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[135] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット17 名前:コレクター 投稿日:2010年10月19日 (火) 05時31分

息子の口ぶりにあらぬ気をめぐらせてみる機微もどこへやら、怪訝な目つきを投げやる身ぶりは空っ風に吹かれて舞い上がる木の葉のように軽やかであった。
片方の視力を失ったにもかかわらず半ば虚勢を張っているかの面持ちが痛々しくもあり、逆に初々しくもあり、孝博は多少戸惑いを憶えたものの、非常によく映える鏡と、まったく曇りきっている鏡を同時に眼前に並べられたような心地のまま、微笑が張りついている慰みを知った。彼女やらを伴ってと云うもの言いには健全な虚脱感が備わっていたし、何よりあべこべに頼もしさが授けられているようでうれしく思えた。ただ、うれしかった。
久道の件はあれから一向に進展なく、事件性の片鱗も見せないうちにいよいよ過失による事故死に収まってしまった。遺体が発見されたのはあの日誘われた堤防の外海に敷かれたテトラポット、どの辺りで足を滑らしたのか確定出来なかったけれど、後頭部に相当な打撲の痕が残っており、失神もしくは甚大な衝撃によって助けを求められないまま潮にのまれたとの見解だった。当日の夕暮れ、家人には行き先こそ報せてなかったが、玄関を出る際にはしっかり応答していたことや、満潮を迎えようとしていた時刻であったこと、翌朝になっても帰宅して来ない主人を心配して方々探しまわり到頭、捜索願いを出してから程なくして偶然釣り人によって見つけだされ、死後数時間だと推定されたことなど本人の思惑とは無関係そうな情況だけが確認された。これら以外に不審となる要素もなく、遺書も残されていなかったので家族も世間も不運を嘆くより仕方がない、三好から伝えられた情報のあらましはあまりに手短かすぎて、孝博の胸に収まるには容量が少なすぎた。
ではどれほどの実情と語り口を欲しているのか、そう問われてみてもどう答えられるのか、よく分からない。ひとつだけはっきりしているのは、恐ろしく困惑したすがたが不動の影となって立ち尽くしていて、一切の価値観は野方図に散らばってしまい、それは漆黒の巨像が立ちふさがっているからに違いなく、そうなると散らばってしまったものを少しでも取り戻す情念だけが、無意味な価値だと了解しながらも膨満感を得る為に、容量を満たす為に、小さくまるめられた奇跡を気ままに想い描いている薄ぼやけた輪郭線の存在だった。
不動の影はそんなに絶大なのか、重力と同じくらいに完璧なのか、、、木漏れ日を受けながらゆれる木の葉は無言の裡に、さざ波にも呼応する流麗さのはじまりを語りだしているではないか、そして木陰こそ日輪との対話を慈しんでいる。
孝博は薄ぼんやりと自らの居場所を確信していた。しかし、事の善し悪しにしろ、ふたりの人間、ひとりはすでに死人であり、もうひとりは血をわけた息子、彼らとの結びつきに共通項を見出してしまうのは心もとないだけでなく、あまりに倨傲な意想に感じられ、勝手な穿ちによって聖痕を現してしまうのだとか、偏頗な熱情が実はすべてを鎮静させているのだとか、思弁による仮説と実際の心情が切り離なされるのはほとんど困難であるのを知悉している。
久道は所詮他人であるし、美代にしても心奪われるほど魅了されたわけでなく、夢見がもたらした奇妙な符号に折り合いをつけ、後は机上の論理なり文献なりで秋の夜長に溶け込ませれば、掌合わせ読経を唱える心境に近づき静寂を得る。ここから先を探索してみたところでどんな成果が待っているのやら、確かに故人から示唆されたとしかない「探偵」と云う言葉だって彼自身を形容していたけれど、きっかけはどうあろうにも、気がかりな箇所に立ち止まれば、そして見つめてしまえば、意味合いは深みを速やかに形成し、そう単純に、極めて曖昧に、あるときは反転する位相で本来の切り口は葬り去られ、新たな視座が正門のごとく威風あり気に開かれる。
孝博の憑依とは進んで選びとった方便なのであった。消え失せるのは自意識だけではない、取り憑く相手もまた同じく、エネルギーが消費され何かが失われるはず、さて補填されるのはどちら側からか、それとも元素ように不変の循環を繰り返すと云うのか、ならもっと万全の心構えで臨もう。旅人と成りすましさすらっても安全が保障されているから、、、時間も加担してくれれば尚更ダイナミックな遊戯が約束されるではないか。
晃一の共感を素直に喜べるのも、またして危険な橋を渡らせてしまうと云うよりは、そもそも危険な橋が問題なのでなく、その足取りがとにかく一番大事な問題なのだ。軽やかな道行きを決意したのも、軽やかな風向き、久道が遺書を記さなかったのも奇跡が的外れだっただけ、が、憑依の形相に耽溺する為には少々と模擬試験をこなさなくてはならない。現実には本番なのだろうが、死者からのメッセージを直接受けとれない以上は色々と想像もめぐらせながら現地調査に赴かなければ、、、
そこで孝博は我ながら呆れてしまう空想をもって祈願とした。
「遠藤になりかわり、美代の首すじを咬む」
無論それは晃一には話していない。久道から聞き及んだ年少時の体験も同様に。息子の知るところはおそらく例の吸血事件にまつわる耽美的な香りと、その兄の死だけだろう。
帰省の日取りを四十九日と定めたのは別段揺るぎがたい理由があるわけではなかった。ただ気運が負のベクトルで解放され、歴史の彼方へしめやかに帰ってゆけるだろうと願ったからである。美代が葬儀に現われなかったのを知り得た時点より、祈願は増々、妖しく募りだしていた。
その日が迫ったある宵の口、孝博は晃一を呼んで一枚の記念切手を見せた。
「おまえは小さい頃よくこの切手を見せてくれって言ってたよな、憶えているかい」
「小林古径の髪だろう、当時はもちろん名前は知らないよ、でも切手趣味週間って漢字はあのあと書けるようになったんだ。ああ、それからもふとしたことで思い返す機会があって調べてみたよ。それに父さんはこれ一枚だろ、ぼくはシートで買ってもってるよ」


[134] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット16 名前:コレクター 投稿日:2010年10月19日 (火) 05時30分

そっとそっと静かに、聞こえてくるはずの気配まで消し去ってしまうほどに、耳を澄ましてみても孝博には何も聞こえてくるものがなかった。
書き記されたもの、断片的でもいいからどうにか、何かを示唆するようなもの。
「主人は読書の割合からしても、不思議なくらい文筆をとることはありませんでした」

四十九日にして再び遠藤家を訪問するまでの間、孝博の胸裏に去来していたのはあまりの出来事に動転し発生した気泡と呼ぶべきような、目に見えない騒乱であった。見えないうえに聞こえてこないのだから神経ばかりが荒ぶれるのかと云えばそうでもない、持ち前の分野も手伝い久道の教訓よろしく「学術的」に見極める精神だけは従容として、確定とはされていない故人の死因を追求しようと躍起になっているのだった。
突然の悲報はやはり三好の家から送られた。帰京の日、遠藤を尋ねたことをさり気なく話しておいたのがせめてもの救いとなり、日頃からこまめで気のまわる性格な三好は案の定、先日のペナントにからまった綿ぼこりのような軽やかな記憶から何らの直感を得たのか、死体が確認された翌日に連絡を寄越したのである。
「孝博さん、確か帰りの日にあそこへ寄っていったでしょう。歳も近いし懇意だったら知らせといたほうがよいと思ってね。急だったし、それにあんた死んだ原因がどうもよくわかってなくて、事故死か自殺かって近所でももっぱらの噂でさ」
目耳に水とはまさにこう云った事態を指すのだろうが、新聞報道では誤って堤防から落下し水死と書かれており、今のところ三好にも事実の判断はつけ難い様子で、動揺あらわなまま、咄嗟に事の真意がわかったら是非とももう一度電話して欲しい、実は遠藤とは小さい頃の遊び友達で数年まえから帰省したのは知っていたけれど、中々顔を会わせる機会もなかったものでと言いつくろい静かに受話器を置いたのだった。
鼓動が高まるまでどれくらいの時間を要したのか憶えていない。先日の帰省がつい今しがたの光景となって眼前に押し寄せては来るのだが、ほとんど現実感のない久道の悲報はそのまま、次々と宙に浮かんでは消えてゆくシャボン玉みたいで実体がなく、あるいは意味をはらまない字句が、それはちょうど幼い時分目した漢字に何の意義を認めなかった有り様を想起させた。
寝床に就く頃になってようやく想いが姿となり始めだし、胸騒ぎになだれこむと感じられたのだったけれど、不気味なほど沈着な悪鬼が先に顔を覗かせひたすら呪文のごとくに「自殺ならば遺書がある」と、心音を鼓舞する勢いで一種の統制を司るのであった。翌日からは更に呪文は長文と成り果て、「遺書は必ずここに送られてくる、送られてこないのは何かの手違いによるもの、そこにはすべてが書き示されている」こう狂わし気に唱えられた。
孝博はこんな脅迫観念めいた意識が発生している自分を見直す力が微かに残っている感覚を保持し続けていた。裏返しにみれば、悪鬼を前座として胸の裡に登場させてから、つまり悪夢に席を譲ったのち落ち着いて窓枠を見つめられる勘案であった。三好に対してもあちらからの知らせばかりを待つだけでなく、こちらからそれとなく動静を窺う、これが三日も続けくとさすがに、
「そんなに気になさるんなら、少しでも情報あり次第ってことでどうぞ安心して下さいな。変なふうにとらないで、、、もしや孝博さん、あの日何かあったんですか」
と、いよいよ勘ぐられる始末だったが、「いえ、少しばかり悩んでいる様子だったんで気にかかりましてね」如何にもまっとうな返事はすぐ様に三好の曇りを払い退け、同時に孝博自身にも陽光がきらめいて悪鬼の類いは陰りを求め消えて去ってしまった。
それからは無音の世界を彷徨うまでだった。三好からの報告がない限りは、孝博の心持ちはひたすら滝に打たれ続ける修験道者のごとく無心であった。ならば邪念こそは、久道の事故死の可能性に結びついてしまい清められた精神を蝕む。過失にしろ高波にしろ、彼は決して不慮の死などで命を断たれることなどあり得ない、ただただ明徴に記された遺書とともにこの世をあとにしたのだ。そうでなければ、すべての辻褄が合わなくなり、そう、何より美代にまみえることも出来ない、自分は宗教学者として久道が開いてみせた超越の秘密を探求しなければいけない、、、続編も予告編もすべてはこの手で編み出さなくては、、、残さるべき遺書を唯一の教本として。

孝博の日常をよく知るものらにとっては彼の顔色や表情に別段変化を認めることもなかった。だが、本人が何より一番よく理解していた。すでに久道のもとへ臨んだときから確実に憑かれてしまっている。いやもう少し前からとも云えよう。何ものが憑依しているのかはまだ判然とはしなけれど、いつか目にした夜の河川には存在していない特別なものだとは言い切れる。
日々は流れるが、未だ孝博には情報がもたらせらない。四十九日の法事が最期のよりどころであるのは瞭然、差し迫ってきた以上は、腹づもりは出来あがっているのだろう。遠藤夫人とは面識ないが、どうしても差し向かいで話したく、出来るなら久道の日記や研究書など拝借したいものだ。ここまで来たからには恥は承知のうえで事の次第を説明してみてもかまわない。そんな久道のよき理解者がひとりだけいた。
表面的には健常者を演じているつもりでも「僕にだけは見えてしまうんだよ」そう、あのまちで悲運を起こしたけど、今では隻眼の勇者と呼びならわれている一人息子の晃一だった。
「まだ、学校夏休みだからさあ、その日は用事があって無理だけど追って帰省するよ。いいだろ、もう女にうつつなんか抜かせないから、ついでにつきあってる彼女も一緒に連れてっていい。大丈夫、邪魔にはならないから、約束するからさあ」


[133] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット15 名前:コレクター 投稿日:2010年10月12日 (火) 03時42分

「果たして遠藤はあれですべてを語り尽くしたのだと了解するべきなのだろうか、、、少年時の恥じらいで清らかに守護された記憶が奏でる綾を、、、」
孝博は己の小首を傾げる仕草さえもどこか見え透いた演技に感じられた。実際に彼と妹との関わりを何もかも知り得るのは不可能だけれど、もう少し背丈も伸びた年頃の、いくら干渉や会話がなくなってしまったとは云え、例えば中学にあがれば少女なりにもいくらかの気丈さと、その半面の覚束なさから独りであるべきより似たものどうしのつながりを求め、それなりに親交が育まれるもの、日に一度は顔くらい合わせていたはず、放課後や休日も含めて妹である美代に交友はなかったのか、そこから些細な印象でもよいから思い出せることがあったのでは、、、
つまるところ彼は補足と繰り返しながら、不透明な感情に見守れつつ自身の汚点を浄化させようと懸命であったとしか思われない。あれから確かに兄妹の時間系列を明瞭には聞かせてくれたものの、口頭で勢いよくついて出た微に入り細に入りなど至ってはなく、むろん今となってはどうしょうもないのだけれど、、、せめて肝心の妹を見舞ったと云う箇所を詳しく話してもらうべきであった。聞き手に専念するあまり魂まで預かりものにされてしまい、踊らされた挙げ句の大失策とさえ呼びたくなってくる。
それにしても、何の根拠で自分と美代が顔を合わせる機会があるなど明言したのだろう。ああ言えば呪縛されたように彼の言霊に憑依してしまって、又あのときははっきりしなかったが、探偵に同一視したなど大げさな文句と、次に吐かれた「わたしとは別な角度で」や再三強調された「学術主義を援用させて」の意味あいがまるで魔術のごとくに、あぶり出しとなってこの胸に焼き付いてしまう。

