玄鳥 定例句会

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06・お遍路の息の整う片陰り 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時30分)[6142]
(進二 鈴子 保子 吉章)4点


月番 > 片陰で一息付いて、また炎天へと出てゆく、白装束と杖が見えようです。 (2015年07月13日 (月) 11時13分)[6167]

吉章 > 加齢とともに体力も大分老化した自分を省みている。漸く正常な呼吸を確認して腰を上げた様子が納得できる。 (2015年07月13日 (月) 11時44分)[6172]

鈴子 > 情景がはっきり見えて来て選をしました。今頃になって「片陰り」は平凡に終わった気がしました。 (2015年07月16日 (木) 21時55分)[6234]

世話人 > 渡利寿美さんでした。 (2015年07月20日 (月) 17時08分)[6290]
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07・金魚玉雨垂れ拍子の三味の撥 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時29分)[6141]
(剛 オサム 洋子 眞佐子 吉章)5点


月番 > 田舎に住んで居ると、この季節の金魚売りや、風鈴売りは全く見かけません。古い町の片隅に残る昔の色町の風情かも。   

(2015年07月13日 (月) 11時17分)[6168]

吉章 > 古き佳き時代の回想ではないか?と思いました。あの当時のドラマのようなお祭りの様子が作者の目に焼き付いている。「雨垂れ拍子」は言い得て妙な表現だったと思いま
した。

(2015年07月13日 (月) 12時00分)[6173]

洋子 > 普段は苦手な世界にあえて挑戦していただきました。昔の色町の風情というのは全くわからないので、路地裏あたりでひっそりと三味線を教えている曰くありげな女の人、を思いました。「雨だれ拍子」が、本当に「言い得て妙」なので、いただきました。 (2015年07月13日 (月) 20時29分)[6188]

> 三業地と呼ばれた昔の花街は各地に名残りを留めている。当然置屋と呼ばれ酒席に芸妓を斡旋する店もある。まだ芸妓になりたての子もいて、三味線の稽古でも付けてもらって居るのか、のんびりとした撥さばき。塀越しに見える軒先の金魚玉に、夏の近い昼下がりの裏通りが見えるような気がした。 (2015年07月17日 (金) 10時11分)[6242]

眞佐子 > 金沢の茶屋街を歩きますと今も三味の音が聞こえてきます。金魚玉もありそうです。「雨垂れ拍子」が一寸きになりました。 (2015年07月17日 (金) 20時52分)[6250]

循子 > 眞佐子さんが「ちょっと気にな」ったと、お書きになっていますが、やはり「雨だれ拍子」は評価の分かれるところと思います。私は逆に「雨だれ拍子」のために頂けませんでした。「三味の撥」にも少し引っかかりました。昔の置屋の並ぶ裏通りの雰囲気はよく伝わりますが…。 (2015年07月17日 (金) 22時16分)[6255]

世話人 > 宮本義之氏でした。 (2015年07月20日 (月) 17時07分)[6289]
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08・水匂うほたるぶくろに灯のともる 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時29分)[6140]
(美保子)1点


月番 > 水辺に咲いているのか、また壜にでも挿してあるのか、確かに花は火をともすような形をしています。解りやすい句です。   (2015年07月13日 (月) 09時12分)[6155]

美保子 > 水匂うという上五に惹かれました。園芸用のカンパニュラも「ほたるぶくろ」と呼ばれますが、掲句のものは原種のものだと思います。母からもらって、少ししか花を咲かせてくれなかったのに、今年は沢山、花をつけました。でも、季節的には春だったのですけど。 (2015年07月14日 (火) 23時25分)[6205]

循子 > 「水匂う」で切れるのでしょうか?園芸用カンパニュラは上手に育てると、少々うるさいほど花をつけますが、山野に自生するものは可愛いですね。提燈花という別名があるので、「灯のともる」が生きてこなかったということでしょうか。梅雨の頃よく咲くので「アメフリバナ」の異名もあるそうです。 (2015年07月16日 (木) 14時49分)[6230]

梟夢庵 > この句、もっと点がでると思っていたが意外であった。理由は循子さんの指摘するとおり、提灯花という別名があることによると思う。ちなみに角川『俳句大歳時記』の例句として挙げられている<逢ひたくて蛍袋に灯をともす 岩淵喜代子>の収録されている句集『蛍袋に灯をともす』は第一回俳句四季大賞を受賞している。 (2015年07月16日 (木) 22時36分)[6235]

梟夢庵 > 循子さんの「水匂う」で切れるのでしょうか?という問いかけを忘れてました。私は切れないと思う。「匂う」も「ともる」も終止形と考えると何となく不安定で治まりがわるい。やはり「匂う」は連体形で「ともる」は終止形と読むのが自然と考える。 (2015年07月16日 (木) 23時19分)[6237]

循子 > 梟夢庵先生、有難うございました。やはり連体形の「匂う」なのですね。五七五の中に動詞二つがあるということは、句にどこか落ち着きの悪さが生まれるような気がします。無論、すべてがそうとは言えませんけれど。 (2015年07月16日 (木) 23時53分)[6239]

美保子 > ほたるぶくろの別名が提灯花ということは梟夢庵先生も書いて下さいましたし、あとで知りました。下五をもう少し、広がりのある言葉が良いのでしょうね。 (2015年07月17日 (金) 21時47分)[6254]

作者        > ありがとうございます。先生、水匂うで生まれたてのホタルが花の中で、ポオと点いたりつかなかったりと、幻想的な様子をイメージしたのですが、ホタルがダブルので、水匂うを持ってきたのですが無理でしたね。 (2015年07月18日 (土) 18時13分)[6264]

世話人 > 久野孝子さんです。 (2015年07月20日 (月) 17時06分)[6288]
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09・立葵咲く隠居所の勝手口 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時28分)[6139]
(剛 美保子 美鈴 鈴子 章子 梟夢庵)7点 


月番 > 勝手口があるので当然玄関も。広い敷地の中の一角と思いました。隠居が制度として残っていたのは昭和22年まで、高齢化が進んだ今日ですが、鄙びた所へ行けば、季節の花を咲かせて、こんな場所が残っている。 (2015年07月13日 (月) 13時56分)[6178]

美保子 > 隠居所がある家など、今では少ないのかもしれません。九十一才になる義母は私が丈夫でないので、二年前からうちの近くの施設で暮らしてくれています。本当なら、同居なり二世帯住宅なりという事を考えた時期もあったので、胸が痛みます。そのこととは別に、勝手口からはおかずが届けられたり、様子を見がてら、お茶を飲みに上り込んだり、義母にしてあげられなかった風景を浮かべました。 (2015年07月14日 (火) 23時35分)[6206]

章子 > 今は隠居所あまり聞きませんね、多分老人ホームにとってかわったのかも知れませんね、子供の頃田舎に行くと離れが隠居所で渡り廊下に添って立ち葵咲いていた記憶があります、目が覚めると早々におばあちゃんの処に駆け出していました、何故か立葵が懐かしい花なんです。 (2015年07月16日 (木) 10時37分)[6227]

美鈴 > 真っ赤な立葵が浮かびました。背丈を超えるような力強い花姿、家の周りにもいろんな花が植えられているのでしょう。余生を花とともに楽しんでおられる姿が見える句です。 (2015年07月18日 (土) 09時34分)[6259]

鈴子 > 隠居所で穏やかな余生をおくられていらっしゃる日々。母屋とのつかず離れずの気持ちの良い関係が見えて来ます。季語の立葵が隠居所にはぴったりのように思いました。 (2015年07月18日 (土) 22時05分)[6268]

梟夢庵 > このご隠居、なかなかの曲者で、青年のころ抱いた大志を忘れず、いまだにその夢を追いつづけている、そんな一徹な老人が見える。


(2015年07月18日 (土) 22時39分)[6269]

> 隠居は言葉だけで事で、落語の中に名を留めるだけのようである。存在しないとは言い切れないが、事実上はもう皆無に等しい。老人と言われる年齢も毎年伸びて、その昔の隠居と呼ばれた年齢などは遥かに超えてしまい、比べることも出来ない。私もそうだが、近所には子供たちが仕事等の為に県外へ出たりして、別に世帯を構えて住んでしまい、一人暮らしや、連れ合いと二人だけという後期高齢者たちが多い。今の住まいが隠居所のようなものである。隠居所に似合いの花などは無いが、立葵は上に伸びる花である、自嘲めいたこの句の勝手口を隠すばかりに咲き誇っている。 (2015年07月19日 (日) 09時21分)[6270]

世話人 > 安田循子さんです。 (2015年07月20日 (月) 17時05分)[6287]
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10・白鷺の細き足生ゆ植田かな 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時27分)[6138]
(寿美)1点


寿美 > 私は日々この光景を見ている。家を建てた頃は野中の一軒家で植田の蛙の合唱で目を覚まし、カーテンを開けるといつも白鷺が田におりている。今もずっとこの光景は変わらない。白鷺が歩いている所は見たことが無く気長にじっと動かずかえるやおたまじゃくしを狙っているんだと思います。しかし、青田に白鷺ってとても美しい風景できにいっています。 (2015年07月13日 (月) 10時03分)[6163]

月番 > 結構、田圃の中に餌があるようで、当地でも見かけます。植えられた稲はいま丁度頃良い状態で育っているようです。あの細くて長い脚が、水稲の中から生えて出たようだと作者は云ってゐる。      (2015年07月13日 (月) 11時30分)[6171]

惠美子 > 好きな景色で頂きたかったのですが・・植田の白鷺を詠まれた句で、季重ねは どちらも重くて・・あきらめました。 (2015年07月13日 (月) 16時12分)[6186]

循子 > 「かな」で終る一句一章と思うので、「生ゆ」が「植田」に係るときは連体形の「生ゆる」ではないでしょうか。字余りを避けられたということでしょうか。 (2015年07月17日 (金) 21時39分)[6253]

美保子 > 循子さま、ありがとうございます。季重なりだという事は恵美子さまの書き込みで初めて気づきました。そして、「生ゆ」は自信がないまま、教えて頂こうと思って、投句してしましました。植田という体言にかかるのですから、「生ゆる」とすべきなのですね。季重なりも考えなければならないので、大きく考え直してみます。 (2015年07月18日 (土) 20時43分)[6266]

美保子 > またもや、自分の名前を入れてしまいました。我ながら情けなくなります。申し訳ありません。 (2015年07月19日 (日) 21時09分)[6272]

世話人 > 鈴木美保子さんでした。 (2015年07月20日 (月) 17時04分)[6286]
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11・宵山の白き二の腕束ね髪 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時26分)[6137]
(保子 章子 循子 主宰)5点


月番 > 現代の若い女性たちは自由奔放と、常々思っております。 (2015年07月13日 (月) 11時24分)[6170]

循子 > 浴衣姿で、宵山見物に出かけようとして、若い女性が長い髪を束ねているところ。当然浴衣の袖から二の腕がもろに現れて、それはハッとするほど白く美しい。好きなだれかと出かける前の、若い女性のときめきが伝わってとても好きな句です。いまや中也ではないけれど、そんな日もありき、です。 (2015年07月14日 (火) 11時29分)[6194]

