玄鳥 定例句会

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30年度ネット句会参加費(年会費)納入のお願い 投稿者:節子 (2018年04月14日 (土) 11時13分)[12874]
30年度のネット句会参加費を受付けています。
 年会費  1000円 
 締切日  5月末日
 送金先  紀平節子(みなと支部) 郵送でお願いします。
(受領確認:句会掲示板に掲載しています。ご確認ください) 

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四月定例句会 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時25分)[12823]
句会の皆様
 四月に入って、朝晩の通勤通学電車がまた混み合ってきました。中にまだ新しい制服の学生がいたりすると、思わず目が行ってしまいます。「ガンバレ!」のエールを込めつつ。それでは春真っ盛りの作品が揃ったようです。四月の句会を始めます。月番は先月に引き続き安田循子さんにお願いします。宜子

    句 会  4月19日(木)まで
    作者発表 4月20日(金)


月番 > 変わり映えのないことで、すみません。今月も循子が月番を務めさせて頂きます。皆さまの書き込みによって成り立つ句会です。どうぞ活発なご意見を遠慮なくお述べ下さい。よろしくお願いいたします。 (2018年04月13日 (金) 10時07分)[12825]

月番 > この句会は19日、本日までです。どうぞ存分にご意見を述べて頂きますように。 (2018年04月19日 (木) 09時34分)[12992]

世話人 > 期日がきましたので、作者を発表しました。
主宰先生、お忙しい中、各句にご指導をいただき、有難うございました。コメントを入たれてくださった皆様、感謝申し上げます。二ヶ月続けての月番をお務めくださいました循子さん、大変、お世話になりました。お礼申し上げます。
来月は、大会開催月となり、この句会も、開催日の15日を挟んでの句会となります。大会でお会いしたとき、ネット句会が話題となるのも嬉しいです。楽しみにしています。宜子 (2018年04月20日 (金) 20時43分)[13046]

月番 > 皆さまのご意見によって、月番は学ぶところの多い句会でした。有難うございました。毎月句会のお世話をして下さる宜子さんにお礼申し上げます (2018年04月20日 (金) 20時51分)[13047]
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1 西丸の道灌堀や花吹雪          投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時15分)[12822]
  紫翆 鈴子 主宰  (4点)


月番 > 太田道灌が造ったことで、今もその名を残す江戸城、いまの皇居・吹上御所のお濠。桜散る季節。一枚の写真を見るような美しい景です。 (2018年04月13日 (金) 10時23分)[12827]

孝子 > 皇居開放の乾門通りですね。 (2018年04月14日 (土) 15時26分)[12882]

紫翠 > 情景のよく見える句ですが、欲を言えば上五に工夫が欲しかった。 (2018年04月16日 (月) 11時07分)[12934]

鈴子 > 道灌掘の花吹雪、目をつぶっていても情景が浮かんで来ます。 (2018年04月16日 (月) 21時35分)[12945]

杏花 > お城とさくら
日本列島 お城の町関西なら姫路白鷺城ですが太田道灌で江戸城ですね関西なら姫路白鷺城が抜群の絵になることでしよう
子供の頃から愛している城
大会でもおなじみですね
絵になる俳句ですね。 (2018年04月19日 (木) 09時24分)[12989]

榮一 > 江戸城の道灌堀ですね。整備されている桜が見えるようです。平成もあと一年余りです。作者の感慨が花吹雪に出ているようです。 (2018年04月20日 (金) 06時07分)[13003]

世話人 > 作者は久野孝子さんです (2018年04月20日 (金) 19時47分)[13024]
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2 新学期中に一匹猫の子も  投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時14分)[12821]
  杏花 義之  (2点) 


月番 > 月番は早とちりで、「しんがっきちゅうに」と読んでしまいました。
猫の子「も」とあるので、ここはやはり「新学期」で切れるのですね。 (2018年04月13日 (金) 10時28分)[12829]

義之 > 「猫の子」が春の季語で、新学期をあえて強調する必要が無く、「中」を「ちゅうと」読むか「なか」と読むか、表現の曖昧さも気になる。春の小学校、低学年の教室に仔猫が一匹、生徒が捨て猫を拾ってきたのであろう。先生と生徒のやり取りの微笑ましい情景が目に浮かぶ。 (2018年04月13日 (金) 10時30分)[12830]

杏花 > 隣が学校の事もあり つい惹かれてしまいます
猫?と表現されていますが、きっといつも泣き出す生徒のことでしようねこの時期泣いて校門にて先生に慰めてもらう生徒を見かけます。 (2018年04月13日 (金) 10時35分)[12832]

月番 > 早速出て下さって有難うございます、義之さん。そのとおりの景だと思います。ならば「中に」ではなく「なかに」と表記してもいいのではないかと。 (2018年04月13日 (金) 10時38分)[12833]

月番 > 杏花さん、有難う。猫の子が泣き虫新入生とは、ユニークな連想!面白い。 (2018年04月13日 (金) 10時42分)[12834]

義之 > 杏花さんの読みの方が面白いですね (2018年04月13日 (金) 10時45分)[12835]

洋子 > 杏花さんの読み最高です!!うちの孫も入園式ですごい猫になってしまいました。 (2018年04月14日 (土) 09時19分)[12853]

月番 > 新入生の時、どれほど泣き叫んだかを、笑い話でしてくれる友人がなんにんか居ます。洋子さんのお孫さんを想像しています。可愛い!私は弱虫で、泣く勇気も無かったみたい。 (2018年04月14日 (土) 09時52分)[12857]

千尋 > おほん、孫談義に入ります。うちの孫は子猫のように隅で泣いてました。しかし、この句は猫の子と新学期と季語が二つ? (2018年04月14日 (土) 10時55分)[12868]

孝子 > 深読みはできなかったのですが季語が二つと思いました。 (2018年04月14日 (土) 15時28分)[12883]

月番 > 千尋さん、孝子さん、ご指摘頂きました「新学期」は確かに入学・進級などの範疇におさまりそうなので、気にはなりますが、「俳句大歳時記」(角川)には、「新学期」として」個別に載ってはいないので、そこまで厳しく考えることはないように思います。最近出た角川の歳時記をまだ見ておりませんが、他の歳時記にはあるよ、という方がいらっしゃいましたら、お教え願います。 (2018年04月15日 (日) 10時43分)[12890]

千尋 > ネットの歳時記一覧を見てみましたら、新学期は春のところに出ておりました。よ。…。 (2018年04月15日 (日) 20時02分)[12909]

月番 > ではこの場合、アウトということでしょうか? (2018年04月15日 (日) 21時10分)[12911]

千尋 > あーはい。わたし的には。でも猫の子が子供の例えならセーフかしら。 (2018年04月15日 (日) 21時21分)[12914]

月番 > 主宰先生、如何でしょうか? (2018年04月15日 (日) 21時48分)[12917]

杏花 > 千尋様の親近感なる書き込みにて書き込み頑張ります! (2018年04月19日 (木) 07時44分)[12987]

榮一 > 少し奇をてらい過ぎているような気がしました。 (2018年04月20日 (金) 06時08分)[13004]

世話人 > 作者は山内宜子です (2018年04月20日 (金) 19時48分)[13025]
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3 丘に来る桜花の海と蒼い空 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時13分)[12820]
  吉章 直 (2点)  


月番 > 主人公が丘に上って、海を見下ろし空を見上げている。桜が咲いているのは何処でしょうか。 (2018年04月13日 (金) 10時33分)[12831]

孝子 > 丘に来る丘にきたのは作者ですか、丘に着てみると桜は満開でその花にすかして海がみえるのでしょうか。情景がいまひとつわかりにくかったです。とられた方教えてください。 (2018年04月14日 (土) 15時34分)[12884]

月番 > 採られたお二方、お願い致します。 (2018年04月15日 (日) 15時05分)[12896]

> 丘に登られたのは、作者です。見渡すと、満開の桜や蒼い海、快晴の空が観られる。素晴らしいですね。 (2018年04月15日 (日) 19時42分)[12908]

作者 > 呉羽山に連なる丘陵地で県民公園太鼓山ランドとして親しまれています。桜と紫陽花の名所です。広大な広場の一角に友人と休憩。人気の無い平原の遥か水平線に、満開の桜並木が霞の様に連なるばかり何もなし。蒼い空のみ。すぐ横に荷を残した留守の乳母車あり、そこに鴉が来てしばらく留まっていました。私たちが。帰る時、足元で無心に何かを啄んでいました。  (2018年04月15日 (日) 21時16分)[12912]

月番 > 直さん、有難うございます。孝子さん、よろしいでしょうか。「情景がいまひとつわかりにく」い、というのは私も同感です。 (2018年04月15日 (日) 21時25分)[12915]

月番 > 作者さん、有難うございます。同時に入ったみたいで同じ色になりました。すみません。県民公園太鼓山ランドで検索すると、県民公園太閤山ランドしか出ないのですが、ここのことでしょうか。 (2018年04月15日 (日) 21時47分)[12916]

作者 > 月番様そうです。私たちが居た場所は広大な芝生の広場の木陰でした。 (2018年04月16日 (月) 21時17分)[12943]

月番 > 御地には名山あり、史跡の海あり。羨ましいです、作者さん。大会や吟行で何度か行かせて頂いたこと、俳句のご縁ならでは、と思っております。 (2018年04月17日 (火) 14時18分)[12964]

榮一 > 丘に来るの説明。中七以下のスケッチは感心できません。 (2018年04月20日 (金) 06時11分)[13005]

世話人 > 作者は渡辺淳子さんです (2018年04月20日 (金) 19時49分)[13026]
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4 桟橋のすき間たゆたふ春の海 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時12分)[12819]
進二 吉章 眞佐子 孝子 義之 千尋 循子 淳子 (8点)


月番 > 一読、忽ちいくつかの記憶が蘇りました。ひとつは五才から数年過ごした海辺の地。大きな町に出るときは汽船。当時の桟橋は木でしたから、節穴がいくつもあって、そこから揺れている海が見える。波の揺れる様は鮮明な記憶です。もう一つは戦後に最後の旧制女学校受験の情景。紙も鉛筆もろくに無い時代とて、口頭試問という形でした。与謝蕪村が一時期を過ごした見性寺の近くがその女学校でしたから、国語の問題に例の「春の海…」について質問された場面。個人的な前置きが長くなりましたが、掲句は「桟橋のすき間」です。いまなら木の桟橋は無いと思うので、これの具体的な様子はどういうものでしょうか。 (2018年04月13日 (金) 11時03分)[12836]

義之 > 辞書では桟橋とは脚柱で水底に支持するものとあるが、小さな港ではポンツーンという鋼鉄製の浮桟橋が普通である。利点は乗下船の際に潮の干満の影響を受けないことである。通常、岸壁と浮桟橋の間は、手すり付きの渡り板が設置される。掲句の隙間とは、岸壁、又は本船と浮桟橋の間に生ずるものであろう。ポンツーンを海底より固定するのは、鉄鎖や、ロープであり、それらに海藻や、貝類の付着した様や、瀬戸内の島々の、美しい光景が目に浮かぶ。 (2018年04月13日 (金) 15時16分)[12839]

月番 > 流石です。詳しい説明を書いて頂きました。ポンツーンという言葉は初めて知りました。これも句会の恩恵というべきか。有難うございました。 (2018年04月13日 (金) 16時05分)[12843]

千尋 > 船に乗るとき昔も今も、見なくてもいいのに必ず船と桟橋の間の隙間を覗き込んでしまします。怖いもの見たさでしょうか。その隙間の海にも確かにいつも潮が流れていることが確認でします。
小さい頃は潮くさい板でしたが、今は鉄板となりました。でもつなぎ目は必ずあって下が見えます。 (2018年04月14日 (土) 10時21分)[12860]

孝子 > 私も何回か越しても。川の近くだったり主人が海がすきでよくいったりしたので実感としてすぐいただきました。しかも句のかたちがよくて。桟橋は確実ではないのですが小さいものがあってもいいのではと思いました。義之さんのボンツーんはじめてみて辞書をみて納得しました。ありがとうございます。春らしい気持ちのよい句で大好きです。 (2018年04月14日 (土) 10時33分)[12863]

孝子 > 千尋さまだぶってしまいもうしわけありません。パソコン不調で入れるのに時間がかかり色のかさなりわかりませんでした。ごめんなさい。 (2018年04月14日 (土) 10時37分)[12864]

千尋 > 孝子さん、そんなこと気になさらないでくださいな。 (2018年04月14日 (土) 10時52分)[12867]

