が発生した、なんと次子が暗殺されたという、これらは皆も知ろう公暗和尚よりの通達じゃ、その折に合わせて忠告があった、根図中左衛門なる若侍、事件当日に逐電せし、重要人物として探索がなされておる、だが、ようとして行方は知れん、確定したわけではないが、根図こそ側室すなわち次子の生みの親が送りこんだ密偵と思われる、けれどじゃ、おかしいであろう、首尾よく成育を見守るなり、外敵から守護してこそお役目、どうして事件に関与せねばならん、それとも我が子の暗殺を根図に申しつけたのか、合点がいかん、いや、わしもそうだが公暗和尚もそう申しておる。さあ、ここからが肝心なところよ、人相書きなど手配はされたようでの、結果どうも金目流の家元に匿われているとの報せが届いた。知らぬ者もいるだろうから話しておくけれど、金目流と随門流にこれといった諍いもなければ、取り立てて繋がりもあるでなし、そもそも技風がまるで異なる、向こうは陰茎縛りの技を駆使するからのう、ところがじゃ、阿可女に内密で近づき我ら流派を狙ったのが金目である節が濃厚になってきた、が、側室の意図はまだまだ見えてこん、古次も知り得ていたのか分からん、ともあれ、阿可女があんな暴挙に出たことは由々しき事態であろう、これに対敵するには一刻も早く婿殿に家元を継いでもらうが最上、なにせやんごとなきお方の子息だからのう、これに勝る縁組みはないわ。あとは追ってそれぞれに伝えよう」
これだけ話すと、随門師は今までの気合いがまるで嘘のように衰弱した顔色に戻って、床に身を横たえてしまった。皆が早々に立ちあがり部屋を出ようとしたとき、小夢はごん随にうしろから小声で囁かれた。
「あなたはこのままいて下さい。お話がありますゆえに」
振り向いた小夢を映しだしていたのは、感心するほどに澄み渡ったごん随の瞳だった。


[319] 題名:妖婆伝〜その三十九 名前:コレクター 投稿日:2012年11月25日 (日) 21時12分

刃先をかわしたつもりだったのか、小夢は腰を落とすよう後ろによろめき、尻餅をつきかけながら斜に身を逃がした。と同時に実際には意識のうえで読み取って欲しかった懐剣を抜き出し、低い姿勢から右手に掲げ陽光を反射させた。古次の表情にわずかな迷いが走ったのを幸い、片方で瞬時に握りしめた小石を数個投げつけたところ、近い距離ゆえか思ったより首尾よく、おそらく痛覚に至らずも目くらましの効果を発揮し、狙い定まった刃をくぐることが出来た。荒い息に叱咤されるよう、両手で束をつかむとほとんど体当たりの要領で古次の脇腹を突き上げる。ぐっとちから加減さえ分かぬまま。手応えを覚えるまえに春縁の面影を深紅によみがえらせれば、あのときのもろ助の憤怒の目つきも追ってきて、はらわたまで達したであろう懐剣の意義がものの見事に遠のき、おののきは近いけれど、どれだけ古次の歪んだ顔を見据えようが過去の幻影に勝るものなしといった按配、流れしたたる血の匂いなど鼻につかん、勝機を見出したりもせん、ひたすらめぐるのは春縁が絶命きわにしめした鉛色の瞳であり、北空に吸い寄せられていたもろ助の鎌首であった。
すべての光景は一巡を経なければいけない宿命であろうか、崩れるよう身をかがめた古次の苦悶と、久闊を叙した矢先に頓死したもろ助との隔たり、そこにひそむ狂おしいまでの切なさ、すべては虚しく、あからさまに激しい、すぐにでも陽気な心持ちにひたれるくらいに、、、小夢は衝撃を意識しつつも、それが相打ちでなかったことをぼんやり知る。さながら失神を忘却しており、痛手を感じる暇がまだ訪れてないといった風情で。
日差しが傾いた気配はない、臓腑を抉りあばらに食い込んでいるかの刃元をいたわるよう触れた古次の手に血潮がまとわりつく。まぶしい、眼を細めてみても、うっすらまぶたをふさいでみても、ようやく古次ともろ助が重なったすがたはまぶしかった。両ひざを地につけ、それでも上体を畳むことなく古次は光線を背に小夢を見返している。このときほど言葉が求められたことはなかった。双方にと飾りたいところだが、より欲していたのは小夢であったし、相手の願いは最早叶いそうになかったので、ためらわず口を開いた。
「まただよ、おまえを殺してしまう、、、そうさ、そうだとも、、、」
悔恨に限りなく等しいのは信じたかったれど、古次の瀕死の形相も同様に拒否を現そうと努めている。小夢は最期の言葉になる、そう見極め、こう言い聞かした。
「黙念先生がもたらした殺意じゃないよな、本当は阿可女をとられるのが憎くて仕方なかったんだろう、わかったよ、もろ助、そうだよな、もろ助」
体当たりの反動でよろけた足つきのまま、それはまるで冥土から立ち返って来た様相を香らせ、千切れかけた花緒へ微かに煙る土ぼこりとなって、曖昧な、けれども引導を渡す意気を底辺に残し、嗚咽ながらの問いかけになっていた。もろ助は決して応えてはくれまい、信念で固めたひとりごとを湿らすごとく、漉かれた状態に戻りたいが為、小夢の涙は大地を濡らした。死と対峙し、生き延びた我が身を愛でてしまう罪をあがなう為に。
深慮するまでもなく、久しく携えたことのなかった懐剣を目覚めの枕もとに見出し、その心添えは随門師によるものと至当に受け入れたのが欺瞞の始まり、ことの結末はあらかじめ推察されていた。
もろ助の目色になにかが灯ったのは錯誤だったのか。凝視する気力をなくしたのはもう二度とそんな錯誤を得たくなっかったからである。小夢は涙が血であることだけをひたすら願っていた。
風がそよぐ、裏山には潮の匂いは届かない、無造作を知り尽くしたまわりの木立に場所を譲るよう空き地は仄暗さに覆われた。見上げるまでもないだろう、陰惨とは無縁の鈍色を誇る雲間が陽を隠し、もろ助がこと切れたのを覚った。あたりは静寂にさらわれ、涙が甘みを含むまで小夢はもつれた足をしっかり踏みしめ、いつまでも死者と対話していたかったが、鏡をのぞく具合にいかないことを薄ら感じており、悲愁に埋没したい熱意は毎朝目にしていた庭先の古池の光景をたぐって、穏やかであった日々の語らいを蒼然と写しだしては些少だけ泡にさせ、これまでの疑心になって浮かんでくるので、億劫なつぶやきとなってしまった。小夢に戻った声色がなによりの証しだろう。
「赤子の首はわたしがなんとしても」とか「随門師匠には早々に引退願わなければ」とか「やんごとなき方は黙念先生を、、、」とか、絡みつく事態も関与すべきでない事柄も、すべて自分に投げ出された使命だと思えてくるのだった。
どのくらい亡きがらと過ごしていたのだろう、静まり返った空き地は無念の装いをそういつまで居座らせてくれず、涸れた涙に赤い影が射すこともなければ、古次の口から蛇身が逃れ出てくるわけでなく、こころの空隙は果たしてなにを欲したのか、死が永遠であるなら、この身は無常に取り残された入れ物に過ぎない。なら耳鳴りであることを願っているこの嫌に落ち着きはらった予感は正しく、今まさに気丈な精神が雲間に達したと思われる。不吉な足音が哀しくなるほど軽快に伝わって来た。おおよその見当はついていた。
ゆっくり振り向くと、の毛子がすがた、地べたへ伏した惨状に目を瞠るより、己が急報を口にするが早い。
「大変です、小夢さん、お師匠さまが」の毛子の顔には悲愴よりときめきが張りついているように見える。「襲われました、阿可女さんに斬りつけられたのよ」急いた息に乗って飛び出したもの言いで「お師匠さまから、気取られぬようふたりのあとを着いてゆけって命じられた、途中まで来たらうしろから白糸さんが呼びとめるの、えらいことが起きたからすぐ戻りなさい、わたしの事情は知っているみたいで、とにかく家元を、、、」そこで始めて面前の情況に驚きつつも、ちょうど判読出来ない書面に目を泳がせているといった顔つきで「小夢さん、さあ」と、促すことだけに精力を傾ける。
「それでどうなったのです」
すでに小夢はあらたな装いにこころ奪われ、忘れものの在りかを思い出したような表情をつくり、の毛子に近づいて「お師匠さまは」そう言いかけ、相手の鬢つけ油の芳香を素早く嗅ぎとった。微風のせい、そんな言い訳めいた言葉と並べ、うしろめたさを隠し「無事なのですね」祈願というより確信を強めた語気で問うた。
「幸い、かすり傷ですみました、しかし」芳香の漂いを意識した戸惑いがあるのやら、
「しかし」小夢の声も重なるよう後押しすれば、
「阿可女さんは逃げてしまうし、大騒ぎ、でもお師匠さまは取り乱したりせず、皆を集めよ、っておっしゃるから、そりゃ、もう駆け足で報せに来たの」と、ことの次第をひと通り伝えた安堵か、眉間を寄せたままだったけれど、ようやく憐憫の顔色をしめした。
「古次も、、、そうだったのね」
が、家元の申しつけが肝要、成りゆきは道々に訊かせてもらうという風情で、もと来た方角へ一刻の猶予もなく引き返す素振り、仔細を語るよりこの場をあとにするべきと目が訴えれば、小夢は無言で同意し、おりしも陰った空き地に再度ひかり射しこんで、その奇妙な明るみ、さながら妖魔が退散するに相応しい、脱兎のごとく駆け出した。
途中、小夢の草履は花緒を切らし足袋のまま、勢いついたの毛子は転んでしたたか両ひじ打つやら、家元の按配も細かいところまで話せない以上、無駄口聞くより黙して帰路につくが賢明、古次の死を説明するのはの毛子にとって怖気をふるわすこと必定と、知ってか知らずか、互いの胸におさめ小走りを競った。


[318] 題名:妖婆伝〜その三十八 名前:コレクター 投稿日:2012年11月19日 (月) 07時13分

「うわ言とは申せ、ええ、はっきりとした覚えがあります。わたしがいつから蛇であったのかは知りません。一番古い記憶は地べたを這っていた、川底はどうでしょう、川縁ならあの草むらなら思い出せます」
「そうか、では千代子という名はどうだい」
「いいえ、存じません」
「なら、順序よく話して欲しい、その最古の記憶は」
「とにかく川縁を這っていたらいきなり上空にさらわれたのでございます。鷲とかに捕まって、、、でもそうじゃなかったのです。わたしを捕らえたのはからす天狗さまだったのでした。もちろん信じてもらえないでしょうけれど」
当惑気味の相手を意識したのか、古次の語調は弱まるばかり、すると小夢は素早く、そして叩きつけるように言い放った。
「信じるも信じないもないさ、おれだって山椒魚さまだからな、先を聞こう」
「からす天狗さまはわたしにこう申されたのでございます。これより山々を遥か越え、ひとの世を見聞するがよい、それはそれは威厳のある声でした、優しい響きさえ感じました。獲って食われるわけではない、言葉通り陽が沈むまでのあいだ大空を自在に駆け抜ていれば、ありありと実感がわいてきたのです。夜を迎えるまでには餌を与えられ、あとは穏やかな眠りにつきました。その繰り返しです、いくとせやら、数える余裕などはありません」
「その、ありありとっていうのはどうしたことかな」
「はい、まさにひとの世を俯瞰ながら眺めているという意味です。わたしは様々なものを見聞きしました、ときには低空を飛び回り、からす天狗さまがあれこれと説明してくれました」
「で、あの旗本屋敷へだね」
「いいえ、ある日のこと突然こう言い渡されたのでございます。これよりはおまえ独りで旅するがよい、そんな短い言葉を残し、からす天狗さまはお姿を消されてしまったのです。さあ、どうしたものやら、大方の地名は知らされておりましたので、かの地がどの辺りかは心得ておりました。ここから長い放浪が始まったのですけれど、所詮地べたや暗がりに生きてきた強みがあります、いえ、記憶としてでなくこの身が体得しているのでございます」
「転生の術もからす天狗に教わったというわけだな」
「おっしゃるとおり、これという人間を見初めたのなら、迷わず行けと忠言されておりましたゆえに」
「なるほど分かったよ、寸分違わずと言いたいところだが、もろ助よ、おれの場合は川底から始まっているしなあ、幻覚として判断すれば、神隠しだの、きつね憑きだの、おれはうなぎ憑きだな、そうなるとおまえは蛇憑きか、、、断念しなくてはいけないような気もする、、、」
小夢がすっかりうなだれてしまったので、古次は元来の優し気なまなざしを呼び覚ましこう言った。
「どうしました、しっかり話して下さい」
「おまえは聞いておらんのか、おれのすべてを」
「妹が言うには、これはお師匠さまからの又聞きになりますけど、、、もとはやんごとなきお方に添うておられましたが、高熱が災いし正気をなくしてしまわれたと」
「それで」
「はい、、、」
「もういいよ、あとはこうだろう」
小夢は先日、随門師から知らされたばかりの実情をつぶさに語って聞かせた。そして非常に無念な面持ちで古次を見つめこうつぶやいた。
「おれは心構えをしておっただけかもな。どうやら熱病幻覚のいい分が正しいと思えてきたよ」
「小夢さま、ひとつ尋ねてよろしいでしょうか、何故にそれほど女人を好まれるのでございます」
「それは、、、そうだな、やはり牛太郎が雄だから、そうじゃないか、あっ、待てよ、おれも聞き返すよ、どうして旗本屋敷に近づいたんだい」
小夢は大事なものが欠けていたのを発見し、顔色を取り戻した。
「目的はありませんでした、けれど」
「けれど」
「節句のお祭りを見ておりましたら、どうにも阿可女のすがたに魅入られてしまいまして、ああ、そうとも言い切れません、あの双子と申したほうが正しい」
「では転生を、つまり幻覚でも妄想でもかまわん、おまえは試みたのだな、しっかりとした意志を持ち」
「はい、けれども蛇の記憶は次第に薄れゆき、あくまで幻想として息づいているのでございます」
「そうだったのか」小夢は大きく舌打ちし「おれはまた双子を取り違えたのだとばかり思っていた」と、例のどじにまつわる推測を細やかに説明した。すると古次の目が一瞬妖しいひかりを放ち話すに、
「ほぼ誤りのない考えですが、どうでしょう、わたしは古次として物覚えはしっかりしているのです、曖昧なのはもろ助のほうで、、、貴女さまに予て伝えましたよう、確かに古次という人間として阿可女を愛しているのでございます。決して蛇のまやかしなどではありません。しかしどちらにせよ、一緒ではないでしょうか、蛇が穴を間違ったのなら、悔しい気持ちから阿可女を恋慕うであろうし、蛇の毒がまわったのなら、それはそれで仕方のないこと」
「ちょっと待ってくれないか、じゃあ、いつから阿可女を慕っていたんだい、転生のあとなのかまえなのか」
「おそらくまえからでしょう」
「そうなのか」小夢は嘆息しつつも「だいぶんと事情が異なっている、おれとおまえでは、、、で、転生の際、狙いをはずしてしまったのはどうなんだ」
「まったく焦っていたものですから」
「なあ、もろ助や、おれの知っているおまえは、川底の頃さ、千代子を人間に生け捕りにされた怨念から、ほとだろうがしりの穴だろうが復讐の為にもぐりこんではらわたまで食いちぎってやると叫んでいたんだ。あの激情がきっかけになっておれは転生を求め、黙念先生をはるばる尋ねていった。おまえにはいつかいい知恵をさずけてやるからな、そう説き伏せたんだよ、思い出せないか、、、」
小夢の哀願に近い口ぶりを凄まじい勢いで退けるよう、古次は声を張り上げた。
「なんと申された、黙念先生とな」
あまりの豹変ぶりに足もとがぐらついた。そして口調も控えめになってしまい、
「黙念先生だよ、知っているだろ、阿可女は口にしてなかったのかい」
「知りません」
「おい、どうして急に大声を出すんだ」小夢の問いかけに覇気はない。
「そういや、随門師匠もまったく似た反応だった、いったいどうなってるんだよ」
「小夢さま、もう一度お聞きします、黙念先生と出会ったのですか」
「ああ、出会ったとも、そこで秘伝を授かったのさ」
「お師匠さまには話されたのですね、それ以外の者にも」
立場はいつしか逆転していた、古次の語気は鋭く、日差しをもひんやりさせてしまう。
「話した、、、けど、学問所でもどこでも、ほかには一切話してないよ」
この急転劇に思わぬとまどいを見せてしまい、態勢を回復せねばと、これまで古次に隠しておいた春縁殺しの経緯に始まり、もろ助の奇跡的な登場やその頓死までを残さず言葉にした。小夢の秘密を聞き終えた顔に異変が起こった。これほど見る見るうちに形相が変貌してゆくのは尋常ではない、小夢はついに身をこわばらせてしまって、今まで束ねてあった考えが飛び散るよう消え失せ、代わりに純然たる仮想を招き寄せてしまったのだ。
もろ助の怨念だ、、、いや、黙念先生の呪詛だ、もろ助、おまえを見捨てたわけじゃない、感謝している、先生、約束を破ってしまいました、、、しかし、この情況では、、、仕方が、、、ああ、随門にだって喋ってしまっているじゃないか、祟りは遅れてやってくるのか、そうか、そうか、高熱はどうなった、気狂いは確かだろう、、、
「小夢さま」静かだが、腹の底へと反響する声で「からす天狗さまからこう戒めを受けました、我は黙念なり、口外すなわちであると」そう言いながら懐に手を滑りこませた。
小夢はすぐに理解できた、もろ助だ、あのときは危ういところを救ってもらったが、今度は違う、殺される、なんという有り様なんだろう、、、
刃物は見事に陽光を反射し、古次の殺気に充ち満ちた眼光と居並んだ。そっくりそのままあの場面が舞い戻って来た、夕映えにきらめいた銀色の匕首、手にした人物が違うだけでまわりの空気は同質のものである。声色と同じく歩みも不気味なくらい落ち着いている。
「もろ助なんだろ、そうだろ、分かったよ、これが掟、忘れていた、黙念先生が人間であったことを、、、やはり実在の人物だった」
小夢のおののきは絶頂に達し、もろ助の背後に黙念先生の威容を透かし見ていた。命乞いのつもりであろうか、こんな文句を弱々しくもらしたのだ。
「殺すまえに教えてくれないか、旗本屋敷の赤子の首はどうなった、おまえがもろ助なら、、、あれは嘘だったのか」
「もうなにも答えるつもりはありません」刃が喉もとに迫っている。
「もろ助、よくも今まで化けていたもんだ、、、」これが、小夢のひねり出した精一杯の抵抗であり、こころからの面詰であった。