章子 > 美人でもないのに何気ないしぐさにハッとするほどの女らしい色気を感じることがあります、まだ十代の若さなのに・・・循子さまのそんな日もありきに同感です。 (2015年07月16日 (木) 10時13分)[6226]

世話人 > 山内宜子さんでした。 (2015年07月20日 (月) 17時03分)[6285]
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12・風の陰探して昭和の昼寝かな 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時25分)[6136]
(剛 洋子 宜子 千尋)4点 


月番 > エアコンの中での昼寝では無いでしょう、ノスタルジーです。風の通る緑陰も広々と開け放された畳の部屋も思はれる。    

(2015年07月13日 (月) 11時22分)[6169]

洋子 > 今はマンションのエアコンの部屋を思いますが、昭和時代は少しがたびしでも木造の一軒家が多く、あちこちあけて風の道を作ることができました。本当に気持ちのいい開放的な時代でした。 (2015年07月13日 (月) 20時34分)[6189]

千尋 > まだ低学年のころの夏休み、まだエアコンが無かったので、枕を持って戸という戸を開けて家の中の風の通り道を探して、お昼寝をしてました。そんなことを思い出しました。今思えば昼寝?と思いますが。 (2015年07月14日 (火) 11時40分)[6195]

循子 > 皆さん年は違っても同じ風景のなかでくらしていたんだなあ…と、面白く思います。外から丸見えの家も平気で昼寝をしているという長閑な時代でした。赤ちゃんは母衣蚊帳に寝かせてあったりして。いまは物騒でそんな状景はあり得ない。
ただ細かいことを言うようですが、中八になっても「探して」の「て」が必要だろうか、という疑問を感じました。 (2015年07月14日 (火) 23時06分)[6204]

千尋 > 循子さん!なるほどです。字余りですね〜 (2015年07月14日 (火) 23時55分)[6208]

洋子 > 私も、「て」、はいらないと思いました。 (2015年07月14日 (火) 23時58分)[6209]

梟夢庵 > 「風の陰」がどうして「風の道(通り道)」なのかよく分からない。 (2015年07月17日 (金) 21時31分)[6252]

洋子 > 私も気になったんですけど・・・。考えてもよくわからなかったのですが、景が好きだったので、勝手に風の道と解釈しました・・・。こういうのいけませんね。 (2015年07月17日 (金) 23時34分)[6257]

> 皆さんの書かれた通り「て」はいらないように思う。普通になら風の陰は風の道だろうと思った。風の陰は微妙な言葉である、何か意図されているのかもとも思える。易学の「陽」に対置されている「陰」とでも取れば良いのかも知れないが、素直に風の通る陰と思いたい。生活の環境や様式が変わり、日盛りの昼寝はもう遠い過去の話となったが。農家などは今でも昼寝の習慣は残っていると思う、考えて見ると私などは子供の頃の夏休みくらいではなかったろうか。日本が戦に敗れ復興途上にあった頃に、街中の工事現場等で働く人たちは、昼食後に建築物の陰や公園の樹の回りで、僅かな時間を憩っていたのを思い出す。あれが昭和の昼寝だったのだと思う。 (2015年07月18日 (土) 13時07分)[6263]

世話人 > 岡部榮一主宰です。 (2015年07月20日 (月) 17時02分)[6284]
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13・夕焼けや日に三本の路線バス 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時25分)[6135]
(美鈴 惠美子 孝子 宜子 保子 循子 紫翠 吉章)8点


月番 > 当地では日に三本では無いのですが、路線バスも鉄道も本数は減りました、理由ははっきりしています。夕焼けだけは変わらない。 (2015年07月13日 (月) 09時16分)[6156]

孝子 > 東京に暮らしていると、たまに遠方にいってバスが一時間に一本とか見たとき、大変だとおもいますが、それが日に三本。乗り遅れたら大変とおもいました。のどかなことにあこがれはあるのですが、分きざみで10分待つだけでもあーあと思う身にはちょっと大変とおもいます。 (2015年07月14日 (火) 18時21分)[6198]

孝子 > すみません。句の鑑賞になっていないことに気がつきました。もうしわけありません。 (2015年07月14日 (火) 18時24分)[6199]

循子 > 紛うこと無き現代社会の現実です。「夕焼け」は童謡に繋がる懐かしい世界ですが、「日に三本」の路線バスも存続が危ぶまれている集落はひっそり取り残されています。月番さんが書かれた通り、「夕焼けだけは変らない」で、みなに優しい。
小振りの五重塔が美しい室生寺さえも、観光シーズンを少しずれると、もうバスの本数はガタッと減ります。おととし、ちょっと遅めの紅葉を見に独りで出かけたときは、もう臨時バスは無くなっており、エライ目にあいました。田舎は観光地であっても、そんなものですよ、孝子さん。 (2015年07月16日 (木) 16時24分)[6231]

紫翠 > 取り合わせの妙だと思いますが、情景がよく見える作品。作意を感じさせない表現にも魅力がありました。 (2015年07月17日 (金) 11時16分)[6245]

吉章 > 中小都市によく見られる周辺部落、
吸収合併したあとの現象を想定したい。名ばかりの市に編入されたが実際は過疎化して行く農山村へ往復する三本のバスでさえガラガラの状態を描いている。その反面朝夕の僅かの車に頼らない通勤客にとっては唯一存続して欲しい交通機関と言えよう。 (2015年07月18日 (土) 10時21分)[6261]

惠美子 > こんな場所での夕焼けがみてみたいなぁ〜!と思わせる句でした。 (2015年07月20日 (月) 13時33分)[6273]

世話人 > 三島章子さんです。 (2015年07月20日 (月) 17時01分)[6283]
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14・青田波診察室に文庫本 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時24分)[6134]
(美鈴 洋子 孝子 眞佐子 進二 宜子 循子 千尋 梟夢庵 主宰)12点 


月番 > 今月の最高点句です。 (2015年07月13日 (月) 14時07分)[6180]

循子 > 待合室に文庫本があってなんの不思議もないけれど、診察室だから笑えます。よほど暇な医院なのでしょうし、おまけに青田波。長閑な田園風景が見えて、老医が急がず焦らず優しく患者に接してくれる。患者が途切れたときは、藤沢周平か、池波正太郎でも読んでいる。あるいは若いころ愛読したヘルマン・ヘッセあたりかも知れない。楽しい句でした。 (2015年07月15日 (水) 00時09分)[6210]

千尋 > 育ち始めた稲田の広がる郊外の小さな診療所の診察室、文庫本は歳をとられた先生の愛読書でしょうか。今は重病患者はいない。農繁期なのでしょう。農作業にはまったく無縁で今迄生きて来ましたので、想像の域を出ませんが。 (2015年07月15日 (水) 00時23分)[6211]

惠美子 > 循子先輩・編集長の選評で 私の想像力の無さにあきれております。  少々の病気でもすぐに治ってしまいそうな景色の句で いただきたいと思ったのですが・・先生用の本の想像が出来ず・・診察室に文庫本は・?と思ってしまいました。 長閑さの出た良い句ですね〜! (2015年07月15日 (水) 09時12分)[6216]

美保子 > 今回、選句の締め切りを勘違いして、一日遅れで、剛さまにご迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません。あわてて、選をした言い訳になりますが、診察室と読んだつもりが、私の意識の中で、待合室に代わっていました。それで、循子 さまの書いていらっしゃるように、不思議でもなんでもないと思って、通り過ぎてしまったのですが、高得点の訳が後でわかった次第です。 (2015年07月17日 (金) 21時29分)[6251]

洋子 > 循子さま、千尋さまとだいたい同じ鑑賞です。 (2015年07月17日 (金) 23時47分)[6258]

美鈴 > この文庫本は先生が患者さんにお貸しするための本かもしれないし、逆に患者さんが先生に持ってこられたのかも、と思いました。家庭医ともなると雑談をすることもあります。そんな折に本の話題がでたのかもしれません。
(2015年07月18日 (土) 09時53分)[6260]

世話人 > 伊藤保子さんです。 (2015年07月20日 (月) 17時00分)[6282]
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15・蟻のほか動くものなしひろしま忌 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時23分)[6133]
(義之 美保子 寿美 惠美子 主宰)6点 


寿美 > 平和の鐘が鳴らされひとびとは、何をしててもその場に佇み黙祷をささげ、平和の鐘に過去を振り返りさまざまな思いを抱く。これは、何年たとうとも変わることは無いと思うが蟻は匡黙々と己の作業にいそしんでいる。目の付け所がいいですねー。 (2015年07月13日 (月) 10時15分)[6164]

月番 > 寿美さんの書かれた通りです。何時も思うのですが、ヒロシマは仮名と漢字の広島があって、この句は平仮名で表記されており、何となく意図されている事が有るのかも知れません。  (2015年07月13日 (月) 14時27分)[6181]

惠美子 > 以前から私は「ヒロシマ忌」は意味ありで好きでは無く、漢字の広島も地域名だけに使いたい感があり・・で、「ひろしま忌」に少し優しさを感じております。 国民みんなが手を合わせて・何かを考える日にしたいものです。 (2015年07月13日 (月) 16時32分)[6187]

美保子 > 皆様が書かれていらっしゃる事を私も感じました。本当に、皆で今の平和が続くように、一人一人が心の底から祈りたいと改めて、考えさせてくれる句でした。
(2015年07月14日 (火) 22時59分)[6203]

循子 > 戦後70年ということで、TV,新聞ともに連日特集が組まれていて、考えることの多い夏です。7月14日、毎日新聞夕刊文化面の「論の周辺」に目が止まりました。曰く<「戦前」的な空気に対する懸念は嘗ての左翼的教条とは異なる次元でリアリティーを持ち始めているようだ。…中略…その根源は、政治や社会の指導的立場にある人々が「戦争を知らない」世代へと、ほぼ完全に移行したことにあると思われる>。戦争で生き残ったひとびと、戦後の混乱のなかで家も親も失った孤児たち。悲惨さゆえに語って来なかったひとびとが、80代、90代の終わりに差し掛かって、やっと語り継ぐことの重大さを思い、泣きながら語り始める姿は見る側も涙せずにはいられません。掲句もそういう思いで書かれたものと思います。
月番の方が書かれたように、「平仮名で表記され」たことに意図があったのか、恵美子さんの「優しさ」もなるほどと思いますが…。≪ヒロシマ忌泳ぎし素足地を濡らす  鈴木六林男≫、≪まくなぎを払ひてゐたり広島忌  辺見じゅん≫など、それぞれ作者の表記に対するこだわりがあります。ひらがな表記によって、声高に反戦、半原爆を唱えることを避けられたのか、これはいささか難問でありました。 (2015年07月15日 (水) 15時29分)[6221]

循子 > 上記、「半原爆」とあるのは「反原爆」の間違いです。申し訳ありません。 (2015年07月16日 (木) 14時07分)[6229]

世話人 > 梟夢庵先生です。 (2015年07月20日 (月) 16時59分)[6281]
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16・夕菅や合掌造りの落語会 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時22分)[6132]
(保子)1点


