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[150] 題名:まんだら 第三篇〜虚空のスキャット29 名前:コレクター 投稿日:2010年12月20日 (月) 04時27分

山間から町中へと引き返すときも、まるでサンダル履きで駆けゆくような素早さであった。ひとつしかない改札口は駅舎から多少離れたところからも見通せた。
朝からの快晴は午後を過ぎても変わらず、青く澄みわたった空にはとんびが数羽自在に飛びまわっている。車が目的地に近づくにつれ駅舎の後方にひかえていた山並みが屋根の下に潜りこむように視界から消え、駅名の記された真上にこしらえられている山稜を模した屋根が青空をほんの一部だけ隠した。むろん左右を望めば名も知らない山が連ねているけど、あと数分でホームに滑りこむだろう列車を待ち受けるまなざしは真正面だけに位置づけられていた。旅人に対する視線はおおむねこうした熱烈な姿勢で成り立っているか、もしくは内省的な雰囲気が一目で見てとれるうつむき加減で示されるものだ。それがどう云った思惑であるのかは他者の関与するべきことではない。
同じように他者からすれば、かつて列車内で過剰な肉欲を抱いてしまった不始末、やがて因果となってめぐり晃一を巻き込む悲劇に逢着した事実、それらは秘匿された不動の陰であり続けるだろう。
孝博は待たれる側をこのまちで幾度も経験したから、見知らぬひとのそうした姿を横目で見遣るすべを少なからず身につけていた。だが今度は始めて待つ側に転化することで、変に落ち着き払った気分を得た。おそらく、たった今までこの駅の向こう遠く渓流で弁当を食べていた余韻だろうし、息子と肩を並べて他人を迎える行為にも奇妙な違和が生じているからかと、つまりは擬似的にしろ山道を経てまちの入り口に佇んでいる現実が、随分と前よりここに住み着き久しぶりの客を出迎えるような錯覚を起こしているのだ。
この錯覚は安全弁がしっかり締められた機能的なめまいであった。それゆえにすべての空気が一瞬にして変わってしまおうと決して身じろがない偽装の錯誤であり、そこに平穏が委ねられるのは不思議な現象ではない。
磯野親子は位相を反転させただけだったが、これから始めなくてはいけない夏休みの宿題に焦りおののいているような安逸を同時に孕んでいた。肝心なのは恐怖ではなく、達成されるべき先に控えている日々の栄光であったから。玲瓏たる意識がうつろいを噛みしめるためにも、、、
孝博は父親として威厳を保つ意義など持ち合わせなくてもよかった。だから一切は伏せられ、ときには全貌が切り売りされた。たぶん晃一もその考えに同調したに違いないから、込み入った実情とは異なる方角よりあくまで怪異譚たるべきして歩み寄ろうと試みている。以前遠藤久道が孝博に示唆した方向があたらに切り開かれたのだ。ただし反吐をもよおすほどの膿がにじみ出す可能性も避け難く、そこから逃げない覚悟が要求される。ふたりはそうして湯けむりに霞む人影のように妖しく互いを認めあった。黄昏どきに行き交う同士が恐怖を克服する様相に似て、、、反芻される踏み絵となりつつ、、、

列車が到着するといとも簡単に改札を抜けたと云う足取りでこちらに向ってくる若い女性を孝博は見た。
晃一の顔に笑みを送っているようにも、孝博に丁寧な親しみを投げかけているようにも見える。あるいはこのまちに生まれて始めてたどり着けたのを自ら祝福している喜色満面が、花束が飛び散る華麗さで放たれているせいなのだろうか。
「どうもはじめまして永瀬砂理と申します。晃一くんにはお世話になってばかりで」
手がのばせる距離まで早足に歩んでから、まずそっと晃一に目配せをしてから彼女はそう挨拶した。まだまだ若いから旅の疲れなど微塵も感じさせないうえ、にこやかな面持ちもしばらくは維持してゆくくらいの気概が溌剌とした身の動きに現れている。とは云ってもせわしない風情でもない、実際永瀬砂理の足先はしっかり地を踏みしめたままどこにも勝手に歩きだそうとしてないし、身ぶり手振りも大仰につくられたものでもなく、挨拶まえから一向にかがやきを失わない、そのややつり目勝ちだけれどひかりを十二分に含んだ両のひとみは、隻眼の晃一に向って余りあるほど親しみを投げかけていた。そしておこぼれを頂戴するような具合で孝博にも親和が気流になって丁寧に伝わり、「ここまで遠く感じたでしょう」と、ごく自然にありきたりな言葉が衝いてでる。
「いいえ、何せこの地方には来たことがないのでまわりの風景に見入ってしまって、何だか楽しくあっと云う間でした」
砂理の全身には思春期の少女が発するような初々しい喜びが確かにみなぎっている。
とんびが再び上空を旋回しながらのどかな声を聞かせた。素早く首をあげる仕草、好奇な目線とともに砂理の長いまつげがよく晴れた空に、まるでなでしこの花弁を想わせるように翻えり、そのあおりでもってのばされたと認めたいほどにほっそりとした首筋がすっと上を向く。清潔感のあるあご先はこじんまりすぼんで知性的なかたちである故に気丈な性格を香らせながらも、今はまだ無邪気さだけをあらわにしている。
「あの鳥かわいい鳴き声ね」
空を見上げるままつぶやいたのど笛はほんのわずか震えただけで、なめらかな白い肌はまばゆいくらい美しかった。


[149] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット28 名前:コレクター 投稿日:2010年12月14日 (火) 04時25分

渓流の音を耳にながら頬張る弁当は悪くなかった。公園まではあと少しのところだったが晃一の希望は正しかった。が、いざ弁当のふたを開けてみると著しい相違が両目に飛び込んできた。「ごはんが白米だ、、、」晃一の注文は鉄の意志のごとく「のり唐弁当」で透徹され、一切のゆるぎは認められなかった。孝博は少々迷った。はなからこれにしようとは決めてはいなかったので、以外と数多いメニューのなかから選びきるのは面倒と云うよりも楽しい行為なのだけれど、晃一の頼んだ弁当の規格と他のものとは容器も大体同じであれば、白米の中心に梅干し、そのまわりを衛生のようにして小粒のごま塩が振られていると云った呈も似たりよったりで、メインが海老フライでもロースカツでもショウガ焼きでも、どこか説得力が欠けているような気がして、しかしながらどんぶりものには食指が動かず、直火チャーハンなどに至っては亡き遠藤の面影があまりに濃厚に直撃してくるなど、わずらっていたのだったが入り口の横に貼られたポスターの「秋の行楽〜幕の内」を見つけるに及んで生唾とともに先鋭なる解答が弾き出たのであった。
他の品とは写真の大きさも異なる為か、あきらかに豊富な総菜が焼き海老を中心に据えらていて、れんこん、しゅうまい、焼き魚、こんにゃく、さつまいも、かまぼこなどの暖色系を強調した盛りつけには思わず引き込まれてしまい、何より総菜の量からすると瞭然とした控えめさで敷きつめられいる炊き込みごはんの、これまた温かみで湯気をたてている案配には間違いなくこころ奪われてしまった。こうなれば梅干しごま塩系からは完全に脱却した世界が展開されて、有無を言わさない気迫に圧倒されるばかりだ。

滑滝は非常に加減よく浅瀬へと流れ落ちていたし、腰かけた清涼感のある川石には太陽の熱がほんの少しだけ閉じ込められているような感触がした。晃一は「買ってから二十分も経ってなけど、まだまだ温かいね」などと言いながらうまそうに唐あげのかたまりにかじりついている。孝博の落胆は以外に底が深いようであった。「弁当屋が炊き込みごはんと白米を入れ違えたのか」さすがにこれからその誤りをただしに行こうとまでは考えなかったけど、運が悪いにしても何にしても、この場に於ける失望は根深く淀み続けてしまう。目の前の淵だって常に清冽な流れに支配される喜びを知っているかも知れない。紅葉と血が虚構に連なるものだとしても、いや、そう願ってみたいからこそあらゆる拘泥はむしろ意のままに遊泳してくれなくてならない。例え滝に打たれなくとも見た目だけでもいい、そんな雰囲気が醸しだされていてくれれば本望だ、、、ところが、この梅干しとごま塩は一体何を言わんとしているのだろう、、、
「そんな怖い顔してどうしたのさ、弁当食べないの」
よほど深刻な顔つきをしていたのか、孝博はさすがに恥じらった。そして、内奥に堕ちて行く懊悩とは別の表情で「確かこの弁当、秋の行楽とかって書いてあったよな、それなのに普通の白米なんだよ」と飄然と言い放ってみた。
どれどれと云う目つきで晃一はそれを見つめた。
「あっ、本当。でもポスターには二種類あったと思うよ」重々しさを悟られまいとする父の胸中を察知したふうにそう答える。そして「炊き込みごはんのほうを注文しなかったからじゃないの」そうあくまで快活な口調で失態をちょうどこの渓流のごとく清らかに見送ろうと努めている。
それを聞いた孝博は今すぐにでもこの浅い滝壺に飛び込みたい衝動に駆られた。だが、すぐさま思い直し、冷ややかに己を侮蔑した。そして喜劇へと転化出来るか問うてみた。答えは案外早く胸を破るまでもなく、景品の風船を一気に膨らませる調子で虚空を意味あるものに変えた、それが答えだった。
「そうかい、二種類な。よく見なかったのが悪いのさ、大したことじゃない」
「お茶も冷たいやつより温かいのにすればよかった」今度は晃一が連鎖反応みたいにぼやいた。「父さんはいつもご飯のあとしかお茶飲まないよね、まえから気になってたけど大したことじゃないな」
「いいや、締めにすする熱いほうじ茶は夏場でもうまいもんだよ。ガブガブ飲むもんじゃない。でも今日は別にいいさ」
「あっそう、いやあ、ぼくはね、この川の流れみてたら何だか、その熱いほうじ茶を思い出したんだ」
透けるがごとく美しい清流は茶で濁されたのだろうか。孝博はそうではないと思っていた。「弁当に茶は付きものだ。腹が減れば、昼になればみな飯を食う。連続体みたいなものなのか。醜いものが嫌いなら綺麗なものを好む、綺麗なものが嫌いなら醜いものを好む、これはどうかな」声にならないつぶやきは乾いた秋風のなかに消えた。
迎えの時刻が近くなってきたのでふたりは憩いの淵を後にした。車中、晃一がついにしびれを切らしたふうにこう訊いてきた。「やっぱり、これって一種の吸血鬼退治なわけ」
孝博は一笑に付しながら「そんな馬鹿な、誰を退治するっていうんだ。そんなこと言ってるとこっちが退治されるかも知れないよ、だからおまえの彼女な、ちょっと心配になってきてるんだ。そうした意味あいから今みたいな言い方したんじゃないのか」
「別にそうではないんだけど」返答にややこわばりつつそう言った。
「そうか、しかし嫌な予感がする。これは吸血鬼うんぬんの怖れとは違う何かだ。おれも思慮が足りなかった。砂理ちゃんを呼んだのはよくない、でももう遅いよな。釆は投げられた、あとは終結を見届けるまでさ、、、」


[148] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット27 名前:コレクター 投稿日:2010年12月14日 (火) 04時21分

迎えゆく駅を通り過ぎてしまう格好になったのだったが、車で抜けゆく爽快さをおぼえ出すとそこはすでに山間であり、寄り道が別段遠回りになってしまうとも思えない。途中で弁当を買い、次第に傾斜がたかまる林道の先にある公園をめざし孝博はハンドルを軽やかに握っていた。振り返ればこのまちで車の運転をした記憶はあまりないけれど、三方を山並でぐるりと囲まれた温和な風景は、きっとすりこみになって網膜へ焼きついてしまっているのだろう、相当な月日を隔てたにもかかわらず見覚えのある山道のうねりがさながらときの緩やかな螺旋を呼び起こし、散漫である気分を優しく見守っているのだと感じ、木々のざわめきと走行音はのびやかにひとつになった。そこにあるひかりもほどよい木漏れ日となって随所に待ち受けている。
山の地形により旋回するような道筋もあったせいで県境に近づいている感覚がより増幅された。それは陸地からも見渡せる離れ小島へとせまったときに押し寄せる小舟の勢いに似ている、海上の距離が一気に遠のく爽快な錯覚。時間の麻痺は包み込まれる光景のなかで生まれる。
「まだ夏の山って感じじゃない。紅葉には早すぎるね」
直接照りつけた太陽にまぶしい目つきをしながら晃一は尋ねる。
「三好さんも言ってたよ、裏山でつくつくぼうしが鳴いてたって。おそらくあれが最期だったんだろけど。それにしても今年の夏は永遠の日差しのようだった。でもあとひと月もすればこの辺りも綺麗な紅葉に染まるさ」
孝博は尾根から麓までまだらながらも色彩が植えこまれた山の声を想像した。遠目には種類は判別出来なくても木々が燃えさかるようにして色めきだつ、しかも枯れゆくまえにして鮮やかな変容を遂げる情念を静かに夢想した。山全体を眺めやるまなざしは曖昧な慰撫に落ちつかず、もっと鮮明な意思に即されているような心持ちへとたなびく。「まったく妙なものだ、今ここにある山林になぐさめられながら、これから日々先の紅葉へと思い馳せてしまっている」そう胸のなかで唱えてみるのだった。