[317] 題名:妖婆伝〜その三十七 名前:コレクター 投稿日:2012年11月19日 (月) 03時32分

誰も待ち受けている気配のないまま小夢は自分の部屋に戻ると、今度はとりとめもない考えがあたまをめぐり始めた。緊張を強いられた者が刹那、まるで場違いな思いを呼びつけるように。
夕餉の際に皆を顔を合わせもしたけれど、あたかもそれは最期の御膳のごとくしめやかな雰囲気に包まれ、しめし合わせたと訝ってしまうほどに口数少なく、一種ただならぬ気配が敷きつめられていた。いつもより総菜が多かったと記憶するけれど、緊縛と弛緩に支配された心許なさはその品々を思い返すことが出来なかった。湯浴みのときにもやたら湯の香りが遠い風に湿らされている気がするだけで、憂慮され、その半面では身構えを崩さなかった姿勢に降り掛ってくる異変はなにも起こらず終い。早めに床をとる、古次が忍んでくれば、これ幸い、思いの丈を巻き散らかしてやろう、内心は震えているのだけれも、家元における危急存亡に立ち会っているこの身はどこか晴れ晴れとして、さながら青空のもとに詰め腹を切る風情さえ漂わせていた。しかし、まんじりともせず、いびつに膨らんでゆく想念は反対に眠りの方へたなびいていったのか、それからせめて夢中では虚無が授けられたのか、気がつけばすでに暁を迎えており、安堵と失意が交じり合うため息がついて出たのだった。
早朝の庭掃きでようやく古次と向かい合った。彼奴の顔つきはいつもと変わることなく、ほのかに目もとに親しみさえ覗かせお辞儀する。久しく顔を見合わせていなかったふうな気持ちが愉快であった。悠長に挨拶なぞしている場合じゃない、昨夜から携えていた懐剣を突きつける勢いで、無駄のない、極めて率直な見解を用意している、だが、口ぶりは普段通りであろうと努めるのは小夢の怯懦であろう、一方的に詰問しかけたいのだが、思いのほか慎重な態度が保たれた。
そこで小夢は以前に示したことのあるか弱い悩まし気な表情をつくり、押し黙ったまま古次の目を見つめた。咄嗟の演出というより、筋書きに沿った配慮であり、懐剣をあえて悟ってもらうが為に不可欠な媚態であった。しかし、心情はいささかあの頃と異なって、いうまでもない、その美しい顔に重ね合わすよう描いた阿可女に取って代わり、もろ助が透けて出るのを力んでいる攻撃的な視線へと移行された。次第に古次の面持ちがこわばってくるのが分かると、沈黙を破る大仰さでこう切りだした。
「阿可女さんとは昨夜のうちに話し合われたようですね」
相手は眉根を寄せるがすぐに返答はしない。
「お師匠さまより認可を得たのでしょう、そう申しておりましたよ妹さんは。駆け引き、そうですね、もうご存じななず、わたしのことはすべて聞き及んでいるじゃありませんか。昨晩、どうしてわたしの閨に来なかったのです、、、えらく姑息な手段と思わしておいて間をあけるなんて、なんのつもりかしら。お師匠さまとも意見は一致しましたか、いいですとも、無理におっしゃらなくても、そりゃ、そうでしょう、こんなところで喋れませんよね」
小夢はあえて言い切る姿勢を打ち出し、有無をいわせぬよう目つきをかえた。すると、
「もちろんでございます、わたしの方からそう申し上げようと思ってましたのに」いかにも空とぼけた声色だったが、古次の口からこぼれると生真面目さがまだ生き生きしているから不思議である。
「ではどこで」
幾分か顔色を穏やかにそう聞き返せば、
「神社の裏山にまいりましょう」と静かに答え、きちんと折り目をつけるよう「許可は頂いております」そうつけ加えた。
小夢は不意をつかれた感じがし苦々しかったが、相手がそう言うならそれなりの段取りを拵えたかに思え、不審を抱くこともなく、少々距離のある裏山の景色をよぎらせたまま「ならそうしましょう」と不如意は面に出さず素直に応じる。
「それでは」
古次が庭先から駆け出しそうな迫力を見せたとき、小夢は始めて胸に痛みを感じた。もろ助よ、もうすぐ再会だな、しかし因果よなあ、こんなめぐり合わせなんて、、、痛むと同時に高熱が下がりかけたときのように、ぼんやりとした病的な健気さを微笑ましく感じた。
決して早足ではなかったけれど、先をゆく古次の歩調には確固とした意思があらわになって、鬱蒼とした木立の脇を抜け、漁師小屋のまえを通り過ぎれば、早くも潮の匂い、滅多に外にでる機会のなかった小夢には新鮮な光景と映り、先陣を切られた気分を塞ぐことが出来なかった。とはいえ、算段を用いているのは彼奴らが一枚も二枚も上手、いまさら詰まらぬ意地を張るまでもなし、どう転んでみても行き当たりばったりも同様、ならば転生の先達としての気概を発揮するのは誰にも邪魔されないであろう、裏山が相応しく、道行きを急いでいるかの古次のうしろすがたは実にいさぎよい。そう思いなすのが今の心許なさを埋めるせめてもの判断であり、後手にまわった素振りであることの弁疏となった。
河口ふきんからは港が望め、そのさきに連なる遊郭の家並みが覗ける。が、橋を渡り左に折れれば、天空をさえぎるふうに茂りに茂った大楠の巨木の陰に紛れ、そのまま再び雑木林に閉ざされて視界からきらきらとした海原の青みが失われた。束の間の爽快な色合いに目を休める暇がなかったのが却って、心持ちを持続されてくれた気がし、山の麓へ、ほとんど人気のない場所へと、歩を進めるのがまるで家路をたどるような親しみに成りすましているのだった。この親和こそ、小夢の胸を去来する不安の拡散であり、強烈な負の郷愁であったのだ。名もなく居場所もなく、当てもない、ひとでなしをうなぎに見立てた偽善者の帰ってゆく故郷への夢見に他ならない。
まったく同等のことを古次に当てはめるのは容易かった。それゆえのひりつく親和であった。
賛同しているのか、ただの偶然か、枯れ木の伸び具合、その放埒な枝ぶりは刺々しさもさることながら、ひとの侵入を頑なに拒み、宥和なきもの言いが山道をいっそう狭めていたので、袖を払いつつ抜け出た待ち針のあたまのような空き地に踏み込んだときには、安心感が歪められ、むしろ神々しく荒くれる厳然とした難所に追い込まれたふうな感じをあたえられて、それは鷹揚に振り向いた古次の容姿にも言えた。何故なら無性に気弱な表情を隠し切ろうとしていない、ここが如何にもな場所のごとくに怯えているのが見てとれたからである。
日差しは遠慮なかった。仄暗い空き地に適切な陽が注がれ、一陣の風にも会釈はない、あるのは煤けた山肌の寂しさを慈しんでいる照りつけ方だけだった。
ぞんざいな言葉を使いだしたのは、やはり小夢の先制攻撃であろう、しかし古次は微動だにしない。蛇のもろ助、うなぎの牛太郎、積年の邂逅に対する呪詛が互いの足もとの土に染みこむなか、太陽は審判を買って出たのか冬の空から燦々とかがやく。影は身じろぐことの出来ぬ刻印となった。
「もろ助よ、もうお芝居はやめようじゃないか、時間ならあるんだろ、言い分は聞くつもりだよ。それにしてもふざけた家元だなあ、おれもおまえもたぶらかされていると思わんか。で、条件はなんだ、もうまわりくどいのはうんざりさ、言ってくれよ」
風が吹き抜けるのを待っていたのか、しばらく真顔でこちらを見返していた古次は、語気をあらためこう返事した。
「もろ助でございますよ、しかしお芝居とはどういう意味なのでしょう、わたしは芸ごとにいそしんだ覚えはありません、それにしても乱暴な言葉づかい、どうされたました。いくらおなご好みとはゆえ、、、」
ここは日向、虚言は通用しない、が、古次の顔つきに嘘くささが嗅ぎ取れない、ふっと嫌な予感がよぎったけど、構わず牛太郎で通した。
「まあ待て、うなぎの件は知っておるだろう、それとも信じてないのかい」
「はい、昨夜、妹より聞かされました」
「では何故そんなによそよそしいのだ、おれを忘れたとでも言うつもりじゃないだろ、いいんだよ、もう川底に戻って」
「少し、少し、話しが、、、いえ、こういう意味です。わたしは確かにもろ助と名乗ったそうでございます。けれどもそれはこの港町に来てすぐ発熱した折に、、、」
「ほう、では幻覚というんだな」
「そうかも知れません」
「まあいい辛抱するよ、だがおれはこの喋り方でいくぞ、おまえはおまえでいい、化けの皮がはがれそうになってからでも、意識が戻ってからでも、どうでもかまわん、とにかく、これだけは譲れんからな」
「ええ、分かりました」
「では聞くが、もろ助の幻覚とやらを教えてくれんか、まさかそれも忘れたとは言わせんからな」
ここでようやく古次は観念した顔色を見せ、さきほどの怯えに明快に連なったのであった。


[316] 題名:妖婆伝〜その三十六 名前:コレクター 投稿日:2012年11月13日 (火) 03時06分

生気を失ったのか、それとも神経を高ぶらせているのか、ただでさえ泰然としていた随門師のぬけ殻めいた居住まいに、ことさら思い詰めた情感を被せるわけでもなく、狭いだけでない、息苦しささえ提供していた茶室をひとりあとにした胸騒ぎが、如何にきらきらとしたさざ波であったか想像するのは困難であるまい。地下通路を抜け床の間返しからもとの大部屋に戻るまでの間、簡潔にときの流れているのを不思議に感じ、また信じられないくらい閑寂な気配に包まれいると思い、ほくそ笑んだ。
見えそうで透けてしまい、透けるようで浮き出てくる、、、明晰な夢想、、、随門師は「わしを疑ってみるか」と、賭けともいえる捨て台詞を吐いたけれど、小夢からしてみれば、渦中に巻かれているには違いなかろうが、家元争議など別段関わりたくもなし、両者を天秤にかけてみようとも思わない、また驚嘆で肝がつぶれると感じた、やんごとなき方だの、寵児だの、婿取りだの、気狂いの果てだのといった斬新な現実に翻弄されているとも考えたりしなかった。
もう沢山と叫べば、それなりの形式に畳まれるかも知れないが、これでは情念の先行きがあまりに見通しよく、うなぎの意気込みを台無しにしてしまう。なるほど確かに学問所とやらで閲された本性が小夢でもなく、牛太郎でないにせよ、あるいは随門師がまだひた隠しにする面目にせよ、それらは自分と関係してようがしてまいが、今こころして係らなければならないのは、まわりが面倒になり打ち捨てた、が、おそらくもっとも適切であったろう、うなぎの転生から日々を切り開くという意志なのである。だからこそ随門師匠への助力や、双子らに対する奉仕を怠るつもりはない。偽善者は偽善者らしく振る舞えば、より光沢のある重箱に収まるというもの、更に小夢の意志を背後から支えていたのは、まごうかたなき黙念先生の影、随門師とて応えにためらいが、いや、家元は真髄など会得していないのだ、とするなら、あとはおのれのひかりで照らし出すより仕方ない。煩悶そのものに立ち返り、そこで女体と雄うなぎを飼いならすのだ、愛でるのだ、安易に互いを懐柔させたりはせず、ひたすらにこの鮮明な事象に向き合おう。
小夢は着物のすそをまくり上げ、大部屋のまんなかにどっしりとあぐらをかいた。そして目を閉じ、黙想に耽った、無論ときは間違いなく逼迫している。ふすまの開ければ古次が待ち構えているだろう、、、だが、この部屋の底の方では随門師が最期の策を祈願している。火急とはいえ直ぐさま血の雨が降るわけであるまい、日輪が雲間に隠れる間合いくらい許して欲しいものよ。
小夢はすべての執着を川に流しつつ、川底の仄暗い寝床に身を沈め、水面を仰ぎ見た。このひかりでよい、燦々と降り注ぐ陽光は水流にもの申す、しかと聞き入れたり、、、
古次の正体どう判じよう、もろ助であるなら、わしを欺いておるのか、同じ熱病でも記憶の障害が異なるゆえ、本当に牛太郎を忘れてしまったか、それとも世間はせまし同様の名を用いたに過ぎんかや。ともあれ学問所の調べに対し黙念先生ともろ助の名を口にせなんだ、我ながら筋金入りの小胆ぶりよ、裏を返せばそれだけ信念があったということか。
さておき欺瞞であるならば由々しい事態、わしの恩人でありながら今度はあべこべの立場にある、訳はもうよい、いつしか聞いた幼少の意志を貫いておる、、、そうじゃ、貫いておる、、、この閃きあながち法外であるまい、彼奴どじを踏んだな、とんだどじを、、、これはわしにも言える、そもそも妙に色欲を覚えたのは蛇のすがたを庭の灯籠に見かけたという怯えに始まる、ここが肝要、妙がもろ助と認めたのでない、わしがそう聞き及んでしもうたのだ。しかし欲情とはそうも容易く喚起されるものやら、いいや、恩を忘れた呵責が亡きもろ助を引き寄せたなら、異なる方面に情念はなびこう、死骸を葬ったわけでなし、つまるところわしはもろ助の死を見届けておらん、彼奴は生きておった、そしてわしをまねて転生を図ったに違いない、あの旗本屋敷において、、、ところがそこで重大な失態を演じてしもうた、思い浮かぶのはこういう図じゃ、兄妹仲良く並んで小便を足れていた、そうだとも、阿可女と同じ姿勢でな、ひょっとしたら件の節句の折かも、、、言うでおったでないか、衣装なぞ趣向を凝らしてと、、、しかも双子、おさなごの古次の股ぐら、間違えようものか、陰と穴を、、、
この推測もすぐに明らかになろう、この耳でしかと聞き出してやろうぞ。他の事情も案ずるよりことに当たろう。
次は阿可女の番、古次との契りとは片腹痛いわ、もろ助と交わるなど考えただけで気色の悪い、そりゃ顔かたちは瓜二つだけれど御免こうむる。まず随門師からして阿可女が談判しに来おったと怖じけ気味のありさま、古次との対面を許可し、あまつさえ阿可女の機嫌を損なわぬような口ぶり、元来は師弟であろうに、借りに双子の背後に隠れた権力があったとして、何故それなら丁々発止と渡り合わん。よくよく顧みればこのわしを挟んだ牽制にしか過ぎん、弱腰にはとてもつき合いきれんわ、同時に百年の恋も興醒めじゃ、とはいえ、はなからわしは至上の愛だの恋を敬ってきたわけでもない、所詮は世界を決めつけたかっただけ、弱腰に変わりない。が、弱腰ながらうなぎは阿可女を好いておる、そして小夢は方便に迷っていた、、、なら出方は決まりじゃ、わしは古次なんかに抱かれん、阿可女を抱いてやる。
多分に先方とて随門師との協議を察しての成りゆき、攻防戦ならわしが先制攻撃にでようぞ。「はい、阿可女さん、自ら思案しました」これでよろしい。
残りはごん随女史の婿取りじゃ、このわしの子であるとな、、、うなぎ以前のことはきっぱり切り捨てたわ、情にほだされたりせん、ただわしの出方次第で人々に影響を及ぼす。しかし、それぞれ勝手に思惑を描いておるのだろう、なら勝手にすればええ、わしは人情家でも篤志家でもない、そりゃここに住まわせてもろうとる恩義は片時も忘れはせんが、それだけ下働きに従事してきたつもりだし、実際にはわしの出自を承知で、つまり後々家元にとって余得にあずかる胸算用があってのこと、差し引きしてもおつりが来よう。
と、まあ腹づもりは出来上がったわけだったが、心残りがなかったといえば嘘になる。封じ込めたうなぎを泳がせたまではよかったし、観念したごとく情況を見切ったこともいさぎよい、しかし世界を決定したとは語弊があり、却ってよそよそしさをちょうど背中のかゆみのように感じていた。
かゆみであることが肝心であった、何故なら黙然先生が実在するなら、うなぎの転生は夢物語でなく現世では信じ難い真の奇跡として輝くであろうし、来たるべき将来、この時代では想像もつかない光景と出会ったとき、いや、そう想いを馳せるとき、ひとのこころもすっかり変わってしまって、男女の区別はなくなっているかも知れない、子供が大人になるのでなく、反対に大人は子供に成長する。この国は世界に向かって羽ばたいており、鳥が文を運んで来て、魚はひとを海中に住まうよう提案してくれる。黙念先生の銅像が国中の学問所に設置され、残念ながら随門師匠や公暗和尚は歴史から抹消されてしまう。そして空に向かって雨が立ちのぼって、ときには人々の涙も入り交じっていることがあり、海の表面が巨大な鏡になって夜空に瞬く星をすぐそこまで近づける。
他愛もないかゆみだったが、小夢には美しい幻想であった。立ち上がりすそを正し、外の気配から枯れ草の気持ちをもらい受け、ふすまを開くと、斜陽で色づくべっこう飴に反照をした長い廊下をゆっくり歩いていった。