孝博は遠藤家を訪れた理由が忘却されている様を、こうした姑息な探索へとめぐらすことで打ち消してしまおうと願っていた。久道のひかえめだが高圧的な口調に辟易するどころか、大いに同調してしまう胸の高まりには冒険にも似た危うい波風が音もなく、しかしそれは血流が波打つ本能的な謌と同じで、どこまでも律動する肉体、、、、、、心模様であった。
所詮ひと事でしかない災厄の是非に捕われている身分なら、どこへまぎれる必要もないし、逃げ去ることも罪ではない。が、堂々巡りと化した問いかけはもはや心痛でしかない有り様を認める為の猶予だとしたら、孝博の願いは次第に満ちてくる潮のごとく残酷な自然さに包まれている。
正午を尻目している模様を多分に意識しながら、それはもちろん両者による思惑が稼働した結果なのか窺い知れないのだが、初対面からしてみると妙に気心が通じたふうな庶民的かつ牧歌的な昼餉の振る舞いに圧倒されたと云うより、共感してしまった事実もさり気なく風化されていて、幾らか葛藤は生じてみたものの今からすれば、何より緊張をほぐすことを主眼にこの気安さが演出されている現場へ立ち尽くす自失を確信する防御なき防御を得るが為であり、大仰に焼き飯を頬張った安楽さもさながら晦渋な詩歌を流し読みにする心持ちであったはず、夏の陽が長いのを幸いに自ら遊戯心をもって緊張と対峙した気負いなど最初からなかったと言い聞かせてみる。腕時計に何度も目をやったのも思い返せるし、食事中はさておき会話とてさほど留まるのを知らなかったわけではない。それに今日一日ですべてが白日の下にさられる期待も抱いてはいなかった。新たな機会は孝博の都合と意欲でいつでも可能であった。
「どうです、散歩がてらに浜の堤防のほうまで行きませんか」
異なる方角より話題は深化してゆくのか、、、それとも態よくお開きを告げたいのか、、、
何故あのときによりにもよって、「いやあ昼前からあの辺りを散々歩いて来ましたもので」などと馬鹿正直すぎてまったく礼儀にかなっていない言い訳などしてしまったのだろう。聴診器など当ててみる必要もない、孝博には容易に診てとれた。久道はこれ以上を今日のうちに語りはしない、すでにあの予言めいた口上を述べていたではないか、、、映画にだって続編もある、この猛暑のなか先にたどった外など歩く気力は失せている、それより続編に向う予告編をかいま見せてもらいたいものだ、、、おそらく堤防から大洋を望み、きつい西日を容赦なく浴び、わずかな潮風が頬をかすめながら、久道は何らかの情報と今後の連絡を約束してくれたかも知れない。実質は帰りの列車時刻にあった。三好の家には荷物も置いたままであったし、どうみてもこれから悠長に堤防までぶらつく時間もなかった。ましてや帰京を明日に延ばす予定もなかった。
今日と云う一日、希有なる体験であり、その動機となったものは計画された結果なのか、ただ単に衝動につき上げられたのか、孝博にはどちらでもあるように判じられるのであった。続編も予告編も決してこのまちからは消えることはないだろう、、、夢の知らせはこうやって夜の帳を越え、極めて同地点でものの見事にあだ花を咲かせてみせた。何と云う痛快、何と云う果敢さ、、、全幅の信頼みたいな思いが久道に反射して心身を支配しかけているのを、防波堤のかたくなさへすり替えてみると、尚更これから現実のその場に行くのが阻まれた。

まったく驚きとしか言い様のない、遠藤久道の訃報が届いたのはそれから十日後であった。


[132] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット14 名前:コレクター 投稿日:2010年10月05日 (火) 06時20分

「さて磯野さん、ここまでの昔話から実際に醜聞となってしまった美代の行為を短絡的に結論づけることも不可能ではないでしょう。動機はさておき、幼くしてかくも果敢な振る舞いを示しうる天稟には目をみはるものがありますし、兄妹であろうとも年かさのわたしを見通した態度も普通ではありません。その尋常ではない行為を引き起こした基盤が、あたかもあのときの美代にすでに備わっていたふうにも察せられ、また無様にも吸血鬼を演じそこなったわたしにとって代わり、見事なまで過剰さを放出させ一種の爽快感のような後味が醸し出されて来るではないですか。ゆえにわたしの語りだけで判断されるとどうしても因果を先走りさせてしまうようです。結局はわたしのとった不埒な行動が原動力となり、眠れる美代の魂を未来へ疾走させたのだと、、、深層心理に鎮まると云うより幼児体験を起因とする事件であったと推理される。
しかしどうでしょう、それならもっとしかるべき情況、そうです美代の思春期、妹に限らず誰もが危うさで世界を取り囲むことに疑念なく溺れられ、権限さえあたえられている、あの不安定な大地で行うめまいとして発露されるのが自然と思われるのですけど。すでに三十路も過ぎた頃合いにもなって突発的な衝動と化すのは、もはや精神の歪みでしかありえません。これには相応の理由があって、結婚後の美代が抱えた軋轢が最終的に突破口を見出せずあのような形で噴出してしまった。まだ解決にも何も至っておりませんので、ごく簡単に推測させる事象を述べておきますが、わたし達には不透明な何かが成人してからの、あるいは新たな家庭におさまってからの美代を悩ませ、苦しませ、狂わせたと、いやいやこれじゃどこにも結ばれていませんね、ただありきたりの意見にすぎません。けれどそれ以上の実情は申しあげられないのではなくて、わたしにも不可解でしかないのです。確かに瞬間的に異様な光を放って幻惑された想い出は強く脳裏に焼き付いていますし、この身も恥じらいを越え嫌悪で悶えてしまい、あれからしばらくはまともに美代の顔を見るのもためらわれたくらいでしたから、、、ところがそんなわたしに反比例するごとく妹は本来のあるべき領分に何のわだかまりも見せず帰っているのでした。そうです、よく憶えております、、、夜更けには己の悪行を責め立てているのかと考えこんでしまうくらい雨音は激しく、胸に去来する雨雲へと変じ、陰惨な気体となった失意は決して霧散することなくどこまでも広がって行きました。翌朝の対面まで明確に印象づけられているのは、暗鬱な思惑がたなびいたせいではなく、きっとあの夢からさめた際に案じてしまう白々しくも晴れやかな普段への帰路と同じ効果を授けてくれた、、、そう、あれから今日まで妹は秘事が秘事であるべきことに忠実であり続け、わたしも同様の夢見を共有し続けたのでした。悪夢から醒めた朝は歴然とした曙光に包まれていたからです。
それからの記憶には曖昧なところばかりと言っても過言ではありません。隙間だらけなのは時間の隔たりだけではないでしょう、、、わたしにとっても、同学年の異性にこころなびくやら、受験やら、それからもやもやな裡にも自分自身を見つめてみたりとやらで、次第に美代との距離は平行線をたどりながらの格別に意識するべき様子もなく元のすがたへ戻って行ったのでした。もう少し克明に言いますと、わたしの関心はもっと大きな膨らみでまわりを意識の隅へと追いやってしまったのです。美代のこともですし、様々な想い出や細々とした日常もほとんど頭に浮上させる必要がありませんでした。
わたしが補足と申しましたのもこれでご理解いただけるのではと、、、それじゃどうしてまわりくどい言い方をするのか不信に思われるところでしょうが、先程わたしは探偵の手法を重視とつけ加えてながらも、あなたが美代と対面する日を強く期待しているからなのです。わたしの知っているすべては、、、実際にはまだあの後数年は同じ屋根の下で暮らしていたのですけど、わたしはわたし、妹は妹、それぞれ異なる部屋に住まうように意識も別々になって互いの干渉はもちろん、あまり会話をかわす場面も少なくなり、やがて進学で家を出てからと云うもの滅多なことのない限り顔を会わせる機会もなく、兄妹とはまさに名ばかりもっと説明しますと、わたしは大学卒業後も帰省せずむこうで就職し十数年経ってからこのまちに戻ってきました。美代は高卒で就職のため同じく家を離れまして、三十歳ちょうどのときに結婚、はい、こちらにとある縁がありまして見合いですね、そんな折には以外では法事とかでしか兄妹居並ぶ場面もないままに過ごして来たわけです。それと美代には子が出来ませんでしたし、まあそれがこのさき離縁の口実に拍車をかけるのでしょうが、するとただでさえ疎遠であった嫁ぎ先からは増々込み入った内情など聞き出す余地はなし、、、おわかりでしょう磯野さん、わたしの知りうる美代はこんな案配ですから、吸血事件への手がかりを子供時代の戯れだけに求めてしまう確定性が甚だ無謀に思えるのです。お考えは一致されると信じているのですが、あっ、これは念押しです。事件後と申しましてもご存知のように審理の結果は心神喪失と判断され病院行きでした。面会も当初はままならないところでしたけれど、実は二回ほど妹を見舞っていまして、ええ、やはり本人もことの次第を多少は憶えているみたいですけど、、、医師からもああ云った行為に至った事情の説明は為されておりません。あくまで狂気の部類に収まる呈のよい診断が下されるでしょう」


[131] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット13 名前:コレクター 投稿日:2010年09月28日 (火) 04時49分

「吸血鬼が首筋に残していくふたつの穴を説明するのは簡単でした。喉にかじりつくと云っても肉に食らいつく野獣みたいな手段とは違って、あくまで格好よく鋭い牙を食い込ませて血を吸い取ってしまう、どれくらいの量と聞かれたときには、それは本人の腹具合だろうねと茶化すと、にっこり笑みを浮かべていました。別に牙がなくたって薄皮のあたりを少し傷つけるだけで血なんか出てくるなど、もっともらしいことを真面目な顔つきで話した後、美代だって外で転んだだけで膝やら手から血を出したこと何回もあるだろう、そこをなめたりしたりしないかい、こう唾をつける感じでさと言うと、どう察したのかもう一度表情をゆるめたのでしたが、その微笑は今まで見せたことのない嫌に大人びた目つきで向っているのです。そして、きつく噛まないでとひと言残し何と両のまぶたを閉じたのでした。そのときのわたしの動揺は先ほど説明した通りで、気がつけばまず片方の腕で美代の肩下を抱いており、そっと閉じられたつぼみのような目もとに見入ってしまったのです。いえ、瞳の光がこちらに放たれていないにもかかわらず視線を合わせているようで、その方がまた数段気恥ずかしさが募り、しかも後ろにしなだれた弾みか唇が少しばかり開かれ、そこには薄紅がひかれたのかと見まがう色づきに染まり、艶やかでなめらかな感触が眼前に飛び込んでいるのです。まだ触れもしない、いや、未だかつて兄妹とは云え近づいた試しさえない柔らかな異性の唇が無言でわたしの本能にささやきかけてきます。ふたりとも畳に座った状態でしたので容易にそのまま倒れこむ形になってしまい、背にまわしてない方の腕も自然と同じ行動をとろうと懸命になったのでしたけど、身の丈と骨格の違いが離れ過ぎている為に抱くと云うよりも両腕が縄になって縛りつけてしまっているようで、どうにも痛々しさにとらわれてきまりが悪くその腕は速やかに抱くのをやめ、今度は手のひらがあろうことか美代の胸許をなぞったかと思うと、健気にもふさいだままの目が開かないのを祈りながらゆっくり腹のあたりまでほどほどの力で触れていったのでした。ざっくり編まれたセーターの感触を通して人形を思わせる体つきに戸惑いながらも、わたしの指先の動きは決して平坦を滑りゆく清純さからは距離を持ち、きつくホックで留められた厚手のスカートの辺りをさまよい始め、ためらいは鼻息と一緒に吐き出させる不純な願いでしかなく、どうした訳かわずかな呼吸しかない美代のすべてを見定めてしまおうと悪鬼を我が身に乗り移らせようとした矢先でした。そうだ、自分は吸血鬼なんだ、だからまず首筋に意識を向わせ少しばかり噛むふりをしなくてはいけない、、、ええ、、、無論わかっていました。今ならお医者さんごっこで済まされる、勝手に這い出した指先など忘れ去ればいい、兎に角こうして黙っている妹の期待と自分の思惑はまったく方向が別なはずだと、信念にも近い思いがそんな突発的な荒くれで突き動いている感情を諌めだしたのでした。そして反対に隠れ蓑の下に蠢いているすべてを葬り、もとの怖い話好きの兄に立ち戻るべきなのだ、だから今から噛む振りは大仰に行うのが正しい、わたしは薄皮で守られているような美代の首に歯を軽く押しあてたのです。たとえ視線が通じてなくともその刹那、美代の瞳が輝いたのがわかりました。同時に、そうじゃないの、とひそめる意思をはらんだ小声でつぶやき、何と云うことでしょう、キッとわたしの顔を睨みつける素早さを見せながら、その可憐なまだ開ききってはいない唇でもって信じられないほどに激しいキスを求めて来たのです。いいえ、わたしが欲したのは実なところ二度と見届けられない女体と呼ぶには早すぎるけれど、性欲を満たしてくれるかも知れない裸体への接触でした。しかし美代の**を破るとかそこまではありません。それにキスだって考えも及ばない、信じていただければですが、あまりの急な逆転劇に驚いてしまった結果、美代のなすがままは空恐ろしいくらい欲求が巧みに慣れた代物と呼んで差し支えなく、一度息つぎの案配で接触がなくなり互いの顔を見つめあった際にまたもや笑みを作りだしていたのですけど、ませた表情は消えて無くなりいつもの屈託ないあどけなさに帰っています。これは夢を見ているでは、そう思うのも当然かと狐につままれた状態はある種の救いでもありました。ところが一気に希望を打ち破るごとくこう言うではないですか。お兄ちゃん気は済んだ、聞くところによれば、美代は友達とこの間からキスの練習をしていて当然女の子同士だけど男の子はわたしが初めてだそうで、今日のことは絶対誰にも喋らないよう妹から念押しされる始末、もはやどっちが欲情を秘めているのか分別など出来ない、どうです、少しは謎が謎らしく整いだしたようではないですか。