月番 > 合掌作りの家屋が観光地として宣伝されているのは、岐阜や富山です。 (2015年07月13日 (月) 14時04分)[6179]

保子 > 合掌造りと落語の取り合わせが面白いと思って頂きました。「合掌造りの落語会」は少々難しいところでした。 (2015年07月15日 (水) 21時06分)[6223]

循子 > 最近は古い酒蔵や住むひとが居なくなった旧家、お寺、銭湯などで、コンサートや落語会が開かれています。そのせいで、あまり珍しい感じが無かったのかも知れません。 (2015年07月16日 (木) 23時29分)[6238]

世話人 > 松谷真佐子さんでした。 (2015年07月20日 (月) 16時58分)[6280]
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17・すでに脚ふらつく兆し半夏生 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時22分)[6131]
(寿美 進二 吉章)3点


月番 > この句の半夏生はたぶんあの葉っぱです。  (2015年07月13日 (月) 09時21分)[6158]

寿美 > 黒髪も白髪が目立ち染めると茶色になり、アジャーと思う日々、階段の上り下りには手すりを頼り、相当脚に来ていることを実感する日々半夏生が半白髪に見えています。情緒無い鑑賞でごめんなさい! (2015年07月13日 (月) 10時26分)[6165]

循子 > お酒の酔いでふらつく脚かと思いましたが、なるほど半夏生は半白髪のことですか。わかりやすい句だったのですね。読みはまたしても失敗! (2015年07月16日 (木) 16時30分)[6232]

吉章 > 明らかに体力の衰えの兆しだと思います。とある日、着替えの際にふと安定しない四肢に気づいた。愕然とはしたが、改めて我が年齢を再確認せざるをえなかった。
(2015年07月18日 (土) 10時42分)[6262]

世話人 > 石田剛です。 (2015年07月20日 (月) 16時58分)[6279]
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18・父の忌の沖むらだちの間かな 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時21分)[6130]
(無点)


月番 > 父の忌で切れ、あとは一気と思いましたが、むらだちの間が理解できませんでした。     (2015年07月13日 (月) 09時26分)[6159]

千尋 > この句は上五で切れてないのでは? (2015年07月13日 (月) 12時32分)[6175]

> 「ちちのきのおき/むらだちの/あいだかな」と、755に読むべきですか。(はざま)も考えられる。父の忌やで切りたい?が。それを避けた。「沖むらだち」は「叢立ち・群立ち」と思いました。古語辞典の引用ですが「群立つの意味。・自動詞タ行四段活用活用{た/ち/つ/つ/て/て}@群れをなして 出発する。群がって飛び立つ。出典万葉集 一七八五「群鳥(むらとり)の(=枕詞(まくら ことば))むらだち行けば」[訳] 群れをな...- 」。沖の浮き寝鳥ではなく、沖に立つ白波と白波の間と思いましたが、どうでしょうか。 (2015年07月14日 (火) 10時49分)[6191]

千尋 > 「沖むらだち」という言葉を耳にしたことがありましたが、方言だったかもしれません。 (2015年07月15日 (水) 00時42分)[6213]

洋子 > googleを検索していたら、「むらだち」というのは「夕立」のことで、各地方によっていろいろな呼び方があり、愛知県知多地方では、伊勢のほうから降ってくる夕立を「伊勢むらだち」、沖のほうから降ってくるのを「沖むらだち」という、という記事をみつけました。 (2015年07月15日 (水) 01時24分)[6214]

洋子 > 同じ色にしてしまい、すみません。 (2015年07月15日 (水) 01時26分)[6215]

循子 > 剛さん、洋子さん、調べてくださってありがとうございます。「沖むらだち」、「伊勢むらだち」も、勉強になりました。さっぱり分からない句だったので、下五も剛さんと同じく「あいだかな」か、「はざまかな」、はては「あわいかな」のいずれであろうかと迷い、ますます藪の中。「沖むらだち」が沖から降って来る俄雨なら、突然にその雨が途切れる地点に抜けるという経験をよくするので、そういうことか、と。やっと謎がいくらか解けました。さて、「間かな」の読みは? これはやっぱり、ナゾです。

(2015年07月16日 (木) 16時55分)[6233]

> 沖から次々と来る、夕立と夕立の間ととれば、季語も見えてきました。大変勉強になりました。 (2015年07月17日 (金) 10時47分)[6244]

梟夢庵 > まずは「沖むらだち」という言葉のあることを教えていただいた洋子さんに感謝致します。私の最初の読みは、「沖むらだち」を二語と解して、「父の忌の/沖・むらだちの/間かな」と句またがりと考えた。つまり、「海鳥の群立つ間から父の忌の沖が見えていることよ」と云う意である。ところが「沖むらだち」が沖から降ってくる夕立と知った今では、次のように読める。「沖の方から降ってくる夕立(季語)の切れ目から、父の忌の沖がはっきりと見えることよ」と。「間」を時間的な経過と捉えないで、空間的な切れ目解する方が良い。なお、夕立の別名を牛脊雨(ぎゅうせきう)というほど、切れ目ははっきりしているという。


(2015年07月17日 (金) 23時33分)[6256]

循子 > 有難うございます。雨の名前も、ほんとかなぁと思うほど、変化に富んでいて、日本語は面白いと改めて感じます。先週、橿原市内から戻る車中で、牛脊雨を体験したばかりです。「夕立は馬の背を分けて降る」という表現があってもこちらは馬脊雨とは言いませんから、おかしなものです。おなじ夕立を「婆威し」というけしからぬ地方もあるそうで、「瞋怒雨(しんどう)」や「端的雨(たんてきあめ)」などは風情があるのかないのか分からない。なにごとも「知るは楽しみ」ではあります。 (2015年07月19日 (日) 15時15分)[6271]

世話人 > 若林千尋さんでした。 (2015年07月20日 (月) 16時57分)[6278]
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19・二匹だけ入れ替えてみる蟻の列 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時20分)[6129]
(孝子)1点


寿美 > 誰でしょう、こんないたずらする俳人は。でも興味津々、でどうなったの教えて! (2015年07月13日 (月) 10時34分)[6166]

月番 > 何にでも並ぶという事が多かった世代なので、私の蟻の列の連想は炎天です。この句、的の絞れない面白さでしょうか。    (2015年07月13日 (月) 14時37分)[6183]

孝子 > あまりよい鑑賞はできないのですが、もっと点が入っていると思っていただいて、私的にはとっても面白いし既視感が無くていいと思いました。昔子供が小さい頃には、ガラスの瓶に蟻を飼って、その巣ずくりをたのしんだものです。男のこを持ったら、母親はたとえ嫌いでも気持ち悪くても子供の持ってくる物に変な感想をしないようにときめて、カメもトカゲもいもりも飼いました。すみません。また脱線しました。そんな、子供の気持ちを持った大人がしたことでしょうか、それとも子供がしたことでしょうか。どちらにしても、面白いことを考え、またそれを目にして句にしたのか。とても面白いし、情景もよく見えるし一番の句でした。 (2015年07月14日 (火) 18時53分)[6200]

世話人 > 木村オサム氏です。 (2015年07月20日 (月) 16時56分)[6277]
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20・高原の硝子の厠麦嵐 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時19分)[6128]
(義之 章子)2点 


月番 > 意外な物の衝突ですが。 (2015年07月13日 (月) 15時32分)[6184]

義之 > 「麦嵐」(麦の秋風)という季語はこれまで出会ったことが無かったので調べてみましたが、子規のほか著名な俳人の句が多く詠まれています。掲句を一読して、麦秋の高原のロッジの景をイメージしました。一方「硝子の厠」というものも、公私を問わず実際に設備されているのは事実で、句全体が醸し出す透明感がなんとも魅力的です。少し引っかかったのは、麦と高原の関係ですが、著名な麦の産地といえば北海道でしょうか、麦秋の高原というのも実景の様です。 (2015年07月15日 (水) 10時00分)[6217]

章子 > 多分、箱根の森硝子美術館で見た様な気がします、一寸怖かったのですが入ったと思います、随分昔のことで忘れてしまいましたが、
高原と麦嵐が清々しく思い出されました。 (2015年07月16日 (木) 11時01分)[6228]

世話人 > 浅村恵美子さんでした。 (2015年07月20日 (月) 16時55分)[6276]
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21・沙羅の花さらさらさらと砂時計 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時18分)[6127]
(義之 オサム 千尋)3点


月番 > 言葉がかぶっていて面白い。 (2015年07月13日 (月) 09時18分)[6157]

千尋 > 「さら」をこれだけ入れてよく句にされたなぁと驚きました。仏さんにご縁のある沙羅の花と砂時計にも納得してます。 (2015年07月15日 (水) 00時33分)[6212]

義之 > 俳句が「詩」であることを如実に感じさせてくれる作品だと思いました。どなたか絵本の一頁として、完成させて欲しいですね。 (2015年07月15日 (水) 10時13分)[6218]

世話人 > 森内洋子さんでした。 (2015年07月20日 (月) 16時54分)[6275]
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22・築山の辺に風集め鴨足草 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時18分)[6126]
(洋子 循子)2点 


月番 > 風情がありそうです、鴨足草は雪の下の別名。築山は、日本庭園に人工的に土砂を用いて築いた山。と、文献にあります。      (2015年07月13日 (月) 15時45分)[6185]

洋子 > 鴨足草は本当にか弱く、風が起こるとすぐに揺れてしまいそうな花です。それを「風集め」と表現されたところがお上手と思っていただきました。 (2015年07月13日 (月) 20時42分)[6190]

循子 > 洋子さんもお書きになってるように、雪の下は本当にか弱い感じ。「花の精が舞い降りたような…」と、解説している本もあって、なるほど、です。ありそうな場所に、ありそうな花がある、そんな景ですが、小さな風に揺れる花は、いかにも好もしい。「風集め」も洋子さんのおっしゃるとおりです。鴨足草、虎耳草という表記は俳句を始めるまで知りませんでしたので、なかなか覚えられず困りました。 (2015年07月16日 (木) 23時07分)[6236]

美保子 > 雪ノ下というのは、葉っぱを天麩羅にするとおいしいあの雪ノ下でいいのでしょうか。鴨足草、虎耳草というのは今回初めて知りました。でも、植物の名前は日ごろ目にするものでも、なかなか出て来なくなっています。優しい句ですね。 (2015年07月18日 (土) 20時34分)[6265]

世話人 > 渡辺淳子さんでした。 (2015年07月20日 (月) 16時53分)[6274]
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7月定例句会の準備 投稿者:世話人 (2015年07月12日 (日) 19時16分)[6125]
定例句会の準備をしています。

 狐火に河内の国のくらさかな  後藤夜半
 水は木に遅れて暮れぬ桜桃忌  鷹羽狩行

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六月定例句会の開催について 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時37分)[5927]
梅雨に入り鬱陶しい日が続いております。定例句会の皆さまには、お変わりなくお過ごしの事と思っております。選句も出揃いましたので、13日から開催予定の句会の準備を致しました。ご多忙の方もいらっしゃるでしょうが、岡部主宰、梟夢庵先生にはご指導をお願い致しますと共に、皆さまには忌憚のない句評をお願い申し上げます。先月の最高点の安田循子さんが今月の月番を務めて下さいます。皆さまどうか宜しくお願い申し上げます。