[315] 題名:妖婆伝〜その三十五 名前:コレクター 投稿日:2012年11月12日 (月) 15時36分

まぶたの裏が真っ赤に染まった。血が逆流している、このままではいけない、、、小夢が欲したのは間合いであった。少しだけでよい、思考をきちんと正し、呼吸を整え、まなざしに平静を取り戻す。あれだけ随門師の語りに生唾をのみながらせり出していた意欲が一気に萎えてしまい、多分もうすぐその反動で意識は沸騰してしまう。そうなると、自ずとうなぎが飛び出して来るだろう、、、しかし相手はもうなにもかも承知だと言っている。仕方あるまい、牛太郎いよいよ年貢の納めどきがやってきた、が、もろ助うんぬんは解せん、まったく解せん、あいつは死んだ、わしを助けようと命がけで救ってくれたでないか、この目ではっきり見たわ、まあいい、こっちからうなぎでござる、なぞと名乗りを上げることもあるまい、もろ助の謎が先決じゃ、、、
「結局そなたは高熱が禍いし気狂いに至った、あたまの中身が破損してしもうた、きつね憑きならぬ、うなぎ憑きよ、これが学僧、学者、文人らの見解であった。荒唐無稽ではあったが中々どうして一応筋道の通った理屈と関心を寄せる者さえいたほどじゃ。川縁でおなごを物色するところから始まって女人の心情を理解しようと努めるなど、堂に入った葛藤ぶり、さながら世話物にでも出てくるような細やかさ、またある識者は、文政五年に聞書きされた平田篤胤先生の活五郎再生記聞を引き合いにし、生まれ変わりの不可思議は一笑に付されるべきでなく、丹念に調べあげるよう力説しておったそうじゃ。もっともわしは神仏には一切関わりもたん信条でのう、あの世なぞない生きてるうちだけが花である、そう念い続けてきた。だからこそ我が流派すんなり受け入れられなんだわけだが、これは今の問題でないから先に進めよう。
本来なら山奥か貧村のはずれとかに追いやられる身であったろうが、何せあのお方の心痛甚だしく、そなたを汚れた場所にやることは出来ん、かといって屋敷内に座敷牢もな、それで思案した結果、うなぎの転生からの記憶が鮮明であるのなら、そこから新たな人生を歩ませてやればよろしい、ただ余人には触れさせたくないと、ここで公暗和尚に鉢がまわってきたというわけでな、今はその由縁を説明しておる間がないがな、、、とにかくその口利きで屋敷へ嫁入りしたのは紛れもない事実よ。多少は合点はいったであろうか」
小夢は僅かながら猶予を得た、心持ちをすっきりさせることは無理であったが、もろ助に関する疑点が激しく脳裡を渦巻き、反論の機会をうかがっていた。しかし切り口を上手に持っていかなければ随門師は絶対に納得しないだろう、それどころか一段と気違い扱いされるのは瞭然、先行きを焦る師に隙が生じるのをひたすらじっと狙っていた。
「これはそなたにとって初耳だし、言い辛いことだが、拘束を解かれる際にそれまでの意識は抹消されたんじゃ、学問所での取り調べは生ぬるいものでなかったからなあ、それに嫁入りまえの父母だの、幼少の時期だの、あとからとってつけた記憶もある。要はすんなりした心持ちでやり直しが利くなら、うなぎ騒動は小夢ひとりの胸にしまっておけばよい、よってたかってなぶりもの同様にされた苦い思い出は葬り去るべきだった。なかにはうなぎの意識も消してしまえと主張した学僧がいての、一応詮議し、平たく言えばだ、それではもぬけの空になってしまう、小夢という幻想とうなぎを並べておくのが無難であろうという結論に落ち着いたというわけじゃ。そうとも、そなたの名は小夢ではない、、、」
一瞬ひりつきのような痛みが胸を走ったが、思いのほかよいきっかけが早くもつかめた、小夢は眉根にちからを込めこう尋ねた。
「では、わたしの本名をお聞かせ下さい」
「それはやんごとなき方の沽券に関わるゆえ申せん」
「わかりました、けれど妙ではありませんか、子息をごん随さまの婿殿にとは、、、どうにも理解し難いのです」
「これだけは伝えておく、その子息もある事件によって絶縁されたのじゃ、ここはそうした者の吹きだまりよなあ、詳細はいずれ明らかになろう」
小夢はいかにも殊勝な面持ちでうつむきながら、静かな、しかし毒をあおったふうな凄みを宿し「もろ助、でございましたか、古次さんのうわごとは」と巻き返しの舌先を好調に滑り出した。
「そうじゃよ、それで彼奴もそなたと同じ病魔と訝り、あの首切り騒動をもう一度詮索しておったら危惧した通り、とんだ食わせものだと、、、」
小夢は師の言葉をさえぎった。
「実はもろ助と懇意だったのです。はい、うなぎの頃から、そしてお師匠さまもご存知でありましょう、春縁殺しの折にも」
「どういうことかな、そなたは幻覚を見ておったのじゃよ、もろ助など出会うはずがなかろう、あれは古次の幻覚よ、どうして別々のまぼろしが知り合いなのだ、馬鹿馬鹿しい。それともおぬし変なあおりを食らったか」
表情こそ苦虫を潰したようであったけれど、その目もとにほんの少しだけ動揺の影がかすめた。小夢はそこから自分でも驚くほどの早口で、春縁殺害に至った経緯はもちろん、へびのもろ助のあっぱれな死に様をとうとうとまくし立てた。そして遂にうなぎであった頃の川底の光景や黙念先生の教えまで語り尽くしてしまうと、急に容態が悪化したふうな顔色の師と対峙している自分を知り、次にくるであろう反応を大いに期待する構えでいた。
「今なんと言うた、えっ、黙念とな」随門師のまごつきはすでに隠しきれない。
「はい、黙念先生と申し上げました」
「このたわけが、どこからそんな秘密を盗んできた、えっ、どこからだ、古次か、阿可女か、いや彼奴らが知るよしなどあるまい、、、ならば一体」
「お師匠さま、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか、学問所やらでわたしは黙念先生のことを語らなかった、そうでございますね」
「もうよい、わしのあわてぶりがなによりの答えだろうて。すまなかった大声を張り上げたりしてしもうた」
「随門さま、わたしに出来ることならどんなことでもお役立て下さいませ。失礼ながら黙念先生はお師匠さまの幻覚ではないのでしょう、そうなんですね、実在されたのですね」
じりじりと詰め寄る言い方ながら、小夢の顔色には見事なまでに粉飾された憐れみと、女人ならではの切ない色香が漂い、あたかも枯れ木に注がれる恵みの雨といった趣きを呈している。小夢は突破口を見出した、そう確信すると「それほどの大事、わたしなぞにお話しされなくてもよいのです。しかし、どうした情況にせよ古次がもろ助と名乗ったのであれば、これはわたしにとっても一大事、蛇のもろ助、その辺にありふれた名とも思えません。偶然にしては出来過ぎております、これにはきっと裏がありましょう。ちょうどよいではございませぬか、もし古次があのもろ助であるなら、どうして今までわたしに気がつきませんのでしょう、理由はあるはずです、お師匠さまはあくまで公暗さまより仔細をうかがったのみ、事実は別かも知れません。わたしの転生を信じて下さいとは申しませぬ、けれども黙念先生はよほどの人物なのでしょう、ええ、そうですとも、わたしも熱病によって意識があやふやだったのでしょうが、黙念先生はおそらく山椒魚なんかではありません、わたしがうなぎでないように」
「そうか、黙念に関してはまだ話すことは出来ない、が、古次の件はそなたの耳に入れておこう、そして約束してくれるか、阿可女の発案に即した振りで彼奴らの正体をあばいて見せるから、わしに助力して欲しい」
「なにをあらたまって、そう申しあげているではありませぬか、随門さま。それよりあの兄妹の奸計を阻止しなくてはいけないのでございますね」
「よく言った感謝するぞ小夢。わし亡きあと、家元に収まる企てに相違ない。その為にそなたを手なずけようとしておる、いいや、そなたの方から歩み寄ったも同じ、わしとごん随はあの秘技の際、阿可女が異様な妖しさを振りまいておるのを確認し、それまでの邪推から明確な陰謀へと考えを正すことにした。いやいや、攻めておるのではない、逆に的外れの懸想のお陰で事態が収拾できそうではないか。これも話しておこう、そなたを今まで芸道に導かなかった訳はこうだ。跡目がしっかり定まってなかったこと、ええい、正直に言うわ、おぬしの白痴ぶりこそわしの求めていたもの、うなぎうんぬんは関係ない、芸道に染まればおそらく快楽に溺れてしまい、わしの申し出に躊躇いを見せると思ったからじゃ、それにごん随が迎えることになろう婿殿もわしに相応しい、やんごとなき血筋、面目、体面を忌み嫌いながら結局わしは不動の価値を願ってやまなかった。絶縁とは申せ陰の援助は計り知れない。これで家元は安泰じゃ、わしの変哲はただの気まぐれ、世情に背いてみたかっただけよ」
そこまで言うとよほど気が抜けたのか、安心しきったのか、世捨て人みたいな風情さえ面ににじませ、にっこり微笑んだ。それから最期のひと仕事に本腰を入れる口ぶりに返り、
「阿可女らはわしとそなたのやりとりを大方予想しておるだろう、なに、そんなことをな、自らの思案と。ではわしを疑ってみるか」
「畏れ多い、お師匠さま、あの双子は特別な才覚を持っていたのがようやく分かりました、わたしが阿可女に惹かれたのもあの妖しい眼光、まさに蛇の目です。わたしを欺いているのなら、この女体に賭けて暴露してやりましょう」
沸々とわき上がる熱気の出所を小夢はしっかり悟っていた。随門だろうが双子だろうが、実はどうでもよい、これまで閉ざされていた謎が開けていく悦び、これこそ生きている証しでなく何であろう。


[314] 題名:妖婆伝〜その三十四 名前:コレクター 投稿日:2012年11月12日 (月) 03時38分

打ち解けるもなにもひたすら圧倒され、さながら夢のなかにあって夢なることを自覚しているようで、もどかしくて仕方なく、だが、場面を早送りしてしまうふうな紙芝居の軽佻な加減には頷けず、やはり呆気にとられたまま、阿可女の意見を傾聴しているしか術がない。小夢のこころの片隅に巣食っている恋情が思わぬ成果をあげたからだろうし、寝起きに鏡を当てられた気恥ずかしさも手伝って、愛しき饒舌と受けとめるしかなかった。更にはその饒舌のうちにあるやも知れない疑いをはさむ余地など持ち合わせようがなく、ましてや随門師の計らいとなれば一層のこと、ふたりして交わしたであろう遣り取りは厳命に値する。
小夢の狼狽は阿可女が話した辛辣なことがらによってではなく、いよいよもってただならぬ情況が押し寄せて来よう喜びを含んでいるが為、あまりに急激な勢いに呑まれ、諸手を挙げる素直さを失ってしまったからであった。古次との契りといっても半ばおのれから言い出したようなもの、さほど理解に苦しむわけでも嫌悪するわけでもない、だが、まるで伝令のごとく努めを果たした仕草でさっと身をひるがえす前に発した言葉に、ようやく現実味を感じ、同時に気が遠くなりかけたのだった。
「直後にお師匠さまより呼び出しがありましょう、わたしの言ったことに相違ないかは、あなた自らがよく思案されるべきですぞ」
うしろすがたを見送る目線は張りつめた糸となって小夢の胸に結ばれていたものの、いつも知った阿可女そのひとではない異様な雰囲気があり、残していった肝心の忠告は空を舞ったまま中々、耳の奥に伝わらなかった。
考えをめぐらせかけた矢先に今度はの毛子がいたって朗らかな顔で現われ「小夢さん、お師匠さまがお呼びですよ、なんでしょうねえ、いいことかしらねえ」と、無邪気な好奇心で問いかけてきた。さすがに笑顔で応えるのは難しく、我ながら重苦しい表情を見せていると覚えずにはいられなかった。が、の毛子も心得ているのか、それ以上立ち入らない。そして阿可女の身のこなしとは別の素早さで視界より消え去った。例の大部屋だと知らされ、ほとんど逡巡も抵抗もなく足取りが勝手なのに変に感心している自分が不思議だったので、ふすまのまえに佇み勢いのある声が出たことも平気に思えた。
「お呼びでございますか、小夢です」
「入りなさい」
押し殺したというより、病魔に冒されたと実感できる衰えた余韻がある。ふすまに手をかけた瞬間、病床を見舞うあの悲哀と怯えが合わさったふうな一途を願いながら、実際には四方に情感が飛び散ってしまう混乱を招いており、またしても現実味がすっと遠のき心構えを逸したかけたが、ここに来て阿可女の言がこだまとなって戻ったので緊張は健全さをよみがえらせた。
「まあ、座りなさいといいたいところだが、ここではいけない、さあ、こっちへ、わしについて来なさい」
そう随門師から聞かされても小夢は一向に怪訝な顔色を示さなかった。むしろそれが当たりまえのように思えたのは、別段おかしくない、阿可女のあの一言がすでに予備の知恵となって、これから始まるであろう難問に適切な居場所を授けたのだ。一筋縄にはいきそうもない、、、肝を据えた心持ちまでに達していなかたったが、運命の別れ道は案外こうした情況で展開するものだ、深刻であるべきなのに、どこか謎めいた秘密を待ち受けている不遜な姿勢、苦悶を振り返っている平常心、覚悟という文字がさほど深みを刻んでいないという、どうにも安直な考え、そうした気持ちがちょうど治りかけた傷口を塞ぐかさぶたとなって微妙な痛みを準備していた。
随門師は期待を裏切らず、わくわくするほど遊戯じみた、それは忍者屋敷を想起させる仕掛けをたどる歩調で、まさに抜け壁とか、床の間返しから地下への梯子とか、行き着いた場は茶室そのもの、ここなら誰にも盗み聞きされるおそれはない、師は至極平然たる顔つきで「どうじゃ、ここなら安心、ごん随にさえ教えておらん」その割りにはひっそりした声色に傾きながらも老衰とは無縁の、先天的に秘められた響きであり、抑えに抑えられた口ぶりであった。で、余計に小夢の動悸が高まったのは想像に難くない、事実、その胸中には怯えを忘れた奇妙なぬくもりを感じていて、背筋や肩の辺りはぞくぞくする相反する冷感だった。
「さきほど阿可女がそなたに言うたであろう、古次との交わりをじゃ。いいか、手短かに話すぞ、あまりときはない、急がねばならん、阿可女のやつ遂に談判に来おったわ、それはそなたも耳にした通り、、、」
ここで随門師は黙りこんでしまったので小夢は虚を衝かれたのだが、これは探りを入れていると思いなし、あとを受けつぐ要領で語らいに流れる心情で、つい今しがたの実情を師に説明した。すると渋面に花が咲いたふうな笑顔を見せ、頷きながらこう言った。
「左様じゃ、一言も誤りはない、だがこれはあやつの策謀、よいか、あの兄妹を引き取るにあたってわしはそなたも知る公暗和尚よりあることを付け加えられた。小夢よ、古次からも色々と過去の身の上話しを引き出したであろう、どうだ、そなた信じるか、古次のことを」
「はい、そう信じて来ました、大変な不幸な境遇であったのです。同情もしております。そのうえで、、、いえ、そうなのです、わたしは古次さんを裏切ろうとしています。すべて阿可女さんはご存じでございました」
「なら尋ねるが、阿可女はそなたに如何様な情を抱いておろう」
「そ、それは、、、」
「どうした、分からぬのか、いや、別にかまわん、分からん方がよい。とにかくわしの計らいと阿可女の思惑は一致しておるし、困ったことなどでない。しかし、あやつは動きだしたのじゃ、このわしが衰弱し始めたのを機にな。この際だから包み隠しなく伝えよう、古次を適うものなら跡継ぎと口にしたのはわしなりの保身であり企てに他ならん。わしは皆が認めるようごん随を後嗣とする、ただし婿を取らせる、年齢など不問じゃ、いいか、ようようその婿が選定された、誰だと思う、そなたの子息じゃ」
これには小夢は「あっ」と叫び声をあげてしまい、まじまじ随門師の顔を射るよう見つめたまま、身をこわばらせ、その癖一刻も早くさきを促す視線に熱く変化していった。
「さるやんごとないお方とそなたの間に生まれた寵児」
再度、小夢の悲鳴にも匹敵しうる声が茶室に反響する。
「なんと、なんと申されました、なんと、、、」
「古次ら兄妹をあずかってのち、わしは公暗和尚からとても興味深い話しをされた。そなたが屋敷内で様々な問題を抱える以前よりじゃ、そもそも何故あの屋敷に嫁いだかそなたは知らぬ。そして如何なる伝手でここに参ったかもな。よいか、そなたの正体はとうに判明しておる。そこでじゃ、公暗和尚に頼みこんだのはこのわしである、よく聞くがいい。疑念とも不思議ともそれほどに感じなかったのも仕方ない、古次はここに着くなり高熱を発し、三日三晩意識朦朧であった。ごん随の言うに、あの子は妙はうわごとを口走っております、なんでも、自分は蛇であり、ただの蛇でない、ちゃんと名もある、もろ助という、わしは半信半疑ながら様子をうかがっておるとやはりそのようなことうわごとを確かに喋っておる。が、熱に冒された朦朧状態から出た妄念、格別気には留めなんだ。そう何年も忘れておったわ、ところがそなたの伝聞があの記憶を呼び覚まさせた、高貴な家柄に嫁いでひとり子息を授かったまではよし、同じくそなたは熱病に苦しみ、そのあげくに発狂した。やんごとなきお方はそなたの身を離したくなかったのだが、そこは世間体、またまた面目よ、子息はそのまま成育し、そなたは公暗が擁する結社、陰陽道やら密教を研鑽する学問所やら、あらゆる方面から調べ尽くされやがて放免、いや、なに、あの屋敷に嫁いだという次第じゃ。これで分かろう、わしは小夢のすべてを判じておるゆえに古次が怪しくなり、そうなればもちろん阿可女にも不審がわき起こる。で、この事態じゃ、もう少し詳しく話そう」


