COLLECTOR BBS
[39] 題名:まんだら34 名前:コレクター 投稿日:2009年04月09日 (木) 05時37分
太陽の意思というよりも白雲のわだかまりと千切れ雲の気まぐれが光線の配分を決定し、車両の縁どりを見送っていく山々と夏木立が使命感に萌え、陰りのときを創出した。
富江のからだは陰陽に引き裂かれながら、嵐が過ぎてしまったあとでは陽のひかりは白々しく思え、すがすがしさなどどこにも感じられず、はばまれることで生まれた陰りもまた日常の芥が積もりきった沈滞でしかなかった。
秘めやかなところを触られるままどうするわけでもなく、時間にしてみてもほんのわずかの間だったことが、窓のそとを通過してゆく無人駅の名前を横目でとらえてみると、簡単な足し算をする感覚で認められる。夏の嵐はあまりにすばやく、そしてとらえどころがなかった。
自分をなぶった、しかも始めて会ったおとこを叱責することも打擲することも出来なかったわけは、反対に制すれば制するほど得体の知れない快感と汚辱を得てしまう、そんな危うい底の見えないものを瞬時に抱えこんでしまったのかも、、、相手の目と自分の目がかさなりあったとき、おとこ特有の物欲しげなひかりが上手く隠されているようで、すぐ直感的に緊迫した糸にからまったことを観念したことが、すきを大きくひろげてしまったそもそもの起因だった。
でも、くちびるがおおいかぶさってくることは予感できたけれど、まさか、いきなり下半身を直撃されるとは以外だったし、そのせいで緊縛が強まりからだも固まってしまったのだから、、、
カーディガンで膝からうえを隠してと言われたときには、富江はもう抵抗することを放棄していた。
そのあとの意識は、おどろきが拡散されてどこかに弾けてしまうような、悪夢も見ようによったら楽しめるかもと云った、一種の遊離現象が発生したなかで、ところが、沈着な意思はやはり残されたままで、そこから見据えることはもうひとりの自分を見続けているだけであったような気がして、なぜそこに葛藤が起こらなかったか問うてみれば、答えはすぐそこに届きそうなところでたち消えていまい、結局悪夢の側から覚醒を願ってこそ悪夢らしさを体験するのであって、では夢見られたのはどちらの自分だったのかつきつめてみれば、それはなかなか正確に言いあらわすことが出来なかった。
しかも、おとこの手は今までにない密やかな夜光動物の息使いで、富江の穴を嗅ぎわけていった。無論こんな痴漢みたいなことに遭遇したのもはじめてで、どこでどう話しが横道にそれたてしまったのか、なぜ、からだの芯を求められたのか考える余地もなく、拡散された感情はどうしてまた、不本意にも淫らな快感を得て収束してしまい当然波立つ激情を押し殺すはめになってしまったのだろうか、、、
ことが終了したのは富江にとって終着駅についたのと同じくらいの明瞭さで理解された。
次第に大胆になるおとこの手つきがいったん途切れてふたたび動きはじめた矢先、その指先の振動が意志によって小刻みに震えているのではなく、別のところからくる伝播によりもたらされていることがよく感じられたからである。
あきらかにそれはおとこの沸騰点による身のこわばりが、くまなくかけ巡ったあかしであった。そのあと、蛇のようにもぐりこんだ手が同じくもとの道をすばやく引き返していくのを、富江は沼地に棲息する小動物が警戒心を丸だしにして逃げ去ってゆく光景に重ねあわせ、郷愁にも似たわびしさを覚えるのだった。
そして、左手のさきが粘液で濡れ光っているのを同時に見合わせたときには、悪戯を見つけられた子供がすぐに感傷を取り寄せ一気に埋め合わせしてしまうのと同じで、富江はおとこが自分よりも強く恥辱と悔恨を胸に宿しているのを知り、そのまま拭おうともしない手をどうするのか、ここでハンカチを差しだすのは相当に気恥ずかしく、なぜなら突然噴出してしまったであろう精の後始末にとまどっているばつの悪さも生理的に居たたまれなくて、かと云ってときが流れるのをこのまま黙殺してやり過ごすのは堪えがたかったし、でもそれは今しがた感じとったおとこの羞恥心が感染したことを納得する自分の意にそぐわないことだと、ようよう感情をわがものにして、『大人のくせにしっかりしなさい』と喉元をことの葉が吹きあがってきたことで、なにやら少しはすがすがしさが近くまで訪れたことが内心うれしく思われ、窓枠に置いてあった飲みかけの缶コーヒーを、おもむろにつかんでおとこに手渡したのである。
とても自然な手つきで、しかも、若さを失わない恥じらいを取り戻した素っ気なさは、凍りついた孝博の顔をほんのすこしだけ溶かしたようであった。
それから、静かにその場を立ちおそらく洗面所に向かったそのうしろ姿は、振りかえるまでもなく富江のまぶたの裏へ遠い記憶のように焼きつけられた。
[38] 題名:まんだら33 名前:コレクター 投稿日:2009年04月09日 (木) 05時32分
太もものつけ根まで左腕を忍ばせるにはどうしても半身を窓際へとひねりこみ、通路側へ背を向けてしまう恰好をとらざる得なかった。
となりや斜めうしろの乗客らの目は、こちらに注がれてないにもかかわらず、きれいさっぱり拭いさることが無理だったのは、これが夢であろうが現実であろうが同じこと、孝博はもっとも大切な要点を保持している自分を少しだけほめてあげたい気持ちになった。
指さきは富江の素足を這い、いとも簡単に夏ものと思われる柔らかな生地のパンティの右すそをずらし、湿り気をおびた割れめに侵入すると、そっと中指を縦線にそって撫でるようにしながら、こころもちその指のあたまを押しあててみて、少しずつゆっくり穴のなかに沈めていった。
富江の声色はあきらかに恐れを蔵し、しかも、あらわな怒りになるまえにかき消されてしまったとまどいは、ふたたび沈黙に似た反応をみせはじめようとしている。
車窓を貫いてくるちから強い光線にさらされた瞳孔はせばまりながらも、やはり孝博の危惧と同じく辺りが気がかりなのだろう、絞りこまれたレンズが対象を的確にとらえるようにあごを上げたまま、通路をはさんだとなりの座席の老夫婦らしき連れの居眠りをしっかり確認したのち、「はぁっ」と切ない声をちいさくもらすことで沈黙ははからずも破られるのだった。
氷壁は溶けだそうとしている、、、孝博は最果ての地であおぎ見る日輪の雄大さを想像した。そして、抑止された時間がすでに動きはじめたことを知ると、うちなる言語は富江に託されたのか、ときに乗り遅れた語感はどこか哀れでもあり琴線に抵触しかけたのだが、飛龍を呼びよせた孝博の情念はもう後戻りのきかない崇高なまでの貪欲に支配されてしまっていた。
その股間に宿った温熱は、まるで発射台に備えつけられたミサイルの緊張のように沸点を待ち臨んでいる。
富江のことの葉は、下方から吹きつけるそんな熱風にあおられ、おののきながらも期待と逡巡が交差する説明のつかない震えとなって、孝博にも自分にも言い聞かすようつぶやかれた。
「ドウシテデスカ、コワイノデス、、、ヒトガミテイルワ、ソンナ、、、アッ、ダメデス、、、オネガイ、、、」
「だいじょうぶだよ、木下さん、そこに掛けてあるカーディガンをひざのうえにのせなさい、そうすれば誰にも見られることはないから、、、僕にもね。となりは寝込んでいるみたいだから、安心して、そう、もっと腰をずらして足を開いて、、、」
孝博の声はやまびこのように互いのからだに響きあい浸透していった。そうして中指はほどよく湿りをもたらしてきた肉のさけめをふさごうと更にめりこませ、慎重に富江の顔色をうかがいながら優しく回転したのだった。
「アァッ、ハズカシイ、、、ワタシ、コンナノハジメテ、、、ドウカシテルノヨネ、キット、ソウダワ、、、ヘンナキモチガスルノ、トッテモ、ヘンナ、、、」
陽射しが稜線にさえぎられたため富江のおもてはちょうど半面だけ計られたように雲間に隠され、次に太陽が現れるまでの束の間、さながらこころのなかもまっぷたつに割られたのか、陽のあたる場所と陰りの場所がありありと識別できてしまうほど双極を見せつけたのである。
「オネガイデス、ソンナコトヤメテクダサイ、、、ウッ、ハズカシイ、ドウニカナリソウダワ、ワタシ、、、」
切れ切れに吐息となってこぼれだす富江の声色を耳にした孝博は、それが夜陰にひそむ衣ずれが醸しだす同衾へのいざないにも聞こえはじめ、もうそそり立った男根を静める算段などおよびもつかず、今はこうしてこころ奪わるよりすべはないのだと、ひたすらに阿弥陀如来の御影が脳裏を点滅するのは善きしらせに違いあるまいと信じこみ、しかし、ここが真夏の車両内であり、燦々とふりそそぐ陽光のもとであることは、白昼夢の可能性を最大に願いながらも、実際に色情が充たされていく怖れを十全に拾い集めてしまっているのだった。
増々、指のさきが鋭敏になりこなれだしたのは、いちがいにおとこの側の思惑だけではあるまい、しっぽりとまわりの恥毛まで濡れてきたおんなの**を**らしく扱うのは、花に水をまく育みの情愛と似たようなもの、葉のうえを、花弁のなかを、艶やかにすべってゆく水滴はおんなの側の意想を涙と分泌液で物語りながら、なおかつ相互に苦悩と快楽を授けている。
孝博は富江の目の奥に吸いこまれていくことの不安から逃れるために、幾らか手つきを荒め深々と指をさし入れたのだった。
[37] 題名:まんだら32 名前:コレクター 投稿日:2009年04月06日 (月) 09時18分
夢の偉大さは、何よりも空白と沈黙をもたないことにあった。それが思考空間であれ叙情光景であれ、ゆらめく旋律も歯ぎしりのような騒音も、すべて見て聞かれることを大前提に上映される物語であるからだった。
もっとも停電みたいに視覚が奪いさられるときには、意識も同様に暗幕がおろされるのだから、それは空白や沈黙と云うよりも非在そのものである。
では、この意識と目とこころもようはどこに根ざしているのかと、まるで残り少ないバッテリーを憂慮する意想が鎌首をもたげたのも、やはり、かろうじて全域を夢魔に侵されていない証明となろう、、、なぜならば、ゆとりある領域には、ことの葉がいつも舞い降りているからであった。
その幾ばくかの理路をたどっている以上、あたまはある程度の覚醒を余儀なくされる。孝博の妄念がありもしない実体を生み出したのでない、少なくとも己の視線に信憑をゆだねている間は、、、
そうして、かろうじて把握可能な夢うつつにたゆたう絵巻の押し花から、花片は失われしときの形状を留めないままに、しかし、馥郁たる残り香をしみこませながら、視覚聴覚から切りはなされた嗅覚へと、世界像を拡張させてゆく、、、
氷の緊迫に身動きがとれない富江に孝博は最接近したと思われる、、、すぐそこに瑞々しいおんなの香りがやってきたからであった。これよりさきは密着と云う、肉体のふれ合いを避けられはしない、たとえ衣服で守護されていようとも、、、、