眞佐子 > 最近はあまり船に乗ることがありませんが、以前は海の近くに住んでいましたので、良く船に乗りました。「すき間たゆたふ」で春の海のゆったりとした感じがよく出ていると思います。 (2018年04月16日 (月) 21時46分)[12946]

杏花 > 海の好きな夫を想う句です
つらい気持ちもダブり取れませんでした
素直な俳句ですね。・ (2018年04月18日 (水) 19時30分)[12984]

進 二 >  この十七文字から読み取れるのは、やはり木製の桟橋ではないかと受け止めました。数年前、舞鶴の桟橋を訪いましたが、経年劣化して危険ということで、造り直されていましたが昔の儘の木製で年数が経てば板の隙間から云々・・・になるのだろうと思われました。ギーコギーコという音も聞こえて。もちろん、夫々の方の過去の体験から岸壁との間と読むのもよく分かります。この句、アングルが良かったですね。東南アジアなどではいまも大きな港が少ないので本船は沖に投錨しておいて、上陸する人は、ボートで木製の桟橋へというのは普通に行われています。気持ちのいい句ですね。。危 (2018年04月19日 (木) 12時04分)[12997]

榮一 > 船と桟橋の隙間は僅かです。その隙間の春の海はどうかと思います。「春の海終日のたりのたりかな・蕪村」の揺蕩う雄大さには及ばないように感じました。 (2018年04月20日 (金) 06時18分)[13006]

世話人 > 作者は伊藤保子さんです (2018年04月20日 (金) 19時50分)[13027]
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5 ルンルンと花の坂道帰りみち       投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時10分)[12818]
  進二 直 淳子  (3点)


月番 > 可愛らしい句です。大人でもルンルンになれるのが、花の坂道かも。 (2018年04月13日 (金) 11時07分)[12837]

千尋 > 林真理子の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を思い出しました。 (2018年04月14日 (土) 10時56分)[12869]

孝子 > 若さを感じました。あかるくていいですね。 (2018年04月14日 (土) 15時37分)[12885]

月番 > 男性がお二人採っていらっしゃいます。男性のほうがロマンティストなのかも知れません。 (2018年04月17日 (火) 14時26分)[12965]

> 我が家から、約500メートル少し上がつた所に市の公園があり、周りは桜の木がいつぱいである。私達は、毎週水曜日午前10時から2時間グラウンドゴルフを楽しんでいる。今年4月で10年になる。会員21名、年齢86歳から70歳まで当初から変わらず。とにかく楽しい。毎年桜が満開の時記念撮影をしている。全員笑顔で集まり、笑顔で帰る。時々足を折り手を折り腰を痛め長期間休む人もあるが必ず治して出てくる。何故かこの句のとうりである。 (2018年04月17日 (火) 14時48分)[12967]

進 二 >  小学校・中学校の女生徒が直ぐ浮かびますが、櫻咲く坂道では大人も・子供も関係なくこんな心境になりますね。こういった句も、ほっとする句として大いに結構ということで採らせて頂きました。 (2018年04月19日 (木) 12時14分)[12998]

榮一 > 明るさは感じましたがルンルンは平凡ですね。 (2018年04月20日 (金) 06時20分)[13007]

世話人 > 作者は枡室杏花さんです (2018年04月20日 (金) 19時51分)[13028]
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6 かげろふやたしかなことはただひとつ  投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時09分)[12817]


月番 > 残念ながら点が入りませんでしたが、作者が書きたかったことは分かる気がします。こう書かざるを得なかったのかも知れないともも思います。月番の意見は措くとして、皆さんが採れなかった理由を述べて頂ければ月番は有難いのですが。 (2018年04月13日 (金) 11時28分)[12838]

孝子 > かげろふと言う天文てきなふたしかな季語をもってきて、それにたいして中七下五ちょっと面白くていただこうかとおもいましたが
やはりそれだけでは想像がむずかしくわかるものをちょっと提示していただけたらと思いました。 (2018年04月14日 (土) 15時50分)[12886]

月番 > 「かげろふ」は、あるかなきかという、孝子さんによれば「ふたしかな」季語ですね。かげろうは「かぎろい」とも言い、近郊の宇陀には有名な柿本人麻呂の馬上像があります。≪東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ≫は殆どのかたが学校で教わったものです。『かぎろいを見る会』というマニアックなものがあって、前夜から泊まり込んで、立ちそうな日に毎年
来る人々があるそうです。故・えつぐ・まもる先生もそのおひとりだったようです。見たいなぁ…と渇望してらした。
前置きが長くなりました。掲句はそういう季語を冒頭に。中七以下も形の見えるものは全くありません。しかし作者は無点を承知の上で、それをわざと意識的にやってみせ、さらに漢字と違って意味性を持たぬ仮名文字ですべて表記されたのかも知れません。そうとすれば、読者は作者にまんまと遊ばれてしまったのだという気がしないでもありません。なかなか手強い!
たのご意見があれば、是非お願いいたします。 (2018年04月15日 (日) 11時19分)[12892]

オサム > 月番さまのおっしゃるように、ひらがな表記によって、意味性を薄れさそうとした点はさすがだと思います。ただ、それでも(確かな事はただ一つ)という表現の観念性と、(陽炎≒不確か)と中七以下で示された(確か)ということの対比の明確性はさほど薄れなかったのでは… (2018年04月16日 (月) 01時19分)[12920]

月番 > オサムさんのおっしゃる通りと思います。おもしろい企みではあっても、それは不発に終わったということでしょうか。残念です。 (2018年04月17日 (火) 14時43分)[12966]

杏花 > ひらがなの俳句作者の想いがあるのでしようね・
読み手に伝わるポイントがわかりません。 (2018年04月18日 (水) 19時00分)[12983]

杏花 > たしかなことをユーモアに表現して欲しいと思いますが、、、 (2018年04月18日 (水) 19時34分)[12985]

世話人 > 作者は主宰先生でした (2018年04月20日 (金) 19時53分)[13029]
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7 春昼や河馬の出目吉深眠り 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時08分)[12816]
  洋子 オサム 保子 鈴子  (4点)


月番 > 河馬といえば稔典さん。『桜散るあなたも河馬になりなさい』など。出目吉君はどこかの動物園に実在する河馬の愛称でしょうか。浅眠りの私は稔典さんの忠告に従って河馬になり、深眠りしたい。 (2018年04月13日 (金) 15時31分)[12840]

洋子 > 春昼ののどかさがよく表れていると思いました。春眠が朝から昼までずーっと続いているのですね。出目吉より出目夫か出目子にしたら下5にすんなり続くかも。出目子にしてメスのかばにした方がおもしろいかもしれませんね。 (2018年04月14日 (土) 09時29分)[12854]

孝子 > ねんてんさんみたいで面白いと思ったのですが三段切れですか。 (2018年04月14日 (土) 15時54分)[12887]

月番 > 深眠りしてるのは出目吉なので、三段切れとは言い切れないだろうと私は思いますが、洋子さんの出目夫か出目子であれば、すんなり続きます。しかし作者は出目吉という響きの剽軽を選択されたのでは?とも思う (2018年04月15日 (日) 11時29分)[12893]

オサム > 2014年に神戸市の王子動物園で産まれたオスの河馬の名前が出目吉のようです。作者様はその事実を優先されたようですね。ちなみに名前は投票で決まりました。「出目王」:123票,「出目吉」:376票、「出目プリオ」:241票,「出目丸」: 330票だったそうです… (2018年04月16日 (月) 01時32分)[12921]

洋子 > 確かに「出目吉」は王子動物園で生まれたかばの固有名詞でした。勝手に名前を変えたりしてごめんなさい。いまは眠ってばかりかもしれませんが2才くらいの時はバタフライをしている元気な映像がネットに出ていました。平成28年には姫路動物園に移されたようです。 (2018年04月16日 (月) 09時02分)[12933]

鈴子 > 上野動物園に出かけるといつも河馬のプールに足を延ばします。あの体躯につぶらなマナコ、どんよりとしたプールの底の河馬、名前がついている面白さ、楽しくなる句です。 (2018年04月16日 (月) 21時58分)[12947]

保子 > 「深眠り」がちょっと苦しいかなと思いましたが、面白いと思って頂きました。

(2018年04月17日 (火) 00時57分)[12951]

月番 > 出目吉くんはやはり実在していましたか。河馬は獰猛なところもあるようですが、見た目の可愛らしさは皆さんに愛されるようです。 (2018年04月18日 (水) 10時18分)[12978]

榮一 > 河馬は夜行性です。昼は水中で眠るようです。春昼と眠りは付き過ぎのように感じました。 (2018年04月20日 (金) 06時26分)[13008]

世話人 > 作者は佐藤美鈴さんです (2018年04月20日 (金) 19時55分)[13030]
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8 隣から襁褓を借りる花筵        投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時07分)[12815]
眞佐子 洋子 義之 オサム 保子 循子 鈴子 美保子 主宰 (10点)


月番 > 高点句のひとつです。実景でしょう。面白い。どこがおもしろいかは、皆さまのコメント待ちです。 (2018年04月13日 (金) 15時52分)[12841]

義之 > 掲句から、一瞬で思い出すのは伝統落語です。長屋の面面が大家の誘いでお花見へ、卵焼きはたくあん、と云うのを未だに覚えており、落語は愛すべき日本人(庶民)の姿を切り取った大衆芸能です。一方こちらの句は、現代の風刺の効いた仕上がりとなっている。人の性格は様々、あるお母さんは、乳飲み子を連れてのお花見、赤ちゃんのおむつを、数セット準備して花の筵に、またあるお母さんは、ちょっと気になるも、何の準備もせず赤子を茣蓙に寝かせ、歌うや踊るや騒ぐやと、お花見三昧。突然赤ちゃんが泣き叫ぶと、その世話に付きっ切り。ちゃっかり隣の花見客のおしめの提供に、満足満足!!11番の句と対極の俳句です。 (2018年04月13日 (金) 19時32分)[12849]

洋子 > おむつを貸してもらった時ほどありがたかったことはありません。3才の孫がうちに預けられていたとき、もうおむつは外れていたのですが、はしゃぎまわった挙句おもらしをしてしまったのです。替えのおむつはなく困ったときに、同じマンションの同じ年の子供さんのところに行ってみました。そしてうちの孫が使っていたのと同じメーカーのパンツ式のおむつを2つも貸していただきました。本当にありがたかったです。
どういう事情か分かりませんがお花見に行っておむつが足りなくなったとき、隣の人に貸してもらって本当に良かったと思います。世の中、情けは人の為ならず、です。 (2018年04月14日 (土) 09時54分)[12858]

美保子 > 病院の待合室やバスの隣などでも赤ちゃんや小さいお子さんがいれば、つい微笑みかけたり、あやしたりしてしまいます。ましてや、お花見で隣同士になれば、つい親しく話しかけ、そういう中で、おむつが足りなくなっていれば、「ああ、どうぞ、どうぞ、お使いください。」と差し出されるでしょうね。そこから話がつながっていく。お花見っていいですね。 (2018年04月14日 (土) 11時17分)[12876]

眞佐子 > 昔はよく隣から借りたり、貸したりしたように思います。うちの孫も女ですが隣の男の子のパンツを借りて帰ったことがありました。長閑で良いですね。 (2018年04月16日 (月) 21時59分)[12948]

保子 > 「花筵」ではありますが、東日本大震災の時に電車の中で、その様な事態になり大変だった〜などを見聞きし、色々なことを考えさせられました。

(2018年04月17日 (火) 01時10分)[12952]

月番 > 花筵で救われますね。「襁褓を借りる」にもいろいろの状況あり。保子さんのコメントで私も感じるところがありました。 (2018年04月17日 (火) 14時51分)[12968]

進 二 >  どなたもが、微笑ましさと温もりを直感出来る句。ただ、私の場合、むしろ不運かと思いましたが、ほぼ同じような句を6〜7年前と4〜5年前に新聞の投句欄に採用されていたのを目にしていましたので、ちょっとになりました。夫々の方が夫々に創られたのは間違いないと思いますが、何分五七五では、避けがたく起こってくることとおもいます。勿論、今回の投句を含めてのことです。これらのことについて、顧問がまだ、お元気であった頃、お尋ねしたことがありました。答えは「進二さん、特許と同じと思って下さい。」と簡明でした。権利が認められるのは、最初に発表した人だけと言うことだなと受け止めました。どこまで違っておればセーフなのかの判断も本人ではなく、特許庁が、つまりは第三者に委ねられるということになりますね。その時、顧問が補足してくれたのは「進二さん、ストーンと腹に納まる句、めったに出来ないでしょうが、出来たと思った時には、その観点も要るということでしょうね。」とも。かないませんね。 三宮の居酒屋でのお話でした。さて最後はジャズのライブハウスにしますか。そんな頃でした。誌友の平均年齢が辛うじて60代末に納まっていた頃のお話でした。  (2018年04月19日 (木) 15時01分)[12999]