[313] 題名:妖婆伝〜その三十三 名前:コレクター 投稿日:2012年11月11日 (日) 22時07分

「小夢さん、じっとわたしの目を見つめていましたね」
衝撃の芸道披露から数日経ったある朝、阿可女はかつてないしめやかな声色で尋ねてきた。
「はい、それは、、、もう、怖くて怖くて仕方ありませんでしから」
小夢をどぎまぎさせたのは、阿可女の問いかけにありながらも、恋着にこだわり続けた実りをようやく間近にした気恥ずかしさであった。初心な乙女などではあるまいが、古次との共感も偽善のうえに呼び覚ましているような負い目が邪魔をしている、そうまさしく邪魔なのであり、阿可女を慕う限り双子の兄は小夢の視界から消え去るべきなのだ。ひいてはごん随女史に少々潤色しながら打ち明けた片恋、穿つも穿たないもとうに阿可女に知らされているとしたら、、、
「無理もありません、あなたは蚊帳の外、わたしらの芸道には無縁でありましたから、さぞかし驚いたでしょうに」
確かにしめやかな声であるけれど、水菓子の涼し気な見た目にときに誤りがあるごとく、微かな苦みが口辺に陰っている。それにまなざしも何処となく妖しく、思わせぶりとまではいかないが、これも忸怩たる思いのゆえか。が、内心を見透かされている心許なさは慮外な反応に出た。
「ええ、そうですとも、しかし、わたしは阿可女さんの顔ばかり気になって、どう言っていいのでしょう、それが怖くて、、、」
この刹那、相手があらわにした表情を小夢は見逃さなかった。さっと朱が差したかに映ったのは思い過ごしか、けれども妖し気な目もとにあたかも針の先が閃いたよう見えた途端、急激に額から頬にかけ青ざめてしまったのだが、気丈な顔つきに正そうとする意思が直ちに普段の阿可女へ立ち戻らせたのだった。
うっかり本音を滑らしてしまった小夢は胸騒ぎを覚え、意想外の顔色を受け止めるより自分の動揺を鎮める方にすっかり気をとられる始末、増々縮こまってしまう。
短い間にかかわらず、こうなれば阿可女は分があるのをすぐに察知したのか「あら、どうしてです。あなたはお師匠さまの言いつけを聞きませんでしたの。芸道はわたしらが披露したに違いありませんけど、そうですもの、裸になったりして、けれど花を生けたのはお師匠さまなのです。それが流派、どうしてわたしばかり見つめていたのでしょうね」と、いかにも不思議な面持ちに加え、柔らかな、が、奇麗な花には棘があるを地でいかんばかりの冷徹な響きを忘れはしない。
これには返す言葉を的確に紡げなかった。そこで小夢はうなぎの心性を呼び返そうとおなごの粉飾をかなぐり捨て、いっそのこと情欲むきだしの体当たりで向かおうと考えてみた。しかし、小夢になりきってしまったのが仇になり、というのも異性として阿可女を欲しているのやら、同性として恋慕してのやら、どうにも明快な線引きが出来なくなっているおのれに新鮮な狼狽を覚えてしまい、とても以前のようにぎらついた肉欲に突き動かされる様子がなかった。これほどまで身もこころも変わり果ててしまったのだろうか。愛しの阿可女と夢見るごとく、あるいは熱病に冒されたごとくに、さながら念仏を唱えるよう胸に言い聞かせていたのは、情愛とは似て異なる何か別種の情念だったのでは。確かに悪夢をすげ替えたまでは意識の為せる技であったろうし、奇跡のからくりを看破したのも得心がいったはずだ。とはいえ、奇跡を了解し、そこに顕現する観世音菩薩の幻影にすがった以上、恋は恋であり、肉欲は肉欲のまま不変であってもらいたい、念には念を入れて氷の世界にしまいこんだのも久遠を願うが一心、嘘で固めたのはおのれの脆弱な意志であったか、、、
すっかりうなだれた小夢にさして大きな罰はくだらなかった。自業自得を覚えたものを叱責するのはこころではない、素晴らしく整然とした損得感情だけである。ところがこの場合の小夢に引き渡されたものは果たしてどう形容すればいいのだろう。小夢はただただ聞き入るしかなかった。なにせ魅惑と悲願と困惑が突然降ってわいて来たのだから。
「芸道を知ったのだから、あなたはもうわたしと一心同体、わかりますか、お師匠さまのご容態はあまり芳しくありません。これは心得ておりますね、心得ついでに、ごん随さまからお話しはうかがいましたよ、あらあら、わたしをだしにして困ったひとだこと。兄もどうやらあなたを好いているみたいです、いえ、直に尋ねたり、本人から相談されたわけではありません。双子の宿業でしょうか、今ではほとんど言葉を交わすこともなくなりましたけど、なに、意思疎通はお手のもの、わたしの考えは兄の考え、そこでいかなもでしょう、流派を見聞した小夢さんならもう理解しましたね。そうです、わたしら四人はもはや殿方を必要と致しません、あの秘技がすべての悦楽をあたえてくれるのです。けれど兄は違います、仔細はすでに承知されているはず、兄は女人を知りません、このわたしと結ばれる夢だけに生きているのです。お師匠さまは慧眼をお持ちでしたから、兄妹の血を越えた情を見極め、そのうえで最善の措置をとられました。承知して下さいますね、兄の望みを叶えてあげて欲しいのです、こんなお願いが出来るのも実はお師匠さまの計らいでもあるからなの、先日わたしを呼びこう申されたました。
わしはこれまでそなたら兄妹を鉄の掟で縛りつけてきた、そのわけは今さら言うまでもない、だがな、寿命を感じる昨今、果たして掟だけがひとの世の理であったのか、わしは善かれと裁断した、放っておけばきっとおぬしら兄妹は身を滅ぼすであろう、さすればこの家門に傷もつこう、つまるところは面目じゃ。かつておぬしらが背負わされた重圧じゃ、家元はごん随に譲るとして、これで肩の荷がおりるというものかのう、なら面目など打ち捨てたいのだが、それでは流派に顔向けが出来ん、ごん随とて後々まで精進せねばならぬ身、わしのお情けだけではどうしょうもない。おぬしらは色の道を遥かに越えた域に達しておる、が、我ら流派は男子禁制、嫡子のみが代々受け継ぐしきたりよ、わしは元来変哲な人間でのう、訳あって生涯独り身を通したいわば謀反者よ、先代の厳命に逆らうもしぶしぶ了承した挙げ句の妾腹にも恵まれなんだ、子種なしのかたわと罵られもした。世襲などという決まり事さえなければ、わしは喜んで古次に跡目を継いでもらいのじゃ。しかしこればかりは、、、
お師匠さまはそう長嘆されてから、こうおっしゃりました。小夢にはまだ秘技を授けておらん、いうなれば生娘よなあ、どうだろう、古次と契りを交わさせてみるに、おぬしへの愛着を断ち切るのは無理でも、彼奴とて男、おぬしも薄々勘づいておるであろう。わしもな幾度となくあの二人が仲睦まじ気に立ち話をしておるのを見かけたわ、その会話まで筒抜けじゃ、地獄耳だけはまだまだ達者だのう。
そこでわたしはこう申し上げたのです。お師匠さま、さればよき計らい、実は小夢には何か底知れぬところがありまして、兄を好いておるなど方便に過ぎません、このわたしに懸想しているらしいのでございます。ことの次第は詳らかではありませんが、不穏な企みとも思えません。いずれは秘技をまっとうする宿命、いっそ兄に捧げるのが名案でありましょう。それから大変恐れ入りますが、その件につきまして、ひとつお聞き入れしていただきたいことがございます。他でもありません、小夢が本当に謀りごとを秘めておらぬか、ここは禁令を是非とも解いていただき、兄にその旨を伝え真意をしかと見極めたいのです。
どうです、小夢さん、こんな敵の懐具合、いいえ、家元の名誉にかけてもあなたに承服してもらわないといけません。さあ、これでわたしとあなたはすっかり打ち解けましたね」


[312] 題名:妖婆伝〜その三十二 名前:コレクター 投稿日:2012年11月05日 (月) 20時17分

流派の秘技は極めて厳かな気配を要請された。何故というにこの情景がかりに茶屋の広間で催されたなら、大方の者は低俗な趣向と半ば嘲りをもって喝采し囃し立てはするものの、決して気高い芸道とは認めたりはしないと思われるからである。小夢にしてみても、緊迫を背負った特異な状況であったから、不意をつかれたような、異変が生じ乱心に至ったような、茫然自失のさなかに放り込まれて、四囲の出来事に立ち会うというより、自身の狂乱を鎮めているみたいな錯誤を発生させたのだった。そうしなくては、村八分の憂き目に合ってしまいかねない戦慄に覆われて仕方なく、恐怖の感情とは異なる沈着なまなざしが予想だにしなかった光景と向き合うことによって、そして何より阿可女への偽装じみた情愛がこの場を喜劇とも悲劇ともつかぬ、異形の空間に昇華してくれていた。小夢の目線は宙を泳ぎながらも、ある一点に収斂しようと努めていたのだ。
信じ難くも信じざるを得ない、愛なのか、取り繕いなのか、ただの邪心なのか、めぐりめぐって行き着いた土地はこの港町であったが、当人しか握りしめていない錠前の鍵はどこへ隠すべきなのだろう、煩悶の末に選んだのは愛妾の身にやつしてでも、屋敷内の修羅から逃げだしたい一念であったし、その修羅に加担していた消すことの出来ない事実は終生つきまとうであろう、所詮は疎ましさから遠のきたいだけ、生命保持は抜かりなく心得ていた。そんな自嘲めいた考えも新鮮なひかりと共に放たれると、都合のよい具合に鍵の隠し場所は目がくらんだのを幸いに、等閑に付されて更なる延期、突き詰めるべきものはそつなく風化されよう。
小夢の眼前に展開する珍妙な芸に半畳を入れるような無粋なまねは許されない。瞬時にして悟ってしまったのだ。直感でひも解いた色欲がこうも鮮やかに成し遂げられるとは、、、阿可女の顔つきは間違いなく柔和であったし、より深い情を胸に焼きつかせた。いや、そう感じ入る必要に促されたともいえるだろう。どちらにせよ、小夢の執心に変わりはなかった。あの時点では想像にも及ばなかったが、いつかは我が身に降り掛って来るに違いない家元の教えに身震いを覚える反面、引き受けてしまうことの葛藤は生じておらず、うなぎ魂を讃えてやまない傲岸な痴情がぬるりを顔を見せていた。あとは呻吟の末に派生する泣き疲れた心情をいたわるふうな薄笑いにまかせ、というものそれは鍵の置き場の見失ってみるに等しくて、至極まっとうな流れであると思われたからである。川の流れに罪などあり得ないように。
日々を一緒に過ごしたおなごらが裸になった、揃いも揃って、これは演芸かや、、、下女扱いに不満を拭いきれなかった憎悪に寄り添った情念は、奇妙な転倒をまえにして安楽な悦びに浸りかけている。わしが姫さまじゃ、もとはお人形さまだから、そしておまえらは女中に過ぎんのだ、何と愉快な見世物であろう、、、小夢のこころに悪心が芽生えたとして、それは致し方ない、あまりの事態に収拾がつかない分なす術は開き直りにも似た安逸な心構えに落ち着くしかなかったのだから。
風変わりな秘技は忘れかけていた生花の差し入れによって一段と風趣に富んだ。別段すがたを包み隠す必要もなかろう、劇中における黒子の役割に徹したまで、古次の両手に束ねられた生花がふすまの奥から届けられる。小夢は古次をこのときほど健気に思えた試しはなかった。梅に菊に寒椿、水仙あり、名も知らぬ草花あり、ただし以外や数は少ない。やや小首を傾げた程度で済ましたのは正解であった。訝しがるよりか、華麗なる秘技に瞬きする間を惜しむのはすぐさきのことだったからである。一方、随門師といえば悠揚と構えたまま微動だにせず、さながら熱い茶を冷ましているような自若の境地にあった。
さあ、空想の翼さえたどり着けぬ芸当が家元の鎮座に奉られる様相で開始された。内弟子たちはまるで武術が編み出した技のごとく素早く一斉に畳へ伏せたかと思うと、各自あたまを縦横にごん随との毛子が縦、白糸と阿可女が横に組んで両の腕は脇にしっかり添えられ、ちょうど十字の形をなし、ほぼ髪をひっつけたままうつ伏せになった。それは鑑賞に値する凄艶なすがたで官能を漂わせていた、現にそう裏付ける為に四人は息を殺し沈黙に身を捧げ、一糸まとわぬ裸身から香り立つであろう肉感を棺桶に封じたような蕭条たる生命に殉じている。だがを模した形状は形状であることにより却ってその生々しさを嫌がうえにも匂わせ、者を演じる意想は虚言に対する反撥を招く勢いと同じで、強烈なまでのなまめかしさを振りまいたのだった。おそらく身動きを認めさせぬこの姿態は相応の効果を引き起こし、さぞかしこれまでの客人を悩ませたであろう。それほど内弟子たちの異様な伏臥は堂に入っており、ひかりは沈黙の彼方に吸い込まれていた。
やがておもむろに師匠が腰を上げたとき、小夢ははたと膝を打った。先程ごん随女史は、わたしらが花と大言したけど、どうにも大雑把に聞こえる、四人の裸体は花であると同時に器でなかろうか。尋常の花器などでない、それはとてつなく淫靡であり醜猥であり、例えようもなく秀麗に違いあるまい。年齢こそまばらだが見よ皆のあの腰つきを、脇腹から優雅に下ったくびれを、それもひとえに至上の器と化す臀部を飾りたてるがゆえ、かくしゃくとした足取りで手にした菊の枝葉は今まさに生けられようとしている。
小夢は目を見開いた。これが家元の秘技、数年もの間いっこうに授けられる素振りさえなかった暗黒の極意、随門流すなわち肛門生け花、、、それぞれの尻に一輪差しの清さ、ああ、何という美しさ、手折られた菊や梅の花弁が急激に色鮮やかに染まるのは気の迷いで済まされるのか。しばし玩味のあと尻に吹きつけられるは焼酎、消毒なるか、はたまた浄めなるか、それはさて置き、糞尿をひりだすとなれば、肛門のみとは片手落ちなのでは、、、小夢は動悸が高まるなか女陰の役割がおぼろげながらよぎっていった。だがそれはまだ目の当たりにしておらず、確証を得る猶予が快楽に連なると見込んで十文字に伏せた内弟子を尊敬の念で凝視する。ほぼ推測に誤りはなかった、ごん随女史を筆頭におなごの面には悦びが溢れ出ているではないか。わしが悶々とした日を抑えこんでいるなか、四人の愛弟子は華道の名分において斯様な快感を享受しておったということ、芸道そく官能であったわけじゃ、、、歯ぎしりに身悶えしつつ、悲境であるとか、貧乏くじを引いたなどとは考えず、ここに臨席している紛れもない現実に夢を託し、それはそっくりそのまま肛門の卑猥が華やぎに転じる様態へと受けつがれた。気ままでは成立しない闇の穴との触れあい、生花とはいえせる生もの、だが肛門は異なる、隠微に排泄物と関わりながら栄養素の残滓を愛でたりせず、憎みもせず、ひたすら生命体の器官に徹しているに過ぎない。随門流はよくぞこの不毛な肉の躍動に着目したものよ、花器としてこれほどの逸品はあるまい、、、小夢のこころは阿可女のとろんとした目もとを引き寄せ、排泄物の臭気を芳しさに移し替えようと躍起になった。つまるところ観念が優先されるべきなのだ。しかし臭いものは臭いのであろう、家元の神髄は如何に、、、