循子 > 早々と剛さんが句会の準備を整えて下さいました。いつも有難うございます。今月は安田循子が月番を務めさせて頂きます。梅雨空のような月番に構わず、どんどんご意見を書き込んで頂けましたら幸いです。
主宰先生、梟夢庵先生、ご指導をお願いいたします。
(2015年06月12日 (金) 22時24分)[5928]

月番 > 句会はあす19日まで。あと1日を残すのみです。よろしくお願いいたします。 (2015年06月18日 (木) 22時35分)[6068]

世話人 > 全国的に何処も梅雨に入り、鬱陶しい日が続いて居ります。句会終了の期日が来ましたので、投句者名を記載いたしました。4月からひと月置いて再び月番を務めて下さいました安田循子さん、有難うございました。また参加の皆さまにも厚くお礼を申し上げます。来月もどうか宜しくお願い申し上げます。 (2015年06月20日 (土) 17時31分)[6122]

月番 > 至らぬ月番にお付き合い下さいました皆さま、有難うございました。いろいろ失礼もあったかと思います。お許しください。主宰先生、梟夢庵先生、ご指導有難うございました。
お世話をしてくださいました石田剛さま、お礼を申し上げます。 (2015年06月20日 (土) 21時47分)[6123]
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01・入梅や差出人のない手紙 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時23分)[5926]
(淳子 加津子 孝子)3点


月番 > 差出人の名前が書かれてない、ということでしょうか。たまにありますね。賀状のようにほぼ劃一的なものは推察しようがなくて困る。でも掲句はそうではなさそうです。若いときは思い当たるふしがあったりして、ドキドキ…なんてことも。お三方はどうお読みになったでしょうか。 (2015年06月12日 (金) 22時46分)[5929]

加津子 > 怪しげな手紙に開封するか否か迷っているように季語で感じました。ドキドキするような手紙をもらったことがないので、ドキドキ手紙は全く考えに及びませんでした。 (2015年06月14日 (日) 17時24分)[5966]

孝子 > 季語がやで切れているのであとの中七下五にあまり関係をもたせたくはないのですがちょっとした不安感がかんじられます。家族にみられたくなくてかくしているのか、なら同性名で書けばとか、不埒なことを考えたり、なんかのクレームかとかいろいろ考えてしまいます。年を経てくると、若いころのいろいろなことが現われてきたり面白い句とおもいました。できれば季語が不安感よりもどきどきするものならもっと面白いかなとかも思いました。 (2015年06月14日 (日) 23時22分)[5971]

淳子 > どの様な種の封筒であったうか?鬱陶しい梅雨の最中に、一瞬煩わしく
思うかもしれない。煩わしさを感じると同時に、相手もまた、私と同様に手抜かりの多くなった人なのかなと感じ乍ら封書を開く事でしょう。  。 (2015年06月15日 (月) 10時24分)[5982]

月番 > 加津子さん、孝子さん、淳子さん、それぞれのご意見有難うございました。「や」で切れていても中七以下とはどうも繋がるような感じですね。孝子さんのおっしゃるように、もうちょっと冒険的な季語を置いてみるのも一興か。 (2015年06月15日 (月) 15時05分)[5986]

榮一 > 入梅は平均でドキドキ感が薄いですね。 (2015年06月19日 (金) 14時50分)[6073]

世話人 > 舛室杏花さんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時07分)[6099]
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02・十字架の墓標の列や蝉の穴 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時23分)[5925]
(寿美 紫翠 千尋)3点


月番 > 大会の開催地だった横浜の外人墓地の景でしょうか。共同墓地というか、大きな墓地には蝉の穴がつきもののようで、大阪の真田山陸軍墓地にも無数の蝉の穴がありました。まず、お採りになった寿美さん、いかがでしょうか。 (2015年06月12日 (金) 23時03分)[5930]

寿美 > 墓標の列と蝉の穴で亡くなった人の墓所からまるで生まれ変わりのように出てきて短い一生を終える蝉。葬られた人を悼むように。生と死輪廻転生と言う感じです。

 




(2015年06月13日 (土) 11時00分)[5938]

月番 > さっそく有難うございます。墓地の蝉の穴を見るときに感じる物悲しさは、そういうことなのかも知れません。採られなかったかたもかなり居られるので、そちらのご意見も出して頂ければ。 (2015年06月13日 (土) 23時16分)[5945]

梟夢庵 > やはり生と死というような明らかに対立する素材で一句を構成するのはむつかしいと思う。 (2015年06月14日 (日) 21時58分)[5968]

紫翠 > 「蝉の穴」がよく効いていると思います。「誕生」から「死」までを暗示しているようで注目しました。 (2015年06月15日 (月) 14時50分)[5984]

千尋 > 日本の景ではないのではと思いました。
南方の戦地で亡くなった兵隊のお墓です。テレビでしか見たことはないのですが、整然と並んだ真っ白な十字架。芝生には蝉の抜けた穴もあるのでしょう。蝉の鳴き声が聞えてきそうです。 (2015年06月15日 (月) 23時25分)[6004]

月番 > なるほど戦没者の墓地ということですね。アーリントン墓地などは確かに整然と並んでいます。私は「蝉の穴」によって、誕生につながる明るさよりも、むしろ「死」につながるものを感じて、つまり二つの素材は同じ足場に立っていると思ったのです。訳のわからぬ表現ですね、すみません。 (2015年06月16日 (火) 14時08分)[6019]

千尋 > わたしが。おかしいのかもしれないのですが、蝉の穴からは墓の下の死体をも養分にして生きて来た生命力を感じます。そして世代が代わってもずーっと続く戦争というものの悲しさ虚しさを感じたのです。 (2015年06月16日 (火) 16時04分)[6027]

榮一 > ニュースなどで時々見るアメリカのアーリントン墓地などをおもいました。対比がきついと変な意識が働いてしまいそうです。 (2015年06月19日 (金) 14時54分)[6074]

世話人 > 森内洋子さんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時07分)[6100]
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03・老鶯やゴルフクラブにこめる意志 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時22分)[5924]
(寿美)1点


月番 > ゴルフなさる方は皆さんそうなんでしょうね。寿美さんだけがお採りになりましたが、採らなかった理由も他の方お聞かせください。 (2015年06月12日 (金) 23時13分)[5931]

寿美 > 主人は80に成りますが故郷山口のゴルフ同窓会には必ず出席します。日頃の立ち居振る舞いを見る限りパターは良いとしてもドライバー等振れるのかしらと思っているとかなり上位にいき賞品を自慢げに帰って来ます。ゴルフとなると強い意志があるみたいで、この句主人を見ているような句です。 (2015年06月13日 (土) 10時24分)[5935]

循子 > 寿美さんのコメントに我が支部の男性を思い浮かべました。いくつものゴルフバッグが玄関先に並んでいて驚く私に、まだまだ二階にもあるのだということでした。体力の衰えをなんとか道具で補いたいと、つぎつぎに新しいものが欲しくなるもののようです。今日は優勝しましてね、と報告されると、こちらも嬉しい。
句そのものから逸れましたが、私としてはお気持ちわかるなあ…で終った感じが残念です。 (2015年06月14日 (日) 10時22分)[5955]

榮一 > ゴルフのシーンですが中七以下はそのままですね。 (2015年06月19日 (金) 14時56分)[6075]

世話人 > 浅村恵美子さんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時08分)[6101]
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04・はまなすの可憐に指を刺されけり 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時21分)[5923]
(洋子 章子)2点 


月番 > 一句一章として読んだ月番は、ちょっと文脈にひっかかりを感じたのですが、読み違えかも知れません。洋子さん、章子さん、ご意見をどうぞ。 (2015年06月12日 (金) 23時23分)[5932]

章子 > 洋子さんお先に失礼いたします、月番さんの読み違いではないと思います、一句一章、切れの無い一物仕立てとおもいます、このお句は思い立つて瞬間的にお出来になった一句でしょうか、私は読んだ瞬間に十五六の女学生に戻って選をしておりました、色々思いだして楽しい時間でしたが、やはり中七は可笑しいですね、月番さん宜しくお願い致します。 (2015年06月13日 (土) 15時57分)[5940]

洋子 > 私も一句一章と読みました。はまなすがあまりに可憐だったので、つい手折ろうとしたらとげに刺されてしまった、ということなのでしょうが、確かに可憐に刺された、というのは少しおかしい気もしますが、「彼女の純情にほだされた」というような言い方と同じかな、と思ったのです。これが薔薇のとげに刺されたのだったら、高慢で冷たい薔薇の感じがするのですが、庶民的な感じのするはまなすだったら、刺されてもご愛嬌という感じでしょうか。文法的に解析しようとすると難しいことになりそうですが、私的には割りにすんなりと面白いと思っていただきました。どなたか正しく読み解いて下さったらありがたいです。 (2015年06月13日 (土) 20時41分)[5944]

月番 > 洋子さんのご意見は、「可憐というもの」に指を刺されたということでしょうか?私は「可憐」を名詞としてではなく、「可憐に」という修飾語として読んだので、「?」となりました。「可憐というもの」に指を刺されたとなれば、月番の「?]は消えることになります。章子さん、さっそくに有難うございました。採っていらっしゃらない東の宜子さん、そして西のオサムさん、いかがでしょうか。 (2015年06月13日 (土) 23時45分)[5946]

梟夢庵 > ハマナスもバラ科、棘があるのは当然。この句も2の生と死と同様、美しい花と相反する棘だけで一句を構成するのは難しい。なお、詩の世界では、ときとして故意に文法を外すこともあるのです。 (2015年06月14日 (日) 22時53分)[5969]

月番 > 梟夢庵先生、有難うございます。「詩の世界では、時として故意に文法を外すこともある」ということ、納得です。先日、TVで小椋佳さんが作詞について、自分の造語とか文法的に間違っていることを、これまで何度もあちこちから叱られたのだ、と笑いながら話していました。無論ご本人はそのことを意に介する様子もなく、私は非常に興味深く思いました。しかし先生のおっしゃる「故意に」が大事なポイントで、うっかりミスとは違うことを忘れてはならず。また「相反するもので一句を構成する難しさ」も、頭のどこかに留めておかねばと思います。 (2015年06月15日 (月) 00時19分)[5972]

オサム > このハマナスを大切に育てている方が、花に付けた名前(愛称)が「可憐」なのかも…。 (2015年06月15日 (月) 00時36分)[5974]

月番 > 花につけた名前が「可憐」とは、思い付きませんでした。オサムさん、有難うございます。 (2015年06月15日 (月) 00時55分)[5977]

宜子 > ハマナスの棘に刺されたけれども、あまり痛くないのでしょう、実際にも、心情的にも。それが「可憐に」だと思いました。 (2015年06月15日 (月) 22時07分)[5999]

榮一 > 可憐が工夫ですが美しいものには刺があるは昔から言われていることなので。 (2015年06月19日 (金) 15時00分)[6076]