その夜のわたしの落胆と羞恥のほどをお分かりいただけるかと、、、夕飯時には家の者らも揃ってましたし、食卓の雰囲気はいつもと変わりはしません、、、窓の外から次第に大降りになってきた雨音に皆の注意が向けられたのは幸いでした。久しく日照りが続いていたせいもあり、天気予報では明け方まで強く降るでしょうとのこと、美代の笑みはとても自然でした。かつてすぐ泣きべそをかいていた美代に違いありません」


[130] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット12 名前:コレクター 投稿日:2010年09月28日 (火) 04時48分

「まったく何が探偵だと、聞いて呆れる始末でしょ。しかしですね、結構あります。探偵自身が真犯人だったと云う小説。未読だったら申しわけないので題名は申しませんけど。
怖がる妹をもっと怖がらせる増長の隠れ蓑にどんな思惑があったのかは容易く推測出来るはず、どうぞ気になさらないよう、まったくその欲情がわたしを突き動かせたのですから、、、ただ、美代が見せた思わぬ抵抗なさには隠れ蓑のはがれ落ちてしまう気おくれが、、、これはどう言えばよろしいのやら、大人になってみても経験することですけど、興ざめとか失意によるあの白々しく落ち着きを取り戻す場面を浮かべていただければと思いまして、そうなのです、欲情の剣先は鋭いままに空を斬り、その瞬間に飛び散るのは火花などではない、怒りの感情が高密度で噴火する溶岩だったり、戦慄の情況が痛感をともなった天幕に覆われることであったりするのでもなく、もっと隙間だらけの、そう自分から見てもどこかに逃げ場があるみたいな弱々し気だけれども、いささか有余がはかられる点在した平温の意識、そんな醒めた視線が折り返して来るのでした。不甲斐なさもすぐ後から追いつく狭間に置かれた尻込みは、しかし不透明な自由をあたえてくれます。こう云うことです、妹の背にまわした片腕全体に伝わってくる感覚を再確認する権利のような横暴さ、とは云え決して攻撃的な力などすでに抜け落ちた腕にしだれかかっている懐かしくもあり、初めてでもある感触がわたしのなかで几帳面な葛藤を引き起こしているのです。几帳面など何を驕慢とお叱りを受けるかも知れませんが、どのような情況であれ人は咄嗟の判断を意識面に浮上させる以前で処理しようと努める限り、そうですね、例えば衝突事故などの危機に瀕した際に発生する、動体視力の最大活性による場面のスローモーション化、それから視覚情報の集約へ特化する為に他の感覚器官をシャットアウトしてしまう的確さ、そうした場合は厳粛の極みなのでしょうけど、几帳面であることに同様じゃありませんか。お医者さんごっこから逸脱しかけた行為、ええ、今からそのときの詳細はお話しますけど、そんな幼稚な癖に卑猥で軽んじていながら胸ときめく実情、どうしてどうして、下手すれば近親相姦に踏み出しかねない危機的な有様と云えるのでは、、、そして身のこわばりにかつて感じとったことのない罠が仕掛けられているのではと云う恐怖にひたりながらも、甘んじて見知らぬ領域に分け入ろうとする悪戯ごころでは済まされない予感をよぎらし、まぎらわす酩酊のような心境、、、
あの映画の日から数日後のことでした。はっきりした日にちは憶えていないのですけど、美代とわたし以外は家に居なかったことは確かです。やはり夕暮れだったと想い返したいのも、ひっそりと静まった家屋に燦々と照りつける陽光が似つかわしくないだけなく、情欲の火照りに促されて自ずと日陰を欲したのでしょう。
これは先にご理解していただきたいのですが、何もその日を狙って前々から計画的に事態を案じていたわけではありません。とは云え、家人が留守なのを了解してから美代をわたしの部屋に呼び寄せた事実はどこかで期待したからに違いなく、話題つくりのきっかけも、この間の吸血鬼についてもっと知りたくないか、などと言い出したところをみれば未必の故意より深い心理が働いていたと思われます」

そこまで淡々とそして淀みなく語って来た久道であったけれど、そこから先がいわゆるクライマックスに差し掛かるのを意識してか一呼吸入れる案配で言葉とぎらせ、口角は閉ざされたまま、ややうつむき加減の姿勢をとるのだった。孝博にしてみても、自分の顔つきに護符がはがれ落ちてしまった不吉さの仮面を張りつけられているようで、それは以外な展開を耳にしてしまった高揚が為せる懐柔だろうが、善きにつけ悪しきにつけこの場に対面している限りは相手の意趣に従う意味合いを重々承知しているつもりであった。
そう改めて思ってみるとこの幕間は自ら願ったほどよい休息にも例えられ、観客であることの気安さと気楽さがこの室内に充満しているのだと感じられて来る。苦渋の面はその心痛を過ぎ去った舞台に置き去りにしたまま、抜け殻となって暗幕に隠れ、次なる幕開けの際にはちょうど能面のような淡白さで新たにこの顔容を作り出すだろう。聞き手に準じることは必ずしも下手に位置するとは限らない、耽読者が作家の意のままに流され操られていないように、視聴の選択が多岐にわたるように、楽曲のフレーズには自在な快楽が宿っている。孝博の胸中にはしおりと同じ役割が分配せれて、小さなけれども主導権に肉迫する居場所が見え始めていた。数度のまばたき、そうそれくらいの間合いが現実なのかも知れない。だが至上の間合いはおそらく誰も入りこむことの不可能な瞬間であり、精々そこに吐息をもらすくらいが我々に許された実行なのだ。
久道の口が再び開いた時、幽かな風が生まれたように感じられた。それは指揮者がタクトを振り上げた更なる楽章への入り口、無音の調べであるかのようだった。


[129] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット11 名前:コレクター 投稿日:2010年09月24日 (金) 04時31分

「すでに問題の糸口が一気にほどけてしまったと思われても仕方はありません、、、そう磯野さんの顔色にも出ておりますし、原因究明に向うところだとすればあまりに単純すぎ張り合いないのも当然、ええ無理もないですね。しかしですよ、先ほども申しましたようにわたしはあくまで補足としてこの逸話をお話したまででして、必ずしもあの映画が美代へ何らかの決定的な影響を及ぼすことに至ったとは結論を急いでおりません。ただ、妹同様に魅入ってしまった事実は便宜上であり、本当のところは後年になってからこのわたし自身が感銘したのだと云うほうが意味が深いのです。もしまったく違う映画、例えばスパイものでもいいでしょう、美代とふたりして観たとしまして同じく似たような興趣を得たとすれば、そして成人してから彼女が仮にですよ、北朝鮮の工作員になってしまったとしたらどうでしょうか、そこにゆるぎない因果を定めてしまうのでは早計じゃありませんか。
さあそれでは、どうしてわたしに対する影響がここで重視されなくてはならないかの理由を説明しなくていけませんね。はい、もちろん多少は入り組んだ事柄ですけれど、えっ、そうですか、確かにここは論証を求める為にも微に入り細に入り、、、わかりました、ではお言葉に甘えさせていただき紆余を承知のうえで語らせてもらいます」

孝博の表情がゆがみ出し始めるまでに相当の時間があったとも云えるし、そうでなかったとも云える。それは殊更もったいぶった付加価値を与えるような謂われに感染した結果ではなく、また久道の話しが本人のことわり通りまわりくどい言い様で間延びしてしまったわけでもない、つまるところ晩夏の夕闇に季節のうつろいを感じとる、あのしめやかな気配が憎らしいほどに予見され、自ずから陥穽にのまれてゆく心構えが出来上がってしまっていたのだった。徐々に遠のく太陽がさながら暗所を際立たせることを知りつつ、それでいて時の流れには無頓着であるかのように。

久道はまず「血とバラ」がもたらした後年の解釈からひも解き出した。彼の云うところによれば吸血行為には異形や残虐を越えた濃厚なる聖性が隠されていて、それは異常な現象であることの断面的な印象から袖を分ちながらも、やはり血液と云う人間にとって古来より忌諱の対象であり根源であった断ち難い生命に由来する限り、異常性はひるがえって崇拝の領域に達している。何故なら血の流れこそが命の源流であり、心臓に象徴される臓器の機能より深い位置づけが示すように、血も同じく皮膚の下を肉の中をめぐり普段は外部にしみ出すことはない。そんな地下水脈にも似た隠密さもひとたび傷つき、或いは病気などの要因が引き起こされれば最も強烈で鮮烈な真紅色がしたたり落ち、あたかも太陽の輝きが肉体から噴出したとさえ見まがう印象を焼きつける。さて肝心なのはこの印象を人工的に、ここではあえて人工的と呼ぼう、部族ひいては民族の闘争による殺戮がもたらす流血とは異質の個人的なあまりに個人的な行為によって為される由縁にある。創作上の吸血鬼にみられる一貫した特徴は彼らが夜の魔物であり、生き血は魔物にとっては不可欠の聖水だと云える。この逆説めいた言い方は明解な絵姿が浮かび上がる仕掛けになっているし、と云うのもドラキュラに代表される夜の支配者は、まさに闇の中だけを治めることしか叶わず、陽光を浴びては灰燼に帰し、聖水を浴びせられればその皮膚は焼けただれてしまう。そして滋養強壮効果の高いニンニクを嫌うあたりにはかない生命力が裏書きされているようだ。漆黒のマントの裏地は見目も毒々しい鮮血色で染められているのはあながち偶然ではあるまい。
夜な夜な密かに忍びより、傷つくことない人々が流血の憂き目に合う。しかも血は流れ落ちるのではなく魔物の牙によって吸いとられる。残虐であると同時に夜への供物として差し出される命の流れは、陽が陰り闇に覆われた世界に、より深い地下世界に吸い込まれてしまうことによって再び肉の彼方に還元されるとしたら餌食になった者も単に殺されたのではなく、闇夜に彷徨いでた旅人なのかも知れないし、やがて彼らも吸血者と化して地下世界に新たな息吹を見出すところを窺えば、邪教崇拝の対象と成り得る要素は十全に含まれているだろう。そもそもドラキュラが十字架や聖水を嫌悪すると云うのも、キリスト教の絶対的な権力主義の現われ以外に理由は見当たらないわけで、その図式に則った物語の単純さは水戸黄門における三つ葉葵の紋所で権威が誇示される場面を彷彿とさせる。
退治や成敗はさておき、ブラム・ストーカーの生み出した吸血鬼が一般的なスタイルに定着したかと思いきや、レ・ファニュの『カーミラ』と云う年代的にも先に書かれた物語を下敷きに映画『血とバラ』は作られていて、そこには十字架もニンニクも登場することなく、ただただ狂おしい情欲が切なさを伴った淡い森の木漏れ日として、霧がかった湖畔の憐れみとして描かれている。あの心臓を針先でひと差しされるような痛々しさえもが美化される幻影を除いて、、、
「ええ、その通りですよ、あなたの言う通りです。女性同士の吸血行為にわたしは悦楽を見出してしまい、その空想に小さな翼を植えつけたのでした。丁度あの頃、上田秋成の『青頭巾』を耽読していたこともありまして、はい、あっちは僧侶が稚児を溺愛した挙げ句に鬼と成る話でしたが、どうした反動なのか、はたまた転移なのか、もう空想の域にとどめ置くすべもないまま白日夢となって浮遊してしまい、いや、ただの衝動だったのでしょう、あろうことか美代の血をひとすじでいいから口にしてみたいと思い、、、そうです、あまりに身近な故の戯れだったと弁解しても道理は通りませんね、どこか遊び半分で済まされるのではなどと云う意識も片隅に忍ばせていたことがこうして思い返されていますから、、、」


[128] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット10 名前:コレクター 投稿日:2010年09月14日 (火) 08時17分