緑が連なる単一な山稜を追う目線にはない、そうまるで気高い造形を見上げてしまう半ば高圧的でもある何かに縦走する心意気が与えられ、なめらかな曲線を描きながら下っている様をじっくりと追うようにしては、その様々に染まった華飾の宴に魅入ってしまい、控えめな亜麻色から杏色へと移ろう階調に感心する間もなく、赤錆が生じたかの点綴に瞳孔が反応しつつ、中腹へと下山する足取りのままそこに取り残されたみたいにしている針葉樹の、まわりに同調してしまうのを勇ましく拒み青々と茂り誇示する一群はより紅葉の本義を際立たせ、隣り合う鶯色にささやきかけているのもやはり染色の気概か、丁字色や浅蘇芳、洗朱、唐茶など微妙な配合に交じり合ううち、裾野へと沈むようにひと際かがやいている楓の枝ぶりが山道沿いからうかがえる。そして行く手をさえぎるのでもなく、格別何かを伝えるわけでもなく、微風にそよいでは首を泳がしているすすきの群れが、光線のなかでときと戯れている。
間近に接するが故なのだろうけれど、不動に配色された山並みとは異なる晩秋がそこに息づいているのも季節の美しさである。それからもう一度、真っ赤に焼きあがったもみじが天にのびさかる様と、地にのぞみしだれる様を、鮮烈なあかしとしてこの胸に収め置く。雲も微かな蒼空を血で洗う意想は、まさにこの先への予感かも知れないから。
「ちょっと待って、今のとこ右手の下」無言のままもの思いに耽っていたので少し慌てる。
「どうしたんだ」
「そこで止まってくれない」晃一は運転席ににじり寄りながらその場を示す。「小さな淵というか、しかも滝があるよ」
孝博には気がつかなかったが、確かにガードレール越しから渓流らしき水しぶきの気配があり、それほど大きくもないけどごろごろとした石が転がっているなか温泉みたいな格好をした豊かな淀みがある。
停車して覗きこむと晃一の言った通りそこは淀みでなく、川幅がひろまった流れであり、ただ上流からの勢いが上手い具合に積み重なった大きめの石でせき止められ、同様に下流に対しても水はけが狭まっているのでこんな温泉とも、こじんまりしたプールとも云える淵が作られていた。しかも山手を伝い岩盤を落下する滑滝は何ともすがすがしく、その幅はひとふたりほどであろうか、水量も実際に受けてみたところで危険に見えない。仮に富豪であるならばこのままそっくり自宅の庭園に再現したくらい、子供らは必ず大はしゃぎすること請け合いなほど、滑滝が落ちゆく川底は浅瀬であり水は透きとおっていた。
「真夏だったら絶対にあの滝に打たれてみたいな、打たれるってほどじゃないけど。でも気持ちいいだろうな」
晃一の笑顔は孝博にもよく理解出来た。「そうだな、便利な修行場だな。流される心配もないし、溺れることもない、でもそれじゃ、修行ではないよなあ」
「ねえ、父さんここで弁当食べよう。公園まで行かなくてもいいよ、ここが気に入った」


[144] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット26 名前:コレクター 投稿日:2010年12月07日 (火) 04時45分

あらかじめ書きあげられた脚本を読み上げるふうにしてことの次第をかいつまんで相手に伝えると、思いがけない反応が返って来た。
「はい、主人は磯野さんのご名刺を自慢気にしていましたのでよく覚えています。ああいったひとでしたから、大学の先生がわざわざ訪ねていただいのはよほどうれしかったのでしょう。詳しい話しはわたしには難しくてよくわかりませんでしたが、あのひとはこう言っておりました。自分が研究していた分野をあれだけ真剣にとらえてくれた学者に始めて出会えたって、、、」
電話の向こうでは悲しみと交差する声に移りだそうとしているかもと耳がそばだってしまう。
孝博は出来るだけ電話口でのやり取りを最小限にしたいが故に、息子とその彼女も一緒であること、それとこれは機転だったが、ふたりは遠藤の超常研究をかねてよりそれとなく察知していて亡きあとはせめて書斎が変わりなければ是非とも拝見させてもらえれば、そうそつなく申し出て了解を得てから矢継ぎ早に実のところ妹の美代さんにもお会いしたいだと、先程からの口調を崩さず探りを入れてみた。
一瞬、凍りつくかに感じられた間合いであった為なのか、それとも孝博の鼓動がときに賭博を挑んだ為なのか、次の返答が響いてくるまでひとつふたつの気詰まりに身がこわばった。
「えっ、美代さんですか。はい昨日からうちに居ますけど」
こわばりなど思わず氷解してしまいそうなくらい、朗らかな驚きの様子が鮮明に読みとれる。
「色々と取りざたされて迷惑なのは承知なのですけど、遠藤さんから是非とも一度妹と引き合わせたいと先日申されましたので、もしご都合とか悪いのでしたらけっこうなのです。これは電話ではなんですけど、ご主人の予言も含まれておりますので」
と、多少の潤色をくわえることで取り急いで訪問を確定させなければならない焦りが語尾を走らせた。
「わかりました、それでは午後からですね。はい一時過ぎ頃、、、」
予言を遺言と言い違えそうになったとき、さすがに動悸が高ぶったけどこうして悲願でもあった美代との面会が現実のものになってしまって、思いのほかこれからは本当の児戯に堕するのではないかと、水風呂に飛びこむときのような疎ましさがよぎったりした。
それにしても遠藤の妻は感が鋭いと云うのか、ただのおひとよしと云うのか、美代の件にささかかり次第に緊張しかけた声色をとにかく察したのだろう、
「事件のことですか、あれってかなり大げさな報道なんですよ。美代さんは昔から変わったところのあるひとでしたし、実はわたしも本当に久しぶりなんです。葬式ではお兄さんとしっかりお別れが出来ないとか言って出てこないし、あまりわたしのことも好いてくれてないようですの。主人も人見知りするたちでしたけど兄妹ですね、美代さんも同じなんです。ちょうどよかったですわ。わたしらとも会話らしい会話は済んでしまいましたので、話し相手になってあげてくださると助かりますわ。明日には帰るって言ってましたからいいタイミングでした」
希望の星は手にした途端に消えてなくなるのだろうか。電話口からの遺族がもらす哀感は掃き清められたと呼ぶよりは、はたきでパタパタはらわれてしまったようなぞんざいさで小綺麗になり、孝博が描いていた悲運と秘密が織りなす月夜の闇に浸透していく淡い情景は、日のひかりで白々と濃淡がそこなわれてゆく。これでは美代の首筋うんぬんはおろか、会話すら成り立たないかも知れない。だとすれば一体どうして遠藤の言葉にこの身を託し、息子らまで引き連れての珍道中を急ぎ足で駆け抜けて来たと云うのだ。
孝博は祈りが成就したよろこびより、ここまでの道程が最上のかがやきにあふれていたのを嫌がうえにも認めないわけにはいかない。
「どうしたの父さん、ぼんやりして」
背後から晃一にそう言われて普段の真顔を作りだす。
「あのな、美代さんに会えるぞ」
「やっぱりね、ぼくも絶対に来ていると思っていたんだ」
「どうしてそう言えるんだい」
「いやあ、こっちにだって知人は残して来たからさ。情報、情報、父さんもどこかで仕入れたんだろう。ほんとうきうきするなあ。どんなひとなんだろう、写真も週刊誌とかに出たそうなんだけど、実年齢は知らぬがよしでね、でも噂ではすごい美人だとか。だって女吸血鬼だよ、父さん」
晃一の邪気のない笑い顔には罪はなかった。女吸血鬼にだって罪はないかも知れない。罪があるとすればそれは間違いなく己のつまらぬ起伏をもった感情だった。揺らいでいる、空気が揺らいでいるのではない、波が揺らいでいるのでもない、時計の秒針が揺らいでいるのでもない、理知の刃物で切り裂いたはらわたがきちんと整列してくれないので揺らいでしまうのだ。そもそも理知の刃などはどこにもない。ただあればいいと想像しただけで、背筋が少しばかり伸び、目にひかりが宿った。それでよかったのだが、このはらわたにはいい加減うんざりする。整列しない、してくれないのではなくて、整列させたくないのだから始末に置けない。
「ねえ、まだ時間じゃないけど車借りて行こうよ、さっき砂理ちゃんの携帯からメールでさ、もうお昼の駅弁食べたからだって随分早弁だね。ぼくも何だか弁当食べたくなった、のり唐弁当がいいな。天気いいから山の公園で食べてから駅に迎えに行けばちょうどいいんじゃない」
晃一の食欲は澄み切った天空にも増してさわやかだと、孝博もいつぞや上空から見下ろしたとき大地の起伏のなさを思い出し、笑みをこしらえた。
「そうするか。ところで彼女の母親の旧姓はなんて言うんだい。こっちの出だってな」
「山下って名字だよ、名前は一度聞いたような気がするけど忘れちゃった。砂理ちゃんが着いたら教えてもらうよ」


[143] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット25 名前:コレクター 投稿日:2010年12月07日 (火) 04時44分

秋風が静かに吹いてゆく夢の波間をさまよった。どんよりとした念いから逃げ去ることは無理であったが、寝入り際に遠のく旋律へとすべてを沈みこめる滑らかさのお陰で悪夢には苛まれず、意識は薄明のなかで半ば好個な書物を読んでいるようなぼんやりした感覚を残しつつ、まばたきの度に引き潮となって、すっかり目が覚める頃にはやや煤けている障子紙がありありと夜具の足先に眺められた。
「父さん起きてる」カーテン越しに朝陽は部屋に満ちていたけれど、晃一の声は遠慮勝ちに耳に伝わった。
「ああ、ちょうど今な、どうだ、よく眠れたかい」
「いやあ、何か次から次と夢の洪水でさあ、さっきから妙にリアルな光景で突然飛び起きたままぼんやりしてたんだ」
「そう、でも今は夢の話しはやめておこう、いつかあらためてな」
「まったくだね、ぼくも同じ意見だよ」
外はよく乾燥した空気がみなぎる晴天だった。朝食まえ、孝博は三好に東京から連れが来ることを言い忘れていた手落ちを自分のせいとして詫び宿泊を願った。それから九時をまわった時間に遠藤の家に電話をしてみた。別に昨日でもそれ以前でも連絡くらいはいつでもよかったはずなのに、どうしたわけか四十九日の翌朝とまるで儀式を司るよう使命を微動だにしなかった。
常識的な配慮からもさして昵懇でもない、いやたった一度だけしか面会していない人間が法事のさなかを訪ねるわけにはいかないし、かと云って悲報からは日にちを経てないので前もっての連絡も同様に遺族を不安に落としかねない。いずれにせよ遠藤の妻とは面識もないし訪問は不謹慎であろう。ならば、どうしてせめて半年なりの間をおいてから彼の家に赴こうと思慮しないのか、、、法事の翌日だって家の者からすれば心労が募り、不運の死の悲しみから決して癒されているはずなどないのに。
己の業がそこに土足で踏みこんでいる忌まわしさは分かっていた。四十九日にこだわるのも、ある不透明な思惑がまるで幽冥界から唱えられる風の音のようにこの胸に届けられるのであって、それは遠藤が聞かせた妙に筋道の通った昔話しに感化された、初対面とは云え夢見の裡にかいま見た不思議さをも現実に成立されてしまう論理に魅入ってしまったからなのだが、そんな判断をしめやかに戒めている彼の物言いにはやはり魔性が棲みついているのか、それとも自らの息吹が魔性を呼び寄せているのか、死者に口はなし、気炎はあの夏の日よりあがり始め自制心を失い、親子間に横たわる不義なるものを一層あばき立てようとさえなりうる逆転の道を滑り落ちているではないか。間接的ではあれ、ぎこちない合わせ鏡であれ、日々の連鎖に倦み疲れた脳みそは何を望んで新たな気だるささえ生み出す小細工を仕掛けたがると云うのだ。
しかし孝博は目を細めいとしいものを見遣る心持ちで、「遠藤さん、あなたの予言をはずすわけにはいきませんから」握りしめた砂を川底に返すときの流れに沿うようささやいてみた。この手に不確かだけれども少しばかりの力加減を求める謎を握らせたのは紛れもない遠藤その人であった。だから今度はこうして、自身の夢に忠実であるためにも夜の川底に不確かなるものを放たなくてはならない。例えそれが空気のように、水のように希薄で透明であろうとも、裡なる幻想の果てである夜の川へもう一度戻らなくては、、、そう、突然の死に戸惑い怖れた感情を糊塗するべく惚けてみせた、あの児戯をあれからもひたすらに念じていたのだから。
美代には必ず会える。葬式には参列しなかったそうだが、この法事には必ず顔をだす。なるほど遠藤の予言も彼自身にとっての幻想であったとしても、不純であれどうであれ、いや、それならば尚のこと妹である美代に残される情念として残滓は濾過されて、赫奕たる双眸が亡き兄を映しだす未来を言い当てたのだ。その場に美代は留まっているに違いない、そして遠藤が陽気な素振りで昼食をもてなしてくれたように、軽やかな儀式を首を長くして待っている。だが、機会は今日しかない、、、「どうです、遠藤さん、あなたがわたしに示したかった不可能性に案外たやすく達することが出来そうです。学術的と言われた方法論もこの日取りの計算だったとしたら、算術的と呼びかえた方がいいのでは」
孝博の空洞には独り言が限りなくこだましていた。それと鉛のようなおもりを忘れてはならない、興味本位なのだろが晃一の存在は、ちょうど真空に重力を発生させる役割を担っている。それが微力であるのか強力であるのか、ましてや中空に浮かぶ月のような引力を秘めているなら、すべては、夜空も青空も草木も山々も砂浜も河原も家並みも国道も林道も風も香りも波も鳥たちも、あらゆる動物たちも、想い出や作り話も、手穴も爪先も、人々も眼球も、そこに映しだされる。

受話器に手をかけた刹那ことさらにためらいはなかった。遠藤と名乗った女性に孝博は淡々とした、けれども地の底から伝わって行くような優しさで用件を述べるのだった。


[142] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット24 名前:コレクター 投稿日:2010年11月30日 (火) 06時25分