世話人 > 渡辺淳子さんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時09分)[6102]
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05・首に巻く名入のタオル茄子の花 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時20分)[5922]
(義之 オサム 惠美子 杏花 孝子 眞佐子 鈴子 宜子)8点


月番 > 八人の方々の共感を得た句です。「茄子の花」のお手柄ということでしょうか?どなたからでもどうぞ。 (2015年06月12日 (金) 23時29分)[5933]

義之 > 実景が見えそうで、なかなか見えて来ないのは、名入りのタオルと茄子の花の取合せの所為のように思います。「首に巻く宿の和タオル茄子の花」と自分流に解釈して頂きました。山合の鄙びた温泉町の景と共に、紺地の浴衣がけで露天風呂に向かう作者の姿が見えてきます。掲句は「名入りのタオル」にどのようなタオルを想像するかが、ポイントのように思えます。 (2015年06月14日 (日) 11時59分)[5959]

孝子 > 熱くなってきたこのごろ、久しぶりに太極拳に顔を出したら頸にタオルが必要になったわねという声が聞こえました。スポーツだけでなくても、仕事とか庭,畑いろいろな場所に、タオルは登場すると思います。それが名前いり、キャラクターいり、いろいろ想像すると楽しいと思います。季語であまりおしゃれでない感じがするのも好みでした。
(2015年06月14日 (日) 23時11分)[5970]

月番 > 首に巻いてる人物が男か女か考えてみるだけで、面白そうですが、どっちにしろ、さっぱり垢抜けしない。そこがいいのかも知れん、などと義之さんや孝子さんのコメントを私は勝手に楽しんでおります。 (2015年06月15日 (月) 00時32分)[5973]

惠美子 > ○○農協とか△△老人会のタオルが浮かび、なぜ義之さんのように温泉宿のが浮かばなかった私の色気の無さに「これでは良い句はできないな〜!」と反省しきり!!  でも 茄子の花で 畑仕事に生きがいを感じて居られる生活を感じた句です。 歳を重ねたご婦人を想像しました。 (2015年06月15日 (月) 08時52分)[5979]

月番 > 私も「茄子の花」からあまり色っぽい風景は思いませんでしたよ、恵美子さん。(反省します!) (2015年06月15日 (月) 23時26分)[6005]

オサム > 私も「茄子の花」から自宅の庭か畑を思いました。さて、色々な名入のタオルが出てきて賑わっているようですね。これはある意味(具象に欠ける)と言えなくもなく、もしかしたら掲句の弱点なのかもしれませんね。かと言って(首に巻く三和銀行茄子の花)などとするわけにもいかないでしょうし… (2015年06月16日 (火) 03時01分)[6014]

月番 > オサムさんのご指摘(ある意味、具象に欠けると言えなくもない)のとおりと思います。どこか隔靴掻痒の感があるのは、その辺りに原因がありそう。他のかたがた、いかがでしょうか。 (2015年06月16日 (火) 14時17分)[6020]

眞佐子 > 私は田舎に住んでいるせいかもしれませが、恵美子さんと同じに感じました。
住みません、恵美子さんは田舎ではないと思います。
(2015年06月16日 (火) 16時58分)[6030]

眞佐子 > 「住みません」は「すみません」
でした。 (2015年06月16日 (火) 21時25分)[6040]

月番 > 私も数分歩けば田圃だらけの田舎住まいです、眞佐子さん。
買い物には散歩を兼ねて、わざとそういう田舎道を歩きます。そこで見かけるのはほとんどが年輩の男性です。首にタオルを巻いて…。ご夫婦でというのは、ほとんど見かけませんが、何故だろう? (2015年06月16日 (火) 22時27分)[6045]

榮一 > 名いりのタオルはマジックで名前を書いてあるのかと思いました。農協や温泉宿のタオルなどはみな持っていそうです。ゲートボルなどで使うとき間違うのではと思ったからです。おじさんのやりそうなことですが。 (2015年06月19日 (金) 15時52分)[6084]

世話人 > 石田加津子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時10分)[6103]
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06・美人画の夢二の生家蛇苺 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時19分)[5921]
(眞佐子 紫翠)2点


月番 > 十年ほど前に行ったことがあって、ぼんやり覚えています。いま手持ちの≪夢二の四季≫という本を見ると、記憶通り粗末な田舎家です。当時は岡山県邑久郡本庄村。在の小さな造り酒屋だったようです。蛇苺も嵌りそう。「美人画の」という説明は必要でしょうか? (2015年06月13日 (土) 00時10分)[5934]

孝子 > 夢二は昔からそれほど知りもしないのに好きでした。この句の美人画のとわざわざいれたのが、とれなかったところです。言わなくても一般的にはとおってることで上5がもったいないとおもいます。また私的には夢二の美人画は男の描いた美人画という思いがあります。やわらかそうでかたいのです。どちらかというと、伊東深水の美人画につながるものをかんじます。また余計なところに脱線してすいません。 (2015年06月13日 (土) 14時47分)[5939]

月番 > 孝子さん、率直なご意見、有難うございます。絵をお描きになるかたの「やわらかそうでかたい」というご意見はわかる気がします。 (2015年06月13日 (土) 23時56分)[5947]

紫翠 > 「蛇苺」で採りました。確かに「夢二の生家蛇苺」で充分な気もします。しかし、伊藤深水の美人画ではあわないので、あえてつけたようにも取れます。 (2015年06月15日 (月) 15時05分)[5985]

月番 > 有難うございます。お書き頂いたように、「あえて」という意図は作者の方にあったかも知れません。 (2015年06月15日 (月) 22時21分)[6001]

眞佐子 > 金沢の湯涌夢二館に行ったことはありますが、夢二についての詳しいことはあまり知りません。「夢二の生家」と季語の「蛇苺」が合っていると感じました。言われてみれば、「美人画」は無くても良いような気もしてきました。選をした時は「美人画の夢二」と当然のように、「美人画」と一緒に読んだように思います。
(2015年06月16日 (火) 21時22分)[6039]

惠美子 > 夢二と蛇苺にとても惹かれながら・・上五が目立ちすぎて・・迷った末に諦めました。 (2015年06月17日 (水) 12時17分)[6051]

榮一 > やはり上五の美人画のの説明でしょうか。 (2015年06月19日 (金) 15時57分)[6085]

世話人 > 宮本義之氏でした。 (2015年06月20日 (土) 17時11分)[6104]
名前

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07・雨の日は咲かぬタンポポ爆心地 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時19分)[5920]
(美保子 杏花 千尋 梟夢庵)5点


月番 > 世は何となくキナ臭い感じになってきましたが、それだけに「爆心地」で立ち止まり、しばし考え込みました。 (2015年06月14日 (日) 00時23分)[5950]

千尋 > 原爆なんて生の言葉が出て来ると、たいてい引いてしまうのですが、雨と咲かないタンポポに惹かれました。どんな環境でもめげず花を咲かせるタンポポです。そして昼間は花を開いて夜は閉じる。陽の当たらない雨の日や曇りの日は花を開かない。意識の強い植物です。今は爆心地でもまた花を開いているのでしょうか。やりきれない悲しさを感じました。 (2015年06月16日 (火) 16時36分)[6028]

美保子 > 少し、深読みかもしれませんが、「咲かぬタンポポ」という語句で、タンポポが頭を垂れているような感覚を持ちました。 (2015年06月16日 (火) 20時33分)[6036]

月番 > タンポポは愛らしい花で、絮になればなったで、また完璧な形だと感動する植物です。「今日では世界に広く帰化して雑草となっており、日本でも都会地周辺ではこのセイヨウタンポポが在来の種を圧倒して普通になっている(ブリタニカ国際大百科事典)」とありますから、この爆心地は現在の爆心地であってもいいように思いました。戦火のなか、行き場のない子供たちが肌のいろに関わりなく浮かんできて切なくなります。嘗ての爆心地の回想なのか、どうか迷いました。
杏花さん、どうお読みになったかしら? (2015年06月17日 (水) 16時26分)[6052]

榮一 > この句も取ろうと思った句ですがタンポポがやはり春で。 (2015年06月19日 (金) 15時32分)[6082]

世話人 > 小川紫翆氏です。 (2015年06月20日 (土) 17時12分)[6105]
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08・六月や鍵穴のある象の腹 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時18分)[5919]
(美保子 惠美子 宜子)3点


惠美子 > 500円玉がたっぷり入ってそうな貯金箱の象のお腹。 (私事ですが)4.5月は何かと物入りで・・鍵を開けてみたくなる6月。(夢の無い読みで・・作者さんすみません! (2015年06月13日 (土) 16時12分)[5941]

月番 > 恵美子さん、早速ありがとうございます。私もまったく同じ読みをした(夢の無い!)のですが、鍵付きの上等な貯金箱を、お金に無縁の私は見たこともないし、これは本物の象のお腹に鍵が付いているということなのだと思い直しました。そんなわけで気になった句でしたが、そうなると「六月」がわからない。美保子さん、宜子さん、お願いいたします。 (2015年06月14日 (日) 00時11分)[5948]

宜子 > 動物園にいる象の腹には、どこかにきっと鍵穴があるのです。鍵を差し込むとそこには、象が動物園に来る前にいた草原の草がいっぱい詰まっていて、だから象のおなかはあんなに大きいのです。象はときどき夜にその草を食べているのです。そうでなければ、あの狭い檻の中で暮らせるはずがありません。上五の「六月」から、そんな少し感傷的な読みをしました。 (2015年06月15日 (月) 20時53分)[5996]

美保子 > 鍵穴がある貯金箱、鍵はだれが、管理しているのでしょう。私だったら、生活費に困ったら、すぐに開けてしまいそうです。ただ、月番様が書いていらっしゃるように、本物の像のおなかだとすると私の読みも、ちがっています。六月というのは、梅雨真っ最中でも、どこか、梅雨とは違った少しだけ爽やかさを感じるのは、緑や紫陽花などの時期でもあるからでしょうか。陶器でできた、色の鮮やかな、貯金箱と六月がうまく、あっていると思いました。 (2015年06月15日 (月) 22時05分)[5998]

美保子 > すみません。私が下書きをしている間に、宣子さまの書き込みが投稿されていました。色も重なってしまい、申し訳ありません。せっかく、素敵な読みをされていたのに。 (2015年06月15日 (月) 22時08分)[6000]

月番 > 美保子さん、投稿のタイミングでよくあることです。僅差で遅れて、なぜか色が重なる不運に見舞われます。気にされないことです。
宣子さんの読みも美保子さんのそれも、両方ありだと思います。「六月」というのは鬱陶しさと美しさを併せ持つ故、宜子さんの「感傷的な」読みはうんと夢があって面白いし、美保子さんの「色鮮やかな貯金箱」も納得できます。わが家に結婚した時から陶器の貯金箱がありました。残念ながら象ではなくて、あろうことかピンクの豚。しかもお腹は鍵穴ならぬ安物のゴムの蓋付きでありました。何度も引っ張り開けているうちにボロボロになり、小銭貯金箱としての使命を終えました。マイセン磁器などの美しい貯金箱なら、鍵穴があってもおかしくないなぁ…と思ったりもします。 (2015年06月15日 (月) 23時17分)[6003]