わずか毛先ほどの間隙の残し、孝博は富江に対する肉薄を静止してみた。さしせまる野性のエロスを芳醇なる児戯に還元させたいが為であった。何より視覚の象が結ばれるさきを超え出てしまい、最終的には眼窩に収まらないことになれば茫洋とした肉欲など抽象論でもあるまいし、ポルノグラフィーをかすみ目で追うようなもの、劣化して視聴不能になったアダルトムービーを見やるようなもの、純然としたエロスを我がものにするには、もう一度適正なフォルムをとり戻す必要があった。その為に隠れた次元をひっぱり出して、あの無骨なうちなる言語の堰をきり両翼の羽ばたきを自覚し、ことの葉が木のうえから舞い降りるのではなく、反対に大空にむかってまき散らすかのエネルギーを動員することで、目に映る、そのさしせまった侵犯の瞬間は絶頂への登攀を確実なものにした。
それから氷壁に塗りこめられた実体を余裕をもって眺めやるとき、氷点下のもと地中に生体反応を認めるあの驚きのような高揚はさらに追い打ちをかけ、歓喜の冷却装置はあたまのなかをかけめぐって、一層の醒めたリアリズムを打ち出すことで、欲情に燃えさかる盲目の炎はけっして鎮火されない、青白い龍の天がけとなってこの世に呼びよせられる。
もはやこの世もあの世も未分化のままに混濁した状態で感じとられ、しかも超絶技巧のピアニストの弾む鍵盤が踊りだすかの時間に乗じった興奮も一糸の乱れを生じさせないのと同じく、混迷そのさなかの瞳のむこうは異常なほどに澄みきっているのだった。
論理を破綻させてようやく白痴と呼ばれる称号が、ここにきて付与される。言葉は怒濤さかまく急流を乗りこえて、波間からあっと云う間に選られ新たなる輪郭を表出する、、、白日夢は完成された。
阿弥陀如来の左手は聖なる陵辱であることが諭され、だが、右手は制止の態でも領諾の謂いでもなく、ことさらあわてるまでもなし、生命に宿る情欲を鼻息で無粋なものにしてしまわず、かと云って朴訥な野趣に慢心することも能わない、そんなささやきをもらしているのは果たして誰なのか、苦笑さえも降りもののように我が身にしてしまうと、孝博は何のためらいも覚えないまま、富江のくちびるを奪うよりさきに、その薄地のワンピースのわずかに開かれた奥深いところをかき分けて、慈しみをこめ左手でまさぐるのだった。
[35] 題名:まんだら31 名前:コレクター 投稿日:2009年04月06日 (月) 06時21分
富江の瞳は繊毛に近い微細な感情で揺れているようだった。
孝博から見つめれば、富江の姿はけっしてひとり歩きしてはならない閉じられた押し花だったのだが、ここが夜の夢とは異なるところ、濃霧によって秘められた隠れ里の様子が、年に一度はうかがい知ることを許されている不可思議な掟で語りつがれるように、時折まばたきされたかどうか錯覚されるくらいの不完全さは、今が夢の一種であることを認めただよいゆく為にも、反対にその完全さを保証する裏書きとなった。
なぜなら予期せぬ事態こそが物語の最大の修飾であり、紡ぎだされる綾はつねに何かを裏切りながらこころの襞をかき分けて進んでいくからである。進むからには時間をとどめたままでは限界があるとまでは云わないが超克される地平が理不尽にも遠望されてしまう。別次元の扉を開けるにはより大きな飛翔と豊かな実り、つまりは無限の豊穣を夢見なくてはならない。
過剰な装飾をまとった菩薩が鎮座する絵姿が幾重にも反復される様を、よく目を凝らして観るときには自ずと、決定的な細密の異相とめくらむ巧緻で翻弄される時間を内包していることを知らしめられるように、思考は停止しつつ、論理をまるで積み木細工に似た作業で築きあげながら、そのじつ時間の空洞を覗き見ては精巧なからくりを不埒に夢見る。
調和と秩序、あらゆる万物の多様性は世界の果てにも、どこかの大国にも、まだ見ぬ秘境の谷間にも、海溝の深遠にも、どこにも収斂されることは決してない、この目の奥に仕舞われるだけである。
夢の曖昧性と神秘性はまろやか飽和するべく、淀んだ分泌物は排斥され濾過され、結果角がなくなることによってすべての感情は美しくたおやかに解放され、悲劇の演題は一大妄想劇の上演へと会場を譲りわたし、悲哀が喜悦に、憤怒が慈愛に、杞憂が微笑に、不安が充足に、そして充足は、まんだら絵図のように二次元の世界を剛勇に保ちながら、永遠にほくそ笑み続ける綺羅星のかがやきを失わないまま、幾万光年の彼方を今ここに顕現させるのだった、、、
胎蔵界まんだらと金剛界まんだらの上に陽が差す、、、
上空高く一匹の鳶が脱力した鳴き声も軽やかに、太陽を背に浴びながら、下界に一抹の陰を落として飛んでいく。さっと墨糸でなぞられたかの陰の遊泳が諸尊像のある顔色を一瞬、曇らせる。するとまわりの仏顔が苦笑を浮かべるようにして、にわかにざわめき始める。
孝博は大日如来らの思念に想いめぐらせてみるより、苦笑それ自体に感心して、さらには奥義とやらが絵師のちからで焼きつけられる媒介を想像してみた。するとごく単純な疑問がわき起こり、神々しくもきらびやかで単調な一見窮屈そうな絵図に息吹を授けたのは、はたして高僧の極意であったのか、あるいは絵師の才覚によるものだったのか、ぐるぐると同じところをまわりだし際限がなくなる手前で、普賢菩薩を乗せた白い像を思い起こした。
結跏趺坐の不安定な居住まいは危うい均衡をことさら尊く現しているようで、意味深でもあり、無意味でもあった。それよりもそんな永劫を背にした白像の心中を察して、ちいさな哀しみを胸にあたかもバッジの如く留めおいた。
続いて阿弥陀如来の質素な御影がよぎっていったのは、十分に意義のある仏罰に他ならないと孝博は、深くこうべをたれ、その簡明ななりに反比例する絢爛たる両の掌の静止をあがめながら自ら印相を真似てみて、なおかつ西方極楽浄土からの迎えと称される来迎印が示す際だつ結びの艶やかさの裡に、生と死の、わけても生命のほとばしりを感じいてやまないのだった。
畏れおおいかな、孝博には如来の左手首がだらりと垂れ下がり無造作にこころもちをさらけ出している様が、赤子の尻を清めてくれているような、お互いの恥じらいを堂々と白昼に露呈させているような、どこかエロティックな所作にも判じられてしまうのだったけれど、だが、親指と人さし指がよそよそしいほどに淡い密接で輪を形どるちから加減に幻惑されるまでもなく、もう片方の胸元まで上げられた掌が臨終のときを嘆いているより、むしろ、人の情をよせつけない頑さで万象を否定し続ける、限りない承引に近い戒めに深く共鳴した。
それはいのちのはかなさに対する諦観をも拒絶する、生きるかげろうを見据えている下目加減の双眸に平坦と描かれているからであった。
[34] 題名:まんだら30 名前:コレクター 投稿日:2009年04月06日 (月) 06時19分
流れゆくはずの窓のむこうに時間は生起していない、孝博の目は特異点となることで後退する背景はむろんのこと、富江の残像さえもその場からにわかに消しさった。
すると一こまが次の一こまに瞬時に移り変わるようにして、あらたな富江の姿態が形作られるのだった。
秒針がチクタクと刻まれる幻像にまわりが包まれだしたのも、そして、そんな感覚もどこか遠い世界での出来事だと、太陽を見つめ続けた際に生じる鋭い刃が突きさるかの、あの避けがたい痛みと忘我が共存する刹那へと導かれていたのも、すでにその時点が夢見の霧の彼方であることを受入れざるを得ない、甘い恐怖に彩られていたからである。
夢の面口はあらかじめ解体されたものを今度は独創的に構築させようと、きわめて巧妙な手先を駆使して、だが、いかにも真実を懸命に呼号しているふうな意思をはらませながら、こうして始まってゆく、ちょうどみぎわの浅瀬がいきなり深みへと落ちこんでいる海底に足をとられるときのように、、、それは恐怖が水中で増加され、もしくは緩和される、深い深い霧によって懸命な意思が目隠しされることによって、もうひとつの世界への出発となる。
しかし、今ここであらわになった白日夢は、夜のとばりとはやや異なる趣きをもって絵巻がひもとかれた。
孝博の言葉は、沈痛な余韻がたなびくことを少しだけ了解されたうえで圧縮され、めくられる物語の展開を流暢なものから無骨な木の節々へと、意図的につまずく純粋な要約であるべく変貌を遂げるのだった。
時計の針がひとつ動くその狭間と狭間を大きく押しひろげながら、言葉は発声器官をくぐらずひたすら脳内に打刻される。
「うちの子供のことですか、ああ、木下さんと同じくらいかな、、、えっ彼女がいるかって、どうでしょうね、あまり詮索しないものですから、、、いや、詮索するのがめんどうなもので、、、実は腫れものに触るようなものかと、、、そうです、あなたはうちの子供というより、生徒を想起させます。女生徒と飲みにいったことはありますが、それ以上はありませんよ、、、ああ、つい口がすべってしまった、僕はただこう言おうとしただけです。『この列車に乗り合わせたのも何かの縁なら、、、せめてキスをしてもいいですか?』と。
そうでしょうね、こうして無言で見つめ返すあなたの目がとまどいに揺れているのはわかります、でもほんのり赤みが増しきた、それが危険を察知した本能によるものとしても、わずかに艶めいている柔らかそうな、それでいて張りのあるさくらんぼの弾力を想わせるそのくちびるは、いかにも未熟な性を連想させますよ。いやいや、そう想いこまされてしまうと言ったほうが、、、
僕の言葉が空包であることをあなたは知っている、、、その証拠に、、、そう、その呆れ果てたくちもとの向うに続いている先には、のど仏が待機してるとでもいった確信が、あなたを守っているようだ。お守りは、、、つまり、無音と無言を生み出している暗黒の絶対者の沈黙が、すべてであると言いたいのでしょうが、かたちあるのも、ええ、音にだって言葉にだって音像と云うかたちがあるのです、のど仏はかたちをあらわにする為に待ちうけている器官じゃありませんか。いつだって最後には震るい出されるのは、叫びなのです。誕生の瞬間から、死に到る直前まで、僕らはこころのなかで叫び続けているのです、そうしていつしか大きな添え物となって信頼おけるかたちに作られるのでしょう。
あなたのさっきまでの饒舌は後退しその代わりに現れた僕の言葉によって、沈黙の絶壁に張りついてしまった。いいえ、不可能ですよ、凍りついたまま決して身動きはとれない、、、なぜなら、木下さん自身がたとえ驚きであろうとも、ためらいであろうとも、沈黙を砦としたからなのです。沈黙は言葉を放擲した、もっとも最良の反抗であり、話しは飛ぶけど、しゃがみこんで覗き見ると、あなたのあそこがすでに潤っているのを知るわけですから、、、闇の泉が満たされてゆく尊さの前にひざまずくのは文明なのですよ。
どうぞ、そのままで、、、氷壁のなかから見返される、その視線は冷たくとても美しい、、、」
[33] 題名:まんだら29 名前:コレクター 投稿日:2009年03月31日 (火) 07時02分
もの思いが唐突であれ、緩やかであれ、訪れるやいなや脳裏から振りはらおうとするとき、ほこりをはたく調子で軽やかに速やかに消えてなくなればと、あらためて念を押すような心づもりがあるわけでもなく、しかし、念押しされる特定の箇所がきわだって、そう、この身からあふれだすくらいの苦渋であればそれが嘆かわしいのは仕方のないこと、たとえ綿をちぎるような悔恨にこころ支配されようとも。