鈴子 > お花見に幼児連れとなるとホントに大変ですね。隣から襁褓を借りた、有りそうなことでしょうね。襁褓は、この節では紙おむつかしらなどと想像して読みました。微笑ましいひと時ですね。 (2018年04月19日 (木) 21時07分)[13002]

榮一 > こんな光景は見たことはありません。あれば面白いですね。進二さんの記憶に類句があれば捨てなければならないでしょうね。 (2018年04月20日 (金) 06時32分)[13009]

世話人 > 作者は若林千尋さんです (2018年04月20日 (金) 19時56分)[13031]
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9 四万の桜で魅せる吉野山         投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時05分)[12814]
  杏花 (1点)


杏花 > 今満開の桜吉野山
俳句は単なる報告句のようです私には土肥先生の梟句会から吟行にて10名程にて観光に出かけた事は楽しい句会となりこの時期にいつも思い出しこの句にて土肥顧問先生参加の方々の記念のスナップを観て想い出に慕っております。 (2018年04月13日 (金) 10時04分)[12824]

月番 > 杏花さん、何度かご一緒しましたね。懐かしいです。単なる報告、という指摘をして頂きましたが、同感です。ちょっと残念。 (2018年04月13日 (金) 15時57分)[12842]

千尋 > 吉野山は懐かしいですね。
そういえば、あのロープウェイ無くなるそうですね。ますます道が混みますね。
ちょっと遠い存在になりつつあります。
(2018年04月14日 (土) 10時25分)[12861]

月番 > 何年前になるでしょうか。当時はまだまだゆっくりと山桜を楽しむことが出来ました。いまや他の観光名所と変わらず、喧噪のなかで聞こえてくるのは外国語がほとんどだそうです。 (2018年04月15日 (日) 11時34分)[12894]

作者 > 吉野山の桜について、見たり聞いたりした近況を少しお知らせします。全国の桜フアンが毎年苗木を多く寄贈されています。町の観光課はそれぞれに、枠を作り、寄贈者の県と氏名を書いて大事に育てています。今はロープウェイが故障で使えず、今年の秋までに治す予定だそうです。5月の連休まではバスが運行します。苗木が育ち花が咲くのは、10年かかるそうです。永く愛してやつてください。 (2018年04月16日 (月) 16時56分)[12940]

月番 > 作者さん、ありがとうございます。吉野の桜はもともと蔵王権現や役行者への信仰に始まり、願の成就した人々が感謝の気持ちで一本ずつ植えた献木が増えていったものとのこと。信仰の証だったのですね。シロヤマザクラが殆ど。独特の美しさです。いまも献木が続き、地元の保存会の人々の努力と相俟って、人々を魅了しています。花矢倉から眺める全山の桜は値千金。今年はどこの桜も花の時期が短いようで残念です。 (2018年04月17日 (火) 15時48分)[12969]

榮一 > 四万の桜が魅せるはその通りですから響いてこなかったです。 (2018年04月20日 (金) 06時34分)[13010]

世話人 > 作者は村上直さんです (2018年04月20日 (金) 19時57分)[13032]
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10 ランドセルぶつかり合って陽炎いぬ    投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時04分)[12813]
 吉章 剛 杏花 美鈴 義之 保子 加津子 (7点)


杏花 > 隣は小学校・
午後になると騒がしく帰途の子供にて騒がしくなりますこの句から情景が楽しくなる心地良いきもちにさせていただきました。 (2018年04月13日 (金) 10時10分)[12826]

月番 > 「陽炎う」という動詞には、「空を赤く染めて光る。また光や影がゆらいで見える(精選版日本国語大辞典)」の意味があります。杏花さんの読みだと前者で夕方の下校風景ですね。ほんと楽しそう。 (2018年04月13日 (金) 16時26分)[12844]

保子 > 月番さんの「光や影が揺らいで見える」の感じで頂きました。下校時の開放感を「ぶつかり合うランドセル」で子供たちがふっと消え音だけ。微妙な感じが良かったです。 (2018年04月17日 (火) 01時27分)[12953]

> 「特に春先にかけて発生し、.遠方の物体が細かくゆれたり、形がゆがんで見える現象」のようだ。今年もまた新しい学期が始まった。朝や夕の通学路は受難の時間でもある、市街地の小学校の大方は集団の登下校である。まだ中には幼気(いたいけ)ない子供もゐるのだろう。この句の情景は作者の暖かい眼差しであり、ランドセルの鳴る音も懐かしい。俳句を創る人の眼は素晴らしい。 (2018年04月17日 (火) 13時14分)[12962]

榮一 > 子供たちがふざけあっているている景です。ぶつかり合って陽炎いぬでは陽炎はぶつかり合ったから生じたといyことになりそうです。何かしっくりこなかったです。 (2018年04月20日 (金) 06時49分)[13011]

世話人 > 作者は太田鈴子さんです (2018年04月20日 (金) 19時58分)[13033]
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11 さくらさくら墓の隣に腰掛ける      投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時02分)[12812]
進二 眞佐子 孝子 宜子 美鈴 義之 直 千尋 美保子 淳子 加津子 (11点) 


月番 > 最高点句です。どなたからでもどうぞ。月番は「墓の隣に腰掛ける」という、いわば簡単な措辞が読み切れませんでした。え〜っと馬鹿にされそうで恥ずかしいのですが、恥を忍んで教えを乞います。 (2018年04月13日 (金) 16時36分)[12845]

義之 > 月番様、墓に直に腰掛ける、では如何でしょうか、やはりこれは無い!!一方、隣、と対面では違う、やはりこの句の良さは、隣にあると思うのです。月番様はお分かりになっておりながら、書き込みを促しておられると信じております。 (2018年04月13日 (金) 19時44分)[12850]

洋子 > 放哉の「墓のうらに廻る」が浮かんできましたので、ネットを調べると「墓はあの世とこの世の境界線上にあるとおもわれる」という文章に出会いました。たしかに「墓の隣」は墓の近くの特定の場所ではなくて「あの世とこの世の境界線」のことを意味していると思いました。それは「桜」という花は、日本人の心情としてどこか「死」を内包しているように思われるからです。墓の近くで桜をみていると自ずから来し方行先のことが考えられるのです。深読みかもしれませんが、このように読んだときに私には納得のいく名句に思われました。 (2018年04月14日 (土) 09時43分)[12855]

千尋 > う〜ん、洋子さんの読みは深いですね。そして納得させられてしまいました。わたしがいただいた理由は単純です。子供の頃、父に連れられてお墓参りに行きました。お墓の周りの掃除をしてもちろんお参りをして、それからお弁当やお菓子を出してお墓の横の柵に腰かけて父の話を聞きながら食べるのです。話の内容はいつも決まっていて、父の早く亡くなった父と母の話、そしてあの頃亡くなったすぐ上の兄の話です。
それからが、変わってるのですが、お墓の前の所の石を開けて中に入っている全員の骨壺取り出して中のお骨を出してなでるように一つ一つ丹念に見て、わたしにも説明して見せて、また骨壺に納めてお墓をもとに戻して帰るのです。
そんな父と二人だけの時間を思い出しました。ですから亡くなった人たちと一緒に桜を眺めてよもやま話をされたのかな〜とただ思いました。 (2018年04月14日 (土) 10時46分)[12865]

孝子 > 単純な私は洋子さんのように深くは考えませんでした。墓はそのまま死者を葬った場所、桜のころになつかしい人の墓参りにいった。時期がら桜の花が満開でちらほらまっている。故人とはなしたくなり近くに腰掛優しい気持ちで対話している。さくらさくらとひらがなをつかっているところにその気持ちがうかがわれると思う。隣に深い意味はないと思われる。最高点なのに深詠みできないじぶんのことを考えています。 (2018年04月14日 (土) 10時58分)[12870]

美保子 > 実家の墓苑の周りは桜の樹が沢山植えられています。何度か、お弁当を持って行って、高台からお花見をしました。さくらさくらが桜に囲まれていることを思わせてくれます。お墓の掃除は案外大変で、終わるとどこかに腰掛けたくなります。皆さんの書き込みに納得するところが沢山ありました。無意識に真ん前とかには座ろうとはしませんよね。そうですね。時々、会いたくなる、父の傍にいるような気持ちになるのですね。 (2018年04月14日 (土) 11時00分)[12871]

月番 > 義之さんに、当然わかっているだろうと書かれてしまって、うろたえました。判らなかったのは事実です。正確にいえば「隣に」ではなく、「腰掛ける」に躓いた、ということです。いま自分に関わりのある墓に、腰掛けるところなど全くありません。千尋さんの書き込まれた回想場面には、ちいさな子供が横の柵に腰掛けている可愛いい景がよく見えます。皆さん墓参には折り畳みの小椅子でも持参されるのかと思ったのですが…。そこで謙虚に辞書をひいてみて、自分の無知に気が付きました。「腰掛ける」には「台や椅子の上に腰をおろす。腰をかける。」のほかに「ちょっとの間休む」という意味があるのですね。これで納得。申し訳ありませんでした。
(2018年04月15日 (日) 12時00分)[12895]

循子 > 今はない生家の菩提寺の墓の周りを思い出すと、近くに腰を下ろすような石もいくつかあったと思い出しますが、最近の墓苑はすっかり様変わりしました。時代ですねぇ。 (2018年04月15日 (日) 16時07分)[12899]

> 皆様のご意見が色々あることに少しびつくり、お墓参りにご意見があるからだと思います。各人とも、お墓が近くにあり、年3、4回行ける方もあれば、遠方で3、4日休みを取り、充分計画をたてなければ、行けない人もいます。私の場合、奈良から山口まで行き生家から、1キロの山に登りお参りしています。よつて、墓参りは1日を費やし、厳粛な行事です。「腰掛ける」は、月番様の言われる、「ちょっと休む」が良いと思います。
(2018年04月15日 (日) 20時53分)[12910]

宜子 > 「腰掛ける」に、作者とお墓の中の方との近さを感じました。その距離感を「腰掛ける」と比喩したのだと思います。実際に腰掛けたのではなく。 (2018年04月16日 (月) 04時44分)[12927]

眞佐子 > 実家の墓は御堂の裏の墓地にあります。いつも御堂の端の基礎石に腰掛けて休みます。我が家の墓は腰掛ける所がないので、しゃがんで休みます。月番さんの「ちょっとの間休む」と言うことでしょうか。さくらさくらが好きでした。 (2018年04月16日 (月) 22時11分)[12949]

美鈴 > この句の墓は墓地という意味も含んでいるような気がします。一基のお墓ともあるいは墓苑とも解釈できるような気がします。 (2018年04月18日 (水) 09時57分)[12976]

月番 > そうですね。それぞれの読みが納得できます。俳句は楽しい。
(2018年04月18日 (水) 10時06分)[12977]

杏花 > 夫は一人っ子で姑は厳しい人でした
お墓にて休憩は許されません
静かに我が家に帰ります。 (2018年04月18日 (水) 19時45分)[12986]

榮一 > 田舎の墓地は広そうです。ところによっては彼岸詣りや盆には墓を洗ってお供えをして家族みんなで賑やかに飲食をするところもあるようです。そんなところでは墓の隣に座ることも不思議ではありません。洋子さんの読みもいいですね。 (2018年04月20日 (金) 07時04分)[13012]

世話人 > 作者は木村オサムさんです。今月の最高点を得られましたので、来月の月番をお願いします。 (2018年04月20日 (金) 20時00分)[13034]
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12 蛇穴を出るいつだって無我夢中      投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 21時00分)[12811]
  進二 孝子 宜子 循子 美保子 千尋 主宰 (8点)


孝子 > 月番さんの前にすみません。季語と下のことばが実感として、だよね、私もよという思いで頂ました、 (2018年04月14日 (土) 11時47分)[12880]

月番 > 孝子さん、ありがとうございます。月番に構わず書き込んで頂けるのは、いちばん嬉しいことです。ここへは書き込んだつもりだったんですが、最後のボタンを押さなかったのか、入力出来ていませんでした。すみません。 (2018年04月14日 (土) 23時52分)[12888]

月番 > いつだって無我夢中なのは、作者?蛇?どちらとも取れていろいろ考えると、どんどん面白くなってきます。皆さんの読みを楽しみにしています。 (2018年04月15日 (日) 16時15分)[12900]