「それで永瀬砂理さんは何と言ったんだい」
「さっき話したように彼女のお母さんもこのまちが出身なんだけど、生まれは東京だし、その辺がぼくと似てるでしょ。そうしたこともあって学校の親睦会みたいなもので知り合ったわけで、でも母方の血縁は早くに途絶えたせいなのか、祖父や祖母は亡くなって、叔父叔母も土地を離れているからって、それで今まで一度もこのまちに来たことがないって言うんだよ。そんなことわざわざ嘘もつくまいと思ってさ、それじゃ、いつかぼくが帰省するときには一緒にどうって盛り上がっていた矢先だったわけ。そこに来てこの事件に惹かれたんだけど、それは父さんだって同じだから通じ合うものはあると思うんだ。だけど、ひょっとしてこう思われているとしたら心外だな。こっちでさ、失恋プラス失明までした補填みたいな感情が起動してぼくを知る人間らに何かを知らしめるなんてね、そんなふうにとられるのは癪だし、第一それほどぼくのことなんか誰も気にしてないよ。自意識過剰気味ではあるけど、みんなそれぞれのこだわりのところにそれを発揮してるんじゃない、ぼくだって今は違う箇所に意識がなびいているから」
「吸血事件にも関心があると云うわけなんだね。それは興味本位だろうか、おまえだってどこまでやら見当はつかないけど、おっと、父さんにもそれは同じことかな」
「いつかのさ切手の話しあったじゃない、小林古径のやつ。あのことも実は喋ってしまってさ、だって父さんはどう感じてるかは分からないけど、確かにあの絵柄は素晴らしいし親子そろって気にいったところで、それほど変ではないでしょ、だって他にもいっぱいあの切手が美しいって感じてるひとはいるんじゃない。ぼくが言いたいのは例の事件とあの絵柄との微妙な類推であって、そこを彼女に面白い前置きとして聞かせてあげたかっただけだから、特に父さんの研究を冷笑するような気持ちもないし、そんな意識で連れて来るようじゃ、ぼく自身が父さんを蔑んでいると呼ばれても仕方ないじゃない、だからそこは信じて欲しいんだ。それより驚いたのはさあ、もう砂理ちゃんは明日にはこのまちに来てしまうからこうして語れるんだけど、、、ぼくと付き合いだしてあまり日にちもない身だし、あっ、ぼくのことはきちんと話してあるそうなんだ、ところが、いざ今回帰省に同伴する素振りを見せたら彼女の母親が顔色を曇らせてしまって、それらしくお母さんの生まれ故郷なのにまだ見てないからとか理由づけておけばいいのに、ぼくの父が大学の先生で色々と研究してることや、それが吸血事件にも関連ありそうなので是非とも現地に一緒に行ってみたいと打ち明けたら、えらい剣幕でそんなふしだらな探検めいたこと絶対に許さないって始末になってしまったんだ。とは云え砂理ちゃんは以外や負けん気があってさ、どうしても母親の禁止が腑に落ちないって、父親は逆にもう子供じゃないんだから、それくらいの自由はふしだらでもないって応援してくれた心強さも手伝って決行は断念しなかったわけ。だけど日程まで執拗に聞かれてたんで、つまり今日だね、一応おとなしくあきらめた様子を見せておいて翌日アルバイトに出かけるふりをして列車に飛び乗ると、、、こうしたいきさつがあったんだ」
「おいおい、何だ、じゃあ、無断でこっちに向うのか」
晃一は父の上ずった声を打擲するように、
「そこはしっかり砂理ちゃんの親御さんに言い聞かせてくれないと。両親共に反対しているんじゃないの、母親だけがどこか要領を得ない文句を言ってるだけなんだ。生後あのお母さんに連れられて帰省した記憶がないってことは、砂理ちゃんに不可解であるはずだと思う。お母さんだっていくら血縁が絶えたとしたって、まあ本人がそう云う意識なら仕方ないけど、砂理ちゃんに帰省する権利はあるよね。もしもぼくらを責め立てて来たりしたら、父さんは毅然としていて欲しい、ぼくは最悪仲を引き裂かれるような事態に陥っても後悔はしないからさ。砂理ちゃんにとってこのまちは見知らぬ土地だろうけど、記憶のまちとして新たに見出せる可能性は秘めているよ、きっと」
いつにない息子の勢いに押された孝博は暗闇に浮かんでいる天井をみつめ苦笑するしかなかった。首を傾げ、しっかりと切実な訴えに応えるようひかりなき空間を射る目線を結ばせるのは憚れた。決意をうがつ晃一の語感の重みで夜は増々深まってゆく。うらはらに孝博のこころは空洞の奥行きがせばまってゆき、どこか興醒めしてしまう意識を修復する意欲が損なわれていた。しかし、灯火のようなちいさな明るみにほだされるときの無防備さは健全であった。地底の洞窟に灯る一本の蝋燭、闇の支配下に甘んじるには忌まわしく、灯しの安堵に慣れ親しむには虫がよすぎた。行くてが黄昏であるうちが華なのか。
「わかったよ晃一、何だか砂理ちゃんに会うのが楽しみになって来たよ」
かげろうのように力ないけど秋風に包まれたときの乾いた返事をし、美代の代わりとしてなのかと奇妙な前兆に運ばれたよう頷くのだった。


[141] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット23 名前:コレクター 投稿日:2010年11月30日 (火) 03時47分

寄り合いに行っててつい今しがた帰ったばかりだと言う三好に挨拶すると案の定、晃一をいたわる声色は留まるところを知らず、当人も閉口してしまいそうになるほど厚い気遣いなので、
「こうやって元気な顔を見てもらいに来たんですから、もう本当に大丈夫です」
そう数回似たようなセリフを繰り返す始末だったが、合いの手に比呂美から、疲れただろうから先に風呂へと促されて磯野親子は再びふたりだけになった。以前は旅館であったここの浴室は情趣あり気に湯けむりが立ちこめており、ふたりの姿を曖昧なものにする意欲を宿しているようだった。
実際に疲労を感じていたのだろうか、お互い無言の裡に入浴をすませ、夕食も会話を弾ませようと躍起になっている三好へ礼を欠かない程度の冷ややかさで交し、疲れた素振りを両人がしめしたことでその夜は早めの就寝となったのだが、孝博は遠藤の件で執拗に三好を煩わした手前さすがに、
「重文さん、いろいろとお世話になりました。遠藤さんの事件でも手数おかけしまして、前にも電話でお話ししましたように少々気にかかることがあって又ご厄介になります。四十九日は今日だったんですよね、何かきりがいいと思いまして、明日なら親族も帰られてると思いますし、あそこの奥さんにもお話を聞きたいもので。それと晃一にはよい機会だと思ったものですから、すっかり立ち直ったところを見ていただければ」
と、もっともらしい言い様で事情を説明した。遠藤の死因究明を急いたことで変な勘ぐりをされてしまったのも、何かよい言い訳はないか案じていたのだったが、三好から問い正してこない以上は弁解することもないから、とりあえずは明日の訪問に意識を集中しよう、そう強く噛みしめ辞して床が敷かれた客間に入った。
ところが早々に寝床にはいったにしては晃一も寝付きがよくないらしい。東京では深夜になっても静かなようで交通音は闇にまとわりついているのか、耳を澄ますまでもなく断続的に低いうなりを寝室まで伝えるれど、このまちでは夜によって土地そのものが沈下されてしまったようで、余計な雑音を濾過したごとく凛とした自若に支配されている。裏山にひそめる獣の眠りさえ想起されそうな気配は、反対に冷厳なる掟に託されて安堵をもよおし、時折の風が通り過ぎてゆくのも気にならない。窓の外の船着き場からも繋留された小舟同士が波間で揺れては軋みそうになることもあるのだろうが、今夜は黒い液体と化した海水の凄みにあたりは鎮まって、ただ寝息を思わせる潮の匂いにささやかな波の音を感じ取るのだった。
すると孝博の悔恨は夢の導入部にいざなわれるのか、ようやく静寂になれ親しんだとばかりに少しづづ殻を破って脱皮する蝉にように、忸怩たる変容を受け入れ始め、眠気がささないにしては気分は曖昧な心地に揺られながら、ある確信みたいなものを意識してしまう。だが直接それを見通す思慮は働かずに、遠回しな言葉となって夜気に吐かれた。
「そういや、おまえ彼女も連れて来ていいかとか言ってたけど」
実際にも孝博はそのことをすっかり忘れていたので思ったより控えめな口調になる。
「あっ、そうか、まだ話してなかったっけ。ごめん、ごめん、明日の昼過ぎの列車で来るからって」
ふとした弾みで悪戯が以外な思惑に流れたときの気持ちを思い出す。
「そうかい、別にかまわないけどここに泊めてもらうつもりなのか」
「そうだね、それなら早めにしげさんに伝えておかないと」
「こっちはどうにかしてもられるだろうが、彼女のほうはどうなのやら。父親のおれも一緒で堅苦しい思いをするんじゃないのかって。まだ会ったこともないしな」
「悪いなあ、父さん、実は色々と彼女にも話して聞かせてあるんだよ。父さんらに会わせるだけなら別に東京でもよかったんだけども、、、」
一瞬はね起きそうになったのは、内心では折角ゆるやかに語りだそうと努めていたところを、いきなりあの確信に近づけてしまう予想外の吐露が晃一によってもたらされたからであった。
聞けば、このまちで起った珍しい事件に関心があった為、それはまるで怪奇小説もどきの感触を授けてくれたからで、自分が電話口でしきりに興奮しているのを心配しながら、謎めいた秘密に惹かれるまま遂にはそのあらましを知ってしまい同行を願って出ると、思いのほか容易く了解してもらえたのでとてもうれしく、それとやはり過去の受難が翳ることに対する錯綜した意識が大きくせりあがってきて、本当は親子で臨むところに現在の彼女を加えればもっと違う何かが開けてくるのではないか、その心境はよくよく顧みれば分かりそうでもあるのだけどあえて実際の行動に出てみたかった。このまちでひとり暮らしをと願ったあの日のように、、、
素直な響きを耳にしながら、晃一の声は暗闇のなかでわずかながら震えているのを感じた。
「いいさ、明日ではなんだから、まだ重文さんも起きているかも知れない。早く頼んでくるんだ」
飛び起きる調子で「うん、ありがとう」と答えて部屋を急ぎ足で出て行った晃一の夜目には判明出来なかった笑顔を想像しかけた途端、孝博には彼女とやらがここに訪れる理由をまだ知り得てないのを思い、どうせならこちらから根掘り葉掘り問いただしてみようとさえ誓った。
「晃一それではおまえの都合だけじゃないか、すると彼女は単なる脇役だぞ。そうじゃないだろ、父さんによく説明してくれないか」
真っ暗なはずの部屋に夜空の星が幽かに灯っている。晃一がはね除けた夜具が盛り上がっているのを横目で眺めれば、布団のひだが更なる暗黒をそこへ作り出しているかに映った。月夜が待遠しいのは云うまでもなかった。


[140] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット22 名前:コレクター 投稿日:2010年11月24日 (水) 03時27分

駅に着くまで眠りこんでいた晃一を落ち着いた気持ちで揺り起こし、改札を抜けたときにはすっかり宵闇が地面から立ちのぼったふうに上空まで充たされていた。
「やっぱり匂うよね、潮の香りがほんの少しだけど」
晃一にとっては苦い経験を回想させる帰省となるはずだったが、妙にさばさばした口ぶりは屈託なさを素直に表しているいようだけれども、あるいは一抹の懸念を糊塗するために陽気な顔つきをこしらえているのかも知れない。孝博にとってもその気がかりは同様であり、それとなく三好に尋ねてみたところ、木下富江は再び名古屋に行ったそうで遭遇することもないだろうとは思っていたのだが、晃一を伴って今回こうしてこのまちへ戻ったからには、消し去れない感情が線香の煙りのようにどうしても細くたなびいてしまう。
静まりかえった駅前だったが数台の車は出迎えに来ている。
「そうかい、父さんには匂いはわからないなあ」
と少し間を置いて返答したとき、左側から聞き覚えのある声が飛びこみ、それが比呂美であるのをいち早く察して大きく手を振った晃一にはそんな印象など忘れてしまってようで、
「わあ、ひさしぶりです、比呂美さん。わざわざ迎えに来てくれたんですね、どうもすみません」
そう言いながら満面に笑みで孝博に先んじ歩み寄るのだった。
「晃一くん本当災難だったけど、また帰ってくれてうれしいわ。元気そうだし」
「前はお世話になりました。視界は狭くなったけど最近ではもう慣れてしまったのか、それほど不自由でもないし、失意も感じてませんから」
明るい口調にほだされたのか比呂美の顔色も夜に華やぎ、やや伏せ目がちだった視線をしっかり相手に合わせて大きな笑みを作りだしている。そしてそのまま表情を損なうことなく照れた様子で孝博にお辞儀した。
「さあ乗って下さい。わたしの運転もだいぶ上達したから安心して」
駅前から直線に延びた通りを走るとやはり秋めいた心地のよい風が流れ、海岸線に差しかかると確かに潮の香りは鼻をつく。列車内ではもの想いに傾かなかった分、あっと云う間に到着してしまう車の速度がやるせなく、ほのかな灯しに揺らいでいるようにも見える船着き場から漂う潮風がいとおしい。この夜景には何か凝縮された思念が溶け込んでいるし、胸の奥で妖しく発酵している意志がひそんでいる。匂いが鼻孔へまぎれこんだ瞬間、封じられていたものらが胎動し始めると云うよりも一気に解放されていく感覚が全身をめぐり、喜びとも哀しみとも怒りとも異なった理知的な興奮が訪れるのだった。
三好の家に向う短い時間であるがゆえに、こうした起伏のある情感がわき出しているのを孝博はよく承知していたし、この先にある堤防で遠藤が死んだことも脳裏をよぎり、夜の海がはらんでいる得体の知れない妖気が鳥肌を立てさせる。真の道行きは先程までの線路ではなく、このわずかな走行に敷かれているのだ。それは目的らしい目的が定まっていないこの帰省を正当化するために緊張度を増幅した計らいとも云える。半ば遊び気分で付いてきた晃一の考えを吟味することなく、都合よく学者根性を盾にし情念に流され、さらわれる素振りをしながら慎重に冷静に深淵をのぞきこもうと企てているではないか。
あれほど渇望した遠藤の死を探ること、それはもう直接の使命感を帯びておらず、彼に供える線香のたなびきに忍びこむ過去を精算することを願う一心に集約されそうである。ならば晃一にすべてを話し聞かせて許しを乞うた上で、蠱惑から目をそむけられない本心を吐きだすべきなのだが、それはそのまま父子交えて色情を語る不埒な、もしくは滑稽な場面を生み出してしまうから秘められるものはそっとしておくべきなのだ。黙される事柄をあらわにするのは決して最良の策と限らない。親としての矜持が崩れゆくのを怖れているからではなく、息子を叩きのめすよりはるかに過酷な傷を背負わしてしまうのが危ぶまれたからで、知らぬが仏を決め込んでいるほうがどれほど平穏を保たれることだろうか。真相を知れば必ず亀裂が生じ、親子の絆は寸断されてしまう。失恋の勲章だとうそぶいている晃一のこころは単純ではないはず、失明の自覚をやわらげるためにも強がりを演じている可能性は低くない、もしかしてこれも否定出来ない可能性だが、富江からことの次第をすでに吹き込まれていたのだとしたら、、、すべてを受け入れるか、すべてを捨てさるか、幸いおもて立って窺えるのは前者のほうであるから均衡は維持されているのだが、もしそうであるなら何と健気なのだろうか、、、親子である以前に人間として晃一の意地らしい気持ちをしっかりくみとってあげなくてはならない。
孝博は最悪の情況まで気をやっている自分を嫌悪しながらも、深淵に近づいている今を意識してしてやまなかった。すると晃一への謝罪は別室の扉に閉ざされる調子で風化され、代わりの扉が開かれてそこが禁断の間であることが知らしめられる。白い冷気が底を這うようにして近づくものらの足跡を覆い隠してしまう。消されたのはふたりの親子だった。共犯者である暗黙の了解は常軌からの逸脱を弁明している。
徳性の働きはそこまででよろしい、扉の下に漂う冷気は血糊をつけた鋭い刃物のごとく理知的であった。