「怖いもの見たさなのでしょう。わたしが現在不可思議な現象から頭を切り離せないのもおそらくその延長だと思うのですが、、、そうです、磯野さんの言われるように多分に妹にも知らず知らずに影響を及ぼしてしまっていたかも知れません。ええ、ご質問には正直に申し上げた通りですし、わたしの知る限りにおいてはあなたが言及したい箇所を記憶の底から浮かび上がらせたいのですけど、今までお話してきた以上に目立った出来事はありませんでした。時間系列、つまり順序よくと云う方法論は極めて見通しをよくするものです。確かに時間軸に沿って流れる川面みたいに間違いはない、、、可逆する事象などはあり得ないわけですね。ただしあまりに信頼し過ぎてついつい見落としてしまうこともあるでしょう。とるに足りない小さなものだけでなく、非常に重要な事柄も、、、
わたしはあの頃の遠藤家を川の流れのように見届けてお話ししてきました。その結果ここまでことなきを得たようですが、あえてひとつだけ小学時代の美代に関してですね、いい落としていることがあります。いえいえ、これは川面の下を覗くことが不可能だから、つまりは水面に浮かびあがることの偶然性と必然性をよく審理する必要にかられているからこそ、一連の時間の流れからは切り離して内情を見据えてみたいわけでして、それは他でもありません、後々の事件に関連あるかも知れないと云う接点で強引に結びつけてしまう独断を危ぶんでいるからです。そこでこの件はこうやって年代の区切りをつけた後で、補足として述べておきたかったわけで、、、」

陽光を照り返しながら流下する河口に跳ね上がる銀鱗、前触れなくなくとも、水しぶきの音なくとも、驚きさえもが予期されていた光景に感応するあの瞬間。孝博のこころにも反射した久道の言い様に同調したのも束の間、思いもよらぬ名称が耳朶に吹きこんで来た。磯野さん「血とバラ」と云う映画をご存知ですか、、、薄明の向こうにたゆたうほのかな記憶が呼び覚まされ、残像は次第に色づく。ええと言いかけてみたもののロジェ・ヴァディム監督以外、出演者などの名前は出てこない、すると相手はあたかもナレーションを語るかの如く、
「信じられないくらい美しい映画です、怪奇映画と呼ぶのが似つかわしくない、気品あふれた吸血鬼を題材にした作品でした。わたしはあれ以上に綺麗な女吸血鬼を見たことがありません。もっとも単に美貌からだとポランスキーが撮った、ええあの惨殺された女優シャロン・テートが並びうるでしょうけれど、あちらは作風も正反対であり、また王道ハマープロダクションの一連のドラキュラ映画の確立された雰囲気、こちらはとにかく怪奇色を前面に打ち出しているので登場者が『血とバラ』みたいな女性にはなり難い。そうですか、ご覧になったことがあるのですね、覚えていますか、主人公が従兄弟の婚約者を幻想に誘うあのモノクロームで描かれた異様に静謐な情景。寝台脇に死人のようにたたずむ胸許からしみ出す深紅の鮮血、窓辺は水平に開かれ並々にたたえられた水上と化し、招かれるまま飛び込んでしまった先は小雨が溜まる広場、舞踏者たちに横目もくれず一心に向う病棟、そして待ちうけている悪夢そのもの、、、思い出されましたか、決して牙などむかずに絡み合う美しい女同士の抱擁にも似た吸血の姿、もうお分かりでしょう。あれはわたしが十五の頃だったと思いますから、美代はまだ十歳になる前のことです。冬の日曜、夕刻前だったでしょうか。あの日は珍しく兄妹揃ってテレビの前から動かず、ふたりしてその放映された物語に釘付けとなっていたのでした。当時わたし的には映画雑誌などで格調高い女吸血鬼ものとか紹介されていたこともあり、多少の興味を持ってましたのでひとつじっくり観ておこうと思っていたところ、気がつけばこたつの横に美代が座りこんでえらく食い入るように画面を見つめていたのでした。途中で会話したのかはよく覚えておりませんが、見終わってからはこんなふうな質問されたのです。
どうして女のひとしか襲わないのかと云うことと、あんな吸血鬼だったら本当に居そうな気がするけど果たしてどうなのかと。普段はそれほど喋り合ったりする仲ではなかったですし、あっ、そうそう美代にはさっきも申しましたけど、時折怖がらせる悪戯心で幽霊話しなどを聞かせていましたので、あの日は別な意味で驚きを示したのかも知れない、何故ならわたしは観賞後、どこか肩すかしされた物足りなさを感じてましたので、それと云うのも全然怖くない内容に失望したところがあって、もっともっと先なのですよ、本当にあの映画の美しさが理解出来たのは、、、ところが妹からしてみればわたしとは違った感性で捉えるものがあったのでしょう。おそらく美代は怪奇映画としては認めていない、物語も現代の設定で何せ冒頭から旅客機が滑走路から飛び立つ場面ですので、どこか異国の地に降り立った感覚を想起させたのではないか、また森のなかの古城で展開される情況はいかにも絵本なんかで読んだことのありそうな、日々の夢のなかに忍んで来てもおかしくはない既成のロマンで彩られています。
美代は何の違和感もなくすんなりとそんな舞台に入りこめたのではないでしょうか。それであんなことをわたしに尋ねてみたのだと思うのです。はい、確かこう応えましたよ、きっとどこかに吸血鬼は居るだろうね、女専門って云うのはそのほうが血の味がおいしいからだとも適当に付け加えておきました」


[126] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット9 名前:コレクター 投稿日:2010年09月14日 (火) 08時15分

「ところで磯野さん、美代の顔はごらんになったことありますか、、、ええ、新聞に顔写真は載っておりませんでしたが、ある週刊誌ではきわもの扱いで掲載され、しかもしっかりと実名で紹介されていたのです。紹介などと云うと軽卒に聞こえるかも知れませんけれど、いえ、ご存知でしょうが、見出しからしてまるで恐怖映画のうたい文句みたいに始まって、記事に至っては世にも奇怪な事件なのだと読者の感興をわかせる筆致もしたたかと云うより、あれは小さい頃少年誌などでよく見かけた子供だまし丸出しの風説に近く、あなたも知っているならば疑念を抱いたでしょうが、美代の写真にしたって実年齢のものではない、わたしも最近まで分かりませんでしたけど、あの代物はどうも少女時代に撮影されたものだそうです。それにしては大人びた化粧をしてるし、でも一目瞭然なのは、背伸びしかけたところで顔つきはやはり子供のまま、決して一流の扮装とは云い難いでしょう。そうですか、磯野さんも同じくそこに引っかかりましたか。ご納得のいくように事情を申し上げたいわけですが、無論わたしが知り得た情報がひも解かれないことにはいささか腑に落ちないところも出てくると思われます。写真の出所にしてもある程度の説明が必要になりますし、兎に角ここは兄であるわたしによる事件性に関連した追憶をお聞き願わなくてはならないようです。いかかでしょう、それでよろしいでしょうか、、、」

虚を衝かれたと云うよりも、力強い太鼓の響きに心臓の鼓動が叱咤され同調へと促せれてしまうよう、孝博の胸騒ぎは不安に翳る暗雲がさっと掃き流される希望の空模様を仰ぐ如く、静かな跫音をその身に感じとり浮遊にも似た小さな、しかしそうそう経験することもない開放感をあたえたのだった。
久道が語り始めた追想の行く手はおぼろげな黄昏時へと歩を進めながら、反対に明星を認めそこから抜け出してしまいそうな着実な道のりでもあり、聞き手に徹する了解を不動のものとする思いは、まるで過ぎ去りし夏の夜、蚊帳のなかでふと目を覚ましたときに感じる、あの両親の微かな寝息に守られて待った夜明けまでの沈黙を想起させる。
ものごころついた頃よりずっと今まで見定めて来た兄としての立場は、血をわけた真義によってそれほど強固な基盤を保持し続けたわけでもなく、また同じ屋根の下で暮らす密接さも以外と隙間だらけであったことがよくよく思い返せるのだった、、、
久道の述懐は障子で隔てられているに過ぎない、薄く淡い気持ちに仕切られたまま取り留めのない調子を帯び漂い、時折は細やかな記憶の片鱗を集め出してきらびやかな画像に仕上げている。失われた過去がいつも水底に沈める淡彩である様子を打ち消さないことへのあらがいとして。
情熱的な口ぶりをまだそっと潜ませているつもりなのか、淡々としたもの言いは楽曲の序章を彷彿とさせるように、少年期の放埒さは破れやすい障子紙への気遣いに平行した案配へ自ずとすべりこみ、幼児であった美代の面影にまざまざとした印象を求めようとはしない。そこにあるのは久道自身もまだまだ耳にするだけで身震いを催してしまう見知らぬ場所への怖れや、夕暮れが織りなす視覚効果とは別だと感じずにはいられない夜の調べに魅入られそうになった柔弱さを糊塗する為、幼児である妹を殊更恐がらせたりした鮮明な意思だった。聞きかじりでしかない夜話しや裏山に棲む幽鬼の類いを宵闇せまる頃合いを計らって、何処からか聞こえてくる犬の遠吠えに重ねあわせ、その異様なうなりを尚のこと強調させる勢いで、「あれはもうもうさんというオオカミの霊だよ」などと、したり顔で言って聞かせるのだけれど、口にした矢先から己がすでに鳥肌立っており、それは秋風に撫でつけられた感触とは異質で内側からやってくるのだと増々ぞっとするのだった。だが、あのときの美代の顔つきをはっきりと浮かべられない。障子に映された影絵が単彩にしめされるのと同じく、無防備な輪郭は恐怖と共に我が身を一カ所へ突き落とす。外側の妹に気配りが生まれる余裕はなく、今こうして振り返ってみても同様、やはり長い時間の推移だけではないだろう、自己籠絡甚だしくも苦々しい想い出は、風雪に耐えて来た障子へ皮肉なねぎらいをかけているようだ。
それから久道は誰にでも思い当たる人見知りの感覚や、瑣細なことで泣き出してしまう制御しきれないか弱い風船みたいな幼心をさらっと話し、前置きでも話したが学術主義などと名目を振りかざしたからには、自分も含めた当時の過程環境、兄妹はもちろん両親や祖母との関係も詳らかにしておきたいのであるけれど、あの時分は取り立てて語るべき問題も見当たらないし、家族同士のつながりにも特に違和を覚えるような要素がありそうもない、父は仕事以外でも交友が広く不在気味であったが、非常に温和な性格であったし厳しさと云うよりも柔らかさと言い表したほうが間違いなく、それは母や祖母にも共通するところがあり、まだ幼かったから細やかに窺えなっかったのかも知れない内実を差し引いてみても、後に繋がっていくきっかけを探しだせない。結局、遠藤家は平穏無事を絵にかいたような家族関係が保たれており、幼児期における美代の原体験をつかさどった素因は発見出来なかった。
そこまで消化を助ける用心をする為によく噛み砕く具合で、他にも些事を挿みながら沈着に話してきた久道だったが、ほどなく顔色を曇らせたのを孝博は見落とすと云うよりは、見せつけられると換言したほうが的確な様相に行き着いたのである。


[125] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット8 名前:コレクター 投稿日:2010年08月31日 (火) 06時35分

「驚かれたみたいですが、その少女の件はそれくらいで今は取り急ぐわけじゃないですけど、いえ別に時間がないとかそうではなくて、息子さんも関わった事実もわかりましたし、何よりあなた自身も恥辱から抜け出せないご様子と見えてしまいますので、そうなるとこう言っては失礼ながらまるで懺悔を聞いているようで少々耳が痛くもありまして、磯野さんだって、切り出しとしてその辺の事情からお話されたのでしょう。だとすればわたしも偶然ながらそこのところを綿密に掘り下げてみたいのは山々なのですが、わたしの場合はあくまでも確認作業としてその後で瞑想を行ったわけなのです。それが結果かどうかはこれもまだ予断できませんけど、あなたも決断された、、、いやこれは夢想でしょうか、ともかく能動的に近い方法だったと思うわけですが、お話しの夜の川の場面に行きつくのです。当然そのときの意識が、いえ無意識なのかも、、、これはわたしの氏名も含めてある符号を示していると云う結果を生み出しました。しかし、磯野さんも先程おっしゃられたように、少年時の記憶装置が自動処理的な判断を下して、更には三好荘で目に留めたペナントから受けた印象を拡大して、ご自分でもわたしを訪問する以前に色々と下調べしておられるではないですか。つまり申し上げたいことはこうです、磯野さんとわたしの不可思議な能力がどこかで結びついた結果が、現在あなたの抱いている疑問に直接お応えしていると導くのは早急でして、確かにご存知の如くわたしは超常現象などと研究しておりますけど、すべてを神秘一筋で解明させようなどいつも考えてはいないのです。あなたのとられた演繹的な立場があくまで科学的もしくは常識的であるのと同じく、わたしの立場も闇雲に現実から逃避することを一番の方便とは認めていませんから、、、
そこで、これはわたしの意見なのですけれど符号とかが嗅がせる直感かつロマンはひとまず脇に置き、と云いましてもそれらは無視出来ない可能性を秘めてますけど、、、これはあなたにとっての問題であることがそもそもですので、これからお話させていただく姿勢と云いますか態度ですね、そこはある程度透徹した学術主義を援用して行きたいのです。何もわたしに限ったことではありません、磯野さんご本人が学者じゃありませんか。その上で未知なるもの、まあこの言い方自体に語弊がまとわりつくみたいに聞こえますが、どうしても了解項として一致を見ないもの、心理的要因にさせ糸口を見出せないもの、そう云った曖昧な領域でしか窺い知れない何かを感じたときに、わたしなりの見解を述べさせていただきたいのです。ええ、もちろん磯野さんの専門分野を総動員して頂くこともお願いします。
わたしはね、長い間ほんとうに不遇だったのです。もっとも自分勝手な解釈にこだわり過ぎた天罰みたなものなのですけど、、、だからこそ、こうした縁を慎重に扱いたいわけなのです。とりあえず一方的な意見を述べましたけれど、おそらくあなただって神秘主義者の陥りやすい仕掛けはご存知なはず、、、あっ、そうですか、そう言って下さるのはとてもこころ強くもあり、さすがだと敬服してしまいます。いえいえ、心底そう感じたままです。どうしてこの場でご機嫌をとる必要があるのでしょうか。
さあ、では手短かにわたしからひとつの提案がありますのでよろしいですか。お話しから察しますところあなたはわたしの妹、はい美代に関することです、ああ、そんなに恐縮されますとかえってわたしが困惑してしまいます、いいのです、あなたの知りたい謎の一部はそこにあるのを決して不快な思いで受け止めていませんし、方法的にもそこから始めるのが理にかなっていると信じているからなのです。
そう、事件の最後から進めていこうじゃありませんか。あっ、金田一耕助って知ってますよね、はい探偵小説の、映画、、、そうです、そうです、映画でもそうなんですけど、大団円を向かえる間際になると決まって金田一探偵は、事件現場とは一見深い縁故のなさそうな土地へと足を運ぶのですが、そこで必ず今回の一連の事件の鍵になるものを持ち帰って来ます。だったら最初とは言わないけど、ある程度の段階で早々にそうすればこと足りると思うのは素人ならでは、、、しかしそれは所詮フィクションの世界に於いてです。
もうお分かりでしょう、わたしはあなたの疑念やら、悔恨やら、尊厳やら、感情やらの一切合切を謎解く探偵と自分自身を今ほぼ同一視しているのですよ。いいえ、冗談でも悪ふざけでもありません、そうでなければどうして身内による事件でもあった美代のことから始めなくてはならないのでしょう。そうですか、いきなりこんな言い方も確かに妙ですもの、いやあ、ごもっともです。では、こう繋ぎを差し出しましょう、磯野さん、あなたは近いうちに美代と会うことになるはずです。これは予言なんかじゃありません、申し上げたはずです。学術主義を援用させましょうと、そうなるとあなたは探偵であるわたしとは別な角度で、そうまったく異なる角度で実地調査に携わることになります。では、質問をどうぞ」