榮一 > 象と言っても生きた象だけではありません。象の形をしたぬいぐるみもあれば陶器の貯金箱も小物入れもありますが腹がどうかと思いました。想像力がとぼしいのかもしれませんが生きた象に鍵穴は感じられませんでした。 (2015年06月19日 (金) 15時38分)[6083]

梟夢庵 > この句の象は生きた象でないとおもしろくない、と最初から決めて掛ったのが間違いだった。ついにめぐり合うことができなかった。 (2015年06月19日 (金) 23時07分)[6097]

世話人 > 木村オサムさんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時12分)[6106]
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09・小半日眺め暮らすやさくらんぼ 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時17分)[5918]
(剛)1点


月番 > あまりに可愛い果物なので、つい見惚れてしまいますが、食いしん坊の私は、小半日を眺めるだけなんて無理ですねえ。作者さんになにか屈託があってのことでしょうか。 (2015年06月14日 (日) 00時17分)[5949]

> 恐らくは月番の書かれたように、山形や長野等で栽培される、かの佐藤錦なる高価なさくらんぼ(桜桃)だと、私も思う。小半日も眺めて楽しんでいるのだ。無論、太宰さんの忌日も関係はまったく無い。人の厭がる喫煙者であり嫌がる同居人もいて、喫いたくなれば玄関脇の北窓を開けて、隣の庭を眺めながらの一服とあいなる。狭い庭だが桜と覚しき樹もあり、花が終わり葉が茂り、毎年この時期には小さな実を付ける、それを名も知らぬ鳥たちが来て食い荒らす。今年未だに鳥たちは来ないがと、よく見たら薄い網が掛けてある。あんな小さな実は喰わせてあげればと思いながら、この句に足を止めたが、私ならすぐに喰ってしまう、卑しいのだ。 (2015年06月15日 (月) 09時37分)[5981]

循子 > 有難うございます。ひやぁ…と、今朝一番のオドロキです。最後の「卑しいのだ」が、私にとっては殺し文句。なぜか。筆者の剛さんにはお解りと。まあ、これも生きてることの楽しみのひとつですね。
掲句に関係ない話で恐縮ですが、うちにも喫煙者がいて、家ぢゅうの壁を定年後の喫煙で眞茶色に変えました。もう意地を張っているとしか思えませんが、仕方ない。何より争いたくないほうが先立ちます。同居人にとっては最後の砦みたいなものでもあり。北窓開けての一服、無心にお楽しみください。 (2015年06月15日 (月) 10時51分)[5983]

榮一 > 卑しいと言えば戦後生まれでも田舎では菓子などのおやつはめったに買ってもらえなくてもっぱら自然になる枇杷、ヤマモモ、桑の実、茱萸、木いちごなどがおやつになったものです。このサクランボは木になっているものでしょう。どす黒い実を何度か食べたことはありますが苦かった思い出があるばかりです。小半日は少し寂しい気がします。 (2015年06月19日 (金) 16時10分)[6086]

世話人 > 佐藤美鈴さんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時13分)[6107]
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10・べらんめえ口調の残る祭かな 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時16分)[5917]
(剛 惠美子 循子 主宰)5点 


惠美子 > 威勢のよさでこれぞ祭りって感じ! 感心しております。 (2015年06月13日 (土) 16時20分)[5942]

月番 > 恵美子さんのおっしゃるとおりです。三社祭をすぐ思い浮かべました。中七までのの措辞で、一瞬のうちにお江戸から続く祭の景が出てきますものね。 (2015年06月14日 (日) 00時34分)[5951]

月番 > 言い尽くされているようでありながら、余白はちゃんと残してある手際の良さを感じます。 (2015年06月15日 (月) 15時14分)[5988]

> べらんめえ口調とは、江戸の下町で主に職人などの間に用いられた威勢のいい荒っぽい口調のことらしい。上方語に対していわれる江戸語は、江戸文化の成熟から、独特の語彙と話法を持つようになり、東京語の母体となった、と、広辞苑にある。この句の「べらんめえ」は、ベラボウメの訛りかとあり、人をあざけりののしっていう語。ばか。あほう。の意もあるようだ。また「てやんでえ」とは、相手の言葉を否定するときにいう語「何を言ってやがるんだ」の意味らしい。江戸言葉はよく粋であると言われるが、実際には殆ど聞くことは無い。月番のいわれるように、この時期下町の祭りと云えば浅草の三社祭、朝顔市も鬼灯市もまつりを名乗っているが、激する言葉が飛び交う事は無いだろう。今の日本の若い人達の言葉の乱れが指摘されて久しい。こんな江戸言葉も何れは消えてしまうのだろうが、みんな昔を懐かしむのだ。 (2015年06月16日 (火) 16時45分)[6029]

榮一 > 消えてゆくものの一つでしょう。粋や文化として一部に残っていくような気がしますが祭の中や芝居の中だけに残るのではと思う。日常的にはもう無理がありそうです。 (2015年06月19日 (金) 16時15分)[6087]

世話人 > 梟夢庵先生です。 (2015年06月20日 (土) 17時14分)[6108]
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11・ががんぼの又来ておりぬ写真立 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時16分)[5916]
(義之 加津子 進二 鈴子 千尋 梟夢庵)7点


月番 > 又来ておりぬ、ですから、同じ写真立にときどき出没するんですね。ががんぼにもこだわりがある? (2015年06月14日 (日) 00時40分)[5952]

義之 > 「ががんぼ」といえば、珍しい昆虫ですが結構遭遇したことがあります。まるで蚊の化物といった風情ですが、人に害をなすようには思えず、むしろ愛おしさを感じる私です。掲句はやや作為を感じる俳句ですが、実際に写真立の置いてある部屋に、「ががんぼ」が飛んできたのでしょう。作者にとって、写真立の人物は大切な人なのだろうと、共感を覚えます。 (2015年06月14日 (日) 12時14分)[5962]

月番 > まったく、義之さんがお書きになったように「ががんぼ」って憎めない虫だと思いますが、あれが夜中に枕元の新聞か何かの紙のうえを歩いたときは、結構大きな音に聞こえてびっくり。目を覚ましたことがあります。そこで腹立ちまぎれの一句を書いた記憶あり。掲句、作者にとって、というより何度も来る「ががんぼ」にとって、写真の人は大切なのかもしれぬ。ふと、そんなこと思いました。 (2015年06月15日 (月) 15時30分)[5990]

千尋 > 勝手な思いですが、亡くなった祖母は玉虫、父は揚羽蝶。それで夫はががんぼになってわたしのところに会いにくるのです。息子が何でお父さんはか弱くて輝きのないががんぼなんよ!お父さんが可哀そうだというのですが。思いの違いはどうしょうもありません。
全くもって個人的なことで、みなさますみません。 (2015年06月15日 (月) 23時46分)[6008]

美保子 > 私も、千尋さまのように庭にしょっちゅう、やってくる小鳥を早くに逝ってしまった、娘だと思う事がよくあります。千尋さまのご主人様はきっと、飾る事のない、正直な方だったのではと想像しました。皆さんの書き込みを読んで、いい句だなと改めて、思っています。 (2015年06月16日 (火) 20時41分)[6037]

循子 > 個人的なことに個人的な反応をさせて頂きますが、千尋さん、ご主人の宏さんは手足が長かった。あのご年齢でジーンズもよく似合った。愛すべきお人柄でした。だから「ががんぼ」なんでしょう。間違っても「また来てるぅ」なんて文句は言わないことです(笑)。個人的なお節介で、相すみません。 (2015年06月16日 (火) 22時59分)[6047]

榮一 > 迷った句です。又が気になって最終的にははずしましたがこの句は又(再び)で生かされているのかもしれません。 (2015年06月19日 (金) 15時08分)[6078]

世話人 > 三島章子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時15分)[6109]
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12・十薬の干される軒や鍬洗う 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時15分)[5915]
(淳子 寿美 孝子 進二 循子 保子)6点 


寿美 > ご近所に居屋とみまごう立派な納屋のある農家さんの軒に毎年十薬がつるされています。この句も昔から代々続いた農家さんでしょうか。ちょっとした病気は薬草で治す。そのときにそなえて、丁寧に引いた十薬を束ねて干す。自然のものにいつも感謝しつつ。 (2015年06月13日 (土) 10時36分)[5936]

月番 > 農の暮らしぶりが見えて、平凡かもしれないけれど、こころ安らぐ句ですね、寿美さん。 (2015年06月14日 (日) 00時49分)[5953]

循子 > ついで、といってはなんですが、≪玉葱も薬草も吊り母の家  国府由子≫
すこし町をはずれると、今でもしばしば目にする光景です。一瞬はこういう暮らしに憧れます。一日の作業を終えて鍬を洗う。大変でしょうが、健やかな暮らし。  (2015年06月14日 (日) 11時17分)[5958]

美保子 > 亡くなった、義父がニキビを気にする娘の為にドクダミを根から抜いて、きれいに洗って、干してくれていました。昔から丈夫でなかった私も麦茶と一緒にドクダミを煎じて、飲んだものです。掲句は、鍬洗う ですから、ご本人も農作業をされている、すがすがしさを感じました。 (2015年06月16日 (火) 20時48分)[6038]

淳子 > どくだみを、刈り取り干して、小石も掬えそうなせせらぎで、日本タオルを頭に今鍬を洗っている婆さんを思いました。安堵と幸せを、感じていられるかと思う。 (2015年06月17日 (水) 23時12分)[6058]

保子 > 本当に幸せな時を感じさせていただきました。「鍬洗う」に「雨が降る」なども如何かなとちょつと思いました。 (2015年06月18日 (木) 00時35分)[6059]

月番 > 保子さんのご提案、なるほど…と思いますが、私はここに人物が見えたことで、景がはっきりした感じがありました。寡黙なお年寄り。それも男性。どうも私は男を置きたがる癖があるようですが、ここは、わが家へ野菜を下さるかたが例外なく男性ばかり、という単純で、さもしいい理由かも知れず、お恥ずかしい話。 (2015年06月18日 (木) 12時25分)[6063]

榮一 > 十薬であっても蓬やげんのしょうこであっても情景はあまり変わらないように思います。 (2015年06月19日 (金) 15時16分)[6080]

世話人 > 松谷真佐子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時16分)[6110]
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13・起し絵の光源氏や猿が辻 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時14分)[5914]
(宜子 主宰)3点


月番 > 最近の宜子さんのお作品の世界かなぁと思ったのですが、どうでしょう。 (2015年06月14日 (日) 10時38分)[5956]

宜子 > 「起し絵」は、今なら飛び出す絵本。そして夏の季語。昔は、さまざまな「起し絵」を縁側に出し、裏側から電灯の光をあてて、子どもたちが楽しんだので、夏の季語に収録されているようです。その起し絵に源氏の君が!そして場所は、京都御所の鬼門に当たる北東の角、奇妙に内側に折れていて、そこには金網の奥に木彫りの猿がいる「猿が辻」・・・雅というより、物の怪の雰囲気が漂う世界でした。夜な夜な、猿が辻で起し絵の源氏を待っている、待っているのは私。そんな楽しみ方の出来る句でした。 (2015年06月15日 (月) 21時54分)[5997]