[139] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット21 名前:コレクター 投稿日:2010年11月16日 (火) 07時06分

陽光はいっこうに衰えを見せなかった。十月も半ばに差し掛かったが蝉時雨はまぼろしの音色で真夏を留め置こうとしているのか、季節の実感は剥奪され異形な晩夏に席を譲り渡した。
倦み疲れたからだを左右にずらすよう、いら立ちを噛みしめながらもときのうつろいにあがらう事なくその熱気を受け入れる。
「秋の気配はもう来ているのにね、だって風は渇いているわ」
孝博の妻は何度かそう言っていた。確かにこの大きく広がった車窓の眺めから、空は澄んで雲は柔らかに細かく乱れ、弱く冷房がかかっている車両内でも体感出来るほど景色は自然であった。
隣でうたた寝している晃一を時折見つめつつ、ふっとため息をもらし視線はうしろに走り去る光景を所在な気に追いかける。ようやく今年の夏が今日明日にも終わってしまうことを天気予報は伝えていたし、昨日そちらに向うと連絡した際に三好が「まだつくつくぼうしが裏山で鳴いているから」と言ってかすれた声を出したときも、延長戦ぎりぎりまで競技を目の当たりにするような錯覚でとらわれ、再びこうして特急に揺られている現実はどこか遊離したふうで、秋風が頬を撫でてゆくのが待ち遠しいのやらどうかよくわからない。
そうするうちにも日暮れを忘れてしまったかの時刻の鮮明な証しは調整され、気がつけば山々を押さえつけるよう晴れわたっていた青空はくすみ始めていて、白雲も寄り添い大きく光を包み放さず淡い鬱金色に変貌しつつある。陽が陰り出すのはあたりまえだと天空から清明な響きが降りたのを孝博は快く了解した。それと共に様々な思惑が胸のなかを去来していたのだが、そのひとつひとつに思いをゆだねるのも今は軽やかにあきらめ、外の景色がくすぶりながら遠のいて行くのを静かに見送った。ちょうど各駅を尻目に走り抜けるこの列車のように。
山嶺が連なる光景はまだまだ窓越しに指先でなぞれる程くっきりとして、気ままなおうとつを失っていなかったので孝博は凝視したままの姿勢を保った。心は空洞であった。しかし一瞬一瞬は何かを埋め尽くすよう見つめた向こうから押し寄せては消えて、水墨画の濃淡に似た曖昧さで風景をのみ込んでゆく。
山間に点在する村落が夕陽にさらされる頃、孝博のからだにも暖色で描かれた感情がめぐって来るのだったけれど、それは意想を孕まない無関心な状態で通され切実な色合いを拒んでいた。彼はいつかの情景、トンネルにくぐったとき車内の明かりで反射した自身の顔を忘れはしない、だが、どんな表情であったのか思い出すことは必要ないと思われたから、そろそろせわし気に車窓が遮断される山中に迫っても、ゆっくりとまばたきをするのだった。
早く抜け行くトンネルを出た途端、今度は夜が訪れたのではと疑ってしまうくらい長い漆黒が視線を閉ざす。そして開けゆく谷間やどこまでも凡庸に広がっている野山がぱっと現われても、微動だにせずそのまま無表情でいられるのが微かに心地よかった。遥か彼方に感じる峰々があきらかにかすみ出して、空の青みが鉛色に侵蝕された時刻、太陽はすがたを雲間に隠したままもう今日は再び光線を放つ勢いをひそませ、大地に黒檀を敷き始める。じっと無心で見遣る孝博だったが、さすがにその頃合いにもなればまばたきの様相で落ち着きにはらっていた面持ちに、甘い郷愁が優しく忍びよって、小学生の時分映画館から出た瞬間に辺りがすで宵闇に包まれている名状し難い驚きを知ったことが想い出され、日中から暗闇で映像に魅入ってしまった後の叱責のような、けれども夢の送りものかも知れないなどと映画が外まで着いて出たのでは、そんな虚言が許される心持ちに酔った。時間の推移をこうして身に知らしめるのは奇跡のまばたきであったから。
あの日に連れ立っていたのが親であったのか友達であったのかは明確でない、振り返れるのは帰途にたなびく金木犀の香りのような甘さだけである。
芳香に惑わされたわけではないけれど、すでに窓の向こう側も一気に照明がしぼられてしまい、稜線はぼんやりと意思をなくしたみたいに大人しく、枯れることを気づかぬ木々の緑も夜気に被われ、夕映えの名残を惜しむ間もなしに暮れてゆく。すると又しても鋭い軋みが風圧に消されるようにして列車は闇に飛び込み車窓を暗く塗りこめ、夜の帳を乗客全員に告知する。吐き出された刹那には山村へ灯る親しみが不意に現われ、見る者の胸に巣食う驕りを品よく袱紗でくるんでしまって、ほんの束の間だが殊勝な気分にひたることが出来る。
寝息を立てている晃一に首を向けてみれば、黒皮であつらえた眼帯こそ痛々しいが、失った視力は永遠に閉ざされ闇夜に眠っている。夢のなかでは晃一の右目からとげとげしい小枝を抜きとった、、、どうやら無心から夢想に移行したようだ、、、甘い郷愁は到着駅へたどり着くまでの安定剤みたいなものなのか、、、

山稜はすでに夜空へとけ込み田畑もおぼろげな土の気配を残しどこまでも沈黙を守り続けていた。


[138] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット20 名前:コレクター 投稿日:2010年11月08日 (月) 17時30分

切手帳から取り出すのも慎重さで寄せられているのが、それほど重要でもないように感じてしまうのは特に高価な一枚であるべくもなく、ただ同じ紙質でかたち作られ印刷されただけの類比では例えようない、哀れさみたいな親しみが「髪」の価値を本来の場所に戻すよう静かに願っているからなのだろうか。
他の切手らにも似たような気持ちで接したこともあったのを思い返せば、どうやら過剰な記憶は後々に生まれたと察せられる。
晃一が子供の時分よりこの一枚に興味を抱いていた事実も、いつの間にやらシートで保有していた過去も、今の孝博の胸には反響することなく極々自然な成り行きだからと優し気にまなじりを弛められた。
大阪万博にほとんどの領分が持って行かれたのは当時の世代ならほぼ共通した傾向であった。それはまず普段では叶わない空間移動でもあり、すでに出回っていたガイドブックから立ちのぼってくるような魅惑の世界は、かつてない国際的な規模がもたらす夢想のときめきとなって嫌が上にも興奮せずぬにはいられない。テレビや映画でしか触れることのなかった大きな祝祭が、まるで子供たちの為に開催されると錯覚してしまうくらい期待はせり出し、手をのばし、足を運べばその場に到達する可能性は日々の玄関口の開閉から、いつでも飛び出せて行けるような現実味を有していた。
孝博も家族揃ってちょうど大阪の方に親戚がいた幸運もあって、夏休みに万博行きが実現されたのだったけれど、懸命にあのときの光景を呼び返そうと努めてみてもどうしたわけか、鮮明さを欠いた曖昧な想い出だけが執拗に脳裏へ浮かんでは消えてしまう。道中は無論、入場口までせまった際の胸の高鳴り、夏の日差しには慣れてたとは云え、会場全体の雰囲気を取り戻すことなど、いや、始めから全体などに気配りしておらず、一心に求めたのはガイドブックから得た有名パビリオンの数々だけであったのだが、結局は人気あるところは誰もが殺到していて、先端科学とはおおよそ無縁でしかない発展途上国の展示物、木彫りの像やら原始的な仮面やらを意気消沈しながら見流していた念いが今でも澱のように沈殿している。
「アメリカ館は四時間待ちだとさ」「なんだ月の石は見えないのか」「三菱未来館も大行列」などと云った憤懣の声が周囲から聞えてくる度に孝博は、心中半泣きになりながらどこかであきらめが毅然として充当されているのを知った。
その心持ちは欲しい玩具を買ってもらえなくて駄々をこねる感情とは違い、未知なるもの、これまで胸のなかに棲みついたことがない、たおやかな形をした落胆であった。
あたりが夕闇に包みこまれるのがいつもとまるで異なる気配であったのは、見回すまでもなく目線の先にそびえる「太陽の塔」に夕陽が反射しているのか、あるいは会場自体の電飾が灯しだされたのを夕暮れは強調を持って演出に与してくれたのか、肌色が燃えあがったような夕映えのきらめきは、瞳にまぶしいと云うより、こころに明るいと云うより、自分のどこに光を受けているのかよく掴めとれないまま、暗澹とした夕暮れ時を受け入れる開放感に慰撫されていたのだ。孝博はそれからの日没風景に溶け込んでしまいそうになった感覚をよく憶えている。行き交う白人や黒人たちにその都度振り向いてしまっていた、微小な怯懦は宵闇の暗幕により一層保護され、物珍しさへと背伸びしてみる矜持に脱皮してゆく。金髪の青い目をした若い女性と視線があったとき、思わず笑みを浮かべてみると相手もそれ以上の笑みを投げかけてくれているような気がする。各パビリオンから発光された夜祭りに他ならないこの黄昏のひとときに孝博は陶酔し、今まで味わったことのない忘我に見舞われた。
残念ながらそれ以上の情況も心境もすでに輪郭は為さないうち、どんどんと遠ざかってしまうだけなので、茫洋とした意識にあらがわずそのまま、じっと日没際の暗幕に身を沈めるのだった。

後年、仕事関係の出張やまったくの観光に出る機会も憶えきれないくらいあったが、あの万博会場で体験した異次元への旅を忘れることはない、、、さあ、今度の道行きは果たしてどんな異化作用をもたらしてくれるのだろうか。準備などいらない、心構えも必要ない、一度は鮮烈な修羅に歩みよったではないか、出来れば手ぶらで臨みたいけど晃一を伴って行くのも悪くはないはずだ。何しろあいつ自身が乗り気なのだから、、、この帰省に意味などはない、遠藤の妹に出会えれば首筋を噛むとはいい公約かも知れない。
「遠藤さん、あなたはわたしにも探偵となるよう反語で提案された。秘密めいた妹とのいきさつをちらつかせて、、、ところで真犯人など本当に存在するんですか。わかってますよ、わたしのこころにこそ潜んでいると言いたいのでしょう。まあ、それはそれとしまして、あなたの死因にはとまどっていますけど、謎めいているまでとは申しあげにくいわけです。事故は事故、偶然は偶然、それ以外ふるいにかけられこの手に落ちてくるのは、そう、やっぱりわたしの妄念、一時はあなたは絶対に遺書を通してこのわたしに託されたと信じていました。仮に他殺だとしてもそれらしき危機感をあなたは感じていたでしょうし、話せる範囲ではほとんど言い尽くしたとも思えます。まったく根拠などなかった、わたしがすべての原因であるのでしょうから、、、」


[137] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット19 名前:コレクター 投稿日:2010年10月26日 (火) 05時52分