[124] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット7 名前:コレクター 投稿日:2010年08月31日 (火) 06時34分

「順序よくと申しましても、、、」喉元から流暢に滑り出させたい気持ちを精一杯抱きながら、滑舌とは明らかに隔たりのある実感に苛まれた現状を、孝博は苦々しく感じつつも半面ではしかるべき安堵に即していると、錆び付いた金具を手にしたときに思いなす、あの成り行きのような事態へといささか大仰に還元させてみたのだった。
無論、久道から筋道の明快さを求められたわけでもないのだが、この様な持てなしを受けてみれば自ずと身がこわばってしまうのだと、言い聞かせるつもりで胸中をなだめてみる。焦りだす口吻が先走った妄念と化して実際に相手の耳へと届いてしまった以上、あとはもう少し落ち着きを取り戻し、出来る限りの説得力を維持した展開で言い分を伝えよう、、、
尋ねられたのではなく、そう自分に楔を打ち込む馬力が孝博を昂然とさせた。何しろそもそもの切り出し口からして、日常の成り行きを逸脱した不明瞭な、そしてあまりに唐突な内容を含み過ぎている。もちろんこうして面会している当人に対し、魚心あれば水心の意想にたなびく予感が用意されていると云う、都合のよい思案も加味してのことなのだけれど、ことの次第が煩瑣な事情によって、いや精確には複合的な欲情に色づけされてしまっている負い目もあり、どうしても明瞭さを際立たすには恥部である己の箇所をも包み隠さず語らなくてはいけない。夢見による遭遇などといきなり奇妙な角度から開陳してみたのは、実のところはさほど冷静さを失ってはおらず、逆に久道の好奇心をくすぐる結果を期待してみたまで、さて、続き早に放たれたペナントにまつわる不可思議も儀礼として添えられた程度に、最終的には自身の欲情を払拭させてしまう勢いで、あくまで聞き手としての本領を発揮すべく、それはまた卑怯な防衛意識を最小限に稼働させていながら、なしくずしに久道が纏っているであろう禁忌へと身勝手に分け入ってしまう不遜に堕するのであった。
まくしたてるような、けれども内心は情念を鎮火させたい望みだけが上昇し結果、増々萎縮してしまう性根の物言いが反吐のように逆流しただけである。わずかに曇ったふうにも見える久道は、
「そうですか、実はですね、わたしもその少女が川に転落する場面を目撃しているのです。それから、それが錯覚であったのかどうか、少々気にかかりまして、わたし独自の瞑想法で行方を探ってみたことがありました」
あらかじめ決まっていた質問に答えるみたいに静かにそう言った。
それを聞いた孝博は後頭部に強烈な衝撃を受けながら、やがて全身の血がさっと引いてゆく感覚に襲われ、急激に何かが萎れてしまう幻影に支配されてしまった。そうして今までの緊張が一気に霧散してどこか遠くの方へと放れ去る、虚脱にも似た失意を覚えるのだった。だがその失意は孝博にとって決して後悔などを孕んではおらず、未知なる手ごたえを引き寄せる為に守備よく配列された偽装を知らしめた。
奇襲の如く現れる予兆にはまぼろしの種子が胚胎している。生命が育まれる必然を死が隠蔽したところで、すべてを消滅することは出来ない。孝博のこころは他愛もない焦慮、例えば部屋のなかを掃除する機会を一大事のように考えこんでいる時間や、寝起きの意識に被さってくる蒙昧さを悲観的に捉えてしまう脆弱、そんな些細な気分に落ち込んでいる自分を憐れんでいた、その後の健全な意志を思い返した。
久道からの一撃は何かを損なったけれども、確実に新たなる武装を敷く要請を命じ、まだ見ぬ外敵を愛する矛盾を設定させるのであった。偶然を越えた神秘を覗き見ようと志したのは単なる戯れによるものだったのか、思念からはみ出してしまう謎をひとまとめに黙された意志のなせる業へ棚上げする、安直さも傲慢さも持ちあわせていない、だが久道が口にした意味あいは一瞬の目くらませと同じく、孝博を切り裂いた。
「仮りにそれが俺を見据えた上での虚言であったとしたところで、出会いを認めこうやってこの場に臨んだからには、本質的な次元からはずれてはいないはず、、、」
こうして夏の午後は永遠に続いていくのかも知れないと、汚れない幻影が胸いっぱいにひろがり、気がつけば寡黙に見えた相手は思いのほか微に入り細に入り澱みなく語り始め、孝博とてまるで歩調を揃える具合でときに饒舌気味なほど気持ちを表にしているのであった。語られるべきところは補填され、あるいは強調されて明瞭な形を整え出し、伏し目がちな感情をともなうまだ幾分かの的確でない部分は、柔らかな手つきで払われる砂のようにとめどもない童心が為すままで形状あらわにさせない。互いに交される会話の質もまた砂上にしみ込む雨水となって深みを知らぬ情況が保たれている。意図されたものか、それはまだ判明し難い。
ようやく、対座したふたりへと昼下がりの想いは密接な時間を分配してくれたようだ。残暑に燃える外気からは遮断された冷房のゆき届いた室内であったが、夏日は夏日であり多分に湿度で充たされた風の微かな流れは浄化されることなく、辺りの空気を侵蝕して止まない。虚空は真空であるべきなのだと云う、渇いたこころを叱責してくれるのは吝嗇な下心を見越してしまっているからなのだろうか。


[123] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット6 名前:コレクター 投稿日:2010年08月10日 (火) 06時31分

この店で形作られたものなのだろうか、一見ありふれた透明な硝子の器。すでに箸をつけながらもその素朴な風味に、否、刺々しい感情や上昇する熱意などを一切洗い流して、ここが夏日から遮断された屋内であることをはなから承知させる気概すらも漂わせない冷麺の涼味に、身もこころもさらわれてしまいすぐさま何かしら言い表せる間合いも同時に失いかけた矢先、孝博がひも解かなくてはならなかった念いは、落ちつきをあらためて取り戻したように自然なひかりを放っているその容器へと沈みこんでいった。
よくよく察してみれば、湯気を立てているスープも一口すすっていたし、冷や麦にしては以外としっかりした歯ごたえを認め、更にはよく讃岐うどんにあるよう麺へからまる汁に塩分よりもまず出汁加減を舌先で覚える、あの小躍りしてみたくなりそうな得心をあたえられていたにもかかわらず、どうやら先駆けてみなくてならないのは別の方角に聖地を発見する予兆でもあるようだった。
そんな大仰なひらめきは孝博に寡黙な居ずまいを律したのか、あるいはこの家全体から音もなく降り注いでくる噴水のしぶきみたいなものが意識に影響を及ぼす為なのか、とにかく必要以上の口数をなくして今は食事に専念し、美味をたたえる配慮は遠ざけてもかまわないと云う気持ちが大きくもたげてくる。
久道にしてもごく当たり前の雰囲気を崩さない配膳に徹しているよう見えるし、前もっての口上にはあらかじめこちらの感興を含んでしまっていて余計な気組みを排除してくれている。過剰な想念を働かせたのは己であって気のおもむくまま勝手な追憶にひたりだし、食材の色合いなどからとめどもなく過去への遊泳に興じ、結局は味覚を的確に表現する意義だけを衣にしてしまい、その衣もいざ身にまとうとなると恐ろしく昂揚して、まるで急速眼球運動の勢いで独語をほとばしり無意識的かはどうか、乱れたぎこちなさの夢見を体験する調子で、動体視力の超現実性と表裏一体になったまま先制攻撃さながらの応答を巡らせてしまうのだった。
これは明らかに内心を見透かされてしまっているのではと云う怖れが禍いをなし、自意識に沈潜するしか方便を持てないまま、対座する相手の顔つきに正当な意味あいを感じとれない、まさに金縛りに陥った情況が形成する負の磁場であった。身振りはともかく久道の表情に真意を汲みとることなど等閑に付され、すべて辻褄が合わなく見えてしまうのだが、孝博自身から行動を起こした由縁にこうした場面はやはり帰着しているのである。
おそらく俺は祈願をかけるみたいな意志でここに臨んだわけではない、、、虚しさを埋めようなどとも思っていない。あくまで学者としての探求心が稼働しているだけだ。ただ、いとも容易く自分を受け入れてくれたこの遠藤と云う人物、昼飯の振る舞いにしても、妙に冷静さを見せつける態度に少々とまどっているのは事実かも知れない。この後も彼の方から色々と尋ねられることもないだろうし、こちら側から話題を提供しなければこの男は何も語りはしないだろう。だが、もしも悠長な素振りが彼なりの演出だとしたら、、、
あたかも閃光が射し込む徴に威厳をただすふうにして孝博はようやく自縛の縄目を弛められた。すると衣服の着衣が手際よくなったようで、それは袖を通したときの腕が自在な運動によってもたらされたと勘違いしてしまう颯爽とした感覚を伴い、軽やかに抜け出た手先は空を切り、空をつかみ取る。その鮮やかさは置き忘れられた雨傘が翌朝、太陽に向かって大きな羽ばたきを示すような晴れ晴れしさにあふれ、自らが地面に作りだした影を今度はそのまま置いて行こうとさえ思いあます。光線に乗じて一歩踏み出し、輝きを見つめる瞳の奥はどこまでも透明であり続ける。

硝子の器に反射する意想は、茹でられ熱せられた挙げ句に冷水の洗礼を受けた食材の如く、痙攣的な思弁で調理された末にひとつの活路に陸離として光彩を放つまぼろしであった。けれどもそれは鋭角な面を持った切り子硝子と同じく、ひとつひとつの刻みが深く陰りつつ輝く証明でもあった。
やがて孝博は手応えのある確信を抱くことになる。食事も済んでいよいよ話頭が切りだされた頃には、あの妄想が繰り広げた対話はひとりよがりな脇道にそれるどころか、予習よろしく脳裏を一回りさせた甲斐あって澱みなく開陳され、同時に危惧した相手の機嫌を損なうこともなく、むしろ瞠目させてしまう効果を生じさせた。久道は少しづつ動揺をあらわにしつつも決して自らを抑制させようと試みていない。それは彼の反応の裡に如実にうかがえた。重苦しさが排斥された答弁もさることながら何よりも眼光の強度が増して行くのを。彩度と一緒に劇的なまでの放射で満ち始めた室内は、異なる照明があらたにゆきわたった鮮烈な印象で塗り替えられてしまった。
夢見の導入部より聞き耳をそばだてた久道に対して抱いた感情、それはどの様な過程を通り越した複雑なものであれ、照らしだされているのは己自身でもあると云うまぎれもない知覚に基づいている。親近感で濾過された感謝の念に染まった合わせ鏡を見るように。


[122] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット5 名前:コレクター 投稿日:2010年08月03日 (火) 06時03分