[311] 題名:妖婆伝〜その三十一 名前:コレクター 投稿日:2012年11月05日 (月) 18時13分

小夢にとって阿可女はひとつの奇跡だった。望みが成就されるから奇跡とは限らない。村から逃れ、行く末を半ば放擲しつつも、わらにもすがる念いが沈みこみそうで浮遊していたのは、ひとえに命乞いに他ならず、それは宵待ちを欲する暗き願望に支えられ、漆黒の気配に仄明るく灯った顔を待ちわびる、出会うべくして出会った夜に透ける微笑であった。随門師に対する恐懼が何より先行される情景を塗りつぶしていたとするなら、門前に佇んでいた阿可女の風姿は片隅に描かれていよう、ほんのりした色彩である。
思いめぐらせるまでもなく、闇夜の灯明が神仏に限りなく近かったことは否めず、小夢の怖れは極寒の地で一気に凍結してしまう危うさに支配されていたのだが、本能に働きかけてくる情動は、悪夢を見事に恋心にすり替えてしまったのであろう、そうでも思わないことには一目惚れを成り立たせている謂われを何処に持ち込んでよいのやら、迷いにも終着があると信じるべきは、偽善者たる、そして高慢で不憫な心情にもっとも適しているに違いなかった。愛の不毛に嘆くより、不毛の地平を夢見る方が素晴らしいと感じたからである。
小夢の場合、危うさと居並びながらも一線を画する氷結がもたらされたので、今度は腐敗をせき止める遺体の側から見上げるような視線が、氷の世界に絶対の信頼を寄せさせた。不変の安寧は冷たいこころが長い年月をかけて溶けだしてゆくような、いわば寿命に即した現実味を会得し、あらぬ不安はなおざりにしたまま前途を切り開いた。足もとをずっと掬われ続けているよりかは、宙にぶら下がったひもに手をかけ、なおかつその手応えまで夢想することで実際の居場所を確かめたのであり、同時に心模様にも彩りを加えたのだった。
萌芽は大切に氷のなかに保存された。古次の世界が閉じていると思ったことはまさしく、自分自身の境遇に照らし合わせ、端的に言い切りたかったからで、裏を返せば近似する心境を上段から斜に眺めているふうな底意地の悪さにそそのかされていた。その分、阿可女に委ねた意識は単なる懸想にとどまらず、天の岩屋よろしく世界の開示を、ひかりの再来を、脳裡に燦然と輝かせ、これを奇跡と見なしたのである。
小夢はここに身を預けてからというもの、まるでほうき星のたなびきのごとく恋情を温存していた。だが決して口にすることなくやり過ごして来た信念が、思わぬところで綻びをみせてしまい、しかもあろうことか、くしゃみが出たふうな有り様で開陳してしまったのだ。察するまでもない、先日のごん随女史からの申し出にいたく動揺したに相違なく、積年の鬱屈が、これにはいささか語弊があるけれど、つまり習慣づけられた下働きの日常を疎んじているようで、案外よどんだ空気とは感じず、逆に目新しさもない代わりに十分と感謝の念さえ抱ける新鮮味を知らず知らずに取得していた、無論ことなかれの凡庸に甘んじていただけではない、過去における放恣なまでの欲情が封じられたまでで、実際不埒な懸想を暴露してしまうていたらく、燻っていた残り火は今だ健在で、そこへ相乗りする如くいよいよ華道という未知なる方向が開けて来た、嘘で固めた色恋をうっかり漏らしたもの、いわば方便、小夢の好奇と期待は不所存な箇所に滑り落ちるのであった。
おのれの色欲がままならぬなら、他の者らは如何に欲情を晴らしておるのやら、これは念頭に上らせ赤い野心を抱かせるより、不用意に胸裏に想い描くことを制する意識がかり出され、いつしか忘却の彼方に追いやってしまった灰色の、だが微かな火種のような発疹を肌身に残した証しといえよう。濁りきった沼底に棲息するえら呼吸の確かなうごめきは新たな息吹となって、全身の毛穴から煙のように立ちのぼって来る。色欲の意識は遠くにありて近きもの、小夢の嗅覚は内弟子らの性に関し、どうしてもっと鋭敏でなかったのか不思議に思ってみたけれど、おのれを抑制している現状に憤懣やる方ないなら、他者の色には目をくれないのが賢明であろうし、あくまで禁欲の仕組みに忠実だったに過ぎず、ただこの度のごん随女史からもたらされた意向にありきたりの、そう身分が高まっただの、平淡な日毎から解かれるだの、果てはひょっとして自由が得られる可能性だの、そういった平穏な暮らしぶりから逸脱しない事柄でなく、別な意味合いをぬめりのように抱きかかえる想念がおおいに表立ってくるのだった。
それは紛うかたなき、これまでずっと秘事であった華道そのものに対する震える関心であり、遠く謎めいていた肉欲の匂いに他ならない。薄皮一枚隔てた裸形をなぞる指先がまず不確かな輪郭を知れば、次に喚起されるのが人肌のぬくもりであり、そこに触れたい一心は着物のすそをめくり上げる淫猥に堕するけれど、情欲に本来裏表があろうもなきにかかわらず、まさに薄皮ぎりぎりのところでふみとどまる理性をひとは称揚し、陰でむせび泣いてしまうのだ。
小夢の華道への高揚はこうして閉め出された色欲の香りによって、大きくふすまが開け広げられる按配で意気盛んになっていった。実のところ、随門師の部屋に始めて呼ばれたとき、こころのふすまが同じ勢いで開けられたので不届きな予測が立派に当てはまったと、胸が踊った。
さて遂に内密であり続けた師匠と弟子らの芸に立ち会う瞬間が訪れたわけであるが、小夢の淫靡な、しかし澄み渡った意想は塵ひとつとして舞わぬ畳の清らかさを持ち合わせており、その二十畳敷きの大部屋に足を踏み入れたときはさすがに息をのんでしまったけれど、すでに師のうしろに物々しく控えている内弟子四人の顔つきに神妙さを覚えるどころか、あらかじめ示し合わせたふうな会心の笑みさえ送りたい気持ちを抑えることが出来なかった。が、広々とした室内にはいつもの顔ぶれの居住まいがあるのみで、がらんとした空気は年も明けて日数も経つというのに、どこか厳粛な雰囲気で張りつめていて、これより指導される一切の幕開けに相応しく思われた。そして畳縁の凛然とした直線が意思を裏打ちしているかに感じられ、生花も花器の影すら見当たらない殺風景な場は、なにやら家元たちの密談を予期させ、幾分かの湿り気を小夢の掌に与えた。
「そこでよろしい、そこにじっと座って我が流派をしかと見届けるがよい」
これが開口一番、随門師の言であり、あとあとはいっさい喋らずじまいであった。秘技が終了するまでの間、もっとも懇切に接してくれたのは、といっても丁寧な解説でも優し気な口調でもなく、驚愕に揺れている小夢の心情を汲んだふうな表情を細やかに送った阿可女そのひとであって、増々恋情を募らせ、あれこれ筋合いを考えあぐねたことが徒労であったと胸を打った。
座した師匠の無言の合図に気づくはずもない、小夢はそれまで灯されていなかった燭台に次々と火が点じられてゆく様を、思考が止まった状態で見送るしかなく、密談に適っていた大部屋が見る見る間に煌煌とした輝きに充たされ、始めて陽光を凌ぐまばゆいばかりの光景に臨んでいる情況を実感し、いずこより入りこんだか、僅かな微風にそよぐ灯火が月光を浴びて陰影をなす草木に思われ、はっと意識を取り戻した刹那には、一層ひかり充ちて何と華やかな女体が月と日輪のひかりをたぐり寄せる様相で迫っていたのだった。
「小夢さん、わたしたちが花なのですよ」
ごん随女史が自らの裸体を賛美しているは一目瞭然で、崇高な声でそう言うや、白糸、の毛子、阿可女、皆が着物をほどき出した。ゆるりと帯が流れ落ち、それぞれの召し物が優美な衣擦れになってふわり脱ぎ捨てられた。燦々とふり注ぐ陽光さえ必ずや弾いてみせよう純白で光沢のある裸身に、小夢は激しいめまいと、みぞおち辺りから込みあげてくる熱い悦びを知った。


[310] 題名:妖婆伝〜その三十 名前:コレクター 投稿日:2012年11月05日 (月) 06時57分

「の毛子はさすが若いだけにもの言いがきびきびしておる、あれほど感に触った声色がまるで可憐な鳥の鳴き声にも聞こえてしまうのだから、ひとの心持ちなぞいい加減なものだわな。けれど、それで安寧が得られるのであれば、そのさきは過分よなあ、愚痴めいた言い訳に堕するだけじゃ。
愚痴ではないが最近では鏡のなかの顔に小じわを認めてしもうた、これは自然の理であるのだろうが、一抹の哀しみは拭われん、うなぎの寿命はいかほどやら、わしにも老醜の影がさしている、これは変な思考だが、小夢に転生してのち、全身にみなぎっておった溌剌とした若さを久遠と取り違えていたのがよく分かるようになって来た。月並みの生き方でないだけに日々に向かう気持ちは些細な変化を機に、何やら強迫めいた焦りに転じたようだわ。わしは生き急ぐというより、ときの連鎖に殊更疎まれているようで仕方ない。これが宿命なのか、子憎たらしかったの毛子の妙齢がうらやましい、かといって嫉妬の情まで生じさせてはおらん、老人が大木のささくれに触れながらも新緑の香りを嗅ぎつけるように、ある種のあきらめを肝に銘じているつもりじゃわい。
小夢さん、この間ね、お師匠さまがこぼしてましたよ。わしも高齢である、出来ることならごん随に家元を継がせたいのだが、いかんせん、まだまだ未熟もの、わしの精髄を授けるには器が足りんし、風格も備わっておらん、かくなるうえはおまえら弟子たちの協調、一致団結が流派の存亡にかかっておる。
これには仰天したわ、かつてこうした話題がわしの耳朶に伝わった試しは一度もなかった、それが鳥のさえずりのように庭先の梢から何気に聞こえて来る錯覚となったのだから。果たしての毛子は斯様に重大な事柄を安気に口にしてよいものやら、聞かされたわしの方がどぎまぎしてしまうわな。それとも如何にも牧歌的で平穏な日々に紛れるふうな思惑がひしめているのやら。つまり、わしは試されている。またして疑心の顔をもたげざる得なくなり、身をこわばらせた。ところが、白糸も似たようなことをあたかも世間話しみたいに話しだした。跡目はそれは大変でしょうねえ、わたしらも増々荷が重くなるでしょうに、、、
更には阿可女さえ、お師匠さまにもしものことがあったときにはどうなるのでしょう、と口々からもれるのは向後の懸念ばかり、いくら奥の間との隔たりがあるとはいえ、食事どきに噂するにはことが深刻であるし、こうも開けっぴろげな言いぶりはどうであろう、これまでの生活にはあり得ん放埒な雰囲気、取りあえず疑心はさておき、ときの推移が内弟子らをふてぶてしゅうさせたのやら、逞しくしたのやら、あれほど感の鋭い随門師に挑むふうな意気にすっかりのまれてしもうたわ。
そして数日経ったよく晴れた朝、ついにごん随女史から打診を受けた。小夢さんはここに来てもう何年でしょうかねえ、家元はめっきり衰弱してまいりました、年には勝てません、どうでしょう、そろそろ華道を学ぶべきだと思うのですけど、、、別にあらたまった口調で言われたのでない、ごくありきたりな一室で向かいあったくらいだからのう。しかし、この情況が却ってわしに緊張を強いた、いよいよという思いは突風のごとく駆け抜け、あたかも死地に赴く厳粛な覚悟が要請され、それが日常の何気のない部屋での当たり障りない口ぶりと来れば、あらたまった式典に臨席するより遥かに堅苦しさを禁じ得ない。
結局、ここの流派は何故にこれほどまで少数にて維持されたのだの、いつもながら季節の折々に招聘される高貴で富裕な人々は何を所望しているのだの、ことの始まり、公暗和尚は一体どんな配慮でもってわしをこの地へ向かわせたのだの、これまで疑問であったけれど封印してきた事柄が一息に噴出したんじゃ。内心しどろもどろ、虚脱しているのか、高揚しているのか、狼狽しているのか、確かめようもなかった。ただそんな最中にあってごん随女史の気構えのない目もとが異様に感じたのはあながち的外れでなかったみたいでな、要は機が熟した、それに尽きるということじゃ、随門師も内弟子らも、わしも古次も迎えるべきして迎えたときなのであろう。
張りつめていたものが、或いは脱力で失われていたものが、すうっとさり気なくこの身に舞い戻ったわ、当たりまえに戻ったようでその実、何かが異なる、わしは恬然とそれを悟った。すると思いもよらぬ言葉を口走ってしもうたが、あとの祭りよ、どうしてあんなことを言ってしもうたのかや、うなぎの本性とも思えんし、すべてに観念したとも考えられん、ああ、もはや吟味はいらぬ、これがわしの一念であったろうくらいしか脳裡に形跡は留めん。
ごん随さま、わたしは古次を愛しておりました、けれどもそれが仮想であることを認めなくてはいけません、はい、その面影を同じゅうする阿可女さんを好いているのです、あなたさまは跡目となられるお方、その旨はとうにお師匠さまから聞き及びでござりましょう、わたしの好色な性情を、、、またしても空言、はなから古次を慕っておったでない、だが、よくよく振り返ってみるにまず接近を計ったのはまさしくあの可哀想な下男、確証こそあやふやであるけれど、まるきりでたらめでもあるまいて。おのれで吐いた告白の余波にもまれている間、ごん随はまったく気色ばんだりせず、いつぞや古次が語ってくれたようなあの忌まわしい、だがいたって平淡なまなざしが想起されようひかりと化して部屋に灯されている。
忸怩として消え入りたい心許なさに傾きかけるも、須臾にしてごん随女史はこう述べた。それはそれは、風変わりで面白うございますね、それで、如何がされたし、よもや阿可女の情人になるつもりでもあるまい、戯言と聞き流しておきますから心配いりません。そのうち小夢さんの願いが報いられることもあるやら知れませんぞや、果報は寝て待て、ほほほっ、精進されたし、師は病床についていますけれど、あらためて華道の手引きをいたしましょう。それにしても小夢さん、あなたは不思議なおひとじゃ、わたくしは感心しましたぞ。
その夜、わしはひさしぶりにうなぎのすがたに返って清流を遡った。はっきりしないが、おそらく黙念先生を探していたのだろう、夢は無限に続くと感じられ、歓喜が押し寄せて来た。束の間の本家帰りと思いなし川底にそっと身を沈ませれば、夢の入り口が懐かしくもあり、遥か昔の出来事に関わっているような浮遊した感覚が全身を覆う。苔の岩、静かな意思、揺らめく川藻の優雅な調べ、水面に映れば微笑ましくも、言い難い望ましさの魚影となるであろう傍らに泳ぐ鮮やか銀鱗、やあみんな、変わりはないか、、、ひとの言葉なのだが、ひとの言葉でない、流れに溶けだす淡い響き、これほど屈託のない遊泳はいつの日以来やら、黙念先生が清流の主をあることを疑るすべもなかった遠い日々、目指すさきは永遠の向こうでもあった、、、」

自分は、老婆の表情に時代の変遷とは別次元の、それはたった今見知ったふうな驚きと悲嘆、限りない幸せが横並びに溢れ出ているのでは、そう感じさえてやまないものを受け取った。灯火の明るみをさえぎるというより、こころのうちから放たれた光輝を呑み込んでしまった、静かな、しかしとても重い閉眼が自分を夢のなかへと誘った。老婆は目を閉じたまま語りだす。不敵な笑みがむしろ反対に、そう自嘲の感情など悠遠の彼方に置いてきた様相で、親しみをたっぷり含ませた面持ちとなり、言葉の端々から響く陽炎のような光景を面前に浮かび上がらせる。切なくたゆたう情感を、ときには慄然と、あるいはときめきに変化させ、こころとこころの断面をゆっくり溶かし始めるのだった。


[308] 題名:妖婆伝〜その二十九 名前:コレクター 投稿日:2012年10月29日 (月) 06時03分

「そうさな、かまわんとも、わしは愛しい阿可女の段にもってゆこうとしたけれど、なるほど古次のその後は捨て置くわけにいかんな。生き写しであるからのう、いいや別に顔かたちだけでついでのごとく古次を語るのではない、確かに仔細とまではいかぬが、わしの知りうる限りは話しておくべきだろう。それに言い忘れた箇所もある、では続けようぞ。
あんたの疑点もっともじゃ、いくらなんでも古次って奴かなりの楽天家でないかと、それはそうさな、幼年ならまだしも、いい大人になってまだ阿可女に執着しておる。で、兄妹どうしで婚姻できると思っているのか、そこが解せんのだろうて。わしも同じよ、しかしこの世に常軌を逸した情愛が見受けられるのは上田秋成をひもとくまでもあるまい、現にわしはかの屋敷で近親者の糜爛した肉欲に携わったからのう、そういう意味合いで古次を糾弾するわけにはいかん、逆にどうみても引き裂かれたとしか言い様がないにもかかわらず、あそこまで気高く清い愛を抱き続けるほうが余程、情熱があり不思議に感じられるわ。いや、こんな穿ちも可能でないかや、古次は初めから血のつながった兄妹が結ばれるなんて信じていなかった、信じていなかったがゆえに、どうしても離れられず、平素の意識とは異なる働きがああした情況に至らせたとな。つまり異相から眺めれば中左衛門とて、本願成就の為の足掛かりでしかなく、験者の死に及んではまたとない好機であったのではなかろうか。
さあ、では赤子の首は果たして何奴が切り落とし隠してしもうた、そしてその動機は如何に。残念ながら異変の詮索が開始される以前に古次はこの土地に身を寄せていたから、どのような探査がなされたかはうかがい知れぬ、もちろん外よりの報せは皆無じゃ、ひとつだけ光明を見出すなら、それは阿可女のこころに隠されていると察せられようぞ、これは後日古次にそれとなく問いかけてみたのだが、、、
それで身分を定められ阿可女さんとは昔のように気軽に喋ることも出来なくなってしまったのですね、どうでしょう、わたしには中左衛門なる若侍がふたりの約束ごとを見抜いていたとは思えないのですけど、、、すると古次は、はい、ひとの胸中を探る才にたけていただけのことでしょう。と、申しますのは、はてどのような、、、わしはそれとなく分かった気がしないでもなかったけど、あえて謎めいた顔をつくり返答を待った。
せいぜい聞き耳でも立てていたのではないのでしょうか、わたしらもまだ幼かった用心したつもりでも壁に耳あり天井に目あり、中左衛門がなんらかの目的で家屋敷を混乱させようと企てをしていたなら、日頃からわたしらを気取られぬよう監視していたと思われるのでございます。阿可女には、、、えっ、どうなんですか、わしの口調は次第に激しくなり、では、どうなんです、確かめてごらんになったのですか、ほとんど詰め寄る勢い、これには古次も閉口した顔つきを示し、間合いを取るよう背筋を延ばすと、いいえ、阿可女に訊いたことはありません、ここでふと我に返ったわ、まえに語ったように古次にとってそれは最後の砦であり、禁断の園であったはず、これが露呈してしまえば、この男の夢は途端に崩壊してしまうだろうよ、儚さを知りつつひたすらに耐え抜く意思が。
さあ、どうしようぞ、実はな、阿可女との出来事に取り急ぎたいのはひとつは中左衛門や怪死の謎に迫りたいからじゃよ、古次の世界は閉じておる、ほんに見事なまでに閉じておる、ところが阿可女が醸す雰囲気はまるで正反対だわな、今いうた謎そのものを包含しているのがこのおなご、世界は開示されているようにさえ思えてくる。じゃあ、いいのかい、では端折るとしよう、そして阿可女から聞き出した驚きの事実を話してあげよう、おっとそのまえに阿可女と親しくなった経緯を簡単に説明せんといかんな、これは肝心なことだからなあ。
手掛かりはあのうら若き娘の毛子に発する、そう言えばどうかな、狐にでも騙された心持ちがせんかい、が、本当だから仕方あるまいて、小生意気な口ぶりは相変わらずだったが、見た目は随分としなやかになり、からだつきにも色香が存分に備わって、中々そそるものがあったわ。それはさておき常日頃から古次と同じよう下働きばかり、そのうえ小言の治まる兆しもなく、その頃にはこれは目論見というより逆らえぬよう押さえつけているのだ、ただ単に逃げられでもしたらことなので、生かさず殺さずの精神を敷衍しているのだ、そう思いなすことで悔しいけどおのれを丸め込んでおったのじゃな、もっとも阿可女だけは恋しいあまり、用向きとはいえ口をきいてもらえるだけでこころ弾んだ、弾んだというても手放し満面の笑顔なぞは禁物、誰にも悟られぬよう警戒したものよ、特に古次にはのう、、、あの男は半ば共犯者、はてはて、裏切りでありながら同情さえ感じていたから余計になあ。
で、ある日のこと年の瀬に近い、あわただしさが寒気によって的確に包まれているような昼下がり、珍しく随門師が炊事場やら玄関口にすがたを見せ自らあれこれ皆に指示をしておった。そこで又わしの手違いかや、年代ものの掛け軸を納戸から運び出したのだったが、どうやら絵柄が異なる、めざとく察知したの毛子、いつにない高圧な口ぶりでわしを叱責した。ところがじゃ、随門師がさも大義そうに、つまらぬ諍いなぞやめてしっかり働けと言わんばかりの顔つきで、どれどれと掛け軸をのぞき込んだ。そして、こともなげに、ああ、これでもかまわん、そう言ったのじゃな。安堵を覚えたわしはよかったのだが、いらぬ癇癪を起こしたみたいな態だったの毛子は引っ込みがつかんのか、さも歯痒そうな顔つきをしておった、それで随門師が立ち去るやいなや、つかつかと歩み寄りいきなりわしの頬をしたたかに打った。目から火花が散ったとき、あたかもそれが火種であったかのごとく、わしの溜まりに溜まった怨念らしきものが爆発してしもうた、気がついたときにはの毛子へ逆襲、めった打ちにした挙げ句、足蹴にし、まわりから取り押さえられる始末、ようよう気を取り直したけど後悔は感じなんだ、と並んでさほど憎しみも抱いておらんのがわかった気がし、まあ、これだけ乱暴したのだから当然じゃろうがな、髪を乱れに乱し、薄くはない青あざ、口から血を流しているすがたに痛々しさを覚えると、その場にへたりこんでしまった。
の毛子は悔しさより恐怖に襲われたふうな本能をはっきり面にしており、何度も瞬きをしていたので、思わず土埃にまみれた手を握りしめると、おいおい泣き出し始め、わしはそのとき、初めてこのおなごが可愛らしく見えた、いいや、すがたかたちでない、そのこころがじゃよ。
そんな出来事があってから、いつしかの毛子の態度に変化が現われ、といっても徐々にで、さほど劇的な和睦が演じられたわけでない、流れは割愛するとして、まあ、それが縁となってわしは内弟子のひとりと仲がようなった。考えてみれば、わしの方が負い目をいつも面前にし、まわりに打ち解けようとしていなかったように思える、無論うなぎの秘密のせいなのだが、随門師を畏怖するよう他の者らにも一線を引いていたのは間違いあるまいて、まったくお人形さまの独り相撲は救いようがないのう。
そういうわけでの毛子とはほんに気安くなり、いつしか白糸やごん随、それに阿可女とも他愛のない話しを交わしておった。で、阿可女と親密に、といきたいところだが、おいそれ容易く恋は成就せぬ、まずはの毛子とのやりとり、そこでようやく判明して来た家元の素顔など、これらを通して物語は発展するのだから、もう少しだけ説明がいるというもの、あんた、ほれ呑みなされ、そのうち酔いなど吹き飛んでしまおうぞ」