宜子 > 「蛇穴を出る」が季語なので、切って読んで、無我夢中なのは作者と。そのほうが納得はできます。でも、蛇が無我夢中と読んだほうが実景+思いとも読めて楽しいですね。十七音の短詩の良さかもしれません。 (2018年04月16日 (月) 04時51分)[12928]

美保子 > 穴を出てきた蛇はまぶしさに一瞬たじろぐかもしれませんが、そのあとは無我夢中で動き出してるのではないかと思ったら、何か、楽しい気分になりました。宜子様と一緒で、作者様の生きざまというか、思いなのかと思いました。 (2018年04月17日 (火) 10時55分)[12958]

進 二 >  蛇は冬眠から覚めて表に出た時が一番狙われるのだと聞いたことがあります。カラスや犬、それに悪童達から襲われそうですね。そんな時、蛇は必死で無我夢中でしょうし、私だっても同様、生きていくのに七人の敵と対峙しつつ、いつも、無我夢中で生きているのよと、おっしゃっている。けなげで、いいですね。 (2018年04月19日 (木) 15時24分)[13000]

榮一 > 蛇は目が良くありません。舌で匂いを嗅いで獲物や環境を知るようです。作者と重なったとしても無我夢中がなるほどと思わせます。 (2018年04月20日 (金) 07時09分)[13013]

世話人 > 作者は小川紫翆さんです (2018年04月20日 (金) 20時04分)[13035]
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13 石仏の丗三箇所山笑ふ         投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時57分)[12810]
  剛 洋子 紫翆 宜子  (4点)


月番 > 仏教については殆ど知りません。三十三箇所の石仏を一箇所で御参りできる山寺があるのだと思います。詳しい方に教えて頂きたいのですが。 (2018年04月14日 (土) 09時48分)[12856]

洋子 > 私も今33の仏さまのことをネットで調べてみたのですが、理解するにはあまりに難しく、この際今はこだわらないことにしようと思いました。西国33か所とかの巡礼の道もあるようですが、私の家(六甲山の山裾の斜面)のすぐ近くにお寺があり、その寺域の森の崖の中に33体(?)の小さな石仏がおかれてています。時々散歩します。緑が深くなって山笑ういい季節になりました。 (2018年04月14日 (土) 10時31分)[12862]

洋子 > すみません。33体まとめてではなく、道順に添って所々に、です。 (2018年04月14日 (土) 11時04分)[12872]

> 三十三所とか三十三観音は観世音の三十三身に基づくようである。日本に限らず世界には神仏を巡る信仰は多い。石仏を巡るには、冬が過ぎて「山笑う」のこの季節にこそではないか。私は見たことの無い、この句の「丗」に注目した。この字を知る為に色々文献を引いた。以下は引用であるが、10の倍数の漢数字「丗」は十が三つ横に並んだ形で三十を表す。現代では「廿」「卅」「卌」は一般的ではなく、それぞれ「二十」「三十」「四十」と漢字2文字で書かれる。この「丗」は「卅(30)」の異体字で、「世」の異体字とも言われる。それは中国最古の殷王朝の時代は平均寿命が30歳ほどであったため、30年で一世代と考えられたためのようである。部首は一(いち)) 読みは、さんじゅう。 意味は親が子に引き継ぐまでの約三十年間。いわゆる、ゼネレーション。何故この句が現役では使われていない「丗三」なのか良く解らないが、意味ありげで面白い。楽しく勉強させて戴きました。 (2018年04月15日 (日) 10時57分)[12891]

月番 > お二方、色々調べて頂き、有難うございました。「丗」という字の謂れが中国殷王朝まで遡るというのは、興味深いことです。三十年で一世代という話も時代を感じます。わざわざ丗三箇所とあるのは、この石仏群にそう書かれているのでしょう。洋子さんによれば、六甲山麓にもあるそうで、私もどこかで見た記憶あり。有名無名を問わず、全国にいくつかあるのかも。 (2018年04月15日 (日) 15時54分)[12897]

宜子 > 三十三ではなく「丗三」と書かれたことに意味を感じましたが、あまり深追いせず「三十三」でしたら読み過ごしたかもと思いました。「山笑う」が程よいです。 (2018年04月16日 (月) 04時58分)[12929]

紫翠 > 「山笑う」で採りました。 (2018年04月16日 (月) 11時10分)[12935]

洋子 > 上記のお寺に行って説明を読んだところ、「背山には四十八か所の霊場があり」と書かれていました。三十三どころか四十八か所に石仏がおられて、四国の霊場巡りと一緒だということがわかりました。いずれにせよ「山笑う」との取り合せが良かったと思います。 (2018年04月16日 (月) 17時49分)[12941]

洋子 > 四国は八十八カ所でしたね。そそっかしくまた間違えてしまいました。三十三、四十八、八十八と三つの意味のある数字が並びました。暇ができたら調べてみたいと思います。 (2018年04月16日 (月) 17時55分)[12942]

月番 > 結果をまたいつか教えてください、洋子さん。 (2018年04月17日 (火) 16時17分)[12973]

榮一 > ふと国東半島の磨崖仏を思いましたがはっきりしませんでした。西国三十三か所は良く聞きますがいったことはありません。四国八十八か所は丁度三十三か所までで止まっていますが。 (2018年04月20日 (金) 07時17分)[13014]

世話人 > 作者は宮本義之さんです (2018年04月20日 (金) 20時05分)[13036]
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14 八条口へ二分の酒房若竹煮    投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時55分)[12809]
 剛 千尋 循子 鈴子 美保子 加津子 (6点) 


循子 > 若竹煮がいかにもこの季節にふさわしい。京都駅八条口を利用する身です。「酒房」という言葉もこだわりがあって好きです。 (2018年04月13日 (金) 16時42分)[12846]

月番 > 月番は飲めない体質なので、酒房へは入れない。八条口は通り抜けるだけ。残念です。 (2018年04月13日 (金) 16時44分)[12847]

美保子 > 八条口がどこなのかも知らずに頂いたのですが、とにかく駅の近く、夫の様子をみていますと、待ち合わせには駅の近辺を利用することは多いようです。居酒屋ではなくて、酒房と言う言葉に若竹煮が今の季節にぴったりの雰囲気だと思いました。 (2018年04月14日 (土) 11時10分)[12873]

月番 > 美保子さん、八条口というのは京都駅の南側出口です。京都御所の方とは逆。飲食店、土産物店が並び、外国人観光客で烏丸出口に負けないほど賑わっています。若い頃は八条方面へなど出口があったのかどうかも知りませんが。 (2018年04月15日 (日) 16時30分)[12901]

鈴子 > この季節の酒の肴の若竹煮、「酒房」で頂くなんて何とも羨ましくて、作者の方は酒にも拘りのある方と思いました。「酒房」とされた事でお店の造りも想像出来ます。循子さん、こんな処でご一緒したいですね。そんなに呑めなくても美味しい肴を楽しめそうです。 (2018年04月15日 (日) 21時51分)[12918]

> この句の舞台の、京都駅八条口は昔から在ったと思うが、新幹線が開通し開発を繰り返しながらの現況がある。八条口、酒房と書かれると、その辺りの居酒屋ではなく、京都ゆえに何となく上品な飲食店(酒店)を想像してしまう。白だしで炊かれる若竹煮は、新和布と筍を炊き合わせた和食。京都駅の八条口と云えば新幹線の乗り降りには都合が良い、正面と言うか北口?の烏丸口からは結構な距離を歩かされる。たぶん時間に追われる身なのだろう。酒を呑めるのは解放された自分の時間である、仕事でも終えて一息ついているのか、深夜には各地への高速バスもあるし、西へ行くのか東へ行くのか、乗るバスや列車までの時間を計っているように思えた。屋台などは八条口には無いだろうが、深夜に発つ寝台列車に乗るため駅の時計を気にしながら、屋台で安酒を呑んでゐた時代が懐かしい。 (2018年04月17日 (火) 10時14分)[12957]

循子 > 鈴子さん、是非! (2018年04月17日 (火) 15時59分)[12970]

月番 > 上のお二方どちらも左党と記憶しています。左党のひとにはどういう世界が見えているのだろうと、羨ましくて。 (2018年04月17日 (火) 16時05分)[12971]

美保子 > 月番様が教えて下さった、八条口にも行っているのかもと思い始めました。京都にも何度か行っているのですが、一番、新しいのは五年ぐらい前でしょうか。めったに利用しないツアーで京都の主だった所の紅葉を見て回りました。帰りの飛行機に間に合わないので、最後はお先に帰ったと思います。前日は京都駅の中で夕食をとりましたので、駅に行った事は確かですが、夫や娘との旅行ばかりですので、付いて回るばかりで、何口を利用したものやら。でも、教えて頂き、ありがとうございます。今度はトロッコ列車で見る、桜や紅葉も素敵だなとテレビを見て思いをはせるばかりです。 (2018年04月19日 (木) 11時01分)[12996]

榮一 > 京都駅の南側の口です。若竹にも京都らしいと思います。酒は勿論伏見ですね。悪くない句と思っています。 (2018年04月20日 (金) 07時22分)[13015]

世話人 > 作者は樋口進二さんです (2018年04月20日 (金) 20時07分)[13037]
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15 花びらを敷いて怪しき路地の奥       投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時54分)[12808]
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月番 > 時代小説を読む気分です。面白い話が広がりそうなのですが…。 (2018年04月13日 (金) 16時47分)[12848]

孝子 > 面白いとおもったのですが、敷いてがわざと敷いたの、怪しきが説明してしまったというおもいとがありとれませんでした。花びらを敷いてなら散る桜で5音にするとか面白い材料なので推敲すると化けると思います。なまいきにすみません、
(2018年04月14日 (土) 11時37分)[12878]

オサム > (花びら)だと季語にならず、桜以外とも取られかねない点もちょっと気になりました。皆様のおっしゃるように路地の奥に(桜の)花びらが敷き詰められている景はそれだけである意味ミステリアスで物語性もあるので、(怪しき)はもったいないと思いました。 (2018年04月16日 (月) 02時24分)[12925]

洋子 > 「花片(はなびら)」は、角川の大歳時記に出てますよ。
(2018年04月16日 (月) 08時41分)[12932]

オサム > 洋子様ご指摘ありがとうございました。俳句を始めて拾余年、花びらは季語ではないという思いこんでしまっていました。作者様大変失礼いたしました。 (2018年04月16日 (月) 13時32分)[12939]

月番 > 「桜」、「花」などは傍題が多いので、見落とすことがあります。私など読んでいても忘れることが多々あります。
(2018年04月18日 (水) 10時38分)[12979]

杏花 > 花びらの散りゆく路地の武家屋敷と読ませていただきました・
ひとり旅の冒険を思い出していました。 (2018年04月19日 (木) 09時31分)[12991]

榮一 > 怪しいがよくわからなかったです。 (2018年04月20日 (金) 07時24分)[13016]

世話人 > 作者は石田剛さんです (2018年04月20日 (金) 20時08分)[13038]
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16 花の下酸素ボンベの置かれいる 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時52分)[12807]
  孝子 洋子 オサム 直 千尋 加津子 (6点) 


月番 > 花見どきの露店で見かけるアレですね。アセチレン燈(今はもう存在しない?)と同様、何となく独特の風情ある景です。
(2018年04月13日 (金) 23時03分)[12851]

洋子 > 月番さまのコメントにアッと驚く〇〇〇〇〇!でした。私は、肺の病気かなにかで鼻から酸素を吸っている人がお花見がしたくて、酸素ボンベを引きながら行って、花の下でくつろいで桜をめでているところ、しか浮かびませんでした。お花見に行っても花以外は見てなかったんですね。
(2018年04月14日 (土) 10時06分)[12859]

千尋 > わたしも肺のための酸素ボンベだと思いました。露店のボンベは酸素ボンベではないのでは? (2018年04月14日 (土) 10時51分)[12866]

孝子 > 昔は酸素ボンベを引いて外に出ている人は少なかったと思われる。時代がよくなったと思われるが、このごろは杖をさしてるひと、人酸素ボンベの人。車椅子の人が沢山外に出られていい時代になったと思っている。うちもお嫁さんのお父さんが肺血栓で酸素ボンベを使っていて宮城で地震のときに停電で危なかったと聞いている。身近にそういう方が折られると本当に目がいくと思う。この句の中の肩はお花見にでてこられてよかったとやさしい気持ちになれた句です。ただ感情をいれないシンプルな書き方が読み手の想像力をかきたててうまいと思いました。 (2018年04月14日 (土) 11時17分)[12875]