まとわりつくのはつかみどころのないもの、所詮あたまのなかに一時的に巣くった幻像、いつか透けてなくなってしまうのも現実の事柄と同じく、焦燥と云う感覚が時間軸にひりつきながら流下するならば、悔恨の念は不安定な小舟に揺られつつ、どこまでもあてどもなく遡ってゆく負の冒険となることだろう。
重大な意義などありはしない、、、大地に根をはる茎のように、神経のすじが虚空にからみあう姿態を模倣してみせるだけである、だが、舞台上で演じられる圧倒的な悲喜劇にまったく感情移入してしまうこころのありようと似て、それは実体なきエネルギー、宿らぬたましいとも呼べるかも知れない。
いつの世も時間の裏がわに触媒としてまといつくのは、我々の想念だけである、、、、、、
孝博の追想から魂魄がさまよい出たのか、あるいは富江の意思がひとり歩きしたのか、その瞬間、お互いの双の目がちょうど暗闇で出会った灯りのようにそれぞれのなかに、おだやかな緊張と底しれない安堵をもたらした。
富江の饒舌が渇きかけ、ことばが目的地を見失いかけていく少しの間に、孝博のあたまの裡を過去が侵入したのだったが、トンネルを突き抜ける車両の速度が、暗幕のなかではよく感じとれないのと一緒で、どのくらい思惑がおちこちにめぐったのかついぞ知るよしもなく、けれどもひと通りの再現はしてみせたであろう模様は、その隠されたかのちいさな結び目を名残りとして、いま視線が停止し、富江の瞳のむこうにくすんだ色を示して浮かびあがらせた。
虹彩の奥へ孝博の思いは潮流に乗ったかのように吸いこまれてしまうと、息子や妻に対するわだかまりはどこかに追い流されたようで晴れやかな蒼海を満喫できそうな気分が訪れたのだが、一方では波頭が見あたらなくなったことは、たったひとり海上の残された寂寞にもなぜかしら通じていて、絶対の孤独とやらがすでに戦渦を承知で帰還を願っている。
「夢の展開はでたらめのようで案外とそれなりに帰結を見せるものだ、、、それが戦慄であったとしても、、、」
孝博のもの思いも悪感情が捨象された。それは夢見によって遠心機にかけられた時間のふるい落としであった。
結果、濾過されない残滓はたましいを蔵さないまなざしそのものになった、いや、たましいを置き忘れたと言ったほうが近い、、、静かな波間に揺らぐ椰子の実は何を想い続ければいいのだろうか。
想いはむこうからやってきた。比較的に長く感じられたトンネルから飛び出した列車によって、明暗の単調なくり返しはにわかに鮮烈な陽光を受けいれることを自覚し、おおいに夏の日を意識させた。
いつかの春さき、桜の開花を通勤途中に横目で堪能したはずだったつもりだったが、またその程度の目配りで寒暖以外に関心ごととして四季のうつろいにはこれで十分などと覚えつつも、後日知り合いらの会話でそれこそ花見談義に花が咲き出すと、不思議なことにまだ鑑賞までには至らない今年の桜は薄桃色から一気に鮮烈な紅色まで飛躍するかのように、思いもかけない衝動がわき起こり、気分まで春爛漫に包みこまれかかったのは決して酒の酔いの力だけではなかった。
ふりかえってみれば、同様の心境をこれまで何度か経験しているはずだった。己のなかだけで完結しているものが、ほんの些細なきっかけもしくは外部からの指摘で、より最適と思われる次元まで大きくふくらんでいく。
束の間だがそんなひとときを孝博はまぶしいものを見つめるように大事に扱った。それらが実際よりも伸び上がっていて、反対の刺激に対しても同等に、つまりは今度は縮んでしまい壊れてしまう結果を予知していたからである。
壊れないように腫れもにでもさわる手つきで扱ったのではない、はかなく壊れるからこそ、その刹那を愛でただけであった。そうして桜の花が散ってしまうと、意識するまでもなく夏日の到来がそれとなく推測され、花冷え春の夜を薄衣で被ったことをかすかに憶いだすのだった。
今は真夏だ。走りゆく特急の座席に身を沈めた孝博は去り続ける時間を停止した。
乳白色のワンピースを身に着けた富江は小柄なのか、あたま半分ほど下方から目線が張られている。ピンとたゆみなく渡された瞳の底からは限りないひかりが放たれ、睫毛の一本一本のカールはあたかも優雅な房をもつ肩章が突風にあおられるが如く、上目使いを強調するために翻っていた。
極上の粉飾はこうして自然の裡にあだ花となって、潤色であることを閑却させ見事に自然を凌駕したのだった。
[32] 題名:まんだら28 名前:コレクター 投稿日:2009年03月24日 (火) 08時12分
山腹を際どく縫いながら列車は走行してゆく。
時折、山林が切り開かれたところから下界を見おろす場面が現れるのは、かなりな高所であることを実感させ、そうかと思うと次の瞬間には漆黒のトンネルへと吸いこまれてしまい、またもや車窓に浮かび出る自身の半身と目が会うのも次第の慣れてくると、記憶と想念も混濁しはじめ、これが幼子であったらきっと喜びと希望にあふれ、単線鉄道の快走はもはや線上のうつろいから次元を超えて、太陽と暗黒が交互に織りなす綾となり、あたかも千鳥格子の紋様のごとくさらには連なる飛翔へと結ばれ、おおいに冒険心をくすぐったに違いないと思われてくるのだった。
しかし今、トンネルの閉塞がいかにも深く闇を呼びよせたといわんばかりに悄然とした顔つきで現れるのは、陰の仕業だろうか、それとも己が闇に迎合しているからなのだろうか、、、
孝博は息子より少しばかり年上の富江に、いっそのこと今日の帰省の事情を話してみたらどうか考えてみた。あくまで世代的な共感へと通じるだけかも知れないが、その不可知がなりよりも意味ありげに思えてくるのは否定できない。
知りえないからこそ、努めて胸襟を開いて親子の会話と云うよりも人間同士の鮮烈な息吹として息子に体当たりしてみた。結果、家内を交えて三つどもえの論議となったのだったが、孝博は居心地の悪い勝者となることで自らの敗北をまるく鞘に収めた。息子の意志は強固なものであり、しかも果敢であった。
斜め読みに導かれた独断論にせよ、孝博が若いころに耽読したマルクスやニーチェを引用しての主張には正直驚きを隠せなかったし、何より彼が自分の急所を握っているのではと云う能動的な曲解をいさぎよしとした。そもそもが断絶なのだった、たとえ血縁においても愛情においても、、、一番よくそれを理解したつもりになっていたのは自分自身ではなかったのか、、、
せがれの言う理屈は少し胸に手をあててみれば、孝博にもよくよく納得せざるべき性質をはらんでいた。「おれも似たようなものかもな、社会のシステムを毛嫌いしながら、しかし他国語にせよシステムの根幹である言語を伝授している、埋め合わせのつもりなのか、宗教学を捨てきれないのは、、、大学の教室も研究室も隠遁の場にふさわしい歪なぬくもりがあるじゃないか、、、」
そんな孝博を尻目に妻は母性本能を最大限に駆使し、磯野家全体をのみこんでしまう慈愛をもって妥協案を差しだした。父親としての体面などそれこそ木っ端みじんに吹き飛ばされてしまったのである。
「わかったわ、好きにしなさい、でも条件つきよ、そんなに不利なことじゃないわ。いい、ひとつは期限つき、二年間で一応、東京に戻ってきなさい、いいえ、全面的に引き上げろとまでは言わない、とりあえず戻ってきなさい、先のことなんか分からないわよね、だからあらかじめ期限をつけるの」
そんな叩きつける激しい雷雨のような勢いの押されたのか、息子は反論を示さない。孝博もへびに睨まれた小動物の思いで聞きいっていまった。
「ふたつめはわたしも最初の数ヶ月間、あなたと一緒に生活します。ええ、この家を出て故郷に行くとことになるわね。それだけよ、あとはあなたの計画を推し進めればいい、わたしはよほどのことがない限り口出しはしないから」
妻は毅然としてそう言いきると、全神経を使い果たしたように急に目のかがやきは失せ、しかし、今度は孝博に向き直り、それが最後の力とばかりに手をまるめこみながら「これでどうかしら、あなたには夫婦としてのお話しを後からさせてもらいます」とさきほどの勇ましさとは別種の冷ややかな意思を覗かせたのである。
その場はそれで互いが了解しあえたかに思えた、何故なら誰よりも先にそれまでの悲愴な面持ちを一変させ、口もとをほころばせたのは我が子であったし、結局のところ、彼の喜びが両親の裡へと伝わっていく道筋が順当であることに早く結着を見いだしたかったからだった。
孝博は胸のなかで呟いた。「息子はやはり稚拙であり、世間知らずだった、制約のある自由と引き換えに時間を与えられたかも知れないが、それこそが貨幣換算に裏打ちされているではいないか、、、放埒な青春の一時期を限りないものと錯覚する距離感をすでに閑却してしまっている、だが、母親としての巧妙なかけひきを敢て承諾したとするなら、、、いや、どちらにしろ早計だ、おれとの話しとやらも想像がつく、家内は衝動を野放しさせてから骨抜きにして言い含める腹づもりだろう、その段取りをおれにさせる気でいるのさ、、、」
孝博は父、母、子と云う、もっともコンパクトな家族構成から、こんな心理ゲームが始まるのをひと事のように鑑賞している自分を見つけ、恥らいにこころが染色してゆくのを覚えたのだったが、それはただの恥じらいにも増して複雑な思惑が重なり合い、不幸が悪いしらせでないために不幸を前もって予期していると云う、上位の俯瞰図を手に入れたと、今度は恥の上塗りをしている確信が、まるで職人業の手並みの眺めやるまなざしとなって、いずれかの感情は切り捨てられしまうのだった。
[31] 題名:まんだら27 名前:コレクター 投稿日:2009年03月24日 (火) 04時50分
春の陽は長かったが、気がつけば宵闇はすぐそこにせまっていた。
孝博にも家内にも暗影は忍び寄る。息子はと見ればまるで光源を背にした独裁者の孤影のように、危うさはらみつつも、飛び立つ鳥に似た警戒心を先取りしていて、それが一種の確固とした信念にも映ったのだった。父親の問いに対し、彼はこう答えたのである。
「あと一年になった高校生活で確信を得たいんだ、つまり、卒業後は家を出て、田舎暮らしをする具体案を練るために進学勉強でもなく、就職活動でもない、自然と共存する可能性を自分なりに見いだしていきたいんだよ」
息子の表情はどこか憑依されたふうにも見えたが、何ぶんその口調にも態度にも奇矯な雰囲気が出ていない、能面を思わせる妖しさが顔を被う仮面となって、別の人格になりすましているかの錯覚さえ感じる。しかし、話している内容自体が突拍子もなく稚拙であることは歴然としていた、少なくともふた親にとっては。
「そうよ、あんた、それでどこに行く気でいるの」家内もストレートな意見を吐くしかない。
「気持ちは中学の終わりくらいからあったんだ。うん、そうだよ、おとうさんたちの故郷さ、なにもリュックひとつで世界を旅してまわろうなんて思ってやしない、ぼくはあの町で暮らしたいんだ。そりゃ知ってるよ、過疎化の一途だってことも、陸の孤島なんて呼ぶ奴もいるのも、でも、よく分からないけど、これは宿命のような気がしてならないんだ、おとうさんらはあの町から出てきた、ぼくは帰っていくんだよ」
「おい、今なんて言ったんだ、よく分からないままだって、それでそんなこと考えているのか!」孝博はすかさず言質をとったことで、やっと感情を高揚させることになった。