古径「髪」の魅せるものが幼き孝博を禁断の道筋へと案内しかけたのだとは云いがたい。
遠藤久道が語った妹と同じほどの年齢、まだ性が芽生えうるもなく、この絵があらわにしている乳房のなめらさに類推されるのは、湯船のなかで間近にされる母のそれであり、少なくとも猥褻さや官能を刺激する分子は肉眼では見定めることは出来ない。が、孝博はこの切手を父と書店に行った折に買ってもらった光景をよく思い返せる、否、厳密には父とのやりとりと述べたほうが明瞭である。
「なんでこんなのがいいんだ、他のにしなさい」
しかめつらだったのか、照れくさそうにしていたのか、その面持ちは思い出せない。
「いや、これ前から欲しかったんだ。趣味週間もだいぶ揃えたし、後のはけっこう高いしさ」
父は孝博がいつも切手カタログをながめているせいか、そのあたりは合点がいったようで、それに書店の主人が構えるすぐ側に販売用の切手がカレンダー式で垂れ下がっているのをめくりながら品定めしている具合もあり、横やりから悪気もないのだろうけど、あとは「月に雁」だけかい、とここで売られている最高値の代物を苦笑いしながら口にされたところで、もすんなり「髪」は孝博の手に落ちたのだった。
今となっては十歳そこそこの子供が半裸の女性が描かれた絵柄を欲するのは、我ながら理解し難い。特に発売年に拘泥したわけでもなく、かと云って他の趣味週間にはない着物を脱ぎ去った裸身に惹かれたわけでもない、収集歴を鑑みればこれ以外の品も現に集めきれてないし、裸うんぬんに関してはすでに一考を与えてみたつもりである。それでは何故あのシリーズから「髪」を選びとったのか、そう自問を立てた瞬間に孝博の背筋を二本の刺激がまるで電流のごとく伝わって行き、容易には手の届かない箇所まで走り抜けていくのが分かった。一筋の電線は比較的抜けた先が予測出来そうだった。
「別にあのときこだわりが毅然として居座っていたわけじゃない。以前からの約束で書店に連れ立っただのであり、しかもいつもは小遣いをためたりして買っていたから、源氏より前のものは雨中湯帰りのみ、あれは苦労の末に親戚から譲ってもらったのであって、今回は百円以内の品と云うことで選り抜いただけ、あの前後は一応揃っていたし、、、追想と印象が溶け合っているよう考えてしまうのがいけない、息子があの切手に執着をみせたことが自分の胸で何ものかを培養してしまっているのだ。晃一だけの好奇心にすべてを委ねてしまうのではなく、養分を吸い取らせた自分にも隠匿されるべきものが存在するはずだから、、、」
おおよそ孝博には電流の発生源を推測してみる気概はあったけれども、今は少しばかり落ち着いてこの「髪」の構図と配色をしみじみ味わってみる余裕が肝心な所与に思われた。

乳白色の背景は単一ながらほぼ全体を占めるふたりの女人にある力強さを加味している。左側で両膝をつき長き黒髪を梳く所作、目にも蒼く映える振り袖の色は藍にも染まり、太い白縞が勢いよく下方に落ちだした様は滝の如く濃厚な色調を醸しながら互いに妙齢の生を慈しんでいるのだろうか、構図上着物姿の女人は右端が若干途切れながらもそれすらがこれから梳くべき生を恥忍んでいる心持ちを素直に切りとっている。胸元高く締められた朱の帯へ配せられた文様は幽か、右手に忍ばせるようにしながらも人差し指がしっかりつかみかかった櫛もまた判別し難くこれ同様黒髪の流れにかき消されてしまっているけれど、一点にそそがれる慈愛と慎重がそのまなこに宿っている限りほんのわずかだけ笑みを含んだ紅の色合いは帯のうちに秘められた無垢なる想いに連なっているはず。まるで裸身が添え物のごとく嫌みも汚れも美しさも主張しないのはくだんの着物とは対照的な淡萌黄の腰巻きのせいでなく、この絵の主がやはり黒髪に他ならない証だからこそ、半身あらわな居ずまいはその乳房と紅、眉目をのぞき透き通ってしまいかねない美白が均一に被い冷ややかさを暖色に萌えさせよう努めているのだろう。しかしながら梳かれる身からすれば恥じらう加減で裸身を火照らせてしまうのが不謹慎なようで、ただじっと真正面を静かに見つめるだけ。その胸のうちをすべて知っている長い長い髪は自らの意志で宙に舞い上がる如くに柔らかである。右の手を膝上へ、左の手を太ももつけねへ、交互に押さえつけるようにした念いは舞い上がる心持ちも作用させようとした歓びの防御なのだろうかなどと見遣る視線もつゆしらず、光明のもとであるのか灯火を待つ日暮れ時であるのか、おそらくはずっとこのまま未来永劫梳き続けられる生に時間も限りもない、女人ふたりはいつまでも菩薩であろうと信じられる。


[136] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット18 名前:コレクター 投稿日:2010年10月26日 (火) 05時51分

孝博も熱心と収集したには違いないのだったけれど、まだ小学に通い始めの頃、折からの切手ブームの余波がいつの間にやら到来していたのか、思い返してみてもよく定めきれない期間に訪れた没頭であったから、それも心底欲して小さな絵柄のとりこになったようでもなく、表記価格を上回る値打ちに小躍りしながら玩具を扱う手つきと異なる慎重さを宿していたと云う、生まれて初めて知る義務感に即していたあたりも曖昧ながら、薄味のカルピスをすするような感覚でよみがえる。
同級生の兄や近所に間借りしていた学校の先生のところで開かれた、あの切手帖にびっしり並べられた色彩が勝手にどよめいているような興奮は今でも、実物の彩色から隔てられた想起の裡に鮮やかに過ってゆくし、おそらくは幾度かは目にしたこともあった年賀切手の干支を配した動物らが醸す可愛らしさと、赤や黄や青に空色、蜜柑色など原色が際立つ色合いに親しみを覚えた童心はもっともだと思いなす。
同年代の収集を次から次へと見てまわった記憶の先にあるのは、一世代は離れた者らより宝箱をひろげられるように目の当たりにした、本格的な収集の圧倒であり、聞き及んだのか向こうから自慢気に説明されたのか定かでないまま、一枚きりとしか知らなかったのがシートと云う形で綴りられていること、その量的な印象は小銭しか手した試しもなく、紙幣などかいま見る機会がなかったあの頃にはとてつもない質感を同時に伴っていたこと、何よりも気持ちを高揚させたのは「どこの家にだって古い葉書や封筒は捨てられないで残っているはずだから探してみれば」と云う、まるで財宝が分与される可能性がこの身に降り掛かって来るよろこびであった。
大人さえもピンセットを操りながら切手帖のなかを整理したり、如何にも高価そうな子供の目線から窺ってもまだ骨董などと云う言葉も意にないはずであるけど、明るく健気な、そうあくまで玩具の延長にあるような図柄とは一線を画した、単色刷りされている淡い色どりや価格の表示が三桁で示されて、右端から先に下線が引かれているのが直感的に古風な代物だと知らしめられ、ましてや蝋紙で大切に包まれているものに至っては畏敬の念さえわき上がっていたように思える。
そうした切手の類いがいかに身近でないかは、自分の背丈を大人と比べる無意味さがあるごとく分かりきっているのだった。
当時はいわゆる静かなブームのさなかであったから、不相応な執着にとらわれる悲劇の成り立ち様はそれなりの逃避行が駆使され、過分な収集に陥るべくもなく比較的廉価で入手可能な過ぎ去った年代のそれぞれ好みな切手をこつこつ集めたり、表記額で購入されるまだ見ぬ新発行の期日を心待ちにした。他にも知人同士での交換や、先程の意見通り孝博の家からも、これは主に祖母からの提供であったが、仏壇下に取り付けられたこじんまりした引き戸の暗きなかより、探し当てられ微かな黴臭さで取り出された戦争時代の葉書類に身震いし、小さな充足は光のない国に舞い降りている埃となって未知なる時間を刻み始めた。ものごころついた時分より我が家のちょうど真ん中あたりへ掲げられた柱時計の秒針に合わせつつ、、、
それからの想い出と云えば、消印のある海外切手の詰め合わせなどを土産でもらったり、思いがけない引き出しから未使用の年賀シートが出てきたと両親からも協力を得たりし、書店の片隅で過去の記念切手が単品で売られたりしていて、また早朝から郵便局に新発行のシートを始めて買いに並んだ記憶も残っているのは、もちろん現物が今でも保存されているからで、随分とそれらに目をやることもなかったけれど、晃一が幼い頃、どこかの切手マニアの家で触発されたらしく、久しぶりに切手帳を書架より取り出したとき、案外自分の集めた枚数がしれていることを確認するのだった。
確か仲間内で同じ部類に偏らないよう、例えば風景もの国立公園、国定公園シリーズだったり、花や魚の動物類、オリンピック、国体などのスポーツ系などに分類された範囲で各自が精を出したのがめぐって来る。孝博のコレクションもそうした統一性が見られてよいはずだったのだが、よくよく眺めると整然とならんでいたのは当時の大人たちがひろげて見せた光景であり、ここに残された一冊にはとても意志を持ち揃えた形跡は窺えず、案の定知人らと気の向くままで交換を重ねた形跡が歴然と示されているのだった。
晃一にねだられるまま、あれから十年以上前のことにしても、記憶はひとつの居場所に留まってくれないものだろうか、、、自分が欲してやまない高嶺の花だった「見返り美人」は三十歳くらいの頃にふと足を踏み入れた古書店で購入したのをよく憶えているし、と云うのも自分の執着は国宝シリーズと切手趣味週間にあったから、通称「ビードロ」と呼ばれた喜多川歌麿のあの有名な絵や、写楽、春信から本格的に始まるこのシリーズは網羅していたつもりなのが、何枚かは欠落している、浮世絵から中世絵巻、源氏物語と時空を妖しく駆けては、昭和40年の上村松園「序の舞」より絢爛と連なる、藤島武二「蝶」、黒田清輝「湖畔」、土田麦僊「舞妓林泉」そして45年の小林古径「髪」らの現代日本画が手のひらに十分収まった得も云われぬ魅力が放たれていた輝きは翌々年で途絶えてしまっている。
理由は多分に趣味の衰退と大阪万博の開催に夢中になってしまったことに違いあるまい。数枚の万博切手が場所をとっているところからもそれは頷けるのだった。


[135] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット17 名前:コレクター 投稿日:2010年10月19日 (火) 05時31分

息子の口ぶりにあらぬ気をめぐらせてみる機微もどこへやら、怪訝な目つきを投げやる身ぶりは空っ風に吹かれて舞い上がる木の葉のように軽やかであった。
片方の視力を失ったにもかかわらず半ば虚勢を張っているかの面持ちが痛々しくもあり、逆に初々しくもあり、孝博は多少戸惑いを憶えたものの、非常によく映える鏡と、まったく曇りきっている鏡を同時に眼前に並べられたような心地のまま、微笑が張りついている慰みを知った。彼女やらを伴ってと云うもの言いには健全な虚脱感が備わっていたし、何よりあべこべに頼もしさが授けられているようでうれしく思えた。ただ、うれしかった。
久道の件はあれから一向に進展なく、事件性の片鱗も見せないうちにいよいよ過失による事故死に収まってしまった。遺体が発見されたのはあの日誘われた堤防の外海に敷かれたテトラポット、どの辺りで足を滑らしたのか確定出来なかったけれど、後頭部に相当な打撲の痕が残っており、失神もしくは甚大な衝撃によって助けを求められないまま潮にのまれたとの見解だった。当日の夕暮れ、家人には行き先こそ報せてなかったが、玄関を出る際にはしっかり応答していたことや、満潮を迎えようとしていた時刻であったこと、翌朝になっても帰宅して来ない主人を心配して方々探しまわり到頭、捜索願いを出してから程なくして偶然釣り人によって見つけだされ、死後数時間だと推定されたことなど本人の思惑とは無関係そうな情況だけが確認された。これら以外に不審となる要素もなく、遺書も残されていなかったので家族も世間も不運を嘆くより仕方がない、三好から伝えられた情報のあらましはあまりに手短かすぎて、孝博の胸に収まるには容量が少なすぎた。
ではどれほどの実情と語り口を欲しているのか、そう問われてみてもどう答えられるのか、よく分からない。ひとつだけはっきりしているのは、恐ろしく困惑したすがたが不動の影となって立ち尽くしていて、一切の価値観は野方図に散らばってしまい、それは漆黒の巨像が立ちふさがっているからに違いなく、そうなると散らばってしまったものを少しでも取り戻す情念だけが、無意味な価値だと了解しながらも膨満感を得る為に、容量を満たす為に、小さくまるめられた奇跡を気ままに想い描いている薄ぼやけた輪郭線の存在だった。
不動の影はそんなに絶大なのか、重力と同じくらいに完璧なのか、、、木漏れ日を受けながらゆれる木の葉は無言の裡に、さざ波にも呼応する流麗さのはじまりを語りだしているではないか、そして木陰こそ日輪との対話を慈しんでいる。
孝博は薄ぼんやりと自らの居場所を確信していた。しかし、事の善し悪しにしろ、ふたりの人間、ひとりはすでに死人であり、もうひとりは血をわけた息子、彼らとの結びつきに共通項を見出してしまうのは心もとないだけでなく、あまりに倨傲な意想に感じられ、勝手な穿ちによって聖痕を現してしまうのだとか、偏頗な熱情が実はすべてを鎮静させているのだとか、思弁による仮説と実際の心情が切り離なされるのはほとんど困難であるのを知悉している。
久道は所詮他人であるし、美代にしても心奪われるほど魅了されたわけでなく、夢見がもたらした奇妙な符号に折り合いをつけ、後は机上の論理なり文献なりで秋の夜長に溶け込ませれば、掌合わせ読経を唱える心境に近づき静寂を得る。ここから先を探索してみたところでどんな成果が待っているのやら、確かに故人から示唆されたとしかない「探偵」と云う言葉だって彼自身を形容していたけれど、きっかけはどうあろうにも、気がかりな箇所に立ち止まれば、そして見つめてしまえば、意味合いは深みを速やかに形成し、そう単純に、極めて曖昧に、あるときは反転する位相で本来の切り口は葬り去られ、新たな視座が正門のごとく威風あり気に開かれる。
孝博の憑依とは進んで選びとった方便なのであった。消え失せるのは自意識だけではない、取り憑く相手もまた同じく、エネルギーが消費され何かが失われるはず、さて補填されるのはどちら側からか、それとも元素ように不変の循環を繰り返すと云うのか、ならもっと万全の心構えで臨もう。旅人と成りすましさすらっても安全が保障されているから、、、時間も加担してくれれば尚更ダイナミックな遊戯が約束されるではないか。
晃一の共感を素直に喜べるのも、またして危険な橋を渡らせてしまうと云うよりは、そもそも危険な橋が問題なのでなく、その足取りがとにかく一番大事な問題なのだ。軽やかな道行きを決意したのも、軽やかな風向き、久道が遺書を記さなかったのも奇跡が的外れだっただけ、が、憑依の形相に耽溺する為には少々と模擬試験をこなさなくてはならない。現実には本番なのだろうが、死者からのメッセージを直接受けとれない以上は色々と想像もめぐらせながら現地調査に赴かなければ、、、
そこで孝博は我ながら呆れてしまう空想をもって祈願とした。
「遠藤になりかわり、美代の首すじを咬む」
無論それは晃一には話していない。久道から聞き及んだ年少時の体験も同様に。息子の知るところはおそらく例の吸血事件にまつわる耽美的な香りと、その兄の死だけだろう。
帰省の日取りを四十九日と定めたのは別段揺るぎがたい理由があるわけではなかった。ただ気運が負のベクトルで解放され、歴史の彼方へしめやかに帰ってゆけるだろうと願ったからである。美代が葬儀に現われなかったのを知り得た時点より、祈願は増々、妖しく募りだしていた。
その日が迫ったある宵の口、孝博は晃一を呼んで一枚の記念切手を見せた。
「おまえは小さい頃よくこの切手を見せてくれって言ってたよな、憶えているかい」
「小林古径の髪だろう、当時はもちろん名前は知らないよ、でも切手趣味週間って漢字はあのあと書けるようになったんだ。ああ、それからもふとしたことで思い返す機会があって調べてみたよ。それに父さんはこれ一枚だろ、ぼくはシートで買ってもってるよ」