孝子 > すみません修正がうまくできなくて、身近におられるです。句の中のかたです。 (2018年04月14日 (土) 11時22分)[12877]

月番 > 千尋さん、ご指摘どおり、あれはプロパンガスのボンベですものね。最初はご病気のかたのボンベと読んだのですが、違うかなぁ…、といろいろ考えた末、露天のボンベに行き着いたというわけ。浅知恵ですね。洋子さん、惑わせて申し訳ない!決して月番に騙されてはなりません。
(2018年04月15日 (日) 00時08分)[12889]

オサム > 特に意味はなく、桜の下にただ一本の酸素ボンベが在る景を思いました。シュールでもありながら、意外と桜と酸素ボンベの取り合わせは合っているような気がしました。 (2018年04月16日 (月) 01時39分)[12922]

> 酸素ボンベを使用されている方が、花見に行かれるか義姉(看護婦長)に聞きました。看護婦付でできるだけ
外の空気をすわせてあげたいと配慮しておりますと答えてくれました。今年も花見に行かれたそうです。 (2018年04月17日 (火) 12時13分)[12961]

榮一 > ぽっんと酸素ボンベがただ置けれてあればいただいていましたが。花の下がわざとらしく見えて敬遠しました。花の下より「さくらさくら」ぐらいでいいのではと思います。 (2018年04月20日 (金) 07時28分)[13017]

世話人 > 作者は松谷眞佐子さんです (2018年04月20日 (金) 20時10分)[13039]
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17 指切りの遠くに若葉風揺れし   投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時50分)[12806]
  杏花 オサム 淳子 主宰 (5点)


杏花 > 次男の子供が月一に我が家に、、
いつも帰りには約束・・たいていは欲しいものおねだりですが指切りの好きな小学2年生
句から今の季節を取り入れておられたのが素晴らしい素直な句ですね。 (2018年04月13日 (金) 10時25分)[12828]

月番 > お孫さんとの指切りはいかにもありそうですね。月番は少女小説を思い出したという「凡人」ぶりで、どうしようもありません。 (2018年04月13日 (金) 23時14分)[12852]

オサム > この指切りはずっと有効。若葉風という季語との連動で明るい未来を感じ、いただきました。《起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希》という句もふと思い出しました。 (2018年04月16日 (月) 01時53分)[12923]

榮一 > ノスタルジーの句ですね。作者の想いでいいのではとおもいました。常套的ですが。 (2018年04月20日 (金) 07時32分)[13018]

世話人 > 作者は新保吉章さんです (2018年04月20日 (金) 20時12分)[13040]
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18 春愁や薬の量が増えている 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時49分)[12805]
  剛 美鈴 紫翆 直  (4点)


孝子 > 月番さんの前にすみません。上五がやできれているのですが、下の句と同じ傾向でちょっと違う季語を探したほうがいいのではと思いました。 (2018年04月14日 (土) 11時42分)[12879]

月番 > 春愁が薬の量が増えたことの原因になってるというか、原因・結果の関係性は気になります。孝子さんのかかれているのも、そういうことかと思います。 (2018年04月15日 (日) 17時04分)[12905]

紫翠 > 上五に工夫の余地がありそうですが、内容的には深いものがあるように思います。 (2018年04月16日 (月) 11時14分)[12936]

> 私の年代で薬のお世話にならない人は余りいなのではないか。自慢するのではないが、もうかれこれ10年も薬を飲み続けている身としては同情に耐えない。どんな薬かは解らないが、量を増やされたと思える。何時の間にか(知らない間)投薬された薬が増えていた意外性のような面白さもある。考えすぎだが「愁」とは「うれい」であり人間的である。何かに訴えるには、丁度手頃な季語のように思えるのだが。 (2018年04月17日 (火) 13時55分)[12963]

> 剛様の言われるとうりだと思います。薬では、ないと思いますが最近ビタミン剤を増やしました。毎年4月に人間ドツグにいきます。今年は4月23日に行きます。 (2018年04月17日 (火) 16時43分)[12974]

杏花 > 茶道先生91歳にて引退されましたが薬ではなく食事にて日々健康に気を付けておられました
私もみならっています。 (2018年04月19日 (木) 10時54分)[12995]

榮一 > 春愁も意味の世界になっているようです。 (2018年04月20日 (金) 07時33分)[13019]

世話人 > 作者は渡利寿美さんです (2018年04月20日 (金) 20時14分)[13041]
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19 初蝶を追ふ初孫のベビー靴       投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時46分)[12804]
  吉章 孝子 淳子  (3点)


孝子 > 月番さんの前にすみません。初孫をもたれた作者さんおめでとうございます。なにをみてもかわいいでしょうね、初蝶をお追ふよりも初蝶やできれをいれたほうが私自身はすきです、初蝶や孫の黄色いベビー靴とか、生意気にすみません。 (2018年04月14日 (土) 12時01分)[12881]

月番 > 初学の頃、えつぐ・まもる先生が「孫俳句なんて書くな。孫が可愛いのは自分だけで、他人は誰も感動してくれんよ」と言われたのが印象的でした。梟夢庵先生は七五三。どちらもそれで秀句を成すのは難しい、というわけです。私に孫はいないので、残念ながら実感はありません。あんたに言うのは酷やけど、孫ってほんとに可愛いよ、と友人が話してくれました。ベビー靴ってどれくらいまでの靴を云うのでしょうね。まだ歩けない赤ちゃんに履かせる靴は無論ベビー靴ですが…。そんな赤ん坊が蝶を追う筈もないし。孝子さんご指摘のとおり、「初蝶や…」の方が佳いですね。 (2018年04月15日 (日) 16時53分)[12902]

榮一 > 可愛い孫俳句ですね。 (2018年04月20日 (金) 07時39分)[13021]

世話人 > 作者は安田循子さんです (2018年04月20日 (金) 20時16分)[13042]
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20 春泥の跳ねたるままに始業式  投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時43分)[12803]
 眞佐子 洋子 美鈴 宜子 循子 鈴子 主宰 (8点)


循子 > 「…に」か「…の」か迷いつつ、頂きました。極く自然体の書き方で、好感の持てる作品と思いました。 (2018年04月15日 (日) 16時57分)[12903]

洋子 > 今はほとんどの道が舗装されていて、雨が降っても泥が跳ねるということはないと思いますが、子供の頃田舎ではほとんどが土の道で雨が降ったらどんなに丁寧に歩いてもズボンに泥がはねたものです。特に私は元気な子だったので人一倍泥をはねあげていました。いまの時代でもこんなことがあるのかなと少し不思議に思いましたが、昔の生活がよみがえってきて、懐かしくいただきました。 (2018年04月15日 (日) 17時29分)[12907]

月番 > 昔は泥跳ねを始終気にしながら歩きました。ストッキングのみならずスカートやズボンまで跳ねて、足癖が悪いとか言われたりしました。 (2018年04月15日 (日) 21時57分)[12919]

宜子 > 「春泥の跳ね」で周りの景色がよく見えます。句会に参加し始めた頃に、ある先輩が「俳句は書かれていることより書かれていないことのほうが多く見える句が良い句です」と教えていただいたのを覚えています。掲句も、春泥の跳ねだけで学校の周りの様子を描くことができました。 (2018年04月16日 (月) 05時06分)[12930]

眞佐子 > 私は田舎に住んでいますので、脇道に入るとすぐ泥跳ねです。元気のいい男の子なんかは、背中まで泥跳ねが飛びます。始業式も何のそのです。掲句の様子がよく見えます。 (2018年04月16日 (月) 22時20分)[12950]

鈴子 > 元気の良い小学生のそのままが見えて来ます。新入生の緊張した面持ちとは別に、在学生の男児の勢いのようなものが感じられます。 (2018年04月18日 (水) 15時59分)[12982]

杏花 > 通学路がアスファルト舗装になる昨今このような情景は見られなくなりましたね自分の子供の頃思い出します。 (2018年04月19日 (木) 08時00分)[12988]

榮一 > なかなか起きられないのが春ですね。寝坊の小学生が良く見えてきます。「の」がいいですね。 (2018年04月20日 (金) 07時37分)[13020]

世話人 > 作者は鈴木美保子さんです (2018年04月20日 (金) 20時19分)[13043]
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21 チューリップ昇降口の変わる朝  投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時42分)[12802]
  吉章 紫翆 保子 美保子  (4点) 


月番 > どういう状況か、月番には掴めませんでした。どなたでも教えて頂きたいのですが。 (2018年04月15日 (日) 17時00分)[12904]

オサム > 『4月1日をもって、社史編纂室から営業企画室への異動を命ずる。』そんな辞令が出て、今日からはビルのエレベーターの昇降口が地下1階から、地上25階に変わる。そんな朝、会社へ向かう道すがら見かけた色とりどりのチューリップ。今日からますます仕事に精を出すぞ!という状況でしょうか。(昔、植木等の映画でそんな感じのやつがありました…) (2018年04月16日 (月) 02時44分)[12926]

紫翠 > 和風の趣のない「チューリップ」がよく効いているように思いました。 (2018年04月16日 (月) 11時20分)[12937]

保子 > 「昇降口」は生徒たちの玄関。入学式で「チューリップ」の花が沢山置いてあります。「変わる」がいつもの「昇降口」と変わって見えたのか?「詩」よりも「理」で頂いた感じです。 (2018年04月17日 (火) 01時55分)[12954]

美保子 > オサム様の書き込みの様に会社の新年度なのか、保子様の書き込みの様に学校の新学期なのか、学校ならば、新しい中学、高校、大学に通い始める時は駅でも新しい昇降口を利用することでしょう。今までと違う所に向かう時に目にしたチューリップは新しい生活を祝ってくれているのではないでしょうか。 (2018年04月17日 (火) 11時24分)[12959]

月番 > 皆さま、有難うございます。鈍い月番にもよくわかってきました。興味深く掲句を再読させていただきました。 (2018年04月17日 (火) 16時15分)[12972]

洋子 > 先週、3才の孫の入園式があったせいか、幼稚園の子供のことを思いました。3才児はらせん状の歩道を、年中、年長さんになったら別の入り口の階段を、みたいに分かれていて、進級すると昇降口が変わるので、子供なりの自覚をもって新しい朝を迎える、というのはどうでしょう。チューリップもぴったりとおさまるようで・・・。この頃孫俳句づいています。 (2018年04月17日 (火) 20時33分)[12975]

杏花 > 洋子様の心境在りし日の私
一番楽しい時期ねおかげ様にて楽しい日々
想うこの頃です。 (2018年04月19日 (木) 10時29分)[12994]

榮一 > 昇降口は特に学校で上履きに履き替える場所とあります。進級すれば教室も変わり入り口も変わると言うことなのでしょう。エレベーターを思えばチュウリップはどうかと思います。 (2018年04月20日 (金) 07時46分)[13022]

世話人 > 石田加津子さんです (2018年04月20日 (金) 20時21分)[13044]
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22 凹凸の都会の空や春霞  投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時40分)[12801]
 進二 眞佐子 剛 杏花 美鈴 紫翆 オサム 宜子 千尋 保子 (10点)


千尋 > 東京に来ています。今日は休みをもらって神宮外苑に行って来ました。誠に凸凹の空でありました。ぼんやりしたお天気と思いましたが、霞だったのかもしれません。
(2018年04月15日 (日) 16時03分)[12898]

月番 > 高点句です。都会の空はみな凸凹ですね。神戸だってそうですよ、千尋さん。霞は都会も田舎も同じなんですね。 (2018年04月15日 (日) 17時10分)[12906]

千尋 > 神戸というか舞子の霞はすごいです。短い間ですが10メートル先が見えなくなります。汽笛がボーボー鳴ってちょっとミステリアスで、ロマンチックです。で、神戸って田舎だなぁと思うわけです。あ、舞子か。 (2018年04月15日 (日) 21時17分)[12913]

オサム > 私は昔、東京の新宿区に住み、渋谷や池袋で働いていたことがあるので、掲句の都会のビル街の凸凹感よくわかります。そして、春霞でぼんやりとしかビル街や空が見えない状況だからこそ、作者様は、よりはっきりと凸凹を感じたのかもしれません。都会に暮らす人間の寂寞を感じさせる一句でした。 (2018年04月16日 (月) 02時08分)[12924]

宜子 > まさに、都会の空は凸凹と思いました!ビルが凸凹なのは当たり前、逆に空の青さを凸凹とすることで一瞬、都会の狭さ息苦しさを感じました。智恵子抄「東京には空がない」とも通じそうです。 (2018年04月16日 (月) 05時12分)[12931]