「おれにはただの現実逃避としか見えんよ、ああ、誰にでも聞いてみればいい、一目瞭然じゃないか、まだ背中に何かおぶって訳のわからんとこを放浪する方がよっぽどましだ。おまえのは隠遁生活へのあこがれにしかみえんよ、とうさんらの親戚がいるから心強いとでも思っているのかい、家にこもる代わりに外にこもるってことか」
「違うよ!安易な発想じゃないんだ、肌で感じとったんだよ、小さいころから何度か一緒に帰省しただろ、その度に気持ちが惹かれていった、そして段々と自分の生きる方向が見えてきたんだ、それが何故なのか、どういった根拠かってことは、正確には答えることは出来ないよ、でもいい加減な、そんなとうさんの言うように逃避的な意識じゃない」
「じゃあ、何なんだ、親元を離れるのはそれはどこの家庭でもあることだ、無理に進学しろとは言わない、前におまえの担任の先生と面談したときな、こう言われたよ、お宅ではあまり教育を奨励していないようですね、ってな。おれが大学教授なのを知っていて、そんな環境に育てば自ずと勉学にいそしむとでもいわんばかりの薄笑いでな。確かにおまえは小学校から成績もいいし、今でも学年のトップクラスだよ、それはかあさんもおれも自慢の種だった、これは放任ではない、おれの書斎から専門書なんか持ち出していってたのも知ってたよ、知っているどころか、どんな書物を読んでいるのかまで把握していたつもりさ。おまえは隠れて読んでいただろうが、こっちは本の虫のプロなんだ、抜きとられてはもとに戻してある本は全部わかっていたよ。でも実はうれしかったさ、おれの研究書である宗教関係のものばっかり読んでいただろう、さすがは血をわけたせがれだって思ったよ。本来の学業に差し障りがあるわけでもないし、好きなだけ読んでくれればとな。だが、担任が言った言葉の意味が今はじめて理解できた、おまえはそつなく高校生活を終えたい、それからことに誰からも文句がつけられないくらいそつなくな、ただそれだけのためだったんだなって。あの担任の先生もまんざら目が節穴ではない、そんなおまえの冷徹さをよく見ていたわけだ。なるほどそうなると、どうあれ一応の算段はしていたことになる。それでも、まだ正確に答えることができないんだな、、、」
そこまで勢いに乗り一気にまくしたてた孝博だが、最後のくだりに来てにわかに胸騒ぎを覚えてしまった。「正確に、、、誰が誰に対して、何を、、、正確に答えるというのだ、、、」
そのとき、柱時計がいつものように鳴りだしたのだったが、不思議と無機質である響きはくぐもりながらも、音を伝播させる媒体、それがまるで濃厚な湿度で充たされた肌触りに思えてきて、自分を阻害している空気が実はまわりと云うよりも、すぐそこにそれこそ薄皮一枚ぎりぎりの隔たりを保っているかの感覚におそわれた。
その感覚はある不快さを予想させる、、、こうして今度は毛穴のなかにまで深く浸透してゆくのだと、、、
[30] 題名:まんだら26 名前:コレクター 投稿日:2009年03月24日 (火) 02時35分
同郷であること、確率的に考えてもこの特急に居あわせる乗客の比率は高いはずだった、この車両のなかには他にもまだ幾人かは乗りこんでいるかも知れない。もっとも孝博は町外れの山村で生まれ育ち、高校からは東京で過ごした為にあまり顔なじみはいないのだったが。
もう四十も半ばに手が届いた今となっては、子供の時分の同窓と出くわしても果たして面影を残しているのやら、、、最初とはうってかわって清楚な少女に見えた富恵は随分と快活な気性を呼びもどしたのだろう、それにしても始めて会った孝博に対してここまで親和で接してくれるとは思いもよらず、さきほどまでの文学談義を中断して彼女の専門である服飾にまつわる話題へと変えた結果がよかったのか、すっかり相づちをうつ側にまわってしまい、対する富江は酒に酔ったと思わせる饒舌に転じているのだった。
時折言葉を差しいれる為に彼女の方を向いた瞬間、列車は吸い込まれる勢いでトンネルへとのまれてゆく、まぶたの裏に偲んだうるわしの幻影に透ける実相は、あられもない生徒との恋路を連想させ、なおかつ今度は郷里における煩瑣な問題に収斂する、、、すると富江の相貌の先にあらわれたのは車窓を背景した暗幕が連なり流れゆく光景であり、車両に運ばれることで外の風景とは次元を違えるところに、陰影深い面持ちでこちらを見返している己のすがたを認めた。
昼下がりのぎらついた陽光が瞬時にして暗黒に遮断される、そのたびに孝博はもうひとりの自分に見つめられた。
ふたたび光線がまばゆく照りつけ山間に集落が遠景として見いだされると、否応なしに生まれ育った村を想起してしまい、次には過去のすがたが脳裏をめぐり、時の流れに去っていった様々な出来事がよみがえってくる。
しかし、一方では実際の時間の経過そのものが、列車の走行そのものが、どんどんと難題にめがけて突き進んでいくようでもあり、やはり今日はだいぶ神経がすり減ってしまっていると言い聞かせないわけにはいかなかった。
結局、現実の課題はまやかしで解決されるものではない、しばしの休息をあたえてくれることはあっても、、、孝博は研究分野である宗教学からわずかでもヒントが隠されていないか、あたまをひねったのだったが、とどのつまりは祈りと云う、非論理的なパッションに収められてしまう。祈りで地平が開けるのであれば、それはたやすいことではないか、しかし、宗教の根源にある畏怖される対象への加持祈祷のたぐいは古今東西あまたに見受けられ、さらには呪術と化して霊験をしらしめた異相さえ、まことしやかに伝聞されてゆく。
たとえそれが催眠効果やマインドコントロールであったとしても、一種の啓発であることに違いはなく、もしそれで情況が少しでも変るのであれば、ひとは進んでその方法を選びとるだろう、たやすい道だろうがいばらの道だろうが、、、
それにしてもなぜ息子がああまでかたくなに都会生活を毛嫌いし、どう解釈してみても逃避的願望としかとらえられない主張を正当化しようと、少年らしさを消し去ったかの冷静な態度で「おとうさん、ぼくはずっと前から東京から出ていきたいと思っていたんだ、でもせめて高校を卒業するまでと言い聞かせたのは、そのあいだ心変わりするのかどうか自分で試してみてたような気がする」などともらしたのだろうか。
それはこれから進学先について具体的な話題に転じたこの春先、家内も交えた夕食のテーブル上へ不意にもよおされた嘔吐のごとく散らばった。
瞬時に息子の言葉を理解できなかった家内は、ちょうど唐揚げをひとつ口に含んだところだったこともあり、まさに咀嚼するには間にあわないと云った面持ちになり、まだ半分以上、笑みを張りつけたまま時間が過ぎゆくのを待っているしかない様子で、しかし、わずかにぶれ動いた眼球はこれからの不穏の色をあらわにさせる前に孝博の方へと救いを求めたようでもあった。
この場に沈黙が訪れるのを危惧した彼は、いち早く父親としての威厳を整えるようと焦る、そうして動揺を飲みこむ案配で、だが物腰はいたって鷹揚に茶をすする仕草を途中まで演じてから、こう息子にこう尋ねた。
「それで、おまえ、何をしたいというんだい」
目線は少しばかりそらされ、うしろのカーテンの隙間に流される、語気には強さも激しさもなかった。すべての感情がかすかに震えるのをこらえようとする姑息な意思を、夕暮れは窓の外から覗きかえしていたのだった。
[29] 題名:まんだら25 名前:コレクター 投稿日:2009年03月11日 (水) 15時15分
孝博から発している独特の雰囲気が富恵をまず朝もやのように包みこんだのは、彼自身の接しかたによるところも貢献したのであるが、富江からしてみると現実の大人たちに否応なしに結びつけていることと云えば、絶えず日常のくり返しと些事によってでしかなく、大学教授が持つ研究室や書斎での浮世離れした所作に一般社会から隔絶した秘密めいたものを、走りゆく線路の余情としてからめとったからであった。
しかも若輩の身であることが瞭然にも関わらず孝博の口調はいたって礼義正しく、かつてこれほどまで紳士的なあつかいを受けたことのなかった富江にとっては、多少なりとも胸のたかまりが増してくるのを認めないわけにはいかなかった。
これまできた辺りがずっと不透明だったとしても、この教授は現実から遊離した透明人間であることで反対に鮮明に浮かびあがってくる、ちょうど逆説を目のまえにした奇妙な展開に溺れながらも酔いしれてしまうように。
「そうですか、木下さんは、あっ、木下さんと呼んでいいでしょうか、ジッドが描いた敬虔な物語を額面通りに受けとらないほうがよいと考えたわけですね。僕もそう思います。ジッドは近代の作家です、少なくとも天上の世界を信じきっていたとは言いがたい、これは信仰と思想の両面においてのことですが、かといって地上的なる愛、この小説では婚姻に収斂される制度を前提とした愛欲と解釈してもかまわないと思うんですけど、アリサはその平凡な結婚生活をはなから悲観しているんです。木下さんの言う厭世感ですね、ところが現世を超えた境地にあこがれはするものの、最終的にははかなくいのちが尽きてしまいます」
「あこがれと信仰は別問題ってことなのでしょうか」
「いえ、天上とやらも最初から信じていないんですよ、だからあんなつかみどころのない日記がしかもとぎれながら綴られる」
「そうかも知れません、肝心な箇所は破り捨てられたとかいってはぐらかそうとしているのも、そんな不信心を証明しているのじゃありませんか」
孝博はそれから、「狭き門」を逆説的に読みくだくことのつまらなさを言及しながら、「だまされたと知りつつ最後の夢物語として含んでしまえば、それはそれで豊かさがひろがるものです」といったん話しを停止し、アリサの件はまた違った角度で語られるでことだろうと、意味ありげに口角をあげるのだった。
この路線特有なのか、それとも他の単線鉄道を知らないだけだろうか、間断なくしかも性急なリズムをもって刻まれる車輪と線路の響きがとても心地よい、孝博の言葉も同じように富江の裡へと振動していった。
列車がトンネルをくぐる頻度が高まるにつれ、もやがかった透明度は気圧の変化にも影響を受けたのか、やがてすっきりと視界がひらけてくると、あたまのなかの不純物質が消えてなくなり、代わりに沸々と泉がわき出るように富江は臆することなく、まるで友達にでも気楽に話しかける調子であれこれ孝博に語ってみた。それは天然水が流れゆく清冽さを彷彿とさせた。
次第に語尾へ遠慮がちにまとわりついていた物おじした言葉使いもまるみを帯びてくると、富江は本来の快活さを取り戻した様子で孝博のことを「教授さん」と呼んでみるのだったが、「さんは余計ですよ、教授でいい」とたしなめられても「だってそのほうが堅苦しくなくて言いやすいから」とやわらかな我をはるのだった。
孝博にしてみても、日常が切り離されながらも現実に即した仮面を被ったようなこんな女性に出会ったことはある意味奇跡のようであり更にうがてば、あたかも受け持つ女性徒をひとり誘っての交遊にも想像できた。しかし行き先が同じ町であることを知ったことで、彼の自由の翼はひとまわり縮小されたのである、と云うのもこれから訪ねる親戚にあたる家に報告しなくてはならない難事を考えると、富江でさえまったく関わりがないにしても同郷である、ただそれだけの観念が釜のそこにこびりついためしつぶのように頑固に付着して孝博を悩ませたのであった。