月番 > 宣子さん、有難うございます。あやかしの世界ですね。 (2015年06月15日 (月) 23時32分)[6006]

榮一 > 揃い過ぎている感はあります。起し絵はもっと重要な役目があったようですが娯楽の世界にも取り入れられたようです。昔の人の息使いが感じられるように思いました。 (2015年06月19日 (金) 16時22分)[6088]

梟夢庵 > 「猿が辻」についてはネットで検索すれば、そこが京都御所の鬼門に当たる北東の角で宜子さんの「奇妙に内側に折れて」いる理由も、また「金網の奥に木彫の猿が」封じこまれている由来も書いてあるし、「起し絵」(立て版古)については歳時記に、「江戸時代初期に盂蘭盆会の供養の灯篭が玩具化したものとされる」との解説がある。問題は光源氏と猿が辻の関係である。あるいは、六条御息所の生き霊の世界とも思えたが、力不足で読み切れなかった。 (2015年06月19日 (金) 22時44分)[6096]

世話人 > 安田循子さんでした。 (2015年06月20日 (土) 17時16分)[6111]
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14・鎖垂る外人墓地の薄暑かな 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時14分)[5913]
(加津子 眞佐子 鈴子 宜子 章子 紫翠)6点


月番 > 採られた方々、どなたでもどうぞ。大会の観光で生まれた句かと思いますが。 (2015年06月14日 (日) 12時30分)[5963]

加津子 > 外人墓地の鎖、確かに私も目にしました。俳句になるんですね。季語で横浜の海、風、バラが目の前に拡がりました。 (2015年06月14日 (日) 17時41分)[5967]

紫翠 > 「薄暑」が良かったと思います。 (2015年06月15日 (月) 15時12分)[5987]

章子 > なだらかな坂ですが外人墓地まで来ると汗ばんできます、木陰で横浜の港を見降ろしながら心地よ良い風に薄暑を実感しています。 (2015年06月16日 (火) 12時57分)[6015]

月番 > 「鎖垂る」が分かりませんでした。申し訳ありません。 (2015年06月16日 (火) 14時28分)[6022]

千尋 > わたしも鎖がわからなかったのです。墓地を囲む柵?でしょうか。 (2015年06月16日 (火) 20時05分)[6033]

鈴子 > 大会の観光風景が甦りました。情景を上手く切り取っていると思いました。季語の薄暑が決まってると思います。月番さんのお尋ねの「鎖垂る」は私の思い違いでなかったらいつごろか忘れてしまいましたが、以前は鎖が張られることもなく細い径を下まで降りて、墓地の墓石など見たように思います。いつごろから鎖がはられたのでしょうね。ピンと張った鎖ではなく少し弛んでいる鎖かと思いました。 (2015年06月16日 (火) 20時17分)[6034]

月番 > 鈴子さん、有難うございます。私が横浜外人墓地を訪ねたときは、自由に立ちいることができ、印象に残る墓碑も色々ありました。そこで拙い句も作りました。いまは鎖が張られているのですね。 (2015年06月16日 (火) 21時25分)[6041]

眞佐子 > 大会の観光で行った外人墓地の光景だと思いました。鎖が張られて墓石の近くまで行けなくて残念に思いました。「鎖垂る」がそれを良く詠まれていると思ったのですが、見ていない人には解らないのですね。「薄暑」が良かったです。 (2015年06月16日 (火) 21時43分)[6042]

月番 > やはり立入り禁止の鎖なのですね。眞佐子さん、ありがとうございます。 (2015年06月16日 (火) 23時03分)[6048]

榮一 > 大会での外人墓地の入り口の鉄扉の鎖ですね。昔は自由に入れたのにとおもいました。鎖垂ると薄暑は情感的に効きすぎるようにおもいました。 (2015年06月19日 (金) 16時27分)[6089]

世話人 > 伊藤保子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時17分)[6112]
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15・夏風邪や茄子紺色に暮れる橋 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時13分)[5912]
(義之 杏花 鈴子 循子)4点


循子 > 手前勝手な話ですが、「橋」という言葉が昔から好きです。いろんな橋の名前も好きです。橋の出てくる歌も国の内外を問わず好きです。俳句も好きです。≪柩出るとき風景に橋かかる≫は忘れられぬ句。したがって作者の橋カン(もんがまえに月)石さんも好きです。…と言う訳ではないのですが、掲句も好きです。作者はぐずぐずと治らぬ夏風邪を抱えて、外出もままならぬのか、窓から橋を眺めている。茄子紺はその気分も表しているかも知れませんが、現実の夕空が茄子紺というのは面白い感じ方と思います。前出の「…風景に橋かかる」には勝てないかもしれないですが、好きは好き、ということで。 (2015年06月15日 (月) 16時28分)[5991]

月番 > 義之さん、杏花さん、いかがでしょうか?鈴子さん、お採りになっていますね。どうぞ。 (2015年06月15日 (月) 16時32分)[5992]

義之 > 「夏風邪や」で朦朧とした気分が漂い、紺色に暮れゆく世界は、やがて真の闇へと変わる中、何故か一つの橋が現れ、渡るべきか、渡らざるべきか、躊躇する夢幻の世界が見えて来ます。「茄子紺色に暮れる橋」という表現が、生死の境界を想起させるようです。 (2015年06月16日 (火) 02時06分)[6012]

洋子 > 循子さま、橋カンセキの句を教えてくださってどうもありがとうございました。本当に素晴らしい句ですね。
また、義之さまの鑑賞に感動いたしました。 (2015年06月16日 (火) 20時23分)[6035]

義之 > 以下ネットからのコピーです。
橋 關ホ(1903年2月3日 - 1992年11月26日)は、日本の英文学者、俳人。 石川県金沢市出身。神戸高商(のち神戸商科大学。定年後名誉教授。)、新和女子大学教授(学長)を歴任し英国の随筆文学を研究する一方、1949年に俳誌『白燕』を創刊、主宰。1958年には高柳重信の『俳句評論』にも加わる。1984年『和栲』で第18回蛇笏賞、1988年『橋關ホ俳句選集』で第3回詩歌文学館賞受賞。代表的な句に、「蝶になる途中九億九光年」「階段が無くて海鼠の日暮かな」「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」など。句集に『雪』『朱明』『無刻』『風景』『荒栲』『卯』『和栲』『虚』『橋關ホ俳句選集』『微光』、随筆に『泡沫記』、研究書に『俳句史講話』 『俳句史大要』などがある。
(2015年06月17日 (水) 09時05分)[6050]

月番 > 義之さん、ご親切有難うございます。勉強になります。話が逸れますが上掲の文中、橋 關ホの代表句のひとつとして出されている≪銀河系のとある酒場のヒヤシンス≫は確か晩年に詠まれた句だと思いますが(?)、その瑞々しい巧みさに驚きます。英文学者でもあって、チャールズ・ラムが卒論だったとか。 (2015年06月17日 (水) 17時10分)[6053]

榮一 > 茄子紺色はかなり深い紺色です。暮れるよりはすでに暮れた橋がふさわしいように思います。 (2015年06月19日 (金) 15時03分)[6077]

鈴子 > ここ数年帰郷していない故郷の光景が広がりました。「茄子紺色」懐かしいです。母のの好きな色で、男児のセーターは手染めで大人になるまで茄子紺色で、女児は海老茶に決まっていて、ほんとにつまらない時期もありましたが・・・「茄子紺色に暮れる橋」は、肩の凝りもほぐれるようなほっこり感を味わいました。好きな句です。 (2015年06月19日 (金) 15時10分)[6079]

世話人 > 山内宜子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時18分)[6113]
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16・鬼子母神神社の暗み雪ノ下 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時12分)[5911]
(惠美子)1点


惠美子 > 鬼子母神と雪ノ下に「暗み」はすこしくどいような感がありましたが、子供の頃によく遊んだ袋路地の奥にお稲荷さんがあって・・そこの雪ノ下を思い出し・・「お転婆惠美子」の頃を思い出させてくれました。 (2015年06月13日 (土) 16時31分)[5943]

月番 > 雪ノ下を私は長いこと見かける機会がないのですが、愛らしい花です。虎耳草、鴨足草、畸人草、などの表記があって、ややこしい植物でもあります。鬼子母神は性質邪悪で他人の子を殺して食べたという話ですが、やがて仏に帰依した女神。産生と保育の神。どこの村にも町にも鬼子母神さんはあって、母や祖母とお詣りしたものです。恵美子さんの遊び場でもあったそうですが、懐かしいですね。「鬼子母神神社」は固有名詞だとすれば、仕方ないですが、重複の感があって、気にならないでしょうか?採られなかった方々の理由にここらへんも関わっているのかと思うのですが…。 (2015年06月14日 (日) 11時03分)[5957]

惠美子 > 神社は確かにとってほしい感はありますねぇ〜。 鬼子母神と雪ノ下の取り合わせは大好きです。 (2015年06月15日 (月) 09時03分)[5980]

千尋 > 鬼子母神神社とはいわないようですね。鬼子母神堂が多いようです。 (2015年06月16日 (火) 13時46分)[6018]

月番 > 鬼子母神堂、ですか。有難うございます。いままで単に「鬼子母神さん」としか意識してなかったので、改めて教わりました。 (2015年06月16日 (火) 14時23分)[6021]

鈴子 > 千尋さまのおっしゃるように「鬼子母神堂」が正しくて鬼子母神神社は私の勘違いです。ほんとに申し訳なく、恥ずかしいです。 (2015年06月17日 (水) 21時42分)[6054]

作者 > 作者とするところを名前を書いてしまいました。。なんということを・・・・ (2015年06月17日 (水) 21時46分)[6055]

月番 > 私などはいろいろな間違いを臆面もなく繰り返しています。鈴子さん、たまには勘違いもウッカリミスもあって当然ですよ。間違って作者が名乗り出ることぐらい、へいちゃらです。アハハ…でおしまいです。 (2015年06月18日 (木) 13時51分)[6066]

世話人 > 太田鈴子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時19分)[6114]
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17・パペットの糸のもつれや梅雨に入る 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時11分)[5910]
(美鈴 孝子 眞佐子 保子 章子)5点


月番 > 上で糸を操っているのも指人形もパペットといいますが、文楽とは違った楽しさがあります。昔、若い男性が巧みに操って見せてくれたのがプラハ最高の思い出。楽しいけれど、あれ一旦縺れたら、たいへんでしょうね。採られたのは女性ばかりですが、男性がたは興味の外というところかも知れません。「梅雨に入る」については、どうでしょう、美鈴さん?
章子さんも人形お好きですか?私はいい年をして人形好きとはなぁ…と常に嘲笑されておりますが。 (2015年06月14日 (日) 12時03分)[5960]

章子 > 女性の人形師の黒いロングスカートと白い長い指が見えます、パペットの糸の縺れは入梅の湿気のためではないと思いますが、心の乱れかしら、お人形お好きな月番さん実は私人形怖い派なんです、もっぱら縫ぐるみを可愛がっております。 (2015年06月16日 (火) 13時23分)[6016]