真夏の幻想であろう汗ばむ想い出を払拭するに正確な涼感が伝わってくる五目冷や麦とやらは、現実には冷や汗となって居場所を確認していた孝博に良好な印象を授けた。
もはや冷や汗は引いた。ほどなくすると湯気を立てたスープを盆に載せて現れる久道に対峙するだろうが、素早い思考に伴う記憶がかいま見せた陽気な側面にほだされたところもあり、それはまるでこれから展開する白熱の演技に向って備えられた準備体操のように思われ、敵陣に踏み込んだ緊張をほぐす効果を存分にあたえてくれているのだと言い聞かせてみるのだった。
反面、時間の猶予はまさに寸前であるはずだけれど、孝博の脳裏に去来する段取りなき意想は久道の調理の下ごしらえに挑戦するがごとくに火炎を上げている。とは云え、それは決して火花散る情熱に支えられた直情を宿してはおらず、所詮は青白い魂魄がこの身から抜け出し飛翔する勢いをなだめすかすのを楽しんでいる、あたかも客席から見物するときのような気安さが用意させていた。孝博にはそうであるほうが好ましかった。
現実の時間は奇妙な誤差を受け入れる。久道が言った通り、きゅうりや錦糸卵が冷や麦の麺に即すようほどよい細さで切られており、他にも大葉やかまぼこも似た具合で添えられている。白地に映える野菜の緑と黄身が際立った彩りは申し分なく涼味をあたえ続けるのだったが、己の裡にある醒めた情念がそうであるように、十全なる冷たさには幾分かの不純分子がまぎれこんでしまい、目には見えない微細なそれらの動きが温度をわずかながら上昇させている。夜空にまたたく光を見つめても寒々とした意識に支配されることがないことに似て。五目冷や麦は宿命的な気配でそこに涼んでいた。
孝博の思考はやや神経質な傾向に流れ出していたが、ここまで来て不意に独りの時間が隠し扉を開けるみたいに訪れたからには、現実のほうが精一杯空間をゆがめてもらいたいところ、だとしても考え自体をいびつさせるのではなく、もう決して取り返しのつかない過去だけをそこに圧縮してどうにか置き場所とすること、それから出来るだけ手短かにここに至る経緯を提示すること、何のことはない、あの生命危機にさらされた際に覚えると云う超然とした動体視力の威力のような、意識の時間推移を自在に駆使し予行演習しているだけなのだ。孝博の願いはどうやら不純な動機で稼働しているようであった。

「ええ、夢の裏打ちを求めたことは事実ですけど、三好荘で見つけたペナントに実はおぼろげながら知るところがありまして、たわいもないかも知れませんし少々失礼かと思いますが、今時ペナントを作成してることを以前にひとづてに耳にしたことがありました。息子の件でこちらに来た折です。それとわたしが小学生のときなんですが、同級生の従兄弟が遠藤硝子店の近くに住んでいまして何度か遊びに行った際に、前を通りかかったこともあってやはり記憶には残っていたわけなんです。はい今は越してしまったようでその従兄弟の方はそれきりです。とにかく、わたしはあのペナントの新月の夜らしき山奥に跋扈している鹿や兎、狸の類いが小さな光に照らしだされている図柄に惹かれるところがあって、又わたしの夢見に共通する雰囲気も感じられて、三好の主人に尋ねてみるとあなたの名前があぶり出しのマジックのように浮かびあがって来たわけです。そこで他にもあなたのことを調べさせてもらいますと、何やら若い時分より超脳力などを熱心に研究されているとやら、すぐ様電話帳を引きますと硝子店と書かれた下にはまぎれもなく『エンドウヒサミチ』と記されているではありませんか。それだけで十分な確証を得たわけですけど、問題はどうしてわたしがあなたを夢のなかで出会う結果に至ったかと云う説明なのでしたが、それは先ほどお話した息子にまつわる顛末であり、それからこれは誠に申しにくいことなのですけれども、よろしいでしょうか、はい、遠藤さんの妹さんの噂なのです。現在は嫁ぎさきからもほぼ縁をなくされたと聞き及んでいまして、とある施設に入院されているとか。ええ、わたしはそれほど噂話しを鵜呑みにするわけではないです。けれども、、、ある事件を、、、かまわないですか、そこでわたしも一応方々をあたって見た結果なのですが、妹さんが吸血鬼まがいの行為を何件か引き起こしたと云う風聞、これは実際に新聞などにも掲載されていますし、いくらなんでも根も葉もないそんな奇怪な報道はあり得ないと思いますからでたらめではないと。それにしてもどうして吸血事件などと騒がれているのか、わたしには何か隠されている事実が存在するように感じてなりません。仮にですよ、妹さんに病的な疾患があったとしても、本当に生き血を吸ったりしたのでしょうか。もっと異なる行為、あえて申しますが例えば同性愛傾向による過剰な肉欲が、相手を傷つけてしまい失血をもたらしてしまったとか。ええ、新聞によると三件とも相手は若い女性であったと書かれてますね。そうですか、、、遠藤さんにもやはり理解し難い事件なのですか」

そこまで急速に独語が乱れを見せながら散らばった時、先ほどとまったく同一の表情を持った久道が案の定、両手で持たれた盆を運んで来た。その手つきには慎重さは感じとれず、どこまでも静かに安置されている仏像を彷彿とさせるのだった。


[121] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット4 名前:コレクター 投稿日:2010年08月03日 (火) 06時03分

最近ではあまり見かけなくなった如何にも中華飯店ふうな皿にこじんまりと、おそらく炒めあげてから一度茶碗に盛られたものを逆さにかえした技であろう、そんなどこか小振りな乳房を連想させる形は色合いまでもが似通ったところもあって、ぱっと見には予断を許さない微笑ましさにしてやられてしまったなど、なすがままの風情にひたっていることを意識しながら、白いレンゲまでも用意してくれている気遣いも楽し気に、久道からすすめられるまますでに食し始めているわずかの間隔には、その実なんの念いも被さってはいなかった。ただ、レンゲでさらった焼き飯を噛みしめながら、その以外な香ばしさにやや驚いてから、ようやく言葉になりかけた矢先相手より、
「具はベーコンに長ねぎ、卵だけなんです。どうですかシンプルですけど、コクはあるでしょう」
と説明を受けた時、孝博は思わぬ自分の行為を少しばかり恥ずかしく感じてしまったのである。
いくら手際よく同時系列に運ばれてきたからと云っても、当然麺類である五目冷や麦とやらから箸をつけるべきであった。どうにも日頃の経験からすれば、ラーメンと焼き飯を注文することも多々あり、その折には確率的に焼き飯のほうから出されてくる場合が高く、どうしてもその癖がしみ込んでいるのだろうか、又ほどよい案配で追加される麺類には当然スープがたたえられていて、口中に含んだものを熱く湿らす醍醐味も兼ねて手にしたレンゲですくわれ、すすられる感覚が一種の儀式にまで確定されてしまっている。そこではたと気づかされるのが決まって麺への愛着なのだけれど、こればかりは順序に拘泥する必要もない、そんな食欲への忠誠みたいな無意識の行為をさげすむこともないだろう。
孝博は反駁にも近い弁解をこころに浮かべながら、気丈な顔つきを装い久道の様子をうかがって見たものの、別段いぶかし気なところもなく至って平静な、と云うよりもとても平和な一日であることをしみじみと噛みしめているような笑みを浮かべているばかり、まるで胸中を悟られたと不意に突きあがってくる邪念を封じる為にもあえて、
「これは中々いけます。味付けも塩コショウに味の素、それに仕上げの醤油を少しと云ったところでしょうか。米粒一粒にしっかりと含まれた香りは逃げ場を失ったように諦観してますが、このしっとりとした油加減がもたらしている柔らかさには、愁いの涙と云うよりか、歓喜のしるしが滲みだしているみたいで、パラつき具合が絶妙にコントロールされています」
と、あくまで泰然とした居ずまいをあえて崩してみせながら一気にまくしたてるよう感想を述べてみた。
「そうですか、そりゃどうも大変恐縮です。確かに塩コショウなのですが、今回は味の素ではなくて鶏ガラスープ顆粒を使いました」
久道の返答が淡々としているのが幸いだったのか、孝博もそれ以上余計な口をはさむことなく、おもむろに五目冷や麦へと箸が移ってゆく姿が自然であるよう振る舞いを見せる。
この時点で孝博は自身の緊張を認めないわけにはいかなかった。向かいあった久道も平然とした態度で食しているのだが、彼がどうした順番で箸をすすめたのかを確認出来ていなかったことは、完全な敗北とも呼ぶべき失態であり、やはりそこにはぶしつけな訪問を許可された弱みが、ちょうどあらかじめ敷かれた座布団の厚みとなって過剰な遠慮を誘発させてしまう。気もそぞろであったのはあのペナントを見つめた時から定められた宿命であったのかも知れない。孝博にとって後ろめたさみたいなものは、例えその姿をあらわにするまでもなく、字義通り常に人見知りするこころのように物陰へ隠れ、そっと何処か様子を見届けることに専念している。
ホクホクするほどの焼き飯を食べながらも、微かに流れる冷や汗を意識してようよう孝博は落ち着きを取り戻し出した。そんな心境を補うつもりか久道は安堵に満ちている機知をもって、
「あっ、すいません。焼き飯のスープを忘れてました。いえ、もう作ってあるんです。今あっためてきますから、さっきの鶏ガラの素を溶いたやつですけど」
そう言うとあたふたと立ち上がった。と同時に五目冷や麦の盛りつけへと釘づけになりかけそうな気持ちを刷新させ、今度は冷静なまなざしを我がものにする余裕を得られたと思った。そして目は判然と冷た気な麺に焦点を合わせつつも、先ほど脳裏をわずかによぎったラーメンと焼き飯の注文を想起させると、何故やら次には高校生の頃しょっちゅう食べていた「寿がきや本店の味」と云うインスタントラーメンの記憶を強引にたぐり寄せた。やや濃い口のしょうゆ味だけれど湯の量を加減すれば、思ったよりあっさりとした口当たりに変化する、例えは悪いがどこかどぶ臭ささえ漂う本来のスープに繊細なうま味を発見した際には、たぶん材料となっているだろう鶏ガラの澄んだ香味の向こう側に、魚類系の出汁や野菜エキスが送りだす甘い成分を嗅ぎ取って有頂天になったことや、悲しいくらい微々たる乾燥メンマとコーンを駆逐する勢いで鍋に投入した生キャベツの歯触りが、太目のしかもあまり伸びやかではない麺と不思議な効果を生み出し、どんぶりの中身がほぼ消えかかる頃になって、インスタント食品が背負ういかがわしさと、その正反対である名状し難い満足感を覚えたこと、そうした即物的な食欲のあり方を投げやりに肯定していた気分が生々しくよみがえってくるのだった。


[120] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット3 名前:コレクター 投稿日:2010年07月20日 (火) 12時58分

思いもよらなかった昼飯のもてなし、しかも初めて訪ねた家で本人が腕をふるってくれた焼き飯の味。遠藤が言うよう随分と段取りがなされていたのか、この室内を見渡している間がかりそめの裡へ過ぎてしまったことに即す程、手際よく並べられた新鮮な驚きは、布張りのソファに浅くもなく、深くもなく腰をおろした居ずまいから覚える体温の高まりに準じ、冷房が行き届いたまわりの空気へとけ込むのだった。
予想していた通りの品がいかにも手慣れた様子で運ばれる光景に見とれながらも、孝博はおそらく恐縮で身がある程度こわばってしまう在り来たりの気分に支配されることはなかった。それと云うのも、今ここにこうして座っている事態を的確に捉えることが不可能と思われるからであって、理由は言わずもがな、彼の胸中に奥深くわだかまっている気配が、次第に形をあらわにさせようとしている為だけれど、見通しの良い眺望を期待する条件は盤石とそこに備わっていない。むしろ淡い悲観に寄り添うような影の希薄さが、郷愁にも似た旋律を選びつつ茫洋と流れだそうとしている。
大胆に見える所作は以外とふとした偶然から繰り出されてゆく。花火の夜、いつになく酒杯を傾けてしまった記憶をまるでよそ事のごとくに打ち消してしまった一瞬の始まり。翌朝、以前息子の晃一にあてがわれていたと云う部屋に入って窓の外を眺めながら、
「片目を失明させてしまったのは、わしのいたらなさでもあるんだよ、孝博さん、本当にすまなかった」
もう何度となく三好から、そう謝罪を重ねられただろう。人一倍義理堅いところのある主人にとってみれば、遠縁にあたる若者を預かったすえ取り返しのつかない結果に結びついてしまった悔恨を、どう整理してみればよいのやら、それは相手に対しての責任と云うよりおのれに直結する不甲斐なさで閉じられているのだろう。三好の性分を知っている孝博にはよく理解されるのだったが、これ以上の懺悔にも映ってしまうそんな痛みは出来れば早く忘れてしまいたかった。自分や三好が嘆こうがつまるところは同じ根から発生している。失われた息子の右目は決して取り戻せないし、不慮の事故でもあるが、実際は晃一自身が引き起こした不幸なのだ。
「いえ、あれで本人は以外と落ち込んでないんですよ。こんなふうに言うと不謹慎でしょうが、晃一にとってみれば負の勲章みたいに感じているところがあるように思うのです。隻眼って何かかっこいいとか言い出して映画なんかでよくある黒い皮の眼帯を特注で作ったほどで、だからもう気になさらずに、このまちに来ると熱望したのも本人だし、失恋に至ったのも仕方のないことです。やけかどうかはわかりませんけど山道からの転落も不運としか言えません、、、」
孝博はその先を弁解する意義を見失っていた。その埋め合わせとして少なくとも自尊心は放棄したつもりであった。そして鬼畜にも等しい投げやりな意想を息子のこころに張りつけてしまうと、あたかも示談が成立したふうな決して後味はよくないにせよ、それなりの解決へ収まった感を抱いている他者のような自分を知った。
浮遊する視線が捉えようとしたのは、わざわざ三好に頼んでこの部屋を見せてもらい、自然なふるまいとして窓の向こうに解放された港の風景などではなく、前にも確か見たと思う一枚のペナントを確認する為であった。果たしてそれにどんな意味あいが封じられているのかは、やはり夢の謎解きに近い曖昧な偶然に包みこまれている。
「これって晃一がこっちで手に入れたものなんですか」
少々ばかり力み過ぎ何気なさを強調してしまそうになった孝博の問いに、別段いぶかる面持ちも見せず、
「このペナントは確か、比呂美がまだ嫁に行く前に遠藤硝子のひとからもらったんじゃなかったかな、こんなものがどうかしたのかね」
「別にただ目についたものですから」
それから先、孝博は極々世間話しを流す調子で、遠藤硝子って川向こうにある老舗だったと、記憶を何となく巡らしてみた口ぶりで、それで又どうして硝子店がペナントを持って来たわけかと探れば、三好もその時は苦笑をしてみせ、先代はもう亡くなって久しくなるけど、その婿養子がどうしたわけか硝子職人を継ぐことをせず、一切を先代の娘にまかせてしまって、今では硝子店とは名ばかりで細工ばかりを専門にした小さな工房を営んでいる。婿養子は東京で保険会社に努めていたのだが退職後に帰省して縁あって、と云うより親類にあたるところからどうやら婿に入ったらしい。奥さんは硝子細工だけれど、彼は刺繍とか得意だったこともあり、ああして時代遅れの織物を作っていると。何でも最近は海外から発注が多くあれでなかなか実入りもある様子で、その最初の作を比呂美にいわばプレゼントしたとのことであった。
「あはは、久道とか云う名だったな、うちの比呂美に気があったのかいな」
そうして、何だったら娘にいきさつを聞いてみるかと冗談ぽく話す三好を適当にあしらったのは、すでにある信憑が孝博の脳裏に渦巻いてしまい、余裕を保つことが困難になりかけたからであった。