[307] 題名:妖婆伝〜その二十八 名前:コレクター 投稿日:2012年10月29日 (月) 00時44分

「続けて古次は語る。これらが古次の知るところのすべてだったのだが、、、
絶縁を申し渡されるに及んで、父母からこう諭されたそうじゃ。当家は汚れてしもうた、赤子の怪死に限らず、そなたら兄妹はまことに見目麗しいのだが、生誕の折より世間では双生児を不吉の報せと忌む者あり、斯様な惨状を呈したのもその由縁なりと陰口甚だしく、このままでは体面が危ぶまれよう。瑞祥と思いなし、嫡子としてより愛おしさが勝っておるのは言わずもがな、断腸の思いである。勘当とて表向きと心得よ、いずれ機を見て、当家に戻れるよう取り計らおうぞ、、、それまでの辛抱よ、と苦し気な面持ち、脇の阿可女を見遣れば恐れ入っているのか、よく呑み込めたのか、いかにも家名に従っておるような顔つきだったそうな。
さて古次、年少とはいえ、事態の過酷な様はちゃんと理解できておる、復帰なぞあり得ん、これは父母の悲嘆からついて出たなぐさみの情、惑うも惑わぬもない、いざ今生の別れ、そう自身に言い聞かせ、翌日には身支度を整え屋敷をあとにした。が、ふた親の口上に偽善が染み込んでいたように、古次がわにも偽りがあった。ことの起こりは中左衛門の不審に違いなかろうが、その委細が異なる。端麗な面に朱が走ったかと思うと、目つきに妖しさを帯びて、ややうつむき加減でこう切り出したのじゃ。赤子を死なせたのはわたし同様、いえ首が落ちるなどとは考えてもおりませんでした、けれど、、、そう願っていたのを打ち消すことは出来ません。
話しを急ごう、次子誕生から間もないある日、古次はあの中左衛門からこう耳打ちされたという、おめでたいのはもっともなのでございますが、これはいささか困りものではありませぬか、そうです、阿可女さまとあなたさまとの婚礼、溝が入りましたようで、、、つぶらな瞳の奥に邪心のあるなしを計れといわんばかりの中左衛門の言い草、はたと胸を突かれた。何故なら古次と阿可女はゆくゆくの婚儀を交わしていたというのじゃな、いやいや、あくまで幼い口約束まで、だが古次にとってはその将来のみがあって、日々の暮らしも遊びも宙に浮いたごとくに実感がない、一刻も早く晴れて夫婦となる身を念じておった。念じるがゆえに他言は禁物、兄妹だけの固い絆に守られ秘匿されていたはずなのに、如何なる事情で中左衛門、普段はほとんど会話する機会がなかったにもかかわらず、絆を見知っているのか、まさか阿可女が口外したとは信じ難く、しかしそれより他にそとに漏れようはない、困惑すると同時に古次は萎縮してしまい、とうとう阿可女に真意は問いただせずじまいの有り様、妹に対する詰問によってすべてがご破算になってしまそうな不安に駆られたゆえに。その代わり不安はそっくりそのまま、不慣れな若侍に委ねられ秘密は遵守されようとしている。中左衛門の憂慮とは次子に阿可女を譲り渡さなればならないという、古次がこころの奥底で燻らせていた根拠をもたぬ怖れに相違なかったので、不安は怖れの相貌をより際立たせ曖昧を許さず、すべての気力はそのような成りゆきを是が非でも阻止するべく方へと流れ落ちた。
話しの様子から察するに中左衛門なる人物、かなり悪知恵が働くうえにその手際も嫌らしい、幼い古次をまさに手玉にとるよう忠義立ての精神だけはまっとうに、我が一命に代えてお力添え申しあげましょう、と迫る。が、これといった秘策を授けることなく、じっと古次の目をのぞき込んでは力む素振り、それよりのちも当人は何の援助らしい挙動を示すことなく、ただひたすら嫡男としての自覚を促すのみ。そして遂に堪えきれなくなった古次、尋ねるに、赤子に悪戯してみてはどうだろう、手を上げるような折檻はいけない、もっとも効果があり尚かつ確証など一切残さないよき方法は、、、そう口を滑らしてしもうた。案の定、中左衛門は目を見返すばかり、そのときだった、閃きがよぎったのは、、、その眼光よ、赤子に言葉は通じぬ、けれども目は見開いておるではないか、来るべき行く末まで見通すごとくに澄みきったひかりを宿し、、、ならば、その行く末を狂わせてみようぞ、思うが早いか、乳母のもとにあっても古次は異様な目つきで次子を睨みつけていた、いや、正確には口もとを綻ばせ、眉を下げ、あたかも肉親の情愛を振りまいているふうな表情のもと、暗きまなざしを送り続けていたのだった。
赤子に異変が訪れるまでにそう月日は要しなかった。以後の顛末はさきに話した通り、ただし中左衛門が験者を招きいれる際、古次にはひとことのことわりがなく、待ってましたとばかりの狡猾な素早さ、これには仰天、震えおののいたのは至極当然、よもや赤子に斬首の刑が処されようとは、、、が、事態は急展開、験者は頓死、肝心の参謀はみごと雲隠れ、二度と当屋敷にすがたを現しはしないであろう、そんな予感も生々しくあとは野となれ山となれ、脱力にまかせ思念が停止しかけた古次を見舞うのは風塵だけぞ、ついでに秘めごと一切合切を粉々にし吹き流してしまえ、追放の身がひねりだしたせめてもの発意、阿可女の顔色をも染めよう、、、
これが古次の悪業じゃ、ああ、分かっておるとも、あんた、そんなに乗り出さんでも、こうであろう、まったくそれしかないわな。
家名とひきかえにいわば島流しの憂き目、だが古次は落胆なぞしていなかった。いやむしろ晴れやかな気持ちを抑えるのに懸命だったそうな、これで阿可女と離ればなれにならなくてよい、婚礼は夢かも知れんが、おさなごころに芽生えた信念が勝利したわけじゃ、浮かれるなという方が無理よ、どの様なところだろうが阿可女を暮らせるならこれより他の幸せはない。紛糾した過去には未練どころか、引導を渡したい心持ちだった。
で、この港町に落ち着いたのだったが、その架け橋の仔細はおろか、随門師匠の思惑とて触れるは御法度、それは口頭で諭されたのではく、ふたりの兄妹は肌で感じたそうな。諸事情は随門師に通達されているのは確か、家門の汚れゆえの、いや世間体を慮っての決断、ならば師はふたりをどう裁定したのであろう、古次は口をつぐんでおった、赤子の怪死がすべてであり、くだんの悪戯、中左衛門との結託は決して口にせなんだ、ところが随門師はいとも簡単に古次の奸計を見破ってしまった。多分に緊張が禍いし、面に色濃くにじんだと思われる、古次もその辺は認めておった。そうなるとふたりの仲に収まっていた夢の世界は幽閉ならぬ、開城を余儀なくされ、実に適切な、あまりに悲愴なを審判を甘受するに至ったわけじゃ。おそるべき随門師、村最後の晩、公暗和尚と向き合った際の重圧がひしひしと呼び戻される、あのときの心境、古次のそれと比べ遜色はなかろうよ、互いに死守しなければならない黙約を抱えておったのだから。
しかしわしの場合はまだ救われていた、まるで肩透かしをくったような按配でさっさと所払い、ほんに安楽な身に上に思えるわ。それにひきかえ古次に下った裁定は生き地獄に等しい刑罰、婚礼を夢見たはずがその身分には容赦ない差別が設けられ、同じ屋根に下とは申せ、かつて兄妹であった名残りはどこにも見出せん、絵図にたとえるなら家僕の古次、妾に甘んじた阿可女の影を眺める、とな。
実際は知らぬよ、何せ内弟子と師の間をかいま見ることままならんのだから、だが、古次の面目はかろうじて影と寄り添うかたちで保たれたのじゃ。ああ、訊いてみたとも、まことに言い辛いのですが、引き裂かれた双子と、そんな言葉がかすめてゆくのです、この胸をさらってしまう勢いで、、、古次はそれでも平淡な表情を崩さなかった、反対にわしの空想が先走り過ぎているのかや。そうであろう、古次はこう言い切ったのだから、、、いえ、わたしどもはいつも一緒でございます、身分に隔たりがあろうとも、それはあとから形式として与えられだけです、こころは常に阿可女とともにあるのです。
わしは何となくこの男が寡黙であるのが分かった気がした、それは性分なんかじゃない、情感の逼塞でもない、古次は強靭な意思のもとにおいて現状を引き受けているのじゃ。
これが戦きの重しかと、いいや違うよ、わしはわしで古次の意思を見届けたまで、さほど人情家でもあるはずもなかろうて。怖れたのは随門師の得体の知れぬ、底なし沼のような暗い深みと、そこにこうして臨んでおる疑いようもない現実だった」


[306] 題名:妖婆伝〜その二十七 名前:コレクター 投稿日:2012年10月23日 (火) 04時42分

「話せば長くなりましょう、確かに、古次の目から放たれた冷たい輝きに背筋をただす。わしが設け置いた間合いを十全に含んだ声色、成りゆきというよりかねてから機会をうかがっていたのでは、そう思わせる低く地を這うような不気味さがあった。随門師匠は内弟子をいくたりか連れ外出していたと記憶しておる。が、春の日差しを浴びながら耳にするはどこかうしろめたい、期待と緊張を軽い仕草のうちに忍ばせ、そっと蔵の陰に歩を進めた。
前にもいうたけど古次は口数が少ない、そこにもってきて肝心なところで息詰まる、感極まり目をうるませたかと思えば、話しの脈絡が曖昧になり、いいや、わざとではないのだろうが、これまで自分の生き方を振り返ってみることがなかったのだろうて仕方あるまい、じゃで、ここからはわしの要約で聞いてもらうよ。
名は詳らかに出来んが、古次と阿可女は由緒ある旗本の家に育ったそうな。心身はいたって健全、珠のごとく可愛らしい、しかも男女の双子という希有な子宝に注がれるまなざしは想像に難くない。それはそれはふた親はじめまわりから受ける寵愛日ごとに増していったそうじゃ。
上巳の折には阿可女以上に古次の美しさが口々に誉めそやされ、また端午の際には反対に秀麗な男装を披露した阿可女が人々の賛辞を一身に浴びたというから、節句の華やかさ、こぼれんばかりのひかりに満ち満ちていたのだろう。それからの年少時代、取り立てて陰が落ちるようなこともなかったと申しておるから、古次らの記憶を疑るすべなぞない。ただ発端というならそうかも知れんのだが、本人はそこに立ち戻る思惑をどうやら振り払いたいようなので、少々複雑よな。こういうあらましじゃ、双子に続いて五年後、おとこの子が生まれた。兄妹には似ておらなんだけど、いかにも武家の次子らしく眉目端麗で頼もしい、しかし首が座るか座らんかうちにとくに目の焦点が尋常でないのが発覚した、何かの拍子できっと誰ぞやを睨みつけるような鋭い視線を投げかける、最初は庭に遊ぶ蝶だの蜻蛉だのを追っているかと案じていたが、どうも様子が異なる。現に閉め切った部屋の片隅にも同じ目線を放つ、両親も次第に単なる戯れとは感じられなくなり、この子はなにぞ、私らには見えんものを取り押さえておるのでないか、さて魑魅魍魎なるか、亡魂なるか、生霊の気配なるか、いずれにせよ、不可思議と首を傾げるに異存はない。
あるとき、家住みの若物の発案から、かねてより都界隈でも評判になったさる験者がこの地を訪れている、かの宮様に取り憑いた悪霊を払った件は隠しおうそうにも膾炙し、今では引く手あまたとか、その霊験まやかしの類いなら、斯様に讃えるべくもなし、是非とも一度、忠信の籠った口吻に促されたと同時に、とくに母親は験者のうわさをすでに聞きつけていた模様、二つ返事で早速手配するよう若者の言に首肯した。
ところでこの若侍、後々の語りに連なるので姓名を覚えておいてもらいたい、根図中左衛門という。背丈の低い、だがいたって頑健な気質を漲らせており、ひょうきんな面を持ちながら時折すっと暗い面持ちをのぞかせたりもする。残念ながらその出自の特定は出来ん、古次は幼少であったし、次子の異常におののくまで感性も発達していなかった。薄ら覚えにしか中左衛門を知らぬ、大方の面影はのちに聞き及んだもの、そしてあれこれ詮索を含め一通り拵えられた、いわば人相書きよ、で、この人相あの事件が起こってから出奔してしまい現在に至っており、先程も言うたが果たして発端はいずこなる問いかけ、事件の鍵を握っているようであり、そうとも言い切れぬ、けれどもはや再会などあり得ん、、、ここで古次、声を震わせ、ことの真相に迫ろうと意気込んだ。意気込みはおおいに買うのだが、余程の衝撃が今また押し寄せて来たようで言葉詰まらす。だがもっともじゃ、あんな惨憺たる光景を目の当たりのしたのだからのう、、、
中左衛門の案によって名高い験者とやらが屋敷を訪れたのはさほど日数を経ていなかった。次子には果たして物の怪が憑いているか、はたまた験者すら考え及ばん能力を秘めていたのか、加持祈祷がとりおこなわれた場に立ち会うのは許されなんだ、おんなこどもに限らん、当主でさえその一室から退くよう命じられたというのだから。古次は自分より物怖じしておる阿可女の手をきつく握りしめ、その手にしみ出る汗がどちらか判別ゆかぬまま、父母らに見守られ、ときを数える心持ちであったと語り、当日の異様に緊迫した、けれども夢の国へと運ばれる乗りものに揺られているふうな、淡い憧憬が寄り添っていたのを忘れていない。生きるか死ぬか、そうした厳粛な刹那を知らぬ身であればこその安寧が、かつてないほど険しい表情をした父を、そして青ざめる一方で、甲高くなる声を出す一方で、いつか観た能面の不気味な笑みを取り寄せた母を、血の気が通うていないのではと感じてしまっていた。
実際の怖れは阿可女のやわらかな掌にしっかり収まっており、その他の情景や空気なぞはあたかも絵空ごとにしか受け取られていなかったかも知れぬ、どうであろう、幼年の意識とは以外や酷薄、罪深さはないが、それは罪を覚えぬがゆえ、古次には割り切るも割り切れんもない、つかみどころが見当たらんのだからな。
怖いもの見たさの心境より験者の発する祈祷が怒声に変わっているのに驚いた。屋敷内には道場もあるし大声には慣れていたのだったが、稽古に励む威勢のよい声とは別種の、一歩違えば金切り声に近い、威圧するというよりも逆に屈服を強いられている歪んだ響きをはらんでいるようで仕方なく、こどもながら取り返しのつかない事態が発生する予感を抑えられず、ほとんど濡れて滑りそうな手を離さないのがおかしいと思いつつ、悪夢に興じていた。
そのうち、験者の祈祷はやみ、あたりは水を打った静けさにつつまれたそうじゃ。やがて疲労困憊の相をあらわ足を引きずりながら歩み寄って伝えるに、邪霊の仕業でござります、相当昔からこの家に棲み憑いておりました、双子の兄妹を望んでおったとみえる、おのれの分身として都合よく乗り移ろうと計ったのでしょう、ところが御兄妹には入りこめなんだ、冥加と申すべきか、因縁、もしくは不幸と申すべきか、、、邪霊らしき禍いが解かれた様子はうかがえ安堵したものの何やら歯切れが悪い、当主は威厳を正して、だが半ば嘆願を擁しなじると、験者は眉間に深いしわを寄せ、あたかもそのしわに災禍が宿っているようなもの言いで、御兄妹はなんと申しますやら、格別の才覚を生まれもっています、そして赤子にもその才覚があるのです。気づかれませんでしか、かの異様な目つき、次子殿だけではなかったなずですぞ、邪霊はときを待っておったのでございます。血族の生誕によりちからは分担されましょう、そうでございます、次子殿が生まれ出た限り、御兄妹の紐帯であり、結束されたものに隙間が生じるのです。そこが邪霊の付け入るところ、しかし、次子殿とて、そうですとも、生まれたばかりだからこそ鋭敏な感覚を働かせたのでございます。と、ここまで験者は息も絶え絶えの態で話したのだったが、何とそのまま仰向けに倒れ死んでしまったのじゃ。これには一同、大慌てよ、当主や奥方、古次ら兄妹を眺める目つきにはすでにただならぬものがある、腰を抜かす輩もいれば、今にも逃げ出したい内心を必死でこらえている者すらおった。そんな最中にひとりだけ平静を保っていたのが、中左衛門というわけでな、その落ち着きぶりは忠義であったのかどうか、ことの次第は中左衛門である由縁には違いなかろうて、自ずとその旨を心得ていたとすればあっぱれよ。で、頓狂な声こそ上げる者はいなかったが、ほとんど皆ざわめきに紛れこんでは戦々恐々、そんななか毅然とこう言い放ったそうな。
とにかく部屋の様子を、それがしが見てまいりましょう、当主らの返答を待つか待たぬ間に素早く加持祈祷のなされていた奥の間に駆け込む。衆目の認めるところであったろうし、不穏な回答を固唾を呑んで待ち構えていた光景は古次の目に焼きついている。ときの経過を計る必要はなかった、必要なのは相も変わらず夢の波間に揺られているような、船酔いともつかぬ、忌まわし気で幽かで、至らなさみたいな感情を噛みしめることだった。
中左衛門の紫がかった唇からついて出た報せに驚愕しなかったのは、何も当主が、左様な、左様な、と繰り返すばかりで一向に自ら次子の無惨なすがたを確かめにゆこうとしない不甲斐なさではなく、どちらかといえば、まわりの者らの吐息さえ遮っている、澄みきった空気の仕業だと古次は述懐した。
赤子の首は落とされ、あたりは血の海であったそうじゃ。しかしどこを探してもその首は持ち去られた如く見つからず、これは験者の加持祈祷によるものか、それさえ定かでなかった。秘匿しようにもたちまちこの惨劇は広まってしまい、御上に届けられ沙汰待ちとなったのだが、詮議は事件同日に逐電してしもうた中左衛門へと向けられ、また高名であった験者の身分が明らかになるに従い、当主はかろうじて面目を保つことが出来た。とはいえ、卑しい身分であった験者などの言い草、いや、卑しいゆえに効をなしたのであろうかや、古次ら兄妹は絶縁、家屋敷から追放を余儀なくされた次第、まったくもって因果であるのやら、嘆くに嘆けん」