[28] 題名:まんだら24 名前:コレクター 投稿日:2009年03月10日 (火) 04時42分
何よりもこの情況、偶然とはいえ大学教授と隣り合わせになり、しかも列車内と云う環境が富江の精神を多いに高揚させた。
富江は権威や勢力などには別段興味はなかったのだが、義務教育の地続きである高校生活から社会への前哨戦とした旅立ちにも似た専門学校への入学を経て、そこで学んだ体系的な知識や、地元とは色合い異なる各地から集まった同年代の学生たちとのふれあいを通し、自分なりにも一皮くらいはむけたであろうと云う自負が日増しに育まれていくことで、逆に歴史観や政情といった世の中の動きに敏感になりはじめたのである。ちょうど経年によって子供部屋の天井に手が届きそうな感覚を見つけるようにして。
大人への距離感は微妙な均衡のうえで成り立っていた。富江にとってみれば両親が一番身近な存在であったし、学校の先生、週三で通っているファーストフードのバイト先の店長や、時折足を運ぶ定食屋のおやじさんなど、みんなそれぞれに住む世界が備わっている気持ちがして、しかし固定される人生の足枷をそこに見てしまうのも実情であると思い、未分化のままで停止し続ける永遠の少年でありたいと云う願望は、地下深く埋めこまれた財宝のようにこころの内部から隙間を縫ってきらめくことを忘れなかった。
自分が年齢的にも照らし合わせて、揺れうごく季節のまっただなかにいる事実はよくよく理解出来た、またその足もとが定まらない不安も影といつも背中合わせであることを了承してみれば、反対に空元気は得体の知れない充足で満たされているようで力強ささえ兼ね備えているのではないかと思われた。
未来形である自己に怯懦しか見いだせないのならば、過ぎ行く時間をひたすらに焼却しているとしかいえない、しかし燃焼するエネルギーが現にこうしておびえを呼び寄せるために稼動している事実がある以上、要はもっとも最適と信じられる方法を選びとるかであろう。
富江のなかでは既成概念に凝り固まった選択肢はすべて唾棄すべきものとして映った。ついこの間まではそう感じていた、ありきたりのファッション、どこにでもある家具、垂れ流しの音楽、保守化しきった金権政治、取り替え可能すぎる友好関係、使い捨てのセックス、これらを侮蔑しながらも、そこから脱却出来ない自分を悔やんでみた。すると腹立たしさもさることながら不思議なことに腹が減ってきて、パジャマのうえにコートをはおって飛び込んだ近所のファーストフードの店でハンバーガーをほおばりながら、BGMとして聞こえてくるアイドル歌手の歌声を耳にしていることも忘れ、目にしたのは求人募集の張り紙で、気がついてみればその紙面をよくながめようと立ち上がっているところを、店長らしき男性から求人案内の詳細を知らされ、翌日からは隔日のアルバイトに精を出しはじめていた。
やりたいこと出来ることをやると云うのはこうしたことなんじゃないだろうか、、、富江のクラスに高校時代から援交ひとすじを貫いている子がいて、今の専門学校もその援助で入学したというのだから恐れ入った、また、過剰なくらいあちこちに男友達をつくらないと気がすまない子は、常に数人を掛け持ちしているらしく、なかでも一番燃え上がるのは相手に彼女や妻がいるにも関わらず、かと云ってそれが略奪恋愛とか真摯な情熱など持ち合せてないままに、まわりへの影響など一切顧みず自分の欲求を満たし続けてやまないことが自然体であるかのように、そんなシチュエーションを愛しく思ってでもいるのか、彼らとの熱烈な情交を尋ねもしないのに延々と語りだす無頓着さをあらわにする。
富江は正直、そんな連中を思いきり見下げながら、別の友達についつい愚痴っぽくこぼしてしまうこともあった。そして散々小馬鹿にしたあげくに、話し相手が割と楽しそうな顔をして聞きいっていることが、なにかつじつまのあわない場面に見えてきて終いにはしらけきってしまうのだった。
「確かにくだらないことを言っている、そのくだらない話しで他人が笑顔でこたえるのなら、わたしだけがやはり取り残されたとも言える、それとも過激なものに惹かれるように、あんな自己中的な子らをどこかでねたんでいるのかしら、、、」
大人の世界だけではない、まわりの世代の世界でさえ、富江の思惑から大きくこぼれ落ちようとしている。まるで熟成を待たずして枝を離れる呪われた果実のように。
[27] 題名:まんだら23 名前:コレクター 投稿日:2009年03月10日 (火) 04時39分
「じっとわたしの顔見つめてたからどうしたんだろうって、誰かと勘違いしているんじゃないかなとか、よく似たひとと思って見ているのか、ふふ、それからひょっとしたらわたしのことが気になっているのかなって」
「たしかに気になってました、さっきも話したけど僕の生徒らと同世代のようだし、それとさっき木下さんが言った女生徒とも飲みに行くことあるのかって質問、実はまだ一度もないんですね。男女おりまぜてや女性複数とは何度か機会はあったけど」
名古屋駅を発ってから小一時間もしないうちに磯野孝博は木下富江と云う十九歳の女性と席を隣り合わせにした為に、いつしか話題にも途絶えることなく談笑を交えながら列車に揺られていった、その様は傍から見れば年齢差のある連れ合いにも映ったことだろう。
さて事後を端緒にかえすと、不審な目つきをただされた孝博が直後に示したアクションは、彼女が手にしたままの文庫本へと留意をうながそうと努め、いち早く表紙に記されたジッドの「狭き門」を見てとるや、「あなたのような若いひとでもこんな古典を読んだりするのですね、感心なことです、この作品の精錬な気高い祈りにはこころ洗われるでしょう」そう深い共感を静かにもらしたあと、相手の反応を待つまでもなく「僕はこういう者です」と座席から姿勢をのばし律儀ながらも鷹揚な態度で名刺を差しだしたのである。
それは予察された。威厳と云う形式は敗北を知らないもの、そして様式は繰り返されることによって増々技巧にみがきがかかる。富江は手渡された一枚のうえにある東京の大学教授の肩書きにまず目を奪われて、それから首をあげて当の孝博と視線を交じらすのが億劫とでも言いたげな所在で、しかもそれは適当な返答させ思い浮かばない沈める花びらのように沈黙を守る圧迫ともなりかけた。
ややあって富江は萎縮しかけ当惑が先行した心持ちのままに、自分でも不甲斐ないと意識しつつ必要以上の手応えをその大学教授に対してこう伝えるのだった。
「東京の大学ですね、ここの外語大知ってます」それだけをいかにもこみ上げてくる勢いで言ってみたのだったが、そのあとに連なる言葉は見つからなかった。
そうすると孝博は相手の逡巡を見通すかの手際で、あとは長いものに巻かれろ式のこころの綾のうつろいを富江のなかに植えつけてあげればよかった。
「いやあ、よくうちの学校なんかご存知ですね、光栄です。教授っていっても臨時講師みたいなもので、最近、韓国語や中国語を専攻する学生が増えてきて、本来の研究分野は比較宗教学なんですけど、そっちにはまだまだ大先輩らが活躍してましてね、あっ、ついつい余計な話しを、、、それはそうとあなたが読んでいるそのジッドですけど、解説のところまで頁がめくられてくるところをみるともう読了されたんですか」
「はい、でもこの本はこれで二回目なんです、高校の頃に読んでさっき言われたように気高さみたなものにあこがれましたが、今度は少し違った感想が残りました」
孝博はゆっくりとまぶたをおろす仕草を見せてからさっと開眼し、探究者が独り書斎で内面と対峙したときに現れる閃光をもって富江の瞳の奥をのぞきこんだ、しかしそこには鋭い眼光と呼ばれる刺はなく、あくまで澄みきった水晶のようなひかりが放たれているばかり。
「そうですか、それは興味がつきないところです、ヒロインのたしかアリサでしたか、彼女に対する感想ですか」
「ええそうなんです、最初は無垢なたましいが天上に召されていく荘厳な美しさに感動したんですけど、今読むとどうもしらけてしまうだけで、なんの為にジェロームの求愛を断ち切ったのかが、よくわからない、いえ、わかりかけてきたことがあるんです」
「それは?」孝博はいつもの教壇からの質問をなぞっている自分にあらたな興奮を覚えた。
「それは結局、アリサの厭世感から来ているんじゃないかって、時代背景もあるのでしょうけど、親族のしがらみなどが全部うとましかったように思うんです、だから神様への帰依だけにすがりつきたかった、それは世俗を見捨てた傲慢さでもあるのじゃないかしら」
孝博の誘導にそって思いがけずそんな所見を述べてみると、富江は気恥ずかしさと一緒になって胸の底から吹き抜けてくる達成感のようなものを自覚した。それはこころの綾があらたな紋様をつむぎだそうと背伸びをして、実際にも少しだけ背丈が高くなった歓びであった。
[26] 題名:まんだら22 名前:コレクター 投稿日:2009年03月09日 (月) 16時54分
特急列車の走行音と振動は懐かしさをひかえめに哀願しているようにも思えた。
所用に手間取ってしまい駆け込みに近い勢いで乗車してから指定の席を見つけ、このまま乗り換えなしで到着する町までしばらくのくつろぎが約束されている気がして、目を閉じあたまのなかを空白にしてうたた寝におちてくれればよいと安逸をきめこんだのだったが、さきほど窓側の先客に自分の鞄を網棚に上げるために会釈した際、まだ少女の面影を残しているその横顔へ目線がたどっていった軌跡を思い出したように数回反芻したのは、そして疑問符として脳裏をよぎったのは、やはりその女性の年格好が日頃から接している生徒を連想させたのかも知れないなどと他愛もない所感に帰着して、居住まいをくずしながら無心に戻ろうと肩のちからを抜いてみても、不快さをともなわない強迫めいた好奇心みたいなものが、泡のように現れては消えるのはどこかむずかゆくて、ついには思いたったとふうにして両目を開いてかぶりを隣に向けたのだった。
見れば、髪の毛をうしろに束ねたちいさな顔全体はまだいたいけなさを物語るのだが、その主役であるつぶらな瞳は遠くまで澄んでいて、伏し目で本読みをしている視線をはつらつと見送っている睫毛も初々しく、頬には軽い火照りがあるようにも思え、それが上気によるものなのか、それともこうして見つめられていることを察知しての恥じらいのせいかもなのかと、我ながら飛躍しすぎた思いも小気味よいほどに、少女の色香はすみれの如く鮮やかにして凛とした表情を形作ろうとしていた。
まだ成熟しきらない、つぼみがほころびる寸前のやわらかな肌触りの連鎖は優しく結ばれた口もとへも色染めされるように配色され、けっして化粧に頼ることなく乳白色にたたえられる素肌のはりは水をはじいてしまいそうで、ただうっすらと朱をはいたかの火照りがみせるためらいに似た憂いのなかにひそむ情熱が、来るべき開花への健気な恐れであったとするなら、おそらく色艶はこころの裡に宿されているのだろう。