[134] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット16 名前:コレクター 投稿日:2010年10月19日 (火) 05時30分

そっとそっと静かに、聞こえてくるはずの気配まで消し去ってしまうほどに、耳を澄ましてみても孝博には何も聞こえてくるものがなかった。
書き記されたもの、断片的でもいいからどうにか、何かを示唆するようなもの。
「主人は読書の割合からしても、不思議なくらい文筆をとることはありませんでした」

四十九日にして再び遠藤家を訪問するまでの間、孝博の胸裏に去来していたのはあまりの出来事に動転し発生した気泡と呼ぶべきような、目に見えない騒乱であった。見えないうえに聞こえてこないのだから神経ばかりが荒ぶれるのかと云えばそうでもない、持ち前の分野も手伝い久道の教訓よろしく「学術的」に見極める精神だけは従容として、確定とはされていない故人の死因を追求しようと躍起になっているのだった。
突然の悲報はやはり三好の家から送られた。帰京の日、遠藤を尋ねたことをさり気なく話しておいたのがせめてもの救いとなり、日頃からこまめで気のまわる性格な三好は案の定、先日のペナントにからまった綿ぼこりのような軽やかな記憶から何らの直感を得たのか、死体が確認された翌日に連絡を寄越したのである。
「孝博さん、確か帰りの日にあそこへ寄っていったでしょう。歳も近いし懇意だったら知らせといたほうがよいと思ってね。急だったし、それにあんた死んだ原因がどうもよくわかってなくて、事故死か自殺かって近所でももっぱらの噂でさ」
目耳に水とはまさにこう云った事態を指すのだろうが、新聞報道では誤って堤防から落下し水死と書かれており、今のところ三好にも事実の判断はつけ難い様子で、動揺あらわなまま、咄嗟に事の真意がわかったら是非とももう一度電話して欲しい、実は遠藤とは小さい頃の遊び友達で数年まえから帰省したのは知っていたけれど、中々顔を会わせる機会もなかったものでと言いつくろい静かに受話器を置いたのだった。
鼓動が高まるまでどれくらいの時間を要したのか憶えていない。先日の帰省がつい今しがたの光景となって眼前に押し寄せては来るのだが、ほとんど現実感のない久道の悲報はそのまま、次々と宙に浮かんでは消えてゆくシャボン玉みたいで実体がなく、あるいは意味をはらまない字句が、それはちょうど幼い時分目した漢字に何の意義を認めなかった有り様を想起させた。
寝床に就く頃になってようやく想いが姿となり始めだし、胸騒ぎになだれこむと感じられたのだったけれど、不気味なほど沈着な悪鬼が先に顔を覗かせひたすら呪文のごとくに「自殺ならば遺書がある」と、心音を鼓舞する勢いで一種の統制を司るのであった。翌日からは更に呪文は長文と成り果て、「遺書は必ずここに送られてくる、送られてこないのは何かの手違いによるもの、そこにはすべてが書き示されている」こう狂わし気に唱えられた。
孝博はこんな脅迫観念めいた意識が発生している自分を見直す力が微かに残っている感覚を保持し続けていた。裏返しにみれば、悪鬼を前座として胸の裡に登場させてから、つまり悪夢に席を譲ったのち落ち着いて窓枠を見つめられる勘案であった。三好に対してもあちらからの知らせばかりを待つだけでなく、こちらからそれとなく動静を窺う、これが三日も続けくとさすがに、
「そんなに気になさるんなら、少しでも情報あり次第ってことでどうぞ安心して下さいな。変なふうにとらないで、、、もしや孝博さん、あの日何かあったんですか」
と、いよいよ勘ぐられる始末だったが、「いえ、少しばかり悩んでいる様子だったんで気にかかりましてね」如何にもまっとうな返事はすぐ様に三好の曇りを払い退け、同時に孝博自身にも陽光がきらめいて悪鬼の類いは陰りを求め消えて去ってしまった。
それからは無音の世界を彷徨うまでだった。三好からの報告がない限りは、孝博の心持ちはひたすら滝に打たれ続ける修験道者のごとく無心であった。ならば邪念こそは、久道の事故死の可能性に結びついてしまい清められた精神を蝕む。過失にしろ高波にしろ、彼は決して不慮の死などで命を断たれることなどあり得ない、ただただ明徴に記された遺書とともにこの世をあとにしたのだ。そうでなければ、すべての辻褄が合わなくなり、そう、何より美代にまみえることも出来ない、自分は宗教学者として久道が開いてみせた超越の秘密を探求しなければいけない、、、続編も予告編もすべてはこの手で編み出さなくては、、、残さるべき遺書を唯一の教本として。

孝博の日常をよく知るものらにとっては彼の顔色や表情に別段変化を認めることもなかった。だが、本人が何より一番よく理解していた。すでに久道のもとへ臨んだときから確実に憑かれてしまっている。いやもう少し前からとも云えよう。何ものが憑依しているのかはまだ判然とはしなけれど、いつか目にした夜の河川には存在していない特別なものだとは言い切れる。
日々は流れるが、未だ孝博には情報がもたらせらない。四十九日の法事が最期のよりどころであるのは瞭然、差し迫ってきた以上は、腹づもりは出来あがっているのだろう。遠藤夫人とは面識ないが、どうしても差し向かいで話したく、出来るなら久道の日記や研究書など拝借したいものだ。ここまで来たからには恥は承知のうえで事の次第を説明してみてもかまわない。そんな久道のよき理解者がひとりだけいた。
表面的には健常者を演じているつもりでも「僕にだけは見えてしまうんだよ」そう、あのまちで悲運を起こしたけど、今では隻眼の勇者と呼びならわれている一人息子の晃一だった。
「まだ、学校夏休みだからさあ、その日は用事があって無理だけど追って帰省するよ。いいだろ、もう女にうつつなんか抜かせないから、ついでにつきあってる彼女も一緒に連れてっていい。大丈夫、邪魔にはならないから、約束するからさあ」


[133] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット15 名前:コレクター 投稿日:2010年10月12日 (火) 03時42分

「果たして遠藤はあれですべてを語り尽くしたのだと了解するべきなのだろうか、、、少年時の恥じらいで清らかに守護された記憶が奏でる綾を、、、」
孝博は己の小首を傾げる仕草さえもどこか見え透いた演技に感じられた。実際に彼と妹との関わりを何もかも知り得るのは不可能だけれど、もう少し背丈も伸びた年頃の、いくら干渉や会話がなくなってしまったとは云え、例えば中学にあがれば少女なりにもいくらかの気丈さと、その半面の覚束なさから独りであるべきより似たものどうしのつながりを求め、それなりに親交が育まれるもの、日に一度は顔くらい合わせていたはず、放課後や休日も含めて妹である美代に交友はなかったのか、そこから些細な印象でもよいから思い出せることがあったのでは、、、
つまるところ彼は補足と繰り返しながら、不透明な感情に見守れつつ自身の汚点を浄化させようと懸命であったとしか思われない。あれから確かに兄妹の時間系列を明瞭には聞かせてくれたものの、口頭で勢いよくついて出た微に入り細に入りなど至ってはなく、むろん今となってはどうしょうもないのだけれど、、、せめて肝心の妹を見舞ったと云う箇所を詳しく話してもらうべきであった。聞き手に専念するあまり魂まで預かりものにされてしまい、踊らされた挙げ句の大失策とさえ呼びたくなってくる。
それにしても、何の根拠で自分と美代が顔を合わせる機会があるなど明言したのだろう。ああ言えば呪縛されたように彼の言霊に憑依してしまって、又あのときははっきりしなかったが、探偵に同一視したなど大げさな文句と、次に吐かれた「わたしとは別な角度で」や再三強調された「学術主義を援用させて」の意味あいがまるで魔術のごとくに、あぶり出しとなってこの胸に焼き付いてしまう。

孝博は遠藤家を訪れた理由が忘却されている様を、こうした姑息な探索へとめぐらすことで打ち消してしまおうと願っていた。久道のひかえめだが高圧的な口調に辟易するどころか、大いに同調してしまう胸の高まりには冒険にも似た危うい波風が音もなく、しかしそれは血流が波打つ本能的な謌と同じで、どこまでも律動する肉体、、、、、、心模様であった。
所詮ひと事でしかない災厄の是非に捕われている身分なら、どこへまぎれる必要もないし、逃げ去ることも罪ではない。が、堂々巡りと化した問いかけはもはや心痛でしかない有り様を認める為の猶予だとしたら、孝博の願いは次第に満ちてくる潮のごとく残酷な自然さに包まれている。
正午を尻目している模様を多分に意識しながら、それはもちろん両者による思惑が稼働した結果なのか窺い知れないのだが、初対面からしてみると妙に気心が通じたふうな庶民的かつ牧歌的な昼餉の振る舞いに圧倒されたと云うより、共感してしまった事実もさり気なく風化されていて、幾らか葛藤は生じてみたものの今からすれば、何より緊張をほぐすことを主眼にこの気安さが演出されている現場へ立ち尽くす自失を確信する防御なき防御を得るが為であり、大仰に焼き飯を頬張った安楽さもさながら晦渋な詩歌を流し読みにする心持ちであったはず、夏の陽が長いのを幸いに自ら遊戯心をもって緊張と対峙した気負いなど最初からなかったと言い聞かせてみる。腕時計に何度も目をやったのも思い返せるし、食事中はさておき会話とてさほど留まるのを知らなかったわけではない。それに今日一日ですべてが白日の下にさられる期待も抱いてはいなかった。新たな機会は孝博の都合と意欲でいつでも可能であった。
「どうです、散歩がてらに浜の堤防のほうまで行きませんか」
異なる方角より話題は深化してゆくのか、、、それとも態よくお開きを告げたいのか、、、
何故あのときによりにもよって、「いやあ昼前からあの辺りを散々歩いて来ましたもので」などと馬鹿正直すぎてまったく礼儀にかなっていない言い訳などしてしまったのだろう。聴診器など当ててみる必要もない、孝博には容易に診てとれた。久道はこれ以上を今日のうちに語りはしない、すでにあの予言めいた口上を述べていたではないか、、、映画にだって続編もある、この猛暑のなか先にたどった外など歩く気力は失せている、それより続編に向う予告編をかいま見せてもらいたいものだ、、、おそらく堤防から大洋を望み、きつい西日を容赦なく浴び、わずかな潮風が頬をかすめながら、久道は何らかの情報と今後の連絡を約束してくれたかも知れない。実質は帰りの列車時刻にあった。三好の家には荷物も置いたままであったし、どうみてもこれから悠長に堤防までぶらつく時間もなかった。ましてや帰京を明日に延ばす予定もなかった。
今日と云う一日、希有なる体験であり、その動機となったものは計画された結果なのか、ただ単に衝動につき上げられたのか、孝博にはどちらでもあるように判じられるのであった。続編も予告編も決してこのまちからは消えることはないだろう、、、夢の知らせはこうやって夜の帳を越え、極めて同地点でものの見事にあだ花を咲かせてみせた。何と云う痛快、何と云う果敢さ、、、全幅の信頼みたいな思いが久道に反射して心身を支配しかけているのを、防波堤のかたくなさへすり替えてみると、尚更これから現実のその場に行くのが阻まれた。

まったく驚きとしか言い様のない、遠藤久道の訃報が届いたのはそれから十日後であった。


[132] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット14 名前:コレクター 投稿日:2010年10月05日 (火) 06時20分