[305] 題名:妖婆伝〜その二十六 名前:コレクター 投稿日:2012年10月16日 (火) 03時09分

「ここでの暮らし、はや二年、温暖な気候だし四季の移ろいも明快だったわ。もっとも雨の日の多いが難点といえば難点、じめじめする上こまめに掃除していてもすぐあちこち黴びてのう、そんな日々に追われるまま、彼岸や盆、正月はもちろん月ごとの習わしに準じた家元の行事すらよく覚束ん、相も変わらず下働きに従事する身、催しの行なわれる日はそれはにぎやか、随分と遠方からの来客もある様子、とはいえわしは花を活ける席上に呼ばれた試しがない、華道の通人にはそこそこ名の知れた家元らしく、そっと覗き見れば、華美な乗り物のすだれがゆるり、艶やかな女人の姿、脇に控えし隆とした御武家、更には公暗和尚を想起させる高僧の立ち居、その後ろには見るからに富裕な商人がちらほら、普段とてほとんど家人の他に接する機会なぞなし、なにやら優麗な絵巻が庭先へひろがった按配でな、すっかり見とれてしもうた。
しかし四季折々の機微に接していたかと問われれば、かの訪問客を見物するに似て厚き緞帳で遮られており、風雨の眺めや寒暖は感じていたであろうが、ときに即した移ろいまでしみじみ実感してたのやら、どちらかといえば取り留めない想念に流されておった。きらびやかな人々の風姿がはかなく目の前から消え去ったように。
空模様の移り変わりは遅れてやって来た荷車みたいにわしのこころを占領することがあった。暗い影が落ちるばかりでない、平穏とも慣習とも異なる薄明るい道程をたどって、今ここに居るという感覚がほろっとこぼれれば、あたかも土間にしみ入る濃淡がみるみる間に確実となるように、決して安堵からもたらされたものでなかったが、さほど不安の材料にも思えなく、気休めは気休めなのだろうけど、不思議と日毎の生活に溶け込んでいるふうな感じがし、ふと空を見上げたものだった。そしておもむろに荷をほどく仕草をなぞるはいかなる所為ぞ。
源氏の君でもあるまいが独り、雨夜の品定めよろしく内弟子らを観察しておったのが懐かしくもあり、こうして現今もなんら発展せぬ情況に置かれているのが恨めしくも微笑ましい、はてこれは自嘲なるかや。
で、暮らしぶりにこれといった変遷がないのは、あんたも聞いててつまらぬだろう、何せここは竜宮城の影絵みたいな風情だが、ときの経過もこれまた緩慢、太郎翁は刹那を過ごして来たけど、影絵はそういうわけにいかぬ、色彩に乏しいだけ挙止は的確に見届けられよう、荷車の輪とて例外ではない、その車輪の回転をすっと速めてみようか、さすれば物語りは一気に滑り出す、その分わしも年をとろうが。
更に五年の月日が流れた。竜宮さながらみな老けこんでおらん、これは随門師を筆頭にしてじゃが、、、いやいや年嵩のごん随にせよ、おなごらはほんに美しいままよ。気だてはあの日以来べつだん変わるところなし、それゆえ連鎖は安定しておる、こりゃ皮肉というより諦観だわな。わしの後進なぞ現れるか半ば期待していたのだが、この不動の面々であるからこそ、これから話す奇態な展開を迎えられた。古酒が熟すよう、無論のこと、いわくありげな双子だの、年少であった機敏な目つきはどうなっただの、増々取りつく島がないのだろうかだの、つまるところ随門の正体はだの、悪酔いしそうな熟成はいたって健全であり、成るべきして成ったとしか言い表しようがないわ。
ほれ、もう一献どうじゃ、もたもたしておると夜が明けてしまう、酔いにまかせるのがちょうどええかもな、どれ、では愛しの阿可女との因縁へまわすとしようぞ。
おなごらはともあれ、下男の古次とは心安いとまではいかないが、挨拶の他にも細々したことを話すようになっていた。従前どおり実直一筋だったけれど、決して身構えているふうには思えなんだ、むしろ罪人として懲罰に甘んじた挙げ句なにやら清澄な空気に囲まれているような心境に達したのだろうか、最近では冗談めかしたわしの意見にも素直に応じてくれる。あれは一年ほど前じゃ、春の陽気の浮かれに便乗してこう尋ねたことがある。
ところで古次さん、罪を犯したって申しておりましたけど、そんなに悪いことしたのですか、ひとを殺めたとか、、、まさかね、だったら今頃は牢屋か獄門、でもここは御上から免罪符でも戴いているようですもの、いえ、わたしだって色々ありましてね、あら、そんなに見つめないで、、、そうよ、わたしだって悪党、仔細はお話できませんけど、以前は庄屋、いえ昔でいうところの地頭みたいな家柄でね、それはそれは恐ろしい屋敷でしたの、、、と随門師のもとに身を寄せたいきさつをかいつまんで聞かせ、妙や満蔵らとのただれた色欲をちょいとばかし抑え気味に、それとさすがに春縁殺しのいきさつは伏せておき、あとは記憶に沿おうが沿うまいが、いかにも虐げられたうえでの抵抗、うなぎの本性はあってなし、すべての罪科は不遇にあるとだと強調したのじゃ。
最初、驚きを装うた振りさえし、そのくせ内心はまさに驚愕そのもので、面に出てしまうのを危ぶんだ古次、初心だわなあ、間を与えることなく悲愁の面持ちでつぶやくよう、やがて潮が満ちるを真似て性急にたたみかけるよう、ほとんど哀願に近い声色でいつぞやの朝みたいに身を寄せた。一通り耳にしてなお物足りない様子がありありと窺えるのは効を奏したあかし、それぞれの顛末に疑問が生じておるのじゃろう、別にそうした心算が働いたわけではなかったが、疑問が残るのは当たりまえだわな、謎を明かせば忽ちうなぎが躍り出る。おおいに首を傾げていてくれればそれでええ、だが、間延びしてしまうのは茹で過ぎた素麺をすするごとくかや、疑念が点じている矢先こそ、話頭を転じるに格好と読んだ、そこですかさず、ねえ、古次さんだってさぞかし辛酸をなめたのでしょう、と一言、相手の瞳に吸い取られそうなか弱をさらす。あとは返答を待つのみよ。
さながら共犯者の心情、拭われるはずもない罪の精は時間の裁可から放免され、ある固有な形態に近づこうと躍起になる。そのとき、わしの大仰な悲哀はすっかり古次に絡みつき、耳目はもちろん小さな毛穴からでも菌が侵入するごとく乗り移る、これはあくまで側面の見方、異なる角度から判ずれば古次の理性が正確に動き始めたといえよう、邪性ではないよ、あくまで理性じゃ、そう信じることでようやくこの下男は汚名を晴らそうとしている、誰しも同じものを抱えておるわ、根っこに眠る生き物と共存せよ。ただし両目が爛々になるほど目覚めてもらっては困る、かといって惰眠をむさぼられては馬力どころか、鼻水も涙も出てこんわ。
ともあれ、企みというより咄嗟の機転は古次の胸を開かせるに至った。正直わしは有頂天だったわ、覆い被せたとはいえ、ここに来てやっと淡々とした日常から解放される、観劇の居住まいではなかったけど、まさか斯様な戦きの重しがのしかかってこようとは、このとき夢にも思わなんだ、、、」


[304] 題名:妖婆伝〜その二十五 名前:コレクター 投稿日:2012年10月15日 (月) 00時58分

「とまあ、その日はいつもの鬱屈した気分に傾くことなく、相変わらずぎこちなく間を置いた内弟子らに、わけても阿可女にはおそらくここに来てもっとも晴れやかな笑みを投げかけたのよ。怪訝な表情をしておったわ。古次と速やかに通じているなら、すでにわしの詰問めいた口ぶりは耳に入っていよう、しかしあの小さな困惑はどうして演技とは思えん。人間すきまをいじられると微妙な反応をしめす、日に日に落ちこんでゆくわしの顔色を順当と思いなし、説明し難いがそうした目色、なにやら透徹した意向があるとみて間違いあるまいて、その効果として意気消沈するのが自然の流れであったなら、わしの黄金の笑みはさながら気狂いに映ったのだろう。阿可女だけでない皆が同様じゃ、ほんのひとときにせよ、わしはようやく観察眼を落ち着きはらい持ち得た。あとは再び無言のあしらい、そして細々とした雑用は手厳しく容赦ない。無駄口のなかったのは幸いよ、お陰で悟らぬようちらり横目、あるいは遠目から素知らぬ顔で用をこなしながらうかがう機会は多々あり、それぞれの容姿を把握するとともに、その気質を汲み取とることが出来た。
とはいえ、所詮は阿可女のすがた追いに執心しておるのは認めるしかない、あろうことか一目惚れかや。いいや、初見に生まれるのは単なる偶然、しかしその萌芽に促されるものは、きっかけとして胚胎しているものは、かつて見知った面影に限りなく近いようで、実はとりとめなく、まだ見ぬ恋仲のひとを写し取っているふうな、恋情のみが募りだす悪夢に似てもどかしいばかり、二度三度よくよく注意し眺めるに至って胸にじんわり、気がかりな様、小雨に等しいわ。やがて強く激しく、ふと我に返ったときはすでに遅し、あらぬ恋ごころと訝るほどに初の対面が鮮やかによみがえる。気はそぞろ、掌はなにをつかもうぞや、小躍りしてみたくなる驚きとやるせない潤沢が交互に、もしくは入り乱れ、胸いっぱい。そんな胸中の片隅に忍ばす毒針、斯様な想いはまやかしぞ、仇をなす、害をなす面影にひと差し、するとちくり痛む、鋭いようで柔らかな痛み、不親切で得体の知れぬ、けれども不思議で美しい阿可女が恋しい。
わしはおのれを虜にした風姿なぞ見つめまいと片意地を張る、張ると同時にあの不安を肩代わりする仕掛けを思い出し、ちょいと舌打ち、が、この開き直りは理屈をくぐらん、新たな代替はごん随を筆頭に、の毛子、白糸ら三人の捨て置くには惜しい容色、まず随門師匠の姪御かや、しみじみうかがえば、なるほど年増に感じる所作がなくもない、顔のつくりは秀麗ながらいささか肌のくすみ、おしろいの按配を知るほどに残念なのは仕方あるまい、一見きゅっと雪を丸めたふうな美顔に感じ入れば、その控えめで優し気な目もとやつんと澄ました鼻筋の線の細さも可愛らしく、往年の色香が偲ばれるというもの。類推かや、違う、違う、熟視のさきに浮き上がって来るのは紛れもない阿可女のまなじり、やや吊った大きなまなこ、その黒目の存在に隠れ、いつぞやの柔和な笑みをもたらした、あたかも橋のたもとの緩やかな水際を彷彿させて、本来はたおやかであろうことを願わす滑らかさ。ちから強く届けられ勝ちなゆえに優しさをたたえることも、さっときつくもなる瞳に吸いこまれてしまいそうじゃ。天の悪戯か、それを補ってやまない一途に跳ねた、が、流麗な文字のような眉、、、いつの間にやらこの始末、散漫なるはていたらくかや。今は三人の門弟を、阿可女に勝るとも劣らないおなごらを鑑賞するのじゃ。
の毛子とは変わった名であるが、その由来を知り得るより、うら若さでいえば、とりすましたふうな姿勢についつい見失い勝ちであろうけど、おそらく一番の年少であるまいか。機敏な目つきはいかにも隙を与えない動きであろうが、裏返してみれば気弱なまだまだ神経の定まっていない、初々しさを、あるいは生娘らしさをよく示しておるように感じられる。わしに家事を申しつける言葉づかいもときにきつく聞こえるが、たとえば、小夢さん、戸棚の奥ですからね、間違わずに、と語尾をしっかり結んだふうではあるのだけど、ちょうど寒天でも噛みしめたように柔らかく、ひんやりした余韻を残し、それは冷たさというよりか、大人びた言い方を望んでいるようであり、その背伸び具合から少女特有の一途な純情がかいま見える。憂いを覆い隠そうと努める反面、より大仰に顔色へ浮かびあがる物怖じは、昨日今日の滅入りなぞ二三日もすればさっさと忘れてしまい、明るさを取り戻せる活力に満ちていようぞ、そっと沈める宝石のありかを信じていることでな。いらぬ事を口走ってしまった悔恨がすぐさま、陽気なさざ波となり、こころの乱れを穏やかに現すように。
雪肌とまではいかないけれど、の毛子の面や首筋には溌剌とした艶があり、ほんのり紅をさした唇の愛らしさ、頬にまで伝わったかの血色を讃えてやまん。怯懦ゆえの眼光を放っていた双眸は以外や小粒、ただ睫毛の張りは可憐というより勇ましく、このおなごの気性を物語っておる。小柄な体躯は肉付きがよさそうで格子縞の着物まで健やかに映るわ。さて少女の面影宿りしの毛子、わしをどう案じておるのやら、いやはや皆目見当がつかん、若さゆえの傲倨とてこちらの穿った見方も加担しているようにも思え、親和の情がない限り、まあ憶測を差し引いてみたとしてやはり見下した態度には変わりないわ、かといってそれが明確な敵意であるとは感じん、しばらく様子を見るとしよう。
白糸とはまた優美な響きを持っているが言葉の聞こえ、あまりしっくりいかぬわ。しっくりどころか苛立ちさえ惹き起こすあり様、そりゃ見た目には柳腰のすらりとした風姿、はかなげでありながら中々の存在感、あんただって道ばたですれ違うたら思わず振り返ってしまうじゃろうて、着物は銘仙で燻った藍色のべっ甲柄を一層目立たぬよう織られた白地の清さ、まさに呼び名にふさわしい着付けぶり、黒髪のちょっと湿ったふうなのも情趣に富み、これで流し目でもされたら背筋どころか全身おおいに感ずるに違いない。ところがこの白糸にはそんな風流な仕草なぞ微塵もないわ、白地が潔癖を主張してみせるようその性分ほんに汚れを容赦せぬ、自らの挙止は無論まわりへ対する落ち度や失策に情けはない、やり手婆とも厳格な武家の奥方とも似たる性情、あれほどの細かさは潔癖を通り越して痛々しくも剣呑じゃ。で、顔つきはといえば、決して鋭いまなざしではなく、眉間にしわも寄せておらん、いたって涼し気な表情を保ったままで、どこからあんないけずな文句が出て来るのやら、どうにも腑に落ちんわ。閉ざされた口もととて実に穏やかそうで芳しい、精々あらを探すのなら小楊枝を置いたような眉のかたち、、、ああ、またもや阿可女にそれと比較しておる、あちらは流麗ゆえ格好の対比じゃわな。
わしは幾度叱責されたことやら、思い出すと腹が立つばかり、もっともわしの方にしばしば不手際があったのは事実、悪感情を除いてみれば、さてどう察しようぞ。面映いかも知れん、しかしながら白糸の性分は激烈だろうよ」