紫翠 > 新鮮味に欠ける作品ですが、下五で新鮮味のある作品に変化できるように思いました。 (2018年04月16日 (月) 11時26分)[12938]

眞佐子 > ビルの凹凸ではなく、凹凸の空とされたところに惹かれました。春霞も良かったです。 (2018年04月16日 (月) 21時29分)[12944]

保子 > 真上を見上げれば「空」は空だと思いますが、裾にきてその空の個性が出るのかなと思いました。 (2018年04月17日 (火) 02時04分)[12955]

> 狭い日本は、海を埋め立て山を削りながら、地の下や空へと、居住して生きる場所を求めた。人間の知恵は計り知れない。必ずしも東京や大阪とは言っていないと思うが、大都会の変わりようは目を瞠るばかりである。富山でさえ中心部は凹凸の空が感じられる。地震などの驚異にも曝されているが、自然はほぼ季節通りに訪れる。それぞれの時代に生きた人たちの春霞の感慨は色々あると思う。作者にとって高層ビルが切り立つ空に、春の霞が立ち込める異様とも云うような世界なのかも知れない。オサム氏と住んだ時代がたぶん違うのだろうが、オサム氏や山内さんの書かれた通りである。 (2018年04月17日 (火) 11時51分)[12960]

月番 > 都会の空と言えば、福永耕二の≪新宿ははるかなる墓碑鳥渡る≫を思い浮かべます。季節は違いますが、ベクトルは同じという気がしています。 (2018年04月18日 (水) 10時51分)[12980]

作者 > 月番さま、私も福永耕二のこの句が好きで、掲句も新宿の空をイメージしたものでした。「新宿の空」にしたらすぐにこの句が出てきますので、書けませんでした。どんなに考えても福永耕司の句は越えられないと思っています。 (2018年04月18日 (水) 11時09分)[12981]

月番 > 福永耕二を超えるのは難しいことかも知れませんが、この定例句会で10人という多数の共感を得られました。これは素晴らしいことと思います。 (2018年04月19日 (木) 09時29分)[12990]

杏花 > 東京の嫁が神戸の空は美しい時々1人でやってきます
この句は東京?
サッカー観戦の帰りハーバーランドから見る神戸の空は美しいです。 (2018年04月19日 (木) 09時45分)[12993]

進 二 >  凹凸とされたところがいいですね。読み手から見ると凸凹とは違いますのでね。西新宿の高層ビルの立ち並ぶ空は「凹凸」の方がピンときますのでね。季語も黄砂でなくって、ほっと致します。オサムさんも新宿でしたか。私も18年間御苑前のマンションに住んでいましたので、擦れ違っていたかも知れませんね。 (2018年04月19日 (木) 16時47分)[13001]

榮一 > 高層ビルが立ち並ぶ東京が思われます。智恵子は東京に空が無いと言い、福永耕二は墓碑と言う。作者にとってはどちらも凸凹に見えたのですね。 (2018年04月20日 (金) 07時54分)[13023]

世話人 > 作者は森内洋子さんです (2018年04月20日 (金) 20時23分)[13045]
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四月定例句会 投稿者:世話人 (2018年04月12日 (木) 20時37分)[12800]

 鋭意準備中 \(^o^)/

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三月定例句会 投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時51分)[12635]
句会の皆様
 全国大会作品募集、皆様のご協力のおかげで一部、二部合わせて2198句の応募をいただきました。有難うございました。心より御礼申し上げます。また、大会開催のご案内を差し上げております。以前に横浜で開催致しました時と同じホテルです。是非、今年もお出かけくださいますよう、お待ちしております。
それでは、金子兜太氏追悼句20句の選句が揃いました。残念ながら月番をお願いしておりました若林千尋さんが都合により、今月ご欠席です。急遽、安田循子さんに交代をお願いしましたところ、お引き受けいただけることになりました。循子さん、お忙しいところ恐れ入りますが、一週間よろしくお願い申し上げます。宜子

     句  会  3月19日(月)まで
     作者発表  3月20日(火)


循子 > ひょんなことから(?)月番を務めさせて頂くことになりました。無責任なことで恐縮ながら、私は金子兜太という巨人については、常識程度のこと以上に知識も理解力も持ち合わせません。皆さまの助けを頂きながら、なんとかお役目を果たしたいと思っております。どうぞ忌憚のないご意見、ご感想をお寄せ頂き、今月の句会を楽しいものにして頂きますようお願いいたします。 (2018年03月12日 (月) 23時19分)[12637]

紫翠 > 3月1日に兜太先生の通夜に参列してきました。(数日後に交通事故で入院して選句を失礼しました。現在は退院して元気です。) (2018年03月14日 (水) 15時05分)[12673]

月番 > 交通事故に遭われたとか、大変なことでした。ご本復の早いこと、願っております。お大事になさいますよう。 (2018年03月14日 (水) 21時25分)[12675]

進 二 >  昨日、ある日刊紙の俳壇欄に常任選者で兜太氏と親交のあった黒田杏子さんが、兜太氏への悼句で選した12句が掲載されていました。その内「鮫と梅の2文字が入っていたのが一句、「梅」だけが入っていたのが一句。他の十句には、それらの文字が使われておりませんでした。タイミング良く同じテーマでの投句・選句でしたので興味深く読ませて頂きました。概ね句会も終了に近付いていますので、情報の一つとしてご報告まで。 (2018年03月18日 (日) 11時38分)[12741]

月番 > 進二さんが書かれた通り、この句会も終盤に入りました。まだ書き込みをなさっていない方、熱心にお書き頂いたかたがた、悔いのないように、どうぞ充分なコメントをお寄せ下さいますように。 (2018年03月18日 (日) 20時31分)[12747]

月番 > 進二さん、情報を入れて頂き、有り難うございました。 (2018年03月18日 (日) 20時34分)[12748]

世話人 > 期日が来ましたので、ただいま作者を発表しました。
 主宰先生、全句へコメントをいただき、有難うございました。
今月の追悼句、案内を差し上げてから4日ほどでの作句となりましたが、20名の方からの投句、本当に有難うございました。追悼句とはどのように詠み、投句された作品をどのように読むのか、今回はとてもたくさん学ばせていただきました。句会の醍醐味とはこのようなものかと心深く感じております。句会間際になって月番をお願いしました循子さんに助けられるところも大でした。感謝申し上げます。
皆様、世話人の無茶なお願いにお付き合いいただき、本当に有難う御座いました。 (2018年03月20日 (火) 21時12分)[12798]

循子 > 至らない月番にご協力頂き、皆さま有難うございました。 (2018年03月20日 (火) 22時32分)[12799]
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1 庭中の鮫の瞑目梅真白   投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時43分)[12634]
  循子 オサム 眞佐子 進二 美保子 宜子 淳子 (7点)


月番 > <梅咲いて庭中に青鮫が来ている>
やはりこの句がもっとも印象的なのでしょうか、追悼句として今月はこれをベースに詠まれた作品が多いようです。掲句にも7点が入りました。ご意見をどうぞ。 (2018年03月12日 (月) 23時51分)[12638]

美保子 > 月番様が書いて下さった句が代表句のように色々な場面で取り上げられてきていると思います。鮫の瞑目そして梅真白 で追悼の句にふさわしい句だと思いました。 (2018年03月13日 (火) 22時04分)[12657]

月番 > 美保子さん、さっそく出て頂いて有難うございます。ほっとしています(笑) (2018年03月14日 (水) 11時55分)[12669]

循子 > 瞑目という言葉が活きたのでしょうか、こころが鎮もるような追悼句と感じました。美保子さんと同様の思い。 (2018年03月14日 (水) 12時07分)[12670]

オサム > 原作品の続編であり、クライマックスであるような感じ。 (2018年03月14日 (水) 22時12分)[12679]

宜子 > 庭中の鮫が瞑目しているという場面には、静謐な迫力がありました。兜太劇場のラストシーンを思いました。 (2018年03月17日 (土) 16時27分)[12727]

眞佐子 > 庭中の鮫の瞑目は追悼の句にふさわしいと思いました。 (2018年03月17日 (土) 20時20分)[12733]

月番 > 皆さまのご意見に同感です。 (2018年03月18日 (日) 11時29分)[12739]

進 二 >  皆さん、おっしゃるように「鮫の瞑目」が効いていると思いました。一句目ということで分かり易く。 (2018年03月18日 (日) 11時46分)[12743]

榮一 > 追悼句は本人と分かりやすいのが良いようです。 (2018年03月20日 (火) 01時46分)[12758]

世話人 > 作者は森内洋子さんです (2018年03月20日 (火) 20時23分)[12778]
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2 鳥雲に兜太の御霊戦場に        投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時41分)[12633]

 洋子 直 杏花 吉章 淳子 (5点)


月番 > 1944年、主計中尉としてミクロネシア・トラック島へ赴任。同島にて終戦。「無数の犠牲者、飢餓者を出した呵責の念が根底にあった…」と高野ムツオ氏は2月26日付毎日新聞夕刊に寄せた追悼文に記しています。採られたかたはこの追悼句に季語を含めて、どんな感想を持たれたでしょうか? (2018年03月13日 (火) 11時07分)[12639]

洋子 > 「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」この句は私の心に一番残る句です。月番さまが書かれているように、トラック島で壊滅的な敗戦を迎え、島を去るときの句です。その後の兜太氏の人生の根幹にあったのはこのトラック島での敗戦あり、ここから戦後の生き方を探っていかれたことと思います。渡り鳥は春になると雲のかなたの故郷に帰っていきますが、それと同じように、兜太氏の魂は戦場であったトラック島に還っていったのでしょう。私たちが兜太氏の死を悼むように兜太氏の魂は戦死者餓死者の鎮魂に捧げられていることと思います。 (2018年03月14日 (水) 09時25分)[12664]

月番 > 洋子さん、「心に一番残る句」は同感です。丁寧なコメントを頂き、月番も丁寧に繰り返し読ませて頂きました。有難うございます。 (2018年03月14日 (水) 12時14分)[12671]

> 追悼句を提出するのは、始めてです。死者を偲んで作るので、つきすぎは、関係なし、と先輩にいわれました。特に戦場に、惹かれました。 (2018年03月18日 (日) 14時32分)[12745]

榮一 > 兜太が常に意識していたであろう戦友が眠るトラック島に還っていったのでしょう。追悼句は人生でもありそうです。 (2018年03月20日 (火) 01時54分)[12759]

世話人 > 作者は佐藤美鈴さんです (2018年03月20日 (火) 20時24分)[12779]
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3 青鮫の背に梅花散る兜太の忌  投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時40分)[12632]

 孝子 (1点)


月番 > 悼む思いの伝わる句と思いますが、孝子さんの独選となりました。採られなかったかたのコメントも是非お願いいたします。 (2018年03月13日 (火) 11時10分)[12640]

オサム > 今回、追悼句を詠むという課題を頂き、その難しさを感じております。掲句は、兜太の青鮫の句を下敷きに、梅花を鮫の背に散らすという巧みな表現により追悼の意が伝わってくる素晴らしい句だと思うんです。ただ、変な言い方になるんですが、追悼追悼し過ぎていて、寂しいでしょっ!というよくわかり過ぎる情感が前面に出過ぎている気もするのです。それが追悼句じゃないか!と言われればそうなんですが…。ああ、いい追悼句とは何なのだろう?というのが実感なのです。 (2018年03月16日 (金) 01時21分)[12700]

孝子 > オサムさんのいわれるとおり本当に作句も選句もむづかしかったです。98歳の、しかも戦中戦後仕事も俳句も一筋縄ではいかない人生。五七五になんてとうていむりです。皆様すごいと思いました・1番の句とこの句どちらにしようかとおもいました。1番の句はうまいと思いました。言葉悪くてすみません。上手、ということです。でも私にはこの句のほうに作者の素直な哀悼の心をかんじたのです。 (2018年03月16日 (金) 18時30分)[12707]

月番 > 月番の願い通りに両方のご意見頂きました。追悼句というのは、詠み手の思いが自ずから出てくるものであり、それは追悼の対象である人物と悼む側の距離によって様々な違いが生まれると思う。追悼句ほど難しいものはないと常々考えています。また軽々しく追悼句を書くべきではないとも思って来ました。無理に作れば、空々しいものになりかねないし、また悼む相手への思いは、秘めておきたいばあいがあるかもしれません。追悼句というものに向き合い、考える機会を与えて頂いたという意味で、今月の世話人様が出して下さったテーマは意義があったと思います。 (2018年03月16日 (金) 21時16分)[12712]

宜子 > 循子さんのお言葉、「追悼句」をとお願いした世話人として、どれほど励まされたことでしょう。有難うございます。 (2018年03月17日 (土) 16時47分)[12728]