磯野孝博はまなざしの向うに、真横に座る少女の面を透き通して、日々教鞭をとる己のすがたとその目に映る生徒らのすがたを表出させた。学問を説く立場には前提としてきわめて厳粛な空間が要求されるものだが、彼の授業は幾分か脱力したなまぬるさを意識的に醸しだしており、それは緊迫した空気を打ち破るというほどに明確なものでなく、結局のところ孝博自身の性分によるところであった。
中国語専門と云うこともあり、学生らそれぞれは後々に社会に出て実践として活用する意義を十分に認めていて、授業内容に関しては常に貪欲な姿勢で臨んでいる。つまり生徒にとって語学を習得することは確信的な研鑽なのであって、ひとりひとりが真剣にとりこんでいるのは当然向学心の発露だった。
すると教授としての位置からのアプローチは気楽であると同時に手抜きのない熱情を保ち続けなければならないのだが、火花散るような緊張した場面を孝博は好まなかった、いや、ほとばしる熱意があらかじめ先にある以上、それは荒馬を乗りこなすと云った手腕とは違った様相、荒波から距離をおいて見遣る傍観者であることを許される特権が与えられることにより、学徒の間に緩和した空気を送りこむ資格を得た。
単身赴任の身であるため、生徒と夕食をともにする機会が自然な流れとして運ばれていったのも孝博の欲するままであったに違いない、しかし、教壇から酒席へと場が移ろうが自分が受け持つ学生であることは変わりなく、異相はまるで風車のように軽やかにまわって見せるだけであって、それは酔いが手伝ったとしてみたところで根本的には延長線の上に流れていった。
「あの、どうかしましたか?」まのあたりにした少女をすり抜け、彷彿の彼方まで意識がめぐってしまってしまい、対象の実在をも一瞬忘れてしまったのか、ちいさな声でそう問われてようやく孝博は我にかえった。
「あ、いえ、どうもしません、、、」あわてている様子が自分でもひとごとみたいに思われたのだが、少女のこわばりながらゆっくりとまばたきするうちの黒目にはじめて生々しい接近を覚えると、苦笑してみせるしかないのだった。
「すいません、ちょっと物思いしてたようです、失礼しました」
すると少女の双眸に宿っていた不審が、こともなく氷解したのか、それとも拍子抜けしたのか、みるみるうちに表情が明るくなって上気を取り戻したようで、それは不本意な恥じらいにも思われたが、しかし相手の失態や逸脱にこちらがかえって萎縮しまうことが時折あったことも思い出して、羞恥のいじらしさで香る面貌に対し慈しみに似た感情が生まれたのであった。
[25] 題名:まんだら21 名前:コレクター 投稿日:2009年03月09日 (月) 02時07分
墓所がもし貯蔵所であったら、、、暗色にひろがる荒涼とした無限に約束された眠りの遺骨は屍であると同時に、春爛漫の躍動に満ちあふれた大いなる沈める帝国であるかもしれない、、、わたしと云う絶対君主を戴き、風となって野山を駆けぬけ、山稜に飛びあがって白雲をかすめとって大地へ降臨し、ビルの谷間をいともたやすく縫い、空中どこまでも羽ばたき、民家のすべてを俯瞰して、河川はもちろん大海ひろく遊泳しながら陶然として深海底までおちてゆき、再びひかりのない世界に抱かれながら眠る。
カラスたちのすがたを見失ったとき、富江は夢から解放されたと思われたのだったが、それは皮膜をめくって裏返しにしてみただけのこと、すると今度は秘めらていた臓腑がとびだしこぼれだしてくるように、わたしと云う現象からは超えて出ることはなく一層と我の引力にたぐり寄せられ、思いもよらないすき間から自分自身の眼球を見つめることになり、さればこれはあらかじめ予期されていた不吉な死角になった。
三途の川に例えられる、意識を超脱したなかでの限りない夢幻の境地、幽光だけを頼りに解放される閉じられた久遠、闇があたりを絶対的に支配しながらも、それが冥暗からの使者であるのか、月の海がかつて蒼海であったと云うまことしやかな夢想がつのった果てに、あたかも地上に降りてくる天女を顕現させる奇蹟が、すぐそこに手がとどきそうなくらいのところに見いだされた。
月あかりは川の水面に照り返しながら夜の暗色に溶けこみ、ところどころにきらめきを捧げるよう、天上から落ちたたましいと生るべく水の精へと変容してゆく。川水はときおり生命を水上へと跳舞させるのだったが、富江にはそれがついこの間までの記憶のなかにあった、この河口にかかる橋のうえから釣り糸をたらしている子供らのすがたを喚起するとともに、ちいさな水しぶきをもたらすボラの遊泳へと導かれてゆき、その光景を鳥瞰するのでなくこうしてほぼ水平の視線で見遣っていることにえも言われぬ感銘を覚えるのだった。
そして富江は眠たげなまばたきが消えかかる裡に、夜のいのちの戯れを焼きつけたのである。それからどのくらい時は過ぎたのだろう、流れに逆らうようにして跳びはねる魚の数が次第に増してくるのを知ると、川面に点描される銀のしぶきがいきおい自分のほうに向かって押しよせてくる錯覚となったが、しかしそれは危険が身に逼迫しながらも、まだ他人ごとのように、絵空ごとように事態を回避させる余地を持つ様にも似て、決して浮き足だつことなく銀幕から目をそらさないままのまなざしを保ち続けていた。
高速で何かが飛びこんでくる際の、まったく時間が省略された不意打ちをくらわされる唐突の悲喜劇、瞬時にして凍結される、あるいは解凍される無表情な天使の来訪、日々の亀裂、薮から棒、、、気がついてみれば富江の口中には一匹のボラがものの見事な跳躍をもって身を挺しており、左右にくねらす魚特有のくねりがのどの奥まで届くようにして伝わると、あまりのことに現状の把握もならず、しかも呼吸がせきとめられたのを感じるまで猶予があるほどに驚き自体をも忘却してしまって、ややあって目の前に猛然と迫った影を想起するのだった。
ままならない気息が徐々に生命を脅かしはじめたものの、鼻からの吸気がかろうじて事態の安全を確保した富江は涙目になりながら意識がまた薄れかけたのだが、この意表をつかれた生物の闖入におののきは無論のこととして感じつつも、ふたたび闇に抱かれようとした逃避行の道なりには二日前の飛び散った記憶が蒔絵のように浮き世ばなれした様相で思いだされた。
それは帰省のため名古屋駅から乗り込んだ列車のなかで体験しためくるめく肉感であった。発車間際にようよう座席にたどりついた風情で隣に座った中年男から、尋ねられるままに行き先など話しているうちに会話が弾みだし、富江が学校で専攻している服飾にかかわる歴史的変遷や色使いがもたらす感覚への刺激といった専門分野にかねてより関心のある口ぶりをしめした男の、知的な雰囲気や親しみを投げかける目元にすっかり打ちとけて柔らかな木綿に触れているようで心地よく思われた。
そして彼もまた富江と同じ町に向かうことを聞くに及んで増々興味がつのりはじめ、見知らぬ他人には違いないけど何か共通項を持ち合せているようで、帰省と云うありふれた道行きが車窓から差しこむ夏のまばゆい光線に不思議と感応するのか、今は旅情に似た漂白する心持ちがすこしあふれだしたのであった。
[23] 題名:まんだら20 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時32分
陽光がまぶたのうらに赤く染みこんだかの記憶は茫洋としたままに、しかし追想される、きれぎれなひとこまのなかに於いてひび割れのように引かれた、あるいは二枚貝がわずかに海水をあらためて含みいれる様相で、富江は薄目をかすかに開き月あかりの有為転変を眼睛に知らしめたのだった。
「まだわたし、生きている」と水温に体熱をうばわれ、風船のようにからだから浮遊した意識のなかに点滅はじめたのは嬰児のちいさな鼓動にも似た、いのちの実質に違いなかったと富江は思った。
町中の河口と云うこともあり淡水と海水、それに生活排水が入り混じったものを多少飲みこんでしまい、胃洗浄やら感染症の検査やらを含め、消耗した体力から微熱が遠のいていくまでまる三日間入院したあと、平癒を待って自宅保養に落ちついたのだったが、みなぎる若さを包みこむ身にしてみれば、ほとんど回復した状態であって、ただ精神的な動揺が尾びれをひいており、それは水のなかに未だひたされ、ただよう気分を振りはらわれない、まとわりつく悪夢の残響から逃れられない過去形として富江のこころに巣くっていた。
交通事故や感冒が、べつだん悪形をもって我が身に降りかかってくるとは信じていないように、河口への転落もふとした失態以上のなにものでもない、ところが家族やまわりは親身に九死に一生だったと口を揃えるふうに富江の胸中を忖度しながらも、その実不幸な事件であったことを執拗にくり返し唱えているようで、それは憂慮の裡にひそむ、話柄をこと欠くことに失意をおぼえる、あの軽やかな逃げ足をもつ薄っぺらい悪意にも思えるのだった。と云うのも、友人知人のなかには心配顔はそのままで、そのくせ「ほんと、かっこわるいわね、しかもよりにもよってまつりの日に」などとあからさまに、富江をまるで非難しながら失笑しているかの言い様をしめしたり、「先輩がさ、東京で雑誌記者になって今度記事を書かせてもらえるらしいから、試しにどうかな」と云った嘲弄を含んだものまで、聞き流してしまうわけにはいかない波紋も生じて、そんな嫌味な反応と対峙しなければならなかった。
実際にも地元新聞の片隅であったが掲載されたこともあり、富江の心中は錯綜とした森のなかに迷いこんでしまったのである。
元来ものおじしない性格だったけれど、今回のことで本来ならば過失と云うべき事故がなにか異色の出来事みたいに語られてゆき、自身はその辺で転んだとき同様ばつの悪さこそ覚えるものの、皆が大げさに騒ぎたてるほどのことではないと確信していたのだったが、まるで子供じみたいじめに近い無邪気でありながらも、本質的には邪気に尖った刃を向けられているようで、それは富江本人が中学のころ、弱いものいじめと呼んでもよいふるまいのあげく今度は上級生から、呼び出しを受け取り囲まれた折の恐怖心があわせ鏡になって脳裏にわだかまり、後悔の念と侮蔑の感情がひとを介して往還している、なんとも居たたまれない心持ちになってしまい、終いには懺悔の海に飛びこんでしまいたくなってそんな自分をよくよく顧みたときには、やはり転落したのも一種の天罰かなどと柄にもなく落ちこんでしまうのであった。
そうなると最初は血相を変えて病室で富江を見守っていた両親や姉の、今はいかにもほとぼりが冷めた安心のうちから発せられている他愛もない言葉と口調に、どこか自分を叱責している響きが感じられ息苦しくなってきた。
そして寝つけない夜のまくらもとからは、耳をすますと幽かに川の流れが聞こえだし、天井に張りついたかの豆電球の赤みをおびた黄色いあかりが、あの川中より見上げた月のすがたを想起させ、闇は部屋に忍びより黒い生き物と化して呼気をもらしはじめるのだった。
静かに沈んでゆく眠りにおちてゆくころには、すでに富江はゆめとうつつの境にあってあいまいな知覚と想念が溶けだすと、一定のすがたかたちをとりつつも次の瞬間には時間も停止し、それはあたかも樹氷のごとく細やかで、つかみとろうとした途端にもろく消えさってしまう、はかない光景の明滅となって夜露にぬれるのであった。