[303] 題名:妖婆伝〜その二十四 名前:コレクター 投稿日:2012年10月09日 (火) 02時09分

「日頃より無口なのは心得ておった。饒舌な阿可女と生き写しの面を持ちながら古次はこうも違う性向なのか、よろめいたわしをその腕で支えてくれたまではよし、が、秋波を送るよりもっとそつない哀し気なまなざしで、めぐる季節の情感を精一杯演じてみせても、異性に、いや他人に触れるのが忌避であるような気振り、冷淡な目線に忠実なもの言いで返される。かんざしでございますね、よく注意しておきましょう。礼儀正しさもここまで極まれば、さながら朽ちて傾いた板塀を整える如く白々しい、腕を離されただけなのに一歩も二歩も退かれた思いがしたわ。
しかし、ここで下がってはおしまいよ、すぐに真顔に戻り色香をさっと引きながら、無心で相手の目を見つめた。本当に無心であったか、それは自分では分からん、だが少なくとも邪念は取り払ったつもりじゃ、寡黙な古次には姑息な手は通じない、ならば弁明はいらん、もはや目論見なぞどうでもええ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、、、とやら。虚空を眺めているふうな視線は所詮空回りかや、故事は生きておるのか。一切合切捨てきれたのでない、菩薩が顕現したわけでもない、すべて無になってしまえば、なにも起こらんし、なにも始まらん、わしは永遠の静けさと縁がなかろうて、縁のなさが考えてもみなかった文句を口にさせたんじゃ、そうとしか思えん。
あろうことか算段において一番先に弾かれた愚直なうかがいが放たれた。古次さんは阿可女さんと兄妹なのでしょうか、とな。別に遠慮することでもなかろう、ただ新参者としての卑屈なこころが邪魔をしておったようじゃ、これだけ似ていれば誰だって口にしても仕方ない、そう仕方ない、古次の返答は面倒くさい、渋々といった調子で、はい、おっしゃる通りです、ことさら迷惑でないが、わかりきったことをまたぞろ持ち出されたというふうな面持ち、白々しさに加えて、こればかりは主従の立場から切り離され上位に臨んだと確信された嫌に低く明解な声色で、皆様はよくこう申されます、双子であろう。
ああ、日頃の煩悶やら、真理の探求めいた思惑がまたたく間に蒸発してしもうた。混乱と疑心で濁らせた浅き水たまりをな。で、景色の見通しがよくなったといわれたら、残念ながらそうじゃない、濁り水こそ体のよい隠れみの、臆病風の立てゆくさざ波に準じておる。要するに謎解きの看板を掲げることで不安を打ち消していたわけじゃ、焦眉の急でありながら地面の石ころを数えておるような薄ら寒い呑気さ、その場しのぎとも呼べん無邪気な発心、思えばこれまで似たような代償を重ねて来たわな。無心を軽く剥いただけでぼろが出た、底抜けに馬鹿くさい運命に対する好奇心、当然ひとりよがりの懊悩、毛が触れたくらいの痒さを痛みにすり替えては悦に入っておった。じゃで、たった今のうれしさはそんな空疎なからくりが吹き飛んでしまったよろこびに他ならん。たわいもない、、、
そうなると小夢を演じるのも投げだしかけない口調になって、いかにも関心あり気に、装うことを忘れた年増女のずけずけした問いかけに等しく、では双子なんですね、最初からそう見えますもの、いえ、訳ありなんてこと言いませんけど、同じ屋根の下に身を寄せてながらも、内弟子と下男ではねえ、、、あとを埋めるのは古次の役目であるよう下卑た余韻を忘れない。訳があるから身分の隔たりが生じているはずよ、ここで遠慮しておくのが人情、だが、わしの跳ねっ返りは悪意すらはらんでおらんのか、臆面もなく、古次の表情の変化を見つめていた。よそよそしく感じられた態度とて実はわしが過分につくりあげたのなら、相手の反応は自ずと明らかになろう。そうじゃ、困惑しつつも下男の身を嘆くよう事情を話し始めるのか、随門の命であるからとか適当な逃げ口上に至るのか、古次にとってはふたつの選択があるのだが、わしにしてみればひとつの方便があるのみ、無慈悲な好奇心の刃によって謎はさらけ出される。安寧を置き忘れた鞘と共にな。
覚悟と映ったのか、それならそれで微笑ましい、どちらにせよ、関心の的はわしの胸に収まっておるはず。たどたどしくてもかわまん、出来うる限り不幸な生い立ちを聞かせてもらいたいものよ、さもないとただの暇つぶしでしかないわ。確かに古次と阿可女は寸分違わぬ美貌を持ち、わしを魅了する、が、異性も同性も女体を通じてここまで知って来た、そう簡単に見た目の美しさで惑わされるのは心外、おまえの容姿は鏡に映えるだろうが、影に振幅は備わっておらず時間を知らん、わしの感覚が刺激されてようやく線になり、その線が震えることで十重二十重の輪郭を生み出し、ひかりを放つのじゃ。
あらかじめ用意され整った器量なぞ幻影よ、更なるまぼろし作りとあんたは言いたそうだが、わしは時間の翼に触れておる、かつてあった美貌を含め重層的な光景に出会う、その為に悲劇は細心の注意をはらって正統な綾を紡がねばならん。お分かりかや、ほんの立ち話、交情となる、よろこびは地面に転がっているのじゃ。古次には分かったろうて、理屈でないよ、わしの絶望が、、、おっとまえにも言ったわなあ、絶望するのだって馬力を要求される、夜が深まるから脆弱さを売りに出歩くのでない、意識は研ぎ澄まされ余分な脂肪がそぎ落とされることで身軽になって、神経に働きかけようぞ、眼ではとらえられんもの、そう、幽鬼の気配が迫り来れば理知は放擲され、美醜の判断は厳粛な無知に委ねられ、こみ上げる官能に守られて、切ない情趣に結ばれるのよ。恋心の彩りと伴走するのは紛れもない、哀しみじゃ。わしはその音色を好む。
ほんのわずかだけ萎縮した古次、早朝の冷気に身を縮めたというふうで、けれどもわしの気安い口ぶりが功を奏したのだろうか、低い受け答えから変調、若者らしい陽気で屈託のない一面を披露する。血色のよい唇から白い歯がのぞくと、朝陽のまぶしさにときめきを覚えてしもうたわ。
委細は語れませんが、わたしは罪を犯したのでございます、、、阿可女とわたしは師匠の裁定のもと斯様な境遇に甘んじているのです。と古次の言い様にためらいはない。なるほど、そう来たか、委曲は尽くせんが、随門の圧力は明快に知らしめておる、鮮やかな返答じゃ。兄妹間の咎とやら、空想の俎上に見事乗ってくれた、悲劇の幕開けにふさわしい、いずれはその顛末もうかがおう。ひとり合点、晴天に届けたい気分よ。
特に不審気な顔つきも見せぬ古次、なら憚りもなく続け様にごん随のゆえんも訊いてみる。噂好きの無粋なおなごと思われてもかまわん、だが、いくらかは遠慮した目つき、斜に下げまだ濃くはないおのれの影に問うよう。すると思いのほかあっさり、ええ、師匠の姪御にあたる方でしてゆくゆくは家元を継がれましょう、なんでも早くに両親を亡くしましたそうでここの最古参、御若く見えまするが。
これには得心と同時に少々驚いた、成りゆきで古次の年を尋ねてみたのじゃが、この香り立つような美青年はしっかりした雰囲気のせいか以外や大分わしと離れておる、ならば阿可女もかや、このふたりと比べてごん随はさほど年増とは思えんかった。年格好が似ているはずの阿可女はまだまだ妙齢、その年頃と大差ないと踏んでいたごん随はかなり年配、してやられた感を禁じ得なんだ。もっとも随門師にしてからその風貌老いを駆逐せん面構え、華道に専心する身はかくも若々しいのだろうか。なら阿可女は駆け出しかや、で、古次が口にした罪とは如何なる、、、疑心暗鬼から転じた好奇はするりと桃の皮が剥けるよう小気味よい手応えになった。今日はこれくらいにしておこう、深追いは禁物じゃ、まえの屋敷でもう懲り懲り、どこに探索の眼が光っておるかわからん。けども阿可女の美貌、古次に被さったとはいえ、やはりこころ惹かれているのか、としたらこの華やぎとまでは行かないがこざっぱりした気持ちは、、、そうようなあ、まるで夢の情事のあとさきみたいじゃ」


[302] 題名:妖婆伝〜その二十三 名前:コレクター 投稿日:2012年10月02日 (火) 03時26分

「夢の明晰さとはうらはら、翌朝の身支度ともども細々した光景はどこへやら、よほど意気込んでおったのか、さては緊張かいな。朝の挨拶にうかがったはずの随門師の面持ちも忘れてしもうとる。これから如何なる生活が、いや、境遇が待ち受けていると案ずれば、身のまわりの些事なぞ眼中にあってなし、もっともまなこはしっかり見開いておるものの、ちょうど浮ついた気分に等しく収まるべき視点が結べんかった。唯一中庭にさほど大きくもない池があり、朝陽を勢いよくはね返していたのがまぶたの裏にきらきら、魚影を探るのが努めであるかのようにじっと見つめた素振り、気恥ずかしくよみがえってくるわ、空疎な居ずまいよ、反照のまばゆさとてわざとらしい、池の水面を撫でゆく微風の思惑にさえ及ばん。
思い出のひとこまは隅々まで、そうじゃ、四角であろうが楕円だろうが、その鏡に映りこむ様子は常に曖昧模糊として、中心あたりにだけ華やいだ色彩を残していったようだわ、華やいだといってもどぎつい印象の域を出んかったし、そう照り返すのが宿命みたいなものじゃったから、一見あわてているふうで内心は落ち着いていたかもな。回想とは緑葉を透かし見るに似ている、薄様に遊ぶ影とともに。
とにかく昨夜の心持ちから少しは解放されていたようだわ、それくらいの記憶は留まっておる。
ちょいと町並みを、なに、これは後々見知った景色じゃ、あんまり外出する機会はなかったけれど、一応説明しておこう。
険峻な道中、まことにもってしかりじゃなあ。そよぐ草木はおおよそ浜風のしわざ、そろそろ秋の気配が近づいてはいるが、見まわすまでもない、三方押し迫るような山々の濃い緑まだまだ陽光に甘んじ、白雲垂れながら均一な青みを失わん空模様、稜線を明確に描いてやまん。ひとっ飛びに駆け上がりたい衝動がわいて来るのが自然よ、可愛らしい笛の音を想わせとんびが旋回すれば、空の高みに吸い込まれ、遥か彼方まで舞い上がって行きそうで気分爽快、消えた鳥のゆくえを追いながら、南の方角に白浜を覚える景観、猫の額ほどの平地に民家はところどころ寄りそっておる。山肌が間近に感じられるくらいじゃで、河川の水かさも雨脚に左右されるとみて、三つの川は中々幅があり流れも早い。北の縁には神社仏閣、そこから浜に至れば、ちいさな港ながら漁師に交じり商いの衆も少なからず、桟橋より船着き場に沿って遊郭の並び。随門師の住まいからは色町を望めんが、裏山に、山というても小高い丘ほどでな、そこからゆき交う船の影がかろうじて認められ、陽の傾くころ合いには灯火が一列に浮き上がって見える。初めての晩に誘われた潮騒とて滅多に届いては来んのだが、あれは夜風の加減かのう、それと潮の香りもいつしか気にならんようになった。慣れは良いものじゃ、耳鼻に伝わる刺激をまろやかにしてくれる。もちろん気持ちの変化にも、、、
さてと、町案内はそのうちあらためて、悠長に語りたいところじゃが先に進もう。この屋敷の主は紛れもない華道の師匠、広々とした庭園には季節の草花がところ狭し植えられ、門弟らしき人々の出入りは頻繁でな、阿可女の他に内弟子の女人三名、住み込みの下男、おっと、追々詳しく聞かせるがこの下男、まるで阿可女にふりふたつ、いやはや双子といわれても異存ないわ、これらの者が甲斐甲斐しく立ち働き日々精進しておった。というのも、まえの屋敷とは異なり少数精鋭なのか、質実な家風なのか、飯炊きはむろん清掃に洗い物それら家事を下男ととも実にきびきびこなすのじゃよ。役割分担をするようでな、向こう何日はこれこれの担当と決めておる、わしは不慣れどころかお人形さまで通して来たからのう、ろくすっぽうお茶もいれられんかった。
随門師、阿可女らはその辺の事情を分かっていたのか、平身したくなるほど気優しく対応してくれてのう、じきに手足が慣れるでしょうから気楽にやって下され、こう申す始末じゃ。更に感激したのは、追って花の方を修行される身なれば日頃の手仕事はその下積み、わたしどもと一緒に専心いたしましょう、生真面目な表情の中まさに花が香るような澄んだ色の声、目線を合わすにもうしろめたい気がしていたら、すっと手を取って、しみじみ見つめられる、が、なんとも名状し難い気後れに反対にほだされ、涙腺がゆるみかけてしもうた。知らぬ間にわしを取り囲む人数、阿可女に手を握られたまま見遣れば内弟子のすなわち、白糸、の毛子、ごん随の三人だったわ。その刹那あたまをよぎったものがある。そこそこの門構えながらこじんまりした一統、しかし濃密な人情、修行一筋、質素倹約な様相があまりに奇麗すぎる、、、ああ、又しても陥穽かや、、、
懸念を保つ間はないはずだった。とにかくわしは我武者らに働いたからのう。決別と呼ぶべき夏はとうに過ぎ去り、山々も庭の景色もすっかり紅葉に染まって乾いた空気がときおり鋭くひやり、天高くも気分はそぞろ、いやいや、精進したつもりだけれど日々の働きが板につけばつくほどに謎めいた箇所が立ち現われてくるものよ、夕餉の片づけなり湯殿の支度を終えると、内弟子らは随門師の部屋へ籠ってしまう。日中も手のあいた者は教えを乞うておる様子だったが、当然わしに声はかからん、と同時に阿可女らの態度に嫌みや蔑視はないものの、先日の激励の口調とはいささか距離があるよう感じる、これも精神鍛錬かとおのれに言い聞かせてみたが、胸のうちは穏やかでない。はっきりはしておらんけど下女扱いにしか思えん、普段の会話なぞまるでない、ここは修行の場、言葉をひとつ交わすのも作法ありきかとうかがっていたんじゃ。ところが実情は違う、わしがいてもいなくても内弟子らはなごやかに無駄話しに興じておる、別に下女なら下女で上等なんじゃ、こうして住まわしてもらえるだけでありがたい、今更こんな愚痴を吐ける身分でないわ、三たび修練と思いなし、阿可女たちの顔色から目をそむけようとした。それが逆に増々不安を募らせ、考えたくもない陥穽という言葉を呼び戻した。次の日からはあたまのてっぺんに穴が開いた気がし、ぼんやりと蓋を探しておったわ、、、ああ、さほど苦痛でない、むしろ自由であるのかも知れん、そこで手持ち無沙汰なればあれこれ考える性癖がもたげて来たというわけじゃ。
いいや、食い物のことではないわ、聞かせた通り質実な生活、取り留めまでもなし、ましてや生唾をのむような珍味なぞあり得んかった。まず内弟子のひとりごん随がどうもその名から察せられるよう近親者であるということ、それに下男の古次の容貌、見れば見るほどに阿可女そっくり、この二件が気がかりで仕方ない。まさか新参のわしから他の誰かに、そうなんじゃ、他にっていうてみてもわし以外は鉄の絆でつながっていて、とても割り込める余地はない、ここはひとつ空想をめぐらすかと言いたいけど、置かれた場所が狭すぎては羽がはばたけん、黙って精進するしかないか、余計な神経はもう沢山、そうだったわな、と諦めかけたそのとき、まさに天啓じゃ、場所のせいにするとは情けなや、ありきたりに直接に真意を問うなど愚の骨頂、誰彼でないわ、どうやったら謎を知り得るか、その為にはどうしたらよいのか、考えてみればよい、すでに実証済みだろうて、妙の裸を想像してから交わりに至るまでどのように勘案したのか思い出せ、欲情にほだされた故であったが、今の疑問とて衣服のすそをめくるような色香を含んでおる、さあ、そこからはとんとん拍子で、あたかも血のめぐりが良くなった指先の如く動き始め、事は算段された。
一か八かの賭けに等しかったが理はかなっていたわ。つまり随門師をのぞく異性は下男の古次しかおらん、色仕掛けすれすれですり寄れば他の者より胸襟をひらくであろう、よもや衆道では、いや、それはどうだろう門弟は子女ばかり、男色の輩が斯様なところで燻っておれるものか、待て、随門師の相手だとすれば、、、これが賭けよ、とはいったものわしはそれとなく古次の仕事振りを眺めておってな、随門師の身辺はやはり内弟子らが世話をしていて明らかに下男の出る幕はない、これも偽装だと疑ってみるのはどうかや、人の出入りする日中はともかく夜間まで一体誰を欺く、まさかわしをかい、通達はなされているはずじゃ、わしに関する様々な事柄は、、、これで決まりだわな、さあ後は古次に接近するきっかけ、、、あんた、歯がゆいだろうから、行動に移したところまで端折らせてもらうよ、はははっ、、、
冬の冷たさを先んじて感じる晩秋の頃、長雨の日が続いたある日和、早朝など吐く息が白くなるよう錯覚してしまう。これはいい按配じゃ、ふとした思いつきを胸にかねてより暖めておった企てを実行するときがやって来た。薪割りやら落ち葉集めに精を出す古次、その日わしはなくし物をした振りで挨拶もせわしなくあたりをうろつく。下男らしく寡黙な身構えはかえって好都合、小声で、ほとんどつぶやきでかんざしを探す素振り、執拗に。
渦巻きに乗った小舟が中心に運ばれる如く、わしは古次に歩み、つまずき、よろめいてその腕に支えられる。はっとした目のひかり、吐息は白く、だが情熱を秘めたくちびるの紅い艶は古次の眉間にとまどいを、頬に証明できぬ親しみを投げかける」




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