[119] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット2 名前:コレクター 投稿日:2010年07月06日 (火) 05時33分

単なる期待であるべき以上の思惑をはらんでいたからには、初対面の人物を果たしてどういった印象で受けとめるのやら、気早に波立つ久道の眼に映じた男の年格好や人柄は、兎に角挨拶を交した時点で何やら顔見知りに思えたりもして、しかもよりどころのないままに胸のあたりに充満する既視感を、錯覚かと受けとめる良識も同居させているあたり、反対に随分と浮かれてしまっているなと感じるのだった。
手放しで喜びが許されない、腑に落ちてしまうことをどこかで拒む、熱射のうちに溶け出してしまう氷塊を見つめているような、微かな敗北感みたいなものがもたげているからであり、その雪解け水を連想させる季節はずれなイメージに我ながら慌ただしい胸中を諭される。
「お昼はまだでしょう」
正午をとうにまわった時刻の来訪に念を押すよう、ほころびから笑みが飛び出してしまうのを押さえるよう、久道は聞いてみた。
「はい、三好荘を午前中に出て少し、海辺からみかん山にかけて歩いて来たものですから」
幾分うつむき加減でそう応える男の額には汗が吹き出している。
久道はこころの底から合点がいったと目を奥からひかりを輝かせながら、
「磯野さん、まあ上着を脱いで楽にして下さい。今日もかなり暑くなりそうですから」
と言って、冷房も効いている室内だったが扇風機を客人に向け涼をうながした。
「お昼と申しまても内のが留守で、さっきから仕込みと段取りだけは済ましておいたんですけど、いいえ、大層なものは作れませんので。五目冷や麦と焼き飯なんですが、あっ、五目冷麦って云うのは、きゅうりとか錦糸卵とか載った冷たい麺です。冷やし中華の和風版ですか。それと焼き飯も半ライスのこじんまり量でして、こう暑くなりますとやはり炭水化物をしっかり採っておかなければなどと思いまして、それに冷たいものと温かいものってバランスもいいじゃないですか」
この部屋に備わるソファやカーテンの布地から湿度が発散されているのだろう匂いを、想い出そうと磯野は努めてみたのだけれど、それがどこで嗅いだものかはつかみ取れないまま、強風に乗って聞かされた意表を着かれるそんな献立に和まされ、まだ少し汗に濡れた皮膚もひんやりとした感触にさらされていった。
ビールでもと勧めたれたが、先きに手元に置かれた麦茶で十分ですからと、恐縮しつつも意思をあらわにした後で、
「それでは、少々お待ち下さい。今、こしらえて来ますから。もう段取りは済んでますから、すぐですから」
と、軽快な口調で台所に姿を消した久道の思いもかけない陽気さに唖然としながら、増々、汗が冷たくなって引いていくのを磯野は時を数えるように知った。
この場でひとりになって始めて覚えるこそばゆさで己を解放させてみたくなる放埒な思い。あらためてこの部屋の匂いが衣類の陳列された洋品店を彷彿させる、あの真新しい繊維が浮遊し冷気と交じり合った清潔さを運んでくる初々しい微風によく似ていると感じる。真夏の外からは隔絶されても、季節に即し慰撫する使命を心得ているかの淡い、そう原色が潔く退色したとでも云える、薄桃色や水色や吸い込まれそうな若葉色で清涼を醸し出す、白昼の岩屋が持っている隠れ場のような居心地。
嗅覚と云うものがどれほどこころの底辺まで沈潜し、記憶の貯蔵庫の扉を開けるのか、磯野孝博は数年ぶりにその謎を探ってみたい欲求に駆られたのだったが、反逆作用とも呼べる現実的な情況は残念ながら彼が目のあたりにしているこの室内、つまりは視線が配分する未知なる日常の方向へと否が応でも連れ戻してしまうのだった。記憶の彼方に別れを告げることもなく、、、
おそらく事務室を兼ねた客間であろう十畳はゆうにありそうな広さ、低めのテーブルを囲んだ布張りのソファ、レースのカーテンに遮られているけれど本来は外光を直接受けている幅広な机、その両脇の壁に添えつけられた天井まで届きそうな書架、ここからでも眺められる孝博もよく知る専門書を扱う出版社の書物。立ち上がって端からつぶさに見てとりたい気持ちを引き締めたのは、彼自身もよく分からない穏やかな余裕が静かに警鐘を鳴らしている為であって、決してここに長居するわけでもないのに何故か、満ち足りてしまい、こうして遠藤の住まいまで訪ねてしまったと云うことで、糸口を即物的にとどめ置こうと懸命になっているのであった。
そして、あながち的はずれではないと推測される、あまりに唐突な連絡が思いがけない快諾へと結びついた意味。書架以外の壁面にびっしり張りつけられたペナントの織物が見せつける光景、それはまだ茫洋とではあるが大胆な無邪気さを裏側から支えているような気がしてならなかった。
この無邪気さは、冷麦や焼き飯と云った昼飯によって脱力感を生み出し、親和へと歩み始める。台所から香ばしい炒めもの油分が漂って来て、ようやく孝博はさきほどからの清涼な冷気の発信源を見出したのだった。


[118] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット1 名前:コレクター 投稿日:2010年06月29日 (火) 05時39分

その日も残暑の厳しさを予感させる日差しであった。いつもながら九時過ぎに目覚めた遠藤久道へ最初に届けられたのは、聞き慣れない名前の人から電話がと云う、妻のどこか慌ただし気な一声だった。
「誰だろう、電話で起こされるのもそうないからな」
久道にしてみれば確かにそれくらいの間合いであったに違いない。仕事の関係者らには携帯の番号を知らせてあるし、彼の起床時間をわかっている知人も午前中に連絡を寄越すことはほとんどなく、しかも寝起きながらも初耳にする相手の名は、久道を呼び覚ます加減を秘めているようにせわしない緊迫で到達する。
「はい、替わりました。店主の遠藤です」
寝室から出たすぐ先きの廊下で受話器をとるまで、わずかな時間に押し寄せた言葉にならない胸騒ぎは頂点に向かうまでもなく、すでに払拭されてしまった。先方の礼儀正しい名乗りと、几帳面な性格が窺える控えめではあるけれど端整なもの言いに要約された所思が、小気味よく伝わってくる。
結局、電話口でことの真意を応答することなく、ほとんど相手の用件を鵜呑みにする案配で訪問を了解していた。決して矢継ぎ早で告げられるままの押し出しに揺らいだわけでもない、どちらかと云えば遠慮勝ちにさえ聞こえる口調は好感さえ醸しており、忽然と奇妙な用向きを述べられた感触に嫌な想像が巡らなかった理由は、営業目的などの勧誘とは明らかに一線を画する、腑に落ちてしまうのが躊躇われるくらいの意欲が満ちて来る確信を覚えたからで、はなからそれが何らかの営利に結びついているとは思えなかったからである。
仕事柄そうした場面にたずさわる事情もあるし、実際自分も商売を営んでいる以上、その辺りの機微は見極めがつく。
「これからでもかまいませんが、はい、わたしは全然大丈夫です。あっ、そうなんですか、それじゃ、ほんとすぐ近くじゃないですか。川沿いを少し折れたところです、遠藤硝子って看板が出てますから」
ついさっきまで眠っていたことが何やら疑わしく感じてしまう。それにしてもこのまちに戻るまで努めていた保険会社での経験が、こんな形で即座に甦って明快な反応を示すとは、、、
だが、久道の揺るぎない信憑に杭を打ったのは経験的な直感だけではなかった。電話の主がやや声を落としながら言った、
「はい、夢のなかで一度お目にかかったことがありまして、信じてもらえるほうがおかしいのですけど、確かにあなたのお名前通りだったのです。わたしは先ほども申しあげましたけれど、特に信心深いわけでもありません。大学での研究でも少々分野が異なると云いますか、しかし、不可思議な体験にせよ、そこに潜んだ可能性みたいなものは探ってみたいわけです」
との奇天烈な披瀝に感電するかのごとく興奮し、続いてその夢見の情況と何故ここにたどり着いたかを臆しながら説明する様子に増々惹かれた久道は、
「わかりました。夢で会ったからなんて、ものを売りつけたり勧誘することもないでしょう。もし、そうなら、それも勉強です。あっ、すいません、それで、どちらから電話をおかけしてるんですか」
そう問いかける頃には、いつにないほど目覚めの爽快さに覆われてしまい、楽しみが待ちどうしくいたたまれないような童心が呼び起こされ、例え相手が大学教授であろうがなかろうが、このまちの出でかどうかも関係なく、面識もない人間がこのようなアプローチをもってこの身に訪れてくる現実が愉快で仕方ないのだった。
仮に対面したあげくに詐欺師か悪戯の類いであったとしてみても、随分と趣向を凝らした、と云うよりこうも趣旨を前面に打ち出したまやかしであるからには、それなりの値打ちがあるはず、突然の幸運を逃さない為には、逆転の仕掛けを講じ自ら運命を切りさかなくてはいけない、そうやって始めて楔をこの胸に深く打ち込める。
まだまだ続くだろう夏の光線が不快指数に堕するまえに、一刻も早くと願う気持ちは高揚して、午後からお邪魔しますと控えめで応えている口吻に叱責する思いさえみなぎり、とうとう昼飯も用意させてもらうから、何よりそんな近所の民宿にいるわけだし是非ともそうしてもらえればと、熱したままむき出しの感情に衣を着せることも忘れてしまうのであった。
受話器を置いてからしばらく経ったのけれど、耳鳴りが治まらないときの浮遊感に似た無感覚さで支配されているのだろう、その場から離れようとはせず、役目を果たした健気さで静まっている電話から放たれる無言の響きに聞き入ってしまう。これから出会う未知の人物の声を何度も思い起こしながらわざとらしく身震いをし、それ以上の先きの展開を中断してみてはほくそ笑む。
「あなた、誰か来るの。わたし、硝子細工の夏期講習だから出かけるわよ。お昼は向こうでいただくの」
不意に妻からそう聞かせれても微動だにしないだけの余韻と余裕は持ち合わせている。
「あっ、そうだったな。いいさ、昼飯くらい作れるよ」
「講習終わってからも知り合いの人たちとお話してくるから、でも夕方には帰れると思うわ」
「いいよ、いいよ、ゆっくりしてくれば」
時計は十一時をまわっていた。