美鈴 > BSで最近再放映されたターシャ・チューダの暮らしのなかにパペットを懐かしんでいる姿が出ていました。微妙な指の動きで人形の表情まで表すのはとても難しいことだと思いました。もつれた糸をほぐすのは忍耐と根気がいることでしょう。季語もそんな気持ちをうまく表していると思いました。深く読めばいろんな意味にもとれる句だと思います。 (2015年06月16日 (火) 19時11分)[6032]

月番 > ターシャ・チューダの再放送は知りませんでした。残念!何年も前の放映は熱心に見ましたが、細かいことは忘れました。パペットもギニョールも郷愁を誘うものです。上手い使い手になると、人形にいのちが入りますが、そこへ到達するのはなんども糸を縺れさせねばならぬでしょう。「梅雨に入る」が生きているということですね。有難うございました。 (2015年06月16日 (火) 22時06分)[6043]

眞佐子 > 以前、落語の菊翁と円楽の前座にパペットを見たことがあります。何本もの糸が縺れたらどうしようと思いながら見ていたような気がします。「梅雨に入る」が「糸のもつれ」とうまく絡んでいるようです。 (2015年06月16日 (火) 22時07分)[6044]

保子 > 何であれ、糸が縺れると世界を揺るがすような一大事、座五で楽しめそうな気がします。 (2015年06月18日 (木) 00時47分)[6060]

榮一 > 梅雨と糸のもつれは響き過ぎます。すぐに響きすぎるのも意味がでてきて考えものです。 (2015年06月19日 (金) 15時30分)[6081]

世話人 > 鈴木美保子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時20分)[6115]
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18・城ケ島の厚き貝殻走り梅雨 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時11分)[5909]
(剛)1点 


月番 > 「厚き貝殻」がもうひとつ見え難い感じがあるのですが、ここは剛さんの独壇場です。よろしくお願いいたします。 (2015年06月14日 (日) 12時08分)[5961]

> 三浦半島の先端に在る城ケ島も、湘南に沿う江の島も名だたる観光地である。厚きに特別な意味があるとは思えないが、アクセサリー等に仕立てて土産に売られる貝殻は薄い。視線の先に見える栄螺や牡蠣等の殻の実感だろうと思う、特に殻の堅固な栄螺は土地の名物として、貝殻ごと焼いて店先で売られている。一般的に湘南や三浦半島は一年中明るい季節の印象があるが、その城ケ島にも鬱陶しい梅雨が訪れるようである、作者はそれを貝殻に見つけたのだと思う。貝殻と云われれば「私の耳は貝の殻〜〜」なんて、思い出すし、海岸に打ち上げられる薄い桜貝等も目に浮かぶが、城ケ島は周囲が岩場であり砂浜は少ないようだ、何となくであるが厚き貝殻が、この島に似合いではなかろうか。 (2015年06月15日 (月) 18時35分)[5995]

月番 > 有難うございます。城ヶ島も昔を知るひとにきくと、以前とは姿を変えているということですが、白秋の詩の所為か、いまも情緒のある島ですね。 (2015年06月15日 (月) 23時41分)[6007]

榮一 > やはり利休鼠の雨なのでしょうか。 (2015年06月19日 (金) 16時30分)[6090]

世話人 > 若林千尋編集長でした。 (2015年06月20日 (土) 17時21分)[6116]
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19・緑さす区民図書館昆虫記 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時10分)[5908]
(美保子 美鈴 洋子 千尋 主宰)6点 


洋子 > 新緑の季節、小さな区民図書館でファーブルの昆虫記を読んでいます。男の子でしょう。もう少し季節が進んだら、蝉、カブトムシ、カミキリムシなどいっぱいとるのでしょう。しっとりとした楽しい初夏の句です。 (2015年06月14日 (日) 16時16分)[5965]

月番 > ファーブルの昆虫記は愛読者が多いですね。たしかに男の子なら目を輝かせて読みふけっているに違いありません。 (2015年06月15日 (月) 23時56分)[6009]

千尋 > 先ず緑さす区民図書館という乗りの良いフレーズに惚れてしまいまた。公園の中にある小さな図書館で、昆虫記を手にしている子ども、雑誌をめくっている若いお母さん。穏やかな時間が流れています。うちの孫たちも垂水区図書館に良く出入りしているようです。 (2015年06月16日 (火) 13時34分)[6017]

月番 > 神戸に行くと確かに区ごとに図書館があって、羨ましく思います。衰退の一途を辿っている奈良県の商業都市はいずこも大赤字抱えて図書館の内容充実までは手が届かないようで。借りたい本が見つからないことが多い。ちょっと出かければ図書館、という環境は子供たちにとっても幸せですね。 (2015年06月16日 (火) 15時44分)[6025]

美保子 > あふれんばかりの新緑と大きな木々に囲まれた、図書館、昆虫記に夢中になっている、少年。もしかしたら、借りたばかりの本を外の木の下で読み始めているのかもしれない。私も「緑さす区民図書館」というリズムのよさに惹かれました (2015年06月16日 (火) 15時50分)[6026]

榮一 > 神戸には各区に市民図書館はありますがほとんどが駅前で緑さすとはいきません。大きな公園の多い東京のような気がします。大都会ゆえに昆虫記が活きるようです。 (2015年06月19日 (金) 16時34分)[6091]

世話人 > 樋口進二氏でした。 (2015年06月20日 (土) 17時22分)[6117]
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20・頭陀袋の鳥獣戯画図青嵐 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時09分)[5907]
(オサム 梟夢庵)3点 


オサム > 青葉の頃、やや強い清爽な風が吹く中を一人の男(僧)が頭陀袋背負って歩いてくる。その頭陀袋は、もともと滑稽な鳥獣戯画図が描かれていた反物で編まれている。山頭火や放哉のような、ちょっと破天荒でいて、風雅を愛する不思議な坊さんが見えてきました。 (2015年06月15日 (月) 00時51分)[5975]

月番 > オサムさんは放浪好きの不思議な坊さんをイメージされたそうですが、牧水なども頭陀袋で旅を重ねていたのでしょうね。私達が普段の暮らしのなかで「頭陀袋」というとき、なんでも入ってしまうダボダボの大きな袋のことを指します。ややおどけ気味に。掲句の頭陀袋はそれのことではないかと思いました。東京では鳥獣戯画展が大賑わいだったようですが、それを観に行った主人公。ショップで鳥獣戯画のプリントされた大きなバッグを購入。中には重いカタログや、ポストカード、あるいは他の小物など買い込んだグッズが入っている。時は青葉の六月。やや強い風も心地よく、満足して帰ってゆく主人公。そんなこと想像しました。「鳥獣戯画図」の「図」に違和感があったのですが、考えてみれば、プリントされたものは、やはり「図」としか言いようがない。主人公は楽しげに青嵐のなか歩いています。 (2015年06月16日 (火) 15時28分)[6023]

榮一 > 頭陀袋と言えば坊さんが托鉢の時に首から下げている白い色の袋のイメージです。提げて持つ袋全般を言うならばプリント柄のこの句の景の袋もありそうですね。 (2015年06月19日 (金) 16時41分)[6092]

世話人 > 久野孝子さんです。 (2015年06月20日 (土) 17時23分)[6118]
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21・産土や波音に吊る青き蚊帳 投稿者:世話人 (2015年06月12日 (金) 20時08分)[5906]
(剛 美鈴 オサム 淳子 寿美 洋子 進二 循子 保子 梟夢庵)11点


寿美 > 今は蚊帳ははほとんど使われないが、私はまだ捨てきれず持っています。窓を開け放ち蚊帳の中で潮騒を子守歌に聴いて眠る。懐かしい懐かしい風景です。 (2015年06月13日 (土) 10時45分)[5937]

洋子 > 寿美さんの鑑賞に同感です。 (2015年06月14日 (日) 07時41分)[5954]

循子 > 「波音に吊る」で詩になった。ヤラレました。 (2015年06月15日 (月) 16時35分)[5993]

月番 > 最高得点句ですね。皆さん、どうぞ。反論も大歓迎です。 (2015年06月15日 (月) 16時38分)[5994]

オサム > 私も(波音に吊る)という詩的な把握に思わず釣られました。更に、(産土の)ではなく(産土や)と切れを入れたことで、多くの日本人の心の底にある郷愁を、より呼び起こす構造の句になっていると思いました。 (2015年06月16日 (火) 01時59分)[6011]

美鈴 > 長塚 節の「垂乳根の母が吊たる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども」が浮かんできました。余命わずかな作者にとってこの蚊帳は母の懐のように感じられたことでしょう。さらに土肥顧問先生の「鯨の中の畳の部屋に灯が灯る」が浮かびました。海に散った我が子を思いつつ、あるいは兄や姉が弟をしのびつつ蚊帳を吊る、そんな景も見えてきました。洋子さんたちの詠みが素直な詠みでしょう。今は使われないだけに蚊帳はことさら郷愁を誘うようです。


(2015年06月16日 (火) 18時58分)[6031]

淳子 > 私もまず産土やで郷愁を呼び起され、みどり濃い少し重い蚊帳、姉妹のこと、鮮明に懐かしく、懐かしく思い出しました。青い蚊帳は少し軽く涼しげで来客用だったのだろうか?。 (2015年06月17日 (水) 22時30分)[6057]

保子 > 「産土や」「産土の」とでは違いがあるのでしょうか?ちょっと気になりました。 (2015年06月18日 (木) 01時00分)[6061]

月番 > 保子さんの疑問については、6011のオサムさんのコメントが、ひとつの答になっているかと思います。他のかたでこれとは違うご意見、またはべつの視点から捉えた「や」の肯定論を書いて下さると有難いのですが。掲句を採られなかった方々のご意見が全く出ませんが、月番としてはいささか残念です。月番が書き込む前に、まず皆さまのご意見を伺わせて頂きたいと思っております。 (2015年06月18日 (木) 12時50分)[6064]

> 皆さんの言われる通りである。一般的に蚊帳という懐かしいものは現在見ることは滅多に無い。生まれ育った鄙びた田舎、産土の地はあるが、進学後の就職や転勤等によって、都会生活を余儀なくされ、そのまま都会に慣れ親しんで住み着いてしまった人たちも多い。思いを巡らせば自分にも思い当たる。この句は、波音から思うに海に近い産土の地に帰って、ご先祖や土地の守り神、所謂土地の持つ力に癒されているように思う、自然な形でそっと寄り添ってくれるのだ。この地で休んでまた新たな力を与えて貰う、いわば安息の深まる波の音や青い蚊帳である。しっかりと切って産土を強調しているので、多忙である都会生活者の夢の醒め際かも知れないとも思う。いずれにしても、産土に青い蚊帳を持ち出されたら、これは敵わない。 (2015年06月18日 (木) 15時45分)[6067]

世話人 > 岡部榮一主宰です。 (2015年06月20日 (土) 17時25分)[6119]

美鈴 > 引用させていただきました顧問先生の御句、灯が灯るは灯が点るの誤りでした。お詫びして訂正いたします。
(2015年06月22日 (月) 08時52分)[6124]
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