榮一 > 追悼句もつかず離れずがよさそうです。 (2018年03月20日 (火) 01時58分)[12760]

世話人 > 作者は渡辺淳子さんです (2018年03月20日 (火) 20時26分)[12780]
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4 今はしも水脈の果てなれ荒凡夫 投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時36分)[12631]

 循子 洋子 オサム 宜子 美鈴  (5点) 


月番 > 『少年』(昭和30年)に収められた「トラック島にて」の三句のひとつ。それが底辺にあるようです。掲句はなかなか凝った難しい表現法です。どなたか読み解いて頂ければ、と思います。生涯、荒凡夫と自認していたのはよく知られています。 (2018年03月13日 (火) 11時38分)[12641]

洋子 > 2番の句にも書きましたが、兜太氏の魂は今こそ水脈の果てのトラック島に還っていったということと思います。文法的には難しいですが、「果てなれ」の「なれ」は「なり」は已然形で係り結びになっています。が係り結びになるのは、ぞ、なむ、とかの語が一般的で、この場合、連体形で結び、已然形で結ぶのは「こそ」の時だけです。「しも」は調べますと「係り結び」と書かれていますがその場合の例文としては連体形で結んでいるようです。ということで、ここまでしかわかりませんでしたが、私は勝手に強調の「しも」を使った句として文法にはこだわらずに読みました。兜太氏の魂は今こそ原点であるトラック島に還っていかれたのだ、そして安らいでおられるのだと思っておられるのだと思います。追悼の思いが強く伝わってきました。 (2018年03月14日 (水) 09時52分)[12665]

美鈴 > 生きている間片時も脳裏を離れなかった戦友たち、今こそ戦友に会いに飛び立たれたであろう兜太氏、荒凡夫という表現も素晴らしいと胸を打たれました。 (2018年03月14日 (水) 11時07分)[12668]

月番 > 洋子さん、美鈴さん、有難うございます。文法は難しいですね。結局あまりこだわらずにスッと読み下すのが正解かも。美鈴さんが書かれたように、ここは荒凡夫がよく納まりました。 (2018年03月14日 (水) 12時49分)[12672]

オサム > もしも「金子兜太」という一冊のぶ厚い小説があったとしたら、その末尾はこう結ばれていたであろう。『今、トラック島に新たな墓碑がひとつ加わった。その墓碑には「荒凡夫」と記されていたのであった…』 (2018年03月14日 (水) 22時53分)[12682]

洋子 > オサムさん、すばらしいアイディアですね。このアイディアを関係者の方が知ったら本当にトラック島に「荒凡夫」という碑が建つかもしれませんね。 (2018年03月15日 (木) 09時33分)[12685]

宜子 > 限られた時間の中で、このような句ができることに驚いています。作者さんの日頃の研鑽が思われます。 (2018年03月17日 (土) 16時51分)[12729]

榮一 > しもは強意と言うより限定して示す意を表す。少なくとも「今」だけはの意味ではないかと思したがあっているかどうかはよく分かりません。荒凡夫をうまく使っています。 (2018年03月20日 (火) 02時35分)[12761]

世話人 > 作者は樋口進二さんです (2018年03月20日 (火) 20時27分)[12781]
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5 反戦と青鮫の庭梅の花  投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時34分)[12630]

 義之  (1点)


月番 > 生涯、反戦を声高に唱え表現し、体現したひとのようです。高野ムツオ氏は前出の文中に「反戦は自らの存在意義ともいえる確たるテーゼだった」と述べています。反戦と青鮫の庭、とありますが、この並列は庭に対してどう働いているでしょうか。 (2018年03月13日 (火) 11時55分)[12642]

義之 > 初めて兜太の「青鮫」の句に接したとき、意味は分からぬが面白いと思いました。素朴な疑問は、鮫はどちらかというと灰色なのに、なぜ青鮫なのか? 青鮫から導き出させる、映像は、米軍のグラマン戦闘機の機首に描かれた、鮫の絵柄と、そのパイロットが撃墜した日本軍の戦闘機の数を誇示する星の数です。機体に描かれた鮫の体色は青で、誇張された鮫の歯と眼が、強烈な存在感を示しています。ところで、兜太自身の「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」に関する解説は、私が感じた、このようなことは一切述べていないようです。ネットからの引用ですが、「庭全体が、朝なんか特に青さめているんです。海の底みたいな感じ。青っぽい空気ですね。こう春の気が立ち込めているというか。要するに、春のいのちが訪れたというか、そんな感じになるんですね。それで朝起きてヒョイと見てね、青鮫が泳いでいる、というような感覚を持ったんですよ。それですぐできた句なんですけどね。私の場合だと、見たままを、そのまま丁寧に書くということよりも、それを見ることによって感じたもの、その感じたものからいろんなことを想像して書く、というふうなことがほとんどなんですね。想像の中にうそが入ったり、ほんとが入ったりしていい加減なんですけどね。それが自分では面白いんで」とあります。俳句は、カメラのシャッターをカシャと押すように、直感した一瞬の事実を、切り取りたった17文字に纏め、その作品を発表するにあたって、句の鑑賞の全てを、読者に託す。兜太は読者に、青鮫を米軍のメタファーと論じてはいないようだけれど、私には、太平洋戦争を背景に、反戦の句として詠んだ、確信犯としか思えないのです。 (2018年03月15日 (木) 19時10分)[12687]

月番 > 詳しく書いて下さったので、興味深く読ませて頂きました。グラマン戦闘機の名前は子供の時から零戦の敵として知っていましたが、実態は何も知りませんでした。まして青鮫を米軍のメタファーなどと、思い付きもしなかった。私は俳句をやり始めて間もなくアンソロジーで青鮫の句を読み、この句のどこが名句なのやら、さっぱり解りませんでした。後年何となくわかるかなぁと思ったのも随分経ってからのように思う。一瞬で解ると感じる句、いつまで経ってもわからぬ句。それでも惹かれる不思議さもあり。俳句というぎりぎりの短詩の魅力かなぁと、思っています。 (2018年03月15日 (木) 21時38分)[12691]

孝子 > 私はこの句がわかりませんでした。義之さんと月番さんの評をよんであらためて俳句の深さ面白さに目覚めた気がします。勉強になります。ありがとうございました。 (2018年03月16日 (金) 18時40分)[12708]

孝子 > 言葉が足りませんでした。この句とは兜太氏の句のことです。 (2018年03月16日 (金) 18時43分)[12709]

世話人 > 作者は主宰先生です (2018年03月20日 (火) 20時28分)[12782]
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6 梅咲くを待ちて秩父の巨臍果つ 投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時33分)[12629]

 加津子 洋子 オサム 美鈴 剛 鈴子 進二 主宰 (9点)


月番 > 故郷・秩父の風土も荒凡夫・兜太氏の存在の根源であるようです。どなたからでもどうぞ。 (2018年03月13日 (火) 13時49分)[12643]

洋子 > [巨星」というところを「巨臍」だなんてなんと素晴らしい発想でしょう「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」が下敷きにあると思います。兜太氏はまさに秩父の荒凡夫」なのですね。 (2018年03月14日 (水) 10時00分)[12666]

オサム > 本当に素晴らしい発想ですね。こんな素晴らしい句に、あえて不満を言うなら、(咲く)(待つ)(果つ)と一句に動詞が三つあること。個人的には(梅咲くや秩父盆地に巨臍果つ)ぐらいでも良かったような… (2018年03月14日 (水) 23時19分)[12683]

孝子 > オサムさんの推敲に1票です。 (2018年03月16日 (金) 18時47分)[12710]

加津子 > 巨臍という表現が骨太の兜太にぴったりと思いました。秩父は、雁坂峠を越えると山梨に絹の道をたどると横浜に行きつきます。秩父という地名が私には、海に通じるように感じます。皆様の書き込みに日ごろの勉強不足を痛烈に感じました。刺激をもらいました。皆様ありがとうございます。 (2018年03月17日 (土) 07時56分)[12717]

> 名前を云わないで、兜太さんと思わせる巧みがある。兜太さんは大きな臍の持ち主だった…に妙に合点している。「巨臍」は、この句の作者の想像の賜物で有ったとしても、大変に面白い。オサム氏通り動詞が3個あるが、この句はどの動詞も切りにくい感じが私にはあった。身体のほぼ中心にある臍は、母親と繋がっていた証しであり、名残りの臍である。日本の国土の臍と自称する土地は何処其処に有るらしいが、この句の臍は俳句の世界ではの意味だろう、それも巨であり中心と理解すれば良いのだろう。兜太さんの死は予期された死では無かったらしいが。ほぼ自分の歌の通りに死んだ西行の「願わくば花の下にて春死なん」が裏側に見えるような気がした。 (2018年03月17日 (土) 16時19分)[12725]

進 二 >  「梅咲いて」に加え「秩父の子」も折り込み、且つ「巨臍」の表現を使うことで、自然体の一茶が自称自称していたと言われ、兜太氏自らも後半生に使うことのあった「荒凡夫」と言う言葉まで、滲ませている。読み応えのある句に纏められたなと思いました。いいですね。 (2018年03月17日 (土) 16時20分)[12726]

鈴子 > 「巨星」を「巨臍」に変換?するなんて面白い表現と思いました。そして、作者の方は兜太氏をよく御存じなのかも知れないと想像しております。「巨幣果つ」に寂しさが深まるようです。 (2018年03月19日 (月) 16時19分)[12751]

鈴子 > すみません、今気がつきました。「巨幣果つ」は「巨臍」の書き違いです。失礼しました。 (2018年03月19日 (月) 22時28分)[12756]

榮一 > 秩父の子供が大きくなって巨臍は言いえて妙です。いかにも故人を彷彿とさせる追悼句です。 (2018年03月20日 (火) 02時44分)[12762]

世話人 > 作者は安田循子さんです。今月の最高点を得られましたので、引き続き来月の月番をお願いします (2018年03月20日 (火) 20時30分)[12783]
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7 梅咲いて口中青きことば満つ     投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時29分)[12628]

 義之 眞佐子 宜子 淳子 主宰  (6点)


月番 > 青鮫の句からの連想かと思いますが、月番は「青きことば」の確たるイメージを結ぶところへ行き着けませんでした。不穏な、あるいは不安なものを含む言葉ということでしょうか?義之さん、どう捉えられました? (2018年03月13日 (火) 13時55分)[12644]

義之 > 「青きことば」は浅薄なイメージという事でしょう。反戦だ、平和だと、声高に叫ぶ若造を、慈悲深く見守る兜太の姿が浮かびます。叫ぶ人、思慮する人、見守る人、泣く人、書く人、それぞれに意味があるのです。「青きことば」は「青鮫」とかけているのでしょうか。 (2018年03月15日 (木) 19時22分)[12688]

月番 > 他のかたのご意見もお待ちしています。 (2018年03月15日 (木) 21時41分)[12692]

宜子 > 「青きことば」は、口中にあるのでまだ、発声されていないと読みました。大きな「ことば」を聞けないでいる無念さが感じられました。願わくば、発せられていない「青きことば」を、後を行くものが継ぐことができたらと。 (2018年03月17日 (土) 17時04分)[12730]

眞佐子 > 「青きことば」は青鮫の句からの連想と思いました。 (2018年03月17日 (土) 20時40分)[12734]

月番 > 「青きことば」にそれぞれ読み手の解釈があって、興味深い。 (2018年03月18日 (日) 11時33分)[12740]

榮一 > 下敷きにあるのは青鮫の句ですが追悼句を離れれば兜太のこととは言い切れないようです。青きことばはこれも兜太の一面のように感じさせました。 (2018年03月20日 (火) 02時49分)[12763]

世話人 > 作者は木村オサムさんです (2018年03月20日 (火) 20時31分)[12784]
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8 自詩で創れ兜太師訃報春悲し    投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時27分)[12627]

  保子  (1点)


月番 > まず、三段切れっぽいところが月番は気になりました。春悲し、はどうでしょうか。採れなかった理由もコメントしていただければ、作り手にとっては参考になりますので、よろしく。 (2018年03月13日 (火) 14時02分)[12645]

保子 > 「自詩で創れ」に惹かれて頂きました。兜太氏の言われた言葉なのでしょうか。自分の言葉で作句しなさいよ、「創」なのですべての創作活動に繋がる言葉と思います。もっと深く知りたいと思いました。「春悲し」生の季語と感情語はよろしくないと思います。「兜太師訃報」でその思いは充分伝わっていますので。 (2018年03月15日 (木) 23時55分)[12697]

