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[5] 題名:まんだら2 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時22分

その日、遠藤久道は昨夜みた夢がどうして印象深いのだろうかと訝りながら、所用で車を走らせ川沿いの道に出たところで浴衣姿の若い娘とすれ違ったのだが、次の瞬間、ふとサイドミラーに目をやった時にはすでに距離を隔てていて、しかもこれこそ夢か幻か、川縁からその娘が飛び込み落下してゆく奇態な光景が鏡に映りこんだような気がした。
ある程度のスピードが出ていたこともあって、振り向く余裕もなく又、急停車するには大仰に思い、少しばかり速度を緩めながら再びサイドミラーを注視してみたのだが、そこに人の気配は感じられなかった。
久道は特に驚いた様子も見せずそのまま運転を続けた。と云うのもつい先日も自宅の風呂場の窓から開かれた夜空に光る物体が変則的に飛来しているのを目撃して、湯船から飛び出し裸のまま居間にいる妻を呼びよせ庭先からその方向をふたりして見上げたのだが、月明かりと不動に点在するかの星のまたたきが上空を支配してるだけ、そこには何ら異変は生じていなかったからだった。
もう慣例になっている、こういった事態に無言で落ち着きはらったまなざしを向ける妻に対して、久道は同じく冷静さを取り戻した面持ちに返った素振りを示しつつも内面では、ひとつの大きな確信が肩すかしを食らった時の失意を覚え悔しがった。
未確認飛行物体にしろ、有史以前に地球に降臨した異星人が何らかの影響を現在に到るまで及ぼし続け、その結果として歴史が動かされていると云う謎めいた伝説、あるいは太古に存在したと呼ばれる高度な文明をもった大陸にまつわる諸説を、肯定的に把握出来ることが特権的な人格であると信憑する心性は、敬虔な宗教者や絶対者に帰依する思念とはやや赴きの異なるものであり、その異相には紛れもない先見が宿っているのであって、常人には見えない大きな皮膜を突き破れるのは、この意識の目覚めでしかないと云う優越感が久道の道先案内であったのだ。
それは知り得ぬものを透視する超能力が我が身にも潜在していることを証明する最善の方法に違いなく、先行きへと進む歩みには不変の陶酔が保証されているのだった。
自分の目にしか映らない現象こそが、至上の光景となりうる。随分とこれまで幻覚と思われそうな場面に遭遇してきたのも、決して不可解な事ではなかった。すべてを透視出来る力が万全に備わっていないから、夢見のように断片的な事象が立ち現れては消え去る、それらが全部意味あるもの、更につきつめれば何らかのメッセージを秘めているのではないか、一見無意味に感じる破片を根気よく寄せ集めてみれば、必ず整合性をもった現実へと結実される。かつて誰も知り得なかったもの、想像を絶するあまりに巨大で深淵な宇宙が明確に見えてくる。
しかし、若い頃のあの独善的な思惑、それらを超越した彼方、約束の地にそびえる塔へたどり着けるのは自分だけであると云う、自負心は三十も半ばの年齢になった今では次第に弱まって、代わりにこれまでの体験や研究の成果を世に現すことが啓発になるはずだと、かつては嘲笑し相手にしようとさえしなかったまわりの人間らに、今度は噛んで聞かせるように要点を絞り、熱意をもってふれあえば必ず理解を得てくれると思い始めていた。
無論、そうなると体系化した理論を全面に指し示すことが必要になり、ここに早くも難問が横たわってしまった。久道の感性からすれば体感的な理屈ではあっても、他者からしてみれば超常現象とやらの実証は、すでに感得不可能が故にいい意味でも悪い意味でも一種のロマンに包みこまれるようにして隠されているもの、最先端の物理学や宇宙論を一般者が容易に理解しづらいのとは別で、それは科学が壮大かつ綿密な仮説の上に構築されるたゆみない努力を、随分と端折って安易にしかも高遠な理念だけは手放さずに、説き聞かせるこちら側の言い分に少なくとも明解な要所がなければ、やはり心霊主義を唱える限界と区別がつかなくなってしまう。
そこで久道が思いついたのは、夢の分析を通して深い考察を行なうことだった。人の夢を他人は直接見ることが出来ない、個人的で非論理的な混沌たる体験―各人の夢見こそがもっとも身近で感覚が際立つ超常現象だからである。