「さて磯野さん、ここまでの昔話から実際に醜聞となってしまった美代の行為を短絡的に結論づけることも不可能ではないでしょう。動機はさておき、幼くしてかくも果敢な振る舞いを示しうる天稟には目をみはるものがありますし、兄妹であろうとも年かさのわたしを見通した態度も普通ではありません。その尋常ではない行為を引き起こした基盤が、あたかもあのときの美代にすでに備わっていたふうにも察せられ、また無様にも吸血鬼を演じそこなったわたしにとって代わり、見事なまで過剰さを放出させ一種の爽快感のような後味が醸し出されて来るではないですか。ゆえにわたしの語りだけで判断されるとどうしても因果を先走りさせてしまうようです。結局はわたしのとった不埒な行動が原動力となり、眠れる美代の魂を未来へ疾走させたのだと、、、深層心理に鎮まると云うより幼児体験を起因とする事件であったと推理される。
しかしどうでしょう、それならもっとしかるべき情況、そうです美代の思春期、妹に限らず誰もが危うさで世界を取り囲むことに疑念なく溺れられ、権限さえあたえられている、あの不安定な大地で行うめまいとして発露されるのが自然と思われるのですけど。すでに三十路も過ぎた頃合いにもなって突発的な衝動と化すのは、もはや精神の歪みでしかありえません。これには相応の理由があって、結婚後の美代が抱えた軋轢が最終的に突破口を見出せずあのような形で噴出してしまった。まだ解決にも何も至っておりませんので、ごく簡単に推測させる事象を述べておきますが、わたし達には不透明な何かが成人してからの、あるいは新たな家庭におさまってからの美代を悩ませ、苦しませ、狂わせたと、いやいやこれじゃどこにも結ばれていませんね、ただありきたりの意見にすぎません。けれどそれ以上の実情は申しあげられないのではなくて、わたしにも不可解でしかないのです。確かに瞬間的に異様な光を放って幻惑された想い出は強く脳裏に焼き付いていますし、この身も恥じらいを越え嫌悪で悶えてしまい、あれからしばらくはまともに美代の顔を見るのもためらわれたくらいでしたから、、、ところがそんなわたしに反比例するごとく妹は本来のあるべき領分に何のわだかまりも見せず帰っているのでした。そうです、よく憶えております、、、夜更けには己の悪行を責め立てているのかと考えこんでしまうくらい雨音は激しく、胸に去来する雨雲へと変じ、陰惨な気体となった失意は決して霧散することなくどこまでも広がって行きました。翌朝の対面まで明確に印象づけられているのは、暗鬱な思惑がたなびいたせいではなく、きっとあの夢からさめた際に案じてしまう白々しくも晴れやかな普段への帰路と同じ効果を授けてくれた、、、そう、あれから今日まで妹は秘事が秘事であるべきことに忠実であり続け、わたしも同様の夢見を共有し続けたのでした。悪夢から醒めた朝は歴然とした曙光に包まれていたからです。
それからの記憶には曖昧なところばかりと言っても過言ではありません。隙間だらけなのは時間の隔たりだけではないでしょう、、、わたしにとっても、同学年の異性にこころなびくやら、受験やら、それからもやもやな裡にも自分自身を見つめてみたりとやらで、次第に美代との距離は平行線をたどりながらの格別に意識するべき様子もなく元のすがたへ戻って行ったのでした。もう少し克明に言いますと、わたしの関心はもっと大きな膨らみでまわりを意識の隅へと追いやってしまったのです。美代のこともですし、様々な想い出や細々とした日常もほとんど頭に浮上させる必要がありませんでした。
わたしが補足と申しましたのもこれでご理解いただけるのではと、、、それじゃどうしてまわりくどい言い方をするのか不信に思われるところでしょうが、先程わたしは探偵の手法を重視とつけ加えてながらも、あなたが美代と対面する日を強く期待しているからなのです。わたしの知っているすべては、、、実際にはまだあの後数年は同じ屋根の下で暮らしていたのですけど、わたしはわたし、妹は妹、それぞれ異なる部屋に住まうように意識も別々になって互いの干渉はもちろん、あまり会話をかわす場面も少なくなり、やがて進学で家を出てからと云うもの滅多なことのない限り顔を会わせる機会もなく、兄妹とはまさに名ばかりもっと説明しますと、わたしは大学卒業後も帰省せずむこうで就職し十数年経ってからこのまちに戻ってきました。美代は高卒で就職のため同じく家を離れまして、三十歳ちょうどのときに結婚、はい、こちらにとある縁がありまして見合いですね、そんな折には以外では法事とかでしか兄妹居並ぶ場面もないままに過ごして来たわけです。それと美代には子が出来ませんでしたし、まあそれがこのさき離縁の口実に拍車をかけるのでしょうが、するとただでさえ疎遠であった嫁ぎ先からは増々込み入った内情など聞き出す余地はなし、、、おわかりでしょう磯野さん、わたしの知りうる美代はこんな案配ですから、吸血事件への手がかりを子供時代の戯れだけに求めてしまう確定性が甚だ無謀に思えるのです。お考えは一致されると信じているのですが、あっ、これは念押しです。事件後と申しましてもご存知のように審理の結果は心神喪失と判断され病院行きでした。面会も当初はままならないところでしたけれど、実は二回ほど妹を見舞っていまして、ええ、やはり本人もことの次第を多少は憶えているみたいですけど、、、医師からもああ云った行為に至った事情の説明は為されておりません。あくまで狂気の部類に収まる呈のよい診断が下されるでしょう」


[131] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット13 名前:コレクター 投稿日:2010年09月28日 (火) 04時49分

「吸血鬼が首筋に残していくふたつの穴を説明するのは簡単でした。喉にかじりつくと云っても肉に食らいつく野獣みたいな手段とは違って、あくまで格好よく鋭い牙を食い込ませて血を吸い取ってしまう、どれくらいの量と聞かれたときには、それは本人の腹具合だろうねと茶化すと、にっこり笑みを浮かべていました。別に牙がなくたって薄皮のあたりを少し傷つけるだけで血なんか出てくるなど、もっともらしいことを真面目な顔つきで話した後、美代だって外で転んだだけで膝やら手から血を出したこと何回もあるだろう、そこをなめたりしたりしないかい、こう唾をつける感じでさと言うと、どう察したのかもう一度表情をゆるめたのでしたが、その微笑は今まで見せたことのない嫌に大人びた目つきで向っているのです。そして、きつく噛まないでとひと言残し何と両のまぶたを閉じたのでした。そのときのわたしの動揺は先ほど説明した通りで、気がつけばまず片方の腕で美代の肩下を抱いており、そっと閉じられたつぼみのような目もとに見入ってしまったのです。いえ、瞳の光がこちらに放たれていないにもかかわらず視線を合わせているようで、その方がまた数段気恥ずかしさが募り、しかも後ろにしなだれた弾みか唇が少しばかり開かれ、そこには薄紅がひかれたのかと見まがう色づきに染まり、艶やかでなめらかな感触が眼前に飛び込んでいるのです。まだ触れもしない、いや、未だかつて兄妹とは云え近づいた試しさえない柔らかな異性の唇が無言でわたしの本能にささやきかけてきます。ふたりとも畳に座った状態でしたので容易にそのまま倒れこむ形になってしまい、背にまわしてない方の腕も自然と同じ行動をとろうと懸命になったのでしたけど、身の丈と骨格の違いが離れ過ぎている為に抱くと云うよりも両腕が縄になって縛りつけてしまっているようで、どうにも痛々しさにとらわれてきまりが悪くその腕は速やかに抱くのをやめ、今度は手のひらがあろうことか美代の胸許をなぞったかと思うと、健気にもふさいだままの目が開かないのを祈りながらゆっくり腹のあたりまでほどほどの力で触れていったのでした。ざっくり編まれたセーターの感触を通して人形を思わせる体つきに戸惑いながらも、わたしの指先の動きは決して平坦を滑りゆく清純さからは距離を持ち、きつくホックで留められた厚手のスカートの辺りをさまよい始め、ためらいは鼻息と一緒に吐き出させる不純な願いでしかなく、どうした訳かわずかな呼吸しかない美代のすべてを見定めてしまおうと悪鬼を我が身に乗り移らせようとした矢先でした。そうだ、自分は吸血鬼なんだ、だからまず首筋に意識を向わせ少しばかり噛むふりをしなくてはいけない、、、ええ、、、無論わかっていました。今ならお医者さんごっこで済まされる、勝手に這い出した指先など忘れ去ればいい、兎に角こうして黙っている妹の期待と自分の思惑はまったく方向が別なはずだと、信念にも近い思いがそんな突発的な荒くれで突き動いている感情を諌めだしたのでした。そして反対に隠れ蓑の下に蠢いているすべてを葬り、もとの怖い話好きの兄に立ち戻るべきなのだ、だから今から噛む振りは大仰に行うのが正しい、わたしは薄皮で守られているような美代の首に歯を軽く押しあてたのです。たとえ視線が通じてなくともその刹那、美代の瞳が輝いたのがわかりました。同時に、そうじゃないの、とひそめる意思をはらんだ小声でつぶやき、何と云うことでしょう、キッとわたしの顔を睨みつける素早さを見せながら、その可憐なまだ開ききってはいない唇でもって信じられないほどに激しいキスを求めて来たのです。いいえ、わたしが欲したのは実なところ二度と見届けられない女体と呼ぶには早すぎるけれど、性欲を満たしてくれるかも知れない裸体への接触でした。しかし美代の**を破るとかそこまではありません。それにキスだって考えも及ばない、信じていただければですが、あまりの急な逆転劇に驚いてしまった結果、美代のなすがままは空恐ろしいくらい欲求が巧みに慣れた代物と呼んで差し支えなく、一度息つぎの案配で接触がなくなり互いの顔を見つめあった際にまたもや笑みを作りだしていたのですけど、ませた表情は消えて無くなりいつもの屈託ないあどけなさに帰っています。これは夢を見ているでは、そう思うのも当然かと狐につままれた状態はある種の救いでもありました。ところが一気に希望を打ち破るごとくこう言うではないですか。お兄ちゃん気は済んだ、聞くところによれば、美代は友達とこの間からキスの練習をしていて当然女の子同士だけど男の子はわたしが初めてだそうで、今日のことは絶対誰にも喋らないよう妹から念押しされる始末、もはやどっちが欲情を秘めているのか分別など出来ない、どうです、少しは謎が謎らしく整いだしたようではないですか。

その夜のわたしの落胆と羞恥のほどをお分かりいただけるかと、、、夕飯時には家の者らも揃ってましたし、食卓の雰囲気はいつもと変わりはしません、、、窓の外から次第に大降りになってきた雨音に皆の注意が向けられたのは幸いでした。久しく日照りが続いていたせいもあり、天気予報では明け方まで強く降るでしょうとのこと、美代の笑みはとても自然でした。かつてすぐ泣きべそをかいていた美代に違いありません」


[130] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット12 名前:コレクター 投稿日:2010年09月28日 (火) 04時48分

「まったく何が探偵だと、聞いて呆れる始末でしょ。しかしですね、結構あります。探偵自身が真犯人だったと云う小説。未読だったら申しわけないので題名は申しませんけど。
怖がる妹をもっと怖がらせる増長の隠れ蓑にどんな思惑があったのかは容易く推測出来るはず、どうぞ気になさらないよう、まったくその欲情がわたしを突き動かせたのですから、、、ただ、美代が見せた思わぬ抵抗なさには隠れ蓑のはがれ落ちてしまう気おくれが、、、これはどう言えばよろしいのやら、大人になってみても経験することですけど、興ざめとか失意によるあの白々しく落ち着きを取り戻す場面を浮かべていただければと思いまして、そうなのです、欲情の剣先は鋭いままに空を斬り、その瞬間に飛び散るのは火花などではない、怒りの感情が高密度で噴火する溶岩だったり、戦慄の情況が痛感をともなった天幕に覆われることであったりするのでもなく、もっと隙間だらけの、そう自分から見てもどこかに逃げ場があるみたいな弱々し気だけれども、いささか有余がはかられる点在した平温の意識、そんな醒めた視線が折り返して来るのでした。不甲斐なさもすぐ後から追いつく狭間に置かれた尻込みは、しかし不透明な自由をあたえてくれます。こう云うことです、妹の背にまわした片腕全体に伝わってくる感覚を再確認する権利のような横暴さ、とは云え決して攻撃的な力などすでに抜け落ちた腕にしだれかかっている懐かしくもあり、初めてでもある感触がわたしのなかで几帳面な葛藤を引き起こしているのです。几帳面など何を驕慢とお叱りを受けるかも知れませんが、どのような情況であれ人は咄嗟の判断を意識面に浮上させる以前で処理しようと努める限り、そうですね、例えば衝突事故などの危機に瀕した際に発生する、動体視力の最大活性による場面のスローモーション化、それから視覚情報の集約へ特化する為に他の感覚器官をシャットアウトしてしまう的確さ、そうした場合は厳粛の極みなのでしょうけど、几帳面であることに同様じゃありませんか。お医者さんごっこから逸脱しかけた行為、ええ、今からそのときの詳細はお話しますけど、そんな幼稚な癖に卑猥で軽んじていながら胸ときめく実情、どうしてどうして、下手すれば近親相姦に踏み出しかねない危機的な有様と云えるのでは、、、そして身のこわばりにかつて感じとったことのない罠が仕掛けられているのではと云う恐怖にひたりながらも、甘んじて見知らぬ領域に分け入ろうとする悪戯ごころでは済まされない予感をよぎらし、まぎらわす酩酊のような心境、、、
あの映画の日から数日後のことでした。はっきりした日にちは憶えていないのですけど、美代とわたし以外は家に居なかったことは確かです。やはり夕暮れだったと想い返したいのも、ひっそりと静まった家屋に燦々と照りつける陽光が似つかわしくないだけなく、情欲の火照りに促されて自ずと日陰を欲したのでしょう。
これは先にご理解していただきたいのですが、何もその日を狙って前々から計画的に事態を案じていたわけではありません。とは云え、家人が留守なのを了解してから美代をわたしの部屋に呼び寄せた事実はどこかで期待したからに違いなく、話題つくりのきっかけも、この間の吸血鬼についてもっと知りたくないか、などと言い出したところをみれば未必の故意より深い心理が働いていたと思われます」