そして気がついてみれば、そこは記憶の墓所なのだろうか、頭上を旋回するカラスの群れに誘われて天に舞い、更なる浮標へと導かれたとき、川のなかに落下したその後の失われた意識がおぼろげながらもよみがえってきたのである。
[22] 題名:まんだら19 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時31分
久道は遠慮勝ちな態度が現すままの挙動で夢の演劇の筋書きに従った。そして悪夢の途中で、もうひとりの意思が語り聞かせている入れ子の情況もそれとなく察知することが出来た、あの、お決まりの言葉になっていないが確信に近い、「これは夢なんだ」と云うナレーションを。
女はまだ若そうだった、少なくとも久道よりも年下に映った、そう覚えるのが何かの符牒となって、あるいは己の所感がまだ交えぬ肉体をはさんで、これからはじまる尋常ではない性戯をまえに、克己心を奮い立たせて欲情を放擲するのとはまるで正反対に進んでいく為にも、せめて肉欲にまつわる栄養素を抽出しようと、果実の皮に指先を入れる感触で味覚を先取りし、焼きあがろうと火がなかほどまで通った牛肉がしたたりおとす肉汁を食前酒に見立てて、恐怖を快楽に、不安を充足に、そして絶望を欲望に転化させようとした。
しとねにそそがれる家族らの視線はきわめて沈着であった、まるですがたかたちを消し去る思いで、これから実行に移される重要な実験に立ち会ったものだけが味わう苦悩をかみ殺しているかのように。
もうひとりの意思は、もはや霧散したのか、それとも久道のなかにあらたに入れ子として消化されたのか、今あるのは夢見にあっても戦慄にはなにぶんかわりはなく、半身を起こし寝間着を脱ぎだした女のやはり裸のうえにみみずにように這っている墨書きが、首筋から肩を流れ、腕を伝って落ちていき、一方では乳房の豊満な起伏をなぞりながらへそのしたまで続いていく途切れのない執念の筆使いを思い知るのだった。
下着はつけてない、いよいよ経文と不可分であらわになった肉体が久道の眼前へと顕現すると、女はふたたび横になり両の脚をゆっくりとひろげ腰を少し浮かせて、尻を割り陰ったところをおしげもなく披露させた。
久道はまぶたを閉じたつもりだったが、迫りくる情欲がむこうからやってこなくて実際には自分の身が、押しかぶさる勢いで女体に突進していることを自覚したならば、その目は十分に開かれていたに違いない。
一瞬、おんなのからだの経文が生きているように、水の流れのように、動いてみえたのだったが、久道はならば動きを封じる呈で二本のふとももの裏に手をかけ持ち上げ、腹にひっつくほど開脚してうえから押さえこむ具合で固定し、まだ閉じた貝のままの盛りあがった土手のような、**をまじまじと見下ろしたしたのである。すると、おんなは肉塊に宿る心性はこちらにあるのだと言いたげな面で久道の目線をそらそうと、じっと相手の瞳のなかをのぞきこみながらそれまでの表情を一変させるのだった。
坂道を転がっていくかに思えた久道の肉欲は、止まることを知らない眼球となって食い入るごとく女陰の裂け目に落ちていく宿命だったのだが、おんなが示した薄笑いのうちに露見したくちもとの奇異な、そのお歯黒で塗りこまれた歯並びと対面するに及んで、これで紋切り型の宿命ではなくなると激しい情がこみあがってくるのを覚え、すると坂道は一気に勾配が急となり己のたどる道筋さえ失い、まるで瀑布に飲みこまれる小舟のように無抵抗なまま巨大な暗渠に落ちてゆくのだった。
それでもせめてのものと悪魔にくちづけをする高慢な小胆は、意識が消えかかる矢先にまるく膨らんだかのこんもり茂った黒草のしたにくちびるをぬめらすようにして押しあてる、、、、、、
、、、、、、わずかに潮の香りが、海藻が、野の雑草と同じように草いきれを放って夏の日を謳歌しつつ朽ち果てることを承諾しているかの香りが、つつしみ深く久道の口中にひろがる。
意識がそこのあることを知りつつ、なお、からだはここにあらず、ちょうど撮影される全景をその場以外のところで見据えているような、しかし、まったくの非在を認めるには心許ない浮遊感に似た覚醒であった。そして気構えする猶予は省かれ、久道にやってきたのは遂に探しあてた現場への胸騒ぎであり、宝くじが当たったことを一度は否定してみる当惑が、日常の実感と何も違わずにわきあがったのである。
「やっとたどり着いた」そう、ささやきが胸のなかを吹き抜けてゆくと、再びあらたな意思が夜風とともに舞い込んだのか極めて冷然としたまなざしで、川面に半身を沈めたあの浴衣姿を見いだしたのであった。久道も同様に夜の川に身をひたしているかと云えば、それはそうであるとも、そうでないとも云える、なぜなら久道の目はカメラのように遠景から近景へと自由に行き来し、少女の顔をとらえることも、あたりを時折はねては水のなかに潜るボラの遊泳もありありと目撃でき、中空にかかった妖しい月光を受けながら身もこころも溶けだして、もはや己であることが奇蹟に感じれるほどに夢は美しかったからだった。
[21] 題名:まんだら18 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時30分
今にも通り雨が落ちてきそうな曇り空の下、山腹にまばらと立つ民家のなかでもひときわ目につく、一軒の黒塗りの門構えを前にして、封書のようなものをその屋敷に届けなければと、配達人の風情でありながらもどこか逡巡している自分を意識していた。
しばらくすると風格さえある佇まいから不意に現れた、そのいかにも普段着のような夏の軽装の、しかも一世代以上前を思わせる、そう、幼いまま一緒に収まっていた若き母との写真のうちから薫る面影に、なぜかしら恥じらいからまった驚きが生じた理由は、それもまた記憶の彼方に仕舞ったテレビドラマの一場面から焼きつけられたあの何気ないであろう感懐、家政婦かと見れば本家の若奥様そのひとであったと云う、小さな喜びが不安を求めたからであった。小池の面に照る陽を木陰から見つめるまなざしと同じように。
夢見の残像が光鮮やかな風景にもかかわらず、絶えずして薄明の印象で想起されるのはきっとそんな帳の陰からまばゆい時間をえがいているからだろう、断片図に割りふられた光として、、、
そして均衡を保つがためなのか、若奥様の立つ右うえに見える表札の野太い文字は、墨汁をたった今しみこませたくらい黒々としていて、はっきり「藤堂」と読めた。夢の世界では必ず文字は化けてでる、だが今日は違ったみたいだった。
手渡した封書の中身を確認出来るわけでもないのに、それが賞状であると感じとったのと雨が降り出してきたのが同時で、奥様は礼を言って家のなかへときびすを返してしまって、置いていかれたと云った心証を若干もってはみたけれど、拍子抜けするには感情のたかまりは強風にあおられてはない、それから傘を持ってこなかったとまどいより、そのあとどこに向かえばよかったのか考えながら、もと来た道を戻るでもなくその少し先にある家の方へ歩いてゆくと自分のことを知っているのだろうか、さながら一家総出の人々が手招きしている。
親子にじじばば、こどもらが迎えいれた家は妙に門口のせまい奥行きのある、このまま歩けば裏に出てしまいそうなくらい細長い造りをしていた。案の定、家屋を突き抜けてしまうと裏山に面する小高くなった畑からで、ランニングシャツ姿の野良仕事をしている男が何かと話しかけてくるのだった。
聞くところによると、隣の屋敷には主夫婦はとうに鬼籍に入り、あととりも去年に亡くなって後家となったくだんの若奥様がひとりとのこと、なるほど、それで自分はこころのなかに蜘蛛の巣がはったような緊張と、それとは逆に湖畔の静けさをもつ余裕のある興趣が交じりあっていたのかも知れない、それはにわか雨のさなかに辺りが日向くさくなると云うたとえにも似て、しかしそれ以上は思いを深めるのでもなく、ただ本当に雨が降ってきた事実をありがたく感じるだけであった。
こころのなかにも雨が降る、、、夢の意想は底抜けに限りないまま闇夜に抱かれ、うらはらに蒼穹へとのびあがる放恣な情念は飛行機雲のようにまっすぐに高速で駆け抜けてゆくのだが、次第にかたちを成す積乱雲を、まして大地で展開される入れ子状の活劇と心理劇のただなかにあっては、見届ける猶予などあるはずもなく、やがて落ちてくる驟雨にただうたれるままでしかない。もっともその舞台は他でもない、夢の国以外どこでもないのだが。
遠藤久道は気がつくと随分早送りされた映像の如くえらく厳粛なシークエンスに置かれていた。裏の畑が窓を通してうかがえる六畳間ほどの部屋に病臥しているのか、布団敷きの女をかこんで見守る家族らの顔、顔、顔、、、
目のまえで何が起ころうとしているのか察しがつかないうちに、久道は家のものからこの女を抱いてやってくれと、まるで宣託を戴いたかの神聖な響きを耳にして、はじめてこの夢のなかで動揺をあらわにしたようにも思われた。
有無を言わさぬ雰囲気にあって、ためらい気味に女の表情を見ていると目は宙に泳いだまま帰着する様子をなさず、さらに冷や水を浴びせられたよう身を引いてしまったのは、掛け布団をはいだ寝間着の胸元からのぞいた、恐らく全身に施されていることを疑いきれない、筆書きされた経文らしきその異様さにあった。
[20] 題名:まんだら17 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時30分
宙に浮かびあがった感覚は抑圧される行動をなだめすかしているかの、こころもとない足どりとなって一歩一歩づつ踏み出していったのだが、ガタンと音をたてて真横に倒れこんでしまったとでもしか言い現せない空間をなぞりながら身を運ばせるわざは思ったより容易ではなく、体感的には重力に抵抗するときの奮起が要求された。
しかし筋力として負荷を直に受けているわけでもない、例えれば体操選手が十字懸垂の姿態をまざまざと見せつけるときに、自ずとこちらも手に力が入って気持ちそのものが大きくりきんでしまう、そんな緊迫した情況であった。
床に足がついているのやらさえ危うい自覚のなさは、反動として焦燥をかりたて増々あたまのなかを空まわりさせる。そして、ちょうど加速度のついた勢いが最後の全力疾走へと燃焼されていくように、脳内の不均衡はいびつな空間処理を消化し終えたと云った具合で(それは手放せば奈落の底へと吸い込まれてゆく際どさから解放される賭けを思わせる)無心のまま気がつくと、すでに障害を乗り越えてしまっているのだった。
あとはふすまに手をかけ、大きく傾いた額縁をもとにただす案配でこの部屋を出ればよかったのだが、ふすまが開かれるやいなや、その先にあるはずの廊下の向こう側から、まるで闇が手前まで土砂くずれで押し寄せてきたように、目の前には暗幕がはられているのを一瞬見てとったと同時、次に意識したときにはあろうことか、時間が瞬時に巻き戻されたのか、再度布団の上で寝ている自分に帰っているのであった。