[2] 題名:まんだら1 名前:コレクター 投稿日:2009年03月05日 (木) 14時18分

住み慣れたこの町を離れ専門学校のある名古屋に越してから一年目の夏は、木下富江に対して瑞々しい陽光で向かい入れた。
この正月にも一度帰省しているものの、冬着で重ねた衣服のせいなのか、直接素肌全体に光差すのを、訳ありにこばむかのようにその冷たい上空からの陽を意識することはなかった。日中は特に外出もせず姉や姪たちも生家に帰っていたこともあり、家族団らんの屋内は何の誇張もなく富江を心地よく暖めてくれたから。
あれから半年があっと云う間に過ぎ去って行ったようにも思えたのは、先ほど少し港の方を歩いてこようと思い、玄関から表に出た刹那ふとよぎった季節の推移であり、時間の変りようを劇的に知らしめた、まばゆい昼すぎの太陽の仕業であった。二日前に名古屋のアパートを後にしてから、ずっと汗がにじみだす暑さを片時も忘れさせない、この日射しは常に自分を照らし続けている、、、
この夏は例年になく七月の半ばから猛暑となり、額からしたたり落ちるほどの汗ばみにすでに慣れてしまったはずだが、今しがた軒先に臨んだ瞬間、いつも変らない陽の光はまるで不思議の国への入り口を証明せんとばかりと、見慣れた近所の意味あいをわずかなのだろうけれども、ちょうど密閉された納戸が経年によって軋みが生じ魔物じみた荘厳さで一条の光を忍び込ませるように、静かな孤立感を伴った変化をもたらしたのだった。
富江は寸秒の間、凍りついてみたが、肝試しの遊技が不気味をもって辺りを一変してしまうのと似た感覚で、もうこの家で生活してはいないすでに一人暮らしで通学している日々が、こうやって夏休みと云う郷愁を抱えているのだと想ってみれば、なるほど自分はまだ成人にはあと一年ある身分、大人への脱皮など大仰なたとえで今の得体の知れない緊縛を夢想の責任であると信じるのだった。
狭い路地を抜け川筋に出る横道へさしかかる頃には道行きながら、先の帰省の折のこと、元旦の午後親戚や家族のなかにあって、よく甘受出来ない抑制されたかの安堵に寄り添うようにしている小さなほこらみたいなものが、胸の奥底に祭ってある気持ちがして、それは去年まで養い住まわせてもらっていたこの家と両親に対する真摯な感謝であったのだろうかとぼんやりとしたまま考えながら、しかしすでに歩が進み眼前に川向うに大きな神木が表れた時には、祈祷が深い情念とともに気化してしまったのか逍遥の自然と、こころのなかに仕舞われていった。

話には聞いていたがこの川は随分と奇麗になった、小さな時分よりその流れと淀みと腐敗を見てきた富江の目に映る川水は澄みきっているほどに清冽ではなかったが、真夏の陽の下を健気に河口へとはけてゆく様は涼し気であった。
数日前から断続的な大雨が降ったせいかこの季節にしては水かさもある。今夜はこの町の港祭り、すでに魚市場では出店も準備され、手踊りやカッター競技などが催され人出でにぎわっていることだろう。
富江も宵からの花火大会に仲のよかった同級生らと連れ立って、そのお祭り気分のうちへととけ込んでいくよう、早くも浴衣の装いであった。これは名古屋の大須にある店で見立てた時代物の、白地に紺が大半を染め抜いてところどころを朱の綾が大胆に配色された、現代から眺めると古風でありながら未来的な新鮮な位相がそこに浮かびあがり、若さゆえの気概にその浴衣をまとえば、背伸びした心意気は自身の思慮をそれこそ軽く飛び越え、夜空に打ち上げられる大輪の火花となって活写されるに違いない。
わたしは水路そのものだし、まだ始まったばかりだけど、恐れや不安が宿すから大きくそこから跳躍してみることが出来ると思う、、、確かに一人で寝起きする毎日は自由で放埒な一面を獲得しているけど、その分先行きの決定がすべて自分に押し迫ってくる、、、見知らぬ土地でどこに向かへば良いのかもわからない、、、
富江は気がつくと巨大な神木の茂りの木陰に佇んでいた。物思いに耽りながらも身体は不必要なまで熱射を欲しないもの、また太陽のひりつきにも悪心などなく決して大事な隠れ蓑を剥奪したりはしないもの。
夜になれば浄化された川面に照り返すだろう火花の影、放恣なままに散花してゆく刹那の悦びの紋様は側溝を流下するだけと言えまい。       
夕暮れにもまだ遠い炎天のもと、海上をなでつけた潮風が富江の鼻に少し強く匂っていった。




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