月番 > 兜太師の「師」によって、掲句の作者のかたと俳人金子兜太の距離感が見えると感じましたが、どうなんでしょうか。保子さんが書かれてるように、「兜太師訃報」で充分伝わるので、「春悲し」は気になるところです。しかしそう書かざるを得ないほどの思いがあったかとも思えて、ああやっぱり追悼句は難しい! (2018年03月16日 (金) 21時30分)[12713]

洋子 > 保子さまのおっしゃるように、私も「自詩で創れ」というフレーズが心に残りました。作者様の言葉でしょうか、兜太氏の言葉でしょうか、それとも誰か他の人の言葉とか・・・?教えていただけたら嬉しいです。 (2018年03月19日 (月) 13時19分)[12750]

作者 > 自詩で創れは兜太先生の本から、引用しました。保子様洋子様ありがとうございました。 (2018年03月19日 (月) 18時21分)[12752]

洋子 > 作者様、ご親切にありがとうございました。兜太氏の言葉として、じっくり味わってみたいと思います。 (2018年03月19日 (月) 19時46分)[12753]

月番 > 「自詩で作れ」という兜太氏の言葉は知りませんでした。不勉強な月番で恥ずかしいです。「もっと深く知りたい」と書かれた保子さんのためにも、ご迷惑でなければ、その本のタイトルをお教え頂くと有難いのですが。
(2018年03月19日 (月) 21時18分)[12754]

榮一 > 結論的に悲しは言わないほうがよさそうです。 (2018年03月20日 (火) 02時58分)[12764]

世話人 > 作者は村上直さんです (2018年03月20日 (火) 20時33分)[12785]
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9 諳んじる兜太の御句や春満月 投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時26分)[12626]

 加津子 孝子 保子 美保子 (4点)


月番 > 私事ですが、最近は諳んじることが難しくなりました。昔スラスラと口をついて出た名句の数々さえ断片的にしか出て来ない。これは羨ましい景。春満月にはどんな思いが込められているのでしょう。 (2018年03月13日 (火) 14時15分)[12646]

加津子 > 春満月の季語でいただきました。一晩中地球を照らしている3月2日の満月は大きくて兜太と重なりました。それが太陽が上がるころ、雪の富士を紅に染めその頂上に白い満月が沈みました。呆けた犬のおかげで、朝のパールムーンを見ることが出来ました。ちなみに次の満月は、3月31日です。 (2018年03月13日 (火) 23時21分)[12661]

月番 > 春満月の大きさと金子兜太という巨大な俳人が加津子さんの中で重なったのは分かる気がします。 (2018年03月14日 (水) 21時34分)[12676]

保子 > 「暗んじる兜太の御句」を持つ作者。春満月の下でご冥福をお祈りしながら、静かな時を過ごしておられるのでしょうか。 (2018年03月16日 (金) 00時21分)[12698]

美保子 > 俳句を作る人に限らず、自分の句を諳んじるほどに、好きでいてくれたら、それはもう、俳人としての生涯を生きた人に限らず、どれほど、幸せなことだろうと思うのです。まして、季語が春満月であれば、兜太先生のお顔や亡くなられた時期、豊かな人生であったろうと色々な事が浮かんで来ます。 (2018年03月16日 (金) 11時38分)[12705]

孝子 > 春満月の季語が追悼の句にぴったりと思いました。パソコンがちょうしわるくてみな消えてしまいつかれたのでこれまでにします。 (2018年03月16日 (金) 19時08分)[12711]

月番 > ほんとパソコンって怖いですね、孝子さん。一瞬にして半日の作業が無に帰したかと思うことがたあったりします。 (2018年03月18日 (日) 11時44分)[12742]

榮一 > 具象性が弱い気がします。 (2018年03月20日 (火) 03時00分)[12765]

世話人 > 作者は太田鈴子さんです (2018年03月20日 (火) 20時34分)[12786]
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10 白梅の庭の広さや兜太無く      投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時24分)[12625]

 孝子 直 美鈴 進二 鈴子 杏花 吉章 (7点)


月番 > 共感されたかたが多い句です。「庭の広さや」とあり、ここがポイントかと思いますが。採られたかた、採らなかった方、どちらからでもどうぞ。 (2018年03月13日 (火) 14時22分)[12647]

オサム > 今まではいた兜太がいなくなったので、白梅の咲く庭が広く感じられた。現実としても、あるいは心理的にも。ちょっとそのロジックが一種の因果関係に感じられ、敬遠してしまいました。でも、よく考えると、追悼の思いを庭の広さに託すというのはいいですね。 (2018年03月16日 (金) 01時38分)[12701]

孝子 > 人が亡くなるということはこういう感覚だと思います。そして兜太氏ならこの句の世界がすぐ浮かぶと思います。追悼の句にぴったりと思いました。 (2018年03月17日 (土) 13時27分)[12718]

榮一 > 無くは中途半端な気がしました。 (2018年03月20日 (火) 03時01分)[12766]

世話人 > 作者は松谷眞佐子さんです (2018年03月20日 (火) 20時35分)[12787]
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11 モノクロの兜太連れ去る涅槃西風   投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時23分)[12624]

 洋子 オサム 美鈴 宜子 美保子  (5点)


月番 > 初五「モノクロの」は兜太に掛りますか、それとも涅槃西風に? (2018年03月13日 (火) 14時24分)[12648]

洋子 > 「モノクロの兜太」というのは「死んだ兜太」と読みました。ちょうど涅槃西の吹く頃だったんですね。全くの余談ですが、晩年、詳しくはいつ頃かわかりませんが兜太氏は句仇の稲畑汀子さんに「あの世にいったら一緒になろうか」なんておっしゃったんですって。笑ってしまいました。
(2018年03月14日 (水) 10時09分)[12667]

月番 > 或る年の新年号だったと思いますが、溲瓶の句ばかり出ていたことがあって、へぇ〜と思ったものですが、近年ある中学校の俳句教室へも溲瓶を携えて行き、生徒に触らせていたというような話を読みました。溲瓶も動物も植物もそして人間も兜太氏にとっては同列だったのかも。<長寿の母うんこのようにわれを産みぬ>こんな句もありますね。稲畑汀子さんとの対談は、どこかで読んだ記憶があります。愉快ですね。 (2018年03月14日 (水) 22時03分)[12677]

美鈴 > 洋子さんの解釈に賛成ですが、戦後も一貫して変わらぬ生き方を貫いたという解釈もできるかなと思いました。 (2018年03月16日 (金) 18時24分)[12706]

月番 > ああ、そういう読みもできそうですね。美鈴さん、有難うございます。 (2018年03月16日 (金) 21時35分)[12714]

美保子 > 何度も読み直してみたのですが、モノクロの はやはり、兜太にかかると思いました。ただ、美鈴さんの解釈もありえるのではと思い始めました。涅槃西風で追悼の心は詠まれていると思うので、モノクロのは情景がでてきてもいいのかなと思いました。モノクロの というのは美鈴さんの書かれたような、戦後を表すのか、昭和を表すのかそこの所は少しわからないのですが。 (2018年03月16日 (金) 21時59分)[12716]

孝子 > モノクロで昭和を象徴してると思いました。どこにかかるかといえば兜太でしょうとおもいます。季語に工夫が感じられました。 (2018年03月17日 (土) 13時31分)[12719]

榮一 > 涅槃西風は浄土からの迎えの風と言います。連れ去るはべったりかも。 (2018年03月20日 (火) 03時06分)[12767]

世話人 > 作者は石田剛さんです (2018年03月20日 (火) 20時37分)[12788]
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12 海の無い里に生まれる桑ほどく   投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時21分)[12623]

 義之 保子  (2点)


月番 > 故郷・秩父を念頭に間接的な追悼句かと思いますが、。 (2018年03月13日 (火) 15時01分)[12650]

義之 > 月番様の言われる通りかと思います。「桑ほどく」という初めて接した季語に新鮮味を覚えて頂きました。兜太を離れたとしても、絶滅季語的な要素も加わって、味わい深い作品と思いました。 (2018年03月15日 (木) 19時28分)[12689]

月番 > こどもの頃は他所の桑畑で桑の実を採って食べたものです。いまは桑畑を見ることもない。まさに桑解く、桑ほどくは絶滅危惧種に近い季語の気がします。「海の無い里に生まれる」と「桑ほどく」との繋がりが文脈からすると、曖昧というか、不自然な感じが気になるのですけど。 (2018年03月15日 (木) 22時05分)[12693]

保子 > 「桑ほどく」に惹かれて頂きました。実際にそれがどの様な状態なのか分かりませんが、違う視点からの追悼句と思いました。秩父銘仙という絹織物の産地でした。 (2018年03月16日 (金) 00時37分)[12699]

孝子 > 句会の楽しみの一つに私は知らないことを勉強できることと思います。いくつになっても学ぶこと、知らないことを知る喜びを感じます。この句の季語桑ほどくはじめてみて、歳時記でしらべてすばらしい季語だと知りました。しかし、現実にはなくなりつつある季語ともしりせめて歳時記のなかだけでも生き続けてほしいとねがいます。ひとつ学べてうれしかったです。 (2018年03月17日 (土) 13時40分)[12720]

月番 > おっしゃる通りです。学べるという機会がどれほど貴重か、年を重ねるほど強く感じます。 (2018年03月18日 (日) 11時26分)[12738]

鈴子 > 私は選をしておりませんが、「桑ほどく」は桑の木の根元から少し上の部分を広がらないように荒縄で縛っていたように思います。母が蚕を飼っていた時期もあり、そんな光景が浮かんで来ました。子供の頃の記憶なので違っていたらごめんなさい。 (2018年03月19日 (月) 22時52分)[12757]

榮一 > 生まれる/桑ほどくは繋がっていないように思う。一句一章に「生まれて桑ほどく」にしたいです。 (2018年03月20日 (火) 03時12分)[12768]

世話人 > 作者は石田加津子さんです (2018年03月20日 (火) 20時38分)[12789]
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13 散る桜昭和まといし兜太かな 投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時20分)[12622]

 保子 鈴子 吉章 淳子  (4点) 


月番 > 平成も今年で終わるようです。昭和と平成をまるごと生きて、しかも最後まで骨太の思想も俳句創造も衰えることが無かった。金子兜太というひとは凄い。皆さまのコメントお待ちしています。 (2018年03月13日 (火) 15時08分)[12651]

鈴子 > 昭和と平成をまるごと生きたと月番さんが記しておられるように、生涯揺るぎない言葉でご自身の俳句を貫かれた俳人と思います。散る桜に作者さんの哀悼の念が深まります。 (2018年03月17日 (土) 14時00分)[12721]

保子 > 東京新聞に[平和の俳句]が掲載されるようになって、金子兜太 という方を身近に感じられるようになりました。ご冥福をお祈りいたします。 (2018年03月18日 (日) 00時42分)[12737]

榮一 > 昭和は戦争を意識してのものですね。 (2018年03月20日 (火) 03時14分)[12769]

世話人 > 作者は久野孝子さんです (2018年03月20日 (火) 20時39分)[12790]
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14 兜太とふ本名知りし春の雷    投稿者:世話人 (2018年03月12日 (月) 21時18分)[12621]

 剛 主宰  (3点)


月番 > 現代俳句大辞典(三省堂)によると、父君も俳人(俳名・伊昔紅)であられたようですが、兜太という命名はいみじくも…という感じがします。春の雷がどう効いているのでしょうか。 (2018年03月13日 (火) 14時59分)[12649]

> 月番がいみじくも…と云っておられるが、本名と受け取る人は少なく、俳号と思う人が多いし、また「トウタ」と読んでくれる人も少ない難読例の名前であると、兜太さん自身が云っている。俳人であった町医者の父は、虚子と袂を分かった「馬酔木」主宰の水原秋桜子と同級生であったらしいし、秩父音頭と俳句に熱を注いでいた父親の会心の命名であったと思う。折しもの訃報によって本名であると知ることになったが、既成の俳句を乗り越えて、前衛俳句の旗手と云われた兜太氏の生前を想いながらの、作者の追悼の一句である。時ならぬ春の雷は、秩父の産土を愛した兜太さんに対する、鎮魂の一撃ではなかろうか。 (2018年03月15日 (木) 15時45分)[12686]

月番 > 「鎮魂の一撃」ですね。納得です。 (2018年03月15日 (木) 22時09分)[12694]

榮一 > 兜太を本名と知った驚きですね。雷は兜太らしいです。 (2018年03月20日 (火) 03時17分)[12770]

世話人 > 作者は伊藤保子さんです (2018年03月20日 (火) 20時41分)[12791]
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