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17 メーデーや記憶の端の労働歌
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投稿者:世話人
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(2017年05月12日 (金) 20時24分)[10686] |
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保子 直 美保子 吉章 循子 進二 孝子 美鈴 剛 淳子 宜子 鈴子 眞佐子 千尋 (14点)
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月番 > こんげつの最高点句です。取られた方はもちろん取られなかった方も活発なご意見お願いします。 (2017年05月14日 (日) 16時52分)[10729]
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宜子 > 「記憶の端の」に、メーデーや労働祭が遠いものになったと思いました。メーデーも昭和と共に思い出のひとつになってしまうようです。 (2017年05月15日 (月) 22時04分)[10749]
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循子 > メーデーと労働歌のセットはある意味で陳腐ではなかろうか。そんな思いがありました。しかし手を伸ばさずにいられないのが安保を知る世代だと、情の選択しました。「世界をつなげ花の輪に」、「聞け万国の労働者」、「若者よ」などなど、改めて口ずさんでみると、歌詞の記憶もあやしくなっています。まさに記憶の端です。この中七の措辞につい負けてしまいました。ついでに小説「されどわれらが日々」が懐かしく思い出されたりします。熱っぽいメーデーは宜子さんがお書きになっているように思い出のひとつになってしまいそう。 (2017年05月15日 (月) 23時22分)[10750]
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剛 > 脳の中の海馬がつかさどる記憶と云うのは面白い。私などは齢相応に惚け始めましたが、脳の中に残る記憶は昨日の事は忘れても、60年前の事が鮮やかに思い浮かぶこともある。記憶の中と云わないで、端であると述べたのは云い得て妙だとも思う。平和なこの世である、この先にメーデー(労働祭)がまず激することはあるまい。と作者の思いが見え隠れするようだった。衝き動かされたようにあの時代に生きて、その熱気の中にいた者の一人として、作者と同じ記憶を辿ることになる。安田さんの「メーデーと労働歌のセットはある意味で陳腐ではなかろうか」に頷いておりますが、とても懐かしいので許したい。 (2017年05月16日 (火) 14時51分)[10758]
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美保子 > 夫も若い時は当たり前の様に労働組合の一員として、ある程度の年齢になったら、管理側として切り替わる事の不思議さを思ったなあと懐かしく思い出しました。ニュースの映像も今では一通りの挨拶を耳にし、目にするのみに終わっていて、時代が変わったと。「記憶の端の」が共感を得るものになったのではと思いました。 (2017年05月16日 (火) 21時38分)[10763]
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循子 > 剛氏の「とても懐かしいので、許したい」というコメントは愉快です。最高です。 (2017年05月17日 (水) 20時49分)[10788]
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鈴子 > メーデーのデモに参加したことはありませんが、歌声喫茶で歌ったことがあるような気がしてきたのは「ガンバロウ」という一節が思い浮かびました。まさに記憶の端そのものです。 (2017年05月18日 (木) 15時58分)[10795]
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進 二 > 循子さんの列記された歌や鈴子さんの「ガンバロウ」には、」眠っていた記憶を起こされた思いです。皆様ご指摘の「記憶の端」に共感であります。 (2017年05月18日 (木) 18時47分)[10800]
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榮一 > よくわかる句です。記憶の端はどうかと思います。 (2017年05月19日 (金) 11時27分)[10822]
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世話人 > 作者は小川紫翠さんです。今月の最高点を得られましたので、来月の月番をお願いします。 (2017年05月20日 (土) 12時03分)[10841]
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