おそるおそる双眸を開けると、やはりそこには歪曲した室内が待ち受けていて、そうなればひとりでにさっきと寸分違わない行動をとりはじめ、少々変化が現れているのは、焦る気持ちだけが心持ち増加したかも知れないと、あたかも他人の不幸を脇で見届けている、高熱に浮かされた離人症患者を彷彿とさせる薄気味悪さがたなびいているのだった。
傍観者と歩む調子で、傾いた部屋を進みふすまの向うに暗黒を確認し、またもやもとの寝床に引き戻される、これが二桁を数えるまで反復されるのだった。それは死人が棺桶の底よりこの世に立ち返ろうとしては、望みがかなわぬままに自縛を潔しとする、光明を求めるあまり本来を忘れ去る、無辺世界に酷似していた。
がやがて、亡骸をそこに認めたのか、あるいは無限地獄にもいつかは終わりが訪れるのか、すべてが灰になって虚空がすすけた色調にわずかのあいだ変移したとき、そして曇り空が陰りを作り出すためにようやく日輪が顔をのぞかせたとき、一条の光線がちょうど鋭利な刃物になって自らを縛りつける縄を断ち切ったのだろう、富江は長い長い年月を経て故郷に帰ってきた囚人のごとく疲弊したまなざしを何度もこすり、さながら幾重にも連なる鉄条網をかいくぐってきた面持ちで部屋の外へと飛び出ると、廊下を踏みしめ平行感覚を確認してからおもむろに階段を降りてゆき玄関先へと向かった。
自分では深呼吸の仕草をしてみたつもりだったが、はやる気持ちは勢い屋外へと慌てふためいた足どりで突き抜けてしまい、悲願達成の折にひとが表す、培われ蓄えられた感銘の享受はあとまわしにされた、そしてついぞめぐってくることはなかった。
外は雨だった、いや、精確には雨模様だったと云ったほうがいいだろう、なぜなら夏空が気まぐれに暗雲を呼びよせ驟雨をもたらす景観を模倣したとしか言い様のない、このひとをたぶらかす光景、果たして何物なのか、、、
雨脚に映っているのは、実際には無数の笹の葉が空から舞い降りているのであり、辺りすべては竹やぶに囲まれ見知った隣近所の家屋は、蒸発してしまったように影も形もどこにも存在していなかった。
なすすべもなく呆然と立ちつくしたままの富江は、ややあって上空を見上げると、そこには相当な数のからすの群れが渦を巻くようにして飛びまわっているのがよくわかり、旋回するその形態はいかにもめまいを供応してくれているようで、いくらなんでもそんなと云う怒りに似た悲しみの震えに目を閉じると、改めて歪んだ部屋の寝床に仰臥する自分を発見するのであった。
[19] 題名:まんだら16 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時29分
洞穴の出口にようやく近づいてきたのか、ほの暗いなかをいつか想い出のうちに印象づけられた淡い光線が、まぶたの裏に幽かに甦ってきたのがわかり、ためいきに似た気休めをもらすも、しかし軽微な希望であることを決して忘れ去ろうとはしなかった。
意識の黎明は星屑のまたたきとともに、ゆらめく小舟の危うさであらたな水路へと押し流されて行くようで、もやがかった先行きに期待するわけでもなく、放心状態の無防備さのまわりにはこれと云った恐怖の感覚はない、そこのあるのは穏やかで、そしてとても静かに息をひそめている川面に映える月影だけであった。
からだが水中にかなりの間ひたっていたのが、今となっては幸いなのか富江のこころも一緒に包み込まれていたかのようで、羊水に満たされて守護されている胎児の鼓動が小さく打ち続けられるのと同じく、いのちの息吹は夜の世界にまだ見ぬ彼岸を夢想させた。
煙霧たなびきながら夢物語は映しだされる、、、それが連鎖反応であるならば、何もかもが透きとおってしまうほど、その情景はあまりにも美しい、、、残月が夜明けをくぐり抜けてもまだ、おぼろな姿を中空にとどめているように。
富江はスクリーンに浮かびあがる夜の砂浜を見つめていた、闇夜かと思われる幽暗の浜辺に打ち寄せる白波の思いは、わずかな意想を宿していたのだろうか、気がつけば一体の鎧武者が黒々と全身に潮をしたたり落としながら、隆として波際に立っている。兜のしたにあてられた、さながら鬼神の面貌に戦の相はすでになく、いにしえからよせてはかえす無常の波間に消え去ったのか、そこにはうつろな笑みだけが妖しげに取り残されていた。
鎧武者はこの世のものではなかろう、何故ならば、ゆっくりとかぶりをふるように波頭を睥睨する様が、己の魂魄に引導をわたしているさなかをしのばせ、海水のしずくにしとどと濡れた漆黒の甲冑を照り返す細氷にみえたきらめきが、はじめて月のひかりであることを知って、その美しさにたましいが奪われていくのを富江は陶然と見つめ続けていたからだった。
それは月明かりが、夜空に隠れながら地上を照らしている心情をわかちあうことでもあった、闇夜の海から船出するために、、、
まるで無声の白黒映画の一場面であるかの、月影の鎧武者はいつまでもそうして浜辺に佇んでいるのだった、富江が目を放すまでは。
うっすらとまぶたが、ちょうど小箱のふたを開けようとする間をわざをゆっくりとしてみせるように、ほんの少しだけ世の中を見てきたように、開かれたかと思われたのだが、確かにめざめではあったかも知れないけれど、ここがどこの家やら部屋やら判別することが出来ないことを承知で、再び目を閉じようとしたのは、あふれ出してくる涙のしずくと一緒になって胸のうちからこみ上げてくる悲しみがなせるわざによるものだった。
おばあちゃん、、、とちいさな声をもらした途端に、いままで夢のなかで亡き祖母の生前の姿絵が生き生きとしてえがき出されていたことを知り、それから幼い時分に飼っていたうさぎが死んでしまってから、もう随分と月日が流れてしまったことを思い出したからだった。布団のへりが両目からこぼれたしずくで湿っている感触を得たとき、夢見の途中のこの意識もまだ夢のなかから出ていないことを実感したのだったが、その実感もさらに閉じられたものとすれば、、、、飢渇を覚え、手をのばしたつもりで水を飲み干してみても、それが夢の欲望だったとしたら、覚醒しないまま喉だけがひりひりと渇いているのを意識するのは、半睡がもたらす体感の仕業なのか。
眠りの場から緊縛された身をふりほどく勢いで脳みそを揺り動かしてみると、いきなりぱっと視界がひろがった。
やっと目がさめたとそのひかりに包まれた部屋をよく見てみれば、ベッドと横になった自分はそのままで、部屋全体が確実に九十度に傾いている、富江は首を曲げて位相を反転させようとしてみたのだが、カーテン越しの陽射しにまき上げられたかのようなほこりは、その微細な粒子らが奏でるとでも云うのか、聴き取るのが不自然なくらいの不協和音を放ちながら、歪んだ空間をいっそう強調させている。
遠足で遊園地に行った際、こんな回転屋敷に入ったことがあったはずだと記憶の貯蔵庫から呼びだしてみたら、以外に驚きや不安の要素が拭われ、代わりにあの胸がさわぐ戯れに可能性を期待する遊びごころが招かれて、慎重に体を起こし手が触れるたんすに身をすり寄せようとしながら、まるで綱渡りでもするかの足取りでこの傾いた部屋から出ていこうとするのだった。
[18] 題名:まんだら15 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時29分
夜霧が何のためらいもなく晴れていくように、漁り火が静かな別れを告げながら遠ざかっていくように、めざめはいつもと変らず待っている。
谷間をつたう清水に足もとをひたす感触が、ちょうど冷水で顔を洗う手間を先取りしてくれていればなおのこと、いつになく沈着した気分を保とうとしたのは、おそらく今しがた聞かされた川に転落したあの光景が、幾重にも反射しているまぶしさに目をふさごうと、再びまどろみのうちに戻って行こうとする葛藤が意識の片隅で働いたからであった。
それが起床と睡魔との攻防の態で現れたのは、もっともだと了解した頃に久道は反射しつづけるサイドミラーを脳裏に思い浮かべることによって、映像を我がものへと回帰させた。イメージが乱射されるなかにあって、こころ乱すものを鎮静させるには、一点に集中する意思が必要とされる。
ほんの数秒の間に光は脳裏をかけめぐる、まず最初に昨日の走行中の出来事が想起され、続いてまぼろしかといぶかった自分を呼び起こし、更にはまったく忘却してしまったのではない、本読みの最中も夕飯時にも、遥か彼方の星がわずかに明滅するように、あの浴衣姿は一瞬見え隠れしていた。そして寝入り際、想念が霧中に消え入りそうになった瞬間にもやはり姿は立ち現れていたのだった。しかし、あまりの速さでめぐっている、そんな光の粒のようなものだから記憶はあえてとどめようとしなかったのだろうか。
その答えもやはり深い霧のむこうに隠されている、我々が意識の極限と呼ぶものを観念として想起させるには、志向性の食指をのばさないなくてはならない、久道が転落する女性を鏡を介して認識したところに、幻覚と現実との境目が発生した。日頃から空飛ぶ円盤などを追いかけては見失い、ありありと目撃しても確証をおさえられなかった久道にとっては、やはりあの時は目の錯覚だと認識したと考えても誤りではないだろう、しかし、いざ後から現実問題だと知らされるにおよんで、幻覚と云われたものが光となって乱反射はじめた事実をどう受けとめるのだろうか。
あらゆる現象をまのあたりにするとき、各人はそこに決まりきった様相などを見いだしてないない、ただ、自分にとって最良の光景を作り出そうと努めているのである、時間という波に乗りながら、、、
どこかさえない気分のまま、久道は朝食後、今日は日曜で仕事も休みなので、寝室にもどってうたた寝を始めた。何気ない休日の家庭、まつりのあとの静まりかえった町並み、流れゆく川面にはどこも異変はない。
ところが久道は違った、部屋のカーテンを再び閉めきると、家のものらに起こさないよう強く伝えると、引き出しから睡眠導入剤を取り出して強制睡眠しようとしていたのだった、理由は明白である、もう一度夢見のなかで真相を探りあてようと目論んだのである。
小数派を自認してつきつめた結果がこれであった、己の裡に生起するもの、脳波が安定した状態で確証を得るためにも睡眠時による交信こそが彼の最終兵器なのであった。夢占いなどとは方法論を異にする、それは考古学者が遺跡で発見した秘密の回廊をときめきながら奥まったほうへと進んでゆく、実証的なアプローチに他ならない。
久道は失意を補填するためにことを起こしているとは考えなかった、ただ割り切れない感情がどうにも澱になって胸の底に沈殿しているみたいで、すっきりとしなかったのだった。そして混濁した気分はやはり感情として蒸発することを望むとそこには力学が発生する、ただむやみやたらな悪感情だと自分自身が収拾つかなくなるので、それを別のものへ委ねると、待ちかまえているのは、そう超能力者たちの恩恵であった、これほど熱心にあなたらの存在を信じている、その情念はまぎれもない宗教心の発露であり、まさにブーバーが著した「我と汝」で論じられる全人格的呼びかけの出会いに違いなかった。
あのメフィストに魂を売り渡したファースト博士の信念が、狂おしいまでの美学と悦楽に彩られていたように。