[117] 題名:まんだら 第三篇〜異名23 名前:コレクター 投稿日:2010年06月08日 (火) 04時44分

他の三枚とは異なる図柄を配した最後の一枚があかりを取りこむようにして燦然と輝きだす。
あきらかに日差しは隠れはじめ、夕暮れ間近特有のひっそりと沈みこめる気配に導かれていたと思われるが、どうした具合なのか寄りそったふたりの顔が燻りがちとは云え、漆ぬりされたふうに朱で染めあがった色づきで明らむ様は、如何にも胸の裡が熱していたのだと、こうしてすべてを知りつくしたつもりで落とした視線をはね返すよう、その内心とはうらはらに冷たい光を放っている。
気が遠くなるほどまでは云わないけれど、相当の年月を隔てた自分の顔がこんなわずかの距離で黙ったまま目線を釘付けにしてしまう厳めしさは否定しがたく、よそよそしい面持ちを思わずつくり出してしまう。
ふたりして眉のうえ少しのところは揃ったものの、隣に写る美代の華奢な首筋は暗幕に遮られるようにして右手から横顔を寄せている有理の存在を哀しみで誘い、しかもその哀しみは際立った陰影を拒む様子もなく肩先までで切りとられ、あとはまわりに張り付いてしまった夜の使者が塗りこめた背景にうなずいている有理の黒髪、、、陰りの主であることに忠実なるまま闇に溶けてしまった黒髪が、彼女のまぶたを閉じさせているのだった。
すっと伏せられたまぶたにはなめらかな曲線を描いた睫毛がゆっくりと被さり、厳かな沈黙を守るべく、美代の目尻から頬にかけてかたちの良い鼻梁がほとんどひっつきながら、そのくちもとと云えばきつく結ばれているのだが、微かに口辺へ波紋のごとく笑みの種子を投げいれたと窺えるのはあながち気のせいでもあるまい、それは真横に位置した加減でいつになくふくよかとした上くちびるの中心が丸みを帯び、触ればさっと反応してしまう小魚のひれを思わせる過敏さで震え、ときには傷みやすい果実が香らす清純さも予感させられ、さざ波となって微笑へと誘っているように見えた。
微笑は哀しみと出会う。伏し目の有理とは対照的に美代のまなざしは大きく見開かれ、半面に寄りそった相手よりも威厳ある居ずまいを明快に現し、むろん、椅子にかけた美代の斜めうしろから抱く素振りで密着した、そう、畳にひざを立てたまま思いきり近づいた情況を知りつつ、あえて大人ぶって有理が延ばした左手のレンズを見つめ続けた。背後からしがみつかれながらも、あえてかぶりを振りきらず沈着に、冷静に、未来へと送られる構図を意識することでもうひとりの自分へと飛翔する。
確かにわたしは笑顔など浮かべていなかった、、、黒目が濃く、それは有理姉さんが眉墨をあまり入れなかったからだけど、するといやでも鮮やかに塗られたくち紅が毒気を放っているみたいで、ましてやまわりの暗がりがくちのなかまで侵入して来るのか、少しだけ開かれたくちびるの間から白い歯は覗かせない、、、でも、微笑む余裕がなくてこんな険しい表情をしているわけでなく、あのときはああした顔つきをしてみたかったの。案の定、有理姉さんは寂しいようだけどわたしの気持ちを察してくれたのか、とても自然な穏やかな横顔でこうして頬をすり寄せている。そう云うふうに写っているだけかも知れないけど、、、この写真を見せられた直後にわたしの顔色は曇ってしまい、泣き声を出しそうになったから抱きしめられたのだろうか、、、それともわたしの方からむこうの胸に飛びこんでいったのだろうか、、、どちらでもかまわない、、、

「浅井さん、さっきお兄さんが面会にいらしてたんですけど、眠ってるからまた出直すって言ってました」
「えっ、兄がですか」
美代は意味あり気な符丁にもとれる珍しい久道の来意に驚いたふうであったが、ふと気を取り直し、どれくら眠っていたのかと思い巡らす小さな旅路の伴走として、とりとめもない回想がそうであるように別段兄の面会を意識するべきでもないと、こころのなかでつぶやいてみた。眠れる湖へ小石を投げ込むときに抱くほんの少しの邪念を知りつつ、、、
外には冷たい風が吹いていたようだけど、窓のうちに差し込む夕映えはいつか見た夢うつつの温もりに包まれ、何よりも美代自身の体温が、例えそれが発熱であったとしても、心地よさへと繋がる道程であると思われた。


まんだら 第三篇〜異名

終 


[116] 題名:まんだら 第三篇〜異名22 名前:コレクター 投稿日:2010年06月08日 (火) 04時43分

あの日の写真を取り出しじっと目を凝らす。光線の加減もあって大概は暗くぼやけた写りのものばかりで、記念にと云う有理の思惑に実はかなった枚数の少なさが今となっては価値を高めている。
美代の手元に渡されたのはわずか四枚だけであり、そのうちの三枚がやや正面から撮影された似たような表情で、それらは微笑んでいるのか戸惑っているのか、よく見極めのつかないありきたりな面持ちに支配されていた。が、所詮は小学の低学年が精一杯つくり出した感情の曖昧さで終始されるのも頑是ないこと、ファインダー越しに悲哀のまなざしを求められてみても、内心は正反対に吹き出してしまいそうになった反応が我ながらに可笑しく思い返す。
有理の未熟ながらも丹念な化粧により仕上がったこの写真を手にした際の印象は、その濃密な目もとの彩色や当時のプリントがそうであった独特の発色と相まって、月日を経た現在でも決して色褪せたりはしない。自分の顔立ちがどうこうと云うよりもおさな子であるはずの、色艶とはほど遠いすがたがそこでは奇矯さぎりぎりのところで不遜なまでに自愛をしめしている。有理姉さんがあのときふともらしていた可憐な小花と云う言葉が、まだ効力を秘めていると痛感出来てしまう根拠は、まさにこの人工的な異形が発散する無機質な歓びにあったのだろう。
見ようによっては冷淡なくらい肉薄い上くちびるが、ようやくめくられたふうにして歯並びを少しばかり覗かせている。口角をわずか動かせることに成功した頬の隆起も平淡な内心をかいま見せるにとどまり、それと云うのも束ねられた黒髪が、目尻からあご先にかけて隠し去るようにして左半面に垂れさがり、本来しもぶくれ気味の頬を無きものにしてみせ、同時に反対側は目論まれた陰影がちょうど良い具合に重なりあい、多少丸みを帯びたおとがいを目立たせることなく細面に形成させているからだった。
この時点でもはや美代本人の目から見てもよそよそしいほどに現実感は霧散してしまい、なおかつ、やや上目使いに定められた瞳のまわりを縁取る微妙な案配で引かれたアイライナーは、頑な意思で棲みついた無垢なる脆弱さをそれとなく強調して、そこから放たれる光させも惑わす奇態な視線に変幻する。
わたしはあの場で刃物を突きつけられていたのではなかっただろうか、、、美代にそんな荒唐無稽な感慨を張りつけたのも無理はない。それほど自分の顔かたちは、死に直面した折に血の気が失せる手前の暖色が急低下する瞬時を物語っていた。そこにはむろん喜びはないが悲しみも怒りもない、放置されたのは人肌をまとった模造品の苦悩だけである。ひとつだけ難を逃れたのは白塗りで段差が損なわれたのか、すっきり通った鼻梁の気高さは了解出来ず、小鼻がふくらんだ様子があらわになったせいでどうにか子供らしさを残存させているのだった。

鮮烈に焼き付けられた記憶は遠く過ぎ往きた後ろがわへと流れるはずなのに、この写真から喚起するひろがりの情感はちょうど額にドアがあって、そこからはらはらと花びらが強風にあおられ散り去るはかなさが、せつなく、もどかしく、けれども余分なとらわれに陥ることなく見据えられる。
「これって練習なの、わたしまだまだ上手じゃないみたいだから」
一度は息継ぎのようにくちびるが離れてから、ふたたび今度はより濃厚なぬめりのキスが終わったあと有理はこうつぶやいた。
それから言い訳らしく聞かせた言葉を美代は明確には思い出せない。だが、有理があのとき胸に秘めていた小鳥みたいに柔弱な好奇心は、かねてより望美から教えられていた事情もあって共有できるし、何よりわたしが期待してやまなかったのだから、有理姉さんが恥ずかし気な態度をあらわせば、あらわすほどそれは同じ恥じらいとなってわたしの胸を滲ましていった、、、
「ううん、いいの。わたしもうれしかったから」
そう言いかけながら、結局は口に出来なかった。その節度は今から顧みても十二分に美代の自尊心を保持し続け、そして有理をどこかしら物体として捉える意想に傾いていった。おそらくは感じとったのであろう美代の気持ちに驚きをみせることが躊躇われ、また羞恥の方向へとおちていくのを見逃さず察している様子がどうにもたまらなく、身の置きどころなく思われた。
美代にはそんな彼女のすがたが、固定された感情、、、鬼ごっこで相手を捕まえたときのあの遊戯精神にあふれた優越感、会話が会話であることに煮詰まってしまい、あらぬ方角へ逃亡しかける脱力感と緊張感、つまりは投げかけなどのやり取りが停止し自己完結だけに意識が占領された光輝の瞬間へとすべては収斂してゆく。
編目で覆われながら羽ばたいている蝶、すがたかたちを見届ければその羽ばたきは限りなく静止へと向かっている。美代のこころは自由であった。


[115] 題名:まんだら 第三篇〜異名21 名前:コレクター 投稿日:2010年06月01日 (火) 04時15分

不意に訪れた深く眠る色褪せたはずの想い出、いやそれらはきっと取り戻さなければならない宿命であったから、呼び子によって彩りを施され今ここに巡ってくる。ちょうど遠い汽笛が潮風を運んでくると信じてしまうように。
視界をさえぎる夜霧に包まれた時に感じる不思議な心地よさに、美代はすっかり我を失ってしまった。
煙立ち靄がかったさきに写しだせれていたのは、まぎれもないわたしの姿だったのだけれど、どう受けとめてよいのやらわけが分からず、そこに後押しされるよう有理の心配気な口ぶりが被さった途端、もう意識は乱れた気流によってさらわれ、めまいが生じ、しかしながら心棒を回転軸にする駒のような一定感はむしろ反対に覚めた情念をこの身から逃さず、確かに大人びた、我ながらうっとりとしてしまう妖しさを醸し出しており、その刹那わき起こった衝動はおそらく抱擁のあとに来る行為を切実と願っていた。
ませた仕草を演出したのは有理であったが、懸命に役柄を演じたのは美代であった。そうして脚本とも即興とも云える一瞬は、予定調和に即すよう美代に放電を促す。有理の気遣いは、まるで人造人間を生みだしてしまった博士が、目のまえに展開する所業におののくよう、それは生命の神秘を暴いてしまったかの狼狽であった。
過剰な電流によって強烈な意志を得た美代は、飛び込んだ有理の胸もとで今度は写真に焼き付けられた以上の、つまりはそこから抜け出てしまった別人となり、同級生の姉は年上には違いないけれど、もはや同性であることに拘泥する意味あいは剥奪されひとりの好男子と化し、あるいは美代が少年に変容したうえで女装し、有理に切ない胸を打ちあけようとする。そんな自分を美代は異名で呼んでみたくなった。
有理の柔らかなくちびるが、生暖かい吐息をともなって寸前にまで近づいてきた。さあ、わたしは誰になればいいの、だいじょうぶ怖くなんかない、わたしはわたしじゃないから、、、鬼ごっこでつかまったときの罰ゲームと同じ、、、それと映画の一場面みたいなもの、旅行先で泊まった夜の枕があたえる冷たい親近感、そのあと聞こえてきた町並みが震える微かな音、、、音、、、たぶん聞き慣れない、魔法の国からやってくる、だって明日になればすっかり忘れてしまう音、、、想い出したわ、音の波、いいえそうじゃないの、有理姉さんの口先に初めて触れたときのことを何度も憶い返すと、あの感触に浸ろうとすればするほど、望美から聞かされた内緒話しや三人組の悪戯と云ったつまらない事柄が一緒になって脳裏の駆けてゆく。どうしてなのかよく分からない、以前何かの本で読んだが男性は自慰にマンネリ化すると、妄念の勢いをあえて妨げて、まったく無縁の場面に移行させながら頂点を呼び寄せる、そうした延長作用がかえって快感を引き延ばしているのだとか、、、わたしの場合もそれなのかしら、でも無縁と云うよりも付随した想念が招かれるのだから、話しの腰を折るような中断作業ではなくて、だって男性にとっては絶頂を抑止することで少しでも快感を先延ばししたいって欲深さだろうけど、わたしにつきまとう追想は婉曲に申しでてくる、そう、緩やかな非常階段みたいなもの、手探りを必要としない、向こうから探られる軽やかな手すりへの触れ合い、、、冷めた紅茶を飲み干すときに覚える、あの矛盾したようだけどとても時間が長く感じられる性急さだったから。
それを前戯と呼んでみればどうだろう、遠まわりで不本意でありながらも目的を成就させる為、終着を向かえる為に乗り継がれる列車の振動。その振動がもたらす反復は律動となり、五感に安定と痙攣を授けていく。
口中に異物が侵入しかけたと思われるほどの違和感が発生した美代は、そんな言い草でしかそれらを思い浮かべられなかった。別人に扮してみたとしても感覚自体に異変は生じない。背丈も違えば、顔も、肝心のくちびるの大きさも異なり、ましてや初めての経験である事実は期待した以上の贈り物には成り得ず、逆に圧迫にも成りかねない一面をうかがわせていた。しかし、どちらが分泌した唾液によってか知るよしもないまま、互いのくちびるが濡れてなめらかになった頃、美代の意識は純化され先ほどまでの邪念からは十分に距離を保つことが出来た。
そうね、あれからの光景は俯瞰図で見取れるくらい鮮明に憶えている、、、わたしはやっぱり無我夢中だったに違いない、だって有理姉さんたら、思いっきり両腕にちからを入れて抱きしめるから、からだがきつくなってしまい、そうするとキスしているって感触が散乱してゆくけど、そのお陰で何故かしら自分がとても冷静な気持ちでいられたと思える、、、わたしを無くすってことは、ああした緊張のなかを云うのではないかしら、、、だって、冷静な自分はすでに別のひとだから、、、




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