そこまで淡々とそして淀みなく語って来た久道であったけれど、そこから先がいわゆるクライマックスに差し掛かるのを意識してか一呼吸入れる案配で言葉とぎらせ、口角は閉ざされたまま、ややうつむき加減の姿勢をとるのだった。孝博にしてみても、自分の顔つきに護符がはがれ落ちてしまった不吉さの仮面を張りつけられているようで、それは以外な展開を耳にしてしまった高揚が為せる懐柔だろうが、善きにつけ悪しきにつけこの場に対面している限りは相手の意趣に従う意味合いを重々承知しているつもりであった。
そう改めて思ってみるとこの幕間は自ら願ったほどよい休息にも例えられ、観客であることの気安さと気楽さがこの室内に充満しているのだと感じられて来る。苦渋の面はその心痛を過ぎ去った舞台に置き去りにしたまま、抜け殻となって暗幕に隠れ、次なる幕開けの際にはちょうど能面のような淡白さで新たにこの顔容を作り出すだろう。聞き手に準じることは必ずしも下手に位置するとは限らない、耽読者が作家の意のままに流され操られていないように、視聴の選択が多岐にわたるように、楽曲のフレーズには自在な快楽が宿っている。孝博の胸中にはしおりと同じ役割が分配せれて、小さなけれども主導権に肉迫する居場所が見え始めていた。数度のまばたき、そうそれくらいの間合いが現実なのかも知れない。だが至上の間合いはおそらく誰も入りこむことの不可能な瞬間であり、精々そこに吐息をもらすくらいが我々に許された実行なのだ。
久道の口が再び開いた時、幽かな風が生まれたように感じられた。それは指揮者がタクトを振り上げた更なる楽章への入り口、無音の調べであるかのようだった。


[129] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット11 名前:コレクター 投稿日:2010年09月24日 (金) 04時31分

「すでに問題の糸口が一気にほどけてしまったと思われても仕方はありません、、、そう磯野さんの顔色にも出ておりますし、原因究明に向うところだとすればあまりに単純すぎ張り合いないのも当然、ええ無理もないですね。しかしですよ、先ほども申しましたようにわたしはあくまで補足としてこの逸話をお話したまででして、必ずしもあの映画が美代へ何らかの決定的な影響を及ぼすことに至ったとは結論を急いでおりません。ただ、妹同様に魅入ってしまった事実は便宜上であり、本当のところは後年になってからこのわたし自身が感銘したのだと云うほうが意味が深いのです。もしまったく違う映画、例えばスパイものでもいいでしょう、美代とふたりして観たとしまして同じく似たような興趣を得たとすれば、そして成人してから彼女が仮にですよ、北朝鮮の工作員になってしまったとしたらどうでしょうか、そこにゆるぎない因果を定めてしまうのでは早計じゃありませんか。
さあそれでは、どうしてわたしに対する影響がここで重視されなくてはならないかの理由を説明しなくていけませんね。はい、もちろん多少は入り組んだ事柄ですけれど、えっ、そうですか、確かにここは論証を求める為にも微に入り細に入り、、、わかりました、ではお言葉に甘えさせていただき紆余を承知のうえで語らせてもらいます」

孝博の表情がゆがみ出し始めるまでに相当の時間があったとも云えるし、そうでなかったとも云える。それは殊更もったいぶった付加価値を与えるような謂われに感染した結果ではなく、また久道の話しが本人のことわり通りまわりくどい言い様で間延びしてしまったわけでもない、つまるところ晩夏の夕闇に季節のうつろいを感じとる、あのしめやかな気配が憎らしいほどに予見され、自ずから陥穽にのまれてゆく心構えが出来上がってしまっていたのだった。徐々に遠のく太陽がさながら暗所を際立たせることを知りつつ、それでいて時の流れには無頓着であるかのように。

久道はまず「血とバラ」がもたらした後年の解釈からひも解き出した。彼の云うところによれば吸血行為には異形や残虐を越えた濃厚なる聖性が隠されていて、それは異常な現象であることの断面的な印象から袖を分ちながらも、やはり血液と云う人間にとって古来より忌諱の対象であり根源であった断ち難い生命に由来する限り、異常性はひるがえって崇拝の領域に達している。何故なら血の流れこそが命の源流であり、心臓に象徴される臓器の機能より深い位置づけが示すように、血も同じく皮膚の下を肉の中をめぐり普段は外部にしみ出すことはない。そんな地下水脈にも似た隠密さもひとたび傷つき、或いは病気などの要因が引き起こされれば最も強烈で鮮烈な真紅色がしたたり落ち、あたかも太陽の輝きが肉体から噴出したとさえ見まがう印象を焼きつける。さて肝心なのはこの印象を人工的に、ここではあえて人工的と呼ぼう、部族ひいては民族の闘争による殺戮がもたらす流血とは異質の個人的なあまりに個人的な行為によって為される由縁にある。創作上の吸血鬼にみられる一貫した特徴は彼らが夜の魔物であり、生き血は魔物にとっては不可欠の聖水だと云える。この逆説めいた言い方は明解な絵姿が浮かび上がる仕掛けになっているし、と云うのもドラキュラに代表される夜の支配者は、まさに闇の中だけを治めることしか叶わず、陽光を浴びては灰燼に帰し、聖水を浴びせられればその皮膚は焼けただれてしまう。そして滋養強壮効果の高いニンニクを嫌うあたりにはかない生命力が裏書きされているようだ。漆黒のマントの裏地は見目も毒々しい鮮血色で染められているのはあながち偶然ではあるまい。
夜な夜な密かに忍びより、傷つくことない人々が流血の憂き目に合う。しかも血は流れ落ちるのではなく魔物の牙によって吸いとられる。残虐であると同時に夜への供物として差し出される命の流れは、陽が陰り闇に覆われた世界に、より深い地下世界に吸い込まれてしまうことによって再び肉の彼方に還元されるとしたら餌食になった者も単に殺されたのではなく、闇夜に彷徨いでた旅人なのかも知れないし、やがて彼らも吸血者と化して地下世界に新たな息吹を見出すところを窺えば、邪教崇拝の対象と成り得る要素は十全に含まれているだろう。そもそもドラキュラが十字架や聖水を嫌悪すると云うのも、キリスト教の絶対的な権力主義の現われ以外に理由は見当たらないわけで、その図式に則った物語の単純さは水戸黄門における三つ葉葵の紋所で権威が誇示される場面を彷彿とさせる。
退治や成敗はさておき、ブラム・ストーカーの生み出した吸血鬼が一般的なスタイルに定着したかと思いきや、レ・ファニュの『カーミラ』と云う年代的にも先に書かれた物語を下敷きに映画『血とバラ』は作られていて、そこには十字架もニンニクも登場することなく、ただただ狂おしい情欲が切なさを伴った淡い森の木漏れ日として、霧がかった湖畔の憐れみとして描かれている。あの心臓を針先でひと差しされるような痛々しさえもが美化される幻影を除いて、、、
「ええ、その通りですよ、あなたの言う通りです。女性同士の吸血行為にわたしは悦楽を見出してしまい、その空想に小さな翼を植えつけたのでした。丁度あの頃、上田秋成の『青頭巾』を耽読していたこともありまして、はい、あっちは僧侶が稚児を溺愛した挙げ句に鬼と成る話でしたが、どうした反動なのか、はたまた転移なのか、もう空想の域にとどめ置くすべもないまま白日夢となって浮遊してしまい、いや、ただの衝動だったのでしょう、あろうことか美代の血をひとすじでいいから口にしてみたいと思い、、、そうです、あまりに身近な故の戯れだったと弁解しても道理は通りませんね、どこか遊び半分で済まされるのではなどと云う意識も片隅に忍ばせていたことがこうして思い返されていますから、、、」


[128] 題名:まんだら 最終篇〜虚空のスキャット10 名前:コレクター 投稿日:2010年09月14日 (火) 08時17分

「怖いもの見たさなのでしょう。わたしが現在不可思議な現象から頭を切り離せないのもおそらくその延長だと思うのですが、、、そうです、磯野さんの言われるように多分に妹にも知らず知らずに影響を及ぼしてしまっていたかも知れません。ええ、ご質問には正直に申し上げた通りですし、わたしの知る限りにおいてはあなたが言及したい箇所を記憶の底から浮かび上がらせたいのですけど、今までお話してきた以上に目立った出来事はありませんでした。時間系列、つまり順序よくと云う方法論は極めて見通しをよくするものです。確かに時間軸に沿って流れる川面みたいに間違いはない、、、可逆する事象などはあり得ないわけですね。ただしあまりに信頼し過ぎてついつい見落としてしまうこともあるでしょう。とるに足りない小さなものだけでなく、非常に重要な事柄も、、、
わたしはあの頃の遠藤家を川の流れのように見届けてお話ししてきました。その結果ここまでことなきを得たようですが、あえてひとつだけ小学時代の美代に関してですね、いい落としていることがあります。いえいえ、これは川面の下を覗くことが不可能だから、つまりは水面に浮かびあがることの偶然性と必然性をよく審理する必要にかられているからこそ、一連の時間の流れからは切り離して内情を見据えてみたいわけでして、それは他でもありません、後々の事件に関連あるかも知れないと云う接点で強引に結びつけてしまう独断を危ぶんでいるからです。そこでこの件はこうやって年代の区切りをつけた後で、補足として述べておきたかったわけで、、、」

陽光を照り返しながら流下する河口に跳ね上がる銀鱗、前触れなくなくとも、水しぶきの音なくとも、驚きさえもが予期されていた光景に感応するあの瞬間。孝博のこころにも反射した久道の言い様に同調したのも束の間、思いもよらぬ名称が耳朶に吹きこんで来た。磯野さん「血とバラ」と云う映画をご存知ですか、、、薄明の向こうにたゆたうほのかな記憶が呼び覚まされ、残像は次第に色づく。ええと言いかけてみたもののロジェ・ヴァディム監督以外、出演者などの名前は出てこない、すると相手はあたかもナレーションを語るかの如く、
「信じられないくらい美しい映画です、怪奇映画と呼ぶのが似つかわしくない、気品あふれた吸血鬼を題材にした作品でした。わたしはあれ以上に綺麗な女吸血鬼を見たことがありません。もっとも単に美貌からだとポランスキーが撮った、ええあの惨殺された女優シャロン・テートが並びうるでしょうけれど、あちらは作風も正反対であり、また王道ハマープロダクションの一連のドラキュラ映画の確立された雰囲気、こちらはとにかく怪奇色を前面に打ち出しているので登場者が『血とバラ』みたいな女性にはなり難い。そうですか、ご覧になったことがあるのですね、覚えていますか、主人公が従兄弟の婚約者を幻想に誘うあのモノクロームで描かれた異様に静謐な情景。寝台脇に死人のようにたたずむ胸許からしみ出す深紅の鮮血、窓辺は水平に開かれ並々にたたえられた水上と化し、招かれるまま飛び込んでしまった先は小雨が溜まる広場、舞踏者たちに横目もくれず一心に向う病棟、そして待ちうけている悪夢そのもの、、、思い出されましたか、決して牙などむかずに絡み合う美しい女同士の抱擁にも似た吸血の姿、もうお分かりでしょう。あれはわたしが十五の頃だったと思いますから、美代はまだ十歳になる前のことです。冬の日曜、夕刻前だったでしょうか。あの日は珍しく兄妹揃ってテレビの前から動かず、ふたりしてその放映された物語に釘付けとなっていたのでした。当時わたし的には映画雑誌などで格調高い女吸血鬼ものとか紹介されていたこともあり、多少の興味を持ってましたのでひとつじっくり観ておこうと思っていたところ、気がつけばこたつの横に美代が座りこんでえらく食い入るように画面を見つめていたのでした。途中で会話したのかはよく覚えておりませんが、見終わってからはこんなふうな質問されたのです。
どうして女のひとしか襲わないのかと云うことと、あんな吸血鬼だったら本当に居そうな気がするけど果たしてどうなのかと。普段はそれほど喋り合ったりする仲ではなかったですし、あっ、そうそう美代にはさっきも申しましたけど、時折怖がらせる悪戯心で幽霊話しなどを聞かせていましたので、あの日は別な意味で驚きを示したのかも知れない、何故ならわたしは観賞後、どこか肩すかしされた物足りなさを感じてましたので、それと云うのも全然怖くない内容に失望したところがあって、もっともっと先なのですよ、本当にあの映画の美しさが理解出来たのは、、、ところが妹からしてみればわたしとは違った感性で捉えるものがあったのでしょう。おそらく美代は怪奇映画としては認めていない、物語も現代の設定で何せ冒頭から旅客機が滑走路から飛び立つ場面ですので、どこか異国の地に降り立った感覚を想起させたのではないか、また森のなかの古城で展開される情況はいかにも絵本なんかで読んだことのありそうな、日々の夢のなかに忍んで来てもおかしくはない既成のロマンで彩られています。
美代は何の違和感もなくすんなりとそんな舞台に入りこめたのではないでしょうか。それであんなことをわたしに尋ねてみたのだと思うのです。はい、確かこう応えましたよ、きっとどこかに吸血鬼は居るだろうね、女専門って云うのはそのほうが血の味がおいしいからだとも適当に付け加えておきました」




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